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甲東園 

大阪市中央区伏見町にある芝川ビルは昭和2年(1927)に建てられました。私も何度か行きましたが、存在感のある立派なビルです。建てたのは芝川又四郎(1883~1970)という方で、この人は大日本果汁株式会社(「日果」、のち「ニッカウヰスキー」)を創業した竹鶴政孝とは強い絆があります。化学やウイスキー製造を学んでイギリス留学から帰った竹鶴が奥さんのリタさんと大阪の帝塚山で住んだ家の大家が芝川又四郎でした。又四郎の娘はリタさんから英語を習ったそうです。そんな縁もあって、竹鶴が寿屋(のちのサントリー)から独立して大日本果汁を設立するとき、その設立式は芝川ビルでおこなわれました。そして、加賀正太郎(京都府大山崎町にあるアサヒビール大山崎山荘美術館はこの人の山荘)や柳沢保恵らとともに日果に出資したのでした。
その又四郎の父は

    二代目芝川又右衛門

で、元の名は又次郎と言いました。江戸時代の末期に芝川新助という人が唐物商の「百足屋」を興したあとその女婿(二代又右衛門の父)の初代又右衛門が土地経営を始め、二代又右衛門(以下、「又右衛門」とだけ書きます)もそれを継承したのです。以下、学校法人関西学院のHPその他の資料から内容をお借りして書きます。
又右衛門は兵庫県武庫郡甲東村(現西宮市)の上ヶ原地区に果樹園を開設しました。これが

    甲東園

で、今は西宮市甲東園、上甲東園という地名になっています。甲州ブドウとか柿、桃などを植えたそうです。同時に、立派な道を整備して、これが現在も阪急電鉄甲東園駅から関西学院大学につながる道として使われています。この甲東園駅も、又右衛門が用地を寄付する形で阪急電鉄創業者の小林一三が建設したそうです。
又右衛門は果樹園のほかに、桜、梅、楓など多くの樹々も植えたそうで、その名残として、

    甲東梅林

が今に愛され続けています。この梅林はもともと一か所にあったものではなく、中学校(梅林の隣にある)を建設するために、運動場を確保するべくそこに植えられていた梅を移植するなどしてできたのだそうです。
広大な梅林とは言えませんが、地元の住宅街(かなり高級感のある住宅街です)の皆さんなどが梅の季節には多く集まってこられます。私は今月のはじめにここに行って今年初めての梅見をしてきました。
梅林の説明板によると、「豊後」「林州」「白加賀」「白玉梅」「南高」「白難波」「道知辺(みちしるべ)」「見驚(けんきょう)」「黒梅(こくばい)」「桃千鳥」「摩耶紅梅」「輪(りん)ちがい」などの品種があるそうです。
すぐそばにある高校には「入組野(いりぐみの)古墳」が移設され、高校の門を入った左手の庭園は「芝川農園跡(憩いの広場)」と呼ばれています。
甲東梅林のすぐ近くには今も芝川家があります。
ちなみに、西宮市には、山の手に「苦楽園」「甲陽園」「甲風園」「甲東園」、海側に「香櫨園」「甲子園」「昭和園」があり、これらは「西宮七園」と言われ、閑静な住宅街として知られます。特に山手側は高級感があって、大きな住宅が並んでいます。

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打ち上げが中止した 

広告文などで、「新商品が発売」「即売会が開催」というフレーズを目にすることが多くなったのはいつごろからでしょうか。これらは受身形の「される(た)」を略した形ということなのでしょうが、いささか無理のある表現だと思っていました。
しかしキャッチフレーズのようなものならある程度言葉を崩すのはやむを得ない面もあり、「何だか気持ちの悪い表現だな」というくらいであまりとやかく言わないようにしてきました。
ただ、新聞やテレビニュースなどでこういう見出しが出てくるようになると、それは好ましくないだろうと思っていたのです。今はっきりした証拠を出すことはできないのですが、テレビニュースで同じような形の見出しを見た記憶があるのです。もしこの記憶が間違っていないとしたら、報道の言葉としてはあまり好ましいことではなく、ディレクターにも一考をお願いしたいのです。
2月17日に種子島宇宙センターで予定されていた

    H3ロケット初号機

の打ち上げが、残念ながらうまくいかなかったようです。ただ、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の発表では「失敗」ではなく「中止」とのことでした。何らかの異常を検知した時には止まるのが正常なシステムであって、JAXAの人の話では「健全に止まっている」ということでした。「止まったら健全ではないのでは?」という意見もありましたが、当事者とすればそういう感覚なのでしょうね。
この出来事は、翌日の新聞に報道されましたが、私が読んだ新聞にはこのように書かれていました。「JAXAによると、固体ロケットブースターが着火せず、

    打ち上げが中止した

のは1994年の「H2」2号機以来という」。
この記事を読んだ瞬間、私は強い拒否反応を起こしてしまいました。「中止する」という言葉は他動詞で用いられるのが普通で、「~を中止する」と表現するものです。「中断する」ならかまいませんが、「中止する」をこういう形で使うのは不自然だからです。しかし、新聞記者がこういう間違いをするものだろうか、と思い、また校閲の人がいますからそこをくぐりぬけたというなら、私が何か勘違いをしているのではないかと思ってよく考えてみました。
まだすっきりはしないのですが、JAXAの言い方を見ているうちに記者の気持ちが少し見えてくるような気がしました。今回のできごとは、JAXAが主体となって打ち上げを「止(と)めた」わけではなく、ロケットが自動的に「停止した」という気持ちで、「打ち上げ」という動作が勝手に止まったと言いたかったのかもしれない、しかもJAXAが「停止」と言わずに「中止」という言葉を使っているのでそのことばを用いて「中止」と書かれたのかもしれない、と感じるようになりました。ただ、それでも言葉の使い方としてはあまりうまくなく、記者さんも「打ち上げが中止となった」か、JAXAの言葉の引用であることをカギカッコで示して「打ち上げが『中止』になった」くらいにしておかれたら私などにとやかく言われることはなかったのに、と思います。

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今年は荒れるかも 

今どき赤穂浪人の仇討ちなんてあまり感心されないのかもしれません。『仮名手本忠臣蔵』のように善と悪と明確にしたうえでなければ芝居にもならないと思います。いくら相手に非があってそれゆえに虐げられた結果だったとしても、老人に向かって刃を向けたら、犯罪者になってしまいます。昨年の国会議員銃撃事件がまさにそれだったでしょう。浅野内匠頭長矩がなぜあんなことをしたのかは100%わからないかもしれませんが、やはり暴挙だったと思います。さらに、そのために主君が罰せられたからと言って家来が徒党を組んで恨みを晴らすのは首をかしげたくもなります。浅野長矩が刀を抜かずに何とか工夫すればよかったのでしょう。
ただ、権力者というのはそれこそ徒党を組んで、罪をぼやかしながら

    弱い者をいじめて

きます。どうみてもおかしいことをし続けた議員を国葬にして祀り上げ、その非を必死になって隠そうとしてきたことにも明らかです。故人を悪く言うのは日本人の美意識からは外れるかもしれませんが、故人の犯した罪は憎んで正し続けねばならないでしょう。
私は聖人君子ではありません。気が長いと思われがちですが、実は短気です。基本的に人の悪口は言わないし喧嘩もしないのですが、どうしても許せなくなると激しく喧嘩します。暴力をふるうと負けですので、言い分を明確にしたあとで決裂したら、法的に問題ない範囲で報復することもいとわないのです。
最近、犯罪と言えるようなことをする人間に向きあうはめになってしまいました。どうして人間はこんなことができるのか、と思えるような汚いことをしてくる人物がいて、他人事としても看過できないのに、私の周囲に影響を及ぼしてきましたので、もう許すことはできなくなりました。その人物についていろいろ周囲の人から話を聞いてみると、

    悪い評判

がぞろぞろと出てくるのです。しかもその中には道徳的に許せないという範囲にとどまらずに、明らかに犯罪行為と思われることもあります。どういう法律に触れるのかはまだわからないのですが、人の財産を奪ったり、健康、命に関わる悪事をしたりするのは許せという方が無理です。
もうひとつ、以前から喧嘩してきた相手がいまして、こちらも今年のうちに結論を出そうと思っています。もう話し合う余地はないかもしれず、そうなったら実力行使もいとわない気持ちになっています。
この歳になってこんなことをしたいはずがありません。それでも相手がかかってきたら逃げるわけにはいかないですし、相手が逃げたらこちらから攻撃する必要もあると思っています。
今年はかなり荒れる一年になるように思います。返り討ちに遭うかもしれませんが、間違いをうかうかと見逃すには、長らく教育に携わってきたプライドが邪魔します。許さへんで!

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お好み焼きは一枚 

今の総理大臣が就任するとき、テレビのインタビューで「お好み焼きは大阪ですか、広島ですか」という脱力感あふれる(笑)質問をした人がいました。すると総理大臣は少し悩んだあと「やはり広島です」と答えていました。悩んだお気持ちはよくわかります。大阪はダメとも言えず、しかし広島を無視することももっとできませんから八方美人にならざるを得せん。そして最後には、「どちらもおいしいのですが、どちらかというと」と言いつつ広島に軍配を上げられたように思います。私などはこの両者を比較する気になれません。同じ関西のお好み焼きの中でどれが好きか(イカ玉とかブタ玉とか)、というならまだわかるのですが、広島のものと比べても意味がないように思います。
広島地方で食べるお好み焼き(「広島焼」なんて言いません)はボリュームがあっておいしいです。2月に中国地方に行ったときも「そば入り」を食べましたが、食べ終わるとお腹いっぱいになりました。
前に書いたかもしれませんが、私が広島市の短期大学(残念ながら、4年制大学にすることができず、数年前に廃学になりました)に赴任してまもない6月に事務の女性たちに誘われて

    「とうかさん」

という祭り見物に出かけました。「とうかさん」というのはこの祭りのおこなわれる圓隆寺の総鎮守「稲荷(大明神)さん」の意味で、「稲荷」を音読みしているわけです。この祭りから広島には夏が来て浴衣を着てもいいのだと教わりました。その帰り道にいつの間にか一緒にいた人が次々に帰って行って(というより姿を消して)、ある女性と二人残されたのです。これは彼らのたくらみで、その女性と当時独身だった私をくっつけようとしていたような気がします。私は最初気がつかなかったものですから、「ではこれで」と言って帰ろうとしたのですが、彼女が「お好み焼きに行きましょう」と誘ってきて、言われるままにお付き合いしたことがあります。「みっちゃん」というお店でした。「広島のお好み焼きはソースがオタフクですけぇ、おいしいんですよ」と言われ、

    オタフクソース

というのもその時に知りました。彼女とはそれっきりで終わった(笑)のですが、以後、お好み焼きは折に触れて食べるようになったのです。
いつもお世話になっている歌舞伎三味線の師匠は広島のご出身ですが、今は広島に行かれると必ずと言っていいほど広島市の西十日市町にあるお店にいらっしゃいます。私も一度行ってみたいのですが、なかなか広島市に行く機会がなくて・・。
味音痴の私は細かい味のニュアンスがわかりませんので、特に「ここがいい」という店はないのです。昨年山口県防府市で泊まった時も夕飯はお好み焼きにしました。広島風のお好み焼きは山口でもあたりまえのように食べるのですね。
ところで、以前の私は一枚では少し物足りなかったのですが、さすがに最近はいくらか食が細くなり、半分食べたあたりでかなり満足し、最終的には一枚でじゅうぶんでした。かつての大食いの姿はもうありません。

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話しかけられる 

私は見知らぬ人から話しかけられるのが苦手です。そういう人はたいてい「道を教えてほしい」とか「あなたは神を信じますか」とかそういう用件だろうと思うのです。
神は信じていないので返事もできませんが、道を問われる場合はうまくいくと見事に答えを出せることがあります。あるとき、高齢のご夫妻らしい方が向こうから歩いて来られ、そのうちの男性がニコニコしながら私に近づいてきました。「あ、道を尋ねられる」と気づいたのはその人が歩きながら何となくきょろきょろしていたからです。目的地がこのあたりにあるはずなのに見当たらないという感じでした。そしてその人は私に向かって「おーみんあん」という口をなさいました。「道を尋ねる」「このあたり」「おーみんあん」という三題噺のようなところから私は答えを導かねばなりません。一瞬のうちに、近所に「おーみんあん」という感じの発音の施設、しかも高齢のご夫妻が生きそうなところはないか、と考えを巡らせました。近くにある施設というと「郵便局」「市役所」「公園」「スーパー」「体育館」などがあるのですが、ハタと気付きました。その場から5分ほど歩いたところに

    公民館

があるのです。これだ! と思って「公民館ですか」と聞き直したらその人は大きくうなずかれました。あとは簡単で、すぐに道をお教えするととても嬉しそうにお礼を言ってくださいました。
しかしこんなことはなかなかなくて、たいていは「すみませんよくわからないのです」とお詫びすることになってしまいます。
田舎の町に行って山陽道の山道を下りてきたところに、もう80代くらいだろうと思われる女性が立っていました。どう考えても私を見ています。「この人、なんで山道を歩いて下りてきたんだろう」とお思いになったのではないかと想像できました。そりゃそうです、険しい山道ですから、車で行くならともかく、歩いてくるなんて珍しいでしょうからね。声を掛けられたらどうしよう、と思っていたら、しっかり話しかけられました。もうやけっぱちで、こちらから「私、実は土地の者ではないのですが、この道に興味がありまして今歩いてきたのです。これって山陽道ですよね」と言いました。するとその人はなんだかとても嬉しそうに

    「そう、そう」

という返事をしてくださいました。それで私は間髪を入れず「いや、昔の人は大変でしたね。では、どうも~」という感じでその人から離れることに成功しました。ところがそのあと、近くにあった石碑を見ていたところ、その人がまた近づいてきて、石碑を指さして何か言っています。私は石碑に書かれていること読むようにして「昔は・・・だったんですね」というと、また嬉しそうにしてくれました。
すると今度はその人がその場を離れていって、申し訳ないのですが私はホッとしたのです。そしてさらに下って行ったところ、またその人が私を呼び留め、別の石碑を指さしていました。まさか無視することもできませんので近づいていってまたひとことふたことお話をしたのでした。最初は不審者だと思われたのかもしれませんが、よそ者であれば地元の自慢話をしてやろうじゃないかということだったのかもしれません。何だか、すっかりお世話になった感じで、けっこう楽しい時間でした。
めったに外部の人間なんて来ないでしょうから、もの珍しく思われたのでしょうね。おばさん、ありがとうございました。

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