真昆布 

このブログにときどきコメントをくれる「押し得子さん」は、たった1年だけ、ある大学に非常勤講師にしていただいたときの「教え子さん」なのです。
業平についてお話をしたようにも思うのですが、そうとうひどい内容だったと思います。今ならいくらかマシな話もできると思うのですが、なんといってもまだ若気の至り。
ありがたかったのは結局私が四年制大学の国文科で授業を体験したのはこの大学が唯一で、もう二度とないと思うからです。
授業の内容は記憶のかなたなのですが、彼女が伊勢物語を卒論にしたことはなぜか覚えています。
いずれにしても、私は彼女の卒論の指導をしたわけでも、就職のお世話をしたわけでもないのです。にもかかわらず、今なお

    付き合ってくれる

ありがたい人です。
ご亭主は立派なお仕事をされていますので彼女は悠々自適みたいで、ときどきもらう連絡からは、なかなか文化的な生活をしているように感じています。
彼女にはときどき私の書いたものを送ったりしていたのですが、どうもそれを気にしてくれていたみたいで、先日とても嬉しい贈り物を頂戴しました。
なんと、函館の名産

    花折昆布

です。なんでも桐の箱に入れようもの名からびっくりするような値段がつくしろものらしく、幸い、ある縁で比較的安く買えたのだそうです。それでも相当高価なものと思われ、エビでタイを釣った心境です。
先日は公開講座の方からお味噌をいただき、このたびは昆布をいただき、なんだか皆さんのお布施(?)によって糊口をしのいでいるような気がします(笑)。
ほんとうにありがとうございました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

スポンサーサイト

自家製のみそ 

一般の方々と『源氏物語』を読むようになって、本当に充実しています。皆さん、とても熱心ですから、反応がすばらしいのです。
『源氏物語』の講読というと、なんとなく「現代語訳」ができるようになること」のように思われがちなのですが、まったく違います。
「紫式部からのメッセージを受け止めて

    よき読者

になりましょう」ということを目標にして読んでいるのです。すると最近、「私、紫式部からのメッセージがわかるようになってきました」「以前よりいい読者になれていると思います」というご感想をいただくことがあるのです。
私も予習時間は惜しみません。1回2時間の講座のために、私は5~6時間の予習をしています。すぐれた源氏物語学者なら、なにもしなくても自然に内容の濃いお話しをなさるのかもしれませんが、私など予習が命。必死になっています。
それだけに私にとってもきわめて充実した時間をいただいていることになり、ありがたいことだと思っています。

いささか話が変わりますが、先日、講座が終わったあと、ある方が近づいてこられました。何かご意見などを言ってくださるのかなと思いました。すると
その方は紙袋を差し出されて、「うちの田んぼで作ったお米を使ったものです」とおっしゃって、

    お味噌

をくださったのです。「え~、いただいていいんですか」とびっくりしながらご厚意を頂戴しました。
家でひとつまみ嘗めてみると熟成したお味噌で、とてもおいしいものでした。
冷奴に載せてみたり、味噌汁にしたり、あるいはご飯にのせてもおいしいです。何にでも合う熟成味噌。
講座をしているとたまにはこういういいこともあるのです(笑)。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

学生と写本を読む(3) 

そしてこの日の最後の歌は、『古今和歌集』では「よみ人知らず」、『百人一首』では猿丸大夫の歌とされる、

    奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
       声聞くときぞ秋は悲しき


でした。すると、彼女の顔が俄然生き生きしたのです。何でも、この歌は一番好きなのだそうです。これも彼女に任せて読んでもらいました。さすがに難しい字があるのですが、何しろ好きな歌ですから一生懸命挑んでくれました。『百人一首』を使ってよかったな、と思いました。
ところで、この歌の「紅葉踏み分け」なのですが、これはいったい誰が紅葉を踏み分けているのでしょうか。そんなことを聞いてみました。すると彼女は当たり前のように

    「鹿だと思います」

と答えてくれました。そこで、「私(作者)が奥山に入って紅葉を踏み分けて歩いていると鹿の声が聞こえてきた。ああ、秋は悲しいな」という解釈もできますよね、と言ったのです。すると彼女は自分が思っていたこととまるで違ったことを言われてびっくりしていました。
「じゃあ、今日はここまでにするので、帰りの電車で『もし自分の考えが間違っていて、紅葉を踏み分けているのが作者だとしたらどうだろう』と考えてみてくれませんか。

    自分が間違っているかもしれない

と思うことは大事なことです」という話をしました。
世の中には自分の考えを依怙地なまでに押し通そうとする人がいます。社会的に重要なポストにいる人でもそういう人はいます。そしてそういう人がいると周りは迷惑することもあります。しかし往々にして権力のあるものは自分の考えを主張するために詭弁を弄し、時には相手の頭を押さえつけ、無理を通そうとしがちです。もっと柔軟な頭を持たないと、ろくなことになりません。
なんだか、写本の読み方の稽古をしていたのに、最後はそんな話になってしまったのでした。
よかったらまた来てくださいね。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

学生と写本を読む(2) 

本当に来るのかな、と思いつつ(笑)待っていたら、うきうきした表情でその人はやってきました。
実は彼女は高校時代は文系で、国語は好きだったそうです。しかし事情があって「あまり古文には馴染んでいません」とのことでした。
それでも意欲は満々で、とても嬉しそうにスタートしたのです。
教材には

    百人一首

を取り上げました。
応永13年書写のもので、字はやや窮屈で、読みにくいかなと思ったのですが、『百人一首』はある程度知っているそうなので、自習もしやすいだろうと思ったのです。
最初の天智天皇の歌から順番に5つ読んでみました。
天智天皇の歌からですね。この写本の「天智天皇」という字にはちょっと面白いことがあります。「智」という字の脇に小さな二つの点があるのです。これは何かわかりますか?」と聞いたら「??」という顔をしていました。実はこれは濁点なのです。つまり「天智天皇」は「てんちてんのう」ではなく、「てんぢてんのう」と読みますよ、という記号なのです。その話をすると「ああ、なるほど!」と彼女の顔がたちどころに柔かくなりました。
そしていよいよ読み始めたのですが、当然ながら最初はわけがわからないようでした。
でも、こういうのは馴れると

    字が見えてくる

のです。2つ、3つと読んでいるうちに、彼女の反応が変わってきました。早くも読める字が出てきたのです。
そこで4つめの歌については自分で読んでみてください、と言ってみました。かなの手引書を見ながら一生懸命読んでいましたが、かなりうまくできたようでした。
なかなかセンスのいい人です。(続く)

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

学生と写本を読む(1) 

『源氏物語』の授業をしています。その授業で、『源氏』の写本を紹介したことがあるのです。
室町時代のもので、もちろん複製です。
専門外の学生ばかりですがから、読んでもらおうと思ったのではなく、少しでも日本の文化について感じ取ってもらおうと思ったからです。私の授業は要諦は

    感じる

こと、学生が何かを感じ取ってくれさえすればそれで完結するのです。知識を植えつけるものではありません。
ところが、そのあと、ある学生さんが「あの字を読みたい。読めるようになりたい」と言ってきたのです。もちろん拒むつもりはありませんし、それどころか私にとって嬉しいことですから、週に1度でも来ることができるなら付き合いますよ、とお答えしました。
すると、先日本当にやってきました。できれば複数の人できてほしい(女子大ですから、1対1はあまりよくないので)と言っておいたら、もう一人誘ってくれました。しかし結局はその人はバイトがあってダメみたいだ、ということでした。
じゃあやめましょう、というわけにもいかないので、外から見える(せめてこれくらいはしないと、昨今の女子大では何かとうるさいのです)教室で

    個人レッスン

することになりました。
私が学生時代に恩師の号令で大学院生が協力して変体仮名の読みかたの本を作ったことがあるのですが(今でも売っています)、それを使いながら、ほんとうに「手ほどき」のようなことをはじめたのです。
以前は国文科などがあったのでこういうことは授業の中で実践したのです。中にはとても熱心な人がいて、授業が終わるころには簡単なものであればすらすら読めるようになった人もいました。
さて、今回の看護学科の学生さんはどうでしょうか・・。(続く)

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう