傾城阿波の鳴門(第十の1) 

いよいよ大詰めの十段目です。ところは、小野田郡兵衛の下屋敷です。
桜井主膳と郡兵衛のやりとりから始まります。
「しばらくお待ちください。なるほど、刀の真贋を改めないで持参したのは拙者の誤りですが、殿の重宝を私が隠すはずがありません。盗賊はほかにいます」
「殿のお誕生日の三月三日に刀を飾るのは貴殿と拙者。今日は内見ということになったのに、ないでは済まぬ。ありのままを殿に申し上げるから、とりあえず大小を渡せ」
主膳はしかたなく腰の大小を投げ出し、軍兵衛に命ぜられて奥に行きます。
郡兵衛は一間を開けるとそこは

    高尾

の仮の座敷牢になっていました。
郡兵衛が言います。「家来の土手助に言いつけてそなたを連れてこさせ、ここに押し込めているのは人目を憚るため。拙者の妻になることを承知すればそんな遠慮は要らないのだ」と。
高尾はもちろん断ります。
郡兵衛は、それならつらい目を見せてやろうといって、土手助に命じて十郎兵衛を連れてこさせます。
すると高尾が意外なことを言います。

    「兄様、

どうして縄をかけられているのですか?」と。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

続きを読む

京都散策〜史跡をちらほら 

国立博物館だけでもう胸がいっぱいになってしまいました。
しかし、せっかく京都まで行きましたので、授業に使う写真(主に世界遺産がらみ)を撮ってこようと思いました。

昨日(15日)は葵祭が延期になって今日おこなわれるようですが、これは賀茂社の祭。勅使が御所から下鴨、上賀茂へ向かいます。これがかなりの見ものなので、京の人々は昔から大いに楽しんだようです。
その下鴨神社、上賀茂神社へはずいぶん長らく行っておらず、写真もありませんので、今回の午後のテーマにしました。
博物館から河原町七条に出て、そこから205番のバスで糺の森まで行きます。そしていくらか歩いて下鴨の本殿へ。平安朝の文学や歴史を学ぶ者にとっては、やはりこの神社は忘れるわけにはいかないものです。翌日が御蔭祭(みかげまつり)でしたので、その準備もおこなわれていました。そのほか、今月は流鏑馬や歩射など葵祭に向けての神事があります。

下鴨神社
↑下鴨神社 ここで蹴鞠がおこなわれます

ほんとうに久しぶりです。ここでは以前行ったとき、時代劇の撮影中で、いきなり騎馬の武士に出くわしました。また、休憩中の役者さんが気軽にサインに応じていたのも記憶にあります。

そしてまたバス停に戻って、今度は4番のバスで上賀茂へ。かなりくねくねカーブしながらの道です。「上賀茂★★町」というバス停がいくつもあります。このあたりまで来るといかにも「北区」(笑)です。田舎なのに、きちんと都の風情を感じます。賀茂神社はこの時期がよろしいね。平日とあって、人も少なく、ゆっくり歩けました。しかし、こちらも賀茂競馬競馳がありましたし、私の行った翌日はさまざまな神事があり、そして葵祭がありますのでなんとなく雰囲気が違います。

上賀茂神社細殿
↑上賀茂神社細殿と立砂

というわけで、あっさり目的は達成しました。ここから賀茂川沿いを歩いていくとよさそうなのですが、今回は時間を効率的に使うことにして、少し時間に余裕があったので寄り道をすることにしました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

続きを読む

京都散策〜国立博物館(2) 

『御堂関白記』は別室にもう一点出ています。これが泣ける部分、寛弘八年(1011)六月の記事です。
一条天皇が重病になり、明日をも知れぬ状態です。天皇は譲位を決断し、居貞(おきさだ、いやさだ)親王に位を譲ります。居貞親王は一条天皇より年長なのですが、事情があって後回しにされていました。ここに三条天皇が誕生します。
ところが三条天皇は道長から見るとあまり親しみのない人。道長にすれば早く自分の孫でもある敦成(あつひら)親王を皇位に就けたいのです。
それはともかく、譲位の記事があります。そして上皇となった一条のところから道長が三条天皇のところに行こうとすると、上皇が心細そうになったと言うのです。そこで道長が「行きません」と伝えると上皇は喜ばれた、そんな記事もあります。ところがその翌日になると上皇の状態はさらに悪化し、

    太波事

をおっしゃった、と記録されています。「たはごと」つまりうわごとを言われたというのですね。意識が混濁した状態です。上皇の様子が目に浮かびそうです。そして六月二十一日の記事はさらに泣けるのです。
一条上皇のそばに中宮彰子(道長の娘)が参って、そのとき上皇が歌を詠みます。

  露の身の草の宿りに君を置きて
    塵を出でぬることをこそ思へ

これも道長が書きとめています。露のようにはかない身の、かりそめの宿である草に、露ならぬ君を残して出塵してしまう(塵を出る、俗世間から離れる、出家する)ことを(今しみじみと)思うのである。もうこの世とのお別れだと悟っているのです。そしてこの歌を詠んだ上皇は「不覚」になってしまいます。意識を失ったのです。「人々流泣如雨」(人々が涙を流すことと言ったら雨のようであった)と道長は書きます。何度も何度も読んだ記事ですが、さすがに自筆を見るとまた感慨がひとしおで、つい目頭が熱くなりました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

続きを読む

京都散策〜国立博物館(1) 付690,000 

先日、京都を散歩してきました。
京都に行くととにかく便利なのは市バス。私は愛用しています。平日の昼間ならさほど混んでいませんし、なんと言っても

    安上がり

なのが私のような貧しい者にはありがたいです。
京都市バス一日乗車券(均一区間内のみ)は500円。少し規模の大きい京都観光一日乗車券なら1200円。
「観光」のほうは京都市バス全線、京都市営地下鉄全線(烏丸線・東西線)、京都バスの大原・岩倉村松・岩倉実相院・京都産業大学前・一条山・大覚寺・清滝・苔寺を限度とする範囲内の路線に使えます。
私は今回は均一区間内でうろつくだけでしたので「市バス一日乗車券」でした。バス停近くのチケットショップで495円で買いました(笑)。
東大路を祇園から国立博物館前まで。目的はこちらです。

京博
↑京都国立博物館入口付近

「王朝文化の華〜陽明文庫名宝展」です。
すばらしい名品があります。
入っていきなりは、私にはもうおなじみのものなのですが

    春日鹿曼荼羅

がありました。藤原氏の氏神の奈良・春日神社。鹿が影向する様子を描いたもので、鹿の背中に榊が見えます。鹿に木が生えているというとミュンヒハウゼンのようですが(笑)、こういう絵はしばしば書かれ、MOA美術館や奈良国立博物館にもよく似たものがあります。この絵は陽明文庫のお蔵の中でも何度か拝見しました。
そして「後二条殿記(藤原師通の日記)」「殿暦(藤原忠実の日記)」「忠通書状(藤原忠通の手紙)」といった、藤原道長の子孫の書いたものが並んでいました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

続きを読む

上方芸能184号 

宣伝します。上方の代表的な芸能雑誌

    『上方芸能』184号

は、ただいま発売中です。って、谷内六郎の表紙絵の雑誌ではありませんよ(これがわかる人はかなり古い)。
二つの意味で私には感慨無量の1冊です。
ひとつは私の関与する最後の文楽評が掲載されていること。平成12年から丸12年ほど紙面を汚し続けました。ここ数年は槌谷礁さん、森田美芽さんのお陰でかなりよくなったとは思いますが。
本当に長い間ありがとうございました。
いつまでも

    調子にのって

書いてんじゃねーよ! という、いわば神の思し召しで、聴力を持っていかれたのかな、と思うと納得がいくのです(笑)。
もうこれきりにします。文楽の神様、ごめんなさい。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

続きを読む