2023年8,9月 文楽東京公演千秋楽
文楽東京公演が千秋楽を迎えました。これをもって初代国立劇場における文楽本公演とはお別れということです。演者さんがやりやすいとおっしゃっていた今の小劇場の規模が守られることを願います。
呂太夫さんがおっしゃっていましたが、初代国立の最初の公演(こけら落とし)でも三番叟が上演されましたが、そのとき翁を語られたのは十代豊竹若太夫。そして最後の翁を呂太夫さんが語られたのは何か因縁めきます。
咲太夫さん、どうかお元気になられますように。
私もいろいろ思い出がある場所だけに、いくらかは寂しい気持ちにもなります。
御覧になった方はいかがでしたでしょうか。
一年はほんとうに早く、次の本公演は大阪では年内最後です。
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- [2023/09/24 00:00]
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ご当地浄瑠璃
夏に原稿用紙にするとわずか12枚程度でしたが、ご当地浄瑠璃を書いてみました。あれだけいろいろ調べたのに、95%は捨てたも同然かな、と思います。そういえば、ずいぶん昔NHKの番組に出た時、初めてカメラに追いかけられる生活をしました。カメラマンと音声さんにペアで文字どおり「密着」されて、ずっとカメラを回して、大変な量の映像を撮られました。しかし、ディレクターさんが「使うのはほんの一部で、ほとんどは使えない」という意味のことをおっしゃっていました。事実、ほんとうに多くの映像を撮られたのにオンエア10分そこそこだったような気がします。それをふと思い出しました。
論文を書く時も、あれもこれもと調べても使わないものがかなり多く、時間の無駄に思えることもあります。しかし実際は、その無駄に見えることが重要で、書いたもののどこかににじみ出ているように思いますし、よしんばそうでないとしても、後日何らかの役に立つことがわりあいにあるものです。まったく別の場面で「これは以前調べたことがあるな」と思い出して、使えることもあるのです。
ともかくも、
重源上人
に関してはいくらか詳しくなりましたし、これまで知らなかった「石風呂」とか「関水」というような言葉も覚えることができました。
以前、大阪府能勢町の浄瑠璃を書いた時も、場面設定をするために現地に行って長い時間そのあたりをうろうろしたことがありました。写真で見るだけではとてもわからないことがあり、このたびも現地に行くことに何のためらいもありませんでした。
石風呂跡というのがいくつも残っているのですが、ひとつ見ればよさそうなものなのに、私はひとりであちこちうろついて、何か所も見学してきました。現地は交通の便が悪く、バスに乗れば行けるのですが、帰りのバスまで
2時間待ち
なんてことも珍しくなく、それなら歩こう、というので延々と歩きまわったこともありました。これはこれでまったく思い掛けなかったようなものまで見物できるという「副作用」をもたらしてくれました。
今後も、命ある限り、どこかの地方の浄瑠璃が書ければ、と思っています。ただ、地方の人形浄瑠璃の団体は、基本的に古典を上演するばかりです。それは経済的な事情も、また技術的な問題もありますからやむを得ないのです。でも、私は人形浄瑠璃の形にこだわらず、素浄瑠璃ででも書いてみたいと思っているのです。私の家の近くの神社には、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連れ帰られた虎にまつわる伝承があるのです。これなんて、滑稽でありながら人間の愚かさを描けるおもしろい浄瑠璃にできるのではないかと思っています。
宮司さんに相談してみようかな・・。
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- [2023/09/14 00:00]
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浄瑠璃は難しい
この8月、ほかの仕事もしながら浄瑠璃の創作にかなり時間を割きました。特に8月終盤は、頭の中は浄瑠璃ばかり。朝起きたらまず、前日までの文章を確認して改めるべきところを調べます。書いているときはこれでいいと思っても、1日経つとやはりダメだ、という場合が少なくありません。
そのたびに自己嫌悪というか、どうしてこんなものしか書けないのかという情けない気分に陥ります。そして書き直してはまた次の日にがっかりするという繰り返し。かなり精神衛生に悪い(笑)作業です。
ストーリーはすでに決めていたのですが、なにしろ浄瑠璃の文章は独得で、半ば韻文ですから、いかに表現するかで相当苦労します。
ある意味の言葉を使いたくても、
三味線の音
に乗らないようであれば別の言い方に変えなければならず、語りにくいと思ったらまた変えます。直前に出てくる言葉は基本的には重複しないようにしています。こうして、ひとつの言葉を考えるのにかなり時間を費やします。
小説のように、主に黙読されることを前提にした文章ではなく、耳で聴いていただくものですから、韻を踏むようなこともします。たとえば、重源は「関水(せきみず)」という水路を作って材木を流しやすいように工夫したのですが、そのことを言う部分では「水路を作って木を流した」という意味を伝えたいわけです。しかしそれではあまりに散文的で流れる感じがしないので「流した」という意味を「すいすい」という擬音で表現しようと思いました。「水路を作ってすいすいすい」。これで少し良くなったと思います。しかし何だか「作って」がひっかかります。できれば「作って」の「つ」ではなく「す」で始まる言葉に置き換えたいのです。しかし「作る」の意味を持つ「す」で始まる言葉というと・・・? こう考えた時にまた筆が(というか、キーボードが)止まってしまうのです。最終的には
水路を据ゑてすいすいすい
としました。「っ」という促音がなくなったこともあって、「水路を作って」よりもなめらかで、しかも「す」で頭韻が踏めます。
こういうことを最初から最後まで考えて作っていると、頭の体操になるというか、気が変になるというか(笑)。
私は以前から古語辞典を読むのが大好きなのですが、こういう古い文章を書くときにはさらに座右から離せないのです。間違った意味で使っていないかを調べ、時代錯誤がないかも考えます。実はある場面で「一期一会」という言葉を使おうと思ったのです。「一期」なんて仏教的な言葉で、重源上人が使うのにもってこいだと思ったからです。ところがこの言葉は茶の湯で用いられるもので、やはり時代としては合わないと考え直し、使いませんでした。
重源さんの言葉は硬めに、村の人の言葉は和語を多めに用いてしかもときには方言も交えるようにしました。
徳地の南隣の防府市では
「幸せます」
ということばを町のキャッチフレーズのように使っています。私は新しく作った言葉だろうと思ったのですが、なんとこれはひと昔前の人なら徳地でも使っていたのだそうです。
「こねえ、ええもんもろうてから、幸せます」
(こんなにいいものをいただいて、うれしいです)
というような言い方をするのだそうです。そこで、重源上人がふざけてこの言葉を使う場面を書き込んでみました。こうやって地元の方にあれこれお尋ねしながら何とか書くことができました。
これから、地元の方に見ていただいて、もし県や市の文化振興予算から補助金が出るようなら、作曲の依頼をしてもらって最初は素浄瑠璃でもいいので聴いていただき、そのうえでもし人形が付けられそうなら「オリジナル浄瑠璃」として日の目を見るかもしれません。私は大阪府能勢町のオリジナル作品を書きましたので、もし実現したら第二弾ということになります。能勢町は二百年以上の伝統を持つ土地の浄瑠璃に誇りがあるようですので、しっかり補助が出ていました。徳地は合併によって大きな市の一部(しかも東の端ということで、中心地からかなり離れたところ)になってしまいました。それだけにいささか不安があるのですが、期待はしています。
浄瑠璃を書くのはとても難しいですが、夢は広がります。
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久しぶりの浄瑠璃
私はなかなか筆が進まず、書き物がいつも締め切り間際になってしまいます。
浄瑠璃に関して、遅筆になるひとつの理由は、時代背景、その土地の様子などを出来るだけ調べてからでないと書けないから、ということがあります。本所七不思議につきましても、古地図を観たり、現地の案内板を見たり、言い伝えについて調べたり、といろいろすることがあります。しかしそれでも遅すぎるのは自覚しています。ただ、筆が動き出すと、ある程度のスピードが出てきます。そして、締め切りという壁があるとさらに進むのです(笑)。
2021年の暮れに、初めて山口県防府市から山口市徳地に足を踏み入れました。防府は防府天満宮で知られますし、
種田山頭火
の出身地としても有名です。しかし私が関心を持ったのは周防国の国衙跡、阿弥陀寺、三田尻港、佐波川などでした。もちろん天満宮にも山頭火のゆかりの地にも行きましたけどね。
そして徳地(防府から北に行った佐波川沿いの盆地)では東大寺再建に大きな役割を果たして俊乗房重源にまつわる遺跡を巡り、当地の人形浄瑠璃で用いられる「串人形」も
徳地人形浄瑠璃保存会
の方に見せていただきました。
それもこれも、重源上人を主人公にした創作浄瑠璃を書くためでした。
さらに昨年もその人形による『傾城阿波の鳴門』の上演があると聴いて飛んで行きました。
これらすべてに触発されて、浄瑠璃を書くことにしたのです。題して『重源上人徳地功(ちょうげんしょうにんとくじのいさおし)』。
重源の弟子の蓮花坊という人物が材木を組んだ筏で佐波川を下るとき、岩に当たって淵に沈んだという話が伝わっています。それをもとに、土地の娘の蓮花坊へのあこがれと、僧として恋愛に踏み込めないのにその禁を犯してしまう蓮花坊の話に仕立てました。蓮花坊さんの名誉を傷つけるつもりはさらさらないのです。ごめんなさい。この作品では少し新しい試みをしてみました。わかっていただけるかどうかかなり微妙なところで、自己満足に終わってしまうかもしれません。
『古今和歌集』秋上・僧正遍照の歌に
名にめでて折れるばかりぞ女郎花
我おちにきと人に語るな
(女郎花という名に惹かれて折っただけだ。
私が堕落したなんて人に言うではないぞ)
があります。僧である自分が「女」を折った(女性と関係を持った)なんていわないでくれよ、とふざけたような一首です。それを借りて、「御馬の里」(ごもうのさと)の段」を深刻な話にしてみました。そのあと重源が筏に乗って川を下る「道行筏飛沫」(みちゆきいかだのしぶき)が付きます。よそ者にとって「御馬」という地名はとても「ごもう」とは読めませんが、地名は概してそんなものですね。当地では子どもたちにこの芸能を伝承する試みがなされていますので、道行は子どもさんに語っていただけるように短めにしました。ただし、言葉はあえて難しくしておきました。これには意見がいろいろある(現代人にわかるように書くべきだという意見もあるでしょう)と思うのですが、私は浄瑠璃の独特の韻律を伝えたくてこのようにしています。
この作品を先月末にかろうじて仕上げ、少し補足したうえで徳地人形浄瑠璃保存会の方にお送りしました。
ただ、浄瑠璃ですから、文章だけではどうにもなりません。作曲、お手本の語り、三味線の演奏が必要です。こうなると、どうしても予算が必要です。保存会とて一般の方の集まりですからそんな予算はありません。ここは何とか自治体の文化予算を割いていただけないものかと願ってやまないのです。
とりあえず、この夏の宿題は何とか終えることができました。
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さようなら国立劇場
東京三宅坂にある国立劇場は大劇場、小劇場そして演芸場が隣接しています。奈良の正倉院を模してデザインされた校倉造風の外観を持ち、シックな雰囲気があります。東が皇居、南隣に最高裁判所、さらにその南に国立国会図書館、国会議事堂。大阪の国立文楽劇場が怪しげな雰囲気のホテル街に隣接している(笑)のとはかなり違います。
国立劇場の設置は明治以来の懸案でしたが、戦争もあって実現せず、戦後もなかなか予算がつかず、やっと1955年になって文化財保護委員会が伝統芸能の施設としての基本的な構想を答申しました。国立劇場は伝統的な芸能を保護上演する責務があるので、けっして金もうけの手段ではないのです。
そして1966年に開場して57年。このたびこの初代国立劇場は閉場となって建て替えられるそうです。ただ、入札がうまくいかずにまだ業者が決まらないとか何とか言っていましたが、大丈夫なのでしょうか。この建て替えについては反対意見もかなり聞きました。本来多目的施設ではなく、伝統的な芸能の劇場ですから、形は決まっているようなもので、しっかりしたものを建ててしまえば100年以上だって使えるはずです。50年だけの施設ではかえって無駄が多いのではないかと私も感じます。この建て替えはもう決まっているようですが、200年劇場くらいのつもりで建ててもらったらどうかと思います。
さて、私はどういうものか、ついに大劇場に入ることはなく終わってしまいました。ここで歌舞伎を観たことがないのです。国立だけにチケットは安いですからもっと行ってもよさそうだったのに、我ながら不思議でさえあります。演芸場は演芸会も行きましたし、文楽の素浄瑠璃がおこなわれた時にも足を運んでいます。演芸場は国立劇場より新しいのに、ついでに(?)建て替えになるのですね。お金の使い方、間違ってない? 小劇場は文楽の東京公演の本拠地でしたのでもちろん何度も行っています。客席の数が出語り床設置時560人という適正な規模の劇場で、文楽の人は大阪の国立文楽劇場(出語り床設置時753人)よりやりやすいという人が多かったように思います。特に太夫さんは文楽劇場ができたとき「ここは
太夫殺し
の劇場や」(四代目竹本津太夫)とまで言われるほどがらんとして広すぎると感じていらしたようです。文楽劇場がすばらしいという声は、私個人は太夫さんから聞いたことがありません。
国立劇場にはいろいろ思い出があります。たとえば、このブログを通して知り合った多くの友人たちと出会うことができました。幕間には開演のベルが恨めしいほど話が弾んだものでした。『敵討襤褸錦』を観たのは国立劇場だけでしたし、文楽劇場でも観てはいましたが『神霊矢口渡』『勢州阿漕浦』などの珍しい演目も上演してくれました。時代物の五段目も大阪では出ませんが、こちらでは時々観ることができました。時には『狐と笛吹き』『鰯売恋曳網』のような現代作品ですべった(笑)こともありました(『鰯売』は歌舞伎のものでしょう)が、いろいろ試そうという気持ちは必ずしも悪いとは思いません。
国立劇場の外で信号待ちをしていた時に簔助師匠から「おはようさん」と声を掛けられてびっくりしたことはこのブログ(2021年4月20日)にも書いたことがあります。
別の用事で楽屋にお邪魔しているときに、稽古を終えられたらしい
八代目豊竹嶋太夫師匠
とばったりお会いして、初めてお話ししたのも国立劇場でした。実はたまたまお伝えしたいことがあってその少し前に師匠にお手紙を差し上げていたので、すぐにわかってくださいました。これ以後、嶋師匠はほんとうに親しくしてくださいましたので、いいきっかけになりました。仕事で竹本緑太夫さんにインタビューしたこともあり、ちょっと苦手だった(笑)野澤錦弥(現錦糸)さんと長い時間お話ししたのも国立の楽屋食堂でした。
1989年5月には四代目竹本越路太夫師匠が最後の公演をなさって、公演後に舞台に出て挨拶をなさったこともありました。
一時は公演ごとに満席になって、なかなかチケットが取れないことも少なくありませんでした。最近は空席が目立つ日もあるようで、関東での文楽人気もいくらか落ちてきているのか、不安があります。
思いつくままに国立劇場のことをあれこれ書きましたが、今後の文楽東京公演は当面、東京都足立区の「文化芸術劇場(シアター1010)」でおこなわれるそうです(「1010」は「千住」のこと)が、私はもう行くことはないだろうと思います。新しい国立劇場は2029年秋にできる予定だそうです(ほんとうにできるんでしょうね・・?)が、そこまで生きている元気もなく(笑)、これまた縁がないでしょう。
さようなら、国立劇場。
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- [2023/09/06 00:00]
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