2017年5月文楽東京公演初日 

今日から文楽東京公演が始まります。
4月の大阪に続いて六代豊竹呂太夫襲名披露公演。
東京でのお披露目をお慶び申し上げます。
演目は次のとおりです。

第一部(11時開演)
寿柱立万歳
菅原伝授手習鑑(茶筅酒、喧嘩、訴訟、桜丸切腹)
豊竹英太夫改め
六代豊竹呂太夫 襲名披露 口上
菅原伝授手習鑑(寺入り、寺子屋)

第二部(16時開演)
加賀見山旧錦絵(筑摩川、又助住家、草履打、廊下、長局、奥庭)

またまた申しますが、大阪が呂太夫→咲太夫でしたから、今度は咲太夫→呂太夫でいく、という工夫はできないものでしょうか。咲太夫さんの顔も大阪で立ちましたし、今度は呂太夫さんに花を持たせるということがあっても、と思うのです。
呂太夫さんは当然一段すべて語るお気持ちがおありでしょうが、それが叶わないならせめて2か月で全段を語る形に。
もはや詮無いことですが、付け加えておきます。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

スポンサーサイト

2017年文楽4月公演千秋楽 

本日、文楽4月公演が千秋楽を迎えます。
楽屋で風邪が流行ったという噂を聞きましたが、つつがなく楽となりましたことをお慶び申し上げます。
みなさま、いかがご覧になりましたでしょうか。
六代豊竹呂太夫襲名披露も一段落。次は東京での披露です。





にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』の訂正について 

豊竹英太夫さんが六代呂太夫になられました。その記念の意味も込めて本を作るお手伝いをしましたが、かねてより敬愛する専門家の先生からご指摘をいただきました。
五代目呂太夫さん(以下「先代」と書きます)について書いている部分で133頁なのですが、ポイントは
★先代は6歳から修業を始められた
★先代のご母堂様は女流義太夫であった
★先代のご母堂様は竹本文昇と名乗られた
ということです。
これについて先述の先生から詳しいお教えと資料をいただきました。以下、いただいた資料と先生のお教えをもとに、文楽の何人かの太夫さんに教えていただいたことを含めて私なりに理解したことから書きます。
先代は、お母様が義太夫を群馬では有名だった竹本文蝶師匠(女性)に習っていらっしゃったのですが、小さい頃からその稽古について行かれ、4歳にして文蝶師匠の手ほどきを受けられました。その後東京で竹本綾之助師匠にも習われ、6歳の時に綾之助師匠のご自宅において十代豊竹若太夫師匠に入門し、若子太夫を名乗られたのです。
修業を始められたのを6歳としているのはこの若太夫への入門を指していて、これはこのままでもいいかなと思っています。ただ、その下地として4歳から文蝶師匠に手ほどきを受けられたことは、先代の義太夫人生を考える時には欠かすことのできない重要な事実だと思いますのでここに明記しておきます。
次に、お母様が女流義太夫だったということなのです。これは先代のことが書かれた文楽の資料から拝借した記述だったのですが、いささか不適切だったと思います。「女流義太夫」といってしまうと、プロとして出演したり、弟子を持って指導したりするニュアンスがあるでしょう。しかし、お母様は義太夫の稽古はなさったものの、あくまで素人としての稽古であって、「女流義太夫」という、プロを思わせるような書き方はすべきではなかったと反省しています。
最後にお名前のことなのですが、これも文楽のことが書かれた書物からお借りしたものでしたが、お母様は「文昇」の名は名乗っていらっしゃらなかったのではないかという疑いが濃くなってきました。文昇という名を文蝶師匠のお弟子さんと思われる方が名乗っていらっしゃった事実はあるのです。昭和38年の記録に竹沢文昇という方のお名前があり、また昭和51年の記録では竹本文字栄太夫さんのご尊父様も文昇を名乗っていらっしゃったようです。しかし先代のお母様が名乗っていらっしゃった記録は今のところ見当たりません。また、文蝶師匠の聞き書きが残っているのですが(もちろん先述の先生からいただいた資料です)、そこには先代のことについて触れられた一節があって、お母様と一緒に来られて、お母様より覚えが早かったというエピソードまで書かれていました。文蝶師匠はそこで先代のお母様のことをご本名でおっしゃっています。何らかの芸名のあるお弟子さんというわけではなかったような感じなのです。
よって、名乗られたかどうかはっきりしませんので、これも訂正すべきだと思います。
以上のことから、五代豊竹呂太夫師匠は、

★4歳にして竹本文蝶師匠に義太夫の手ほどきを受け、6歳で豊竹若太夫師匠に入門して若子太夫を名乗られた。
★お母様は義太夫を竹本文蝶師匠に習われたことがあって、稽古には幼い正少年(五代呂太夫)を同伴された。

という形に訂正したいと思っています。

もうひとつ、豊竹呂勢太夫さんなのですが、167頁に略歴を書いています。そこに「群馬県出身」と書いてしまいました。五代目の師匠と混乱してしまったのだと思います。呂勢太夫さんは東京都のご出身です。ご本人にはすでにお詫びしましたが、皆様方にもお詫びして訂正致します。

これはまったく私個人の責任によるミスで、六代呂太夫師匠はもちろん、出版社にも責任のないことです。すでに公刊されたものですので回収して刷り直すこともできません。できるかぎりSNSなどを通してこのブログ記事をご覧いただくようにしてお詫びと訂正のお願いをしたいと思っています。

第35回だしまきの夕べ 

昨夜、文楽第二部終演後に大阪日本橋文楽劇場そばの季節料理の店

    両輪 (りょうわ)

で、文楽ファンの集いである「だしまきの夕べ」がおこなわれました。
私は1年ぶりくらいにお邪魔しました。
みなさまとても楽しそうで、素晴らしい会になりました。
やたけたの熊実行委員長の進行でお話が弾みました。お店の女将さんがいらっしゃいませんので、雑用はセルフサービス。みなさん、自分の店のように働いてくださいました。

上演過多とも言われる『曽根崎』、久しぶりの『楠』、そして六代呂太夫襲名披露狂言の『菅原伝授手習鑑』のことなど、どんなお話になったのでしょうか?

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

書評 

昔、論文集の書評を頼まれたことがあります。そんなのしたことありません、と言ったのですが、若い人に頼む、ということになったそうで、私にお鉢が回ってきました。
結局、書評ではなく、紹介に終わってしまい、執筆者の皆様には申し訳ないことになってしまいました。
先月刊行された『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』については、仲野徹氏がhonzに書いてくださいました。
そしてまた短歌の同人誌『橙(オレンヂ)』に、代表の野澤正子先生が「魂を揺さぶる語り・義太夫の世界」と題してお書きくださったのです。
野澤先生はさすがにするどくポイントを押さえた読みをしてくださり、ありがたい限りでした。
売って儲けよう、という発想は、私にはありません。出版社に迷惑がかからない程度に売れてほしいとは思いますが、それだけです。
ただ、ひとりでも多くの方のお目にとまりますことを期待するため、こうして紹介してくださるのはありがたく、アマゾンなどでレビューがたくさん出ればいいな、とも思うのです。
皆様も何かお感じのことがございましたら、どうかお知らせくださいませ。