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声を届かせる 

私は耳の障害を持つようになって、逆に音に対する意識が強まった面があります。『フィガロの結婚』の仕事の時は楽譜を読んで音に還元することを、できないながらも一生懸命やっていました。別に私がアリアを歌うわけではありませんから、多少音が狂ったってかまわないのです。だいたいどのように音が流れているのかがわかればいいので、十分こと足りていました。
自分の声に対する意識もとても強くなりました。自分で自分の声がわからないという状態になって、正しい発音が正しい大きさで相手に伝わっているのかどうか、とても心配になりました。概して声が大きくなるので、例えば小さな店の中では声を出すのが怖いくらいでした。というのは大声になっては迷惑だからです。逆に小声で話すと、何を言っているのかわからないらしく誰も反応してくれなかったことも一度や二度ではありません。
正しい発音というのも難しいです。私は関西の人間ですから、関西弁も話せます(ただし大阪弁はできません)。しかし、誰にでもわかるような声を出さねばならないという強迫観念が強くなって、人前では関西の言葉を出すのがきわめて不安になりました。芸は身を助くというのか、昔、アナウンサーになろうと考えていた頃に多少

    ボイストレーニング

らしいことをかじって、またその後は朗読に関心を持ったために今度はけっこう真面目にトレーニングもしました。のどの開け方とか、息の使い方とか、知らないことがたくさんありました。私が今でも『外郎売』のせりふをけっこう覚えているのはその時の成果です(笑)。ほかにも、母音の無声化や鼻濁音の使い方を練習し、演劇学校やボイトレの訓練で用いるという発声を試み、さらには声の専門家である医学者や演出家の発声理論を学んだりもしました。私の書架にはそういう類の本が今でもかなりあります。最近では学生に紙芝居の読み方の話もしますので、その練習もしています。そうそう、いつだったか文楽の豊竹藤太夫さんに教わった「密息」という声の使い方についての本(中村明一『「密息」で身体が変わる』新潮選書)を読んだこともありました。
もともと、美声でもないし、はっきりした声でもなかったはずなのですが、稽古は裏切りません。

    声がよくわかる

と言っていただけることが少し増えてきました。自分ではよくわからないのですが、どうやら声が下に落ちずに前に出るようになったのだと思います。
先月おこなった市民大学でも、お寄せいただいた感想の中に「声に力がある」「声が後ろの席までよく通る」と書かれていたものがありました。マイクを使うことになっていましたから当然だとは思うのですが、ほかの教員よりはっきりしていたといわれましたので、少しは自信になりました。
これに慢心することなく、これからも適正な大きさの声を探求しながらはっきりした発音、発声を心がけて行こうと思います。そしてもうひとつの課題は、二人ないし数人で話す時の声の大きさの調整です。これは今なおよくわかっておらず、じゅうぶんに相手に届かなくて聞き返されることがしばしばあります。臆病になって小声で話してしまうのです。前途程遠し、です。

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障害を装う 

昨日、現代のベートーベンさんが記者会見をされたようです。私は新聞とネットで若干の情報を得ただけですのであまり詳細には理解していませんし、どういう口調でお話になったのかはもちろんわかりません。その点はあらかじめ申しておきます。

実生活に何の支障もないけれど、法律的には障害者に該当する方もいらっしゃるようです。もちろん法律が認めているなら間違いなく障害者です。ただ、そういう方については、医師の中には診断書を書けと言われたら書かないわけにはいかないけれど、書きたくないと漏らす方もいらっしゃるとうかがいました。
障害者になると実際、さまざまな点で優遇があります。

以下、私の場合です。
所得税の控除があります。
NHKの受信料は半額免除になります。
自動車税はかかりません。
国立の施設(美術館、博物館など)は無料です。公立でも無料または割引、私立でも割引があるところは珍しくありません。
交通機関の割引があります。100km以上の乗車券が半額になります(特急券はダメ)。タクシーも割引があるそうです(使ったことはありませんが)。
有料道路が半額免除になります。
住まう市からなんらかの福祉金のようなものが出ます(もらっているかどうか不明)。

実生活に支障がない場合はたしかに「優遇」と言えるかもしれず、医師の中に診断書を書きたくない気持ちになるというかたがいらっしゃるのも分からないではありません。
しかし、法律がそれを認めているのは事実です。問題は障害を装ってこれらの優遇を受けることだろうと思います。
たとえば内臓に障害がある場合など、医師自ら手術したりしてその状態は患者よりよくわかっている場合があります。ですから間違いなく医師の判断だけで障害があるかどうかがわかるでしょう。
しかし視覚障害や聴覚障害はなかなか微妙で、本人が見えない、聞こえないといったらそれを否定するのは難しい面があります。見えているはずだ、聞こえているはずだといっても、本人が見えない、聞こえないといったら反論もしにくいでしょう。
あの方は明らかに間違ったことをしました。彼はひょっとしたら私のようにチマチマと障害による恩恵を受けることはしていなかったかもしれません。しかし、障害がある、ということをダシにして、しかも音楽家にとって致命的な聴力の障害だと言って同情、共感を買い、感心、感動されるに至ったのはやはりまずかったと思います。本人はその意図はなかったとおっしゃっていたようですが、いくらなんでも同情されることは明らかでしょう。
それはこの方にとっては先述の「優遇」とは比較にならない大きな財産になっているはずです。それを偽って手に入れてしまったのは言い訳のしようがないと思います。
すでに障害者ではないことを公表されましたので、あとは社会的責任のようなことでしょうか。

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現代のベートーヴェン 

広島には「○○河内」さんという名前が多いのです。私が知っている人では「河内」「小河内(こごうち)」「御堂河内(みどうごうち)」というかたがいます。他にもいろいろあるのだろうと思います。
合併で東広島市になっていますが、以前は河内町という町もありましたし、今でもその名は山陽本線の駅などに残っています。
私も住んでいた五日市(現在広島市佐伯区)の出身だという、やはりこの「河内」を名に持つ方が大変な騒動になっています。ご存じのように、

    ゴーストライター

を雇って作曲をさせていたということです。
ゴーストライターというのはままあることです。
売れっ子作家などが文章を録音して編集者に渡し、それを文字化してもらう、というのはゴーストライターにはならないでしょうね。しかし、タレントさんなどが本を出す時には話だけ聞いて、文章は完全に別人が書くことがあるらしく、これはゴースト。昔、あるタレントさんが本を出してテレビで「どんな本なんですか」と質問されたときに「まだ読んでないのでわかりません」と答えたのだとか。
タレントさんが出るクイズ番組などはあらかじめ答えを教えておくなどというのもよくあることで、うそもある程度は方便として認められているのがこの世の中なのでしょう。
絵や工芸の世界でもそういうことがあるとかないとか言われます。大先生が、弟子の作品を「これは私の名前で出そう」と言って世に出す。するとその先生の名前の効果もあって評価されて高く売れる。これで怒りに狂った弟子が先生を殺すと推理小説にもなりそうです。

今回の騒動は、ある作曲家の作品がゴーストライターによるものだった、というだけのことではないようです。
聴覚障害を持ちながら作曲をした、それも交響曲などという誰にでもできそうなものではない曲をつくったということで、テレビ番組に取り上げられたり、CDが飛ぶように売れたり、コンサートが満員になったりして、

    現代のベートーヴェン

などと持ち上げられていたからです。
しかも、昨日の時点では、その聴覚障害というのも真実ではないかもしれないという話もあり、ここまでくるといくらなんでも、の感をぬぐえません。

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障害者の更新審査(補) 

昨日まで愚痴っぽく表題のことについて書いてきました。
「何をひがんでるんだ!」と言われるのは覚悟の上でした。
実際、自分でもそうかもしれないと思っています。ただ、問題提起だけはしておかないと(それで私が間違っているならそれでかまわないわけです)せっかくの

    珍しい体験

だけにもったいない(?)と思い、書いてみたのです。
もう一度言いますが、担当してくれた警察官の皆さんはほんとうに親切で丁寧で礼儀正しかったのです。
「オイコラ、お前」のような昔の警察官とはわけが違いました。
ですから、彼らには感謝こそすれ、まったく恨みはありません。
問題は「審査」のあり方についてなのです。
こちらはとにかく免許が欲しいですから、あちらの言うとおりにしなければならない、という一種の負い目があります。ですから、その日に「これはおかしい」と文句を言ってもしかたがないと思っていました。
また、

    現場の警察官

に問題提起することで、はたしてどれほど改善に生かせるのかもわからない、と考えました。それで、まずいくらか日を置いて(頭を冷やして)ブログで書いてみて、皆さんから「無意味だ」「とんでもない」という反応があったらそれでやめることにする、そうでなければ何らかの方法で警察に伝わる方法を考える、ということにしようと思っていました。

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障害者の更新審査(3) 

ここまでざっと1時間半。
どうやらあちらでは「判定」がおこなわれているようです。
しばらくして、「OKです」とにこやかな警官の顔。
「では今から」
「そればっかりやな(多分七度目の飲み込み)」
「昼食です。12時50分にここ(講習室)に戻ってください」
更新はこれから手続きですから、更新センターの午後の受付(1時開始)までは待たねばならないのです。
これは仕方がないのですが、更新センターではなく講習室で待てというのは?
三階の講習室から地下の食堂。しばらく時間を潰して12時50分にまた三階へ。すると警官が来て
「では一階に降りましょう」
「降りるんかい!(八度目)」
親切な警官(ほんとうに親切)が隣接の

    更新センター

まで同行してくれて、一般の更新者より便宜を図って、視力検査は警官自身が別の場でしてくれましたし、書類もさっさと作ってくれました。更新センターではなく、講習室で待て、というのはこういう配慮をしてくれるためだったのです。ありがたいです。
「では、あとは写真と優良運転者講習です。私はこれで」と、彼は去っていきました。彼には「ほんとうにありがとう、ごくろうさま」と言いたいです。
あとは事務の愛想のいいお兄ちゃんが世話を焼いてくれ、講習室まで連れていってくれました。
講習の担当者に事情を説明してくれましたが、その人はどうすればいいのかわからないらしく、一般の更新者に話す形で、私のほうは気にしているようではありましたが、何も工夫はなし。やむを得ないとはいえ、私は想像で理解するばかりでした。ここもまだマニュアルがないのですね。
15分ほどの映像は

    字幕つき

にしてくれましたが。

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