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退職後の出版 

大学院のとき、制度として「指導教員」を三人お願いすることになっていました。一番お世話になったA先生は、すでにかなり多くの著書を出していらっしゃいました。しかし失礼ながら論文集がもう一冊あればいいのにな、と思っていました。雑誌に発表された論文はかなりあるわけで、それを本にすればいいのですが、なかなかなさいませんでした。
また、B先生はエッセイ風のものをたくさん書いていらっしゃったのですが、これまた本にまとめてはいらっしゃらず、論文集もありませんでした。
もうひとりのC先生も注釈書などはいろいろ出されていましたが、論文集はありませんでした。
そして、お三方ともにそのまま退職なさったのですが、そこからの

    出版ラッシュ

がすさまじかったのです。
B先生は、万葉集と上代語の研究家でした。『万葉集』についてのさまざまなエッセイを書いていらっしゃったのですが、それをまとめて手軽な本になさいましたし、上代語については立派な論文集を上梓されました。ほかにもサブワークのようにしていらっしゃった近代短歌の歌人についての本も出され、あれよあれよという間に多数の本を出されたのです。
C先生は少し違って、全4巻の「著作集」という形で、書き溜めていらっしゃったものをまとめて出版されたのです。4巻といっても、全部で2500ページ近くはある大作です。
そしてA先生も立て続けに出版なさいました。待望の論文集は650ページほどの大作で、数々の業績を一冊にまとめられたのです。私も御恵与にあずかり、恩師の学恩のありがたさをしみじみと感じました。さらにはコンパクトな本も出されて、こちらには最新のすぐれた論文が含まれていたのですが、それ以外に、短い文を多く含むもので、肩の凝らない読み物としても楽しいものでした。先生は「退職したら

    本作り

に励むよ」とおっしゃっていましたが、そのとおりでした。
先生方がこうして多くの著書を出されたのは、何と言ってもそれまでの間に多くの優れた論文を書き重ねてこられたからです。また、退職なさって少し余裕がおできになったことも理由の一つでしょう。専門書の場合は、発行部数が限られます。昨今は大学から文学部がどんどん消えて行ったために研究者が減り、図書館に購入してもらう数もそれに比例して減りましたので、さほど売れないのです。また、著者は研究者仲間に贈るために自分で多数購入しなければならず、先生方とて赤字は計算済みでいらしたはずです。それでも本が出せるのはとてもうらやましいです。
翻って私は、退職しても本になるほどのものは書いていませんし、出版費用も持ち合わせません。できの悪いものでもまとめておきたいと思うものはあるのですが、これはもう断念せざるを得ないと思います。

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知りたいと思う心 

今はもう大学全入時代で、大学を選びさえしなければ浪人することはありません。定員割れがいくらでもあるのですから、そういう大学ではよほどのことがない限り入学させてくれます。そうでもしないと大学は経営が成り立たず、弱小大学はなりふりかまわなくなっているありさまです。入試といっても簡単な問題を4択程度で答えればいいところも多く、単純計算でいうなら、幼稚園児でも25点は取れます。仮にも高校まで卒業しているなら、40点は自力で取れるでしょうから、残る60点は適当に答えておいても15点、合計55点は取れてしまいます。そうなれば特にひどい点数というほどではありませんから、定員割れするような大学では落とす理由はどこにもありません。
しかし、「大学全入」自体は悪いことではなく、誰でも入れてしっかり学べば卒業できるというシステムなら問題はないと思います。でも、実際は「誰でも卒業できる」「ルールを無視してでも卒業させる」というのが多くの弱小大学に共通しています。
こうなると、教育の現場で仕事をしてきた者としましては、何を目当てに授業をすればよいのか迷うことがありました。私としては、学生の

    知りたいと思う心

を何とか刺激して、仮に興味のない分野であっても話を聴きたいと彼らが思えるような授業を提示するほかはないと思いました。平安時代の話を難しく話すことなら私にとってはむしろ簡単なのです。大学院の文学研究科の授業なら難しい話をそのまま辛抱強くする方がいいと思うくらいです。もし話がわからないなら「自分で勝手に勉強して少し遅れてでもついて来い」と突き放すことも必要かもしれません。しかし弱小大学の、主として理系の学生に話す場合、その難しいことをどうすれば簡単に受け止めてもらえるか、そういう点に工夫のしどころがあったと思います。
ただ、資格取得を第一目標とする大学では、専門科目ですら苦痛なもので、とにかく覚えなければならないという強迫観念を抱えながら国家試験までの道のりを歩んでいくことになるようです。そこに、純粋に「知りたいと思う心」があるのかどうか、少し心配になることがあります。私の出身学部である文学部なんて、「自分で

    思索する意思」

や「知りたいと思う心」がなければ何ひとつおもしろいことはないのです。虚しい時間だけを過ごしていくことにすらなりかねません。思索し、探求すること自体に第一義があるので、無理やり頭に詰め込むことはあとまわし、場合によってはなくてもかまわないとも言えます(結果としては多くのことを覚えますが)。
「こんな話を聴いて何の役に立つのか」と思われた時点でその授業は失敗に近いと思います。だからこそ、そう思われつつあるな、と感じたときにもう一度こちらの態度を見つめ直して「知りたいと思う心」を刺激し、学問の大切さ、尊さを伝えねばならないのだろうと思います。
それができたのか、と言われると、穴があったら入りたいくらいで、おそらく一部の人にしか思いは伝わらなかったでしょう。
教員として悔いがあるとするなら、その点に尽きるのです。

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あせっています 

書かなければならないものの締切が迫ってきました。
今どきの言葉を使うなら、かなり「やばい」です。二つの原稿を並行しながら書いており、共倒れになるのではないかと心配しています。
ではひとつは諦めたらどうか、と言われそうですが、それはできません。二兎追う者は二兎を得ると言いますよね(言わない)。
明日までにひとつ。それから1週間でもうひとつ。枚数は

    20枚くらい

で大したことはないのですが、能力の限界ギリギリだと思います。
昔、ある偉い先生が、10日で

    岩波新書

一冊を書き上げる計画を立てられ、見事に実行されました。1日30枚だったそうで、大変だっただろうと思います。
それに比べれば大したことはありません。ラストスパート、頑張ります。

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鳥肌が 

野田首相が9月の大相撲千秋楽の白鳳・日馬富士の一番を見て「鳥肌が立った」と言ったそうです。するとその夜、東京の副知事さんだったと思うのですが、「間違った使い方だ」とTwitterで批判していました。
たしかに、この言葉は「怖くて(あるいは寒くて)ぞっとする」という意味です。
総理大臣ともあろうものがけしからんと。
まったくそのとおりではありますが、いま、若い世代では「ぞっとするくらい感激した」の意味で使われるのがむしろ普通です。学生が感激の意味で使った場合、私ならどうするかな、と考えたのです。おそらく目くじらは立てないだろうと思います。
野田さんについても私はあまり文句は言いません。
美しい日本語などひとつも知らない人が大阪の市長をしていますから、野田さんなどまだきれいな方です(比較の対象が間違っている?)。
それに、恐怖を感じるのとぞくぞくするのとは感覚的に近いので、こういう

    「鳥肌」

の用法は今後ますます定着していくと思います。

先日、源氏物語の授業でこんな体験をしました。
その日読んだのは光源氏と女三宮の結婚の場面でした。
ついでに、当時の結婚や離婚の話もしたのです。ところが、話し終わってもまだ時間がありました。そこで、思い付きで

    伊勢物語

の24段の話をしました。

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The Graduate 

一昨日、コンテナで野菜を作るということを書きましたが、何を作るかという思案の中でローズメリーやセージなどのハーブも考えていたのでした。
で、思い出したのが ♪ Parsley, Sage, Rosemary,& Thyme
という、サイモンとガーファンクルが歌った古曲、

    スカボロフェア (スカボローの市)

だったのです。
あの歌をはじめて聴いたとき、パセリは知っていましたが、そのほかは何のことかわからず、ローズマリーというと「ローズマリーの赤ちゃん Rosemary's Baby」を思い出しましたし、タイム=Timeかと思ったほどです。、まして、あの歌が古いものでスカボローがイギリスの町だとは知りませんでした。パセリ・・・の歌詞は、Wikipediaを見ると、これら4種のハーブは「二人の間の苦味を取り除く温和さ、互いの隔たった時間を辛抱強く待つ強さ、孤独の間彼を待つ貞節、出来ない仕事を果たす矛盾した度胸を具えた真の恋人、そして彼女がそれらをできた時に彼の元に戻ってくること」を象徴的に意味するのだそうです。

それにしてもマイク・ニコルズ監督の

    「卒業 The Graduate」

は、何度も観た映画です(一昨年の今頃、やはりこの映画に関する記事を書いています)。1967年制作の映画だそうで、私はリバイバル上映で観ました。45年前の映画ですから、ダスティン・ホフマンはもう74歳なのですね。ロビンソン夫人のアン・バンクロフトは実はダスティン・ホフマンとは6つしか歳が違わないのだそうで、「卒業」の時はまだ36歳だったそうです。今のペネロペ・クルスより若かったんだ。

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