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第42回だしまきの夕べ(予告) 


来る8月4日(土)の夜、恒例の「だしまきの夕べ」がおこなわれます。会場が変わってから、私は行ったことがないのですが、日本橋の南詰を少し東に入ったところ、劇場から行くなら、日本一の交差点まで行って堺筋を渡らずにそのまま北に100mほど行って、道頓堀川の手前を右に折れてすぐのところといえばいいのでしょうか、とにかくそのあたり(笑)だそうです。
基本的には

    「夜の部終演後」

に開催されるのですが、今回に関しては「最後の出し物は見ないでさっさと飲みに行こう」というグループと、「いやいや追い出されてこそ文楽だから」と芝居がはねてからやおら夜の街に出ようというグループがあるらしいです。別にけんかしているわけではありませんが(笑)。
私もできる限り参加しようと思っております。どうぞ皆様お集まりくださいませ。

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折々のことば 

朝日新聞朝刊の1面に哲学者の鷲田清一さんが連載されている「折々のことば」。私もわりあいにまめに愛読しています。鷲田さんのおっしゃることは私の考えに合うことが多く、しばしば

    わが意を得たり

という気持ちになります。
大岡信さんの「折々のうた」もそうでしたが、こういう短い文章を書くのはとても難しいものです。4000字書けといわれるほうがどれくらい気が楽かわかりません。かなり先までの予定原稿ができているでしょうが、それでも日々大変なご苦労だろうとお察ししております。
こういうところに掲載されると多くの読者の目に触れますので、私も呂太夫さんの本のおもしろいところを採用してくれないかなと願っていました。
すると先日、それが実現する旨、新聞社から連絡があり、

    今日(4日)の朝刊

に掲載されるようです。
朝日新聞を購読されている方は是非、そうでない方は図書館にでもお出かけになれば置いてあるでしょうから、チラッとでもご覧ください。
また、「朝日新聞デジタル」などの電子メディア情報サービスや、過去の記事を検索できるオンラインデータベース「聞蔵」シリーズなどにも収録されますし、もし本になればそこにも載せていただけるだろうと思いますのでどうぞご覧ください。
鷲田先生、ありがとうございました。

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10年ひとむかし 

このブログを書き始めて昨日で丸10年、今日から11年目になります。
もうやめようと何度思ったかわかりませんが、やめるのは簡単だからかえってつまらない、と思い直して書き続けてきました。何十年も日記を書き続ける人だっているわけですから、10年なんてどうってことはありません。
当初はほんとうに思いついたことを短く書き留める形でしたが、次第に長くなって、今は1500字くらい。積み上げると400万字くらいになるかもしれません。原稿用紙1万枚。1枚5000円の原稿料が入ったら豪邸一軒(笑)。
最初の頃だけ読んでくださったかた、最近読むようになったとおっしゃるかた、年に一度くらい読む(笑)というかた、そして長らくお付き合いくださっているかた、どんな形ででも

    「あなた」

と触れ合うことができているなら幸いに存じます。
いつ倒れるかわかりませんが、今しばらく書けるかな、と思っています。年に一度で結構ですので、またお越し下さいませ。

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佳境にはいってきました 

幼稚園での文楽人形の稽古もいよいよ明日で最後です。
吹田から茨木、摂津を経て鳥飼大橋を渡り、守口や門真、四条畷、大東などを経て阪奈道路の急カーブをものともせず、奈良まで走ります。すっかり

    下の道

に慣れて、もう高速を走ろうなどという気にはなりません。道も一切迷いません。朝、混雑するのは中央環状の吹田インター出口のあたりから茨木市、せいぜい摂津市までです。鳥飼大橋まできたらもうあとはすいすいです。
阪奈道路の山道も、朝早い時間帯に警察の姿を見たことはありません。とはいえ、上り坂はスピードを出したくても出せませんが。
というわけで奈良に着いたら早速稽古、みなさん

    やる気満々

ですから、私も負けていられないのです。ほぼ内容は把握していただいていますので、あとは細かい動きを整えるばかりです。
今年は男性の参加があり、雰囲気がまたいくらか違っているようです。
いつも前日は授業で忙しいのですが、心は半分奈良です(笑)。

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父とも思う方々 

昨年末に恩師が亡くなりました。
父親と同じ世代でしたので、父亡きあとは心のどこかで父をイメージしておりました。晩年は私がお話できなくなったために年賀状だけのお付き合いでしたが、ふがいない生活をしている私を気にかけてくださっていました。
ちょうど年賀状を書こうとしていた時期でしたので、ガックリした私はどうしても書く気になれず、皆様方には礼を欠く結果になってしまいました。
文楽の技芸員さんも師匠が亡くなると喪中ということで年賀状を出されませんが、やはり

    芸の父

だという意識が強いのでしょうね。いくらかそのお気持ちが分かりました。
恩師はもう87歳でしたので天寿を全うされたという思いももつのです。また奥様を先に失われていた上、最後は認知症も現れたということでしたので、ご本人もあまり悔いを残さずに旅立たれたのではないかとお察しして、せめて哀しみをまぎらわしたのでした。
私が学生時代にバリバリの教授でいらした世代というのは大正末年から昭和初年、若手助教授世代が昭和10年代生まれの方々です。つまり皆さん

    70代から80代

に入っていらっしゃいます。
それだけに訃報が入るのはやむをえないとは思っています。しかしやはり寂しい気持ちに変わりはありません。

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