2018 春休みの宿題(4) 

あまりあれもこれもやろうとするとすべてが中途半端に終わりそうですが、もうひとつ、せめて骨組みだけでも作っておきたいものはやはり創作浄瑠璃です。これまで野澤松也さんに差し上げたものは6つあるのですが、実は最初の1つはあまり評判が芳しくなく、私自身も習作という感じがしています。
おそらくほとんど上演されないままに終わっている唯一の作品だと思います。
ある程度は納得できているのですが、話としてはあまりにも面白くなくて、

     書き換え

てもいいかなと思うのです。
そうすると、できたものは5つになり、あと2つ、なんとか書ければ本所七不思議を素材にしたものが完結するのです。
私はこの奇談、怪異譚を浄瑠璃にするにあたっては、人間の情愛がどのように怪異を生むのかという点に興味を持ち、結果として生まれる怪異よりもその情愛を描くことを主眼にしてきました。父と子、男と女、姉と妹などの情愛。
この線で7つを仕上げたら、一つ仕事を終えたという気持ちになれそうです。この春休みは完結まではいきそうにないのですが、

    置いてけぼり

をある程度の形にしたいと思っています。「置いてけぼり」は落語にもなった話ですね。
とりあえずこれだけを春休みの宿題として掲げておいて、さてどこまでできるかということになります。
この冬もインフルエンザにかからずにここまでやってきましたので、しっかり勉強しようと思います。

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春休みの補講 

おととい、学生さんが来ました。
1月の最初の授業のとき私がいつになくゆっくり家を出たらたまたま事故があったらしく、途中で大渋滞になりました。車の列はまるで動かず、脇道に逃げるのもたやすくなく、逃げるとまたそちらも渋滞しているというひどい目にあい、普段なら30分余りで行けるのに、この日は1時間余分にかかってしまいました。結局大幅に遅刻する羽目になったのです。
多くの学生さんは「そんなのいいですよ」「とよくあることです」「私たちも遅刻しますから」と言ってくれたのですが、後日

    「補講してください」

と言ってきた学生さんがいました。
よくぞ言ってくれました。病気で休んだというならならともかく、車が渋滞で遅刻という恥ずかしさですから、どちらかというと補講させてもらうほうが気が楽だったのです。
しかも彼女は「キリスト教の話をしてください」とリクエストしてきました。
もうこうなったら何でもやっちゃいますよ。
その後

    聖書

を読み直してまとめることをまとめ、プリントもしっかり作って準備しました。
彼女一人だけでしたが、とても気持ちよく話をさせてもらいました。もちろん手当は尽きません(笑)。

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2018 春休みの宿題(3) 

今年の春休み、まじめに取り組んでいるものがあります。それは紙芝居です。
まずは
 長野ヒデ子編 『演じてみよう つくってみよう 紙芝居』(石風社)
 子どもの文化研究所編 『紙芝居のコツと基礎理論のテキスト』(一声社)
 紙芝居文化の会 『紙芝居百科』
を読んで勉強しました。このうち最初の本は以前もざっと読んでいるのですが、もう一度やり直します。
しかし紙芝居は理論だけではどうしようもありません。大事なのはやはり

    実践

です。しっかり声を出しながら、どのように紙を抜いていくかなどを、きちんと研究しています。
そのために紙芝居を11セット手に入れました。もちろん自費で買ったのではありません(笑)。

『かさじぞう』
『人魚ひめ』
『雪の女王』
『ふるやのもり』
『なんにもせんにん』
『てぶくろをかいに』
『うりこひめとあまのじゃく』
『さるとかに』
『天人のよめさま』
『ニャーオン』
『ももたろう』

です。これまでに研究、実践したのは、この中では『かさじぞう』と『ニャーオン』のみです。
どちらも勉強のしがいのある名作でした。
普段はどうしても大きな声は出せませんので、

    休み中こそ

こういうことができるいい機会なのです。
1日1時間は、声を出したり紙の送り方の工夫を考えたりしています。
これも実は授業に関係するもので、幼稚園教諭や小学校教諭を目指す学生にn勉強してもらうために私がまず勉強するわけです。

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2018 春休みの宿題(2) 

『源氏物語』の原稿は書き終えることができました。
この春休みの、まず一つめの宿題はできたことになります。
次は新年度の授業の予習です。
私は障害のために授業によほど工夫をしなければならず、そのために費やさねばならない予習時間は半端ではありません。
それだけに長期休みの時にまとめてしておかないと授業が始まってしまうと大変なことになるのです。
新年度は『源氏物語』の

    若き日の光源氏

を話そうと思っています。光源氏が生まれてから22歳くらいまでのお話を、じっくりではなく、飛ばし飛ばしに読んでいくのです。こういうやり方は国文科ではあまり有効でないかもしれませんが、私のような教養科目としての文学を読む場合にはひとつのやりかただと思っているのです。
あまり細部にはこだわらずに話を追っていきます。しかし、だからと言って表現方法などは無視する、というわけではありません。和歌も読みますし、いかに作者が工夫して描いているかも話したいと思っています。この春休みの内にすべての教材を作ってしまうつもりです。
その他の授業、また一般の方々への講座も予習は相当時間をかけないとできません。障害を持つものとしては当然だと思っていますので、別に

    苦になるもの

ではありません。
当たり前だと思えばどうってことはないのです。ほかの人にできて私にできないことがあればそれを補えばいいだけです。
恥ずかしい話ですが、生活が苦しいものですから、新年度からもうひとつ講座を増やして稼ごう(笑)かと思っています。もっとも、人が来てくださらないと講座は成立しませんので、下手をすると予習して終わり、ということになりかねません。

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春は雪のうちに 

昨日は立春でしたが、寒かったですね。
まだまだ寒さは続きそうです。
『古今和歌集』をみても、春の初めの歌は残る寒さを詠んだものが続きます。

袖ひちて掬びし水のこほれるを春立つ今日の風やとくらむ(紀貫之)
(袖が濡れたまま掬った水が凍っていたのを、立春の今日の風が、今ごろ解かしているだろうか)

前の年の夏に袖を濡らしながら掬った水が、冬になって凍り、それを今日の春風が解かしているだろうか、と、谷川などを思わせる水が夏から秋、冬を経て凍って、今まさに溶け始めているだろうかと想像しています。
「孟春の月、東風氷を解く」(『礼記』)による歌です。

春霞立てるやいづこみよしのの吉野の山に雪は降りつつ(読み人知らず)
(春霞が立っているのはどこだろう。吉野の山には雪が降って降って・・)

平安の都の人から見ると吉野ははるかに遠い山でした。それだけに和歌には雪が景物としてよく詠まれました。
また、「みよしのの山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ」(壬生忠岑)のように、吉野山に入って音信が絶える、という歌もあり、吉野は「遁世する山」という意味合いもあります。
そんな奥深い山では春霞どころか、まだ雪が降っている、というわけです。
立春を機に暖かくなるのではなく、寒さが少しずつ和らいでいく、という感じなのでしょう。
もうしばらくの辛抱です。

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