薫ときたら・・・ 

『曽根崎心中』にせよ、『心中天の網島』にせよ、『冥途の飛脚』にせよ、「この男、何やってるの?」と言いたくなる男性主人公が登場します。こいつがもうちょっとしっかりしていたら、と思うのですが、だいたい、若い男はしっかりなどしていないものです。経験上(笑)そう思います。
呂太夫さんの本にも書いたのですが、こういうダメな男たちが道行の歩みでみるみるうちに成長させられ、

        「恋の手本」

にまで昇華することになります。ドナルド・キーンさんはそれを「寂滅為楽を悟った徳兵衛は歩きながら背が高くなる」(「近松とシェークスピア」)とおっしゃいました。
それにしても、若い男に翻弄される女性たちの悲しみは何とも哀れです。だからこそ芝居になるのでしょうが。

    『源氏物語』

には光源氏をはじめ、さまざまな男性が登場します。たいていは美男で聡明。『源氏物語』はそういう男が女性をとっかえひっかえする物語だと思っていた、としばしば学生がいいます。しかし、この作品はそれだけならこんなに長い間読まれ続けるはずがありません。
彼らもまた時としてダメな男で、やはり女性たちが彼らに翻弄されることが往々にしてあるのです。理想的な女性で光源氏に愛される紫の上でも実に悲しい思いをすることがあるほどです。

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源氏、源氏、源氏 

高校時代、古文の授業ではあまり多く『源氏物語』には接しませんでした。かろうじて「桐壺」「若紫」「橋姫」などには触れましたが、全体像はわからぬままでした。大学生になって、まず読んだのは谷崎潤一郎初訳『源氏物語』でした。これは戦前独特の雰囲気の中で書かれたもので、光源氏と藤壷の密通や光源氏が準太上天皇の位に就いたことははっきり書かれていません。藤壷密通の場面に来たのでどう書いてあるんだろうと思って楽しみにしていたのですが、がっかりしたことを覚えています。谷崎が訳したのに、時の政府から天皇家の名誉に関わるから削除しろと言われたわけではありません。出版側が

        忖度した

のでした。嫌な話です。
その後、原文に挑むことにしました。まだ私には無理かな、と思っていたのですが、なんのなんの、おもしろくて読むペースが巻を追うごとに上がっていきました。
しかしこの対策はとても私ごときの手には負えないと思って、研究対象にするのは尻込みしてしまったのです。頑張って

    卒論のテーマ

にすればよかったと今になると思います。
仕事をするようになってからは、授業で『源氏物語』をしょっちゅう取り上げました。しかしまだ若気の至りで、きちんと読めもしないのにいいかげんな話をしていたとあの当時の学生さんには申し訳なく思っています。

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ちゃくだのまつりごと 

平安時代の話です。
昔の暦ですから今と季節感は違いますが、五月には「着だ(金へんに大)政」という年中行事がありました。
「ちゃくだのまつりごと」と習いましたが、「ちゃくだせい」と読まれる方もいらっしゃいます。
「金へんに大」の字は、

    枷(かせ)

のこと。罪人にこれを掛けて数珠つなぎのようにするのです。
都にあった市(いち。もともとは東西の市でしたが、西の市は廃れたので東の市のみ)に幄舎(あくしゃ。テント)を張り、衛門佐(えもんのすけ)らの役人がその座に着き、看督長(かどのおさ)という

    検非違使

の下級役人が罪人をつないで引き出します。
検非違使は都の治安を守る警察。文楽人形の首で検非違使というと「けんびし」と訛りますが、本来は「けんびゐし」「けびゐし」です。「非違を検ずる使」つまり犯罪を検察する役人ということです。かなり権力があったようで、泣く子も黙る検非違使、というところでしょうか。
看督長というのはもともと監獄の番人でしたが、のちには警察の最前線として働きました。

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説話の中の歌人(4) 

こうして説話の中の歌人を書き続けていくときりがないくらいですので、もうひとりだけご紹介しておきます。
私も大好きな歌人である和泉式部です。『百人一首』には「あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな」が入っていますが、ほかに「黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり」「もの思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」などあまたの名作を残しています。
『古今著聞集』巻第五(和歌第六)に「和泉式部田刈る童に襖を借る事、ならびに同童式部に歌を贈ること」という話があります。
和泉式部が稲荷(京都伏見)に参詣した時、田中明神(京都市下京区の田中神社)のあたりで時雨に遭い、

    田を刈っていた童

に「あを(襖)」を借りて参詣しました「襖」は上に着る袷の類です。そして参詣からの帰りに返したのですが、その翌日、童が手紙を持ってきました。「時雨する稲荷の山のもみぢ葉はあをかりしより思ひそめてき」(時雨の降る稲荷の山の紅葉は青葉の頃から紅葉することを思っていますが、私はあなたが襖を借りたときから思い慕うようになったのです。「あをかりし」は「青かりし」「襖借りし」を掛ける)とありました。すると和泉式部は「あはれと思ひてこの童を呼びて『奥へ』といひて呼び入れけるとなむ」という行為に出たのです。奥へ入れてどうしたとは書いていませんが、書かなくても

    好色な

和泉式部なのだから童の思いを叶えてやったのだということがわかるのでしょう。

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説話の中の歌人(3) 

貫之だけではありません。さまざまな歌人が説話の中に登場します。
『古今和歌集』の歌人で説話がやがて能になる、という意味で同じ経過を辿るものに小野小町の話があります。能の『通小町』はこんな話でした。小野小町の霊が僧の弔いを得た上、受戒しようとすると深草少将の霊がそれを妨げます。少将の霊は「あなたひとりが成仏して私は三途の川に沈んでしまうだろう」と言い、なおも受戒を妨害します。小町の霊がどうしても受戒すると言うと、少将の霊は「自分は煩悩の犬となってあなたにとりついて離れるまい」とまで言います。少将の霊は自分の身の上を明かし、二人は僧の前で

    百夜通い

のありさまを見せます。百日目、小町との祝儀の酒を仏の戒めならやめようという少将の思いが悟りの道に通じて、ついにふたりは成仏することができます。
この話の下地には歌学書の『奥義抄』などに見える「百夜通い」の伝承があるわけです。『卒都婆小町』にも「百夜通い」の話が出てきます。
小町の伝承は能の世界では好んで用いられ、『関寺小町』『鸚鵡小町』『草子洗小町』などがありますが、これらには小野小町が、三河掾になった文屋康秀に誘われた時「誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」と詠んだ(『古今和歌集』)ことを素材にしています。
小町は

    美人

で知られますが、美人ほど老いると零落するというのが常で、彼女は晩年奥州で暮らして、亡くなったあとはその髑髏が野ざらしになっていることになります。

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