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読経のバックサウンド 

三味線という楽器は、弦楽器とされますし、実際旋律を奏でます。しかし、あの形を見ると、半ば打楽器のように思えます。なにしろ、木で枠を作って、その両面に動物の革を張るのですから、あの胴の部分だけを見たら太鼓にほかならないのです。
義太夫はあの、旋律楽器であり打楽器でもある三味線によって語られます。
そういえば、能も三つの打楽器(太鼓、大鼓、小鼓)と笛という組み合わせで、ほとんど打楽器です。
踊りだって、古くは鼓を打ちながら舞いました。このあたりのことは橋本治さんの

    義太夫を聴こう

という本にも書かれていました。
雅楽も琵琶、筝、和琴、笛など旋律を奏でるものもありますが、やはり打楽器も多く、旋律楽器も琵琶などはあまり軽やかにメロディを奏でるという感じはしません。舞楽になると、舞人はほとんど旋律よりも打楽器のリズムに乗せて舞っているような印象さえあります。
日本の伝統的な芸能はこういう
『源氏物語』「御法」巻に法華経の供養が行われる場面があります。その中に

  尊きことにうち合はせたる鼓の声、絶えずおもしろし。

という一節があります。「尊きこと」というのは読経だろうと思われますので、鼓を打ちながら読経をするのです。
読経というのも

    音楽的な要素

があるだけに、興味をもって読みました。
ある注釈書には「鞨鼓」であろうか、という意味のことが書かれていました。雅楽で使う楽器です。
橋本治さんの本を読んでいて、ちょうど『源氏物語』も読んでいたので、思わず目をとめた、という次第です。

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植物音痴 

私はまるで植物がわかりません。名前を言われても、どんな葉を持つとか、何色の花が咲くとか、背丈はどれくらいだとか、さっぱりです。まして、分類のことになると皆目わかりません。
バラ科とかアオイ科とかなら多少見当は付きますが、ゴマノハグサ科なんて言われると何のイメージもわきません。
『枕草子』「木の花は」の段に「かへで」が出てきます。私だって、カエデといへば、葉っぱの形が

    カエルの手

のようだからそう名付けられた、あの木だということくらいはわかります。ところが、清少納言はそのカエデのことをいっているのかどうかわかりにくくて、頭を悩ませています。平安時代の辞書に『倭名類聚抄』という書物があるのですが、その中の草木(要するに植物)の項目に「楓」という字が出てきます。パッと見たらこれがすなわちカエデだと思うのですが、よみかたは「をかつら(雄カツラ)」である旨が記されています。全然違うじゃん。
カツラというと「桂」の字が思い出されますが、これには「めかつら」という読みが与えられています。
もう一つ別に

    鶏冠木

というのもあって、これに「かへてのき(カエデの木)」という読みが記されていて、こっちが我々の知るカエデなのだろうと思います。『枕草子』は仮名で書かれていますので「かへて」はやはり「鶏冠木」のことかな、と思うのですが、それでいいのかどうか。というのは、なぜか少し後にあたかも別の木のように書いている「かへて」がまた出てくるのです。
もともとは「をかつら」と書かれていたのを、写した人が「楓」の字を当ててしまって、さらにそれを写した人が仮名に戻して「かへて」と書いたのではないかという説すらあるのです。この説もややアクロバティックな感じがするのですが、そうでも読まないと説明できない面もあって、混乱してしまいます。
そもそも、「雄かつら」と「雌かつら」の区別さえついていないので、昨今こういうことを調べるためにしばしば植物図鑑を開いているのです。
もう、何の因果やら。

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平安時代の話なんて(2) 

そんな平安時代の文学や歴史について、しかもかなり専門的なことをお話ししているのに、一般の方対象の講座にいらしてくださる方はほんとうに熱心です。反応も大きく、『源氏物語』で夕霧という人物とその妻の痴話げんかの部分などを読みますと滑稽でお笑いになります。これはとてもいい反応です。紫式部はこのあたりを「おもしろうてやがて悲しき」という描き方をしていると思うからです。その「おもしろうて」の部分を読めば笑うのが読者としてすばらしい反応だと思うのです。
なにも

     高尚な古典

などと思ってまじめくさって読む必要はないのです。当時の読者も笑ったに違いないのです。そしてそのあとの「やがて悲しき」もしっかり読んでみるとさらにおもしろいです。
そういうことをさすがに年季の入った皆様方ですから、わかってくださいます。『源氏物語』の講座は新しくおいでになる方もいらっしゃいますが、常連さんがたくさんで、おやめになる気配がありません(笑)。以前は一年で90分×16回だったのですが、「できればもう少し回数を増やしてほしい」というご希望も少なくなかったのです。今は120分×30回なのですが、それでも引き続きおいでくださっています。
今年度から

    『枕草子』

の講座も始めましたが、何しろ私がこれまであまり熱心にこの作品を勉強してこなかったので、自信などまるでないまま進めています。
平安時代の史料などをそのまま出して読んだりもするので、ちょっとむずかしいかな、と気になっています。もうすぐ一年が終わりますので、それを機にリタイアされる方も多くなるだろうな、と案じています。
ところが最近、ある方が「このあいだの話、とてもおもしろかったです」と言ってくださいました。平安時代の話なんて、と、自分で意識しすぎずに受講者のっ皆さんにぶっつければいいのかな、と思った瞬間でした。

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平安時代の話なんて(1) 

これに生涯をかけていて、自分では何ら不満はありませんし、意味のあることをしていると思っているのですが、「平安時代のことを勉強して何が面白いのだろう?」と思われているかな、という気持ちになることがあります。
たとえば、平安時代の相撲はこんなのでした、とか、嫉妬に狂う女性がこのように描かれました、とか、藤原道長はこんな宗教心を持っていました、とか、おもしろくてしかたなくてそんなことを勉強しているのですが、くだらないと言われたらたしかにくだらないかもしれません。最近よくいわれる

    「役に立たない

研究」の最たるものかもしれません。
学生に話をしていても、とてもおもしろがってくれる人がいる反面、一部の学生はまったく興味を示しません。なんだか馬鹿にされてるかもしれないな、とさえ思います。具体的に言いますと、彼女たちは単位だけが目当てですので、出席はするのです。私にいわせれば無理に来なくてもいいのですが、成績だけが気になるので、とりあえず授業にはきて、しかし実態はスマホをいじって帰る・・。「そのほうが意味がないよ」と思うのですが(笑)、そういう学生が結構いるのです。
とても残念なのは、古典文学の話をしているのに、

     小学校教諭

などを目指す学生が関心を持たないことも少なくないのです。小学校の授業でも昔話、民話、古典の初歩は教科書に入っていますので、彼らの専門分野とは無関係ではないのですが・・。
実のところ、意外にも、専門のまるで違う理系の学生のほうが熱心だったりします。しかし彼女達も高校時代の古文アレルギーがありますので、授業の進め方によってはおもしろくないだろうと思います。そこで、できるだけ学生の関心を引くような話をしようとは思うのですが、さて、どう思ってくれているのでしょうか。
大学は昔のようにごく一部のエリートと呼ばれる人のためのものではなくなりました。それなら当然授業も昔ながらのことをしていてはいけないのです。大先生ぶって自分の専門の話をして、「授業がわからないのは、話を理解しない学生の責任」ではもう通用しません。私も、何とかあのスマホいじりの学生に「源氏物語はおもしろい」と言わせてみたいのです。
まだまだ道半ばです。

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節分 

気がついたら2月、そして今日は節分です。
もう、冬は終わります。
今後まだ雪が降る日もあるかもしれませんが、季節は進みます。
以前は、節分といえば豆まきでしたが、今は

    恵方巻

とかいうのがはやりです。
以前学生から「平安時代の人も恵方巻を食べたのですか?」と聞かれたことがあります。
節分に巻き寿司なんて昭和以来のものだし、恵方巻という言葉は平成になってできたのでは?」と答えたらびっくりしていました。
平安時代には大晦日に追儺(ついな、おにやらい)というのがありました。暦が今と1か月あまり違いますので、同じく鬼を払う行事でもありますから、今の節分の豆まきにあたるといえます。追儺は吉田神社や平安神宮などでは今もおこなわれています。
節分の豆まきのような行事は、幼稚園がよく残していますら、多分今年も幼稚園では鬼役の先生が追われるのでしょうか。
神社やお寺でも著名人などによって豆まきが行われます。
私の住む街では

    中山寺

が有名で、タカラヅカの生徒さんたちが小さな袋に入った豆をまいてくれますので、それをキャッチするわけです。
福男さんもまいてくれるのですが、どちらかというとタカラジェンヌからいただきたいものです。
明日はもう、立春。

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