叱られること 

日曜日になるととにかく休もうという気になります。
この間の日曜日も朝は7時頃まで寝て、いくつか用事を済ませたあと午睡をしたのです。すると2時間ほどぐっすり寝てしまいました。
結局、この日はほとんど何もせず、夜になってから源氏物語を少し読んだくらいでした。
源氏物語を読むときは、必ず注釈書と辞書を使います。なんとなれば、それらがないと私には読解できないからです(笑)。
注釈書は現代のものとともに、いわゆる

古注釈

を使います。つまり、江戸時代およびそれ以前の人が書いた注釈書です。
注釈書自体が古いですから、注釈書の注釈が欲しいくらいです。
先ほど、注釈書と辞書がないと読めないと書きましたが、それなら現代の注釈書さえ手元に置けばいいのです。なぜ古注釈を使うかというと、ひとつには

注釈の歴史

を知りたいということがあります。
この人がこういう注釈をしたからこの人はこう言っているのだな、という歴史があり、自分もその中に入りたくなるのです。

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とりあげ名人 

『紫式部日記』には、一条天皇の皇子である敦成(あつひら)親王の誕生の場面が描かれています。というのも、出産するのが紫式部の仕えていた

    藤原彰子

だからです。彰子は藤原道長の娘で一条天皇の中宮でもあります。
彼女は12歳(小学校5年生の年齢)で一条天皇のもとに行くのですが、だからといってすぐに懐妊するわけではありません。父道長の願いも虚しく、なかなか懐妊の兆候が見えません。道長は必死で神仏に祈願もしたようで、やっと21歳になった年に出産することになるのです。若くして出産するという印象が強いかもしれませんが、21歳という年齢は初産としては実は早くも遅くもないものです。
そして其の年の九月十一日、彰子は男子を出産します。
場所は実家の

    土御門邸

で、今の京都御苑内、御所の東、仙洞御所のあたり及びその少し北側です。
母屋(身屋とも)で出産するのですが、間際になって少し場所を変えようと言うので、そのすぐ北側、寝殿の北廂(きたびさし)に映り、いよいよ出産の時を迎えます。
女房たちがあまり近くにいるとよくないからというので、彰子のすぐそばには三人だけが控えていました。そのうちの一人は彰子の母、すなわち道長の妻である倫子という人でした。そして讃岐の宰相の君と呼ばれる女房もいました。この人は藤原道綱の娘で、本名は藤原豊子。彰子の従姉妹に当たる人です。後には新生児の乳母にもなります。

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七夕の話 

七夕は旧暦で祝うものです。今の暦の7月7日では意味がありません。
あるとすると、夏休み前の学校の行事くらいでしょうか。
旧暦7月7日は、今の暦に直すと毎年日が変わりますから、わかりにくいです。
今年は

    8月28日

だそうで、かなり遅いです。これは、今年は5月が2回ある、つまり閏5月があるからです。
実は、今がその閏5月で、今日7月7日は閏5月14日にあたります。
七夕は秋のはじめの行事ですが、8月28日ならいくらかそれらしいかもしれませんけどね。
子どものころ、なぜ「七夕」と書いて

  たなばた

と読むのか、不思議でした。
「夕」に「ばた」という訓があるのか、調べたこともありました。
結局、大学生になって本格的に日本文化を学ぶようになるまてわからずじまいだったかもしれません。

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密通のあとで(2) 

講座にいらっしゃるかたは男性おひとり、女性が9人です。
みなさん、柏木にも光源氏にもあきれる、というお顔をなさいます。
女三宮は、たしかに頼りないのですが、ほったらかしていた光源氏や無理やり押し入った柏木の責任は半端なものではないはずです。
作者は光源氏や柏木という、ひとも羨む貴人を、弱い人間として描いているようです。

完璧な人間

などいないのですね。
この場面、光源氏と柏木の心の中が、延々と描かれます。
彼らの言っていることは、どこかトンチンカンなところがあります。
柏木は空に目が付いているようで怖ろしい、と思います。後ろめたいことをしたら、誰かに見られているような気になるのです。彼はひたすら

光源氏の目

を畏れます。
このあと、光源氏は柏木を呼び、睨みつけます。その視線があまりに恐ろしく、彼は病の床に臥してしまいます。
この講座、夏休みまでにこのあたりまで読めるかな、と思っています。

密通のあとで(1) 

源氏物語の講座を続けています。
なにしろ、源氏については、ファンというだけで、何も研究していませんから、いざお話をしようということになると相当勉強しなければなりません。
120分お話しするのに何時間予習しているかわかりません。
今は

若菜下巻

で、光源氏の妻の女三宮と柏木の密通が光源氏に知られたあとの部分を読んでいます。
光源氏は今なお女三宮に送られる柏木の手紙を偶然見つけてしまうのですが、それがあまりにあらわに書かれているので、「艶書というのは、もっと

わからないように

書くべきだ」と柏木の不用意さを内心で責めています。
源氏物語の古注釈の中には、かつて光源氏が夕顔に送った文の字を筆跡を変えて書いたことや須磨の巻で朧月夜に送った文では事実をぼかして書いていることを指摘するものがあります。
昔の源氏学者はたいしたものです。
それはともかく、光源氏は柏木ごときに愛情をシェアした女三宮にも大きな不満を感じます。しかし、自分もかつて
父の后であった藤壺中宮と密通しているだけに、強くは責められないのです。
柏木は柏木で、よくよく考えたら女三宮という人は頼りない人だ、と自分のしたことを棚に上げて彼もまた不満たらたらです。
男たちの思いは勝手なもの、と言えるでしょうか。(続く)