枕草子の危機 

枕草子の講座を始めたのですが、最初の時間においでになった方は予定の半数。
2回目はさらに減り、講座が維持できるかどうか難しいところです。
枕草子はおもしろいのに、やはり講師が私ではダメだったか、と、清少納言さんに申し訳なく思っています。
中止になったら仕事は楽ですが、生活はまた転落。ジレンマ続きです。
私自身は枕草子のおもしろをいくらか感じ取ることができてきましたので続けたいのですが、どうなりますことやら。

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春はあけぼの(2) 

「春はあけぼの」は“Spring is dawn”という意味ではありません。何かあることに関して「(ほかの季節ではなく)春はあけぼのなのだ」と言っているのです。ではその「あること」とは何なのでしょうか。
『枕草子』は類想的な段、随想的な段、回想的な段によって構成されているといわれますが、あるいはそうではなく、すべてが回想的なものではないか、そんな、『枕草子』研究者の人から眉をひそめられそうなことも考えました。
つまり「春はあけぼの」もまた彼女がかつて中宮定子の前で行われた同僚女房たちとの話を回想して書いているのではないかということです。
おもいきり想像をたくましくしてみます。
中宮が女房たちに向かって「ねえあなたたち、一日のうちいつ頃が一番好き?」と尋ねます。ある女房は「お昼ですね。だって元気が出そうな時間帯じゃないですか」と言います。別の女房は「それは夕方が一番です。何となく物思いにふけることができそうですから」と答えます。自分の気分を根拠にして時間帯を選んで答えたわけです。すると中宮定子が清少納言に向かって「あなたはどうなの?」と問います。すると清少納言はおもむろに

    春はあけぼの

と答えました。一同、「えっ?」と言います。「どういうことなの?」と問われた清少納言は「やうやうしろくなりゆく、やまぎはすこしあかりて、むらさきだちたる・・・」と言い始めます。「なるほど、面白い時間帯も季節によって違うというわけね。では夏は?」「夏は夜ですね。・・・秋は夕暮れです・・・冬は早朝です」と話が続きます。ほかの女房が自分の思いを基準にしていったのに対して、清少納言は

    風景

によって素晴らしい時間帯を説明したのです。その風景は決して心象風景ではありません。きわめて純粋に客観的に見つめた風景なのです。けっしてありきたりの「さくら」「うぐいす」「もみじ」などはでてきません。中宮は「それはおもしろいわね」と言ったので清少納言は心にとどめたのです。そして『枕草子』を書くに際して、このことを思い出し、第一段として書いて、中宮に差し上げた・・。

以上申し上げたことは小説的な発想で、まったくの思い付きです。しかし、「春はあけぼの」は、そんなことを想像させるような魅力を持つ一段でもあると思うのです。

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春はあけぼの(1) 

『枕草子』の第一段はあまりにも有名な「春はあけぼの」です。昔、曙という名前の横綱がいましたが、あの人が春場所に優勝すると新聞の見出しには「春は曙」と出るのが普通でした。
この段の解釈など、今さら問題にはならない、と思われがちなのですが、決してそんなことはありません。私が今とても気になっているのは、この段を清少納言はどういうつもりで書いたのかということです。彼女は失意の時期に実家に帰っていたことがあり、そのころに『枕草子』はかなり書かれていたらしいのですが、この段もそのときに書かれたものである可能性は高いのです。ただ、これを思いつきで書いたのか、何か下地というか、

     宮仕えにおける体験

がもとになって書いているのか、ということがひっかかるのです。
「春は」という書き出しなら、続く言葉はたいてい「桜」とか「梅」とか、何らかの景物だろうと思うのです。それを「あけぼの」としているのはなぜなのか。またこの文の構造はどうなっているのかということも引っかかります。よく国語学専攻の人が問題にする文に

    私はウナギだ

というのがあります。これはもちろんウナギ君が人間の言葉で“I’m an eel”
と言っていると考えることができます。しかし食堂で何を食べるかという話題になったときに「私は親子丼だ」「ぼくは木の葉丼だ」「私はウナギだ」という言い方がありうるのです。「春はあけぼの」もあるいはこれと同じで、何か話題になっていること(何を食べるか、という話題に当たること)があって、それに関して「春はあけぼのだ」と言っているとも思えるのです。

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『源氏物語』の夢(2) 

光源氏は父の妻(つまり、彼の義母)である藤壺中宮に道ならぬ思いを寄せ、ついに密通してしまいます。するとそのあと夢を見ます。
夢解きをさせると、思いがけないことが起こる、と言われます。藤壺が懐妊し、男子を生むことになるのです。
その後、光源氏はわけあって須磨に身を引きますが、そこではすでに亡くなっていた父の夢を見ます。また、大嵐に遭った後、明石入道という人物から明石に招かれるのですが、それ入道が夢を見たことによるのです。
このほかにも、その明石入道が娘ややがて生まれる孫についての予言めいた夢を見たり、光源氏の息子の

    夕霧

が亡き友人である柏木の夢を見たり、さまざまに夢が出てくるのです。
夢は深層心理のあらわれなのでしょうが、時としてそれは人の生き方に影響を与えることにもなるようです。
夢については、

    夜に話してはならない

という俗信もあったようで、また、夢はめったな人に話すものではない、とも考えられたようです。
夢は何とも不思議なものです。
西郷信綱さんに『古代人と夢』というご著書があって、学生時代に読みました。今回またその本を取り出して参考にさせていただきました。

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枕草子講座開催(2) 

『枕草子』を読むといっても、高校の「古文」のように《現代語訳と文法》と軸とするものとはまるで違います。高校の「古文」は本格的に古典文学を読むための基礎のようなもので、高校の先生は面倒でも「何とか活用」というような説明をしてくださるわけです。
私はその先生たちの恩恵を受けつつ、もっと細かい点まで読んでいきます。
『枕草子』にはさまざまな注釈があるのですが、今なおわからないことはあります。そもそもタイトルの

   「枕」

の意味にも諸説あって、確実なことは言えません。
注釈はもちろん江戸時代にもありました。この時間は北村季吟の

    枕草子春曙抄

を折に触れて紹介していくつもりです。
一昨日は、図書館にある江戸時代の板本を司書さんに出していただいて、みなさまにお目にかけました。
ついでに、こういう古い本を見るときの注意点も、私の知る限りお話ししておきました。
こうして枕草子講座は始まったのですが、前途程遠し。わからないことだらけで、受講してくださるみなさまのお助けを得ながら読んでいこうと思います。

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