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闇を歩く 

週末を利用して、つかの間の春休みを味わうべく、田舎へやってきました。
静かで何もないところです。
昨夜9時ごろ、星空がきれいなので少し離れた河川敷まで行こうと思い立ちました。そこへ行くには、途中で街灯のない路地を歩かねばなりません。
まあ、たいした距離ではないし、と思って、どんどん進んでいったのです。

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蜆川【番外】―お初天神 

『曽根崎心中』のお初と徳兵衛は蜆川を離れて露天神社に向かったわけです。
現代の地図に重ねてみますと、たとえばこんな感じでしょうか?青い線が蜆川、赤い線が道行ルートの想像です。

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蜆川―堂島川から 

蜆川は堂島川から分かれて堂島川に注ぐ川でした。
その最上流、堂島川からの分岐点あたりを

    大江橋の南詰から

眺めてみます。

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蜆川―河庄 

さて、北の新地です。
『曽根崎心中』の事件のあと、

      曽根崎新地

が誕生しました。
蜆川の右岸(北岸)です。
今度は『心中天網島』の世界です。
恋しい治兵衛に逢えない小春は今日は曽根崎新地の河庄(河内屋)で侍(さむらい)の客(実は治兵衛の兄の孫右衛門の変装)です。
ここで小春が治兵衛の妻“おさん”に義理を立てて偽りの愛想づかしをしますが、治兵衛はそれを真に受けて荒れ狂います。
まったく近松作品の二枚目は困ったもんです……。
その河庄があったといわれる場所に建てられている立派な碑です。

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蜆川―桜橋 

今日は、「梅田橋」の記事に「お園さん」からいただいたコメントがらみになります。
蜆川沿いに東へ行くと、最後は南に折れて堂島川に注いでしまいますから、

      お初 と 徳兵衛

はどこかで川から離れて曽根崎の天神森を目指したはずです。

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最近の生活 

このところ文楽のお話として蜆川の風景を描いていますが、

      今日は中入り

です。
最近の生活についてメモしておきます。
「ある大学教員の春休み」リポートです。

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蜆川ー浄祐寺 

梅田橋ビルの北側の細い道を東へ歩くと、ひっそりとした寺に出会います。これが日蓮宗

      浄祐寺

見逃してしまいそうな寺院なのですが、ここには意外なものがあります。


そのひとつが

      矢頭長助、教兼父子の墓

です。

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蜆川ー梅田橋 

蜆川に架かっていた橋を下流から並べてみると、堂島小橋、汐津橋、浄正橋、梅田橋、緑橋、助成橋、桜橋、曽根崎橋、蜆橋、難波小橋となります。
逆櫓の松跡のすぐ東が浄正橋でしたが、そこをさらに東(やや北向き)に300mほど進むと、右手に屹立するのが大阪高等検察庁などの入る、地下3階、地上25階の中之島合同庁舎
立派なビルです。さすがお役所。
その北端の交差点が堂島3丁目交差点
このあたりに架かっていたのが

      梅田橋

です。

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蜆川ー逆櫓 

蜆川を下流から遡って行きます。
下福島の天神社からノダフジで知られる下福島公園の前を通って歩きます。
関西電力病院を右手に見ながらすぐのところに「ドミール堂島」というマンションがあり、その玄関のそばにあるのが

    逆櫓の松跡

梶原「舟に逆櫓をつけていつでも退却できるようにしなさい」
義経「いくさは攻めに攻めてこそ面白いものだ」
梶原景時と源義経は平家を追って四国に向かうに際して議論しました。
どうもこの二人はそりが合わないようです。
この逆櫓の議論をしたのが大阪・福島の海岸。松の木の下だったといわれ、およそこの辺りでもあっただろうかというのが前述のマンションの玄関前なのです。

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身に蜆川 

『曽根崎心中』「天満屋」の段は

    恋風の身に蜆川流れては

と始まります。
「そのうつせ貝、うつつなき色の闇路を照らせとて夜毎にともすともし火は四季の蛍よ雨夜の星か…」
見事な文章です。

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学生の支援 

私の勤務先の学生が、2月から一ヶ月間、ニュージーランドに語学研修に行ってきました。
三日前に帰ってきて、さすがにくたびれたようです。
しかし、

  すぐにでもニュージーランドに「帰国」したい

という学生もいて、なかなか充実した楽しい一ヶ月だったようです。

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文楽仲間 

文楽に限らず、

    趣味を同じくする人

は大事にしたいですね。
最近私は聴力の問題で友人付き合いがしにくくなっているのですが(まだどうすればうまく付き合えるかが把握できていないのです)、以前は本当によくそういう友人と付き合いました。
このブログも時々訪問してくださっているらしい友人もありますので、なんとなく言いにくいのですが、すてきな人ばかりです。

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会議 

ここ数日、ほとんど何も聞こえません。
以前だったら頭を抱えて震えていたかもしれません。
さすがにそれは乗り越えたのですが、やはり憂鬱です。
私の場合、病気ですので、症状の軽重があります。
今は頭が重く、耳鳴りがひどく、からだがだるく、何もする気が起こりません。
しゃべることはもちろん、考えることも、立つことすら。
心臓がどきどきするのもまだこういう状態に慣れないからでしょう。
今日の記事は暗めです。

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巡業中 

ある技芸員さんから、一昨日(16日)メールが来ました。
今地方公演に出ている人です。
いわく、「今巡業中で、今日は新潟です。昨日は雪深い温泉宿に泊まりました。そこそこ楽しんでます」

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半月の御礼 

思うところあってはじめたブログです。

  文楽 と 聴覚障害

という、まったく異なったテーマを設定してみました。
それを結び付けられるのはおそらく世界で私だけ(笑)と思って。

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ツメ人形 

文楽人形の魅力のひとつが

      ツメ人形

ですね。
一人遣いで、手も足もありません。
楽屋廊下に行くと無造作に引っ掛けられているツメ人形に思わず微笑んでしまいます。

            DSC00423.jpg

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梅と玉翔 

やっと梅が咲きました。このあとは桜。
「梅」?「桜」?……「松」?
文楽ファンはどうしてもこういう連想が働くでしょうね。
4月の文楽、燕三襲名の裏番組(?)は

    「菅原伝授手習鑑」三段目と四段目

梅王丸松王丸桜丸の三つ子を中心とした話です。

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襲名(2) 

歌舞伎の世界は世襲がありますから、襲名はしょっちゅう、当たり前のようにおこなわれます。
ここ数年を振り返っても、片岡仁左衛門、坂東三津五郎、中村魁春、市川海老蔵、尾上松緑、中村勘三郎、坂田藤十郎など、次々思い出されます。
ところが文楽は

        実力の世界

ということもあって、なかなかその機会がありません。

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障害へ(3) 

    障害者の申請をしたらどうですか?

医師は少し上目遣いで言いました。
そう言われることを嫌がる人もいるのでしょう。
私もまた、落胆の思いをいくらか抱きました。
取り返しのつかないことになっているような、来るところまで来てしまった、というような、そんな思いからです。
そんなふうに考える必要はない、とはわかるのですが、その瞬間はプラス思考せよといわれてもネクラな私には無理だったと思います。

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文楽評 

初春公演の文楽評を書き上げました。
かなり前にほぼ書いておいて、締切まで寝かせておいて、この時期最終的にチェックするのです。
今回も相もかわらず薄味の文章です。
書き終えるたびに

    劇評など私の任にあらず

と思ってしまいます。

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地方公演 

これまで、このブログの開設のことはあまりおおっぴらには申し上げていなかったのです。
そこで昨日、親しい知人・友人15人ほどの人にご挨拶方々連絡しましたら、アクセスが倍増しました。
おそらくその方々が来てくださったおかげだと思います。ありがとうございました。
コメントまで期待するのは厚かましいかな…。

さて、文楽は現在

      地方公演

の最中です。

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愛しの学生 

私の研究室で暮らす文楽人形。それはもう可愛くてしかたがありません。
しかし、時折訪ねてきてくれる学生の姿を見ると、文楽人形も色褪せるほどです。
学生にとって教員は時として目障りな、うっとうしい存在かもしれません。
しかし、教員にとって学生は

      最も愛すべき若者

です(ちなみに、勤務先は女子大です)。

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春休みの仕事 

三寒四温といいますが、このところは二寒五温くらいでしょうか。
やっと

        梅が見ごろ

になってきました。
私の家にも紅白二本あるのですが、チラホラという感じです。
そんな中でも仕事は仕事。春休みはかなり忙しいです。

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床本(1) 

文楽は、せりふもト書きにあたる言葉も太夫さんによって語られます。
全体をまとめたものが丸本(院本)ですが、太夫さん一人ひとりが自分の持ち場を書き抜いたものが

        床本(ゆかほん)

文字通り、床(太夫と三味線弾きが座る場所)で用いる本です。客席からもチラチラ見えるのですが、かなり難しそうな文字が並んでいます。

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芸談 

文楽を楽しむのは舞台だけで十分です。
別に勉強することはないと思います。
でも、舞台に接すれば接するほど

どういう人がどんな気持ちでどんな風にして

      この舞台を作っているのか


にも興味が湧いてくるのです。

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障害へ(2) 

耳が痛い、といっても、厳しいお小言を言われたというわけではありません。
本当に痛いのです。右の耳。比較的よく聞こえたほうです。
それがずきずき音がするのです。

    ある日、突然のことでした

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愛しの人形 

プロフィルには自分の写真を載せるのが妥当なのかもしれません。
しかし、そんなことをすると皆さん、きっと気分を害されるでしょう。
そこで、美しい

    文楽人形

を掲げておきました。
この人形は私の勤務する千里金蘭大学所蔵のものです。

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襲名(1) 

四月、三味線の鶴澤燕二郎(つるざわ えんじろう)が

      六代目 鶴澤燕三(つるざわ えんざ)

を襲名します。

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障害へ(1) 

耳には自信がありました。
小さな音を聞き分ける能力は他人に優っているとうぬぼれていました。
子供の頃からラジオ大好き、聞く芸能(落語、漫才など)大好き、クラシック音楽大好き
学生時代は国内の人はもちろん、海外から来る演奏家のコンサートにお金もないのに出かけました。FMでは毎日クラシック三昧。カラヤンもベームも、ショルティも、小澤征爾も、朝比奈隆も、みんなそばにいてくれました。

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文楽へのきっかけ 

学生時代、はじめて文楽に接したころ、まだ竹澤弥七、先代野澤喜左衛門などがご健在でした。先代鶴澤寛治、野澤松之輔も聴いたことがあるのかもしれません。
いいかげんな記憶です。なんとなく聴いていただけなので…。

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