異動 

三月も終わります。
明日から配置転換、新任退任などがあって職場の雰囲気もいくらかは変わります。
私の大学では

    学長の交代

があります。
今日は土曜ですので、現学長は昨日をもって事実上退任しました。
なかなかの名学長でした。ご苦労様でございました。
新学長は、実は見たこともありません(笑)。

加えて私の学部学科では

    学部長、学科長が交代

それぞれ任期切れによるものです(謀反が起きたのではありません)。
こちらは多分見たことがある人だとおもいます(笑)。

そして、新聞などでご存知かと思うのですが、今春からこれまでの
助教授が

    准教授

となります(その下にこれまでと同じ専任講師、そしてその下に「助教」というのができます)。

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新年度を前にして 

いよいよ3月も「つごもり」です。
新年度のことで頭がいっぱいになってきました。
昨日、新4年生の

  ゼミ配属

が決まりました。
私は不人気教員である上、じゅうぶんなコミュニケーションが取れないので、ゼミには不向き。そんなこともあってひょっとしたら希望者ゼロではないかと思っていました。すると、驚いたことに、

  文楽人形を使った本格舞台 の企画

を作りたい、といってきた学生があったのです。
ちょいとビックリしました。
新作浄瑠璃ではなく、文楽人形の技法を使いながら新しい芝居ができたら、というのです。 舞台の装置、衣装もやりたい、と、意欲を見せていました。

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からくり 

いろんな懐かしいものに関心があるのです。
そのひとつが「のぞきからくり」。小さな穴をのぞくと、3Dっぽい(?)絵が、話にしたがって変化していくものです。

    覗 機 関

と書くと村井長庵を思い出し、「勧善懲悪」と前置きしたくなるあなたはやはり歌舞伎好きですね。

子供の頃のかすかな記憶なのですが、どこかの祭(天神祭?)に連れて行かれて、のぞきからくりを見せてもらったような気がするのです。
内容はさっぱり覚えておらず、面白かったどうかのかすら記憶にありません。
先日ご紹介した

    大阪歴史博物館

に復元されたものがあります。

なぜこんなものを思い出したかというと、連日申し訳ないのですが、またも「大入り!文楽手帖」なのです。
お園さんが歩いていらっしゃる品川の記事を読んで、ふと。

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端模様夢路門松 

「大入り!文楽手帖」のツチ子大夫さんの記事にコメントして(こちら)、ふと思い付いたのです。
ずいぶん長い間見てないなぁ、この作品。

  端模様夢路門松 (つめもようゆめじのかどまつ)

新作浄瑠璃です。吉田簑太郎(現桐竹勘十郎)作、鶴澤清介作曲。
もちろん「染模様妹背門松」のパクリタイトルですが、お染久松ものではありません。
登場する人形は

  ツメ人形!

あの、愛嬌のある、しかし決して主役にはなれないツメ人形達。
その中にひとり「門松」という名の人形がいました。

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大阪に来られたら(9) 

土佐堀、長堀、東西横堀に囲まれた船場は

    ほんまもんの大阪

なのでしょう。
このあたりの言葉が大阪らしい上品な言葉だとされます。
とにかく今でも雰囲気のある町です。
本町より北の、いわゆる「北船場」を歩いてみます。文楽から外れる話題も頻出しそうですが(笑)。

今橋、道修町、淡路町、平野町など嬉しくなるような町々の名前です。
今橋通りといえば鴻池善右衛門、朝鮮使節が来たことを記念して架けられたのは高麗橋。『春琴抄』でもお馴染みの薬問屋の道修町、唐物問屋の伏見町、通ふ千鳥の淡路町(冥途飛脚)ときたもんだ♪

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大阪に来られたら(8) 

先日、久しぶりに文楽座跡などを歩きました。
御堂筋本町あたりですから、歩くのにも便利なところ。
ご紹介しておきます。

地下鉄御堂筋線、中央線本町駅を下りて12番出口から地上に上がり、御堂筋をほんの数十メートル南下すると、ぽつんと石碑が建っています。

    芭蕉終焉の地

の碑です。ほかに何もないので面白くもなんともないのですが、今はにぎやかなあのあたりで芭蕉が「旅に病んで…」と最期を遂げたのだなと思いを馳せるよすがにはなります。
年度末ということもあってか工事中で写真の撮りにくい状況だったのでやめました。

で、御堂筋を西側に渡ると東本願寺難波別院、いわゆる「南御堂」です。そこから南へ100メートルほどのところにあるのが難波神社。ここが

    稲荷文楽座跡

です。江戸時代に文楽軒がここで興行していますし、明治時代には彦六座が本拠としました。
20070325202243.jpg

稲荷文楽座跡

南御堂の西隣には坐摩神社があり、ここでも江戸時代から人形浄瑠璃の公演の記録があるのです。

20070325202338.jpg

坐摩神社

ついでに西へ足を延ばして大阪厚生年金会館まで行くと、そこはかつての新町。
梅川のいた辺りです。九軒あたりは桜の名所でしたが、ここは夕霧の吉田屋のあったところ。

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初春公演評 

先日、初春公演についての評を『上方芸能』に送りました。
ゴールデンウィークの頃、世に出るだろうと思います。
この1年、皆様のご感想を参考にさせていただいたこともあって、なんとか書ききりました。
本当にありがたい助け舟で、ブログをはじめてよかったと切実に思っています。

ところで、クイズです(笑)。私が

  もっとも字数を割いた演目

はなんだと思いますか?
初春公演をご覧になった方は、もしご自身書かれるとしたら何に一番字数を割かれますか?
『花競四季寿』『御所桜堀川夜討』『壺坂観音霊験記』『二人禿』『嫗山姥』『冥途の飛脚』・・・さて?

実は私は自分でも意外な結果になったのです。

私はきちんと見ていませんが、2月公演だったらいかがでしょう?
やはり『合邦』でしょうか?

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大阪に来られたら(7) 

昨日書き終えるつもりが、長くなってしまったので、続きを書きます。
どんどろ大師まで来ました。
清水谷から上町へ向かいます。
大相撲春場所の最中ということで、この近所には桐山部屋の宿所がありました。この時期大阪ミナミを歩くと力士の方によくすれちがいますし、寺町には部屋の幟がいくらでも見られます。
大槻能楽堂もすぐ近くですが、今回は素通りして、文楽関係ではありませんが、

    難波宮跡公園

へ。
だ~~れもいませんでした。ここは公園といいながらな~~~んにもない広場ですから仕方ないかもしれませんが。
大極殿跡から大阪城も大阪歴史博物館も見えています。

20070323222253.jpg

難波宮大極殿跡
 右奥に大阪城
 歴史博物館は左手(写っていません)

せっかくですから歴博に寄ります。
南側の広場には難波宮時代の建物が復元されています。
またこのあたりの地面にはいたるところに怪しげな

    ●印

が。

20070323222454.jpg

奥に見えるのが復元された建物
手前に●印がたくさんあります

すぐ隣のNHKのロビーにも規則的ではありますが同じような●印。
これはいったい・・・?

20070323222708.jpg

●印がいたるところに
柱にNHK大阪ホールの案内が見えます

実はこれらは難波宮時代の

    建物の柱

のあったところなのです。現代建築の中に古代の足跡が残されているわけです。

ここまで来ると大阪城は目の前。西の丸公園は桜の名所で、ここに開花予想に用いられる標準木があります。

天満橋からもうひと歩き。寝屋川を渡るとそこは網島・・・

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大阪に来られたら(6) 

ホワイトデーの記事を書いた日に、造幣局の桜の通り抜けを話題にしました。
そこで、今度は文楽劇場より北の谷町筋方面を歩いてみようと思います。

文楽劇場から東へゆるやかな坂道を登って行きます。

『夏祭浪花鑑』は高津神社の祭礼ですが、その神社は劇場のすぐそば。
その東向かいに本経寺がありますが、ここには

  初代豊竹若太夫の墓

20070323220103.jpg

若太夫墓(本経寺)

があります。師の義太夫の地味な西風に対して華麗な東風を確立した人です。豊竹姓の元祖ですね。墓地は寺の奥(東側)にあり、若太夫の墓は墓地の入り口からまっすぐ東側に20メートルくらい(?)歩いていけばあります。

本経寺より南100メートルほどのところに常国寺があり、入り口のすぐ左には初代鴈治郎、四代歌右衛門、そしてその隣に林家の墓があります。奥の墓地には『檸檬』の梶井基次郎の墓があります。

本経寺から東、地蔵坂を登って谷町筋を東へ渡ると『曽根崎心中』「生玉」で徳兵衛が「久本寺様、長久寺様」と言う、あの久本寺があります。
その少し北(谷町7丁目の交差点の南東)にENEOSのガソリンスタンドがありますが、その北隣に窮屈そうに置かれているのが

    近松門左衛門の墓

20070323220728.jpg

近松墓(法妙寺跡)

です。もとは法妙寺の墓地にあったそうです。
近松の墓は兵庫県尼崎市の広済寺のものが有名ですが、非常によく似た形の石で作られた墓です。
なお、大東市に移転した法妙寺にはこの墓とそっくりの供養墓が建てられ、そばには蜀山人の近松顕彰碑があります。

広済寺についてはこちらの記事も参照してください。

近松の少し先輩に

    井原西鶴

がいましたが、その墓もこの近くの誓願寺にあります。
少し東へ歩いて上町筋を南へ戻るとどういうわけかまたENEOSが(笑)。その南隣が誓願寺です。ついでといっては失礼ですがお参りしておきましょう。
西鶴の墓はここの墓地に入ると真正面。墓地の入口から見えています。大阪の学問所のひとつ、懐徳堂ゆかりの中川氏、並河氏らの墓も西鶴のすぐ隣にあります。

20070323220356.jpg

西鶴墓(誓願寺)
防犯カメラが作動中だったようです(笑)

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(注)地図のサイズが大きいので、画面に入りきっていないと思います。地図をクリックしてみてください。

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大阪に来られたら(5) 

さて、いよいよ当流浄瑠璃の祖、

    竹本義太夫

の古跡です。
義太夫は本名を五郎兵衛といったらしく、四天王寺近くの生まれで、農業に従事していたようです。
生誕の地など厳密に分かるはずもありませんが、今は谷町筋の堀越神社の南を生誕の地として石碑が建てられています。
gidayuuseitannnochi.jpg

義太夫生誕の地・石碑

彼は清水理兵衛に見出されるわけですが、その「清水(きよみず)」とは例の「(大阪の)清水寺」のことです。理兵衛はこの近くで料亭を営んでいたということです。

その後彼は京に行ったり、全国を旅したり、そしてついには道頓堀竹本座を本拠に活躍しますが、その墓はやはり四天王寺の南すぐの超願寺にあります。

以前は雨ざらしになっていたのですが、墓石の剥落がはなはだしく、今では屋根が付けられています。

gidayuunohaka.jpg


この墓の上部に紋が刻まれているのですが、拡大するとこんな感じです。
20070314190917.jpg


なんとか見えるでしょうか? これはどうやら竹六環に九枚笹の竹田の紋のようです。義太夫は本来鞠挟みに笹です。

義太夫の墓は東京の回向院などにもありますが、四天王寺にも供養塔があることはすでに書きました。四天王寺の西門の石の鳥居を抜けてすぐ右手にあります。

超願寺まで来られたら庚申堂(こうしんどう)に参っておくのもいいと思います。
1300年ほど前の疫病が大流行していた1月庚申の日、青面金剛童子がここに出現して、その疫病をしずめたといいます。義太夫もきっと参詣したんでしょうね。

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ふたたび銀山寺にて 

『大阪に来られたら』シリーズ、時々休憩が入ります。

昨日のお昼、大阪市中央区役所で

  清三郎さん玉佳ちゃん玉勢

のお三方で、文楽人形の解説と実演の催しがありました(敬称の付け方は私の身勝手な感覚によります)。
私は別の用で大阪市内にいたので、その時刻に急遽駆けつけました。
文楽劇場より北、堺筋本町近くに区役所はあります。

清三郎さんは少し前まで鑑賞教室などで解説を担当していただけに、時間配分にもきちんと気をつけてなかなかの司会者ぶりでした。
玉佳ちゃんはほんとうに見事な左遣いぶり。清三郎さんを見事にフォローしつつ、「見せる左遣い」としても大活躍。
源太と娘を使っての解説と実演でしたが、源太そっくりの玉勢君が(足を持つため)人形に隠れて顔を見せないのは女性ファンにとっては残念? 相変わらず立ち役の足の張りのある美しい形は彼ならでは。

kuyakusho.jpg

写真がボケているのは
わざとではありません。
私の失敗ですm(__)m

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大阪に来られたら(4) 

文楽劇場から四天王寺までは歩ける距離です。真夏は遠慮するとして、UVケアさえ万全なら心地よいばかりの距離です。

四天王寺から西へ行ってみます。
大阪星光学院のすぐ南には清水寺があります。
20070308181158.jpg
 清水寺

間違いないでしょ? え? 清水寺って京都じゃないのかって? そうなんですが、これは正真正銘大阪の清水寺です。この瀧も京都の「音羽の瀧」そっくりですが、こちらは「玉出の瀧」といいます。この寺には人形遣いの吉田玉造、玉助親子の墓もあります。
清水寺は伶人町。雅楽の総本山四天王寺ゆかりの名前です。
その南は逢坂1丁目。ここには安居神社があります。真田幸村が大阪夏の陣で戦死したところといわれています。
そして、一心寺を右に見ながら25号線(この坂道が「逢坂」)少し東へ歩くと・・やって来ました、

    合邦辻閻魔堂

です! 文楽ファンには、今さらもう、何をかいわんやの名所です。

20070308181707.jpg
 閻魔堂
20070308181726.jpg
 閻魔堂正面

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西宮散策 

昨日、兵庫県西宮市の「白鷹禄水苑」宮水ホールにおいて

    豊竹英大夫

    竹澤 団七

のお二人による素浄瑠璃

    「酒屋」

が上演されました。
「白鷹禄水苑」は清酒「白鷹」(私も大好きな酒です)が運営する文化施設。つまり、酒屋で「酒屋」が上演されたのです。
で、今日は「大阪に来られたら」の番外編として、この界隈を散歩してみようと思うのです。

兵庫県西宮市は、個人的には私の高校のあったところで、思い出がいろいろです。阪神大震災では甚大な被害をこうむり、酒蔵も大変だったのです。
今では復興がなり、白鹿、白鷹、日本盛など造り酒屋の工場が居並びます。
酒ミュージアムなどもあり、産業と文化がひとつになった風景が見られるのです。
灘の酒に欠かせないのは

    宮水

各酒蔵には宮水を取水する井戸があります。その元祖がここだといわれます。

miyamizu1.jpg

宮水発祥の地

さて、西宮の神社といえば広田神社がもっとも由緒も格式もある神社ですが、この神社はかなり山の方にあるのです。
西宮の街道は海沿いですし、漁師さんなどなどが参拝できる神社が当然身近に欲しいですね。そんな願いが実を結んだのか、西宮神社が広田神社ゆかりの社として創建されたようです。
ごぞんじ

     釣 女

の「戎三郎殿」です! けっして「きびす三郎殿」ではありません。全国えべっさんの総本社です。
阪神大震災直後にも行きましたが、本当に無残な姿でした。
それが見事に復活し、境内は実に美しいたたずまいです。
本殿の西となりに小さな

    百太夫神社

があります。

hyakutayuu1.jpg
 百太夫神社

後述する「戎まわし」の人たちが尊崇した百太夫神社。文楽との直接のつながりはともかく、はるか遠い淵源ではあるでしょう。

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大阪に来られたら(3) 

谷町筋を南へ歩くと、新古今集歌人藤原家隆の墓と伝えるもの、勝鬘院(愛染さん)、大江神社などがあり、さらに大阪星光学院は浮瀬(うかむせ・うかぶせ)跡です。
浮瀬は総二階の立派な料理屋で「心中天の網島」の改作「心中紙屋治兵衛」はこの場所から始まります。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」から取られた名と言われ、蕪村もここを訪ねたそうです。

また松屋町筋に下りると(このあたりは上町台地ですので坂を下らないと松屋町筋には行けません)下寺町2丁目に円成院(遊行寺)があり、ここには

    植村文楽軒の墓

のほか、多くの芝居関係者の墓があります。
入口から左側に背が高い文楽翁の碑がありますが、これは三代目文楽の碑です。初代文楽の墓は裏手の墓地にあり(この墓地にはさまざまな文楽関係者の墓があります)、「正井氏」と彫られているのが目印です。

20070317224508.jpg
 初代文楽の墓

ついでですが、ここには志太野坡が建立した芭蕉の墓もあります。
もちろん芭蕉の墓は義仲寺のものが本墓ですが。

さて、谷町筋に戻って東を見るともう

    四天王寺

です。
DSC01306.jpg

四天王寺五重塔

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大阪に来られたら(2) 

四月公演に

    心中宵庚申

が出ます。主人公のお千代・半兵衛の墓は

    銀山寺(天王寺区生玉寺町6)

にあります。
劇場を出て東に行ってすぐの下寺町の交差点を南東側に渡り、坂を上ると生國魂(生玉)神社。『曽根崎心中』『染模様妹背門松』などでおなじみ。
周囲は派手なホテル街ですが…。
そこから少し南へ行くと銀山寺。その墓地の中央奥(南側)に屋根に覆われた数基の墓があります。学者たちの墓に交じって、中央に置かれているのがお千代・半兵衛とお腹にいた子供の墓です。
昔は別の場所だったような気もしますし、屋根はついていませんでしたが。
戒名はそれぞれ「声応貞現信女」「通月融心信士」「離身童子」となっています。

20070308171912.jpg
 お千代半兵衛の墓(銀山寺)

銀山寺は昨年なくなった玉男師匠の墓所でもあります。

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大阪に来られたら(1) 

四月公演においでになる方が少なくないようです。
お近くの方は気軽に行けるわけですが、中国、関東方面からお越しになる方もどうやらかなりの数にのぼりそうです。
そういう方々はついでにあそこへ行ってみよう、という計画を立てていらっしゃると思います。
今さら私などが何も申しあげることはないのですが、もしかしたら何か役に立つかもしれませんので、

  少し足を延ばせば行ける文楽ゆかりの地

を書いてみます。
文楽劇場から四天王寺の方まで歩いて見ます。
今日はその1

  文楽劇場・目と鼻の先コース!

です。

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ホワイトデー 

昨日はいわゆるホワイトデー。
ココさんのブログによると、片岡仁左衛門のお誕生日でもあったそうです。63歳。信じられない。

それにしても、日本のお菓子業界の宣伝広報の皆さんは素晴らしい能力があります。
バレンタインデイのお返しは

    クッキーが一番

売れるのだそうで、ブログ仲間のベートーベン娘さんは某デパートのお菓子売り場で大忙しだそうです。

なんでも、列をなすほど男性客が押し寄せるのだとか。特に

    一昨日の夕方

はすごかったという噂です。

私のようにすでに賞味期限の過ぎた人間(笑)には不二家のチョコレートが今年はぴったりだったのかもしれませんが(こういう言い方はいやみですね。不二家、実は大好きですよ!頑張れ~!)、実は今年も何人かの方々から不二家以外の(こだわらなくてもいいですが)チョコレートをいただいたのです。
ところが、お返しするにも遠いところの方ばかり。

そこで、一計を案じました。

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帰ってきた娘 

鬘の結いなおしのために

    鬘司庵(まんじあん)

にお預けしていた娘首の人形が帰ってきました。
昨日、私の大学の副手さんが取りに行ってくれたのです。
研究日だった私も思い立って現地で合流、副手さんが名越さんと話している間も、またまた展示されている鬘に見入っていました。
副手さん、ご苦労様でした。
ちなみに、この副手さん、ただものではありません。
実は…。

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小道具 付90,000 

私の大学で文楽人形の使い方を学ぶ実習があるのは何度も書いてきました。
ところがこれまで悩みの種だったのは基本的な小道具がないこと。
やむを得ず自分達で作ったり、人間用のものを大きさにアンバランスがあっても我慢して使ったり、というようにやりくりしてきました。

それはそれで面白い面もあり、現代当たり前に使われているものの場合は既製品を見つけることも何とかなります。が、昔のものは骨董品屋や舞踊用品屋で探す以外に方法のないものもありますし、それらはやはり人間サイズです。

しかし、いい学校です、

  小道具が必要ならお金出しますよ

と言ってもらったのです。
早速ある方にお願いして作ってもらうことにしました。
それが昨日届いたのです。
まあ、見てください。

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ハムレット 

昨日、同僚に誘われて

  兵庫県立芸術文化センター (西宮市)

で上演された

    ハムレット

を見に行きました。
兵庫県立ピッコロ劇団の公演で、私より少しお姉さんの

    剣 幸 (ウタコさん。元宝塚歌劇団)

らの客演がありました。
ピッコロの公演は久しぶりです。もっと行きたいのですが、やはり耳の状態がそれを許してくれません。
今回行く気になったのは、

  ◎芸術文化センターのバリアフリー状況を見たい
  ◎ハムレットなら筋が分かるという安心感がある
  ◎今回の演出は視覚的にかなり大きな特徴がある(らしい)

といった理由です。
やはり古典の力ですね。とにかく「見てやろう」という気持ちで行きました。

ストーリーを頭に叩き込むために(やはりかなり忘れています)、この数週間のあいだ、何度か繰り返し読んでみました。

それにしても、想像できますか? ほとんどセリフが分からずにハムレットの劇が進行するのを固唾を呑んで見守る、という状況。

で、結局どうだったのか?

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ノートを書く日々~それやこれやで 

批評そのものについては言い訳するのはやめにして、まあ、そんなこんなでここまでやってきたわけです。

すでにこのブログで書いたこともあえて重複を厭わずお話しました。
単に同じ話を繰り返す悪癖があるだけかもしれませんが(笑)。

一番つらかったのは言うまでもなく聴力が加速度を強めて衰えていくこと。
今目の前で演じられていることが分からなくなっていく恐怖です。
実際は何とか分かっていても、分からなくなっていく、ということを感じた時にゾゾッとします。ついマイナスに考えてしまうのです。
締切のつらさも、これはどんな原稿でも同じですが、怖いですね。誰も手伝ってくれるわけではなく、とにかく書かないと前に進まない。これはどんな仕事でも同じだと思いますが。

でも、嬉しいことが結構あるのです。

劇場に行くと

    声をかけてくださる

方があります。これは本当に嬉しいです。
でも、文章は確かにご覧になった事はあるのかもしれませんが、どうして私だと分かるのか、それについてはナゾです。
何かの折に書いたものについて意見をいただくこともあります。これも大いに参考になるので大歓迎です。お世辞でほめてくださる方もありますが、ご意見の中にはどこかに必ず参考になる言葉が潜んでいますので、それを見逃すわけには行かないのです。

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ノートを書く日々~失敗だらけで 付88,888 

批評など私の任ではない、と最初思ったとおりでした。
やはり所詮は素人の感想に過ぎず、引き受けたことを後悔するだけで回数ばかりが増えていきました。

せめて正確に調べられることは調べて、と思うのですが、間違いも犯します。一番印象に残っているのは『冥途の飛脚』の

  八右衛門の首を「端敵」と書いてしまった

こと。
すぐに文雀師匠から

  「あれは陀羅助です」

というご指摘を頂き、もうびっくりしました。自分でもいまだになぜあんなことを書いてしまったのか分かりません。
師匠はわざわざ私の家に電話をしてくださり「自信がなかったら電話していらっしゃい」とまでおっしゃってくださいました。
師匠、本当にありがとうございました。
そのあと、お詫びとお礼を申し上げに劇場までうかがいましたが、早速「陀羅助にもいろいろあるので、お見せします」とおっしゃって、床山部屋でじっくり解説してくださいました。
貴重な時間を割いていただき、恐縮いたしました。
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ノートを書く日々~文楽評を体験して 

そんな事情でスタートした「文楽評」でしたが、気負いばかりが先に立って、どうにも中味の伴わないものしか書けません。

  各公演最低3回は見る、聴く

これを自分に課しました。当初はよく聴こえていましたから、席もあちこちに取って、今日は人形重点、今日は床をしっかり、などと工夫しました。前回気になったところをチェックしておいて次の回に忘れないようにノートを取ります。

チケット代で原稿料など吹っ飛んで

    赤字の連続(笑)

そんなことはどちらでもいいのですが、ノートを取ることと制限字数に収めてそれなりの形を取る事のギャップに悩みました。
新聞に寄稿するとき、例えば「15字×60行で」と言われます。1行たりとも狂わないように(多少は編集で何とかなるでしょうが)するわけで、それに比べるとまだしも楽ではありますが。
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ノートを書く日々~文楽評を始める 

宮辻さんは三味線の音も繊細に聞き分け、演技も演出も立派に見分ける批評家です(毎日新聞の重鎮です)。
仁左衛門襲名に際して

    「花の人」 (毎日新聞社・刊)

を書かれるなど、徐々に歌舞伎に重点を置かれるようになり、今はもっぱらそちらで活躍されていますが、文楽に関してもさすがにすばらしい文章で、いい批評をされました。

ところがあるとき同誌の文楽評を辞められると知りました。残念であると同時にぜひ次の方に引き継いで欲しい、穴を開けないで欲しいと思いました。

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娘の髪 

千里金蘭大学所蔵の娘首の文楽人形(プロフィル欄の写真)は地元ではなかなか人気があって大活躍しています。
高齢者のみなさん、小学生のみなさん、障害者のみなさんなどにずいぶん見ていただきました。
そのために学生はかなり稽古もしますので、どうしても人形が傷んできます。
衣裳に多少汚れがあり、手に塗ってある胡粉も少々褪せてきました。
特に目立つのが

      

櫛を入れてやりたいくらいなのですが、間違ってとんでもないことをしてしまってはたいへん。
こういうときはプロにお任せするに越した事はありません。
そして昨日、娘首がドック入りしました。

20070308171244.jpg
乱れた髪

場所は大阪天王寺の

    鬘司庵

です。

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ノートを書く日々~文楽評への道程 

学生時代から文楽は好きでした。
しかし、あくまで私の本職は平安時代の文学と歴史の研究。
ですから、文楽を批評的に見ようなどとは思ってもいなかったのです。

ところが、気持ちの変化が起こりました。それは

  国立文楽劇場

ができたことがきっかけでした。

昭和59年4月。
朝日座時代は簡単だったチケット取りが、文楽劇場の杮落とし公演に関してはちょっとしたプラチナでした。
今の東京公演ほどではないにせよ、なかなかいい席は取りにくかったのです。
それでもがんばって劇場まで取りに行ったのは、当時付き合っていた(笑)6歳年下の女性と行くことになっていたからです。
まだ20代の私は、やはり少しでもいい席を、と思って張り切っていました。

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床本を写した日々 

20年ほど前、アパート暮らしをしていました。
2Kでしたから、一人で暮らすにはじゅうぶんな広さですが、暗くて昼でも灯りが必要。
そんなところで義太夫を聴きながら

    床本を写していた

思い出があります。
白水社から四世津大夫の書いた床本の複製が出ていたのです。立派な字でした。

    「すしや」「熊谷陣屋」

で、ご承知のようにそれぞれかなりの長さです。
立派な和紙に書くのはもったいないので、とにかく書道の稽古用の半紙に写しました。
当然ひとまわり小さめです。

こういう時に役立ったのが、古典文学を専攻していて曲がりなりにもいわゆる

    「変体仮名」が読めた

こと。
しかも私は変体仮名習得法として、それ以前から臨書することをしょっちゅうやってましたので、書くことにも抵抗はありませんでした。

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東京土産 

職場に圧倒的に女性が多いのは女子大なら当然です。
学生は全員、事務職員も半分以上、教員も最近女性が多くなっているように思います。
私の所属する学科には21人中7人の女性教員がおり、学科付きの職員さんも入れると22人中8人が女性です。
というよりも、学生を入れると学科内に男性は14人しかいないということになります。

で、女性が多いと、なんとなく

  お土産を買って帰ろうかな

という気になる(なぜ?)のですが、実際はあまり買ったことがないのです。その理由は、何を買えばよいのかわからないから。

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東京日記(26日) 

今回の仕事の予定は前夜で終了。
この日だけは自由気まま。帰ればいいだけです。
で、まず荷物を預けて田町まで。
実はこの駅のすぐそばにある大学には通う可能性があったのです。
まぐれで合格させてもらったのに、「私立に行かせる金はない」という親の方針に従う形で(笑)ご縁がありませんでした。
もちろん立派な大学ですが、もしこの大学に通っていたら文楽にはまらずに終わって、今頃東京の高校教員などしていたかもしれません。
考えたら不思議ですよね。

桜田通りに出て、高輪方面へ。途中いわゆる「月の岬」にある

    荻生徂徠の墓

に詣でるためでした。『曽根崎心中』の道行を高く評価した人であり、また、学生時代に授業で『政談』などを読まされたこともあって、一度お参りしたかったのです。

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東京日記(25日) 

そして25日は朝から国立劇場。
三番叟のあと、ロビーに出ると声をかけてくださったのがcocoさん。
でも、cocoさん、どうして私のことがわかったのかな?いまだに不思議です。
そしてひさしぶりの

    奥州安達原

まずは「朱雀堤」。
若手太夫の必死の語りに好感。妙に(?)スマートな玉佳ちゃんの人形がいい味出してます。玉佳ちゃんはもっと人形がからだにくっついていたのに、うまく離れるようになったのではないでしょうか? いかにも人形遣いらしい風格が出てきたように思います。

休憩時間に、外に出ると、そこにはうるわしき女性トリオが。
mainaさん、おりんさんDancing Dollさん
mainaさんとおりんさんにごあいさつさせていただくのは2度目です。
豊かな知性を隠すほどパ~ッと明るくて細やかな神経の持ち主 mainaさん。
感性キラリ、multilingualで、文楽国際広報部長としてお馴染みになりつつあるおりんさん。
そして、短時間しかお話できなかったのですが頼もしいお姉さま風(達筆です!)のDancing Dollさん
と思ったら小豆さん登場。まだお若い方ではありますが、とても熱心で、床本にはまっていらっしゃるとか。「文楽、好き」という熱線がオーラのように発せられていました。
そこに来られたのがcocoさん。妙齢の女性にこういう言い方は失礼かもしれませんがなんとも愛くるしいばかりで誠実な雰囲気のあふれるような方でした。
あとはもう皆さんで話の花がちらほら・・そしてやがて満開へ。
いやぁ、よかった、よかった。

後半は「敷妙使者」「矢の根」「袖萩祭文」そして段切りと続きます。
さすがに浄瑠璃の面白い場面ですね。
人形では勘十郎・玉女が、かつての玉男・勘十郎と二重写しになる感慨。

国立小劇場でもずいぶん文楽を見てきました。25年くらいかな・・・。いささかの感慨。

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