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手 

もともと4つ足だったのに、ひょいと立ち上がったために前足が手になった。
足よりもおそらく細やかに動く手。犬は後ろ足で身体を掻きますが、人間は手で掻きます。
足と足で心を通わす習慣はなくて、手と手だと強く体温を感じ、愛情や憎しみを感じます。

小津安二郎は足の表情もずいぶん撮りましたし、渥美清の寅さんも足の動きも雄弁でした。
でも、、でもやはり

    

は表情豊かです。
このことばを辞書で調べると驚くほど用途が広いことがわかります。
Hand の意味はもちろんですが、「演奏法」「筆法」など手は芸術を生む手段になることを感じさせます。
スポーツでも「四十八手」(相撲)のように、技をかけるのに手は重要です。
「仕事」の意味になるのも以下に我々が手を使って仕事をしているかの現われでしょうね。
「山の手」のように方向を示したり、「語り手」のように人そのものを指したり、さまざまですね。
「火の手が上がる」なんて、火を手に見立てたいいメタファーです。

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雑音 

昭和天皇が

    雑草という名の草はない

と言ったとか言わないとか伝えられています。
「雑」というのはなんとなく軽んじたような言い方に聞こえますね。

    雑 音

もそうでしょう。

    余計な音、なくてもいい音、なくもがなの音

そんなニュアンスでしょうか。辞書には「不規則で不愉快に感じられる音」「うわさや無責任な意見」などと記されています(大辞泉)。

いつぞやこのブログで話題になった

    掛け声

というのも、雑音のように捉えられるかもしれません。
不愉快かどうかは時と場合によりますが、不規則(いつ声がかかるかわからない、という意味で)であることには違いありません。
私は、これをあえて「雑音」とみなしつつ、しかもかけがえのない重要な音だと申し上げてみます。

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人形劇余滴 

17日におこなった文楽人形劇について、その後ちょっとおもしろいことがありました。
この公演は3人の教員が担当したのですが

  A氏  映画、現代演劇、日本近代文学
  B氏  言語学、古代ヨーロッパ演劇(ローマ、ギリシャ)
  私   日本古代文学、日本伝統芸能

がそれぞれ専門なのです。
私を除く2人はそれぞれかなりの論客で私はその点では太刀打ちできません。私はいわゆる

    理論家

ではないのです。
で、今回は時間がなかったこともあって、お二人には全く相談しないまま私が独断で台本を書かせてもらいました。
その中で、私は笑いのポイントの一つとして、一緒に出演したOG大学、OK大学の学生をイジル内容を入れておきました。大変失礼なのですが、OK大学の学生さんをちょっとからかっててしまうのです。
簡単に言いますと、

  お染の母親から電話がかかってくる
  母「今、関西消費者協会の催しに来ている」
  母「催しはとても面白い」
  母「OG大学の男子学生がかっこいい」
  染「でOK大学は?」
  母親が何か答え、それをお染が復唱します
  染「え? イマイチ?」

「おもしろい」「かっこいい」と来て、最後に「イマイチ」で落とすパターンにしたつもりだったわけです(OK大学の学生さんの名誉のために申しますと、実際はとてもオトコマエ揃いでした)。
ところが、A氏とB氏は「これはよくない」と考えられ、録音の時にはずされました。
私はそれが分かりませんので、あとからその話を聞き、お二人に意図を尋ねたわけです。
いやな言い方をすると喧嘩を吹っかけたわけですね(笑)。

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同窓会での文楽人形 付 250,000 

25日の日曜日、大阪市内にある系列中学・高校のピカピカの舞台で、またぞろ学生による

    文楽人形

の紹介パフォーマンスを実施してまいりました(この手の記事、もう飽きられていると思いますが・・笑)。
この中学・高校は最近建て替えがあり、本当にきれいになりました。
ここに大学のサテライトがあるのです(まだあまり使っていない?)が、その舞台でのパフォーマンスです。

大学(吹田市。短期大学部を含む)と金蘭会高校・中学校(大阪市)が学校法人「金蘭会学園」を構成しているのですが、その同窓会は

    芳友会

と言い、長い伝統を持っています。その総会が同日行われました。
ここの会長さんは以前私の講演に来てくださったことがあり、その時に少しお話しをしましたので、今回呼んでくださったようなのです。
前週

    パペットパーティ

旗揚げ公演をしましたので、今回もあえてその名前で(メンバーは違いますが)ご覧いただきました。
私自身舞台に上がっておりましたので写真を撮ることができず、ご紹介はできないのですけれども。

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伊達大夫師匠が残したもの 

竹本伊達大夫は個性豊かな人でした。
この人が出てくるとなんだかそれだけで何かが期待できるような感じがしました。
積み上げられた経験とたゆみない訓練の成果として、

    緻密な技巧

が張りめぐらされていることは間違いありません。
しかし、それを感じさせない自然体というか、普通に語りだすと義太夫節になっているとでもいうような雰囲気がなかったでしょうか?
伊達師匠というと団七、又平、大舅などの首をイメージされる方も多いと思うのですが、私が特筆したいのは娘が可愛かったことです。お染もお三輪も・・。
大舅は怖いし、又平は軽妙だし、文七は太いし・・・ほんとうに

    人形の首によく映る語り

をされる人だったと思います。

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伊達大夫さん 

すでに公表されている通り、

  五世 竹本伊達大夫

さんが東京公演千秋楽の昨日の朝亡くなりました。
そういえば、玉男師匠も東京の千秋楽の朝でしたね。
今年80歳というお年ではありますが、元気いっぱいのあのお姿を思い出すと、まさか、という思いが拭えません。
哀しいとか何とか言うよりも、復帰して欲しいと願わずにはいられなかった方だけに茫然としてしまいます。

私が文楽に通い出した頃は「伊達路大夫」のお名前でした。
スマートな方が多い中で、なんだかもっさりした太夫さんだな、という印象がありました。
土佐大夫という、「十種香」などを語られる、それはそれは美声の太夫さんのお弟子さんなのに、こちらはダミ声で泥臭い。でもそれが逆に魅力となり、生き生きとした人物描写をされる、一種独特の存在感のある太夫さんでした。
昭和62年に津大夫さんが亡くなり、ああいう味のある太夫さんはもういなくなるのかと思っていたのですが、「伊達路さんが(津大夫さんとはまた少し違いますが)いるじゃないか」と期待を抱いたことを覚えています。

若大夫、津大夫、伊達大夫(若くしてなくなった相生さんも)というのは何か独特の雰囲気のある太夫さんで、これぞ義太夫節という魅力がありました。

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東京5月千秋楽 

東京公演はあっというまですね。
早くも今日が千秋楽です。
花粉も納まり、好天が多く、気温も高からず低からず。一年で一番いい時期の公演かも知れません。
もっとも今年はちょっと気温の上下がありましたけどね。
話題が先行したのが

    狐と笛吹き

でした。
でも結局は古典の力の前に押されたような雰囲気も感じ取れます。
思うことはいろいろありますが、義太夫節のエクスタシーとでもいいましょうか、なんとなくそういうものが欠けているのではないかと、噂から感じ取っていたのです。
義太夫は聴くものであると同時に語るものでもあります。
うまい、へたは別にして、素人でも

    語って気持ちのいいもの

あるいは自己満足できるもの。そういう面があるのではないかと思うのです。
本も曲もそのようにできているのではないか。
太夫さんが語っている時の脳波でも調べてみたい気がします。

で、「狐と笛吹き」の場合、そういうエクスタシーはあったのかどうか。皆さんにうかがってみたいような気がしています。

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勉強の楽しみ 

来週から公開講座が始まります。
公開講座には、たとえば夏休みなどに数日連続して実施する短期講座もありますし、長期のものでも毎回講師が変わって全体として何らかのテーマを設定する形もあります。
しかし私どもの大学では学生への授業とほぼ同じように毎週決まった時間に特定の教員が連続講座を持ちます。
以前にも書きましたが、私は今年

    伊勢物語

を読む講座を開講します。13名の方が申し込んでくださったそうです。多いとはいえませず、もうかりませんが(笑)、担当者として嬉しい人数です。

今回はすべて女性ですが、男性ももちろん歓迎なのです。
ただ、困るのは紳士のみなさまにまぎれて不審者が入ってくることです。女子大ですから、そういう点はやはり気になるところです。
そこで、まことに申し訳ないのですが、守衛がチェックさせていただいているようです。

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嬉しい学生 

私、時々学生のことをぼやきますよね(笑)。
私語をして憚らない学生。
話を聞かない学生。
自主的に行動しない学生
自分の事を棚に上げて、ついついぼやいてしまっているはずです。

ところが最近、

    とても嬉しい学生

に出会いました。
というか彼女の書いた文章(提出させた作文)に喜びを感じたのです。

    看護学科の学生

だったのですが、こんなことを言っていました。

私は看護師になりたい。
資格を取るだけなら看護専門学校に行っても良かった。
でも私はこの大学を選んだ。
それは、専門の勉強をすると同時に幅広く教養を身につけたいと思ったからだ。
大学で学ぶことによって、さまざまな分野の先生に出会える。
だから私はこの大学にやってきた。
専門の知識だけでなく、厚みのある人間に成長できるように4年間しっかり学びたい。

ざっとこんなことでした。

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行けない・・・ 

5月公演、残念ながら行けそうになくなってきました。
今週に入って持病が悪化して、食欲が落ち、歩くのが困難です。
とても東京に行くなどというのは難しく、断念せざるを得ないようです。
残念無念、誠に悔しい思いです。
悲観するなといわれることは承知していますが、「文楽はお前を必要としていない」といわれているようで、もし私が神様を信じていたら、今頃

  神様のバカヤロー

と海に向かって(笑)怒鳴っているかも知れません。
実は何人かの方からメールをいただいて、いつ来るのか、来たら何か食べに行こう、などとお誘いまでいただいていたのです。皆様本当にお心遣い嬉しく有難く存じます。
我ながら情けなく、忸怩たる思いでいっぱいでございます。

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上方芸能168号 

おなじみの

    上方芸能

が発行されました。
今号の特集は

  上方芸能12ジャンルー40年目の地平

です。
12ジャンルは、能・狂言・歌舞伎・文楽・邦楽・舞踊・落語・漫才・浪曲・講談・現代演劇・音楽劇
となっています。
文楽は後藤静夫さんの

    上演作品の増加を望む

です。かつて劇場にいらした方だけにさまざまな問題を知り尽くされています。技芸員への苦言も呈しつつ、国立劇場での上演演目の偏りの解消や復曲などによるレパートリーの増加を提言されています。

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頑固親父 

先日、ある授業(受講者145人)でちょっとした提出をさせましたら、学生がこういうことを書き込んでいました。

    この間の授業は私語が多かった

私は全然気がついていませんでした・・。
私に特別な事情があるので、「私語をしないこと」だけは協力して欲しい、と(期待はさほどしていませんでしたが)最初の時間に言ったのですが、やはり早くもおしゃべりが始まっているようです。
中にはきわめてマジメに私の話を聞いているものもいるようで、提出物には見事なものが少なくありませんでした。それだけに余計に放置することはできません。

私はそもそもあまり

    うるさい教員

ではないのです。しかし、こういう状況になると

    頑固親父

にならざるを得ません。


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忘れる 

一昨日の文楽人形劇の写真はすでにアップしてあります。
ピンボケですが、是非ご覧下さい(→こちら)。

ピンボケで思い出したのですが、私はボケているのです。
ほんとうにどうしようもないです。
物忘れをするのです。

先日、文楽にかかわる大事なノートとDVD、床本、チラシ(古いもの)、写真などを入れておいた

    紙の手提げ袋

が行方不明になりました。

家にあったことは間違いなく覚えており、その後どこへ持っていったものやら分からなくなったのです。
これがないと仕事がうまく進まないことがあり、狼狽しました。
はたと気がついたのは

    駅か電車の網棚

に置き忘れたこと。
以前もかばんを忘れたことがあるので早速問い合わせてみました。すると、3日間保管したあとは警察に行きます、といわれました。でも親切ですね、警察に手配しますからもう一度来て下さい、といわれました。

     「で、何が入ってるんですか?」

詳しく言ってくれ、といわれたので、

  「床本です」
  「?」
  「文楽の資料」
  「?」
  「○○大夫さんに関するノート」
  「?」

というわけであまり話は通じませんでした(笑)。

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パペパ公演終了 

私の所属する千里金蘭大学の学生による

    パペットパーティ

の旗揚げ公演(?)が何とか終わりました。
いやもう、冷や汗タラタラの30分でした。
前半の20分足らずが人形の解説。
ここでは学生の進行で

    ツメ人形

を使っての文楽人形の基本的なお話を聞いていただきました。
吉田幸助さんや吉田一輔さんのような、爆笑の中での解説と言うわけにはいかないのですが、来場の皆様にはそれなりに楽しんでいただけたのではないかと思います。
文楽をほとんど知らない人を対象にした解説でしたので、ご存じの方にはきわめて退屈な(?)ひとときだったでしょう(笑)。
もっとも、

    可愛い女子大生

のしぐさを見ているだけでじゅうぶん楽しめるとは思うのですが。

解説
 ↑主遣いの解説中。顔がはっきりわからないようにしています。以下同じ

体験コーナーで「やってみたい人!」という声に5人ばかりの手が挙がりました。司会の学生が指名したのは男子学生2人。彼らも女子大生に手取り足取り(足は取らないか・・・)教わりながらのチャレンジで嬉しそうでした。

そしていよいよ10分あまりの芝居、

    お染の 悪質商法さらばでござる

の上演です。

会場風景
 ↑客席がちょっと寂しい中で始まりました

大変お粗末なものではありましたが、学生のレベルはこれくらいのものです。それでも、稽古を始めた時に比べると格段の進歩をしておりますので、お客様には退屈でも私にはとても嬉しい時間でした。

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行ってきます 

日が昇ると、大阪へ行きます。
荷物は車に積み込みました。事故を起こさないように慎重に天満橋のOMMビルまで行きます。
今日はいよいよ

    パペパ (千里金蘭大学パペットパーティ) 公演

です。
結局芝居の部分は10分強。それでも、演劇の心得のある学生はほとんどいないわけで、ここまで持ってくるのはなかなか大変でした。
演出は同僚に任せて、私はもっぱら小道具作りに専念しておりましたが、チラチラと横目で見ては気になることを口出ししたりもしました。

    船頭多くして・・・

と言いますし、私の場合、会話が成り立たないのでうまく意思が通じず、口出しは避けたほうが学生の混乱はなかっただろうな、といささか反省もしております。
台本は好き勝手を書かせてもらいましたが、録音の時にいくらか変更があったそうです(私には分かりませんが)。
追究するのは「笑い」なのです。
人形の芝居で

    どうすれば笑いが生まれるか

をずっと考えてきました。
いくつかポイントをもうけてあるのですが、その部分でニコリとでもしてもらえるかどうか、それが気になるところです。

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葵祭 

祭といえばどうしても神輿と夜店を思い浮かべるのです。
近所の氏神の夏祭など、子どものころはけっこう楽しみでした。
文楽で祭といえば

    夏祭浪花鑑

ですが、ここでも祭という非日常の狂騒が殺人と絡み合っているように描かれます。
しかし、京都の祭はなかなか優美です。
昨日は

    葵祭

が行われました。
源氏物語の葵巻では、斎院御禊の日に起こった車争いが悲劇を産むのですが、その斎院御禊はこの葵祭のためのものです。
この祭は、昔は卯月(旧暦四月)の「中の酉の日(二番目の酉の日)」に行われていましたが、今では5月15日と決まっています。
学生時代には

    何でも見てやろう

という精神にあふれていましたし、馬術部の友人が行列に出ていました(笑)から、しばしば見物に行きました。しかし最近は仕事の関係もあってなかなか行けるものではありません。
やっぱり生活に追われてるのかなぁ。
非日常をもう少し体験しないとカビが生えそうです。

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パペパ公演 

関西消費者協会から、文楽人形劇の出演にあたってチーム名をつけてくれといわれたものですから、私の独断で

    パペットパーティ

と命名したのです。
すると同僚が

    略して「パペパ」だね

とこれまたうまく略称をつけてくれました。
なんとなく笑福亭鶴瓶さんと上岡龍太郎さんを思い出してしまうのですが、人形劇団「パペパ」としてははじめての舞台がいよいよ迫ってきました。
目下稽古に明け暮れて(というのは大げさ)、本番を目指しております。

残念ながら人手不足で人形が2体使えず、やむなく人間と人形が芝居をするという形になります。

しかし、そもそもこの人形を使って大学を盛り上げようという話になったとき、先の「パペパ」の命名者と

    ギリシア悲劇

をこの人形と人間とで上演しよう!という話で盛り上がったこともあるのです(この人はギリシア悲劇の研究家でもあります)。

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ごぶさた 

実はこのところ、自分のブログの面倒を見るばかりで、リンクさせていただいていながらなかなか毎日すべての皆さんのところにいけないで、おのずから

    コメントも書き込めない

日が続いていています。
ご無沙汰してまことに申し訳なく存じております。

サボっているつもりではないのですが、本当に時間がなくて、とにかく朝職場に行って仕事をしているとあっという間に外が真っ暗になっています(ちょっとおおげさですが)。
普通の人なら電話で済ませられることを、ことごとく「実際に話しに行ったり」「手紙を書いたり」「メールを入れたり」する必要があるのも時間が取られる原因になっているかもしれません。
聴覚の障害は個人的なものというよりはコミュニケーションの障害という面が大きいので、社会生活をするのに大変厄介なものだと痛感しています。
普通の人よりたくさんの

    時間どろぼう

がやってきているように思えてなりません(誰もがそう思うのでしょうけど)。

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チャンバラ 

「チャンバラ」という字面からはもう「トリオ」と続くほかはない、とさえ思える昨今です。
子どもがチャンバラをしているのにまず出会わないからでしょう。

昨年、おもちゃの(フニャフニャのやわらかい)刀をもって文楽人形とともに児童センターを訪問した時、置いてあったその刀をさわりたがる子どもに、おかあさんが

    あぶない!!

といって静止しているのを見ました。
確かに、長くて、振り回すと危なくないわけではありませんが、ウ~ンでもなぁ。


今稽古中なのが関西消費者協会の催しのための文楽人形劇

    お染の 悪質商法さらばでござる

なのですが、最後に実はちょっとだけチャンバラをするのです。
ところが女子学生ですから、どうすればいいのかさっぱりわからず、構え方もうまくできません。
正眼から上段に構えて打ち込んで、八相でキメのポーズなのですが、これがなかなか・・。

私と同年の教員がこらえかねて刀を持って、私にも持てといって二人で向き合います。何の相談もなしに打ち込むと、なんとかチャンバラになります。

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行けるのか!? 

東京公演も4日目になります。
何しろ大阪に比べて公演期間が短いのでのんきに構えているとすぐに終わってしまいそうです。
私自身なかなか時間がなくて、行けるのかどうか心配になってきました。
チケットも心配ですし。

土日も何かとだめで、結局いつ行けるのか、なんて考える余地はないのです。

    21日(水)

に行くしかありません。朝、1時間目の授業を終えて新大阪に飛んで行き、12時頃の新幹線には乗って、3時前に着けば4時開演に間に合うでしょう。
学生に質問攻めでもされない限りはね(ありえない~~笑)。

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母の日 

5月第2日曜は申すまでもなく

    母の日

です。
子どもの日からさほど日数を経ないうちにやってくる記念日です。
また

    女殺油地獄

を思い出してしまうのですが、近松の時代に母の日があったら、あの作品はどのように描かれていたのだろうと意味もないことを考えたりしています。
文楽には母の情愛というのが欠かせないテーマです。

    政岡、千代、小まん、定高、長五郎母、お谷、お種、渚の方・・・

そして上演中の「鎌倉三代記」では

    三浦母

気丈な人が多いですね。
若い頃あんなにふにゃふにゃしていたのに、母親になって強くなる、というのはよく聞く話です。
女は弱し、されど・・・ということでしょうか。

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笛吹き 

この公演では

    狐と笛吹き

が上演されていますが、その作者は申すまでもなく

    北条秀司 (1902~96)

さんです。
大阪生まれの北条さんは「王将」「太夫(こったい)さん」「建礼門院」などの作者として知られますが、庶民の目を大事にして抒情的な雰囲気を湛えた名作を多くものしていらっしゃいます。今回の「狐と笛吹き」もまさにそういう作品です。
早いもので、亡くなって12年になるのですね。
この作品は歌舞伎などで上演されたものを、文楽に取り入れて昭和32年に上演されたそうです。
つまり、文楽としては

    50年ぶり

ずいぶん長らく放置されてきました。

笛の名人「春方」と「ともね(実は狐)」の異種婚姻をめぐる悲話です。
やはり音曲としての楽しみが大きそうに思えます(個人的には残念・・)。
笛というのは息によって音を出すものだけに、文字通り「息遣い」が感じられ、個性豊かな演奏がおこなわれてきました。博雅三位(源博雅)のような名人の伝説も残っています。
今のフルートのように金属ではなく木をそのまま使うため、名器も多く伝えられています。
有名なのは

    葉二(はふたつ)      
    大水龍
    蛇逃
    小枝(さえだ)

など。小枝は敦盛の笛ですね。

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5月公演初日 

平成20年5月東京公演が本日

    初 日

を迎えます。
この公演は
第一部(11時開演)が
  鎌倉三代記(入墨・局使者・米洗ひ・三浦之助母別れ・高綱物語)
  増補大江山(戻り橋)
第二部(16時開演)が
  心中宵庚申(上田村・八百屋・道行思ひの短夜)
   北條秀司 十三回忌追善
     北條秀司・作
     植田紳爾・演出
     四世鶴澤清六・曲
  狐と笛吹き

「狐と笛吹き」は清治さん、清介さんが中心になって展開するようですね。
ストーリーだけでなく、音楽としても楽しみです。
演出が植田紳爾さんというのもけっこうです。
時代物世話物の名作を組み合わせての番組もいいものです。

こうして見ると、なかなかいい感じの公演になりそうです。

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木曜日 

木曜日は唯一授業のない日です。
大学によっては(というか「多くの大学では」というほうが正確かも)授業のある日のほうが少ないでしょうが、私の場合週4日授業です(8コマあります)。
では木曜日はゆっくりできるのかというと、実は

    会議日

なのです。
ですから、やはり出勤しなければならず、私の出勤簿は月~金すべてに判が押してあります(時代遅れでしょうが、今もなお出勤簿には毎日判を押すのです)。
ただ、正直申しますとあまりきちんと出勤していません。
毎週一度病院に通うのですが、木曜日の午前中をそれに当てさせていただいているからです。
こういうところは会社勤めの方にはないアバウトなところです。

また、何か外に出なければならない場合も木曜日を使うことにしています。
実は今日も

    関西消費者協会

に出かけます。

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源氏物語 

みなさん、仕事ですよ~。
連休中も働きづめだった方は少なくないでしょうが、まあ一般的に言って今日が

    連休明け

ですよね。
私も同じで、今日は早速1時間目から授業があります。
連休の間に少し先まで授業の予習をしておきましたので、少し余裕があるかな、とは思うのですが、こちらが熱心に予習しても必ずしも学生が話を聞いてくれるわけではないのです。
きっと連休ぼけした顔で来るのでしょうね・・・。

ここ数日、

    源氏物語

を読んでいました。もちろん大作ですから、なかなか一気に全部は読めません。
具体的には

    葵の巻

前後を読んでいたのです。
謡曲「葵上」は好きな作品ですが、やはり原拠があればこそ。
六条御息所という人物をなんとか学生に伝えたいという思いでいろいろ考えていました。
しかし結局は作品の面白さにのめりこんでしまって、自分が楽しむばかり。

今、京都府京都文化博物館(中京区三条高倉)では

    源氏物語千年紀展

が開催されています(6月8日まで)。
  紫式部日記絵詞(藤田美術館蔵)
  紫式部日記絵巻(五島美術館蔵)
  大島本源氏物語(古代学協会蔵)
  栄花物語(九州国立博物館蔵)
  御堂関白記(藤原道長の日記。陽明文庫蔵)
  明月記(藤原定家の日記。冷泉家時雨亭文庫蔵)
などが展示(展示替がかなりあります)されています。

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Bungo Yoshida 

平素、何かとお世話になっている方から1枚のコピーを送っていただきました。
2月11日にイギリスの

    TIMES

に掲載された記事です。
ご友人であるイギリスの著名なバレエ評論家の方から届いたのだそうです。
私が日常的に“TIMES”を読んでいて見つけたわけではありませんので(笑)、その方におことわりして記事にさせていただくことにしました。

タイトルは

    Bungo Yoshida

もちろん、一月に亡くなった文吾師匠です。
師匠の業績を紹介する内容で、副題として

    斬新で異端の代表的人形遣い

と書かれています(私の英語力ですので怪しい訳し方ですが)。

以下、おおよそのところを書いてみます。

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心の傷 

いまどきの小学生は

  柱の傷は一昨年の五月五日の背比べ

などと歌うのでしょうか?
古来、五節句にはさまざまな催しがあります。

   1月7日=人日(じんじつ)
   3月3日=上巳(じょうし。もとは3月最初の巳の日)
   5月5日=端午(たんご)
   7月7日=七夕(しちせき)
   9月9日=重陽(ちょうよう)

太陽暦では季節感がありませんが、今日は一応「端午の節句」に当たるのですね。
旧暦なら今年は6月8日がその日に当たるようです。

そこそこ蒸し暑い、もう蚊帳でも吊らねばならないような気候でしょうか。
え? いまどき蚊帳なんてない、って?
いえいえ、今の話をしているのではありません。


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離す 

シャレというのはとりあえず面白いものです。

    早くトイレに行っトイレ

などというのはシャレの初歩ですね。
この場合、「行っといで」と「行っトイレ」がほんのわずかに

    離れている (「で」と「れ」)

ことが面白みを増すのではないかと考えています。
さらにいうなら、離れれば離れるほど面白いのではないか。
しかし離れすぎると何のことかわからなくなってしまいます。

    ゴム鉄砲

のようなものですね。
できるだけ引っ張るとその反動で遠くまで強く飛びます。
ところが引っ張りすぎるとぷつんと切れて何の意味もありません。

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長右衛門さん、おじさん・・・ 付240,000 

長右衛門のネタ、かなり引っ張ります(笑)。

勘十郎さんの長右衛門はいい男でした。
演ずる勘十郎さん自身に匹敵するような。
私に「こういう中年であれ!」と言っているかのような(笑)。

14歳の小娘から見たら40近い男は「おじさん」ですね。

私は20代の頃など、

    おじさん

という語の響きから

    若さを失った人

というニュアンスを嗅ぎ取っていました。
ですから、おじさんにはなりたくないなぁ・・とずっと思っていたのです。
ところが、30代のときに、ある友人(同年の女性)が

    男は50代でなきゃ

と言ったのにびっくりしたことがあります。
同い年の人間の目の前で言うなよなぁ・・(笑)。

もちろん、50代だったら誰でもいい、という意味ではありませんでした。ただ、彼女は同年代の男には気安さ以上のものは感じない、という思いがあったようです。
そして、

    勘十郎さんの長右衛門 または勘十郎さんその人

のような人が、あの当時彼女が憧れていた中年男性だったのかなと思ったりもするのです。

すべての女性に共通の思いではないにせよ、そういう感覚ってあるのでしょうか?

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ヒーローはおじさん 

月光仮面は「おじさん」でした。

    月光仮面のおじさんは♪

鞍馬天狗も「おじさん」でした。

    天狗のおじちゃん!

子供の頃に見たスーパーマンのクラーク・ケントだって、元祖ウルトラマンの黒部進さん(放送開始当時26歳)だって、お兄さんというイメージではありませんでした。

ヒーローは

    オジサン

だったのです!

つまり、若男や源太ではないのです。
文七か、孔明か、検非違使か。
光秀、由良之助、孫右衛門のイメージ。
勘平は三十になるやならずで、源太。
治兵衛も三十におっかかる年で、源太。
彼らはおじさんになりきれなかったのですね。

私のような又平首はめったに主役にはなれませんが、あまり若い男性は頼りなくてあくまで

    二枚目

なんですね。

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