入試の季節 

大学は後期授業が半分を過ぎるとともに

    入学試験

の真っ最中です。AO入試、推薦入試からやがて一般入試。受験生の皆さんが一番大変、親御さんも大変、高校教諭の皆さんも慌ただしいですね。
そして、我々大学側も息つく暇がありません。特に小規模私立は目が回ります。
詳細は秘密ですが、私のような者までこの類の仕事に追われる日々です。
いわゆる

    大学全入時代

に、あるいは大学自然淘汰時代(コワイ!)に向かって各大学とも必死になっています。
ある学部が流行ると雪崩をうって雨後の筍。やがて廃れてまた次へ。
法学部とか文学部とか、漢字一字の学部名は珍しくなってきました。そちらのほうがどっしりと安定感もありそうですが。

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見渡す 

事情がございまして、ここしばらくパソコンが使えませず、携帯から記事やコメントを書いております。
指1本しか使えないこととともに、携帯で見る画面はやはり小さく、

    全体を見渡す

ことがしにくいのが難点です。
俯瞰する、というのはとても大切で、広くものを見ることで、自分が今どのあたりの位置にいるかまでがわかるように思います。
芝居を見ることは、別に人生勉強のためである必要はないと思うのです。しかし、最近私はひとつの「よき芝居」を見るだけで、ぐったりするほど

    自分自身について

考えてしまいます。

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幻を見たか? 

先日、道行名残橋尽しについて「道行は美しく?」を書きましたところ、とてもありがたいコメントをいただきました。
それに関連して、もし、このブログを覗いて下さっている人形遣いさんや制作の方がいらっしゃいましたら、(ナイショコメントで結構ですから)過去の演出について教えてください。お名前を出したりはしませんので。

昨日の記事とも関係するのですが、治兵衛は縊死に臨んで小春のしごきを首に当てた時、頭の中は100%小春のことだったのでしょうか?
私はかなり高い比率でおさんの影を見てしまいます。換言すると、勘十郎さんの人形から私は

    「お・さ・ん」

という声を聞いたのですが、これは変でしょうか?
もっと言うなら、小春も同じ人の名を呼んでいるようで、心中した二人が第三者を頭に描きながら死んでいくという不思議な構図があの結末から伺えてしましました。
うがちすぎでしょうか?

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罰当たり 

「罰(ばち)当たり」「罰が当たる」という言葉は今でもなお生きているでしょうか?
子供のころ、叱られる時の決まり文句のように「そんなことしてると、○○の罰が当たるよ」と言われ、何か恐ろしい気がしたものです。
あらがいようもない

      絶対的な力

とでもいうものが、「バチ」という音の響きと相俟って子供心に迫ったのかも知れません。

魂のある言葉は怖いものです。

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腹式呼吸 

呼吸器の状態が悪いと、当然深い息ができません。私の場合、腹式呼吸がじゅうぶん出来るかどうかでその度合をはかります。
おなかがいっぱい膨らむとOKです。
丹田(おへその握りこぶしひとつ下の位置)を目一杯膨らませたらカンペキです。
私が大学で長らく試みてきた

    朗読の授業

では、丹田呼吸など必ず覚えてもらいます。「あんた、どこが平安時代研究者やねん!」というお声は謹んで無視させていただきます(笑)。
授業では学生に寝そべってもらって、腹式呼吸をさせ、それを観察したりもします。結構驚きの声も上がります。「私のおなかがこんなに膨らんでる~」のたぐいです。
気持ちよすぎてそのまま熟睡する学生も(コラコラ)。
私も加わりますが、こういう時には絶対にイヤラシクなってはいけません(笑)。それはセクハラに近いです。純粋に腹式呼吸を観察するという学習行為なのです。私は水のような人間ですから(笑)、幸い学生はあまり変なふうには受け取らずに真面目に取り組んでくれたように思います。

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忘れる会 

11月も終わりに近づき、巷では今年も

    忘年会

が始まったりしているのではないでしょうか。
あっという間、という感じがします。

忘年会というのは「年忘れの会」。「忘」という字は「心」と「亡」の組み合わせで、あまり元気な字に見えませんので、嫌う方もあるかもしれません。
雑誌「上方芸能」では毎年忘年会のことを「望年会」と称して実施していらっしゃいます。来年を望むのですね。そういう前向きな気持ちで行こう、ということです。
それはそれでなかなか結構なものですが、「忘れる」のもそう捨てたものではありません。
いやなこと、失敗したこと、悔いていること、それらを忘れて、さあ、新しい年に向かって行くぞ!というのですから、これもまた

    前向きな発想

ともいえるのでははないでしょうか。

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道行は美しく? 

昨日はおもに時代物の道行のことを書いたのですが、世話物にも道行はあります。
全てではないにせよ、多くは

    心中の道行

ということになります。
11月に上演された『心中天網島』も網島大長寺に行くまでの「名残の橋尽し」がそれにあたります。
美しい文章で飾られ、切ない三味線の音もあって悲しみがいっそう募ります。
梅田橋、桜橋、緑橋、曽根崎橋、大江橋、難波小橋、天神橋、天満橋、京橋、御成橋など、多くの橋を眺めたり渡ったりしながら小春と治兵衛は大長寺に向かいます。

すでに書きましたが、この場面は近松の原作からは大幅にカットされています。
もったいないような気もするのですが、現在の上演方法ではやむをえないのでしょうか?
特にはなはだしいのは

    心中場

です。二人の煩悶はほとんど描かれず、いつのまにか死んでいく、といった感じです。
こういう考え方もありそうです。心中場はあくまで美しく。それだけでじゅうぶんだ、と。


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錦秋公演千秋楽 

本日、時代ものと世話ものの通しで組まれた秋の公演が

    千秋楽

を迎えます。
技芸員の皆様お疲れ様でした。
通いつめられたファンの皆様もご苦労様でした。
天皇・皇后両陛下も来られて、ひとときの芝居見物を楽しまれたことと思います。
英さん、団七さん、嶋さん、清友さん、文雀さん、和生さんほかの人形遣いさん、緊張されたでしょうね。

私は本当に時間を盗んでは劇場に行くということの繰り返しで、ちょっとまいってしまいました。
この公演につきましては、ブログにいくらか書きましたが、まだまだ書き切れていないこともあります。
明日以降、覚書として書き続けるつもりです。

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道行と中空 

「ちゅうくう」ではなく「なかぞら」です。

道行という作劇法が大好きです。
初めて体験した道行は、やはり

    道行初音の旅

ではなかったかと記憶します。
あれはもうエクスタシーでした。高い調子の三味線に、高音を響かせる太夫陣の声々。
そして目もくらむような舞台と人形。
ほかにも「旅路の嫁入」「恋の苧環」「似合の女夫丸」などの時代物、「天神森」「相合かご」そして「名残の橋尽し」などの世話物の道行があります。

    道行の魅力

はどこにあるのだろう、と考えるのですが、ひとつには登場人物が何か心が落ち着かないまま旅をしているところにあるのではないか、と感じる事があります。
義経を思う静と初音の鼓に気をとられる狐忠信。同じ道を歩いても心はそれぞれ。
一途に力弥を慕いつつ都の空を思う小浪と困難な先行きを案ずる戸無瀬。
決着がどうなるのかわからないまま、とにかく歩みを進める、足は地についても心は中空。
私の思い込みかもしれませんが、なんとなく登場人物の視線は中空に向いているような気がするのです。

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待受画面 

あの、つかぬことを伺いますが、携帯電話のトップに来るディスプレイのこと、あれは

    待受画面

といえばいいのですか。
なにしろ会話ということをしませんので、こんななんでもないことでわからないことがいろいろあるのです。
私は長い間大阪府の知事さんのことを「ハシシタさん」だと思っていた、と以前書いた事がありますが、それも同様で、やはり言葉は声に出したり書いたりして使わないと身につかないものです。

それはともかく、私も携帯電話なるものを持つようになって、あの待受画面にもいろいろな写真を使ってきました。
もっとも長く使っていたのは(以前どこかで書いたかもしれませんが)

    貝合の貝

です。
「貝合(かいあはせ)」は二枚貝を切り離して内側に同じ絵を描き、そういうものを何組も作り、伏せて同じ絵をあてるという遊びです。絵には源氏物語に取材したものを用いるなどなかなか高尚な遊びですね。武家のお姫様などが立派な貝合を嫁入り道具として持って行ったりしたようです。
その写真をずっと待受に使っていました。

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子別れ 

父が自ら討った娘の首を抱いて行くのに対して、母は息子をあとに残して去る、というパターンが多いように思います。
重の井、お柳、葛の葉。

  芦屋道満大内鑑 保名物狂

は、榊の前に死なれた安倍保名が狂人と化してさ迷い歩きます。
葛の葉姫のおかげで正気に戻った保名は、狐が石川悪右衛門に追われて逃げてきたところをかくまってやります。
それに恩を感じた狐は、そのあと悪右衛門に襲われた保名を葛の葉姫に姿を変えて介抱し、保名と手を携えて阿倍野に落ちていきます。
そして

  童子 (のちの安倍晴明)

を産んで育てます。
詳細は略しますが、その後ついに別れの時が来て葛の葉となった狐は童子と別れることになります。

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悪右衛門 

『芦屋道満大内鑑』にはさまざまな人物が登場します。
当然名前もさまざま。しかしそれにしても、

    石川悪右衛門

というのはなんともすごい名前ですね。
どこからどう見ても悪そうな。

名前はその人物に力を与えるもの、という考え方があるような気がします。
女性の名前にも「くま」とか「いわ」とかかなり強そうなものがあります。
生命力を名前からもらうという感じです。いくら可愛いからと言っても「ねこ」という人はめったにいません。
古来、数ある名前がありますが、父親の一字を取って付けるというパターンもありますね。徳川の「家」の字などは父どころではありませんが。
『論語』などの

    漢籍から文字を取って

名前とすることも少なくありません。平安時代の「紀貫之」しかり、「紀有朋」しかり。これらはいずれも『論語』の一節から取っているのです。
やはり平安時代に藤原伊尹という人がいたのですが、古代中国にずばり同じ文字の「伊尹」という人がいまして、あるいはその名にあやかったのかもしれません。

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文楽人形つき講演 

昨日は文楽劇場に天皇夫妻が来られたそうですね。
私は案内係を仰せ付けられることもなく(あたりまえ)、勤務先の地元大阪府吹田市で文楽についてのお話をしてまいりました。
与えられたテーマがずばり

    文楽

というものでしたので、逆にどのようにお話しようか迷ってこの1か月あまり内容を考えてまいりました。ちょっとつまらないかな、とは思いながら、まずは文楽の、というか、

    人形浄瑠璃の歴史

のお話をかいつまんで。そしてその面白さなどについて経験的にお話しさせていただきました。
しかしやはり物足りないだろうな、と思案した結果、ここは大学所蔵の文楽人形に出てもらうのがベストではないかと考え、市役所の方にご相談した上で人形を持っていきました。
こういうときには私一人ではなかなか手に負えませんので、学生の協力を得ます。
バイト料ゼロ、ただし

    昼ごはんはおごる

というのがいつもの条件です(笑)。
学生は、たいして高級なものをおごるわけでもないのに、「昼食無料」をとても喜んでくれます。

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天変 

『芦屋道満大内鑑』の発端は、

  月が白虹に貫かれる

という異変。
昔の人は星や月を観察して天の意思を感じ取ろうとしたようです。
この場合は日(陽)ではなく月(陰)なので皇太子に関する異変だと登場人物の一人「榊の前」はいいます。太陽が白虹に貫かれたのなら天皇の異変だというわけです。

宇宙の広大さを思うと地球などちっぽけなものですから、同じ異変は世界のあちこちで観察しされることになり、いきおい、記録もよく似たものが各地に残っていたりします。一方、地域によっては観察しにくいものがあるのも事実です。
ですから、『芦屋道満』「大内の段」で左大将元方が「天竺で見るも唐で見るも月日の光に二つはなし」と言い、小野好古が「(日食、月食は)この日本の内でさへ東国で見えぬ時もあり、西国で見えぬ所もあり」と言うのはどちらも理屈は通っています。

あのハレー彗星も古代の文献にも出てきますから、何千年なんて天文学の視点から見るとたいした年月ではないのですね。
今から1000年ほど前に出現した超新星(スーパー・ノバ)現象である

    SN1006 (SUPER NOVA 1006)

は、安倍晴明の息子の吉平が活躍した頃に日本でも見られ、異変として問題になりました。
超新星は名前に反して星の死滅の大爆発による光ですが、その輝きは半端ではありません。
闇が深く、現在我々が都会で見る明るさとは比べ物にならないほど星は明るく輝いていたはずですので、どんなにかまばゆい光だったのでしょうか。

この超新星については3年前にこのブログで短く書いた事がありますので、興味がおありでしたらご覧ください(→こちら

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3F 

忙しさでかなり参っています。
もっと早くからきちんと準備しておけば、と今になって悔いるのが情けない限りです。
このところまったく時間がなくて、働く以外は何もしていないような錯覚に陥ります(実際はそんなことはないのですが)。
しかし余裕のないのはダメですね。とにかくバタバタしているばかりです。
息抜きになるのはやはりこのブログの記事を書くこと、あとは仕事中、じゃなくて、休憩時間などを利用して(ということにしておきます)

    おしゃべり

をすることくらいでしょうか。
もっとも、私の場合、いわゆる「おしゃべり」は不可能ですので、こういうときには
インターネットが有益です。いわゆる

    チャット

に他人を引きずりこんでは付き合ってもらったりしています。
相手の人には迷惑でしょうが、私にとっては数少ない情報源、職場の状況などもこういうところから仕入れるほかはないのです。
付き合ってくれる同僚がいなくなったら、と思うとぞっとします。来年の春あたりからはそういう状況も考えられ、なんだかますます世界が狭くなりそうです。

お元気で活躍されている皆様に比べて、こういうことばかり考えては愚痴っている私は、我ながらほんとうに困った人間です。

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逃避行 

逃げてはいけません。
真っ向から人生の艱難辛苦にぶち当たって行きましょう。
とまあ、こういうのが教員としては当然学生になすべきアドバイスなのでしょう。
特に

    就職戦線にいる学生

は今本当に必死です。
私のところにもエントリーシートや面接に関する相談を持ち込んでくる学生は少なくありません。
最近こういう学生は減りましたが、以前学生数の多い頃は

  「あんなぁ、せんせ、私なぁ、敬語苦手やねんけど」

と言ってくる者もありました。「その言葉遣いに、すでに敬語のケの字もないよ」というところから話し始めたものでした。
今の学生はなかなかしっかりしてきまして、自分で一生懸命言葉遣いなどを改めようと工夫してきます。口うるさい私に対しては携帯メールの文章ですら敬語を意識して書くようにしているようです。
もはや学生にとって私は平安時代文学の研究者などではなく、

  敬語にうるさい日本語教師

になっているようで、時たま私の書いたものを研究室で見つけた学生は「先生って、こんな本も書いてるんですか!」とびっくりします。それが本職じゃ、っちゅうに。
しかし、私自身最近は開き直って、「日本人学生のための日本語教育教師」でいこうじゃないか、とも思っています。

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問題の所在 付430,000 

昨日は一般の方に歴史と文学のお話をしてまいりました。
いわゆる「市民大学」なのですが、普段の公開講座が圧倒的に女性が多いのに対して、こういう催しにはなぜかリタイアされた世代の男性のお顔が数多く、歴史の話などをする場合、私よりよくご存じのかたがいらっしゃるように思われ、ドキドキします。
時々いらっしゃるでしょう、125代の天皇の名前を全部順番どおりに言えるとか・・・。

加えて、いつも私の話にはテーマがありません。
「で、いったい今日のは

    何の話だったの?」

という感じになってしまうのです。
私には史観というものが根本的に欠如しているのだろうと思います。そんなものなくてもいい、と開き直ってはいますが、歴史を見るにはやはり一本筋が通っていることも必要だろうと気にもなっています。
昨日は藤原伊周という人物を取り上げましたが、それによって何を言おうとしているのか、と問われると答えに窮するところがあります。

    問題の所在

がはっきりしていないわけです。
きちんと問題を設定して、それを解決していくような話ができればいいだろうと思うのですが、こういうところが私が学者として

    超三流

といわれる決定的な理由だろうと思います。

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今日は平安時代 

文楽に夢中になれる時間は限られています。
私の仕事の中心はやはり平安時代の文学と歴史。
今日は午後1時から勤務先の地元の皆様に

    藤原伊周 (974~1010)

という人物についてのお話をすることになっています。
この人は若くして次期関白の候補となりながら、大宰府に左遷され、帰京後も政治の実権を握ることなく37歳で亡くなりました。
文楽ファンの皆様は、「大宰府左遷」というと

    菅原道真

を想起されると存じますが、大臣クラスの高貴な人を左遷する場合、員外の帥(いんがいのそち。定員外の大宰帥)とされるのがひとつのパターンでした。
伊周(これちか)は、時の法皇に無礼をはたらいたり、臣下には禁じられていた修法をおこなったりしたらしく、それらの罪によってついに都を追われました。
文学青年としてはなかなかの才能を持っており、漢詩の達人でした。
あの

    清少納言

も彼の才能を絶賛したりしています。
しかし、権力という魔物に目が眩んだのか、人生を誤ったようです。

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長い話でした 

ごちゃごちゃと名作『心中天網島』について無駄口を書いてまいりました。
皆さんには申し訳なかったのですが、実は二つ目的があっておしゃべりしてしまったのです。
ひとつは、学生や同僚がこの作品をはじめて見に行くようなので、少しでも参考になるまいかと思ってのことでした。それにしては内容がわかりにくく、相変わらずの

    教員失格ぶり

を露呈してしまいました。
もうひとつは、というか、実はこちらのほうが大きな意味があったのですが、この24日に職場の近くで一般の方々に近松についてお話しする仕事がある(以前少し申しましたが)ので、その

    予習のため

でした。なんのことはない、自分の仕事のための覚書だったわけです。
お気づきだと思うのですが、「河庄」や「紙屋内」より下の巻「大和屋から道行、心中」のあたりに筆を割いていました。そのあたりを重点的にお話しようと思っていたからです(スミマセン)。

しかし、曲がりなりにも原文を読み直してみると、近松という人はやはり偉大だと思います。
「河庄」「紙屋内」にもまだまだ触れなければならないことがあれこれあります。
私の能力を超えますのでそれは無謀な企てかもしれませんが、せめて先人のご研究をもう少し勉強することでこの作品の本質に近づければと思います。
いや、それとともにやはり

    実際の舞台を見る事

こそ重要でしょうね。

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そして、心中 

長らく私の「心中天網島」についての覚書にお付き合いくださってありがとうございました。さだめてご退屈のこととお詫び申し上げます。
本日で最後になります。

この作品は以前も書きましたように「心中を決意した二人が心中する話」ですが、それを食い止めようとするさまざまな人の

    「思い」

がドラマを作っていきます。
「河庄」では孫右衛門と、小春を動かす(そこには登場しない)おさんの思い。「紙屋内」では孫右衛門やおさんと、おさんを動かす(そこには登場しない)小春の思い。「大和屋」ではもはや無意味でさえある孫右衛門の思い。

そして最後の心中場でも二人はなかなか死ぬことができません。それはやはりそこには登場しない

    おさんの存在

ゆえでした。
現行の上演では簡略にされるようですが、近松の原作はこれでもかといわんばかりに二人を死なせるまいとするおさんの影が描かれます。
以下、もっぱら原作によって書いていきます。

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天神橋から 

「道行名残の橋尽し」は原作に比べると現行のものはかなりカットされています。
二人は曽根崎から逃れて来たわけですが、原作ではまず二人の立ち位置が

    天神橋

であることが明示されています。
そして、治兵衛の氏神である天満宮~菅原道真のゆかりで梅田橋緑橋桜橋の名を挙げ、さらに蜆橋、大江橋、難波小橋、舟入橋、堀川の橋と来て、再び天神橋に戻ってきます。
大川(旧淀川)を

    南へ渡る

のは、ですから天神橋です。西には曽根崎、北には治兵衛の店が、つまり家庭があります。この橋を渡ることでこれまで過ごしてきた現実の生活、あるいは此岸から大きく踏み出すことになるのでないでしょうか。作者が天神橋を最初の立ち位置と定めたのももっともです。
原作ではこのあと、八軒屋を通って、天満橋を左に見て、今のOMMビルやテレビ大阪のあたりを東に進み、そして大坂城の西北に当たる

    京橋と御成橋

を北に渡ったことが記されます。彼らが最後に渡った橋は、今では京阪本線の走るあたりにあった「御成橋」ということになります。
そこから北東に進路をとってしばらく歩き、二人は網島の大長寺に着きます。

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阿呆と大たはけ 

「大和屋」が好きです。織(綱)さん、咲さんでもっぱら聴きました。
あの透徹した初冬の空気。十月十五夜の冷たい月。眠りがちな番太郎の「ご用心(ごよさ。火の用心)」の声。
丑三つ時ですから、月はもう西の空。
大和屋では、太兵衛に身請けされることが決まった小春が、治兵衛と最後の逢瀬。
この場面は「河庄」と違って、店の中は一切見えず、上手に大和屋のくぐり戸があって、舞台はだだっ広いまでの屋外。それがまた寂寥感を募らせるようです。「河庄」には色町のけだるさや華やかさがありましたが、ここはくぐり戸ひとつを隔ててうらぶれた陰の場。
小春を迎えに来た下女の台詞によって、小春が今夜は大和屋に泊まることが確認され、そのあと治兵衛が出てきます。
いかにも

    小春とは別行動

であるように大和屋に話し、さまざまな勘定を済ませます。京へ上ると言い置いて、帰ろうとした後、治兵衛は脇差を忘れたと大和屋に告げ、持ってこさせます。「紙屋内」で「今宵小春が血に染むる」と予言された金拵への中脇差です。こういうところが近松、にくいですね。
治兵衛は京に上るどころかその場を離れませんが、そこに現れたのが孫右衛門。丁稚の三五郎に治兵衛の子勘太郎を背負わせています。
孫右衛門がくぐり戸越しに治兵衛と小春の様子を尋ねると、二人は別行動らしく、一応安堵します。
孫右衛門はこのあと、三五郎に向かって、「阿呆めが夜々うせるところほかには知らぬか」と訪ねます。「阿呆の治兵衛」の行方を尋ねているわけです。ところが三五郎は「阿呆」と言われれば自分のことと合点し、

    市の側の納屋の下

と答えます。「市の側」は要するに惣嫁(辻に立って客を引く下級の娼婦)のたむろする場所。三五郎は「自分は毎晩ちょこちょこそこへ行きます」と馬鹿正直に答えているわけです。

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長き別れ 

おさんが着物とともに「夫の恥と我が義理」まで風呂敷に包み込んで、小春身請けの準備は整いました。
しかし、そこに現れたのがおさんの父五左衛門。「にべもない昔人」、昔かたぎの一徹者です。
治兵衛に向かって離縁状を書くように迫ります。娘の親なら当然の気持でしょう。しかも、目の前に身請けに向かおうと「下に郡内黒羽二重縞の羽織に紗綾の帯、金拵への中脇差」という出で立ちで、おさんや子供の着物を風呂敷に包ませて丁稚に担がせている情景を見ているのですから。
すると治兵衛は「当面のことは目をふさいで、おさんに添わせてくれ」と懇願します。
たった今彼に向かっておさんが「子供の乳母か飯炊きか隠居」になる、と言ったところなのですが、治兵衛はここにきて

    腹が据わった

のか、にわかに意思を表に出すようになった気がします。たしかに身請けはするけれども、それは事情のあることで、かならずおさんは大事にする、と言いたいのでしょう。
さらにこのあと治兵衛はどうしても離縁状を書けという五左衛門の目前で

    自害しよう

とさえするわけで、遅すぎると言われても、彼なりに一歩前に進んだとも見えるのです。
こういうところの人形遣いさんの腕も見たいものです。

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行動力 

紀伊國屋小春は治兵衛の妻おさんからの手紙を受け取ります。そこには夫を殺さないでほしいとの願いが記されていました。その手紙を彼女は治兵衛との起請と一緒に持っていました。
29枚の、毎月1通ですから2年5か月分の、起請に加えて、

    30通目の手紙

が、おさんからのものでした。
それほどにおさんの気持を大事に思う彼女の心は推して知るべしというところでしょう。
その結果、小春は侍の客(治兵衛の兄孫右衛門とは知らずに)実は心中などしたくはないと告白します。間接的に治兵衛に対して偽りの愛想づかしをしていることになるでしょう。
そして「河庄」の段の幕切れで治兵衛は小春を「安物」と罵り、足蹴にして縁を切ります。
これで

    太兵衛が小春を身請けする

障害が、理不尽にも無くなってしまいました。
そして話は治兵衛の家に向かいます。

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袴 

私の家に、母方の祖父の遺品である裃があるのです。
私と75年くらい年齢差のある祖父(母以下3人の娘が生まれたのは祖父50代のことです)は、小金持ちと申しましょうか、大阪梅田の一等地で印刷会社を経営し、そこそこ羽振りがよかったようです。
そうなると趣味はお決まりの

    旦那浄瑠璃

周りに迷惑をかけまくって語っていたと思われます。ま、それが隔世遺伝したのが私ですから、悪口は申しませんが。
で、裃もきちんと自前を持っており、それが我が家にあるわけです。
ほとんど記憶にない人ですが、何となく

    大きな人

と思っていたのです。しかし、その裃を着けてみると、昔の人ですからやはり小さい。160cmそこそこだったのかも知れません。

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屋外での意見 

「河庄」でのクライマックス、孫右衛門の意見から治兵衛の反省、小春への暴力、小春の忍耐、そして別れ。
現在の

    『心中紙屋治兵衛』

による「河庄」ではこれらはすべて屋内でのできごとです。
二十両の金を受け取って太兵衛が去り、孫右衛門は治兵衛を引っ立てて内に入ります。そこで例の意見となります。
ところが、原作ではすべて屋外での出来事。
二十両の話は原作にはありませんから、縛られた治兵衛をからかった太兵衛を孫右衛門が倒して、縛られたままの治兵衛に「踏みつけろ」と言い、治兵衛は太兵衛を踏んで鬱憤を晴らします。
そのあと、縛り縄を解いて、孫右衛門も正体を現し、さらに

    同じ場所で

意見を始めます。

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治兵衛 

概して評判の悪い男です。
30におっかかり、妻子があって六間口の店を持ちながら、その身代がどうなるかもかまわずに遊女に通い詰め、周囲の心配をよそに心中の約束までしてしまう男です。
どう考えても

  こいつ、あかん

と言われそうです。
ただ、その、え~っと、あの、なんというか・・・どうも言いにくいのですが、私はこの男が憎めないのです。「類は友を呼ぶ」と言うか、同情してしまうと言うか、おさんより、小春より、孫右衛門より、私は治兵衛に感情移入してしまいます。
私がこの芝居の中に登場する

  孫右衛門  治兵衛
  太兵衛  五左衛門
  ついでに(笑)三五郎

という人物の中で一番近いのは誰だろうと考えてみます。どう間違えても太兵衛でも五左衛門でもない(ですよね?)
かといってもあの格好のいい孫右衛門ではなく、結局頼りない治兵衛ではないかと思えるのです。

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文化?の日 

今日は文化の日。古くは明治節、要するに明治天皇の誕生日ですね。
こういう日は、朝から一日

    文楽三昧

といきたいところですが、あいにく入試があるのです。およそ文化の香がありませんね。
私など役にも立たないのですが、一応行かねばなりません。
今回はいわゆる「推薦入試」ですが、やはり一般の入試同様に試験があります。
受験生の皆さん、精一杯頑張ってください。
今年は

    新型インフルエンザ

の問題もあって、大学の幹部の皆さんは対応が大変なのかな、と思うのですが、私は実はあまりよく知らないのです。

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大学祭 

一昨日と昨日は私の大学で大学祭がおこなわれました。
私は今はとてもそういう余裕がなくて不参加を決め込んでしまいましたが、それなりににぎわったのではないかと想像だけはしています。

かつては短期大学に国文科もありましたので伝統芸能の若手を呼ぶというプログラムもあり、落語界からは春蝶を襲名された

  桂春菜 さん

が何度か来て下さいました。
狂言からは

  茂山宗彦 さん、逸平 さん

もおいでくださいました。
座談会のあと、狂言、落語の実演という感じだったと思います。
残念ながら客席はガラガラ。春菜さんは途中から「マイクなしでいいでしょ」と言われ、1400人収容のホールにそのお声が響き渡りました。
今は残念ながら看護学科や食物栄養学科の大学になってしまい、そういう雰囲気はなくなってしまいました。

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外食 

夕霧や高尾を相手にするわけではなくとも、治兵衛も忠兵衛も徳兵衛も遊女と遊べるくらいには小遣いを持っていて、まことにうらやましい限りです。
いえ、私は別に遊女さんと拳遊びがしたいと言っているわけではありません。たまには

    外食、外飲(?)

もしてみたい、と思うだけです。
お金がないだけではありません。満足に注文すらできませんので、どなたか付き合って(介助して)くださらないと、はなはだ行きにくいのです。
ほんとうに、とんと外食ということをしていません。
ところが、つい最近付き合ってくれる人があってちょっとしたレストランに行きました。ファミレスに毛が生えた程度ですが、それなりに雰囲気のある店です。
入って驚いたことが二つありました。
ひとつは今や驚くに値しないかもしれませんが、

    消毒液

が入口付近に鎮座ましましていたことです。

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