来客 

とにかく人の出入りのほとんどない私の研究室です。
ところが、先日、珍しいことに来客がありました。

私の大学で

    文楽人形の授業

をしているという話をご存じの方が、小学校でやってみないかというお話を持ってきてくださいました。
私が小学生の頃は授業が終わると

    早く帰りなさい

と言われることが多かったように思うのですが、今は学童保育というのでしょうか、夕方まで学校にいる子供たちが少なくないようです。
そういう場でちょっとした催しとして文楽人形を見せてほしいというお話だったのです。
今年度の学生が最後の受講者になりますので、私としてもなにか打ち上げ花火で終わりたいと思っていました。
そんな時に、いわば渡りに舟だったわけです。
大学の地元の小学校ですのでいわゆる

    学外授業

の形で実施できると思われ、この夏休みに行く話がまとまりつつあります。
ところがここに大問題があります。

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連休は 

今日から連休に入ります。
明日(30日)は普通の日だと思ったら、なんだか分かりませんが大学は休みなのだそうです。
よって、

    丸1週間

の休みとなります。
さてこの連休は何をしようか、悩むところではあります。
もっとも悩めるのは幸せなことで、昨年など体調不振でぐったりしていたと思います。
車で遠出というのもあまり好みませんし、ウ~ン。
ひとつまとまった仕事をしつつありますので、これを一気に

    八合目くらいまで

仕上げようという気持ちはあります。
無理は禁物ではありますが。
一方、長らく休載させていただいている原稿もありますので、こちらは目鼻だけでもつけたいと思っています。

5月2日には長女の演劇があるというのですが、行けるかどうか・・。
なんだか時代物、とはいわないか、時代劇のようなものらしいです。

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風俗 

「風俗」って必ずしもいい印象のない言葉かも知れません。「フーゾク」と書いたら、私にはもうまったく似合わないですね(でしょ?。)
フーゾク博物館、ではなく、

    風俗博物館

をご存じでしょうか?
どんなものを展示していると思われますか?
もとは「日本の各時代の風俗・服飾を鑑賞する博物館だった」(Wikipedia)のですが、今では

    源氏物語

のさまざまな場面を人形を用いて実物の4分の1の大きさ(かわいい!)で見せてくれるユニークなミュージアムです。
私は大学の公開講座で「紫式部日記」を読んでいるのですが、その際、王朝の衣装や建築について大いに参考にさせていただいております。

DSC02070.jpg

場所は京都市下京区の西本願寺のすぐそば、井筒法衣店の5階にあります。
源氏物語の主人公、光源氏後半生の邸である六条院。そのうち紫の上を主人とする「春の御殿」の一部が展示されているのです。そして、当時の服装が人形にきちんと着せられ、小道具(?)も4分の1サイズに作られてとてもわかりやすくなっています。

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千年も万年も 

いまどき、

    徳富蘆花

などといってもわかる学生はめったにいないでしょうし、その作品を読んだことのある学生など私の大学では皆無といってもよいと思います。
私の大学に限りません、卒業論文で蘆花を取り上げる国文科の学生でもない限りめったに読まれない作家だと思います。岩波文庫などに入ってはいるものの、購入する人はやはり年齢層が高いのでしょうか。
東京の方なら芦花公園がありますからまだしも身近かもしれませんが、関西の人となるとどうでしょうか。
蘆花の代表作に『不如帰』がありますが、ヒロインの浪子の

  人間はなぜ死ぬのでしょう!
         生きたいわ!
           千年も万年も生きたいわ!


は、名せりふとして知られています。私も子供の頃に覚えましたが、それは小説を読んで、というのではなく(子供が読む小説じゃないですよね)、テレビや映画で放映されたものを、多分親を経由して知ったのだろうと思います。夫の武男は日清戦争へ。そして浪子は結核を病みます。愛情はお互いあふれるほどに持っているのに、戦争と病という、抗すべからざる力によって破壊される二人の生活です。 

十代で命を散らした

    『妹背山婦女庭訓』

の雛鳥と久我之助。
小松原での運命の出会いはそれはもう楽しげで、吹矢筒でのナイショ話は子供が糸電話で戯れるように見えなくもありません。
十代の恋はかわいいですね、やはり。
しかし、相手が対立する家の子であることを知り、哀しみに暮れなければならなくなります。

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新たなリンク 

文楽四月公演が終わって、ほっと一息です。私にとっては

    怒涛の3週間

でした。
住大夫、綱大夫両師匠は、あのご高齢で背山と妹山の大役を語られ、これはもう空前のことではないのでしょうか。お二人の平均年齢は80歳を超える(81.5歳)のですから。
雛鳥と鎌足の簑助師匠、それぞれ存在感豊かな演技でした。皆さんの声援は届いたでしょうか。定高の文雀師匠もさすがに厚い母の情愛。
勘十郎さんのお三輪は存分に動きながら舞台をきりりと締め、玉女さんの大判事も実に立派でした。
文司さんの入鹿、簑二郎さんのお雉、勘弥さんの橘姫など、中堅も頼もしいです。

さて、この公演で嬉しかったのは、はじめて

    だし巻きの夕べ

に参加させていただいたことです。
とにかく皆さんの笑顔を拝見しているだけで幸せな気分になりました。
めったに外でお酒を飲むことをしませんので、久し振りの大散財でした(笑)。
今回も初参加の方がいらっしゃって(私もそうですが)、ありがたく存じました。

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千秋楽 

文楽四月公演が

    千秋楽

を迎えます。
この1年を振り返ると、私としては元気な状態で行けたほうで、その意味ではなかなか充実した3週間でした。
ただ、仕事がらみで言うと、はてなにを書けばいいのだろうといまだに悩んでいます。
ま、何とかなると思いますが(笑)。
簑助師匠の文化功労者顕彰記念公演ということだったのですが、功労者になられた昨年の秋から期間があいたこともあって実はあまりそういう印象を抱かないままでした。でも師匠、改めておめでとうございます、と申し上げます。
実はこの公演中のある日、第二部の25分休憩の時、わけあって楽屋側の入口に立っていたことがあったのです。
雨模様で、タクシーの運転手さんが傘をさしたままどなたかを待っていらっしゃるところでした。すると楽屋エレベーターが下りてきて出てこられたのが簑次君に付き添われた師匠でした。私はもうびっくり。あわわわ・・・という状態で何か言わねば、と思っていたら、師匠のほうが

    「オオッ」

と先に声をかけてくださって、私はただ「お疲れ様でございました」と申し上げるのが精一杯でした。あとで思うと、「遅ればせながら功労者のお祝いを申し上げます」とかなんとか気の利いたことは言えなかったのか、と忸怩たるものがあります。簑次君に笑われたのではないかと心配しています(笑)。
まったく恥ずかしながら、師匠世代の方々には今なおまともにご挨拶できないのです。

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お雉 

日本の国鳥は雉だというのは子供の頃から覚えていました。
しかし、雉という鳥はかなり長い間見たこともなかったと思います。
昔から食用として用いられることが多く、

    鷹狩

のターゲットにされていました。有名な狩猟場は大阪の交野(かたの)などですね
鳥はあまり好きではないので、雉もおそらく私は食べたことはないと思います。
余談ですが、広島にいた頃はじめて雀の姿焼に出会って、同僚が平気で食べているのを呆然と見続けていたことがあります。京都の伏見にも雀の姿焼はありますけどね。

それはともかく、雉は日本人にとって割合になじみの深い鳥で、

    雉の草隠れ

    雉も鳴かずば打たれまい

などのことわざにも生きています。白井権八のせりふにもありましたね。
もうひとつ、

    焼け野の雉子(きぎす)

は「夜の鶴」とともに子を思う親心のたとえに用いられることわざです。
ここでやっと本題です(笑)。

    妹背山婦女庭訓 二段目

に登場する

    芝六女房 お雉

のことです。

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賞味期限 

最近めっきり学生が私の部屋に来ることがなくなりました。昨年度までは授業を研究室でおこなうことも多かったのですが、少人数クラスの授業が今年は成立しなかったので、来るのは

    4年生のゼミ生

だけ。
彼女たちは授業がほとんどありませんので大学にもめったに来ません。ですからほぼ週に一回くらい学生の姿があるという程度です。
この調子でいくと来年以降は本当に誰も来なくなるだろうと思います。
静かでいいような、やはり寂しいような。

私の部屋にはそこそこお菓子が置いてあるのですが、食べるのは学生です。ですから、学生が来ないと誰も食べるものがおらず、最近

    賞味期限切れ

のものが増えています。
学生はやはりこういうところはうるさくて、まず期限切れのものを食べようとしません。
よって、そういうものに関しては私が残飯整理をすることになります(笑)。

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衣裳 

文楽月間でも、この1年はあまり体調がよくなかったものですからあまり劇場通いができませんでした。その意味では忙しくなかったわけです。ところが今月はまあまあ

    体調を維持しています

ので、そこそこ忙しいです。授業は先日の記事に書きましたように少し暇になったのですが、学生の就職や卒論などのこともあって、やはり息つく暇がないという感じになっています。
少し勉強もせねばと思って、平安時代のことについても考えたりしていますので、久し振りに忙しいというか充実しているというか「ああしんど」というか(笑)。
今日は夕方から文楽劇場に行きます。学生の卒業論文の関係で文楽人形の衣裳について少し勉強してきます。
私はものを知らないのですが、特に服飾関係になるとさっぱりわかりません。幸い

    文楽人形の衣裳

という本が出ましたので、少し勉強していますが、やはり難しいです。

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大判事 

『妹背山婦女庭訓』「妹山背山の段」では大判事清澄と定高が活躍します。
今回のように通しですと、大判事は「蝦夷子館」「太宰館」「妹山背山」に出てきますからさらに印象深いですね。
「蝦夷子館」では衣冠姿の大納言行主に対して大判事は烏帽子大紋で出てきます。蝦夷子も装束を改めていますから、大判事だけが江戸時代風(蝦夷子も頭に何も乗っけていないのは王朝風とはいえませんが)。
この大判事というのは律令制の

    刑部省

のお役人で、官位のあまり高い地位にいる人の就く職ではありません。
そもそも律令制確立後の職ですから蘇我氏の時代には合わないですが、それを言うなら平安時代に令外官として置かれた

    検非違使 (けびいし、けんびいし)

なども出てきますので、平安時代の律令国家がイメージされている感じでしょうか。平安時代になると刑部省はあまり重要な役所ではなくなるのですが。
蘇我氏の時代なのか平安時代なのか江戸時代なのか、混沌としていますね。芝居の面白いところです。
私など、あの何も頭にかぶらない天皇や貴族というのが気持ちが悪く見えてしまうのはどうも悪い癖です。

それはともかく、あの実直で何事にもうるさそうな(笑)清澄が大判事という職であることがなんともよく似合っているように思えるのですが、どんなものでしょうか。

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別の意味で 

文楽も最後の週になりました。
まだまだ行くつもりです。ただ、今回は楽しんでしまっていつもやむを得ず書いているノートが全然埋まっていません。
別の意味でまずいです。

別の意味でまずい、というと今年度は本当に困ってしまいました。
私ども私立大学の教員は、だいたい

    1週間に6コマ

の授業を担当させられます(あくまで基本)。わたしはこれまでに極端な時は10コマ担当ということがあったように記憶しますが、そうなると1時間は90分ですからほぼ高校の先生並みということになってしまいます。
同内容の繰りかえしの授業がいくつもあればいいのですが、さすがにあの時はまいりました。
幸い、このところは6~8コマくらいで安定しており、今年は私としては7コマくらいやりますよと申し上げていたのですが、結果的にさまざまな学内事情もあって6コマで落ち着きました。まあ、妥当な線ですのでなんとも思わずに新学期をスタートさせたのです。
ところが、ふたを開けてみると大変なことになっていたのです。
まず、ひとつめの「びっくり」は「日本語表現」という授業。定員30名ということになっていたようなのですがそこに60数名の希望者が殺到したらしいのです。

    人気がありますね

と思ってくださった方、まことにありがたくも申し訳ないのですが、どうもそういうことではなさそうです。同じタイトルの授業を持つほかの教員は全員教科書を使うようなのですが、私はそれがありません。つまり、教科書代が浮く(笑)わけです。
せっかく自慢しようと思ったのに(笑)、そういう事情があったようでした。

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500,000 

昨夜9時頃、このブログのアクセス数が

    500,000

となりました。
びっくりもびっくり、4年と1か月あまりでこの数字になるなど思いも寄らないことでした。
記事の数はおそらく今日で1511ですので一つの記事に対して平均300あまりのヒットがあったことになります。
体験上、ヒット数の半数の方がアクセスしてくださっていると思われますので、毎日150人の方々に見ていただいたということになります。
しかもこのところ少しヒット数が増える傾向にあり、

    そろそろ店じまいしよう

と思っていたのに(笑)、その決断が鈍っています。

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苔がむす 

一朝一夕にものごとができるようになるわけではありませんが、では進歩というのはなだらかなカーブを描いて漸進するものかというとそうでもないように思います。
いつまでたっても分からないままで悩み苦しんできたことについて、ある時ふと

    理解している自分

に気がつくことがあるのです。
以前なら学生に適切なアドバイスなどできなかった、あるいは間違ったことを言っていたかもしれないのに、いつの間にか少し先が見えるようになって、話してやれるようになっていました。ただ、不安なので、そのことを先輩同僚に言ってみると「あんたの言うとおりや。それでええねん」と言われることがあったりしたのです。
教員としてまともな仕事をしてきたわけではありませんが、そいうことがひとつ、ふたつと増えてきたのがこの十年くらいだろうかと思います。
研究者としてはまったくいまだに三流もいいところですが、論文よりも人様の前でお話をさせていただく時に、「これでいいのではないか」と思うことがしばしば出てくるようになったのもこの五年くらいだと思います。

高木浩志氏による越路大夫師匠の最初のご本

    『四代竹本越路大夫』

に、芸というものはいつの間にか苔むしている、という意味のことが書かれていたように記憶するのですが(今手元にないので・・・)、このいつの間にか、というのが私の体験にも当てはまるのだろうかと思います。教員というのはある種芸人のようなところがあって、私が文楽の技芸員さんに親しみを覚える一つの理由はそれなのかもしれません。
そして、芸談は私には教育論のようにも読めるのです。

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不順 

気候がどうも不順でいけません。

    花散らし

の雨は仕方がないとして、暖かかったり寒かったりが困ります。
私も世間にお付き合いするつもりではなかったのですが風邪をひいてしまいました。
鼻がすっきりせず、耳も少し違和感があり、頭はぼんやり(これは風邪のせいじゃないか)。

呼吸器科の医者にそれを言うとしかめっ面をされました。
昨日、今日は仕事をしていてもまったく集中せず、困っています。
ただ、幸いなことに

    持病の呼吸器

にさほど大きな影響が出ておらず、これは私にとっては何よりもありがたいことです。
寒気が収まらず、微熱もあるのです。
このところ、どうもこのブログの記事もボケているような気がしています(・・と風邪のせいにする)。

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三輪山 

『古事記』に載っている古い伝説です。
活玉依毘売(いくたまよりびめ)のもとに夜ごとに通ってくる男がいました。この男は夜彼女のもとに夜遅くやってきて夜明け前に帰っていきます。彼女の親は麻糸を通した針を男の着物に刺して、男が帰ったらその糸をたどっていけばよいと娘に言います。男が帰ったあとその糸をたどっていくと、三輪に行き着きました。そして男の正体が大物主神であることがわかりました。

私は学生時代にまずこの

    三輪山伝説

を知って、そのあとで『妹背山婦女庭訓』を見ました。古代文学を専攻するとどうしてもこういう筋道になってしまいます。近世文学を専攻すると逆に『妹背山婦女庭訓』から入って、その伝承の起源を調べる形で『古事記』を読むことになるのでしょう。

それはともかく、元の伝説では男がなぞの人物で、女が針を刺してあとをつけることになります。『妹背山婦女庭訓』では逆にしているのですね。また苧環を用いているところが芝居の趣向として面白くもあります。
そして、七月七日の乞巧奠と天の川伝説につなげるところも巧みとしかいいようがありません。

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山 

「山」の一語で演目名がわかるというのは、やはり『妹背山婦女庭訓』「妹山背山の段」が名作だからだと思います。
この段は「川」と言われることもありますね。「山」でも「川」でも一語でわかってしまう名場面です。

私が文楽に初めて接した頃は津大夫の大判事、越路大夫の定高の時代(昭和57年朝日座がそうでした)ですが、よりはっきり覚えているのは、住大夫の背山、織大夫の妹山という昭和61年の舞台です。両師匠ともにまだお若くて、

    お二人だけで

あの長丁場を語り通されたのでした。
義太夫の芸などまだ何も知らなかった私が「背山は染太夫風で、アゴをつこて、ゴツゴツと語りまんねん」という住師匠の芸談をうかがって、一生懸命住師匠のアゴを見つめていたことを思い出します(どこ見てんねん!)。
妹山の織師匠もすばらしく、将来綱大夫を襲名されるなど知りませんでしたから、この方には

    春大夫

の名前が似合いそうだなどと考えていました。
観劇ノートにそう書いたことを覚えています。

いつか呂大夫、咲大夫が二人で語る日が来ると思っていたのですが、それは叶わず、今実現するなら背山を咲、妹山を英になるのでしょうか。

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お三輪 

簑助師匠で見慣れてきた

    お三輪

です。今回は勘十郎さん。簑太郎時代に何度か経験されているようですが、お名前が変わってからは少なくとも本公演では初めてだろうと思います。
「杉酒屋」では丁稚の子太郎が求馬のところに女が来ていると告げ、求馬に事情を問います。
ただ、ここでは激しい嫉妬心を見せるのではなく、求馬の恋人だろうかという不安を解消したくて、そうではないという返事を聞き出したいという感じに見えます。だからこそ、求馬がかなり苦しい言い訳をしているのにいったんは納得します。ところが橘姫が現れて、「お端女(はした)」呼ばわりされるやカチンと来たあと、嫉妬の心にチロチロと炎が燃え始めます。

  わが庵は三輪の山もと
      恋しくはとぶらひきませ
               杉立てる門
              (古今和歌集 雑下982)

古今集の歌ですが、古風な五七調で詠まれています。私の庵は三輪山のふもとです。恋しいと思われるなら訪ねていらしてください。杉の立っている門口へ。
謡曲の「三輪」に用いられている歌としても有名です。
三輪山は山自体が大神(おおみわ)神社のご神体。姿も美しい山です。

    道行恋苧環

の背景にも描かれています。
今回の背景は前面に杉と灯篭が平面的に描かれ、途中から遠近法の形で、しかも立体的に同じく杉と灯篭が描かれ、正面に鳥居があって奥に三輪山が見えていました。
ある方がおっしゃっていました。「神社から三輪山を正面に見るということはほぼ東を向いていることになるので、上手に向かって橘姫が去っていくとなるとあれは南に向いて進んでいることになり、三笠山とは逆方向ですね」と。なるほどそこまでは木が付きませんでした(笑)。芝居のウソですからかまわないのでしょうが、地元の人だと気になるかもしれませんね。

そんな舞台での求馬(和生)をめぐるお三輪(勘十郎)と橘姫(勘弥)の鞘当。
とにかく生き生きと動くお三輪です。
ここでは橘姫に「女庭訓躾方、よう見やしやんせ」の激しい言葉を投げかけます。橘姫はたいしたもので、あっさりと「恋はし勝ち」と返すわけですが。
橘姫が去り、求馬が追おうとすると、お三輪は

    悋気の針

を刺します。この段の最後はお三輪の独擅場。勘十郎さんの「ハッという声が劇場に響きます。

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芝六と鱶七 

『妹背山婦女庭訓』には

    対になった人物

がよく登場しますが、二段目の芝六実は玄上太郎と四段目の鱶七実は金輪五郎もそうだろうと思います。

芝六は陰に対して鱶七は陽。首は検非違使と文七。爪黒の鹿の血を得た芝六と疑着の相の女の血を得た鱶七。罪のない息子を殺した芝六とやはり罪もないお三輪を殺した鱶七。猟師と漁師。六と七。
さまざまな比較ができそうです。

この二人のどちらが欠けても入鹿誅伐は叶わないわけで、二枚目の久我之助や淡海とは違った魅力のある人物です。
今回は

    芝六 を 清十郎 さん

が、

    鱶七 を 玉也 さん

が持っていらっしゃいます。清十郎さんは事態の変化につれて微妙に変わっていく芝六の心を丹念に描いていらっしゃいます。玉也さんは「食えない男」というか、あの鎌足を「鎌どん」と呼んで憚らず、皇位に就いていると自称する入鹿にも遠慮会釈もない豪快無比な人物像を首をうまく使いながら大胆に表現されているようです。

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飲み会 

だし巻きの夕べはほんとうに盛会でした。

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しかも芝居の場合女性が多くなりがちなのですが、ほぼ同人数だったのがまた良かったようにも思います。いわば合コンでしたね(笑)。
冗談で

    季節料理Rの貸切

になればいいですね、なんて言ったことがありますが、将来ほんとうに実現したりして。
また皆さんのお親しい技芸員さんを誘ってください。
もし技芸員さんがこのブログをご覧になっていましたら、どうぞご遠慮なくおいでください(笑)。大歓迎いたします。

ところで、私はこういう会は実際のところ大の苦手です。
会話に入れませんし、特に瞬時のツッコミを入れられないのがはなはだ残念です。
関西人はツッコミをいれることを生きがいにしていますから(ほんとか?)。

職場の同僚と飲みに行くということはトンとありません。歓迎会だの送別会だのという恒例の行事もずっと失礼しています。思い出してみたのですが、出席したのはまだ何とか聴こえていた

    6年前!

のこと、お世話になった先輩同僚が定年退職されるので顔だけでも出そうと送別会に行ったのが最後だと思います。
送る会をずっと失礼しているわけですから、自分が辞めるときにはもちろん送別会は辞退させていただくことに決めています。ですからもう職場ではこういう会に参加することはないのだろうと思います。

職場以外の人では、おそらく1年半前だと思うのですが、9月の東京での文楽の帰りに3人のかたと一緒に国立劇場近くで少し飲んだのが最後だろうと思います。
家以外でアルコールを飲んだのは一昨日の「だし巻きの夕べ」が19か月ぶりということになりそうです。なんだか信じられません。

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だし巻きの夕べ・ふたたび 

昨日、文楽四月公演第二部終演のあと、国立文楽劇場の西すぐにある「季節料理R」において

    だし巻きの夕べ

が催されました。この公演は8時50分過ぎに終わりますので、あまりゆっくりはできなかったのですが、皆様それぞれにお楽しみになられたのではないかと存じます。
ご参加くださった方々、ありがとうございました。例によって実行委員長を引き受けてくださった

    やたけたの熊 さん

にも厚く御礼を申し上げます。
どんな会話があったのか、私も100%は分かりません(笑)し、おいでになっていない方々は当然お分かりになりませんので、またどなたかコメントの形で総括をお願い致します(笑)。

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簑助師匠の雛鳥 

ずいぶん久しぶりだそうです、簑助師匠の雛鳥。そういえばこのところお三輪はよく拝見したように思いますが、雛鳥は次の世代に譲られていた感がありました。
この公演は2月の東京公演に続いて

    吉田簑助文化功労者顕彰

の記念公演でもあります。
そのことが分かってから、師匠の役は何になるのか興味を持っていました。
私は勝手に芝六とお三輪、と思っていたのですが、まったくの大はずれ(笑)。
実際は

    雛鳥 と 藤原鎌足

でした。
お祝いの意味もあって「妹山背山」は住大夫、綱大夫の両巨頭が床に揃い、定高は文雀師匠、久我之助は紋寿師匠。大判事は玉男師匠の意味もこめて玉女さんということだとこれまた勝手に思っています(玉女さんに失礼ならごめんなさい)。
また、鎌足は威厳のある超然とした役どころで、簑助師匠の現在の地位を感じさせるものだと解釈しています。

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百日 

蘇我入鹿は大悪人。ちょっとやそっとではありません。
入鹿に用いられる「口アキ文七」の首は『菅原』で言えば時平。国崩しと言われる極悪人の首です。
ところがこの入鹿、父の蝦夷子は器が小さくで反逆の企てなどうまくいくわけがないと言い、自分は仏法に帰依した振りをして三種の神器の一つの宝剣をまんまと手に入れています。
入鹿の仏法帰依の装いはなかなか巧みで、

    入定 (にゅうじょう)

という究極の修行をすることになっています。
これは穀類を食することを絶ったあと、土中に設けた石室に入り、空気穴だけは付けるもののその中で断食しつつ読経し続けるという、なんとも無茶な修行です。
当然ながらやがて絶命し、肉体はミイラと化するわけですが、これを

    即身仏

といったのです。実際そういう記録があって、多くの高僧が入定したようです。
入鹿はこれを実践したことにして妻の「めどの方」をもだますのです。めどの方は「一つの棺を地中に納め、ちやうど今日が百日目、入相の鐘を限りに定に入り給ふ」と言っています。「定に入る」というのがすなわち「入定」のことですね。
そして父蝦夷子が阿部行主に逆心の罪で自害させられると、入鹿はその行主を殺して本性を現し、内裏に乗り込み、自分のことを「朕」などと勝手に呼んだりして天皇気分。「太宰館」(花渡し)ではもう言いたい放題です。
人形を持っているのは今は玉輝さん、後半は文司さんです。

この「太宰館」は三段目の端場とはいいながら、素浄瑠璃でもしばしば取り上げられ、太夫さんは相当な力がないと語れない場だと思います。今回は英大夫さん(三味線は団七さん)ですが、お聴きになっていかがでしょうか?

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こどもたち 

文楽の子供たちは、けなげだったり、やんちゃだったり。
丁稚というのは「阿呆」の役回りが多いようです。
「酒屋」の長太、「紙屋内」の三五郎、「帯屋」の長吉など。
『妹背山婦女庭訓』「杉酒屋」の

    子太郎

はいささか趣が違います。
「杉酒屋」の前段「井戸替」では大踊りのあと、家主の茂次兵衛が子太郎に「わりや心持はどんなもんぢゃ」と尋ねると、「いやもう心持は、あんころもちや」などとしゃれて返します。また茂次兵衛はお三輪との仲を取り持ってくれとこの子太郎に頼んだりもするのです。
「杉酒屋」では橘姫の求馬来訪を見つけるのがこの子太郎。お三輪にありのままを言ったため、お三輪は嫉妬することになります。お三輪の嫉妬は後に入鹿誅伐の決め手になりますから、こじつけるなら子太郎も一役買っていることになりますね。
それはともかく、丁稚という役回りは滑稽だったり、阿呆だったりで、芝居の中で浮いた存在であることが多いようです。それがまた面白くも時として重要な意味を持つ役柄でもありそうです。

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橘姫 

「杉酒屋」から「道行』「姫戻り」「入鹿誅伐」「志賀都」(「入鹿誅伐」「志賀都」は今回は上演ナシ)と登場するのが

    橘 姫

です。
不思議な魅力を持った女性ですが、実は蘇我入鹿の妹。入鹿誅伐に一役買います。

「杉酒屋」の前の「井戸替」では、お三輪が「何やら星様願がある」というので供え物をしています。そして幼い時に通った寺子屋に七夕に呼ばれて外出しています。
夕暮れになって丁稚の子太郎(ねたろう)が振袖の香のやんごとない女性が烏帽子折求馬を訪ねて来たのを見ます。合図のしわぶき(咳)をすると求馬が現れ、「今夜は早かったですね」と女の手を取って中に入ります。
子太郎は折から戻ってきたお三輪に「真っ白な絹をかづき、幽霊と見まがう美しい女が来て求馬と手に手をとって中に入った・・・」などと知らせます。早速求馬を呼び出してお三輪は「赤らむ顔」で問い質します。求馬は「あれは春日の神子殿で、連れ合いの禰宜の烏帽子をあつらえに来たなどと言い訳します。
この時にお三輪は七夕に供えた苧環を手に取り、男の心が変わらないように、白い糸と赤い糸を苧環に巻いて針を付け、牽牛織女の星に祈ったと言います。そしてお三輪は白い糸を自分が持ち、赤い糸の苧環を求馬に渡し、夫婦の約束をします。なんとも積極的な娘です。
するとその時、くだんの姫が現れ、

    「あの女は端女(はしため)か」

などと言い放ち、カチンと来たお三輪と口論に。二人にはさまれてうろうろするのは二枚目の求馬、ということになります。
この間も橘姫はお三輪とは身分が違いますから、お三輪を見下ろしたような余裕があります。動きもお三輪に合わせてしまって気ぜわしくなっては、町娘になってしまいますから人形遣いさんも難しいでしょうね。
そこにお三輪の母が帰ってきて、求馬が淡海であることがわかったため、逃がすまいとします。すると橘姫はすっと外へ出て行きます。跡を追う求馬、さらにはお三輪。こうして道行につながります。

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教えない 

今月から長男が大学生になりました。
その生活、おもに経済的な面についてどのようにサポートすればよいか、一度相談しておこうと思って、先日2人だけで夕食に出ました。
といっても私は車、彼はまだ下戸なのでアルコール抜きでしたが。
用件は簡単に済み、あとは雑談。しかし会話はうまく運びませんのでどうしても私の

    言いたい放題

になってしまいました。実は彼は教職を希望しておりまして、つい教育談義に。ほとんど禅問答なのですが、私の基本的な考え方である

    離れること

    教えないこと

    ゆるすこと

についてしゃべってしまいました。
教えない、というのは穏やかではありません。教えてこそ教師です。これでは仕事を放棄しているようなものです。
しかし、私は教師というのは究極的に言えば教えない仕事なのではないかと最近思うようになっています。

もちろん、何も知らない子供に1+1=2だと教えて、それを覚えこませ、さらにさまざまに応用させて知識を増やしてやるのは大事なことです。
しかし、そういうこととは別に教育の本質はあるのだろうというのが今の私のぼんやりした見通しです。

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タカラヅカの春 

私の住まいの近所の春の様子です。これまで地元の写真を撮ることをほとんどしてこなかったのですが、やはり宝塚の文化を紹介することもあるかと思い、どうせなら桜の季節にといくらか撮影してきました。

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阪急電鉄今津線。宝塚南口から終点の宝塚駅に向かって走る電車です。奥に宝塚大劇場が見えます。阪神大震災の時、このすぐ右側の辺りで電車が脱線、傾いた状態で止まっていました。もう少しタイミングがずれていたら、この左手は鉄橋ですからそこから電車は川に転落していたかもしれません。

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新谷由紀作「愛の手(MANO D'AMORE)」(1978年)です。この像は当初女性が男性の手に乗っていると説明されたため、女性を蔑視していると問題になったいわくつきの像です。宝塚大橋に設置されています。

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少し宝塚南口駅寄りです。手前の像は淀井敏夫作「渚」(1978年)です。やはり宝塚大橋に設置されています。

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「渚」の反対側(下流側)にある像です。やはり淀井敏夫の作で「鷗」(1978年)。背後から撮っています。

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宝塚大橋を左岸へ渡り切るとまもなく手塚治虫記念館があります。これはもちろん「火の鳥」の像です。

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宝塚大劇場の前は桜並木。その名もずばり「花のみち」です。朝早く撮影しましたので人はまばらですが、出待ちの時間帯などはファンが大勢つめかけます。

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「ベルサイユのばら」の二人も桜を見上げているようです。朝撮ったところ光の関係で像が見えにくかったので、これは午後再び散歩したときに取り直したものです。午後はさすがに散策する人の姿が多く、これはその間合いを狙って撮ったのですがそれでも人影は絶えませんでした。

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上の像を背後から見ました。

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宝塚歌劇はオペラではなく「レビュー」です。この像を見るといかにも、という感じになりませんか。

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「花のみち」沿いにはこういう感じのしゃれた店が並んでいます。震災まではもっと古びた店が多かったのですが、時の流れと震災のもたらした変化です。

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「だし巻き」大募集! 

当ブログから始まった文楽ファンの懇親会

    だし巻きの夕べ

が4月10日夜おこなわれます。その日劇場にいらっしゃる皆様、行かないけど自転車で行ける距離に住んでいるという方など、どうか遠慮なくご参加下さい。
遠慮される理由として
  ◆お酒が飲めない
  ◆知った人がいない
  ◆しゃべるのが苦手
などがあるでしょうが、まったくご心配は無用かと存じます。私もあまり飲みませんし、話は満足にできません。
でも、文楽をネタに話せばおのずから盛り上がりますし、みなさんそれぞれの「私と文楽」のお話も思いのほか楽しめそうです。
これまで参加したことがないという方、ブログにコメントすらしたことがないという方も大歓迎です。
あえて申しますなら、参加条件は
  ◆文楽が好き
  ◆楽しいことが好き
  ◆飲んでも暴れない(笑)
くらいでしょうか。

    紳士淑女

の集まりですので、怖がらないでくださいね(笑)。

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さあ初日 

文楽4月公演がいよいよ初日となりました。
久しぶりの通し狂言

    妹背山婦女庭訓

です。近松半二が壮大なスケールで描く人間模様がどのように舞台に実現するのか、大いに期待が持てます。
個人的には、咲大夫の「芝六忠義」、英大夫の「花渡し」以下、和生の求馬、勘十郎のお三輪、玉女の大判事以下の中堅技芸員を中心とした舞台作りに関心が高まっています(咲さんはもう中堅ではないと思いますが、何しろ上が厚い太夫陣なので)。
ベテランとは違った大胆で

    華のある

技芸が披露されんことを切望しています。

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求馬 

文楽4月公演が目前になりました。

    妹背山婦女庭訓

には魅力的な人物が多々登場します。
男性では大判事清澄、芝六(玄上太郎)、蘇我入鹿、鱶七(金輪五郎)などが主要人物として登場します。
そして、二枚目というと久我之助清舟と烏帽子折求馬(藤原淡海)でしょう。
今日はこのうちの求馬について、玉男師匠の芸談から抜書きしておきます。
もちろん吉田玉男・森西真弓『吉田玉男 文楽藝話』(国立劇場調査資料課編)によります。
今回求馬の人形は

    吉田和生 さん

ですね。
求馬、というか右近衛中将藤原淡海はまず二段目の「猿沢の池」に登場します。天智帝が入水したという釆女を慕って猿沢の池にやってきますが、そこに現れたのが浪人姿の淡海。神例の式を誤ったために勅勘を受け、逼塞していたのですが、天皇を守護するためなにとぞ許しを得たいと思って現れたのでした。天皇も「今より汝はもとの淡海」と言って許します。ここに関しては玉男師匠は何もおっしゃっていませんが、おそらくきりっとした官人らしさを前面に出す演技のしかただろうと思います。
入鹿の悪行を注進が伝えた後、淡海は遠見をするといっていったん去り、そのあと「足音高く」馳せ戻ります。これは盲目の天皇に戻ったことを明示するための意図的な足音なのでしょう。足遣いさんを見たいところです。
今回は二段目を第一部と第二部に分けて上演しています。第一部では「猿沢の池」のみです。
「万才」は、芝六の住処を内裏と偽って天皇を住まわせている場面です。天皇が「ここは常寧殿よな」と言っていますが、常寧殿というのは後宮の中心的な殿舎で、十一月の新嘗会に先立ってここで五節舞姫を天皇が見ることになっていた、そんな風雅をイメージさせる場所です。
そこで天皇は管絃を催すように命じ、それができないため広瀬村の「べれべれ万才」を演ずるというのがこの段です。
淡海は天皇に仕える官人として現実とのギャップを埋めるべく苦労しています。
そして「芝六忠義」では芝六が裏切ったのではないかと疑心暗鬼になる場面もあります。
玉男師匠はここの淡海について

  きりっとした凛々しさ

を描写するとおっしゃっています。

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辞令 

会社勤めの方の中には、本日何らかの辞令を受け取るという方もいらっしゃることでしょう。
昇進された方、おめでとうございます。
平行移動の方(笑)、さらに頑張ってください。
左遷された方(笑)、捲土重来です。

かつて、広島の短大に職を得た時、「で、広島に行くの……?」と言われました。やはり関西から広島というと

    都落ち

のように思う人があるようです。地域差別と非難されようとも、人情としてはそんなものなのでしょう。関東で言うと東京から仙台へ行く、という感じでしょうか?
「もう少し関西で我慢したほうがいいのではないか」と真剣に言ってくれる人もありました。
ただ私はそういう感覚はまるでなかった上に、自分が求められるところに行くのですから、広島万々歳でした。実際あちらでは大事にしてもらいましたし、そのおかげで

    関西を客観視

できるようになり、その後の人生に大いにプラスになりました。
お好み焼きばかりか酒も魚もいいですし、今も広島に行くのは好きです。退職したらあちらで暮らすのもいいかな、とすら思います。庭付き(小さな畑が作れるくらい)の家が買えるならきっと優雅な余生になるだろうと思うのですが、それはやっぱり無理ですね。

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