200歳 

このところ話題になったのが戸籍上桁違いの

    長寿者

が生存していることでした。
昔、徳之島で泉さんというおじいさんが120歳まで生きた(若干疑問があるらしいですが)というのに驚愕したものですが、それどころの騒ぎではありません。
150歳、180歳、そしてついに200歳の方の戸籍が残っていたそうですね。
お生まれが

    文化七年(1810)

ということになっており、これはちょうど初代文楽軒、正井文楽が亡くなった年です。
さらにいうなら、清二郎から清七になって、のちに三世鶴澤友次郎となった

    松屋清七

が活躍していた頃です。
少し年長の文楽関係者では三世竹本長門太夫(1800年生まれ)、五世豊竹湊太夫(1800年生まれ)などがいて、三世野澤吉兵衛(1821年生まれ)、初世吉田玉造(1829年生まれ)らよりも年上になるのですね。
ちょっと想像がつきません。

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嬉しいことば 

大学には紀要という名の雑誌があります。
ほぼ無条件に掲載されるので、学会誌に比べると評価されにくいもので、書きたがらない人も少なくありません。
実は私も長年書かなかったのです。
しかし、いつぞやこのブログにも書いたのですが、この6月にまとめたものを手っ取り早く(笑)活字にしたいという気持ちもあって、久しぶりに投稿しました。
さきほど「ほぼ無条件に」と申しましたが、今は雑誌の評価を少しでも高めようということなのか、

    査読

という制度があります。つまりあらかじめ学内の教員が読んで、掲載に値するかどうかや修正が必要かどうかをチェックするわけです。
建前としては、査読の結果、掲載されないこともありうるのです。
夏休みがその査読期間で、担当の先生には迷惑をかけてしまいました。

そんなわけで、なんだか検定試験でも受けて結果を待っているような感じで嫌だなぁ、と思っていたのです。
その結果が先日係の人から届きました。

査読された先生が「このままの掲載で問題ない」という判断をされましたので、そのようにいたします。

ということでした。

    検定試験にパスした

感じです(笑)。
もちろん査読者はどなたか私には知らされません。見当はつきますけどね(笑)。

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3人がかり 

本日はまったく文楽の話ではありませんので、関心のない方はこれにて(笑)。

先日、大阪市にある病院の耳鼻科に行きました。
この病院では常勤のドクターは2人。その他に週に1日だけ非常勤で予約診察のみしているドクターがいます。
この人は私の主治医の大先輩だそうで、ネットで調べるとどうやら

    手術の鬼

のような人らしいのです。主治医曰く「カリスマドクター」。
主治医の「一度この先生の診察を受けてください」というアドバイスによって、初めてお目にかかったわけです。
この病院は1診、2診があり、1診は私の主治医、2診は若手常勤ドクターの担当です。主治医が別の患者さんを診ている横を通って2診に行くと、カリスマ氏はそこにどっかと座られ、若先生は助手のように控えていらっしゃいます。「2人がかり!」と思っていたら、1診から主治医が来て、

    3人がかり

になりました(笑)。ちらっと1診を見ると患者さんがまだ座っています。ほったらかしてきちゃったの?
カリスマ氏、耳のそうじをしてくれるのですが、力強いというか荒っぽいというか、痛いの何の(笑)。涙があふれました。
で、3人のドクターがああでもない、こうでもないと話し合い、いったん主治医は1診に戻られたものの、その患者さんの診察が終わるとまた来られました。
CT画像を見ながらまたまた議論。申し訳ないくらい熱心に話し合ってくれました。

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ボストン 

アメリカ合衆国マサチューセッツ州の州都といえばボストン。
行ったことはありませんが、日本人には割合に馴染がある町ですよね。
小沢征爾さんが長らく音楽監督として活躍されたのが

    ボストン交響楽団

でしたし、現在松坂選手などが活躍しているのは

    ボストン・レッドソックス

です。プロスポーツではバスケットボール、フットボール、アイスホッケーなどのチームもあるようですが、私はよく知りません。
大学ではボストン大学などがありますし、かなり文化的に高い質を持つ街だろうと想像しています。
ちょっと調べてみたのですが、人口は60万人あまりだそうで、これまた行ったことはありませんが、千葉県の船橋市くらいだそうです。
ただ、船橋の方には失礼なのですが、文化的にボストンに匹敵するかというといかがなのでしょうか? 比較しても意味がないかもしれませんが。

さて、そのボストンの 忘れてはならない文化施設といえば

    ボストン美術館

です。

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京都は暑い 

昨日、京都を歩いてきました。この暑いのに、何を好んで、と思われそうですが、博物館と美術館が目的なので、中に入れば涼しいだろうということで行ってきたのです。
しかし、目的地だけというのはあまりにもつまらないので、ちょっと寄り道をしながらでした。
阪急河原町から、このところ歩いていない高瀬川沿いをぶらぶら。やはり

    土佐藩邸跡

に小中学生が集まっていました。龍馬ブームなのですね。隣の通り、河原町通りには近江屋跡や中岡慎太郎寓居跡もありますから、きっと訪ねるのでしょうね。
歌舞練場のあたりで先斗町に入って三条大橋を渡り、三条京阪。ちょっと暑くなってきたので水分補給のあと京都市美術館へ行きました。これについては明日書くとして、久しぶりに疎水の水を見ました。
三条京阪に戻って、七条まで電車。
次は国立博物館です。ここでは

    没後200年記念 上田秋成

の特別展観がありました。しかし館内はがらがら。
私、実は、上田秋成は詳しくないのです。「雨月物語」「春雨物語」「癇癖談」「世間妾形気」などの代表作は一応目は通していますが、ちょっと私の好みからは外れるのかもしれません。
「雨月物語」は名作だとは思いましたが。
加藤美樹(かとう うまき。宇万伎)、木村蒹葭堂、与謝蕪村、本居宣長などとの関係も深かったようですが、私はむしろその関係者の方はかなり興味があるのです(笑)。

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9月は東京 

9月になるといくらかでも涼しくなるでしょうか。
文楽は

    東京公演

になります。今回は新作あり、久し振りの上演ありで、なかなか興味深いのです。
また、ほかに用がありますので、ぜひとも行こうと思っています。
9月6日に出発して8日に帰る計画です。
先日勤務先には出張申請をしておきました。
今回用があるのは

    国立公文書館
    東京国立博物館
    国立劇場
    相撲博物館

です。
出張申請書には(当然ですが)きちんと書いておきました。
ただ、ものはついでですので、上野に行く時は国立西洋美術館にも行っておこうと思っています。
こればっかりは出張の理由にならないものですから(私は西洋美術とは何の関係もないので)、ナイショ(笑)ということで。
おそらく6日に公文書館、7日は国立劇場に入りびたり、8日はふたたび公文書館から両国に行ってさらに上野、そして帰る、ということになると思います。

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コスミ大夫 

当代住大夫師匠は先代竹本住太夫のご子息(実は養子)で、豊竹古靭太夫に入門されたため、初名はお二人のお名前から一字ずつ頂戴なさった

    豊竹古住太夫

でした。「おとっつあんより『古い』んか」と先輩から言われた、とおっしゃっていました。
確かに、初名としてはなかなか重厚なお名前ですよね。
師匠は大正十三年(1924)にお生まれになって、すぐに実母の姉夫妻の家、すなわち竹本八十太夫(やそたゆう。のちの六世住太夫)家に養子に行かれたのだそうです。正式なデビューは戦後のことで、20歳を越えていらしたようですが、ご自身子供時代から語っていらしたので、義太夫節とはざっと

    80年

ほどのお付き合いがおありなのでしょう。こうなるともはや想像を絶する年月です。
今こそ「古住大夫」になられたといえるかも知れません(笑)。
今年の秋には86歳になられる現役スーパースター。女義さんに96歳の鶴澤友路師匠など高齢の方もいらっしゃいますし、清元には亡くなった志津太夫さんという長寿太夫さんがいらっしゃいましたから、住師匠もまだまだご活躍くださることと信じております。

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すり込まれ 

ついこの間、プロ野球の阪神vs巨人を眺めていたのです。
私はどちらのチームにもあまり関心がないのですが、さすがは関西人と自覚することになりました。
出ている選手の顔を見て、すぐに名前が出てくる人は、阪神ではマートン、平野、鳥谷、新井、ブラゼル、金本、城島の7人。先発で出ていて分からなかったのは林と若手のピッチャーだけ。それにしてもこんなに判別できるなんて、我ながら驚きました。
いつのまにかすり込まれているのですね。

ところが、巨人の選手は全然分からないのです。日本ハムにいた小笠原がいるはずだと思っていたら、

    ひげがなかった(笑)

結局分かったのは元オリックスの谷と元ヤクルトのラミレスだけ。顔どころか、名前も知らない選手も少なくありませんでした。
昔は、テレビの野球中継というと関西でも巨人ばかり。否が応でも巨人の選手の顔を

    覚えさせられた

ものでした。
今はもうすっかり様子が変わって、関西なら阪神の放送が多く、時にはオリックスも。昔はパリーグなんて「各地の途中経過」で知るくらいでしたけどね。

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相撲博物館 

とまぁ、2日間相撲に関して書いてきたのですが、とにかく頭の中は平安時代の相撲節会の行事でいっぱいです。
そんなわけで、この9月に計画している東京小旅行のスケジュールに

    相撲博物館

も入れようかと思い始めています。
相撲博物館は両国の国技館にありますから便利なところですし、何度も目の前を通っているのに、これまで行ったことがないのです。
実はこの8月20日まで

    相撲の説話

という展示が行われていて、そこに節会の資料が出ていたそうなので、タイミングとしては最悪、正直に申しましてあまり期待はしていないのです。お隣の江戸東京博物館もあまり食指は動かず、いまひとつ気持ちは盛り上がらないのですが、何でも見ておかなければならないという気持ちだけで行こうかな、と。

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妹は怪力 

相変わらず相撲節会について調べる日々なのですが、説話に見える

    相撲人

もなかなかおもしろいのです。
駿河国の

    私市宗平(きさいちのむねひら)

は狩をしていて、矢を射られた鹿を追って入江に飛び込みました。そして鹿を捕らえて担いで岸に戻ろうとしたのですが、そこに鰐(わに。鮫の類)が襲ってきたのです。ところが宗平は動ずることもなく泳いでいます。いったん鰐が消えたかと思うとまたやってきました。同じようにまた姿を消したかと思うとまた襲ってきたのです。三度目に襲ってきたとき、岸に近づいていた宗平は難なくこの鰐を陸地に投げ上げたと言います。
びっくりしたのが陸地にいた人たち。宗平は涼しい顔をして「最初鰐が現れたときは鹿の頭を食わせた。次に襲ってきたときは腹と左足を食わせた。そして最後に襲ってきたときに右足を鰐の口に突っ込んだと同時に陸に投げ上げたというわけだ」と言うのです。鰐の習性を熟知して、泰然として鹿を与えて最終的には大物の鰐を捕らえる。知恵と力を兼ね備えていたのですね。

    大井光遠

という相撲人がいましたが、彼には美人の妹がいたのです。あるとき、強盗が逃亡してきて、妹を人質にしてたてこもりました。ところが光遠は平気。近所の人たちが家の中をのぞいてみると妹は男に捕らえられたようなかっこうで強盗に刀を突きつけられています。すると妹が何を思ったのか、矢竹の束を二、三十本手にして指で板の間に押し付けたのです。すると矢竹は朽木のように砕けてしまいました。
強盗はビックリ。 この怪力の女には自分の力など通用しない、それどころか殺されるかもしれないと思ってつい逃げ出してしまったのです。
光遠が言うには、「私も怪力だが、妹は私の二倍の力を持っている」。

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相撲節会 付550,000 

文楽で相撲といえば『双蝶々曲輪日記』『関取千両幟』がありますが、私は必要に迫られて、このところずっと平安時代における

    相撲(すまひ)節会

について勉強しています。
『日本書記』に見える、大和の當麻蹴速(たいまのけはや)と出雲の野見宿禰(のみのすくね)との対戦を相撲の起こりとすることもありますが、格闘技自体は人が二人いたらどこにでも有り得たでしょうね。蹴速は名の通り足技(蹴り)が得意だったのでしょうが、逆に蹴りで宿禰に敗れ、あまっさえ腰を踏まれて殺されます。
これはもう、荒っぽいキックボクシングですね。もちろん土俵などなく、「寄り切り」も「押し出し」もありません。文字通りの

    死闘

ですね。
やがて天皇の前で節会としておこなわれるようになり、各地のつわものを集めて競わせ、勝者を官人(例えば機動隊のような職種)に採用することもありました。味方にすると頼りになりそうですよね。
平安時代の相撲人には私市宗平、真上勝岡、大井光遠などがいました。

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阿漕 

三重県津市、JR「津」駅のひとつ南(松阪方面)に「阿漕」駅があり、地名にも阿漕町津興(つおき)というところがあります。
まさに海辺で、このあたりは今も「阿漕浦」と呼ばれ、津市柳山津興(やなぎやまつおき)には「阿漕浦海浜公園」もあります。
このあたりの海は伊勢神宮に供える魚を獲るために一般の人は禁漁とされていたのだそうです。
能「阿漕」は、阿漕という漁師が夜な夜なここで密漁をしたため、海に沈められ、その霊が西国の僧に回向を頼む話です。

    勢洲阿漕浦

では、平治の母の病気の特効薬である「ヤガラ」を孝行者の平治が罪を厭わず獲ろうとして、結果的には三種の神器の剣を見つけるというのです。平瓦治郎蔵と出会って慌てた平治は名を書いた菅笠をあとに残してしまいます。
翌日、庄屋の彦作が平治の家にやってきますが、平治は

    一昨日から寝続け

で、まだ目が覚めぬと大あくびをします(もちろん芝居)。この「一昨日から寝続け」は、津大夫師匠の語りでは「おとついからねっつけ」のように聞こえたものでした。26年前のこととて、私の聞き違い、記憶違いかも知れませんが。
彦作は「途方もない長寝ぢやの」とは言いながら、平治が密漁した者ではないかと疑っているようです。
このときの平治との会話の中に一昨日書いた「腹立てまいぞや・・・」が出てきます。

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ワークショップ余滴2~幕 

今月6日の小学校公演の余話その2です。
私どもの人形の師匠の数多いファンの方々に叱られそうで、また、師匠の名誉を傷つけそうで、書こうかどうか悩んだのです。
何だか、こき使っているような気がしてくるのですよ……。しかし、こっそり(?)書いておきます。
人形の説明とクイズ、手遊び歌、立ち回り体験を終えて休憩に入り(例のパニック状態の…)、そのあとは6~7分の寸劇となります。
その稽古の時、師匠は「やはり

  幕が欲しいですね」

とおっしゃるのです。そりゃ、あったほうがいかにもお芝居という感じになっていいですが、そこまで大掛かりにできるかな……と思いつつ稽古場を見渡すと、

  遮光カーテン

が目に入りました。「あれはどうですか?」「あれでいきましょう」と話は即決。でも、どうやって幕にするの?

師匠は、ニヤッとして「持ちましょう」。
……って、誰が?

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勢州阿漕浦 

竹本津国大夫・鶴沢浅造が端場、竹本津大夫・竹澤団七が切場で、昭和59年9月(当時、9月公演は大阪だったのです)に国立文楽劇場で

    勢州阿漕浦

が上演されました。津国さんは、初日から病気休演だった兄弟子の緑大夫さんの代役でした。
医者林右衛門と庄屋の彦作を簑太郎さん、玉女さんが交代で遣われていました。阿漕の平治は文雀師匠、お春に紋壽さん、平治の母に亀松師匠(途中休演。代役は一暢さん)、奥村兵庫に玉松さん、そして平瓦治郎蔵に先代勘十郎師匠。
いやぁ、こうやって書いてみると懐かしいです。だって、それ以来観ていないのですから。
あの当時はNHKが文楽を割合に放送していましたが、この演目も放送され、私はビデオ録画しました。かなり劣化して、映像は悪くなっていますが。

津大夫師匠の語りはこの荒唐無稽ですらある演目にぴったり。ありえない話をなんだか魔法のように

  そういうこともあるかも

という気持ちにさせてくださいました。
彦作が独特のリズムをつけて言う「腹立てまいぞや、腹立てまいぞや、腹立てまい」という滑稽なせりふも強烈に耳に残っています。

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ワークショップ余滴~足遣い 

文楽人形遣いさんが最初にマスターするのは足です。
では一番簡単なのかというと、とんでもない。大変難しいものです。
私も何度か教わりましたが、皆目要領をつかめません。まず、

    タイミング

がわからない。主遣いの動きに合わせればいいのに合いません。歩きましょうと言われて2、3歩進むうちにバランスが崩れ、挙げ句にはパニックになって動きがとまる。立て膝にも棒足にも進めません。構えにしても、理屈はわかるのですが、実践が伴いません。
ここまで鈍かったのかと我ながら情けなくなるのです。

    鑑賞教室

などの体験コーナーで苦戦する人をつい笑っちゃいますが、罰当たりかも知れません。

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鰯売恋曳網 

三島由紀夫が中村歌右衛門のために書き、相手役を先代勘三郎が演じ、さらに当代勘三郎の襲名披露では玉三郎とのコンビで上演された、

  鰯売恋曳網 (いわしうりこいのひきあみ)

が文楽でお目見えとなります。織田紘二さんの脚色・演出で、咲大夫さん、燕三さんの作曲、藤間勘十郎さんの振付です。
もとはお伽草紙の「猿源氏草紙」ですが、それを三島が喜劇に仕上げました。
チラシに書いてあるでしょうし、歌舞伎でおなじみですので、今さら「余計なお世話」かと思いますが、あらすじなどを例によって覚書として書きます。脚色、補綴された文楽バージョンについては存じません(チラシも拝見していません…)。

「五条橋の段」。
今は昔の京の都。鰯売の猿源氏の売り声に元気がないので、父の海老名なあみだぶつが問い質すと恋患いだというのです。相手はハイクラス遊女の蛍火で、鰯売風情が相手役にしてもらえるはずもなく、この恋は叶わないところです。しかし、なあみだぶつの発案で、猿源氏を、折しも上洛しつつある大名の宇都宮弾正に仕立て上げて、いざ蛍火のもとへ出かけます。

「五条東洞院」の段
五条東洞院の廓では、蛍火が貝合わせをしています。そこに宇都宮様ご一行こと猿源氏たちがご登場。まんまと蛍火に会えたものの、戦物語をしてほしいとの難題を出されて、さあ大変。しかし猿源氏は、

    魚尽くし

の話をしてなんとか急場を凌ぎます。こういうところは咲さんが何らかのおもしろい工夫をされるかも(やっしっし、は出てきませんかね…笑)。
猿源氏はついに酔って寝てしまうのですが、ここで本性を顕します。
「伊勢国に、阿漕が浦の猿源氏が鰯、買うえ~い」と、寝言で鰯売りの口上を言ってしまったのです。「あなたは鰯売りなの?」と迫る蛍火。違うと主張する猿源氏。不思議なことに「やはり宇都宮様ですか…」と、蛍火は落胆してしまいます。
実は彼女は紀州丹鶴城(今の新宮市にあった城)の姫君。ところが、ある日、鰯売の見事な売り声を聴いて、恍惚として城を出てしまい、人買いに捕われて売られ、その後も勤め奉公しながらあの声の主に会いたくて観音様に祈願していた、というのです。驚いた猿源氏は鰯売の身分を明かし、その声は自分だも言います。
そこに現れたのが姫君の家来。彼が「城にお帰りを」と身請けの金を用立て、蛍火は自由の身になります。ところが、城には戻らず、猿源氏と結婚して、

    鰯売の女房

になると言うのです。
めでたし、めでたし。

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戦争を知らない 

ジローズの「戦争を知らない子供たち」という歌は今も歌い継がれているのでしょうか。
昭和20年生まれの人が65歳になり、文楽の技芸員さんならこれからが華ですが、一般的には

  リタイア世代

です。「戦争を知らない…」の作詞をされた北山修さんも64歳になられて九州大学教授を定年退職されました。

この国の大半の人は「交通戦争」「受験戦争」「家庭内戦争?」などはともかく、目の当たりに戦争を見ることを経験していません。
報道カメラマンやイラクに行った自衛官くらいでしょうか。
だからこそ、芝居や映画で戦争を擬似体験するのは必要かも知れません。といいながら、私は戦争映画が苦手。子供の頃、戦艦ナントカや戦闘機カントカに夢中になっていた兄とは肌が合わず、それでも

  哀しい軍歌

は何となく好きでした。父親が大正末年の生まれなので軍歌のレコードがあったのです。

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良弁 

9月の文楽東京公演には

    良弁杉由来

が出ますね。
良弁僧正はもちろん実在の人。7世紀末から8世紀後半まで、84年の人生を送った人です。相模出身説がありますが、芝居では近江の

    志賀の里

ですね。
義淵を師として学んだあと、金鐘寺で学問に励みますが、この金鐘寺こそのちの東大寺です。
こんな詮索は意味がないでしょうが、仮に光丸(良弁)が鷲にさらわれて30年後に母の渚の方と再会したとすれば、そのころ、寺はまだ金鐘寺。良弁の地位もかなり低いものだったはずです。彼が大仏建立の功で東大寺別当(初代)となったのは数え年の63歳。僧正になるのはさらに後のことです。

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耳に来た part2 

引き続き、ぐだぐだ日記です。

昨日も耳鼻科で診察。
やはりまだよくないようで、医師は「正直に言うと、

  もう少し切りたかった」

というのです。うぎゃあ~。「患者殺しぢや~」。
何と言っても脳に近い器官なのでそれをずいぶん気にされて、「今日も点滴しましょう」。はい、もうそのつもりで来ましたので……。
さらに神経内科に回されて、髄膜炎の診察。
初体験でしたが、ドクター(30代くらいの女性)が私の足を持ち上げて曲げたり伸ばしたり、首を曲げたり、両足を自力であげさせられたりしました。
意味不明だったのは「目でサルを追ってください」という指示。彼女はニッコリしてボールペンの先についているサルのフィギュアを指差したのです。これを眼球の動きで追いかけるのですね。

脳はすでにかなり弱っている(!)のですが、これ以上急速にダメになるとやっかいですので、心配しましたが、結果はほぼシロ。高熱や吐き気、首の硬さ、激しい頭痛が現れたら髄液を検査しましょうとのこと。「これって、腰にブスリと針を刺す検査ですか?」と質問したらなんとも

  チャーミングな笑顔

で、「そうそう!」。
嬉しそうに言わないでくださいよ(笑)。痛いのはしばらく遠慮したいんだから~。

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耳に来た! 

今日は日記です。

とにかく夏休みまではなんとしてもがんばらねばという気持ちでやってきましたが、同時に、夏休みに入ったらどっと

  疲れが出る

のではないかという懸念も持ち続けていました。
結果的に耳に来てしまいました。
しばらく鼻の状態が悪かったのですが、それが移った感じです。先日朝からどうも不快感があると思ったら徐々にズキズキし始めました。
こうなると何も出来なくなってしまいます。
その日はとにかく痛み止めを飲んで寝るだけ。
で、耳鼻科に行ったらやはりかなり腫れていました。
こうなると、やむを得ず鼓膜切開。
ところが麻酔が効かず、痛いのなんの。涙ぽろぽろでした。挙げ句の果てには血圧が80以下にまで下がってダウン。
ひどい目に遭いました。
麻酔なしで耳を切られるということは、私は義平次?

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お盆休み 

この2か月ほど、とても充実した日々でした。
怠け者の私にしては珍しく寸暇を惜しまず仕事をした感じです。授業をして、公開講座に出て、論文を書き、エッセーをいくつか書き、文楽夏休み公演に通い、

    だしまきの夕べ

に参加させていただき(仕事か?)、文楽人形パフォーマンスの台本を書き、小道具を作り、集中講義の形で文楽人形の稽古に励み、小学校で公演する。
体調が悪ければこの半分も出来なかったでしょうが、なんとか最後まで維持することが出来ました。やらなければ、という義務感がかえってよかったのかもしれません。
ろうそくの火が最後にぱっと燃えるようなものでしょうか?(笑)

先日このブログの最初のほう(4年前)をチラッと見ていたら、「7月半ばで夏休みに入る」と書いていました。それを思うとほぼ1か月遅れで大学は

    夏休み

に入ることになりました。7、8日はいわゆるオープンキャンパスがあるのですが、役に立たない私は招集されませんので、ひとあし先に休みに入ったのです。
何度か申しましたが、夏休みというよりは

    お盆休み

という感じです。それでも、土日を含むと7日から15日までは休みですから世間の皆様に比べればゆったりしたものです。もっとも事実上年休がありませんし、普段休んだらそれを年休として届けるものの、土曜日に無給で補講などをしなければなりません(年休の意味ナシ)ので、まあ、これくらい休ませてもらっても罪にはなるまいと思っているのですが。

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伝統芸能の授業 

長らく続けてきた

    伝統芸能演習(ワークショップ)

の授業が終わりました。
やり遂げたという気持ちはありません。道半ばにして終わりです。残念です。
この大学にいたからできたという喜びと、この大学だから途中で終わってしまったという悔いとが交錯するのです。

私がこの授業を始めるにあたって考えたことはこんなことでした。

◆大学の授業として文楽人形の遣い方を学び、身をもって伝統芸能を知る
◆一体の人形を3人で遣うことでチームワークの重要性を体験する
◆わずかにでも身につけた人形の演技を見ていただくことで社会を知り、表現することの重要性を感じる
◆社会的弱者と呼ばれる人たち(高齢者、障害者、児童)と触れ合って自分の生き方を見つめなおす

ほかにもいろいろあったのですが、およそこんな感じです。
中でも重視してきたのは4番目。今回の場合は子供との触れ合いでした。
子供という、「自分もかつてそうであったのに、いつのまにか忘れてしまっている世代」と触れ合うことで改めて自分というものを見直してほしいのです。子供を通して自分を浮き彫りにする、再発見する。子供から見た自分とは何なのかを感じとほしいのです。

    子供から見た自分

の意味を理解しないままの「親」たちが子供を虐待したり、殺したり、放置したりする。そういう時代だからこそ彼女たちに(理屈では分からないかもしれませんが)感じてほしいのです。

これまでに、社会に出て活動したことについてはこのブログでも書いてきました。

http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-134.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-259.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-332.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-519.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-825.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-844.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-903.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-918.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-976.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-1062.html
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-1411.html

これ以外にもあるのですが、ざっと思いつくだけでこんな感じです。
マスコミにもずいぶん注目していただいて、新聞、雑誌、テレビ、ラジオに学生たちがずいぶん紹介されました。
ひとつ例を挙げると、こんなものがありました。

http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-50.html

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伝統芸能WS 最終日 その3 

というわけで、「休憩時間」でもう我々はダウン寸前。
子どもたちの勢いのすさまじさは我々の常識を超えたものでした(笑)。

    み、水

と心の中で訴えながら(笑)、いよいよ最後の寸劇です。そのあらすじは・・・

小学校の先生の「ごんたさん」は、最近学級崩壊で悩んでいます。「ああ、もう学校の先生なんて辞めて、いっそアイドル歌手にでもなりたい、そのためにはまず若い女の子になりたい」と思いつめています。ふとそこを見ると、先日街で奇妙な人から手渡された薬の試供品のようなものがありました。効能書には「この薬を飲んで3回願い事を唱えると願いが叶う」と書いてあります。

    そんなあほな

と思いながら、ひょっとしたら、という思いもあって、ごんたさんはさんざん悩んだあと、ついに薬を飲んで「女の子になりたい、女の子になりたい、女の子になりたい」と祈りました。
すると、あら不思議、ほんとうに若い女の子に変身してしまったのです(ここは文楽の「道行初音旅」で狐が忠信に変身する時の演出をお借りしています)。
ごんたさんは大喜び。「姿見」をして自分の美貌にうっとり。歌手になった気持ちでマイクを持って歌い出し、女の子ならお手玉くらい出来ないと、といってお手玉を始め、甘いものも食べないと女の子じゃない、と思ってケーキやドーナツを食べ・・・と、有頂天になっています。
あまりのありがたさに、薬に三拝四拝。ところがもういちど効能書を見ると

    効き目は5分限り

と書いてありました。ごんたさんは結局元に戻ってしまいます。それも娘の衣裳のまま、顔だけが戻ってしまったのです。
この最後の部分で裏方(私と師匠)は大忙し。娘首をはずしてツメ首と入替え、娘の衣裳(段鹿子)にツメ首という姿を素早く作り上げるのです。
作者としましては、ここで笑いがほしい、というか、ここで笑ってもらうために作ったのですが、果たして笑いはあったのかどうか。実は私には分かりません。

こうして柝が刻まれ、寸劇

  ごんたさん の
    「おんなのこ に なりたい」


は幕となるのです。
出演した学生は総勢わずか4人。大変でした。

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伝統芸能WS 最終日 その2 

さて、冷房のない(しつこい…笑)部屋での文楽人形パフォーマンス、いよいよ始まりです。
進行役は元演劇部の学生で、子供たちへの対応もうまく、いい笑顔で楽しそうに話をしてくれました。

DSC02289.jpg

右端に笑顔が少し見えているのが進行係の学生です。全員手製の名札を首からぶら下げています。左端の学生のキティちゃんはTシャツのデザインではなく色画用紙で作った名札で、人形の右隣の学生のピンクのヒマワリ(?)も同様です。
さて、子どもたちはどんな反応をしてくれるのでしょうか。
最初に文楽人形の簡単な説明をして、クイズに入ります。
まず小道具を使わずに人形が何らかの仕草をします。「さて、今のは何をしているところだったでしょう?」というのを3問。
子どもが答えてくれるかどうか心配したのですが、進行役の学生が「分かった人!」というと

    ハイハイハイ!!!

とすさまじい勢いで手が上がり、学生が誰に当てようか困るくらいの盛り上がり。
第1問は手紙を書いているところでしたが、最初の子はちょっと惜しい答えだったようです。二人目の子が大正解でした。
第2問は携帯電話をかけているところで、これも二人目で答えが出ました。
第3問には、わざと子供には分からない問題を一つ入れてみました。文楽が古典芸能であることを匂わせたかったからです。正解はキセルを吸っているところ。キセルと言ってもわからないので「昔のたばこ」と言いました。
クイズのあと、実際に道具を使って見せるのですが、キセルの時はお母さんたちや先生方も「ホーっ」というお顔。大人にも楽しんでもらえたように思います。

そして今度は・・。

DSC02292.jpg

写真がこういうアングルでしか撮りづらい(顔が映ってしまうので)ので何をしているのか分からないと思いますが、実は

    おべんとうばこのうた

を手遊びをしながら歌っているところです。おにぎりを作っているところのようです。子どもたちも手を動かしているのですが、よくわかりませんね。女の子のほうが「真面目に」お弁当を作ってくれたようです。大学生のお姉さんたちと同じ仕草をするのが嬉しい、という感じでした。もちろん人形も同じ仕草をしています。

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伝統芸能WS 最終日 その1 

昨日は午前中、最後のお稽古をしました。
始まる前に、このささやかな催しを小学校側からお世話してくださった保護者の方が、お迎え兼見学に来てくださった・・・はずだったのですが、差し入れまでしてくださいました。
差し入れはアイス。学生が喜ぶの何の。

そして最後の稽古が始まりました。

主人公の「ごんた せんせい」が不満をいいながらお酒を飲んでいます。

osake.jpg

「ごんた せんせい」はなおも不満を言いながら暑いのでうちわを使っています。

DSC02283.jpg

主遣いと左遣いの呼吸も合ってきました。このあといろいろあって、女の子になっています(詳細は後日)。
彼女はケーキを食べたり

ケーキ

ドーナツをほおばったりしています(見えますか?)。

ドーナツ

そして、なんとか30分ほどの公演ができるくらいにはなったかなというぎりぎりのところです。これでいこうということで、腹ごしらえ。

そしていよいよ、午後1時過ぎに3台の車を連ねて出発!
大阪府吹田市にある某小学校に出かけました。車で約15分です。

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伝統芸能WS 2日目 

私の言うことはいつも無理難題です。
文楽人形などもったこともない学生を使って、2日半で一つの番組を作ろうというのですから。
しかし、昨日も学生は頑張ってくれました。
師匠のアイデアも溢れるように出てきます。
当初予定に入っていなかった

    姿見

の型も入れようということになりました。
学生はもちろん知りませんから、師匠がお手本。ところが左遣いが必要なので私がいきなり「ハイ、姿見」といわれてさせられました。私は師匠の弟子じゃないっつーの。
人形がぐるっと回る仕草も入りました。
左遣いは遠回りをするため、猛然と走らないと追いつかないのです。それも入って、左遣いの学生はしっかり走らされます。

手紙を書く仕草を見せる部分があるのですが、それを縫い物にしようと師匠がおっしゃいます。これも私に「ハイ、左持って」と無理難題。「糸を繰るときはもっと大きく」と注意されてしまいました。歯で糸を切るところは顔の動きに合わせて糸が切れる様子を見せねばなりません。もう、ほんとうに見よう見まね。「雪狐々」の和生さん、「夏祭」の清十郎さんの動きを観察しておいてよかったです。
で、運針をするのです。
ところが・・・・

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伝統芸能WS 1日目 

ワークショップと書くのが長ったらしいので、WSと略させていただきました。
昨日から勤務先の授業、伝統芸能ワークショップが始まりました。厳密に申しますと、6月に鑑賞教室の見学に行っていて、それが一日目でしたが、実際に人形を持つのは昨日がはじめてでしたのであえて「1日目」としておきました。
長らくおこなってきたこの授業も今年で最後になります。ただただ残念です。
またどこかでこういうことができればいいなと思いながら、いやいや、そんなことは不可能だと(これまた残念ながら)納得しながら始めたのです。

例年は文楽の皆さんが10年かけて覚えられる足遣いを90分で(笑)、15年かける左遣いも90分で覚えて(笑)主遣いの勉強もするのです。今年は最初から芝居をするという前提で、基本が大事なのにさらに簡略化しています。
でも、とりあえず足遣いの基本は教わりました。

足遣いを学ぶ

そしてそのあとはいきなり具体的な稽古に入っています。
まずはこんなことから。

学生の棒足

文楽人形の型の一つ「棒足」ですが、これを学生自身がやってみて、このあと人形に移していきます。かなり難しく師匠も難渋していらっしゃいました。


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気持ちのいい人たち 

以前、住大夫師匠が「文楽の連中は気のええもんばっかりです」とおっしゃっていたことがありました。
そうおっしゃる師匠がきっとその代表なのだろうと思います。

  芸に厳しく しかし 謙虚

大事なことですね。
私も研究する時に厳密に文献を読もうとするのですがやはり読み違いをしたり読むべき文献をスルーしたりしていることがあります。
そんな時、「あれを読みましたか?」と言われて自分の落度を指摘されたことに怒ってはなりません。でも実際はそういう人は多いのです。間違っているのは自分なのに、指摘してくれた人を恨んだり敵対視したりするのです。
学者ほど他人の悪口を平気で言う人種はいないなどといわれます。私など学者の端くれの隅っこの奥の方にいるかすかな存在ですからどうってことはありませんが、偉い人の中にも自分は他人の悪口を言うのに自分が言われると「あいつこそ分かっていない」なんて居直るわけです。

この間、用があったので、ある技芸員さんにメールしました。そのときにたいへん僭越だとは思いながらその方の今回の役についてちょっと

    気になること

を書いたのです。
返事をいただいたのですが、「反論されるかな?」と不安いっぱいでメールを開けました。

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千秋楽でございます 

暑い大阪の熱い公演が本日千秋楽を迎えます。

この夏は暑いといったら本当に暑く、帰宅途中で脱水症状に見舞われたこともありました。
やはり水分は持っているほうがいいですね。ちょっと歩かねばならなくて、あ、これはヤバイ、と思って周りを見渡しでもしばらく自動販売機がなくて困ったことがあったのです。
文楽の皆さんは水分補給術も完璧だったでしょうか。
私、この夏の

    雪狐々姿湖

ではくみさんに引きずられて(?)コン平に注目してしまいました。
なかなかよく動いていて、しかも存在感がありました。舞台のほぼ中央にいて狂言回し的にここというポイントで活躍。やはり本来は三人遣いの役を褒めたいわけですが、遣われた

    簑一郎 さん

は、なかなかの狐だったのではないでしょうか。
実はすべての狐の中で一番印象に残ったのでした。

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おつぎ 

団七、三婦、徳兵衛の三人の男伊達が活躍する
 
    夏祭浪花鑑

は、しかしもう一方では彼らの妻たちの芝居でもあります。
団七の妻

    お梶

は「住吉」で男二人の間に割って入って啖呵をきり、「団七内」では父を夫に殺されるという立場に立たされて苦悩します。前者でのきっぷのよさは爽快で、後者では徳兵衛が本気で惚れたのではないかと思うような水も滴る美しさでした。ただ、落差が大きいため別人のように見えてしまう恐れのあるところですが、清十郎さんのお梶、いかがでしたでしょうか。

    お辰

は簑助師匠の持ち役ですが、これまたきっぷのよい、しかし美しく哀しくもある女性できわめて魅力的です。
美貌だから磯之丞は預けられないといわれるや、自らの顔に焼き鏝を当てる、など、いくらなんでも無理があると思われそうな場面です。しかし簑助師匠のお辰は「この人ならそういうことをしかねない」と思わせるところがあります。きゅっと伸びた背筋にややあごを上に向けて三婦に詰め寄るところなど、粋できっぷのよい、いかにも友情に厚い徳兵衛の奥さんらしい雰囲気があります。ああいうものを見せてくれる簑助師匠はやはりただものではありません。しかも磯之丞とともに下っていく時につい顔を隠してしまう本音を見せるところなど最後まできちんと彼女の性根が描かれているように思いました。

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