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軍師 

「軍師」の中でもっとも有名なのは、やはり

    諸葛孔明

ですかね。私は『三国志』には詳しくないのですが、羽のふわふわ扇を持ったお兄ちゃんですよね。
劉備に天下三分を勧めたとか、わら人形を積んだ船で魏軍を騙して矢を何万本も手に入れたとか、生ける仲達を走らせたとか。
文楽の首にも

    孔明

があり、それは忠臣蔵の大星由良助のような知恵と深慮に富んだ中年男性に用いられます。まるで私のようだ(…と、一人で納得)。
戦術、戦略はやはり重要で、最近は大学でも

    経営戦略

など、当たり前のように言われます。あいにく私は苦手なのですが、今はこういうことが得意な人が重宝されるのですね。

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あと3週間 

なかなかゆとりができない日々です。
12月の文楽東京公演についても何か書きたいと思いつつ、いまだに果たせません。
職場もあわただしく、来年度のことについて、いろいろ動きがあります。
いわゆる

    冬の時代

から氷河期へと移行する大学の状況は予断を許さず、特に小さな私立大学は激しい生き残り競争が繰り広げられているようです。
いざとなったら私のような身の上の者は白旗を揚げるしかありません。生き方も引き方も潔くありたいと思うのです。それでも、霞を食べるわけにもいかず、絆(ほだし)というものもありますからね。
……なんて、

    不景気な話

はやめましょう。

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お七の段鹿子 

和服を着ないのです。憧れはあるのですが、着こなしなどまるで自信がなく、いつの間にか縁遠くなっています。洋装も着こなせないので、要するにファッション関係に縁がないのです。咲甫君は偉いなあ。
ですから、文楽人形でも衣裳となるとさっぱりわかりません。名称なんて数えるほどしか知らないのです。
そんな私が最初に覚えたデザインは

    段鹿子

だったかもしれません。町娘の典型。お染、お半、お三輪、お七。
絢爛ではなく、むしろ単純なデザイン、しかし赤と浅葱の色合いもかわいい縮緬の振袖です。私の研究室にある娘首の人形もこのブログの看板写真に出ているように(といってもほとんど見えませんが)段鹿子のお染のイメージの人形です。
この間、段鹿子の画像をパソコンから拾ってみようと思って

    段鹿子 画像

で検索したら、この人形を学生が遣っている写真が出てきてびっくりしました(笑)。このブログに掲載した画像でした。

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暮れ行く秋 

日が短くなってまいりました。
11月もまもなくつごもりとなります。月が籠る、つごもり、です。
いろいろあって個人的にはなかなか面倒な、と言うか大変な一か月でした。
私の親しい知人にはなぜか11月生まれの人が多いのです。

    さそり座の女

をかなりたくさん知っています。
星座ついでに申しますと、しし座流星群の月でもありましたが、私は風邪気味のため観ることはできませんでした。ただ、友人が2日連続で見えたよ。と教えてくれました。

文楽は10月30日が初演でしたが、ほぼ今月の催しでした。この公演の名称は何度も「文楽錦秋公演」と言ってしまいます。正式には錦秋文楽公演となっているのですが。
ただ、プログラム挟み込みの番付をご覧になってください。そこにはなぜか

    人形浄瑠璃文楽錦秋公演

と書かれています(笑)。「錦秋人形浄瑠璃文楽公演」と書くのも変ですけどね。
夏の公演を「夏休み公演」「七・八月公演」と両方に書いたり、時々ややこしいことがあります。

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1月8日は? 

ちょっとそこの鬼さん、どうぞ笑ってください。来年の話をしますので。
新年最初の文楽公演は、もちろん本場の大阪ですが、新年最初の

    だしまきの夕べ

もまたそろそろ考える時期になっています。
この間はお話にはならなかったのかな?
思い起こせば、今年の初春公演で、えべっさん帰りの嶋師匠に遭遇するという出来事があったのですよね。そしてそのまま我々(私は欠席でしたが)は「だしまき」に行ったのでした。
あれからもうすぐ1年になりますが、私の知る限りではどなたも

    喧嘩すること

などなく(笑)、和気藹々のうちに、いやそれどころか大きな盛り上がりのうちに回を重ねることができました。
これはもうひとえに参加してくださる皆様のご人徳ゆえと申すほかはありません。
しばしば経験するのですが、共通の趣味を持っていてもそれに向き合うアングルも違いますし、また妙な嫉妬や優越感、劣等感等々がないまぜになって、こういう会はすぐに尻すぼみになりがちです。
しかし、今のところそういう気配はなさそうで、さらに発展するのではないかという期待すら抱かされます。
皆様適度に自己主張もされ、ほかの方のお話は謙虚にお聞きになり、楽しければ笑い、おいしければまた笑い、ごひいきの技芸員さんの話題にはひそかに胸をときめかせ。

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感動したこと(続) 

見飽きるということは決してないのですが、さすがによく出る演目ですから

    熊谷陣屋

には絶大な期待を持っていたというほど張り切って臨まなかったのです。しかしやはりいいものはいいですね。
切語り目前の花形のそのまたトップクラスの太夫さんが語るべきこの場。感想が書けないのがただただもどかしく思われます。それでも私には英大夫さんの「夢であったな」が聞こえたような錯覚があったのです。

    勘十郎さん

の熊谷は切れ味がよいのです。型にはまった動きでも人物の性根や感情や境遇に裏打ちされていますから深みがあり、溢れんばかりの悲壮美が堪能できました。ただ、こういう役ではとてつもない大きさというか、このヒーローが嘆くからこそ本当に哀しいのだという、生身の人間と超人的な存在との間をいくような人間像が描かれることを期待することがあります。その点ではあの初春公演の玉女さんの六助のような桁のひとつ違った大きさが観たいとも感じました。勘十郎さんには何も文句が言えないのがいつも悔しい(笑)ので、ちょっと憎まれ口だったかもしれませんが言ってしまいました。
逆に

    玉女さん

の弥陀六はややどっしりとしていて、あの「眼力ぢやよな」あたりはもっと鋭く迫って欲しいという思いも抱いたのです。文吾さんのノリは凄かったですし、玉男師匠も義経に迫る勢いがありました。玉女さんについてはその骨格の太さや大きさ、かっこうのよさなど、他の追随を許さないものも多くありますが、激しく動く人形の面白さももっと見せていただければと思うのです。次回は逆の配役も見たいものです。また、無茶を言うならお二人のうってがえで熊谷と弥陀六を観たいとも。

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時々図書館 

最近本を買わなくなりました。
貧しいから、というのが一番の理由ですが、それよりも、買っても

    置く場所がない

からということがあります。読み捨てるということが性格上できないものですから、どうしてもたまってしまいます。
特に小説なんてトンと買いません。いきおい、お世話になるのは図書館です。
図書館の本を嫌う方もありますが、私は古い本を見るのが仕事のような面がありますので、汚いとも不衛生だともあまり感じないのです。
もっとも、手洗いはしますけどね。
仕事の関係でエッセイや専門外の本なども読む必要があり、毎週末には近くの図書館に行きます。
先日も朝から出かけてきましたが、ずいぶんにぎわっているのです。

    新聞を読みに来る

と言う方も多いですね。夏なら涼しいし、冬は暖かいし。しかもすべて無料。
もうちょっと大きな図書館ならと思うのですが、人口20万の小都市では望むべくもありません。

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感動したこと 

晩秋の文楽公演も終わりましたが、今回もいろいろ感動することがありました。
人形を中心にあれこれメモしておきます。

    日向嶋

の玉女さん、玉男師匠から受け継がれたものを、なぞるだけではなく、しっかり役を捉えていらしたようで心強い限りでした。何年後かにまた景清を見たいとしみじみ思いました。ただ、段切近くになっていくらか緊張が切れたように思うのです。事実をすべて知ってからの景清に・・・。
清十郎さん。14歳とは思えないほど大人しい、という花菱屋の女房のことばそのままの「大人しい」糸滝でしたが、「日向嶋」になって父を思う娘の顔が強まりました。清十郎さんの人形はいつ見ても端正で美しい。なめらかで性根がふわりと浮かび上がる魅力に溢れています。ただ、時として狂気を感じさせるような瞬間が欲しいと思うこともあります。糸滝ではそれほどのものはないかもしれませんが。もっと人形に取り憑いて欲しい、とでもいえばいいのでしょうか。
和生さんの佐治太夫は安心して見ていました。かつての和生さんは人物の性根が捉えられているのに人形の動きがほんのわずか遅れたりぎくしゃくしたり、という不安定要素があったのに、それが払拭されて人間味がひときわ豊かに表現されるようになったと思えてなりません。

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今年も近松忌 

近松門左衛門は

    享保9(1724)年11月22日

に数えの72歳で亡くなりました。
毎年のように書いていますが、今日は当時の暦とは違うものの、その日に当たります。今なら晩秋ですが、当時なら冬の最中というべき時候です。
51歳で

    「曽根崎心中」

を書いて、それから約20年が彼にとって最も充実した時期だったのでしょうか。近松の専門家ではありませんので自信を持っては言えませんが。
「冥途の飛脚」も「天網島」も「宵庚申」も「油地獄」もその20年に書かれたのですから、素晴らしい後半生だったというべきなのでしょう。もちろん私生活ではいろいろあったでしょうが、現代の我々から見ると、やはり黄金の20年かな、と思えます。

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錦秋の千秋楽 

23日間の公演、お疲れ様でした。
文楽は本日千秋楽です。私はもう一度行こうと思っています。
言い訳がましいのですが、このところ何かと身辺が騒がしくて

    落ち着かない

ものですから、この公演はあまりきちんと観ることができませんでした。
こんなことではいけないのです。やはり生活はもっと

    文化的

でありたいものです。
反省しても仕方がないのですがやはり反省しています。
この公演で何がどうよかったのかについてはほとんど書いていませんが、週明けからいくらか書こうと思います。皆様と似た感想になるのか、はたまた大きなずれがあるのか。

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浸った猿回し 付580,000 

文楽公演の

    近頃河原達引

は、この公演の中でもっとも安心して観られたように思います。
いやまぁ、すべて安心はしているのですけどね、やはりあれだけ実力者が揃うと格別なのです。
特に「堀川」については簑助、紋壽、勘壽、勘十郎というメンバーで見せてくださいますので、どっぷり浸れました。
この方々は

    先代勘十郎

にゆかりのある方々ですね。兄事されていた簑助さん、紋壽さん。師事されていた勘壽さん、そしてご子息の当代勘十郎さん。私はあいにく先代の与次郎を観ていないのですが、きっとおもしろかったんだろうなぁ、と想像します。
簑助師匠のおしゅんはいつもながら水もしたたるような、あの粗末な家にはまるで不似合いな、あるいは場違いですらある雰囲気でした。ところが、たしかに与次郎の妹であり、あの母の娘にしか見えないのです。
紋壽さんは何か人形遣いの最高の高みというか、人形が動くのに任せているという境地に入られたのではないかと感じました。母と妹の世話もまるで自然体。わざとらしさのかけらもありませんでした。
勘壽さんの三味線の稽古はとてもさまになっていて、なんだか与次郎の母が寛治師匠に見えてしまいました(笑)。後半は親孝行に身をゆだねる(親としてはこれも大事ですね)老母の人間味がありました。
勘十郎さんはグッと押さえて人をあやめてしまった若者の苦衷と高いプライドとが入り混じったような、あまり目立たない存在感というのも変ですが、そんな感じがしました。

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回向の嶋か 

「花菱屋」が終わり、床が代わって咲大夫師匠が語り出されても、なかなか浅葱が落ちません。伊勢物語の「月やあらぬ春や昔のはるならぬ我が身一つはもとの身にして」による

    春や昔の春ならん

が語られるところで振り落としになります。我が身一つは元の身・・・と語られることはなく、しかしその状況を示すかのように海辺に粗末な庵がポツンと。
まだ景清の姿はなく語りは続き、「昨日は北山に」でやっと登場します。そしてそこから17、8分の一人芝居となります。

    長い時間

を景清がひとりで平重盛の位牌に向かって回向します。その時間の流れは都の(あるいは東海道手越の)それではなく西国宮崎にゆるやかにうねりたゆたう波のようでもあります。しかも彼はこの何百倍、何千倍もの時間をこうして過ごしてきたということなのでしょう。源平の時間を越えて現代(江戸時代)までずっとその回向を続けていたとも読めそうです。

玉女さん、師匠譲りの大役で大健闘されています。全く飽きることがありませんでした。

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伊達娘の八百屋内 

錦秋文楽公演の

    伊達娘恋緋鹿子

では久しぶりに「八百屋内」が出ています。東京では昨年出ていますが、私は行けなかったものですから、ずいぶん長らく見ていませんでした。調べてみるとなんと昭和61年1月以来なのですね、大阪では。そんな昔かなぁ。いやにはっきり覚えているのですけどね。
24年前にこの演目と同時に上演されたものには、私が忘れようにも忘れられない先代勘十郎師匠の

    石切梶原

があったのです(当代勘十郎でも「石切梶原」を見てみたいなぁ)。それはもう、かっこよかったのです。ついでに申しますと、津大夫師匠が「合邦」でした。
それはともかく、「伊達娘」は一暢さんのお七で文吾さんが吉三郎でした。和生さんが下女のお杉で丁稚の弥作は若玉、今の文司さんです。
やはり「面白かった」という記憶はないのです。
切場ということになっている「八百屋内」ではありますが、特に聴かせどころがあるのかというとそうとも思えないのですが、いかがなものでしょうか?
嶋大夫師匠、もったいないなぁ、と言う印象ですが。

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市民大学 

昨日は私の勤務先で

  吹田市民大学千里金蘭大学キャンパス講座

という、超~長ったらしい名前の講座が行われました。
偉い先生がお話なさるのでしたら聴衆がどっと詰め掛ける・・・と期待が持てるのです。が、何しろ昨日の場合は担当講師が大学きっての(笑)箸にも棒にもかからない人物でしたので、200名定員の講座に100名あまりのご出席でした。
それでも、ありがたいやら申し訳ないやらという気持ちでいっぱいです。。
これから勤労感謝の日を除いて毎週火曜日午後1時からの90分で、お話は各回一つだけ。
もちろん昨日の講師をつとめさせていただきましたのは私でした(笑)。
同僚から「前座は前座らしくあまり

    ウケてはいけない」

と言われていたのですが(笑)、案ずるまでもなく聴衆の皆様には退屈な時間になってしまったように思うのでありました。
次回からはなかなか面白そうな話になりますので、皆様どうかご期待くださいますように。

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平日派はいづこへ 

私は文楽には原則的に平日に行くことにしています。
空いた時間をねらってさささっと職場を抜け出して劇場にすべりこむという算段です。
なんといっても時間を上手く使えるのです。いきおい、夜の部に駆け込むことが多いわけです。以前、10時半終了の授業の直後に大学を出て12時ころ滑り込み、4時20分からの授業に戻るという

    離れ業

もしましたが、最近はなかなかそうは行かないのです。特に、ご同業の方は同じ事情がおありではないかと思うのですが、11月公演期間中は猛烈に忙しいのです。
それでやむなく、

    土日派

に変身しているのです。
まあ、そういいながら平日にも行くのですが(笑)。

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父から子へ 

やはり「組討」が面白いです。不思議な魅力があります。
誰もが知っている、敦盛と熊谷の戦い。『平家物語』の白眉です。熊谷は敦盛を討つ時、我が子を思い、父の立場に我が身を置いてしまいますが、それが『平家』からするりと抜け出して浄瑠璃の世界に姿を現すと

    『一谷』の組討

になります。熊谷を軸にして敦盛と小次郎が二重写しになったまま話は進み、もはや熊谷だの敦盛だの小次郎だのといった固有名詞を置き去りにして父と子という普通名詞だけが目の前に現れるようです。
彼らは戦場という非日常の場において刀を捨て、組み合って馬から落ちます。
組み合っているのか、

    抱き合って

いるのか分からなくなりそうです。

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錦秋のだしまき 

昨日、大阪日本橋が誇る季節料理の店

    両 輪    

において、文楽公演中の恒例になりつつある

    だしまきの夕べ

が催されました。
ご参加の皆様ありがとうございました。
……が、実は私は欠席してしまったのです。
よって、いったいどんなことになったことやら、今この拙文をお読み下さっている大半の方々と同じく、私も知らないのです。

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写真嫌い 

私はかなりの写真嫌いです。
どうしても紹介するのに必要だから、と求められた時に使っているのは何年も前に撮ってもらったもの。かなり若い(笑)ので、実物をご覧になったかたから「もうちょっとましだと思っていたのに!」と

    囂々たる非難

が浴びせられます。それにもめげずに、カメラを持っている人がいると、反射的に避けるようにしています。
なぜ、と言われると困るのですが、要するに自分の顔が苦手なのですね。鏡も見たがらないほうです。
ですから、文楽の楽屋に入れていただいたら鏡だらけですのでどうにもいづらく、「早く帰りたい」(笑)と、足がもぞもぞするのです。

    技芸員さんと写真を撮る

などということもまずしたことがありません。記憶にあるのは勘弥さんと東京の文楽仲間たちと一緒に撮ったもの、南都さんの結婚式で臨席だった咲甫さんと会話しているものくらいかな。
なんでも、内子座で次から次へとツーショット写真を撮られたという、「つわもの」のお母様がいらしたと言う噂を聞いたことがあるのですが、私にはできない芸当です。

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佐治太夫 

社会の主役になる人と脇役で生きていく人があるとすると、私は確実に脇役です。
自分では何もできない、人の蔭に隠れるようにつつましく生かせていただいているように思います。
だから、というわけでもないのですが、文楽の人物では脇役がかなり気になるのです。
糸滝を連れてきたのは

    肝煎の佐治太夫

でした。「肝煎」というのはいわば遊女の斡旋業のようなものですね。こういう仕事はやはり相手の顔をうかがったり、口八丁にものを言ったり、というテクニックも必要なのでしょうね。私にはできそうにない仕事です。
いかにも肝煎らしく、佐治太夫は「御機嫌取りの軽薄顔」です。実際、花菱屋の長や女房にお愛想を言います。
連れてきた糸滝は撫子の花の萎れたような風情で愛嬌がこぼれんばかり。
佐治太夫は親判を捺す人がないと花菱屋に告げます。
さらに佐治太夫は、20日ほど前に糸滝の母親が亡くなって糸滝が遊女奉公を願ってきたこと、親請がないものの、代官の許しがあって仲介が許されたことを説明します。
そして、奥様や旦那様に事情をお話しなさい、と糸滝に勧めるのですね。ここで糸滝が、今はの際に母が話したことを打ち明けます。母と言うのは偽りで、実は乳母。そして糸滝は大名のお嬢様だというのです。そしてその父親は日向で盲目となって零落していることも知らせ、成人して父上に会って欲しいと遺言しました。
糸滝はその父に官に就かせたいと願いを抱き、そのための費用と乳母の石塔を立てる費用が欲しいと思ったのですね。
するとまた佐治太夫も

    とりなし

をします。これまた得意技ですね。
花菱屋の長が先ず親に会いに行けと言ってくれたのですが、そのお供をこの佐治太夫にさせるのですね。

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花菱屋女房 

「花菱」というと様々なバリエーションを持つ家紋としておなじみです。子供の頃はそんなことは知りませんから、私の場合は当時まだご活躍だったアチャコさん(昭和49年没)を連想しただろうなと思ったりすのです。いや、そんな話はどうでもいいのです。

    嬢景清八島日記

は「日向島」のみならず「花菱屋」が上演されることが多い演目です。この段があると、どうして糸滝が父に会いに来たのかとか、ついてきたおじさんは誰なんだとか、まあいろいろわかるわけです。
花菱屋の冒頭はなかなかいいのです。「人の城を傾くるといへども、人の気につれ日の本の、契る情けと書き改め、契情と読む・・・」。中国では「傾城」ですが、日本に来ると人情の国ですから「契情」で「けいせい」と読むのだと。実際、文楽の演目にも用いられますね。「蝶の道行」は「契情倭荘子」です。歌舞伎にもいろいろありますよね。
そして、所は

    手越の宿の遊女町

ですから、どんな色っぽい人が出てくるのかと思うと、いきなり出てくるのはとんでもない奥さんです。もとはこの家の飯炊きだったそうですが今ではお家様と呼ばれる身分です。
まあ、この人がしゃべるしゃべる。どうしてこんなに次々に言葉が出てくるのかと思うくらいよくお話しになります。しかも下男下女たちに矢のように指示命令を出す。これはこれでなかなかの才覚だと思わせますが、言われるほうはたまらないでしょうね。
亭主の花菱屋の長(おさ)は看経に余念のない人ですが、この女房の尻に敷かれているのも前世の報い(このあたりかなりすごいことを言ってますが)だと半ば諦めているようです。

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週末はだしまき 

今週末は夏以来の

    だしまきの夕べ

が催されます。すでに名乗りを上げて下さっている皆様のほかに参加ご希望の方はいらっしゃるでしょうか。

    季節料理R

さんの貸し切りを目指して(笑)多数のご参加をお待ちしております。予約の関係で、できますれば本日中にコメントの形で意思表明してくださいますように。

    当日飛び入り

も多分大丈夫だとは思いますが。

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くえぬ男 

弥陀六はなかなか魅力ある人物です。私、できれば玉女さんの熊谷に

    勘十郎さんの弥陀六

というのを観たいのですよ。
昭和50年代、というと私はあまりよく覚えていないのですが、玉男・勘十郎で熊谷と弥陀六と交互に遣われたりされているのです。
それがまた復活すればいいなぁ、と。
最近では玉男、文吾、玉幸、玉也といった方々が弥陀六を遣っていらっしゃいましたが、この男のことを

    くえぬヤツ

というのでしょうか。
梶原景高に石塔の詮議をされるべく連行されるのですが、依頼者は幽霊であって、五輪の塔でも一厘も手付はもらっていないとか、手付に人魂でも取っておけば提灯代わりに使えたのにとか、あの世に請求書は出せませんしね、とかまるで糠に釘。梶原など物の数ではないと言わんばかりです。

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陣屋へ 

『一谷嫩軍記』はどうしても「熊谷陣屋」が中心になるため、ミドリでの上演が多いのです。
通し上演は10年前のことですね。
あの時は宝引でけっこう笑った記憶があります。咲大夫さんだったことをハッキリ覚えています。実はお弟子さんの、当時まだ20代だった青年太夫さんと日本橋近くのおでんやさんで話したことがあって、彼はそのとき一生懸命師匠の口真似をして「宝引」の与次郎の語り口を聴かせてくれたのでした。

今回の上演は二段目の「陣門」「須磨浦」「組討」、三段目の「熊谷桜」「陣屋」となっており、

    熊谷父子

をテーマにしたものです。それはそれで制作者の意図はわかりますし、話の筋もわかりやすいのです。他の演目もありますからなんらケチをつけるつもりはありません。
ただ、この作品全体を見渡した場合、「組討」のあとに

  「林住家」「弥陀六内」「脇が浜宝引」

が入っているわけですね。これらをポンと飛ばして「桜」にいくわけです。

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岩音 

職場での授業。工夫を重ねなければならないといつも思っています。

    日本の文化と歴史

の話は、性的な話、政治的な話など、時としてタブーの域に入りそうになります。
イザナギ、イザナミは露骨な性表現をあっけらかんと描き、ヤマトタケルは彼一人であらゆる人格を背負うような人物造型が見られ、いきおい性の倒錯もあり…。女子大生を前にギリギリの話をしているようです。
こういう時はそれこそあっけらかんと話すほうがよいので、いわば「『古事記』話法」を「文化と歴史を語る手法」として私も踏襲しているのです。

政治的な話は、相手がちょうど選挙権を得る年代だけにまたデリケートです。変な誘導にならないよう、中立の立場を守りながら、問題の本質には触れたいと思うのです。
5回に亙って

    天皇家

の話をしました。天皇家と日本文化の関係から、彼女たちの日々の暮らしを考えてもらおうと思ったのです。右翼だとか左翼だとか、そういう話ではありませんし、皇室のゴシップで空騒ぎするものでもありません。

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組討 

好きなのです、この段。
とは言え、かなり無理な段でもあります。
敦盛と入れ代わった小次郎と入れ代わりを命じたのであろうその父が戦うというのですから。へたをすると、無茶苦茶でござります、と、アチャコさんに言われそうな(笑)場面です。
そもそも『平家物語』

    敦盛最期

がすばらしい。私は何度この部分を朗読したかわかりません。そう、いわば直実父子も平家物語を朗読しているかのようです。芝居の時間が歴史から放たれて現代(江戸時代)にスリップして、『平家』をなぞり、語っているようにも見えます。
これが時代もの浄瑠璃のメカニズムなのでしょうか。
『平家』では名乗りはあとになりますが、『一谷』では扇で招く段階で

    武蔵の国の住人熊谷次郎直実

と名乗ります。
組討になると二人は『平家』より多弁。敦盛(小次郎)は直実のことを「やさし(優美だ)」「あつぱれ」「情けある」と称賛します。そして父母の恩ばかりが忘れられないと言い、ついにみずから「参議経盛の末子、無官の太夫敦盛」と名乗ります。『平家』では「名乗るまじいぞ」と拒否しますが、ここは浄瑠璃です。

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須磨浦 

山陽電鉄に須磨浦公園という駅があり、なかなかいいところです。
在原行平と松風村雨、いく夜ねざめぬ須磨の関守、菅原道真、光源氏、そして敦盛と熊谷。平安時代を通してさまざまな歴史と文学の舞台となった地域です。
「すま」という言葉には「端っこ」という意味があったとも言われ、いかにも摂津の国の西の端という感じです。
端っこだからこそ格別の雰囲気が漂います。
海があり、山があり、目の前には淡路島。

  見渡せば
    ながむれば見れば
       須磨の秋
(芭蕉)

  読みさして
    月が出るなり
      須磨の巻
(子規)

虚子の「月を思ひ人を思ひて須磨にあり」もこの地にふさわしい秀句だと思います。
秋が似合う場所でもありそうです。

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陣門 

入試だったのです、昨日は。
文化の日になんという文化的でないことを・・・。
いや、入試は大学という文化的であるはずのところに入るための関門ですから、まんざら非文化的でもない?
入試業務にどのように関わるかはちょっと書けませんが、まあなんだか仕事はあるのです。
でもあまりにもそれだけではつまらないので、朝早くから職場に行って

    伊勢物語

などを読んでいました。やはり面白いのですよ、この作品は。大きなテーマは「みやび」だと言われます。
どこかで書いたかもしれませんが、私がこの世界に足を踏み入れることになったのは、この作品がきっかけなのです。

しかし文楽の予習もしたいので、昨日は

    一谷嫩軍記

の「陣門」から「須磨の浦」あたりを何度か読んでみました。
敦盛と熊谷小次郎のことをちょっと考えてみたいな、と思っていたのです。

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予習も何も・・・ 

文楽公演が始まったというのに、まったく

    予習

ができていません。
もっとも、いつもそれほど熱心に勉強しているわけではありませんので大差はないのですが(笑)。それでもこのところの異常な忙しさで、文楽まで手が回らない、というのが正直なところです。
研究者の方々や熱心な浄瑠璃ファンですと、詞章のすみずみまで(というほどではなくても、おおよそのことは)覚えていらっしゃるでしょうが、私はすぐに忘れるタチで、そうはいかないのです。
今回なら、特に『景清』と

    『一谷』の「組討」

をしっかり読んで行きたいのです。
このところあまり電車に乗っておらず、その時間が使えないのが残念です。

太夫さん、三味線弾きさんはすっかり暗記していらっしゃるのでしょうが、人形遣いさんも事前に読み込むことをしなければならず、大変ですね。
でも、こういうのって、高校の古典の勉強の時に覚えろと言われ、覚えられなかった文法の知識なんていうのは必ずしも必須のものではなかろうと思うのです。
読書百遍、というのはまんざら嘘ではないと思います。

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文楽人形劇(3) 

当日は私たちの独演会ではありません。あくまで大学祭の1コマです。
お客さんと言っても何も私たちを目当てにしておいでになるわけではありません。「学生の文楽人形なんてつまらん」と無視してお帰りになった方もいらしたかもしれません。
午後3時半過ぎ、会場に一切を搬入しましたが、当然お客さんはまだ誰もいません。写真屋さんがテスト半分でしょうか、いくらか写真は撮っていましたが。
同僚が設置してくれたビデオカメラがぽつんと置かれている中で舞台を設置し始めました。
するとそこへ、かつての私の教え子(現在は教授夫人)がお子さんを2人連れて来てくれました。一番前の席で観てくれました。
さらにもう2人、こちらは独身のキャピキャピした雰囲気を残した、おそらく20代後半の卒業生。私を見つけるやダダダッと駆け寄ってきてくれました。

今回は大阪府消費生活センター、関西消費者協会からの仕事ですからこんな展示もありました。

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消費者協会の職員さんがクリアファイルに入ったチラシとアメを配っていらっしゃる中で学生はドキドキハラハラ。
時刻は移り午後4時。
開演です。
まずは文楽人形のご紹介。
進行役の学生が裸足なのは、このあとの演技のためです。

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そして、体験コーナーには先ほど申しましたキャピキャピ卒業生が2人出てきてくれました。

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そしていよいよ文楽人形劇「悪質商法さらばでござる」が始まったのでした。

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文楽人形劇(2) 

台風が逃げていった気がします。
逃げていった先でお仕事されている方、お住まいの方にはただただお見舞い申し上げるばかりなのです。
それにしても、学生の熱意というか思いの強さというか、大雨の情報が嘘のようでした。
学生の集合については私はかなり心配していたのです。なんだかんだで遅くなるのではないか、事情も言わずに遅刻してくるのではないか、と。
しかしそんなこともなく、事情のあるものは連絡の上で、

    約束の時刻

にはほぼ集合しました。
それどころか、予定よりかなり早く来た学生もいたくらいです。
私は朝早くから研究室で自分の勉強をしていたので、それが中断されて困ったくらいでした(笑)。

今回、娘首担当の二人はもうかなりこの人形を経験しているのです。しかし、ツメ人形の方は専攻も違う学生で、必ずしも遣い慣れてはいません。しかしこの学生は身長が170cmほどあって体力もあり、大きな動きが可能で、あえて私は彼女に無理難題をいろいろいいました。
ポイントは、動きでその人間性(文楽の人たちの言う「性根」ですね)を表現しよう、ということでした。
大悪人ではない、ずるいけれども気は小さい、おどおどしながら人をだまそうとする悪質訪問販売員を手足をはずした一人遣いのツメ人形でどのように表現できるか。座った上体でほとんど動かない主人公の娘に対して、ちょこまか動いては娘の顔を覗き込んだり、浄水器の御託を並べるくだりではえらそうにいいながらも媚びるような態度を取ったり。
文楽の

    チャリ

のポーズも拝借して演じてもらいました。
私としては大満足でした。

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