今年もありがとう 

多くの方々にいろいろお世話になって今年も生かせていただきました。

    文楽の皆さん

すばらしい技芸や裏方のお仕事に感謝します。ますますのご精進を願わしう。
大学の同僚の皆さん、役立たずでごめんなさい。もう少し付き合ってください。
上方芸能の編集長ほかのスタッフの皆様、とりわけ劇評をリードしてくださった

    相棒の先生

言葉にならないほど感謝しています。

    だしまきの夕べ

のメンバーの皆様、楽しい時間はなにものにも替えがたいものだったと思います。再会を楽しみにしています。

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二つの意見 

初春文楽公演で上演される

    染模様妹背門松

は「油店」「生玉」「質店」「蔵前」でひとまとまり。ですからこの公演でもてっきりそうだと思い込んでいました。しかも人形がお染が清十郎、久松が簑二郎と勘弥で楽しみだったのです。ところが実際は「油店」と「蔵前」の中抜き上演。いわば発端と結末ですね。

    ヘッ?

と思いました。
「油店」は山家屋へ嫁に行くはずのお染に言い寄る善六、お染の兄多三郎の放蕩なボンボンぶりが事件を面倒にします。多三郎の相手は女郎の糸、それにまた源右衛門なる男が割って入ろうとします。現行の「天の網島(=心中紙屋治兵衛版)・河庄」ばりに口三味線もあってドタバタします。

「生玉」で久松が善六を殺して自らも命を絶つという、お染久松の二人が同じ夢を見てしまう仕込みの場面や、「質店」ではるばる訪れてきた久松の父久作が革足袋で息子を打ちながらの強意見は今回はパス。玉男師匠の久作だと有無を言わせぬ年功と慈悲が感じられましたけどね。実はお染が身篭っていることが母に知られ、母のお勝が久作に意見を依頼したのでした。ここで二人はそれぞれが別の結婚をすることを約束します。夜が明けるまで久松は蔵の中に入ることも承知して、これでまるく収まれば芝居になる一歩手前。妥協を知る大人の分別、社会の常識。
さらに蔵前で言葉を交わすお染久松に聞こえるのが「白骨のおふみ」。お染の父、太郎兵衛の声です。

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又平の幸福 

小学生のころから抱き続けている心の傷です。
若干の知的障害があった同級生(女の子)がいたのです。運動も得意でない彼女は、男子生徒、特に成績優秀で卒業後は有名進学中学校に行ったような連中(今ごろ高級官僚になっているかなあ?)の恰好のからかいの対象でした。「優秀」な連中は容赦なく周りを見下す、時代がそうだったのか、嫌な雰囲気がありました。
幸か不幸か私は「優秀」ではなく、鈍足でグズ、見下される側でした。
ところが、6年生のおそらく晩春か初秋の見事な青空の下での写生の日、たまたまその女の子と並ぶように位置取りをしたのです。すると彼女が何か言ったらしく、私はつい逆襲して

    汚い言葉

を投げかけて、彼女を俯かせてしまったのです。私は謝ることもせず、うやむやにしてしまいました。
今でもあの鮮やかな青空とともにはっきりと覚えている暗い光景です。

もうひとつの傷、強い吃音のあった男の子がいました。私は割合に仲がよかったのですが、彼もまた吃音を真似されてはからかわれていました。
ある時、「優秀組」が何かの理由で私を仲間に入れ、その場で彼の吃音の真似をしたのです。私は卑屈にもその「優秀さ」に迎合したのか、

  笑ってしまいました

そのあと吃音の友人と顔を合わせた時の苦い気持ちも忘れられません。

「いじめっ子」「からかわれっ子」らすべての顔も名前も覚えています。

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忠三郎の不在 

忠兵衛が梅川を藁葺きの家に連れ込みます。
親達の家来も同然の者が住む家なので安心しています。が、家にいたのは最近嫁入りしたばかりの女房だけ。前かたの近づきは知りませぬ、とのこと。
女房は傾城の意味も知らぬ田舎者ですが、人のよさもまた田舎の人ならでは。あっさり家を、すなわち舞台を空け渡して、夫の

    忠三郎

を呼びに行きます。
女房は端役ですが、文楽ではともかく、歌舞伎では引っ込みで声も掛かる面白い役とも言えそうです。
で、忠三郎は戻るのかというとそうではない。幻の役(笑)です。
忠三郎がいたら、話はどのように展開したのか。そんなことを考えても意味はないのでしょうが、

    男気な

人物らしいので気になります。
そこに通り掛かる道場参りの人々。そして孫右衛門。転んだ孫右衛門を介抱すべく飛び出した梅川は、まあまあここへ、と門口へ、と思うとなぜかあっさり家の中へ。
文楽ではそういう演出ですよね。あとは忠三郎の家の中の出来事になります。

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敬称 

天皇が誕生日に「さかなクン」の名前を出したことが話題になりました。
クニマスがらみのことで「さかなクン」を称える内容だったとか。
それにからんで「さかなクン」に敬称をつけると

    「さかなクンさん」

になるのかという、まあどうでもよさそうな話がかなり取り沙汰されたそうですね。
私はテレビを見ないのでわかりませんが、テレビでは実際杓子定規に「さかなクンさん」と言っていたのでしょうか?
これで敬称の機能が果たせているのでしょうか?
竹本住大夫師匠を「竹本さん」、明石家さんまさんを「明石家さん」と呼ぶのと変わらないくらい滑稽です。
「さかなクン」は「さかなクン」です。彼を愛する子供たちのために名前の中に敬称というか、むしろ愛称と呼びたい「クン」をあらかじめ取り込んで名乗っているので、これ以上「さん」を付ける必要はないわけです。問題はそれが大人相手になった時ですね。
このブログにコメントを下さる方の中に「あいらぶけろちゃん」という方がいらっしゃいますが、私がお呼びする時は、やはり

    あいらぶけろちゃんさん

になります。ただ、これは「けろちゃん」に「ちゃん」がついているのであって、この方がご自身を「ちゃん」付けで呼んでいらっしゃるのではないからです。
でも、もしHNで「文楽ちゃん」を名乗る方がいらしたら、「文楽ちゃんさん」と言うかな? 私は多分言わないと思うのですが、ご本人はいやがりますかね? 嫌がるならそんなHNは付けないと思いますが、どうでしょうか。
「さかなクンさん」も結局は親しみを表に出せない立場の大人(アナウンサーなど)が呼ぶ時に「クン」で終わると失礼な感じが残るからなのでしょうね。
さすれば、こういうニュースを読む場合は少し微笑みながら(親しみのサインを出しながら)「さかなクン」と呼べばよいのかも知れません。アナウンサーにはできないのかな?
何が何でも「さん」を付けたかったら「さかなクンこと○○さん」と本名で呼ぶしかないのでは?

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新口村の哀愁 付590,000 

奈良県橿原市(かしはらし)に

    新口町

があります。もちろん読み方は「にのくち」奈良県の方は運転免許センターがあることでご存じの方も多いのだろうと思います。耳成山が遠からず、ずっと南に畝傍山、南東に天香具山。
近鉄電車の橿原線「新ノ口」駅は大和八木駅のひとつ北側。さらに南へ行くと橿原神宮前駅があり、近鉄吉野線に入って岡寺駅、飛鳥駅、壺阪山駅があります。もちろん壺阪霊験記の壺阪です。近鉄はここから西側に迂回していますが、壺阪山から山を越えると真南に下市があります。あの「風味も吉野下市に」ですね。吉野川を登っていくと妹山、背山が川の両岸に。その南には吉野山。金峯山寺蔵王堂などがあり、もうこうなると浄瑠璃の世界が次々展開することになります。
近代的な都会の電車である阪急や阪神と違って、大阪、奈良、京都、伊勢、名古屋などを結ぶ長い長い路線を持つ近鉄は歴史の宝庫を走るので、なかなかすてきなのです。
また行きたいなぁ・・・。

さて、その新口なのですが、近鉄の駅を降りて北へほんの2,3分歩くと

    善福寺

があるのです。ここには梅川忠兵衛の碑があり、いかにも「新口村に着きけるが~んな♪」という感じがします。近松の『冥途の飛脚』では、男気のあるのは八右衛門でした。鬢水入れの件も黙ってくれましたし、封印切ではいやなこともいいながら忠兵衛をたしなめます。不器用なところがあって、うまく忠兵衛に伝わらなかった面もあるのでしょうが、八右衛門としては二枚目クンはどうも扱いにくいようです。
『恋飛脚大和往来』になりますとが、八右衛門は憎まれ役に近づき、『傾城恋飛脚』「新口村」では巡礼姿で忠兵衛を捜索しています。
忠三郎の女房が軽くあしらって追い返し、ここで「(かまどの)前にさしかかる」となります。

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三番叟は大地の歌(4) 

「アヽラめでたやな。物に心得たるアドの太夫殿に見参申さう」
「てうど参つて候ふ」
「誰がお立ち候ふぞ」
「年頃の朋輩つれ友達、御アドのために罷り立ちて候ふ。今日の三番叟、猿楽きりきり尋常に舞うておりそへ。色の黒い尉殿」
「この色の黒き尉が、今日の御祈祷を千秋万歳所繁昌と舞ひ納めうずることは何よりもつてやすう候(ざう)。まづアドの太夫殿には元の座敷へおもおもと御直り候へ」
「某が元の座敷へ直らうずることは、尉殿の舞ひよりもいとやすうざう。御舞なうては直り候ふまじ。御舞ひ候へ」
「御直り候へ」
「御舞ひ候へ」
「あらやうがましや」
「さらば鈴を参らせう」

そなたこそ。

千歳から千秋万歳いついつまでも繁盛しますように、と舞い納めを求められた三番叟。もちろん舞いますが、あなたは元の座敷にお戻りください。舞ってくだされば戻りましょう、お直りを、舞を。とやりとりがあって、「それなら鈴を差し上げるので舞ってください」ということになります。「やうがまし」というのは、いろいろ条件が難しいですね、という感じでしょうか。
千歳はかくして元の座に直ります。

初日は諸願満足円満、二日の日はまた二つ柱。宇津女の神子が、ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここのたり。ももちよろずの舞の袖。五月のさ女房が笠の端はをつらねて早苗追つ取り、打上(うちや)げて諷うた。千町万町億万町。田をばぞんぶりぞ、田をばぞんぶりぞ、ぞんぶり、ぞんぶり、ぞんぶりぞ。御田を植ゑるならば、笠買うて着せうぞ。笠買うてたもるならば、なほも田を植ゑうよ。三日は福徳寿福円満、子徳人の子宝、車座に並べた。たつまついるまつかいつくひっつく、火打袋にぶらりと付けて候ぞ。これ式三の故実にて、三日(さんじつ)これを舞ふとかや。

こうなるとやはり作物の豊穣を祈り願う大地の歌らしくなってくるように思います。「ぞんぶり」というのは水を跳ね上げて歩き回るときの音として用いられることがあるようで、田の中の水を跳ね上げながら苗を植えていくことをいうのでしょうか。
田植えをするなら笠をあげよう、笠をくれるならもっと植えよう。勤勉で楽しげです。三番叟は種を蒔いたり鶴の仕草をしたり。
そしてついにやってきました。あの旋律。

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大阪から博多まで 

博多座の公演が昨日千秋楽となりました。
まだ技芸員の皆さんがあれこれおありかもしれませんし、何といっても初春の稽古もあります。
しかし、観客の側からすれば、ほぼ今年の主要行事は終わったと言うところでしょうか。
で、文楽にとって、というか、

    この一年

はどんな一年だったのか。
少々振り返っておこうと思います。
といいつつも、私はほとんど大阪公演しか行けませず、いつの間にか悪い客になってしまいました。
ご熱心な皆様のご感想などをここに募らせていただければと存ずる所以です。
今年の初春は「二人禿」「彦山権現」「壺坂」(以上第1部)「先代萩」「寿連理の松」「日高川の渡し場」でした。玉女さんの六助がかっこよかったです。文雀・和生の「壺阪」も味わいがありました。紋壽さん、ついに大阪本公演での政岡でした。
4月は簑助師匠の文化功労者記念で「妹背山」。雛鳥は圧巻でした。和生さん・勘十郎さん・勘弥さんで求馬・お三輪・橘姫。清十郎さん・簑二郎さんの芝六・お雉もよかったなぁ。

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三番叟は大地の歌(3) 

「寿式三番叟」は私にとっては土の香りのする演目です。
大地の上に生きることの喜びを感じさせてくれます。

  とうとうとうと鳴る鼓
  宇佐の神の御役にて
  笛の初音も高円や笛吹の大明神
  大鼓(おほど)は高野の大明神
  太鼓は熱田の源太夫
  いずれも、秘曲の打ち囃子
  鳴るは滝の水、日は照る神の神いさめ
  されば春日の大明神
  翁の袂ひるがえす、扇の手こそ面白や

「とうとう」という音は滝の水の音であったのに、いつの間にか滝という目に見えるものを隠してしまい、耳鳴りのような感覚から我々の血の中で鼓の音に転じます。
宇佐、高円笛吹、高野、熱田源太夫の神々による小鼓・笛・大鼓・太鼓の秘曲の演奏。
熱田の源太夫は謡曲「源太夫」でも知られます。源太夫の神は後シテとして登場して太鼓を打ちます(打つ仕種をします)ね。
そして春日大明神は扇で拍子を取り、翁の袂を翻します。さながら五人囃子でしょうか。

  青にぎて、青丹よし奈良の都の三笠山
  かげもあらたに慈悲万行、七五三の歩みの大事
  十五の拍子とりどりに
  万代の池の亀は甲に三極を戴いたり
  滝の水麗々と落ちて、夜の月あざやかに浮かんだり
  渚の砂(いさご)索々として朝(あした)の日の色を朗ず
  天下泰平国土安穏の今日のご祈祷なり

「にぎて(和幣)」は榊の枝に掛けて神に捧げる布。青和幣や白和幣があります。そこから「あをによし」の枕詞につながり「奈良」にかかります。私は観たことがありませんが、能の「佐保山」に、日陰と言うのは春日神の慈悲万行の神徳であるという里の女の言葉があります。「あらたに」というのは「新しい」のではなく「あらたかである」でしょうね。慈悲万行は七・五・三の十五の歩みをするのでしょうか。存じません。
このあたりは能楽の「翁」でも「およそ千年の鶴は、万歳楽と謡うたり。また万代の池の亀は、甲に三極を戴いたり。滝の水麗々と落ちて夜の月あざやかに浮んだり。渚の砂索々として、朝の日の色を朗ず。天下泰平国土安穏の今日の御祈祷なり」とあるのにほぼ同じです。

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年内最後 

出勤しての仕事は、今日で年内最後です。
躓いたり転んだりして周りに迷惑を撒き散らしながら、何とかたどり着きました。
最後の授業は前回の補足と

    歌舞伎

について。

まずは前回見せられなかった能の『船弁慶』を見せます(知盛の亡霊の出から)。
そして質疑応答タイム。私は障害があるため、学生とコミュニケーションが取れませんので、毎回質問用紙を配布して学生に自由に書かせ、それに翌週回答することにしています。前回の質問は「女人禁制」と「大峰山の

    『のぞき』

の修行に集中しました。
かつて富士山が女人禁制であった話をしましたので、なぜ女人禁制というルールがあるのかが知りたいということでした。
また、今も女人禁制が続く大峰山での「のぞき」の修行のあらましも話します。命綱をつけて崖から谷底を覗くようにして「しっかり仕事をするか!?」「奥さんを大事にするか!?」などと問われ、あげくには足を持って支えてくれていた行者がいきなり手を離して、あわや真っ逆さま!というところまでが修行だそうです、という話です。

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三番叟は大地の歌(2) 

とにかくいろいろな方でこの「寿式三番叟」は拝見しました。三番叟の件だけの「二人三番叟」を含めるとあの「チリンチチン」を何度浴びたことか。毎日の公演の「幕開三番叟」も楽しみですしね。

  天照大神、岩戸に籠らせ給ひし時
  世は常闇となりけらし。

乱暴もののスサノヲノミコトの所業に耐えかねた天照大神が窟(岩屋)に籠ってしまいました。彼は日の神ですから、この世は「常闇(とこやみ)」になってしまいます。この部分の語りはけだるく憂鬱です。岩屋の場所は宮崎・高千穂や三重・伊勢のほか西日本各地にありますが、実際は神の世界の話ですね。

  その時に四方つ神、八百万の御神達、神集めに集め給ひ
  庭火を焚いて庭神楽、神棲む注連と木綿襷(ゆふだすき)
  太宣り言(ふとのりこと)の神歌や
  式三番のその謂れ、おさおさ申すも畏れあり

他の神様たちは困ってしまい、皆さん集合して庭火を焚いて対策会議です。そして有名な

    天宇受賣命(アメノウズメノミコト)

のダンスが始まります。芸能の神様、元祖ですね。相当エロティックな踊りだったと伝えられますが、出雲の阿国の歌舞伎踊りをふと思ってしまいます。
神話では、この時、神々が大声で笑ったとされますが、この笑いというのはずいぶん重い意味があるように思います。けっして不謹慎ではない。笑いというものの持つ力は芸能においてきわめて重要なものだと思います。笑いは大きな息を吐くことで生まれ、息は生きることの証であり、すさまじいパワーを持つはずです。
神聖な儀式にも笑いの要素は欠くべからざるものです。私は今年の夏に相撲の節会の勉強をしていて、その儀式の最後に着ぐるみを着た滑稽な仕草の芸能が行われて終わることにも興味を持ちました。そこでも人々は大笑いした、という記録があるのです。
さて、天照大神はびっくりして岩屋の戸を少し開けて何事かと問い、「実はあなたよりも立派な神が現れたので、皆大喜びしているのです」と言われます。プライドを傷つけられた天照は身を乗り出し、そこを

    天手力男(アメノタヂカラヲ)

に引っ張り出されるのもよく知られたところです。
そして、これが式三番(しきさんばん)の謂れであり、畏れ多いことであると説きおさめます。

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三番叟は大地の歌(1) 

能ではなく、もちろん歌舞伎でもなく、文楽の

    三番叟

と出会ったのはいつのことだったのでしょうか?
自分でもまったくわかりません。というのはある日、これがはじめての三番叟だと思って行った時に、あの♪チリンチチン♪の旋律に戦慄し、明らかに既視感ならぬ既聴感を覚えたからです。
聴いたはずがないのに知っている。これはもう、

    血の中に流れている音

としか考えられませんでした。
例えば、子供の頃に見たことのあるテレビの「部長刑事」のテーマ音楽がショスタコビッチの交響曲の一節であることを知ったのはずいぶんあとになってから。しかしその時は「ああ、この音楽があの番組に使われていたのか」と冷静に判断できました。クラシック音楽ではよくあることです。
そういうのとはまったく異なった感覚でした。

以下、初春公演で「寿式三番叟」が上演されますので、いくらか覚書を。私は芸能の専門家ではなく、例によって間違いがあるかと思いますが。

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寒くて眠い 

この一週間は寒かったですね。
あの猛暑がついこの間にように思うのに、今はもうビシビシと寒さがこたえます。
実はあまり眠れない日が多く、その結果、昼間が眠いのです。そして職場が割合にぽかぽかしていますので、昼寝をしてしまいます。
私だけではないのです。研究室に来る学生も眠い眠いの連発。
そして時々本当に彼女たちはそこで

    眠ってしまう

のです。
あのねぇ、仮にも20歳過ぎのお嬢さんが・・・。
彼女たちにとって私は水のような存在らしく、どうも平気みたいです(笑)。いつだったか、「先生、眠かったら寝てください。私も一緒に寝ますから」とも言われました。「一緒」の意味が時間的なこと(つまり「同時に」の意味)を指すのはわかりますが、やはりびっくりしました(笑)。

かく申します私も一昨日(金曜)は夕方30分ばかりぐっすりと眠ってしまいました。
家に帰るより、ここで泊まりたい、としょっちゅう思います。

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飲めるなら 

今月に入ってからおそらくまったくといってよいほどお酒は飲んでいないと思います。
経済的というか非文化的というか(笑)。
やはりある程度は飲みたいのですが、なかなか体調が(ふところぐあいも?)よくなくて。

もう少し我慢して、正月にはいくらかでも飲めればいいなぁ、と願っています。

うちの長女の友人が京都伏見の某酒造メーカーの御曹司のお嬢さんで、次女の友人が西宮今津の某酒造メーカーの一族のお嬢さんだそうなのです。メーカーというよりは

    酒蔵

ですかね。
ご学友たちはなかなかのお嬢様がいらっしゃるのです。でもその恩恵は私には回ってきません(笑)。

日本酒というのは昔はまるで飲めなくて、どうしてこんなものをおいしいと思うのだろうと思っていた時期もありました。
すると、長男がまったく同じことを言っていました。こんなもの、どこがおいしいんだ、って。

彼もまたいつの日かこの味わいが分かるのでしょうかね。

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討入の空 

大石内蔵助以下、赤穂の浪士47人が江戸本所松坂町の吉良邸を襲ったのは元禄15年12月14日、今の暦でいうと

    1703年1月30日

のことだそうです。
芝居の中では雪が降っていたことになっていますが、実際は残雪があったとはいえ、この日は降っていなかったとも。よくわかりませんが。
気になるのは月です。旧暦14日というとほぼ満月を想像しますが、この時は貞享暦なので、事情が異なり、きちんと調べたわけではありませんが、満月は3日前ではないかと思います。つまり14日は午後8時半頃に東の空に現れた

    居待月

のようです。
となると、15日の午前2時半頃に南中。月のすぐそばに土星がありしし座とおとめ座が月をはさむかっこうで動いていたようです。
仮に突撃が寅の刻(午前3時頃から5時頃)とすると、東の空に火星がさそり座とともに姿を現し、木星が北西に沈む頃です。さそりの毒は怖いのです。

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小学生からの手紙 

この夏、吹田市内の小学校へ学生と文楽人形と(スペシャルゲストとして我らが師匠も!)一緒に訪問したのは今年のよき想い出です。汗が止まらない酷暑の中で、学生たちが精一杯文楽人形パフォーマンスを見せてくれました。
プロの方とは違う、素人に「ド」のつく演技が子供たちにどのように受け止められるのか、不安でいっぱいでした。
つい先日、この催しのお世話をしてくださった方が、

    子供たちの手紙

を送って下さいました。
色画用紙にカラフルに書かれた手紙で、時間がかかっただろうな、とありがたくも申し訳なくも思っています。ただ、子供たちは、見るだけでなく書くことも大事だと感じて欲しいので、世話役の(とてもかわいい)ヤングママさんの教育者ぶりにも感服しました。
当日の内容はこのブログにも8月7日前後に書いた通りです。
ごんたさんという学校の先生が、自由な女子大生に憧れ、街でもらった

    願い事の叶う薬

を飲み、見事に念願の女の子になります。しかし薬は5分しか効かず、最後は衣装は女の子、顔だけはおじさんになるという他愛ないものでした。

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東京公演もお開き 

元禄15年12月15日の夜明け。
46人の赤穂旧臣は本所から

    高輪の泉岳寺

まで歩いたのですね。
今の暦にすると1月31日のことです。
私も以前同じ道(迂回せざるを得ないところあり)を歩こうとしたのですが、つい途中で、特に深川あたりで、あちこちに寄り道をしてしまって(笑)、1度では歩ききれませんでした。
それにしてもよく歩きますね、昔の人は。
今の見上げるような永代橋より北寄りにあった、討入の4年前にあたる元禄11年に架けられたばかりの

    永代橋

を渡って隅田川右岸へ。浅野家上屋敷(今は聖路加病院)から芝方面、金杉橋を越えて高輪へ。
泉岳寺に着いたのは辰の刻だったとか。午前8時前後ですね。
主君の墓前に吉良の首級を手向けたことで、とりあえず悲願達成でしょうか。
2年近い嘗胆の日々という長い道程を味わうかのような本所から高輪までの徒歩(かち)の旅でした。
私は、父が芝公園に住んでいましたので、金杉橋は目の前。あそこから高輪までは何度も歩いたのです。あの区間だけでもそこそこ「歩いた!」という実感がありました。

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そして12・14 

授業を通して学生にあれこれと忠臣蔵について話してきたのです。
そして今日は、旧暦(当時は貞享暦)と新暦の違いはあるとはいえ、

    極月半ばの十四日

です。
元禄15年(1702)12月ですが、今の暦で言うと1703年1月30日の出来事です。
立春までもう少しとはいいながら、寒い頃ですよね。実際は降っていなかったとも言われますが、芝居では雪がつきものです。
大石内蔵助以下、貝賀弥左衛門、原惣右衛門、間瀬久大夫、片岡源五右衛門、富森助右衛門、武林唯七、小野寺幸右衛門、奥田孫大夫、矢田五郎右衛門、勝田新左衛門、吉田沢右衛門、岡島八十右衛門、早水藤左衛門、神崎与五郎、矢頭右衛門七、大高源五、近松勘六、間重次郎、堀部弥兵衛、村松喜兵衛、岡野金右衛門、横川勘平が表門。
大石主税以下、吉田忠左衛門、小野寺十内、間喜兵衛、堀部安兵衛、礒貝十郎左衛門、倉橋伝助、杉野十平次、赤埴源蔵、三村次郎左衛門、菅谷半之丞、大石瀬左衛門、村松三大夫、潮田又之丞、中村勘助、奥田貞右衛門、間瀬孫九郎、千馬三郎兵衛、茅野和助、間新六、木村岡右衛門、不破数右衛門、前原伊助、そして寺坂吉右衛門が裏門。

さすがにいろんな名前がありますね。「孫」がつく人も二人。近松さんも勘平さんもいます。

47人が寄ってたかって60過ぎの老人一人を殺しに行く、と言ってしまうと身も蓋も無いのですが、だからこそ芝居では徹底的に吉良(師直)を傲慢で厭味な男に描く必要がありました。
実際、浅野が刃傷に及んだ時、日ごろの怨みであると叫んだようで、吉良は少なくとも浅野にとっては許し難い人物だったのでしょう。でも、吉良にしてみればそこまで怨まれる覚えはなかったのかも。真実がわかりませんが、善と悪との単純な対立とは言い難いようにも思います。

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いろいろありました 

まだ今年は3週間ちかくありますが、ちょっとばかり振り返ってみます。
いずれご報告しなければならないかな、とは思いつつ、あまりいい話じゃないので黙っているのですが(笑)、個人的なことであれこれありました。
それは気が向いたらお話しすることにします。

体調は昨年に比べるとましになったとはいえ、相変わらず息苦しさとの戦いです。

    お酒

もあまり飲めなかったなぁ。
勉強はまあ、普通でしょうか。しかしこれは普通じゃダメなので、来年は「頑張れた!」と言えるようになりたいものです。
要するにものがどれだけ書けたか、ということなのですが、締め切りに追われる、という日々を送らねば。
大学教員としては学生とまずまず仲良く付き合えたのではないかと思います。

    文楽人形の仕事

も学生が積極的に頑張ってくれました。小学校を訪問したり、大学祭に出演したり。今年度でこういう仕事はもうできなくなりますので、いい思い出になったと思っています。

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発掘 

斉明天皇の墓とされる奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳のすぐ前に7世紀後半の石室が見つかったというニュースがありました。日本書紀には斉明天皇陵の前にその孫にあたる大田皇女を埋葬したいう記述がありそれと見事に一致するためおそらくこれは西暦667年に亡くなった

    大田皇女

の墓だろうと考えられます。
大田皇女というのは天智天皇の娘で、持統天皇の姉。大海人皇子(のちの天武天皇)のキサキとなって大伯皇女や大津皇子を産んだ人です。なくなったときの年齢はよくわかりませんが20代かといわれ、かなりの若死にだったようです。
私は上代の歴史には疎いのですが、授業などでしばしばこの大伯皇女と大津皇子の話を取り上げるのです。大津皇子が謀反の罪で殺されたことをめぐって、伊勢斎王であった姉の大伯皇女が詠んだ歌が残っており、姉と弟のとても親密な関係を詠んだものとして関心が深く、話をするわけです。
謀反の罪を着せられ(無罪であった可能性が高い)た大津は死ぬ前に一度会おうということだったのか、伊勢にいた姉の大伯皇女を訪ね、そのときに大伯が歌を詠んだと記されているのです。そのうちの一首は

  わが背子を大和に遣るとさ夜深けて
          暁露にわが立ち濡れし


というものでした。
この二人の姉弟愛を思ううちに、私は伊勢物語の伊勢斎宮の話と引っ掛けて、何とかこれを浄瑠璃にすることは出来ないかと思ったのでした。

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国立劇場の忠臣蔵 

さすがにこの時期ですから、忠臣蔵が上演されるのは当然とも言えそうです。
今歌舞伎では国立劇場で幸四郎他の忠臣蔵の上演中。
ところが、仄聞したところでは、必ずしも

    絶賛上演中

ということでもなさそうな・・・。
以下、自分の目で見ているわけではありませんので無責任な書き方になってしまいますが。

内容は、
三段目「刃傷」、四段目「判官切腹から城明け渡し」、道行「旅路の花聟」、七段目「一力」、十一段目「表門討入」「奥庭泉水」「炭部屋」「引揚」
というもので、文楽に慣れているとちょっと信じられないような構成になっています。
国立劇場の企画としては「大星に焦点を当てたドラマ」ということのようです。
しかもご覧になった方によりますとカットもずいぶん多いのだとか。
休憩を挟んで5時間の上演ですからなんとかカットにカットを重ねて筋を通そうということなのでしょうか。
12月なので討ち入りを重視したいと言う思いがあるのかもしれませんが、なんだか事件が起こってバタバタっと討ち入っちゃったという印象を持ってしまいます。人間を描いていくよりも討ち入りを見て年末を味わおう、っていうことでもないですよね?

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今年もない・・ 

だいたい宴会はさほど好きではなかったのですが、それでも仲間が集まってワイワイ、という程度のことは以前はありました。
しかしもうかなり長らく

    忘年会

には行っていません。職場の忘年会って、あるのだろうか? 学部全体とか、学科単位とか、そういうレベルではたぶんやっていないと思うのです。珍しいですよね、こんなに仲の悪い職場って(笑)。もちろん仲が悪いというのは嘘なのですが、

    年内最後の教授会

の夜は、なんていう具合に流れていくのが普通の大学だろうと思うのです。
あるいは行われているのかもしれませんが、私は全く知りません。
仲間はずれにされているなんて、まったく思っていないのですよ。
こちらから遠慮しているのですから、是非皆さん楽しくやっていただきたいと本心から思っています。
文楽関係では、この時期は東京公演ですから、以前はあちらの友人と一緒に新宿とか大塚とか永田町とかあちこちで何かあったように思います。

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地元 

年内の授業もあと2週間になりました。なんとかそこまでたどり着けるのか?
この時期になるといつも

    忠臣蔵

の話をします。なんのことかまるで知らない学生もあれば、そこそこ知っている、という者もあります。
私があちこちで撮ってきたゆかりの地の写真や文楽の一場面を見せたりしながら話すのです。聖路加病院の浅野家上屋敷跡に始まって、愛知・吉良の上野之介像、皇居東御苑の松之大廊下跡、新橋の田村右京大夫邸跡、赤穂城、祇園一力、両国の松坂町公園、泉岳寺、六本木毛利邸跡……。そして、大学から遠くない箕面市萱野にある

    萱野三平旧居

も。文字通りの地元です。するとある学生が驚きの発言をしたのです。

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よき名 

今年一番人気のあった新生児の名前は男の子が

    大翔

で、女の子は

    さくら

だったとか(明治安田生命の調査)。
男の子の名前は「ひろと」「まさと」「やまと」などと読むそうです。私の携帯でも「ひろと」「やまと」は「大翔」に変換できました。
名前の流行は必ずあり、私の同世代に割合に見られた「太(ふとし)」「和子」「よしこ、よしお」などは減っているように思います。
太った子が「健康優良児」として表彰された時代でした(私も表彰されたそうです)が、今やメタボなどと言って太いことをあまりよく言わないからでしょうか。おっとりした性格も感じられてよさそうですし、「○太」という名前は「のび太」君に限らず今も多いですけどね。

この間、世界遺産の白川郷の話をしていて、民宿をされている

    孫右衛門さん

のことを学生に話したのです。すると「孫右衛門なんて珍しい名前ですが昔はよくあったのですか?」と質問されました。こういう質問は嬉しいですね。
今でも居酒屋さんなどには(笑)見られる名前ですが、歴史上の人物にもしばしば見られます。

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安寿と厨子王 

安寿というと「ミラ」と続けてしまうのは私がやはりタカラヅカの住民だからでしょうか?
私の妹年代のタカラジェンヌです。
まあ、あまりタカラヅカのことを書きますと、無知が露呈されそうですのでやめておきます。

安寿と厨子王(丸)は私も子供の頃に絵本か何かで読んだのが最初だろうと思います。ハイライトは母親の「安寿恋しや、厨子王恋しや」の部分です。
ですから、「さんせう太夫」という

    説経節に由来する

ことなどかなりあとまで知りませんでした。
説経節は「かるかや」「しんとく丸」など義太夫節ともかかわりの深い演目もあり、当初は語り芸単独だったのが、人形入りで演ぜられることにもなったのですね。

時は平安時代、11世紀の後半です。
奥羽の太守の子、安寿と厨子王は、その母とともに筑紫に流罪となった父を追うのですが、直江津(越後=新潟)で人買いによって離れ離れにされ、母親は佐渡に連れて行かれます。そして子供たちは由良湊(丹後=京都)の山椒太夫に売られたのですね。
山椒太夫は姉弟をこき使い、姉には潮汲み、弟には柴刈りの重労働を課します。

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東京公演、忘れていません 

東京公演に冷たいじゃないか、と言われそうです。けっして忘れているわけではありません。
2日から14日までの短い期間ですが、ただいま上演中です。

  由良湊千軒長者 山の段
  本朝廿四孝 桔梗原、景勝下駄、勘助住家の段

そして鑑賞教室は
  伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段
  解説 文楽の魅力
  三十三間堂棟由来 鷹狩、平太郎住家より木遣り音頭の段

ですね。
お隣の大劇場では幸四郎の由良之助と師直、福助の顔世とお軽、染五郎の判官・勘平・平右衛門などによる歌舞伎の忠臣蔵。
大賑わいでしょうね、隼町。

    ぜ~んぶ行きます

という方も少なくないのではないでしょうか。
私も条件が許せばそうしたいところですが。

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ああ、入試 

小さな私立大学の教員、特に入試に関わる分野の担当(国文学、英語学など)の者は夏から冬にかけては常にそのことを気にかけなければならない日々が続きます。

私も6月頃からずっとそのことで時間をつぶしてきました。正直に申しまして、自分の勉強にはあまりプラスにならないだけに、辛い仕事です。
で、昨日はその入試がありました。

  受験生の皆さんは真剣

ですし、実際彼女たちの人生のいくらかがこの短い時間で左右される可能性がありますから、こちらも真剣。きちんとした対応をとっています。こればかりはごまかしはありえません。
その分、疲労も大きく、普段の授業の何倍も気を遣うような感じです(普段がサボりすぎ?)。ですから、終わると本当にほっとします。このあとまだ1月、2月、3月の三回にわたって同じことを繰り返すのです。
入試というのはデリケートなものですから、私がどのように関わっているかは申せませんが、よほどの重病でもない限り、毎回休めないことだけは間違いないのです。
ただ、今年限りでこの仕事から解放されそうなので、来年の今頃は

    左団扇かな(笑)

と思っています。いや、「左団扇」というのは利き手でない左手で団扇を使うほど余裕があるという意味ですから、私の場合は「右団扇」でしょうか。

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年賀状を書くこと 

毎年この時期になりますと、私は学生にあえて

    年賀状

を勧めています。
あんなものは郵便局の陰謀であって(笑)、このメール全盛の世の中では前時代的なものだ、というのも一理あろうかと思います。
実際、年賀状を出さないことにしていると言う方もずいぶん多くお見掛けするようになりました。そういう方々は概して出す分量が多くなりすぎて、とても

    対応できなくなった

というのが理由のようです。
私などたいした数ではありませんので、今でも手書きの部分を残した年賀状を書き続けています(お決まりの言葉は印刷していますが)。
で、学生には、友だちに出す年賀状は好きなように書けばいいけど、ひとつ今年は高校時代の先生とか、今のゼミの先生にきちんとした形の年賀状を書く練習をしてみませんか、と言っています。
敬語の使い方の話もずいぶんしてきたのですが、やはり彼女たちは目を白黒させるか諦めるか・・・。苦手なことに挑んでいく姿勢がいささか希薄な者がいます。
就職の時、困るよ。

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流行語 

毎年この時期になると、一年を振り返る催しが目白押しになります。
その中に

  新語・流行語大賞

というのがあるようですが、今年に限らず、私はほとんどが「発表されて

  初めて知る言葉」

です(笑)。世の中の動きから遅れているなぁ、と、しみじみ思います。ただ、ここで言われる「新語・流行語」というのは、昔の「ガチョーン」とか「シェー」などのように「誰もがつい口にする言葉」ということではないのでしょうね。
「食べるラー油」は商品として人気があったのかもしれませんが、それが言葉として流行(はや)るというのとは別だろうと思います。食べない人(私もその一人)にとっては意味不明の言葉ですね。むしろ「ルーピー」なんていうほうがはやったような気もするのですが(笑)。「脱小沢」も「受賞作」で、何人かの人に打診したもののすべて受賞辞退されたそうです。誰に贈ろうとしたのですか?
結局この「賞」がダメなのは授賞式をイベント化することが目的のように見えるからだと私には思えます。
ほんとうの流行語は、それを言い出した人の影が薄くなればなるほど価値が上がるようにすら思えます。

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32歳の君へ 

ブログの性格としてあまり社会ネタは書かないのですが、少し思うところもあって……。
成田屋の若旦那が大変な目に遭われました。
深夜、というか早朝ですかね、顔を傷つけられるのはなんとしても避けたいと防御したようですがそれもむなしく、かなりひどい状態になられたようで、今後の役者生活に支障がなければよいが、と思います。
ところが、彼に対しては同情よりも

    批判の声

がすさまじく、うぬぼれ過ぎ、もともとたちが悪い、酒癖が……など、嵐のような罵声が飛び交っているようです。
私は役者としてもあまり理解していませんし、ましてどんな人なのかなどさっぱりわかりません。一緒に飲んだことはありませんしね(あたりまえ)。ただ、もし巷間伝えられていることが事実ならたしかに感心できないところもあります。

とは言え、彼もまだ32歳。体力に自信がみなぎるとともにいくらか世の中が見えてきて何でも出来そうな錯覚を覚える頃であり、しかしまだ幼さも残っているので、迷い、惑い、ふらふらする年代でもあります。男性の32歳なんてまあそんなものでしょう。彼もまた

    普通の人間

だったということでしょうか。
思えば私の32歳なんてもっと頼りなかったですけどねぇ。

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