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暖かく 

いくらなんでも冬は終わるだろうと思ってもう2週間ほどになります。
長かったですが、明日(4月1日)からはグンと気温が上がりそうです。花冷えもありそうですが、もう後戻りはしないでしょう。
この3月は数字(気温)以上に寒さを感じました。毎年のように書いていますが、三月の異称である

    弥生

は「いや(弥)おひ(生)」ですから、ますます成長する、どんどん栄えるという感じですね。もっとも、旧暦の呼称ですから、実際はこれからの季節が本当の意味の「弥生」でしょう。今日(3月31日)は旧暦ではまだ2月27日。如月なのですね。
今年は4月3日が「弥生一日」に当たるそうで、これを契機に

    震災の復興

も勢いづいてほしいものです。

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開花 

京都や大阪、東京では桜が開花したのだとか。
大阪にも桜の名所はさまざまありますが、市内では

   毛馬桜之宮公園
  大阪城公園
  四天王寺


などはあまりにも有名です。
文楽においでになる時にはぜひおついでにどこかにお立ち寄りになって下さい。私も

    だしまきの夕べ

のころがちょうどみごろだそうなので、元気だったら(笑)桜之宮を歩いてみたいです。あのあたりは大阪が水の都だと今でも感じさせてくれる場所なのでとても好きなのです。
文楽劇場の周りにも少しなら桜がありますから、日本橋の駅から降りられたらほんのわずかの桜並木をお楽しみになってはいかがでしょうか。

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語らない時間 

昨日、「気がつけばだしまき」へのくみさんのコメントを拝見しながら考えていました。
自粛ムードは日に日に落ち着いてきたように見受けられます。ただ、関東を中心とした節電に関する催しの是非はまだかなり残りそうではありますが。
千葉の

    ディズニーランド

はどうなるのでしょうね。ただ、ピークの時間の節電が問題なのなら、夏はまだ気温の低い午前6時開園、午後2時には閉園、というのはどうでしょうか? まったく閉じてしまうのも残念な気もしますし、園や近隣のホテルの経営も大変ですよね。
大相撲は(かなりしつこいですが)私としては

    9月大阪(関西)場所

を進言します。
大阪の人は受け入れると思います(ちがうかな?)。

東日本の方々が大変な思いをされており、原発が予断を許さない状況なのに、のんきなことを書いているとお叱りがあるかもしれません。
ただ、関西の人たちはけっして浮かれているわけではなく、何ができるかを真剣に考えている人が多いのです。
私もそのうちの一人だと言い張るつもりはありませんが、そうありたいとは思っています。

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気がつけば「だしまき」 

なんだか「艶姿女舞衣」にひっかかってしまって、他の作品について書くこともせず、ふと気がつくともう三月も終わり近くになっていました。
ということは、

    文楽4月公演

が目前ということです。
震災が原発問題に発展したため、いっそう日本国中が重苦しい深刻な雰囲気になりました。
先日の新聞記事に、被災地のかたが「自粛はしないで」とおっしゃっていたのを見て、かつて阪神淡路の時に私が感じたことと同じ思いの人があった、といささかの感慨を持ちました。
関西は何もなかったように東日本に構わず享楽的な日々を送ろう、ということではありません。できることをしながらも、この国の経済や文化、いわば

    誇りと希望

を保つ役割を果たしたいとの思いがあります。
文楽だってやってるよ、大丈夫だよ、日本は。
こういうことを申しますといささか歯の浮くようなきれいごとになりそうですが、私自身は真剣にそう思っています。

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できる範囲で 

義捐金を募る風景が至る所で見られます。
基本はあくまで

    できる範囲で

ということでしょうね。赤字続きの生活をしている私がイチローさんのまねをしたくても、1億円なんてゼロの数が4つ、か、5つ、いや、6つ? まあとにかくかなり桁が違います。
もうひとつは募る側が

    無理強い

をしないこと、でしょうか。例えば、文楽劇場のお客様の中には、福沢諭吉さんにつきまとわれて困っているような人もあれば、なけなしのお金をはたいて来た、という人もあるはずです。
そのなけなしさんに1億円(まだ言うか!)寄附しろと言っても意味がありません。

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三勝と半七 

「酒屋」だけの上演が普通のこんにちですが、そうなると三勝と半七はあまり出番がないのです。
しかし全巻を見渡すとやはりこの二人は重要人物だと思わせられます。
三勝は両親がおらず、兄の平左衛門に育てられ、女舞の名手になっています。
父親は大枚の金をある武士に貸して、借金をあれこれ残しながら亡くなったのです。平左衛門はその中村屋から借りている金(50両)が返せず、困っています。
けっして平左衛門が遊蕩したり、商売に失敗したための借金ではないのです。
三勝は半七との間にお通という子を儲けます。この当時は今よりはるかに授乳期間が長く、満2歳くらいまで授乳することは珍しくなかったようです。ですからみずから「乳が飲みたい(幼児語として、「ちちがもみたい」と発音されるようです)」と言葉で意思表示ができるようになっています。今の演出では「酒屋」でお通は這ってお園に近づきますが、当時の感覚なら歩いてもおかしくなかったのかもしれません。
三勝は、「生玉」では授乳できずにお通がかわいそうだと心配し、「島之内」ではお通の顔を見るや授乳します。
そして「酒屋」でも「乳はここにあるものを」と

    乳房を握りしめ

ます。
三勝を語るときには「乳」はキーワードとしてはずせないだろうと思います。お通にとってはもとより、半七にとっても母であるかのような三勝。

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足引清八 

『艶姿女舞衣』「生玉の段」に登場する

    足引清八

という人物が気になっています。
この人は軽口噺をしながら曲芸まで見せたようで、なかなかの芸達者。生玉神社の境内で舞台を設けて活躍したようです。文楽劇場の土居郁雄氏による「江戸中期の上方落語家足引清八の芸能」(大阪の歴史2007年)という論考を参考にしながらいくらかメモしておこうと思います。
足引清八は安永元年(1772)の『艶姿』初演の時に61歳の本卦返りということになっており、それをそのまま信ずるなら1712年の生まれになります。三勝・半七の心中は元禄八年(1695)十二月六日ですが、『艶姿』では安永元年に時代設定しています。「生玉の段」に中山新九郎の一世一代の話が出てくるのですが、これは実際明和九年(=安永元年)九月におこなわれており、まさにこの作品の初演の時に時代が設定されていることが分かります。下巻の「今宮戎の段」にも「明和九年」の年号が出てきます。
生玉神社の軽口というと、元禄のころの米沢彦八が有名ですが、それから半世紀以上あとに同じ生玉神社境内で活躍したのが清八です。

『艶姿』の「絵尽し」によると、客に向き合って舞台が設営されており、この舞台上で軽口噺をしたり曲芸を見せたりしたようです。「絵尽し」には

  あしひき清八
   うきよはなし
     てまりのきよく

                     (浮世噺・手毬の曲)


と書かれており、実際本文にも手毬の曲芸が描かれています。
清八は、三文出すと「床机の上でお茶も上げます」と言っており、お客は立ったままではなく、床机に座って彼の芸を楽しむこともできたようです。「絵尽し」では客は地面に座っているように描かれており、「けんぶつ人ほめる」と書かれています。喝采しているところなのでしょう。

清八の言葉にはときどき

    けぶけれつ

という不思議な言葉が出てきます。
これは「稀有けれつ」で、なんとも不思議な、というくらいの意味のようです。合いの手のようにこういう言葉を入れていたのでしょう。ギャグのようなものでしょうか。

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「自粛」を越えて 

自衛隊にせよ、機動隊にせよ、消防隊にせよ、震災救援者が素敵なのは、敢然と危険に挑みつつ、職務を遂行すると何事もなかったように姿を消すところです。
私も何か努力した時こそ何もしなかったように振舞うのがカッコイイと思っているのですが、どうも

    努力しましたよ

と宣伝しないと気がすまない、浅はかなところがあります。

東北地方はもちろんのこと、中部地方でも地震の被害は少なくなかったのです。長野、新潟、静岡など、かなり大きな地震があり、余震も長く続いています。
また、関東地方は電力に困って節電が叫ばれ、停電もおこなわれて皆さん苦労されています。
関東のことをあまり知らないので、今回恥ずかしながら2つのことを覚えました。
 その1 関東地方の電力会社は「関東電力」ではなく「東京電力」だった
 その2 関東地方の電力をまかなうための原発を東北地方に作っていた
実は「その2」は知っていたのですが、改めて思い知った、ということです。
で、東北の方々が多数亡くなられたり、無事だった方も日常生活になかなか戻れないという重大な問題があります。それに加えて、関東では食料品などが一時品薄になったり、催しが中止になったりしました。プロ野球も何だかずいぶんもめています。あ、そうだ、もうひとつ。
 その3 関東地方にプロ野球の球団が5つもあった
これも分かってはいたのですが、改めて考えると偏りすぎだなと思ったのです。セ・リーグの球団が一つどこかへ移転するほうがいいと思いますよ。

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初演の「酒屋」 

『艶姿女舞衣』で、こんにちかろうじて上演されるのが「酒屋」の段。
「今頃は、はんひっつあん」。文楽ファンならほぼご承知のお園のクドキで知られる段です。女形の様々な型が入った振りでもおなじみです。
簑助師匠は行灯を拭く型で、文雀師匠は戸口に出て行く型で演じられますが、今回は文雀師匠ですね。
ところで、我々は「酒屋」というと何となく今の形が初演以来のものと思いがちですが、実は違ったところもけっこうあります。
こまごまとした相違点は多く、たとえば、冒頭で

    丁稚の長太

は、現行床本では柱で頭をこっつりと打ちますが、初演では「酒壷で天窓(あたま)をこつつり」とあります(笑)。
役所から帰った半兵衛は女房には「何にも気遣いな事ぢやなかつた」と言いますが、初演ではそのあとに「役所に呼ばれたのは年の切れた証文を売り買いしないようにという注意だった」と具体的なこと(もちろん偽り)を言って安心させます。
長太がお通を連れ帰ると五人組が無責任にいろいろ言いますが、その中で「こりやはやりませうわいの」という部分、初演ではその直前に「みかん籠にも入れず、いやも新しい捨て子の趣向」という言葉も入っています。捨て子はみかん籠に入れるのが多かったのでしょうか。そのお通を「養なうてやらざなりますまい」と考えた半兵衛夫婦は「こんなことも縁のもの。

    乳味湯

でなりと育てませう」と言います。私はこの「乳味湯」というものを知らないのですが、乳の味のする薬のようなものなのでしょうか。
四人が涙を高水(こうずい)のようにして泣いたあと、半兵衛は「何から何まで記をつけて孝行にしてたもる・・」と言いますが、その言葉のあとで「せきあげ、咳入る舅の背(せな)」をお園はさすります。この部分、現行床本では「半兵衛涙のうちよりも、持病の痰に咳き入つて、ゴホンゴホン・・・」と喘息の発作のように激しく咳き込んでから「何から何まで」と言い出します。越路大夫師匠はこの喘息の息の使い方を知るのに、実際に近所にいらした喘息持ちのご老人が銭湯に行かれるときについていって観察した、駒太夫師がこういう表現はお上手だったとおっしゃっていました。ところが、初演のときは「せきあげ、咳き入る」とはあっても、「持病の痰に咳き入つて」という文はないのです。
この間えるさんに教えていただいたのですが、この咳は三代目綱太夫という人が始めたのだそうです。飴屋綱太夫と言われた人で、初演から36年後に再演したのですね。
「せきあげ、咳き入る」は「せき」を繰り返す文章技法でしょうから作者はそれほど半兵衛に喘息持ちのイメージは持っていなかったと思うのです。

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艶姿女舞衣 下巻のあらすじ 

初演の「酒屋」の段は、厳密に言うと現在上演されているとおりの詞章ではない(後日書きます)のですが、大筋は同じですから細かく申し上げることはしません。
以下、下巻のあらすじを簡単に。

下の巻「今宮戎の段」

正月十日、今宮戎は賑わっています。
半七は五十両の金を何とかしようとは思うのですがそう簡単に才覚はできません。
そこに善右衛門と庄九郎が現れます。善右衛門は困っているなら金を貸してやろうといい、半七は大喜びします。ところが善右衛門はわけがあって、証文の日付には去年の十二月と書いて欲しいと言います。半七はそれはたやすいことと引き受けて五十両を借ります。
二人が去ったあと、半七が金を改めると、それは戎の縁起物の贋金でした。半七は慌てて二人を追いかけます。
合邦の辻辺りでやっと追いついて半七は善右衛門にわけを話しますが、善右衛門は今日半七に金を貸した覚えはない、貸したのは去年の十二月だと言い張ります。半七は証文を返せといいますが、善右衛門は逆ねだれをして半七を罵倒して蹴り飛ばします。半七は無念の涙を流し、善右衛門にむしゃぶりつきますが、逆に石割雪駄で蹴られます。
善右衛門は半七を殺そうとしますが、隙を見て半七は刀を奪い、逆に善右衛門を斬ります。
庄九郎は逃げ、善右衛門は殺されます。
半七は必死に逃げるのでした。

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艶姿女舞衣 今宮戎の段(後半) 

往来の人の中にただ一人、半七が、身の置き所の定めないこの世だ、と心細く思いながら、前後を見回して立ち止まります。
「義理というものはどうにもならないものだ。三勝とは深い仲だが、折り悪く十内殿に見つけられて会いたいとは思うけれども五十両の金は俺の方から調えて渡さなければ義理が立たない。ああ、どうしたらよいのか」
と、心に思って今宮戎の市も目に付かず、一人とぼとぼと歩んできます。こちらからは今市の善右衛門が、肩に乗せた笹のように節くれだった庄九郎を連れてのっさのさと歩いてきて、思いがけず出会う一本道なのです。
「半七じゃないか」
「そういうのは善右衛門殿」
「おお、これは、戎参りするのか」
「なんの、もったいないが戎様どころではないわい」
「むむ、先日は親父殿の機嫌を損なって勘当されたと聞いたが、さだめて難儀だろうな。が、金が必要なら遠慮するな。三十両や五十両のことならいつでも用立てるぞ」
と普段とは違った言葉に、半七は、
「あの、そなたが俺に金を貸してくれるか」
「はて、こんな時が友達のよしみじゃ」
「ええ、それはなんともありがたい。実は、五十両の金がなければ男が立たないわけがあるので、田舎の親戚に今から無心に行くところだったのだ。よい人に会って幸いだ。が、ここで五十両貸して、というと、おおかた三勝を質に書き入れる証文を取るのだろうな」
「やあ、なんの、もっとも、俺は三勝に惚れてはいたが、よく考えたらそなたという虫がついていて子まである仲なのに無理やりに仲を裂いて女房に持っても所詮おもしろくもないことだから、三勝のことはふっつりとあきらめた。なあ、庄九郎」
「おおそれそれ、どうにも埒の明かない色事をさっぱりあきらめたのは善右衛門の男らしさ。その気遣いならまったくいらないぞ」
「それでは三勝のことは」
「おお、思い切った、というその証拠に五十両の金を貸してやろう」
「ええ、善右衛門、それは本当か」
「はて、疑い深い。あととは言わない、今渡そう」
と、懐から財布を取り出して紐を解いて五十両を用意すると庄九郎が差し出口をします。
「お互い念を入れるため。半七、とおりいっぺんの証文を」
と言って腰から矢立を取り出します。
「おお、文言は常の通り。しかし日付を十二月として欲しい。というのは、この金は田舎の親戚へ問屋からことづかった金なので、ひと月の利息をめあてに貸してきたと、証文を見せるためなので、日付は特に十二月から借りたことにしてもらいたい」
というのは内心のたくらみなのです。そうとも知らないで半七はいそいそとして、
「はて、それはどうなりともそちらの望どおりでよい」
と手早く証文に書きしたためて、
「年号は明和九年辰年の十二月。さいわい判もここにある。これでよいか」
「おお、よいとも、よいとも。それ、金を受け取れ」
と、包みに入れた小判を渡します。半七は夢を見たような気がして、
「いやもう、義理に詰まった五十両で、なんとかしようにも親の勘当があってどうにもならないでいたところ、救ってくださるこのご恩。かたじけないとも、ありがたいとも、礼は言葉にできないほどだ」
と手をつくので、
「なんの、礼には及ばない。また用があるなら言ってこい。さあ庄九郎。これから山の口で一杯飲もうか」
「おお、それはいい。さあ、半七も行かれぬか」
「いや、かたじけないが、ことの次第を三勝にも知らせて喜ばそう」
「おお、なるほどそれもそうだな。そんなら半七、そのうちにまた会おう」
と、二人は別れて歩いていきました。半七は後を見送って、ほっとため息をつき、
やれやれ、思いがけないというべきか。あの善右衛門が金を貸してくれるとは。まことにうろたえた。神様もご存じでないこと。とかく人の心の奥底というのは表からは分からないもの。まあ、この次第を三勝に。ああ、いやいや。三十日あまりも延引したので、ひょっとあちらの相談が、まさかとは思うが。あれからふっつり便りもしないのも不審のひとつだ」
と思案して途方にくれていると暮れ六つの鐘が鳴ります。金の結び目を解くともなしに開いてみて思わず中を見てびっくりします。
「やあ、これは偽小判のつくりもの。やあやあ、取り違えたか、あるいはまた善右衛門の悪巧みか。いずれにしても追いかけてわけをはっきりさせよう」
と言いながら、今宮の神の前を横切って、あとを追いかけていくのでした。

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艶姿女舞衣 今宮戎の段(前半) 付600,000 

下巻は「今宮戎」と「上塩町」です。
「上塩町」はご存じ「酒屋」ですが、その前段階がこの「今宮戎」。
大坂今宮の十日戎の出来事です。
前半は賑わう戎神社界隈を描いています。他愛ないチャリ場のようなものですが、この後に起こる善右衛門殺しという事件の裏返しのようなものでそれなりに意味があると思います。

下の巻「今宮戎の段」(前半)

毎年正月十日には戎の市として大坂の町は賑わい、近国、近在から足を運んでくる貴賎男女、老いも若きも我こそはと吉慶のはぜ袋、宝を枡で量って、小判五百ひと包み.、銘々が商売の縁起をかついで取り鉢やらを笹にぶらぶらとつけたのはおめでたい代の証というものでしょう。
「やあ、吉慶のこたつ、こたつ。今年の趣向の初物の大当たり。さあさあ、あたってぬくもっていらっしゃいませ」
と、松原の片蔭に土を掘ってしかけたこたつ。お参りの人や下向の人が立ち止まって、
「さて、珍しい。この野中でこたつとは。昔から聞いた事のない味な趣向だ。こりゃ当たるのももっとも。さあ、我々も当たろう」
と、四五人が車座になってこたつに当たり、
「むう、いいなぁ。しかし火がぬるいな」
「はい、ぬるいはずでございます。このこたつの火は和歌三神でございます」
「やあ、何だと。このこたつの火を和歌三神とは」
「はて、和歌三神は住吉明神、玉津島明神、明石の人丸明神様ではございませんか。そこでその三神をひとつにして、『炭玉赤し、炭団の火』でございます」
「はあ、これはうまい。亭主はなかなかの歌人じゃないか。歌人はいながらにして名所を知るという。こちらはまた歩きに歩いてこたつに当たる。はははは。さあ、ぬくもった、もう帰りましょう」
と立ち別れ、おのおの住まいに帰っていったのです。

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艶姿女舞衣 中巻のあらすじ 

中巻のあらすじをさらに簡単にまとめておきます。

中の巻「新町橋の段」

大坂新町橋。
とんでもない占い師が客たちに追い出されたあと、半七がそのあたりにやってきます。
そこに半七の妻、お園が姿を現し、半七はあわてて占いの店に隠れますが、お園は夫婦仲について占いをしてもらいたいと声を掛けます。苦し紛れに半七は「25歳と19歳ならともに厄年だから同じ家に住まないほうがいい」などといいます。お園は実は半七だと気付いていたので、夫の言い方をひどすぎると言いつつ、「あなたの勘当が許され、三勝様やお通が元気でいるようにと願っているので、どうかひとこと『愛しい』といってほしい」と語り、半七も勘当が許されるようにそなたを頼りにしている、と謝り、二人は別れます。
そのあと、庄九郎、善右衛門が現れ、三勝の兄平左衛門に向かって、借金について責め立てます。平左衛門は五十両の借金が中村屋にあるのです。善右衛門は五十両貸してやるから三勝をそのかたに入れろと言います。平左衛門は断り、ついには喧嘩沙汰になり平左衛門は庄九郎や善右衛門をいためつけます。そこに三勝、半七、そしてお園の親宗岸が現れ顔を見合すのでした。

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艶姿女舞衣 長町の段(3) 

泣いてばかりの話とも思える『艶姿女舞衣』ですが、この「長町の段」は中巻の切場だけにそれなりに起伏のあるまとまった話といえそうです。
では話を続けます。


あとには、かわいそうに三勝が、切るに切ることのできない縁の綱に引かされています。切らなくては兄の言葉は成就せず、その言葉を聞くにつけて思いがわだかまり、自分の心一つに責められて、我が身に暇乞いをするのでした。
「どうしても一緒になれないのなら、いったんそのお屋敷に身を売って金の問題さえ済めば兄さんへの言い訳も立ち、親孝行もできる。半七様への申し訳にはすぐにその場で死ぬこと。ふっつりと思い切りました」
と、口には出さないけれども心の中では深く思い切るのでした。親にも我が身にも引き換えて愛しい夫にほんのしばらくでも別れてなどいられるものですか、と涙に沈む繰言にわっと目を覚ますわが子の傍に寄り、
「ああ、かわいそうに」
と抱き上げ、抱きしめると、やんちゃな声を出して、
「母様、乳が飲みたい。父様はどこに行かれたのですか私も行きたい、行きたい」
と、無理なことを言うにつけていっそうかわいくて、
「おお、もっとも、もっとも。私も同じように会いたいのです。これほど心を焦がす夫や子を見捨ててどうして行くことができるでしょう。殊に今日はそなたのお祝い。時が時ならお供を連れて参詣させるのがほんとうの髪置。実際は、やっとこの母や父様の懐に抱かれるだけなのに、それを喜んで、愛らしいのを見るにつけても果報の薄い生まれだと、そのことさえ哀しく思ったのに、まだその上にこの子を捨てて行くことができようか。やはり浮世にからまれた義理ほどつらいものはない。私がお屋敷に行かなかったら兄様が一生懸命なさったことも水の泡になる。その泡のように消えても、死んでも半七様にもう一度会いたい、顔を見たい。思えば思うほどお祝いをした今日という日にかわいい子にも夫にも別れをするというなんて。私にとっては悪日の報いの罪なのか、あさましいこと」
と、目元も定かでなく髪は乱れ、わっとばかりに声を上げて泣く、その声は血を吐くような思いがするのでした。
「おお、そうだ。所詮親不孝に生まれた身。兄様の義理を捨ててここで死ねば半七様に曇りのない私の身の証。お園様へも心の潔白を示せる。死んだと聞いて下さったら、お金のこともお通のこともまさかお見捨てにはなられまい。必ずそのことをお願いします」
と、心の中で気持ちを取り直して死ぬ覚悟を決めても、そんなことを知らないわがこの寝顔までが今生の見納めだと泣く泣く立ち上がって櫛箱の引き出しに入っているかみそりを、最期を急ぐ死神が取り付いてもうこれまでだと取り直すのです。
「そうはいかない」
と、平左衛門が止めます。
「これ、お前が死んだらおさむらいに言い訳が立たないこの兄。それなら先に死のう」
とかみそりをもぎ取る手先に三勝はしがみついて、
「兄様、こらえてください。思い切ろうと思えば思うほど惚れた罪で、修羅道の苦しみを受けても責められても、お屋敷に行くことは私は嫌です。放してください、殺して」
と、涙はツララや雪や氷の様に解けることもない様子なのです。平左衛門はかわいそうにとは思うものの、涙も見せずに
「これ、この兄の難儀も親への孝行も自分の色恋に引かされて凝り固まった根性。お侍に対する申し訳に、この兄の手にかけて殺してやる」
と、お互いに努力を重ねてきた兄妹がすでにこうするほかはないとうかがわれたそのところに、
「やれ、お待ちなさい。平左衛門。殺すには及ばない、三勝の命。拙者がもらった」
と声を上げながら現れたのは宮城十内です。平左衛門に向かって、
「知らないこととはいえ、そなたに苦労をかけた拙者の間違い。お許し下さい」
と、言いながら、扇子を白台のようにして小判の包みを載せて差し出すのです。
「いや、もし、十内様。このお金をいただいてはなおさら妹を渡さなければ」
「ああ、いやいや、三勝を抱える望はない。と申すのは、この金というのは、先年拙者の親の重太夫がそなたの父上から借り受けた、ご恩の厚い五十両なのです。立身出世した後は必ずお返しするようにと言い残した父も既に亡くなり、心にかかる今日なのです。三勝殿兄妹は、我々親子が恩を受けた治左衛門殿の娘御とも知らず計らずしばらくの間でも苦しみをかけたのは私の思慮の足りないところ。一時も早くその金をお返しになって何かと済ませてください。しかし三勝殿も兄妹が力を合わせて親の残されたものを復興するのが第一。そう言っているうちにもやは四つ前。失礼します」
と立ち上がります。

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艶姿女舞衣 長町の段(2) 

千代までも、と祝って、わが子の髪置に連れて行く宮参りの帰り道。いとしい男と相生のように並ぶ夫婦が門口に帰ってきます。
「これ、三勝。見てごらん。お通はおなかが満足したのか、俺の懐ですやすや寝ている。おろして、ゆっくり寝かせてやってそなたも少しお休み」
「いえいえ、私よりあなたがしんどいでしょう。さあまあ、中にお入りを」
暖簾を上げて中の様子を見て、
「これはどうしたのかしら。兄さんとしたことが家を空けてどこへいらしたのか。どれまあ、娘を寝させましょう」
と枕を取り出して敷布団を用意し、娘を抱き取って添乳のままのひじ枕をしています。子持ちとはいえ三勝も愛敬があるのです。半七も差し寄って、
「ほんとうに、そなたが産んだ子だけあって、寝顔がまた愛敬があってかわいいじゃないか」
「女の子は父親に似たら果報があるといいますが、あなたによく似たこのお通。寿命は千年万年も長生きするようにと、連れてお参りした今日の髪置。途中であなたに会ったのも親子三人の尽きない縁。喜んでください」
「それは言わずと知れたこと。そなたと縁の切れないしるし。このお通は二人の仲の結ぶの神。どうか大事に育ててくれよ」
「そう思ってくださるのがほんとうの夫婦仲というもの。必ず心変わりしてくださいますな」
と、夫の膝に寄りかかります。袖にかかる露の涙がまだかわかないままにじっと抱きしめたわりなさよ。半七はわざと振り放して、
「はて、母親になっていながら、なにをするのだ。慎めよ」
「いえいえ、いくらこの子を産んだといってもお園様といってれっきとした奥様のいらっしゃる身。一度もお目にかかったことはないけれど、かわいい方だそうですね」
あれ、まだいうのか。親同士の約束でうちに来てはいるけれど、一度たりとも抱いて寝たことはない。万事につんつんすましているわい」
「それはほんとうなの」
「なんでおまえにうそを言うものか。あ、それはそうと、このあいだお前が言っていた中村屋とやらで借りた金。済まさないと男が立たぬと平左衛門殿が悩んでいらっしゃるとか。俺もそれが気になっている。それとなく話しておいたところもある。今日返事を聞かねばならない。俺はひとっ走り尋ねに行ってくる。兄貴様にもよろしく。娘に気をつけろよ」
と行って出かける半七。またあとでと約束して別れて出て行くのでした。

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最後の卒業式 

昨日、私の勤務先で卒業式がおこなわれました。
さすがに震災直後ということで華やぎの中にもいくらかの緊張感があったように感じました。
同僚の教員は、「これまで皆さんを支えてくれた人たちに感謝を。そしてこれからは皆さんが支える立場に」という話をしたそうです。直接震災のことを言われたわけではないのかもしれませんが、彼女たちの心にはやはりそれが頭をよぎったのではないかと思います。
しかしやはり22歳の春。みんなそれぞれにきれいになっての卒業です。

H22 卒業式3

式辞や祝辞はどんな内容だったのかは存じません。
そのあとに、卒業生が「誓いのことば」というのを述べたそうです。ちょっとこの言い方は堅苦しくていまひとつなのですが、内容はなかなかよかったのだそうです。
このとき司会を担当したのは、なんと、このブログに時々コメントを書いてくれた「もいか」ちゃんでした。
優秀で、しかも舞台度胸もあるだろうから、ということで選ばれての司会でした。

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艶姿女舞衣 長町の段(1) 

日も短くてせわしない中、せわしなく過ごす長町の貧乏所帯。雨漏りのする屋根の下で傘の骨を削る仕事で心を削る美濃屋の平左衛門はつらい日々を送っています。
律儀一筋に駆け回っている念仏仲間の道心、雲西が門口から
「平左衛門、在宅か」
と頭で暖簾を上げて上がり口にやってきます。
「ほほ、珍しい雲西。この四五日見なかったと思ったら、ひどく顔色が悪い。ああ、風邪でもひいたということであろう」
「いえいえ、風邪くらいならよいが、てっぽう汁に当てられて、すんでのところで即身成仏となるところ。助かったのは如来の功力。思い出しただけでも恐ろしい。ああ、なんまいだ、なんまいだ」
「むむ、それは危なかった。しかし、てっぽう汁とは何ですかな」
「何かとはしらじらしい、愚僧をいじめようとして、粋なそなたには似合わぬ言葉」
「いや、本当に知らないのだ。遠慮せずに講釈してくれ」
「そうか。人は見かけによらぬものだ。ご存じでないなら雲西が語って聞かそう。よく聞かれよ。そもそもてっぽうというのは世を忍ぶ仮の名前。本名は鰒汁といって、そのうまいことといったら頬が落ちそうなくらいだ。また、てっぽうという名のいわれは、嶋太夫(このとき「酒屋」を語っている)の浄瑠璃と同じことで、当たりがひどいものだから、俗にその名をてっぽう汁とは申すのである。以上因縁はかくのごとし」
「はははは、いわれを聞くとありがたい。その鰒汁をおぬしは食ったのか」
「いや、食いはしないのだが(・・・?)。話はまあこんなところだ」
といって数珠を繰るのですが、手持ち無沙汰と見えるのです。
「はて、魚は食われて成仏すると言うから、そなたに食われたその鰒はたいした幸せものだ」
「これはどうしようもない。つまらぬことを言ってしまったそれではおいとまするとしよう」
と立つのをひきとめ、
「これ雲西。貴様は一体何しに来たのじゃ」
「そうそうえっと、なにかようがあったのだがなあ、平左様」
「はて、何でそれを俺が知るものか」
「それはもっとも。待てよ、そうそう今日ここに来た用は、思い出した、同行の中村屋に明日は志のお勤めがある。皆参ってくださるよう、同行中を触れて回っているのだった。必ずお参りなされ。では、気もせくので、また明日」
と、そそくさ言って履く草履と雪駄を片方ずつに引っ掛けて足早に帰っていったのです。
「それにしてもつまらん自堕落坊主だ。罪がないだけましか。それはそうと、今雲西が触れてきた中村屋と聞くと、日延べになっている返さねばならない金。明日の非時に参るまでになんとか調えて返したいとは思うのだが、力づくでも才覚でもどうにもならないのは金だ」
とまた思い出す金のことでかねてから清算するあてもないところに、武士の作法としての二本差しも派手を隠した宮城十内が目印をちらりと見て美濃屋の軒に用事ありげに立ち止まり、
「角助、案内を問え」
「はいはい、お頼み申す」
とつっけんどんな声でいいます。
「これは何事」
と平左衛門が仕事を片付けて飛んでおりて、外に出ると武士と顔を見合わせます。
「美濃屋平左衛門殿のお宅はこちらかな」
「はいたしかに私が平左衛門でございます。お尋ねになるあなた様は、ああ、どうやお見かけしたような。おお、それそれ、いつだったか島之内でちょっとお見かけしたお武士様。何の御用で私の家に」
「わけがあるので、折り入ってお話したい」
「はあ、それならまずあちらへ。ずっとお通り下さい」
「では角助。用事の時間もはっきりしないので、暮れを合図に迎えに来い。いったん宿に帰って休息せよ。早く、早く」
と追い返して十内は「ごめん」と入ってきます。

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艶姿女舞衣 新町橋の段 

『艶姿女舞衣』の中巻は「新町橋」と「長町」の段です。ここではお園が登場します。宮城十内と平左衛門も活躍します。

中巻「新町橋の段」

大坂新町橋。昼でも往来の人を目当てに占いが出ています。今日も、これまでに妻を十六人持ち、今は十八歳の御座敷の娘がかわいさに精を出したために頭がふらつくという今年七十になる老翁病にならぬよう呪(まじな)いをして欲しいとか、自分は二十一歳で妻が四十三歳という男が、夫婦喧嘩が直るように占って欲しいとか言ってきます。ところがこの占い師はとんでもないでたらめを言うので、店をたたき出されて逃げていきました。
日も早くも西に傾き、茜色の空の下、茜屋の半七が、親の勘当を受けたまま三勝の帰りを待って新町橋にさしかかります。
「今日も変わらずお客は宮城十内様で、この新町に来ていると知らせては来たが、舞子の座敷なのだから呼び出しもできまい。といって、ここで待ってもいられない。ちょっと堀江まで行ってこよう」
と歩き出すと向こうから、
「たいへんだ、あれは間違いなく女房のお園」
会っては言い訳もできないので前にも後ろにも行けずに占いの店に隠れました。
そうともしらずに歯黒めをしたくてもできない茜屋の嫁のお園は、親同士の喧嘩のために実家に帰った日から願かけをして、金比羅様の帰り道です。お園は占いの店を見回して、
「確かに噂に聞き及んだなんでもお見通しの法印様はたしかここだということだけど、ちがうかしら。違ったらもう一度見直せばよいこと。ここがよさそうな」
と、店先に立ち寄って、
「もし、よろしかったらちょっと見てくださいな」
と、夫とは知らない女房の頼みに、半七も「わしだ」とも言えずにもじもじしていますが、「なるようになれ」といいたい放題を言います。
「いやもう、占うのが私の家業です。なんでもどうぞ、さ、お早く」
「はい、あなた様に申し上げるのも恥ずかしいのですが、嫁入りしてから今日まで、まるで夫の肌を知らないのです。その上、このたびは実家に戻っています。そのわけは、夫には外に馴染みの女性がいて、そちらに熱心でむつまじい仲なのです。私もどうぞそのようにかわいがっていただける方法を占ってくださいませ」
となにやら含みのある言葉の様子です。半七はなおも悟られまいとして、
「これお女中。あなたのお歳は幾つかな」
「はい十九です」
「なに、十九。むむ、火性で午年」
「ああ、いえいえ私は戌年です」
「むむ、そうそう、戌年。午と犬は大して変わらん。さて、お連れ合いは二十五の辰年だな」
「私の歳を聞いただけで夫の歳までわかりますか」
「あ、俺としたことが、失礼。さっき見てやった人のことをつい言ってしまった。しかしあなたのお連れ合いも二十五だな。これはすなわち木性の辰で木は火を生む、木生火と言ってけっこうなものというけれど、互いに厄年。その祟りで同じ家にいると大悪縁。やはり男の言葉のように抱かれて寝ないほうが女房の勤め。歌にも『谷深く住家を出づる鶯の初めて立つる声のするかな』という、この心をよく考えて離れてさえいらっしゃったら、どこかで尋ねて鶯の初音の床を待つのが楽しみ。嫌がる男を恋い慕い、子を産むばかりが女房の仕事ではないぞ。あまり世話をお焼きになるな」
と、八卦によそえて思わず言うのは男の常のことである。
お園はわっと泣き出して、
「半七様、あんまりです。お気に召さない私でも、あんまりむごい、胴欲」
と半七は引き寄せられて、かぶった笠もぬいで答えることもできません。お園は涙をとどめてそばに寄って、
「嫁入りしてからもう三年。女房というのは名ばかりで、帯紐も解かない他人同士。お隠れになるあなたのやりかたは、口に出したら恨みは尽きませんが、これっぽっちも言いません。恨み言を言わない私を露ほどもかわいいと思う心はなくて、歌になぞらえてむごたらしく、どこかで尋ねて鶯の初音のように初めての床を待て、などと、よくもおっしゃいました。それほどむごいあなたでも、私にとっては大切な夫。勘当が許されますようにと金比羅様に願をかけて拝んでいますが、三勝様もお通も無事にと、心から思っています。お通は本当にかわいいあなたのお子様。顔を見るたびに「おばさん、おばさん」と馴染んでくれるのでなおかわいく思っています。悋気する気持ちは越えて、つれないあなたがいとしいのはどうした因果なのでしょう、と、思う心を推量して、たったひとこと、半七様、私のことを『いとしい』と言ってください」
と、積もりに積もったつらい思いを一度に言って取り乱す心の中はいじらしいばかりです。半七はようやく顔を上げて、
「何も言わない。こらえてくれ。みな俺が悪かった。まだこの上にあてにするのは、舅殿にお詫びしてそなたもこちらの家に来るように。またわしも親父様の勘当が許されるように。詫びをする頼みになるのはそなた一人だけ。これお園、用のあるときだけ穏やかに物を言うとは思ってくださるな」
と、義理のある女房に言い訳をするしおどきはまるでうかがえないのでした。
「おお、もったいない。私に何の詫び言をおっしゃることがありましょう。さいわい私の父上様が越後町においでになっているのであなたも会ってください」
「ああ、いやいや。親の勘当の許されないうちには舅殿にはどうにも会えない。とかくそなたがよいようにしてくれ。わしもこれから長町へ・・・」
と、あとを言うことはできない遠慮がちな物言いをします。わけを汲み取ったお園もともに「必ず」というのも声には出せず、分かれて西と東に見返り見返りしながら歩いていくのでした。

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艶姿女舞衣 上巻のあらすじ 

東北地方太平洋沖大地震は大変深刻な被害をもたらしました。あまりのことに目を覆いたくなるほどです。
亡くなった方や行方不明者は時間の経過とともにその数が増えていくようです。しかし、数の問題ではなく、一人ひとりの人生ですから、亡くなった方がおひとりでもいらしたら、それはもう大変悲惨な出来事と言うほかはないと思います。ニュージーランドの記憶も新しいのですが、地震国日本はまだまだこのあとも震災が繰り返されるはずです。
この話を書き続けるだけでも何日もかかりますが、あえてこのブログでは話を戻そうと思います。
ただし、コメント欄は記事にこだわることなく、自由にお使いください。


『艶姿女舞衣』の上巻についてかなりだらだらと書きましたので、今日はきわめて簡潔にその内容を述べてみます。大筋は間違っていないと思います。


上巻「生玉の段」

 ここは大坂・生玉神社の境内。足引清八の軽口噺を初め、子万歳、女太夫の祭文など賑わしい中で、美濃屋三勝の『仏御前の扇の手』『静御前の鼓の段』『須磨の浦の汐汲姿』などは評判の女舞。この日も興行が終わって三勝の出る舞台からはどこかの大身らしい人物が帰っていきます。三勝は兄の平左衛門が娘のお通を連れてきてくれないことが気がかりですが、同輩と帰っていきます。
 茜屋の半七がやってきて三勝を探しますがすれ違ったようです。そこに来たのは半七の両親、半兵衛夫婦。半七はあわてて芝居小屋の蔭に隠れます。二人は寺参りの帰りですが、その祈願は息子が根性を直すようにという思いからでした。三勝に性根を奪われて、真実な嫁のお園のことをないがしろにする息子が腹立たしいのです。母は三勝の芝居小屋に向かって二人の中を裂いたりしないから、息子が時には家に帰るようにと願います。それを見て半七は「もったいない」と母を伏し拝んでいます。
こうして半兵衛夫婦は去っていき、半七は二人を見送りながら後に続いて立ち去るのでした。

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東日本の震災 

昨日の午後、宮城県の沖で発生した地震はかなり大きなものだったようです。
亡くなった方も多数いらっしゃるとのことで、なんともつらい気持ちです。
実はこの地震は関西にも及んでおり、私の住まいのある兵庫県南東部でも震度2ほどの揺れがあったようです。
私は勤務先(大阪府吹田市)にいたのですが、恥ずかしながらまったく揺れを感じず、地震があったことを知ったのは夕方のことだったのです。

    ツイッター

でいろいろ情報が流れているのに気付き、ネットニュースで確認したところ、大変な災害であるらしいと言うことがわかってきました。
余震も繰り返し起こり、東日本の皆様はさぞかし不安な時間を送られていることとお察しする次第です。ツイッターで不急のことを発言するのは好ましくないかと思い、控えておりましたが、東北、関東などの地域の多くの知人の状況が案じられていたのです。
当然のようにあの

    阪神大震災

を思い出しますが、今回は特に震源が海域で、津波の被害が甚大とのことです。そこが「阪神」とは異なるところだろうと思います。

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艶姿女舞衣 島之内茶屋の段(後半) 

あとを見送って三勝は
「寒いのも厭わずに毎晩毎晩呼ばれる店に来てくださる兄さんは血筋ならではの親身のお世話をしてくださる。いくら心安いといっても考えたらもったいないこと。それにしても半七さんは、今夜はここに約束があるという知らせの手紙が届いていたらまさかおいでにならないということはないでしょうに。もう何時かしら」
と見上げると空には九曜の星が清々と輝き、夜中近くになって風が吹き、身にしみじみと思い合うその思いも同じ半七は、知らせがあると来慣れた家でも、今は人目が気になって中庭伝いにやって来ます。三勝は目早に見つけて
「おお、半七さんか。待っていました。ちょうど今ならいい具合。さあこちらへ。と伴う様子はわりない風情です。
「もう少し早かったら兄さんがお通を連れて来ていたのに、会わせてやったら久しぶりに喜んだでしょうに」
「なに、お通が今までここにいたのか。久しく会わないから一日ごとに大きくなっただろうな。抱いてやればよかった。あいつも親には縁が薄い。さて、まあ、ここしばらくはご繁昌のようだな。かげながら承って、おめでとう存じております。なるほど世間のたとえのように男やもめには蛆がわいて、女やもめには華々しいこと。大和の花か都の花か知らんが、夕べもどうせ井筒屋にいるだろうと、軒にしょんぼりとして馬鹿なことをした。夜中の八つ(午前二時前後)を打っても、どんな座敷でもあれほどに寝静まっていたということは寝間でのお仕事だな。ご念が入ったことと見えます。今夜も来るまいとは思ったが、どんな顔つきでここにいると書いてよこしたことか。厚化粧の舞子様よ。生き畜生の犬舞子め、狸舞子め、狐め!」
と肩だろうが腰だろうが三つも五つも殴ると脱げ散る狩衣と烏帽子。姿も乱れ、いっそう色気を含むというものです。三勝は涙の顔を上げて、
「それはまあ、どういうことなの。ちょっとした関係ならそんな疑いを受けても無理とはまったく思いませんが、人目に立った私たちの仲。舞の勤めもあなたのためじゃありませんか。なり形も派手にしているけれど、その色も香もあなただけのためという次第なのに、あんまりなお言葉。愚痴なことに折々は、いいなづけのお園さんのこと。一度悋気なさっても子までなす仲を恥じ入られてひとこともおっしゃらない、その辛抱を思いやる心で生半可に送った手紙の間違いで居もしないところの格子に立って、花を咲かすだの待たせるだのと無理な逆悋気。仮にもそんなことをおっしゃるなんてあんまりです」
としゃくりあげたくどき泣き。思いつめると、初恋のおぼこな心にも勝るのでした。半七も今は間違いだと聞いて心は解けたのですが、つい言い立てる男の癖で、
「そりゃもう夕べ井筒屋にいなかったのならいなかったということにしてやるが、だいたい女というものは毒のあるもので七人の子はなしてもめったに肌を許すなと青表紙にもはっきり書いてある」
「それではあなたの疑いは」
「晴れにくいけれども、おばさんの逮夜だから晴らしてやろう」
「ああ、嬉しい」
と寄り添って、お互いにぴったりと抱き合いました。ちょうどその時、一間で人の声と足音がします。三勝ははっと聞き耳を立てて、
「あれ、善右衛門の声がする。あなたはしばらく囲いの中で隠れて。適当な時を見計らって、またあとで。さあ急いで」
というと、半七は
「それではいい折を待ち合わせよう。いい折に知らせてくれ、また待ちぼうけになっていやなことを言わせたり今度こそ本当の悋気をさせたりしないでくれ」
と笑って隠れます。
そういうこととは知らないで、白張りの襖を押し開けて善右衛門がつかつかと出てきて三勝を見るや否や目の内が据わり、
「ええ、ひどいじゃないか。いくらなんでもつれない胴欲者め。これまで、じきじきに言ったことはもちろん、山ほどの手紙に百万だら書いたのに。いやもう、ほんとうに筆先の命毛も絶えるくらい思いのたけを書き送っても、一度の返事もなく、唐に投げ金、蛙の面に水ほどむなしい。水臭い女だと思っていたが、美しいその顔が目の前にちらちらと浮かぶのだ。そういえば、俺が送った手紙で髪を結う時の手拭紙はお通の代までもつだろう。それというのも半七への心中立て。今日は幸い、今ここで返事をはっきり聞くつもりだ。命取りの女め」
と抱きつきます。その手をふいと三勝は振り切って突きのけて、
「またそんなことを。舞子をつかまえてじゃらじゃらと御人柄にも似合わない座興をなさいますね。ちょっと遠慮なさいませ」
と言い捨ててはずす袂をしっかりと捕えて、
「逃げようなんて下心はあまりにも愛想が無い。こうしてお前を口説いている内に聞かん気な俺の一物。どこもかしこもこわばった。これ、この帆柱はどうしようと言うのか。いっそここで」
と無理無体に抱きつく折から
「三勝様、三勝様」と呼び立てる声がします。
「あれあれ、舞の始まりを知らせる小鼓太鼓の調べ。はいはい、さあさあ、ここはもうこれで」
と振り切る裳裾を
「そうはいかん」と駆け寄るのを燭台を盾にようやくはずして三勝は奥へ走っていきました。
後を見送る善右衛門いっそう燃え立ってむしゃくしゃして何も言わずにたって奥をめがけて入ろうとするのですが、そこに現れたのが庄九郎。
「待て、善右衛門。血相を変えてどこへ行く」
「おお、庄九郎か。何も言わぬ、立った、立った」
「おお、もっともだ」
「立った、立った」
「道理だ、道理だ」
「さあ、だからこそ、抱いて寝ないとこの胸が晴れぬ。庄九郎、またあとで」
と駆け出します。
「さあさあ、もっともだが、お前から踏み込んでもしものことがあったら恥の上塗り。しばらくの辛抱だ」
「いやいや、これほどまでに思い込んだこの善右衛門。もう道理などという気はなく。あまりに意固地な三勝め。立った、立った、立った」
「もっともじゃ」
「立った、立った」
「道理だ、道理だ。何もかもこの庄九郎が飲み込んでいるまあ、気を静めて奥へ来い」
「だからといってこれがまあ」
「さあ、立つも立たぬも時の具合による。何も言わずに来い」
と無理に抑えます。奥の間は笛のひしぎに太鼓の音色。撥音も高い中を善右衛門は無念の思いで汗を流して奥へ行ったのでした。

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艶姿女舞衣 島之内茶屋の段(前半) 

大坂島之内、相合橋筋の遊郭であった六軒町の茶屋、「大七」には今市屋の善右衛門と中村屋の番頭の庄九郎が居続けています。
庄九郎が国太夫節でしわがれ声をきばり出して「のきなりと去りなりと、お内儀様を持つなりと、我が身のことは厭やせぬ」などとうなっています。
おきさがお世辞を言うと庄九郎は自慢し、善右衛門はからかいます。
「どんなものだ、ちょっと一節いうだけでお前たちがよだれを流すのだからもうちょっとやったらどうなることか」
「何を庄九郎がのんきなことを。こりゃ、おきさ。相手にならずに、台所へ行ってぬかみそ桶の用心をするように言ってこい」
「また善公がそんなことを。まあ、園八節はともかく、物まねはなかなかだぞ。藤川八蔵、中村粂太郎、三舛大五郎、嵐雛助、中村歌右衛門」
「それでは蛙が呆れるな」
「また善公の悪口か、わしの中山文七のものまねを聞かせたら一座みんながものもらいになる」
「庄九郎の物まねは文七の二割方。そこで文七の七に二を加えると文七が文九になる庄九郎のことをこれから中村屋の庄九郎ではなく、中山屋の文九郎と呼べ。ついでにおきさ、お前も名前を源九郎と変えてしまえ」
おきさはそういわれて不思議そうに
「そりゃなぜに」
「お前はいつも源九郎狐のように俺をのっぺりこっぺりと化かすじゃないか」
「またそんな憎まれ口を。私がいつ化かしましたか」
「あれあれあれ、しらじらしい。前から頼んである三勝の返事をすったのこったのとうわべでごまかしている。背中ハゲになった古い狐のようなものだ。大和とかのわけのわからん客で今夜はここにでているそうだから、お前がちょっときをきかせたら何とでもできそうなものじゃないか」
「もう、善様の口の悪さには渡しも弱ります。全盛の女郎さんでもお客が終わらないと少しの間の具合もできません。まして舞子の三勝さん。狐はおろか、天狗くらい働いたとしてもそんな無理はできません。今夜の相手はどなたでも。いっそ私が決めましょう。これ、おかねどん。『大伊』へ行って、しづ様か、ふき様か、それがだめなら『森新』で三木様を見ておいで。ついでに、庄九郎様のお相手はどなたにしましょう。そうそう、『岸熊』から来た若後家の出の人。いやちょっと待って。庄九郎様は撫でるのがお好きだから、『一文字屋』の尼出の女郎さんになさいませ。さあさあ急いで」
「おいちょっとまて、いくら俺が撫でるのが好きでも、尼の出とは胴欲な。後家のほうがいい。それにしてくれ」
「いやいや、そうはいっても私が見立てたのだから。これ、早く行っておいで」
「はいはい」と走るおかねに庄九郎は「こりゃ待て、待て」と騒ぐが、女たちが引き止めてドンチャン騒ぎになります。やがてそこに廻しの者がやってきて、
「はい、新造の尼出さんを送ります」といって女を置いて帰る。女を見るや否や、さすがの庄九郎も
「こりゃまあ、おきさ。何か意趣があるのか」とそれ以上は言わずにシュッと消えます。善右衛門は女をじろじろ上から下まで見据えて、
「しかしまあ、みごとにこしらえたものだな。色黒で唇はひっくり返って、まあ、とりえといったら五体満足ということくらいか」
尼出の新造は「あげましょう」といってキセルを付けざしにするのですが、これもふぐ汁を毒見するようなもの。
「ほんに、どなたか存じませんが、よくお呼びくださいました。私の素性をお話します。比翼連理と語らった夫を亡くして、その菩提のために出家して袖は墨染めにしたのですが、顔の色つやは染まりません。それで、お坊様がたが煩悩を発揮されて毎晩毎晩の念仏講。困り果てて寺を落ち、しかたなしにつとめ奉公。なまじ器量が人並み以上だったのが不幸せです。ご推量くださいませ」とべったり座る畳を立ち上がるとあとには橘の香が残るようだ。
「おっと、あんまりふわさわと言うことよ。考えたら、冬だからこそまだましだが、夏向きにはさぞかしたまらないだろう。なんと、庄九郎、持てぬじゃないか」
「それどころか、俺は逃げたいよ。おきさ、何ぞ趣向を変えないか」
「それでは奥座敷の前栽に床机を並べて夏のようにして、冬の月を眺めるというのはどうですか」
「これはおもしろい。冬の月とは新奇なこと。うちわのかわりには火鉢を並べてな」
「それはよいようにしましょう」
「それならこの庄九郎は冬の月を題にして歌を一首歌いかけようか」
「おい、庄九郎。芸子や法師が弾く歌なら歌うというが、三十一文字はつらねるとか詠じるとか詠むとかいうのじゃ」
「これはむずかしい。味噌葱(みそひともじ)ならその中に牡蠣を入れたらよい吸い物だ。なんであろうと冬の月を一見したいと存じ候」
こうして一同は床机に急いでいったのです。

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艶姿女舞衣 生玉の段 

竹本三郎兵衛、豊竹応律、八民平七作『艶姿女舞衣』は安永元年(1772)十二月二十六日、豊竹座にて初演。
  上巻 生玉  島之内茶屋
  中巻 新町橋 長町
  下巻 今宮戎 上塩町
我々の知っている「酒屋」はこの下巻の「上塩町」のことです。今も「酒屋」といったり「上塩町酒屋」といったりするようです。
この4月公演でも「酒屋」が上演されますが、このところ原作をいくらか読んでいましたので
ここにあらすじのメモ書きをしておきます。厳密な現代語訳ではありません。適宜飛ばしますし、誤りも少なくないと思います。
ダラダラと書きますので、お読みいただかなくてかまわないのですが、3日間で上巻をまとめておきます。


上巻「生玉の段」

 ここは大坂・生玉神社の境内。軽口噺、子万歳、女太夫の祭文など賑わしい中でもわけて有名なのは足引清八の噺。「私はこの店を長年勤めておりますが、相も変らぬ噺ばかり。このたび、ご当地の歌舞伎役者中山新九郎殿が一世一代をなさいました。新九郎殿と私では月とすっぽんですが、私も61歳。本卦返りを幸いに一世一代として芸尽くしを致します。さて、この神社の門前には能師の堀井仙助殿がいらっしゃる。『尋ぬべきことの候』『こなたのことに候か』『されば候』などとおっしゃって、『候』ばっかり言うていらっしゃる。もし『候』禁止令が出たら能なんてできるものではありませんな。その向かいには女太夫お染久松心中の祭文などをなさって、『瓦屋橋とや油屋の一人娘にお染とて年は仁八の色盛り、ちょんかけな、ちょんかけな』などとやっている。さて、お隣の台頭。表には櫓を上げて、美濃屋三勝殿の『仏御前の扇の手』『静御前の鼓の段』『須磨の浦の汐汲姿』などなど。そうそう、私の本卦返りのことですが、このたび本卦振る舞いも致しました。一家かしらの鴻池の源右衛門は『今日から隠居して惣領に店を継がせて左団扇で食っていけ』などといわれるので、そうれはよいとせがれに店を譲ったのですが、ちょうどそこで目が覚めました。・・・・さて、こんな噺もご退屈でしょう。これからは一世一代として手毬の一曲をお目にかけましょう」
 こうして足引清八は「鶯の谷渡し」「鶴の餌拾ひ」「少将長柄の手毬などの芸を披露します。

 日暮前、三勝の出る舞台からはどこかの大身らしい人物が帰っていきます。そして、老若男女も三勝の舞の評判をしながら家路につきます。
 五日の月の光の射す夕暮れ、三勝が出てきます。
「三勝さん。なにをそんなに気をせいて・・。ああ、半七さんならいつでも芝居の終わるころにちょうどおいでになりますよ。まだちょっと早いでしょう」
「いえ、そうではないのです。今日は一度も兄さんがお通を連れてきてくれないので、さぞかし乳が飲みたいだろうと、そればかりが気になって」
「それはそうと、今日の舞台は気が張りましたね」
「それはそうでしょうね。どう見てもあれは国大名。お忍びといってもあのとおりですから、表向きだったら大変な騒ぎでしょうね」
などと話しています。やがて男たちも出てきて、話をしながら去っていきます。

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本筋以外 

文楽四月公演で上演される演目に

    艶姿女舞衣

があります。もう言わずと知れた「今頃は半七つあん」です。子どものころ、本当に文楽の「ブ」の字も知らない子どものころ、「三つ違いの兄さんと」と、この「今頃は」は何のことやらさっぱりわからないまでも頭の中に入っていたフレーズです。
それはもうひとえにご近所のおじいさんおばあさんのおかげなのです。
両親が文楽に関心がなくて、特に父親は毛嫌いすらしていた家庭であったにもかかわらず、何だか知らないのにおじいさんおばあさんが口にする魔法の呪文がこれらだったわけです。同じように洗礼を受けているはずながら、一切関心を持たなかった兄や妹とは違って、私は一人反応していたようです。
そして長ずるに及んでそれが「酒屋」一節であることも知り、今でも大阪にいけばしばしば上演されていることも知るようになりました。
越路大夫、住大夫、綱大夫、嶋大夫、その他本当にいろんな太夫さんで聴いた浄瑠璃です。意外なところでは

    十代目豊竹若大夫

の名演もあったのですが、それは春子大夫、嶋大夫に受け継がれているようです。
若大夫というと、私はもちろん実際の舞台は存じませんが、録音で「合邦」のすさまじい演奏が残されているわけです。しかし若大夫の素晴らしさはこの「酒屋」にもあるのだろうと密かに思っています。

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散歩 

先日病院に行きますと、医者が聴音のあとで「藤十郎さんの胸でこんな

    きれいな音

を聴いたことがありません」とお世辞半分に言っていました。
この医師は平素は病棟専門で週に1度だけ外来に出てくる人で、喘鳴のひどいときばかりお世話になっている人なのです。ですからゼイゼイ、バリバリ、キュウキュウというおとばかり聴いているわけで、先日のようなスースー音はなじみが無かったかもしれません。
実際、ここ数日は自覚症状としてもまったく何もなく、こういうのは正月以来のことです。
こうなると、細くなった足をいくらか強くするために歩きたくなるのです。
まずは通勤を電車ですること、エスカレーターを使わずに階段を昇降することから始めます。
次は電車を最寄の駅で乗り降りせずに少し離れた駅まで歩くことをしたり、休日には散歩をしたり。

昨日は自宅から

    阪神競馬場(宝塚市駒の町)

まで歩きました。45分かかります。距離にすると3kmくらいのものでしょうか。
7時45分に家を出ましたので、着いたのは8時半。まさかそんな時間に人がいるとは思わなかったのですが、電車が着くたびにぞろぞろと人の波。
帰ってから調べたら10時ころに第1レースが始まるのですね。それにしても皆さん早いです。レース前に何をするのか、実は競馬にはまるで縁が無くて知らないのです。
絵に描いたような「タバコをくわえて競馬新聞を持ったおじさん」がさすがにたくさんいらっしゃいました。若い人も多いとは聞くのですが、少なくとも私はあまり見かけませんでした。この競馬場には子どもが遊べる公園も整備されているのですが、そこまでは行きませんでした。

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最後の入試 

大学入試に関する何となく切なくなるような事件が起こって、世間の目が

    試験監督

のあり方にも向かっているようです。
私が試験監督を最後にしたのはもう5年以上前だと思います。
試験監督の仕事はまず受験生全員が実力を発揮できるように

    公平に受験できる

状況を作ることです。太陽光線が邪魔にならないか、寒すぎないか、暑すぎないか、開始・終了の時間を厳守できているかなどを気にかけます。
正直にいいましてカンニングを防止するというのはあまり重要項目ではないのです。というと語弊があるのですが、要するにそこは受験生を基本的に信頼しているということがあります。そして、私の場合はさほど広くもない教室に2~3人の監督者がいて、事実上カンニングは不可能といってもよい状況しか経験がないのです。
階段教室で何百人という受験生がいて、そこに監督者が5人も10人もいる、そういうところで働いたことがありません。

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麻の葉 

文楽人形の衣装にはさまざまあります。以前も書いたことではありますが、私どもの大学所蔵の娘人形の衣裳は、八百屋お七、桂川のお半、妹背山のお三輪、蔵前のお染と同じく、いわゆる

    段鹿子

の衣裳です。
前掲の人物からわかりますように、町娘に用いられるものです。
浅葱と紅が段になっていて、鹿子模様でできているものです。
文楽人形の衣裳につきましては、今春の卒業生が卒業論文で勉強したいというので私もつきあうことになり、なんとか彼女は提出できて、卒業も決まったようです。
段鹿子ということでつい忘れてしまうのはこの衣裳には

    麻の葉

もデザインされていることです。
麻というと今は「大麻」~「麻薬」の印象を持たれることも多いのですが、日本ではもともと神聖な植物とされたようで、御幣、鈴縄などに用いられたようです。
そして、その麻の葉のデザインは魔よけの意味があるのです。

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半月ぶりに 

職場が閑散としています。
私は勉強しやすい場所なのでつい職場に行ってしまいます。
もっと近ければ嬉しいのです。帰る時刻になると、

    寝泊りしたい

と、いつも思います。
7時に部屋を出て、翌日の12時間後にはまたその場所に戻る、というのであれば、帰る時間がもったいないではありませんか。
といいながら、授業も無い日々ですから、いったん研究室に入るとほとんどそこから出ることはなく、気がついたら窓の外が暗く、帰る時刻になっている、ということが珍しくありません。
私にも時折外部から手紙その他が届きますので、それらは共同で使う部屋に設置されている

    メールボックス

と呼んでいるトレイに入れてもらうことになっています。
その共同の部屋にもめったに行かないため、実はこの半月あまり郵便物などが溜まっていたのです。


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守るのではなく 

私、意外に相撲好きだったんだ、と今更ながら感じています。世間の関心がやや薄れてきたかなという今もなお、ぶつぶつと相撲についてつぶやいたりしています。
もちろん

    八百長

がらみのことです。
「何十人も八百長をしているのを知っている」という証言も出てきましたし、実際、そうなのでしょう。ひょっとしたら「ええっ!」という人の名前が出てくる可能性もあると思います。
しかし、ほんとうに犯人探しのようなことをするつもりなのでしょうか。
私はお金をやり取りするのは好ましいことではないと思ってはいますし、今後は星のお金によるやり取りが目に見えるようなことになってもらっては困ります。
しかし過去においてそういうことがおこなわれたというのはもう事実と認めれば、それで終わりなのではないかとも考えています。
誰が、いくら渡して、いつ、誰との間で星のやりとりをした、ということを本当に

    洗いざらい

公にする必要などまるでないと思いますし、そんなことをしても必ず粗漏があって、あとからまたボツボツ表沙汰になったりするのではないでしょうか。

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いやなことを言う人 

文楽のある技芸員さんがおっしゃっていました。
「そらね、いやなこと言われたら誰かて腹立ちまっせ。そやけどね、いやなこと言うてくれはる人は、ほんまはありがたいんです。その時はなんでこの人にこんなこと言われなあかんねん、と思ても、あとん(あとに)なったら、ああ、これを言うたはったんや、ええこと言うてくれたはったんや、と必ず気ィつきまっさかいなあ」
この「いやなことを言う人」が稽古場でのS大夫師匠(S大夫師匠はたくさんいらっしゃいますが)のことだとは申しておりませんが、噂では「お前なんか人間やない」とでもいうように罵倒されるのだとか(やっぱりS大夫師匠ジャン!)。
しかし、罵倒する師匠もたいしたものなら、この

    罵倒される

技芸員さんもまたすばらしい人だと私は感心したのです。
教員をしてきた者としては、学生にどこまで厳しくするか難しいところです。勉強する気がないなら

    やめてしまえ

と言えたらどれほどストレスが溜まらないかと(笑)思うこともあります。
そこまでは言わないとしても、

    嫌われてなんぼ

という生き方もいいだろうなと思うことがあります。

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