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犬とたこやき 

連休といっても特に予定があるわけではありません。
しかし子どもたちはそれぞれに計画があるらしく、昨日の連休初日はいきなり留守番でした。
家の中は日がな一日

    犬と私だけ。

近くの公園はこの季節になると一年で一番の人出です。ここは河川敷公園と平地の公園が併設されていて、河川敷では子どもの野球チームの練習、女子ラグビーの練習、テニスなどがおこなわれ、芝生の公園では犬と戯れたり遊具で遊んだりする人たちであふれます。
この芝生広場は甲子園球場のグラウンドより広いのです。
犬を連れた人は例によって

    わが犬自慢

で、ほほえましいのです。
お宅の犬、可愛いですねぇ、と言いながら、(うちのほうがかわいいけどね)が見え隠れする表情(笑)。
私は幸か不幸かお話しはできませんので、そういう方々とは離れて河川敷やベンチで犬と一緒にぼやーっとしていることが多いのです。

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昭和も遠く 

大学の新1年生はおおむね

    平成4年生まれ

です。
阪神淡路大震災は記憶にあるかどうか、というところでしょう。
彼女たちにとって年号とはすべて平成。昭和は歴史上の年号です。
私の学生時代がすべて昭和であったのと同じなのですよね。
私が学生時代に指導を受けた先生は最年長で

    大正15年生まれ

でした。後にはさらに年長の先生に違う場で教えを受けたことがありますが、それでもその先生は大正10年のお生まれです(ご健在!)。
文楽を見始めた頃、私は明治生まれの方の技芸に接しているはずなのですが、その頃はまだどなたが明治だとかどの人がえらいのだとか、そういうことはあまり考えていなかったのでした。
例えば六世寛治師匠(明治20年生)、二世喜左衛門師匠(明治24年生)、弥七師匠(明治43年生)など。
何となく技芸員さんのことがわかるようになった頃は最年長が越路師匠で、大正3年のお生まれですから、もう明治は遠かったのです。
草田男が「明治は遠くなりにけり」と歎じたのは昭和の初めですから、私にとって明治ははるか彼方でした。

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死を演ずる 

どんなにすぐれた役者さんでも、呼吸を止めて死の演技を10分続けろ、と言われたらそれはもう無理難題。できるはずがありません。
しかし文楽人形は苦もなくやってのけます。
何しろそこに置いておけば人形は地震でもない限り動くことはなく、呼吸ひとつしませんから。
まれに

    劇場の怪談

のような話で、人形が歩いていたとか、笑ったとか、そういう話はないわけではありませんが、実際は文字通りの木偶(デク)なのです。
殺された役の人形遣いさんは人形を蓮台の上において暖簾や襖の奥に、あるいは上手、下手の小幕の陰にそそくさと入っていかれます。
心中もので最後の場面などであればそのままの姿勢で幕が引かれることも多いですが。
あの人形遣いさんの引き揚げ方もいろいろありますね。まったく姿を見せないようにかがんで引っ込まれる方もあり、首から上が見えてますよ、という方もあり、高齢の師匠方などになるとかがんで歩くのも大儀ですからほとんど突っ立ったまま入られたり。その際

    黒衣さん

が客席との間に入って師匠を隠したりもなさいますよね。

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やはり、私語 

まぁ、何といっても20歳前後の女の子ですから、中にはやんちゃなのもいます。
こちらの思うように動いてくれると思うほうが間違いなのだろうと思います。
私は毎回最初の授業で自分の耳の状態の話をして、協力してください、ということをはっきり言います。それは

    私語、おことわり

ということです。
私自身はなにもわかりませんから平気なのですが、周りの学生が迷惑。それを私が注意できないのが情けないのです。
先日の授業は学生がなかなかよく聴いてくれて、私としてはホッとしていたのです。
で、授業のあとでいつも学生に質問意見を書いてもらう紙を眺めていました。するとある学生が

    うるさい人がいました

と書いていたのです。ああ、やっぱり、と思わないでもありません。しかし来週は注意しなければなりません。
実はこの日は私が目を離した隙に後ろのドアからエスケープ(ってふるい言い方)した者があるらしく、ふと見るとごっそり席が空いていました。5人は消えていました。しかし、彼らは昨年単位を落とした学生で、私は知っているのです。あとで先述の質問用紙を見ると見事にひどい内容。そりゃそうです。話を聴く前に帰ったわけですから、まともなことが書けるわけがありません。授業の終わりのあたりで一つ質問をしまして、それをその用紙に書いて下さいと言ったのですが、、その質問に関しては当然答えていませんでした(不在ですからね)。まあ、彼らは脱出成功と思っているのでしょう。うるさくしないだけましかもしれません。

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4月しんどい 

文楽の公演の月になると元気がなくなるのはなぜ?
そうぼやきたくなるのです。
結局この公演も満足に観たとは言いがたい3週間でした。
文楽の仕事はもうダメかなぁ・・・と相変わらず

    マイナス思考

に陥ります。
つくづく日本橋付近におめかけさんの家でもあればと思います(←不謹慎。暴言。教師の風上にも置けない。ありえない。赦せない。不可能、無理)。
季節料理「両輪」さんに下宿できないかなとか、本気で思うことがあります。だしまきくらい作りますし(誰も食べてくれない)、会計のレジくらい打ちますから(だしまきの夕べご一行に半額サービスしてしまう)。
この春は

  3月寒い、4月しんどい

でした。
今週を乗り切るとゴールデンウィークになりますから、なんとか頑張ろうと思います。

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次は東京 

いや、けっして有楽町を出た時の車内アナウンスではないのです。
文楽4月公演は昨日が千秋楽。次の本公演の場は東京に移ります。
4月は盛り上がったのかいまひとつだったのか、観ていてつかみがたい公演でした。平日の夜の客席は、4割くらいしか入っていないこともあり、土日が何とか埋まっただけ。団体さんもこの時期はあまりないのかもしれませんね。学校からも4月は行きにくいです。
しかし、

    英大夫・藤蔵

の豪快な実盛物語や、咲大夫、燕三、和生、勘十郎らの凄絶な豊島屋があり、簑助師匠のおのぶが観られ、簑二郎、勘弥の三勝半七で幕を下ろし、舞台はなかなか魅力的でした。
震災の後遺症もあったにせよ、大阪のお客様、どうなさいましたか? と首をかしげています。
関西は大阪、京都、神戸がそれぞれが個性と魅力を持っているのです。

    三都

という言い方もあるくらいです。しかし、何だかばらばらな印象もあり、大阪は関東における東京のような芯になる街とは言い切れません。
それだけに、神戸や京都のお客様をどれくらい吸引しているのか、気になるところです。

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千秋楽は三勝と半七 

文楽4月公演は今日が千秋楽です。
その掉尾を飾る舞台の主役は

  吉田簑二郎

  吉田勘弥

のお二人です。
若手、若手と言われていたのがもう今や立派な主遣い格。
入門から35年を越えるベテランになりました。「ベテラン」が不似合いなら「旬」を迎えられたという感じでしょうか。
お二人は同学年で、ほぼ同じキャリアで、女形や二枚目が映り、チャリもおもしろそうで、お人柄としては人当たりがよく、芯は強い。こう書きますとよく似たタイプかと思うのですが、実はタイプは違うように思えます。
有望なライバルとして、劇場もさかんにダブルキャストにして競わせようという姿勢が見えます。
清姫、お駒といった主役もありました。
今回は「女殺」のおかちでダブルキャストとなっていますが、注目すべきはやはり

    三勝 半七

を道行まで演じていらっしゃること。
6年前には玉女、清之助のコンビで上演されましたが、颯爽たるスター性と将来性のある人形遣いさんにぴったりのようにも思います。
この場面の振付は昭和44年に澤村龍之介さんがなさっています。もちろん作曲は野澤松之輔師。
しかし、細かい部分は演者の工夫がいろいろ生かされるでしょうし、実際そのようにしないとつまらないと思います。

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孫たちの出世 

文楽4月公演に出ている

    源平布引瀧

は、竹本源大夫、鶴澤藤蔵の襲名披露狂言でもあります。
いわゆる「九郎助住家」は普段なら「口、切、後」「中、次、切、奥」「口、中、切」などで済まされるのですが、今回は襲名ということで段として名がついて「糸つむぎ」「瀬尾詮議」「実盛物語」となっています。四つに分けるときは「綿繰馬」が別になるのですね。
襲名をお祝いすると言うことで住大夫師が「瀬尾詮議」に回られて、大笑いもされています。
源大夫師の休演は残念ですが、英大夫さんが藤蔵さんと

    実盛物語

を大熱演されています。
「手孕村」「手塚太郎」「実盛の髪染」など次々に謎解きがおこなわれ、1時間半あまりを堂々と見せてくださいます。
和生さんの九郎助は朴訥で、しかも小まんの死を知ると実盛に食って掛かる激しい性根。武士なんて怖くない。
勘十郎さんの瀬尾はとにかく豪放。瀬尾の赤っ面にピタリとはまります。ネジの角度なんて最高。
玉女さんの実盛はやはり「物語」以降が立派。馬に乗ってからも玉女さんならではの安定感がありました。
清十郎さんは葵御前ですが、こういう品のある老女形を持てばよく映ります。
文司さんの九郎助女房もよかったです。最近老人の役がしばしば回ってきますが見事にこなされています。
簑紫郎さんの太郎吉は過不足なく、子役はこの人が当代随一かも。
小まんは勘壽さんでしたが「竹生島」で実に丁寧に遣っていらしたのが印象的でした。

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4月を盛り上げよう! 

文楽4月公演が(特に平日の夜は)なかなかお客さんが入りません。あとわずかの公演期間ですが、観客数累計はどんなものなのでしょうか。
夏休みは子供向けの公演にそこそこ人が集まり、昼も安く名作が見られるのでまあそこそこ、夜は企画が当たるとそこそこ。初春は風邪さえひかなければ正月気分も手伝ってそこそこ。秋は芸術の秋とやらで気分も落ち着き、そこそこ。
4月はその点、異動があったり、引越しがあったり、新年度のあわただしさがあったり、花見があったり(関係ないか?)、今年はそれに加えて震災の影響で不景気感や自粛ムードもあって

    こそこそ

としか入ってくださらなかったのかもしれません。
最近はどうなっているか存じませんが、以前から4月公演は一番不入り、特に夜はだめ、というのが珍しくなかったように思うのです(違ったかな?)。
4月公演を盛り上げるために、何とかこの公演で面白い企画を恒例にすることはできないでしょうか。

    通し上演

というのもいいですよね。ここ数年、「千本」「妹背山」がありましたが、このところあまり見ない「伊賀越」「ひらかな」の通しとか半通しもよろしいかもしれません。
「伊賀越」は「鶴ヶ岡」とか「和田屋敷」とか「郡山」とか、あまり見ませんよね。「新関」の助平にもまた会いたいなぁ。
「ひらかな」も「源太勘当」「大津」「笹引」「辻法印」「神崎揚屋」はいささかご無沙汰しているような。
「玉藻前」も「紂王御殿」「神泉苑」「廊下」どうせなら「殺生石」も。
最近あまり出ない演目もぜひ。
「川中島合戦」「新うすゆき」「花上野誉碑」「石切梶原」など。
もっと珍しい「和田合戦」「木下蔭」「須磨源氏」なども。

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ギスギス 

人間関係はそうそう円滑に行くものではないので、そこに苦しみやおかしみ、ひょっとしたら生きて行く醍醐味もあるのかもしれません。
しかし普段はやはりスムーズに関係を維持したいですし、あまり親しくない人ほど壁を作ったり角を立てたりしないようにしたいと思います。
親しければ多少のことは赦せるでしょうし、ぶつかっても元に戻さないと息苦しいですから何とかしようとします。でも、さほど親しくなければ離れたら離れたで済ませられるので、ほったらかしてしまい、ついには口も聞かない仲になるということもありそうです。で、いざというときに困ってしまう。
文楽の世界は狭い世界でしょうから、本当に上手くやっていかないと、何十年も一緒にいることになりますから大変ですよね。私どもの世界はいくつかの大学を

    渡り歩く

のは珍しくなく、最初に就職したところに骨を埋めるほうが少数組ではないかと思うくらいです。
会社でも転勤や配置転換がありますからまあ、適当にくっついたり離れたりできますよね。
文楽は定年がない上、高齢の方がお元気なので、例えば今50歳の人は、10代で入門した時から30年も40年も偉大なる師匠を仰ぎ見続けることがあります。もちろん幸いなことというべきでしょうが、うまく付き合えない人だったら厄介でしょうね(笑)。
私が今でも最高の漫才師として心からはなれないコンビは

    夢路いとし 喜味こいし

さんなのですが、あのお二人などご兄弟ですし、ずっとご一緒だったわけですよね。
そう思うと、私の世界など、どうせそんなに長い付き合いではないのですから、仲良くするべきだろうと思います。

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黒板恋し 

私が小学生の頃、教室の黒板は文字通り

    黒板

でした。黒い板。ごく稀に今でも残っているところがあると思いますが、世界遺産クラスになってきました。
その黒い板に教師がコンコンカチャカチャと音を立てながら文字を書くのが授業の姿でした。休憩時間にはその日の当番が顔をそむけながら黒板消しを窓の外に向けてパタパタとはたいていました。
その「黒板」がいつのまにやら「緑板」になりました。実に鮮やかな色で、くすんだ教室に初夏が訪れたような印象を持ったものです。そして黒板消しも徐々に機械がチョークの粉を吸い込んでくれるようになりました。それでも教師のコンコンカチャカチャは変わりませんでした。
大学に勤めるようになって、私自身が黒板に字を書くようになってからもこの風景は変わりませんでした。チョークの粉にまみれるので教室に高価な上着は着て行きませんでした(持っていなかった、とも言いますが)。
それが今や板書がわりに

    パワーポイント

を使う人が激増し、実は私も全ての授業で使っています。ありがたいのは字のまずさが学生にわからずに済むこと。私は番書すると必ず斜めに書いてしまうのです。そしてチョークの粉を吸うことがありませんから健康的でもあります。
写真も入れることができますし、アニメーションを使えばいたずらもできますから、学生にウケルことも可能です。

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声に出して 

以前「声に出して読みたい日本語」という本がベストセラーになりましたが、実はあの本が出る前から私はそれを実践していました。自分でも古典講読は単なる棒読みでなく、ほとんど暗記してから授業に出かけ、ちらちらとテキストを見る程度で朗読していました。
ですから、もう少し早く本にすることを考えておけば、今頃

    ひだりうちわ

だったのではないかと思えてなりません(笑)。
もっとも、あれ以後、著者の齋藤さんは縦横無尽、三面六臂の大活躍。
知性、教養、声、笑顔、男前・・・・どれをとっても叶わないことに気づき(笑)、モノが違うと今はしっかり認識しています。
「物語」は、根本には、伝承を語ることから始まってやがて文字に定着するという歴史があると思うのです。

    古事記

など、もともと暗誦されていたのを文字化したと伝えられています。
源氏物語も貴人の女性の前で女房が読んで聴かせることがおこなわれていたようで(もちろん個人で黙読することも多かったはずです)、いかにも物語る、という言葉によく似合います。
物語の文章はそれだけに語りに適していたと言えると思います。だからこそ声に出して読むことには意義があるのです。平家物語など絶対にそうでしょう。
私は学生や一般の方々の前で

    敦盛最期

など、何度朗読したかわかりません。
そして、朗読することで見えてくるものがある、面白さが増幅される、というのもまた事実だろうと思うのです。

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東北弁 

方言、大好きです。
私自身があまり明確な方言を持たないので、余計に好きです。
なぜ明確な方言を話さないのかと申しますと、実は自分でもよくわからないのです。
実は、自分ではずっと関西弁を使っているつもりだったのですが、大学生の頃、私の言葉を聞いた後輩に

    「どこの出身ですか?」

と聞かれたことがあり、かなりショックでした。「関西でんがな~」と返事したのですが、あとのまつりでした。
それでも関西の言葉は使おうと思えば使えます。しかし大阪でも神戸でも、まして京都などではありえない言葉です。
大阪弁はかなりできると思うのですが、あくまで真似であって子供の頃から使ってきた言葉ではありません。
東京弁はできません。あのチャキチャキした元気のいい言葉は好きなのですが、真似ることはできません。
広島弁はある程度できます。しかしこれはもう自分でしゃべっていても恥ずかしい、他人の言葉です。
かつて

    ミスワカナ (1910~46)

さんという天才的な漫才師がいらっしゃいました。この方は漫才師の中ではぴか一の美貌で、実際、残っている写真を拝見するとなかなか魅力的な方です。
この方の得意は方言。日本全国あちこちの方言を取り入れながら漫才をするのです。不思議な魅力がありました。私はもちろんワカナさんの生前は存じませんが、以前しばしばNHKのラジオで放送されたことがあり、一生懸命録音しては繰り返し聴いたものでした。阪急電鉄の西宮北口駅で倒れて亡くなったそうです。
方言漫才のみならず、その他の漫才も含めて、私は一時ワカナさんにかなり憧れていたことがあるのです。本物を聴きたかった、と。もちろん相方は玉松一郎さんです。

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襲名口上 

申すまでもなく、この4月の文楽公演は

  九世 竹本源大夫
  二世 鶴澤 藤蔵

の襲名が話題です。
まだ40代でいらした、颯爽たる織大夫さんの素晴らしいお声は、文楽に接し始めた頃の私にとっては憧れに近かったのです。越路大夫、津大夫、南部大夫、文字大夫という先輩がいらしたのにもかかわらず、私が最初に強い印象を抱いたのは織大夫さんでした。映画「曽根崎心中」(栗崎碧監督)では全編を語られ(道行は呂大夫さんとお二人で)ましたが、あれも印象深いものでした。
その織さんが綱大夫となられて、今度は源大夫。時代は移ります。
颯爽としていらしたという意味では清二郎さんも同じ。デビュー当時から聴かせていただきましたが、初々しくもいかにもそれらしい三味線弾きさんでした。芸の家に生まれられたので「それらしい」という感じがしたのかもしれませんが、門閥がない世界であってもやはり血筋というのは何か漂うもののように思えます。

まだ十分義太夫節が味わえる時にこのご両人の技芸に接しておいてよかったと思います。
もう今は何も分かりませんが、ただただますますのご研鑽をお願いし、更なる発展をお祈りするばかりです。

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CM 

震災の直後、テレビのCMがなくなって、ACの広告がやたら流れていました。
流行語まで生まれたようですし、またあまりに繰り返し流されるので、CMによっては苦情も出たのだとか。
別に怒らなくっても、と思うのですが。
今もまだいくらか続いているように思いますが、テレビをめったに見ないので詳細は分かりません。

    関東ローカル

では、当然といえば当然ですが、平素から東京電力のCMも流れているのだそうで、そのために今回の福島原発の問題点をテレビは十分に報道できていないのではないか、などともいわれているそうです。
関西にいるとわかりませんが、東京電力はローカル企業とは言っても巨大産業なのでしょうから、かなり力もありそうです。報道とスポンサーの関係というのはやはり微妙な問題があるのでしょうか?
それぞれが死活問題という厳しい中で成り立つ関係でしょうからね。

CMに起用した人が事件を起こしてそのCM、ひいてはその企業のイメージまでが悪くなるということもしばしばあるようです。
逆に、うまく起用するとイメージアップは限りなく、広告費など安いもの、といわんばかりの利益が戻ってくるのでしょう。
学校でも最近HPや新聞広告、時にはテレビ広告などもするようです。しかしそういうときには概して学生を使うことが多いように思います。安上がりですし、なんと言っても本物の学生ですから嘘がありません。
そういえば、私が通った自動車学校(広島市)のテレビCM(あちらはけっこう自動車学校のCMがありました)には事務のお嬢さんが生徒の役で出ていました(笑)。

広島で思い出しました。あちらに引っ越してすぐにテレビをつけたとき、たしか、

    川通り餅

だったと思うのですが、そのCMにいきなり文楽人形が出てきたのです! そして人形を遣っていらしたのは吉田文吾さんでした。

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そっぽ 

今や大学は、それも小さな私立大学は、存亡をかけて右往左往しています。
「国際」「情報」「人間」などの名前が学部名に踊ったのはバブル的な現象で、「うたかた」らしく消えていく宿命なのでしょうか。
かつて女子大といえば国文学科、英文学科がどこにもありましたが、今や世界遺産に申請したいくらいです。私のような国文学、国史学にたずさわるものは行き場がなくなり、やむなく授業では、学生に自己表現の話をしたりしています。同じような目に遭っている人は少なくありません。
基本的には文章による自己表現について話せばよいのですが、口頭表現や表情などにも言及します。
学生と接していて一番嫌な表情と感じるのは、

    ふてくされ

た顔やしぐさです。感情を抑える能力が未熟なので、つまらないことでもすぐにふてくされることがあります。ストレスがたまらなくていいかもしれませんが(笑)、やはり向き合う立場としてはがっかりしてしまうのです。

    薄化粧

はそろそろ必要じゃないかな、と思うのですが、いかがでしょうか。
就職の面接に、女の子は多分薄化粧をしていきますよね。それと同じくらいには心もメイクアップする必要があるのではないか、と思います。もちろん男の子も同様。ゴテゴテ飾ることはありませんが、朝起きたままの顔では人前にはなかなか出られません。

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電車に限る 

この時期、通勤は電車に限ります。車だと、私の通勤コースは味も素っ気もないのです。旧街道を少し捻じ曲げたり拡張したりして作った国道を走るのですが、そのねじ曲がった辺りに(笑)昔ながらの松の大木や大きな鳥居、古い町並み(例えば萱野三平旧居跡)、道標などがあって風流なのです。
それに仮に桜並木があっても運転しながら鑑賞するわけには行かないですからね。

それに対して電車(阪急電鉄)なら次々に桜並木が現れ、飽きることがありません。

    淡いピンク

と言っても、厳密に言えば色とりどり。しかも光の関係でさまざな姿を見せます。
以前にも書きましたが、私の職場の最寄り駅(阪急電鉄北千里駅)の近くに、昭和40年代初めまで活躍された文楽の太夫さんの旧宅があります。このお宅は造りが風流で枝垂桜が見事。
毎年少し回り道をしてこのお宅の前を歩くことにしています。
やはり立派でした。そのご近所に○○忠三郎さんというお宅があって、ここもすばらしい枝垂桜があるのです。
このわらぶきは忠三郎というて・・・といえば「新口村」になりますが、
わらぶきどころか

    豪邸

です。
この地域は万国博覧会直前に開発されたニュータウンで、なかなか立派なお宅が軒を並べているのです。

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開幕 

日本のプロ野球が始まったのですね。
メジャーリーグよりかな遅れたのでうっかりしていました。
やはり関心があるのはエースたちの開幕です。
驚いたのは

    ダルビッシュ

と前田(広)が打たれていたこと。
結局エースらしかったのは和田、涌井くらいですか。
金子の代役の木佐貫(オ)もよかったようですね。
もうひとつのビックリは横浜が勝ったこと(笑)。

今年から球場のSBOの表示が、上から順に

    BSO

になっています。ボール・ストライク・アウトの順ですね。
高校野球でもそうなっていましたし、メジャーでも見慣れていますから、あまり違和感はないのです。
ただ、字面としてベルリン交響楽団を思い出していけません(笑)。

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文化の町へ 

王朝人が「みちのく」と呼んで、半ば空想の世界だった東北地方。
武隈の松、壺の碑、名取川、末の松山などの名所を歌に読み込み、源融(みなもとのとおる)という人は自邸の庭を塩竈に模して造ったと言われます。北海道が意識されていなかった時、北のはてだったのですね。
東北地方というとやはり

    中尊寺

を一番に思い起こします。他にも、山寺、松島、小岩井、青葉城、弘前城、多賀城、北上川、最上川、康楽館、遠野、奥入瀬、八甲田山、岩手山、十和田湖、湯田温泉、白神山地等々、かつて訪ねた場所、訪ねてみたい場所はいくらでも思いつきます。

    奥の細道

の旅にも憧れがあります。
この震災でこれらの場所はどうなったのでしょうか。
牡蠣、ホヤ、ワカメ、めかぶ、ふのり、ウニ等々あまたの海産物をはじめ、稲庭うどん、きりたんぽ、ささかまぼこ、いぶりがっこ、冷麺、林檎ジュース、ごますりだんご、鯛きちの鯛焼き、かもめの玉子など味もさまざまで、挙げていったらきりがありませんね。
大阪の地下鉄心斎橋駅から長堀通を少し東に行った中央区南船場3丁目に、青森、岩手、秋田のアンテナショップ

    JENGO

があり、私も何度か行って、あれこれ買いました(⇒こちら)。

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仕事始め 

のんきなもので、私の新年度は本日が仕事始めです。
大学教員としては隠居仕事のようなもので、ちょこちょこっと授業をさせてもらうだけなので、今頃始まるのです。
昨年までは、新年度はそれなりにばたばたとしていたのですが、今や気楽なものです。
授業時間数は昨年より多い(月曜は3コマ!)のですが、雑用が減ると思われ、今年度は文楽劇場に通うことが比較的容易になりそうです。
雑用というのは、例えば卒業研究の学生、いわゆる

    ゼミ学生

などの、いつ何時大学あるかわからない相談ごとなどです。そのために、ほとんど毎日朝から晩まで大学にいたわけです。実際、学生から「今日は大学にいますか?」というメールがしばしば入ってきました。
今年からはもうそういうことがなく、おそらく学生が私の部屋に来るということはめったにないだろうと思います。そのため、週の後半は休めそうで、特に嬉しいのが金曜日。
文楽劇場の閲覧室に行ったり、

    公演記録鑑賞会

に行ったり、大阪の府立や私立の図書館に行ったり、あるいは京都や奈良に出かけたりできそうなのです。

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だしまきの夕べ 桜花の宴 

昨夜(9日)は国立文楽劇場横の季節料理の店「両輪」さんで高齢の、じゃなくて恒例の

    だしまきの夕べ

が催されました(らしい)。自粛ムードを蹴散らして大いに盛り上がりました(らしい)。
え? (らしい)とは何だって? はい、まことに申し訳ないことに、私はまたもや

    欠席

してしまいました。
実は、4月に入ってどうも調子が優れず、1日に出勤したのがそもそも間違い、そのあとずっと具合が悪くて、出勤してもぼや~っとしている状態で、家に帰るとただただ寝ているばかり。
ついには点滴に行って

    帰宅してはならぬ

と言われる有様でした。
まあ、そこはなんとか帰宅しましたが(笑)、翌日(これが昨日です)また点滴の憂き目に遭い、当然のようにドクターストップ。私自身、とてもみなさんと歓談することなどできそうになく、実行委員長にお詫び方々ご連絡した次第です。
これで3回連続の欠席。この会が始まったときは会長として君臨していた(!)私も、今や広報担当係に格下げ。
次回からはさらに厳しいお仕置きがあるのではないかと怯えております。

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短気 

なんだか攻撃的な物言いを続けてしまいました。
お役人方の献身的なお働きのおかげで日々暮らすことができているのも承知しております。
宮内庁の職員さんには仕事柄お世話になることもあり、その時の丁寧な対応には感謝もしているのです。
知り合いに官僚もそこそこいますし、あまり悪口を書いたらどこかから漏れて

    天に唾す

ということになるかもしれません(笑)。まあ、今更何が降りかかってきてもあまり怖くはないのですけどね。
ただ、概して人を見ず組織を見る悪癖は公務員のみならず役人的な職種の人に共通するように思えて、妄言を吐いてしまいました。
言い出すと止まらなくなる、

    浅慮で短気

な性格がこうして時々表に出てしまいます。
お役人気質の人からご覧になると、教員というのもまたタチの悪いもののようです。
9時に出勤して残業もいとわず、安い給料(一般的な話です)で働いて、教員には頭を下げなければならない。それに比べて教員連中はその逆じゃないか! という実にもっともなお怒りを持たれることがしばしばではないかと思います。
ただし、私は8時前に出勤して7時過ぎまで職場にいて安い給料で働いて、事務職員さんにはけっこうペコペコして(笑)いるほうですので、そう怒らないで下さい、とも言いたくなりますが。給料なんてね、生涯賃金ということを考えたら、私より小中高校の先生の方が絶対に多いでしょうし、事務方の人でもいくらでも多い人がいらっしゃると思いますよ。

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京都御所 

今の京都御所は平安京内裏とは全く違った場所にあります。
平安京内裏はもっと西、千本丸太町の交差点より少し北東にありました。
この交差点には「大極殿跡」の碑があります。千本二条から南に走っていたのがメインストリートの朱雀大路でした。
貴族たちは内裏の東側に住まいを定め、たとえば藤原道長の邸宅

    土御門第

は、梨木神社も近い、今の仙洞御所あたりにありました。
内裏の焼失などの理由で天皇が一時的に移住する、いわゆる里内裏もいきおい東側になりました。今の京都御所は、その里内裏のひとつ、鎌倉時代に用いられた

    土御門東洞院殿

が拡充されたもので、建物は江戸時代末期の安政2年(1855)に再建されました。
春と秋の一般公開が知られますが、普段でも予約すれば見学できます。私は一度だけ紫宸殿の中に入れてもらったことがありますが、なんだかひんやりとした感じでした。

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逃げ隠れ 

本当か嘘か知りませんが、福島の原発の事故が明らかになった時、東京の人が即座にタクシーに乗って

    西へ行ってくれ

と言って逃げ出したという話を聞きました。
こういう話はとかく尾ひれがついたり簡略化されたりしますので100%は信用していないのですが、ありそうな話ではあります。笑い話のようでもあり、真実味のある怖い話のようでもあり。

かなり前の話になりますが歌舞伎役者の市川海老蔵さんが事件を起こして謹慎することになりました。大相撲で八百長が発覚して春場所はなくなりました。大臣が次々に辞めていきました。

    責任を取って

謹慎したり職を辞するというのは、本当に重大なことなら必要だとは思いますが、そこまでする必要があるのかと思うこともあります。
海老蔵さんなど、もういい加減

    復帰しなければならない

というのが私の実感なのです。世間からどう思われようと、きちんと役者としての仕事をしてもらわないと困ると思っています。
政治の話はあまりしないことにしているのですが、大臣の辞職などで本当にそこまでする必要があるのか、そこのとによるマイナス面を考えた場合辞めてはならないこともあるのではないか、私は疑問に思っています。

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飲まず飲まず 

あっという間に3か月。
今年も4分の1が過ぎました、という話、ではないのです。
お酒を飲まなくなってそれだけの時間が経過したということなのです。
けっこうお酒の好きな人間なのですが、我慢すればできるものです。
別に我慢することもないのですが(笑)、やはり生活も厳しいのでどこかで節約しようと思い立ったのでした。
当たり前のようにしていたことをやめるのはかなりしんどいかなとは思ったのですが、どうってことはありません。
関東地方では

    節電

が大きな話題になっていますが、できるものですよ、やってみれば。
何も国立劇場の灯を消さなくてもいいのです。国立に多くの人が集まえばその分家の電気は消えています(笑)。へたに家にいるとパソコンや携帯を触ってしまってけっこう電力消費してしまいそうですよ。節電は無駄を減らすことでじゅうぶん可能だと思います。
ドイツ人は倹約家が多く、J・S・バッハは楽譜を徹底的に節約して余白があったらそこを使って新たな曲を書いたという話を聞いたことがあります。
私もおそらく先祖はドイツ人と思われ(笑)、かなり節約するほうです。最近は勉強用のノートをあまり使わず、使い古しの紙の裏側に調べたことを殴り書きして目玉クリップで留めたりして、それをPCに入力してデータ化するという状態です。もっとも、携帯できるノートパソコンがあれば図書館にもそれを持っていってその場で打ち込んでしまえば紙の裏側まで節約できますけどね。
ただ、

    文楽のメモ

に関しては、まさかパソコン持参で上演中にキーをたたくというわけにもいかず(いくらなんでも隣の人に迷惑、いや、それどころか床の太夫さんも気になって仕方がないでしょう)、普通のノート(5冊くらいセットで売っている一番安いノートです)にこれまた殴り書きしています。殴り書きするのは理由があります。
以前書きましたが、NHKのアナウンサーのY.S.さんという方にノートしているところを見られてしまって、「あなた、ノートを見ながら書いちゃ舞台が見えないでしょう。

    ノートを見ずに

書かなくちゃいけません」と注意されて、なるほどごもっともと、それ以来ノートを見ずに殴り書き、おかげで時々自分の字が読めなくて困ります。

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藤蔵さん(続) 

三業の中で一番縁がないのが三味線弾きさんなのです。
比較的親しく話させていただいたのは清介さん。ただし、

    能勢の浄瑠璃

によるご縁なのです。他の方はほとんどお話しもしたことがありません。
新・藤蔵さんもデビュー当時から存じてはいますし、あちこちでしょっちゅうすれ違いますが(笑)、お話しするご縁には恵まれません。

若き日の「清二郎」さんで今もはっきり覚えているのは、七世源太夫50回忌、初世藤蔵23回忌の追善公演(昭和62年1月)で、織大夫・燕三(先代)の「野崎村」のツレを弾かれた時のお姿です。
とにかく

    ひたむき

でした。
悠然とした燕三師匠の横で、颯爽たる若武者のように口をキュッと閉じて視線の揺るがないお顔。今と同じですね。
あの時に、いつかきっとこの人は「藤蔵」になられるのだろう、と思いました(織師匠が源大夫になられるとは思わなかったかも知れません)。

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藤蔵さん 

四世竹本津大夫師匠は三世のご子息。濱大夫を名乗っていらした頃に三世が亡くなり、四代目を継がれました。「『津大夫』みたいな

    じじむさい

名前はいやや」とおっしゃっていたそうですが、周りから勧められて、まだお若いうちの襲名でした。20代でいらっしゃったでしょうか。
飛び抜けて背が高くて美男でいらした津大夫師匠であり、先代も先々代も紋下でしたから、この襲名はかなりの評判だったのではないか、と、勝手に想像しています。

このところの襲名は三味線と人形遣いさんが目立ち、40、50代の充実期の方々が花形名や大名跡を継いでいらっしゃいます。このたびの

    二世鶴澤藤蔵

襲名も、40代、バリバリの男っぷりのよい三味線弾きさんということで、なかなか盛り上がっていたのです。ところが、例の震災があり、同時襲名の源大夫師匠の休演があり、ちょっと気勢がそがれた気がしないでもありません。
しかし、逆に言うと、とても印象深く、忘れられない襲名になるのではないか、とも思うのです。禍転じて福、と考えて、新・藤蔵さんにはぜひ頑張ってこの公演を勤めていただきたく存じます。また、ファンの我々も、藤蔵さんをおみかけしたら遠慮なく

    おめでとう

と声をおかけしたいものです。

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たまには服装も 

服装をはじめ、ファッションに無頓着です。
めったにネクタイなどすることがなく、だいたい年に3~4回がいいところです。
会社勤めなどまずできませんね。
クールビズなどという言葉が一時はやりましたが、私なんて長年あたりまえのように夏はクールビズです。
普段はそれで済みますのでどうってことはないのですが、やはりどうしてもネクタイだけは、ということもあります。
以前勤めていた短大で、私はちょっとした役職をしていたのです。どうってことのない役職ですが、

    セレモニー関係

には必ず出なければなりませんでした。
ですから、スーツやネクタイは一応きちんといつでも使えるようにしていました。
ところが、ある年の9月。何とも思わずセーターで出勤していたら、その日に半年遅れで卒業する学生がいるので

    学長室に集合!    

と言われてしまいました。
もう真っ青。学長室で一人だけの卒業式をするのです。それでも、やはりネクタイは必要で、学長に頭を下げて欠席させていただきました。
それ以後、自分の研究室には1着、非常用の(?)スーツを置いています。

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4月公演の初日です 

昨日から今日にかけて、入社式、入学式が花盛りのように思われます。
今年卒業して行った学生たち(いや、元学生たち)も今や立派な社会人として給料をもらうようになるのです。
私なんて大学を出てからまだまだ学生をしていましたので、定職を持っての

    初月給

は、なんと30代になってからでした。
ただ、当時は受験戦争などという言葉もまだ残っていましたので、予備校がいたるところにあり、特に大手の予備校は給料もよかったのです。専任の講師の人は下手に大学などに勤めるより高給を取っていたはずです。
人気のある人は、午前中あるところで授業をすると飛行機でどこかへ飛んでいって夕方からはるか彼方の系列予備校で授業をしていたと思います。
私のように学生アルバイトはそこまではいかないのですが、それでも時間給は普通のアルバイトとは比較にならない額でした。
では一生それで生活していけばよかったのかというと、それはやはり本末転倒だと思っていました。
その結果、やはり生活苦には祟られましたけど(笑)。
私は初月給で親に

    ワープロ

を贈った記憶があります。もちろんパソコンではありません。ワープロ専用機。私だってまだ個人的にパソコンは持っておらず、職場のものを借りていた時代です。
当時リタイアした父がそれにはまってしまって、一日中キーボードをたたいていたらしいのです。

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いいたいことは・・・ 

明日からいよいよ

    文楽4月公演

です。前に一度書いたのですが、1月は「初春」、7・8月は「夏休み」、10・11月は「錦秋」という季節に合わせた言い方があるのに、4月だけは何もありません。「桜花」っていったら競馬っぽいですよね。
それはともかく、無事にこの公演が開幕することを今年は例年以上に熱い思いで受け止めています。
今回、震災から原発の問題に広がっていって、世界にその名を知られてしまった「福島県」。福島と文楽というと

    竹本貴大夫

さんのことを思い出さずにはいられません。福島県のご出身でしたよね。
貴大夫さんが亡くなったあと、兄弟子の英大夫さんとお話しして意見が一致したのは、言葉の使い方に実にすばらしい味わいが出てきていたところだったのに、本当に惜しいことをした、ということでした。
どれほど追い詰められていらしたのか、私には想像もつきませんが、未来が見えたところで亡くなられたことがあまりにも惜しまれたのでした。ドイツ哲学や日本の宗教関係の本を読んだりされる、思索家のイメージが強い方でした。
ご健在だったらこの公演では何を語られるだろうか、とつい考えてしまうことがあります。
今回の震災と原発事故で気になったことのひとつに貴大夫さんのご遺族のこと、私がうかがっていたご遺族というとお姉さまなのですが、このお姉さまがご無事だったのだろうか、ということでした。幸いある情報によってご無事でいらっしゃったことが分かり、安堵しました。

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