幼稚園で文楽人形 

去年の今頃、私は大学祭の準備で大わらわでした。
文楽人形の寸劇を実施することになっていたからです。
今年はちょっと違って、
    奈良県の幼稚園

で文楽人形をご覧いただこうという催しがあるのです。場所が幼稚園で相手は大人? いえいえ、ずばり幼稚園児なのです。面白くないって言われたらどうしよう・・・と、不安は大きいのです。
昨日その担当の方と何度かメールのやり取りをしまして、ある程度の方針が決まりました。
実は人手が足りないため、人形の説明やちょっとした動きを見せる程度で、人形劇を上演するのは無理だろうと思っていました。
ところが、現役学生の中にたった一人、昨年の大学祭を経験している人がいまして、彼女が手伝えるといってくれました。
こうなったら頑張ってもらおうと、あわてて台本を書いたところです(ただいま修正中)。
私どもの人形というと、主役は通常こちらです。

DSC02421.jpg

ところが今回はあえてツメ人形で行こうと思います。つまりこちら。

DSC02458.jpg

タイトルは「ごんべえさんとやまのかみさま」。
ごんべえさんが山にきのこを採りに行きますが、大嵐に遭って倒れてしまい、それを山の神様が救ってくれるお話です。
詳細は実施後にお伝えします。

昨日はその台本を書くことと小道具の作成、修理に、一人でごそごそと励んでいました。
以前にも使ったものですが、やはりこわれたり、色がだめになったりしていました。で、お絵かきが大の苦手の私がまたまた絵筆を持って悪戦苦闘しました。

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播州皿屋敷(下の1) 

お礼から申し上げます。
下のバナーは演劇ブログのランキングなのですが、実はこのところ80位くらいまで落っこちていました(笑)。ところがこの1週間ほどのあいだに30位くらいにまで上がっているのです。別に賞品がもらえるわけでもないので(笑)どうってこともないのですが、やはりありがたく存じます。
またよろしくお願いいたします。


さて、播州皿屋鋪はいよいよ「皿屋鋪」の場面が近づいてきました。その前に道行があります。

巴之介と玉の井、それにお菊の三人連れです。

  京から姫路までの旅

で、東寺、鳥羽、島原などを後にして、江口や芦屋、生田、加古川などの名所が次々に描かれていきます

そして下巻です。
場面としては
 姫路城下心太売
 青山鉄山下屋敷
 鉄山最期
となります。

嶋大夫師匠が語られるのは切場だけだと思いますが、端場が付いています。
舟瀬三平と高岡才蔵が心太(ところてん)売りに身をやつして、「てん」のつく言葉尽くしを建前にして売り歩いています。そこに玉の井、お菊、続いて巴之介が血相を変えて走ってきます。山名宗全の追っ手、黒沢軍八から逃れてきたというのです。才蔵は「冷光院が姫路に下りながらも本丸には入っておらず桐の馬場の仮の御所にいる」と、三平は「青山鉄山が、巴之介の受けている勘当が赦されるまで自分の下屋敷に客分としてお招きするといっている」と、それぞれ巴之介に伝えます。お菊は三平と一緒に暮らせる、と喜びますが、三平は都への遠慮があるからと鉄山から別宿を用意されていました。三平は唐絵の皿をお菊にゆだねます。鉄山の下屋敷まで三平が案内することになり、才蔵と別れます。そこに黒沢軍八がやってきますが才蔵が追い散らし、才蔵も冷光院のご在所に行くのでした。

ここからが切場です。
実は、明治に発行されている五行本はかなり省略されているもので、この切り場も前後に省略があります。
ですから嶋大夫師匠が語られるのはひょっとしたらさらにあとのほうからかもしれません。

しかし、やはり丸本を軸に書いておきます。

  青山将監鉄山の下屋敷

です。
お菊は下女の身なりで働いています。そこに鉄山の弟の忠太が都から帰ってきてお菊にいやらしく声をかけ、無体にも抱きついたりします。お菊は「こんななりをしているから三平様に去られたとでも思っているのか。巴之介様が世を忍んでここに逗留されているので玉の井様の下女分として働いているのだ」と突き放します。
そこに鉄山が現れ、無駄口をたたいている忠太を戒めます。さらに巴之介と玉の井も現れます。巴之介は毎日鎮守の社に参詣しているのです。鉄山は「その信心深さによって将軍勘当も許されるでしょうが、暑さが厳しいので朝早く参詣してはいかが」と勧め、玉の井も体の弱い巴之介を案じて同調します。忠太が「都の噂では、唐絵の皿は殿のお手に入ったそうだが、紛失したとか割れたとかいわれているが、どうなのか」と問うと、鉄山も「自分も見たことがないからわからない」と答えます。巴之介は「皿は無事だ。見せてやりたいが、責任者の三平がいないのでどうしようか」とお菊に相談します。お菊は「忠臣の鉄山ならお見せしてもよいのではないか」と答え、巴之介は「それなら皿をここに持ってきて見せてやれと」言って、玉の井、お菊とともにその場を去ります。

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こわい 

お菊さんはまだまだ元気です。その意味では、この話は今のところあまり怖くはありません。
皿屋鋪の場面は下巻に出てくるだけですから。

今では恐ろしいことを

    こわい

といいますが、私の親しんでいる平安時代の文学では「こはし」といえば「かたい」「かたくるしい」という意味です。
「ことば、いとうたて、こはく憎げなるさま」〈源氏物語〉は「言葉がいやな感じで堅苦しく憎らしい様子だ」ということです。
かたいという意味では「こは装束」(貴族の装束で、のりで折り目をしっかりつけたもの)がありますし、今でも「こわめし、おこわ」はまれに使われると思います。「こわ意見」というと「厳しい意見」というくらいの意味でしょう。
「こは」の対語には

    やは

があり、こちらは今でも「ひよわ」という意味で使われます。「やわなからだつきだ」などと。

やがて「こはし」に「強い」「強情だ」という意味から次第に「おそろしい」という意味が出てきて、畏怖すべきものとしてこの言葉が使われるようになったようです。

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播州皿屋敷(中の3) 

嵯峨の高岡才蔵(園右衛門)の隠れ住まいです。喜代若は、疱瘡も癒えて、今日、味方になってくれるはずの天龍寺の慈眼和尚のところに移ることになりました。弥太七の動向が不穏だからです。
安宅が喜代若を送って行ったあと、弥太七が来ます。園右衛門が留守であることを確認して、弥太七はお花に喜代若の居場所を白状するように言います。するとそこに居たのがお花の子(養子)の

    紅枩(べにまつ)

でした。弥太七は、これが喜代若ではないのか、と詰め寄り、挙句には、焼けた薪を紅枩に当ててお花に白状するよう脅迫します
お花が灰をめつぶしのように弥太七に浴びせ、弥太七を追い払いました。
そこに安宅が帰ってきて事情を知り、やけどの妙薬をお花と紅枩に与えるとふたりはけろりとよくなるのです。安宅が酒を飲もうと奥に入り、お花が紅枩を寝かしつけていると園右衛門が喜代若を連れて戻ります。天龍寺には討手がいたからです。お花から家での出来事を聞いた園右衛門は今夜は紅枩の面倒を見てやれ、と自分は喜代若と奥の寝所に行きます。

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播州皿屋敷(中の2) 

竹原藤内が細川一家の隠れ家を探して嵯峨野に来ました。
そこで

    出家姿の弥太七

に会います。弥太七はいつぞや父親が作っていた贋物の皿を「唐絵の皿だ」と差し出して300両騙し取ったことがあるだけに、山名家には顔が出せません。しかし、名誉挽回とばかりに、園右衛門のところに喜代若が匿われていることを注進しようとして、まずは文書で知らせたので、藤内がそれを確かめにきたのでした。
弥太七も今から天龍寺に来ているという山名宗全のところに行くといいます。藤内がもし喜代若を捕えたら還俗させて武士にしてやると話していると、人が来るので二人は隠れます。

    園右衛門の妻のお花

が姿を見せ、反対側からその

    姉のおやく

が来ました。お花は、若君が、患っていた疱瘡こそ治ったものの、姉婿である医者の望月安宅を呼ばれるので、迎えに来たと言います。ところが、おやくは、安宅は酒に酔って寝ているので行けないというのです。それでは若君が困るからと、お花は姉と一緒に安宅を呼びに行きます。

この部分でお花は若君のことを「こちの疱瘡子」と言います。丸本のルビは「ほうそご」。あるいは「ほんそご(奔走子)」を掛けた言葉でしょうか。こういうところを自信を持って言えないのがが江戸時代文学を読み慣れていない悲しさです。

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播州皿屋敷(中の1) 

だらだらと書いて申しわけありません。ほとんど自分用のノートになっています。

中巻の場面は
 三筋町松風屋
 嵯峨姉妹駕籠
 嵯峨園右衛門隠家
で、新たな登場人物として
 玉の井(傾城。巴之介の子、喜代若を産んでいる)
 望月安宅(医者。望月兵庫の養子婿)
 おやく(安宅の妻。望月兵庫の娘)
 お花(おやくの妹。園右衛門の妻)
 紅枩(おやくの子。園右衛門夫妻の養子)
がいます。

冒頭は、上巻の最後の壬生の話からの続きで、同じ日の出来事です。
三筋町の松風屋。傾城玉の井は釣瓶大尽(弥太七)に請け出されることになりましたが、巴之介を慕うあまり病気と偽っています。玉の井は、弥太七がいない間に二階にいる園右衛門という客に話があるといい、二階に上がります。
店の亭主が刀を風呂敷に包んで帰ってきますが、そのうしろから弥太七が声をかけます。弥太七が怪我をしているのでわけを聞くと畠に瓜が鈴なりに生っていたので盗み食いをしたら番人に見つかって蹴られたなどと出まかせを言います。亭主が弥太七の腰を見るといかの糸が付いていました。弥太七は壬生から逃げたときに誰かが付けたと悟ります。
亭主が、身請の三百両のほかにさまざまな入用で必要な百両の質として弥太七が持ってきた唐絵の皿が売れそうだといいます。買い手(園右衛門なのです)は初対面で、現金の代わりに刀を質物として出したのですが、それはかなり価値のあるものでした。
亭主が玉の井を呼び出すと、憂鬱そうに玉の井が二階から降りてきます。弥太七は二階の客は何者だと詰め寄り、金は出したのだから、俺になびけ、さもないと打ち放すといって亭主が持っていた刀を抜きます。玉の井はいずれお金は返すから巴之介様と一緒にさせてほしいと頼みますが、弥太七は許さず、切り付けます。
すると二階から園右衛門が降りてきて亭主に預けた刀を勝手に抜いたのは許せないといい、弥太七の腕をねじ上げ、投げ飛ばします。隙を見て弥太七は園右衛門の腰にさきほどのいかの糸を付けますが、なおも園右衛門に投げつけられます。女たちを奥にやったあと、弥太七も後を追って逃げていきます。
園右衛門は亭主に今の男の名を尋ね、亭主は弥太七だと教えます。園右衛門は一人になって考え事をしていると、お菊が訪ねてきます。お菊は園右衛門の腰に糸が付いているのを見付け、兄だと思い、三平ともども詰め寄ります。合点のいかない園右衛門でしたが、相手が舟瀬三平と名乗ったので、自分の素性を話します。「自分は元は山名宗全の家中で、高岡才蔵国則という。主人の悪事を諌めたが容れられず、園右衛門と名乗って、柾の前様から喜代若君を預かった。その様子を伝えようと玉の井のところにやってきたのだ。そんなとき、弥太七が玉の井に乱暴するので中に入った時にこの糸を付けたに違いない」と説明します。
三平は巴之介や若君を預かってくれた園右衛門だと知って驚きます。

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こわくない 

昨日は秋分。秋晴れでした。
私は散歩や洗濯、掃除に読書など、インドアときどきアウトドアで過ごしました。
昨日は何と言っても関西の文楽ファンは

    白鷹さん

での「船弁慶」の催しに集結されました。よろしかったらそれについてもコメント宜しくお願いいたします。

このところ、怪談がらみの浄瑠璃のお話をしています。
人間はこの体を守らなあきませんからなぁ、そのために自分にとって危険なものを

    怖がる

わけでございます・・・。

ずばりそのままではないのですが、桂枝雀さんが「饅頭こわい」だったと思うのですが、そのマクラでおっしゃっていました。こわがる、おそれる、というのは人間の自己防衛本能によるものだ、というわけです。
「怖がる」のメカニズムもいろいろ説明できるのでしょうが、あまりよくは存じません。
たとえば
  真っ暗な夜道を歩く
  高いところから下をのぞく
  しかられる
  雷鳴を聴き、稲妻を見る
怖さの原因なんていくらでもありそうです。
阪神大震災は、

  恐怖という言葉を超えた感覚

でしたが、思い出すと怖かった、ということになります。
地球が壊れると思いましたから。

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播州皿屋敷(上の2) 

播州皿屋敷の上巻の続きです。

三平とお菊は仇を探しつつ、八坂の仮住まいに巴之介をかくまいながら暮らしています。
三平は巴之介に向かって「父の仇の出石平馬はこのあたりにはいないようなので近く他国へ行きましょう。今日は父の命日なので鳥辺野に骨を納めてきます」と言います。巴之介は「自分が厄介になっているため十分に探索ができないのを申し訳なく思っている。自分は捨て置いて探索し、国へ帰れ」と訴えますが、三平は家来なのだから当然のことだと答えます。巴之介が手紙を書いているのを見て三平は不審に思いますが、お菊はそれが

    傾城玉の井

への手紙だと見抜きます。
三平とお菊が鳥辺野に行ったあと、国家老の

    青山鉄山

が来ます。鉄山は清水辺りで三平と会ったと言い、巴之介を迎えに来たと伝えます。将軍家からの勘当があるため巴之介がためらっていると、自分の下屋敷に招くから安心してほしいと言うのです。しかも三平夫婦はもちろん、玉の井も一緒で構わないというのです。
そうこうしているうちに三平夫婦が玉の井の親方の岸兵衛を伴って帰ってきます。岸兵衛は巴之介に、玉の井はすでに三百両で身請けされることになっているのに巴之介が邪魔をすると苦情をいい、玉の井が借りた五十両を返せといいます。盗人呼ばわりした上、身ぐるみはぐとまで言い出した岸兵衛を鉄山が痛めつけ五十両の金を与えて追い返すのでした。

ここは壬生の楽焼屋。弥五兵衛夫婦は仲良く仕事をしながら息子の弥太七の腰の据わらないのを嘆いています。一方、娘のお菊については、かつて冷光院が壬生寺に参詣に来たとき目に留まって五つの時から奉公に出ていることを喜びつつ、最近便りが来ないのでその身を案じています。そこへ竹原藤内がやってきて、弥太七のことで詮議があるから来い、と弥五兵衛を引っ立てて行きます。
女房が心配していると、当の弥太七が来て、母に向かって言いいます。「山名宗全様が唐絵の皿をお望みと聞いたので、親父が作っていた模造品を渡して三百両せしめた。その金で玉の井という島原の遊女を請け出すことになった。ただ、一緒に暮らす場所がなくては困るので、ここに置いてほしい。それをあの親父に頼んでもらいたい。そのかわり、これからは精出して働く」と。母は驚いて、「今、山名様から詮議があると親父様を呼びに来たのはそのことだろう。大変なことになるからおまえをここには置いておけない」と言います。弥太七は「それならその詮議が済んだら返事を聞かせてくれ、夜にまた来る」といって出て行きます。

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播州皿屋敷(上の1) 

「播州皿屋敷」(「屋鋪」の字も使われます)は、上中下三巻。丸本では上巻が27帖(いまふうに言うと54ページ)、中巻が30帖(60ページ)、道行から下巻が23帖(46ページ)で、全部で80帖(160ページ)です。
ちょっとずつご紹介していきます(完全なネタバレ記事です)。

まず上巻です。
上巻とは言いながら、場面は
(1)室町御所
(2)八坂仮住まい
(3)壬生の里弥五兵衛内
に分かれます。
主な登場人物は
 冷光院(将軍足利義政の母、細川勝元の妹で巴之介の叔母)
 細川巴之介政元(細川家の若殿。将軍家から勘当を受けている)
 山名宗全(天下を狙う大名)
 竹原藤内景信(宗全の家来)
 舟瀬三平武経(細川家家老。三大夫の息子)
 お菊(弥五兵衛の娘で冷光院に出仕。三平の妻となる)
 高岡才蔵国則(仮の名は園右衛門。山名宗全の家来ながら主君に批判的)
 柾の前(山名宗全の娘。巴之介の北の方)
 喜代若(巴之介と島原の傾城玉の井の間に生まれた子)
 弥太七(弥五兵衛の息子)
 岸兵衛(住の江屋。玉の井の親方)
 青山将監鉄山(細川家の国家老。忠臣を装うが、実は主家乗っ取りをたくらむ)
 青山忠太秀成(鉄山の弟。お菊に言い寄るが嫌われる)
 弥五兵衛(楽焼屋。実は三平の父、三大夫を死に追いやった出石平馬)
 弥五兵衛女房
です。

京都の室町筋。将軍義政の母、冷光院のご隠居御所。毛鑓を持った奴がやってきます。御所の番人が見咎めて、怪しい奴だと喧嘩になります。そこに現れたのが山名宗全の家来、竹原藤内。藤内がよく見るとこの男は楽焼屋の弥太七でした。弥太七は、宗全がほしがっていた細川家重宝の唐絵の皿が手に入ったので知らせに来たというのです。この日はちょうど宗全も詰番でこの御所に来ていたため、中に入っていきます。
そこに播州姫路の城主、細川巴之介政元の北の方である柾(まさき)の前が来ます。すると門の中から武士が現れ、手紙を柾の前の乗物に投げ込みます。怪しい者かと周りが騒ぎ出すと、柾の前がとどめて七歳になる喜代若を伴って出てきます。この武士は高岡才蔵、柾の前の父親、山名宗全に意見をしたため勘当されて、今は園右衛門と名乗って嵯峨にいます。しかも将軍の勘気を受けて流浪している柾の前の夫巴之介をかくまっているのです。園右衛門がいうには、冷光院から巴之介ともども御所に来るように連絡があったので今日やってきたのだというのです。柾の前は夫と九条の傾城、玉の井との間に生まれた喜代若を養育していますが、振袖姿。これは父親の宗全の指示だといいます。今日ここで夫と会えることを喜んでいると管領山名宗全が藤内と弥太七を連れて出てきます。宗全は弥太七の手柄をほめ、かねて将軍が望んでいた唐絵の皿が手に入り、これで姫路城はわがものだと言います。また、喜代若も弥太七に殺させようと言います。弥太七は褒美の金三百両をもらった上、宗全が天下を取ったら大名にしてやるといわれ、大喜びで帰っていきます。話を聞いていた柾の前は驚き、喜代若のことを案じます。すると園右衛門が自分が預かると言って、喜代若を嵯峨に連れて行きます。

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播州皿屋敷 

「皿屋敷」というと、関東では「番町皿屋敷」かもしれませんが、関西では

    播州皿屋敷

つまり播磨国・姫路の話です。怪談としてはもちろんですが、落語でもずばり「皿屋敷」としてしばしば口演されます。
江戸落語にもありますが、私の知っている上方の形で書いておきます。

車屋敷といわれる古いお屋敷の井戸から、お菊さんという美人の幽霊が毎晩出てきて、皿の数を数えるのが評判になり、ファンができるのです。お菊さんは青山鉄山という男にはめられて、10枚ひと揃えの家宝の皿のうち1枚を抜き取られ、紛失したと責められて殺されたあげく、井戸に投げ込まれたのです。それを恨んで井戸から幽霊となって現れるのです。お菊さんが恨みを持っている「9枚」という声を聞いたら狂い死にするといわれ、「7枚」あたりでいっせいに逃げるのがルールでした。
ある夜、井戸の周りに例によって多くの人が集まっていますと、お菊の幽霊がそれへさしてズズーッ。「お菊さん、今日もしっかり頼んまっせ」と、声がかかると、お菊さんも「へえおおきに」と愛想笑いまでするようになっています。ところがお菊さんはちょっと風邪気味。それでもファンの手前、早速数え始めたのです。ところが「7枚」になって逃げようとするとあまりにも人が多いため混雑して逃げられません。そのうちにお菊さんが

  「9枚、10枚・・・・18枚」

逃げた人は立ち止まります。
「こら、お菊。おまはん何考えてんねん。皿が9枚しかないから恨めしいんやろ。それが18枚とはどういうこっちゃ! まじめにやらんかい! あほ! ぼけ! カス!」「そないポンポンポンポン言いなはんな。あんたらに言われんでもそんなこと分かってますわいな」「知ってて何で18枚も皿の数読んだんじゃ!」「今晩、風邪ひいてぃてまっしゃろ。そやから二日分読んどいて、明日の晩はお休みします」。

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初春の演目 

文楽初春公演の演目が出ました。
◆第1部
『七福神宝の入舩』
『菅原伝授手習鑑』「佐太村」
『卅三間堂棟由来』「平太郎住家より木遣り音頭」
 
◆第2部
『義経千本桜』「道行初音旅」「河連法眼館」
『壺坂観音霊験記』「土佐町松原」「沢市内より山」

ということです。「七福神」と「千本の道行」で華やかに幕を開けて、時代物の名作を見せて、奇蹟譚で幕を下ろす、ということなのでしょうか。しかも第1部は

    悲哀に満ちた

終わり方で、第2部はいかにも

    天真爛漫な

ハッピーエンドと差をつける。
カチッとした頭のよさそうな人が考える番組構成だと思います。

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2011年9月東京・楽日です 

文楽東京公演が今日、千秋楽を迎えます。なんで月曜日が千秋楽? と思ったら、

    敬老の日

なのですね、今日は。3連休の最終日だそうですが、全く知りませんでした。
この公演でも咲大夫、燕三、勘十郎らの評判は高く、演目としては「ひらかな盛衰記」が一番だったでしょうか。
ただ、噂では、夜の部に空席の目立つ日もあったとか。
演目より出演者(国宝クラス)によって客足が決まってくる傾向があるようですが、

    咲大夫座長

のほうも見逃せないと思うのですが。
咲大夫さんの最高の語りを聴いている、というのは今の文楽ファンだけの特権です。大阪の夏の「尼崎」も客席はいまひとつでしたから、もったいないです。

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催しが企画 

最近気になる言葉の中に、といってもほとんどが見出しに用いられる言葉なのですが、

    ★★という催しが企画

という表現があります。あるいは「新しいOS☆☆が発売」とか。
意味としては「★★という催しが企画された」「☆☆が発売された」ということであるのはわかりますが、とても気持ちの悪い(笑)表現なのです。
一見すると「催し」が「企画(する)」のように見えるからです。催しが何を企画するの? と一回突っ込んでからその記事を読むことにしています。
見出しは字数に厳しい制限がありますから、やむをえないのだろうとは思います。
「催しを企画」「OSを発売」にすればとりあえず納得はいきますが、そうすると誰が?ということになってきます。こういう書き方をする人は主催者ではなく催しそのものを書きたいわけですから、ずばりその催しを主語にしたいのだろうと思います。
「☆☆市役所が★★を企画」「▲▲会社が○○を発売」と書けば完璧なのでしょうが、催し名、商品名こそが重要で、会社名は後回しでいいわけです。
最近は新聞やテレビでも見るようになりましたがネットでは頻出するように思います。
先日はこんなのを見ました(yahooでみかけたものです)。

  2011年度のAFC最優秀選手賞候補に本田と乾が選出

これなどは「本田と乾を」でなんら問題ないと思うのですけどね。

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性格が出る? 

フランスの博物学者・数学者にビュフォンという人がいました。18世紀の人ですので、私はあいにく面識はない(笑)のです。この人が

    文は人なり

といったのだそうです。Le style est l' homme même. というのでしょうか? 私はフランス語はさっぱりわかりません。
文を見ているとある程度その人が見えてくる、ということがありそうですし、しかし一方、会ってみると文を読んでいた印象とまるで違ったということもあるかもしれません。

私、このところ

    ツイッター

に時折出没していますが、ツイッターの特徴は字数制限にあります。140字だそうで、この制限の中で核心をぼそりとつぶやかねばならないのです。まあ、何度もつぶやけば140字以上書けますけどね。
で、思うのですが、こういう短文の場合、特にはっきりひととなりが窺えるのではないかと。
他人様の悪口や噂話は避けたく、はっきりとは申しませんが、中には「そんな言いかたしたら嫌われるよ」というようなのもありますし、なんだか私は森羅万象知らないことはないといわんばかりのものもあります。

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夏が終わりそうです 

私の場合、文楽の

    夏休み公演

が終わってからが夏休みの始まりです。
言い換えると、私にとっては、まさに今おこなわれている9月東京公演こそが「夏休み公演」なのです。
世間はもう秋なのでしょうが、私にとってはお盆以降が夏で、ちょうどこの9月公演が終わる頃が夏休みの終わり。
よって、気分的には今が夏の終わりなのです。
台風12号が近畿地方の山間部を中心に大きな被害をもたらしました。今年は春の震災が大きすぎたために全国の人がどれほど関心を持ってみてくれているのかはわかりませんが、生命や生活を脅かされ、奪われたかたがずいぶんいらっしゃるのです。その方々にとっては東北の大震災に匹敵する災害だったわけです。
熊野や吉野の方面の被害も気になっています。いわゆる世界遺産の

    紀伊山地の霊場と参詣道

のあたりです。
台風のあとまた日中は気温が上がり、また南の海上には別の台風も発生しているようです。
海外に行くと、一生のうちに一度も地震に遭わない人もあるでしょうし、自然災害の意味をさほど深く実感できない方も少なくないのだろうと想像します。
日本はほんとうに自然災害の多いところです。

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辞めていく大臣 付640,000 

また大臣が辞めていきました。
明らかに許せないことを言ったり行動したりする人物はさすがに辞めてもらいたいと思いますが、時として大きな疑問を抱くこともあります。
今回はまさにそういう辞任劇でした。
あの大臣の発言が幼稚だとか、不適切だとか、福島県民の気持ちを理解していないとか、そういうことをマスコミは言うわけです。
それは

    記事のネタ

としては面白いでしょう。自分の記事で大臣が辞任した、という「記者冥利」もあるのでしょうか?
「死の町」と言ったのは大臣であると同時にマスコミであるとはいえないのか?
あるいは言ったのは大臣で、意味づけしたのがマスコミであると。
私はあの大臣のことを人間としてどういう人なのかは知りませんから味方もしないし敵対もしません。
ただ、福島県民の気持ちを理解していないと決め付けることは

    身勝手な解釈

だとしか思っていません。
しばしば記事の中に「与党の★★氏がこういった。野党の批判を受けそうだ」「進退問題に発展しかねない」という書き方があります。私は批判しませんよ、でも、批判したいから野党さんに任せますよ、という逃げ腰、責任回避。

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すばらしき相棒 

文楽に付いて書かせていただくようになって11年余り。そのうち、一人で担当したのが8年ほど。
決められた字数の中に、ある程度約束事を腹に入れておいて、しかし思い切った発言もいとわない、なかなか厄介な仕事です。嫌われるようなことも書き、逆批評されることも覚悟、今回はつまらないから1回しか行かない、なんてこともできません。
お金になる仕事ではなく、チケットも自腹です(笑)。
それにしても、このあいだにいろんなことがあって、ずっとよたよたしてきたことは否定できません。
掲載雑誌ののお荷物と言われているのではないかと思わないことはなかったのです。
ところが、天の配剤なのか生国魂さんの浄瑠璃神社の神様あたりの配剤なのかは知りませんが、せめて

    誰かと一緒に

書きなさいということになって、相棒を得たわけです。
今が二人目になります。
このかたは大変謙虚なので、なかなか一人で担当する、任せろ、と言ってくれません。
実を言うと、私も最初お願いしたときはいささか不安もあったのです。しばらくご一緒させていただくほうが、この方にもプラスになるかもしれないと、まあ

    うぬぼれ

なのですが、そう思っていたわけです。

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京の和泉式部(2) 

こういう記事は、興味のない方が多いと思います(笑)。ごめんなさい。覚書として残しておきたいので。
和泉式部の実家がどの辺りにあったのかはよくわかりませんが、宮仕えをした一条天皇中宮彰子のいたのは一条院と呼ばれる邸宅で、一条天皇はここを長らく御所としたのでした。今はもう何も残っていませんが、一条戻り橋(堀川に架かる)や安部晴明神社は割合に近いのです。

安倍晴明神社
↑安倍晴明神社

一条戻り橋
↑一条戻り橋

和泉式部がまだ幼い頃に仕えていた可能性のある人が冷泉天皇の皇后であった昌子内親王(朱雀天皇皇女)です。彼女の邸は三条坊門(御池)北、高倉通り東(中京区扇屋町)にあったようです。在原業平の邸があったところ(御池南、高倉西。ホテルギンモンドあたり)とも近いのです。
この内親王は仏教に深く帰依した人で、後年岩倉の大雲寺(左京区岩倉上蔵町)に観音院を建てています。この大雲寺の西に岩坐神社があり、その神社の西に昌子内親王の陵墓があります。実相院のすぐ近くです。

大雲寺(岩倉)
↑大雲寺

昌子内親王陵(石坐神社西側)2
↑昌子内親王岩倉陵

岩倉はずいぶん田舎で、いい雰囲気があります。岩倉というと、私は実相院より

    円通寺

を一番に思い出します(京都市左京区岩倉幡枝町)。申すまでもなく借景の見事な庭園を持つ寺院です。初めてここに行ったとき、「ああっ」と声を挙げなるくらい、「借景とは何か」ということを瞬時に呑み込めたような気になりました。辞書的な説明はもはや要らないとさえ思いました。

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情報ナシ 

新聞の休刊日は昔に比べると随分増えました。
もう慣れてしまって、さほど不自由だとは思いません。
広島にいたとき、全国紙は朝刊だけでした。あちらには中国新聞という大きな新聞社があるので、ほとんどの人はそれを購読していたように思います。私はその新聞は職場で読むようにして、自宅では全国紙だけを買っていました。情報も遅くて、野球のナイターなんて終了時間が遅れると翌日の朝刊には

    試合結果が出ない

のです。「8回の表まで4-3で広島カープがリードしています」で終わり。
結果はその翌日の朝刊(つまり試合の2日後)に出るという、まことにのんびりした話です。

先週の木曜日に職場に行ったのですが、そのとき携帯電話を忘れてきました。帰り道で気が付いたのですが、もういいやという気持ちでそのまま帰りました。
金曜は行かなかったので、結局木曜の夜から今日まで携帯ナシということになりました。
そんなもの何てことはないはずなのですが、やはりかなり

    不自由

を感じました。
まず、メールが来ても分からない。PCに入るメールも携帯に転送していますので、いちいちPCを開かないとそれもわからない。ブログにコメントをいただいてもすぐには分からない。ツイッターもめったに見ない。あの、掌に入る小さな道具がいかに多くの情報をもたらしてくれるのかをしみじみ感じました。
特にツイッターはどんどんつぶやきがたまりますので、しばらく読まないと完全に取り残された気になります(笑)。

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京の和泉式部(1) 

さまざまな出生伝説はあるものの、和泉式部は京の人です。

私もこれまでに何度も京都にある彼女のゆかりの地を訪ねてきました。
京都に行くとしょっちゅう立ち寄るのが新京極の

    誠心院 (じょうしんいん、せいしんいん)

です。いつ行っても修学旅行生がたむろしている、あのあたりです。地名としては中京区裏寺町、地図には「誠心院」ではなく、「東北寺」として載っているかもしれません(写真は夜撮ったものですので、暗くてすみません。供養塔なんてちょっと不気味かもしれません)。

誠心院
↑誠心院

誠心院和泉式部供養塔
↑和泉式部供養党(誠心院)

誠心院軒端の梅
↑軒端の梅(誠心院)

ここには彼女の供養塔とされる14世紀の宝篋印塔があり、3月21日には和泉式部忌の催しもあります。この日には寺の持ついろいろな資料を観ることもできます。
昔、この塔は見にくかったので、地元でも知らない人がありましたが、今はわかりやすくなっています。彼女が植えたという軒端の梅というのがこの寺にありますが、どういうわけか「和泉式部の軒端の梅」は嵯峨清涼寺にもあり、東北院にもあります。
東北院というのは藤原道長が建てた法成寺(現在は存在せず、荒神通の京都府立鴨沂高校の北側に法成寺址の石碑がある)の一角に、道長の死後に建てられたものです。
元禄時代に移転して、今は左京区吉田神楽岡町、というよりも真如堂の北西すぐのところにあります。

法成寺跡の碑(荒神通 鴨沂高校壁)
↑法成寺跡の碑

東北院軒端の梅
↑東北院軒端の梅

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東北の和泉式部 

和泉式部の伝承は東北地方にも多いのです。
東北というと、あの

    小野小町

にも伝承があります。小町は秋田県湯沢市がその出生の地だといわれ、当地には今もゆかりの地とされるところがたくさんあるのです。
といっても、市の中心部ではありません。JR奥羽線「横堀駅」近く(湯沢市小野)にそれらは集まっています。
たとえば、「小町塚」(小町堂)、母の墓という「姥子石」、産湯の井戸があるという「桐の木田城跡」、小町自作(!)の小町像(木像)がある「向野寺」、小町が顔を洗った(笑)小町泉のある「磯前神社」、深草少将が百夜通いをしたときの住居で、少将の碑もある「長鮮寺跡」、小町が晩年を送った「岩屋洞」、あるいは、「お返事(おっぺち)」というところがあるのですが、これは深草少将が小町からのお返事を待っていたことに由来するのだとか。
すさまじい、といいたくなりますね。
秋田新幹線の列車名は「こまち」、お米は「あきたこまち」。
また、山形県米沢市にある小野川温泉は小野小町が開湯したという伝承があり、ここにも小町観音という小さな観音堂があります。米沢は直江山城だけではないのです。小野川温泉観光協議会のHPによれば、この温泉は小野小町が「834年(承和三年)、病の父を見舞うため、京の都から出羽の国へ向かう途中、薬師如来のお告げがあり、発見した」ということです。年代的には合わないですが、うるさくは言わないでおきましょう。
この温泉は「美人の湯」として知られ、

  美肌成分「メタケイ酸」

が多く含まれるのだそうですよ。
とまぁ、小町についていろいろ書いてしまいました。
小町が日本海側にゆかりが深いとすれば、和泉式部はむしろ東北地方の東側です。
岩手県では、JR北上線の立川目駅から南東へ1kmほどのところ(北上市和賀町竪川目)に和泉式部の墓なるものがあります。岩手県は広くて位置のイメージが掴みにくいのですが、盛岡の南40kmくらいのところです。小野小町の秋田・湯沢からも直線距離では50kmくらいでしょう。

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和泉式部の出身地 

必要があって、平安時代の歌人として有名な

    和泉式部

のことをあれこれ調べています。
この当時の人(特に女性)は、詳しい伝記が分からないのが普通。
誕生日なんてまず分かりませんし(皇室クラスになると分かる可能性はかなり高まりますが)、生年だってきわめて不確かです。あの紫式部や清少納言でさえいつ生まれたのかは不明です。
和泉式部については、さまざまな傍証史料から970年代の後半、977年とか978年とか、そのあたりに生まれたのではないかという説が有力です。
彼女は大江氏の出身で、大江氏といえば菅原氏と並んで学問の家柄として知られています。大江匡衡、匡房などという人たちを輩出した一族です。
彼女のお父さんは中流貴族というか、受領階級でした。要するに国司クラスですね。実際お父さんは越前守などになっています。中央官僚としては木工頭(もくのかみ)や太皇太后宮大進なども。家柄から考えて、学問はさせられたでしょうね。
和泉式部は全国に伝承の多く見られる人で、

    柳田国男

が「女性と民間伝承」などに詳しく書いています。
出生地はここだと伝えられるところだけでも7か所はあると言われ、京の都はもちろん(事実としてはここでしょう)、今の県名で言うと、岩手県、福島県、愛知県、鳥取県、佐賀県などに出生伝承があります。
佐賀県の伝承はこんな話です。

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体調が…… 

一日があっという間に過ぎてしまい、仕事ははかどるものの、ゆとりのない日々です。授業の予習はまたまた自転車操業になるのでしょうか?

    文楽東京公演

はまもなく1週間になりますが、行けないのでしょうか?
なにしろ暇がありません。いや、暇はなんとか作り出せても旅費がありません。秋風が身にしみるのです。
平安時代の歌人はしばしば身の不遇を歎く歌を詠みました。時には和歌や漢詩で官職を得ようと腐心したようです。文才のある人はまだよいのですが、ない人は不遇を歎くことすらできなかったのですね。
紫式部の父親の

    藤原為時

は漢詩が得意で、自分は苦労して勉強してきたのに職に恵まれないと訴えたところ、越前守になったという説話が伝わります。越前は京の都から近く、大国で、収入もよかったのです。
嗚呼、わたしゃ、もすこし文才が欲しい(笑)。

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ラヴレター 

学生時代から手紙魔でした。当時はパソコンで手紙を書くなどということはまだ普通ではありませんでしたので、すべて手書き。便箋とペンを私に持たせたらいくらでも書きました。
今でも手紙はまったく苦になりません。
芸は身を助くというか、学生に手紙の書き方などを教えるときにとても役立っています。
学生はまず手紙を書きません。書くとしても

    古式に則った(笑)

書き方は苦手なようです。
古式といっても、候文で書くわけではありませんが。
ラヴレターも得意でした。いやこればっかりはこちらが得意がっているだけで、相手には大迷惑。好きでもない人間から手紙が来ても困るでしょうね。あるとき、ついつい長い手紙を書いてしまい、それを封筒に入れて送ったら重量超過で返ってきたことがありました(笑)。
文楽でもラヴレターはあります。

    桂川連理柵

の「帯屋」の段で披露される手紙があります。儀兵衛が「とぶぞ、とぶぞ」などととんでもない読み方をしてしまいます。石坂洋次郎なら書き間違いで「変しい変しい」ということになるのでしょうが、文楽では読み間違いですね。

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高齢の太夫さん 

源大夫さんが昨日上演中に床を降りられたとか。
織大夫時代からのファンとしては心配で仕方がありません。
四月の襲名披露で休まれたのは手術直後ということでしたが、その後も不安はぬぐえないままです。
どういう状態でいらっしゃるのかまったく存じませんが、ただただ無理をなさらないようにお願いしたいのです。
切語りはなかな休めないだろうと思いますし、しかし不十分な語りをすることも許されず、大変なことだろうと思います。
文楽の太夫さんは史上最高の

    高齢化

社会になっています。もちろん長らくお元気で活躍してくださるに越したことはないのですが、なかなかそうも行かないのが悲しいところです。それにしても、
  住大夫  大正13年
  源大夫  昭和7年
  嶋大夫  昭和7年
というお三方はほんとうにお元気で長らくおつとめになってきました。なにしろ住師匠が現在86歳、この秋には87歳になられるわけで、なんとなく源師匠や嶋師匠はまだお若いような錯覚をしてしまいます。
私が文楽を見始めた頃など、越路師匠が60代で最高齢、津太夫師匠、南部師匠が続き、4番目の切語りになられた住(当時文字大夫)師匠はまだ50代の若さでした。

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アウトレット 

兵庫県宝塚市というのは阪神間の平野部のもっとも北の端。宝塚市は面積は広いのですが、平野部が少ないため、人口は20万人くらいです。山手のほうにニュータウンもできていますが、それどころではない(笑)もっと山奥があって、ここには天体観測所などもある、ほんとうに奥深いところなのです。
この町の北に

    兵庫県三田市

という町があります。「三田」はしばしば「みた」と読まれるのですが、「さんだ」が正解です。私の知っている人で東京都港区の三田(みた)にある慶應義塾大学を出て兵庫県三田(さんだ)に住んでいた人がいました(それがどうしたって感じですけど)。
農業も盛んですし、但馬牛系の三田牛なども飼われています。つまり、かなり山の中です。
その三田市の一歩手前は、なんと神戸市北区なのです。神戸もまた広い町なのですが、それにしてもこんなところまで市域が広がっているのかとびっくりします。
必要があって、昨日この神戸市北区にあるという

    アウトレット

に行ってきました。

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歴史小説 

歴史や文学が好きなのに、必ずしも歴史小説をよく読んでいるとは言えません。テレビで親が大河ドラマを観るのにつきあっていましたが、原作まではたどりつかないままでした。特に、戦国時代が苦手で、大河ドラマでも実は今ひとつ興味が沸きませんでした。むしろ元禄時代とか源平時代とか、そっちのほうが好きでした。
信長も秀吉も家康も人間としてさほど好きではなく、戦国武将としては

    細川藤孝(幽斎)

くらいしか気になる人物はいないのです。しかもこの人も大名としてではなく、文人として気になるのです。彼は二条流の歌人であり、三条西実枝から古今伝授(師から古今和歌集の講義を受けてきちんとそれを受け伝えたことを認められること)も受けた文化人でした。伊勢物語の立派な注釈までものした人でもあります。ついでながら、熊本の水前寺に智仁親王(後陽成天皇皇子)が幽斎から古今伝授を受けた「古今伝授の間」が移築されており、私も以前見に行ったことがあります。
そんなわけで、文楽を観るようになっても、今ひとつ戦国大名の名前や人間関係がわからないのです。
でも、知らないでは済まないなと思うようになり、専門書を読むのは根性がないので(笑)、やっと歴史小説に目を向けるようになったのでした。やはり吉川英治、山岡荘八らとともに

    司馬遼太郎

さんあたりから読み始めたのでした。司馬さんは幕末ものもいいですし、源平もありますね。

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今日から東京 

早いものです。今日から秋の公演が始まります。
この公演は、国立劇場開場45周年記念だそうで、幕開け(電力消費ピーク時の節電のため開演は10:30)は

    寿式三番叟

です。「天下泰平 国土安穏」とあるのは、あるいは震災を意識してのことなのでしょうか。
翁を住師匠が語り、簑助師匠が遣われ、千歳はそれぞれのお弟子さん(文字久さんと勘十郎さん)が担当されるということです。
簑助師匠は次の「伽羅先代萩」で八汐も持たれますね。むしろこちらが楽しみかも。床は嶋師匠が出られます。
昼の部の最後は「近頃河原の達引」で、与次郎は勘十郎さん、おしゅんに簑二郎さんと勘弥さんのダブルキャスト、伝兵衛は最近好調の文司さん。床に源大夫師匠。
昼の部に切語りのうちのお三方、人形の国宝お二人、三味線では寛治師匠、とベテランが集まっています。

夜の部は4時30分開演で

  ひらかな盛衰記

の「大津宿屋」「笹引」「松右衛門内より逆櫓」。こちらは咲師匠、清治師匠を筆頭に、中堅が活躍。
私など「笹引」というとつい文雀師匠を思い出してしまいますが、今回は和生さん。
樋口の玉女さん、権四郎の玉也さん、およしの簑二郎さん、勘弥さんなど人形も世代交代です。
そして「紅葉狩」は英大夫さん、清介さん、清十郎さんら。

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皮膚感覚 

教員として、学生に伝えたいことはいろいろあります。
ただ、私のような不自由な身の上の者にはできないことがあります。丁々発止のやりとりというか、真剣な議論というか。ソレはかなり困難だと思います。何と言っても、学生の意見を本当の意味で聞いてやることができないのは致命的です。
しかし、同時に私のような者でなければわからないこともあるのです。少なくとも私はあると思っているのです。だから今でも学生と付き合う仕事をいくらかさせてもらっているわけです。
学校をmanageする立場からすると

    厄介者

なのだろうとは思うのですが、学生にはこういう教員が一人くらいいてもいい、と私は本気で思っています。だからまだ完全にリタイアはしないのです。しつこく粘っているのです。前の総理大臣以上の粘り(笑)です。
私の教員としての夢は、もうそれは叶わないと思うのですが、

    教育者教育

だったのです。教育者を育てることです。これは学生時代から思っていたことで、まず自分が教員となるに足る学問や話術、文章力、人格などを磨いて、その上で次の世代を育てる教員を育てる。
学者を育てたいという考えでこの仕事をしている人もあるのですが、私の場合はやはり教育者を育てたかったのでした。

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9月です 

私が改まっていうこともありませんが、今日から9月になります。
秋はいろいろ楽しみがあります。
文楽は東京公演から地方を経て晩秋は大阪本公演。
美術展はまずまだ行っていない京都市美術館の

    フェルメールからのラブレター展

があります。タイトルにいろいろ工夫されるようになりましたね。
京都市美では「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」も。東京の西洋美術館は、10月22日からですが、「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」、名古屋市の徳川美術館では11月12日から12月11日にかけて源氏物語絵巻・柏木(三)・宿木(一)が前半に、横笛・東屋(二)が後半に。
ほかにもまた探したいと思います。

涼しくなって食欲も出てきそうです(夏でも旺盛だった方も少なくないでしょうが)。
私は

    

が大好き。果物の中では最高です。
あのさくさくとした歯ざわり、水の喜び、甘くて少しすっぱい味、いいものです。
送ってくださっても拒否しません(笑)。

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