忘れてた! 

私は締め切りに遅れるのがいやで、何か書いた場合はとにかく締め切り厳守で送るようにしています。
もっとも、書類関係、これはもう大の苦手ですが、こういうものはしばしば忘れてしまって、締め切りになってから「出してください」と言われることがしばしばです。
やはり書きたいものと書きたくない(?)ものではわれながらかなり深層心理として

    差別

をしているようです。
このブログの記事はかなり先まで書いておいて、必要に応じて急に書きたくなったことを挟み込んでいくという形を取っています。
ですから、2月25日あたりで言いますと、26,27,28日、3月1,2,3,4、・・・日くらいは寝ていても新たな記事が更新されていくはずだったのです。ところがうっかりしていました。
2月に

    29日

がありました!
今年は閏年、ロンドンオリンピックの年、まったく頭になく、ぽんと1日飛んでいました。
この日があると1日得をしたような気になりますか? 損をした気になりますか?
私はなんとなくもうかったような、しかしいっそさっさと3月になってほしかったような気がしています。

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傾城阿波の鳴門(第二の2) 

京の町人の

    藤屋伊左衛門

が、吉原で衛門之助の名前を騙った者のことで話があるというのです。
出た! あの、夕霧・伊左衛門の色男です。もっとも、この初、二、十段あたりでは、なかなか男気のある勇ましさすら兼ね備えた人物として描かれています。
伊左衛門は阿波侯出入りの者で主膳もかねて顔見知りです。主膳が事情を問うと、伊左衛門は殿の名を騙った大罪人は自分だと言うのです。
小野田郡兵衛にとっては偽物が現れては困りますので、家来の佐渡平を呼んで伊左衛門を引っ立てようとします。伊左衛門は佐渡平の顔を見てびっくり。佐渡平もまた驚きます。
佐渡平こそは団八とぐるになって衛門之助(実は伊左衛門)を殺そうとした、あの

  太鼓持ちの佐渡七

だったのです。
佐渡平はそれを頑なに否定して伊左衛門を連れていこうとしますが、主膳は許さず、口答えする佐渡平に煙草盆の火入れを投げつけ、十郎兵衛が郡兵衛から受けた仕打ちの仕返しをします。
郡兵衛もとりあえずこの場は佐渡平を去らせます。
主膳は改めて伊左衛門に事情を聞きますが、伊左衛門は「高尾を見初めたものの、町人風情では望みも叶わず、大名のふりをしてしまいました。どうぞ成敗して下さい」と答えるばかりです。
郡兵衛は早速首を刎ねると息巻きますが、主膳は伊左衛門に念仏を唱えさせたいと取り繕い、郡兵衛を奥に行かせます。

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プライド 

失いたくないもののひとつにプライドがあるのですが、同時にもう捨ててしまおうという気にもなります。
もっとも、プライドの正体というのは自分でもあまりよくわからないので、いくらか考えてみました。
平安時代文学の研究者としては何もたいした業績は挙げておらず、これについてはそもそもプライドというほどのものは持っていません。
むしろ教育者として、あるいは歴史や文学の愉しみを伝える

    使徒

としていくらかのプライドがあったかもしれません。使徒というのは文字通り派遣された者ということでしょうから、誰かが派遣したのですね。その主体は、これはもう

  先祖から受け継いだ血

としか言いようがありません。その意味ではたとえば The Apostles がキリストにプライドを持っていた(だろうと思うのです)のと同じように、私も先祖にプライドがあることになるかもしれません。
とにかくこればっかりは文字通りのミッションですね。
ちなみに私の家計は火の車、じゃなくて、私の家系は教員が多いのです。特に父方はその系統で、私の長男まで教育者になると言っています。ただ、私は父方の親戚とはあまり交流がなく(父が養子に出たため)、父がビジネスマンだったこともあって、教育者系だというのは自分が仕事をするようになってから知ったのです。こりゃ、やっぱり血だ。

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韓国料理 

食べることは嫌いではありませんが、食べるものについての知識はまったくありません。
料理の名前なんて全然わからないのです。
豆腐が入っていたな、とか、肉料理だったな、とか(笑)、その程度のことしかわかりません。
味もわかっておらず、おいしい、うまい、美味、それだけ。まずいという言葉は私の辞書にはありません。
料理でエッセイを書けと言われたら絶対に無理。
先日、学生さん、卒業生さんと一緒に

    韓国料理

の店に行きました。しかし名前はさっぱりわかりません。私は韓国語がわからない、料理もわからない、ゆえに私は韓国料理の名前はわからない、という三段論法。ソクラテスは死すべきである、より簡単ですね。
それでも、プルコギとかピビンバプとかチヂミとかスンドゥブとか、まあなんとなく聞いたことはあります(笑)。そんな有様ですから、今回は「フォ」はベトナムで「フェ」は韓国か、と妙に納得したりしたくらいです(笑)。
で、まずはキムチ、メインにはホルモンチョンゴル、その他チヂミ、プルコギ、海鮮春巻、豚のタレ焼き(チシャ包み)などをいただいたのです。
感想は、やはり

    おいしい

これしか知らないのです(笑)。

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新作文楽に思うこと(2) 

文楽劇場と東京の国立劇場では、演目の立て方に関して、比較的東京のほうが冒険しやすいように思います。
最近かげりが見えるとはいえ、関東圏の人口を考えると、お客さんが3割しか入らないということは当面考えられず、

    意欲的な試み

として新作も出しやすいかもしれません。文楽劇場は東京の1.4倍近いキャパがあり、公演日数もやはり1.4倍近く、そのわりに関西圏の人口は関東圏よりはるかに少ないですから、下手をすると閑古鳥が

    カラッポカラッポ

と鳴きます(聴いたことはありませんが)。
当たるか外れるかわからないものを上演するのは危険を伴い、しかも浄瑠璃作者という人が事実上存在しない現代にあって、安易に委嘱もできないかもしれません。
予算の範囲内で、はたして可能か否か。新作に予算を費やすなら他になすべきことがあるのか。
こういうときこそ文楽を守ると宣言された市長の出番かもしれません。
守るためにはお金も出さねばなりません。文楽協会を守るために出すのはごめんだとおっしゃいますが、その分しっかりと企画制作宣伝などにお金を出されてはいかがでしょうか。まさか口では守るといってお金を出さないわけではないでしょう。

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忠臣講釈の勘平 

『太平記忠臣講釈』にも早野勘平は出てきます。
彼は京・白川で石屋の手伝いに来たのが縁で、その家で五郎太と名乗って石鑿をふるっています。
母のお礼が、兵法初心の稽古、五郎太といい仲の娘のお組が琴の指南をしている家です。
このお組は吃音に苦しみながらも筆談しながら五郎太とやりとりしています。五郎太は百両という大枚の金をお組から借りています。
お礼はお組を武道に達者な者にやると決めていて、その希望者が二人来ます。しかし、五郎太とちょっとした揉め事を起こし、その様子を見たお礼は「五郎太こそ婿」と判定します。
しかし、かつて喧嘩をして人を手に掛けながら殿の慈悲で放逐で済まされた経験を持つ五郎太こと勘平は、何とか仇討ちに加わりたく、正式の夫婦になるやいなやお組に

    暇乞い

をします。ところがそこにお礼が現れ、婿となったからにはわが夫の仇を討ってほしいと頼みます。彼女の夫の名は斧九太夫、そして仇とは

    大星由良之助

だというのです。
九太夫はこの作品の冒頭では忠臣のように描かれ、むしろ大星はぐうたら家老。お礼は夫が師直に通じていることを知らなかったのですね。

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新作文楽に思うこと(1) 

このところ、「文楽」の文字をしばしば新聞で見かけます。
犯人(?)の一人は大阪の市長でしょう。あの世代のインテリを自認する人にはよくありますが、独善的で、挑発的な言葉をかけるのが好きな人なので、新聞記者さんも面白がって常に彼の声に聞き耳を立てているようです。
それはそれとして、もうひとつ話題になったのは、超有名劇作家の三谷幸喜さんがついに

    文楽の新作

に筆を染めたというニュースでした。
明るい話題というか、多くの人、それも若い世代の人が文楽に注目するきっかけを作ってくださったことはありがたいことだと思います。

これまでにも文楽の新作はずいぶん試みられてきたのでした。
どんな名作もそもそもはすべてが新作。最初から再演ということはありえません。
ところがそれらが古典化して繰り返し上演され、今度は目新しさよりも、旧作をどのように磨き、演じていくかというところに興味が集中していきます。
技芸が複雑になり、よくいえば芸術的に高められていった結果、文楽は作品そのものと共に、芸を見せる(聴かせる)要素が強まったことになるのでしょうか。
こうなると逆に新作が

    邪魔になってくる

というか、不要にさえなってくるのではなかったのでしょうか。

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平然と 

先日の落ち込みの根本的な原因は、私が安易に

    人を信じる

ことにありそうです。もういいかげんに世の中の闇というかでたらめさを学習しろよ、と言われたようで、今さらながらいい勉強をしました。
これまでにも、何度も

    平然と

嘘をついたり、人を騙したり、いいかげんな処置をしたりする人は見てきました。
学生の中にも、出席が疎かになるとすぐにおじいさん、おばあさんの「忌引届」を持って来るのがいました。笑いごとではないかもしれませんが、そのおばあさん、何度甦るの? というつわものもありました。
明らかに嘘だとわかった場合は、滔々と説教をして、時には泣かせて、その上で授業に出席したことにして届は受け取らないようにしたりもしました(ルール違反ですが、時効ということで)。

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傾城阿波の鳴門(第二の1) 

阿波城主玉木衛門之助譜代の武士、桜井主膳の江戸屋敷です。
妻の関の戸が出てきます。取次ぎの腰元が、以前お屋敷に勤めていた

  中間(ちゅうげん)の十郎兵衛

が来ていると告げます。
関の戸が十郎兵衛を呼ぶと、みすぼらしくうずくまる彼の姿がありました。十郎兵衛は主膳から厚恩を受けながら、酒ゆえに過って国家老小野田郡兵衛の家来と口論し、手傷まで負わせた過去がありました。それで勘当を受けて六年前に追放されていたのです。
彼には

    お弓

という妻と娘がありますが、この子は国許の母親に預けています。主膳の赦しをもらうまでは国に帰ることもできず、こうして奥方のお情けを頼みにやってきたというのです。そこに主膳が帰宅するとの知らせがあり、十郎兵衛はいったんその場を下がります。
主膳が戻りますが、飲みなれない酒で足もとがふらついています。さかんに戯言を言う主膳を関の戸があしらっていると、国家老の小野田郡兵衛の到来が告げられます。千鳥足の主膳がいったん奥へ入った後、郡兵衛が入ってきます。主膳の姿が見えない事に嫌味を言う郡兵衛ですが、そこに主膳が裃を改めて現れます。
郡兵衛は、東に下ったのは主膳に話があるからだと言い、とりあえず酒肴を用意するという主膳に対して、「酒の肴にそなたが腹を切れ」と言います。

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'12東京2月公演千秋楽 

寒かった2月の東京公演でしたが、今日千秋楽を迎えます。
皆様お疲れさまでございました。
源大夫師の休演や「すしや」で弥助さんが転ばれるというアクシデントもあったようですが、今日ゴールインされることはめでたしとすべきでしょう。
噂では、夜の第三部でけっこう

    空席

があったとのこと。第一部も連日満席とはいかず、東京での文楽人気に変化があるのでしょうか。
演目に関しては名作や話題になりそうな作を取り揃えるやり方。初春の大阪もそうでしたが、こういうのは、たしかに今回はそれでよいのですが、先を見ると行き詰まってしまわないかと不安にもなります。
三味線、人形に比べ、太夫は超ベテランと若手が目立つ配置。これはまったく好ましくないと私は考えています。
見識が無いと言われるのがオチですが、今の状況なら少なくとも英さん、できれば津駒さんも

    切語り

に昇格してもらって、6人で切場を回すくらいにしないと持たないのではないか。
英さん、4月には65歳になられますよ。

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淡島千景さん 

『和田合戦女舞鶴』の冒頭を読んだ時、「実朝」「和歌」「みちのく」などが話題になっていましたので、やはり実朝の「世の中は常にもがもな渚漕ぐ海士の小舟の綱手悲しも」の歌を思い出しました。すると「綱手」という人物が出てきましたので匂いました。何かありそうだ、と。
しかし、四段目でこの和歌の成立のエピソードにもっていくとは、さすがは江戸時代、さすがは浄瑠璃作者だと感心しました。
日本で最も広く愛されるアンソロジーは「万葉集」でも「古今集」でもなく、

    百人一首

なのですね。

16日に女優の淡島千景さんが亡くなりました。東京生まれで、宝塚歌劇団に入られ、娘役トップに。その後、映画からテレビ、舞台でも大活躍されたことについてはもはや贅言を要することはないでしょう。
ひとつ思い出すなら、小津安二郎監督の

    麦秋

で、結婚を決意して秋田に行くという親友の間宮紀子(原節子)に向かって「(秋田では)モンペはくのよ」と言ったかと思うと秋田弁をペラペラペラ。屈託のない、しかし友を思うとても印象的な若い女性像でした。

淡島千景というお名前は百人一首の「淡路島通ふ千鳥のなく声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」(源兼昌)から取られたようです。「天津乙女」とか「霧立のぼる」などと同様ですね。

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この1週間は・・・ 

かなり鬱陶しい内容の記事になります。「そんなのはお断り」とおっしゃる方はこれにてお帰りいただくほうがよろしいかと。m(__)m

私はいつもこのブログの記事をかなり先の分まで書いています。
ですから、しばらく新しいことを書かなくても毎日更新されていきます。
この1週間はそんな感じで、貯めていたものを吐き出していました。
コメントへの

    お返事

だけは何とか書きましたが。

実は、久しぶりにドーンと落ち込んでいました。不眠と食欲不振に悩み、肺炎でもインフルエンザでも風邪でもないのに38度近い熱を出し、ほとんど寝たきりでした。結局はいわゆる病気ではなく、ストレスに負けただけのことです(これも病気か・・・)。

あるいは同じような状況の方もいらっしゃるかもしれませんが、もう何年もの間、世の中の冷たい不景気風に晒されてきました。
そして、4月からの新年度は、冬の北陸の吹きっさらしの中に放り込まれるかのような生活になることを宣告されました(シベリアやアラスカとまでは言いませんが)。
今年度並の収入でも、赤字生活に限界が近づきつつありますが、さらに寒風吹きすさび、年収にすると、

  新卒サラリーマン

以下の収入しか見込めません。
それで頭を抱えてしまって(←これが熱の原因でしょうね)、このていたらく、というわけです。

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広くてすてきな 

長女が演劇に興味を持った責任(?)は私にもあります。
幼稚園の頃から文楽の夏休みの公演には連れて行っていましたし、彼女が小学生の頃から私は文楽評の仕事をさせてもらいましたし。文楽の技芸員さんが家に来られたことも何度かあり、芸能や演劇にいくらか興味を抱かせたかもしれません。
小学生の頃、中学生になったら演劇部に入る、と言い出しましたが、私はまだ半信半疑で、仮に入っても長続きするかどうかと思っていました。
そんな私と彼女の決定的な思い出になったのは中学一年生のとき(2005年6月)に神戸の新オリエンタル劇場に連れて行った

  演劇集団キャラメルボックス

の公演でした。演劇部の中にこもらずに、いろいろな芝居を観る必要があると思って連れて行ったのですが、もうひとつの目的はこの劇団が取り入れている聴覚障害者へのサービスを体験することでした。私はまだ聞こえていましたが、いくらか不自由で、小さな声は無理、という状態でした。
キャラメルボックスは再演作品に関して、

    パソコンの画面

にすべてのせりふを映し出すサービスや事前に依頼すれば台本を見せてくれるサービスをしていました。
その両方を体験しておきたかったのです。このときの体験はそのあと朝日新聞に書き、それを読んだNHKのディレクターさんがテレビ出演の話を持ってきたのでした。そういう意味でも思い出に残る経験でした。

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傾城阿波の鳴門(第一) 

明和五年(1768)六月一日、大坂竹本座で、近松半二、八民平七ほかの作になる

    傾城阿波の鳴門

が初演されました。
おなじみの「巡礼歌」(八段目)は竹本島太夫が初演、十郎兵衛の人形は豊松弥三郎、お弓は沢竹吉郎兵衛、伊左衛門(衛門之助)は豊松元五郎、夕霧は豊松重五郎だったそうです。
近松門左衛門の「夕霧阿波の鳴門」の「吉田屋」は六段目に取り込まれ、大近松の威光を借りて、当時必ずしも盛況ではなかった芝居小屋の状況を何とか打開せんとする意図があったようです。演劇としてそれが成功だったかどうかはともかく。
十郎兵衛は実在の人物ですが、芝居の世界では海賊と伝えられる、実悪の役どころ。この作品のような盗賊実は忠義者という設定は例外的だそうです。ちなみに、実在の十郎兵衛が磔に処せられたのは元禄十一年(1698)のことだったそうです。

これまで私も全体を通読したことがありませんので、のらりくらりと読んでみました。読むだけならどなたにもご迷惑にはなりませんが、またここに断続的にあらすじを書き連ねようと思います。まあ、これもお読みにならなければいいだけの話ですから、ご迷惑にはならないかな(笑)。
誤読(意味の取り違え)もあるはずですが、そこは「専門家の仕事ではないから」と予めの逃げ口上。とうざい、とうざい。


第一(初段)は

    江戸吉原

の巴屋でのことです。
竹林の七賢を気取って飲めや歌えの大騒ぎをするのは、阿波の大名客

    玉木衛門之助

と末社(とりまき)たち。
傾城高尾(高雄)は自らが書いた手紙をからかわれて痴話喧嘩の様相。それも収まり、奥座敷で飲み直しです。そこにこわもての男が入り込み、「高尾を貰おう」と腕まくりをします。
衛門之助は「そちらに遣わしてやりたいが、高尾はすでに身請けも済んで今夜私の屋敷に連れ帰るから」と断ります。
団八というこのならずものは、なおも食い下がり喧嘩をしかけますが、太鼓持ちの佐渡七が蹴飛ばして追っ払います。
一同は気分を変えて飲み直そうと離れ座敷に行きます。
(ここまでが「口」)

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学生時代を大切に 

少年は老いやすいのです。
20代の終わり頃、ある学会の懇親会で、20歳頃の私をご存じのベテラン教授から「君も紅顔の美少年だったよな」(笑)と言われました。私が発表者だったので、スーツにネクタイ。いっちょ前の格好をしていたから余計に昔を思い出されたのだと思います。まだ過去形で言われたくない、と憤然としましたが(笑)、美少年には程遠かったので反論はしませんでした。
学生時代はのんきでしたから、指導教授にはずいぶん歯痒い思いをさせてしまいました。もっとできることがあるだろう、という目で何度も見られました。
今はそれがよくわかります。
私は眠たがりなので、学生時代もたいてい

    11時

を過ぎたら寝るようにしていました。雀荘や当時「走り」だったゲームセンターで深夜を過ごし、いかにも

  青春を謳歌している

といった友人も少なくありませんでした。彼らから見ても私はずいぶん子供だったのだろうと思います。
ただ、昼間の活動はできるだけ活発にするようにして、大学にもせっせと通いましたが、それ以外にも、文楽、能、コンサート(主にクラシック)、美術館、時には歌舞伎にも行きました。絵なんてまったくわかりませんし、特に興味があったわけでもなかったのですが、興味のないものこそ観ておこうと思って出かけていきました。
本もとにかく多種多様。あれほど嫌いで苦手だった数学や物理学の本、もちろん新書版程度の簡単なものでしたが、そういう本も学生時代にあれこれ読んだものでした。同じく苦手だった語学も韓国語などをかじる程度に独学したり。でも、もう物理学も数学もさっぱりわかりませんし、韓国語はモノになりませんでした。それでもあの時専門の勉強以外のことにいくらかでも関心を持っておいてよかったとは思っています。

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2月14日といえば 付670,000 

今日、2月14日といえば、世間ではバレンタインデーでしょうが、文楽ファンの私としては竹本源大夫師匠のお誕生日、というのが最初に思い出されることです(無理やり、かな?)。
源大夫師は昭和7年のお生まれだそうですので、80歳になられます。
師匠の40代を覚えている者としましては時の流れをしみじみ感じるのです。お誕生日おめでとうございます。
舞台はおつらいことも多いようですが、これからは伝承やお弟子さんの育成などのためにも、末長くお元気にお過ごしくださいますように願うばかりです。
Wikipediaによると、この日がお誕生日という方には

  花菱アチャコさん

がいらっしゃいました。古い方です(笑)。
古い映画「小さな恋のメロディ」(イギリス。1971年)の脚本家だったアラン・パーカーも、比較的新しい(笑)人では河内屋菊水丸さんなども。
記念日としてのこの日のメインはやはりバレンタインデーでしょうが、「煮干の日」(全国煮干し協会制定)、「ふんどしの日」(日本ふんどし協会制定)でもあるそうです。「214」の語呂ですね。
煮干の「ぼ」は

    棒の格好

をしている「1」なんだそうです。語呂合わせにしても苦しい(笑)。

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忠臣講釈の塩冶判官 

『太平記忠臣講釈』(近松半二、三好松洛ほか)は明和三年(1766)十月十六日、大坂竹本座での初演。あの『仮名手本忠臣蔵』から18年後のことです。
暇なときにちらちらと読んでいます。
ここでの塩冶判官の刃傷の経緯はどのようなものだったのか、ちょっとばかりメモしておきます。

勅使の饗応を命ぜられた者のうち、桃井播磨守、河野大炊之介の家来が、高師直が登城するときに

    黄金百枚と巻絹

の進物を並べて待っています。師直は薬師寺治郎左衛門とともにそれらを受け取り、「それにくらべてあの塩冶判官というのはケチで、

    桑酒や干物

しか持ってこない」などとけなしています(どっちがケチやねん、といいたくなりますが)。
その日、城で塩冶判官が「能の時には烏帽子素襖でよいのか、熨斗目長袴を着用するのか」と尋ねるのですが、師直は答えてくれません。そばにいる矢間十太郎はかなり頭にきています。
そのあと勅使の前で遅参を咎めたり、師直の策略にかかって能の場に烏帽子素襖で現れるとさんざんに罵倒したりします。
そして配膳となり、判官が膳部を用意するとこれまた師直が間違っているといいます。

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和田合戦女舞鶴(第五) 

長かった話もいよいよ大詰めです。

藤澤入道父子に騙されて、北条義時と和田常盛は合戦を始めました。
両者が斬り合いを始めたところに阿佐利与市が荏柄平太を縄付きにして現れます。「争いの元になった斎姫はこの平太に殺されたのだから今さら戦っても無意味、いっそ平太を討って姫の仇を取った上で和睦されよ」というのです。
平太も「両者が斎姫の色香に迷って戦うのは武名の穢れだと思って姫を討ったのだ、自分を斬り刻んでもよいから和睦してほしい」と言います。
与市は、

    姫への愛執

を残さないという性根を定めて平太を討てと詰め寄り、それを約束した義時が平太を押さえ、常盛が刀を振り下ろします。すると

    兜だけ

が打ち落とされました。
藤澤の讒言と確信した二人は、ここに和睦したのです。

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福原・愛 

いやいや、卓球の選手の話ではないのです。
今から830年以上も前に、平清盛は福原、今の神戸市兵庫区あたりに都を移そうとした、という話です。
結果的には源氏の動きがかなり激しくなり、定着できないままに平安京に戻ることにしたようですが、清盛の

    福原・愛

はかなりのものだったようですね。
清盛は大輪田泊を整備して、その山側に都を置こうと計画したようです。宋との貿易によって新たな国の形を創り出そうとしたのかもしれず、彼がもう少し若く、また源氏の動きがもう少し遅れていたなら(と仮定の話をしても仕方がありませんが)、福原の都はしばらく続いていたかもしれません。
高倉上皇などはさすがに平安京を離れがたかったようですし、貴族たちもまた同じだったのでしょう。なにしろ、神戸だの明石だのといったら摂津国でももっとも隅っこ、「須磨(すま)」というのは摂津の「隅(すみ)」の意味だとも言われます。
もっとも、もともと清盛は当初、もう少し南西の「和田京」を考えていたようで、さらには伊丹市の昆陽あたりも都の候補地としていたようです。昆陽なんて、私の住む宝塚市から見たら隣町のようなものです。そうなると伊丹にとどまらず、宝塚市にも都の範囲は及んでいたでしょうから、私もひょっとしたら都のシティボーイ(笑)になっていたかもしれないのです。
伊丹市というのは山陽道が通っていたこともあって、歴史のある街です。
和泉式部の歌にも

  津の国のこやとも人をいふべきに
    ひまこそなけれ葦の八重葺

とあります。ついでにいうなら、和泉式部の墓というのが伊丹市には残っています(伊丹市春日丘6丁目)。

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不潔 

タイトルの通り変な記事ですので、不快に思われるかもしれません。それはいやだ、とおっしゃる方は、どうぞ今日はこれにて、ということで。

体調不良になって困るのは、身体を動かすのがつらいことです。
冬場の入浴は特に気持ちのよいものですが、かなり体力が必要です。呼吸がつらいととても風呂など使えません。
1週間も2週間も入れないことがあります。さすがに

    不潔だ

と思います。
しかし、無理をすると風呂上がりにしばらく立てなかったりしますので、いくらか回復するまでは我慢しています。着替えもおろそかになり、全くもって汚らしいのです。
文楽人形の扱いの話をするとき、どうしても学生などの若い女の子のそばに寄らざるを得ないことがあります。そんな時が

    かなり苦痛

です。それでなくても加齢臭などといって嫌がられるのに。できるだけさっと説明してすぐにその場を離れるようにはしているのですが、悪評が高いと思います。

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和田合戦女舞鶴(第四の5) 

車戸次の妻が現れ、夫を呼び出します。姫は笈に押し込んだが、和田に渡すのか、北条か、と二人が相談しているうちに平太が姫を救い出し、綱手が笈に入ります。
それと知らない車戸次が笈を背負って東に行こうとします。妻は、和田様の家来は西のほうにいらっしゃると引き止めますが、車戸次はお前とは別れて東に下り、北条様に渡すと言い、ついに喧嘩になります。
車戸次が刀を抜いて斬りつけると、妻は笈の陰に隠れ、車戸次は誤って

    笈を斬って

しまいます。
中にいたのは姫にあらず娘の綱手。車戸次夫婦はうろたえます。
そこに平太が現れ、二人を咎めます。手負いの綱手は、車戸次夫婦に心を改めてほしいと訴え、平太に名残を惜しみ、姫には羨ましいと言います。姫が感謝し、平太は涙にくれますが、どこまでも強欲な車戸次夫婦はそれぞれに和田、北条に訴えようと駆け出します。するとどこからか

    二本の矢

が飛んできて、車戸次夫婦に命中しました。

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土井陽子さん 

昨日、劇作家の

    土井陽子さん

が亡くなったという新聞記事を見て愕然としました(5日に亡くなったそうです)。わずかなお付き合いでしたが、いつも明るく、お元気で、聡明さと子供のような無邪気さをお持ちの方でした。

土井さんは大阪府立北野高校から大阪女子大学国文科に進まれ、卒業後に関西芸術座に入って脚本に関わられ、その後、劇作家の土井行夫さんと結婚されました。夫君はサントリー・ミステリー大賞を受賞した小説も書かれましたがまだ50代の若さで亡くなりました。
その後、土井(陽子)さんはテレビドラマの「部長刑事」などの脚本などの活躍をされ、「いだてん一代」「あぶないロマンス」「夫婦善哉」「大原御幸異聞」などを書かれました。
上方お笑い大賞の

    秋田實賞

も受賞されています。

これほどの方ですから、私などとてもおそばに寄れないような気がしていたのですが、ある場所で同席する機会があり、なぜか土井さんから声をかけてくださり、ずいぶん長い時間お話したことがあります。
しかし、それはまあお愛想ということもありますから、あちらにとっては私などすぐにお忘れになるような存在だったと思っていたのです。ところが、また別の機会にお目にかかることがあって、そのときも土井さんのほうから「まあ、お久しぶり」というような、とても気さくな声のかけ方をしてくださって、他の方とお話しにならなくてもいいのだろうかという私の心配をよそに、ずっと話してくださいました。

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卒業を前に 

毎年、年度内の仕事が終わるのは世間の皆さんと同様3月後半でした。
しかし、今年からは閑職(窓際とも言う)なので一気に2,3月の仕事がなくなりました。
先日はかろうじて関係のあった(少しだけ専門科目を担当した)学生の卒業論文の発表会があったようです。残念ながら人気のない(笑)私は、学生が集まることなく、ゼミ学生はゼロ。よって卒論指導も去年が最後だったのです。
よって、

    後期の成績

さえ出せばもう何もないのです。
加えて、昨日私の地元の

    高齢者大学

で毎年一度だけうかがっている講座を終えることができました。
これをもって平成23年度の仕事はほぼ終わたことになります。メチャクチャひま!

かろうじて残っている行事というと、3月に、知っている学生が卒業するのを見送るだけです。
最後の学生ですが、特に親しくしたのは2人かな。
ひとりは福祉、ひとりは看護の学生さんで、お世話をしたのではなく、こちらがお世話になったのです。
昨日の高齢者大学にも、このうち一人の学生さんが来てくれました。
というのは、この講座は平安時代の歴史や文学ではなく、文楽に関する話を求められているからです。
こうなるとお話は半分で、あとはやはり文楽人形をご覧いただくことになるわけです。

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無責任 

先日、「過信」ということを書きましたが、私がここ数年抱き続けているもうひとつ

    心の鬼

は、万事における「無責任」ということです。
例えば、会議に出ても責任ある受け止めも発言もできなくなっていきました。これでは信頼されなくなるのもやむを得ません。
文楽との関わりでも、観に行くのは私の勝手ですが、いくら何でもものを書くのは無責任だろう、という気持ちが高まってきました。
「文楽評」から降板させていただこうと考えた最も根本的な理由はそこにありました。ほかにも、

★12年続けて、引き時を感じたこと
★よき執筆者が見つかったこと
★呼吸器の症状が悪化して頻繁に劇場に行けなかったこと
★生活環境の変化
★「ミーハー」に戻りたかったこと

などの理由もあります。しかし、無責任なことはできない、という思いをこの2年くらい特に強く感じるようになったのでした。
こういう人間も文楽を楽しめる、ということを表現したい、という思いは今もあるのですが、それは「評」の形であるべきではないだろう、とも思います。
で、

    上方芸能誌

の編集部宛に長いお手紙を書いて身勝手をお詫びしつつお断りをすることにしました。

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頭の回転 

長い頭をグルグルー、違うって。決して落語の「手水廻し」の話ではないのです。
いわゆる頭の回転のよい人、弁の立つ人がもてはやされるのは、いつの時代もそうだったのかもしれませんが、現代でもまたその傾向は強いようです。
ある問題について

  短い言葉で瞬時に

答える能力は、たとえばコメンテーターと呼ばれる人には大事な素養なのでしょう。
かつて、作家の阿刀田高さんは、コメントを求められたら、間髪を置かず「2つのポイントがあります」と答えるとよいとおっしゃっていました。その時点で聴いている人は感心する。「質問されてすぐに2つに回答を整理しているとはなんと頭のいい人だ!」と思わせるわけです。その上で、まずは誰でも答えられるようなことを言う。しかし、聴いている人はバカにしない。次があるからです。で、その答えをしゃべりながら2つ目を考える(笑)。
時間に余裕がありますからいくらかしゃれたことが言えます。そして、できれば「さらにひとつ付け加えるなら」と言って話を深める。「なんと頭の切れる人だ!」と絶賛されます。
阿刀田さん独特の

    皮肉とユーモア

が感じられます。口八丁の方はやはり目立ちますね。

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'12 2月公演初日 

気がつけば、今日は東京公演の初日でした。
この公演は三部制で、初春の大阪とは演目でつながりがあることになります。

第一部は『彦山権現誓助剣』で、「杉坂墓所」「毛谷村」「立浪館仇討」。「仇討」が珍しく、37年ぶり、ということでいいのでしょうか。20分ほどの場面ですね。勝平、のちの三世野澤喜左衛門さんの作曲とのことですが、私は存じません。
咲大夫・燕三、英大夫・清介さんらに和生さんのお園、玉女さんの六助ら。力のみなぎる『彦山』になりそうです。

第二部は『義経千本桜』の三段目。「椎の木」「小金吾討死」「すしや」と、『五十年忌歌念仏』の「笠物狂」。これは二世喜左衛門師匠の作曲だそうです。
大阪の初春公演が四段目でしたので、それと一対になる演目ということですね。床は「すしや」を三分割。安全運転ということでしょうか。簑助師匠のお里、勘十郎さんの権太、玉也さんの弥左衛門。弥助は紋壽さん。「笠物狂」は中堅から若手中心。第二部は国宝ぞろいということなのか、チケットの売れ行きはここが一番だとか。

第三部は『菅原伝授手習鑑』から「寺入り」「寺子屋」、そして『日本振袖始』の「大蛇退治」。これまた大阪の初春が三段目でしたのでそのつながり。両方観たら『千本』『菅原』という名作の三、四段目を味わえますよということなのでしょうが、先立つものがありません。
「寺子屋」は津駒・寛治さんから嶋・富助さん。文雀師匠の千代に玉女さんの松王丸。「大蛇退治」は一昨年の夏に大阪で上演されました。演出も変わって、今回も清治師匠ほかのすさまじい演奏と勘十郎さんの岩長姫の演技が楽しみですね。

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和田合戦女舞鶴(第四の4) 

立ち聞きしていた車戸次(しゃこじ)夫婦。夫は妻に「実は北条様が斎姫は殺されていないはず、現れたら奪って渡せ、褒美は望み次第だ、と言われている」と告白します。
すると妻は、和田様から同じことを頼まれ隣村に捕手が来ていると言います。
夫はとりあえず奥に入れる妻に斎姫を誘拐するよう命じます。お綱(綱手)が背負ってきた笈の中に姫を閉じ込めて合図せよ、というのです。
車戸次の妻が様子を窺っていると綱手が現れ、諌めます。すると懐剣を抜いて「幼いときに犬に食われるところを助けてやったのだから、恩を思って手助けするか、さもないと殺す」と詰め寄ります。綱手が

    味方する

と言うと、「それなら邪魔な平太に酒を飲ませて酔いつぶせ」と命じて、車戸次女房は斎姫を狙って奥に入ります。
綱手は親の恩を思うと主の大事も口にできない、と悩みます。親の恩というのは

    善悪を越える

という考えなのですね。彼女がひとりで悩んでいると平太が現れます。車戸次女房が呼び出したのです。思いがけない夫婦の再会となりました。

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壁紙 

パソコンにせよ携帯にせよ、あまり壁紙にこだわることはありません。
一度設定したらたいていそのまま。
しかし、ブログのテンプレートも変えたことですし、気分転換、リフレッシュ、げん直しなどの意味もあって、携帯の壁紙も久しぶりに変更しました。
ずっと「天網島」の

    紙屋の暖簾

を使っていました。黒地に「紙治」と白抜きされた暖簾です。だらしなくねっころがっている男がこの向こうにいる、ということで、私にふさわしいかな、と思ってのことでした(笑)。

で、たまたま眺めていたのが

    フェルメール

の絵。となると、「デルフト眺望」をなんとか壁紙にしたいと思ったのです。しかしこの絵は横長で、本来幅が1メートル以上あるものですから、携帯の縦長の小さな画面には合わないかな、と断念しました。なんというか、迫るものがないんじゃないか、という気になったのです(携帯の画面で「迫る」ことを期待するのもどうかと思いますが)。

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2月は勉強 

昨日、一般の方と読み続けている

    伊勢物語

の年度内講座が終了しました。
こつこつ続けた結果、107段まで来ました。
伊勢物語は125段で、最後のほうはあまり長い話がありませんので、残る18の話をあと4~5回で読み終えられそうです。
となると、新年度の前期でめでたく通読。最初からずっとおいでくださっている方もいらっしゃいますが、その方々は見事に1000年間に亙って読み継がれてきた古典を制覇されるわけで、国文科の学生でもめったにできない事をなさることになります。
かく申します私も、この作品をこれまでで一番じっくり読んだことになります。
一般の方は熱心ですから、こちらが励まされて予習もずいぶん時間をかけてきましたので、新たな発見もずいぶんありました。いい勉強をさせていただきました。
お金をいただくのが

    申し訳ない

くらいです。
文楽に関わる作品も読みたいのですが、さすがにリードする自信がありません。今後も平安時代文学ばかりになるだろうとは思いますが、おいでいただける限りはご一緒に読み続けたいと思っています。

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