教育実習
9月に入ると、大学3年生の長男がもう教育実習に行くようです。
私の時は4年生の6月が一般的でしたが、今はいろいろ大変で、政治家や役人がおもいつきですぐに制度を変えるのでわけがわかりません。
彼は数学科なので、私にはさっぱりわからず、指導案も見てやれないだろうな、と思います。まあ、私も誰も相談する相手はいませんでしたから、一人で頑張ってもらいましょう。
教育実習はなかなか楽しかった記憶があります。
私は
母校の高校
に行きましたが、国語の教員は、私の高校時代からかなり入れ替わっていて、それも気楽でした。
私の指導教諭はずぼらな(笑)人で、朝はきちんと来ないことがありました。ある日、二時間目の授業が当たっていたのです。まあ、あの先生は
重役出勤
だろうと私も二時間目に向けて用意しようとゆっくりしていました。8時15分頃に朝一番の連絡が掲示されるので、念のために行ってみると急に一時間目に変更になっていました。今ならメールで指示を仰ぎますがそれは無理。「○○先生が来られないのですが」と他の先生に相談したら、遅刻がばれて恥をかかせるかな、と思い、意を決して一人で教室に行き、勝手に授業しました(笑)。
あとで先生に報告すると、「うまくやってくれたな」と喜んでよいのか後ろめたがるべきなのか悩むようなお言葉をいただきました。
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- [2012/08/31 00:00]
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久しぶりの枕草子
あまりにも有名で、しかも長めの作品は意外に読まないというか、通読しようという気になるまで時間がかかります。
私にとっては
枕草子
などがそれにあたります。
この夏は頑張って読んでみようと挑んでいます。やはり面白いです。
学生時代に読んだときよりもずっと面白い。
このごろ、古典文学と呼ばれるもののおもしろさをやっとわかってきたような気もします。遅いです。これまで私が古典文学の授業をしたのに付き合ってくれた学生さんには申し訳ないくらい。
すさまじきもの
の段は有名で、高校の教科書で出会いましたが、「すさまじ」は重要単語です。入試に出ますから覚えましょう、と言われたのは記憶にありますし、実際、大事な言葉です。たしか、「興ざめだ」と覚えなさい、と言われ、その通りに覚えて、フムフム、勉強したぞ、と満足しました。
その例に挙げられているのは「昼に吠える犬」「火をおこさない炭櫃」「方違(たが)えで外泊したらもてなしてくれない所」「任官できると思っていたらできなかった人の家」などなど。「興ざめ」はなるほど正解でしょうが、そういう言葉で表現できない感覚が自然に呑み込めるようになった、というか、現代語に置き換えず「すさまじ」のままで納得してしまえる面白さ。
うまく言えませんが、そんな感じで読んでいます。
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- [2012/08/30 00:00]
- 平安王朝 和歌 |
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加賀見山旧錦絵(第六)
鶴岡八幡宮に岩藤と尾上が花の方の代参に来たので禰宜の榊兵部が出迎えます。尾上は願書を兵部に差し出し奉納を頼みます。岩藤は待ち合わせている人がいるので先に行ってくれと言い、兵部が尾上を連れて行きます。そこに
鷲の善六
が現れます。岩藤は大膳からの密書を落とし、尾上に拾われたらしいことを話し、詳しい話は神主のところで、と二人は立ち去ります。
そこに桃井求馬時房が参詣に来ます。すると善六が戻ってきていきなり求馬に是が非でも頼みを聞いて欲しいといい、「ご法度ではありますが、あなた様と同じお屋敷にお仕えの人でかねてからあなた様に恋心を抱いている人がいます。その人からのお手紙です」と差し出しました。求馬はその文を見て驚きますが、さしあたり文を収め、返事は後ほど、といって善六を返します。そこに腰元の早枝が走り寄って求馬に迫ります。二人は岩藤の目を忍びつつ逢う仲なのです。二人が寄り添っていると、岩藤が現れ
「不義者見つけた」
と咎めます。同輩の恋愛はご法度だったからです。「しかし求馬は『あなたこそ不義』」と言い返します。普段から求馬に色目を使い、先ほども手紙をよこしたからです。早枝もいっしょになって岩藤を責めるのでさすがの岩藤もどうしようもなく、求馬と早枝はその場を去ります。
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- [2012/08/29 00:00]
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原作の「帯屋」
『桂川連理柵』の「帯屋」は人気があります。最近では嶋師の抱腹絶倒の前半、住師の滋味ある後半がありました。
ただ、この段は原作をかなり変えています。
気がつく点をいくらかメモしておきます。
おとせ、義(儀)兵衛母子の五十両の悪巧みから長右衛門の詮議に入ります。そして義兵衛によるお半の手紙読み上げ。ここは原作にかなり色をつけています。
まず、読み上げ前に「読むぜ、読むぜ・・」などともったいをつけるところは原作になし。「飛ぶぞ、飛ぶぞ」の読み違えの部分も一切なし。読んだあとの口三味線もありません。
当然チャリ場としての面白さは原作は希薄。前受けを狙ったいれごとが固定した感じです。
繁斎が長右衛門を責めたあと、お絹が、お半様の恋の相手は長吉だというと、義兵衛は「丹波から来てゐる、あの洟垂れの長吉ですかえ。あの洟長・・・」と言いますがこれも原作にはありません。義兵衛が長吉を呼びにいくと原作ではあっさり「疾しや遅し」と出てきますが、今は義兵衛の呼び出しがかなり長くなっています。「この洟から片付け」以下の義兵衛のせりふも原作にはなく、義兵衛の様子は「落ち着く布袋なり」です。
この「疾しや遅し」は現行テキストも同じですが、人形の動きを考えたら変えた方がよさそうに思うのですが、いかがでしょうか。
お絹が目まぜで長吉に約束通りに言うようにほのめかすと、原作では長吉はかなりキッパリと話しますが、現行テキストではかなり照れながら話します。そして石部での出来事も現行テキストでは長々と。
一同が奥に入り、自害の覚悟を極めた長右衛門が寝ているとお半が来て「長右衛門さん、おじさん」と可愛らしく言いますが、原作は「長右衛門様、長右衛門様」で、やはりお半のイメージは微妙に違います。
このように、現行の前半はチャリ場の色が濃く、長吉も
阿呆の丁稚
のイメージができました。原作ではもっと抜け目のない男です。
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- [2012/08/28 00:00]
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Go! Go! モトクロス!
海外の飲料メーカーが世界をまたにかけてモトクロスを主催しているようです。
なんでも、これまでにピラミッド前や
赤の広場
などを会場にしたとか。
単にバイクで宙を舞うだけでなく、背景に何か目立つものを入れて、その映像でさらに世界にアピールしようということのようです。
借景
という方もありますが、ちょっと違うような気がするなあ。
この飲料メーカーの製品はけっこう好きだ、という人がいます。私は飲んだことも見たこともありませんが。
だだっ広いところがあって、しかも目立つ、何か歴史を感じさせるものをバックにしたいのでしょうか。
モトクロスというのは日本では必ずしもメジャーではありませんが、海外ではなかなか人気もあるのだとか。
実現するかどうか、まだはっきりはわからないようですね。
ある男が話題の大阪城へやって来ました(→「続きを読む」へ)
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- [2012/08/27 00:00]
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地名
埼玉県に「垳」という地名があるそうです。
読み方は「がけ」。
この地名が無くされようとしているので反対運動が起きているとか。
役所の立場から言うと、「○○×丁目」という地名が便利なのではないでしょうか。分かりやすく単純ですから。
ところが、地名には由来というものがあり、また、住んでいる人にとっては愛着もありますから、昔ながらの名称を簡単には捨てたくない。そこで反対運動が起こる、ということがままあるのです。
神戸市にはかつて
葺合区
がありましたが、西側の生田区とくっついて中央区になってしまいました。地元の人が反対していたことが記憶にあります。
大阪市には「久太郎町4丁目渡辺」という不思議な地名があります。丁目のあとに「渡辺」とあるのです。たとえば、坐摩神社は大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3。「わたなべさん」って・・。
実は、ここは以前「渡辺町」と言っており、やはり地名変更の時に猛反対がありました。
ここは全国の
渡辺さん
のルーツになるのだそうです。そんな大事な地名を無くしては困る、というので、役所も譲歩したのですね。
地名を変えるのはなかなか難しいようです。
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- [2012/08/26 00:00]
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決着?
昨日、大阪市長の橋下君が「財団法人文楽協会に対しての補助金を出さない」と、市議会の意見を無視するような結論を出したそうです。
橋下君は初めからそのつもりですから、驚くことではありません。
彼の場合は自分の決めたことを、いかなる手段で実行するかに意を尽くすだけで、それを
政治
だと考えているのでしょう。
同じ花を見て美しいと言い合える人ではないので、人間として付き合うことはないわけです。ただ、あのはた迷惑だけは本当に困ったものでした。スーパーなどに行くと、「あれ買って!」と泣きわめいて床に転がっている子供がいますが、全く同じこと。
理屈ではなく、因縁をつけて、従わないならそっちが悪い、という汚い手法。
弁護士ってあんなことをする仕事なのか、と勉強になりました。
文楽協会は守らない、とか言っていましたが、最後には文楽の演出がどうの、技芸員と公開の場で話し合うだの、全く協会改革と関わらないところに話をすりかえて、言うにことを欠いて
「残念な結果
になりました」だそうです。
白々しさを通り越して、これこそ噴飯ものというほかはありません。
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- [2012/08/25 00:00]
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旧暦七夕
2012年は8月24日が旧暦の7月7日、つまり七夕になります。
今の暦だと梅雨の末期で、なかなか星は拝めませんし、晴れても都会の夜は明るすぎて満天の星空というわけにはいかないのです。
昔は、どんなにきれいだったことか、こればっかりは古人が羨ましくて仕方がありません。
曽根崎心中で深夜にお初と徳兵衛が見上げた空は、七夕には三ヶ月も早いものの、何しろ深夜ですからちょうど七夕の頃の星が見えるわけです。
ですから「星の妹背の天の川、梅田の橋を鵲の橋と契りていつまでも我とそなたは
夫婦星」
ということになります。
季節感は違いますが、今夜のあまり遅くない時間帯に夜空を眺めると、それがあの道行の時の夜空だということになります。
今の暦でいうと、彼らは5月下旬の深夜に心中していますので、さすがに暑くはない、あるいはいくらか冷えたかもしれません。生暖かい今夜とはその点だけは決定的に違いますね。
天体の時間なんて、我々の一生から見たら永遠に等しい長さなので、たかが300年前なんてついこの間のこと。私たちと彼らが
つながっている
ことなど、星を見ただけでも明らかです。
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- [2012/08/24 00:00]
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西遊記
夏の文楽公演の
西遊記
はいかがでしたでしょうか?
噂によると英大夫さんが例によって「ケンタッキーフライドモンキー」とか、かなりアドリブを入れて子供たちを笑わせたそうです。
それはもうけっこうなことでした。
今回は清十郎さんが孫悟空で、やはりハチャメチャな動きというか、孫悟空の
天真爛漫さ
とでもいうか、奔放自在な感じがもうひとつだったかなと思っています(例によって清十郎さんファンの私は逆に清十郎さんにキツイ)。やはり清十郎さんは二枚目です。
残念ながら猪八戒も沙悟浄も、そして三蔵法師も出ないという形で、ストーリーとしては何だったのだろう? という思いも残りました。
もうひとつ、小猿は出ましたが、これも以前に比べるとおとなしかったような気がします。
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- [2012/08/23 00:00]
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六角堂の後半
『桂川連理柵』の「六角堂」の段は今も上演されていますが、原作では長右衛門やお絹の弟の才次(治)郎たちが登場します。「帯屋」で長右衛門が為替の百両を使い込んだのは
才次郎のため
であったと告白しますが、その場面がここにあるのです。
お絹と長吉が連れ立って立ち去ると、それとは知らず長右衛門が為替の金を受け取って茶屋の床几で休んでいます。そこにお絹の弟、才次郎が恋仲の雪野に呼び出されて来ます。そして本堂の陰にいた雪野と会い、語らいます。
「近頃、あなたを寄せ付けない兄さんの心底が知れました。私を百両で田舎に遣る気です。いやと言っても聞いてくれず、死ぬ覚悟です。名残惜しくてあなたのお顔を見たくて」
「それはつれない。わしには十両の金も才覚できないから、いっそ一緒に死のう」
と二人が抱き合っていると、雪野の兄、
惣兵衛
が現れ、
「やい、銭なしの才次郎。妹は大金にするからもう来て下さるな、と言ったのに、こっそり会うから田舎に遣ることにした。いやなら百両出せ」
と、雪野を連れていこうとします。
二人は「夫婦だから離れない」というので、惣兵衛は才次郎を蹴倒して殴ります。そこに現れたのは・・・
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- [2012/08/22 00:00]
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山道
私の中学、高校、大学はすべて小高いところにありました。特に平坦な道を徒歩約5分だった小学校から、坂道ばかり1.3kmの中学に上がった時は、最初は慣れずに途中で休むくらいで20分以上かけて通いました。
しかし、慣れるとどうってことはなくなり、身体も大きくなりましたから15分あれば行けるようになりました。
3年間鍛えられました。
高校、大学も徒歩10分ほどの坂道。もはや何でもない、と思いました。
しかし、これらはあくまて
坂道
であり、山道とは言えないでしょう。
山道と言えば登山道。しかし、昔は私が通った中学への道でも周りに何もない、夜になると真っ暗な道だったのではないでしょうか。いや、そもそも道ではなかったのかも。
夏休みに出かけていたところの近所に
旧山陽道
があります。周防国と安芸国との境の辺りなのです。
岩国城は錦帯橋で知られる錦川を見下ろす山城です。旧山陽道はその錦川沿いを通っていて、これはまあそれなりに街道だとわかるのです。ところが関戸というあたりからは完全な山道。
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- [2012/08/21 00:00]
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夏休み
お金があったらちょっと避暑に、なんてシャレたことを言ってみたいのですが、それができないので夏休みはもう同じところばかりに行っています。
今年は9日から16日までざっと1週間家を離れていました。
毎度申しますが、
何もない
ところに行きますので、社会から普段より更に隔離された感じになります。
パソコンなし、新聞は朝刊のみ、周りは山と川、テレビのチャンネルは少ない(そもそも見ないですが)、携帯がかろうじて社会とつながる手段でした。
いっそ携帯も持っていかなければいいのですが、なかなかそうもいきません。
この期間の前半は、オリンピックも盛んだったので、ますます世の中から置いていかれました。
高校野球
なんて開幕していたことも知りませんでした。
ただ、ひとりで時間を自由に使えますので、やりたいことはいくらでも。今回はB5の紙を束にして持って行って、それにあれこれ書きなぐるという生活でした。
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- [2012/08/20 00:00]
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加賀見山旧錦絵(第五の2)
眼兵衛が帰ってきます。妻が「わが子を殺すことになろうとは」というのを聞いて問い質します。妻は「わが子を殺した
夢を見た
だけです」と言い逃れます。眼兵衛はうっかり「夢に知らせがあるのも道理だ」と口に出し、今度は妻がわけを聞きます。「娘が廓に行ってから便りもないが、夢にでも知らせてほしい、という意味だ」と眼兵衛はごまかします。妻が「実は道芝が来て、今、姉妹で話をしている」というので眼兵衛が奥をのぞくと二人で話している様子。眼兵衛はつい「南無阿弥陀仏」と唱えてしまい、妻も仏壇に御明しを灯して看経します。そして二人でそれぞれの心で念仏を唱えるのです。
姉妹が話し合っています。お来は「せっかく会えたけれど、私は今夜から遠いところへ行きます。実は、母様のために大磯に身を売ったけれど、それも行けなくなった。あなたが代わりに行ってくれたらその金で
母様の病気
も治る。そうなったら私はもう死んでもよい。わけは後でわかるから、どうか頼みたい」といいます。しかし道芝も「あなたがそんな心細いことを言ったら両親は誰を頼りにすればよいのですか。どこへも行かず両親の介抱をしてください」と頼むのです。
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- [2012/08/19 00:00]
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久しぶりの楽屋
だいたい、そんなにしょっちゅう楽屋にお邪魔する方ではないのです。
しかも文楽評も終わりましたから「確認したい」などという用事も減るので、4月公演は一度も行かなかったような気がします。
ひょっとしたらもう
二度と
楽屋に行くことはないかなとまで思いました。
しかし、ちょっとわけあって技芸員さんとお話しする必要があって、この夏は三度ばかりおじゃましました。
初めて楽屋に行ったのは25年以上前で、当時はまだ越路師匠とか津大夫師匠とか亀松師匠とか玉五郎師匠とか先代勘十郎師匠とか・・・懐かしい方々がいらっしゃいました。
私はまだまだ若造でしたから、越路師匠なんて、思わずピンと背筋が伸びるような感じでした。
廊下を歩くだけでドキドキして、自分はなにか間違ったことをしているのではないか(笑)という錯覚をしてしまうほどでした(錯覚じゃなかったのかもしれないけど)。
それ以後は時々知り合いの太夫さんや人形遣いさん(三味線弾きさんはあまり縁がないのです)を訪ねて少しずつ行くようになり、やがては
用もないのに
うろつくありさまでした。
技芸員の皆様、お邪魔ばかりいたしました。ここに謹んでお詫びいたします。
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- [2012/08/18 00:00]
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鈴の音
吉田簑太郎(現・三世桐竹勘十郎)作「鈴の音」はなかなかよくできたお話だと思います。また、舞台演出もいろいろ工夫されています。
春の初め、まだ花も咲かない頃の山。舞台は淡い緑で覆われています。枯木、枯れ草ではなく、芽吹いている様子。でもまだ春の盛りではありません。
下手に沼。もちろん青い色。ここに河太郎が住んでいます。鈴が舞台中央に。
やがて河太郎が現れ、鈴を見つけて振ります。
そこに狐のコン平とはつね。はつねはしっぽに
ピンクのリボン。
コン平が「その玉、おれにくれぬか」といいますが、河太郎は断って沼の中に飛び込みます。
はつねはコン平が玉を欲しがるのがちょっと不思議でしたが、コン平ははつねの首にかけたらきれいだと思ったので、と答えますので、はつねはうれしくなります。ここでちょっとした二匹の濡場(笑)。
やがて河太郎が現れ、鈴をくれるといいます。水の中では鳴らないからだというのです。
河太郎ははつねに鈴を付けてやり、そのあとコン平にも付けてやります。二匹は森の中を駆け回るのです。
すると、猟師がコン平を見つけ、逃げても鈴の音に向かって撃ってきます。
遠見の狐とそれを追う猟師。「権三」の馬場のような素朴な小道具で表現。これを入れるのもいいと思いました。子供の想像力をくすぐるような。後方の席からは見えにくいだろうな、とは思いましたが、それはやむを得ません。
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- [2012/08/17 00:00]
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泳げ、道頓堀で
宮本輝さんは私の好きな作家のひとり。この方の作品に
道頓堀川
があります。
夜のネオンと昼間の汚泥。その対比の中で生きていく人たち。どちらが明でどちらが暗か。
その道頓堀川はずいぶんきれいになりました。
先日、日本橋から川を眺めたのですが、両岸がきれいになって、川は橋で区切られてまるでプールのように見えました。ああなるほど、建てろ、造れの合言葉がまだ活きていた
30年前の発想で
これを見ると大プールを作りたいと妄想する人が出てきてもまんざら変ではないな、と思ったものでした。
大阪市顧問の大先生が長年の夢と温めてこられたものを民間の力だけで作り、数年で借金返済、すぐに儲けが出るとのこと。ほんとうなのでしょうか。そんなに儲かることがわかってるなら、赤字で困っている大阪市もいっちょ噛んで赤字減らしをすればいいのに。なんだか市は「どうぞご勝手に」と言っているようで、損をしても知らん顔なのではないかと案じます。話に乗る人は、市の顧問としての堺屋氏に信を置くでしょうから、市のお墨付きも得られていると思いますし、実際、堺屋氏もその立場を利用してこその具体化できたのでしょう。もし頓挫したら市は関係ないでは済まないでしょう。
早めに断念
された方がよい、というのが私の考えです。船渡御も松竹座夏公演の船乗り込みもパアですね。歴史文化を潰して目先の話題性やさを優先する考えはモトクロスも同じですね。潰しません、乗っけるだけです、と。2015年開業を目指すって、府知事も市長も、開業セレモニーのテープだけ切って、すぐに任期切れ。いや、そのときはお二人とも国会議員として来賓でテープカットかな。
しかし、もしできたら、早速行く人もいるでしょうね。ちょっと様子を伺ってみます。(→「続きを読む」へ)
以下は関西以外のかたには分かりにくいかも。m(__)m
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- [2012/08/16 00:00]
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卑劣か無神経か
先日、ツイッターでこんなつぶやきを見ました。
30代の女性が文楽の話題が出たとき「あんなんが、税金でのうのうと
暮らしているなんてマジありえん。橋元(原文のママ)頑張れ」 と
言ったのを聞いて、愕然すると同時に悲しくなりました。
また、若手技芸員さんを「伝統に胡座をかいたぼんぼん」と中傷するコメントも見ました。
大阪市長やそのとりまきの人たちの何よりも大きな罪は、
いい加減な表現
をして、詳しい事情を知らない人たちにこういうことを思わせたり言わせたりすることだと私は思っています。
それが戦術なら卑劣極まりなく、意識しての発言でないなら無神経極まりないでしょう。
誤った発言を繰り返すことでこうやって事情を知らずに汚い言葉を使う人が出てくるのです。
虎の威を借る
のでその発言は高飛車で遠慮会釈もありません。悲しくなるほどです。
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- [2012/08/15 00:00]
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信濃屋(その5)
お石も娘のしょんぼりした顔を見ると、持病の虫だろうかと気になり、半分は娘可愛さで、意見もそこそこにして一緒に奥に入っていきます。
入相過ぎになりました。行灯を提げた下女のりんが出てきてぶつぶつ言いながら夜なべの仕事を始めます。そこに舞い戻ってきたのはほおかぶりをした五六。
この家をうかがって門口を開けて見回しますが、弟の姿はないので土に這うようにして縁の下に入り、身を潜めて待ってます。お半はいてもいられぬ一間をそっと抜け出して表のほうへ出てきます。こらえていた涙が一気に出て泣き出します。その口に袖を当てますが、それでも声が漏れ、振袖の脇から雨より激しく涙が伝わります。そして、晴れない心を静めて「長右衛門様夫婦の意見、母様のお叱りを無理だとはちっとも思わないけれど、ほかの男は持つまいという、神々様への誓言を守って見てもどうしても思人には添えない身。義理や孝行を欠く上に。浮名を立てられるよりも、死んでこの苦しみから助かろう、と。他愛なく泣き入る娘心は、突き詰められて、中にいろいろ詰まっている鏡台の引き出しを開けて取り出す刃のように薄い縁でした。長右衛門様、お許しください。あなたのお心にそむいての嫁入りがいやだからこそ私は今死にます。お絹様というかたがいらっしゃるので、所詮夫婦にはなれないこの世。必ず、必ず未来では年をきにせず夫婦になって下さい、というのはあなたより先に死んであの世に早く生まれたら老い女房と嫌われるだろうかと私はそれが心配です。とりわけ、お絹様。これまでのお志を無駄にした不義、いたずら。お赦しになって下さい。何よりも母様がさぞかし嘆くだろうと、そればかりが黄泉の障害になるのです、と忍び音に泣くのは、女鹿が夫を恋い慕って世をいやになったかのような秋風が身に染むのでした。
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- [2012/08/14 00:00]
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高血圧
先日病院で身長、体重、血圧測定をしました。
身長というのは測り方によって微妙に違いますね。
これまで一番高く計測されたのは184cm。これはどう考えても高過ぎ。ここ数回は182cm台なので、まあこの程度なのでしょう。
病院によっては身長計がやたら古くて、
180cmまで
しか測れないところもありました。そういうばあは看護師さんが定規を持ってきて適当に測っていました。看護師さんは私よりずっと小柄なので、届かないのですよ。
体重を測るときはいつもドキドキします。以前、最悪の時には58.5kgだったことがありました。
今は幸い(?)贅肉もついて65kgを超えることが多いのです。先日も67kgでした(ただし着衣でしたので実際は66kg台)。
今後もあまり太らず、痩せず、
60kg台後半
を維持したいと思います。
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- [2012/08/13 00:00]
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ロンドン
オリンピックがそろそろ大詰めでしょうか。
私は夜中に起きている習慣がないのでほとんと見ていません。
朝起きると、結果が出ているので、いくらかはチェックしていますが。
日本人は
女性が強く、
メダル獲得の状況だけを見ても、男性を上回る活躍とか。
あな恋し今も見てしか
山がつの垣ほに咲ける
大和なでしこ
(古今和歌集)
金メダルは大半が女性(8月11日現在)。国別金メダル数は十位以下だそうですが、女性に限ったらどうなるのでしょうか。ぐんと上位になりそうです。
一番印象に残ったメダリストはアーチェリーチームかな。
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- [2012/08/12 00:00]
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田舎にいます
文楽ファンの方からしばしば「大阪に住んでいる」と思われるのですが、私は兵庫県の宝塚市に住んでおり、大阪のような大都会とはまったく違います。
はっきりいって田舎です。
電車は10分に1本、6両連結。阪急電鉄がなければ動きようがない。人口も大阪市の13分の1。
宝塚歌劇
があるため名前だけはけっこう知られているのですが、のんびりしたところです。
その田舎町を離れて、今はさらにすさまじい(笑)田舎町に来ています。
ここは人口が宝塚市の7分の1くらいかな。
名前を知られる材料もなく、しかも私がいるのは山の奥。な~~~んにもありません。
やはり名前が知られるのは
文化と歴史の力
によるのだなとつくづく思います。
ここは、歴史的には何もないわけではありませんが、古戦場の跡くらいで、ぽつんと石碑が建っているだけ。「おおっ」と思っていただけるものはありません。
文化となるとこれも全国に知られるようなものはありません。
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信濃屋(その4)
お石はうれしく、娘のお半を呼び出し、
「おもいがけない災難を逃れたのも長右衛門様のおかげ。お礼を申しなさい。悪いやつに関わっているうちにお祝いの盃が遅れた。お銚子を持ってきなさい」
と命じますが、お半は
「いえいえ、結納のお祝いならやめてください。私は
嫁入りはしません
から」
「またそんなことを。私と二人のときならともかく、お世話下さったお方の前で勝手なことを言ってはいけません。母一人の育ちの甘さと笑わせるのか、この親不孝者。それとも、嫁入りできないような色恋の話でもあるのか、ねえ、長右衛門様」
「そんなことはないでしょうが、あまり頭ごなしにおっしゃっても納得しないでしょう。私は帰って家内をよこしますから納得のいくまで」
と
疵持つ足
を上げて帰ろうとします。ちょうどそこへ長右衛門の妻お絹が来ます。お絹とお石は
「なにかもやもやしたことがあったようで、お見舞いに来ました」
「それはようこそ。こちらからお呼びしたかったところです。さあどうぞ」
と挨拶を交わします。長右衛門は
「お半が嫁入りを嫌がっているので意見してやってくれ。この縁談がだめになっては舅殿に申し訳が立たないから」
と言い捨てて長右衛門は帰り、お絹が入ってきます。
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- [2012/08/10 00:00]
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大衆の力~文楽に2万5千人以上
昨日、こんな新聞記事がありました。
国立文楽劇場で行われた「夏休み特別
公演」(7月21日~8月7日)の入場者
数が、前年比で約4割増の2万5516人
だったことが8日、同劇場のまとめで
わかった。
そして見出しには「橋下効果?」とも書いていました。いささか誤解を招くような見出しだと思います。
私はそういうことではないと思っています。
私は芸能史に詳しくはありませんが、上方の芸能はお上に虐げられることが多かったはずです。
いわく、女歌舞伎はけしからん、若衆歌舞伎はけしからん、心中ものはけしからん。
その時、権力に屈して挫折したかと言うとそうではありません。
なんとか権力に対抗しようとしてきた。野郎歌舞伎を生み出し、タイトルに「心中」の言葉を入れない作品を作り・・・。
いわばお上に
あかんべ
をする。それが
上方の大衆の意気地
だったと考えています。お上には任せられないから民間が橋を架けたエネルギーをも持っていました。権力には屈服しないのが上方の土性骨。徳川家康を罵る会ができる土地柄。
文楽にとっての大衆とは芝居に関心のある人、劇場に来てくれる人、劇場に行ってみようかなという人、大阪の芸能の話を誰かから聞いて感心を持った人などだろうと思います。それが
大衆の感覚。
文楽劇場は満席続きでも年間に延べ20万人も入りません。大阪市民は260万あまり、府民になると880万、劇場に行ける範囲に住む人となると奈良、和歌山北部、京都南部、兵庫南東部、滋賀南西部あたり、1000万ではきかないのです。仮に1200万としても60人に1人も来ないわけです。しかも毎公演行く方も少なくありませんし、各公演複数回という方も多く、さらに「遠征」してくるかたもあるのです。いいかげんな計算ですが、大阪近辺の人は100人に1人も来ないと言ってもよいのではないでしょうか。言い換えると99%が劇場に一度も行かないのです。それが言い過ぎでも90%は文楽劇場に行かないのが当たり前です(行きたくても行けない)。
大阪市長はその90%(以上)に向かって「あなたたちが大衆の感覚」と言い、これはまったくの詭弁。はっきり言うと彼の言う「大衆」とは
「選挙民」
なのではないでしょうか。
その人たちに向かって「文楽は演出が悪い」「文楽は特権意識にまみれた人たち」「文楽は恐ろしい集団」などと吹聴するわけで、卑劣極まりない。
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- [2012/08/09 00:00]
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加賀見山旧錦絵(第五の1)
秋。雪ノ下のお来と道芝の実家。お来は貧しい暮らしで賃仕事をしています。そこに隣家のお市が佐兵衛を連れてきました。お来はかねてお市に
身売りの相談
をしており、佐兵衛は廓の肝煎なのです。佐兵衛はお来を見るなり100両で手を打つといい、半金の50両を置いて、残りは親父殿が帰られたら証文の上で、と言って帰っていきます。お市が金の必要なわけを尋ねると、お来は「母様の病気が重く、百日のうちに治らなければ命はないといわれています。治すためには人参が必要で、そのためにお金が要ります。そこで親には内緒で身売りすることにしたのです」と答え、お市はもらい泣きをして帰ります。
お来はひとりごとをいいます。「夫の源蔵殿は出世したいといっていたが、今頃はどうしているでしょう。出世したら便りもあるでしょうし、もし出世したら
元の夫婦
になろうといわれたのでそれを楽しみに待っています。妹と同じ河竹の勤めをすることになるとは」と涙に暮れています。表には紙崎主膳が様子を伺っており、お来が奥に入ると紙崎もあとに続きます。
母親が出てきます。戻ってこない夫を案じていると、道芝が訪ねてきます。道芝は母に「つらい目に遭って気がかりなこともあるので来ました。話があるので奥に来てください」と言って母親とともに奥に入ります。
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- [2012/08/08 00:00]
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2012年7,8月公演千秋楽
暑い中を皆様お疲れ様でした。
本日、ついに文楽の夏休み公演が千秋楽を迎えます。
子供のための新作「鈴の音」、夏休みの定番化してきた「西遊記」、浄瑠璃らしい浄瑠璃「合邦」、夏芝居の「伊勢音頭」、溌剌とした若手による「蝶の道行」、やはり人気の「曽根崎」。
簑助師匠の道行のせつなさ、咲、嶋両師の大熱演など、ベテランの力を初め、皆さんすばらしいご活躍でした。
私は
嶋師匠の語り
で泣きました。いいかげんなこと言うな! と叱られそうですが、本当なのです。
もうひとつ別の意味で関心を持ったのが
「鈴の音」
でした。幼稚園児に文楽人形を見せる場合、どうすればよいのか、参考になりました。また後日感想は書きますが、まだまだ発展する演目ではないかと思いました。
大阪公演の本格的劇評は「上方芸能」くらいしかありませんので、秋にはぜひ拝見したいと思っています(10月の終わりに刊行でしょうか)。
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- [2012/08/07 00:00]
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ブンカジンの唄
文楽を観る人は文化人だとかインテリだとか思われているとしたら、はっきりいって勘違いでしょうね。
私の周辺にはなるほど語学の達人とか香具師評論家とか園芸のベテランとか鉄の精錬方法を教えていらっしゃるらしい(?)博士の先生とか、いろいろいらっしゃるわけです。
しかし、基本的には文楽好きの
ミーハー
だらけ。
とりまきが多いなんていわれたら、タカラヅカなんてどうなるのでしょうか?
ご存じのように、宝塚歌劇場の前ではファンの方が入り待ち出待ちをするのは当たり前。そのスペースまであるくらい。
文楽も出待ちする人はありますが、まあ少ないですね。
文化人というのはテレビ用語のようなもので、ああいう言葉を使ってからかうのはやはりテレビ出身者だなと思います。
それにしても市民の多くは文化人ではないと言っているようで、それはそれで失礼な話じゃないかとも思います。
しかしまあ、あんまり真正面から文句を言ってもぬかに釘でしょうから、関西人としてはおちょくりたくなってしまうのです。
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- [2012/08/06 00:00]
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道修町(2)
大阪市中央区道修町は薬の町なのですが、同時に文化の香りがします。
前回書いた谷崎潤一郎の
「春琴抄」
は昭和8年(1933)に発表されました。
主人公は鵙屋(もずや)の娘の琴(こと)。幼くして失明した彼女の世話をしていたのが丁稚の佐助。彼は琴(春琴)の三味線の弟子にもなり、厳しい稽古をさせられます。そのうちに春琴は懐妊し、二人が関係を否定する中、佐助に似た子が生まれるのです。春琴の弟子に利太郎という男がいますが、これは春琴の美貌に惹かれて弟子になったろくでなし。利太郎は春琴に言い寄るのですが春琴は断り、あげくに稽古に際して利太郎にけがまで負わせてしまいます。その後、何者かが春琴に熱湯を浴びせて顔に大火傷を負わせるという事件がありました。春琴は顔を見られたくなくて佐助もそばに寄せなくなります。佐助はある日、針で自分の目を突いてわざと失明し、なおも春琴に仕えたのです。
船場のいとはんのお話ですが、春琴の生家として設定された鵙屋は
道修町の薬種商
だったわけです。
「春琴抄」は文楽の舞台にも上げられ(鷲谷樗風脚色)、私も昭和61年に織大夫、団六、文雀、文昇(先代)らで拝見しました。
↑春琴抄の碑(菊原初子書。少彦名神社)
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- [2012/08/05 00:00]
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加賀見山旧錦絵(第四)
徳兵衛と眼兵衛という二人の男が花崎の花問屋に行く途中で休憩しています。そこに仁木将監の家来犬渕藤内が来て、「縫之介、操姫、道芝の行方をしらないか。大杉源蔵の家来原田軍平も捜しているから、先を越されては困る、見つけたら褒美は思いのままだ」といって去ります。眼兵衛は
道芝のことを案ずる
様子なので徳兵衛が不審に思いますが、眼兵衛ははぐらかし、二人は花崎に向かいます。
鷲の善六が現れ、さらに原田軍平が姿を見せます。原田が善六に頼みごとがあって待ち合わせていたようです。
軍平が「今、病気と伝えられる持氏殿は、実はすでに亡くなっているが家督相続のために偽っている。二人の息子のうち花若殿は花の方の子で、正真正銘、殿の子だが、月若殿は雪の方が大膳様と
密通
なさって設けられた子だ。そこで大膳様は月若殿にこの家を継がせたいと願っている。しかし和田左衛門と大杉源蔵の存在が厄介で困っている。そこで、お前が花の方の上屋敷に行くときに花の方を殺してほしい」というと、善六は請合い、去って行きます。
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ミニニンジン(最終回)
とても楽しい経験でした。植物に疎く、食べ物に関心が薄い私がなんとかミニニンジンを育てることができました。
そして収穫して食べるありがたさ。
秋以降も、来年もまた何か育ててみたいと思うようになりました。人間、いくつになっても日々勉強というか、新しいことに挑戦することが大事ですね。
その後も収穫は続き、根っこはもちろん、葉をおいしくいただいております。
写真も忘れずに撮りました。
こうしてすったもんだのミニニンジン日記は無事に終わりを告げるのであります。
お付き合いくださった皆様方ほんとうにありがとうございました。
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道修町(1) 付710,000
大阪市中央区道修町(どしょうまち)。もう何度歩いたかわかりません。
申すまでもなく薬の町。
煎じた薬の効き目から
薬といえば道修町
(錦源兵衛「道修町音頭」)
と歌われています。
谷崎潤一郎の
春琴抄
でも知られます。
江戸時代に多くの薬種問屋が軒を並べ、製薬会社として世界に名を知られる老舗もあります。
古いのは田辺屋。主人は代々五兵衛。略して田五(たなご)。屋号がそのまま姓になって、後の田辺製薬。今は三菱ウェルファーマと合併して田辺三菱製薬となり、本社も北浜へ。
近江屋の主人は代々長兵衛。略して近長(きんちょう)。明治になると姓を武田と称して「武長(たけちょう)」。早くから西洋薬を取り入れていて、明治12年の「浪花諸商独案内」にも「西洋薬問屋」と紹介されています。もちろん今の武田薬品工業。
塩野屋の二代目吉兵衛の三男、義三郎は分家して塩野義三郎商店を営み、略して塩野義(しおのぎ)。本家はその後香料に転じ、今も塩野香料として存続しています。そして塩野義は言うまでもなくシオノギ製薬に発展します。
ほかにも藤沢薬品(山之内製薬と合併してアステラス製薬となり、早くに東京に本社を移していた山之内の方を合併後の本社とする)、カイゲン(元は神戸の会社)、小野薬品(伏見屋。現在本社は久太郎町)、北垣薬品(大和屋)、小城製薬(創業は東区石町)などがあります。北垣さんの建物は古く、母屋は宝暦13年(1763)、土蔵は文政11年(1828)のものだそうです。
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- [2012/08/02 00:00]
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