加賀見山旧錦絵(第九の3) 

いよいよ大詰めです。

縫之介と操姫が様子を伺う中で畑介は「縫之介の首を討って原田軍平から大膳様に届けさせよう」と奥をうかがい、縫之介と顔を見合わせるや斬り付けます。畑介は「貞節に見せかけて油断させ、首を討つつもりだったのだ」と刀を振り上げますが、なぜか

    狙いをはずして

しまいます。その拍子に縫之介が畑介の脇腹を刺します。十内も現れて驚きます。縫之介がとどめをさそうとすると、畑介は「ひとこと言いたいことがある」と物語り始めます。
「忠臣紙崎主膳の弟と生まれながら身持ち放埓で兄に勘当され、流浪して死にそうになったとき、仁木将監の逆意を知ったのですが、逆賊の源蔵に騙されて相模川に落ちていかれたのを仁木だと思い込み、馬の足を斬って仁木と思ったその首はそのままにして逃げました。折しも持氏卿も病死されたと聞き、兄も御勘気を受けて行方知れずになりました。ひとまずこの鏡山に来て十内の世話になっていると縫之介様と操姫様が来られました。今こそ忠義を尽くすときと思いながら、お世話するにも貧苦にあえぎ、卑怯な占い商売をしていたのです。そこに上使が来られて

    小柄

を見せられ、相模川の一件の事実を知って驚きました。主殺しは竹鋸。敵のふりをして縫之介様に討たれるのがせめてもの申し訳と思いました」
縫之介、操姫、十内はともに悲しみます。

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マウリッツハイス 

今日(29日)から、神戸市中央区京町24の神戸市立博物館で「マウリッツハイス美術館展」が始まります。
かつての外国人居留地にあるすてきな博物館です。
以前も書いたことがあるはずですが、この博物館は桜井小太郎の設計で、1935年(昭和10)年竣工の旧横浜正金銀行(現 三菱東京UFJ銀行)神戸支店ビルでした。

    マウリッツハイス美術館

はオランダのハーグにあり、ナッサウ伯マウリッツの邸宅美術館にしたもので、美術館として190年の歴史があります。「17世紀オランダ・フランドル絵画の殿堂」と言われます。
今回、美術館の改修工事があるため、代表的な作品が日本に来ているのです。すでに東京都美術館での展示がありましたのでご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。交通費のない私はこの神戸展を待ちかねていました。
展示されるおもな作品は
レンブラント・ファン・レイン
  「自画像」(1669年)「スザンナ」(1636年)
  「羽飾りのある帽子をかぶる男のトローニー」(1635~40頃)
フラウス・ハルス
  「笑う少年」(1625年頃)
ヤン・ステーン
  「親に倣って子も歌う」(1668~70年頃)
カレル・ファブリティウス
  「ごしきひわ」(1654年)
そして今回のハイライト的画家、作品といえば・・・

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間光興 

赤穂浪人の一人に間十次郎光興(はざま じゅうじろう みつおき)がいます。
江戸の直心影流堀内正春門下で同門に堀部安兵衛、奥田孫太夫がいました。
仇討ちが決まると、彼は江戸で杣荘十次郎と名乗って潜伏、父の光延、弟の光風とともに四十七士に名を連ねて討ち入りを果たします。
かなり武芸に優れていたらしく、討ち入り当時数えの25歳という若さもあって、大活躍したようです。
先日書いた大高源吾とともに表門隊にあって、源吾とともに邸内に一番乗りしたのが彼なのです。
そして何と言ってもこの人物の名前が記憶されるのは、炭小屋から飛び出してきた吉良上野に

    一番槍

をつけたことでしょう。
暗がりでしゃにむに飛び出してきたこともあり、そもそも吉良の素顔など見たこともないわけですから、彼はその人物が誰なのかはっきりわからなかったはずです。吉良を切り捨てたという竹林唯七も同様に「はむかう敵」という認識だったでしょう。ところがこの人物は高齢で、しかも眉間には傷が。亡君浅野長矩が「日ごろの遺恨覚えたか」と斬りつけた、その傷跡が目の前にある。
震えたのではないでしょうか。浪士一同が集まって確認し、首を挙げ、彼らは泉岳寺に向かいました。最初に焼香する名誉は光興に与えられたといいます。
彼は矢頭衛門七、神崎与五郎らとともに

    水野忠之

の三田中屋敷に預けられ、そこで切腹しました。戒名は刃沢蔵劔信士。水野屋敷跡は私も一度だけ行きましたが、商店街のようになっていて、案内板がありました。

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大高源吾 

タカではなくワシ、というわけで、赤穂浪人の一人

    大高源五忠雄

は、忠臣蔵では大鷲源吾として登場します。あまり目立ちませんけどね。
歴史上の人物としての「源五」は「源吾」とも書かれますし、忠臣蔵でなじんでいますので、以下は「源吾」と書きます。
源吾のことを思い出したのは、いつもなにかと教えてくださるえるさんから「忠臣蔵の上演史に見られるさまざまな増補の中に『両国橋』というのがある」とうかがったからでした。後の「花水橋」とどこまで一致するのかは知りませんが、「両国橋引揚」のほか、討入り前の「両国橋勢揃」もあったり、道行の前にも「両国橋」なる場面を出したこともあったとか。
私は「両国橋」というと宝井(榎本)其角と大高源吾の出会いの場面をまず一番に思い出したのでした。其角の発句「年の瀬や水の流れと人の身は」に対して源吾が

  明日待たるるその宝船

と付けた逸話です。歌舞伎の『松浦の太鼓』でもお馴染みの場面です。
江戸では脇屋新兵衛を名乗っていた源吾はもともと俳諧に心得があり、号は子葉。赤穂では神崎与五郎則休(号は竹平)、萱野三平重実(涓泉)とともに三羽烏と言われたようです。萱野三平は大阪府箕面市に屋敷跡が現存しますが、討ち入りに加わることが叶わず切腹。彼の辞世は「晴れ行くや日ごろ心の花曇り」でした。
源吾は俳諧や茶の趣味を生かして吉良家で十二月十四日に茶会があることをつきとめ、それで討ち入りが実行されたとされます。なかなかの殊勲者ですね。

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其礼成心中を読む(3) 

「其礼成心中」は五場から成りますが、時代物の五段構成を意識したというよりは、あえていうなら世話物の三段構成の変形に思えます。
第一場と第二場が「上の巻」、第三場と第四場が「中の巻」、第五場は「下の巻」または「フィナーレ」でしょうか。
起承転結にあてはめるなら、第一場が起、第二場が承、第三場が転、第四場は転の展開部で第五場が結でしょうか。

第三場は「繁盛曾根崎饅頭 ライバル出現の段」。
カタカナ語がいろいろ使われますのでこのあたりまで来ると「心中覚悟のカップルも」といわれてももはや奇妙な感じはしないのではないでしょうか。まんまと三谷さんの術中にはまった感じです。

さて、

    饅頭と身の上相談

をくっつけて商売しようという半兵衛の魂胆は見事に当たり、いつのまにやら左うちわの生活。
今日のお客はどうやら身請けのために友達の金を使い込むという話になっていて、梅川と忠兵衛のようです。
おかつは「耐えた時間は宝物や」と諭して、自分で稼いだお金で身請けしてあげなさいとアドバイス。すると半兵衛がすかさず割り込んで「今日はそこまで」て饅頭を買わせて帰します。この饅頭が一個八両!
次は姑との折り合いが悪い夫婦が心中しようとしていたらしく、これはお千代半兵衛のカップルのようです。
こういうパロディは文楽ファンの心をくすぐります。こけこは人形は出ないのでしょうか。
半兵衛は深刻な二人と対照的な位置にあって、どこまでもお金が目当て。その間でいささか動揺もするのがおかつ、という図式。

    したたかな半兵衛

は、しかしそれなりに精一杯生きているだけに、悪意は感じません。

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日本語と若者 

先日、平成23年度の国語に関する世論調査(平成24年2月、3月に実施)の結果が発表されました。
この調査は以前と同じ内容の項目(経年調査)と新たな項目があり、経年調査に関しては比較できるのでおもしろいのです。
「自分自身の言葉の使い方について、どの程度気を使っているか」という質問があります。
平成16年度と比較すると大きな変化がうかがえます。
16~19歳、20代、30代、40代、50代、60歳以上に分類されていますが、平成16年度の時は気を使っていない人は16~19歳にもっとも多く(42.2%)、次が60歳以上(37.5%)。逆に一番気を使っているのは40代(80.8%)でした。
ところが今回は軒並み80%を越えているのです。なんと、80%以下だったのは

    60歳以上

だけ(68.8%)。やはりある程度年をとると無頓着になるのですね。最高に気を使っているのは僅差ではありますが、30代(86.1%)、続いて40代(85.6%)。やはり社会の荒波の真っ只中にいると気を使わざるを得ないのでしょうか。ところが、びっくりしたのはその次に多いのが16~19歳(83.3%)で、7年前に比べて25%以上も増えているのです。
「ほかの人の言葉遣いなどが気になるか、気にならないか」という質問では、やはりトップは30代(83.0%)、続いて40代(82.7%)。ところが、16~19歳が62.8%で、一番少ないのです。つまり若者は自分の言葉は気になるけど、他人についてはさほど極端には気にしていないということです。
言葉遣いで気にしていることは10年前に同じ調査があったのですが、その時と第1位、第2位が入れ替わっています。今回の1位は「相手や場面に応じて敬語を使う」、第2位が「自分が言われて嫌なことは人には言わない」でした。やはり敬語が気になるのですね。これは

    敬語が苦手

になってきていることの裏返しかもしれません。

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2012.9東京公演千秋楽 

文楽東京公演は千秋楽になりました。
住大夫師匠、清治師匠のいない公演ではありましたが、熱演はいつもの通り。プロですから当然ですが、やはり大したものだと思います。
私が聞いた限りでは、和生さんの忠兵衛、勘十郎さんの義平次、玉女さんの団七など例によってといいたくなるほど評判がよかったようです。文雀師匠が転ばれたり休まれたりで心配しましたが、その後は出られたようです。
床は淡路町、封印切がよさそうだとは思っていたのですが、どうだったのでしょうか。
今回は(も?)演目がなんだか

    中途半端

でしたが、とにかく千秋楽はめでたい。
さて、このあとは

    秋の巡業

です。
またかの(笑)「桂川」と「すしや」など。12会場での公演です。
「帯屋」は、嶋・富助と咲・燕三の床に勘十郎、清十郎によるお半・長右衛門。お絹は簑二郎、儀兵衛は玉志。
「すしや」は英・清介、津駒・藤蔵の床に勘十郎の権太、玉也の弥左衛門、勘弥のお里、幸助の弥助。
なかなかのメンバーだと思います。

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後継者 

文楽研修生の応募者がなかなか現れないようです。
少なからず大阪市長のデタラメな発言が影響していると思われ、怒りを禁じ得ません。いかにも未来がないような風評を流すとはどういうつもりなのか。本人に会ったら迷うことなく

    愚か者!

と怒鳴り付けることを宣言します。
一方で近現代史学習施設を造ると言っています。ハコモノが好きですね。
私も近現代史を学校で習ったことはなく、中学あたりで少しでも学べるようにすれば、と思わなくもないのです。しかし、莫大なお金を使っても、せいぜい校外学習で映像を含めても市内の中学あたりが2時間くらい見学するのがよいところかと思います。気になることは、近現代史のうち、政治史、特に国際紛争史に特化するようにすら見えることです。そうでなければよいのですが。近現代史は戦争抜きには考えられませんが、それがすべてではありません。文化史も大切です。「時局柄」ということで谷崎潤一郎の『源氏物語』現代語訳(初訳)がどんなふうにねじまげられたか。「民意」を楯に文楽が大阪府市の首長からどんな扱いを受けたかなども展示されるとよいと思います。
しかし金満都市ならともかく、赤字まみれの大阪市ですから、市長の思いつきだけで造ってはいけません。こういう施設は人件費や設備費で毎年

    赤字を出し続ける

わけで、市長在任中(長くてあと3年)に作ってあとは知らん、でしょうか。市民が強く望むなら市外の人間である私の口を挟むところではありませんが。

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其礼成心中を読む(2) 

上演に際しては休憩時間なしのほぼ2時間ぶっ通しだったとうかがっています。
その時間で五場、しかも各場の長さに変化があって、テンポよく飽きることがない2時間だったのではないでしょうか。こういうところはさすがにうまいと思います。

半兵衛はしかたなしに六助とおせんを連れて帰りますが、隙があると心中を試みる二人に手を焼いています。そして、相談に乗る、と大見得を切った割には

    駆け落ちしろ

という、何の説得力もない事を言い続け、二人に見放されるだけでなく、妻のおかつにも呆れられてしまいます。そしておかつが話をするとこれが見事に二人の心の琴線に触れるのです。
おかつは
  ○主従の恋は難しい
  ○逃げても連れ戻されるだけ
  ○心中はダメ。きれいなものではない
  ○親の決めた人と一緒になれ
と話した上で「時を待つ」というアドバイスをします。そのうちに六助も暖簾分けをしてもらってりっぱな油屋になるかもしれない、嫁ぎ先の夫が「喉にきゅっと餅を詰まらせて亡くなってしまう」かもしれない、というのです。おかつが言うとなんだかほんとうにそうなりそうな気がする、そんな気持ちを二人に抱かせるのだと思います(そして実際、彼女の言葉は実現するのですが、それはさらにあとの話です。この「餅をきゅっと」がこの場での笑いを誘うとともに、あとで爆笑を生む仕込みにもなっています)。
ここからは三谷さんのサービス精神。おせんが別の男に抱かれることを訴える六助。するとおかつはそれは我慢しなさい、私も実は好きな人がいたのにこの人と結婚したので、いつも好きな人のことを思いながらこの人に抱かれていました、と笑いを誘います。しかしこの部分はけっこう

    説得力

もあるのです。
こうして二人は納得してかえっていきます。
この二人は話の最後にもう一度登場して、首尾を一貫させます。

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加賀見山旧錦絵(第九の2) 

そこに立派な乗り物が着きます。不審顔の十内の前に現れたのは桃色の打掛姿のお初。「このたび思いがけない出世をしました。お土産も少々」と美々しい土産を並べさせます。
十内がわけを尋ねると、お初は「ご主人尾上様は岩藤という局役に辱めを受けて自害されました。私は敵を打ちました。そのご褒美として中老に取り立てられ、名前も

    二代目尾上

を下されました。そして親に出世した姿を見せてきなさいと、三十日のお暇をいただきました」と話します。
十内は喜ぶどころか顔色を変えて言います。
「その出世がうれしいのか。どういう忠義を横歩きの

    『蟹忠』

というのだ。本当の忠義とは敵を滅ぼしてご主人を助け、君臣ともに無事でいつまでも主君に仕えることだ。ご主人が自害され、敵を討ったはよいが、取り立ててくださったのはご主人のご主人ではないか。陪臣の身で直参になり、ご主人の名前まで頂き、忠義呼ばわり。お前の主人は尾上様だけだ。そんな出世がうれしいのか。そんな根性に生んだ覚えはない」
お初(尾上)は「お腹立ちはもっともですが言うにいえないわけもあります」というのですが、十内はなおも「勘当だ」と一徹に叱ります。お初は家来に「父上と話をするので次の村の代官のところに控えて、暮れになったら言いつけた品を持ってきなさい」と命じ、家来たちは去ります。折から畑介が戻り、様子を伺っています。
尾上は言葉を改め、「足利家からの上使」といい、十内は上使ならやむをえないと控えます。
「あなたのことは家老紙崎主繕の家で長役を務めていた高木十内とお上にはご存じ。先ごろ綸旨紛失の申し訳が立たず縫之介殿が操姫もろとも行方知れずになられ、ご在所を探していたところ、あなたのところにお二方ともかくまい申し上げていること、注進があった。奥方花の方様が私を検使にされ、京都への申し訳のため

    縫之介様のお首

を受け取って帰るようにとのこと」
十内は当惑しながらも「それならおっしゃるように縫之介様のお首をお渡しするのでしばらく休息してください」と娘を連れて一間に入ります。

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野球はメジャー 

私は学生時代、草野球をしていたのです。
ピッチャー兼一塁手。
なにしろ文学部ですから、あまり運動神経に自信のある者は多くありません。私もたいしたことがないのですが、周りが周りですから(笑)、ピッチャーや一塁手で3番バッターあたりを担当させてもらいました。
一塁は左利きで背が高いのでうってつけ。しかもあまりゴロは飛んでこないので(笑)エラーもしません。
ピッチャーとしてはスピードボールはたいしたことがなく、ひたすら

  変化球でごまかす(笑)

のです。
最近は呼び方が変わっているかもしれませんが、カーブ、スライダー、フォーク、パーム、シュートなどを駆使して投げるのです。というとえらそうですが、ボールの行方はボールだけが知っている(笑)。
それでもパームを投げていわゆる「クソボール」になったのを見事に空振りしてくれて三振を取ったこと、そしてたった一度、フォークがうまく落ちてくれてワンバウンドしそうな球で空振り三振を取ったことがあり、その時の相手の顔や

    手のひらの感触

は今でも覚えているのです。

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76人 

小さな大学で教えています。
理系の学生が大半で残りは幼稚園の教諭や一般企業への就職を目指す人たち。
文学などほとんど関心がない、という人が多いのです。
もちろん理系の人でも高校時代に古文が好きだったとか小説を読むのは好き、という人はいます。
小説、というと、私の高校生から大学生の頃は芥川、漱石、川端、谷崎らの古典的といってもよいような人たちのものから、新しい人としては三島由紀夫、大江健三郎、遠藤周作、吉行淳之介などでしたが、最近の学生さんはその「古典」の部類の人はまず読まないでしょうし、「新しい」部類の作家もめったに話題に上りません。
まあある程度は仕方がないでしょうけれど。
もっと古いものというとかえって話題になります。

    芭蕉、近松、西鶴

などは彼らも名前だけは(笑)知っていますし、芭蕉の発句は一つや二つは言える学生も少なくありません。
私の専攻する平安時代になると、これはもう彼女たちにとっては「古文の授業」の定番です。
「竹取物語」「伊勢物語」「枕草子」「今昔物語集」などなど。

    源氏物語

になりますとやや難しいので、高校2、3年生にならないと習わないのではないでしょうか。
私が覚えているのは「夕顔」「若紫」「橋姫」あたりですが、巻の名前などは彼女たちはもう覚えていないでしょう。ただ、「雀の子を逃がしたとか何とか言うのをよみました」とか「男の人が覗き見する場面を覚えています」とか、その程度かもしれません。

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太夫の騙り 付 720,000 

大学一年生の時、国文科に進むか日本史に進むか、未定でした。
史料を読むのはおもしろそうだと思ったのですが、文学、演劇、語り(朗読を含む)などへの興味が強く、ゆくゆくは学校教員になるつもりでしたので、それならテキストを朗読できる国語教員がいいかなという思いもありました。そもそも、

    伊勢物語 と 謡曲

が好きでしたし、どちらにしても史料を読むことは必要です。そこで、日本史と文学を平行して学びながら文学に重きを置くという姿勢で行けばいいかな、というわけで、色々悩んだ挙句、国文科に進んだのでした。
文学は史実そのままではなく、潤色や虚構があってあたりまえ。
あの『伊勢物語』なんて、在原業平の一代記のように読まれることもありますが、実際は彼と直接関わらない話もあります。ところが、鎌倉時代には伊勢物語のテキストをすべて業平がらみの史実に還元して読もうとする注釈がありました。例えば、

    芥川(高槻市を流れる川)

と通称される第六段の舞台は、実際は高槻ではなく、内裏の芥を流す川で、鬼が女を食ったというのは内裏清涼殿の鬼の間での出来事で・・・という具合です。こういう解釈を全編に施します。
注釈としては間違いですが、ところがこれが思わぬ副産物を産みました。
その穿った解釈を生かして謡曲に仕立てるということがおこなわれたのです。
謡曲には歴史上の人物が霊となって現れたりしますが、その際なぜ自分がこうして現れたかを語ります。そんなところに「誤った注釈」を活かすのです。

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其礼成心中を読む(1) 

三谷幸喜さんの新作文楽

    其礼成心中

はなかなか好評だったようで何よりです。
私は拝見できませず、噂ばかりでもどかしい思いをしていました。
せめてテキストだけでも読みたいな、と思っていたのです。すると、芝居の神様に思いが通じたのか、かねてから何かとお世話になっている優しいお姉さまから送っていただいたのです。ありがたくてありがたくて、今後はこの方をアマテラスかヒミコか皇女和宮とかお呼びしたくなるほどです。

さて、私にできることといえば、脚本を読んでどんな舞台だったのかを想像することだけ。

    全然違う

といわれるのは覚悟の上で読書感想文を(笑)書こうと思います。
まず、公演のデータから。

2012年8月11日(土)~8月22日(水)
作・演出 三谷幸喜
作曲   鶴澤清介
美術   堀尾幸男
照明   服部 基
音響   井上正弘
舞台監督 加藤 高
出演
竹本千歳大夫 豊竹呂勢大夫 豊竹睦大夫 豊竹靖大夫
鶴澤清介 鶴澤清志郎 鶴澤清丈' 鶴澤 清公
吉田幸助 吉田一輔 吉田玉佳 桐竹紋臣 桐竹紋秀
吉田玉勢 吉田簑紫郎 吉田玉翔 吉田玉誉 吉田簑次 
吉田玉彦 吉田玉路 吉田簑之

第一場 天神の森 半兵衛、心中に水差すの段
        呂勢大夫 清志郎 ツレ清丈' 清公 
第二場 饅頭屋夫婦 人助けの段
        千歳大夫 睦大夫(靖大夫) 清介
第三場 繁盛曾根崎饅頭 ライバル出現の段
        呂勢大夫 清志郎 ツレ清丈' 清公
第四場 大近松 半兵衛直訴の段
        千歳大夫 清介
第五場 半兵衛おかつ 淀川入水の段
        千歳大夫 呂勢大夫 睦大夫(靖大夫)
        清介 清志郎 清丈' 清公
《人形役割》
六助・大近松  幸助
半兵衛     一輔
おかつ・九平次 玉佳
おせん     紋臣
おふく     紋秀
治兵衛     玉勢
小春      簑紫郎 
政吉      玉翔
おふく(子役) 玉誉

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台風の季節 

「大型で非常に強い」台風第16号はこの記事を書いている9月16日午後10時30分現在で沖縄県那覇市の南南東約210kmにあって、北へ20km/hで進んでいるとのことです。中心気圧は

    910hpa

とのこと。このあと今日(16日)の9時には那覇市の北北東約100kmに達し、対馬近海から明日の21時には朝鮮半島に達する見込みだそうです。海域は猛烈なしけの可能性があるとのことです。
15日午後9時の衛星画像を見てみると、台風の目がくっきりと。沖縄地方では屋根が飛ぶほどの強い風が吹くかもしれないと言われています。
太平洋高気圧がまだ頑張っているため、台風はどうしても西寄りのコースを取るようです。
秋らしくもう少し高気圧が弱ければ

    本州縦断

などということになっていたかもしれません。
以前にも書いたと思いますが、私が台風でもっとも恐ろしい経験をしたのは平成3年9月末の19号です。
九州に上陸したあと猛烈な風を中国、北陸、東北から北海道まで吹き散らして一気に駆け抜けた「風台風」でした。何しろ勢力が衰えず、九州上陸のとき940hpaで、北海道再上陸のときも955hpaだったそうです。

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加賀見山旧錦絵(第八道行から第九の1) 

第八は「道行恋の幻」です。

縫之介は亡き道芝を慕いつつも操姫とともに鎌倉を出て近江路さして慣れぬ旅をしています。
ここは愛知川。ただでさえ旅はつらいものなのに、人目を忍ぶつらさに操姫は涙を流します。縫之介が愛知川を越えるための渡し舟を探し、苫舟を見つけます。その舟には道芝の姿がありました。縫之介と操姫が驚いて声をかけると、道芝(の霊)が「夢です」と答えます。そして四季折々の風情を交えながら廓での勤めのつらさを切々と訴えます。

続いて第九です。

鏡山のわび住まい。縫之介と操姫が暮らしています。転寝をしている縫之介を操姫が起こすと、縫之介は操姫に向かって「道芝か」と言います。夢を見ていたようです。操姫が問うと、縫之介は「愛知川の渡し場で道芝の幽霊に会った。執着を持ったまま迷っているのか」と答えます。
その様子を見て操姫は縫之介が今も自分のことを深く考えてくれないことに涙します。
そこに畑介がやってきて、「世を忍ぶ身でありながら端近で転寝してはいけません」と注意し、縫之介と操姫は一間に入ります。家の主の十内が戻ってきます。十内は「金の工面に歩いたものの思うに任せず、あなたの

    占い

が頼りです。いつもどおりお願いします」というので畑介は承知して押入れに入ります。そこにやってきたのは庄屋の作左衛門。十内と話をします。四方山話のあと、作左衛門は占いの依頼をします。
「実は私の占ってほしいのは、言いにくいのですが、この年になっての色事なのです。ところが噂ではこの女は瘡病があって、以前大病をしたというのです。私の恋が叶ってもこの鼻がだめになっては困ります。しかしこれは誰かがやきもちで邪魔をしようとして噂をまいているのかもしれず、そこを占ってほしいのです。噂をまいているのは武佐の問屋かもしれません」
「武佐というと辰巳の方角ですね・・・」
などと二人が話していると、権柄眼の鎌倉武士、

    原田軍平

がやってきて、これまた占いを頼みます。縫之介と操姫の行方を占えというのです。

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浪花の恋の物語 

文楽東京公演では『冥途の飛脚』が上演されています。忠兵衛を和生さん、梅川を勘十郎さん、八右衛門を文司さん、妙閑を勘彌さんが遣っていらっしゃいます。
床も充実していて、咲・燕三から嶋・富助という豪華メンバー。
「淡路町」は南都大夫さんが何度か素浄瑠璃で語られたと記憶しています。南都(淡路町)から咲(封印切)へというリレーもかつてひそかに願ったことがあるのですが、もう叶わないのでしょうか。
この演目が出ると、私は内田吐夢監督の

    浪花の恋の物語

を思い出してしまいます。
梅川を有馬稲子、忠兵衛を中村錦之助、妙閑を田中絹代、近松門左衛門を片岡千恵蔵、そのほか、千秋実、進藤英太郎、浪花千栄子、花園ひろみ、白木みのるらが出ていたと思います。大尽は東野英治郎だったかな?
錦之助さをはきれいな二枚目で、有馬稲子さんの梅川もすてきでした。
お互いを「川!」「忠さま!」と呼ぶ声がよみがえってきます。
冒頭で妙閑が竹本座らしきところの桟敷で人形浄瑠璃を観ていました。

    三番叟

でした。三人遣いで、もちろん時代錯誤は承知の演出。
床にちょんまげ姿の太夫さん。どなたかと思いました。

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大衆 

文楽の人形遣いはなぜ人間国宝だけが顔を出すのか、人形の芝居なのだから、顔は隠すべきだ。大衆の感覚としておかしいと思う、と言った人がいました。
文楽を初めて観る人にはときどき

    出遣い

に違和感を覚えるかたがあり、それは分からなくもありません。
ただし、もちろん人間国宝だけが顔を出すのではありません。そんなことはこのブログに来てくださるかたにとってはイロハのイですね。しかし、影響力のある(声の大きい)人がそういうことをいうと間違って信用されるかたがあるので怖いです。
それはともかく、出遣いが邪魔だという方は確かにいらっしゃいます。そういう方の多くは人形遣いさんが自分の顔を出したがっている、と思われるようです。もちろんそういう方もあるでしょうが、意外に

    黒衣と頭巾

で出たい、とおっしゃる人形遣いさんは少なくありません。
興行主さんからすれば人形遣いさんの顔を売って人気を挙げ、文楽全体の盛り上がりも意図されようとしているかもしれません。

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加賀見山旧錦絵(第七の2) 

尾上は書置きをしたためます。そしてあの遺恨の草履を手紙とともに文箱に入れ、忍び泣きをします。お初が煎じた薬を持ってきて差し出すと包みと文箱があるのに気づきます。尾上は「母上に急いで差し上げねばならぬ文です。届けなさい」とお初に言いつけます。お初は

    不吉な感じ

がしてあれこれ言い訳をして明日のことにしましょうと言うのですが、言いつけを守れと決め付けられてやむを得ずお初は行くことにします。しかし尾上のことが心配でならず、観音や鬼子母神に祈って出て行きます。
 尾上はお初に感謝し、岩藤への遺恨ゆえに短気を起こさぬかと浄瑠璃のたとえを引いて思いとどまらせようとした利発さに感じ入ります。そして、両親に感謝を述べ親不孝を詫び、大膳らのたくらみを明らかにする書置きと手に入れた密書を置いて仏間へと行きます。
 お初が外へ出ると二人連れが話しながらやってきます。これを辻占にしようと聞いていると「取って返すがまだしものこと」とのこと。烏が鳴く不吉さもあり、お初は思い切って文箱の封を切ります。中には草履と「書置」の手紙。中も読まずにお初は屋敷に駆け込みます。
 お初が戻ると、尾上はすでにこときれていました。そして

    「御前様御披露」

と書かれたものがあります。これこそ密書、これですべてが明らかになります。お初は岩藤の首を取って無念を晴らしましょうと遺恨の草履を手にします。夜は更け、初夜(戌の刻)となり、三日月も隠れた暗紛れ。お初は真一文字に奥の間へ駆けていきます。

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親ぢやぞよ 

9月の文楽東京公演では『夏祭浪花鑑』が出ています。
私にとって団七九郎兵衛の雛型は

    先代勘十郎

です。何を遣われてもかっこいい方でしたが、団七はまさに本領の出た役だったように思います。豪快さとしなやかさがあって、色気のある団七だったと記憶します。
先代の一周忌追善公演ではこの演目が選ばれ、吉田簑太郎(当代勘十郎)の団七、簑助の義平次という配役でした。簑助師匠が簑太郎さんを自由に動けるように導かれて、それに応えていらした簑太郎さんを懐かしく思い出します。
簑太郎さん、まだ30代でいらっしゃいました。
徳兵衛との華のある達引、義理にも人情にも厚い心意気、義平次を追う勢い、

    「毒喰わば皿」

以後の義平次を翻弄する手足の長さ。特にあの腕といったら!

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教育実習(2) 

長男が教育実習に行って1週間になります。
いよいよ授業をすることになります。
実は、実習が始まる直前に、彼は

    SOS

を発信してきました。やはり不安だったようです。
そして病院に来ましたので、しばらく話をしてやりました。
数学のことは私にはわかりませんので、授業をしない最初の週にどんなことを観察すればいいかとか、授業の組み立てかたとか、話をするときの注意点とか、生徒との接し方とか。
加えて、ホームルームや掃除、クラブ活動などの使い方なども。

実際は体験することでしか身につかないとは思うのですが、どんな問題意識を持つかによって多少は身につきやすくなるかな、という気持ちで話しました。
もうひとつは、話すことで安心するだろうとも思ったのです。早い話が、

    君ならできるよ

というメッセージを手渡したつもりです。

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小忌衣 

芝居好きの方が「小忌衣(をみごろも)」ときいてまず思い出されるのは、例えば『義経千本桜』「川連舘」の義経の衣装でしょうか。
文化デジタルライブラリの歌舞伎事典に写真が出ています(→こちら)。
ずいぶん派手な部屋着で、なんといっても襟に特徴があります。首の後ろが襞になっていて、エリマキトカゲのように(?)立っているのが目を引きます。
『本朝廿四孝』「謙信館」の長尾謙信も着ていますね。「将軍クラスの人物の着る館の中での平常服」という定義ができるようです。
実は、私はあれを「小忌衣」というのだと知ったときは意外だったのです。
私にとっての小忌衣とは、新嘗祭などで

    小忌の官人

が袍(ほう。うへのきぬ)の上に着ける装束だったからです。「忌」は「神聖である」ということです。
新嘗祭は旧暦十一月、つまり霜月の二番目の卯の日におこなわれ、その前後には

    五節の舞姫

のパフォーマンスもおこなわれました。
五節舞の本番は辰の日の「豊明の節会」なのですが、事前に帳台試(丑の日)、御前試(寅の日)などでも舞われました。
そんな時に働いた官人が小忌の官人であり、彼らが身につけたのが小忌衣。これが私にとっての小忌衣なのです。

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2012年9月東京公演初日 

文楽はしばしの夏休みのあと、今日(8日)から東京公演が始まります。
この公演は

第一部(11時開演)
粂仙人吉野花王
夏祭浪花鑑
  住吉鳥居前、内本町道具屋、釣船三婦内、長町裏

第二部(16時開演)
傾城阿波の鳴門
  十郎兵衛住家
冥途の飛脚
  淡路町、封印切、道行相合駕籠

という演目です。意外に出ない「鳴門」が久しぶりです。大阪でも長らく見ませんね。
私の知る太夫さんでは、古くは南部大夫の得意演目でした。その後なら、嶋大夫、小松大夫、今後なら呂勢大夫あたりがニンでしょうか。私が覚えている素浄瑠璃に、

    咲大夫の会

でのものがあります。咲大夫さんのお弓に、当時9歳だった咲甫坊や(笑)のおつるでした。
すでに、今の咲甫君の片鱗は伺えましたよ。
秋田の

    康楽館

で嶋大夫師匠、簑助師匠らで上演されたのも懐かしいです。客席がもう涙、涙でした。

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何がありました? 

2週間あまり世間から離れて軟禁されて(笑)いると、世の中がどうなっているのか、さっぱりわからなくなります。
今はネットがあるだけに、いくらかわかることもありますが、やはり小さな画面の中では動きの

    スケール

のようなものが感じ取れません。出来事がダイナミックでないのです。
すべてが平板。活字や写真の大きさは一様で、一面トップなのかベタ記事なのか、そういうことがわからないのです。
新聞なら記事の方から

    目に飛び込んでくる

ことがあっても、ネットだとこちらの選択次第。主な項目として載っているものでもまるで私には関心のないことがあり、逆に関心事が表に出てこなかったり。
しかし、歌舞伎の市川染五郎の事故はすぐに飛び込んできたもののひとつでした。奈落は怖いです。文楽劇場の舞台下を見学された方もいらっしゃると思いますが、ぞっとしますよね。
もうひとつ、気にしていたのは、やはり文楽の桐竹勘十郎さん一行のアルジェリア公演でした。

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オペ 

8月21日にメスを入れたのです。
切ったり削ったり、極めて細かい部分ですので、ドクターにも熟練の技が必要です。
全身麻酔だと呼吸器に悪影響があるかも知れないので、いわゆる

    局所麻酔

です。それで、朦朧とはしていますが、術中のことはある程度は覚えています。

術前の4本の注射でぼんやりしたまま、午後3時前と思われる頃に、がらがらとストレッチャーで運ばれます、間違いを防ぐために名前と手術部位を告げるのですが声が出ません。口の動きで確認してもらって、ストレッチャーから手術台へは自力で移ります。
身体中に何かくっ付けられたりして、「麻酔、行きます」。これがちょっと痛い。あとは何をしているのかわかりませんが、とにかく触られている感覚だけはあります。
約三時間でしょうか、長かったようなそれほどでもないような。
最後にぐるぐる包帯を巻かれて

    終わりました

とのこと。
何人がかりだったのかはわかりませんが、2人のドクターは認識しました。ほかにも若手の人がいたかもしれません。
手術室を出る時、主治医が近づいてきて、うまくいきました、という顔で頷いてくれました。

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TwitterからBlogへ 

Twitterを使い始めるのは遅かったのです。
だいたい不精なので、新しいことにはなかなか挑みません。
そのかわり、いったん始めるとなかなかやめません(笑)。
今、私はが登録しているのはTwitter、mixi、Facebook、そして各ブログにお邪魔しています。

    一番おろそか

なのはmixi。めったに覗かなくなりました。
しかし、あちらだけのお付き合いのかたもあり、なかなか抜けられません。
Facebookはまだ全然使いこなせていません。同僚のmyonさんにはグループにも入れていただいているのに、拝見するだけになりがちです。Facebookの「友達」もなかなか増えません。第一、かつての友人を検索しようとか、何かのはずみでFacebookに登録していることを知った知り合いに友達申請をするとか、そういう

    努力もしていない

ので、増えなくて当然です。
人に見せたい写真などもあまりありませんので、近況の投稿もポツリポツリです。
もし皆様の中でFacebookをなさっているかたがいらっしゃいましたら、是非よろしくお願いいたします。
最近Facebookで友達申請が来たのですが、そのかたのお名前を見てびっくりしました。
かつてお友だちと一緒に「大入り! 文楽手帖」というブログをされていた方で、私が最初に親しくしていただいたブロガーさんでした。
と言えば、覚えていらっしゃる方も少なくないのではないでしょうか。

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加賀見山旧錦絵(第七の1) 

おなじみの場面になりました。

扇ガ谷の花の方の館。
奥御殿の長局では、はしためたちがおしゃべりをしています。時は八つ下がり。主人尾上のお下がりの時刻とあってお初が迎えに来ます。はしためたちはお初を仲間に入れて尾上を誉めそやし、岩藤の悪口を言います。そしてお初に前日の草履打ちの話をしていると岩藤が現れます。岩藤はほかの女を去らせてお初を呼び寄せます。そして「なぜ私の悪口を言ったのか。尾上に言わされたのか」と猫なで声で問います。お初は何も知らないといいますが岩藤は許さず、つねったり突いたりしていじめます。
そのとき上屋敷から使者があると案内の声がしたので岩藤はお初を蹴飛ばして追いやります。使者とは伯父の大膳(今は「弾正」として上演)で、「持氏の家督相続は花の方の子

    花若

ということになったが家督相続のための綸旨は自分の手にあり、花若の相続は簡単には行かない」と岩藤を安心させます。岩藤は「大切な密書は

    尾上が拾った

と思われます。そこで昨日鶴ヶ岡で喧嘩を仕掛けましたが辛抱されてしまいました。今日は尾上の召使のお初をいじめて手向かいさせようと思いましたが、これもだめでした。どうすればよいでしょう」と尋ねます。お初がそばで聞いているとも知らず、二人は御家を自分たちの思うままにする算段を話し、奥と表へ別れていきます。

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堂島にて 

実は、8月下旬から大阪・堂島で療養しています。
大阪市に税金を落とすのは何かとしゃくなのですが(笑)、仕方がありません。
今私のいるところから少し東に行くと天満屋のあった堂島新地、その北に梅田橋。蔵屋敷が連なり、米相場が立ち、福澤諭吉はこのすぐそばで生まれ、義経は梶原と逆櫓の論争をしました。
玉江橋からは、昔は天王寺さんの

    五重塔

が見えたそうです。蛸の松は、昔は田簑橋と玉江橋の間、堂島川の左岸にあったそうですが、残念ながら枯れてしまい、今は新たに植えられたものが田簑橋北詰にあります。
どんなにとぼけた市長が君臨あそばされようと、それは一瞬。堂島の歴史はこれからも末長く語り継がれます。

身体にメスを入れたのですが、どなたにも言いませんでした。教えに行っている学校にも、言っても仕方がないので何も言っていません。
この期間、メインの読書は

    枕草子

でした。何をいまさら、と言われそうですが、きちんと通読したことはないと言ってよい「大物」だったのです。
読めてよかったです。

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暁に帰らむ人 

8月31日の夜は満月でした。太陽暦では1ヶ月に2度満月になることがあり、ブルームーンというのだとか。
平安時代の愛好家としては満月は月の半ばにあってほしいですし、ひと月に2回も満月が来ることはあり得ないという意識が強いわけです。月は今より昔のほうが明るく(なにしろ昔の夜は暗いのですから!)、王朝の男たちは月明かりを浴びながら女のもとに通いました。

枕草子に「暁に帰らむ人は」という段があります。
痛快ですね、清少納言という人は。
昔、貴族の男は女のもとに通い、暁には帰るのでした。
暁はまだ暗いのですが

  鶏の声に急かされる

ように目を覚まし、名残を惜しみながら帰っていきます。
しかし、そういう場合でもエチケットというか、マナーというか、女性への思いやりが必要です。
清少納言は、帰るときは衣装をきちんとして烏帽子の緒や元結を固めなくてよい、直衣や狩衣などを歪めても、誰もその姿を見て笑ったりはしないのだから、と。
あれっ? きちんとしろ、というのではないのですか?
彼女は続けて言います。
やはり暁のありさまは好ましいものでなければ、と。

心が残ってしぶしぶ起きにくそうにしている男を「夜が明けてしまいますよ」と急かすと男が嘆いてつらそうな様子を見せる。指貫(さしぬき)という、足のくるぶしのほうを括った袴を着けないまま女の耳に

  昨夜話したことの名残

をささやく。妻戸(つまど)をあけて一緒に出ていって、「昼会えないのがつらいよ」などと言って帰っていくのがよいのだ。
なるほど、そうなのですね。参考にします(何の参考に?)。

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9月になって 

今年も3分の2が終わり、今日から9月になります。
なかなか涼しくなりませんが、いかがお過ごしでしょうか。
昔の

    長月

なら、もう晩秋で、なかなか風流な時季です。

旧暦では、一月(睦月)、五月(皐月)、九月(長月)を年三長斎の月としました。
年に三度の長い斎をおこなう月ということです。
この3ヶ月は諸天が巡り歩き人間の善悪を徹底的にチェックするので、五味を断って八戒を守り精進し、仏菩薩の名を唱えると罪業が滅するのだそうです。
八戒は、殺してはいけない、盗んではいけない、飲酒してはいけないなどの「五戒」に歌舞音曲を観たり聴いたりしてはいけないなどの三つを加えたもの。
寺で法話を聴いたりするのもよいようです。

    『女殺油地獄』

に「取り分け祝ひ月、鬢つけ元結をととのへ」とある「祝ひ月」も同じです。
面倒な月のようですが、実際は気候も悪くなくピクニック気分で出かけたり、ということもあったようです。ピクニックするなかれ、という戒はなかったようです。

今年の旧暦九月一日は10月15日だそうで、まだまだではありますが。

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