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揖保川と千種川 

山陽自動車道が跨いでいく川を眺めています。
姫路市の西隣、たつの市(8年前に揖保郡新宮町などと合併するまでは漢字で「龍野市」でした)を貫流するのが

    揖保川

です。源は宍粟市(しそうし)の山で、河口は見事な三角州になっており、姫路市網干区になります。
部分的にはJR姫新線と平行しています。
江戸時代は龍野藩、お殿様は脇坂家です。
今の兵庫県知事の井戸さんという人は旧揖保郡新宮町の出身ですが、たつの市出身の著名人としてはやはり「赤とんぼ」の

    三木露風

を挙げるべきでしょう。山陽自動車道がたつの市に入るところの表示にも赤とんぼがデザインされています。
産業としては薄口醤油があり、ヒガシマルなどの醤油業者が居並ぶ町です。「揖保の糸」で知られる素麺も忘れられません。この夏もいただきました。意外に知られていないたつの市の産業に皮革があります。なめし革の高級品で有名なのです。
合併しても人口は8万人ほどの町なのですが、なかなか逞しいですね。
そしてこれらの産業によき水は不可欠。
たつの市にとって、揖保川は母なる川といってもよさそうです。

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ぐうたらバイト 

夏休みもあと3週間ほど。
毎度申しますが、夏休みというのは学生が休むのであって、私は別に南の島でカクテルなんぞを片手に海の青や山の緑を眺めているわけではありません。
もっとも学生諸姉もバイトはたいていしていますし、実習に行ったりもしていますから、けっこうたいへんなのです。
昔は

    お嬢様学校

に勤めていましたから、彼女たちは夏休みは優雅に親のお金で海外旅行。大学から引率していましたのでまあまあ安心ですし、宿泊は高級ホテル、もちろん旅行社の添乗員付きです。私も引率という名の無銭旅行(笑)をしたかったのですが、年長者の方に遠慮して「行きます」とは言い出せず、躊躇しているうちにバブルは崩壊、学生数の減少でお嬢様たちはもっとハイレベルな学校に行ってしまい、お嬢ちゃんたちの学校(笑)になり、旅行もなくなってしまいました。
私も生活が大変なので、この夏は横になっていてもできるバイト(笑)に励んでいました。
内容は言えないのですが、書き物には違いありません。はっきり言ってむなしい仕事です。
どんなに時間をかけても、どんなに熱心に書いてもいただけるものは同じ。それなら適当にサボっておればよいのですが、そういう器用なことができるタチではありません。ごまかせば4、5時間でできるかもしれませんが、私はたぶんその

    10倍の時間

をかけるという馬鹿さ加減です。
なんでもっと器用に生きられないのか、情けないやらおかしいやら。う~ん、なんだか粉屋の孫右衛門みたいですね。あほさ加減では紙屋治兵衛の上を行きますし。我が身に置き換えてみると、やっぱりあの二人って似ていないようで兄弟ですよ。

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市川と夢前川 

山陽自動車道姫路東ICを過ぎると市川に出くわします。そしてまもなくJR播但線。姫路東ICは播但自動車道に接続していますから、市川は道路とJRに挟まれている、というよりも、市川の左右に鉄道と道が作られたわけです。川沿いに集落や道が発展するのは当然ですね。
大相撲の力士の名跡のひとつに

    増位山

がありますが、これは姫路市にある山に由来するものです。もともと姫路のお抱え力士が名乗ったそうですが、今は歌手として活躍されているという増位山さんのお父さんである先代増位山は姫路の出身でいらっしゃいます(先代は歌よりも絵がお上手でした)。
この増位山は市川を西へ渡ってすぐのところにあります。

    姫路城

は増位山の南南西にあり、昔からこの山は姫路の人から親しまれたのでしょうね。
大阪城でモトクロスをおこなうという話が出たとき、その理由として「大阪城は日本を代表する城で…」という言い方がなされましたが、いくらなんでもそれはないでしょ、と思いました。
日本を代表する城といえば、まずは姫路城、次に彦根城あたりを挙げるべきで、大阪市はプライドをくすぐられてホイホイ喜んだのではないかとすら思いました。
今、姫路城は大修理の最中ですが、また行ってみたい、ほんとうに美しく立派な城です。

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加古川 

山陽自動車道を走ると、当然ながらさまざな川を渡ります。私は摂津の住人ですが、播磨だな、と感じる川は加古川です。
文楽ファンはどうしてもこの名前を見ると

    加古川本蔵

を思い出してしまいますね。
この川は兵庫県加古川市などを流れる川です。
JR加古川線がほぼ平行して走っているのですが、いつしか篠山川になって東の方に延びていきます。あの丹波篠山です。さらに遡ると、私の見間違いでなければ、支流は大阪府の能勢町あたりまで行くようです。
加古川市は西播磨の姫路市に対して東播磨の中心(人口は姫路は及ばない)、

    鶴林寺

という有名なお寺もあります。
鶴林寺は聖徳太子が開いたと伝えられ、播磨の法隆寺とまで言われます。太子堂は平安時代の創建、室町時代の本堂とともに国宝になっています。
と、えらそうに言いながら、ここには行ったことがないのです。

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ミート・ソース 

今年も秋には奈良まで幼稚園人形劇に参加する予定です。
これまでに

  ごんべえさんとやまのかみさま

  いけにもぐったごんべえさん

を観てもらったのですが、なかなかよく分かってくれるようです。
図にのって、今年は

  ごんべえさんとあまいピーマン

でも作ろうかと(笑)思ったのですが、今のところできていません。
ピーマンの苦手なごんべえさんが品種改良に挑んで甘いピーマンを作ろうとしますが、失敗。
それよりも料理の腕を磨いて美味しいピーマン料理を工夫する、とかなんとか。
新作の場合はまた小道具が必要で、自作せねばなりません。
ピーマンの枝が成長して、水やりをおこたるとショボンと萎れるような(針金を使えばできるはず)小細工も考えるのですが、はっきり言って面倒です。
ピーマン料理の完成品も作らないとダメかなぁ。レストランの見本のような。
青椒肉絲にしても肉詰めにしても、あの

  ミート・ソース

っぽいものを作らねばならず、これは難題です。

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ピーマン・ロース 

ピーマンはたくさんできる、とは聞いていましたが、本当でした。
私の栽培したのは

    京波

という品種でした(カボチャ根の接ぎ木苗)。これを選んだ理由は特にありません。ホームセンターで目と目が合っただけです(笑)。
水やりがおろそかになることもあって、形がきれいなものばかりてはなく、売り物にはならなかったかもしれませんが(笑)、ピーマンはピーマンです。
最初の収穫が天ぷらになったことは書いたのですが、その後も

    じゃこピーマン

をはじめ、豚肉との炒めもの、野菜炒め、ピーマンはるさめなどになりました。
一株ですから、いくらでも食べられる、というわけではありませんが、それなりに満足しました。
もう少し広いスペースがあればまた来年も作りたいのですが、どうなりますやら。
野菜作りは感謝の気持ちを育てるような気がします。
まだ収穫は続きますが、報告はこれで打ち止めにしようかと思います。

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ピート・ローズ 

昨日はイチロー選手のことを書きました。
オリックス時代は流し打ちよりライトへの二塁打が印象に残っています。すばらしい勢いでボールが飛んでいきます。
3999本目のヒットはみごとなピッチャー返し。

  ヒットはこう打つ

というお手本のようでした。
そして4000本目はレフト前。打ってすぐにイチロー選手は一塁までの走りを楽しむようにスピードを落としました。
どんな反応があるのか、戸惑ったように見えました。観客は立ち上がり、なんと、ダグアウトからは選手がぞろぞろ。試合が止まって祝福を受けました。二塁を守っていた川崎選手(トロント・ブルージェイズ)は外野から返ってきたボールを離したがらず、ひょっとしたら、ちょろまかして(笑)あとで直接イチロー選手に渡したかったのではないのかと思いました。勝手にボールをポケットに入れたらルール違反だと思いますから、実際はじっと見つめていたかったのでしょうか。
この記録は、しかし、メジャーリーグ4000本安打ではありません。いわば参考記録のようなものです。

1978年秋、アメリカからボストン・レッドソックスがやって来ました。中心選手は今も破られていないメジャー安打数記録をやがて打ち立てる

    ピート・ローズ

でした。レッドソックスが、というよりも、ピート・ローズか来る、というのでワクワクしたものでした。
日本では、まだ王貞治さんが現役。王さんはすでにハンク・アーロンの上をいき、800号ホームランも達成していました。
そこで、やって来たレッドソックスの選手に「王貞治をどう評価するか」という共通の質問が投げかけられました。大半の選手は「アメリカでもいくらか活躍できるだろう」と答え、それが精一杯の彼らのリップサービスだったようです。
なにしろ当時の後楽園球場は左右両翼が公称90メートル、実際はそれ以下だったといわれ、球場に入った選手はここで何本ホームランを打とうとメジャーの記録とは関係ないと思ったかも知れません。
ところが、ただ一人、王さんのことを

    グレイト

とだけ言った選手がいました。それがピート・ローズでした。一歳年長の王さんへの敬意も感じられ、私は感心しました。

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8000の失敗 

まずはメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキーズのイチロー選手、4000本安打達成おめでとうございます。
日本との通算ですから、イチロー選手自身もあまりこだわりは大きくないのかも知れませんが、日米のプロのリーグで

  4000回ヒットを打った

事実は間違いありません。
内野安打が多いとか、日本のレベルはアメリカの3A並みだとか、まあ、いろいろ言われます。しかし、内野安打はヒットというのがルールですし、メジャーリーガーが日本に来ても4割打った人も60本塁打した人もいません。
イチロー選手が特にこだわっていないのですから、周りがケチをつけるとつけただけ恥ずかしかったりします。
私がイチロー選手を驚きの目で見たのは彼が高校時代、というと伯楽っぽくていいのですが、残念ながらオリックス入団後です。鈴木というひょろっとした選手がすばらしいバットさばきと腰の回転でジュニアオールスター(今のフレッシュオールスター)で決勝ホームランを打った時でした。
当時彼はその打法が一軍の監督やコーチに理解されていなかったのですが、二軍の河村コーチは理解があり、二人三脚でバッティングを磨いたと言われます。さらに仰木監督、新井コーチに出会い、すばらしい成績を残すことになるのです。
その後の活躍は書くもおろか。マスメディアに対する物言いがややひねくれた感があり、生意気、と嫌う人もいますが、は大事にする人のようです。
彼が4000本安打を達成した日に

  8000回以上の失敗

に言及しました。打者は三割打てば一流ですから、3回打席に立って1回ヒットを打てばすばらしい成績ということになります。彼もまた4000のヒットの陰で8000の悔しさを味わっているわけです。

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エスカレーター 

私立の学校には行かせてもらえなかったので、私が体験した受験というのは事実上大学だけです。中学校は公立で無試験、高校は、当時

    兵庫方式

と言われたもので、内申書重視。思考力テストのようなものはありましたが、実際は願書を出すときにあらかた決まっていたようなものでした。私は西宮市の公立高校なら何とか通るだろうというので受けましたが、宝塚市(当時は公立高校はひとつ)と違って、大都会!の西宮市には四つあり、合格してもその四つのどこに回されるかわからないのです。四校の学力に差をつけないような意図があったようです(結果的には四校ともレベルダウンしたような気がします)。
たしか、成績上位一割の生徒は希望した学校に行けたのですが、私が一割に入るはずはありません。
ですから、合格発表の日は、合格するかどうかよりも、どこの高校に合格しているかが問題なのでした。
一方、中学で受験して私立に行った友人はエスカレーターでそのまま高等部へ、というのが大半でしたから、当時の兵庫県で「まともな高校受験」をするのは、公立中学校から私立高校を目指す人くらいだったかもしれません(言い過ぎ御免)。
大学受験は私立組も外に出る人は多いですが、エスカレーター組もけっこういました。
女子中~女子高~女子大の人はうらやましかったですね。妹はまさにそれで、私の家は「男の子は公立、女の子は私立」という差別(笑)があったのです。
塾にも行かせてもらえません。勉強は自分でしなさい、

  妹に教育費がかかる

から、という感じでした。でも妹は英語の塾にも行ってたなぁ。そして悠々と女子大に行って、車を買ってもらって遊んでいたし(書いているうちに腹が立ってきた…笑)。

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家路 

小学生のころ、私は「音楽が好き」で通っていて、卒業するときに同級生から「立派な音楽家になれよ」と言われたことを覚えています。そこまで熱心だったわけではないのですが、ほかに取り柄がないと思われていたのでしょう。
ピアノなんて習わせてもらえる家庭ではありませんでしたから、楽器といえば学校で使うリコーダーかハーモニカくらいのものでした。しかも、リコーダーは兄のお古の少し傷のついたものでした(笑)。
でもリコーダー(当時は単にたて笛と言っていましたが)は本当に好きで、学校の運動会などでは行進には参加せず、ブンチャカブンチャカ演奏する側にいました。クラブ活動は5、6年生だけでしたが、私は4年生のときに助っ人で器楽部に行っていました。5、6年生の時は器楽部で男子は私一人、あまり希望していなかった太鼓もたたかされました。
オーケストラには憧れがあり、当時、

    小澤征爾さん

がブザンソンで優勝した直後だったかなにかで脚光を浴びていて、指揮者にも憧れました。
しかし、田舎の少年にできるのはせいぜいお古のリコーダー。それだけに、オーケストラではクラリネット、オーボエ、フルートなどに関心があったのは自然でした。
音楽の時間に

    「家路」

という曲を習いました。A.ドボルジャーク作曲。これは家路という単独の曲だと思い込みました。気だるいメロディーが、とても好きで、こんな曲を作ってみたいと思ったものでした。

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団扇 

8月の立秋あたりから、残暑などというなまやさしいものではない暑さがやって来ました。
大平洋高気圧が強いだけでなく、もうひとつの高気圧が重なるようになり、強烈なまでに気温が上がりました。高知県の四万十市で

    41℃

という新記録が出るという異常さでした。
私の住む宝塚市でも室温が36℃前後。私の体温より高いです。
頭が頭痛で痛く、息が呼吸困難で難しくなるくらいでした(何だか混乱してるな)。
大阪はさらに暑く、京都はまたその上を行く暑さだったようです。
学生時代、お盆の時期に京都で1週間研究会があり、

    扇風機

だけの会場で朝から夕方まで勉強しました。夜はさすがに友人とビールを一杯だけ贅沢したこともありました。
それでも、最高で35℃くらい。今の京都なら最高で38℃くらいですから、大変な違いです。

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図書館に登る 

7月の終わり頃でしたが、どうしても大学の図書館で調べたいことがあって、決死の覚悟で出かけました。
なぜ決死の覚悟かと申しますと、ここの図書館は階段を昇っていかねばならないからです。それでなくてもしんどいのに、階段を昇るなんてとんでもない話です。
そのために、これまで我慢していたのです。でもどうしようもなくなって、頑張って出かけたのです。
まず、階段の下で一息入れました。

  よし、昇るぞ

と深呼吸しました。いや、「昇る」というよりは「登る」のほうが実感があります。登山みたいなものです。しかもかなり空気の薄いところに登る感じ。
目指す本は美術書で、三階の奥にあります。まず2階まで上がって総記などをながめながら休憩(笑)。
数分後にまた意を決して3階へ。入ってすぐのところにあればよいのですが、何しろ今やこの大学は理系の大学。栄養がどうたら看護がなんたらいう本ばかりが目立ちます。
しかしそこは我慢せねばなりません。
目指す場所は慣れたところです。そこまでは

    一直線

です。ゴールは目の前だ!

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三輪を隠すか 

額田王の歌に

  三輪山をしかも隠すか
    雲だにも心あらなも
      隠さふべしや

があります。天智天皇が都を近江に移すことになり、大宮人たちが旧都を離れるに際して詠まれたものです。
「三輪山をそうやって隠すのか。せめて雲だけでも心があってほしい。隠してよいものか」と詠んでいます。三輪山はそれほどに大和、飛鳥の象徴的な山だったということです。山自体が三輪神社のご神体。たしかに

    神々しさ

を感じます。
『妹背山婦女庭訓』「金殿」の結末を見ていてあまり関係のないこの歌を思い出してしまいました。お三輪を隠してどうしようというのか。

今回は珍しく「井戸替」が出ました。冒頭から威勢よく男たちが働き、後半には酒と踊り。大した内容ではありませんが、祭とは違うものの、秋の初めの年中行事として、にぎやかで季節感があります。そして、求馬という男と彼を追う勢力のあること、その一方で彼を慕うお三輪がいることが知られ、苧環の意味も分かります。いわば

    端場の楽しみ

です。
なかなかいいものです。

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暑を払う 付780,000 

『夏祭浪花鑑』は真夏の大阪で上演してこそ、と感じます。
客席と一体になるという意味では、劇場のエアコンをあまり強くせず、扇子を使いたくなるくらいがちょうどよいかも(笑)。
「鳥居前」はまだ気候も穏やかな住吉神社です。しかし、

  「六月十四日 御田植祭」
  「六月三十日 大祓祭」

の札も出ています。この時点ですでに何やら起こりそうな予感がします。夏祭とは、住吉さんの祭なのか?
文雀師匠は段差が心配でしたが、鳥居に向かうところはしっかり師匠を守るサポーターがついていました。二度目の出は小幕からでした。
文昇さんの磯之丞はいそいそとして軽みがあり、勘弥さんの琴浦はそよそよと薫風のようで、この二人の軽さが重い結末を招く皮肉を感じさせます。ばたばたとした佐賀右衛門もおかしいです。
権と八は進境を見せる勘市、玉佳。安心して見ていられます。
徳兵衛は大事な人物ながら田島町がないと存在感がいまひとつでしょうか。
左右に団七と徳兵衛。それを

    真ん中で抑える

お梶。この芝居らしい、いい図柄です。
道具屋が出ないとどうしても義平次の狡猾さや汚さがぼやけます。特に今回は和生さんでしたので、いい人に見えたりして。
義平次という男は、まとわりつくような暑さそのもの。ねちねちとして離れないうっとうしい存在。上目遣いで人をなめ尽くすようないやらしさ。その「暑気」を

    からりとした夏男

が払うのがこの芝居の楽しみと言えるでしょうか。「道具屋」がなくて、和生さんもいささかこの人物を造型しおおせなかった、という印象を抱きました。

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金太郎 

夏の文楽第一部は例によって親子劇場でした。開演前に芳穂大夫さんが出てきて金太郎のことなどを少し。
今の子たちは必ずしも金太郎を知っているとは限らないので、親切です。
マクラはとても 難しく、ここは意味よりも雰囲気、音、節等を感じ取ってくれればいいでしょう。
金太郎は幸助さん、鬼童丸は玉佳さん。逆でもよいところで、中日交替でもよかったかな、と感じます。
幸助さんには酷なことを言いますが、金太郎の人形は手足も胴も短めに、要するに

    もっと小さく

はできないものでしょうか金太郎は幼いだけでなく、体も背丈は小さく、丸々としている印象があります。胴の丸さを誇張して、腹掛けの「金」の字をもっと目立たせられないか。栄養の悪かった昔は太っているのはたくましさの象徴で、私など生まれたときの体重が4200グラムだったというだけで

    健康優良児

として表彰された(実話)くらいです。
今時は肥満として歓迎されないのかな?
小さくすると当然スケールも小さくなり、見映えの問題があります。しかし、小よく大を制すという表現はできそうに思います。どうしてもダメなら、小さな金太郎が怒りに燃えると肥大化し、土蜘蛛と戦うときだけ団七ほどの筋骨隆々(刺青はなくてよい)にするとか。それから、赤い肌ということになっていますが、見やすさ、視覚効果の面ではどうでしょうか。赤鬼が同時に出ているので、特にそう思うのかも知れませんが。

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行方不明 

先日東大阪市にある大きな図書館からメールが来ました。
資料コピーの希望を出していたのですが、なかなか返事が来ず、どうしたのだろう、とは思っていたのです。しかし雑事に紛れていつしか失念していました。
すると、「何度もメールしたのに返事がないからあのコピーの件はなかったものにします」という内容のメールが来たと言うわけです。
私はそういうメールに記憶がなく、いくらいい加減な人間でも図書館からのメールを逃すはずはないと思っていました。そこではたと気づいたのは

    迷惑メール

に紛れ込んでいるのではないかということでした。以前そういう経験がありますので、ほぼそれと確信して探してみました。
しかし、ありません。
うっかり

    ゴミ箱

に入れてしまったのかと思ってこれまた探したのですがないのです。
向こうがメールアドレスを間違えているはありません。なぜなら先のメールはきちんと届いているのですから。
まったく不可解です。
夏の夜の怪異でした。

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戦争は終わった 

戦争ごっこの好きな高校の後輩がいました。
当時の最新戦闘機とか、兵器とか、そういうものにやたら詳しくて、同級生と机上で戦争の真似をして遊んでいるのです。机上の、というのは、要するに口だけで戦争をするわけです。

    何が楽しいのか・・

よくわからなかったのですが、本人は時間が経つにつれて(机上で戦争が拡大化するのでしょうか)興奮して声も大きくなっていました。遊びですから、どうぞお好きに、という感じでした。
私が子供の頃は、戦争を知っている大人たちがたくさんいたわけです。私の父もぎりぎり体験者です。ただ、父は戦争など嫌で、逃げ回っていたらしいです。さすがは我が親。
団塊の世代の人たちは

  戦争を知らない子供たち

の元祖のような存在でした。例えば北山修氏は昭和21年、加藤和彦氏は昭和22年の生まれです。
あの人たちが多感な少年時代に世界ではベトナム戦争もあり、反戦の歌も世界中でさかんに歌われ、彼らの多くは共感していたと思います。その一方、戦争の現実を知らないゆえに戦争だ、軍隊だと声高にいう人もいます。
ポスト団塊ともいうべき昭和20年代半ば生まれの人はそんな「お兄さん、お姉さんたち」を目の前にして育ったわけです。男の子はやはり戦争ごっこや戦闘機のプラモデルを作って遊んだ年代でしょう。
今の総理大臣はさらにそれより下。しかも、お坊っちゃん育ちで、言わば「おんばひがさ」で大きくなったような人とお見受けします。
そのこと自体は悪いことではありません。品のよい、サラブレッド政治家であることも、叩き上げにはないメリットはあるはずです。世間知らずの能天気もまた役に立つことはあるかも知れません。
しかし、それでも私はあの人の憲法観や戦争観には与することはできません。
おんばひがさといえば、石原ご老体もそうでしょうが、あの御仁にもほとほとあきれます。

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急遽、西の旅に 

電車に乗って旅がしたい、ともう何年も思っています。新幹線で東京まででもいいから。もう二度とそういうことはできないかもしれないと思いつつ、やはり旅には憧れます。
この夏は家でじっとしていようと思ったのですが、急に家の都合でいつもでかける

    西の町

に行くことになりました。
かわり映えのしない旅ですが、じっとしているよりは気分転換になっていいだろうと思います。ただ、車での長距離移動ですので、いささかつらいのです。長男がかなり運転してくれると思いますので助かりますが、私もいくらかは高速をぶっ飛ばさねばなりません。
上方の落語で西の旅というと

    金比羅宮

参詣が目的です。四国讃岐のこんぴらさんですね。東の旅は「お伊勢さん」ですから、参詣ということを建前に旅をしたのですね。四国ですから船旅があります。

  帰り道は播州、室の港に上がりまして
  播州路を東へ東へ。明石、舞子、須磨
  をも過ぎまして出てまいりましたのが
  兵庫は鍛冶屋町の浜でございます。

というわけで、明石や舞子、須磨の話もありますが、やはり有名なのは兵庫船ですね。

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類は友を 

これまで関心のなかったことで最近興味を持ち始めたというとやはりプランター野菜栽培です。
かなり以前から、おそらく20年以上も前から、

    「帰農」

ということばが心に引っかかっていたことは事実です。
ひとまわりほど年上の先輩教員が「退職して米作りをする」と言われたときには引き止めるどころか

    うらやましい

と思ったものでした。
あの人は今も成長しつつある稲を見て暮らしているのかな・・?
私はこれまでそういう生活にあこがれるなどと言ったことはありませんでした。周囲の人も畑作りをしている人などいないと思っていました。
ところが最近カミングアウト(笑)すると、「実は私も」とカミングアウト返しされて、続々と同じようなことをしている人を発見するのです。それが証拠にツイッターやFacebookで野菜の写真を見ることが多いのです。

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紫式部日記を読む(続) 

今残されている『紫式部日記』は寛弘五年(1008)秋の記事に始まっています。しかし現実にはそれ以前の内容も含まれているとされ(厳密にはいつのことは特定できていない)、一番終わりのほうに残されているのです。また、この日記の冒頭以前にも記事があったことが想定されてもいます。
この年は藤原道長の娘、彰子(一条天皇の中宮)が皇子を産むのですが、その出産直前から書き起こされているのです。
当時の中宮の出産は内裏ではなく実家に戻って行われました。彰子も秋の初めの七月十六日に内裏を出て実家の

    土御門第

に戻りました。土御門第は今の京都御苑の大宮御所、仙洞御所あたりにあったのです。土御門大路と近衛大路に挟まれた南北二町という広大なお屋敷です。大内裏の東端の外側が大宮大路ですから、そこからでも1km以上あったようです。一条天皇は火災にしばしば遭った人で、正式の内裏に安住し続けてはいません。この当時は一条院と呼ばれる、大宮大路の東、一条大路の南のお屋敷に住んでいました。そこから彰子は実家に戻ってきたわけです。やはり1km以上の距離があります。
『紫式部日記』の冒頭辺りは、出産を待ちかねる貴族たちや女房の様子が生き生きと描かれています。彼女の同僚の女房たちも書きとめられています。
そして、九月十日、彰子は産気づいて(この日は生まれない)

    白い御帳台

に移ります。白いのは出産のためです。

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ハットの日(続) 

ハット関連の話の続きです。

平安時代の貴族のかぶりものには冠と烏帽子があります。
礼装の束帯姿の時には冠を着けました。前頭部は「額」、後頭部のほうで立っているのが巾子(こじ)です。巾子に突き刺さっている横棒は笄(こうがい)、後ろに垂らすのが纓(えい)です。巾子の中に髷を入れて、笄で貫きます。ですから落ちることはありません。
武官は纓などを垂らしていると活動できませんから、巻纓(けんえい)といって巻き上げます。さらに冠が落ちないように懸緒(かけお。あごひも)で固定します。

冠
↑冠

相変わらずひどい絵ですが、『源氏物語絵巻 夕霧』(五島美術館)に描かれる夕霧(光源氏の子)です。彼の自宅で手紙を読んでいるところです。

手紙を読む夕霧

烏帽子は日常のかぶりもので、カラス色をした帽子ということです。二枚の半円形の布を縫い合わせたもので、紐をつけて髷に留めます。元は絹などを使いましたが、後には紙に漆を塗りました。そういえば『妹背山婦女庭訓』の藤原淡海は烏帽子職人其原求馬に身をやつしていました。庶民も烏帽子は必要でしたから、烏帽子職人もいい仕事になったのでしょうね。
文楽で烏帽子と言うと、加藤正清(加藤清正)も思い出します。そうです、彼の兜は烏帽子形(えぼしなり)でした(⇒参照)。

烏帽子
↑烏帽子

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ハットの日 

「○○の日」というのが山ほどあります。
以前は何かを啓発する(たとえば「6月4日は虫歯予防デー」「8月7日は鼻の日など)目的のものも多かったのですが、このごろは商売に生かそうという下心(笑)が強いようです。
ですからわりあいに安易な(笑)語呂合わせも多く、「今日は○○の日じゃないかな」と読めてしまうこともあります。
たとえば、7月10日は納豆の日とか2月10日はニットの日とか。
10日ばかりになりましたが、今日は8月10日。

    健康ハートの日

だそうです。もちろん、「ハー(8)ト(10)」の語呂合わせ。
日本心臓財団と厚生省(現厚生労働省)が1985年に制定したとのことです。
心臓病が多い冬の日ではなく、心臓の気になる季節に備えてこの時期にチェックしましょうということのようで、これは虫歯予防デーと同じく健康に対する啓発の意味があるのでスネ。冬の為尓夏から、というのはいささか無理も感じますが、学校の教員などはこの時期に

    人間ドック

に入る人も多いので、さほど違和感はないかもしれません。

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老化に逆らう 

野球選手には限りませんが、ニックネームで呼ばれるのはやはり人気がある証拠ですね。鈴木一朗選手は誰からも「イチロー」と呼ばれ、時の監督(オリックス・仰木さん)が登録名にして、今では彼が鈴木さんであることなどつい忘れがちです。
大御所になられた王貞治さんも現役時代は

    ワンちゃん

で通っていました。
海外でも同じで、かつて阪急ブレーヴズにいたウェルズ選手は、アメリカでブームを巻き起こしたとかで、ブーマーと呼ばれ、日本でもそれが登録名になりました。

    アレックス・ロドリゲス

選手も、エー・ロッド(A.ロッド)で通用します。
すでに38歳ですが、これまでに650本近くのホームランを放ったスラッガー。今はニューヨークヤンキーズに所属しています。
先日故障から復帰して今シーズン初めて打席に立ったのですが、なんと、ブーイングの嵐だったそうです。
その理由は、彼が禁止薬物を使って、来シーズン終了までの出場停止処分を受けたからです。彼は異義を唱えているので、処分は確定せず、出場が可能なのです。しかし、さすがに観客は許さなかったようです。敵地シカゴのUSセルラーフィールド(相手はホワイトソックス)ということもあったでしょうが。
せめて今シーズンだけの出場停止にしてもらいたい、というところでしょうか。
日本なら、最終処分が決まるまで、自粛しそうですが、アメリカの考え方は違うようです。

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すゑひろがり 

今もって「今年は昭和何年か」を考えることの多い典型的

    昭和人間

です。
平成生まれが20代半ばになりますので、昭和人間は徐々に居場所がなくなっていきます(笑)。
しかし、今年は昭和何年かと問われると、さっと答えが出てくるところなどはなかなかたいしたものです(自画自賛)。
今年? はい、今年は

    昭和88年

なのです。どうです、あっという間に答えが出ます。すばらしいでしょう。いや、案外みなさんもおできになるのかな。
そして今日は8月8日。
すなわち、今日は、昭和88年8月8日です。末広がりもいいところですね。
まことにめでたうさむらひける。

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紫式部日記を読むこと 

学生時代に平安時代に関心を持ったものですから、その時代に書かれたものはできるだけ早いうちに読んでおきたいと思いました。
特に私は日記文学に興味がありましたので、土佐日記、かげろふ日記、和泉式部日記などとともに

    紫式部日記

はわりあいに早いうちに読みました。ところが、読んでも読んでも難しいばかりで面白みがどうにも分かりませんでした。
残されている本(テキスト)も誤りが多いようで、意味のわからないところが少なくありませんでした。また、あまり関心のなかった装束、色目などについての多くの記述はちんぷんかんぷんだったといってもよいくらいです。
桜襲がどうの葡萄染(えびぞめ)の織物がなんだの・・・もう、さっぱりでした。
その後も必要に応じて読みましたが、本当に面白いと実感することはなかったといってもよいのです。
始まり方もどうやら脱落があるらしく、終わり方もなんだかよくわからない。途中にある

  清少納言和泉式部

の人物批評などはかなりおもしろいのですが、全体は、となるとそうもいえなかったのです。

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こもります 

この夏も特に何も予定はありません。
籠もって仕事をするほかはありません。家は暑いですがしかたがありません。
実は今日から当分

    一人暮らし

なので、何でも好きなことができます。食べるものは何とかなるでしょう(ならないか?)。一日700円以内(笑)を目標に頑張ります。
一人といいましたが、厳密に申しますと

    犬と二人

暮らし。彼の面倒だけは見なくてはなりません。暑い時期なので、犬をほったらかして出かけるのはできるだけ避けたいと思っています。
食べるものは、ピーマンはあるとして(笑)、あとはなんだろう。買い物に行くのがなんとも億劫ですが、食べるものだけは仕方がありません。どなたか恵んでください(笑)。
遊びに行くこともできませんが、そもそも何をして遊べばよいのかも分からない人間ですから、あまりそれは苦になりません。

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2013年7,8月公演千秋楽 

夏の公演は早いですね。
今日はもう千秋楽です。
皆様はいかがご覧になりましたでしょうか。
私は朝から行く予定です。
これで暫くは夏休み、といいたいところですが、文楽の皆さんは相変わらずお忙しいのでしょうか。
公演としては24日、25日におこなわれる

    内子座文楽

があります。驚いたことにもう第17回だそうですね。
今回は『平家女護島』『近頃河原の達引』の二本。嶋、千歳、呂勢、富助、清介、宗助、和生、玉女、清十郎、玉也らのご出演。私は残念ながら行ったことがなく、今後も無理かなと思っています。
私の場合、こういう小屋では身体が窮屈なこともあり、実を言うと

    ゆっくり観劇する

という感じにならないのです。
秋田の康楽館でけっこうくたびれました。周りの方にも迷惑だろうと思うのですよね。

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4桁の数字 付記777,777 

以前、似たようなことを書いたかもしれないシリーズ!(笑)
ついにヒット数が 777777 になりました!
桁数は違いますが、この数字から、私はつい車の

    ナンバープレート

を思い出してしまいました。
ナンバーを選択できるようになってから、目立つのが

    1188
    1122
    8888
    7777

などのゾロ目系。最初の二つは「いいパパ」「いい夫婦」の語呂合わせでもありましょうか。幸せそうなご家族が目に浮かびます。車種も高級車というよりはファミリー系。
貫禄ある人に似合う高級外車が1188なんてつけているとなんだか変な気がします(その方のご自由ですが)。軽自動車に

  《赤ちゃんが乗っています》

の表示がユラユラしていたりするとほほえましくてよく似合います。
8や7の並びはやはり末広がりとラッキーセブンではないでしょうか。
ただ、好きな番号を選ぶには費用もかかるようです。私は当然そんな贅沢はいたしません。
銀行のキャッシュカードの暗証番号、電話番号など、4桁の数字は10000通りの番号が作れて覚えるのも難しくなく、便利ですよね。

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あまんじゃく論 

昨日、2013年8月2日は劇作家木下順二の生誕99年でした。
「瓜子姫とあまんじゃく」は来年、生誕100年の年に上演してもよかったかな、と思います。
しかし、来年も木下順二を上演してはいけないわけではありませんから、

    赤い陣羽織

を出してもよいわけてす。
木下順二は、研究者としてはシェークスピアからスタートしており、翻訳もしています。その一方、民話に関心が強く、著名な「夕鶴」「彦一ばなし」があり、「わらしべ長者」など、関連する書籍も出しています。
そしてラジオ放送劇として書いた「瓜子姫とあまんじゃく」を義太夫にして文楽で上演するようになったのです。
「瓜子姫とあまんじゃく」は私も何度も拝見しましたが、拝見するたびに想像力を掻き立てられる作品です。
今もってこの作品をどのように理解したらよいのかが分かりません。

    あまんじゃく論

というものがあればぜひ読みたいのですが、まだ探していません。
皆様はどのようにご覧になっているのかうかがいたいのです。
あまんじゃくは山に住んでいて人まねをするのですから、やまびこ、こだまの類とも考えられます。
山彦は山を擬人化したものでしょうから(「彦」は「姫」に対して男の子の意)、まさにそれはあまんじゃくであり、山父でもあります。あまんじゃくは山父の子でもあるように思えます。あるいは山と山父とあまんじゃくは三位一体。あまんじゃくは人の真似をし、山父は人の心をそのまま言い当てます。やまびこはヤッホーというとヤッホーと答えます。
杣の権六はかつて山父にでくわし、次から次へと自分の心を言い当てられて身動きが取れなくなってしまいます。
瓜子姫はあまんじゃくに出会って、これまた次々に自分の言葉を言い返され、あげくには縛られてやはり身動きがとれなくなってしまいます。
子供のころ、私の周辺でも同じことを言って相手を困らせる遊びのようなものがありました。あれはけっこういらいらするものです(笑)。

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ラッキー777777 

後日書きますが、まもなく8月8日。末広がりの重なる日です。
ところが、その前にこのブログではとてもすてきな瞬間が近づいています。
アクセス数がまもなく

    777,777

になりそうなのです。
別にどうでもいいといえばどうでもいいのですが(笑)、なんとなくめでたいじゃないですか。
うまくそのタイミングでアクセスしてくださった方はぜひご申告下さい。次回だしまきの夕べで皆さんから祝福を受けることができます(ほんとか?)。
このブログも始まってから7年あまり。7尽くしです。
赤ちゃんが小学校に行くまでに成長するわけですから、長い年月です。どなたもおいでくださらなかったら続くはずがありません。
お礼申し上げます。

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