磐之媛命 

※住大夫師匠の引退については、明日以降書きます。

万葉集あるいは万葉時代の勉強をしています。
山上憶良とか山部赤人とか柿本人麻呂とか大伴家持とか、男性の歌人もなかなかいいのですが、女性歌人にも気になる人は多いのです。額田王、大伯皇女、石川郎女、大伴坂上郎女、笠女郎、狭野茅(弟)上娘子、などなど。
万葉集に入る女性の天皇には持統天皇がいます。

  春過ぎて夏来るらし
    しろたへの衣干したり
      天の香具山

は読み方は少し違いますが、百人一首にも入る持統天皇の歌。
近い時代の人に斉明天皇がいます。斉明天皇は夭折した建王(たけるのみこ)を哀しんで詠んだ歌が『日本書紀』に残っています。建王は中大兄皇子(天智天皇)の子で、斉明天皇の孫。わずか八歳で亡くなったのです。言葉を話せなかったといわれ、祖母の斉明天皇はこの皇子をふびんに思ってかわいがったそうです。そしていずれ自分が死んだらこの子と合葬するように命じたとのことです。

  今城(いまき)なる小山(をむれ)が上に
    雲だにもしるくし立たば
      何か嘆かむ

今城の小山の上にせめて雲だけでもはっきりと立ってくれたら、私は何を嘆くことがあろうか、ということでしょう。

仁徳天皇の皇后であった磐之媛命(いはのひめのみこと)は激しい恋歌を残しています。

  君が行きけ長くなりぬ
    山尋ね迎へか行かむ
      待ちにか待たむ
  (あなたが旅立って長い日が経ちました。山を尋ねて
   迎えに行こうか、それともじっと待っていようか)

  かくばかり恋ひつつあらずは
    高山の磐ねしまきて
      死なましものを
  (これほど恋しい思いをするなら
   高い山の岩を枕にして死んでしまいたい)

これらは仁徳天皇を慕った歌とされます。ところが、これらの歌は本当に彼女が詠んだものかどうか、判然としないようです。

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文庫本 

学生時代の文庫本と言うと岩波、新潮、角川がおもなものでした。いわゆる古今東西の名著を集めたもの、という感じでした。岩波文庫の「日本古典」のシリーズにはずいぶん助けられました。何しろ竹取物語や伊勢物語や和泉式部日記なんてあの当時は

    ★ひとつで70円

でした。★というのは今ではもう通用しませんが、岩波文庫は値段が★の数で表されていて、★ひとつ50円、70円、100円などの時代があったように思います(それより古いことは知りません)。ですから私は岩波文庫で数冊ずつ買って、もうボロボロになるまで書き込みをしていました。新潮や角川も文芸ものではずいぶんありがたかったです。新潮文庫では

    谷崎や三島

は全部買いましたし、その後全集を読むようになったきっかけももらいました。外国文学もそこそこ入っていましたので、ほとんど外国文学を読んでいない私が読んだといえばたいてい岩波、新潮、角川の文庫本でした。
文庫といえば中公、講談社、旺文社、文春もありましたが、それぞれに特色がありました。たとえば中公は折口全集や谷崎の源氏物語現代語訳、日本史の通史である「日本の歴史」などがありました。
なぜか知りませんが、文春文庫はこの中では創刊が一番遅かったかな。当初ずいぶん紙の質が悪くてパリパリとした紙だったように思います。小林秀雄などは文春で読んだような気がします。
学生にとっては安くてスペースをとらない文庫本ほどありがたいものはありませんでした。

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手の艶 

私は掌がかなり不細工です。
土手の部分が大きくて、指はあまり長くない。
三味線の清志郎さんのようなしゅっとした指ではないのです。

    手相

もシワがあやふやで、生命線なんてはっきりせず、短命必定。とはいえ、ここまで生きたのでとりあえず手相以上には生きられたかな、とも思いますが。
知能線も途切れがち。こういうのは、注意力散漫で、深い思考ができず、現実逃避しがちで優柔不断なんだって…。ほっといて! その一方、線が多く、これは何でも器用にやってしまうようで、集中できないためにいわゆる「器用貧乏」に多いのだとか。
感情線もまた短く(というかはっきりしない)、そっけない愛情表現しかできないとのこと。これはもうその通りです。大当たり。また細かい支線が多いと、感情が豊かで表現力があるとも言われ、役者などに向いているとか。う~む、道を間違えたかも。でもまあ、学校の教師も役者みたいな面がありますからね。
手で人並みだと思えるのはツヤくらいでした。
ところが、この一年の

    呼吸困難

による酸欠のせいでどんどんツヤがなくなり、スカスカの膚になっていました。年齢的にも衰えて当然ですが、実はいささかショックだったのです。
誰も見るはずもないのに、人前で手を出すのをためらったり、電車でつり革を持つのをやめたり。
けっこうデリケートでしょ。
血管も細くなって、ほとんど浮き出てきません。
いつぞや河庄を語り終えたばかりの大師匠をお訪ねしたとき、血が音をたてて流れているような健康さを感じ、羨ましくなりました。師匠の手の甲は血管があらわで生き生き。腕も太い血管が見えました。

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オリンピックは・・ 

オリンピックが終わったようです。
実は私は新聞でしかその情報を得ておらず、テレビではまったく観なかったので、どんな感動があったのか、どんな活躍をどんな選手がしたのかも知りません。ただ

    結果

を新聞で読むだけで、選手の顔などほとんど分かりません。
だって、スキーだとたいてい顔が見えませんし、スピードスケートも頭はすっかり覆っていますし、フィギュアは化粧と独特の衣装で素顔はいまひとつ。
そうはいっても、浅田真央さんとか、鈴木明子さんはわかります。鈴木さんは(これは小声で言いますが)私は素顔のほうがすてきだと思います。(もっと小声で言いますが)ときとして今くるよさんを思い浮かべることもあります。いや、どちらにしてもとてもかわいいのですけれどね。
で、気がついたら

    閉会式

が終わっていました。なにしろ日本の夜中にほとんどがおこなわれるので早寝早起きの私には「テレビ中継は観るな!」といわんばかりなのです。
次の冬のオリンピックは韓国だそうで、これなら時差はないので観るかもしれませんが。
でも、浅田さんという人はすごいですね。小さい時から注目されて23歳でベテラン。愛想もいいですし、ちょっと天然ボケっぽい(?)雰囲気がまたかわいいです。フィギュアスケートと言うと、秋篠宮家の次女佳子さんがお上手ですが、以前You tubeで小さい頃のスケーティングを観たことがあるのです。そりゃあ、お上手ですよ。でも浅田さんとつい比べてしまって(比べるほうがいけないのですが)、浅田さんという人がいかに桁外れなのかよくわかりました。

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2014年2月東京公演千秋楽 

文楽2月公演が本日千秋楽を迎えます。
技芸員、裏方の皆さん、おつかれさまでした。
文楽はこのあと3月1日から18日まで地方公演があります。

昼の部
 生写朝顔話(明石船別れ、笑い薬、宿屋、大井川)
夜の部
 花競四季寿(万歳、鷺娘)
 ひらかな盛衰記(松右衛門内、逆櫓)

だそうです。
そしてそのあとは東京の世田谷パブリックシアターと大阪のフェスティバルホールで曽根崎心中の杉本博司さん演出版。勘十郎・一輔のお初・徳兵衛ですね。
それにしても、大阪の会場はフェ、フェスティバルホールですか!

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古地図 

必要があって、江戸の古地図を眺める日が続きました。
目的は本所あたりにあったのです。本所といっても、私が見たのは幕末のもので、吉良上野介というお屋敷はありません。
江戸城からはかなり距離はありますが、いろいろなお屋敷があります。ほとんどは下屋敷ですが、中には津軽家のような上屋敷もあります。今の江戸東京博物館、両国国技館のあたりは

    御竹蔵

でした。もともと資材保管施設(後年米蔵になる)の御竹蔵は竪川の近く、あの土屋主税や本多孫太郎、そしてのちに吉良上野介屋敷となるあたりにあったようですが、それが今の国技館あたりに移されたのですね。
幕末も土屋家や本多家はそのまま。吉良家は松坂町になります。「目指すは本所松坂町」などといいますが、お屋敷のあるときは「松坂町」という名はありませんから、あれは芝居や講談の「うそ」ということです。でも聞くぶんには調子がいいですよね。
横川の東に行くと徐々に「田」の文字が目立つようになります。やはり城から離れるほどに田舎になっていきます。
私はこのあたりは結構歩いたのです。一時期は東京に行くと必ずと言ってよいほど上野と本所界隈(両国、錦糸町あたり)を歩いていました。もとは南割下水だったところも今は道路になっていますが、ここはあまり歩かなかったかな。いずれにせよ、土地勘を身につけるまでには至りませんでした。今からでも、一年、いや一か月でいいから住みたいです。
けっこう目立つのが法恩寺、霊山寺、本法寺と三つ並んだ寺。今でも墨田区太平、横川の地名になるところにこれらのお寺は並んでいます。実は今回古地図を見たのはこの

    法恩寺

のロケーション知りたさでした。
位置は現在の地図でもわかるわけですが、やはり昔のロケーションは古地図を見るに限ります。

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サイン 

子供のころ、野球選手が学校にやってきて少年野球教室のようなことをしてくれたことを覚えています。
そういう場で私は阪神の

    村山実 さん

などに会ったことがあります。
私は子供のころから阪神ファンでもなんでもなかったのですが、やはりプロ野球の第一線の選手ですから、よく覚えています。村山さん以外にどなたがおいでになったのかは覚えていません。やはり村山さんは特別な方だったのでしょうね。
サインをしてもらったのか、というと、実は覚えていないのです。そういうものにあまり興味がない小さいころでしたので(たぶん、小学校の低学年)、もらったとしてもそのうちにどこかにやってしまったのでしょう。
あの当時はテレビで野球中継といっても、あまり阪神の試合などなかったように思います。でも、私は何度か

    甲子園球場

には行っていたのです。父親がどこからもらってくるのか、招待券を持って帰ってきて、親戚のお兄ちゃん(従兄)に連れて行ってもらったことを覚えています。それがなんとネット裏! 今ならとてもいけませんが、子供のころに贅沢をしたものです。親戚のお兄ちゃんも喜んでいました。その時も先発が村山さんで、ばったばったと相手チーム(巨人でした)をなぎ倒していたのですが、いかんせん、打線が沈黙して、たぶん負けたのだと思います。私は別にどっちでもよかったのですがお兄ちゃんは残念そうでした。

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高い食べ物 

ずいぶん前のことですが、放送局に勤めている友人と文楽に行った帰りに、その人が何か食べに行こうと言うので付き合いました。そして二軒目に行きたいというのでどうしようかな、と思ったのですがその次にこの人が言った

    「高いところに

行こう」という言葉にひるんでしまいました(笑)。私なら「できるだけ安いところに」とまず考えてしまうものですから。
やはり放送局に勤めていると生活のレベルというか、発想そのものが違うんだな、と感心しました。
以前書いたことがあるのですが、弁護士さんとか社長さんの集まりでお話しすることがあって、大阪北浜にある高級料亭にお招きいただきました。
出てくる料理が見たこともないようなものばかり。それをみなさんは

    当たり前のように

召し上がっていました。私など目の色が変わりそうになるのを必死で押さえながらそれでもひとつも残してなるものか(笑)とばかりにがつがつ食べて顰蹙を買ってしまいました。育ちが出た、と今さらながら汗顔の至りです。
そんな私ですが、自費で1万円の料理を食べたことがあります。もっともこれも文楽を観にいった帰りに某三味線弾きさんのお友達という方のお店に行って、そこまで高いとは思わずに支払いの段階(割り勘)で真っ青になったというものでしたが。
もっともその料理はさすがにというべきか、とてもおいしかったのです。

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銀行員 

「六代目」というと私の場合はやはり笑福亭松鶴の名を思い出します。
しかしそんな私でさえ「九代目」というと

    市川團十郎(1838~1903)

になります。
七代目の五男。七代目は子だくさんであったため、五男の秀(ひでし)は河原崎権之助の養子になりました。そして河原崎長十郎から河原崎権十郎、養父の名跡権之助を継いだ後三升から九代目團十郎を継ぎました。権十郎時代に実兄の八代目團十郎が自殺し、やがて海老蔵を名乗っていた七代目も亡くなり、團十郎の名はしばらく途絶えたのですね。彼が九代目となったのは37歳の時だったそうです。すでに世の中は明治と年号が改まり、都も京から東に移っていました。
この人は父親と違って男の子に恵まれなかったのです。それで五代目市川新蔵を養子にして将来十代目を継がせることにしていたようですが、この新蔵は若くして亡くなってしまいます。一方で九代目は有望な役者を娘婿にして養子にして後継者にする、ということはしなかったのです。娘は好きな男と結婚してよいという方針で、長女は

    銀行員

と恋愛結婚するのです。銀行員といえば固い仕事の代表のようなもので、役者さんとはずいぶん違うイメージですが、この人は文化も愛した人で、九代目は養子にして堀越の姓を継がせます。
ところがこの人はあっと驚く転身をします。

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肉と魚 

平安時代、鳥は食べられました。雉など好まれたようです。鹿もしばしば狩の対象になりました。

  ことわりやいかでか鹿の鳴かざらむ
    今宵限りの命と思へば
          (和泉式部)

は和泉式部の夫が「明日、狩りをする」と言ったので、鹿の鳴き声を聞いた和泉式部が詠んだものです。今宵限りの命と思ったら鹿が鳴くのも道理だ、ということです。
雉などは鷹狩の対象で、在原行平、業平兄弟も鷹狩は好きだったようです。
魚は川魚。やはり京の都は海がなく、賀茂川が一番近い水産物の捕獲場ですから。
日本人はあまり獣肉を食べなかったとはいえ、猪など山くじらなどといって食べていましたよね。
私はあまり肉を好まず、どちらかと言うと

    菜食

です。
鶏はほとんどたべませんし、牛、豚もさほど好みません。だから、焼き肉といっても私の場合はほぼ野菜炒め(笑)ですし、すき焼きもネギとか豆腐ばかり食べているような気がします。両親も兄弟もジビエは好きなのですが、私一人が異端です。

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NHKスペシャル 

テレビといえば以前はNHKがほとんどでした。今はまず観ませんので、もう受信料も払いたくないくらいです(笑)。
アパート暮らししていたとき、テレビを持っていませんでした。ところがNHKの人が来て払ってくれと言うのです。「本当に持っていないのです。なんだったら中を見てください」というとさすがに納得してくれましたが、やはり珍しいのでしょうね、そういう人間は。
「一人暮らしでテレビもなしで何をしていたの?」と思われるかもしれませんが、ラジオやテープ(CDといわないところが古い)さえあればあの頃は何も問題ありませんでした。
NHKではNHKスペシャルというかなりすごい番組があるようですが、わたしはこれもほとんど知りません。知っているのは玉男師匠と住大夫師匠の

    人間国宝ふたり

くらいでしょうか。
あれはDVDも持っています。
このたび問題になったゴーストライターの一件は、なんといってもこのNHKスペシャルに取り上げられたというのが大きな意味を持つのではないでしょうか。
NHKが自信を持って作っているはずのひょっとしたら大河ドラマとともに看板番組なのではないかと思うくらいですから。視聴率も高い時は20%を超えるらしく、なかなかのものです。
最近では

    ダイオウイカ

の話題がツイッターなどでもずいぶんにぎやかでした。この時は視聴率16.8%だったそうです。
この番組は欠かさず観るというファンもいらっしゃるようです。
今回問題になったのは昨年3月31日放送のもので、あれが放送された時には作曲を依頼された方は余計に困られたのではないでしょうか? このときの視聴率は関東地区で6.8%だったらしく、さほどではありませんが、それでも何100万人という人がみているわけですよね。

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活動中 

最近は「○活」という言葉がはやっているのだとか。就職活動を「就活」、結婚相手を探すことを「婚活」というようで、これらはパソコンの変換機能で一発で出てくるくらいポピュラーな言葉になりました。
何でもできる時代であるかのようにいわれることもありますが、実際は何か

    決定的なこと

が欠け落ちている、そんな時にその欠け落ちたものを求めて必死になること、それが「○活」なのでしょう。
学生に昔の話をすると「今の私たちの方が幸せだ、昔の人はかわいそうだ」などといいますが、そんなことはないのです。現代人だって意外に満たされていないのです。おそらく100年後の人から見たら我々は「かわいそうな昔の人」になるのだろうと思いますし、またその100年後の人たちも満たされない思いをして生きているに違いないのです。
自分だけが満たされないのだと思っている人も多く、私もそのうちの一人なのだろうと思います。
私が学生時代、就職はあまり良くなくて、有名大学へ進学した友人が聞いたことのないような会社に就職が決まったといって喜んでいるのも耳にしました。
決まればまだいい方で、私のように

    文学部

ですと一般企業はなかなか採用してくれません。同級生を見渡してみると、教員になったもの(これが一番多い)を除くと、マスコミ、観光などがせいぜい。女性は特に厳しかったようで、百貨店の販売、アルバイト、家事手伝いと言っていた人も多かったのです。

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七代目団十郎の追放 

市川團十郎の話を時々書いています。
七代目團十郎(1791~1859)は歌舞伎十八番(「歌舞妓狂言組十八番」)を制定したということで有名で、團十郎の中でもわりあいによく記憶されている人だと思います。
この人は五代目團十郎の娘の子、つまり孫だったのですが、六代目の養子になっています。ところがこの六代目は22歳で亡くなり、七代目はわずか10歳で團十郎を襲名したのでした(六代目も13歳で團十郎襲名)。
私は歌舞伎の歴史はあまりよくわかりませんので、来歴や演技など詳しいことは書きませんが、この人物が

    天保の改革

のときに受けた仕打ちについてはどうしても気になるのです。
高校の日本史の時間にこの「改革」については習いましたが、質素倹約を奨励した改革だったという教わり方をしたような気がします。たしかに、天保の大飢饉などがあって世の中は不穏になっていました。そこで老中の

    水野忠邦

は反対を押し切って「綱紀粛正」「奢侈の禁止」を命じ、幕府内のみならず、時の町奉行に指示して江戸市民にも徹底させたのでした。ちなみに、この時の北町奉行が遠山の金さん(遠山景元)です。
趣旨は分からないわけではありませんし、過度の奢侈がよくないことにはむしろ賛同するのですが、こういう場合におかみはしばしば見せしめのように芝居を槍玉に挙げるのですね。

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初春公演つれづれ(その1) 

文楽初春公演が終わりました。
また思いつきをあれこれ書いてみます。

    『二人禿』

楽しそうな娘の羽根つきやまりつき。でも彼女たちにはつらい廓勤めがあって・・という解説がお決まりになっています。もちろんその通りなのですが、私などは天邪鬼なのでどちらかと言うとその逆。どんなつらい勤めをしていても、若い娘というだけでやはり美しい、かわいい、あどけない、いじらしい。そういう若さを見せてくれればいいのではないかと思っています。
今回の禿は一人が紋臣、もう一人は紋秀・簑紫郎のダブルキャストでした。私がもっとも印象に残ったのは簑紫郎さんでした。あとのお2人がどうのこうのというのではなく、簑紫郎さんの首の遣い方を見ているうちにあっという間に時間が経ってしまったという体験をしたことを申し上げるのです。傾けるだけでなく、手首を使ってなめらかに動かすので、愛らしさがまさって見えました。
簑紫郎さんは立ち役もいけます。というより、私はそっちに期待をしてるのです。大柄な人形を持たせてもさまになります。大団七とか口アキ文七とかあるいは検非違使なども。意外なのですが、端敵首を観ていないような気がするのです。彼のちょっとやんちゃっぽい(失礼!)ところを見ると合いそうな気もするのですが、実はかえって映らないのではないかとも想像しています。
子役はしばらくこの人の

    独擅場

でした。あの頃も小さなサイズの人形をうまく目いっぱい使って見せてくれたと思っています。あの動きは頭で覚えているというより身に染み付いているのだろうと感じます。
もちろん、紋臣さん、紋秀さんもきちんと見せてくれました。

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修復 

喧嘩した人と関係を修復することはなかなか難しいものです。兄弟でも何日も口をきかないということはありうるでしょう。
私には

    三つ違いの

兄さんがいるのですが、彼には子供のころかなりいじめられました。何といっても三つも違うと体の大きさが違いますし、腕力も小さいころは比較になりません。叩かれたり蹴られたりは当たり前、ただ我慢するだけの次男坊でした。
しかし、形勢は変化します。兄は高校のころ身長が170cm弱でストップ。私は中学生でまだまだ小さかったのですが、あちらは止まっていますから、徐々に接近。そのうちに喧嘩をしても負けることはなくなり、私もそこそこ口ごたえもするようになっていました。私が高校生になると背丈では追い抜き、もう一切喧嘩はしません。まあ、年齢的にもあちらは大学生ですから、いまさら喧嘩することもなかったのでしょうが。
兄は理系、私は文系、話は合わず、興味もバラバラ。本当に兄弟なのか、と今でも思うことがあります(笑)。
子供のころの喧嘩は時間が修復してくれたのかもしれません(私は蹴られ損ですが)。

逆に時間が経つと劣化破損して修復が必要になるのが絵画。絵画修復士という人がいますね。

    柄刀一(つかとう はじめ)

さんの小説に絵画修復士を主人公にしたものがありますが、私は小説そのものより絵画修復の話に興味があって読みました。システィナ礼拝堂の最後の審判の修復などが素材になっています。あの絵は全体を眺めると聖顔(キリストの顔)に見えるという説もあって、柄刀さんは聖顔ではなくドクロ(頭蓋骨)に見立てて小説を書いていらっしゃいました。

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ターナー 

絵のことはよくわからない私ですが、この冬は神戸市立博物館で開催されている

    ターナー展

が気になっています。
イギリスの画家ターナーは、フルネームで書くと、Joseph Mallord William Turner(1775-1851)です。ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーでよいのでしょうか。ターナーの家は理髪店(かつら屋兼業)だったそうで、お父さんは息子の描いた絵を店に飾っていたのだとか。すごいですね。本物のターナーの絵がある理髪店!
ターナーというと夏目漱石の「坊っちゃん」を思い出す方も多いのです。「幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」という赤シャツのせりふでしょう。赤シャツがいうのはおそらく「チャイルド・ハロルドの巡礼」に描かれる松の木だろうといわれます。確かに印象的です。
ターナーは絵になる風景を描くという面がありました。いわゆる

    ピクチャレスク

の画家としての一面です。言ってみれば北斎や広重と同じ発想。富嶽だの五十三次だのまさにピクチャレスク。
そういえば北斎(1760年生まれ)も広重(1798年生まれ)も近い年代ですね。ターナーはこの二人のちょうど真ん中の年代です。

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エビ 

広島に引っ越すことになった時、さてどこに住むかということになり、数件紹介してもらいました。
最初に見せてもらったのはけっこう広いアパートでしたが、家賃を考え、いまひとつかな、と思いました。「ほいじやぁ、カイロウエンのアパートに行きましょうか」と言われ、また連れていってもらいました。「カイロウエン」というのが地名のようでした。行ってみると新築でまだ工事の仕上げ中。2DKで広すぎるかとも思ったのですが、本を置かねばならず家賃もまあまあでしたのでそこに決めました。
ところが帰ろうと思って近くの電柱を見ると「エビゾノ」という地名が書かれていました。私は「カイロウエン」=「開楼苑」みたいな字をぼんやり考えていたのです。
するとそうではなく、

    海老園

だったのです。なるほど、カイロウエンに違いありません。しかし、とっさにエビゾノと読んでしまったので、「カイロウエン」はとなりの区画かな、などと考えていました(その場で聞けばよかったのですが、広島弁の嵐でちょっと怯えていました…笑)。ところが契約書が届くとやはり「海老園」とあったので、「やっぱりエビゾノじゃん」などとしつこく誤解していました。

エビは「海老」とか「蝦」と書きますが、本来は「海老」は歩行するエビ、「蝦」は浮遊するエビという目安があるようですね。
とすると伊勢海老、車蝦。
伊勢海老なんて、ご無沙汰してるなぁ(笑)。
歌舞伎役者も

    市川海老蔵

と書きます。当代は十一代目ですね。この「エビゾノ」、じゃなくて「エビゾウ」は初代団十郎の本名だったそうですね。蝦蔵または海老蔵。

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システィーナの天井画 

システィーナ礼拝堂のことを書いたついでに。
私は以前はヨーロッパに行くなら絶対に

    オーストリア

に、と思っていました。ウィーン、ザルツブルクなどぜひ行ってみたいと思っていました。しかしそれは音楽の都だからという意味でしたので、今の私にはもう無縁です。
それで今はイタリアのローマやフィレンツェなどにぜひ行ってみたいと思うようになっています。もちろん日々の暮らしにも事欠いているのですから、現実には行けるわけがありません。あくまで夢ですから笑って見逃してください。
バチカンにもぜひ行ってみたいです。システィーナ礼拝堂(「シクトゥスの礼拝堂」の意味。創建者であるローマ教皇シクトゥス四世の名による)は、あまりにも見学者が多くて制限する向きもあるようですが、私だってローマに行ったらここに寄らない手はないと思います。
今は祭壇壁画としてあの「最後の審判」がありますが、もともとはあそこは別の絵が描かれていたのだそうです。
上部には窓があってその横にはキリストや聖ペテロなどの絵が描かれていたとようです。
窓の下の部分は左右(方角でいうと南北)の壁に描かれているキリストとモーセの一連の絵の出発点である

    モーセの発見

    キリストの降誕

の絵(いずれもペルジーノ画)が描かれていたのだとか。そして下部の祭壇のところには「聖母被昇天」(ペルジーノ画)。これらの絵があの「最後の審判」のためになくなっちゃったんですね。もったいないといえばもったいないです。ちなみに、天井ももともとはミケランジェロの絵ではなく星がちりばめられていたのだとか。

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自画像 

画家はいろんな対象を描きますが、一番手っ取り早いのは自画像でしょうか。
鏡を見たらすぐに描けるし、モデル代はいらないし、文句は言わないし、休憩はしたいときにできるし。
しかし、自分の顔を鏡に映して絵にしようなんて、うらやましいです。私だったら途中で気持ち悪くなりそうです(笑)。
自画像というとレンブラントとかゴッホを思い出すのですが、そんなもんじゃないですね、あまたの画家が描いています。
日本人も描くのだろうかと思っていたら、江戸時代にもやはり描かれているのですね。ネットで検索したら椿椿山のものがありました。渡辺崋山はあれだけ肖像画を描いているのですから、自画像もあるかと思ったのですが、ないのでしょうね。
ラファエロの自画像がありますが、彼はあの有名な

    アテナイの学堂

に自分の顔をこっそり「その他大勢」の中に描き込んでいました。昔は例えば聖書を素材にした絵の中に依頼者の顔を描き込むなどということをおこなったそうで、もし私が大金持ちで画家さんに最後の晩餐を描いてくれと依頼したら裏切り者のユダ」の顔は私の顔になっているかも(笑)。
ラファエロの「アテナイの学堂」はバチカンにありますが、バチカンの絵というとシスティーナ礼拝堂の壁画や天井画がありますね。
鳴門市の大塚国際美術館にはその複製がありますから、イタリアまでいけない場合は鳴門でかなりしっかりと味わえるわけです。なにしろ壁画は建物の一部ですから、はがして持ってくるというわけにはいかないので、写真や映像、あるいは模写でしか見ることはできないわけです。

    ミケランジェロ

の天井画は「預言者ヨナ」「太陽と月の創造」「アダムの創造」等々すばらしいものが居並んでいます。しかし、1522年にローマ教皇となったハドリアヌス6世はあの天井画を見上げて「ここは裸体だらけの風呂場だ」といったとか。彼はオランダ出身の厳格な神学者だったそうで、あまり芸術に関心を持たなかったのだとか。

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仕事は、欲しい 

聴覚障害を装ったとされる「作曲家」さんについては興味本位であれこれ書くことはしません。
自分の思いだけ書きます。
私はあの実際に作曲をした人(以下、Nさん)の立場のことを思うと他人事のように感じません。実際、私は今、ゴーストライターの仕事が欲しいです。これは、洒落や冗談ではありません。ほんとうに切望しています。
仮にそういう話があったとして、著名な人のゴーストをしてそれが世に出て多くの人に読まれたら、自分の名前など一切表に出さなくても嬉しいです。もちろん相応の報酬はいただきますが。
これまでに私はゴーストではありませんが、いくつかの本の原稿を手伝ったことがあります。広谷鏡子さんの「恋する文楽」については最後に彼女が私の名前を挙げてくれていますから書いてもいいと思います。あれはゴーストなど一切ありませんが、いくらか質問を受けたり出来上がった原稿を見て誤りがないかどうかなど確認したりするお手伝いはしました。しかしそれをしたのはまったく彼女への友情のみで報酬も一切いただいていませんし(だいたい報酬に値することはしていません)、そんな事を考えたことはありません。だいたいあの著名作家のゴーストなんて私にできるはずがありません。これは最初に申し上げておきます。
ただ、ほかに、名前は一切出さずにお手伝いしたものもいくらかあります。言ってみれば編集者の人がするような仕事ですね。ただ、編集者の人だと分からないかもしれない分野のこともあったために私が依頼されたのだと思います。
私がそれをお手伝いしているのを知っている人から「なんでそんなことするの?」と言われたことはあります。「報酬もなしに、名前も出ずに、その人に便利屋として使われているだけじゃないの?」ということでした。たしかにそうなのですが、私はそれでも嬉しかったのです。かっこいいことを言うようですが、私が補足したりチェックしたりすることでその本が少しでもよくなるならそれでいい、と思いました。
ただ、これもゴーストではありません。あくまで補足、お手伝い。

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2014年2月東京公演初日 

文楽東京公演が本日初日です。
この公演の演目は

第一部(11時開演)
 七福神宝の入舩
 近頃河原の達引(四条河原、堀川猿廻し)

第二部(14時30分開演)
 染模様妹背門松(油店、生玉、質店、蔵前)

第三部(18時15分開演)
 御所桜堀川夜討(弁慶上使)
 本朝廿四孝(十種香、奥庭狐火)

です。
第一部の「堀川猿回し」は住大夫・錦糸から津駒大夫・寛治。
第二部の「染模様]は「油店」を咲・燕三。
第三部は「弁慶上使」の奥を英大夫・団七。「廿四孝」は嶋・富助から呂勢・清治。
英さんはぜひ大きな語りをお願いしたいです。

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現代のベートーヴェン 

広島には「○○河内」さんという名前が多いのです。私が知っている人では「河内」「小河内(こごうち)」「御堂河内(みどうごうち)」というかたがいます。他にもいろいろあるのだろうと思います。
合併で東広島市になっていますが、以前は河内町という町もありましたし、今でもその名は山陽本線の駅などに残っています。
私も住んでいた五日市(現在広島市佐伯区)の出身だという、やはりこの「河内」を名に持つ方が大変な騒動になっています。ご存じのように、

    ゴーストライター

を雇って作曲をさせていたということです。
ゴーストライターというのはままあることです。
売れっ子作家などが文章を録音して編集者に渡し、それを文字化してもらう、というのはゴーストライターにはならないでしょうね。しかし、タレントさんなどが本を出す時には話だけ聞いて、文章は完全に別人が書くことがあるらしく、これはゴースト。昔、あるタレントさんが本を出してテレビで「どんな本なんですか」と質問されたときに「まだ読んでないのでわかりません」と答えたのだとか。
タレントさんが出るクイズ番組などはあらかじめ答えを教えておくなどというのもよくあることで、うそもある程度は方便として認められているのがこの世の中なのでしょう。
絵や工芸の世界でもそういうことがあるとかないとか言われます。大先生が、弟子の作品を「これは私の名前で出そう」と言って世に出す。するとその先生の名前の効果もあって評価されて高く売れる。これで怒りに狂った弟子が先生を殺すと推理小説にもなりそうです。

今回の騒動は、ある作曲家の作品がゴーストライターによるものだった、というだけのことではないようです。
聴覚障害を持ちながら作曲をした、それも交響曲などという誰にでもできそうなものではない曲をつくったということで、テレビ番組に取り上げられたり、CDが飛ぶように売れたり、コンサートが満員になったりして、

    現代のベートーヴェン

などと持ち上げられていたからです。
しかも、昨日の時点では、その聴覚障害というのも真実ではないかもしれないという話もあり、ここまでくるといくらなんでも、の感をぬぐえません。

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おでんとお好み焼き 

何しろ不器用ですから、料理はまるで駄目です。
一人暮らしの時は、冬場などは「意味不明鍋」をよく食べていました。名前の付けようのない鍋なので「意味不明鍋」です。豆腐は必須。これなしではどうにもなりません。豆腐は好きな食べ物の五指に入ります。では湯豆腐かというとそれだけではなく、何か野菜を入れていたように思います。そういう場合はネギもまた欠かせませんでした。ネギもまた大好きです。
そんな料理音痴の私ですが、この冬は何度か

    おでん

を作りました。
朝、食材を買いに行って、昼には下ごしらえをして、夜に食べるというパターンです。
つゆ(だし)は横着の極み、ミツカンの「プロが使う味 白だし」。つゆを作ってこそおもしろいのに、とおっしゃるでしょうが、私にそこまで望むなかれ。
そのくせ、よくおでんセットを売っていますが、私はあれを使ったことはありません。必ず自分で選んで買わないと気が済まないのです。
大根、卵、ゴボ天、ちくわ、こんにゃく、じゃがいも、タコ、すじ肉、厚揚げ豆腐または焼き豆腐などなど。よく結び昆布を召し上がる方もいらっしゃいますが、私はあれを使いません。
大根の面取りをしたり、大根やこんにゃくに切れ目を入れたり、ゆで卵のからをむいたり、すじ肉を切って串に刺したりしていると、なんとなく料理をしているという心地よい

    錯覚

に陥ることができて幸せな気分になります(笑)。
ただ、どれくらい作るべきかは悩むことがあります。先日も三人の子と一緒に食べたのですが、彼らがどれくらい食欲があるのか、あまりよくわかりません。で、つい多めに作ってしまうのです。
しかし、その日はみんな旺盛に食べてくれまして、これまた幸せでありました。

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二世玉男 

文楽人形遣いの吉田玉女さんが師匠の名を継いで二代目の

    吉田玉男

になられるそうです。まことにおめでたいことです。来年の4月と5月に襲名披露があるのだとか。
歴史のある大名跡ではなく、師匠の名を継がれるので、襲名としてはあまり大きなものではないと言えなくもないのですが、何しろ「玉男」という名人の名ですから実際は文三郎を継ぐくらいの印象さえ抱きます。
玉男師匠については数々の名演がありますが、玉女さんは最近その演技にとどまらない幅が出てきたように思っていましたのでじゅうぶんその名に値すると思います。
玉女さんは入門された時にいつかは

    「男になれ」(玉男になれ)

という意味でこの名をつけてもらったというような話をうかがったことがあります。あえて「女」の字を芸名にされた玉男師匠のお心がついに実る日が来るわけですね。
ご遺族も玉男の名を止めてしまわれなかったことをすばらしいと思います。ご子息(と言っても私より年長の方ですが)は私も何かとお世話になっているのですが、とても立派な方です。

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春立ちぬ 

今年の旧正月は先月の31日だったそうで、今日は旧暦でいうと一月五日。立春です。
まだあとたっぷり1か月以上は寒い日が続くでしょうが、春の足音はかすかに聞こえてきたようにも思います。

    春霞立つや遅きと山川の
      岩間をくぐる音聞こゆなり
              (和泉式部)

この時期になるとまず思い出す歌です。
和歌は目に見えるものだけではなく、聞こえるものを素材にすることも多いですが、かすかな音ほど人の心を打つことがあるように思います。これでもかといわんばかりの大きな音、明るい光というのは私はあまり好きではないのです。義太夫節の「これでもかという大きな」声ならいいのですが、中味のない大声の自己主張は勘弁してもらいたいくらいです。
先月のある日、

    御堂筋

を昼間に歩いたのです。ふと街路樹を見ると何かが絡み付いています。ああ、これがあの、と思いつきました。小さな電球のようなものがたくさんついている線が絡み付いていたのです。
15年くらい前でしょうか、あるところで知り合ったおじさんが体調が悪いというのに仕事に行くとおっしゃっていて、何をなさっているのですか、とうかがうと「電気工事や。あんた知ってるか。電飾いうて、チカチカ光るやつ。あれ、もうかんねん。ほな行てくる」と、そそくさと出かけられたのを覚えています。
公共事業というと道路工事やダム建設と思ってしまうのですが、今や電飾が公共事業みたいになっているのですね。
それにしても、線が絡んでいる並木が痛々しく感じられました。

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鬼は外 

節分です。
冬もそろそろ峠を越すというところです。もちろんまだまだ寒い日は続きますので油断はなりませんが、やはり春はあまり遠くはないと感じさせてくれる日です。
もとは追儺(ついな)という行事であることはご存じのとおりです。
私の住む宝塚市では

    中山寺(安産祈願で知られる)

で追儺式や豆まき式がおこなわれます。関西ではお寺や神様をなれなれしく「さんづけ」で呼びますので、ここは「なかやまさん」です。
追儺式は宝塚歌劇団の生徒さんが観音様に扮して、貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)の鬼が福、禄、寿の神に変わる様子を見せます。
豆まき式は、やはり宝塚歌劇の生徒さんが福娘となって(男性の福男もいます、念のため)おこなわれます。
しかし、家庭ではどうなんでしょうか。今は豆まきよりも

    恵方巻

が人気なのかもしれません。
今年の恵方は東北東なのだとか。

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晴れた日 

仕事が一段落しました。
成績も私の場合はとっくに出ているのですが、まだ提出はしていません。あとはそれだけで、この後期は大学ともおさらばです。また来年度続けよと言われるなら続けます。
来年度は何とか授業とは別のアルバイトをさせてもらいたいと思っているのですが、この大学にはあまり期待できません。
「無理です」のひとことで突き放されそうです。
というわけで、この2,3月は何かバイトをして働きたく、折込などを見ているのですが、なかなか私にできる仕事はありません。以前はがっくりしたのですが、さすがに最近はもう慣れっこになりました。
となると家にいることが増えそうなのですが、最近

    晴の日

になるとやたら洗濯したくなるという習性が身についてきました。風がいくらかあるとなおさらです(笑)。
今の洗濯機は便利です。ポイッと洗濯物を入れてスイッチを押せば勝手にぐるぐる回って出来上がっている。しかも、何分後にできるかまで表示されている。昔の洗濯機は違いましたよね。
私のかすかな記憶の中には

    洗濯板

があります。たしか家にもありました。親がそれを使っていたことは何となく覚えているような錯覚のような。そんな感じではあります。

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風邪のち曇り 

一月の下旬に風邪をひいてしまいました。
この「風邪をひく」という言葉は不思議な言葉です。「風邪」という病気になるという意味なら「風邪に罹(かか)る」と言いたいところです。昔は「風病」という考えがあって、風によって引き起こされる病気を総称したものです。
その

    風の邪気

を体内に引っ張り込んでしまうのが風邪をひくことなのだと思います。
という話をするつもりではなかったのです(笑)。
とにかく寒気がして、熱を計ってみると37.0℃で、ひょっとしてこれからぐぐぐっと上がっていくのではないかとそれこそ寒気がしました。鶴澤燕三の、また間違えた、

    インフルエンザ

の恐れもあると、気が気ではありませんでした。26日の日曜は仕事で、私が行かないとどうしようもない・・・というほどでもないのですが、少なくともかなり迷惑をかけてしまう内容だったのです。もし熱が上がったら急患として診てもらってインフルの診断が出たら休もうとまで考えていました。
幸いその日も熱は36.8~37.0℃を推移する程度で、インフルではないだろうと自己診断。思い切って仕事に行きました。

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