父とも思う方々 

昨年末に恩師が亡くなりました。
父親と同じ世代でしたので、父亡きあとは心のどこかで父をイメージしておりました。晩年は私がお話できなくなったために年賀状だけのお付き合いでしたが、ふがいない生活をしている私を気にかけてくださっていました。
ちょうど年賀状を書こうとしていた時期でしたので、ガックリした私はどうしても書く気になれず、皆様方には礼を欠く結果になってしまいました。
文楽の技芸員さんも師匠が亡くなると喪中ということで年賀状を出されませんが、やはり

    芸の父

だという意識が強いのでしょうね。いくらかそのお気持ちが分かりました。
恩師はもう87歳でしたので天寿を全うされたという思いももつのです。また奥様を先に失われていた上、最後は認知症も現れたということでしたので、ご本人もあまり悔いを残さずに旅立たれたのではないかとお察しして、せめて哀しみをまぎらわしたのでした。
私が学生時代にバリバリの教授でいらした世代というのは大正末年から昭和初年、若手助教授世代が昭和10年代生まれの方々です。つまり皆さん

    70代から80代

に入っていらっしゃいます。
それだけに訃報が入るのはやむをえないとは思っています。しかしやはり寂しい気持ちに変わりはありません。

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絵本御伽品鏡 

書いておかないと自分が忘れるものですから、このところながめていた『絵本御伽品鏡』もご紹介しておきます。
この書物は長谷川光信の筆になるもので、ざっと300年前の1700年代の初め、享保年間の大坂やその付近の町の名物や風景を描いたものです。
文楽の景事でみるような風景がそのまま出てきますので、次に景事を観る目が違ってきそうな気がします。景事はあまり重要な演目ではありませんが、

    無内容の面白さ

とでもいうものがあると思います。町を歩いていて、別に注目するほどでもないけれども、それが存在することを心のどこかで確認している、そんな風景を描いているように思います。そこにあるようなないような。
例えば文楽でおなじみ「団子売」の飛び団子。

飛び団子

こういうのが出てくるとなんだか嬉しくなります。
おめでたいところでは萬歳楽、春駒、大黒舞、越後獅、住吉踊りなども出てきます。

万歳楽
萬歳楽

越後獅子
越後獅

春駒
春駒

大黒舞
大黒舞

住吉踊り
住吉踊り

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算数教育 

算数はまあまあできたのですが、好きではありませんでした。計算はとても速く、小学校低学年の時は誰にも負けないくらいでした。しかし徐々にぼろが出て、次第に追い抜かれ、高学年になるとごく普通(笑)。算数自体はきらいでじた。
中学でも成績はまあまあでしたがきらい。高校になるときらいなのは変わらず、成績だけが急降下。

    理系には向かない

としみじみ感じました。
ところが兄は数学が大好きで得意。兄の子供たちも理系でしたから多分得意。
私は苦手なので、うちの長男も苦手だろうと思っていたのです。ところが、小学校の時から芝居や文学には興味を示さず、いつしか数学が得意中の得意になっていました。大学は国語や社会の成績がいまひとつでしたので一流大学と言うわけにはいきませんでしたが、数学を専攻することになりました。いずれは数学の教員になるつもりだと思います。
彼の高校生の妹は英語が好きで、数学などやはり苦手。しかし高校の勉強がありますから、数学をしないわけにはいかない。そこで兄に教わるのが手っ取り早い(私には聞こうともしない・・それが賢明です)というのでこの間は

    積分

の勉強を教えてもらっていました。長男も教員の卵の血が騒ぐのか、熱心に教え、高校生の末っ子は「わかった!」と喜んでいました。
私は積分なんて多分ちょっとかじっただけで、何も覚えていません。数Ⅲでしっかり勉強するのでしょうが、文系クラスは入試に関係ないからというので数Ⅲは授業にはありませんでした。

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科学の道 

1月に「万能細胞」という、私にはまったく理解を超えるというか、異次元の研究にすら思える科学の成果が発表されました。
画期的なこととしてメディアが取り上げ、世界的な科学雑誌もその論文を掲載したということです。ところが、その後、論文に不備があるというので一転して大きな批判にさらされました。
特に筆頭著者の若い女性はかつての博士論文の問題まで浮上して、厳しい意見がネット上などで盛んに出ています。あの、ゴースト作曲家の話とリンクさせて意見をいう人も少なくありません。要するに

    にせもの

という扱いです。化学の世界について私は何も知りませんので、厳密なことはいえませんが、彼女が失態を犯したことは恐らく間違いないのだろうと思っています。延々と他者の記述をそれと明示せずに、あたかも自分が書いた文章のように博士論文として書いてしまったのは剽窃と言われても仕方がないだろうと思います。指導教員は、こういうときには中味の問題ではなく、論文の体裁として厳しく叱責する必要があると思います。絶対に書き直しですね。また、最新の論文についても画像に問題があるなどの欠点が指摘されているようで、これも論文としては適切ではないでしょう。

以下、彼女がまったく悪意なく自分なりに確信を持ってこの発表をしたという前提で申します。
もし発表されたことが事実なら画期的な研究成果であることはこれまた間違いないようで、その場合は医療分野などに

    大きな寄与

をすることが容易に想像されます。
彼女が学生のころから温めてきた成果が実を結ぶなら極めて重要な研究ということになるでしょう。
私は、病を持つ者として、(私自身は直接恩恵を受けることはないでしょうが)この成果が事実であることを強く願っています。
こういう研究が表に出ると、成果そのものよりも研究した人がクローズアップされることが多く、実は本末転倒だともいえます。肝腎なのは結果で、科学者はそれの発見に寄与した奉仕者であるとも思うのです。
話が飛びますが、大阪府、大阪市の文楽に対する態度が話題になったとき、時の府知事や市長の言うことを信じた人たちは「伝統芸能はあぐらをかいている」「文楽の人間は補助金でのうのうと暮らしている」などとまったく事実無根のことを言っていました。彼らには(当然大阪府知事や大阪市長にも)勘違いがあります。文楽の技芸員は「守ってもらっている」のではないのです。彼らもまた文楽を

    守っている

のです。皆で守ろう、ということで国も大阪府も大阪市も財界も一緒になって文楽という芸能を守ろうとしているのです。技芸員は技芸を維持して披露することで守ろうとしているのです。そこを全く理解しないで「人間国宝の収入を明らかにすることを補助金の条件にしよう」などと時の大阪市長は頓珍漢なことを言っていました。
文楽という芸能が大事なのであって、技芸員は、こういう言い方は失礼ですが、いずれいなくなるわけで、次々に養成していく必要があるわけです。人ではなく芸能を守ることが補助金を出す大阪府市の責務であったはずです。今もって補助金が技芸員の給料になっていると思っている人がいますが、こういう誤解を与えたことは大阪府市の大きな罪であったと思います。

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第23回だしまきの夕べ(予告) 

まだ3月も残りがありますが、4月公演のだしまきの夕べのご案内をしておきます。
この公演は文楽劇場30周年で賑わうかな、と思っていたら、住大夫師匠の大阪の最後の舞台にもなり、さらに多くの観客で賑わいそうです。まして、土日ともなると大変でしょう。だしまきの夕べは遠来の方、お勤めの方も多いので、土曜日になっていますが、チケットは取れましたか?
今回は初日ですね。
以下、開催要項をメモしておきます。

日時 2014年4月5日(土) 文楽第二部終演後
集合 当日第二部終演後すぐ。劇場1階売店付近
会場 両輪(文楽劇場から徒歩1分)
費用 3000円程度

初めての方も歓迎します。
人数の確認の必要がありますので、できるだけ早めにコメント欄に書き込んでいただくか、実行委員のやたけたの熊さん、くみさん、花かばさんにご連絡を。

※今回はくみ委員は欠席される模様。

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9年目です 

うっかり忘れていました。3月1日でこのブログは丸8年になりました。ですから、すでに9年目に入っています。
あと2年、続くかどうか。
8年前というと2006年、平成18年です。ブログが流行って、私もその流行に乗ったのでした。
どんな年だったのか、出来事を列挙してみます。

★日本で大雪災害。死者152人
★トリノオリンピックで荒川静香さん金メダル
★神戸空港開港
★「FIFA ワールドカップ」ドイツ大会でイタリアが優勝。日本は決勝トーナメント進出ならず
★総理大臣が小泉純一郎氏から安倍晋三氏へ
★悠仁親王誕生
★阪急と阪神経営統合
★アカデミー賞作品賞は「デパーティッド」(スコセッシ監督)
★ゴールデングローブ賞の外国語映画賞に「硫黄島からの手紙」
★国際天文台連合が冥王星を惑星から除外

ほかにもいろいろありましたが、きりがないので。

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絵本家賀御伽 

先日来、江戸時代の風俗を知るために『絵本家賀御伽(ゑほんかがみとぎ)』(1752年)を用いてきました。大坂の絵師長谷川光信の絵に栗柯亭木端の狂歌をあわせたものです。奥付に刊行は「寛延五歳正月吉日」としていますが、寛延は四年で宝暦と改元されており、寛延五年はつまり宝暦二年ということになります。
天満天神の金魚屋にはじまる、さまざまな風俗が描かれています。同じ絵師による『絵本御伽品鏡』もいくらかご紹介しましたが、『家賀御伽』はその続編のようなものです。
いくつかご紹介します。
覗機関(のぞきからくり)はご存じでしょうか。私は小さい頃に一度だけ覗いたことがあります。何かの祭に連れて行ってもらったときなのですが、詳しいことは何も覚えていません。大阪歴史博物館にありますね。筒状ののぞき部に目を当
てると、絵が出て、それが変わっていくのに合わせて祭文語りの形で説明があるわけです。
『家賀御伽』には「景色(けいしよく)をたつた一目にみたるとはのぞきの中の山河やいふ」とあります。名所を見せるのぞきです。景色を一目ですっかり見たというのは、のぞきの中の山川のことをいうのだろうか。

絵本家賀御伽 のぞきからくり

のぞきからくりは上方では「のぞき」、江戸では「からくり」と略すことが多かったようです。守貞謾稿(1853)には、江戸では四文で、まれに八文ののぞきからくりもあったと記しています。そして、のぞきからくりの絵に登場するものとして「於七吉三恋緋桜」「於染久松妹背門松」「於半長右衛門桂川恋柵」「石川五右衛門釜ヶ淵」「女盗賊三島於仙」「忠臣蔵」を挙げています。

手品というのは昔からありますが、「天満宮境内おてゝこてんの品玉」。「おててこてん」と太鼓の音を模して囃しながら見せるものです。「おててこてん、すててこてん」と言ったようです。「きやうとへも のぼるかしらず しな玉は おてゝこてんま 天神のうら」とあります。京へ昇るのかどうかはわからないが、品玉はおててこてんと天満天神のうらで見せている。

絵本家賀御伽 品玉

源太風流舞というのもありました。「舟ならで梶原まふも世のなみがさしづめわたりがたきゆへかや」。舟でなくて楫を指すように梶原限太の舞を舞うのも世の中の波がさしずめ渡りにくいものだからだろうか。

絵本家賀御伽 現太風流舞

紙人形遣いというのもみつけました。「三教を 一致にせしか かみ人形 のりでかためて くしで遣ふは」。儒教・仏教・神道の三つの教えを一致にしたのか、紙(髪)人形はのりでかためてくし(櫛、串)で遣うということは。

絵本家賀御伽 紙人形

大道芸には「ちょろけん」もあります。「ちよろけんと いへどあたまは 福禄寿 ひく三味のねの つんとつまらぬ」とありますが、福禄寿の被り物をしています。

絵本家賀御伽 ちょろけん

私はあまり観たくありませんが(笑)「蛇遣い」もいました。「気味わるく よそにこそ見れ 藤ならで はひまつはれし くちなはつかひ」の歌が添えられています。

絵本家賀御伽 蛇遣い

蛇のついでに虎を。新町東口「虎屋」です。「東口 はいると恋風 生するは とらのうそふく みせあるゆへ歟」。こういう置物がしてあったのですね。新町の東口を入ると恋の風が吹くというけれど、あれは虎のうそぶく店があるからであろうか。

絵本家賀御伽 虎屋

色が白くなる薬というのもありました。「やすよねも 高ねのおやまの 白妙の 雪のはだへと なせる妙薬」。安い女郎も高値(高嶺)の女郎のように真っ白な雪の肌にしてくれる妙薬だ。

絵本家賀御伽 色白薬

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玩具(その2) 

もうやめようとおもったのですが、玩具の話をもう少しだけ。
我々は玩具のことをたいていおもちゃといいますが、これは本来は「もてあそび」。これが「もちあそび」から「もちゃ」になって「お」がついたのがおもちゃだといわれます。

浅草にいくと今も売っているのが

    「とんだりはねたり」

という、飛んだり跳ねたりするおもちゃ(笑)。なんともまたベタな名前です。
なんでも浅草の亀屋忠兵衛という人(どこかで聞いたような名前)が作って売りだしたものだとか。
上方にも「飛び人形」「亀山のちょんべ」というものもあり、これも同じようです。元祖は上方のようです。落語「東の旅」のうちの「軽業」の中にも参道の物売りの声として「お子たちのおみやに伊勢の名物貝細工はどうじゃい」「本家、痰切り飴じゃ」「亀山のちょんべはん」として出てきます。
割竹を伏せてその上に人形のようなものを置き、下には木綿糸と竹でばね仕掛けを作って、手を叩くとその振動でばねが作動してひっくり返るという玩具です。馬琴も「手を打てば はねる張り子の 小人形 竹と膠を 玉の緒にして」(流行商人狂歌合)と言っています。
「はねむし」という名前もあったようです。

飛び人形
飛び人形(『絵本菊重ね』)

すでにご紹介した手車については鈴木春信の「青楼美人合」の中にこんな絵もありました。「はつかぜ」を描いたものです。これは手車ではないでしょうか? 違うかな?

青楼美人合 はつかぜ

おもちゃは子供の遊びではあっても、大人はもとをただせば子供です(笑)から、けっこうおもちゃが好きなのです。昨日、けん玉は座敷などで遊ばれたと言いましたが、手車も大人にとってもなかなか面白いものだと思います。
子供にせがまれてヨーヨーを買って家に持って帰ったらお父さんが夢中になっている、ということもあるのではないでしょうか。私も子供のけん玉を取り上げてよく遊びました。

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玩具 

はじめて『碁太平記白石噺』を観た時、「浅草雷門」の「豆蔵どぜう」という人物の名前の意味がわかりませんでした。
江戸時代のことをもっと勉強しておけばよかったと後悔しました。
近松門左衛門の生きた時代に、摂津に豆蔵という人がいて、曲芸のようなことをしていたといわれ、それで大道芸人を豆蔵というようになったとか。「豆蔵どぜう」とは、大道芸人のどぜうという男だったのだと文楽から教わりました。
豆蔵ということばには、もうひとつ、ある玩具の意味があると、これもその時は知らず、あとになって学びました。まったく、江戸時代のことはさっぱりわかっていません。
その玩具とは

    やじろべえ

です。釣り合い人形といえばいいのでしょうか。またこの「やじろべえ」という名も不思議です。一説には与次郎という人がこれを用いて大道芸をしたからだとか。また、あの『膝栗毛』の弥次郎兵衛が振り分け荷物を担いでいるようだからその名がついたとも。
語源はともかく、単純ながらとてもおもしろいものですね。私はひどく不器用なので、小学生の時にあれを作ろうとして、さっぱりうまくいかなかったことがありました。

豆蔵売(絵本家賀御伽)
↑豆蔵売り(絵本御伽品鏡より)

この絵の男が手に持っているのが豆蔵です。うしろにも陳列しています。

けんだまは江戸時代後期にもたらされたものらしく、子供より大人が酒の座興のような形で遊んだようです。不器用な私ですが、けんだまはそこそこできます(大したことはありません)。

    手車

というと柔道のすくい投げの別名ですが、この言葉も江戸時代からある玩具の名を意味します。
これは『和田合戦女舞鶴』「鶴岡」にも出てきます。

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くすり 

江戸っ子はおしゃれできれい好きなので湯屋によく行った、と言いましたが、風呂は健康にもよいというメリットもあります。
病気で風呂に入れないときのつらさは私もよくわかります。逆に、久しぶりに風呂に入れたときの快感はまた格別です。
薬湯というのもあります。湯に入ることで血行がよくなり、快活になれば、多少の病気なら治ってしまいそうです。温泉でなくても、菖蒲を入れたり柚子を入れたり、様々に工夫して先人たちも風呂を楽しんできました。
しかし、時には医者や薬の世話になることもあります。
落語に出てくる医者には、やぶ医者、雀医者、手遅れ医者などずいぶんいいかげんなのがいますが、やはり病気になると頼ってしまいます。
文楽にも医者は出てきますが、祐仙のようなのは何医者になるのでしょうか。
薬もいろいろあります。
文楽人形の首の名にもなっている「陀羅助(陀羅尼助)」は強い苦みがあって、この陀羅助を口にふくんだ顔があの「陀羅助」の苦そうな顔です。この薬は今でも胃腸薬として売っていますが、

    義経千本桜

三段目のいわゆる「椎の木」では六代君が疳疾(疳の虫)で悩んでおり、若葉内侍が小仙に薬はないかと尋ねます。あいにく小仙も手持ちがなかったのですが、「この村の寺の門前に洞川(どろがわ)の陀羅助を請け売る人がござりますれば」と言って彼女が買いに行ってあげるのです。
『仮名手本忠臣蔵』五段目「二つ玉」では定九郎に追いつかれた与市兵衛が金は持っていないとごまかそうとして、持っているのは中食の握り飯と「霍乱(かくらん)せんやうにと娘がくれた和中散、反魂丹」だと言います。
反魂丹は越中の有名な薬。今でももちろん売っています。

    和中散

は近江の薬で是斎家(大角弥右衛門家)が売っていました。腹痛や歯痛に効くというので、道中薬として便利で東海道でよく売れたそうです。今でもこの大角家は見学することができてきます(栗東市六地蔵)。余談ですが、大坂の天下茶屋にも和中散はあって、近江の出店だとも、もともとは天下茶屋が本家でその次男が出した店が近江なのだとか、お互いになかなか譲らなかったようです。

和中散(絵本家賀御伽)
梅ノ木村(栗東市)の和中散の店(絵本家賀御伽)

『絵本家賀御伽』には狂歌がつくのですが(写真左上)、和中散の見せはいろいろあったらしく、「梅木の門ごと出す看板はいづれ是斎とわきてかはまし」とあります。

落語にも出てきますが、高津の黒焼きというのもあります。
織田作之助の「大阪発見」に「いもりをはじめとして、虎足、縞蛇、ばい、蠑螺(さざえ)、山蟹、猪肝、蝉脱皮、泥亀頭、鼹手(もぐら)、牛歯、蓮根、茄子、桃、南天賓などの黒焼を売っている」と見えています。イモリの黒焼きは惚れ薬だとかいいますね。

高津黒焼き(絵本家賀御伽)
↑高津の黒焼き(絵本家賀御伽)

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湯屋(続) 

湯屋の話を続けます。

悪いやつもいます。泥棒です。着物などを盗もうとするのですね。下の絵はしょっ引かれていく男です。
ついでですが、この絵の右上に大人が十文、子供八文という入浴料が記されています。

着物泥棒(賢愚湊銭湯新話)

下の絵のように広告もありました。商品は番台で売っていたようです。
湯屋の広告(賢愚湊銭湯新話)

「三味せん ねてはおき助  くふてはたれ助」って…。

す湯屋と言えば看板に矢をつがえた弓を出すこともありました。これは弓入る⇒湯に入るのしゃれだとか。石榴口と言い、看板と言い、とにかくしゃれが好きですね。

湯屋看板
湯屋の看板(守貞謾稿)

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湯屋 

髪結いのことを書きましたので、ついでに湯屋も。
風呂というのはもともと蒸し風呂、つまり蒸気にあたるもので、「風呂」の語源も一説では「室(むろ)」ではないかと言われます(茶道の「風炉」かとも)。
江戸時代には浴槽つきの湯屋も出てきて、それが今につながるようです。初めは今のように肩までつかるのではなく、戸棚風呂といって腰までつかるものだったようです。
浴槽部分と洗い場とは別で、その境目には

    石榴口(ざくろぐち)

がありました。これを出入りするのですが、立ったまま出入りすることはできないくらい鴨居にあたる部分が低くなっています。這って出入りするか、そこまで極端ではなくても屈んで入らなければならないのです。なぜそんなことをするかというと、蒸気が外に逃げないためだとか。
石榴口というのは妙な名前ですが、これは鏡を磨くのに石榴の実の酢を使ったため、「鏡いる(鏡を磨く)」と「屈み入る」(かがんで中に入る)を掛けたのだと言われます。
石榴口には立派なデザインをするところがあって、鳥居や破風のようにしてあったそうで、絵にも残っています。山東京伝の「賢愚湊銭湯新話(けんぐいりごみせんとうしんわ)」から引きます。

石榴口
石榴口(賢愚湊銭湯新話)

絵の左側に石榴口を子供を抱いてかがんで通ろうとしている人が見えます。この石榴口は破風仕様ですね。右ページの左下に小さな出入り口のようなものがあって、奥にひしゃくが見えていますよね。これが後述する岡湯です。

鳥居形の石榴口は『守貞謾稿』にあります。

石榴口(守貞)
鳥居形の石榴口(守貞謾稿)

女性は湯巻とか湯文字と言われる腰巻を、男性は褌をつけて入るのが古い形ですが、次第に何もつけなくなります。
やはり前を隠そうとしますが、石榴口の出入りに子供を抱いていると前を隠せません。そこで

    抱いた子をふたにして出る石榴口

ということになります。先ほどの絵がそんな感じでしょうか。
ちなみに、石榴口の奥、つまり浴槽の方はかなり暗かったようです。浴槽に入るときは「一家も一門もない田舎者でござい ごめんなさいまし」などといって挨拶して入ったといいます。

浴槽
湯に入ろうとする人(賢愚湊銭湯新話)

右ページの湯加減を確かめている人がまさにこれから湯に入ろうとしています。この人が「いつけも一もんも(一家も一門も)・・」と言っているのがこの人物の背中の上に書いてあります。

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髪結い 付810,000 

髪結いの亭主ということばがありますが、髪結いをしてしっかり稼いでくれる奥さんに養ってもらえるというなんともうらやましいご身分の方です。フランスの映画にもありましたね。

髪結いは江戸時代にきちんとした商売として存在しました。特に

    江戸っ子

はきれい好きでおしゃれと言われますから、はやったでしょうね。内床と出床というのがあって、内床は町内の家で店を構えているところ、出床は橋のたもとなどで店を出していた床屋さんだったようです。出床の髪結いは町火消の一つの形態である橋火消にもなったそうです。橋の防火を担当すべく、そのための道具を用意していたようです。この橋火消を公認したのは例の大岡越前守(忠相)です。
女性は本来自分で髪を結うのが基本でしたが、髪型に流行が起こったりするため、やがて女髪結いも現れたようです(後述)。
髪結いは文化のころで28文だったらしいというのは昨日も書きましたが、それで月代を剃って、ひげも当って、まげを結ってくれます。耳掃除などもしてくれたようです。最近の床屋さんでは耳掃除はどうなのでしょうか。私が以前行っていた(廃業されました)高齢の方が経営されていた理髪店では耳掃除をしてくれました。最近はあまりないと思うのですが。最近の理髪店では予約のところが多いですが、私が以前行っていた高齢の方の店はいつ行っても空いていて(笑)、予約の必要はなかったのです。
以前、予約などがなかったころ、混むところではしばしば

    待ち時間

がありました。雑誌を読んだり、知らない人と話をしたりしましたが、江戸時代でもやはり待ち時間があるので、社交の場として湯屋とともに重要な意味を持ったようです。
式亭三馬の滑稽本に「浮世風呂」「浮世床」があるのはなるほどよくわかる話です。湯屋と髪結いに当時の人たちの生き様があらわに見えるのでしょうね。三馬の着眼はさすがです。

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歯磨き売り 

歌舞伎の十八番の一つに「外郎売」があります。
外郎は「口中、微涼を生ずるがごとし」というように、口の中がスッキリして、しかも「万病即効あること神のごとし」という薬で、本当ならすばらしいものです。「ドラえもん」に「どんな病気にも効く薬」というのがあったように思うのですが、それの元祖でしょうか。
あれを売るのに、延々と早口言葉を聞かせるのが眼目ですが、海老蔵丈の突然の休演で愛之助丈がみごとにやってのけたのは何年前のことでしょうか。
フーテンの寅さんもそうですが、大道でものを売るときにはただ品を並べるのではなく、建前、口上というのも重要です。紙芝居なんていうのも飴を売っては紙芝居を見せる、商売としてはむしろ「飴屋」なのかも。
外郎売の場合は外郎の「副作用」である

    「舌の回ること」

を実演して見せるという面白いことをするわけです。たしかに、すっきりするとか食い合わせにも効くとかそんなことは目に見えない、耳に聞こえないので訴えとしては物足りないのです。はっきりわかるものがあってこそお客さんは信じるわけです。
それと同時に、大道芸を見せて面白いと思ってもらったら

    ついでに

買ってもらう、ということにするわけですね。紙芝居と同様でしょうか。

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寺子屋 

以前は自分のことを

    学者のはしくれ

くらいにはなれるのではないかと自負していたことがあるのですが、さすがにここに至ってはもうそんな大胆なことは思いません。
学者の頭脳と勤勉さは私にはありません。やはりあれはいくらかの才能と勤勉さが大事。才能がなく勤勉でないなら学者にはなれません。
というと自虐的ですが、私には教える才能だけはあったと自負もしいますので、それほど謙遜しているつもりはありません。
「教える」というのは

    「押し売る」

のとは違うのです。ところが、若いころは知識を押し売りするように子供たちになすりつけようとするだけでした。それでなんとなく一人前の教師になったような気がしていました。子供と比べたら自分の方が知識があるのは当たり前です。
それなのに、そのことを自慢げに「押し売り」していた自分を思い出します。
先月、中学校で15年間も教員免許なしで(大学も卒業せずに)教えていたという人がいたと話題になりました。そんなことができるのか? と言いたくなりますが、まあできるでしょうね。私だって、大学院の時に予備校(高校1年生対象)で英語を教えていましたもん(笑)。あのときの生徒さん、すみませんでした。
無免許教師はもちろんいけません。しかし現実を見ると免許を持っているからと言っていい教師とは限りません。私は高校教諭の免許を持っていますが、かなりいい加減なのです。青年心理とか教育心理という科目が必修でしたが、夜間に行われた(私の大学には経済学部に二部がありました)集中講義で半分寝ながら単位だけをもらった感じでした。教育法規なんて採用試験の時に頭に詰め込むだけで、もう何も覚えていません。
それでも免許は持っていますし、大学ではありますが実際に教えています。いい加減な話です。

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私、なんでこない 

落語も漫才も好きだったのですが、寄席には音楽ショーというのもあります。私は小さい頃から

    横山ホットブラザーズ

のファンだったのです。小学生の時、宝塚ホテルか、先年閉園になった宝塚ファミリーランドで何か子供向けの催しがあって、連れて行ってもらったことがあります。そこに余興で出てこられたのが横山ホットさん。もう嬉しいの何の。ミュージックソーの演奏はなかったと記憶しますが、なにしろにぎやかでした。もちろん東六師匠がいらっしゃいました。漫画トリオと横山ホット、この二組はなぜか子供のときに何度かナマで拝見していました(すべて宝塚でした)。
宝塚は歌劇、と思われがちですが、お笑いとも縁が深いのです。宝塚歌劇の第一回の公演が室内プールを改装した【劇場】だったことは有名ですが、やがて4000人収容という大劇場ができました。それとともに宝塚中劇場と言うのがあって、これはのちに宝塚新芸劇場として続きます(現在はバウホール)。関係ありませんが、私はこの劇場の舞台に立ったことがあります(ほんとです)。
この新芸劇場で

    「新芸座」

という一座が公演をしていたことがあり、Aスケ・Bスケ、いとし・こいし、蝶々・雄司といった漫才の方々も出ていらっしゃいました。のちに桂小春団治から露の五郎、露の五郎兵衛になる桂春坊さんもこの一座にいらしたのです。
話が飛びましたが、宝塚でお笑い、というのは何も不思議な話ではないということでした。

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卵は高価 

物価の優等生といえば卵。私が子供のころ、八百屋さんで10個130円くらいで売っていました。うどん1玉もそれくらい(15円足らず)でした。キャラメル1箱10円、アイス1本10円の頃です。
つい先日、たまたま見たスーパーのチラシに(特売でしたが)卵10個118円というのがありました。私は買い物下手なので、一番安いのを買うのがなんとなく怖くて(笑)、つい少し高めを買いがちですが、特売品となると安いものですね。それにしても卵がいかに値段が上がっていないかよくわかります。
逆に言うと、昔、卵は高価なものだったのです。

このところ、江戸時代の

    江戸市民の生活

を少しだけ勉強していました。
物価も多少知っておきたい、と思い、調べたりしていました。
もちろん、江戸時代といっても、260年ありますから、いつも同じ値段であったわけではありません。しかし、特に物価史を調べるわけではありません。私が関心のある江戸時代後期について大雑把に知りたいという程度です。
よく知られるのはそば。「二八そば」というのは仁八という人が打った蕎麦が評判だったからとか蕎麦粉とつなぎの割合が8:2であったからだとか言われますが、江戸時代後期になると

    二八の十六文

という意味も出てくるようです。厳密に語源が何かはもう雲の中かもしれませんが、少なくとも十六文であった時代がけっこう長かったことは事実です。
一文を16円で計算すると256円。最近はこの値段で蕎麦というと大きな会社の社員食堂くらいしかないでしょうか。阪急電鉄の駅にある《阪急蕎麦》は、たぬきそば、きつねうどん、天ぷらそばなど現在すべて300円です。
四本刺しの串団子が1本4文で、64円くらい。大福餅も1個4文。百目ろうそくは1本200文。昔の灯は菜種油を使ったり魚油(においがきつい)だったり。猫がなめるのは魚油でしょうね。
甘酒は8文。醤油一升は関東のものなら60文、下りもの(上方から江戸に下ってきた商品)は高くて100文。瓦版は4文。髪結いは28文。
お気づきのとおり、4の倍数ばかりです。四文銭があって、これでさっと支払えます。四文銭は、明和五年(1768)以降に鋳造された真鍮の寛永通宝と万延元年(1860)以降に鋳造された精鉄銭、文久3年(1863)以降に鋳造された文久永宝があります。
銭形平次が投げたのは寛永通宝の4文銭だそうです。1文銭にしておけばいいのにと思いますが、1文銭より少し重いだけに効果はあったでしょうね(笑)。

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絵巻物 

新年度、一般の方々と一緒に読んでいこうと思っているのが絵巻物の代表的なもののひとつ、「伴大納言絵巻」です。今は出光美術館の所蔵になっています(私も東京の出光で拝見しました)。

これは大学院の博士課程の時に

    日本美術史

のゼミに出してもらって勉強したものでもありますが、それ以前から大好きな絵巻物です。私が通った大学院の博士課程は、当時「学際的に」勉強することという方針があり、また、私自身も日本史、日本美術、芸術学などの分野に感心はありましたので、日本文学以外の授業を積極的に取ろうと思っていました。
それでたまたま日本美術史で伴大納言絵巻を読むというので飛びついたわけです。この授業ではある美術館で、その美術館所蔵の

    国宝の絵巻物

を目の前で見せてもらったり(こういう体験を積むことで文献や美術品の扱いを覚えていきます。これも大学院生の修業のひとつです)、「来週は名古屋の美術館に行きます。それで授業と言うことで」などという感じで、伴大納言だけを読んだのではなかったのですが、1年間美術史の専門家の中に混じっていろいろ教わりました。
専門外の人のお話をうかがうのはやはり面白いです。先生はもちろんですが、大学院生も将来は専門家になろうとしているわけですから、意識はかなり高いですしね。
私はあくまで素人ですから、むしろ文学(この絵巻は宇治拾遺物語に見える伴大納言の話とほぼ同じ内容です)の立場や日本史の立場から発言できることもあるかなと思っていました。そして一方で美術の勉強(顔料とか、破損の状況とか、他の絵巻物との関係や比較など)をすることで新たな視野が広がればいいなと思ったわけです。
その当時若手の先生だった担当教員はその後、斯界の大家(「おおや」じゃありません、「たいか」です)になられて、今もご活躍です。

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大阪市のゆくえ 

大阪市を解体して特別区にする構想がありますが、私は正直申しまして詳しいことはわかりません。そうするほうがいいのか、しないほうがいいのか、急ぐ必要があるのか、ないのか、何とも言えません。
うろ覚えですが、人口370万人という巨大都市の横浜市は特別区は作らない方向だったと思います。ということは絶対に特別区にする方がいいということでもないのでしょうか?

大阪都などという名前が先走っていますが、この名称は実際は

    あり得ない

ので、早いうちにきちんとした名称に直した方がいいと思います。大阪府は大阪府です。
「都」というのはどう考えたってひとつしかありません。二つにしたのでは「都」の意味がありません。特別区を作ることと大阪府の名称を変えることは何の関係もないと思います。大阪市解体構想とか大阪市再編構想とかなんとかいうべきではないでしょうか。
どちらかというと、天皇に京都に戻ってもらって、京都、東京府、大阪府というのがいいと思うのですが、これはめちゃくちゃですかね。はい、めちゃくちゃでしょうね、すみません。
それはともかく、大阪市が解体されたら今は

    5つの区

にする案があるそうで、北区、東区、南区、西区、中央区にしたいのだとか。まあ、こういう味もそっけもない名前の方が便利なのでしょうね。お役所の発想です(それが悪いとは言っていません)。
かなり前ですが神戸でも生田区や葺合区が一つになって中央区と名を変えました。この時も神戸在住の人はつまらない名前だとずいぶん愚痴っていました。大阪市の中央区もそうでした。
地名というのはやはり愛着がありますからね。

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疲れたら休め 

新年度に向けてものを考える時期になりました。以前ならいかによき教育、研究をするか、ということが第一でしたが、今はいかに稼ぐかが一番です(笑)。
すでに今年度の仕事は完全に終わりました。卒業式とか何とか、そういうのは関係ありませんのですでにお役御免です。
今は普段できないことをコツコツと続けているのと、新年度の計画をあれこれ考えています。
体調を元気なまま維持できるとは思っていませんので、それとの兼ね合いが難しいのです。しかし、何か事務的な仕事でもバイトがないかと思っています。現実的には電話番や応対ができないので困難だろうと思うのですが。
どんどん袋小路に入っていくばかりで、さすがに夢も希望もありませんが、本当に小さな針の穴の向こうに見える光明を目当てに、何か自分のやりたいことを残る時間を使って実現したいと思います。

  疲れたら休め、
   彼らもそう遠くへは行くまい

とはツルゲーネフの言葉だそうですが、年中疲れている場合はどうすればいいのでしょうか(笑)。「彼ら」はかなり遠くへ行ってしまったような気もしますし。これはやはり普段本当にしっかり頑張っている人たちに向けられた言葉であって、綿足のように怠けてばかりいる人間には猫に小判の金言だろうと思います。
この言葉は歌人の

    河野裕子 さん

がお好きでした。彼女は高校生の時、一年休学をしているのです。とても暗い時間であったと回顧されていました。その時にいつもこの言葉に励まされたそうです(河野裕子『私はここよ』)。

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レジ袋 

子供のころ、まだ近くの駅前には「市場」がありました。小さなスペースに八百屋、本屋、文房具屋、菓子屋、洋服屋(ブティックなんてもんじゃありません)、豆腐屋、肉屋等々、さまざまな店がひしめいていました。
買い物に行く人は買い物かごを持って次々に店を回って行くことになります。
ところが近所にスーパーマーケットなるものができました。
ここはすごいのです。なにしろ、かごを持っていかなくても、買ったものを

    紙袋

に入れてくれるのですから。ただ、紙なので時々破れ、水けのものはしみ出したりしました。それでも、そのスーパーの名前入りの紙袋を持っていると何となくしゃれた感じがしたものです。
市場はそのうちにどんどん姿を消し、次々にスーパーが誕生しました。
私が一人暮らしをしていた頃、つまり一番スーパーに通ったころはダイエー(西宮)とヒロデン、スパーク(いずれも広島)というスーパーにもっぱらお世話になりました。
紙袋がしだいに

    レジ袋

と呼ばれるものになり、最初は有毒なので燃やしてはいけない、ということでしたが、次第に燃やしても大丈夫なものになって、使用後はごみ袋にしていました。
ただ、自治体もごみの回収費用は大変ですから、指定の袋を買わせてその袋のみ回収するという形をとるところもありました(広島がそうでした)。

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右とか左とか 

私はあまり政治や法律に関心がないのです。政治家になろうと思ったことも裁判官になろうと思ったこともありません。私の行った大学は「文、法、経済、経営、教育」が文系(教育はもちろん文理両方)でした。父親(商社勤め)は私に

    経済または経営学部

へ行ってほしかったらしく、「それがいやなら法学部。文学部なんてもってのほか」という考え方でした。で、私は文学部に行きました(笑)。なんという親不孝者でしょうか。
父親は「経済、経営は会社に勤められる、法学も大丈夫」と「会社に勤めるには」の前提でものを考えていましたからそうなるのでしょう。私は会社勤めをする気はありませんでしたから、真っ向からぶつかったわけです。
それでも私も親に悪いという気持ちはありましたから、文学部はやめようかなと、弱気になったことはありました。それでも法学部だけは選択肢に入らなかったのでした。
いや、法学部が悪いわけではありません。それどころか、大事な学部です。あくまで私の関心として、法学部は頭になかったと言うことです。
学生時代はいわゆる

    ノンポリ

で、盛んに党活動をしていた同級生が信じられなかったくらいでした。
当然私は右翼とか左翼とか、そういう範疇に自分を入れることはできませんでしたし、今もそれは変わっていないのです。

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三大ナントカ 

日本三景は松島、天橋立、宮島。
衆目の一致するところというか、松島よりこっちがいい、とか、うちの近所のどこそこを入れろとか、あまりそういうことは言われません。
海と陸地の醸し出す情緒。たしかにすばらしい風景です。松島と月、宮島と紅葉という組み合わせも大事ですね。私は広島の宮島には何度も行きましたが、松島は一度行っただけです。月の時間には見ることはできませんでしたが。それでも

  松島やさて松島や松島や
          (田原坊)

といわれるように、もう言語を絶する名勝だ、ということのようです。芭蕉は奥の細道の旅をしているのに松島については詠みませんでした。

日本三大夜景というと函館、神戸、長崎だそうです。長崎には行ったことはありますが、夜景は知らないのです。稲佐山から望む夜景だそうですね。函館も函館山から望む夜景。世界三大夜景というのを誰かが決めているらしく、それには函館が入ったり長崎が入ったり。神戸の夜景は私も何度も見ていますが、実は私の場合すべて六甲山からの夜景です。もっとすばらしいとされるのは

    摩耶山掬星台

からの眺めで、星を掬うというくらいですからきれいなのでしょう。
摩耶山はお釈迦様の母上である摩耶夫人の像を空海が忉利天上寺(とうりてんじょうじ。ロープウェイ星の駅からも、奥摩耶ドライブウェイからも行ける)に安置したことに由来します。
せっかく近くなのに、なかなか行けないのです。

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障害を装う 

昨日、現代のベートーベンさんが記者会見をされたようです。私は新聞とネットで若干の情報を得ただけですのであまり詳細には理解していませんし、どういう口調でお話になったのかはもちろんわかりません。その点はあらかじめ申しておきます。

実生活に何の支障もないけれど、法律的には障害者に該当する方もいらっしゃるようです。もちろん法律が認めているなら間違いなく障害者です。ただ、そういう方については、医師の中には診断書を書けと言われたら書かないわけにはいかないけれど、書きたくないと漏らす方もいらっしゃるとうかがいました。
障害者になると実際、さまざまな点で優遇があります。

以下、私の場合です。
所得税の控除があります。
NHKの受信料は半額免除になります。
自動車税はかかりません。
国立の施設(美術館、博物館など)は無料です。公立でも無料または割引、私立でも割引があるところは珍しくありません。
交通機関の割引があります。100km以上の乗車券が半額になります(特急券はダメ)。タクシーも割引があるそうです(使ったことはありませんが)。
有料道路が半額免除になります。
住まう市からなんらかの福祉金のようなものが出ます(もらっているかどうか不明)。

実生活に支障がない場合はたしかに「優遇」と言えるかもしれず、医師の中に診断書を書きたくない気持ちになるというかたがいらっしゃるのも分からないではありません。
しかし、法律がそれを認めているのは事実です。問題は障害を装ってこれらの優遇を受けることだろうと思います。
たとえば内臓に障害がある場合など、医師自ら手術したりしてその状態は患者よりよくわかっている場合があります。ですから間違いなく医師の判断だけで障害があるかどうかがわかるでしょう。
しかし視覚障害や聴覚障害はなかなか微妙で、本人が見えない、聞こえないといったらそれを否定するのは難しい面があります。見えているはずだ、聞こえているはずだといっても、本人が見えない、聞こえないといったら反論もしにくいでしょう。
あの方は明らかに間違ったことをしました。彼はひょっとしたら私のようにチマチマと障害による恩恵を受けることはしていなかったかもしれません。しかし、障害がある、ということをダシにして、しかも音楽家にとって致命的な聴力の障害だと言って同情、共感を買い、感心、感動されるに至ったのはやはりまずかったと思います。本人はその意図はなかったとおっしゃっていたようですが、いくらなんでも同情されることは明らかでしょう。
それはこの方にとっては先述の「優遇」とは比較にならない大きな財産になっているはずです。それを偽って手に入れてしまったのは言い訳のしようがないと思います。
すでに障害者ではないことを公表されましたので、あとは社会的責任のようなことでしょうか。

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山梨の情報 

山梨県というのは正直なところ印象の薄い県です。「富士山といえば何県?」といきなり問われたら、つい「静岡」と答えてしまう人が多いのではないでしょうか。山梨側の富士五湖とともに写した写真も多いですが、やはり私などは富士山というとあの新幹線の窓から見えるもの、三保の松原から写した写真あたりがまず頭に浮かびます。
関東地方なのか中部地方なのかもあいまいですが、

    「関東甲信越」

という言葉もありますから、やはり中部地方の意識が強いのでしょうか。
昔は甲斐の国といいました。「かひ」という国の名は、以前は「峡(かひ)」の意味と言われたこともあるのですが、今は多分そうではないとされ、交通の「交(かひ)」の意味、要するに道の接点ということとも言われます。よくわかりませんが。
古今和歌集の撰者である凡河内躬恒(おほしかふちのみつね)は甲斐権少目(かひのごんのせうさかん)に任ぜられたことがありました。
しかし、やはり歴史的には

    武田信玄

を思い浮かべるのが普通でしょうね。
そして市川団十郎家の先祖がこの地の人であり、市川という名も甲府市の南、笛吹川近くの現在で言う市川三郷町が期限であることは以前書いたことがあります。
実は私は山梨県に行ったのは、それこそ富士五湖から富士山を見上げたことがあるだけ。1回しか県内に足を踏み入れたことはないのです。私などが思い浮かべること(もの)は南アルプス、富士五湖、身延山、武田信玄、ぶどう、日本有数の暑い県。そんな感じでしょうか。

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初春公演つれづれ(2) 

前回は「布引」まで書きました。第一部最後の演目は冬の公演の定番のようなこの作品でした。
梅川と忠兵衛は6年前と同じ簑助師匠と清十郎さんの組み合わせでした。もっともあのときは「清之助さん」でしたが。清之助としての大阪で最後の公演がこの演目でした。正直言ってあの時は余裕がないというか、簑助師匠に引っ張られすぎではないかと感じることがありました。しかし今回は

    足が地に着いた

というか腰が座ったというか、きちんと独立した人格として動いている忠兵衛が見えました。いわば存在感が強まったのです。梅川と孫右衛門を中心とする芝居ではあってももう一つの父と息子の絆が確かに見えたように思います。
和生さんの孫右衛門は時として大店のご隠居のようですらある風格が感じられました。飛び出してきた梅川に、なぜか忠三郎の家にいざなわれます。普通なら不思議に思うところですが、孫右衛門は何も知らないかのように招き入れられます。このあたりは芝居のウソでしょうか。梅川の様子を見ているうちに徐々に事情が呑み込める、といった様子の孫右衛門。その「徐々に」という変化を和生さんはうまく表現していたように思います。上がり口での梅からの孫右衛門をいたわる様子は本当に細かい。簑助師匠は実に細かく演じます。
私はいつも申すのですが(賛同者はまずありませんが・・笑)、「覚悟きはめて名乗つて出い」で飛び出す忠兵衛を孫右衛門が抑える時は「息子を見てはいけない」という気持ちがあるのではないかと思うのです。だから顔は背けるのではないか、と。孫右衛門は梅川に目隠しをはずされるとその梅川を一瞥してから忠兵衛を見ます。あの一瞥がまた孫右衛門の人柄を感じさせます。
二人を見送った孫右衛門は少し上手に歩いて、振り返って下手側に戻ります。下手に行くということは家に戻るということ。今さら道場参りもないのですね。
とにかくこの演目では清十郎さんの進境というか充実というか前回よりぐんとよくなったところはさすがにプロだと思いました。

「やくたいもない」あたりで

    停電した

日がありました(こちらにも書きました)。1月14日14時20分過ぎでした。私もあの時は行っていましたが,客席も舞台もまさにフェードアウトした感じ。嶋大夫師匠はそれでも語り続け、舞台上は見えないのに人形が動いているのは分かりました。やがて床にはお弟子さんがライトを持って出て、師匠の床本を照らします。富助さんは暗いところで弾き続けました。
音声室のライトがつき、客席はその灯りで様子が分かるようになりました。やがて裏方さんが必死にかき集めた(と裏方さんからうかがいました)ライトで船底から屋体が照らし出され、簑助,和生,清十郎さんが何事もなかったかのように演技を続けてます。技芸員さんは全く何事もなかったかのように演技を続けます。
なお、あのライトはマグライト(MAGLITE)だそうで、アメリカのマグ・インストルメント社の製品だそうです。とても性能のよいライトだとか。これも裏方さんに教わりました。

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今年も申告 

誠にお恥ずかしいことながら、毎年この時期になると税金を少しでも返してもらおうという作業をおこないます。
はい、

    確定申告

です。私の場合は還付申告ばかりです。
何しろ、医療費の領収書がいっぱいあります(笑)から、これを使わない手はないというものです。
以前は数万円還付されたことがありました。今はそこまでは返ってきません。医療費が減ったからかというとそうではないのです。すでに払った所得税が驚くほど少ないから、返ってくるだけのものがないわけです。
昨年は所得のあまりの少なさにショックを受けるあまり(笑)、数千円の還付を無駄にしてしまいました。今からでもできるのかもしれませんが、すでに領収書などを破棄してしまってどうにもなりません。やはり自暴自棄になっては損をするだけですね。
今年は、わずかに源泉で徴収された税金である講演料(講師謝金などといいます)などの税金を返してもらおうというわけです。講演料も高い人なら1回数十万円(もっと高い人もいます)で、さらにアゴアシ付きだったりします。私の場合はアゴなんてありませんし、アシがないこともあります。1回の金額も

    雀の涙

で、それも号泣した時のものではなく、あくびをした時についでに出てくる涙くらいです。雀が号泣するのかどうかは知りませんが。
原稿料も安いところと高いところでは雲泥の差がありますし、著名作家などはまたランクが全然違います。私がこれまでにもらった一番高い原稿料は400字詰め1枚1万円ちょっと。高いと思われますか? でも実際にそれを書くために費やす勉強を考えたら、どうってことはないのです。一番安いのはもちろん0円。これのほうが多いです(笑)。

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暇なし 

二月はなにかバイトをしたいと思いながら気がついたらもう終わっていました。今月も仕事はなく、アップアップしているのに、なぜか忙しい日々です。

    貧乏暇なし

とは私のためにあるような言葉です。
今はもう、春以降のバイト探しに躍起になっています。一つ可能性のあるものが出てきたのですが、4月にならないとできるかどうかわかりません。できたらできたでかなり時間を取られそうで、時給で言うと学生アルバイト並みだと思います。
そのために先日来書類作りに精を出していたのですが、これでパァになったら書類つくりの時間もパァです。
しかし、そういうリスクを背負いながらでも探さないとどうにもなりません。まだまだ頑張ります。
店番不可、電話番不可、道路工事などのの安全確認など不可、塾講師も多分不可、家庭教師も不可。あれもこれもできないのです。
大学の

    入試問題

の作成のバイトなんてないかな、とこれを一番思うのですが、なにしろ「つて」がなく、探しようもありません。これならあまり他人と相談することもなくできるかな、と思うことがあるのです。ただ、こういう仕事には驚くほど時間がかかります。それを理解してくれないときちんとした報酬はもらえない可能性はありますが。

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七世住大夫の引退(その3) 

それにしても、脳梗塞になられたことだけは痛恨の出来事でした。
私はあまり感情的に「何が何でも大阪市長が悪い」とは言いたくないのですが、あれはどう考えてもあの市長の一連の発言の影響があったと思います。
引退会見で住師は「大阪府も大阪市ももっと文化を理解してくれたら」とおっしゃったようにうかがいました。
文楽を守ることには大阪市も大阪府も責任があるのです。単に

    劇団の一つ

というわけではないのです。大阪の文化行政にとって不可欠なものなのに、それを間違った考えを持つ人が市長になり、その言いなりの人が府知事になり。
補助金うんぬんより、文楽が大阪府市にとっていかに大事なものかをきちんと言わなかったことがいけない。むしろ市民、府民にこれは大阪の大事な文化だから、一つの劇団としてではなく補助してきたのだということをきちんというべきなのに、それとまったく逆のことを言って市民、府民に

    誤情報

を、もっとはっきり言うとウソを垂れ流してきました。しかもメディアも市長の発言をとりあげるばかり。そういうことをされたのでは文楽のいわば最高責任者的な立場にある住師にとってはこの状況が大きな苦悩の原因になったと考えざるを得ません。
引退会見の中で「大阪府市の無理解」は大きなポイントだったと思うのですが、実はどの記事を見てもあるいはのテレビのニュースなどを見てもこの発言はカットしたようです。民法某局のテレビで流れたのだとうかがったのですが、それ以外ではなぜカットされてしまったのでしょうか。大阪市の市長について聞かれた住師が「財政難ならしゃあない」とおっしゃった部分は報道されていたのに。「しゃあない」ではなく「理解して欲しかった」のほうがカットされたのはなぜ?

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七世住大夫の引退(その2) 

住大夫師匠は私の父と同世代。
父が亡くなって半年ほどした平成4年4月公演が

    伊賀越道中双六

の通しでした。この時の「沼津」は住大夫・燕三、簑助(十兵衛)、文雀(お米)、作十郎(平作)でした。
この時はさすがに泣けて泣けて仕方がありませんでした。自分の人生と文楽の芝居が重なって、父親というものを少し理解したような気がしたものです。
文楽っていいもんだ、としみじみ思った公演でした。私が本当に文楽で泣いたというとそれまでは越路師匠の「引窓」と津大夫師匠の「沼津」くらいでしたから、住師については初めての経験でした。

その当時私は広島にいたのですが、その翌年に関西に戻りました。そしてまもなく昨日書きました新作浄瑠璃の審査という形で関わりを持っていただくことになりました。
さらにその後しばらくして私は

    『上方芸能』

から文楽評の仕事を依頼されたのです。何度も申しますが、私には無理な仕事。とても荷が重く、特に第一人者の住師匠のことをどうやって「批評」せよというのか。結局感動したことばかりを書いてきたように思います。新作浄瑠璃は好きで書いたものですから全く問題ないのですが、この批評だけはしてはいけないことだったのだろうと今でも思います。浄瑠璃の神様にもう聴かなくていい、とお仕置き(笑)をされてしまいましたし。

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