名所江戸百景~江戸の北、西、南 

『名所江戸百景』、すべてをご紹介したわけではありませんが、最後に江戸の北と西と南の風景をいくつか。
第二十景「川口のわたし善光寺」。

名所江戸百景020
↑川口のわたし善光寺

江戸幕府にとって、日光東照宮は権現様家康を祀る大事な神社。関西人の私にはあの派手な門だけが思い浮かぶのですが(笑)、今や関東地方では新たに登録の決まった富岡製糸場とともに(富士山を中部地方として)数少ない世界文化遺産でもあります。代々の将軍も日光には特別の思いがあったはずで、将軍が参詣するときに通る道が「御成道」。その道筋を岩淵宿(東京都北区)から川口宿に荒川を渡るのが岩淵渡船場、これが川口の渡しです。ただし、将軍が渡るときは船には乗らず、船橋(舟を連ねてその上に板を置いて橋にする)を設けて渡ったのだそうです。庶民はもちろん舟。これが右手前に見えるものです。手前が岩淵側で、対岸上のほうに善光寺が見えます。江戸の人は信州の善光寺参りを好んだようですが、なかなか遠くて行けません。そこでこの川口の善光寺で済ませることも多かったようです。渡し舟以外は筏。やはり江戸から見るとかなり奥まったところ、という感じがします。

江戸の西というと第八十七景「井の頭の池 弁天の社」。

名所江戸百景087
↑井の頭の池弁天の社

武蔵野というと東京の果てのように思っていましたが、今や住宅も多く、私の知人も数多く住んでいます。東京都心まで出るのも便利ですね。ここも私は行ったことがありません。井の頭池は神田上水の水源で、とても水量の多い湧水池です。今は井の頭恩賜公園になっています。池畔に三代将軍家光が「井頭」とこぶしの木に彫った(井の頭の名前の由来という)という旧跡がありますが、その東側に弁天社があります。この絵は南側からその弁天社を描いていることになります。現在の自然文化園はずっと西のほうになります。

江戸の南は蒲田方面になります。
第百九景「南品川鮫洲海岸」。

名所江戸百景109

大森のあたりでは海苔の養殖が行われていました秋に立てていた粗朶(そだ)に付着した海苔を収穫する人たちが手前に描かれています。漕ぎ手と摘み手がいるようです。「名物浅草海苔海」と記す古地図もあるように、浅草海苔としても売られたようです。右側に群れ飛んでいるのは千鳥でしょうか。北のほうには船が浮かび、はるかかなたにはやはり筑波山。真ん中上空には雁の姿も見えます。

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伴大納言絵巻を読む(2) 

伴大納言絵巻は現在出光美術館所蔵です。海外に流れなかったことを喜びたいですが、だからといっていつでも自由に観られるというわけではない事には違いありません。
なにしろ国宝、800年以上前に描かれて、傷みもありますから、これ以上の損傷がないようにめったに表に出てくるものではありません。私もかなり長い間観ていないのです。ただ、今は写真の技術が進んでいるため、

    きれいな複製

を観ることができます。私が持っているのは中央公論社の「日本の絵巻」シリーズなどです(いくつか持っています)が、照らし合わせてみるとやはり微妙に色合いなどが違います。本物を観るに如かずなのですが、おおむねどういうものかはわかりますからありがたいものです。

冒頭は、本来はおそらく詞書があったものと思われますが、すでに失われていて、いきなり絵から始まるのです。なぜ失われてしまったのかはわかりません。冒頭だけに傷みもひどいのでしょうが、あるいはきわめて美しい文字で書かれていますので、この部分だけを切って誰かが持っていったのではないかとさえ思えます。
現在の形は描かれた当初とは違って三巻になっています。

    もともとは一巻

だったと思われるのです。それは古い文献にそういう記録があるからです。
で、分割する時や修理するときに切られたり貼られたりということがあったはずで、その時に上巻の詞書をまとめてどこかへやったのではないか。もしそうだとしたら、ひょっとして今もどこかにあるかもしれない、などとはかない望みを抱いたりしています。

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ゲネプロまでいきました 

奈良の幼稚園の文楽人形劇は稽古が進んでいます。
ごんべえさん、お染ちゃんそれぞれに、人形を持つこと三回目になる方がいらっしゃいますので、リードして下さって、

    自主的に

稽古してくださっています。バックアップ役のお母様方も熱心に手伝ってくださいます。
私はほぼ役立たずになっていますが、私が暇になればなるほどよいのだろうと思います。

人形を遣うのはボランティアのみなさんなのですが、あるいはお母さん方のほうが体力があるのでよいのかもしれません。
しかし、年の功と言いましょうか、さすがにこちらの申しますことをぱっと受け止めてくださる力はさすがだと思います
お母さん方はよく気がつかれて、さっと動いてくださいますので、あるいはバックアップにふさわしいと言えるかもしれません。
今週、ついに

    ゲネプロ

をするところまでいきました。
およそ形になってきたという感じです。
皆さんにお渡しした台本はもう真っ赤に書き込みがなされていて、自分の役割を細かく正確に果たそうというお気持ちがうかがえます。

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古文ではなく 

毎年のことなのですが、私の授業で一番人気がないのは

    平安時代古典文学

ではないかと思います。他の授業も大差ないのですが、学生の反応から見るとどうもこの系統のものがダメみたいです。
私からこれを取ったら何も残らないはずなのですが、学生はその残滓のような「敬語の話」となどを受け入れるのです。気持ちはわかります。何しろ基本的に理系の学生です。それも高校時代古典などほとんど取らなかった、取っても入試にはないのでほとんど勉強しなかった、という人が多いのです。
そしてその「古典」というよりは「古文」をまた大学で読まされるなんてたまらない、という人が多いわけです。
今は

    竹取物語

を読んでいるのですが、原文の読解にこだわらず、周辺の雑学(平安時代の結婚などの風俗習慣、当時の生活様式など)を織り込みつつ、絵巻物などの視覚資料も多用して話しているのですが、やはりダメみたいです。
つくづく、私の限界を感じます。やはり学生と丁々発止のやり取りをしてこそ大学の授業だと思いますので、それができないことが無念です。
とにかく話を聴こうという姿勢が見えないのがこの時間です。
自分の専門領域だからといって予習をおろそかにしているとか、適当にしゃべってもごまかせるとか、そういう意識は持っていないつもりなのですが、やはり油断があるのかもしれません。

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2014 FIFAワールドカップの途中に 

サッカーのワールドカップがたけなわです。
私は非国民と言われそうですが、昔からドイツ贔屓で、何しろ最初にあこがれた選手がボルシア・メンヒェングラートバッハ(旧西ドイツ)の

    ヴェルティ・フォクツ Hans Hubert Vogts

でしたから、かなり古いです。調べたら、1946年生まれだそうで、今年68歳になられるようです。
当時はワールドカップなど夢のまた夢の時代で、オリンピックに出るのが精一杯。メキシコで銅メダルを取ったのなんて奇跡的なことでした。釜本、杉山、鎌田、宮本(輝)、宮本(征)、横山、山口らの時代です。あの時は釜本さんという、それはもう日本人離れした桁外れの大物がいらしたので、杉山さんからパスが通ったら「ハイ、1点」という感じでした。その後、Jリーグができて日本はどんどん強くなり、ワールドカップ出場の常連になってきました。隔世の感があります。
しかしまだ世界ランクも40位台で、32カ国しか出られないワールドカップには出られるだけでもたいしたものです。
今、FIFAのランキングでは

 1 スペイン
 2 ドイツ
 3 ブラジル
 4 ポルトガル
 5 アルゼンチン
 6 スイス
 7 ウルグアイ
 8 コロンビア
 9 イタリア
 10 イングランド
 11 ベルギー
 12 ギリシャ
 13 アメリカ
 14 チリ
 15 オランダ
 16 ウクライナ
 17 フランス
 18 クロアチア
 19 ロシア
 20 メキシコ
 21 ボスニア・ヘルツェゴビナ
 22 アルジェリア
 23 コートジボワール
 23 デンマーク
 25 スロベニア

と続くのだそうです。
これらのチームはすべてワールドカップに出ているかというとそうはいかないのがおもしろいところです。16位のウクライナやコートジボワールと23位で並んでいるデンマーク、そして25位のスロベニアは出ていません。
逆に62位のオーストラリア、57位の韓国、56位のカメルーンなどは出場しています。地域で予選をするのでこうなってしまうのですね。

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名所江戸百景~江戸の東 

江戸の東、エデンの東じゃありませんよ。
広重は『江戸名所百景』といいながらずいぶん離れたところまで描いています。水戸街道の中川を越えるところ、第九十三景「にい宿の渡し」。

名所江戸百景093
↑にい宿の渡し

国道6号線は言問橋を向島側に渡って北東方向に進みます。水戸街道です。荒川の四ツ木橋を渡って亀有の環七通りを越えると中川大橋。この対岸が新宿(にいじゅく)になります。残念ながら私は行ったことがありません。この絵は亀有のほうから新宿を見たものと思われ、中川の渡し(新宿の渡し)が右手前です。対岸を東に行くと柴又帝釈天や江戸粟を越える矢切の渡し。映画でしか見覚えがありません。その江戸川を下ると真間という地名があります。第九十四景は「真間の紅葉手古那の社継はし」。

名所江戸百景094
↑真間の紅葉手古那の社継はし

万葉歌人の高橋虫麻呂が「葛飾の真間の井見れば立ちならし水汲ましけむ手古那し思ほゆ」と詠んだ真間の手古那(手児奈などの表記もある)の伝承のあるところです。あまりの美しさであまたの男に言い寄られ、苦しんだ手古那が自殺してしまった話です。美しすぎるのも困ったものです。市川市真間4丁目には「手児奈霊神堂」があります。その北にあるのが真間山弘法寺。境内の楓がここにいう「真間の紅葉」です。絵では目の前に描いています。見下ろす炉鳥居があり、ここが手古那の社。手古那が身を投じたという入江に架かる継橋が中央やや下にあります。継橋は万葉集にも「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継端やまず通はむ」と詠まれています。楓の葉の間に雁が飛んでいるのが見えます。

第九十五景「鴻の台とね川風景」。

名所江戸百景095
↑鴻の台とね川風景

利根川は東のほうへ流れて行き、江戸川はその分流になりますが、以前は江戸川まで利根川といわれたようで、この絵の「とね川」は江戸川のことです。ここに国府(下総国)があったので国府台。しかし江戸時代には「鴻の台」の字も用いられたようです。台地ですから高くて見晴らしがよいのです。帆掛け舟が何艘も下流に向かっています。高台にはそうに案内される二人の人物でしょうか。西に展望が開けていますので、丹沢山塊と富士山が描かれています。

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神戸の北斎展 

「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」は22日に神戸展が幕を下ろしました。
次は九州、東京と巡回するようです。
さすがは北斎。大変な人気で、時間によっては入場制限もしています。
先日行ったときは金曜の朝、しかもサッカーの日本対ギリシアの試合の直後でしたから、さぞかしゆっくり観られると思ったのですが、9時半開場で9時過ぎに行ったらもう列ができていました。
この日私はかなり早く神戸に着きましたので、久しぶりに旧居留地めぐりをしていました。

38番館
↑38番館

何度行ってもしゃれた街です。三井商船ビルまで行ったところでそろそろと思って博物館へ。博物館のお隣は

    15番館

ですね。2年前にレストランが閉店になりましたが、新規開店されていて、いい雰囲気を保っています。旧アメリカ領事館です。私はここの店に入ったことがないのですが、そりゃまあ、そうです、いつも一人で行きますから、こういう店に入る勇気はないのです。

15番館
↑15番館

で、博物館。入り口に並んでいる人がけっこう多く、もうチケットは売っているようでした。

神戸市立博物館2
↑神戸市立博物館入口

私は9時半過ぎに入りましたが、まずは1階に作ってある立版古というか、江戸では

    組上絵

ですね。浅草寺の風景でした。作ってあるといっても、小さなものではありません。人物を等身大にしたもので、ここで記念撮影する人も多いのです。

神戸市立博物館
↑組上絵

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詐欺とは言いませんが 

先日、奈良と大阪を結ぶ道で目の前の車が(おそらく)スピード違反で覆面パトカーに摘発されているのに出くわしたことを書きました。翌週、同じ道で今度は白バイがスピード違反の取り締まりで軽自動車をつかまえていました。
たしかにスピードの出しすぎは危ないですし、

    無謀な運転

をする人は迷惑でもありますので取り締まってほしいと思うことはあります。
でも、この道を一度走ってみてください。制限速度は50km/hです(場所によっては40km/h)が、70km/hくらい出してくださいといわんばかりの広々とした道なのです(場所によってはカーブがあり、一概には言えませんが)。そして昼間は交通量は少なく(他の時間帯は知りません)、なんら危険を感じません。
むしろきっちり制限速度を守っていたらびゅんびゅん追い抜かれそうでかえって怖そうな道です。
もちろん警察も60km/hや70km/hでは取り締まっていないかもしれません。ただ、長い下り坂があり、ここはどアクセルを離してブレーキに足をかけている状態でも自然に80km/hくらい出る瞬間もありますので、そんなときに

    違反です

と言われたら、「悪いことをした」というよりは「ついてなかった」としか思わないのではないか、と感じてしまいます。

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伴大納言絵巻を読む(1) 

今、一般の皆様を対象にした『伴大納言絵巻』を読む講座を開いています。
もう、面白いの何の。受講者の皆様はどうお考えかは存じませんが、私はただただ面白く、一生懸命予習しています。
そらく90分のお話をするために5時間以上の予習をしていると思います。
時間がかかる理由の第一は私が

  絵巻物、あるいは絵画史料

の専門家ではないことが挙げられます。あとはもうどうしようもない私のセンスのなさ、無知、これまでの不勉強などが災いしています。
伴大納言絵巻は美術品として超一級だと私は確信しています。もちろんどなたがご覧になっても同じことになるかと思うのですが、あえて申し上げておきます。
高校の日本史の教科書に

    応天門の変

というのが出てきて、その史料としてこの絵巻物の「子供が喧嘩をしている」場面が掲載されていました。
あくまで史料ですからそれはそれでかまわないのですが、勘違いが起こることもあります。「この絵巻物は応天門の変」を描いたものである」という勘違いです。厳密に言うとこれは正しくないのです。この絵巻物はあくまで応天門の変を基に作られた説話を絵画化したものだからです。
それはどう違うのか? というと、応天門の火災の原因は、史実としてはどういうことであったのか、はっきりわからないのに、説話では伴大納言(伴善男)が犯人ということになっているのが最大のポイントです。

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モグリン 

幼稚園に通っています。今年は稽古をしっかりやろうということで、毎週です。ただ、回を追うごとに私の役割は減ってきますので、一回目に比べると今はかなり楽です。
一回目はすべて私の頭の中にあることをお話しなければなりませんので、

    息つく間

もないくらい、といっても大げさではありませんでしたから。
いくつかのパートに分かれて稽古が進んでいます。
ひとつは娘首チーム。ここは人形による「昔の人の暮らし」の解説、という体裁になります。その中で、人形にはさまざまな動きをしてもらいます。座っての演技なので、足遣いはありません。
次に朗読チーム。ここは演技の要なので、本来なら私はテンポや強調するところなど、いちいちチェックしたいところなのですが、それができないことが残念です。しかし皆さん自主的に励んでくださっています。なかなかお上手だと聞いていますので安心しています。
パソコン、音響チーム。これはパソコンの操作(解説の時にパワーポイントを使う)と芝居の時の擬音担当です。擬音は今年もツケ柝でおこないます。実はにわとり笛を使うはずでしたが、どうもリードがやられたみたいで音が出ないとのことで、それはあきらめました。

    ココケコッコー

は朗読のかたにお願いするか、どこかからから拾って流そうかと思います。

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名所江戸百景~向島界隈 

江戸の人から見ると川の向こう、という意識になります。中川と隅田川に挟まれ、さらにいくつもの水路を持っていた名残は、「京島」「浮島」「寺島」「曳船」などの町名や学校、駅の名前などに残っています。
「広重の『名所江戸百景』は今水神大橋のあるあたりを何か所も描いています。第六十三景「綾瀬川鐘か淵」。

名所江戸百景063
↑綾瀬川鐘か淵

隅田川は千住大橋の東で一気に南向きに流れを変えます。そのあたりで北東から流れてきた綾瀬川と合流します。絵は隅田川を左右に、正面奥に綾瀬川を描いています。つまり左側が隅田川の上流です。この絵の手前には大きく合歓(ねむ)の木が描かれていますが、これは綾瀬川の「記号」というべき木です。川沿いが合歓の木の名所だったそうです。ただ、この木の位置は隅田川の西岸になりますから、理屈から言うとおかしい。奥に見える綾瀬川の土手にあってこそ合歓の木の意味があるわけです。しかし広重はそれをあえて手前に置いた。「記号」といったゆえんです。鐘が淵はその少し南側ですから、この絵でいうと右側奥になります。筏に組んだ材木を運ぶ男の背中が涼しげな夏の風景。彼が見ている方向がまさに「綾瀬川鐘が淵」になります。

第三十五景「隅田川水神の森真崎」は隅田川神社(水神社、浮島神社)から隅田川上流を観望した図。

名所江戸百景035
↑隅田川水神の森真崎

手前に八重桜が咲いている春の風景。正面奥から流れてくる隅田川が南に向きを変えるため水がぶつかってくるので、洪水があると危険な地域でしたが、この神社のあたりは小高くなっていて(浮島)、無事だったようです。遠望されるのは筑波山ですが、実際はもう少し右側にあったのではないでしょうか。しかし江戸の「北」を示す山として描く。写真ではできない表現方法というべきだと思います。
この絵を反対側、つまり隅田川右岸(西側)から見たのが第三十六景「真崎邊より水神の森内川関屋の里を見る図」です。

名所江戸百景036
↑真崎邊より水神の森内川関屋の里を見る図

料理屋の窓から北東方向を見ていて、筑波山が見えます。第三十五景とは逆で、実際の位置はもう少し左側であったのかもしれません。手前左の室内には花瓶に花が活けてあり、外には梅の花。川には筏や川遊びの屋根船が見えています。中景の右端に水神社の鳥居。春ですから、空には帰雁。とても粋な印象を抱く絵です。

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燕三さん、お大事に 

実は、あまりの忙しさにお体に障らないだろうかと気にならないでもなかったのです。切場で咲大夫さんにくらいついていく必死の演奏はかなりきついでしょうし、それ以外にもNPO法人の仕事とか、あれやこれやに随分出ていらっしゃるようにお見受けしており、ご多忙という言葉ではすまないくらいなのではないか、と案じていたのです。
ただ、筋肉ムキムキの方ですから、大丈夫だろうと高をくくっていました。

    六世 鶴澤燕三 さん

が軽い脳梗塞になられたのだとか。
血圧はお高いのでしょうか。軽いということなのでホッとしていますが、この病気は後遺症が気になります。
さしあたり夏まではお休みとのことですが、なにしろデリケートで激しい三味線の演奏家ですから、もう少しかかるのではないかとも思うのです。しかし、リハビリに努められて、しばらくかかってもいいのでお元気になっていただきたく存じます。
夏の公演の代役は

    鶴澤清志郎さん

だそうで、「豊島屋油店」をしっかり弾いていただきたく期待しています。燕三さんのご病気を思うと語弊がありますが、清志郎さんにはチャンスではあります。
ぜひ飛躍のきっかけにしてほしいとも願っています。なぁに、清志郎さんももう40歳。清治師匠はそのころはもう切場をばりばり弾いていらしたのですから。

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一般道 

奈良まで毎週車で通っています。荷物があるのと交通費の節約のためには車が便利です。
交通費の節約? 高速代って高くない?
そうなんです。家の近くの高速から乗ったら往復4060円、仕事場の近くからだと2680円です。ガソリン代を入れると電車より高いですね。それなら電車のほうが?
ところが私は割引があって、高速は半額になります。よって家からなら2060円、仕事場からなら1360円(切り上げがあるのできっちり半額にならない)。半額になるとかなり違いますよね。それでも

    一般道

に比べると高いです(あたりまえ)。
というわけで、とにかくお金のない私は、できるだけ一般道を使うようにしています(笑)。
往路は約束の時間がありますから、ある程度高速に頼らないと、混雑状況によっては遅刻してしまいます。しかし、帰路はそういうことがないので、ほぼ確実に一般道です。
自宅から奈良に行くには中国自動車道、近畿自動車道から阪神高速、そして第二阪奈の

    生駒山トンネル

をくぐるのです。近畿道がいささか車の多いことがありますが、順調に行けば家から1時間ちょっと、仕事場から1時間足らずです。
生駒山トンネルはすごいですね。奈良まで行ったという感じがしません。
なんだか暗いところを通ったな(笑)と思うともうそこは奈良市。トンネル内の距離はそこそこあり、ますが、いつもがらがらにすいていますので恐怖感はありません。無茶なスピードを出さない限りは大丈夫です。トンネルを出てからはちょっと面倒ですがとても高級な住宅街にある幼稚園で、大邸宅と広い道が悠々としています。どんなお金持ちが住んでいるのか、と思います。

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ふたたび、熊さんのアイデアについて 

鑑賞教室についてはやたけたの熊さん(文楽劇場非公認 鑑賞教室対策部長)がいろいろアイデアをおっしゃってくださいます。先日はこんなご意見でした(概要のみご紹介します)。
 ●職場の同僚のお嬢さん(大阪府立某進学高校生)の学校で、昨年文楽鑑賞教室に行った
 ●事前レクチャーなしで、各自で読めと、A4  1枚の解説を渡された
 ●お嬢さんは解説など読まず、開演と同時に熟睡、帰宅後「生涯文楽をみない」と宣言
 ●「文楽鑑賞教室」が「文楽嫌い養成教室」になっている
 ●文楽応援団の皆さんに学校に行っていただいて、事前レクチャーしてもらったらどうか(手当ありで)
全員ではないとしても、こういうお嬢さんがいらっしゃるのは私も聞いたことがあります。「よ~し、寝るぞ」という感じで。人形の解説などは面白がって聞いても、

    演目になると寝る

とか。
やはり事前に解説があると違う、というご意見です。

うちの子の高校には毎年若手技芸員さんが来てミニ公演を実施してくれているようです(学校行事でお招きしている)が、さすがにホンモノが学校に来るとそれなりに関心を持つようです。うちの子は(櫓のお七を観たそうです)あの雪はどうやってあんなふうに見せるのかに関心を持っていましたが(笑)。
やはりホンモノの力はすごいですよね。ただし、費用はそれなりにかかりますし、あらゆる高校で、というわけにはいかないでしょうね。
以前、うちにある太夫さんがこられたことがあって、その直後に夏休み公演。小学生だった娘も連れて行くことにしていました。それを知った太夫さんは娘に向かって「孫悟空の時、出るからね。あ、このおっちゃん、うちに来はった、とおもて、聴いてね」とおっしゃって、娘は当日喜んで(太夫さんを?)観ていました。

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名所江戸百景~亀戸界隈 

初めて『名所江戸百景』第三十景「亀戸梅屋敷」を観たとき「この絵、見覚えがある」と思いました。

名所江戸百景030
↑亀戸梅屋舗

そうです。実はゴッホが模写したほうを先に観ていたのです。なさけないです(笑)。「大橋あたけの夕立」とともにゴッホはこの梅屋敷も模写していて、摩訶不思議な漢字まで書いています。
本所の竪川には隅田川(大川)側から一ツ目、二ツ目、三ツ目と橋があり、その橋の延長が一ツ目通り、二ツ目通り・・となります。さすがに四ツ目あたりになるとかなり寂しくなり、横十間川を越えて五ツ目は橋がなく渡しになります。その五ツ目を北に行くと途中で畑に突き当たってしまいますが、畑を突っ切って(笑)直進したらほぼこの梅屋敷に行き当たります。ここには臥龍梅という珍しい形の木もありました。もともと伊勢屋彦右衛門という呉服商人(本所の人)の別荘だったそうで、「清香庵」といったそうです。梅は「色をも香をも知る人ぞ知る」のですが、闇でも隠れぬ香りこそが愛された最大の理由だろうと思います。この絵は目の前に梅を描いて遠景に梅林と憩う人々の姿を配しています。人々はあまり梅の木や花を見上げておらず、むしろ目の前の人と楽しげに会話しています。しかし香りは自然に漂ってきているのです。

梅といえば天神様。しかし第六十五景「亀戸天神境内」は梅ではなく藤が描かれます。季節は初夏になります。『名所江戸百景』には湯島天神も描かれますが、あちらは冬景色で、やはり梅は咲いていません。

名所江戸百景065
↑亀戸天神境内

亀戸天神は梅屋敷から南西すぐのところで、太宰府天満宮を模した設計がなされています。クロード・モネが亀戸天神の太鼓橋をモデルに自分のアトリエの庭に橋を作ったことは有名です。睡蓮の絵に出てきますね。
この絵の手前に松と藤。松にからまる藤は源氏物語や枕草子にも出てきますし、『藤娘』の舞台でもおなじみ。意匠としても愛されています。男性を松に、女性を藤にたとえることもあります。ツバメが高く低く飛んでいます。そして中景の太鼓橋には母子が下りに差し掛かり、別の女性が登ってきています。後ろに男性もいますが、藤の女性的な魅力と重ね合わせてはいけないでしょうか。遠景は藤棚の下で楽しむ人々。

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最後の恩師 

昨年末に学部学生時代からの恩師が亡くなり、愕然としました。
そして今年に入ってまたお二人、大学院時代を中心にお世話になった先生がお二人亡くなりました。
もうこれで私が恩師と呼べる方はお一人になってしまったのです。その恩師、

    山中裕先生

が一昨日(13日)亡くなりました。
大正10年のお生まれで、93歳でいらっしゃいました。
さすがにご高齢ですから覚悟はしていましたが、やはり哀しみは深いものがあります。
大学院の時に出会った先生で、先生は当時史料編纂所にご勤務でした。平安時代の歴史がご専門ですが、『栄花物語』などの研究家でもあり、文学の領域にも詳しい先生でした。
先生が指導されていた『御堂関白記』の注釈の研究会に入れていただき、これでもかというくらい鍛えられました。
あの日々がなければ私はもっとつまらない人間になっていたはずです。
山中裕編『御堂関白記全注釈』の執筆者に加えていただいたのは身に余る光栄でした。ほかにも論文集や一般向け書籍、雑誌への執筆をお誘いくださり、いくら感謝してもし過ぎることはありません。
京都で研究会があった時はいつも朝から晩までご一緒して、昼は三条の「イノダコーヒー」か「不二家」、百万遍近くの定食屋(店名失念)、パスタの「鞠小路」、喫茶「ユトリロ」。
午後は勉強会をしたりあちこちを散策したり。嵯峨にもしょっちゅう行き、夏でも必ず湯どうふ「嵯峨野」。
「神戸に行ってみたい」とおっしゃったことがあり、六甲山上までお供したことも。
横浜のご自宅にうかがって一晩泊めていただいたり。
思い出は尽きません。
これでもう、私には「恩師」と呼べる方はまったくなくなりました。
ほんとうにもう、誰も頼る人はいません。ちょっとばかり、落ち込んでおきます…。

教員へのレクチャー 

先日、やたけたの熊さんから、文楽鑑賞教室の高校生向けのレクチャーについてのご意見をいただきました。
こういう行事をする場合、

    「やっておけばいい」

ということになりがちです。
本当に子どもたちのためになるようにというよりは、きちんとやってます、引率しています、あとは文楽劇場にお任せします、になってしまうと思うのです。
熊さんのおっしゃるように、高校に専門家のような人が出向いて事前に話をしておくというのは実現すればある程度の効果はあると思うのですが、当然予算も必要ですし、それを文楽劇場が実施するのは困難だろうなという気もします。専門家と言っても、話の面白い人もいればそうでない人もいますし、下手な人が言って逆効果になる恐れも無きにしも非ずです。やたら難しい話をしても受け入れない子供もいるでしょうし、事前学習で早くもつまらない、という印象を与えるのもまずいですね。技芸員さんが行けばよいのかもしれませんが、これまた大変な負担です。時間調整ひとつ考えても難しそうな気がします。高校のスケジュールもかなりタイトだと思います。
だからと言って、今のままでよいのかというと、堂かな、と思うことはあります。
いきなり劇場に来いと言われて難しい内容の芝居を見せられるだけで「どうだ、感動したか?」といわれても、皆が皆

    「はい、感動しました」

と答えてくれることを期待する方が無理です。

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若者言葉を知らない 

学生は若者なのですが、だからといって同じ人の集まりではありません。
絵が大好きです、という人もいれば、あんなものどこが面白いのかわからないという人もいます。それは当たり前のことです。
伝統芸能の話をしても、食いついてくる人もいればまるで無関心な人もいます。
若者言葉ひとつとってみても、使う人もいれば使わない、いやそれどころか知らないという人もいます。
この間、学生が私に「『orz』って知っていますか?」と尋ねてきました。「がっくりマークね、はい、時々使いますよ」と答えたら驚いていました。そのとき、「orzって、何?」という学生もいたのです。

    「mk5

は知ってますか?」と言われると「タクシー会社でもないし・・・」と、さすがに私は知らなかったのです。これ、「マジ(m)で切れる(k)5秒前」という意味なのだそうですね。「私だったら“MG5”にして『マジ切れ5秒前』っていうかもね」といったのですが、“MG5”が通じませんでした。「あの、化粧品にあるんですけどね」と蛇足を加えざるを得ませんでした。
私が高校生のとき、初めて使った化粧品ブランドですが、今もあるのです。
で、“mk5”なのですが、学生ならみんな知っているのかな、と思ったのですが、なんのなんの、知らない学生がかなりいました。安心しました。
若者言葉というのは言ってみれば

    方言

のようなものなので、使う人の間では実に便利で使いやすくて快適な言葉なのです。しかしよそ者から見るととても日本語とは思えないのですね。
私が広島で「はぶてる」ということばをはじめて聴いたときの衝撃みたいなものです。
  (注 はぶてる:広島弁で「すねる」の意味)

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○○○のための 

文楽鑑賞教室が始まっていることを自分のブログで知りました。
初日の記事などはかなり前に書いたものですのですので、実際のところ「今日が初日」ということに気づかずにこのブログを読んだというわけです。
大阪市主催の文楽デーというのは大阪市民でなくても楽しめるのですね。大阪市にお客さんが来てくれるわけですから大阪市民以外を歓迎するのは当然といえば当然のことです。
それもすでに終わったようで、多くの方が「参加したよ」という報告をあちこちでなさっていました。
私は義太夫三味線というものをついぞ弾いたことがなくて、一度体験したいとは思っていたのですが、残念です。
社会人のための文楽教室というのも行われていて、これまた結構な催しです。
そして今月のメインは

    文楽鑑賞教室

なのですが、これって、いったい誰が鑑賞するものなのでしょうか? 誰でもいいんだよ。はい、そのとおりです。それはそうなのですが、要するにターゲットですね。企画としてはどういう人を対象にしているのだろうということです。
おおむね、ではありますが、

    高校生のための

という印象を以前から持っていますし、実際高校生が一番多く参加しているのだと思います。
もちろんそれはそれで結構です。

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ノウミさん 

阪神タイガーズのファンならずとも、以下の文をお読みなると猛然と抗議されるかたが多いと思います。
しかし抗議は受け付けません(笑)。

野球界にもいろんなかたがいらして、野性味溢れる風貌、お笑い系の雰囲気、クールなタイプなどさまざまです。インタビューの受け答えも違いますし、見た目もいろいろです。
ヤンキーズの

    イチロー選手

は摩訶不思議な言葉で記者をあしらうようにしゃべるようです。生意気な感じもするため、嫌う人もありますが、それでも彼は自分のスタイルを崩しません。この人は、見た目はいわゆる美男子ではありませんが、「イチローの顔」を立派に作り上げられたと思います。

美男系というと、監督ではオリックスの

    森脇さん

がぴか一でしょうか。あとは和田さんとか秋山さんとか栗山さんとか、そのあたりまででしょうか(笑)。
選手では誰でしょう?
またオリックスで恐縮ですが(実は他のチームの選手をあまり知らないので)、伊藤選手というキャッチャーがいて、この人はキャッチャーらしからぬ(?)きれいな顔をしています。キャッチャーというとなんとかくいかついイメージがありませんか?
歴代ナンバーワンキャッチャーというと野村さんか大矢さんかになるでしょうが、どちらも美男かというと、まあその・・。

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名所江戸百景~王子界隈 

上方落語の「高倉狐」は人間にだまされる狐という面白い話ですが、これが江戸でも「王子の狐」として演ぜられるようになります。その王子というのが今の東京都北区にある王子稲荷。
『名所江戸百景』第十八景は「王子稲荷の社」。

名所江戸百景018
↑王子稲荷の社

江戸は稲荷神社だらけだったそうですが、ここは関東稲荷総社で、あの乃木希典も信仰していたそうです。二月の初午の日は人出が多かったそうですが、この絵では特にそれとはっきりわかることは描かれていません。しかし、梅の花が咲いており、およそそのころであろうことは想像できます。社殿には神官がいて、お参りの人が後を絶たない様子です。方角としては北を向いていることになり、この北側の田地に大きな榎があって、それが次の第百十八景「王子装束ゑの木大晦日の狐火」の舞台になります。

名所江戸百景118
↑王子装束ゑの木大晦日の狐火

毎年大晦日にこの榎の下に一帯に住む狐が集まって、女官の装束に身を包んで稲荷社に行ったという伝承があるそうです。その際、口もとから狐火を灯していました。村人はこの狐火の数で新年の農業の吉凶を占ったのだそうです。この絵は闇の中で自ら光を発しているかのような狐たちが、集まっている様子。それぞれの口もとに火が見えます。さらに中景にも数多くの狐が狐火を見せながらやってきます。星空は鉱物の雲母(きら)を混ぜた表現できらきらと光るように見えます。右奥の森が稲荷社です。

王子稲荷の東側にあった石神井川の堰が第十九景「王子音無川堰埭 世俗大滝と唱」。

名所江戸百景019
↑王子音無川堰埭

堰を越えて落ちてくる水を世俗では大滝と呼んでいたというわけです。春の桜のころですが、よくみると何人かの人が組になって川に入っています。まだ水浴するには寒いと思うのですが、あるいは何らかの方法で魚を獲っているのでしょうか。

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北斎の娘 

神戸市立博物館はしばしばお邪魔するところです。
博物館ですから、美術展ばかりではなく、さまざな企画が行われます。しかしこのところ私は美術展によく足を運んでいます。
マウリッツハイス美術館のフェルメールやレンブラントらの絵は今なお目の奥にしっかりと包み込まれています。
今は

    ボストン美術館浮世絵名品展 北斎

が行われています。
富嶽三十六景も全46図のうち「凱風快晴」「神奈川沖浪裏」など21図が出ていますが、それ以外の作品も充実しています。
よく知られた作品では「諸国瀧廻り」「百物語」「諸国名橋奇覧」など。
それ以外にも「難波六郎常任」(武者絵)や「菖蒲に鯉」(団扇絵)「花の兄」「盆踊」、さらには「新板浮絵 忠臣蔵」、洋風版画「阿蘭陀画鏡 江戸八景」、面白いところでは組上絵もあり、

    「浅草雷門」

が会場の入り口で拡大再現されています。
私のような浮世絵素人はもちろん、ファンの方にとってはたまらない展覧会だろうと思います。

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今、文楽に思うこと 

私は文楽について(それ以外のあらゆることについてもそうですが)の見識のなさを痛感しています。謙遜でもなんでもない、ほんとうにわかっていないということがわかりました。
だからもう何も言わない、というのもひとつの道ですが、だから何でも言うというのもありかな、とも思っています。
賛同を得られないようなことでも言ってみようと。ほとんど大阪の市長さんと同じレベルですが(笑)、私の場合

    権力がありません

から社会的に問題はないでしょう。

いろんな方の文楽についての発言をツイッターなどで拝見することがあります。私はいわゆる「専門家」の人をほとんどフォローしていないので、目に入るのはファンの方のご意見ばかりです。
最近目立つのが

    「もっと通し狂言を」

というご意見です。昔は朝の7時頃に開演して、日がな一日芝居をしていましたので、通し狂言というのが可能だったわけです。大相撲をイメージするとよいのかもしれません。相撲はテレビで3時頃の十両の取組から放送されていますが、実際はその前に幕下や序二段、序の口などという人たちがガラガラの観客席をものともせずに勝負をしています。お客さんも半日も居られないので、昼食後にのんびりとやってきます。
文楽ももともとは大序のあたりはとばして序切のあたりとか二段目からとかひいきの人が出るところからとか、適当にやってきたのだろうと思います。
そういう、いわば植村家スタイルの文楽は経営が松竹に行くとずいぶん変わってしまいます。
当時、文楽研究家の石割松太郎は、「松竹は本当に文楽を経営するだけの知識や能力があるのか」という意味の疑問を呈しています。
だからといって植村家にいくらがんばれといっても始まらないことだったのでしょうし、充分な準備ができていなかったとしても松竹に頼るほかはなかったのでしょう。松竹は経営の健全化を考えたはずで、上演時間を変えたりミドリを中心にして見所満載の番組を構成しようとしたようです。

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奈良の幼稚園へ 

一昨日(5日)、奈良市にある幼稚園に行ってきました。
4回目となる文楽人形劇の上演に向けて稽古を始めることになったからです。
昨日は顔あわせ、本読み、小道具制作の依頼、そしていくらかの稽古と続きました。
顔合わせといいましても、人形を遣ってくださる方はもう毎年同じ顔ぶれ(ちょっと新顔の人が加わる)ですので、「やぁ、ご無沙汰しています」という感じです。
むしろ変わるのはお母さんたち。二年保育の幼稚園ですので、前年中心になってくださった方(たいていは年長組の子供の母親)は今年はいらっしゃらない、という感じになります。

    本読み

というのは、とにかく一度ぶっ通しで台本全体を読んでしまうことです。これで話の流れをつかんでもらいます。もちろんあらかじめ台本はお送りしてありますので、各自で読んでください、でもいいのですが、内容を誤解したまま稽古に入るということもありえますので、退屈なのですがお付き合いいただいています。すぐに稽古に入りますから、ただ読むだけでなく、ここはこういうイメージです、ということもついでにお話ししています。

    小道具制作

は得意な方がいらっしゃいますので、こんな感じのものを作ってください、とお願いすれば、ものの見事に期待に応えてくださるのです。今年もできばえを楽しみにしています。

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2014年6月鑑賞教室初日 

怒涛の4,5月公演が終わって、6月は文楽鑑賞教室です。
演目は
  団子売
  解説 文楽へようこそ
  卅三間堂棟由来(鷹狩、平太郎住家より木遣り音頭)
で、9日と18日は「社会人のための文楽入門」が午後6時30分から開催されます。
こちらは「団子売」がなくて解説が「文楽入門」そして「卅三間堂棟由来」になります。
後半の午後は団子売が玉勢、簑紫郎でなかなか新鮮ですね。この回に行きたいかも。
床も咲甫・藤蔵、靖・清志郎から英・清介と、なかなかすばらしい。お柳は勘弥、平太郎は玉志、みどり丸は簑次。これもけっこうですね。
いや、ほかの回も負けず劣らず楽しみです。
お柳は和生、勘十郎、清十郎、勘弥ですが、上のお二人は本公演ですぐにでも観られるでしょうから、やはりあとのお二人が気になります。
そういうところが鑑賞教室のいいところだと思います。
私は大阪の人間ではないので、高校生のときに文楽鑑賞教室に行った覚えがありません。文楽劇場の存在も知りませんでした。え? お前の高校時代は朝日座だ、って? ああ、そういえば。

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名所江戸百景~新宿方面 

新宿は遊びにも行きましたし、京王線に親戚もありますのでそこそこ親しみがあります。
四谷から新宿通り(甲州街道)をひたすら歩くと外苑西通りと交差するところがかつての四谷大木戸。このあたりから町屋を隔てた南側を玉川上水が開渠になっていました。内藤新宿仲町から上町のまで上水南側は土手になっていて、桜並木だったそうです。
『名所江戸百景』第四十二景「玉川堤の花」は東側から見た図です。

名所江戸百景042
↑玉川堤の花

右側(北)は内藤新宿仲町。二階家がありますので、これは旅籠のようなところでしょうか。左側の桜並木の左手は武家屋敷が並んでいたところです。どこまで続くのかというような桜。老若男女の区別がありませんが、中には団体かと思われる揃いの傘をさす一行もあります。

第八十六景「四ツ谷内藤新宿」は甲州街道の最初の宿駅。

名所江戸百景086
↑四ツ谷内藤新宿

東側、つまり四ツ谷方面を見ています。もとは信州の内藤家下屋敷の一部で、そこを宿駅にしたものだそうですが、この絵では普通描かないだろう、と思うような馬の尻と馬糞がでかでかと。このあたりの主役は俺だ、と言わんばかりの存在感。わらじを付けた馬が東向きゃ尾は西です。馬方の姿はわずかに見えます。右側(南)は見えませんが、追分があり、青梅街道と甲州街道の分岐点です。そして左側(北)に旅籠が並んで、人の姿は絵の中では遠慮がちな存在。正面奥は内藤家の森でしょうか。
ここは宿場ですから遊女はいませんが、実際は飯盛女がいてその役割も果たしたとか。そういう風紀の乱れなどもあってやがて宿駅は20年ほどでいったん廃止され、再開までは50年以上を要しました。

青梅街道を西へ行き、東京都庁を過ぎたところに熊野神社があります。第五十景「角筈熊野十二社 俗称十二そう」。

名所江戸百景050
↑角筈熊野十二社

境内に滝や池があり、景勝地として愛されたようです。この絵は夏の納涼風景で、左手前に社殿、中央に広々とした池を配し、涼しげな雰囲気を醸し出しています。池にしなだれる柳が印象的で、納涼棚に涼んでいる人たちも心地よさそうです。

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歯みがき 

10時に寝て5時に起きるという生活にはかなり慣れてきました。
真冬だと寒くて起きられなくても、今の時期はなんら問題ありません。もう4時台から外はうっすらと明るく、5時を過ぎると電気をつけるまでもなく仕事ができる明るさです。
家を出るのは6時半。7時過ぎには仕事場にいます。もっと仕事がもらえたら毎日でも行くのですが、私にさせられる仕事はないのだそうです。やはりハンディがあると仕事の種類は制限されてしまいます。差別だと訴えても味方がいるわけでもありませんし、仕方がないので今は黙っています。
朝、仕事場に着いて授業の予習のチェックをするのですが、やはり

    気になるところ

が出てきて、たいてい、、パワーポイントを書き換えます。
実はたった今もその作業を終えたところなのです(つまりこの記事は早朝に書いています)。
私の話は常に「今」を問題にしますので、昨日と今日では話す内容が変わることすらあります。「歴史」とタイトルについている授業でもそうです。学生は「歴史」=過去と思っていますが、実は「歴史」=「過去・現在・未来」ですから、当然刻々と話す内容は変わってくるのです。
先日の

    高円宮典子女王

の婚約発表のときは、翌日の授業で早速取り上げましたので(このときはたまたま皇室の未来のあり方について考えてもらう内容でした)前日と当日の朝、内容を変えました。

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橋下 

さまざまな天候、さまざまな場で捉えた富士山を描く、河村岷雪の『百富士』の中に「橋下(きょうか、はしのした)」があります。
明和八年(1771)の刊行です。富士山はほんとうに多くの画家の心を捉えてきました。
 富士山は日本一高い山ですが、岷雪の「橋下」は、それをよりによって橋の下の橋脚の間という狭いところから覗くのです。橋脚によって風景を切り取り、いわば橋脚でいびつな

    額縁

を作っている感じでしょうか。よくもこういう視点を見つけたものだと思います。額縁を作るというと窓もその役割を果たします。同じ岷雪の『百富士』に「窓中」も、葛飾北斎の「冨嶽百景」にもあります。丸窓から観る富士です。こちらは丸窓ですから、ほんとうに画中画のような感じです。
他にも、大木のうろ(空洞)から観る富士とか、北斎の『冨嶽三十六景』「尾州不二見原」のように桶の中から観たり、同じく「登戸浦」のように鳥居越しに見たりするものもあります。

北斎 尾州不二見
↑北斎「尾州不二見」

橋下の富士というのは岷雪だけが描いたのかというと、そんなことはありません。やはり北斎の『今様櫛煙管雛形』(きせるの漢字は竹かんむりに「木金」)の中には「きやうかのふじ(橋下の富士)」があり、文化のころ(19世紀初頭)の洋風版画の「たかはしのふじ」、さらに天保には『冨嶽三十六景』で「深川万年橋下」をものしています。

北斎 たかはしのふじ
↑北斎「たかはしのふじ」

北斎 万年橋下
↑北斎「深川万年橋下」

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寂しい図書館 

文学部は図書館との縁がもっとも深い学部でしょうか。
特に私のようにフィールドではなく文献で育ったものは図書館に居心地の良さは今なおたまらないものがあります。
学生の頃はとにかく大学に行って、図書館または

    文学科研究室

に入りびたっていました。文学科研究室というのは国文科と英文科の共用でしたが、事実上国文科中心で、実際利用している人といえばたいてい国文科の学生でした。
ここで、文学研究にはどんな本があって、どの本が重要で、史料の使い方はどれを一番にすべきで・・・ということを覚えていきました。史学科研究室とともに私にとっては研究の原点のような場所です。
慣れていくと、背表紙を見ているうちにそれがどういう本なのかがわかるようになっていきます。不思議なもので、重要な本はきっちり印象に残って、どの場所に置いてあったか、今でも思い出せるくらいです。
平成27年の世界記憶遺産登録を目指すという

    東寺百合文書

など、膨大なものですが、これなどは史学科の研究室で初めて見たとき圧倒されるような気持になりました。
広島の学校に勤めたときは、それだけにがっかりしました。なにしろ図書館が「図書室」みたいな場所なのです。基本文献もそろっていなくて、とても勉強できませんでした。しかたなく市立図書館に行ったりしましたが、やはり小さな短大に勤めると勉強面では困ることもあったのです。
吹田市の短大に移ったときはその点はよかったのです。国文科がありましたし、当時は予算も潤沢で、基本的な本はかなりありましたし、買ってももらえました。
いい学校に移れてよかった、とあのころは思ったものでした。

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白衣 

中学や高校のとき、理科の先生がよく白衣を着ていました。他の科目の先生でも割合に好む人はいました。
最近はジャージが多いそうで(笑)、私の仕事場の隣にある高校の先生もジャージ姿で交通整理なんかなさってます。
私は以前はこれでもスーツにネクタイという姿で授業をしていたことがあるのです。ところが当時はすべて黒板にチョークですから、汚れるの何の。そんなこともあって(それに加えて面倒くさくなったこともあり)、いつしかネクタイもスーツも使わなくなりました。
今はチョークを使う機会が激減しましたからスーツでもいいのですが、持っていないので(笑)しかたありません。
仕事場は

    理系の先生だらけ

ですから、白衣を着ている方をしばしば見かけます(割ぽう着の先生はいません)。学生も授業科目によっては白衣や看護師スタイルをしています。
若い女の先生が白衣を着ていると学生なのか先生なのかわからないこともあり、こちらから頭を下げたらいいのかどうか悩むこともあります。
私は大学が文学部でしたから、先生は皆さん

    スーツ姿

で、少なくともネクタイは当たり前でした。
隣は理学部でしたのでずいぶん雰囲気が違いました。
思えば私は白衣というものをほとんど着たことがありません。何かのはずみで着たことがあったかも知れませんが、それとて単発的なものです。
今も昔も自分のものはもちろん持っていません。

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