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百人一首姥がゑとき(十) 

源宗于は源氏ですから天皇の子孫。この人は光孝天皇の孫になります。この人の歌は

  山里は冬ぞ寂しさまさりける
    人目も草もかれぬと思へば

です。

源宗于

これまではまったく問題にしてきませんでしたが、北斎の「百人一首姥のゑとき」には色紙形に歌が書かれています。この絵にも右上に「山里は冬そさみしさまさりけり人目も草も枯ぬと思ゑは」と見えます。学生が「寂しい」を「さみしい」と書くと、私は基本的には「さびしい」と直すように勧めます。間違っているというよりも「本来の言い方を知っておいた方がよいから」という気持ちです。しかし江戸時代にも当たり前のように「さみしい」は使われています。結句も「思へば」が正しいのですが、「思ゑば」とあり、ハ行がワ行の発音と同じようになってから、「へ」とあるべきを「え」「ゑ」と書くことも珍しくなくなりました。今でも「思えば」と書きますからね。これはやむを得ないことでしょう。そしてもうひとつ気になるのが「まさりけり」です。ただしくは「ぞ」の結びで「まさりける」。こういう係り結びも曖昧になっていることがよく解ります。浄瑠璃のテキストでもしばしば「こそ」とあるのに連体形で終わったりする例があり、私のように平安時代の文章になじんだ者にとってはいささか気持ち悪いのです(笑)。江戸時代の文法はいわゆる古典文法の常識から観るとかなり崩れています。この「姥がゑとき」にはこの他にも「つらぬきとめん」(正しくは「つらぬきとめぬ」)という例もあります。私にいわせれば、江戸時代の文章はいろいろな意味で近代的です。
さて、絵なのですが、猟師たちが冬の山中で焚き火をして体を温めています。煙を避けつつも手をかざす者、背中からお尻の辺りを温める者、座り込んであるいは足の裏を暖めているのかも知れない者など5人の男たちです。右側にはちょっとした生活空間があるのですが、いったいここで誰が暮らしているというのでしょうか。猟師たちベースキャンプのような仮の休憩所なのか、別の人の住まいなのか。

    

がぶら下がっているのですが、火の気はなさそうです。紺色のものは何かの包みでしょうか。
雪を被った木が三本見えますが、そのうち左の二本は途中で絡み合っている、あるいは抱き合っているようです。連理の枝というわけではありませんが、お互いを支えているようで、友か夫婦の象徴のようですらあります。それに対して右端の一本は孤独です。この絵全体を観ても、左側には生活感に溢れた男たちが輪をなして固まっていておそらく今日の獲物についてあれこれ語っているのではないでしょうか。そして右側には火の気のないさびれた小屋がある。この小屋と男たちのあいだにはほとんど距離はありませんが、実際は隔絶しているのではないでしょうか。
「山里」=小屋、「人目」=男たち、「草」=焚き火の草で、小屋から見ると男たちは離(か)れた場所でまとまっていて、草は枯(か)れて煙と化しているのです。火が燃え上がり、煙が立ち上る左画面と火の気のない鍋がぶら下がっている右画面。歌では「山里の人」が寂しいとはいっていません。寂しいのは山里そのものなのです。

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厳島神社の惨禍~1991年9月29日の写真 

昨日、厳島神社のことを書きましたが、ここの能舞台を見るとやはり思い出すのは1991年(平成3年)9月に襲来した

    台風19号

のことです。
この台風は同月27日に長崎県佐世保市に上陸し、山口県をかすめるようにして日本海に抜けて北海道のほうへ進んだのですが、佐世保上陸時の中心気圧が940hPaというきわめて強いものだったのです(データはWikipediaによる)。
「りんご台風」ともいわれましたが、それは風が強烈であったために青森県のりんごに多大な被害を与えたからでした。
このとき私は広島市佐伯区というところに住んでいたのですが、ここは海もあまり遠くないところでした。そこで、強風のために飛来した海水が電線に付着して、しかも雨が少なく流されることがなかったので、

    塩害

が発生し、数日間停電になりました。
冷蔵庫のものは全滅、昼は職場に行って生活し、夜は懐中電灯に頼って、それでも早いうちに寝ていました。秋分も過ぎて、6時頃には暗くなっていましたから夜が長く感じられました。
風が海水を運んできたものと見られ、アパートの前は近くの小さな川からあふれ出た水で一時的に池のようになっていて、もう少し水位が上ったらアパートの中にまで水が入ってきたはずでした。
私にとっては阪神淡路大震災に次いで強く感じた自然の驚異でした。
テレビももちろんつきませんから、ラジオと新聞で社会の様子を確認していました。そのラジオから「厳島神社の能舞台が倒れた」というニュースが入ったのでした。

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厳島神社 

広島に行くと、しょっちゅう本土側から遠望はするのですが、宮島に渡るのは久しぶりでした。

    厳島神社

は何度行ってもすばらしい神社です。
広島で仕事をしていた時代には、神社を見学するだけでなく、よく舞楽を見せていただきました。平成3年9月には強烈な台風のために能舞台が倒れるという惨事もあり、私はその翌日に見に行きましたが、ほんとうに無残でした。今は無事に再建されています。
あのころ一番親しくしてもらった権宮司さんはかなり前に亡くなったそうで、今はもう知った方もいらっしゃいません。
8月の宮島というと宮島水中花火大会がありますが、私は見たことがありません。だいたいそういうものにあまり関心がないのです。むしろ誰も見ないようなものを一人でこっそり見るほうが好き、という変なヤツですから。
今回は特に何も目的はなかったのですが、夏の文楽『平家女護島』もありましたので、改めて

  卒塔婆石 や 康頼灯籠

の写真を撮っておこうとだけは思っていました。
ご存じの通り、満潮か干潮かによって神社の風景はずいぶん違います。満潮の時間帯には卒塔婆石は見えませんのでその時間をはずして行きました。入口から見て最初の鏡の池が見えてきました。これなら卒塔婆石も見えるはずです。

宮島 厳島神社鏡の池2
↑厳島神社鏡の池

本殿に頭を垂れ、高舞台、平舞台。
ありました。卒塔婆石と康頼灯籠です。

宮島 厳島神社卒塔婆石と康頼灯籠
↑厳島神社の卒塔婆石と康頼灯籠

手前の石が卒塔婆石。このあたりに平康頼が歌を書いて流した千本卒塔婆のひとつが流れ着いたということになっています。事実かどうかはともかく、『平家物語』がそう伝えています。
康頼は無事に都に帰ったので、厳島神社に感謝する気持ちで灯籠を奉納したといわれ、それが奥にかろうじて見える康頼灯籠です。
本殿から能舞台のほうに行く途中にあるのですが、ほとんどの人は見ません。私が熱心に見て写真を撮っているので、周りの人が「早く行けよ」というような迷惑顔をしていました。
そして能舞台です。
あの平成3年の台風の惨事が昨日のことのようによみがえってきます。柱が砕けてこの屋根がそのまま海面に落ちたのです。桃花祭神能が催される舞台です。

宮島 厳島神社能舞台
↑厳島神社能舞台

反橋は工事中でした。
とにかく、卒塔婆石と康頼灯籠の写真を取れたので満足しました。

宮島 厳島神社反橋(工事中)
↑反橋

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宮島へ 

少し前の話になりますが、お盆休みを西国で過ごしてきました。
といっても、勉強道具持参で、じっとしているときは『伴大納言絵巻』を眺めているばかりでした。
一日だけ外出しようと思っていたのです。宮島、厳島神社の写真を長く撮っていないので、撮りなおそうと思ったのです。
まずはJRの駅を目指すのですが、バスはあっても1時間に1本くらいで待っていられませんから歩きます。おそらく4km足らず。寄り道しながらでしたので、小一時間というところでしょうか。
しかしすごいところです。歩き始めて30分、車はそこそこ追い抜かれたりすれ違ったりするのですが、

    歩いている人

に会わないのです。かろうじて病院に入ろうとする人を見かけましたが、この人とて家から歩いてきたのか車で駐車場に入ってそこから歩いているだけなのかわかりません。
このあたりの人はあまり歩かないのだろうと思います。
どこに立ち寄るというあてもなく、ただ、きょろきょろしていました。すると神社の中に不思議なものが。

大竹市 お多福(疫神社)
↑お多福の描かれた石(大竹市疫神社)

大竹市 毘沙門
↑毘沙門天の描かれた石(大竹市大瀧神社近く)

なんでも八福神というのがあるのだそうで、そのうちの二つに出合ったわけです。七福神プラスおたふくなのだそうです。あと六つはまた次の機会に。
ほかにもいろいろ石碑がありましたが、とにかく駅まで行きました。電車はそこそこあるのです。こういうローカルな電車が大好きでわくわくしました。着いたのが宮島口駅。

JR宮島口駅

人がたくさん降ります。やはり観光客は多いのです。また車で行く人も多く、駅前は渋滞していました。駐車場は1回(何時間でも同じ値段)1000円。さほど高くはないような気もします。それでもこの混雑ですから電車で行けばいいのに、と思うのですが、やはりあちらの人は車が第一の移動手段なのです。
フェリーもJR。10分ほどですが180円で厳島神社の鳥居のほうをめぐって桟橋に運んでくれます。遊園地のアトラクションと比べると安い!(比べるなって?)
いいカメラを持っている人は海上からの写真もうまく撮れます。もっとも、今は遊覧船や手漕ぎ舟があって満潮時は鳥居の真下まで行ってくれます。
もちろん干潮時は鳥居まで歩いて行けるのですが。

鳥居の真下まで行く遊覧船
↑鳥居の真下まで行く遊覧船

手漕ぎ舟
↑20人ほど乗れる手漕ぎの舟。
 2人で漕いで1人が説明してくれます。800円

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百人一首姥がゑとき(九) 

百人一首には菅原道真も含まれているのですが、名前の印象が薄いかもしれません。それもそのはず、「菅家」としか書かれていないのです。いわば「菅原さん」。これでもう道真その人を表すわけで、彼は数多い菅原氏の人々の押しも押されもせぬ代表格。  
彼の歌は

  このたびは幣も取りあへず
    手向山
     紅葉の錦神のまにまに

です。「今回の旅では幣も用意していません。手向山には紅葉の錦を奉りますので神の御意思のままにお納め下さい」。宇多上皇が奈良方面に御幸したときに道真が同行し、その折りに詠まれたもののようです(古今和歌集の詞書による)。「このたびは」は「この度は」であると同時に「この旅は」でもあります。旅だから手向山に参るのです。手向山は奈良東大寺三月堂の南にある手向山八幡宮を指すともいわれます。実際、この神社に行くと道真の「腰掛石」があり、「このたびは」の歌碑もあります。しかし「手向山」とは本来は旅の安全を祈って幣を手向ける山という普通名詞であって、手向山八幡宮であると言い切るのは危険ではあるのです。もっとも、北斎はやはりこの神社を意識して描いた可能性は高いと思います。

菅家

石灯籠は参道を思わせ、上皇も道真も手向山に行ったのでしょう。牛は横たわり、轅(ながへ)は(しぢ)に置かれています。
牛車、居眠る舎人、文楽ファンの方ならなんとなく『菅原』「加茂堤」を思い出すのではないでしょうか。上皇などの用いる最高クラスの唐破風仕立てのいわゆる

   唐庇の車

(「唐車」とも)で、珍しい三輪。宇多上皇の車という意識でしょう。
車の主がいないため気分の緩んだ男たちがほぼ二人一組で話したり居眠りしたりしています。右から三人目の頬杖をついている男は牛と向き合っているかのようです。
道真の謹厳な歌とはうらはらにひとときの休息を味わっている男たちが主人公になっています。舞っている紅葉(「黄葉」というべきでしょうか)は画紙のデザインのようになっていて印象的ですが、男たちはそんな優雅なものには目もくれないようです。せっかく紅葉の錦が「紙」の「間に間に」描かれているのに。

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ふらつく 

耳を悪くしてから、平衡感覚が鈍くなりました。
最初はあまり気にならなかったのですが、どうもふらつくのです。年齢のせいかとも思うのですが、そえれにしてもひどいのです。そして呼吸器の病気が合併してあらわれるとほんとうにたいへんで、以前道でつまづいてもろに転んだことがあります。あのときばかりは我ながら驚きました。
最近、ロコモティブシンドロームという言葉をしばしば聞くことがあります。運動器症候群というのか、こういう状態になると将来要介護になりやすいという話も聞きました。
手っ取り早い判定方法に

     片足立ち

で靴下が履けるかどうか、というのがあります。実は私は運動器の問題ではなく、平衡感覚の問題で片足立ちで靴下を履くことが困難でした。
私は元野球少年いや、野球青年で、大学院のころは草野球でずいぶん遊んでいたのです。ですからピッチングやバッティングのポーズをとるのはわりあいに普通にできる方です。ところが、これもあやしくなってきました。
バットを振るとそのままからだがふらふらと流れてしまうのです。ピッチングフォームをすると転びそうになります。
元ロッテオリオンズの村田兆治さんなんて還暦の時に

    140km/h

のボールを投げていらっしゃったし、今でもまったくバランスを崩さすに130km/h以上のボールを投げられます。あの人と一緒になるわけはありませんが、いくらなんでも転んではさまになりません。いつの日か高校野球の始球式に呼ばれたら(呼ばれないっ!)、転ぶわけにはいかないでしょう。

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新作への絶望と希望 

今年は夏の公演で子供向けの新作があり、秋の東京では鶴澤清治さん主導によるシェークスピアの新作があります。
新作の当たり年と言えそうです。
新作浄瑠璃を上演する必要があるのかないのか、これについてもいろいろな意見があるようです。
以前、新作のあり方について少し調べたことがあるのですが、あまり好意的な意見は多くなかったような気がします。
戦前戦時の「時局もの」といわれた作品はもはや日の目を見ることはないでしょうが、たとえば戦後松竹が試みた『椿姫』『お蝶夫人』『ハムレット』などの「赤毛もの」、『春琴抄』『おはん』などの「文芸もの」もほとんど顧みられなくなりました。私がこの中で観たのは『お蝶夫人』『春琴抄』『おはん』ですが、さほど印象に残らないものでした。
比較的人気があるのは

    『夫婦善哉』

と親子劇場の定番『瓜子姫とあまんじゃく』でしょうか。
新作というとそれだけで眉をひそめる方もあります。私の知り合いにも「新作だけは観ない」と宣言している人がいました。
新作を上演する暇があったら埋もれそうな古典をもう一度、という声もしばしば聞きます。
新作なんて作ったって仕方がないじゃないかという、いわば

    絶望

を抱く方もあるのです。たとえば石割松太郎氏は、ばっさりと新作を作ることの無意味さを書いていらっしゃいました(『文楽雑話』)。
それでも、有吉佐和子、三島由紀夫、井上ひさし、三谷幸喜などといった錚々たる劇作家、作家が新作文楽に筆を染めていらっしゃいますし、広く一般から新作を募集しようという試みもかつてはありました(文楽なにわ賞)。

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夏野菜たち 

今年は夏野菜としてキュウリとミニトマトを作っていました。
なんだかもう初心者丸出しですが(笑)、人気があるだけのことはあります。
なんといっても確実にたくさんの収穫があります。
今月9日、10日にやってきた

    台風11号

でキュウリは少し傷みましたが、それでもいったい何本穫れたのかわからないくらいです。店で売っているようなきれいな形のものばかりではありませんが、食べてしまえば同じです。そういう曲りキュウリも含めると本当にたくさんの収穫がありました。数えておけばよかったと後悔しています。
今回失敗したのは、2本の

    巨大きゅうり

を作ってしまったことです。葉の陰に隠れていてまったく気が付かず、あっと思ったら30cmくらいの大きさのものができていました。しかも1回の失敗で懲りるべきところ、2回も同じことをしてしまったのです。しかしその後も収穫できましたので、さほど大きな影響はなかったようです。
キュウリに関してはほぼ終了ということで今年もかなり満足です。
来年はお休みして何か別のものをと思っています。

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名門 

私の知っている人でお父様が日本で一番有名な大学の教授、ご本人もそこの大学のご出身で今は某国立大学の教授、夫君もまた教授という学者一家があります。ご実家が単なる学者の家というだけでなく名家なのか、別荘もお持ちです。きわめてさりげなく別荘に行って休暇を取ったとか京都の高級なお店で昼食をとったとか、本当に自然におっしゃって、もう私など考えられないくらいの生活をされている方がいらっしゃいます。
というとお金持ちを鼻に掛けた嫌味な人なのかと言うと、まったくそんな方ではなく、人格高潔、謙虚で優しくて礼儀正しくて、誰からも愛される

    すばらしい方

なのです。
血筋というか家柄というかそういうものがプラスに働くとこういうすてきな方が生まれるのだと思うくらいです。

権力を持つとだいたい自分の子に跡を継がせたくなるのが人間の弱さです。
福沢諭吉がアメリカに渡ったとき、ワシントンの子孫はどうしているのかを尋ねたら誰も知らなかったので驚いた、という有名な話があります。アメリカでは血筋など問題にはならないのだ、という話です。ところがそのアメリカでも

    大統領の息子

はまた大統領、みたいなことも起こっています。
日本の政治の世界では世襲なんて当たり前の当り前。橋本さんも小泉さんも福田さんも麻生さんも鳩山さんも安倍さんも、み~んな「政治家の家柄」。まれにそうでない人が総理大臣になったりするとあっというまに消えていきます(世襲でもあっという間か・・・)。歌舞伎や能じゃないんだから、といわれることもあるくらいです。
地方の政治家もまた似たところがあって、親子でなくても青年商工会議所などが序列に従って議員を出すというのはよく聞く話です。親が会社を経営していて議員、息子がその跡を継いで社長で議員。というのもままある話です。こうなるともう、「議員丸儲け」ですね。

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名刺 

初めて名刺というものを作ったのはおそらく大学院生の頃だったと思います。
どうしても必要だとまでは言えなかったのですが、そろそろ学会で人と話をするようになって、そういう方から名刺をいただくと、これは自分も作らねばならない、と思うに至ったのでした。
あの当時はパソコンで作るなどということはできませんでしたので、多分

    大学の生協

で作ったのだろうと思います。
そのあとは神戸の短大で仕事をし始めたときに作ったように思います。
広島にいったときも当然作りました。ところが最初私は専任講師だったので、その肩書で作った赴任したのでした。すると気前のいい学校で(笑)、一年で助教授にしてくれましたので作り変えました。しかし、広島ではどこで作ればいいのかよくわからなかったものですから、電話帳で「名刺作ります」というところを探したのです。
近所にありました。そこへいくとこれがまあなんといえばいいのか、大変失礼なのですが、もう店を閉めて50年くらい経っているのではないかと言う古びた店でした。おそるおそる入っていったら高齢の方がなにやら仕事をしていらして、早速お願いしたら

    めんどくさそうに(笑)

引き受けてくださいました。やはり個人で飛び込みでいくのは珍しいのでしょうか。
次は吹田市の短大で、ここでも自分で作りました。
どうして学校では作ってくれないのか不思議でした。あの当時はまだ受験生が多くて高校に売り込みに行かなくてもいやというほど志願者がありましたから、実際私も高校の進路指導部に行くことはなかったように思います。だから作ってくれなかったのかな、と思ったりします。

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未成年の飲酒 

これを書くと教員にあるまじきこととして非難を受けます。
それを承知で、本音を書いておきます。
今月の初めだったでしょうか、2004年アテネオリンピックで銀メダルを取ったアーチェリー選手が、指導する大学で

    未成年の学生

に飲酒させたというので処分を受けたというニュースがありました。
未成年ですから言い訳ができず、ご本人も潔く反省の弁を述べられて処分も受けられました。
こういうニュースが出ると、法律の建前論が歯がゆくなります。
20歳になったらかまわない、というのはいかにももっともらしいのですが、こんなの目安に過ぎないわけです。
もっというなら、19歳でお酒を飲んだって、

    単なる法律違反

に過ぎないじゃないかと思えてしまうのです。
私は、法律に違反してもかまわないと思いながら生きていますので、いちいちこんなことで処分されてはたまらないとすら思っています。私の父親は私が高校生の時に「そろそろ飲んでみたらどうか」といってビールを飲ませてくれましたし、高校の修学旅行では悪友が持参していたウィスキーを私も一杯いただきました(全員、儀式のように一杯ずつでした)。このとき先生はもちろんいませんでした。さすがに「先生には隠れて」というルールだけは守っていたのです。しかし、あとで見回りに来た先生は臭いで気づいていたはずです。こちらは先生に見つからないところで飲むという形で気を遣い、先生は鼻炎か何かで(笑)臭いがわからないふりをすることで気を遣い、そうやって修学旅行を楽しみました。何も飲んだくれて暴力を振るったわけではありませんし、外のスナックに飲みに出たわけでもありません。

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独占状態 

大学に行くと、誰もいません。と言うのは少々おおげさで、事務職員さんはちょこちょこ見かけますし、教員もまれに出会うことがあります。しかし私のいるフロアはほとんど誰もいませんので、とても楽です。何が楽と言って、コピーやプリントはいくらでもできます。
シュレッダーもいつも空いています。
誰もいないから気晴らしに廊下をうろついても怪しまれません(笑)。
ほとんど

    独占状態

です。エアコンはつけっぱなしで快適。家ではこうはいかないのです。
図書館も誰もいませんからこれまた快適です。
私はこのところ図書館でかなり妖しげなことをしています(笑)。
普通は本を見てメモを取ったりするのですが、メモではなく、絵を描いたりしています。それも子どもが描くような稚拙な絵をささっと描いているわけです。じっくり描く暇はありませんし、そんな必要もありません。わかればいいのですから。字もそれでなくてもひどいのに、もうぐちゃぐちゃ。
ちょっとご披露してみます(笑)。

落書きのようなメモ
↑ほとんど落書きのようなメモ

こういうことをしているときはやはり周りに人がいないほうが気が楽です(笑)。

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百人一首姥がゑとき(八) 

元良親王は陽成天皇の皇子です。皇位に就けない親王にしばしばみられるように、とにかく風流というか色好みというか。「美人と聞いたら、逢った人であろうとなかろうと手紙を書くのが常であった」とか、「一夜めぐりの君と言われた」とか言われるほどで、多分私よりうわてです(笑)。とてもよく通るいい声だったとも言われます。
中でも有名な話は、宇多法皇に寵愛され、三人の親王を生んだ藤原褒子との関係。仮にも法皇の妃ですから、普通なら高嶺の花でとても手が出せる人ではないのです。ところが彼はこの人にも激しく思いを寄せて「自分の命なんてもうどうなってもかまわないから逢いたい」とまで訴えたというのです。その歌が

  わびぬれば今はた同じ
    難波なる身を尽くしてもあはむとぞ思ふ

なのです。失意のどん底に落ちてしまったのだからもう今はどうなっても同じこと。難波にある澪標(みをつくし)ではないが、身を粉々に砕いてでもあなたに会いたいのだ。ここまで言われると嬉しいのか怖いのか、女性心理はよくわかりませんが、かなり思いつめていますよね。こういう気持ちになることは若い男には往々にしてあるものだと思います。

元良親王

これは専門家の人の解説で知ったことですが、右遠景に家々と帆柱が見えるのは、江戸の佃島の風景さながらであるとのこと。すると手前ははるか西の東海道でもありましょうか。品川の台場あたりとか。海辺には杭が何本も打ち込んであり、これも澪標を思わせます。もっとも、「佃島」から左側に山が続いていますし、築地の本願寺の屋根などは描かれませんから実景ではなく、「借りた風景」ということになるとは思います。佃島は申すまでもなく大坂の佃からやってきた人たちの集落ですから「難波なる」が表現されているのかもしれません。帆柱は澪標をなぞらえているのかも。その方角を見ているのは、荷物を持たせた子供を連れた女性の二人連れ。しゃれた藍の傘と渋い茶の傘が年齢を暗示しているように思います。母娘ほどの年齢差があるのかもしれません。「道行旅路の嫁入」というわけではなくとも、江戸市中に向かうと思われる二人を待つものは男なのかも知れないと想像させられます。左隅の家は彼女たちの実際の目的地ではないかもしれませんが、

    「待つもの」

の象徴のようにも感じます。元良親王の歌は男性が女性を狂おしいほどに思慕する内容ですが、これは逆なのでしょうか。
とは言ったのですが、実はこの絵で一番目立つのは左側の牛とそれを曵く男の姿です。牛はなかなかいうことを聞かず、男は目一杯力を入れて曵いています。その姿勢からはやけっぱちになっているとさえ感じられるのです。思い通りにならないので

    自暴自棄

になっている男。これって、元良親王と変わらないじゃありませんか。牛の背中には女性を思慕するあまり抑えがたくなった男性の象徴のようなわら束、澪標のようにも見えるわら束です。
右奥の帆柱、中央の杭、左手前のわら束。これらがほぼ画面を斜めに横切るように描かれています。

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関西人 

先日、Facebookに関西人と言われるのをいやがる京都人、とかなんとかいう記事が流れてきました。
京都の人、特に京都府民全体ではなく京都市民にそういう人が多いとか。
たしかに京都の人はプライドの高い人があって、口では上品なことを言うけど、実際腹の中では何を考えているかわからないという悪口も言われます。

    京の茶漬け

という落語がありますが、「ぶぶづけでもどうどす?」といわれても本気で茶漬けの用意などする気はないと思っておいた方がよい、という落語の世界の京都観です。
京料理の店などで食後にしゃべっていると仲居さんが「おぶう、どうどす」と言ってくるとこれはもう「はよ帰りなはれ」のサインだなと感じ取れます。

でも、「関西人」という言い方を喜ばないのは京都の人だけではありません。神戸でも大阪でも同じだろうと思います。そもそも「関西人」などというのは関西以外の人が何となく関西の言葉を使う地域を総称したつもりで言っているだけではないでしょうか。たとえば神戸には

  「大阪とは一緒にしてくれるな」

と思っている人が多いと感じます。京都でも「大阪や神戸はうちの手下」くらいに思っているかも(笑)。
一方、大阪は関西の代表をもって任じているようにも感じます。たしかに、東京に対抗する大阪というイメージはあり、大阪本社と東京本社を持つ会社も多いようです。
それででしょうか、全国的に「関西人」というとなんとなく大阪の人をイメージされているように思います。おもしろいことを言うとか、食べ物にうるさいとか、あまり上品な感じがしない(笑)とか、東京にライバル意識を持っているとか。

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よじ登る男 

絵巻物にはいろいろありますが、おそらく12世紀後半に後白河法皇の命で作られたものに『伴大納言絵巻』がありますが、この絵巻と同じ絵師によって描かれたのではないかと言われるのが

    年中行事絵巻

です。常盤源二光長(ときわのげんじみつなが)という絵師です。ただ、残念ながら原本はすでに失われており、残るのは模本、つまりそっくりに写した本なのです。これがあるおかげで原本の面影がかなり明確にわかるのです。残念ながら全巻が残っているのではないようで、しかも多くは白描です(彩色されていない)。
常盤源二光長の筆致をどれほど伝えているのか、なのですが、これはもうなかなかのものです。この絵巻物を見ていると、『伴大納言絵巻』に似たところがあるのに気づきます。
これについては美術史の専門家の方が詳細に比較検討されていますので私が発見したものではありません。
たとえば、『伴大納言絵巻』には応天門が燃えているというので多くの野次馬がやってくる場面が描かれています。その中に、朱雀門(大内裏の南門)に駆け込む人々の様子が描かれた部分があり、人間の

    思いがけない行動

が描かれていて面白いのです。ある高齢者は杖をついているのに朱雀門の階段を3段くらいすっ飛ばして昇っている。こんなこと普段ならしないでしょう。それが、火事場のなんとかで一気に駆け上がろうとしているのです。

伴大納言絵巻 駆け上がる老人
↑朱雀門の石段を駆け上がる老人

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西国にいます 

このお盆はひさしぶりに西国にいます。1年ぶりです。
今年は台風もありましたので行くつもりはなかったのですが、諸般の事情で突然出かけることになりました。体調が少しよくなりましたのでむしろじっとしていないほうがいいかもしれないと無理に(?)考えることにしました。無駄遣いかもしれませんが、リフレッシュ効果を考えるとプラスに作用することもあるかな、と。
13日に家を出て、日曜日には帰ります。
お盆ですから車は多いのが面倒です。特に帰りは大変なことになるのではないかと案じています。
私は、子供の頃はいわゆる

    いなか

というものがなかったので、「お盆だから田舎に帰る」という習慣はありませんでした。ですから、逆に広島に住んでいたころもお盆だからと言って実家に帰ったりはしませんでした。むしろお盆の広島の習慣を眺めたりしていました。広島の(長崎も)お盆は原爆の日の直後ですから、お盆というよりは原爆の悲しみが町に浸透しているような感じがして、よそ者の私はなんだか自分だけが浮いた存在であるかのように思ったものでした。
墓を埋め尽くすような

    盆灯籠

には驚きました。いや、墓だけではなく、スーパーやコンビニなどでもお盆になるといっぺんに売り出されますので、食料品を買いに行ってそれを見つけると最初は「これ、なに?」と思ったものでした。
広島市内の墓地に行くと墓碑に刻まれた命日に「昭和二十年八月○○日」という日が目立ちます。「○○童子(女)」という文字も多いのです。原爆に限らず、戦争は老若男女に関わらず人の命を奪ってしまいます。
八月六日(原爆の日)が命日でなく、その何日かあとが命日として墓碑に刻まれている人も多いのですが、その数日間、この方はどんな苦しい時間を過ごしたのだろうと考えてしまいます。

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百人一首姥がゑとき(七) 

藤原敏行は「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の歌でも知られる、なかなか優れた歌人です。同時に書家としても名を残しています。

  住之江の岸に寄る波
    夜さへや夢の通ひ路人目よくらむ

住之江の岸に寄る波ではないが、夜までも私の思いが夢となってあなたに届くはずなのにその夢の通い路をあなたは避けるのですか。住之江は大阪住吉大社のある辺り。あのあたりは今でこそ内陸になっていますが、もともと海のすぐ近くで、松で知られる名所でもありました。そもそも住吉は航海安全の神でもありました。その住吉に寄る波のように繰り返し毎晩夢で思いを届けようと思っているのに、あなたは昼ばかりかその夜まで私を避けるのですかと痛切な恋心を詠んでいます。

敏行

この絵を観ると思い出すのはやはり北斎の『富嶽三十六景』のうちの「上総ノ海路」です。こんな絵です。

上総海路

似ていますよね。セルフパクリ(?)。舟も全く同じではありませんが、はっきり違うのは背景です。『富嶽』は当然富士山が見えていますが、こちらは小さく神社のような建物が見えます。そしてその右側には

    太鼓橋

のようなものも。どうもこれが住吉大社を指しているようです。
舟は波を立てて進んでいます。その波は住之江の浜のほうまでやがては届くのでしょう。舟の姿ははっきりしていますが、画面中ほど、つまり住吉大社の部分から右の鳥が飛んでいるあたりにかけて、薄暗くなっています。ただ、その薄暗さは一様ではなく、舟の帆が左右を分けて、右側は夕焼けなのか夜の訪れがはっきり見え、左側はまだ空が明るいようにも見えます。
舟人たちの姿が見えますが、なんだかぐったりしていて起きているのか寝ているのか。彼らは舟の帆の右側にいますので、いわば夜の領域。舟の通い路に身を置く彼らは人目に出合うことがなく、ぼんやりと海を眺めるだけなのでしょうか。

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重い本 

大倉山の図書館に着くと、まずは開架にあった一冊。
地元のおじさんとおぼしき方と同じテーブルに座って拝読。ノートを取りまくりましたので、おじさんは

    なんじゃ、こいつ

というお顔をなさっていました。
そしてメインの本は書庫にあります。3階まで上がって出してもらわねばなりません。
このフロアは専門書ばかり置いてありますので、一般の方はあまり上がってこられません。
ですから人はさほど多くはありません。ふと気が付くと、以前はなかった耐震設備があり、座席が少し減って、なんとなく狭くなっていました。
神戸はやはり地震には敏感ですからね。
早速端末で検索して印刷、それを受付に持っていって書庫から出してもらいました。
一冊は軽くて小さなものでしたが、もう一冊は大型本です。縦50cmあまり、横は35cmあまりかと思います。広げると

    70cm×50cm

以上になります。
出してくださった女性職員さんに申し訳なくて、中の方まで受け取りにいきました。大きさもさることながら、とにかく重いのです。
片手では無理なので、両手でかかえて指定されたデスクで拝見しました。ところが、デスクが90cm×70cmくらいなので、本を広げるとノートを置けません。やむをえず、ノートは膝の上に置き(笑)、必死にメモを採り続けました。
気がついたら四時間経っていました。

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神戸の図書館へ 

大阪の府立図書館が東大阪に行ってからやはり縁遠くなりました。実際は地下鉄がありますからさほど時間はかからないのですが、心理的に遠くなった、という思いがあります。
府立図書館=中之島というのが常識でしたし、東大阪市は私のような大阪府民でないものにとってはやはりなじみの薄い土地です。
それでも何度も行っているのは、やはり気楽に使えることと

    蔵書量

が豊富だというのが大きな理由です。

とはいえ、何でも揃っているわけではないので、所蔵の有無、貸し出し状況などはきちんと調べてから行くようにしています。蔵書検索が手軽にできるのはありがたいです。
この図書館でも何度も高価な本をお借りしましたし、借りないまでも館内で閲覧させていただきました。
文化都市大阪はやはり大したものです。

最近、古い本、高価な本で手に入れにくい何冊の本がありましたので、できるだけ近いところから蔵書検索しました。大学や地元の町の図書館は調べるに値せず(笑)。
隣町は? ダメ。その隣は? これもダメ。兵庫県南東部を代表する大きな町にないのですから、私の住む町の図書館になくてもやむを得ません。
こうなったら大阪だと思ってまずは大阪市立図書館。
さすがにここにはありました。
市立中央図書館、というより、

    西長堀

の図書館というほうがさっとわかります。
で、先日文楽劇場の帰りに行ったことはこのブログに書きました。
しかし、あと三冊、見たい本がなくて、こうなったらやはり府立。
しかしここもダメでした。
兵庫県を忘れてはいけません。
神戸市立図書館で検索すると・・・すべてありました。

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夏休み、淡々と 

この夏休みも仕事以外は何もしていません。
する余裕がないからですが、やはり物足りない思いもあります。せめて図書館で本を借りてきて読むくらいです。もう本を買うということをまったくしていません。そのかわり借りることといったら以前の比ではありません。図書館では明らかに覚えられています(笑)。なにしろ平日の昼間でもしょっちゅう行きますので、「この人、仕事してないのかな?」と思われているはずです。
借りるのはほとんどが専門外のものです。美術、宗教、天文学が私の借りる本の三大ジャンルです。
この夏はたまたま調べたいことがあって行った図書館に、ながらく借り出されていた本が返ってきていましたので、それを

     夏休みの読書

の1冊目にしました。
キリスト教関係の本です。信仰心がないので「神様」が「お前なんて勉強しなくていいよ」とおっしゃっているのか、こういう本はどうも頭に入らないのですが、不思議にいくらでも読めてしまいます。

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かみなり太鼓(3)ー私だったら、という妄想 

教えていただきたいことがあるのです。
小佐田定雄作「かみなり太鼓」の冒頭は

    「あつ(暑)い」

で始まりましたが、あれはどんなふうに語られていたのでしょうか?
どなるように大声で「あついっ!!」という感じなのか、大声を出すこともできないほどのけだるさで「あつい~!」なのか。あるいはそれを組み合わせて変化をつけたのか。
小佐田さんが作られたことをよく表すのがこの冒頭の「暑い」ではないかと思いました。
暑いことを「暑い」と言う。ほかに言いようがないほど暑いので、ずばりせりふ、ことばで「暑い」と言う。このあたりはせりふを大事にする落語の作家さんらしいところなのではないか。
いわば直球で暑さを表現しているわけです。日本ハムの

    大谷選手級の

速球をずばっと投げ込んでおいて、小佐田ワールドに引き込んでしまおうとしている、とも言えるでしょうか。浄瑠璃の枕というよりは落語のマクラ。
私だったらきっと(お決まりではありますが)天神祭の描写から始めるだろうなと思うのですが、そこが小佐田さんらしいところなのではないでしょうか。
どちらがよいということではなく、カラーの違いだろうと思います。

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百人一首姥がゑとき(六) 

遍昭という人は普通「遍昭」の字を書きますが、「遍照」のほうがわかりやすいですよね。「あまねくてらす」とは僧侶にふさわしい名だと思います。ではなぜそう書かないのかと言いますと、これは和歌の家によって「わが家の流儀では『照』を用いる、いや我が家では『昭』として伝える」といった「歌の家」の主張により、藤原定家の場合(彼は御子左家=みこひだりけ=という家柄です)は「昭」を是としたのです。

  天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ
    少女の姿しばしとどめむ

「天の風よ、雲の中の通り道を吹いて閉ざしなさい。少女の姿をしばらくとどめておこう」という歌で、少女は天女に見立てられて、舞を舞ったら天に帰ってしまいそうだから帰すまいというのです。
「遍昭が乙女に何の用がある」という川柳は「僧侶が女の子に用はないだろう」と茶化しています。しかし実際この歌が詠まれた時、彼はまだ出家しておらず、良岑宗貞という名の俗人でした。

遍照


普通少女(おとめ)が舞うというと新嘗祭の

    五節の舞(ごせちのまひ)

をいいます。実際この歌も『古今和歌集』には良岑宗貞が五節の舞を見て詠んだ歌として採られています。
五節の舞は通常4人、大嘗会の時は5人で舞いますから、この絵のように二人というのは普通はありません。また新嘗祭は冬の行事(旧暦11月)ですから、この絵のように桜の咲く春爛漫の時節ではありません。さらに五節の舞は清涼殿など内裏の中でおこなわれる舞いですから、この絵のような場ではないのです。というわけで、この絵には多くの「うそ」があります。
北斎はそういうことにはこだわらず、「雲の通ひ路」なら空が広々としたところがよいだろう、若々しい少女が舞うのだから冬枯れではなく桜の咲く季節が合うだろう、4人、5人ではなく2人にして散漫になるのを避けようなどと考えたのかもしれません。
この絵の主人公は少女のようではありますが、実際は右側にいる男たちの中のある人物が主役だと私は思っています。それは一番手前の列の

    右から2番目の男

です。ほかの人たちは皆かしこまって真正面を向いているのに、この男だけは少女のほうをちらりと見ています。敢えていうならこれが良岑宗貞。そこまで言わなくとも、少なくともこの男が「雲の通ひ路ふきとぢよ」と願っていることは間違いないでしょう。
舞を観るのは、おそらく画面の右にいるのであろう貴人であって、この男は観てはならない立場のはずです。それがどうしても気になってしまう、そこがとても面白い絵だと思います。
それにしてもこの土手のような、丘のようなところにうまく舞台を作ったものです。というか、北斎はよくこういう場をイメージできたものだなと思います。

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調子に乗って 

七月の末になぜかわからないのですが、突然体調がよくなりました。といってもたいしたことはないのです。私の場合は普通に歩けたら体調がいい、ということなのです。
おりしも文楽の親子劇場に行く直前で、ほんとうに助かりました。

かみなり太鼓(2014)
↑「かみなり太鼓」開演前の劇場

これならちょっと無理してでも図書館までいけるかも、と思って、親子劇場が終わった後、歩けるだけ歩いてみよう、と、

    なんばウオーク

を西へ西へ。地下街なら暑さを考えることはあまり必要ありませんから。
そして四ツ橋筋まで出て地上にあがりました。
さてどうしようか、と思ったのですが、せっかく堀江まで来たのですから、相撲場跡に寄ってみようかとそろそろ歩き出しました。
こうなるともういまさら交通機関を利用することはできません。
結局市立図書館まで歩いてしまいました。といっても文楽劇場からなら3km程度でしょうか。こういうこともあろうかと家から自家製経口補水液を持っていっていましたので、時々飲んでは歩いていました。
図書館の南側には

    木村蒹葭堂邸跡

の碑もあります。蒹葭堂のような博学になりたいものです。

木村 蒹葭堂邸跡(大阪市立図書館脇)
↑木村蒹葭堂邸跡

そして図書館では書庫内のものを含めておもに2冊目的の本をじっくり見ることができました。
さて、5時近くになりましたのでそろそろ帰ろうと思ったのですが、せっかくだからもう少し歩いてみようと思い、和光寺さんを経て地下鉄西大橋の駅。ここから地下鉄で帰ろうと思ったのですが、そうだ、久しぶりに新町北公園に行ってみようと思い立ちました。

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花火のあとで 

おととい、私の住む宝塚市では花火大会がありました。
今はもうあちこちでありますので珍しくなくなりましたが、昔はこの近辺では宝塚だけで、各地から多くの人が来られました(今もおいでになりますが)。
私が子供のころは必ず8月1日、2日の二日間で、翌日には必ず新聞の地方版にも載りました。今も覚えているのですが、各日

    500発

でした。今では信じられないほど少ない数ですが、当時は500なんて数えきれない、と思ったものでした。私の家の廊下に座ると真正面に見えるので、わざわざ出かけることはしませんでした。
蚊取線香をたいて兄弟そろって小一時間花火を見ているのです。
今のように連続して上がるのではなく、ドカン、パラパラ、ドカンというのがほとんど一発ごとに打ち上げられる感じでした。もうほとんど江戸時代の花火ですね(笑)。
今は資金の問題もあって1日だけになっています。それでも

    3000発

になり、昔に比べると規模も大きく種類も多彩になりました。しかし某教団の花火は20万発とかいいますから、2ケタ違います。まあ、小さな町ですからこんなものでしょう。

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かみなり太鼓(2) 

当初、この話のごくわずかなあらすじ(チラシに書かれている程度)を見たとき、寅ちゃんと雷がもっとからむのだろうと思っていました。ところが大活躍するのはむしろ「おかあちゃん」。マッサージをしたり、義太夫をうなったり。雷を落とす(叱る)役割も重要です。
この「おかあちゃん」の首は老女形でした。これについてはいろいろ考えがあると思うのですが、勘十郎さんも熟考された上でこれになさったようです。
単純に考えたら雷より怖くて力も強いおかあちゃんなら『鎌倉三代記』の

    「おらち」

が思い浮かぶのです。「おらち」の首は丁稚です。つまり男の顔の流用。今回も私は話を詳しく知った後では首は「丁稚」かなと思っていたのですが、そうではありませんでした。
「丁稚」ではあまりにもありきたりだろう、と感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかしそれは文楽をよく知っている方の考えかもしれません。そのありきたりを真正面から見せるのが親子劇場の観客には合うのではないか、と思いました。
びっくりするような「おかあちゃん」。こりゃ力が強そうだ、と一見して思わせてくれるような人物。
「おとうちゃん」は

    ツメ首

を使われました。私は「端役」か「斧右衛門」あたりをイメージしていましたのでこれもちょっと意外でした。
人はよさそうで、子どもに優しくて、仕事はまじめ。ただし奥さんには弱い。そんな人物像がツメよりももう少しはっきり出てもよいのではないかと思ったのでした。

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その後の康頼と成経 

鬼界が島に流された平康頼と丹波少将成経は熊野三所を熱心に祈っていたと言われ、そのかいあってか、中宮御産の祈りの大赦で都に戻ることができました。
『平家物語』「卒塔婆流」には、康頼が千本の卒塔婆に和歌や名などを書き付けて流したところ、そのうちの一本が安芸国厳島神社に流れ着いて、それが都に伝わって大赦につながったといいます。
書き付けられた歌は

  薩摩潟 沖の小島に我ありと 親には告げよ 八重の潮風
  思ひやれ しばしとおもふ旅だにも 猶ふるさとは恋しきものを

というもので、厳島神社の、この卒塔婆が流れ着いたと伝えるところには卒塔婆石が今も置かれています。
こういうことをする(少なくともそう伝えられる)康頼というのはどんな人物だったのだろう、と思いをはせてみます。
彼は唱歌(さうが)にすぐれていたとされ、それで今様などを愛した後白河法皇のお気に入りだったといわれます。
歌人としてもそこそこ評価されていましたので、シンガーソングライターといったところでしょうか。
たいした身分ではありませんでしたが、法皇お気に入りだったために鹿ケ谷の謀議にも加わることになってしまったのでしょう。法皇との邂逅は彼の人生にとって幸だったのか不幸だったのか。
彼は都に戻ってから

    『宝物集』

という仏教説話集を編纂したりしています。やはr文学の人だったのでしょう。そこには「薩摩国の島を出て(中略)ふたたび旧里に帰りてはべりしかども、世の中もありしにもあらず、浮木に乗りけむ人の心地せしかば、世の憂きときの住家なれば、心をも慰めむとて東山なるところに籠りゐてはべるほどに・・・」と書いています。鬼界が島を出て都に戻ったものの、世の中は様子が変わっていて浮木に乗った人のような心地がしたので東山の寺にこもっています」ということです。
規模は小さくなっていますが、今も残っている

    雙林寺

という寺に籠ったのだそうです。
その後彼は阿波国の在庁官人になり、今の吉野川市、つまり徳島市よりかなり奥まったところで暮らしたようです。
その子孫が康頼神社(吉野川市鴨島町森藤)を建てて、それは今も伊予街道(国道192号)を吉野川市役所のあたりで南に折れて1kmあまり行ったところをさらに東に入った、かなりひなびたところに残っています。神社と言っても、鳥居こそあれ、さほど立派な構えのものではありません。
Google map で写真も観ることができます(⇒こちら)。

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百人一首姥がゑとき(五) 

学生に小野小町の話をしたのです。すると「小野小町と言う名は知っていたが、女性だとか美人だったとかいうことは知らなかった」という者がありました。「深草少将の百夜通い」なんて小学生の頃に誰かに教わった(あるいは本で読んだ)ような気がするのですが、今はあまり流行らないのかな。「日本を代表する美人とされていて、だからこそ「なんとか小町」という言葉があるでしょう?」といってもよくわかってもらえませんでした。世界ではクレオパトラ、楊貴妃、ヘレネなどがいますが、やはり日本と言えば小野小町は美人の代名詞ですよね。

  花の色はうつりにけりな
    いたづらに我が身世にふる
      ながめせしまに

は「花の色は移り褪せてしまった。むなしく長雨が降るあいだに。私もまたむなしくこの世で物思いばかりしているうちに衰えてしまった」という春の終わりの歌です。桜なら色褪せるというよりも散ってしまったという感じでしょうか。

小野小町

桜が咲く中、人々は忙しく働いています。男たちは田で馬鍬で代掻きをする者あり、網のようなものを撒いた二本の棒を担ぐものあり、掃き掃除をする者あり。一方女たちは川で洗い物をする者、洗い張りをする者があります。洗い張りの布はきれいになって鮮やかな色を見せています。
人々は、みな一生懸命生きているのですが、働いて働いて、ふと気がつくと

    老いている自分

がそこにある。皺が目立ち色も褪せた乾いた肌を持つ老人の姿がある。
この絵の中でただひとり浮いた人物がいます。ほぼ真ん中に描かれている、後ろ向きの女性です。いささか背中がまるくなり、杖をついていますので老女ではないでしょうか。彼女は散り始めている桜を見て他の人とは全く違った世界に自分を置いているようです。異時同図法というのではありませんが、周りにいる人たちの未来の姿がこの後ろ向きの老女なのかもしれません。目の前の男は無造作に桜の花びらも掃除しています。散った花びらにはもう用はないのだとでも言うかのように。しかしまた、「いたづらに」世に時間を過ごして物思いなどしながら生きている若い人たちもいずれ自分と同じようになるのだと口では言わないものの彼女は思っているかもしれません。

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2014年夏休み公演千秋楽 

今年も暑い中、文楽の七、八月公演は本日千秋楽となります
熱中症の危険性が叫ばれているご時勢ですが、文楽には高齢の技芸員さんがいらっしゃいますので特に心配になります。
皆さんきっと節制しながら舞台をおつとめなのでしょうね。
この公演は近松作品3つと子供向けの演目でした。

    『女殺油地獄』

は咲大夫、和生、勘十郎が揃いましたから立派なできだったと思います。勘十郎さんの人物造型は見事なものです。
清十郎さんがちょっともったいなかったなという思いもあるのですが、第二部の人間国宝の師匠のバックアップの役割もあったのでしょうか?
『鑓の権三重帷子』は「岩木忠太兵衛屋敷」が出ませんでしたので、妻敵討が中途半端だったような気がします。『権三』だけでは魅力がないと思われたのでしょうか、あるいは出演者の顔ぶれなどを考慮して『平家女護島』が入ったのでしょうか。ほぼ決まっている時間枠にいろいろな条件を加味しながら演目をはめ込んでいくのはなかなか大変だろうと思います。でも、結果的にはなんだか中途半端に終わってしまいました。
第一部の親子劇場では「かみなり太鼓」が上演され、

    小佐田定雄さん

の新しい挑戦がありました。今後も作りたいという意欲をお持ちのようですので、落語の名作を数々お作りになった実力をさらに文楽にも発揮していただければと思います。

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かみなり太鼓(1) 

やっと行ってきました、文楽の第一部。
なんだか「こびとのくに」のガリバーになった気分で、どうも行きにくいのです(笑)。
座席を選ぶときもあまり前のほうにするとすぐ後ろに小さな子供がいたら迷惑になるな、と、つい気になってしまいます。結局私はたいてい後ろのほうに座るか、9列目、10列目を狙います。今回は幸いに9列目がありました。もっとも宙乗りの真下だったので、上から何が落ちてくるか心配でした。孫悟空が落ちて来たら一番怖いのですが、それはありませんでした(笑)。
さて、今回は落語作家として知られる

    小佐田定雄さん

が新作を書かれましたので楽しみにしておりました。私はもともと落語作家を夢見ておりましたので、小佐田さんは憧れの人なのです。
私が作る落語は「面白くない」という特徴(笑)があって、どうもいけません。落語作家をなりわいとするなんてほんとうにたいした方だと思います。もちろん、それ以外のお仕事もなさっていますが、評論家ぶらずにあくまで「作家」の領分を守っていらっしゃるように思います。
新作と言っても大作ではなく、

    親子で楽しむ

というコンセプトで作られていると思われ、大人の入門編としても意義があったのではないでしょうか。これをいうと、「古典を見てこそ入門だ」というご意見が返ってくるのですが、「文楽劇場に行ってみる」という行動を起こすきっかけになるなら、それはそれで門に入ること、として意味があると思うのです。
ツイッターを見ていますと、落語家の皆さんが小佐田さんの作品だからというのでずいぶんいらしているようで、「面白い」「笑いっぱなしだった」などと絶賛する声をずいぶん見かけました。

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与兵衛の恋 

『女殺油地獄』の河内屋与兵衛はまだ若い小せがれ。
世の中の辛酸などすべてわかっているような顔をしながら何もわかっていないだらしない男。この公演で勘十郎さんはこのだらしなさを目いっぱい見せていたような気がします。森右衛門に頭を下げるときのあの深々とした下げ方。だらしない。なさけない。これほどどうしようもない若者はまずいない、というくらいのだらしなさ。ところが、こういう男に限ってすっかり世間のことを

    知ったつもり

になっています。弥五郎がお吉の色っぽさに舌なめずりをしているのに対して「色はあれど数の子ほど子を産み、世帯染みて気が公道。見かけばかりで甘味のない、飴細工の鳥ぢや」と言います。「気が公道(こうとう)」というのは地味、あるいは質素だということで、面白みがないと言っているわけです。飴細工の鳥、などと言って自分の「比喩のうまさ」を誇って悦に入っているのですね。
弥五郎の方が若者らしい(悪い意味で、ではありますが)とも言え、与兵衛はこの大人ぶったところがまた最近でもよく見かける、いや、いつの時代にもいる

    最も困った男

だろうと思います。
こういう人間は大きくなっても市長なんかにはならないでもらいたいものです(笑)。
ついでですが、弥五郎は文哉さんでしたが、私はちょっと人物像が違うんじゃないかと思っています。首も替えた方がいいんじゃないかな、とも。会津の大尽と逆では変ですかね?

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