伊達娘恋緋鹿子(一) 

菅専助、松田和吉、若竹笛躬の作で八巻。安永二年を1773)四月六日堀江の豊竹此吉座で初演。先行作には紀海音の『八百屋お七』や為永太郎らの『潤色江戸紫』(1744初演)があります。
「火の見櫓」は鑑賞教室やギオンコーナーの演目としてもよく知られますし、その他のミニ公演などを含めて、上演回数だけでいうなら

    文楽最高の頻度

を誇る作品ではないでしょうか。若手から中堅の人形遣いさんは何度も何度もお七を使っていらっしゃると思います。私もかつて某小学校で企画された文楽鑑賞会で吉田簑一郎さんらにお願いして上演に協力したことがありました。
朝から車2台でおいでになって、ぱぱぱっと櫓などを設置して、雪を降らす準備もして午後には上演してくださるのです。人形の段取りなどはイチローさんが左や足の方にほんのひとこと

    「こんなふうにするから」

とおっしゃるだけで、もう終わり。リハーサルなんてありません。とにかく手際のいいこと!

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後期の竹取物語 

今年は竹取物語の講読の授業をしています。
私は以前も書きましたように、この作品をとても面白いと思っています。途中は面白くて笑ってしまう場面も多いですが、実はそこに描かれている男たちは私自身かもしれない、と思うとぞっとしていまいます。
私でなくても、こういう人っているよね、と思い当たる人がいくらもいます。単に面白おかしいだけではないということですね。
私、実は竹取物語を素材にして新作浄瑠璃(笑)を書いたことがあります。選んだのは

    くらもちの皇子

で、蓬莱山にあるという「玉の枝」を持ってきてほしいとかぐや姫に言われた人です。
彼は実際には行かずにこっそり隠れてイミテーションを作るのですが、結局工匠らへの支払いをしなかったためにすべてが露見して失敗するのです。
かぐや姫をだますところまではうまくいったのに、思わぬところに落とし穴があったのです。
この人物が蓬莱へ行く話をする場面を文楽でいうところの

    物語

という形にして自信満々で話した挙句、奈落の底に落とす、という内容の他愛ないものです。
それ以外の人物もきっと面白い浄瑠璃にできると思うのです。落語にもできると思っています。竹取は落語の元祖である、とさえ思うくらいです。

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紀海音の「八百屋お七」(三) 

下の巻は「牢前」から。
お七はすでに放火の罪で捕われています。母はいつものように牢までお七の食べ物を持っていきますが、門番が言うには、今日は差し入れ入らないと聞いているというのです。つまり食事がお上から出ているということです。不審に思った母が帰ろうとすると夫の久兵衛がやってきたのでわけを話します。すると久兵衛は言いにくそうに「処刑の日はお上から食事が出ると聞いている。つまり

    今日がその日

なのだ」と答え、二人は絶望的な気持ちになります。
人夫が柱をかついで「若い娘なのにかわいそうなもんだ、それにしても相手の男はひどいやつだ」などと話していきます。
そこに年寄衆の弥三衛門がやってきて、「武兵衛は性懲りもなく金のことをお上に訴えたそうだ。お上もいかがわしく思われていろいろ調べられた結果、逆に武兵衛が牢に入れられ、二百両は

    返さなくてもいい

ことになった」と伝えます。金はともかく、武兵衛が牢に入れられたことで久兵衛は少し腹の虫が収まります。
お七の母が「吉三郎を恨めしく思っている」というのを聞いた父の久兵衛は「むしろ悪いのは我々親だったのだ。最初から吉三郎を婿にくれと寺に言えばよかったのに」と繰り言を言います。若者の気持ちをもっと理解してやればよかった、というのは現代でもありうる話です。「こんなことなら結婚させてやればよかった」という話は今も昔も変わらずあるものです。久兵衛夫婦はのちの『伊達娘恋緋鹿子』が情の厚い善人にしていますが、本作ではむしろきれいごとだけではない、生々しい人間を感じさせます。

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紀海音の「八百屋お七」(二) 

中の巻は八百屋です。『伊達娘恋緋鹿子』の「八百屋」と共通する点がストーリーの上ではいくつもありますが、やはり人物の造型などは異なります。

師走も押し詰まり、餅つきの日です。使いに出る下女の杉は軒下にしゃがんでいる少年を見つけます。吉三郎です。杉は使いから帰ったらなんとか算段するから今は縁の下に隠れていて、と吉三郎に言って出かけます。
杉に言われたとおり吉三郎が縁の下に入ると、町年寄の弥三衛門が来て、久兵衛に

    武兵衛との縁組み

を改めて勧めます。久兵衛は「武兵衛は火事の後で『返すのはいつでもいい、証文もいらない』といって二百両を融通してくれた。しかし、いざ店を再建するとお七を嫁にくれと言い出し、お七がいやがるので断ったら、それなら

   『金を返せ』

と言い出した。金で娘を売るようなことはできない」と腹を立てています。
なおも弥三衛門が説得しているところに当の武兵衛が来て、とりあえず皆は奥に入っていきます。

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紀海音の「八百屋お七」(一) 

文楽のお七というと安永二年(1773)大坂堀江豊竹座で初演の菅専助、若竹笛躬らの『伊達娘恋緋鹿子』が有名ですが、その先行作には紀海音の

    『八百屋お七』

があります。
『伊達娘』は実際に半鐘を叩くだけですが、海音の作では実際に火付けをします。
いったいどういう内容なのか、覚書をしておきます。
上中下の三巻です。

上は吉祥寺。
火事で焼け出されたお七は避難先の吉祥寺で吉三郎と出会い、深い仲になります。自宅に戻った後も思いはやむことなく、両親が寺に行くのに付いていく形で下女のお杉ともども出かけます。そして吉三郎と逢い、心を確かめ合ったあと、起請文を交わすことにします。ところが、そのお七から吉三郎に渡された起請文は萬屋武兵衛の手にはいってしまいます。
吉三郎の父、安森源次兵衛の家来、十内がやってきて、住職と吉三郎に向かって

    吉三郎を出家させよ

という源次兵衛の言葉を伝えます。源次兵衛は若殿の放埓の尻拭いをして罪を得て浪人しています。
吉三郎はお七のことがありますから、それはいやなのです。そこで家を再興するためにという理由で拒否します。

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彼岸 

今年の秋分の日は23日(火)でした。大学は授業がありましたけれども(笑)。ただ、私は火曜日は11月までは特に用はないので休むつもりでした。で、家で仕事をしようと思ったらUSBメモリがないのです。アチャ! 大学に忘れてきた! ということで、やむを得ず大学にいったのです。

    休日の早朝

は道がすいていて、普段なら33~38分くらいかかる道を30分足らずでいってしまいました。まもなく大学、というところで、信号待ち。ふと座席の横を見るとUSBメモリ。
前日の夜帰ったときうっかり車の中に放置してしまっていたようです。
いまさら仕方がないので、そのまま大学にいって勉強しました。ハイハイ、勉強がはかどってありがたいことでした。

別に休日に出勤簿に判を押したからと言って手当てが出るわけではありません。事務職員の人は休日手当って付くのかな? つかないとかわいそうではありますが。
私は職員組合にも加入していませんので、そういうこともさっぱりわかりません。
学生もかわいそうです。家族が休みなのに、一人だけ学校へ行くなんて。私が学長なら(笑)

    授業の日程

をもっと考えるのですが、学校というところもどこかお役所的で、なかなか動きませんね。

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好色五人女のお七(三) 

仕事がらみで『好色五人女』の内容についてあれこれメモをしています。お付き合いくださっている方、ありがとうございます。

さて、思いがけず吉三郎と再会したお七ですが、彼は凍えています。精一杯暖めてやるとなんとか元気になりました。ところがそこに父親が帰ってくるのです。
姪の出産を喜ぶあまり、それ産着を用意してやろうなどとはりきっています。お七は吉三郎を隠して父を早く寝かせようとします。さんざんてこずらせた父でしたが、やっと寝ます。しかしすぐ隣で寝ていますので吉三郎と話もできず、二人は黙って

    筆談

をして心を通わせあうのです。こうして夜が明けて吉三郎は帰っていきました。

お七はある風の強い日にまたあの日のように火事になれば吉三郎さんのところにいけるのだろうかと思いつめ、出来心を起こして火をつけてしまいます。幸い小火で収まりましたが、火付けは大罪です。しかも彼女は正直に自分が火をつけたと白状しますので

    火あぶり

にならざるを得ません。
神田の崩れ橋(昌平橋)、四谷、芝、浅草、日本橋などでさらしものになって、鈴が森でついに十七の春の花を散らせてしまいます。しかし彼女は思い込んでやったことなので、やつれることもなく昔さながらに黒髪を結わせてうるわしい風情をしていました。
この場面、実にあっけなく書かれています。今の小説なら炎の描写をしたりそれがお七の心理を細かく描いたりすると思うのですが、西鶴はそうはしませんでした。

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好色五人女のお七(二) 

お七はこの若者が小野川吉三郎という、由緒正しい浪人者で優美な男だと聞いて思いはいやまさりにまさります。吉三郎も思いは同じ、二人の手紙のやりとりは熱烈なものでした。
年が明けて十五日の雨の夜、亡くなった人がいたため僧侶たちが出かけていきます。雷が鳴るのですが、お七は「吉三郎さんに逢うのは今夜しかない」と思っており、「雷なんて怖くありません。失うものといっても命ひとつじゃありませんか」などと言っています。周りの人は「女だてらに」とささやきますが、この言葉は彼女の思いをありのままに伝えており、注目されます。

   恋は命にまさる

といわんばかりなのです。
お七はおそるおそる部屋を抜け出そうとしますが、うっかり人を踏んでしまいます。踏まれた女は怒るどころか、そっと紙を渡してくれたのです。今で言うならティッシュペーパーでしょうか。「これ、必要でしょ」といわんばかりです。何に必要なのかは書きませんのでご想像あれ。
吉三郎を探して方丈に行きますがどこにいるのかわかりません。すると台所にいた老婆があっちだよ、と教えてくれます。
時刻は八つころ。つまり午前2時前後です。
さて、雷が鳴るとか夜中に女が訪ねていくとか、どこかで聞いたような話です。どうもこのあたりは

    伊勢物語

をベースにしているように思われます。伊勢物語の第六段(いわゆる芥川の段)や第69段(いわゆる狩の使の段)などです。いわばお七の「いちはやきみやび」の行為なのです。まさに好色、色好みの世界です。
やっとたどり着いたのですがそこには小坊主がいて、「銭八十文と松葉屋のかるたと浅草の米まんじゅうをくれたらだまっている」というのでお七は簡単なこと、と約束して、吉三郎の枕元に行くのです。
「私は十六になります」「私も十六(実際は年が明けているので十七のはず)になります」などとぎこちない会話をしますが、雷が轟き、お七は吉三郎にしがみつき、お七はさらに狂おしいほどの情熱で吉三郎に抱きつくのでした。

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2014年9月東京公演千秋楽 

あっというまに東京公演は千秋楽です。
行きたかった・・・。もうこの言葉を何度言っているかわかりません。
「橋本」「引窓」は義太夫節の堪能できる演目。何度か書きましたが、私は越路大夫の「引窓」でポロポロ涙を流した覚えがあります。

    フォルスタフ

はどうだったのでしょうか。
原作が面白い芝居であることは間違いありませんし、特に喜劇系は文楽の新作にはよく映ると思います。
三味線がすごかったんだろうな、とまずそれを想像しています。また工夫されて大阪で、ということになるような気がします。
早ければ来年の夏休みでしょうか。
さて、文楽はこのあとスイスに行ったり日本の各地を回ったり。
そして次は

    11月大阪公演

になります。もうその頃は寒さも感じられる頃で、一年納めの大阪文楽です。
文楽を基準に生活していたら一年なんて飛ぶように過ぎていくでしょうね。

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明日から授業 

なんだかもう、あれこれ仕事があって落ち着きません。
授業が始まったらどうしよう、と思っていたのですが、なんと、もう

    明日から

始まるようです。
困った、困った。何もしていません。
日本語表現の話をする授業はまあ、何とかなるとは思うのです。
第一回は

    やさしい

という言葉について話しをして、日本語の豊かさや時代による変化などについて述べようと思っています。
「やさし(い)」というのは語源は「痩(や)す」つまり「痩せる」ことです。なぜそこから現在のように「上品で美しい」「情が細やかである」「温和である」などの意味になったのかを話そうと思っています。さらには「地球にやさしい」「財布にやさしい」と使われ得るのはなぜなのかについても学生に考えてもらえればと思っています。
もともとは痩せるような心になる、身が細るような気持ちになる、ということです。

    何をして身のいたづらに老いぬらむ
       年の思はむことぞやさしき(古今和歌集)

どうして無駄に老いてしまったのだろう、重ねてきた年がなんと思うかを想像したら身が細るほどはずかしい。
ああ、言われてしまった。私のことだ(笑)。

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秋風、身にしみて 

今年はうだる暑さが少なかったので、助かりました。
私の子供時代はせいぜいこれくらいの暑さだったような気がするのですが。
ここ数年、四季ではなく、

    二季

しかないような気候でしたが、今年は秋を感じます。
しかし、秋風はなんともわびしく、私など、年が越せるのか、今年も頭が痛いです。バイトはやはりありません。
いっそ、大学で、マッサージしますという看板でも挙げようかと思います(笑)。30分1500円でいいです。経営者に「おい、揉んでくれ」と呼ばれたら、倍額取った上でここぞとばかり痛めつけてやるのですが(笑)。
今は予備校も経営難で、私などお呼びではなく、新聞広告や情報誌を見てもまるで雇ってくれそうなところがありません。

    秋風が身にしみ

ます。そんなことばかりは言っていられませんのでせめて頼まれた仕事は頑張ります。
今も授業以外に雑用の文書作りをしています。

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好色五人女のお七(一) 

時代は時々偉大な人物をまとめて生み出すことがあるようです。一条天皇(在位986~1011)の頃にはごく狭い範囲の中に紫式部、藤原公任、清少納言、藤原行成、和泉式部らが次々に現れて独自の活動をしました。

    貞享や元禄

の時代にもまたおもに関西出身者が文学の世界で活躍しました。申すまでもなく俳諧の芭蕉(1644~94。伊賀の人)、浮世草紙の西鶴(1642~93。大坂の人)、浄瑠璃の近松(1653~1724。おそらく越前の人)です。芭蕉と西鶴はほとんど同じ時期を生きていますね。
私は江戸時代に詳しくなく、芭蕉もそんなに熱心に読んではいません。学生時代には芭蕉研究の大先生がいらしたのですが、もっときちんと教わっておけばよかったと思います。もっとひどいのが西鶴。まるで理解していません。

貞享の一つ前の年号は

    天和

です。1681年から1684年までのことです。この二年、つまり西暦でいうと1682年の暮(太陽暦では1683年の1月に当たります)に江戸で火事がありました。この年と翌年には他にも規模の大きい火事があったようですが、この十二月二十八日の火事はもっとも大きかったようで、「天和の大火」といえば普通これを指します。
未の下刻に駒込の大円寺という寺から出火したといわれ、本郷、池之端、上野、本所、神田、日本橋などを舐めるように焼いたようです。使者は3500人あまりといわれます。10万人以上が亡くなった明暦の大火(1657)ほどではないものの、やはり大惨事でした。芭蕉はこの大火の時深川にいてやはり火が及んだようで、其角の「芭蕉翁終焉記」には「深川の草庵、急火にかこまれ、潮にひたり苫をかつきて、煙のうちに生のひけん。是そ玉の緒のはかなき初め也。」と記されています。この火事は「天和三年冬」のことと記されているのですが、天和二年の誤りだろうといわれます。

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焼酎 

お酒は何でも好きなのです。学生の頃はスコッチとビールとワイン。日本酒はあまり味わいがわからなくて、特に好みませんでした。今、うちの長男が日本酒はからいと思っているのと同じ感じです。
子どもだったのですね、その後

    日本酒に目覚め

て、今ではほんとうにおいしいと思います。酒どころの西宮や神戸、伊丹のすぐそばにいて、4年間暮らした広島もまた酒どころ(西条や三原)です。好きになったらあれこれのめる嬉しさがたまりません。時々書きますように、私は白鷹を愛飲しています(というほどわかってはいませんが)。
最近は節約のためほとんど飲んでいませんが、ごくまれにビール(たいていサッポロ)や白鷹や安いワイン(やっぱり安物になります)を飲むといい気持ちになります。
毎年正月には白鷹のほか、呉春、剣菱、菊正宗などを順に飲んでいます。来年は

    呉春

を予定しています。私の場合は大吟醸とか特別なんとかとか、そういうのではなく、一番安いものを選んでいますが(笑)。
ビールは、以前はいろいろ飲んだのですが、最近はサッポロに落ち着きつつあります。といっても、年に数回しか飲みませんが(笑)。

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信貴山 

絵巻物が面白くて仕方がありません。
『伴大納言絵巻』のほかにも『源氏物語絵巻』『粉河寺縁起絵巻』『吉備大臣入唐絵巻』『北野天神絵巻』などいろいろありますが、このほかに忘れてはならないのは

    信貴山縁起絵巻

です。私が小学生か中学生くらいのときに記念切手にこの絵巻の一部が採用され、それを観たときの印象はただならぬものがありました。それ以後、この絵巻には強い愛着があります。『伴大納言』より出会いは古いのです。
信貴山の朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)に伝わる絵巻物で、このお寺がどういう縁起を持つのか(どういう謂れで建てられたのか)について、奇跡的な話を描いています。
『古本説話集』『宇治拾遺物語』に「信濃国聖事(しなののくにのひじりのこと)」という話があり、それと同じ話をもとにして描かれています。
細かいことは面倒なのでごく簡単に内容を書いておきます。
信濃国の命蓮(みょうれん)という僧が東大寺で受戒して、そのまま大和に留まることにして信貴山に堂を立てて毘沙門天を祀ります。
彼は下界の長者の家に鉢を飛ばして米をもらっていました。いわゆる托鉢ですが、法力でそういう奇跡を起こしたのです。
ところが、金持ちはケチですから、そのうちに鉢が飛んできても長者は知らん顔をして、米蔵の中にほうっておきました。すると鉢が倉ごと山に飛んでいってしまったのです。長者は米を返してほしいと頼みに行き、命蓮は倉はそのままにして米だけは長者のところに返しました(米俵が空を飛ぶのです)。
時の天皇、醍醐帝が病気になりました。朝廷では徳の高い命蓮を頼みにしますが、彼は山を降りる気はなく、「山で祈祷をして帝の病が癒えたときには『剣の護法』という童子を遣わしましょう」といます。すると帝の夢に剣の護法の童子が現れ、病気は癒えます。帝は命蓮に僧正にするといいますが、命蓮は位などいらないと辞します。
この「剣の護法」こそが私が子供の頃に見た切手のデザインになっていたものです。
命蓮の姉が弟を案じて奈良東大寺まで来ます。大仏殿の前で、信貴山を訪ねるようにという夢を見ました。尋ねてみると弟がおり、二人はそこで仏に仕える暮らしをしました。

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野菜は植えられるのか? 

8月から9月にかけてかなり忙しかったため、秋植え野菜について調べる余裕がありませんでした。
なにしろ土日もなくばたばたとしていましたので、買い物といえば「ホームセンターで野菜の種」ではなく「スーパーで野菜そのもの」でしたから(笑)。

きゅうりは8月末以降もう実は大きくなりませんが、花はけなげに咲き続けていて、まだ蔓も伸びようとします。いじらしいので(笑)すっかり観賞用になっています。ミニトマトもまだ花は咲きますが、そろそろ弱ってきました。
続いて何かと思ってはきたものの、何も準備をしていません。
大根が好きなので作ってみたいのですが、プランターがやや浅めで、時期も遅くなってきましたのであきらめました。
このままだと去年のように何もしないままになってしまいそうですので、一昨年小松菜を植えたように、今年は

   ホウレンソウ

などを植えてみようかなと思ったりもしています。
これなら少しずつ時期をずらして蒔いておけば少しずつ長く収穫できそうです。
もうひとつ考えられるのはマメ。

    エンドウ

もまだ間に合いそうですので考慮中。
いや、考慮しているわけではなくて、なかなかホームセンターにいけないので行ける日を待っているだけなのです。

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おにぎり 

夏に連日食事を作っていました。
いい勉強になりました。なにしろ物の値段もあまりよく知らない生活をしていますので、スーパーの野菜売り場にいったことで発見がありました。今年はキュウリが結構高かったですね。自家製キュウリをもっと植えておくべきでした。
そのほか、日照時間不足などで野菜は概して高めでした。
ものを無駄にすることが嫌いな私は食べ物を捨てるなどもってのほか。残り物はすべて自分で食べました。ご飯の残りは

    おにぎり

にして仕事場に持って行きました。
どうも量がわからずに作るものですから、最初小ぶりのものを作ってしまって、残ったご飯でもう一つ作るとやたら大きくなた利して。どこまでも不器用なのです。
おにぎりというと、奈良の幼稚園で文楽人形を見せる行事をしている中で「おべんとうばこのうた」をよく歌います。
いつぞやツイッターで、「おにぎり おにぎり ちょいとつめて」の部分は「おにぎりを 握り ちょいとつめて」が正解です、というまことしやかなついぶやきがやたらリツイートされていました。実際は「おにぎり おにぎり」でいいようです。またほかにも歌詞には微妙に異同があって、たとえば「きざみしょうがにごましおふって」と「きざみしょうがにごまふりかけて」、「にんじんさん さくらんぼさん」と「にんじんさん さんしょうさん」などがあります。こういうのは適当に変えたっていいと私は思っていますが、今は

    著作権

が幅を利かせていて、何かと難しいようです。昔はそんなものありませんから、勝手にパクったり、パロデイにしたりすることができて、それはそれでおもしろいものでした。他人の論文を自分が書いたように注記なしで引用するのはいけませんし、学生がリポートにWikipediaを丸写しするのもダメですが、山椒よりさくらんぼのほうが子どもは好きだよね、という具合に勝手に変えて歌っても「けしからん!」とは思いません(本来はどっちが正しいのか知りませんが、「さくらんぼ」をあえて「山椒」にかえることはないのではないか、と思います)。

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秋の京博 

京都国立博物館は七条通りをはさんで三十三間堂の前にあります。
京阪七条駅から歩いていくか市バスで三十三間堂前まで行くかが普通の行きかたでしょうか。
私は以前は京阪派だったのです。しかし京阪が地下にもぐってからはほぼ使わなくなり、市バスか時には四条から歩いて行きます。
祇園から建仁寺、六波羅蜜寺へ出ればもう五条。豊国神社はもう博物館の裏です。
この秋は個々が大変な賑わいになりそうです。

    平成知新館

がオープンし、「京へのいざない」展が昨日から始まりました。
法然上人絵伝や餓鬼草紙、古今集本阿弥切、和漢朗詠集断簡、伝源頼朝像、伝平重盛像などなど、びっくりするようなものが出ます。
そして10月7日から11月24日までは

    鳥獣人物戯画

が全巻展示されます。
なんというすさまじさでしょうか。これを見逃すと一生の不覚。私は毎日でも行きたいです。

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スタンデイングオヴェーション 

すっかりツイッターから遠ざかってしまって、それでなくても現代の世の中の動きに疎いのに、ますます時代遅れになっています。
最近は平安時代の住人と自称しておりますのでそれでもあまり不自由はないのですが、やはり知っておいたほうがよい話題はありそうです。
テニスの神和住選手が、え? 違う? ああ、錦織選手が全米で準優勝したなんて、やや遅れて知ったくらいです。
私、学生時代にちょっとだけテニスをしていたことがあって(何でも少しずつかじる癖があります)、ビョルン・ボルグとかジミー・コナーズ、女性ではクリス・エバート、マルチナ・ナブラチロワなどの映像をよく見ていました。好きだったのは

    ボルグとエバート

でした。エバートは一時やはりテニス選手だったジョン・ロイドと結婚していて審判が彼女に「Mrs.Lloyd」と、なんだか衣類の防虫剤みたいに呼びかけていたことを思い出します。
それはともかく、錦織選手はすごいですね。男子が四大大会の決勝まで行くなんて、以前は夢のような話でしたから。次はきっとどこかで優勝を。
そんなこともツイッターを見ていればほぼリアルタイムで情報が入ってくるでしょうから、時には見ないとダメかなあと反省しています。
文楽では

    9月公演

の話題がきっとあふれていたのでしょう。文楽技芸員は明らかに世代の変わる時期に来ていますが、寛治師匠が休演されて人間国宝6人のうち3人までが舞台に上らない状態になっています。
燕三さんのご様子も全然知らないままです。文昇さんについても気になっています。

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味覚 

私の子ども時代は食べることが生きがいでした。なにしろ三人兄弟でしたので

    生存競争

は激しく、負けていられません。幸い兄も妹も量より質のタイプで、私は一人その逆でした。
生活は楽ではありませんから、高級品は出ません。だから兄は仕事をして稼いで、おいしいものを食べたいといっていました。妹は玉の輿に乗っておいしいものを・・・といっていたかどうかは覚えていません。
そんな生活をしていたからか、私はぐんぐん背丈が伸びて、高校生の時に兄を抜きました。当時兄は地方の学校に行っていましたので、久しぶりに帰ってくると私が追い抜いていて、びっくり。ところが兄はあるとき「このコート、

    小さくなったから

お前、着ろ」といって捨てるのももったいないコートを置いていきました。兄の好意を無にできない心優しい(笑)私は何もいわなかったのですが、兄が小さくなったものが背の高い私に合うわけがありません。ためしに羽織ってみたら背中が反ったまま動かなくなってしまいました。兄も後で気がついて「しまった」と思っていたかもしれません。
今兄は私よりたぶん13~4cm小さいと思います。
しかし、量より質の兄は見事に小金をためてそこそこ贅沢をしているようです。私は貧乏性がそのまま続いています。
よって必然的に私は味覚が鈍いのです。おまけに耳の病気のために神経がいつなんどきやられるかもしれず、あるとき医者は「あなた、もう味覚はないんでしょう?」とまで聞いてきました。

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書けました 

この半年あまり折に触れて勉強してきたものについて、なんとか考えをまとめておこうと思っていました。
この夏休みはほぼそれに費やしたといってもよいくらいでしたが、なにしろ

    日本美術史

の関係なので、私は門外漢。必死になりましたが調べても調べてもわからないことが出てきて、何度も挫折しそうになりました。しかし執念深さだけは人さまに劣ることはないものですから、最後の一日まで頑張って書きとおすことができました。
そして締切当日の昨日午後に無事提出しました。
今は原稿用紙に書くのではなく、印刷が簡単なように実際の雑誌の書式にあわせて提出するうえに私の場合は図がたくさん入りますので、原稿用紙何枚、というのは厳密にはいえません。およその見当で言うと、

    55枚プラス図

というところでしょうか。「プラス図」と言ってもかなり数が多いものですから、指定された分量(原稿用紙60枚分)を最後の1行まで使い切ってしまいました。
当初はそこまで書くつもりはなかったのですが、だらだらと書いているうちにこんな枚数になってしまいました。
論文とは名ばかりで、ほとんど学生リポートと同じようなレベルです。
そんなものをなぜ書いたのか、といわれるかもしれませんが、それには理由があります。

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100円寿司 

先日、長男の誕生日がありました。
今でも思い出します。水曜日の夜に突然生まれそうだということになって当時私は運転免許を持っていませんでしたので、タクシーを呼んで産婦人科へ。翌日の昼にやっと生まれました。何となく女の子だと思い込んでいまして、名前も女の子のそれを考えていたのです。
ですからもうびっくり。あわてて

    『論語』

をひっぱり出してきて、その中から彼に望むことを表すような一説を探し、そこに用いられていることばを名前にもらうことにしました。孔子さん、ありがとうございました。
女の子は和歌から、と考えていたので、比較的私の得意分野。さすがにいろいろアイデアがあったのですが、『論語』は苦手ですから数日間頑張って勉強しました。
『論語』にこだわったのは、平安時代の人はこの書物から名前を取ることがしばしばあったので、それにあやかったのです。
彼が生まれた直後にあの

    厳島神社

の台風被害がありましたので、よけいによく覚えています。
で、もういい歳なのでお誕生日のケーキもなかろうと思って、何か食べに行こうかと言ったところ、やはり生活が貧しいですね(笑)、久しぶりに回転すしに行こうという話になりました。

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月のひかり 

昨日は中秋の名月だったようです。
旧暦ですと八月半ば。もう秋のまっただなかです。
太陽の光は明るすぎて、太陽がどんな姿をしているのかはよくわかりません。いや、現代科学をもってすればよくわかるのでしょうが、私のように

    平安時代

に生きているものにとっては謎なのです。
朝日や夕日を観るとどうやら丸いらしいということはわかるのですが、色や模様はどうなっているのか、観察できません。
それにひきかえ月は実によくわかります。
世界各国であれはカニだとかウサギだとかいわれる模様まで見えます。それだけに昔から愛されてきました。
「名月」はありますが「名日」はありません。和歌でも月は詠まれますが日は詠まれません。
漢詩では白居易の「八月十五日の夜、禁中に独り直し、月に対ひて元九を憶ふ」があります。
  三五夜中 新月の色
  二千里外 故人の心
と白居易は友人元九を思って詠みます。十五夜の月を見ながら二千里離れたところにいる旧友を思う、というのです。
私ももう会えなくなってしまった友人がいます。満月を観るとやはりこの白居易の気持ちがわかるような気がします。
白居易が子を亡くしたあと妻に贈る詩にはこんな一節もあります。
  月明に対ひて往時を思ふなかれ
  君が顔色を損ひ、君が年を減ぜん
月を見て昔を思ってはいけない。君の顔色を悪くして年を取らせてしまう、というのです。
なんだかどちらも哀しいです。
陰とされる月には何かそういう寂しさを誘うものがあるようです。
以前竹取物語について書いた時に、月を観ることは忌むことである、という当時の考え方をご紹介したこともあります。何か不吉な感じもあるのですね。

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夏の疲れ 

この夏はいささか頑張りすぎました。
ここ数年、まるで何もできないまま時間が過ぎるばかりでしたので、夏こそかきいれどき、といいながらほとんど勉強できない日々を悶々としながら送ったのでした。
今年はいくらか動けましたので、逆にあれもこれもと欲張ったのです。
とはいえ、目標としていた仕事がすべてできたわけではありません。
ざっと

    6割

と言ったところでしょうか。
やはり生来の怠け癖はどうにもならないようです。
改めて感じたのは、締切というものの重要性です。これがあるからできるという面があります。
私は締切は守る主義なのですが、それは掲載誌などに迷惑をかけるから、という理由とともに守ることで自分を追いつめるためなのです。
以前編集をしていた時は、それだけにけっこう厳しい編集者(笑)で、

    原稿の催促

はきちんとしました。
人に催促する限りは自分はきちんとしなければ、ということになりますので、編集の仕事も役に立ったと思います。
今書いている原稿は10日締切ですが、無事に期限内に出せそうです。

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ひらめく 

電車散策お花摘み。
私がものを考えて何かがひらめくのはこういうときが多いような気がします。あとは寝る前かな。
ただし、ひらめいたことのうち90%は結局はたいしたことではなかったり間違っていたりで役には立たないのです。
それでも10%役に立つならたいしたものだと思います。
電車に乗っていると降りる駅さえ意識していればあとは

    ぼや~っと

ものを考えていても目的地に着きます。ですから、メモを持ちながら考え事をしていることが多いのです。本を読んでいることもありますが、考えていることのほう多いですね。最近は電車の中ですることといったらケイタイをさわることが当たり前になっていて、電車に乗ってあたりを見回すと8割がたケイタイ、スマホを操作しているように感じることもあります。
新聞を広げて読んでいた人たちはどこへいったのでしょうか。
私はその中でひとりぼんやりしているので、他人から見たらちょっとおかしいかもしれません(笑)。

歩くのもいいです。それも

    長距離

が望ましいですね。先日山本能楽堂に行ったときは実は地下鉄は使わずに歩きました。片道約40分、ぶらぶら歩くのです。東梅田から天神橋を目指して行きます。西天満とか菅原町などという地名は何だか嬉しくなります。
土曜でしたので人も車も少なく、これが大都会大阪なのかというくらい閑散としていました。車に気をつけさえすれば、この40分は大きいです。たいてい何か思いつきます。

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2014年9月東京公演初日 

秋になりました。9月は文楽東京公演です。
この公演は新作が出ることもあって、三部制です。
そして料金がバラバラ。面倒かもしれませんが、内容によって料金を変えるのはひとつのあり方だとは思います。
演目は次の通り、。

<第一部>11時開演
 双蝶々曲輪日記(堀江相撲場、大宝寺町米屋、難波裏喧嘩、橋本、八幡里引窓)
<第二部>4時開演
 近江源氏先陣館(和田兵衛上使、盛綱陣屋) 
 日高川入相花王(渡し場)
<第三部>7時開演
  不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)
   シェイクスピア=作 「ヘンリー四世」「ウィンザーの陽気な女房たち」より
   鶴澤清治=監修・作曲  河合祥一郎=脚本
   石井みつる=美術 尾上菊之丞=所作指導
   藤舎呂英=作詞
  
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なつやすみ の おえかき 

小学生並みの夏休みを過ごしました。宿題がいっぱいで、ひとつは自由研究、これは先日書きました。
もうひとつは

    お絵かき

の宿題でした。
ほとんど漫画家なのではないかというくらいいろいろ描いていました。
もっとも創作ではなく写すだけの仕事ですから、単純作業ではあるのですが。なぜこんなことをしているかというと、書いているものに参考資料として付けるためです。「そんなの写真でいいでしょう」とおっしゃるかもしれませんし、実際そのほうが手っ取り早いのです。
しかし、私が扱っているものは原本がかなり傷んでいて、写真版ではもうひとつはっきりわからないこともあるのです。巻物ですので、巻き皺もあります。そして、巻き皺か絵の具なのかわからないこともあります。たとえばこんな人物がいます。

笑っている(?)女房

彼女はどんな表情をしているのでしょうか? なんだか大きな口で笑っているように見えませんか? でも実際は紙の皺のせいで、おそらく本来こんな顔をしていたのだろうと思います。

模写15 報告する左大臣家の女房

つまりほとんど表情がわからないのです。こんな具合に、原本の写真を使うとかえってわかりにくいこともありますので、模写しているわけです。

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追い込みです 

もうあまり原稿を頼まれることもなくなりましたが、書きたいことはいろいろあるのです。
ただ、私のような者の書くものは、書くまでにかなりの準備が要るので、大量に書くのはなかなか大変です。もちろん優秀な方はあっというまにたくさんの原稿を書かれますが、私にはそんな能力はありません。
今回もあちこちの図書館を巡って、そのたびに多くのメモやコピーを取ってきました。といっても、実際必要なのはその一部に過ぎず、いわば

    無駄

が多いのです。でもその無駄があるからこそ必要なものが残るともいえるので、しかたがありません。
こういうことはどんな世界にもあることだと思います。無意味なことをして、その中から意味のあることを拾い出す。だいたいそんなものではないでしょうか、どなたも。
私は日本の古代和歌や古記録(貴族の日記)を主に勉強してきましたが、それではそれ以外のことは何もしなくていいのかというとそういうわけにはいきません。学生時代には

    美術史

のゼミも選択して、何もわからないのに古代美術の先生やその道の大学院生にいろいろ教わりました。
それ以来、心のどこかで日本の美術に関心を持ってきました。私だけではなく、だいたい古代文学を勉強していると装束、美術、工芸など周辺のことに関心を持たざるを得ないという面があります。

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なつやすみ の じゆうけんきゅう 

ことしの なつやすみの じゆうけんきゅうは うぇぶで れしぴをしらべて いんすたんとでない りょうりをつくることでした

というわけで、まるで料理のできない私がいろいろ作ってみました。
今はウェブでレシピサイトがありますので助かります。図書館で借りようかと思っていた料理の本なんて全然要らないですね(買う気はさらさらない)。
材料から、メニューから、などいろいろな角度から検索もできて、難易度の低そうなものから(笑)手当たり次第にプリントして、残り物から片付けてさらに必要なものを買い足して、基本的にレシピに書いてあるとおりにする

    しろうと料理

です。
私は、これまでにも書いたことがありますが、おそろしく料理下手です。グルメではなく、味覚はおそまつで、高級なものは食べ慣れない。ですから、何がどうおいしい、というのがわかりません。とにかく言われたように作るほかはないのです。
メニューは、料理を普通になさる方からご覧になれば

    あほらしい

ほど陳腐なものばかりだと思います。こういうものでさえ苦労する私を笑ってください。
たとえばカレー、あるいは酢豚。こういうものは冷凍食品やレトルトがありますので食べようと思えばすぐにでも食べられます。しかし、課題は自分で作ることなので、そういうものは使いません(ただしカレーのルーは使います)。野菜を切ったり、ソースを作ったり、炒めたり、茹でたり・・・ということをするだけの勉強ですね。
カレーにはプランターで作っているミニトマトをたっぷり入れました。野菜はジャガイモ、ニンジン、オクラ、タマネギだったかな? とにかく大量に入れました。肉は奮発して(笑)ビーフ。
酢豚は最近はケチャップを多めに使うレシピが目立ちますが、それは控えめにしました。お酢はたっぷり利かせましたが、片栗粉がやや少なかったのか、とろみがいまひとつでした。
たこ焼きなども作りました。それは手抜きだろう、って? たしかにそうかもしれませんが、それでもいろんなレシピを見て生地の作り方からいろいろ考えたりしました。キャベツを入れることが多いようですが、私は入れません。タコは大きめ。ネギ、ベニショウガ、天かす、エビでわりあいにシンプル。

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素人の浄瑠璃 

今年の夏はいくらか気温が低く、神戸でも大阪でも8月に猛暑日はなかったようです。月末はすっかり秋らしく、例年ですとぐったりしてしまうのですが、今年はそうでもなくて助かりました。
そんな8月30日(土)は昼から約7時間、大阪市中央区徳井町の

    山本能楽堂

で豊竹英大夫さんの義太夫教室に参加されている方々による発表会(第9回はなつる会)がありました。
山本能楽堂は昭和2年に山本博之氏によって建てられた能楽堂で戦災に遭いましたが、再建されて今に至っています。こじんまりとした客席が舞台と近くとても親しみのもてる能楽堂です。
ここで英大夫さんが長らくなさっている義太夫教室のお弟子さんが年に一回発表されるのです。今年の出演者はなんと

     42人!

この日のトップバッターは噺家の桂南光さん。酒屋のお園のクドキをなさいました。
ほかに「千本の道行から忠信物語」「平太郎住家」「壺坂のお里のクドキ」「鳴門」そして「太功記」十段目の「残る莟の花ひとつ」から大オトシまでを細かく切って連続して語られました。
私も英大夫さんの奥さまからご案内をいただきましたし、それでなくても行きたいと思っていたものですから、時間の許す限りお邪魔してきました。
三味線は

    竹澤団吾さん

と鶴沢清丈’さん。プロの方に弾いていただいて語れるなんて何たる幸せ。私も本当に習いたかったです。
受付には英大夫夫人。プログラムと靴入れを用意してくださっています。
語っている方が終わると中に入れます。ですから、5~6分待つことがありますが、これは当然のことでしょうね。
中に入るとなかなかの盛況で、私が行ったときは60人ほどが客席にいらっしゃいました。
橋がかりのすぐそばに師匠がいらして、休憩時間以外はずっとそこにいらっしゃいます。

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ひとり旅 

旅をしたい、といつも思っています。
電車に乗って、それも新幹線ではなく

    在来線

に乗って初めての場所に行きたいです。
四国の電車に乗りたい。四国に行くときはいつも車なので、予讃線とか高徳線とかぜひJRで旅をしたいのです。
鳥取や島根も山陰線の鈍行で行ってみたい。北海道なんてJRだとどんな感じがするのか、興味があります。

学生時代、お金がありませんから、名古屋に行く場合は近鉄でした。東京に行くのもできる限り在来線を使いました。朝早く出て、米原あたりまでは新快速や急行(今はもうありませんが)で行き、さらに在来線を乗り継ぎました。浜松あたりで途中下車して散策したり、富士山をゆっくり眺めたり。帰りは夜行の大垣行きでそこからまた在来線で、というコース。
広島に勤めていた時もお金がありませんから、よく在来線で行き来しました。月に一回、研究会が京都でありましたので、出張旅費ではとてもまかなえなかったのです。当時出張旅費は年間8万円だったかな? 東京に一回行ったら大半を使ってしまうという金額しか出してくれなかったのです。
鈍行は生活電車ですから、乗ってくる人の

    方言を聴く

のがおもしろく(播磨、岡山、備後、広島・・・と少しずつ変化していくのです)、また歴史のある駅名に触れるのも大きな楽しみでした。神戸の西側、「朝霧」「明石」なんて兵庫県民にとっては珍しくない地名ですが、海を眺めながら電車に乗っていると

    ほのぼのと明石の浦の朝霧に
          島隠れ行く舟をしぞ思ふ

などという古歌が口をついて出ます。
「和気」「吉永」「尾道」「八本松」・・・いい名前です。
新幹線は「時間のかかるどこでもドア」のような感じがして、「旅」をしているという気持ちになれません。

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