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さらば、ツイッター 

・・・というのはおおげさなのです。まだツイッターをやめたわけではありませんから。
しかし最近、あまり見る気がしなくなっています。
どう考えても超インテリと思われるような

    有名人

たち、早い話がマスメディアに重宝されている人たちの発言が気になって仕方がありません。
もうあの大阪市長のつぶやきをリツイートする人はいなくなりましたので平和ですが(笑)、ほかの「有名人」たちのものがよく流れてきます。
何をおっしゃろうと自由なのですが、私とはことばの使い方が違うので、読む気にならないくらいです。それでも、わずか140字というのが災いして、見た瞬間に読めてしまうため、そのたびごとに不愉快な気持ちにさせられます。要するに、なんであんなに偉そうにものが言えるのだろう、ということです。あるいは140字のために簡潔を旨として言いたいことをいうからそうなるのかもしれませんが、それにしてもひどいです。
反論する人が出てこようものなら平気で

    バカ者扱い

しています。誰だと思ってるんだ、という口吻は見ていて不愉快なだけでなく、「この人は自分が周りからどう思われるかも分からないのだろうか?」と心配に(笑)なってくることもあります。
インテリの皆さん、あなた、たいしてえらくありませんからね。

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ブログは便利 

来月お話をするために、八百屋お七の勉強を続けています。

西鶴や海音の作品を読み返したり、史跡をチェックしたり。実説が分からない、というか、お七に関する史料がほとんどないので、

    文学、演劇

の世界でお話をしようと思っています。
しかし何度読んでもすぐに忘れるお粗末な頭しか持ち合わせておりませんので、「え~っと、あれはなんだっけ」ということがしばしばあります。
自分で自分の能力はもう分かっていますので、常に何らかの策を用意しています。
そんなときに役に立っているのが実はこのブログなのです。
自分で

    ブログに書いたメモ

を使ってレジュメやパワーポイントを作る。とても便利です。
なにしろ調べtことをぱっとコピペすればいいのですから。しかもいちど皆様のお目にさらしてあるので、ひどい間違いがあればきっとご指摘いただいていたと思いますので、その面でもいさっさか安心してコピペできます。
そのために9月あたりからずっとお七について書いてきました。

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久しぶりの不調 

7月の末からわりあいに自由に動ける日々が続き、この夏はかなり楽でした。
いつまで続くのだろうと思っていたところ、そろそろ雲行きが怪しくなってきました。
私の体調を数値で簡単に調べる指標があるのですが、この夏は正常そのものでした。しかしここ数週間、じわじわと下がってきているのです。
医者は気温が下がってきたことと、やはり

    ストレス

のせいだと言います。
今の不愉快な仕事場にいる限りはストレスが収まることはないだろうと思いますが、だからといってハイさようならというわけにもいかず、そんなことを考えるとさらにストレスがたまる(笑)という悪循環です。
いえ、学生は不愉快ではないのですよ。彼らとはうまくやっています。ろくでもない経営者が不愉快なだけです(笑)。
幸いまだ歩くことはできますし、授業もなんとかこなしています。
しかし後期はまだ半分にもならない上、これから市民大学だの公開講座だのという

    小銭稼ぎ(笑)

の仕事がやってきます。

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図書館への道 

図書館に通うのが週末の恒例になっています。

いつも申しますように本を買うお金がないので、ひたすら借りています。
先日も書いたのですが、もうひとつの目的は

    歩くこと

です。このあいだ時間を計ってみたら、最寄のA図書館まで片道20分、少し遠い(と思っていた)B図書館までは22分で、ほとんどかわりません。
B図書館は川を越えていきますので、なんとなく遠いような気がしていたのです。私の住む町は川を挟んで二つの町が合併したところですので、川を越えると違う町に行くような、なんとなく遠い印象を持ってしまいます。
往復するとA図書館が40分、B図書館は45分ほどですから、10月ならまだ汗ばむくらいになります。
私は1分に115歩のペースが基本ですが、途中に信号がありますから、どうしても少し遅くなります。40分なら4000歩強、45分なら5000歩弱というところでしょうか。ときどき、午前中はAに行って、午後はBに行くということもあり、図書館をうろつくのを含めるとこれでほぼ

    1万歩

になります。なかなかいい運動です。

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歩数計の復活 

日々牛歩なのであります。
最近いささか体調が下降しているのが気になります。
こういうとき、歩く方がいいのか、やめたほうがいいのか、難しいところです。

この夏から秋にかけては、よく歩きましたが、いったいどれくらい歩いたか、よくわかりません。以前は歩数計を付けて記録することでさらに歩く意欲を駆り立てていましたが、とんとそういうこともしなくなりました。
これくらいの時間歩いたから、多分○○歩くらいかなぁ、という

    アバウトな

ことは考えていましたが。
伴大納言絵巻を勉強していると、右兵衛舎人という、かなり身分の低い役人が、大内裏の右兵衛府から七条の家に帰る、という場面が出てきます。
大内裏の南門である朱雀門は二条大路に面していますので、だいたい二条城の位置を思い出していただき、そこから本願寺さんの南まで歩いて帰る感じです。二条あたりは高級住宅街なので、舎人風情は住めなかったのです。七条のどのあたりに住んでいたのかはわかりませんが、3~4kmでしょうか。6000歩は歩くのではないでしょうか。とすると往復だけで12,000歩。
彼の家は長屋のようになっていて、七条界隈は下町というか、いかにも庶民的な町です。
一条、二条、せいぜい三条あたりに住む上流階級の貴族は、車や、急ぎのときは馬に乗って行きますが、遠くに住む彼らは歩くしかありません。こういう

    不条理

はいつの時代も同じですね。

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図書館の未来 

頻繁に図書館を使っています。
公立の図書館は昭和40年前後から貸し出し中心のサービスがおこなわれるようになって、利用者数が激増しました。
図書館がいかに利用されているかも、貸し出し数が指標になることが多いようです。
最近ではレファレンスサービスが重要になってきており、図書館が地域の情報拠点になることが求められつつあります。
その意味では従来の

  趣味のために本を借りる

ところ、という姿から脱却することも必要になってきます。図書館司書は貸し出し業務に従事するだけではなく、

  調べ物ののお手伝い

という役割が増大することが重要だと考えられてきているように思います。
そのためには司書の待遇改善も大事でしょう。
しかし、現実には、大きな図書館はともかく、私が普段使っているような小さな町の図書館ではなかなかそこまではいっていないのではないかと思えます。
私は美術関係の文献を読みたいことがあって、比較的それが揃っている地元の図書館に行くことが少なくありません。そこでは書庫にある研究書を取り出しいてもらうこともしばしばなのですが、司書さんがものの分かっていない人では困ります。さいわいうまく対応してくださっているのでありがたいのですが、この部屋(図書館の一角にある美術専門の特別な部屋)の司書さんはやはりそれなりに美術に関心のある人が好ましいと思います。

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下品 

学生は思わぬ質問をしてきます。
私は彼らとコミュニケーションを図るために、何でも質問してください、といっています。
以前は「6月6日にUFOが来るって本当ですか?」と聞かれたので、「それ、ドラえもんの絵描き歌でしょう」と言って、授業中に黒板に絵描き歌を歌いながらドラえもんを描いたこともありました。

  ♪ろくがつむいかに UFOが~ あっちいってこっちいって 落っこちて~

なんてね。
大学のエライ方がご覧になったらなんとおっしゃるでしょうね(笑)。
側室の話をしたら、「もし、先生が天皇で、男子ができないとして、周りの人が『側室を置きましょう』と言ったら、どうしますか?」という質問もありました。「それは断ります。それで皇室が絶えても仕方ありません」と、かっこよく答えておきました。ただし、そのあとに、皇室が日本文化に果たしてきた役割などを話して、やはり皇室は途絶えてほしくはないし、男子でなければならないというのは皇室典範のいう決まりに過ぎないので、工夫する方法はあるはず、とは言いました。
「愛人と二合さんとおめかけさんはどう違いますか?」という質問も。ここは米朝師匠の

    「算段の平兵衛」

のマクラをお借りしてしのぎました。「めかけとか、てかけとか言いますが、目ぇかけるか、手ぇかけるかの違いで、やることはおんなじこってす。昔は二合はんのことを『こなから』とも言うたんやそうです。一升の半(なから)が五合、その半分が『こなから』でっさかい、二合半、二合はん、と、こないなってますねん」

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源氏物語、実施します 付840000 

就職の時にお世話になった先生に大阪教育大学名誉教授の

    森一郎 先生

がいらっしゃいます。
森先生は直接の恩師ではありませんが、学会を通していろいろ教えていただき、そのご縁で「君、ここの大学で働かないか?」と紹介していただいたのでした。
私などが大学教員の職にありつけるわけがないと思っていましたので、ほんとうにありがたいことと感謝しております。森先生は教育大を退職なさったあと、今度は「同僚」として5年間ご一緒させていただきました。
その後さらにもう一つ別の大学の教員をなさって引退されましたが、長らくカルチャーセンターや大学の公開講座で

    源氏物語

の講読をお続けになってこられたのです。
先生は源氏物語の専門家で、ご著書もいくつもお持ちです。
ところが今年、84歳にして亡くなり、とても寂しい思いをしております。しかし寂しいのは私だけではありません。
公開講座の受講生の皆様もきっと寂しい思いをしていらっしゃるだろうと思うのです。

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着こなし 

着るものはいくら高価なものであっても着こなしがよくないとっさっぱりです。
私は高価なものも持っていないし、着こなしセンスはゼロなので、ほんとうにファッションとは無縁だと恥ずかしい気持ちです。
着物を着たいという希望はあるのですが、おそらくとんでもなく似合わない(着こなせない)だろうと思っています。そもそも着物がありませんし(笑)。
文楽の技芸員さんが楽屋で

    浴衣姿

でいらっしゃるのもいいですし、きちんと着付けをしていらっしゃるご様子もまたすばらしいものです。ああいうお姿を拝見しただけで「技芸員にならなくてよかった」と変な感想を持つのであります。
不思議なもので、やはり若い人はあまり似合わなくて、次第に着慣れてくるとさまになりますよね。

私は着物はもちろんですが、洋服も着こなせません。びしっと決まっている人を見るとうらやましい気持ちになります。
以前はそれでも

    パーティ

に行ったり、何らかの集会があったりしましたから、まったく無造作というわけには行かなかったのです。最近はそういうものが何もありませんので(笑)、よけいにおそ松君にになっています。

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リスク 

何とか体調を維持したいと、できる限りのことはしようと思っています。
たとえば、早寝早起きをして、運動を適当に続けて、余計なものは食べずに必要なものだけ食べて、寒さに気をつけて、手を洗い、うがいをし・・・。
我ながら涙ぐましい(笑)努力です。
早寝早起きは特に苦労はしません。普通にしていればできます。今は10時を過ぎたらできるだけ仕事はやめるようにしています。朝は6時には確実に起きています。多少夜遅くまで起きていても

    勝手に

目が覚めてしまいます。
運動は一人でできる散歩くらいです。無理はしません。
このごろ、食事以外は何も食べないという生活をしています。ひとつには薬の副作用で無駄な脂肪がつくためにそれ以上にはならないようにしているのです。もちろん、栄養失調にならないように少なくとも朝晩はきちんと食べています。しかしさすがにおなかは減ります。いわゆる

    小腹がすいた

状態のときには軽い飢餓感を覚えます(笑)。

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入試の季節 

私が高校生の時、大学入試なんて、年が明けてから始まるものと思っていましたが、実際は年内に推薦入試で合格が決まる人もいたのです。今でも覚えているのですが、同級生が兵庫県立の大学に推薦で入ることになったという話を聞いて、感心するやらびっくりするやら、ということがありました。いわゆる偏差値でもかなりのレベルの大学でしたから、うらやましかったですね。もっとも、私には関心のない学部でしたので、その意味ではどうってことはありませんでしたが(・・と強がりを言う)。
しかし私が仕事を始めたころにはもう年内の12月には推薦なんて終わっていて、それどころかその後はAO入試なんていうのが入ってきて、これはもう夏から始まっていました。

    AO入試

というのはアドミッションズ・オフィス入試のことで、学びたいという受験生と学力では測ることのできない「やる気」のある人を求める大学の思わくが一致した場合に入学を認めるものです。
定員割れしそうな大学の場合はなりふりかまわず学生を手に入れようとする傾向もあり、AOは「学力で測らない」ということで、ことばは悪いですが「どなたでもどうぞ」という面もあるように感じます。
しかしそこそこの大学ではAO入試なのに英語や小論文の試験である程度ふるい落として、その上で面接をして合否を決めるということもしていて、もうほとんど推薦書の要らない

    推薦入試

というに等しいように思います。自己推薦入試の類です。そういう大学は、AOで募集すると、定員をはるかに超える希望者が出てくるのでやむを得ないのでしょうが。
それにしても入試が多様化しています。入試を実施する回数も、一流と言われる人気大学なら一回だけで定員をはるかに超える受験生が集まって、受験料も億単位で入ってくるのです。1種類の問題で何千人という人が受験してくれるのできわめて効率的です。しかし弱小大学ではそんなことは夢のような話で、何度も何度も入試を実施して学生を集めようとしています。一回あたりの受験生なんてひどいときは数人ということもあります。

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ゲラ 

チャールトン・ヘストンの「ベン・ハー」(ウィリアム・ワイラー監督)は何度観たか分かりません。テレビでは納谷悟郎さんの声が耳に残ります。アカデミー賞の作品、監督、主演男優などの賞をあれこれ獲ったというようなことはどうでもいいくらい、好きな作品です。
ローマの総督の列に彼の家の瓦が落下したことから捕らえられて、ついに彼は奴隷として

    ガレー船

送りになります。ただ舟を漕ぐ、疲れても漕がねばならない。ひどい仕打ちです。
このとき、ガレー船というものを知りました。

「ゲラ」ということばから「笑い上戸」を連想する方もいらっしゃると思います。おそらくおもに関西の方でしょうね。
しかし私はやはり「うれし、はずかし、うっとうし」の校正刷りを思い出します。

    Galley Proof (校正刷り)

のGalleyが訛ってゲラになったのだろうといわれます。そしてGalleyは、あの「ガレー船」から来たことばなのだとか。
組版を入れる盆がガレー船のようだから、ということのようです。

学生時代にはじめて書いたものがゲラ刷として出てきたときはやはり嬉しかったですね。なんといっても当時は手書きで原稿を書いていましたから、活字になると喜びが今以上に大きかったのです。くわえて初めてのことで、なんだかちょっぴり偉くなったような気もしました。

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鶯姫 

「竹伐爺」という昔話があります。『竹取物語』とは別の話です。
ちょっと尾籠な話も出てくるのですがご紹介します。昔話ですのでいろんなバージョンがありますが、そのうちの一つです。あるところにおじいさんがいて、竹を切っていました。四十雀(しじゅうから))が飛んできたのを捕まえて

    ひと呑み

にしてしまいました。その四十雀はおじいさんのお尻から足を出しました。ところでおじいさんの切っている竹はお殿様の持ち物で、切ってはいけないのです。そこにお殿様がやってきて、「だれだ! 竹を切っているのは!」とおかんむり。おじいさんは「私は日本一の屁こき爺」でございます」といったので、殿様はおもしろがって「ではどんな屁なのかためしてみよ」とおっしゃる。おじいさんが屁をこくとさきほどの四十雀がお尻から足を出しているのでなんとも不思議な音が出ます。このミニコンサートにお殿様は大喜び。ご褒美をもらったのだそうな。
まだ話は続くのですが、ここでおじいさんが

    鳥のおかげで

大金持ちになることに注目しておきます。鳥を我が物にしたおかげで富裕になる話ということです。
よく似た話に「鳥呑み爺」というのもあり、こちらはおじいさんが山で弁当を鳥にやったらその鳥がおじいさんの口の中に飛び込んできておなかに入ってしまうのです。そしてへそから羽が少し出ていて、それを引っ張るとおもしろい音を出すのでこれまたお殿様に聞かせて褒美をもらう話です。
こういう具合にあるきっかけで富裕になるという話を昔話や説話文学の分野では「致富譚(ちふたん)」と言っています。鳥による致富譚ですね。
『竹取物語』の翁もかぐや姫のおかげで大金持ちになるので、この部分は「致富譚」の形を取っています。しかしかぐや姫は人間の姿をしていて、鳥ではありません。

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あまくだり 

私の仕事場は今や天下り先になっているようです。
国立大学を辞めた人が来て、やがて学長になっていく、というパターンです。学生が言っていました。次の学長は○○先生、その次は今国立の教授の先生だそうですよ、と。活力がなくなると思うですが、私の口出しすることではありません。
天下りというのは役人の世界だけではなく、どの世界でも特権階級にはうまくできているわけです。

  つれづれと空ぞ見らるる
      思ふ人
   あまくだり来むものならなくに
              (和泉式部)

「見らるる」というのは見ようと思って見るのではなく、つい見てしまう、思わず見てしまうという感じです。思う人(亡くなった大事な人だろうと思います)が天から降りてくるわけでもないのに空を見上げてしまうのです。寂しいです。
こういう「天下り」――「天降り」と書くほうがふさわしいでしょうか――になると世俗の欲望とは関係ない世界です。「思ふ人」を「思ふ職」に変えたら、「私も天下り先にありつこう」と思っていた人が何らかの理由で突然だめになった感じでしょうか。ああ、いやだいやだ・・・(笑)。
天から降りてくる、というと天孫降臨なんていうのもありますが、仏教の世界では

    六道

という考え方があって、下から順に「地獄」「餓鬼」「畜生」「阿修羅」「人間」「天」の六つの「迷いの道」があります。
そして私のような凡庸な者は成仏することなく前世の因縁で生まれ変わることをくりかえす(輪廻)わけです。
昔の説話でも前世で人間だった人が何かを盗んだために牛に生まれ変わってよりにもよってその子に使役される(実は前世で子のものを盗んだ父親だった)という話があります。この世で僧になっている人が、お経のある部分がどうしても覚えられないので不思議に思っていると、実はその人の前世は「紙魚(しみ)」で、お経のまさにその部分を食べてしまったために現世ではそこだけ覚えられない、というおもしろい話もあります。
前世は人間界にありながら現世では畜生になっているというものやその逆もあるわけですね。

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秋の散歩 

体調の維持はつねに慎重に心がけています。
無理はしない、ものごとは気楽に考える、寝る、早起きする、そして歩く。
この中で、最初の二つはできていません。心がけても実行はなかなかです。
夏は乗り切ったものの、秋から冬にかけて気温が下がるとまた面倒です。早寝早起きちょと昼寝、は確実に続けていますので、あとはいくらかの運動をすることです。
といっても仲間もお金もありませんから、簡単にできるのは

    歩くこと

くらい。
今は気温も穏やかで、絶好の散歩シーズンです。
田舎に住む者の特権として、広々とした河川敷をたっぷり時間をかけて歩きます。見上げれば青空。ふるさとの空はありがたきかな。
私のペースは1分115歩。二つの橋を渡って両岸をぐるりと一周すると、約40分。少し遠回りをして小一時間歩きます。

    115×60=6930

で合っていますか?
約7000歩ですね。一歩65cmなら4500mくらいでしょうか。

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ポケモン世代 

竹取物語の中で大伴大納言という人物はかぐや姫から「龍の首の珠」を求められます。
龍は架空の動物ですが、雨を降らせるというので龍神という神にもされました。
干天の時は龍神に祈って雨を降らせてもらうということがおこなわれましたし、逆に大雨の時は雨がやむように祈願したりもします。

    源氏物語

の須磨、明石の巻では光源氏が大雨に遭います。そのとき源氏は龍に雨を止めてほしいと願います。
光源氏はこの雨のために須磨から明石へ移り、そこで明石の君という女性と出会います。簡単に止んでいたら出会いはなかったかもしれず、何が幸いするかわかりません。
くだんの大伴大納言は家来に龍は日本にいるはずだから探してこいと命じて自分はかぐや姫を迎えるつもりで家に残り、飾りつけをさせたりしています。ところがこの家来たちはそんな馬鹿なことができるものかと、大納言からもらった経費を懐に入れて逃げたりします。いつまでたっても家来が帰ってこないのでついに大納言は自ら船出をしますが、案の定というべきか、龍のたたりで大雨に遭い、命からがら播磨の浜辺に流れ着くのです。あげくには「かぐや姫の

    大泥棒め」

と悪態をつく始末。
とまあ、こういう話なのですが、この龍についても昔の人がどう考えていたか、龍の首の珠とはどういうものか、などを話します。いわゆる如意宝珠なのでしょうね。
龍の置物は今でもあちこちで見かけますが、珠を握っているものが多いようです。私の父も兄の守り神になるようにと置いていました(私は!?)が、この龍は口の中に珠をふくんでいました。

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青信号 

よく言われる珍しくもない話です。でも、学生に話してみると新鮮だったらしく、調子に乗って書いておきます。
信号などない国からやって来た人に、「あれが信号です。青になったら渡っていいですよ」と話したら、その人はいつまで経っても動かないのです。どうしたのか聞いてみると「赤と黄色と緑にはなったが、青にはならない」と。
まあ、これは他愛ない冗談ですが、古来「青」というとこの国や隣国では緑をイメージした感があります。
草が青々と茂るとか、四神の青龍とか、どう考えても緑色でしょう。
もっとも青色を知らなかったわけではなく、

    縹色

があり、浅葱色や藍色、紺色もあります。
信号の緑は日本人にとっては青の範囲なのでしょうか。
絵の具の青色というと、フェルメールがよく用いたウルトラマリンがありますし、北斎の富嶽三十六景などの浮世絵に用いられたベロ藍もあり、私はとても好きな色です。
今年のノーベル賞に青色LEDの開発をされた方々が選ばれたという話もありましたね。

昔読んだ本に、英語ではorange catという言い方があると書かれていました。オレンジ色のネコ。日本人が見たら、「それは薄茶色でしょ」と言いたくなる色だとか。同じ本に、このかたが外国でレンタカーを借りようと申し込んだら、「orange car」をホテルまで届けると言われ、待っていてもなかなか来ない。ところが、すぐそばに茶色の車が止まっていた。それがこの人の待っていた車だったという話です。

そんなことを学生に話した直後にたまたま読んだ本にまさに orange cat の話が引用されていました。その本には茶封筒のことをフランス人は

    黄色い封筒

と言う、とも紹介されていました。
おもしろかったのは、パプアニューギニアのある部族の言葉には色を表す言葉が二種類しかない、とのこと。
色の感覚はさまざまです。

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13日、てんやわんや 

・・・というタイトルをつけましたが、別に昨日昔の漫才を見に行ったという話ではありません

台風の当たり年のようです。
先週の月曜日、私の住まいの当たりは朝起きたら警報が出ていました。
仕事はないのかなと思いながら出勤したらいつの間にか解除されて、午後は授業あります、とのこと。
私もがっかりですが、学生はもっとがっかりだったでしょう。
専門の授業ならまだしも私の授業なんて

    単位が必要だから

来ているだけなんだ、という学生も多いでしょうから。
特に午後最初の時間は欠席も多いのではないかと思ったのですが、いまどきの学生さんはまじめです。2、3人いませんでしたが、あとはきちんと来ていました。
4時間目にいたっては欠席はわずか一人。
気の毒でしたが、きっちり授業させてもらいました。
仮に休講になってもどうせ補講というのがあるのです。まあ、補講になるとたいしたことはできません。どうしても学生は予定外の時間に授業(補講)が入ると出席できないと言うものが多く、特に私の場合は土曜日にするほかはないので学生にとっては

    迷惑極まりない

のです。一度学生に聞いてみたことがあるのです。「土曜日に補講せざるを得ないのですが、来ますか?」と。すると無理です、という答えがたくさん出てきました。やっぱりね。専門の授業ならしぶしぶ出てくるかもしれませんが、バイトもあるでしょうし・・・。
文部科学省が余計なことを決めるからほんとうに面倒です。

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絵姿女房 

竹取物語の話をしているといわゆる「求婚難題譚」が出てきます。昔話によくあるのですが、娘と結婚したいならこれを成し遂げろ、という難題を出されるのです。昔から男たちは苦労したようです。
かぐや姫は、仏の石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の皮衣、龍の首の玉、燕の子安貝を要求します。前者三つまでは国内にはないものです。いや、あとの二つもありませんが、龍や燕は日本にもいます。え? 龍なんてどこにいるのか? とおっしゃるのですか。いるのです。海や池には。
いずれにせよ、かぐや姫は無理難題を言います。
ところで、かぐや姫の伝承は竹取物語だけではなく、今昔物語集にもあります。そこでは難題は三つ。雷、打たないのに鳴る鼓、優曇華の花です。
このうち、

  打たないのに鳴る鼓

というのは、昔話の「絵姿女房」にもよく似たものが出てきます。

あるところに、美しい妻を持つ商人がいました。彼は行商に出るので、いつも紙に描いた妻の絵姿を持っていて、時々それを眺めていたのです。今ならケイタイの待受画面に奥さんの写真を載せる、文楽なら、勝頼の絵姿を眺める八重垣姫でしょうか。
ところがある日、風が吹いてその紙が舞い上がり、どこかに飛んでいってしまうのです。
紙が舞い降りたのはお城。そしてお殿様がその絵を観てびっくり。
こんな美しい人がいるのか! 

    探してまいれ!

ということになります。
お殿様の家来の捜査能力は大したもので、見事に発見してお城に連れていかれます。絵もきれいでしたが、実物はさらに美しく、お殿様は奥さんにしようとします。よくある話です。

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バイトで読書 

バイトのために読書しています、というのも変なのですが、事実なのでしかたがありません。
細かい事情はいえないのですが、とにかくこういう機会でなければ読まないであろう本を夏以降ずいぶん読んでいます。
普段は文学や歴史はもちろん、宗教とか美術などが中心になるのですが、今はジャンルを問いません。生命科学であったり、栄養学であったり、動物学であったり、社会学であったり、時にはごく軽いエッセーであったり、もう

    手当たりしだい

という感じです。読まないのは小説。最近トンとご無沙汰しています。新しい作家の人は名前も知りません。芥川賞とかなんとか、そういうのもおそらく知らない人が受賞しているのだろうと思います。
こういう読書のいいところは、意外な知識が身につくことでしょうか。国際問題なんてほとんど知らないはずなのに、いくらか覚えたこともあり、その結果として今シリアでどういうことが起こっているかなどということまで多少は知っています。世の中のことを何も知らない人間としては画期的なことです(笑)。
逆に、

    御嶽山

での悲惨な出来事を知ったために、火山について少し何か読んでみようか、という気持ちが起こるようになったりもしています。
日本に活火山はどれくらいあるとか、常時観測火山にはどういうものがあるとか、いくらか知っては授業での話に用いたりしています。

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2013年度の国語に関する世論調査(四) 

タイトルに「2013年度の」と書いていますが、特に他意はなかったのです。文化庁の調査は当然「平成25年度」になっています。念のために。
外来語の使用は、高齢者や私のような英語のできないものにとってはやはり苦痛な面があります。その反面、外来語でないとかえって不自然なものもあります。
ベースボールは「野球」のほうが通用していますが、サッカー(フットボール)は「蹴球」と言っても分からない人が多いでしょう。庭球(テニス)はかろうじて残っているかもしれませんが、籠球(ろうきゅう。バスケットボール)、排球(バレーボール)、闘球(ラグビー)、送球(ハンドボール)などももう言わなくなっているでしょう。

不特定多数の人に宛てた文書等に用いる言葉として、どちらの言葉を使う方がいいと思おうか

という質問で

 必要性・ニーズ  取り消し・キャンセル  利点・メリット  危険性・リスク
 合意・コンセンサス  優先順位・プライオリティー  基本計画・マスタープラン  
 技能・スキル  技術革新・イノベーション  災害予想地図・ハザードマップ

が例に挙がっています。
日本語で言うべきという人が一番多いのが「優先順位」(89.6%)、そしてて「合意」「基本計画」必要性」が続きます。カタカナ語のほうがいいという意見が比較的多いのは「ハザードマップ」(25.3%)「メリット」(19.2%)となっています。
この中で私が普段カタカナ語を主に用いるのは、「キャンセル」「メリット」「リスク」「スキル」「ハザードマップ」で、あとは日本語で言うと思います。英語の得意な人はほぼすべてカタカナ語なのではないでしょうか。
「コンテンツ」なども「中味」といってしまうとちょっと違うような感じで、カタカナ語のほうがわかりやすいのですが、会議で「コンテンツ」というと「日本語で言ってくれ」という意見が出たこともあります。
文楽の燕三師匠(先代)がある人からカタカナ語を言われたときに実に不愉快そうなお顔をなさったことを覚えています。「私には何をおっしゃっているのか分かりません」と。お弟子さんの当代燕三さんが英語ぺらぺらの方だというのも何だか面白い話ですが。

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2013年度の国語に関する世論調査(三) 

学生に謙譲語の話をしても「謙譲語って何?」という反応が意外なほど大きいのです。
国文科出身で、大学に入った時点ですでに日本語には少なからぬ関心のあった私から見れば異常なことなのですが、理系の学生にとってはさっぱり分からない、というのもやむを得ないのかもしれません。しかも、日常的に謙譲語は使わない生活を送ってきているわけです。
「先生の研究室に行ってもいいですか?」
は敬語としてふじゅうぶんですが、彼女たちはほとんど分かりません。もちろん「行く」がいけないのですが、そう話してもまだ首をかしげているくらいです。
「先生の研究室にうかがってもよろしいでしょうか?」
と直してみると、学生はほぼ一様に「あああ、きれいな言葉」という嬉しそうな顔をします。
このあたりから謙譲語の話を展開していきます。

国語に関する世論調査には「この言い方は気になりますか?」という質問もあります。

お客様、どうぞいただいてください

は、尊敬語のつもりで相手の動作に「いただく」という謙譲語を使っているのでまちがいなのですが、さすがにこれを「気になう」と答えた人は74.7%もいました。しかも過去の調査に比べると増加しているので、けっこうなことだと思います。

お客様が申されました

これも最近しばしば聞く言葉ではあります。相手の動作に「申す」を使うのはおかしいのです。これについて「気になる」と答えた人は63.1%で、これもまずまず。しかも過去よりずっと「気になる」人は増えています。時代劇で大岡越前あたりがおしらすで町人に向かって「つつみ隠さず申してみよ」などと言いますが、あれは町人を見下しているわけで、今の裁判官がこんな言葉を使ったらとんでもないことです。
なお時代劇の脚本家はこの「申して」がいかにも時代劇的言葉だと考えたのか、多用するきらいがあり、「お父上が申されました」などというのを聞いた記憶もあります。これはどう考えてもおかしいですね。

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2013年度の国語に関する世論調査(二) 

この調査では敬語についても調べています。

今後とも敬語は必要だと思うか

という問があります。
  必要だと思う           84.5%(67.8)
  ある程度は必要だと思う    13.6%(28.3)
  あまり必要だとは思わない   1.0%(2.6)
  必要だとは思わない       0.4%(0.7)
この結果について、皆さんは驚かれるでしょうか?
実は私はある程度は必要だと思う」の割合がもう少し多いと思っていたのです。実へ、平成15年度(ちょうど10年前)に同じ調査を行っており、その時は上の( )内のような結果だったものですから、今回もそんな感じかな、と。
必要、ある程度必要と思うと答えた人のトータルは平成15年度が96.1%、今回は98.0%(四捨五入の関係で単純に85.5+13.6=98.1とは微妙に違います)で、微増。しかし「ある程度」が減ってその分「必要だ」が増えていることになります。
いいことではあるのですが、実はこれは敬語がきちんと使えていないという危機感の裏返しだとも思われ、また、社会で荒っぽい言葉が幅を利かせていることへの嫌悪感ではないかとも考えています。

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ポパイ 

子供のころ、テレビアニメはまだそんなにありませんでした。ですから、絵が動くことにかなり感動したものです。
「月光仮面」とか「七色仮面」とか「少年ジェット」とか、今ならアニメで作りそうなものもいわゆる

    実写

でした。あの「鉄腕アトム」でさえ実写のテレビ番組がありました。
この中では「月光仮面」(脚本は「おふくろさん」の作詞でも知られる川内康範)を比較的よく覚えているのですが、調べてみるとどうやら私の観たのは再放送のようです。オープニングだったかエンディングだったかに出演者として
  祝十郎(いわいじゅうろう)  大瀬康一
などの名前が出るのですが、最後に
  月光仮面  ?
と出てきます。そのたびに幼少の私は「大瀬康一でしょ」と突っ込んでいたことを覚えています。祝十郎がスーパーマンでいうクラーク・ケントなのです。
特撮がありませんから怪獣のようなものが出てきてその足元を月光仮面がバイクで走りぬける場面など、おもちゃのバイクを着ぐるみの怪獣(?)の目線から写していたことがありました。レールのようなものがはっきり見えていてそこをがたがたと揺れながらおもちゃのバイクが走っていくのです。子供だましにもならないくらいのお粗末さでしたが、それでもおもしろかったのです。

    武田薬品

の提供で、番組内で五郎八さんという人物が子どもたちに「武田のプラッシー(ジュース)、これ、おいしいんだよ」のような意味のことをセリフとして言っていたことも覚えています。
祝十郎とか五郎八とか、完全に時代劇ですよね。と思っていたら、どうやらこの番組は時代劇のスーパーマンのようなものとして企画されていたようです。月光仮面という名前は「月光菩薩」から来ているのだとか。

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丙午 

干支の話をしますと学生は注目してくれます。
皆さんは何の年に生まれましたか? と聞くと、今の1年生の多くは

    「いのしし

です」とすぐに答えます。みんなよく知っています。しかし、十干についてはあまり認識していません。彼女たちは「乙(きのと)」なのですが、それを知っている学生はほとんどいません。そもそも学生は「干支」の「えと」ということばの意味も知りません。これは「甲乙丙丁・・」の十干をあらわしたもので、「え」「と」は「兄(え)弟(と)」のこと、だから甲(きのえ=木の兄)、乙(きのと=木の弟)・・・というのです。などと話すと「へ~っ」という反応が返ってきます。そのことを話すと「自分が『乙亥』(きのとい)の生まれであることを覚えておきます」といってくれる人も多いのです。やはり自分のことは知っておきたいものですよね。
昭和41年(1966)というのはテレビで「ウルトラQ 」「ウルトラマン」が始まった年であり、ポッキーが世に出た年であり、ビートルズが来日した年であり、そして文楽ファンの方にとって忘れてならないのは、東京に

    国立劇場

ができた年であったことでしょうね。
ところで、この年に生まれた人は受験や就職の時、かなり楽で、翌年生まれの人は逆にとてもしんどかったという話を聞きます。

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典子さんの結婚 

高円宮憲仁親王が47歳で亡くなってから12年が経ちます。
日本サッカー協会の名誉総裁として、2002年日韓大会を見届けてまもなく亡くなったのでした。ご本人もスポーツがお好きで、三笠宮三兄弟の中では一番お元気と思われたのに、逆に一番早く旅立たれました。
スカッシュをなさっていて

    心室細動

を起こされたのだったと記憶します。
学生のほとんどはこのかたを知りません。残された妃殿下の久子さん、そしてお嬢さんの承子さん、典子さん、絢子さんのこともやはりほとんどわからないようです。
しかし、昨日、憲仁親王の二番目のお嬢さんの典子さんが結婚されて、いくらかメディアにも出ましたから、多少は関心を持ったかもしれません。
憲仁親王ももっと長生きしてお嬢さんの晴れ姿を見たかったでしょうね。私とて他人事ではありませんが。
千家典子さんになって、称号はなくなりましたが、彼女は皇室では「典子女王」でした。
これが学生には驚きらしくて、内親王よりエライ、と感じるようです。エライとかエラクないというのは別にして、どう違うのかも知られていません。まあ、それが普通でしょう。私だって大学生のときにどこまで知っていたかを思い起こすと、かなりいいかげんでした。
やはり

    エリザベス女王

のイメージが強いのでしょうか。
Kingを「王」と訳したほうがおかしいのかもしれません。
日本では昔から天皇の子は「王」で、その中から親王が出たわけで、天皇の子=親王ではありませんでした。
今は天皇の子、孫は親王、内親王で、三代離れると王、女王になります。

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八百屋お七 ゆかりの地(二) 

お七ゆかりの史跡は東京だけではありません。
千葉県に八千代市という町があります。お七はここの出身であるという伝承があって、

    長妙寺

という寺(千葉県八千代市萱田町640)には墓があります。お七は八千代の生まれで、名前もこの寺の七面天女からもらったと伝えており、江戸の八百屋徳兵衛に養子に行ったというのです。彼女が処刑されたあと、実母が遺髪をもらってここに供養したということです。
千葉県どころではありません。岩手県にもお七ゆかりの寺があります。酒井くにお、とおるという漫才コンビをご存じでしょうか。このお二人は関西で活躍されながら、不思議な方言があるのです。実はお二人は岩手県の水沢出身で東京を経由して関西に来られたのです。水沢は今の奥州市水沢区です。お兄さんのくにおさんはインテリ漫才師で、国立の東京教育大学(後の筑波大学)に入られた経歴をお持ちだとか(卒業はせず)。水沢というと高野長英や後藤新平を生んだ町でもあります。それはともかく、水沢に

    法泉寺

というお寺(奥州市水沢区寺小路41−1)があって、そこには吉三郎ではなく三吉の墓と言うのがあり、さらにお白粉地蔵というお七を供養したお地蔵様があるのだそうです。ここにも私は行っていません。

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八百屋お七 ゆかりの地(一) 

実際どういう人物だったのか、本当にこういう人はいたのかなど、よくわかっていない八百屋お七ですが、『好色五人女』をはじめ、文学や芝居で絶大な人気を得てからは、彼女にまつわる「史跡」があちこちにできます。
事実を超えて、人々に愛された証としての「史跡」ですが、江戸のみならず全国に広がっています。それというのも、吉三郎はお七が亡くなったあと、西運という名の僧になって全国を行脚したという伝承があり、その関係でお七や吉三郎のゆかりの地があちこちにあるわけです。
お七と吉三郎というと、まずは駒込吉祥寺(東京都文京区本駒込3−19−17)ですが、ここは西鶴が舞台にしたものの、ほんとうに彼女が避難したかどうかはわかりません。しかし今でもお七吉三郎の

    比翼塚

があります。忘れてはならない場所でしょう。私も行きましたが、とても立派なお寺でした。榎本武揚や川上眉山の墓などもあります。
お七が避難したのは、ここが彼女の家の檀那寺であったともいう円乗寺(東京都文京区白山1−34−6)だともされます。吉三郎ではなく、

    小姓の左兵衛

という男と親しくなり、放火すればまた逢えるとそそのかしたのが無頼漢の吉三郎という男であったとこのお寺では伝えています。ここにはお七地蔵やお七の墓というものがあります。彼女は罪人ですから墓を建てて丁重に葬られたかどうか、実際のところはわかりません。三つの墓石が並んでおり、四代目岩井半四郎が建てたというものもあります。現代小説でも島村洋子さんという方が「八百屋お七異聞」という短編を書かれ、ここを舞台にされています。
円乗寺の近くの大円寺(東京都文京区向丘1−11−3)には「ほうろく地蔵」があり、これもお七を供養するためのものであったと寺では伝えています。お七の罪を救うため、お地蔵さんが熱したほうろくをかぶって焦熱の苦を受けたのだそうです。

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2013年度の国語に関する世論調査(一) 

文化庁が毎年行っている国語に関する世論調査の昨年度分(実施されたのは今年の3月)の結果が出ました。
私はいつもこれを使って授業をしていますので、早速すべてプリントアウトして検討しています。

    文化庁のHP

をご覧になればいいことなのですが、ここでもいくらかご紹介しておこうと思います。

言葉や言葉の使い方に対する社会全体の関心は、どうなっていると思うか
という質問に対しては

  以前より高くなっていると思う  22.8%
  以前より低くなっていると思う  48.2%
  以前と変わらないと思う     25.6%

でした。
最近はそれなりに知識も教養もありそうな人が信じられないような言葉遣いで発言する例をしばしば見かけます。この人たちに品格というものはないのだろうか、と思うようなことを言うのが流行なのでしょうか? そしてそういう人に「品格と言う言葉を知っているか」などといおうものなら、おそらく「そういう偽善的な人格者ぶったことしかいえないのか?」とでも言い返されそうな気がします(実際、それに類することをツイッターで見たことがあります)。
彼らは言葉に関心がないのか、あるいは暴力こそが言葉の力だと考えて言葉に強い関心を持っているのかどちらかなのでしょう。
同じ文化庁の世論調査で、きれいな日本語とはどういうものだと思いますか、という質問に対して、以前は「アナウンサーの話す言葉」というのがある程度賛同されていたのですが、最近はそれが減っています。アナウンサーの言葉がきれいではなくなっていると感じている人は多いのです。アナウンサー諸氏は言葉への意識が低くなっているのでしょうか? 実際は、あえて崩した言葉遣いをしているという面があると思うのですが、そうなると昔ながらのアナウンサーとはちょっと違ってきますね。
いずれにしても、上の調査では最近日本語をきれいに使おうという意識が薄れていると感じる人が増えているわけで、それは声の大きな人(立場上発言力があったり、それほどでもないのにえらそうに前に出てきては知ったかぶりをしてものを言ったりする人)にも大きな問題があるのだろうと思います。発言力があるからこそ品格は求められると思うのですが、こういうことを言っても無駄なのでしょうかね。
上の調査でについてですが、16~19歳では「以前より低い」と「高い」の割合が同じくらい(どちらもほぼ35%)で、やや「以前より高くなっている」が多いのです。20代でも「低くなっている」は38%、「高くなっている」は29.4%で、他の世代とは違った傾向が見えます。
まだ社会をよく見ていない世代、ということもあるかもしれませんし、自分自身がまだ成長期で言葉についても少しずつ意識が増してきたことが意見として反映しているのかもしれません。

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伊達娘恋緋鹿子(二) 

「八百屋」の段からあとの話です。
簑笠を着けた吉三郎がお七の店にやってきます。彼は天国の剣が見つからないため、明日には切腹する若殿に殉じて死ななければなりません。これは父の遺言なのです。つまりこの時点では

  死なねばならない

のは吉三郎で、彼があとに残るお七に別れを告げにきているのです。結果的には逆になるのが何とも皮肉ですが。
使いに出ようとした下女のお杉が吉三郎を見つけ、帰ったら何とかするから、今は隠れていてください、と縁の下に隠してやります。
お杉が去るとお七と父の久兵衛が出てきます。久兵衛は「嫌がっているのはわかるがどうしても今夜武兵衛と祝言をしてくれ。決して親のわがままで言うのではない。結婚しないなら我々はすぐに袖乞いにならねばならないが、それはかまわない。私は

    上方の者

で、江戸に落ちてきてこの店に奉公し、先代に可愛がってもらってその娘と結婚して跡を継いだのだ。今ここで家を潰しては先代に申し訳がなく、妻とはいえ先代の娘を路頭に迷わせるわけにも行かない。あんな男と結婚させるのは不本意だが、これも浮き世の義理。前世からの悪縁と思って嫁に行ってくれ」と苦しい胸の内を吐露します。

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