年末のご挨拶 

仕事場に国文科があったころは、忘年会や新年会があり、年賀状もあまたの人とやり取りして、学生との交流も多かったのでした。いかにも年末年始という感じのあわただしさがここちよく感じられました。
しかし今はもう窓際にぶら下がっている状態ですし、

    名前も知らない同僚

が大半になりましたのでつきあいもなく、年末年始の挨拶を交わすということがありません。
実際私はこの年末に同僚(といえるのかどうか、わかりませんが)に対して「よいお年を」ということばは一切発していません。そして年賀状もどなたにも出しませんし、このままでいくと年が明けても新年の挨拶などしないままになるのではないかと思ってしまいます。
やはりつまらないですね。
私は学生に

    挨拶は積極的に

という話をしています。今や大学には一般の方々がどんどん入ってこられます。公開講座だとか、市民大学講座だとか。開かれた大学ということが求められていますので当然だと思います。そこで(高齢のかたが多いのですが)そういうかたがたとエレベーターに乗り合わせたりすることもしばしばです。そんなときに「何階ですか?」と声をかけてボタンを押してあげるとか、その人と同じ階に降りるときは「開」ボタンを押して「どうぞ」と先に降ろしてあげるとか、何かそういうことができるとそのかたがたも心地よく大学においでになれるのではないでしょうか、というような話をしているのです。
ところが肝腎の私は

    挨拶が苦手

なので、およそ説得力がありません。
年末には事務室に飛び込んででも「また来年もよろしく!」と声をかけるような快活さがあれば、と思うのですが。
せめてこのブログでひとこと。みなさま、なにとぞよき新年をお迎えくださいませ。

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ふゆやすみのしゅくだい 

冬休みもしっかり勉強しなければなりません。
一番の課題は

    伴大納言絵巻

の総括です。この絵巻物を1年間割合に細かく読んでみましたので、浮かび上がってきた問題点を整理して、それに対する自分の答えを何とか出してみたいと思っています。
私は所詮美術史の専門家ではありませんからいい加減なことに終始するかもしれませんが、できればもう1本の論文を書いてみたいと思っています。
以前も書きましたが、この勉強の支えてになってくださっているのは公開講座の

   受講者の皆さん

です。とにかく驚くくらい熱心に受講してくださっていますので問題点が浮かび上がってくるのです。それに対して私なりに見解を申し上げねばなりませんから、そのための勉強も相当時間を費やしてきました。
ありがたいことです。
それでも、それでもわからないことだらけで、特に庶民の生活などなかなか難しいのです。
『絵巻物による日本常民生活絵引』だとか『ものと人間の文化史』のシリーズなどといった先人の労作に頼って勉強させてもらっています。

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カラーコピー 

学生時代、ゼミの発表資料は手書きでした。当然汚い字で同級生には迷惑をかけました。
しかも

    青焼き

といわれた複写でした。
ですから、いつのまにか色があせて、「汚れた白紙」のような姿になってしまいました。
なにかのはずみに本にそういう紙を挟んだままにしていたことがあって、思いがけずひょっこり出てくることがあります。
印刷室で一枚一枚原稿に重ねて感光紙を機械に挿入しては湿った紙を取り出して並べていました。そんな学生時代の思い出がよみがえります。
それが

    湿式コピー

に変わって便利になりました。ただこれも紙が重くて色もあせるし、どうにも使い勝手がよくなかったのです。当時もちろん乾式コピー(現在のコピー)もありましたが、高価だったので大学もなかなか購入してくれませんでした。
先生の中にはコピーすると原稿が薄くなると思い込んでいる人があって、嫌がる人もいたのだそうです。
やがて乾式コピーが学生にも普及し、私が大学院の頃には大学から年間1300枚のコピーは無料、という補助がありました。
助かりました。なにしろ当時1枚10円から30円(店によって全然違う)かかりましたので、1300枚ということは2万円前後は違ってくるわけです。学生にとっては大きいです。

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調子に乗るな、私よ! 

耳を悪くしてから、いろんなものが見えてきました。
もともと周りが見えない人間でしたので、洞察力らしきものが人並みに近づいてきた、というだけのことですが、私にとっては驚きでした。
人の心が見える、人の動きが見える、そんなことがしばしばです。
予想していたことが

    ぴたりと当たる

ことも以前に比べると増えてきました。もちろんこれもそれくらい言い当てて当然というレベルのことばかりですが。
普段、20歳前後の女子大生に話をしています。いろんなことを知ってるなぁ、と思う反面、やはりまだ世間知らずだな、と思うこともしばしばしです。それはしかたがありません。まだ20年ほどしか生きていないのですから。
この間、金閣の話をしました。「金閣はきれいだけど、銀閣は銀色じゃないからがっかりします」と本気でいう人もけっこう多いのです。やはり

    ピカピカ

光るのはいいものなのでしょうかね。
「日本三大がっかり」の話をしたのですが、その際、皆さんが新たに「がっかり名所」を選ぶならどこを挙げますか? という質問をしてみました
意外にも一番多かったのは「東京の渋谷」でした。「109は店が小さい」「ハチ公像はもっと大きいと思っていた」「京都の店のほうがずっといい」などなど。
しかし、渋谷が名所でしょうかね(笑)。まあ、若い女の子にとっては名にし負う渋谷に胸を躍らせて行ってみたらたいしたことはなかった、ということなのでしょう。

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検非違使の装束 

検非違使には、罪を犯したもの=穢れたもの=を捕らえて罰して「清める」という役割があるのだと思います。社会を清く維持するのが彼らの職務です。
こういう仕事の場合、やはり常人とは

    異なった装束

を身に付けることも必要かもしれません。
警官がスーツにネクタイで交番にいてもあまりありがたみがありません。消防隊はあの防火服を着ているからこそ頼りになります。
一見して「あの人の職業は」と分かることが必要なのかもしれません。制服とはそういうものでしょう。
検非違使の装束は絵画資料に残っています。伴大納言絵巻にもこんな絵が出てきます(模写)。

模写41 馬上の廷尉

これはもう、一見して検非違使と分かるのです。
馬上の人物が

    検非違使尉 (けびいしのじょう)

で、一行のリーダ-です。
カラーではないので分かりにくいですが、彼は白い襖(おう)とその下に見える赤い下襲(したがさね)が特徴です。そして弓を手にして矢を背負い、腰には太刀と立ちの鞘にぶら下げた弦巻(つるまき。二重円に見えるもの)を備えています。

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日々、だしまき 

プランターで作っているほうれん草は大量に収穫できるのでありがたいです。
少しずつ収穫しては食べています。
もっぱら朝採り(今ならまだ暗いうちに)なのですが、食べるのは昼が多いのです。
おにぎりと

    ほうれん草入りだしまき

を持って仕事場に行くことが多いからです。
だしまきというと、いつも文楽ファンの皆さんが集う会が思い出されるのですが、劇場近くの季節料理の店

    両輪(りょうわ)

のだしまきはほんとうにおいしいです。どうやったらあんなにきれいにおいしく作れるのか入門して教わりたいくらいです。
私の場合はまったく素人も素人、何も知識のないままに作っていますので、100%自己満足です。
使っているのは「白だし」で、あとはしょうゆとみりんと水。砂糖は使いません。

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受講者の方とのやり取り 

付き合いの多くない私ですが、それにしても最近メールをいただくことが激減しています。携帯メールなんて一日着信がないこともあります。理由の一つはパソコンメールを転送しなくなったからなのですが、なんだかもう社会から放逐されたような気がしてきました(笑)。そのパソコンのメールも半分以上は読まなくていいもので、未開封のままポイポイと捨てています。
そんな中で最近何度かメールのやり取りをしたかたがあるのです(以下、仮に「K さん」とします)。
Kさんは、実は私の

    公開講座の受講者

でいらっしゃるのです。一見「いいところの奥様」という感じなのですが、もちろんプライバシーに関わることは存じませんしうかがうこともありません。いかにも聡明そうで、おまけにかなり目立つ美人なので、最初から気になっていました(笑)。
講座には常連さんが多くて、もう十年来のお付き合いというかたもいらっしゃいます。ところがKさんは今回が初めて。
この講座は

    伴大納言絵巻

ですので、Kさんはきっと絵巻物に対する関心がおありなのだろうと勝手に思っていました。そころが先日いただいたメールによると、この絵巻のことをまったく知らなかったし、そもそも文学の講座というものに初めて参加したとおっしゃっていました。どういうきっかけでおいでになったのかはわかりませんが、その「初めて」が私の講座で申し訳ないようなありがたいような気がしています。
で、そんなKさんと私がなぜメールのやり取りをしたかと言いますと・・・。

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平安時代の犯罪(6)〜過差 

過差(「かさ」。歴史的仮名遣いでは「くわさ」)というのは聞き慣れない言葉ですが、簡単に言えば「分不相応の贅沢」ということです。「過ぎたる差(しな=階級、等級)」の意味です。
人間は少しゆとりが生まれると贅沢になります。携帯電話やパソコンは一人一台持ってあたりまえ、なんて、20年前には考えられませんでした。いや、10年前でも珍しかったでしょうし、今でも(私の家のように)そういう生活を傍観している人も多々あります。
平安時代の貴族は過差に流れることが少なからず、特に権力者とその周辺から乱れていくのです.権力と富を持つ者はたとえば高価で珍しい唐物を入手して身辺を飾ったりします。するとその周辺でも真似ようという人が出てきます。権力者は自分が派手なことをしているのでむやみに禁じることもできず、さらにその上を行こうとしたりします。

    過差の連鎖

ですね。
先に市女笠をみだりに用いた者が検非違使に切られたことがあったと書きました。
当時の庶民が少しずつ贅沢になってきて、おしゃれも楽しみたいという気持ちが高まって、それを権力側がが苦々しく思っていたいたことのあらわれというべきでしょうか。
この検非違使のやりかたはひどいとは思いますが、禁制であったことは間違いなく、100%検非違使が悪いとも言えないのです。では検非違使さん、どんな相手にでもそのような厳しい態度を取るのですか? 実はここが問題です。
今でも交通違反をした人が国会議員かなんかに頼み込んでもみ消してもらうという話を聞かないでもありません。警察も上から言われると沈黙してしまうのでしょうかね。
藤原実資は「左大臣(道長)の家来たちは綾衣を着ているが、これは糾そうとはしない」とぼやいています。ただし、検非違使たちにも言い分はあるのでしょう。へたにこういう人(権力者の家来)に厳しくしたら、権力者はその家来を叱るよりも検非違使に文句を言ってくる。それなら最初から権力者の家来の過差は

    見て見ぬ振り

をするほうがましじゃないか、と。

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年内授業も終わって 

昨日、年内の授業が終わりました。
いつ倒れるかと思いながらの日々は例年通り。ほんとうに最後は授業中に頭がくらくらすることも合って、やはりもうあまり長くは持たないな、と思っている有様です。
毎年感じるのですが、後期というのはあっという間に終わってしまうのです。その理由の一つは

    正月休み

で、年内授業が済むとなんとなくすべて終わったような気になります。実際は15週間のうち13週が終わっただけなのですが、もう残りはおまけのような気になってしまいます。
私は試験もしませんし、教養科目なので学生もさほど目の色を変えて単位をとろうともしません。だめならだめでいいや、という感じも無きにしも非ず。
さて、日本語の表現方法を話す授業では最後に手紙の書き方を学んでもらいます。ただし、硬いだけのものではなく、

    温かみ

のある書き方をしましょうというところが私のやり方です。

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座産 

看護学科の学生に授業をしていると思わぬところで思わぬ反応があります。
この間、竹取物語の話をしているとき、平安時代のお産のことに触れたら

    詳しく知りたい

という希望があって、こうなると私は授業そっちのけで余談に突入するのです。
彼女たちの中には助産師を目指す人がいます。そして看護の専門の授業で現代の助産の技術についてもきっと勉強しているのでしょう。
私の場合はあくまで平安時代の貴族の記録による話です。
以前にも少し書いたことがあるのですが、あらためて当時のお産についてメモしておきます。
お産は穢れでもありました(これをいうと学生は怒ります)ので天皇の奥方は内裏で出産したりはしません。実家に帰るのが普通です。今でもこういうことをなさる方は多いですよね。やはり実家のほうが気楽なのでしょう。
しばしばお産は庭(に建てた小屋)でおこなうという例を聞きます。近年まで(ひょっとしたら地域によっては今でも?)そういうれいは一般家庭でもあったようです。
しかし平安貴族は基本的にそれはしません。
藤原道長の娘彰子は一条天皇の中宮になりますが、最初の子を産んだのは寛弘五年(1008)九月のことでした。実家の
 
    土御門第(今の京都御苑内)

には彼女はもちろん、女房たちも一緒に移ってきます。ということは紫式部もいるのです。
読経が行われますが、これも学生にとっては意外なこと。出産にお坊さん? という素朴な疑問ですね。しかし当時は当たり前でむしろその読経の荘厳さが大切だったのです。

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平安時代の犯罪(5)〜検非違使の犯罪 続 

検非違使の中には悪いやつもいたのです。
『今昔物語集』巻二十九の中から少し話を拾っておきます。
この巻は

    「本朝付悪行」

の内容で、本朝=日本の話で悪行について多く書かれているのです。
その第六話に「放免共為強盗入人家被捕語」(放免ども、強盗となりて人の家に入り、捕はるること)という話があります。
地方官などのキャリアを積んでそこそこ財を蓄えた家がありました。あるとき放免(検非違使の下部。もとは犯罪人であったが、放免されて検非違使に雇われた者たち)が集まって、この家に

    強盗に入ろう

と相談しました。いわば警察の末端職員が犯罪を犯そうとしているわけです。とんでもない話です。
ただ、その家の様子が分からないため、使用人を一人味方に引き入れることにしました。田舎から出てきた下男がいましたので、これに目をつけ、いろいろともてなしたうえで手引きするように依頼します。下男は承知したふりをして詳細を主人に伝えます。
主人は感謝して武士に助けを求め、50人ほどの武者を集めて警備に当たらせます。夕方になって10人ばかりの放免たちが何も知らずにやってきます。
くだんの下男は手引きしたふりをして中に入れ、すべて捕らえられます。こんなやつらはまた同じことを繰り返すからというので、ついに川原で射殺されてしまいます。

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今年の文楽 

この一年も文楽公演は最低限通いました。
ここ数年、この「最低限」が続いています。
お邪魔はしませんから

    木戸御免

にしてほしいです(笑)。
東京公演も行きたい、巡業にもついて行きたい。それはいつも思いますが、叶いません。
今年は住大夫師と源大夫師の引退がありました。
この両雄の引退がありながら、引退披露口上というものはありませんでした。
私は、失礼を省みずに申しますが、源大夫師こそ、あの「襲名披露」のときが「引退披露」であってほしかったと今でも思っています。引退して源大夫を名乗るという方法はなかったものか。
私は源師というか、

    五世竹本織大夫

の大ファンだったのです。
近世演劇研究の専門家の方々からはいろいろいわれる西亭(野澤松之輔)師の脚色、作曲の近松作品も、織師が語られるとむしろ近松の原作ではないかと思うくらい腑に落ちることがありました。
九世綱大夫を襲名されて、さらに深みが増したのですが、ご病気もあり、私自身が浄瑠璃と無縁になったこともあり、個人的には織大夫のお名前が私には一番しっくり来ます。
とにかくお疲れ様でした。

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平安時代の犯罪(4)〜検非違使の犯罪 

検非違使のトップは別当という職で、これは中納言クラスの人が兼ねる仕事でした。この職に就く者は単に地位が高いだけではだめだったのです。容儀、才学、富貴、譜代、近習の

    五徳

を備えていなければなりませんでした(器量、有職を加えた七徳とも)。家柄や見た目までが重要だったのです。検非違使は犯罪という穢れを払う役職ですから、威厳のある人でなければならないのです。ところが、中にはひどい別当もいたもので、家来に暴力を振るってクビになった人もいるくらいです。藤原公任は別当時代に藤原道長の娘の結婚に際して和歌を寄せたりしていますが、そのことについて藤原実資は「検非違使の別当のくせに」といって非難しています。
彼らは現場に行ったりはしません。出動するのはせいぜい三等官で、検非違使尉といいました。源義経がもらった官職がこれです。三等官ですから「判官」です。彼らも問題があったかもしれませんが、さらに問題だったのは

    虎の威を借る

下級職員です。

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・・・ということにして 

国政選挙には700億円近いお金がかかるのだとか。私が2万年働いても稼げないお金です。に、にまんねん…!
そのうちの3万円でいいからちょうだい、と思うのですがダメみたいです(笑)。
選挙は一部の人にとっては

    生きがい

のようなものだと聞きます。
たしかに、選挙事務所の前を通ったりすると、後援者の人、政党の地方組織の人などが目をギラギラさせてたむろしているのを見ることがあります。
あの人たち、楽しいのだろうな、と思うのですが、その楽しみのために私の2万年分を使わないでほしい(笑)ものです。
「ふざけるな、

    民主主義

を守るためのお金ではないか」と叱られるかもしれません。
いちおうそういうことなんだろうな、と割りきらなければやってられないのですが、今の選挙制度が果たしてほんとうに民意を反映するものなのか、と考えたとき、私のような政治音痴はかなり懐疑的です。

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平安時代の犯罪(3)〜乱暴狼藉 

すでに書きましたように、平安時代の貴族たちも賭け事などが原因で喧嘩沙汰を起こし、その結果出家する者まで出るという例がありました。
原因は他にもあります。たとえば、いつの時代も変わらず存在する

    三角関係

です。長久二年三月、中原師範という、ずいぶん立派な名前の男が内匠助高階成棟を殺害しました。その原因は成棟が師範の妻と通じたからだというのです。
長和元年(1013)二月には大中臣輔親の家に雑人が多く乱入して濫行を働きました。これは蔵命婦という女房による「うはなり打ち」だったと藤原道長は日記に書き付けています。「うはなり打ち」は元の妻が夫の新しい妻を意趣晴らしに襲うことです。「うはなり」は「後妻」のことです。
フィクションではありますが、

    『源氏物語』「葵」

では光源氏をめぐって葵の上と六条御息所の確執が表面化します。賀茂斎院の禊の日に、見物に出た葵の上の車が邪魔な車を押しのけようとしたら、それが六条御息所の車でした。男たちが争った挙げ句、結局葵の上のほうが優勢で、六条御息所は恥をかかされます。御息所の口惜しさは募り、出産間近の葵の上を生き霊となって苦しめ、ついには光源氏にその正体を見顕されてしまいます。

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選挙も終わって 

よくわけのわからなかった選挙も終わりました。
私は

    選挙の喧騒

を感じることがほとんどありません。
朝早く家を出て夜帰る上、めったに町に出ないので選挙カーというものを見ません。結局、今回は選挙区を回り終えて帰っていく音無し(多分)の車に一度出合っただけです。
テレビを見ないので討論のようなものも知りません。
わずかに手に入る情報というと新聞だけです。
ところがどうもこの選挙では新聞がおとなしかったような印象なのです。何を書けばいいのかわからない、とでもいうような…。
そんなわけで、私は事情も分からないまま投票にいった感じでした。そんなので投票できるのか? といわれそうですが、「あそこの党」にははじめから入れるつもりはありませんでしたし、知らない党の人もいますのでこれまた除外。ということで選択肢は限られ、特に難しくはありませんでした。その党とて支持しているわけではありません。消去法で残ったというだけのことでした。個人は知りませんので、政党でしか選べないのは残念ではありましたが。
私の選挙区は自、民、共、次の四人だったようです。「次」って何?、と思ったことはナイショです。私の投票した人は予想通り

    落選

しました。結局はいまだに名前も知らない「あそこの党」の人が勝ったようです。これから数年間どうぞしっかり勉強して働いてください。

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平安時代の犯罪(2)〜賭け事など 

賭け事はいつの時代も行われてきました。表向きは禁止しても「少しくらいいいだろう」「自分だけはかまわない」と考えるのがこれまた人の常です。私も遊び心のある賭け事なら一切文句をつけるつもりはありません。
現代も賭博は禁止ですが、競馬やパチンコは相手がいないからなのか問題ないのですね。花札や麻雀でお金を賭けるのは法律違反。

    カジノ

はやはり個人で楽しむだけだからOKなのでしょうか。もうかるから公認のものとして取り入れようという向きもあるようです。賭け事が苦手な私はよく解りません。
平安貴族も賭け事がもとになって喧嘩沙汰を起こすことがありました。貴族の宴会というと和歌でも詠みあう

    風流なもの

だったのだろうなどというのは思い込みに過ぎないのです。紫式部も宴会の騒ぎがひどくなり始めた時に「恐ろしかるべき夜の御酔ひなめり」と書き記しています。宴会にはまず「宴の座(ゑんのざ)」という公式の場があって、そのあとかなりくつろいだ「穏の座(おんのざ)」があります。問題は後者の方です。こういう場で、サイコロを使った攤(だ)という賭け事がよく行われたようです。

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胎児の肝 

11月文楽公演の「奥州安達原」の四段目は身の毛もよだつような恐ろしい話でした。なんといっても妊婦を殺して胎児を取り出し、その血を絞るなんてとても人間のすることではないと思えます。
だからこそ、岩手の人形は普通の人間とは違った凄みを見せねばなりませんし、人形遣いさんもそれなりに遣わねばならない、難しい役どころです。
『妹背山婦女庭訓』のお三輪にしても『摂州合那辻』のお辻にしても、その血が薬などになるというありえない理由で殺されますが(お辻の場合は自害に近い)ものも言えない胎児の血と言うのは凄惨に過ぎるほどです。
いったい誰があんなことを考えたのでしょうか。
実は

    『今昔物語集』

にもそういう話があります。
巻29-25の「丹波守平貞盛取児干語」(丹波守平貞盛、児干を取ること)がそれです。
丹波守平貞盛は矢傷を負っていて、これが悪性の瘡になります。
京から医師を呼び寄せて診察してもらうと、医師は傷に由来するものであることを見立てた上で胎児の肝からできる

    児干(肝)

という薬でなければ治らないというのです。児は男児のことなので、男の胎児が必要なのです。驚くべきことに、貞盛はわが子の左衛門尉に向かって「お前の妻は孕んでいるそうだな。その胎児をよこせ」と言うのです。貞盛から見れば孫に当たるのですが、おかまいなしです。息子は断るに断れず、困ってくだんの医師に相談します。さすがに医師も驚きます。貞盛が医師に「子どもの妻が懐妊中なのでその胎児を手に入れる」と話しますと、医師は「血のつながった子はダメです」といってくれたために、左衛門尉の子(胎児)は助かりました。
貞盛は飯炊き女が孕んでいると聞いたので早速その女の胎児を取り出すと女の子で、これもダメでした。そのあと、なんとか探し求めて彼は一命を取り留めるのです。

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平安時代の犯罪(1)〜窃盗など 

『伴大納言絵巻』には検非違使が出てきます。平安京の警察です。この時代にも泥棒はいました.特に驚くのがしばしば内裏(皇居)に盗人が入ることです。今の皇居はもともと千代田城ですから大きな堀や高い石垣があり、また警察官が掃いて捨てるほど(失礼!)います。皇居に侵入しようとしたらすぐに警官が飛んできますし、防犯カメラの類もあちこちで目を光らせ、その他、私の知らない防犯設備がいろいろあるのでしょう。ところが平安時代は内裏に盗人が入ったという記録がちらちら残っているのです。

  今日、蔵人量能の宿所に盗人が入った。
  南殿の前を通って、日華門、宣陽門、
  春花門などから逃走した。この間、左
  近衛や左兵衛の官人は逮捕できなかっ
  た。(寛弘二年四月三十日の記録)

どうも警備のものもいいかげんだったようですね。
またどれほど生活に困っていたのか、意外な盗人もいます。天徳五年(961)五月には村上天皇の兄式明親王の子である

    親繁王

を首領とする中臣良材らの盗賊グループが源満仲の家に押し入っています。「王」とは聞こえがいいですが、名門生まれというだけで将来天皇になるわけでもなく、ろくな職も得られるわけでもなく、これで性格が荒っぽくて自暴自棄になるような人間なら犯罪も犯しかねない。そんな惨めな身分だったのかも知れません。
検非違使は当然犯人を逮捕しなければなりませんが、現実にはなかなか難しかったでしょう。科学捜査のない時代ですし、夜陰にまぎれた盗賊は追いかけようもないかもしれません。事件が起こってから捜査する格好をするだけ、という気がしないでもありません。

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風邪ですか? 

「召す」という言葉はもともと「見る」の尊敬語です。「め(召)」の音は「み(見)」に通じています。万葉集には「ご覧になる」意味での用例があります。
そこから「(国を)お治めになる」という意味も出てきました。王が国を「ご覧になる」=「統治する」ということです。さらに物を見るためには(エライ人の場合は)側に持ってこさせなければなりませんから、「呼ぶ」の尊敬語にもなります。男性の王が女性を側に呼ぶと「(その女性を)結婚の相手になさる」ことになります。
さらには「目の前でご覧になってある動作をなさる」ということで

   「着る、食う、飲む、乗る」

などの尊敬語にもなり、用途が広がっていきました。このうち「食う、飲む、着る」については今でも「召し上がる」「お召しになる」の形で残っていますね。まちがって「着物を召し上がる」と言ってはいけませんけれども。
学生が普段使う敬語について聞いてみると、この「召し上がる」はなかなか使えないようです。「大げさな感じがする」「よそよそしい」という印象を持つようで、「学生が使うと

    かえって不自然

だ」と感じるようです。私はそこで物わかりが悪くなります。「いやちっとも不自然ではないですよ。もうそろそろ『使わない方が不自然』になりますよ」といって脅かします(笑)。

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やすらぎ 

物欲がないのです。
ほしいものは? といわれても何も思い浮かびません。そりゃあ、あの本もこの本も、欲しいといえば欲しいですし、家も欲しい、車も欲しい。それは間違いありません。
車は私にとっては生活必需品なので、ないでは済まされないのです。今は13年ものに乗っています。長いです。最も走行距離はやっと

    10万km

をこえたところですから、さほどの車愛好家でないことはお分かりいただけると思います。
いくらなんでも次の車検では買い換えないとまずいかなと思い始めていますが、お金がない上、もう先が短いこともありますし(笑)、中古の軽でもいいんじゃないかと思っています。

    「いつかはクラウン」

なんて夢のまた夢の話でした。
もっとも、私はお金があってもクラウンが欲しいかといわれたらノーです。そういう意味では物欲はやはりありません。
家も建てたいと思っていました。兄は30代で建てていましたし、妹の夫も40そこそこで建てています。兄弟で家を持たないのは私だけ。劣等感は・・少しだけあります(笑)。

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メールの書き方 

学生は友達同士ではメールやLineをしょっちゅう交換しています。それ以外にもあるのでしょうが、私はもうよくわからなくなってきました。
その感覚で私にもメールをしてくることがあって、いきなり「おっはー!」で始まることもありました(最近はもう使わないのかな、このことば?)。
一斉送信なのでしょうけれど、

   アド変、よろ

とだけ書かれたメールもありました。
「アドレスを変更いたしましたので、ご面倒ですがご訂正くださいますようお願い申し上げます」と書けば済むことなのですが、「そんな長ったらしい!」と言われてしまいます。
しかし私は

    「エレガントな大学生

になろう」というキャンペーン実施中(笑)で、メールの書き方もうるさく指導したりしています。
もちろん友達に出すメールではなく、目上の人に出す場合です。早い話が先生に本を借りたいときのお願いメールとか、昨日欠席したのはこういう理由でしたとか、「そんな場合、やはり失礼な言葉遣いではだめでしょう?」と問いかけます。
すると意外なくらい彼女たちは素直に頷くのです。要するに書き方を知らないだけで、きちんと書きたいという思いはあるのですね。

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夢を追う 

竹取物語を学生と読んでいますが、難題を出された五人の求婚者がすべて失敗するところまで終わりました。
五人のうち最初の三人は贋物を持っていって、結果的には贋物であることが露顕します。
あとの二人は贋物すら持っていくことなく挫折します。
特に最後の人物は

    燕の子安貝

を求められたのですが、彼が手に入れたものは燕の糞だったというオチまでついています。
人をだまそうとする狡猾な男や何でも金で解決しようとする安易な発想の男などもいて、王朝の貴族だろうが今の庶民だろうが、人間は所詮なんら差はないのだなと感じます。愚かで弱い人間たち。
しかしそのときに感じるのは、だからといってかぐや姫という理想を追い求めようとする意欲を失った男たちはこれまた

    何の魅力もない

のかもしれない、ということです。
理想を追い求めてもかいがないなら、追い求めるのをやめるのか、というとやはりそうはいかないのです。そうはいかないから人間はまた明日も同じように愚かなことをしながらでも生きていくのかも知れません。

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誰が聞いていまいものでも 

私は平素、女子大生ばかりと接しています。
概して女子大、女子高などの学生、生徒は女の子ばかりだからというのでいささかはしたない言葉遣いを平気で口にしたりするようです。
特に私が仕事をしているところには看護学科があって、人間の体の隅々まで勉強しますので、かなりあけすけに体の部分を口にするようです。

    勉強のため

ですから、それは当然なのですが、面白おかしく話すこともあるようで、ツイッターで私がフォローしている学生さんの呟きにもかなりきわどいものがあります。また、掲載される写真にも「普通の女子大生はそんなの載せないでしょ」という感じのものがあったりします(奥歯に物の挟まったような言い方ですみません)。
何も知らない人が彼女たちのそういう話を聞いたら驚かれるかもしれません。
運動部の学生などはかなり荒っぽいことばも使うようです。これも、そうすることで

    意気を高めよう

という目的があるのでしょうから、わからなくもないのです。
ただ、どこで誰が聞いていまいもの、でもありませんから、電車の中であまり大声でしゃべらないように、食堂でも外部の方(業者さんとか公開講座の受講生の方とか)がいらっしゃっていることがあるので、気をつけるほうがいいでしょうね。
そんな話をすることがあります。

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回送中です 

以前、国文科の短大に勤めていたとき、学生の多くが司書の資格を取ろうとがんばっていました。現実にはなかなか大変で、仮に資格をとっても司書として採用されるのは難しいのが現実です。
私の家の近くの図書館にはもう長く通っていますが、行き始めて数年経ったころに、どこかで見たような司書さんがいrな、と思っていました。すると向こうから

    短大の卒業生の○○です

と名乗ってくれて、私もその時はっきり思い出しました。以後数年間彼女はそこで働いて、おそらく30歳前くらいに姿を消したと思います。寿退職であってくれればいいなと思ったものでした。
その時彼女に聞いた話では「嘱託なんです」とのこと。どうしてもそうなってしまうのですね。それでも彼女はなかなか優秀な人でしたから嘱託ででも仕事ができてよかったと思います。
私がテレビに出た直後には「観ましたよ」と言ってくれました。視聴率0.3%の番組ですが、その0.3に彼女が入っていたとは思いませんでした。
とてもよく働いてるのは見ればわかります。来館者には過剰ではない

    笑顔で

対応し、本を片付けるのも手際がよくて来館者の邪魔にならないように動いているのがよく理解できました。
今はどこでどうしているのか、もはやわからないのですが、幸せな人生を送っていることを願っています。

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裳着の唐物 

『源氏物語』「若菜上」を公開講座で読み続けています。
折に触れてここにメモもしておこうと思います。
昨日読んだのは、光源氏の兄(朱雀院)の娘である

    女三宮

が成人の儀式を行う場面でした。
男性貴族の場合は冠を着ける加冠(元服、首服)を行いましたが、女性は裳というものを着けて髪を上げる儀式です。

    裳着(もぎ)

とか、着裳とかいいます。髪を上げるのは「髪上げ」ともいいますが、まとめて裳着ということも多いと思います。
この儀式には腰結という人が付いて、裳の腰紐を結ぶ役を務めます。
源氏物語の明石姫君(光源氏の娘)のときは秋好中宮(あきこのむちゅうぐう。冷泉帝の中宮。六条御息所の娘)がその役をおこない、女三宮は太政大臣が勤めています。太政大臣と言うのは光源氏のライバルで、物語の初めのほうでは「頭中将」として出てきます。蔵人頭(くろうどのとう)で近衛中将を兼ねた人という意味です。
女三宮はほぼ13~4歳で、大体適齢だと思います。
裳着は「これで大人。これで結婚できる」という意味もあったようです。

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年賀状、どうしよう? 

私は本来かなりの筆まめで、手紙を書くことがまるで苦にならないのです。
本や論文を贈ってもらったときの礼状にはきちんと感想を書いてお礼としました。中には「拝受しました」という程度のはがき一通だけと言う人もいますから、私はその点だけはまじめなのです。
年賀状も一時期パソコンで作っていたことがありますが、枚数がめっきり

    減りました

ので、最近はまた手書きに戻っています。
枚数が減ったのにはいろいろな理由があります。以前は同僚にも送りましたし、学生から来たものには返事も出しました。今は個人情報を出さないために住所は公にならず、そういう年賀状は一切なくなりました。
また

    恩師の世代の方々

が次々に鬼籍に入ってしまわれ、自然に減ったということがあります。
特に昨年末から今年にかけて、ばたばたと4人の先生が亡くなり、また4枚減ることになります。
増えることがなくて減ることがある、ということで、年賀状の枚数も年々少なくなります。今は文楽関係の方が大半と言ってもいいくらいです。

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弁当 

入試の雑用に借り出されると、休日手当が付く(らしい)のと、弁当が支給されるのが嬉しいです。なんとも惨めな生活です。
一時期自分でおにぎりを作ってもっていったこともありましたが、最近は食欲があまりないこともあって

    昼は抜き

ということが多くなっています。少なくとも以前は常連だった学生食堂にはまったく行っていません。
そんなときにお弁当が出ると嬉しいような、久しぶりにおなかいっぱい食べたような気分になります。
昔、まだ大学が裕福だった頃、私に言わせれば無駄遣いのような弁当が出ていたことがあります。私が吹田市の短大に勤めて最初の入試のときは、もうびっくり仰天でした。なにしろ、入試が昼に終わると、まず昼食。それが豪勢な

    刺身弁当

のようなもので、とても1000円で収まるようなものには見えませんでした。20年前のことです。それですっかり眠くなってから採点に入ります(笑)。受験生の人数が多い頃でしたからさ移転も大掛かり。国語の採点にもいろんな分野の人が手伝いに来てくれます。基本的にそういう方には記号問題とかごく簡単な単語で答えるような問題だけお願いしていたのですが、中にはそれ以外の問題について、「この解答はおかしい」とか「これでも正解にしろ」とか、いちいち文句をいう人がいました。もちろんその潟のおっしゃることが正しければご意見はありがたく頂戴するのですが、たいていはその方の勘違いによるもの。ところが大学の教員というのは困ったもので、自分の説を曲げようとしません。説得するのに余分な時間を取られることもままありました。

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白髪の婆 

文楽十一月公演の夜の部は

    奥州安達原

の三段目から四段目でした。
三段目は長大な「環宮明御殿」がありますが、何だか話がよくわからないまま始まるようで、いつも苦労します。今回は「朱雀堤」があるので少し助かりましたが。
余談ですが、京の町はもともと朱雀大路(今の千本通にほぼ一致)を中心にして東西同じ大きさの町が構成されていました。しかし次第に西側が廃れて、東は鴨川を越えて栄えるようになります。ですから、もともとは

    東河

と呼ばれていた鴨川が京の中心を流れるかのような川と認識されていったようです。鴨川に程近い東京極大路はもともと京の東の果てでしたが、やがてメインストリートの役割を持つようになり、この通りを「東朱雀大路」とも呼んだといわれます(東大路のさらに東に設けられた道が東朱雀大路だという説もある)。さらに南北朝の始めのころに今の京都御所が里内裏として使われ始め、その後は明治維新まではすっとあの地が内裏であり続けたので、完全に京の町は東が中心になりました。そこで鴨川も

    朱雀川

とまで呼ばれるようになったのです。

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戦争は文化を 

「日本の文化と歴史」の授業で、世界文化遺産の話をするときのもうひとつのテーマは、戦争は文化を破壊する、ということです。

文化遺産には負の遺産もあります。かつてカール・ユーハイムさんが日本で初めてバウムクーヘンを作って販売したという建物は、そのまま命永らえていたら広島でも名物の建築物として今に伝えられていたかもしれませんし、老朽化でその長寿を全うしたかもしれません。しかしそれは1945年8月6日の朝、エノラ・ゲイから投下された原子爆弾によって

    ドーム部分

を残して壊滅してしまいました。
それが世界文化遺産として登録されたのは喜ぶべきことではなく、悲しみを後に伝えるためであろうと思います。
戦争は人の命を奪います。それと同時に文化を破壊します。だから絶対にしてはいけないことです。
姫路の空襲では、あわやというところで姫路城は炎上を免れました。原子爆弾が京都に落とされていたら清水寺も二条城も瓦礫と化していたでしょう。金閣はなぜ国宝でも世界遺産ではないのか。彼女たちはほとんど知りません。京都の社寺がすべて金閣のように「きれいな」建物になっていたらそれはほんとうに京都なのでしょうか。
沖縄のグスクの話をするときには、

    首里城

はどういう事情で破壊されたのかについても話します。グスクに残された悲しい話もします。
沖縄の過去と現在と未来について意見ももらうことにしています。彼女たちはとても真面目に考えてくれます。

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