ボランティア 

高校を卒業した人は、大学に行くまでの間、時間に余裕があります。
一般的にはこういうときに自動車の

    運転免許

の取得をしたりアルバイトに励んだりする人が多いのでしょう。
自動車学校は今ごろ18歳の子どもたちでいっぱいなのではないでしょうか。自動車学校の先生たちも大変ですよね。
私も思い返すと自動車学校ではかなり迷惑をかけたと思います(笑)。危険なことはしませんでしたし、学科も仮免も本免も試験はすべて一回で通っていますのでその点では問題なかったのですが、途中、家庭の事情で一ヶ月ほど行けなかったことがあって、結局卒業までに2ヶ月半あまりかかってしまいました
一緒に入った大学生風の男の子は(私は35歳で通いました)かなり早く卒業していきましたので、つらかったです。
はじめてバイトをする人もいるでしょうね。

    慣れないそぶり

で働いているのは初々しくていいかもしれませんが、客としては面倒なことも無きにしも非ずです。
おつりを間違えるとか、困ったことがあってパニックになってしまうとか、袋詰めがうまくいかないとか。私が時々行くドラッグストアに大学生にしては幼い女の子がいました。もう危なっかしくて見ていられません。不思議なことに、ちょっと先輩らしいやはり学生アルバイトの子が手伝いに来るとささっとうまくいくのです。いわゆる「一日の長」でしょうかね。

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貨幣の流通 

金は天下の回りものといいますが、あれは嘘ですね。だって、私のところにはまるで回ってきませんから(笑)。

貨幣経済は合理的で便利です。今はカードなど「物としての貨幣」を用いない決済方法も盛んですが、私などは大半が小銭ジャラジャラです。
物々交換よりも便利は便利ですが、貨幣の持つ冷たい感じは、どこか非情でもあります。近松門左衛門作品の男たちはしばしば金(と女)で苦しんだようです。お大尽にとってはたいていの望みを満たせる、文字どおり打出の小槌ですが、小市民は「金が恨みの世の中」ということが多かったかもしれません。今も同じでしょうか。
貨幣なんて金属に刻印を捺しただけのものに過ぎず、それをかじったところで腹の足しにはならないのに、誰もが価値があると認めることで文字どおり

    価千金

と化します。
だからこそ、二貫目の金ゆえに心中に至る者あれば、男の一分と見栄を張って他人様の為替金の封印を切る者もあるわけですね。

平安時代にも、貨幣はある程度流通したようです。
貨幣は中国が先輩。有名な「開元通宝」(621年)があり、日本にも伝わりました。そしてそれをモデルにして7世紀には「富本銭」が鋳造され、8世紀にはいると、あの

    「和同開珎」

も造られました。その後「皇朝十二銭」といわれる12種の貨幣が10世紀にかけて造られます。ただし、全国に同じように流通したとは思えません。というより都会のみ、都かせいぜいその周辺で通用しただけではなかったのでしょうか。それでも、都には市(いち)が立って多くの人々が買い物をしたようですから、貨幣はやはり便利だったでしょう。

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もう一人のかぐや姫 

これまでさんざん『竹取物語』について書いてきました。何度読んでもおもしろいと思います。先日はアメリカの

    アカデミー賞

に日本から長編アニメ部門で「かぐや姫の物語」がノミネートされたこともあって、またいくらか知られることになったと思います。受賞していればさらによかったのでしょうが、残念でした。
『竹取物語』はその内容だけでいうと『今昔物語集』にも類話が見られるのですが、「かぐや姫」という名は出てきません。また難題として求婚者に出されたものは『竹取』では五つですが、『今昔』では三つです。ほかにもいろいろな竹取伝承があり、中には鶯の卵から生まれたという伝えもあって、そのため彼女は「鶯姫」と呼ばれることもあります。
「かぐや姫」というのは、家具屋の娘というわけでなく(竹取の翁は家具も作ったかもしれませんが)、きらきら光って揺れる

    「かがよふ」

という言葉と関係があるのだろうと言われます。
垂仁天皇の妃となったとされる「迦具夜比売(かぐやひめ)」なる人物が古事記に記されており、この名前は必ずしも『竹取物語』の登録商標ではないのです。
しかし、やはり『竹取』のかぐや姫が有名になり、『源氏物語』が書かれた時代には、この物語は「物語の出で来はじめのおや」と評されて、かぐや姫といえば『竹取物語』だったでしょう。

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梅の花 

いや、「梅の花」といっても別に湯葉の店の話ではないのです。文字通りの梅の花。ブラッサムズ オブ プラム のことです。
菅公を気取るわけではないのですが、私は梅の花が好きです。もちろん「春の夜の闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね香やは隠るる」(春の夜の闇は筋が通らない。梅の花の色は闇に隠れるとしても香りは隠れないのだから)と古歌にいうとおり、香りも含めてのことです。
『源氏物語』の主人公、光源氏が40歳になって25年も年下の女性と結婚したのは二月でした。まだ雪の残る寒い日でしたが、梅も香りを漂わせていました.春は青(緑)の季節で、それゆえに「青春」というわけですが、早春の頃は白のイメージも強いと思います。白の中に青(緑)が見えて、やがて本格的な春になる。

    春日野の雪間をわけて生ひいでくる
     草のはつかに見えし君はも

は壬生忠岑の歌ですが、白の中からわずかに見える草の青(緑)が早春らしいです.この歌も二月の歌です。
色、香、そして私はあの

    姿

も好きです。
すっくと上を向いた枝。潔くて意思を感じます。
広重の『名所江戸百景』にも梅は描かれました。ゴッホが模写した、あの有名な

    「亀戸梅屋舗」

は一度観たら忘れ得ないような強い印象を与えてくれます(ちなみに、私はかなり長い間「亀戸(かめいど)」を「かめど」だと思っていました)。

名所江戸百景030
↑歌川広重『名所江戸百景』「亀戸梅屋舗」

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家庭科 

私の小学校時代は、まだ「男子厨房に入るべからず」という風潮があったように思います。
針仕事なども

    女の仕事

という考え方があったと思います。
私自身、針仕事も料理もいまだにダメですが、やはり小学校時代の「そんなもの、男のすることじゃない」という考え方が災いしているなと思うこともあります。もっとも、同世代の人でも好きな人は好きなわけで、プロになった人もいればそこまではいかなくても今でも毎晩の料理作りを楽しんでいる人もいます。
早い話が私の場合は才能がなくて不器用なことのいいわけとして「女の仕事」と考えていたのだろうと思います。
それでも小学生の頃には

    家庭科

という科目はありました。
専門の教師がいて(この人が、うるさいおばちゃんでした・・笑)、週に一回くらい運針とか雑巾作りとか、そういうことをさせられた記憶があります。そのときはもういやでいやでしかたがありませんでした。そういう態度が表に出ていたのか、あるいは単に出来が悪かっただけなのかは分かりませんが、このおばちゃんに眼の敵にされていたような気がします。
ですから中学生になって男子は「技術」(ちりとり作りやブックエンド作りなどをしました)、女子は「家庭」と分かれたときはホッとしました。もっとも、私は「技術」も苦手だったという、筋金入りの不器用さでしたが。

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引退します(2) 

それにしても単独で担当していた頃は、ひどいものを書き続けてきました。たまに昔書いたものを自分で読むと真っ青になります。こんなの小学生の感想文と変わらない、と背筋がぞっとします。昔の『浄瑠璃雑誌』『上方』などに書かれたものとは比べるべくもなく、前任の宮辻さんからもかなり

    レベルダウン

していることは明らかです。
でも、好意的に読んでくださる方もあり、この連載を通して多くのかたと親しくさせていただくことができました。文楽の技芸員さんも、私がときどき楽屋に行きますから「あいつが書いてるんや」と噂にもなったのか、あちらから声をかけてくださることも増えました。大体私は身体が大きいので目立ってしまい、覚え易いのだろうと思います。一方、そのうちに「余計なこと書きやがって」と

    みかんの皮

などが飛んでくるのではないかと、楽屋を歩く時は気をつけていました(笑)。
畏れ多くて声など掛けられなかった玉男師匠、簑助師匠、文雀師匠、嶋大夫師匠、寛治師匠、清治師匠らともお話ししたり年賀状を交換させていただいたりしたのはやはりこの仕事をさせていただいたおかげです。読者の方にはご迷惑でも、私自身にとってはありがたいことでした。

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引退します(1) 

長らく、ほんとうに長らく雑誌『上方芸能』にページをいただいて文楽について書かせていただきました。平成11年夏の公演から始めて15年あまり。まさかこんなに長く誌面を汚すことになろうとは当初思ってもいませんでした。
このたびその役目を終えることをお許しいただきましたので、ここに改めてこの雑誌との関わりなどを記しておきます。
私がこの雑誌を読むようになった頃は若手編集次長でいらっしゃった

    森西真弓 さん

とは同世代ということもあって、けっこう気安く話をさせてもらっていました。文楽の新作を書いていることも彼女はご存じでしたので、あるとき「文楽の新作と未来について」という論文を書けと言われたのです。当時私はやんちゃな怖いものなしでしたので、ホイホイと引き受けてしまい、文楽劇場10周年の特集を組んだ『上方芸能』誌に載せてもらいました。
それがこの雑誌との本格的な関わりだったのです。
同誌の文楽評は最初当時毎日新聞にいらした

    宮辻政夫 さん

がなさっていました。ところが歌舞伎の方もお忙しかったようで、お辞めになったのです。私は「次はどなたかな」と楽しみにしていたのです。すると当時編集長だった森西真弓さんからお便りをいただき、定期購読代金が不払いで催促されるのかと思ったら(笑)「あんた、やって」(実際はもっと丁寧な言葉で)という依頼だったのです。さすがに驚きました。私には宮辻さんのような経験も幅広い見識も取材力もありません。所詮のんきな文楽ファンに過ぎないのですから、技芸を論ずるなんてめっそうもない。いったいどう間違って買い被られたのだろうと不思議でした。

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またまた人形の修理 

研究室で同居している文楽人形とは、かれこれ10年あまりの付き合いです。
その間にどうしても傷みが出て、それを見る私の胸もまた痛み、時々修理しています。
特に、娘人形の傷みはかわいそうなくらいで、酷使してるからなあ、と申し訳ない気持ちと感謝の念でいっぱいです。
私などが余計なことをしないほうが彼女のためかな、とは思うのですが、最低限のことだけはしてあげたくて、先日また

    糸と針

を持ちました。
右手の袖口がどうしても汚れたり傷んだりしますので、そこを元の形に戻してやろうというのが今回の目的です。
人形を遣いやすくするために糸で簡単にとめていた部分があるのですが、そのために着物に若干無理な力がかかり、それが10年あまりですから、どうしてもほつれてきます。
そこでそのとめていた部分を外して、その付近のほつれを直します。端切れがあれば少し添えたいのですが、悩みます。また船場のセンタービルを歩いてみようかな。
今回は、それは諦めてほんとうに

    最小限

の補修にします。

人形補修2
↑袖口の糸がほつれています

人形補修
↑不器用ですが、こうやって・・

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アルヨことば 

春休み、仕事をにらみながら勉強や読書をしなければなりません。
昨日書きましたように、最近は金水敏(きんすい さとし)さんの『コレモ日本語アルカ?』(岩波書店)という本を読みました。
金水さんは大阪大学の教授で私と同世代の方です。
私は(ということはおそらく金水さんも)子供のころから、中国人の話すあやしげな日本語として、

  ★あなた、わたし、好きあるか?
  ★たいさん食べるヨロシ

といった言葉遣いを目や耳にすることがありました。関西人にとっては手品のゼンジー北京さんがこれに似た話し方をされることでもなじみがあります。
ただし、北京さんの言葉は、あやしげな日本語を話す中国人の真似をする日本人、という感じですが。
こういう

    「アルヨことば」

などについて文献から用例を集めて考察されたのが金水さんの本です。
幕末から明治になって外国との交わりを持つようになると、やはり言葉は大問題でした。
通訳の専門家はいるとしても、お互いの国のかたことの言葉くらいは使えないと付き合いはうまくいかないものですよね。

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2015 2月東京公演 始まっています 

文楽の2月東京公演が開催中です
14日から始まっていたのに、メモしておくのを忘れていました。
まずは演目を書いておきます。2月ということで、三部制です。

<第一部>11時開演
 二人禿
 源平布引滝(矢橋、竹生島遊覧、九郎助内)

<第二部>2時30分開演
 花競四季寿(万才、海女、関寺小町、鷺娘)
 天網島時雨炬燵(紙屋内)

<第三部>6時開演
 国性爺合戦(千里が竹虎狩り、楼門、甘輝館、紅流しより獅子が城)

ということです。
すでに1週間ほどたってしまいました(笑)ので、いろいろな方が感想をアップしていらっしゃいます。
驚いたのは平日の夜とは言いながら「国性爺」の入りの悪い日があるということです。ある方は

    5~6割

しか入っていなかったとおっしゃっていました。東京公演では珍しいですね。
玉女さんがこのお名前としては東京もお名残になります。今回は甘輝と治兵衛だそうで、玉男襲名に向けて、と言うことなら、もういっそのこと治兵衛じゃなくて

    おさん

を遣っていただくのはいかがなものかと思ったりしました。まあ、ほとんどの方は「ダメ!」とおっしゃるでしょうけれど。
私は玉男師匠の女形を初めて観たのがこの「炬燵のおさん」だったと思います。

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ポコペン 

『心中天網島』の「河庄」の段は原作ではなく、改作の『心中紙屋治兵衛』のものを使っています。善六も原作には出てこない人物です。当然、ほうきの三味線を弾く(真似をする)太兵衛に合わせて善六が「つまらん菊名残の蜆川」を語る部分も原作とは異なります。
その中にこんな一節があります。

  結ぶの神の紙屑に、
  貧乏紙屋の治兵衛の女房…

この、「貧乏」のあとに太兵衛の合いの手が

    ポコペン

と入ります。
ここまでの合いの手は「ボン」とか「ペン」だったのですが、その「ペン」に「ポコ」をつけているのです。ではいったい「ポコ」あるいは「ポコペン」とは何なのでしょうか?
実は「ポコペン」ということばは、明治時代に用いられたもののようです。もともとはは中国語で、「不彀本」「不彀本児」というのが訛って日本語化したと言われます。意味は、「割りに合わない」「元値が切れる」というようなことで日清戦争の頃、兵隊によって使われたものが一般人にまで広がったようです。
意味を伝えたいから使うのであれば日本語でいいわけですが、この「プォコピェン」とでもいうのか、そういう発音がどこか滑稽で、その

    音としてのおもしろさ

ゆえに広まったのではないでしょうか?

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60年目の曽根崎心中(補) 

私は、昨年大阪フェスティバルホールで上演された、原作本文による『曽根崎心中』(鶴澤清治作曲、杉本博司演出)を会場では観ていません。おそらく私の身体的能力では観賞に堪えられないだろうという思いとそれに比してあまりに高い

    チケット代

にひるんでしまったのでした(後者が大きな理由だったと思いますが)。結局私は、NHKがスーパーハイビジョンで録画した映像を、ナレッジシアター(グランフロント大阪)でおこなわれた上映会で拝見しただけなのです(無料だったし)。
記録映像は会場で観るのとは違ってアップで舞台を捉えますから、人形の動きがいろいろわかってそれなりにおもしろく拝見しました。しかし会場で、特に遠い位置からご覧になった方々はどうだったのだろう、という思いも抱きました。東京ではもっと小さな舞台だったそうですからまだしも、2500人規模の会場ですから、

    オペラグラス必携

だったのでしょうか? 人形はある程度離れて観る方がいいので、あまりアップにしてしまうとそれはやはり機械のように見えてしまうこともあります。でもやはり離れ過ぎたるは及ばざるが如し。

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60年目の曽根崎心中(4) 

西亭もいくらなんでも道行の冒頭部は書き換えていません。ここを変えたのではさすがに許されないでしょう。
「この世の名残」から「川の水嵩もまさるべし」までは原作どおりです。
原作ではそのあと、梅田橋を北に渡った二人が対岸に見える

    堂島新地

を見やって、当時流行していた「心中江戸三界」の歌を聴いたりします。こういうところも西亭はばっさりカットされます。やはり現代人にはわかりにくいということなのでしょうか。
そして、原作とは話の順序が変わります。
原作では
  私たちも噂の種になるだろう→いつはさもあれこの夜半は
  →二十五歳と十九歳の厄祟り
  →風しんしんたる曽根崎に着く→人魂が出る
  →松と棕櫚の連理の木の前を死にどころと定める
  →抱え帯を裂いて身体を結びつける
  →それぞれの両親のことを思う
  →徳兵衛、初を脇差しで突き、自分はかみそりで首を切る
となりますが、西亭は
  (曽根崎に着いたこと、連理の木、抱え帯の詞章はない)
  →風しんしんと吹く→人魂が出る
  →私たちも噂になるだろう→厄祟り
  →いつはさもあれこの夜半は
  →それぞれの両親のことを思う
  →寺の念仏の切り回向
  →(心中の具体的な描写はない)
詞章もずいぶん違います。原作では徳兵衛は冥途の両親に「おつつけ御目にかかるべし。迎へたまへ、と泣きければ」というのですが、西亭版では「そなたを会はせ嫁しゅうと、必ずそふ(「添ふ」か? 「さう=左右」か? 国立劇場で配布される「床本」では「添ふ」)と抱きしむれば」です。「嫁、しゅうと(舅、姑)」という発想は「新口村」の「私は嫁で」「嫁と思うてやるではないが」を思い出したりしますが、その一方、明治生まれの西亭の家族に対する考え方、あるいは昭和30年の社会通念としての家族の考え方の反映でもあるのではないか、とも感じています。女は結婚すると男の家に入るという明治の民法の名残のような。

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バレンタインデーに思ったこと 

今月のはじめ、学生さんが研究室に遊びに来たとき、私は少しお菓子を用意していました。
いくらなんでもなにもなし、というわけにはいかないと思ったものですから。ただ、いかにも「あなたたちのためにわざわざ」という感じにしたくなかったので、「もうすぐバレンタインデーでしょ。あれは外国では男性から告白することが多いのですよね。だから、これは、私のあなたたちへの

    愛情の表現

ということで食べてください」と言いました。これって、キザ? 何でもいいんです。お菓子を出す口実でしたから(笑)。
私はバレンタインデーなんて毎年何の関わりもありません。まず誰にも会わない時期なので、「義理ナントカ」もいただくことはありません。
ところが、今年はたまたま多くの人と会う仕事がありました。しかし……何もいただきませんでした(笑)。会う、会わないの問題ではなく、人気がないだけのことでした。自分の置かれている立場がよくわかりました(笑)。
今年は節分に豆も巻き寿司も食べず、バレンタインも無縁。菓子業界や海苔業界に奉仕することのない2月です。
だいたい、私は記念日というものに無頓着で、自分の誕生日すら関心がありません。Facebookでは誕生日を公開するかたが多いですが、私は非公開にしています。自分が無頓着なのに、他人様から

    おめでとう

なんて言っていただくのは申し訳ないような気がして…。

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さかい利晶の杜 

大阪府堺市のJR阪和線堺市駅のすぐそばにアルフォンス・ミュシャ館と与謝野晶子文芸館が開館したのは平成12年、今から15年前のことのようです。
そのとき、旧友の松平盟子さん(歌人)に誘われてお邪魔したことがあります。
松平さんが来られるまで、学芸員さんに説明してもらいながら(たぶん入館料は払わなかった・・笑)見学させていただき、そのあと松平さんと合流して思いがけないものを拝見しました。
実はミュシャ館のキュレーターをされていたのが文楽の首の研究でも知られ、画家でもあった

    斎藤清二郎 さん

のご令孫。そこで私はあつかましくもミュシャ館まで見せいていただいただけでなく、斎藤清二郎さんの遺品である文楽人形の首をいくつも拝見できたのでした。

そんなご縁もあって、それ以後ずっと私は展示のご案内を頂戴してまいりました。
そしてつい先日いただいたものには「与謝野晶子文芸館が今月いっぱいで閉館になります。そして、新たに3月20日にオープンする

    さかい利晶の杜

で『与謝野晶子記念館』として再出発します」という意味のお知らせが入っていました。
実は松平さんからすでにうかがっていたことでしたので驚きはなかったのですが、やはり実際にお知らせをいただくと感慨無きにしも非ずです(発展的閉館でしょうから残念というわけではないのですが)。

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60年目の曽根崎心中(3) 

西亭脚色の「曽根崎心中」が初演されたのは昭和30年1月。このときの上演台本と今ではかなり違っているのが

    天満屋

です。まず登場人物が違います。今、歌舞伎で「曽根崎心中」を上演する場合、「天満屋」には平野屋久右衛門が出てきますよね。徳兵衛の叔父さんです。この人がお初と話し合う場面があります。実は西亭版の文楽でも本の段階ではこの久右衛門が登場していたのです。
場面は徳兵衛が来る前で、久右衛門がお初に「あの正直な徳兵衛をどうやってだましたのですか」と恨み、徳兵衛を返して欲しいと言います。しかし、お初から生玉での一軒を聞かされると、「九平次は腹黒い男だ。以前私を騙したことがあったがそれは許してやった。その恩を忘れて徳兵衛をひどい目にあわせるとは、この私を踏みつけたのも同然だ。理非を正してやろう」といって帰ります。さらにお初と徳兵衛が道行に出た後再登場して九平次を懲らしめることになっていたようです。しかしやはりこれは不要な人物ということになったようで、結局この役は番付に載ったものの演ぜられることはなかったようです(吉田玉男『文楽藝話』)。
徳兵衛が来たとき、現在は遊女ふたりが姿を見せているだけですが、原作では亭主夫婦、料理人、下女がいるようです。亭主(西亭版の初演では惣兵衛という名があります)は今でもあとで出てきますが、女房までいたのですね。この女房役は

    桐竹紋太郎師

、つまり簑助師匠のご尊父が演じられたようです。
九平次は、現在の上演では一人でやってきますが、原作では「悪口仲間二三人」と一緒です。ということで、ずいぶんにぎやかですね。そういえば生玉でも九平次の連れは、現在はつめ人形二体ばかりですが、原作では「五人連れ」とあってかなりの人数です。
おもしろいのは、この「悪口仲間」には当初名前などなかったのですが、昭和34年の公演では「佐平」「太兵衛」という名前が与えられるようになります。ただし、昭和五十一年の国立劇場の公演では見えなくなっています。このあたりから九平次が一人で来るようになったのでしょうか。
映像で確認すればいいのですが・・・。

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60年目の曽根崎心中(2) 

西亭脚色『曽根崎心中』はコンパクトです。正味90分で終わります。
ざっというと生玉25分、天満屋37分、天神森28分くらい。
大体この作品は4月6日の夕方から7日の未明までの半日が描かれているだけで、出来事としても実にテンポがいいのです。「生玉」が夕方で「天満屋」はいくらか夜遅く、そこに時間の経過がありますが、あとはもう一気に結末に向かいます。
「天満屋」はスリリングな幕切れで、それが終わると「道行」が実にゆったりとして、いかにも

    屠所の羊

らしい歩みになります。堂島新地から曽根崎の森までは直線距離で1kmくらい。田簑橋から露天神までゆっくり歩いても25分くらいのものです。道行の上演時間とあまり変わらないですね。もっとも、彼らは真っ暗闇をおぼつかない足取りで歩いていますからもっと時間はかかったでしょうけれども。

さて、「生玉」ですが、ここのお初は原作に比べるとどうもおとなしいような気がするのです。やわやわとしているというか、いかにも弱い立場の悲しい遊女。
原作では徳兵衛(とくびやうゑ)が生玉にやってくるとお初がそれを見つけ、

    出茶屋の床より女の声

というわけで、お初から声をかけて手を叩いて合図しています。
また徳兵衛が編笠を取ろうとすると、今日は田舎客で今物真似(役者の物真似をする芸)を聴きに入っている、駕籠かきの人も知った人だから編笠はそのままに、といって脱がせません。また、久しく会わないことで自分は病気になりそうだと懐に徳兵衛の手を入れて胸の痞えをさぐらせます。
どうも積極的に動いているのはお初のような気がするのです。

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60年目の曽根崎心中(1) 

昭和30年といえば今から60年前になります。この年の1月には、大阪文楽会第二十二回公演として西亭(野澤松之輔)脚色、作曲、鷲谷樗風演出になる

    曽根崎心中

が上演されました。その二年前に東京新橋演舞場で、宇野信夫脚色の歌舞伎として上演されとこれが人気を呼び、文楽でも、ということになったようです。
歌舞伎では、徳兵衛が二代目中村鴈治郎、お初が中村扇雀(四代目坂田藤十郎)。そのほか、坂東蓑助(八代目三津五郎)、嵐吉三郎らの出演でした。
鴈治郎の回想によると、「天満屋」の幕切れで花道からお初と徳兵衛が引っ込むとき、客席の熱気にあおられて鴈治郎も扇雀興奮してしまい、お初が先に立って徳兵衛の手をとって引っ込んでしまった、とのことです(中村鴈治郎『役者馬鹿』)。
何しろ62年前ですから、私でさえ生まれておらず、実際に舞台をご覧になった方もずいぶん少なくなったはずです。しかし、それほどに客席も燃えた上演だったと、今も語りぐさになっている舞台です。
今、大阪の松竹座では、

    四代目鴈治郎

襲名興行としてかつての扇雀、つまり坂田藤十郎丈が62年の時を経て同じ役を勤めていらっしゃいます。すごいですよね、62年ですよ。

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春休みのべんきょう 

授業が終わり、成績も出し、新年度のシラバスも書き、いよいよ春休みです。
学生はバイトに旅行にけっこう忙しいと思います。
私もバイトをしたいのですが、何もなくて困っています。庭掃除とか犬の散歩とか、話をしなくて済む仕事はありませんかね。話をする仕事なら昔のおもしろい話をしてくれと言われたらどこでも飛んで行きますけど。
新年度は仕事場の入試関係の仕事をやめて、外でおしゃべりをする仕事はないものか探してみるつもりです。
ある方が、こういうのは市の「文化行政の部署、具体的には

    生涯学習課

のようなところにこちらから売り込むといいのだ、と教えてくれました。実は向こうも案外探していたりするので、でしゃばっているなどとは思われずに、感謝されることもあると聞きました。仕事がなければないでいいわけですから、居住地や近隣の町、私は宝塚市在住ですので、宝塚、西宮、川西、伊丹などに売り込んでみようかなと思っているのです。
今、せっせと各市のHPを見ているところです。
毎度申しますが、春休みとか夏休みというのは学生が休むのであって、私はまるで休む暇はありません。むしろ普段より忙しいかもしれないくらいです。ただ、時間はある程度自由に使えますので

    自分のペース

で勉強できるのはありがたいですね。

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あやまったらしまい 

シラバスを書き終えてホッとしました。
ほんとうにいつの間にこんな面倒なことになったのかと思います。
「面倒、ってそれくらい当たり前だろ!」と言われるのはわかっています。学生に対するサービスの一環というのが建前ですから。実際、学生の中にはシラバスを見て受講を決めた、という人がいますので、役に立っていることは認めます。
一方、シラバスに書いたことをめぐって学生に迷惑を掛けることもありました。
私は今年度のシラバスに

    「宝塚歌劇」

について話すと書いておいたのですが、時間の関係で省かざるを得ませんでした。すると「それを楽しみにしていたのに」というタカラヅガファンの学生がいて、申し訳ないかぎりでした。一番最初の授業の時にシラバスをおおむね守るけれども、時間の都合でできないこともあるとは言っているのですが、ファンの人にとってはたしかに残念ですよね。これはお詫びするほかはないのです。
しかし、現実には今の時点で秋から冬の授業でどういうことをするのかまで100%間違いなく書けと言われてもかなり難しいです。それなら漠然と書けばいいという考えになりますが、シラバスには「具体的に」という要素が要求されるので、そうもいかない、など、けっこうたいへんです。
また、資格科目の場合は

    「こういう内容で

書くこと」という、いわば条件のようなものがあって、さらにめんどうです。こうなると、きれいごとというか、総花的というか、言葉が踊るようなシラバスになってしまいそうで、書いていて物足りないのです。
とにかく、あれこれ要求されますから不器用な人間にとっては大変なのです。

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めざせ! 小学校の先生 

もう、何でもありです。
小学校の先生の資格科目として設定されているもの(もちろん国語)を担当しませんか、と依頼されました。「はい、何コマでも」「半期のみでしかも1コマだけです」「あ、そうですか・・」「しないんですか?」「いえいえ、とんでもない。もちろんありがたくさせてただきます」。
……と引き受けたものの、さて、どんなことをすればよいのかわかりません。ためしに、今年度のシラバス(今春退職される先生が担当されたようです)を拝見したのですが、ウ~ン、文章が難解で、何が書いてあるのかわからない。学生さんはこれを読んでわかったのかな?
仕方がないので、自分で考えることにしました。
やはり小学校の国語を教える話ですから、文部科学省の

    学習指導要領

を読むのがいいかもしれません。参考になるというよりも、資格科目らしいのでこれに沿っておかないとクレームがつくかもしれませんから。
というわけで、頼まれた日に早速文部科学省へ行って(もちろんHPを訪問したのです)、指導要領と解説をダウンロード。プリントアウトして3日間熟読しました。
なんのことはない、私が考えていたこととほぼ一致していました。
そこで一気に書き上げて

    WEB登録

も終えました。一応その方面の専門家だろうと思われる先生(どういう方か知らないのですが、学科長をなさっているので専門家だろうと思って・・)にも案をお送りしてご指示を仰ぎましたけれども。

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時間がかかる 

何事をするにも健常な人より時間がかかります。
とにかく

    電話で済ませる

ということができないのが決定的に痛いです。メールがあるじゃないかと言われたら、確かにその通りです。ずいぶん便利で、ありがたい道具です。しかし相手が読んでくれるまでは話が通じず、しかも返事をもらうまでは相手の意向は分かりません。また、ちょっとしたことなのにメールをしてわざわざ返事を書いてもらうのは申し訳ないと思ってしまうので、メールすること自体もはばかられます。
この間は封筒がなくて3週間ほど送るべきものを送れないというバカなことをしてしまいました。
封筒なんてどこにでもあるでしょう、と思われますよね。以前なら私の属していた部署に

    事務職員さん

が張り付いていたので「封筒ありますか?」といえば「はいあります」と出してくれたのです。しかしこの学校は、今はそういう人を雇う気がないらしく、思うままになりません。
文房具屋、ホームセンター、場合によってはスーパーでも買えるでしょう。そうなのですが、そういう店が空いている時間になかなか行けず、また、休日などはうっかり忘れてしまう、という繰り返しです。
また、私の求めていた封筒が大きなものなので、小さなスーパーやドラッグストアには置いていないということもありました。
やっと仕事場でもらって事は済んだのですが、相手の方をずいぶんお待たせしてしまいました。

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贋作 

昨年は「聴覚障害を持つ作曲家」という人が、実はゴーストライターに曲を書いてもらっていたことが明らかになって、ちょっとした社会問題になりました。
ゴーストライターは本の場合いくらでもあることで、いわゆるタレント本などは多くがそれだとも言われます。ただ、その場合はそのタレントさんの個人的な事情を本にすることが多いので、内容に関しては

    本人に取材

してから書くわけで、まったくの創作というのではありません。音楽の場合は名前を貸すだけ(「作曲家」さんは「曲のイメージは伝えた」とおっしゃっていましたが)ですから、ちょっと違うような気がします。
しかし、それよりも、私はなによりも聴覚障害というほどのものがないのに聞こえないと偽ったことがひどい、と思いました。この障害は外見上何ともないとしか見えない上、ある程度の年齢で障害を持った場合はすでに言語を獲得していて話すことは普通にできますから、よけいに「ほんとうに聴覚障害?」と思われるのです。
ベートーヴェンを気取ったのかもしれませんが、「お金になる」「名声を得られる」から

    障害を装う

というのはあまりにも情けない気持ちになります。
ただ、作曲を引き受けた方はそれなりにいい曲を作られたわけですから、お蔵入りになるのはもったいないような気もします。あの方は間違ったことをしたと反省されて告白なさったのですから、もう許されてもいいだろうと思っていたら、最近バラエティ番組などに出て天然ボケ(失礼)のような発言をなさるので「おもしろい」と評判らしいですね。塞翁が馬でしょうか。

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成績 

大学の成績は教員によって、あるいは分野によってかなり考え方が違うことがあります。私が学生時代、教養科目で厳しい成績をつけるのは自然科学分野の人に多かったような記憶があります。ある先生は基本的に「可」しかつけない人でした。最初の時間にはっきりそう言われました。「だから授業には来なくてもいいよ」とも。教室いっぱいの学生が受講している(自然科学分野の科目もいくつかは取らねばならないため)のにマイクを使わず、次の時間から学生が

    来ないように

するのです(笑)。そして案の定次の時間に教室に行くと学生はまばらでした。でも授業はけっこうまじめにしてくれました。
ところが文学部に行くと成績の甘いこと、甘いこと。私は専門外の科目も取ってみようと思って、西洋史、日本史、芸術学などの授業にも出たのですが、中には何をおっしゃっているのかさっぱりわけのわからない先生もいました。ところがそんな授業でもなんとなくレポートを出すと

    「優」

がつくのです。
さすがにそこまでされると「あの先生、レポートなんて読まないのかな?」と疑ってしまいます。

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年内立春 

旧暦ではまだ12月です。本日(2月4日)は

     十二月十六日

だそうです。一日遅れの満月で、旧正月(19日)まではまだざっと2週間あります。
そして今日は立春。
こんな具合に、まだ十二月のうちに立春が来ることを

    年内立春

ということがありました。北村季吟に

  年の内へ踏み込む春の日足かな

という俳諧があります。ちょっとした遊びのような句だと思うのです。若き日の芭蕉(19歳の作)も

  春や来し年や行きけん小晦日(こつごもり)

と詠んでいます。この句はどこかで聞いたようなフレーズを含んでいます。平安時代の文学がお好きな方ならピンと来るのですが、「君や来し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかさめてか」という伊勢物語の歌を借りたのですね。蕪村もまた

  年の内の春ゆゆしきよ古暦

と吟じていますが、これらは古今和歌集にある、在原元方の歌

  年の内に春は来にけり
   ひととせを
    去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ

が根っこにあるようです。

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ようこそ学生さん 

後期の授業も終わって、自分の勉強をしようと思っているのに、仕事場に行くと何かしら雑用が待っています。
底冷えした昨日も朝一番にメールが入って

    「仕事です」

と言われましたので、ぶつぶつ言いながら(他人の前では言いませんが)働いてきました。
たまたま仕事場に行ったから言いつけられるので、知らん顔をして家に籠っておけばよかったと思わなくもないのですが、「木曜までにしなければなりませんのでよろしく」とのことで、どちらにしても行かねばならなかったわけです。
しかも1時間あまりでできるはずが、

    3時間近く

かかってしまって、かなりくたびれました。
寒い、しんどい、めんどくさいの三本立てで、ぐったりしていたのですが、そんなとき、看護学科の学生さん(1年生)が研究室に遊びに来ました。
現役の学生さんが遊びに来るのは1年ぶりくらいでしょう。それほどに私は学生さんから嫌われています(笑)。
いやまあ、嫌われているかどうかは別として、平素交流がないのは事実です。
彼女たちはそれぞれ学科に所属しているわけですから、その外側にいる私がちょっかいを出すのはどんなものかという思いもあって、ほとんど学生さんを誘ったりはしません。お誘いしてもじっくりお話しするのは困難という気持ちもありますし。

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2015 初春公演の感想(3) 

文楽初春公演の夜の部は「日吉丸稚桜」と「冥途の飛脚」でした。
「日吉丸」は語るのには面白みがありそうに思うのですが、話としてはあまりにも作為が勝って、いわば

    できすぎ

ているように思うのです。
五郎助は和生さんでしたが、どんな役でも性根をさっと掴むのはさすがだと思いました。勘弥さんが目の動きなどをうまく使って、きれいな二枚目というだけではない茂助の心の動きを見せていたのが以前にはなかった人物表現の濃さだと感じました。とても心強く思いました。動きがひとまわり大きくなっているのも頼もしく感じました。勘弥さん、四月は操だそうで、これは今後の

    試金石

になりそうです。
玉志さんの藤吉が私の見た限りでは人形がずっと安定していなかったので気になりました。鏡を使って形を確認して欲しいなと思いました。
清五郎さんの五郎助女房なのですが、私は感心しませんでした。形は整っていると思うのですが、それでは人形を操っているだけで、人形が主体的に動いているかのような感情表現をしないと感銘を与えられないと思うのです。
娘が自害したときに母親が見せるうろたえはどこにあるのだろうか。それを無視する夫に対して老妻はどんな行動をとるだろうか、そういうことが伝わってこなかったのです。動きがぷつりぷつりと切れるような感じで、そうなるとどうしても存在感が薄くなります。期待していますので頑張ってください。

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2015 初春公演の感想(2) 

道行初音の旅について感想を書いたはずなのですが、どこかへ行ってしまいました。
まったくボケています。
せっかく書いたのに・・・。何とか思い出してもう一度書きたいのですが、忘却とは忘れ去ること、なかなか思い出せないのです。

もう何度この演目を観たのでしょうか。何度観てもやはり道行の筆頭。これに勝るものはないと思えるのです。
私が思い出すのとしては

    先代 勘十郎師

の狐忠信、簑助師の静御前という、あの30年前の文楽劇場開場公演があります。これはDVDにもなっているので今でも簡単に観ることができます。
そして先代の一周忌の追善公演で簑太郎(当代勘十郎)さんの狐忠信、簑助師の静御前というのもありました。あれは別の意味で感動しました。その後も文雀師、紋寿さん、文吾さん、そして当代勘十郎さんや玉女さんなどさまざまな狐忠信を観てきました。静御前は圧倒的に簑助師が印象的ですが、これもいろんな方が遣われました。両刀遣い、つまり忠信も静も遣う方としては文雀師がありますが、当代勘十郎さんもまたどちらもすばらしいものを見せてくださっています。
このところは忠信が印象に残るのですが、今回は幸助さんを相手に静御前。
左遣いに勘弥さんを得て、とにかく美しく舞って見せてくださいました。
道行は本来景事ではなく、二段目で何らかの事情があって道行をすることになった人(多くは男女)が三段目の愁嘆場でほとんど忘れられてしまった後に、記憶を取り戻すかのように登場し、四段目を導くものだと思います。
あの時旅に出た男女が三段目の長い時間をずっと歩いていた、。ああ、この人たちは

    こうして旅を続けていた

のか、と思い起こさせる働きがあると思います。実によくできたものです。
だからほんとうはこういう形(景事のような形)で観てもおもしろさは半分です。

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