奴(やっこ)
文楽に登場する人物の中に「奴」がいます。『生写朝顔話』の関助、『新うすゆき物語』の妻平、『芦屋道満大内鑑』の与勘平、『摂州合邦辻』の入平など。実直、朴訥な人柄で忠実な家来という役柄が多く、なかなか魅力的です。
奴には独特の物言いがあって、返事をするときは「ねいねい」です。ほかにも、「坊主」を「づくにう」、「涙」を「なだ」、「〜のことだ」を「〜のこんだ」といったりします。ちょうちんのことを「火事のたまご」といったり、月のことを「星の親父」といったりする滑稽な表現もあります。「ほざく」「ほじやく」というのも奴がよく用いましたが、『心中天網島』では太兵衛が治兵衛に「盗みほざいたな」とほざいて(笑)いました。こういう
奴詞(やっこことば)
を詠み込んだ俳諧もあって、それは「奴俳諧」と言っていました。
「やっこ」というのは「家」「つ」「子」のことで、「つ」は「〜の」の意味を表します(「まつげ(目つ毛)」の「つ」と同じ)。ですから、古くは「やっこ」ではなく「やつこ」と発音していたのです。
『曽根崎心中』「生玉」
では徳兵衛が醤油樽を「恋の奴」に荷なわせていました。この「恋の奴」は、「恋の奴隷」「恋の虜」の意味に「使用人」の意味の「奴」(=長蔵)を掛けているのでしょう。
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- [2015/08/31 00:00]
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部屋掃除
整理整頓が苦手で、書棚から本を出すときちんと片付けないので、机の上に何冊も散乱しています。プリント類もどうしてもたまってしまいます。まして床掃除となるとどうにも億劫で薄汚れた部屋にいるのです。
昔は研究室の掃除を専門の人が来てあっというまに掃除機をかけてくれたのでしたが、今はそんな予算がありませんから自分でするほかはないのです。そうなるとどうしてもおろそかになってしまいます。
私のいるフロアには掃除道具の入った小さな倉庫のようなところがあって、そこには、モップとかちりとりとか雑巾とかバケツとか、フロアブラシというのでしょうか、野球のグラウンド整備に使うトンボのような形のもの、そういうものがいろいろ入っているので、2週間に一度くらいそれを借りて
部屋掃除
をしています。
でも書棚の下のような狭いところはどうしても限度があってなかなかきれいになったという実感がないのです。
一度
掃除機
をかけたいなぁ、と思っていたのです。しかし家から掃除機を持ってくるのも面倒ですし、かといってその道具入れには掃除機はありません。掃除をしてくれる方のところにはあるはずなのですが、貸してくださいというのもなんとなくはばかられて、これまではあきらめていました
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- [2015/08/30 00:00]
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森ノ宮ピロティホール
森之宮ピロティホールは、大阪環状線森ノ宮駅から徒歩5分という便利なところにあります。森ノ宮遺跡の遺構、遺物を保存するために高床式(ピロティ)になった劇場です。
昔は西側に
日生球場(日本生命球場)
がありました。なくなった近鉄バファローズのホームグラウンドのひとつでしたが、狭くて、飛ぶボールが使われていたころはポンポンとホームランが出ていました。
ピロティホールは昭和54年にできましたが、大阪市の財政悪化で2008年に閉館し、その後、民間に貸し付けることになって2年後に再オープンしました。
座席数1030というなかなか大きなホールで、文楽などを上演するには大きすぎる感があります。
森ノ宮駅のそばにはもうひとつよく似た名前の「森ノ宮ホール」があるのですが、まったく別のものです。小規模なスペースで、ダンスなどの稽古に使われるようです。
最近私は、
大阪環状線
にはあまり乗ることがなく、まして森ノ宮駅で降りることなどめったにありません。
昔は大阪城の最寄り駅のひとつでしたが、今は「大阪城公園駅」ができていますし、ほかにもお城を囲む形で地下鉄、京阪、JR東西線などの駅がありますから森ノ宮からお城に行くこともなくなりました。
そんな私が昨日、森之宮で降りて、ピロティホールに行ったのです。
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- [2015/08/29 00:00]
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いつの間にか、できる
日本人だから日本語が使えて当たり前。たしかにそうかもしれません。実際、私の周りの人はほとんど日本語で話すと分かってくださいます。一方、日本人だからといってきちんとした日本語が使えないのもまた当たり前なのです。日本人だけではありません。アメリカ人の英語にもひどいのはありますし、フランス人も韓国人も他の国の人々もいい加減な自国語を使う人は多いはずです。
だからこそ大学の授業に
日本語表現
などというのが成立するともいえます。ところがどっこい、教える方もまた完璧な日本語を使えるわけではありません。文学部の廃止などで行き場がなくなった文学の専門家の教員がやむをえずこういう授業を持つことになる、という例が多いからです。ほかならぬ私がその一人です。
自分のことを棚に上げて
申しますが、こういう教員の中には文章の下手な人、敬語などよく知らない人もいるのです。「古典文学を読んで日本語の表現を学びましょう」などとごまかして、授業内容を事実上の古典講読にした古典専門の教員もいました。こんな授業だと学生の顰蹙を買って受講者は減り、しかも内容はその教員の得意分野ですから、学生には迷惑でも教員はとても楽ができるのです。しかし、そんな器用なこと(!)ができない私は、いつも冷や汗を流しながら敬語だの挨拶だのという学生が知っておくべきことがらについて話しているのです。
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- [2015/08/28 00:00]
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江戸前の浄るり
義太夫浄瑠璃はやはり上方のものです。
ということは上方言葉で語らねばなりません。
私が、野澤松也さんのために書いた「創作浄瑠璃」はその意味では
異端
というべきかもしれません。
しかし、素材が「本所七不思議」ですから、せりふを上方言葉にするわけにはいかなかったのです。
やはり地元本所の人たちの言葉ということで、登場人物たちには下町の江戸弁をしゃべって欲しいと思いました。
よって、「おめぇ(お前)」「ありゃしねぇ(ありはしない)」「帰(けぇ)んな(帰りなさい)」などの言葉を用いて、まったく上方生まれの浄瑠璃とは相容れないようなものにしてみました。
そのことで義太夫浄瑠璃としての魅力が損なわれる可能性はあるかもしれません。
義太夫でも武者訛りというのでしょうか、
関東武士
などの言葉は上方のものではありません。ただ、町人の世界、つまり世話物ではたいてい大坂や京都が舞台ですから、上方言葉がよく映ります。江戸が舞台の「城木屋」(『恋娘昔八丈』)の人たちも上方言葉ですよね。
やはり町人の言葉は上方のものがよいのかもしれません。
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- [2015/08/27 00:00]
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アラビヤコーヒー(続)
野澤松也さんは創作浄瑠璃を各地で上演なさっています。おそらくファンの方がたくさんいらして、おしゃべりを交えながら楽しい会になっているのだろうと思います。
ご自宅で、喫茶店で、ホールで、学校で・・・。子ども向けのお話(桃太郎など)も作っていらっしゃいますので児童あるいは幼稚園児から楽しめるようです。この間、「大学の授業に助っ人に来てくださるとありがたいのですが」と申し上げたら、「空いている時間なら
行きますよ」
とおっしゃってくださいました。高等な技術をお持ちで、歌舞伎の竹本三味線として現役でご活躍の松也さんにこう言っていただけますととてもありがたいです。ただ、どうしても予算との関係になってしまいます。私が頼んでお金を出してくれるのかどうか分かりませんので(そもそも誰に頼むのかも分からないし)、きちんとお約束はできなかったのです。「日本の文化と歴史」の授業で歌舞伎の話を少ししていますので、そんなときに私の書いた創作浄瑠璃を一曲演奏してもらえたら学生もおもしろがってくれるかも(ダメかな?)とは思うのです。三味線の音はけっこう響きますが、防音の部屋もありますから、何とかなるような気がするのです。
大学祭にもいいのですが、今や国文科もない大学ですから、歌舞伎の三味線弾きさんを呼ぶという発想は学生にもないだろうと思います。
そんな松也さんの今回のライブはミナミのコーヒー店。知る人ぞ知る
アラビヤコーヒー
でした。
24日の夕方6時からの公演で、約1時間。
以下、そのあらましを書いておきます。
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- [2015/08/26 00:00]
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アラビヤコーヒー
大阪ナンバには個性的な店があります。有名なのは割烹の正弁丹吾亭やカレーの「自由軒」などでしょうか。文楽にもなった織田作之助の
『夫婦善哉』
では柳吉がグルメぶりを発揮してさまざまな店を紹介してくれます。そうそう、法善寺の「夫婦善哉」そのものも忘れられない存在です。
道頓堀のかつての芝居町がすっかり様変わりして、面白みがなくなりましたが、それでも裏通りなどに入るとおもしろい店がまだまだあるようです。
文楽の技芸員さんなど、かなり詳しい方がいらして、出番の合間などに「ちょっとお話ししたいのですが」などというと「ではどこそこの喫茶店で」といって、初めていくような店に案内してもらうこともあります。あの人たちに任せておけば「どこのなにがおいしい」という情報などいくらでも入ってきそうです。太夫さんと一緒だと、声がいいですから、注文してもらったら一発で通ります(笑)。
「だしまきの夕べ」
の会場にさせていただいている日本橋の「両輪」(りょうわ)も、私が最初に行ったのは技芸員さんと一緒でした(その時は今の場所ではなく、少し劇場側のビルの二階にありました)。
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- [2015/08/25 00:00]
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出汁
和食が無形文化遺産に登録されたのは記憶に新しいところです。日本の文化の授業では、伝統芸能の話もするのですが、こういう話題も取り入れることにしています。
私は一方的に講義する形の授業はしません。こういう話題になると、食物関係の学生がいますので、彼女たちの
自尊心をくすぐる
意味もあって、なぜ和食がそんなに評価されるのか、皆さんの方から私に教えてください、ということにしています。すると、ここぞとばかりにいろいろ意見を出してくれます。
地中海料理も同じ無形文化遺産ですが、そちらは地中海式ダイエットピラミッドでもおなじみです。こういうのも話に入れると学生は俄然興味を示します。
オリーブオイル
を使った料理がとてもいいのだとか。最近、オリーブオイルはスーパーでもとてもよく見かけます。荏胡麻油のように品薄にはなっていないようですが。
さて、和食なのですが、学生から出てくることばとしては「素材の味を生かした」「だし(出汁)を用いた」料理というのがやはりもっとも多いものです。文化という面では料理の見た目の問題や通過儀礼との関係なども話題にするのですが、彼女たちはやはり栄養とか味とか、そちらに関心が強いようです。
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- [2015/08/24 00:00]
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送り拍子木
本所七不思議には『送り拍子木』という伝承もあります。
本所の割下水のあたりで夜回りをしていると、後ろから自分が打った拍子木の音とよく似た拍子木が聞こえてくる。しかし後ろには誰もいない。
簡単に申しますと以上のような内容です。
拍子木の音が何かに反響しているだけのかもしれませんが、こういうこともまた「七不思議」に数えられるわけです。
この伝承を用いて何か短い物語ができないだろうかと考えました。前回ご紹介した『灯りなし蕎麦屋』は「狸が食べるものに困って里に出てきて、それに施しをする蕎麦屋のおやじ」を素材にしたのでしたが、実は現代の、山から下りてきて食害をもたらす熊や鹿の問題を念頭に置いて書いたのでした。というより、動物たちが、食べ物がなくなって山から下りてきただけなのに、食害と言われて追われる不条理を書き込みたかったのです。
今回ご紹介する『送り拍子木』も弱者に対して非道なふるまいをする人間を登場させました。やはり
現代の浄瑠璃
なので、現代社会を意識したいという思いがあるからです。弱者に容赦なく攻撃する非道きわまりない輩は今なおあちこちにいるのです。しかも、非道であってはならないはずの、いわゆる社会的地位の高い人にいるから困るのです。しいたげられる人の立場をいくらかは分かるつもりですので、こういうことはこれからも遠慮なく書いていきます。
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- [2015/08/23 00:00]
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灯りなし蕎麦屋
野澤松也さんに作曲、上演していただいた創作浄瑠璃、二つ目にご紹介するのは
『灯りなし蕎麦屋』
です。
これも本所七不思議によるもので、基になっているのは次のような伝承です。
江戸本所の南割下水のあたりには屋台の蕎麦屋が出たが、そのなかのひとつの屋台は行燈の灯が消えたままで、店の主人もいない。おせっかいをして灯をつけると不幸に見舞われる。
この話は狸の仕業という伝承もあるのだそうで、それを生かして次のようなものを書きました。
『送り提灯』を読んでくださった方はお気づきの通り、完全な
江戸弁
で、義太夫節は上方のもの、という常識からは外れています。この作品も同じで、登場人物はすべて江戸っ子、言葉も江戸の訛りで書いています。ただし、私は、江戸弁はできませんので、想像で書いています。「おいらたちゃー、こんな言い方はしねえぜ」とお叱りを受けるかもしれません。
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- [2015/08/22 00:00]
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送り提灯
歌舞伎三味線(竹本)の野澤松也さんの節付けによる拙作『灯りなし蕎麦屋』『送り提灯』が先月26日に松也さんのご自宅で初演されました。
書籍編集者をなさっている方のご紹介だったのですが、松也さんは東京都墨田区に伝わる、いわゆる
本所七不思議
の話を短い浄瑠璃風の作品にしてすべて語りたいというご希望だったのです。すでにご自身で二つ作っていらっしゃいますので、あと5つ6つの作品が書けます(七不思議といっても実際はそれ以上伝わっています)。
文字通りの拙作で、あまり上出来とはいえないのですが、とにかく上記の『灯りなし蕎麦屋』『送り提灯』の二作ともうひとつ『送り拍子木』をお送りしましたら、まず二作を上演してくださったのでした。さらに『送り拍子木』も作曲が終わって、近く上演してくださるそうです。
そこで、どういうものなのかをここに書き留めておきます。
今日はまず
『送り提灯』
です。この奇談はおよそ次のように伝えられるものです。
提灯を持たないで歩いている人の前に、灯りが見え、これはありがたいと思って近づくとその灯りが消え、また灯りが見えるので近づくと消えるのです。
これをどこまで生かして創作するか、習作としてとりあえず書き始めたのです。あいにく最後の部分が言葉の洒落のような感じで自分としては今ひとつなのですが、そこはもう松也さんの技によってカバーしていただくほかはありません。
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- [2015/08/21 00:00]
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熱中症
暑さのピークは過ぎたのでしょう。
よりによって立秋の日(今年は8月8日)が一番の暑さだったと思います。
部屋の気温が、
39.0度
に達したのを確認しました。これはかつて体験したことのない気温です。だいたい私の家のあたりは京都や大阪に比べると穏やかな方なのですが、この日ばかりはいい勝負だったのではないかと思います。
いくらなんでもその部屋にはいられず、35度ちょっとに収まっていた部屋に逃げ込みました。なんと涼しかったことか! エアコン嫌いというか、エアコンの電気代嫌い(笑)の私ですので、じっとりとした汗にまみれて仕事をしたり昼寝をしたりしていました(昼寝の方が多いかも)。
熱中症で、家の中で亡くなる方があるという新聞記事が見られます。やはりエアコンをつけずに気分が悪くなって倒れられた方なのかもしれません。特に
高齢の方
は気をつけないと取り返しがつかないことになります。
私は、以前はそんなのは他人事、自分には関係ないだろうと、何の根拠もなく思っていたのですが、最近何度かそうもいえないぞと思うことがありました。
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- [2015/08/20 00:00]
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お盆
例年、お盆の時期は関西を離れるのですが,今年は動きませんでした。
なにごともなく、淡々と日々を過ごした。
しばしば書きますが、以前は京都の研究会に通った頃です。この研究会は必ずお盆の時期なので、せっかく戻ってくるご先祖様に訳が立たないような気がするのですが、参加者がとても熱心で、サボることもできませず、私もご先祖様よりも
ひたすら勉強
していました。この怠け者の私にもそういう時期があったのです。
なぜこんな時期に研究会をしたのか、よく解らないのですが、指導者の先生が大文字の送り火をご覧になりたいためではないかという(笑)噂もありました。先生、変なことを申しましてすみません。
実際、送り火の当日は
百万遍
のビルの屋上から東山の大文字と妙法の二つを見るのが常でした。
その研究会も解散し、あの当時仲間だった人たちはみんな立派になって各方面で活躍しています。私くらいです、こんなうらぶれた暮らしをしているのは(笑)。
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- [2015/08/19 00:00]
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最近の天王寺界隈(2)
四天王寺でもさすがに疲れました。熱中症が怖いので、ここでも休憩。幸い、冷房完備の無料休憩所があって助かります。
そしてもうひとつの目的地は
超願寺
です。ここには義太夫の墓があります。
以前の墓はもう今にも崩れそうで危なっかしかったのですが、これもまたきれいになりました。
以前の墓は下の写真です。
紋と「義太夫」の文字がそれぞれ半分なくなっていました。
↑以前の義太夫墓(全体。超願寺)
↑以前の義太夫墓(超願寺)
これがとてもきれいになっていました。「鞠挟み九枚笹」の紋もはっきりわかります。
↑現在の義太夫墓(超願寺)
↑現在の義太夫墓の紋の部分(超願寺)
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- [2015/08/18 00:00]
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最近の天王寺界隈(1)
文楽夏休み公演中のある日、劇場から帰る際、天王寺方面に寄り道をすることにしました。
生玉神社を経て先代の玉男師匠、勘十郎師匠のお墓に参り、竹田出雲の墓にも寄って四天王寺に向かいました。
朝の部のあと、用があって道頓堀に立ち寄りました。そこで雷鳴があったようで地下に逃げ込んで昼食、そしてもし雨が降っていなかったら四天王寺へ、降っていたらそのまま帰ろうと考えました。
地上にあがると強い日差しでした。
一気に歩こうとしたら熱中症になりかねませんので、いきなり劇場に戻って休憩(笑)。そして意を決して生玉へ。
久しぶりに行きました。珍しい写真でもありませんが、挙げておきます。
↑浄るり神社
↑八雲の碑
↑西鶴像
↑米沢彦八の碑
すぐ近くの銀山寺は先代玉男師匠の墓所でもありますが、お千代半兵衛の墓もあります。
↑お千代半兵衛の墓(銀山寺)
このあと先代勘十郎師匠の墓にも行きました。玉男師匠のお墓ともども、最近の方ですので、写真は遠慮しておきます。
そしてすぐ近くに竹田出雲一族の墓もあります。
↑竹田出雲一族の墓(青蓮寺)
このあたりまで歩いたところでかなり疲れました。水分補給をしてしばし休憩。そしていよいよ四天王寺に向かいました。
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- [2015/08/17 00:00]
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生写朝顔話6(有朋堂文庫による)
現在の上演は大井川で終わりますが、有朋堂文庫には「帰り咲吾妻の路草」(道行)と「駒沢上屋敷」が翻刻されています。原作とは異なる増補あるいは改作なのでしょうが、いちおうこれも書いておきます。
帰り咲吾妻の路草
昔の姿に戻った深雪は二川、吉田、御油、赤坂と西上し、藤川縄手で休息します。遅れてやってきた関助とともにさらに道を急ぎます。
駒沢上屋敷
大坂の駒沢の上屋敷。大内義興は東国で大友の残党を誅伐して帰国する途中、岩代多喜太をお供にしてこの屋敷に立ち寄ります。義興は「大友の残党がなおも徘徊しているというが、攻め討つ方法はあるか」と問います。岩代は危険だからやめたほうがいいという旨を言上するので、駒沢は「それはあとのことにしてまず茶を一服」と奥の亭に義興を誘います。
関助が深雪を伴ってやってきました。駒沢が出てくると深雪は嬉しく、もじもじしています。駒沢は深雪にいたわりの言葉をかけ、「今日は殿のおなりなので、わけを申し上げてお許しがあれば添い遂げよう」と言います。すると義興が現れ、「話は聞いた。今ここで
祝言しよう」
と言い、婚儀がおこなわれます。そこに岩代が出てきて憎まれ口を叩いたあと帰ろうとすると、「大友一味の反逆人、そこを動くな」と声を掛ける者があります。駒沢庄一郎(春次)でした。
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- [2015/08/16 00:00]
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生写朝顔話5(有朋堂文庫による)
摩耶が嶽 切場
浮洲仁三郎がいろりの火に当たっていると、千里が出てきて話しかけます。千里は荒妙やその手下たちの仕事が山賊だと知らず、猟師だと思っているのです。
千里ははじめて仁三郎を見たときから恋しくなり、いつぞや母が連れてきた娘に習って恋文も書いたのですが、返事もくれません。そこでついにここで思いを打ち明けるのです。すると仁三郎は「もし本気でそう思ってくれるなら頼みがある。あなたの母の持っている
『女の病気を治すお守り』
というものをそっと見せて欲しい」といいます。千里は「それは母が二重箱に入れて鍵をかけ、その鍵は母が肌身離さず持っている。でもなんとかするから、ちょっと奥の間へ」といって仁三郎の手を引いて連れて行きます。
そこに人買いの
輪抜吉兵衛
が駕籠を伴ってやってきます。荒妙を呼び出して「この間あずかったこの娘は泣きわめくばかりで、奉公はいやだといって逃げようとする。損をしないうちに返しに来た」といって深雪を駕籠から引き出します。
荒妙が、山蛭がさらってきた娘を吉兵衛に渡すと、吉兵衛はその娘を連れて帰ります。
荒妙は深雪を折檻すると脅して奉公に行けと詰め寄り、それでも逃げようとする深雪を引きずりまわします。そこに出てきた千里があまりのひどい仕打ちに「自分をかわりに売ってくれ」といいますが荒妙は摂関をやめず、ついに深雪は倒れてしまいます。
そこに手下の眼太がやってきて、大名の金飛脚を見つけたので襲ったところ手ごわいので助けが欲しいといって戻っていきます。荒妙は刀を取って自ら加勢に行きます。
仁三郎が出てきます。千里は事情を話してまずは意識を失った娘(深雪)を助けたいと言いますので、仁三郎は「今こそ例の『お守り』を持ってきて欲しい」と言い、千里は立ち去ります。仁三郎が娘の身につけている守り袋を見ると「芸州岸戸の家中秋月弓之助が娘深雪」と書かれていました。
そこに千里が箱を持ってきます。それを深雪の額に当てると深雪は息を吹き返します。千里は深雪を逃がしてやるといって御影のほうに降りる近道を教え、深雪は感謝して逃げていきます。
仁三郎が箱を砕くと中から山岡玄蕃の密書と薬王樹が出てきます。「荒妙こそ玉橋の局と名乗ってこの薬王樹を奪った大友の残党、謀反人だ。あなたとの縁もこれまでだ」と仁三郎は千里に言って一間に駆け込みます。
そこに荒妙が戻り、壊れた箱を見て驚き娘に事情を問うと、千里は喉に刀を突き立てます。千里が事情を話すと荒妙は仁三郎が大内の回し者だと気がつき、一間の障子を引き開けます。
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- [2015/08/15 00:00]
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生写朝顔話4(有朋堂文庫による)
三段目の口に当たるのが「小瀬川」です。これは安芸と周防の国境にある、今なら広島県と山口県の境を流れる川のことをいうのでしょう。
ここで深雪は謎の老女に連れ去られます。
小瀬川
小瀬川の入江に繋留している船に向かって、在所の親父が声をかけます。その船に乗っている老女にお守りを求めているのです。前夜のお守り(実は薬王樹)のおかげで病状がよくなった娘にもう一度お守りを、というのです。老女は承知してついてきます。
そこに二人の悪者が現れます。深雪を拐かそうとしているのですが、見失い、仲間割れをしたり仲直りをしたりしています。二人がまた深雪を探しに行くと入れ替わりに深雪が出てきます。深雪は母や浅香や阿曽次郎を思いながら、
抱え帯
を枝にかけて死のうとします。そこに先ほどの老女が現れ、自分が恋しい男を探して逢わせてやろうといいます。するとまた悪者が現れるのですが、老女が痛めつけた上で金を投げつけると、悪者はそれを持って逃げていきます。
老女が
呼子の笛
を吹くと船の者が歩み板を掛け、深雪を伴って船に乗ると船はすぐに出ます。
そこに関助がやって来るのですが時すでに遅く、舟は陸を離れていきます。先ほどの悪者が関助の着物を狙いますが、逆に殺され、関助は必死にあとを追います。
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- [2015/08/14 00:00]
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生写朝顔話3(有朋堂文庫による)
大磯揚屋は大きな山場。二段目の切に当たります。
ここで駒沢次郎左衛門が主君大内義興にどのように諌言するのでしょうか。鎌倉に勤番の義興ですから、大磯になっていますが、実際は江戸勤番で吉原を暗示しているのでしょう。ですから、登場するのは松葉屋であり傾城瀬川です。
<大磯揚屋>
大磯の松葉屋では今日は廓中の女を総揚げにして大踊りをするという注文が入って亭主の仁左衛門は大忙しです。注文の主は
大内義興
です。岩代多喜太にせかされた仁左衛門が勝手へ行くと赤星運八がやってきます。岩代に「殿(義興)は傾城瀬川と後から来る」と伝えると、岩代は相談があるといって赤星とともに奥に入ります。
やがて義興が瀬川らを伴って千鳥足でやってきます。岩代が現れると義興は「田舎からやってきた新参者(すでに駒沢次郎左衛門となっている宮城阿曽次郎)が会いたいと言っているらしいが踊りの中に呼んで恥をかかせよう」と言います。岩代が「駒沢がもし諌言したらどうしますか」と問うと「相手にしない。しつこく言えば
手討ち
にする」とまで言います。
やがて踊りが始まり、召された駒沢も現れます。駒沢は諌言に来たのではなく、叔父の跡目を相続したため殿にお目見えしたかったこと、一度でも殿のおそばでお酒の相手をしたいと思って来たのだと言います。義興が大盃を進めると駒沢は見事に飲み干し、岩代に盃を回すのですが、岩代は飲み干せず、義興は駒沢を気に入り、奥で飲みなおそうと新造禿とともに座を立ちます。
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- [2015/08/13 00:00]
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生写朝顔話2(有朋堂文庫による)
「岡崎」の段切で瓜生勇蔵が秋月弓之助に国許の状況を語り、それゆえに弓之助はあわてて帰国の途に着いたのでした。その状況は次のようなことでした。
お蘭の方の威光を借りて蘆柄伝蔵(お蘭の弟)が金銀を貪った結果、領内の民が一揆を起こし、大乱となる気配です。そこで芸州(安芸国)岸戸の殿は弓之助に頼るほかはないと帰国を求めてきたのです。
弓之助屋敷
安芸国の一揆は収まり、秋月弓之助は以前も増して重用されるようになりました。しかし阿曽次郎のことが忘れられない娘の深雪は心が晴れません。
弓之助の留守中に蘆柄伝蔵が来ました。伝蔵はかねてから深雪を妻にしたいと申し出ており、姉のお蘭の方の威光を笠に着て弓之助の妻の操に返答を迫るのです。不快に思った操は「娘は病気だ」とごまかそうとします。そして家捜しをすると言い出す伝蔵に対して、無礼を咎めて長刀を取り出します。さすがの伝蔵もすごすごと引き上げるのでした。
ややあって弓之助が帰ります。妻が御前の首尾を尋ねると、弓之助は加増されたことなどを話し、さらには大内家の使者として来ていた駒沢次郎左衛門という
人品骨柄の立派な
武士と酒席をともにしたと話します。殿がこの若武者と深雪の結婚を勧めると話は一気に進み、舅と婿の固めの盃までしてきたというのです。
操はあまりにも性急だと思うのですが、弓之助は次郎左衛門を「日本一の上々婿」と称えてご機嫌の体です。酒を過ごした弓之助は暫時休むと居間に行きます。
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生写朝顔話1(有朋堂文庫による)
『生写朝顔話』(天保三年=1832=初演。山田案山子)は深雪と阿曽次郎のすれ違いの話として人気狂言になっていますが、私は全体像をよく知りません。そこで、有朋堂文庫で読んでみましたので、その概要をここに覚書として記しておきます。
全体の構成は
大内館 松原 宇治 真葛が原 岡崎
明石船別れ 弓之助家鋪 大磯揚屋
小瀬川 摩耶が嶽 摩耶が嶽(三段目の切)
浜松 宿屋(口) 宿屋
帰り咲吾妻の路草
駒沢上屋鋪
となっていますが、初演番付を見ると、
大内館 松原 宇治川 茶店 岡崎
明石船別 弓之助やしき 大磯揚屋
小瀬川 摩耶ヶ嶽
濱松 嶋田宿や
駒沢閑居 山岡屋鋪 多々羅濱
という構成になっています。
五段目がかなりあれこれあって、どんな内容なのか気になるのですが、よくわかりません。「駒沢上屋敷」がこれらをまとめてしまっているのでしょうか。どちらにも「薬売り」はありません。
<大内館>
鎮西探題大内義興は勤番で鎌倉にいます。その留守を預かるのは義興の母である後室園生の方。
朝廷から玉橋の局(実はにせもの)が周防に下向してきました。饗応の役目は邪悪な山岡玄蕃之允で、相役は儒学の師範駒沢了庵です。玉橋局は「中宮がご病気なので、当家に伝わる、天竺の蓍婆が所持していたという
薬王樹
を借りたい」と言います。後室が「家老とすぐに相談します」と答えると、駒沢は「当家の宝物だから鎌倉に急使を立てましょう」と言い、山岡は駒沢を馬鹿者呼ばわりした上で「緊急のことだからすぐに渡すべきだ」と反論します。後室は二人の中に入り、局には「すぐに用意しますのでしばらく奥でお待ちください」と答え、局は座を立ちます。後室は駒沢と山岡に向かって「薬王樹は用意するが、義興が
鎌倉で遊蕩
していて、諫言する者を手討ちにするという。それをなんとかしてほしい」と言います。
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- [2015/08/11 00:00]
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漢文
平安時代の男性貴族の教養の第一は漢文でした。
これができないと恥でしたし、優れていると仕事にも有利でした。
ランクの低い役職を命ぜられた紫式部の父親は、漢詩の創作がすぐれていたために、その力を発揮して見事に上のランクの食をもらったという話が伝わるくらいです。
私は大学で
日本古典文学
を勉強しましたが、当然漢文も出てきます。白居易(白楽天)や王維、杜甫、李白らの本場のものはもちろん、日本人の詠んだ漢詩もいろいろあります。菅原道真は名人です。
詩だけではありません。中国語で書かれた仏典、史書、医書、暦書その他、古代日本人が学問の手本としたもろもろの文献も読みこなさねばなりません。さらには、日本人が書いた破格の漢文(変体漢文とも)も読まなければならないのです。ある先生のゼミでは、注釈書などない漢字だらけの本を読まされて悪戦苦闘しました。
日本人の書く漢文は、ときどき敬語が入ったりします。たとえば
左大臣参給大内
とあると、「左大臣、大内に参り給ふ」と読むのです。中国の文献ならこんな語法は出てきません。これ以外にも、日本漢文は独特の書き方がありますので、慣れるまでは大変です(慣れてからも大変です)。
こういう文献を読めるようになるにはどうすればいいのだろう、とほんとうに悩んだものでした。
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- [2015/08/10 00:00]
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聖護院の町外れ
文楽夏休み公演では「生写朝顔話」が出ました。しかも今回は久しぶりに
真葛が原茶店
岡崎隠れ家
が上演され、私は以前の上演を観ていませんので、おもしろく拝見しました。
真葛が原は今の円山公園のあたり。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての天台僧の慈円(慈鎮)が
我が恋は松を時雨の染めかねて
真葛が原に風騒ぐなり
と詠んだのがここだともいわれますが、固有名詞と取らずに葛の茂る原、という程度に理解しても問題はないところです。
(紅葉させるという)時雨でも、さすがに常緑の松だけは染められず、真葛が原には風がさわぎ、葛の葉は裏を見せている。それと同じように、私の恋は時雨のような涙を流して訴えてもあの人の心を変えることはできない。そして葛の葉の裏が見えるように恨みを持つばかりなのです。
・・・とでもいうことでしょうか。
慈円の歌はともかく、「朝顔話」では丸山(円山)あたりの真葛が原に設定されています。
祇園も近く、円山にあった端之寮(はしのりょう)も祐仙の言葉の中に出てきます。
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- [2015/08/09 00:00]
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宇治の蛍
『生写朝顔話』「宇治川蛍狩」はなかなかいい場面です。
京阪電鉄とJRの宇治駅の間にあるのが宇治橋」ですが、このあたりは源氏物語や平家物語、さらには平等院、宇治茶のお店などもあって観光地としていつもにぎわっています。
私も宇治に行くとどうしてもあのあたりを歩くことになってしまいます。宇治上神社、宇治神社、朝霧橋、源氏物語ミュージアム、宇治橋、浮舟と匂宮の像などなど。
そのあたりよりずっと上流(宇治川はかなり曲がりくねっていますので、宇治橋から見ると南東ということになります)に天ケ瀬ダムがあります。その近くに
蛍塚
という石碑があるのです。
ここには
宇治川の蛍は、古くから世に知られた、夏の風物詩であった。
高く低く川面に映える無数の蛍火は、蛍ヶ渕と名付けられた
このあたりを中心にして、幻想的な光の渦を描きだしていた。
とりわけ毎年旧暦五月二十六日の夜は、平家打倒の夢も空
しく、治承四年(一一八〇)のこの日に、平等院の境内で無念
の最期を遂げた、源三位入道頼政と同志の武者たちの亡魂
が、蛍と化して挑み合うと伝えられ、宇治の蛍合戦とさえと呼
ばれて、多くの遊客をあつめていた。源氏蛍の名を得た所以
もまたこゝにあると言う。
と記されています。
さらにその横には源三位頼政の
いさやその蛍の数は知らねども
玉江の芦のみえぬ葉ぞなき
の歌碑もあります。
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- [2015/08/08 00:00]
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木幡に行きたい
本所に行くのはなかなか大変ですが、木幡ならなんとか交通費も出せそうな気がします。木幡、といってもあまり馴染みのある地名ではありませんが、詳しい地名でいうと、
京都府宇治市木幡
です。
ここも以前訪ねてはいるのですが、やはりもう一度行きたいと思っています。木幡は京の都から見て南東部。もう少し南へ行くと宇治市街で、おなじみの平等院などがあります。あの平等院はもともと藤原道長の別荘の一部にあたり、道長の息子の頼通が寺院にしたものです。ですから、道長は宇治には川遊びなどに来ているのです。
京阪宇治駅を降りて川の反対側に行くと
源氏物語ミュージアム
があります。閑静なたたずまいの博物館で、模型、人形による物語場面の復元、短い映画(源氏物語宇治十帖に関するもの)などを見ることができます。
宇治上神社、宇治神社などを経て浮舟と匂宮の像などを見ながら朝霧橋を渡って宇治川左岸(西側)へ。すると平等院は目の前です。ここに行ったあとぶらぶらと宇治茶関係の土産物などを見て宇治橋に出ると紫式部の像などもあります。
観光地としてまとまっているので、人気があります。
京阪宇治駅から中書島の方に戻ると、三室戸、黄檗、木幡、六地蔵と、名前を聞いているだけでうっとりするような駅があります。
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- [2015/08/07 00:00]
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本所に行きたい
以前、しばしば東京に行っていました。しかし、経済的な理由でもう5年以上行っていないと思います。
勉強のためにもなんとしても行きたいのですが、そういう経費を認めてくれないのですべて自腹。そうなると今の私には無理なのです。
東京のどこかで、報酬はゼロでも交通費を出してくれる仕事があったら、ホイホイと飛んでいくのですが(笑)、それもまた望むべくもありません。
東京に行く場合、以前は必ず国立劇場がらみでした。文楽のある2、5、9、12月に合わせて仕事をでっち上げて(笑)行ったものでした。
そして、その都度といってもよいくらい、
上野、浅草、両国方面
に行きました。上野は国立博物館、都美術館、芸大などが目的地という場合が多く、パンダは全然見に行っていません。で、浅草を歩き、隅田川を渡って、向島とか本所、深川。どうも下町が性に合うようなのです。歌川広重の
名所江戸百景
に描かれるあの辺りの風景はとても好きで、さすがに今はもうその名残はあまりありませんが、せめてその跡地をもう一度訪ねたいと思いながら今に至っています。
本所、両国と言えば吉良邸跡があり、富岡八幡宮があり、回向院があり、相撲部屋があり。赤穂御一行様の跡を追って、永代橋の方まで歩いたこともありました。
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- [2015/08/06 00:00]
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筆ペン
「芳名」ということばがあります。芳しいお名前。相手を敬ってその名前のことをこんなふうに言った昔の人はなかなかいい言葉のセンスがあったようです。
「芳」という字を使う熟語には「芳信」「芳心」「芳情」「芳志」などもあります。いずれも相手の手紙や心を敬って言うものです。
「ご芳信ありがたく拝読いたしました」「ご芳名はかねがね承っております」など、手紙文などでは今でも使えますね。ほとんどの学生はそういう表現を知りませんので、
社会人の言葉遣い
として教えるというか、そういう言い方もあるんだよ、という話を授業の中でしています。そんなので授業になるの? 大学の授業って簡単だね、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、はい、こういう授業もあるのです。
自分では使わなくても、「芳名」ということばを目にすることがあります。
芳名録
あるいは芳名帳という形で、パーティその他のセレモニーなどで受付に置いてあります。
あれに記帳する時、たじろぐことがあります。すぐ横にやたら達筆の人が名前を書いていると、なんだか書きにくいのです。あるいは目の前で筆を取り上げてさらさらと記帳されると、その横に置いてあるサインペンなど取りにくくなってしまいます。
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- [2015/08/05 00:00]
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家庭菜園
平安時代の中ごろに慶滋保胤(よししげのたすたね ?〜1002)という人物がいました。賀茂忠行の子ですが、その「賀」を「慶」、「茂」を「滋」と字を変えて慶滋を名乗りました。学者で身分は高くなく、官位も従五位下止まりでした。仏教に傾倒して『日本往生極楽記』を記しています。極楽往生した人の伝記ですね。
その保胤はもうひとつ
『池亭記』
という著書も残しています。なかなかおもしろいもので、彼が五十歳ころにやっと手に入れた家のこと、京都土地事情などが書かれています。
彼は長らく自分の家を持たなかったのですが、いつか自宅をという希望はあったようです。そして、そろそろ手に入れようと決めたのですが、一条、二条のあたりなど高嶺の花。三条、四条も手が届きません。同じ三条でも西の京(大内裏より西側)に行けば高くはないのですが、こちらは湿地で住宅に適さず、実際住んでいる人などあまりいないと言うのです。
十世紀の後半にして、京都はすでに東側、つまり
左京
が栄えて、しかも次第に鴨川を超えて東山の方も開けていったのです。
さて、保胤がやっと手に入れたのは六条の家でした。六条というと『源氏物語』では紫の上が幼い頃住んでいたり、六条御息所が屋敷を持っていたり、光源氏が壮麗な六条院を建てたりしていますから、かなり開けたところかというと、実はそうではないのです。このあたりは内裏から遠く、貴族の邸宅というと、たいていは隠居屋敷のようなもの。光源氏も本来は二条で暮らしていたのですが、もうこれ以上はないという地位にまで上り詰めて悠々と六条で暮らすことにしたのです。
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- [2015/08/04 00:00]
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2015年文楽夏休み公演千秋楽
なんだかんだといっているうちに早くも文楽夏休み公演は千秋楽となりました。
感想はまた後日書こうと思っています。
このあと、文楽はいくつかの公演やそれぞれの技芸員さんの個別のお仕事を経て
9月東京公演
になります。
『妹背山婦女庭訓』では入鹿誅伐が出ますね。
今、妹背山を通しで上演する場合、太夫さんの配役はどうなるのでしょうか。かなりきつそうな気がします。
杉酒屋を咲甫さん、というのはなかなかの抜擢かと思います。
道行の床も楽しみではないでしょうか。
それにしても最近、おおおっ! という配役があまりないような気もします。
「面売り」が最初につきます。新曲は上演する価値がないという意見もあるようです。そういうご意見はひとつのお考えとして尊重いたしますが、私は価値がないとはまったく思っていません。
時としてこういう演目を観ていてはっと気づくことがある、という経験も持ちますので。
今週末には秋が立ち、終戦の日も近づいてきました。
まだまだ暑いですが、文楽の夏は終わりました。
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- [2015/08/03 00:00]
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第28回だしまきの夕べ
だしまきを賞味しながら文楽を語る会、
だしまきの夕べ
が28回目迎え、昨夜大阪日本橋の季節料理の店「両輪」でおこなわれました。
今回はゲストに
豊竹希大夫さん
吉田玉誉さん
がおいでくださいました。
ご参加くださった皆様はどんなお話をなさったのでしょうか。またご自由に書きとめてくださいますように。
- [2015/08/02 00:00]
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