月の明るさ 

9月27日は中秋の名月でした。旧暦で言うと八月十五日、秋が深まっていくころに見える満月で多くの人に愛されてきました。
源氏物語の主要な女性のうち、葵の上(光源氏の最初の妻)、夕顔(光源氏がもっとも心惹かれた中流階級の女性)、紫の上(光源氏の最愛の妻)は、八月十五日前後に亡くなっています。
作者の紫式部はどういう気持ちでこの人たちの最期をこの時期に設定したのでしょうか。

    「秋は悲しい季節」

というのは、本来は日本人の感じ方ではありません。むしろ中国文学(漢詩など)の影響で秋は悲しいものと感じられるようになったものといえそうです。そして、古今和歌集(905年成立)の秋の部には秋の悲しさを詠んだ歌がいろいろ出てきます。

  木の間よりもりくる月の影見れば
    心づくしの秋は来にけり
 (木の間から漏れてくる月の光を見る、
  ああ、物思いの限りを尽くす秋がやっ
  て来たのだ)

  月見ればちぢに物こそ悲しけれ
    我が身一つの秋にはあらねど
  (月を見るとなんとも物悲しい。
   私だけのための秋ではないのだが)

秋の悲しさは月の光にも感じられるわけです。太陽の光とは違った儚さ、寂しさを感じ取る繊細さは日本人の心にぴったりはまったのだろうと思います。
その一方で、月の光の明るさ、美しさもまた和歌に詠まれることがあります。

  ひさかたの月の桂も秋はなほ
    紅葉すればや照りまさるらむ
  (月に生えているという桂も秋は紅葉
   するから照り勝るのだろうか)

とても気の利いた、悪くいうとあほらしいような発想の、古今集時代に発達した詠み方の歌です。私はこういう発想はとても好きですが。

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アカペラ 

以前ここに書いたことがあるかもしれませんが、私は学生時代に同級生に誘われて男性四重唱をしていました。なり手がいないからというので、どう考えてもバリトンなのにバスパートを歌ったのです。といってもあくまで遊びですから、それでお金をもらうとかそういうレベルではありません。そもそも、そんな低い音なんて出ないので、口パクに近かったかもしれません。それでも、賛美歌とか

デュークエイセスの

    ガマガエル(笑)

などを歌いました。
どこも似ていないと思っていた長男は学生時代にアカペラのグループ(四重唱ではありません)を作って、そこでバスを担当したそうです。私が四重唱をしていたなんて話したことがありませんので、偶然の一致というか不思議な話です。
彼は私よりは本格的で、ちょっとしたところでライヴ演奏をしていたようです。
家でも楽譜を一生懸命読んでいました。
私は、実は音痴なのです。うまく音が取れなくて音感がかなり悪いのです。おまけに、小学生の時に、歌を唄うテストのような時間があって、当時は

    ボーイソプラノ

のつもりだったのに変なところから声が出て、同級生の女の子に笑われたことがあります。それ以来、歌には自信がないのです。同級生はそれとも知らずに私を仲間に入れたのです。彼らは皆、割合に甲高い声をしていましたので、少しでも低めの声だと、「どうせ低音なんて目立たないんだから、こいつで間に合わせておけ」という感じだったのかな。

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87cm 

秋はやはりいいです。夏は歩くのもいやになりますが、秋風が吹くといくらでも歩けそうな気になります。
先日、連休だということを知らずに仕事に行く用意をしていたらSNSで「連休ですね」というようなつぶやきが流れて「えっ!?」と思ったのでした。
そうか、休みなのか、ということで、じゃあ、何をするかと言うと、結局はたまっている仕事をするだけです(笑)。
しかしそれでは愛想もありませんので、朝早くから

    散歩

に行っていました。これとてさほど愛想はありませんが。気候がいいので、少し遠くまで行ってみようと、徒歩15分くらいのところにある河川敷のジョギングコースまで行きました。ここはほぼまっすぐで、200mごとに「200m」「400m」・・・と標識が立っているのです。全長1kmで、多くの人は往復しています。
私は歩くのです。そしてさらに河川敷のそばにある公園の外周を歩きました。この公園はかなり大きくて、外周を歩くとちょうど

    1000歩

くらいなのです(厳密にいうと1040歩くらい)。
そこまで行くのにもけっこう歩いていましたので、結局9000歩近く歩いていました。それを連日繰り返していたのです。
歩けるだけ幸せだと思って、加えて肺を鍛える意味もあって、さらにはダイエットも多少は意識していました。夕方も歩いていますので、12000歩〜20000歩くらいのウオーキングが続きましたが、大体ご飯3〜5杯分くらいのカロリー消費です。まあそんなものでしょう。

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連休の読書 

連休は本を読むのにいい時期です。こういうときはあまり専門書など読むものではありません(いや、それではいけないのですが)。
というわけで、普段読めない本を読んだりしました。仕事がら、学生の勉強していることに少しでも触れてみたいということもあって、食物関係、医学関係、児童教育関係のものも読みました。というと専門的なものかなと思われるかもしれませんが、そうではなく、それぞれの分野にかかわる入門書やエッセーのようなもの、たとえば

    新書、選書

の類です。
こういう、専門外の本はとても刺激的です。
大学は文学部だったのに、私は大学に入るまでは 文学作品をさほど読んでいなかったので、1年生の時にとにかく多読しました。日本文学はもちろん、西洋文学も集中して詠んだのがこの時期でした。それに加えて、理系の本を意識して読むようにしましたその時もやはり新書のお世話になりました。理系のもの、たとえば数学関係や天体物理学関係などはよく分からないので、中高生向けと言われていた

    岩波ジュニア新書

をこの時期によく読みました。ジュニア新書がなければ相対性理論なんて触れることもなかったかもしれません。

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いちにちのせいかつ 

小学校の頃、夏休みになると一日の時間の使い方を円グラフのような形にして書きました。起床、ご飯、勉強、休憩、ご飯、昼寝、遊び、勉強、休憩、ご飯、テレビ、風呂、就寝・・・。
これを守ればすばらしい秀才になれそうな計画でした。申すまでもなく守ったことはありませんが。
今年は、9月の上旬に一つ仕事を終えてホッとする間もなく、そのあとずっと

    判で捺したような

時間の使い方をしてきました。
私は以前から11時以前に就寝、5時過ぎに起床というのが習慣です。これは変わらないのですが、そのあとは仕事場に行って午前中は雑用に追われ続け、午後は自分のやりたいことをしています。図書館にはそのあいまにしょっちゅう行っています。図書館司書の方には「また来てるよ、あの人」と思われているかもしれません。
しかたがないのです、私の場合は本がないとどうにもならないので。いっそ図書館の一画に研究室を移したいくらいです。ただし、この時期は図書館が

    10時開館

でしたので、ちょっとじれったかったのです。
普段も9時開館なのですが、ほんとうは8時半には開けてほしいのです。授業が始まる直前に調べたいことが出てきても、9時開館では授業開始と同じですからどうしようもないのです。

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墓参り 

墓参りする習慣というのが子供の頃はありませんでした。
なぜなら、墓が遠かったからです。奈良の片田舎(奈良市内ではありません)にあって、とても簡単に行けるところではないのです。たしか、お寺の墓地にひっそりと建っていたと思うのですが、よく覚えていません。
最後に行ったのは兄が車に乗せていってくれた時で、当時大学生だった私は道も知らず、奈良の地理も分からず、今でも私はその墓のあったところに行けと言われても行けません。祖母の年忌の時で、ほとんど誰が誰だか分からない親戚から次々に差し出されるお酒を兄に代って飲みましたので、よけいに覚えていません(兄は下戸で、運転手でもありました)。
ですから、

    お彼岸

と言ってもなんら宗教行事をするわけではない家に育ったのです。
ところが、父親がそれでは自分が困ると思ったらしく(笑)、今の家からさほど遠くないところに墓所を定めたのです。おかげでしょっちゅう行くことになってしまい、私はけっこうまめに特に夏から秋は墓参りをするようになりました。8月お盆、9月彼岸、10月命日。父親の陰謀にまんまとはめられたわけです。
といっても、歩いていけるところではありません。

    家から5kmくらい

離れていて、平地なら歩くのですが、山の上なので車でなければどうにもならないのです。バスもありますが、本数は少ないですし、駐車場が完備されていますのでマイカー(この言葉って、死語?)で行くほかはないのです。

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蚊遣り 

今年の夏も何度か蚊の餌食になりました。
私の血なんて栄養価は低いですよ、と言いたいのですが、容赦してくれませんでした。
外で仕事をする方は腰に携帯用の蚊遣り器を付けたりしていらっしゃいます。毎年、「あれ、一つ欲しいな」と思ったりもしています。

    上村松園

の「蛍」という絵(彼女はしばしば蛍と女性を描いています)に、蚊帳を吊っている女性が振り返ったところに蛍がいるものがありますね。同じ虫でも嫌われ者と愛される者があって、こればかりはしかたがないでしょうね。
私は子どもの頃、蚊帳がありました。あれはほんとうに楽しいものでした。どう考えても子供だけの秘密基地。大喜びしました。ただ、蚊帳の中に蚊がいたときは厄介でしたが。
蚊取り線香は上山英一郎さん(1862~1943)という、あの

    大日本除虫菊(金鳥)

の創業者の方が工夫されてできたものだとか。最初は棒状のものだったのが、長時間の使用に耐えて安全性もある(かさばらないから、燃える面積が狭い渦巻状に進化したのですね。あれはもうノーベル賞者の発明だろうと思います。
延々と(7時間ほど使えるようです)煙が立ち続けて、その姿には風流すら感じます。

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発想は文学 

押し得子さんから思いがけず教わった形になりました。はっきりわかったのは、藤原道長の勉強をしていても、具体的には彼の日記(『御堂関白記』)を読んでいても、私の発想が常に

    文学

であることです。
『御堂関白記』は文学作品ではありません。しかしどうやら私は、政治史の史料としては読んでいないのです。もちろん、実際は政治がらみのことも勉強しながらでないとこの晦渋きわまりない日記など読めません。道長の発言は、この日記ではほぼ左大臣としての発言で、周りの人物との関係もしっかり考えておかねば読み誤ります。
でも、興味があるのは道長の弱さ、あるいは

    「ダメさ」

とでも言うほうが正しくニュアンスを伝えるかもしれません。
そもそも病気がちで、同母兄弟では末っ子の三男坊。どうせボクなんて、という気持ちがなかったとは言えません。しかし塞翁が馬。兄の病死が彼に最高権力者の地位をもたらします。自分も若死にするのではないかという恐怖を抱きながら、必死で権力の伸張を考える。その根底にはどうも先祖思いの宗教心もあったような気がするのです。先祖が築いてくれたものを自分が絶やすわけにはいかない、というような。

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負うた子に教えられ 

「負うた子に教えられ」と書いたのですが、実際彼女を背負った覚えはありません。そんなことをしたらセクハラで訴えられていたかもしれません。
このブログに最近コメントをしばしばくれる

    押し得子さん

は、以前にも書きましたが、わずか一年だけのおつきあいの人なのです。某大学で私が非常勤講師として教えにいったときに、学生さんだったのが彼女で、けっして「恩師と教え子」などというような関係ではないのです。彼女にはちゃんとした恩師がいて、その先生は私もいろいろ教わった偉い先生なのです。私など所詮安っぽいパートの教師だったわけですから、授業以外で勉強のお世話をしたくてもできなかったのです。ところがなぜか今なおメールやこのブログで付き合ってくれています。
最近

    藤原道長

のことを書いたところ、彼女がいくつかのコメントを書いてくれました。
あの人のどこに魅力があるのか、というのが主な論点でした。
私は権力者が嫌いですので、道長なんてほんとうなら毛嫌いしてもいい人物のはずです。親父さんが摂政で、姉は天皇の奥さんで、兄貴は関白、そんな家柄に生まれて、最高権力者になったのですから、私の最も嫌うタイプです。
それなのに、なぜ一生懸命になっているのか。彼女の疑問で私はふと我に返りました。

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2015年9月東京公演千秋楽 

文楽東京公演が、本日千秋楽を迎えます。
関東地方には地震や大雨もあったようでしたが、つつがなく千秋楽となったことをお喜び申し上げます。
ご覧になった皆様は如何でしたでしょうか。
咲大夫さんが当初休演とうかがって心配でしたが、さすがの熱演で復帰されたようで安堵しました。

このあと文楽は地方公演があります。この秋はやはり玉男さんの襲名ということで、治兵衛、光秀をお遣いになります。
全体の演目は

昼の部
  団子売
  心中天の網島(紙屋内、大和屋、道行)
夜の部
  絵本太功記(夕顔棚、尼崎)
  日高川入相花王(渡し場)

ということです。
団七師匠が「尼崎」というのが何だか久しぶりのような気がするのですが、そうでもないのかな。
英大夫、津駒大夫のおふたりはもうまったなしですから、すべて全力投球でお願いします。

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個性 

他人と同じことをすると安心するのが日本人の性癖なのでしょうか。名所旧跡に行って、ガイドブックの写真と同じものを見ると喜んだり、何とかケーキが有名だというと列をなしてでも買いに行ったり。
出る杭は打たれる、といいますし、横並びが安心だという人も少なくありません。何かに包まれていたい、という日本人の感覚のなせるわざだろうか、とも思います。神社の森に包まれるように、自分の個性を没して隠れるように生きていたいということなのかもしれません。
作家の

     塩野七生さん

が、ファッション関係のものを買う時に店員さんに「これは評判が良くて皆さんお求めになります」などといわれたら絶対に買わないとおっしゃっていました。個性が大事なのに、同じものを買ったってしかたがないでしょう、という理屈だと思います。確かにその通りだと思います。
 塩野さんはこんなこともおっしゃっていました。日本人がイタリアに観光に行くと旅行雑誌とか女性雑誌に載っている店にしか行かない。だからイタリアの製造業者はそういう雑誌に載せてもらおうと一生懸命になる。しかも日本人はあまり高価なものを買わないので、高級な店では日本人がよく来るようになると超高級品を片付けて、

    中の上

くらいの品を店に並べる。
 塩野さんらしい観察ですが、いかにもありそうな話です。

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やばい、うざい 

平成26年度の「国語に関する世論調査」の結果が出ました。
ちょうど授業が始まる時期ですので、学生に話の切っ掛けのためにいくつか紹介しておこうと思っています。
たとえば、

「使うことがある言い方ですか?」という質問で、「わたし的」「~とか」「~みたいな」「(すばらしい、おいしい、かわいい、かっこいいなどの意味で)やばい」「(いいか悪いかの判断が付かないときに)微妙」「(不快感、嫌悪感をあらわす)うざい」 が挙がっています。煩雑になりますので、この中から「わたし的」「やばい」「うざい」の3つだけ取り上げます。

全体では 
「わたし的」・・・19.9%
「やばい」・・・・26.9%
「うざい」・・・・・20.0%

だったそうです。私など、学生のそばにいつもいますから、とても少ない感じがします。
ところが16~19歳に限定すると
「わたし的」・・・44.1%
「やばい」・・・・91.5%
「うざい」・・・・・78.0%

になります。
前回調査(平成16年度)に比べると、すべて増えています。特に「やばい」の16~19歳は前回調査では71.1%でしたので、ほぼ20%も増えていることになります。20%で驚いてはいけません。10年前の30代は24.1%しか使っていなかったのですが、今回の30代は53.9%も使っています(約30%増)。10年前の20代(つまり今回の30代)が52.5%でしたから、彼らは10年経ってもほぼそのまま使い続けているということになりそうです。

一方、60代をみますと、
「わたし的」・・・9.1%
「やばい」・・・・11.4%
「うざい」・・・・・4.7%

だそうで、意外に多いという印象を私は持ちました(いずれも10年前の調査から微増)。「やばい」なんて10人に1人が使うようです。

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見上げる、包まれる 

ヨーロッパの建築物を(写真で)見ると、その壮大さというか、ただただ見上げるような圧倒的な大きさに感銘を受けます。世界文化遺産になっているようなヨーロッパの教会など、もちろんささやかなものもありますが、人間が芥子粒ほどにしか見えないものがあります。学生に世界の世界文化遺産を紹介すると、たとえばフランスのモン・サンミッシェルとか、スペインのサグラダファミリアとかあるいはイギリスやドイツの建築物に人気があります。
ステンドグラスや尖塔の美しさもありますが、やはりあの壮大さは日本の寺院とは違ったものを感じさせるようです。

    「ほら男爵の冒険」

で、男爵が馬を杭につないで積雪の上で眠ったら、翌日には馬がおらず、ふと見上げると尖塔のてっぺんに馬が繋がっていた、というとんでもないほら話がありました。要するに雪が溶けて、自分は地面に寝ていて、馬は杭のような物と思っていた尖塔に繋がったままになっていたという話です。
日本にも五重塔がありますから、同じような話はできそうですが。落語の

    「鷺取り」

では鷺と一緒に飛んでいった男が四天王寺の五重塔の上にたどり着きます。大阪の七不思議のひとつに、町の北西にある玉江橋から南東にある四天王寺の五重塔が真南に見える、というのがあります。橋が斜めに架かっているに過ぎないのですが、堂島川から四天王寺が見えるということだけでもすごい話です。

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鬼も怒る(続) 

ドナルド・キーンさんはご自身のお名前を日本語で表記するに際して、いろいろな漢字をお考えになって、日本のゆかしい地名をうまく当てはめられたのだろうと思います。東と西のバランスもよく、しかもあまり都会とは言えない地名を入れてくださったのが何とも嬉しいです。「鬼が怒鳴る門」などと大変失礼なことを申してしまいました。
鬼怒川は、もともとは「毛野川」(『常陸国風土記』に「毛野河」という表記がある)とか「絹川」とか「衣川」とか、さまざまに書かれていたのが、近代になって鬼怒川の字が当てられたようです。
音としては、本来は「けの川」だったのでしょうか。
栃木県は

    「毛の国」(下野=下つ毛)

ですから、そんな呼び方があって、それが「きぬがわ」というきれいな名前にかわっていったのかもしれません。「絹川」「衣川」だと何とも優美な流れの川という印象を持ちますが、にもかかわらず、鬼が怒るという文字を当てた人がいるのですね。
今回ばかりはほんとうに

    鬼が怒っている

ような気がしました。
いったい何に対して怒っているのかは分かりませんが、自然は時々人間にこういう形で警句を吐くような気がします。

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鬼も怒る 



「キヌガワ」と聞くと関西の「木津川」と混同しかねません。そんなお名前の上方芸能の大先生もいらっしゃいます。
鬼怒川の決壊には驚きました。水の力は恐ろしいです。人間が建てた家などあっという間に飲み込んでしまいます。車などもう軽々とどこかへ運んでいきます。
川は流れてこそ川。人や動植物に

    恵み

をもたらし、不要な物を流してくれもします。しかしそれが増水して流れが止まったり乱れたりする(氾濫とか逆流とか)と恐ろしいことになります。
自衛隊の救援はこういうときにたくましいものだと思います。国を守るというのはこういうことなのだろう、と。
鬼怒川というと文楽ではあの

    『薫樹累物語』(めいぼくかさねものがたり)

があります。「累が淵」というのは、鬼怒川の沿岸です。力士の絹川谷蔵も出てきます。
また、鬼怒川には温泉もあります。
それやこれやでこの川の名前は知っていましたが、じゃあ具体的にどこを流れていてどこに注ぐ川なのか、などと言われるとよくわかりません。栃木県から茨城県に流れているのですね。利根川に合流するのだとか。

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始まるの!? 

この夏もいろいろ仕事がありました。何とか乗り越えられたのは比較的楽だった暑さゆえかな、と思います。ほんとうに暑かったのは八月半ばくらいまでで、それ以降はさほどではありませんでした。
最近の文部科学省はまるでゆとりがなくて、ここの役人にこそゆとり教育をする必要があるのではないかと思うくらいです。
英語は

    小学校から

始めればいいとか、大学は祝日を使ってでも授業回数をこなせとか、道徳を「特別の教科」にするとか、私の発想から言うなら信じられないようなことだらけで、文部科学省が言うことの逆をやればうまく行くのではないかと思うくらいです。
役人ばかりでなく、文教関係の議員も手柄主義で「俺が決めてやる」とばかりに張り切っているのかもしれません。
現場はいい迷惑です。疲弊しています。
小学校は八月いっぱい夏休み、と思っていたら、今はもうそんなことは言っていられないのですね。大学も以前なら後期は10月からでしたが今は九月後半には始まります。夏休みの始まりも今より10日以上早かったですから、都合20日ほど休みが減っています。予定はぎゅうぎゅうです。
私は、夏休みは(普段の休み以外に)5日しか休んではいけないと言われたものですから、たいてい大学で仕事をしていました。昔なら適当に出勤の印鑑を押していたのですが、今は

    パソコンで管理

されていてそういうこともできません。大学の教員を学校に縛り付けてどうするの? と言いたいのですが、勝手にそういうことを決められているみたいです。

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コロー 

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796〜1875)は私の好きな画家です、と以前申しましたが、別に私はこの人の画業について詳しいわけではないのです。美術展でコローの絵に遭遇すると「やっぱり、いいな」と思う程度で、画集すら見たことがありませんでした。
学生の頃、奈良で

    モルトフォンテーヌの想い出

を観て心の琴線に触れたので、それ以後気になる画家ではあったのです。しかし伝記を読んだ事もなければ、専門家の解説にふれたこともなかったのです。 それでも「好きな画家は?」と聞かれたら、なんとなく「コロー」と答える事が多かったように思います。
奈良で観たのは「バルビゾン派の絵画」というテーマで、ほかにミレー、ルソー、トロワイヨンらの作品もありました。2008年には神戸で「コロー 光と追憶の変奏曲」という特別展があり、「モルトフォンテーヌの想い出」に再会できたほか、「青い服の婦人」「ヴィル=ダヴレーのカバスュ邸」そして“コローのモナリザ”こと「真珠の女」なども観ることができました。そのほか、さまざまなテーマの美術展でも少しずつ観てきましたので、これまでに何点の作品を見たのかは自分でも分かりません。
この間ここに「コローが好きです」と書いてしまったので、コローに詳しいと思われた方がいらしたようで、そうではないのです、ということを申し上げたいのですが、少しは

    勉強しようかな

という気持ちにもなりました。といっても、図書館に行って本を借りるのが精一杯です。地元の図書館に、別のことを調べに行った時に探してみました。

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拙稿 

「拙い」と書いて「つたない」と読んでくれる学生はどれほどいるのでしょうか? 仮に読めても意味は分かっているのでしょうか?
「拙者」という、時代劇(学生の場合、そういう類の漫画かな)に出てくることばがありますから、あるいは「せつ」とは読めるかもしれません。「稚拙」「拙劣」という言葉も知っているかな。
自分の書いた原稿のことを「拙稿」といいますが、これはもちろん謙遜しているわけで、大先生のお書きになる立派な原稿でも自分のものは「拙稿」なのです。ところが私の書くものといったら、正真正銘の

     「拙い原稿」

なので困ったものです。
この夏休み、それなりに頑張って書いてきた原稿が火曜日(8日)にできましたので、その日のうちに提出しました。論文と呼ぶのは恥ずかしいのですが、そう呼ばないとほかに言いようがないので一応そういっておきます。
藤原道長に関するもので、彼の人生において宗教(もちろん仏教)がどのような意味を持っていたのかについて先学に導かれながらまとめたものです。
レベルとしては学生のレポートのようなもので、活字になって公開されてもたいていの人は読まないでしょう(笑)から、紙の無駄遣いのような気もします。でも、

    私自身の覚書

としては重要な意味があります。いわば、雑誌の誌面を汚しながら自分の勉強の蓄積にしているようなものです。

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孫を得た道長 

藤原道長という人はやはり幸運な人だと思います。
たしかに健康面ではあまりすぐれなかったということがあるのですが、何かと幸運に恵まれたと思うのです。
道長は42歳の時に金峯山に参詣したのですが、そのとき彼は経を埋めています。その経を入れた

    金銅の経筒

はなんと江戸時代に発見され、今は京都国立博物館に寄託されています。
その筒にはびっしりと銘文が刻まれているのですが、それによると彼は仏恩に報いること、臨終の時にうろたえずに極楽往生すること、弥勒菩薩に値遇することなどを意図したようです。まさかそんなところに「娘に子どもができますように」などとは書かないでしょう。しかし彼の心にはそのことを願う気持ちは強かったはずです。
金峯山での予定を終えると、彼はふと周りを見渡します。すると霧がかかっていて何も見えないのです。あるいは彼は霧に包まれている自分をこの世ならざるところにいると錯覚したかもしれません。
そして無事に都に帰り、しばらくは日記を書くこともおろそかにする状態でした。
この年の12月には木幡の浄妙寺に

    多宝塔

を建てて供養しています。
やるだけのことはやったのだ、という気持ちだったのではないでしょうか。
すると翌年、驚くべきことが起こります。

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孫を求めて(続) 

藤原道長はとても天候を気にする人です。天気がいいと、自分は祝福されているのだ、と思ったのではないかと感じることがあります。
妻が44歳で出産した(道長42歳の1月5日)直後、藤原氏の氏神である奈良の

    春日社

に参詣することを決め、賀茂光栄(かものみつよし)に吉日を占わせています。ちなみに、お隣の興福寺(山階寺)は藤原氏の氏寺です。
結局、2月の末に公卿11人と殿上人10人あまり、四位以下の者数十人を引き連れて2泊3日の小旅行をしています。舞人、楽人もいます。
宇治から奈良に行き、佐保殿と呼ばれた藤原氏の別邸に着き、そこで一泊。翌日は天気が悪くて午の刻には激しい雷雨があったようです。同行した藤原行成は三笠山の上に黒雲があったといっています。
道長は社頭に行くと雨は止んだと言っており、これも神威というかこの参詣が祝福されたものであることを感じているのではないかと思うのです。
この参詣の目的について藤原行成は日頃の神の恩に対する報賽だということを言っていますが、それだけではなく、娘が

    天皇の子

を産むことを祈願する意味があったのではないかと思います。
男女差別で申し訳ないのですが、当然この場合は男の子を望むのです。今と同じで、当時は天皇になれるのは男子に限られました。

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孫を求めて 

藤原道長の話をもう少し。
母を同じうする兄や姉を次々になくした道長でしたが、この人の奥さんは元気なのです。倫子という名を持つ彼女は源氏です。当時は結婚しても同姓になることはありませんので、彼女はずっと

     源倫子

で、墓も道長とは違う場所です。道長は木幡ですが、倫子は仁和寺の方、かなり西なのです。源氏の墓ですね。
この人が元気という証拠のひとつは長生きしたことです。89年、当時の年齢の数え方でいうと90歳まで生きたのです。今の平均年齢以上の寿命ですからたいしたものです。
もうひとつ、この人がすごいのは道長の子を6人も産んでいることです。長女の彰子は一条天皇の后で後一条、後朱雀という二人の天皇を産んでいます。長男の頼通、二男の教通は関白になっています。次女の妍子は三条天皇のお后で、女の子を産んでいます。三女の威子は、なんと、姉の彰子の産んだ後一条天皇のお后になっています。つまり、叔母と甥の関係で結婚しているのです。今の法律ではありえませんね。この、彰子、妍子、威子の三人が同時に太皇太后、皇太后、中宮(皇后)になったので、

    一家三后

といわれるのです。
で、三女の威子が中宮になった時に道長が詠んだのが日本史の教科書に出てくる

  このよをば我がよとぞ思ふ
    望月の欠けたることのなしと思へば

なのです。

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月、昼のごとし 

「なつやすみの遠足」の中で書きましたように、藤原道長は寛弘二年十月十九日に木幡に建てた浄妙寺三昧堂の供養をおこなっています。
この日の未明、京から木幡に出かける彼はどんな思いを抱いていたのだろう。そんなことをずっと考えていました。おそらく彼の人生のさまざまなことが脳裏に浮かんだと思うのです。特にこの三昧堂は墓所のそばの

    詣り堂

ですから、すでに亡くなった先祖のことをあれこれ思っただろうと思うのです。たとえば木幡の地に墓所を定めた基経(道長の四代前の先祖です)、両親、そして母を同じうする四人の兄、姉。そうなのです、道長はこの年齢ですでに同母兄姉をすべて失っているのです。長姉はおそらく20代で頓死し、次姉は40歳、上の兄は43歳の時におそらく糖尿病で、下の兄は35歳で流行病に罹って亡くなりました。いずれも数え年ですから、我々の感覚でいうならそれぞれ1〜2歳下に考えればいいわけです。
そして、このとき

    40歳

になっていた道長自身あまりからだは頑健であったとは言いがたく、自分もいつどうなるかわからない、という恐怖を抱きながら生きていただろうと想像しています。
今の40歳はまだ若いですが、当時は初老と考えられ、だからこそ四十の賀という長寿の祝いをしたのです。孫がいる人も少なくありませんでした。

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なつやすみの遠足(6) 

やっとこの日の最終目的地に着きました。
森ノ宮のピロティホールです。このホールについては先日書きましたので繰り返しません。
かなりくたびれていましたが、6時過ぎに到着して、大阪府能勢町の

    鹿角座

公演を拝見しました。
会場では文楽のイチローさん(この劇団の指導者のお一人です)がわざわざ挨拶してくださいました。恐縮です。ほかにも、文楽の師匠は何人もおいでになっていたようです。
演目は6月の能勢町でのものと原則的に同じものでした。ただ、幕間に入っていた映像はカットされていました。
「能勢三番叟」人形が四体。おとな二人子ども二人でした。舞台狭しとよく動いていました。今度は足の踏み方について工夫されたらどうだろう、と思いました。次の演目との関係で奥行きがあまり取れなかったようで、交差するときがちょっと気になりました。
子どもたちによる三味線と小鼓の合奏は清志郎さんの作曲によるものですが、演奏者の皆さんはとてもいい目をしていました。
「傾城阿波の鳴門」八段目。ここでは「巡礼歌(じゅんれいうた)」と表記されていました。

    お弓の悲しみ

がとてもよく出て、よかったと思います。人形の型にとらわれず、性根を出そうという意識が感じられたのです。おつるは子どもさんが遣われたのですが、これもなかなかけっこうでした。

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なつやすみの遠足(5) 

思いのほか長い話になっています。
隠元橋のあたりは岡屋の津と呼ばれた水上交通の要衝になっていたところで、このあたりに近衛兼経が別荘を構えるとさらに交通が盛んになったそうです。そして、その東詰めには隠元禅師の着岸を記念した、まだ新しい石碑が建っています。私がこれを見たのは初めてです。

隠元禅師登岸之地8月28日
↑黄檗開山隠元禅師登岸之地の碑

碑には、

  黄檗開山隠元禅師登岸之地

と刻まれています。
台座は亀で、いわゆる亀趺(きふ)です。そして碑には二羽の鶴があしらわれ、碑の上には螭首(ちしゅ)が載っています。
なかなか立派なものなので、しばし見とれていました。

隠元禅師登岸之地亀ふ8月28日
↑碑の台座(亀趺)

隠元禅師登岸之地龍8月28日
↑石碑の上部に置かれた螭首

また寄り道をしてしまいました。そこからしばらく歩くともうひとつの許波多神社です。朱塗りの本殿で境内はさほど広くはありませんでした。

許波多神社(五か庄)8月28日
↑許波多神社(宇治市五ケ庄古川)

ここでまた休憩していると、風がとても心地よく、その風が連れてきたのかと思うような女性が実に真剣に何やら祈願されていました。拝礼の仕方もきちんとしており、たいしたものだと思いました。
これで木幡での目的はとりあえず果たしました。もう一か所、近くの

    二子塚古墳

に行っておこうと思い、足を伸ばしました(ほんとうは先にこちらに行くはずだったのですが、道を間違えたために・・・)。ここは、今は公園になっているのですが、誰もいませんでした。本来は前方後円墳で、後円部はすでになく、前方部の一部が堀とともに残っています。ここで休憩していると(休憩ばかり)風がとても心地よく、まったく暑くありません。雲も出てきて、日が翳り、気持ちよくて寝てしまいそうでした。

二子古墳公園8月28日
↑二子塚古墳

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なつやすみの遠足(4) 

木幡小学校や御蔵山をあとにして、堂の川とも別れ、私は次の目的地である
ふたつの

    許波多神社

に向かうことにしました。
許波多神社は古くからあるのですが、今は二つになっていて、かなり離れた位置にあります。ひとつは木幡小学校からさほど遠くない、JR奈良線木幡駅の少し北にあります。さほど遠くはないのですが、JRの線路の向こう側なので私はずいぶん遠回りしてしまいました。JR奈良線は単線で、踏切も少ないのです。このあたりはやはり田舎というか、不便な感じがしないでもないのです(地元の方、すみません)。

許波多神社(木幡駅近く)8月28日
↑許波多神社(宇治市木幡東中)

この神社は、鳥居をくぐるとしばらく歩きます。そして神社の拝殿や神殿の手前に不思議なものがあります。囲いがあって、その中が塚のようになっているのです。通称「狐塚」、お役所では「宇治陵36号」と言いますが、実はこれは関白となった

    藤原基経

の墓と伝えられているものです。基経は道長の先祖で、木幡を藤原氏の墓所とした元祖のような人です。彼は、墓を集めることで他の氏とは違うぞという「氏の一体化」を意図したのではないかともいわれます。
これがほんとうに彼の墓かどうかは別として、そういう伝えがあること自体に意味を感じたいのです。

伝基経墓8月28日
↑関白基経の墓と伝えられる宇治陵36号(通称「狐塚」)

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2015年東京公演初日 

文楽東京公演が本日初日を迎えます。
咲大夫さんが休演とのことで気になります。
切の字が付く太夫さんが一人もいらっしゃらない寂しい初日です。
めちゃくちゃなことを言いますが、住師引退の時にでも、二人のかたに切を許されてもよかったのではないでしょうか。
猛批判を浴びると思いますが、私はかなり本気でそう思っています。ものたりない、というのはわかりますが、足りないくらいでその地位に就けてもいいじゃないか、というのが私の本音です。
住大夫さんはちょっと厳しすぎると思っています。
咲さんのかわりは文字久さんだとか。住師匠の語りをいやというほど聴いていらっしゃるでしょうから、頑張ってほしいです。このかたもまだ物足りないと言われますが、いっそ襲名してもらって、そこからご本人に精進していただくのもひとつのやりかたではないか、と考えています。
さて、この公演の演目は次のとおりです。

第一部(11時開演)
「面売り」
「鎌倉三代記」
    局使者、米洗ひ、三浦之助母別れ、高綱物語
「伊勢音頭恋寝刃」
    古市油屋、奥庭十人斬り

第二部(16時開演)
「妹背山婦女庭訓」
     井戸替、杉酒屋、道行恋苧環、鱶七上使、姫戻り、金殿、入鹿誅伐

です。

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なつやすみの遠足(3) 

遠足はまだまだ続きます。
この話は以前にも書いたことがあるのですが、宇治市の木幡小学校は藤原道長が建てた

    浄妙寺

という寺の跡だと考えられています。

木幡小学校8月28日
↑木幡小学校(浄妙寺跡)

この付近の山側にはかつて藤原氏の墓所があったらしいのです。道長がこの寺を建てたときの願文(趣意書のようなもの)が残っていますが、それによると、彼は若い頃にこのあたりにきたとき、見えるのは月や花だけ、聞こえるのは猿や鳥の鳴き声だけで、「法音」(たとえば読経の声)などいっさい聞こえないことを嘆いたといいます。そして自分が栄達した暁にはここに寺を建てようと思ったというのです。安倍晴明らに場所を占わせて、川の北側の平地に建てることにしました。川というのは、今とは流路が少し違っているようですが、

    堂の川

のことのようです。

堂の川8月28日
↑現在の堂の川(木幡小学校からすぐ)

建立された三昧堂の供養は寛弘二年十月十九日におこなわれました。道長が香に火をつけることになりました。そのとき彼は「もし早く火がついたら喜びとし、遅くついても恨みません」と釈迦や普賢菩薩に念じて火打石を打つと、一度で火がついたのです。一同随喜の涙を流したとか。また僧が法螺貝を吹くとあまりいい音がしなかったので、道長が吹いてみると、長大な音がして、これまた人々を感動させます(道長の日記に書いてあります)。
道長はこの二年後にはすぐ横に多宝塔も建てます。

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なつやすみの遠足(2) 

実は京都市美術館では「マグリット展」もおこなわれていたのです。しかしそちらに行っていると時間が足りないかもしれないので、今回はパス。外に出てすぐ近くの国立近代美術館も目に入ったのですが、これもとりやめ。もちろん北側には平安神宮がありますが、これまた特に目的がありませんでしたので行っていません。
この日は暑かったのです。ですからいっそすぐに京阪電鉄の最寄り駅から次の目的地に行こうと思いました。
ただしやはりその前に水分補給。特に意味はなかったのですが、みやこめっせ(京都市勧業館)に行きました。すると一度に元気が出て(笑)、三条くらいまで歩くかな、と思い直し、東大路を南へ。三条を経て南へ南へ(あれ?)。
やがて白川と交差します。そういえば久しく

    吉井勇

の歌碑も観ていないと思い出し、白川沿いを歩きました。
吉井勇や夏目漱石らが愛した茶屋「大友(だいとも)」は白川の北側でしたが、戦時に「建物疎開」ということで壊され、道になっています。「大友」の女将はお多佳さん(磯田たか)という三味線の名手で文学などの心得もあった人でした(この人の姉は「一力」の女将)。谷崎潤一郎に「磯田多佳女のこと」があります。
その「大友」跡に

  かにかくに祗園はこひし
   寝るときも枕の下を水のながるる


の碑が建てられたわけです。まさにこのあたりで吉井勇は枕を置いて川水のせせらぎを聴いたのでしょう。

吉井勇歌碑8月28日

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なつやすみの遠足(1) 

夏休みといっても、休める日はそうそうありません。学生さんもけっこう忙しいのです。今は授業が7月下旬までありますし、そのあと補講や集中講義、実習のある人もあり、アルバイトもなかなか休めないようです。大学で勉強している人にもよく出会いました。
教員も、むしろ普段とは違った意味で忙しいのです。やはりこの時期にこそ勉強しなければならないからです。

     遊び回っている

わけではありません!
もっとも、お金がありませんから、時間があってもめったなことをして遊ぶわけにはいかないのですが(笑)。
しかしそんな状態では精神衛生上よくありませんので、できるだけお金のかからない遊び方で「夏休み」と呼べる一日を過ごしました。
どういうわけか、8月24日からの週は

    浄瑠璃週間

だったのです。24日はすでに書きましたように、野澤松也さんの創作浄瑠璃の会に行きました。28日は能勢町のアマチュア人形浄瑠璃劇団「鹿角座」の公演、そして29日は(結局行けなかったのですが)豊竹英大夫さんのアマチュアのお弟子さんたちの発表会でした。
で、私が「夏休み」にしたのは28日。実はこの日は朝から夜まで一人で遊び回っていました。
以下、その日のことについて書き留めておきます。

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秋風 

「恋風」という語が『曽根崎心中』「天満屋」の冒頭に出てきます。「恋風の身に蜆川流れては」。この一節で、堂島新地の色めかしくもけだるい空気が伝わるようで、私はこういう言葉が出てくる近松という人をやはりたいしたものだと思います。
もっとも「恋風」は彼の造語ではありません。説経節「天智天皇」にも

    見るに心もうかうかと
    はや恋風に身を悩み

と出てきますし、室町時代の歌にも例があります。
風は何も見えないのに人のからだに触れてきます。触れてくるから心が騒ぎます。恋も同じで、人を慕う気持ちを生ずるのは目に見えないものの仕業です。恋心を引き起こす風、それが恋風なのでしょう。あの人のことが気になる、といっても、それが恋であるかどうか自分でも分からない、そんなときにすっと風が吹いてきて、自分の心に気がつく。
風は香りを運んでくることもあります。

  花の色は霞にこめて見せずとも
    香をだに盗め春の山風
      (古今和歌集 春下 良岑宗貞)
  霞立つ春の山辺は遠けれど
    吹きくる風は花の香ぞする
      (古今和歌集 春下 在原元方)

花の色は春霞のむこうでみせてくれないが、せめて香りだけでも盗んでこい、春の山風よ、と良岑宗貞(よしみねのむねさだ。のちの僧正遍昭)は詠み、在原元方(ありはらのもとかた)は春の山辺は遠いけれども吹寄せる風は花の香がするよ、といっています。
落花、落葉は風がなくても起こるのでしょうが、やはり風が散らすのだと文学の世界では考えるのです。

  桜花散りぬる風の名残には
    水なき空に波ぞ立ちける
      (古今和歌集 春下 紀貫之)
  風吹けば落つるもみぢ葉水清み
    散らぬ影さへ底に見えつつ
      (古今和歌集 秋下 凡河内躬恒)

「水なき空に」というあたり、いかにも貫之らしい歌ですが、桜の花が散った名残として風の中に波のように花びらが散っているというのです。凡河内躬恒(おほしかうちのみつね)は風が吹くと落ちる葉を詠みながら、散らないで残っている葉も澄んだ水に映って底に見えていると二重に秋の紅葉を描いています。
物理的には空気の動きということなのかもしれませんが、そんな味も素っ気もない話ではなく、何か意思すら感じさせるようで、風とはほんとうに不思議なものです。

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