誕生日に古語辞典 

私の仕事には古語辞典が欠かせません。
どこかで書いたと思いますが、愛読書といってもよいくらいです。用例を読んでいるだけでおもしろく、また、解説も執筆者の見識があらわれて楽しいのです。

    珍しい文献

からの用例があるとそれはどういう本なのかが気になってまた調べたりするのも嬉しいです。
たとえば、「あはれ」という語を岩波の古語辞典で引きますと、まず感動詞として「事柄を傍から見て讃嘆・喜びの気持を表わす際に発する声。それが相手や事態に対する自分の愛情・愛惜の気持を表わすようになり、平安時代以後は、多く悲しみやしみじみした情感あるいは仏の慈悲を表わす。その後、力強い讃嘆は促音化してアッパレという形をとるに至った」と説明されています。さらにそのあとに意味や用例、さらに名詞の「あはれ」の意味と用例、「あはれがり」「あはれび「あはれみ」の説明と用例、と続きます。これだけをしっかり読むだけでもおもしろいものです。

    英和辞典 や 英英辞典

も読めたら楽しいだろうと思いますが、なにしろ英語はダメなので。
いい辞典は解釈も的確で、うまく現代語に置き換えています。
しかし、もうひとつすっきりしないときは自分で考えて、語意から離れないように工夫して解釈を付けます。こういうのも醍醐味です。
そんなわけで、辞典はいいものを数種類欲しいのです。簡単な学習辞典のようなものはすでに刊行されているものを写しているだけではないかと思うようなものもあります。執筆の内幕を知っているものもありますが、それはかなりいいかげんな作り方をしていたようです。

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歩き正月(結) 

長い記事になってしまいました。
3日は滕池神社で終わりのつもりでしたが、もう一か所、宿の近くには胡子神社と厳島神社があるのを忘れていました。厳島というとなんといってもあの「安芸の宮島」ですが、この山の中に同名の神社があるのです。以下に述べる「厳島神社」はすべてこの山の中の神社です。
このあたりは山の木々と小瀬川の水に恵まれてはいるものの、今は特に何の産業もなさそうな地域なのです。しかし、紙や酒作りの家が栄えていた形跡はあって、人家の中にはとても立派な構えのところがあります。棟門を持つ家、蔵のある家(ここはもとは造り酒屋さんだったようです)などが狭い道をはさんで軒を並べています。この道は狭いですが、おそらく村のメインストリートだったのだろうと思います。

大竹市 棟門のある家
↑棟門のある家

大竹市 藤高家
↑蔵のある家

この道の脇に勧請されているのが厳島神社(とその横にある胡子神社)です。脇といっても鳥居をくぐるとまたまた長い階段。段数を数えるのを忘れたのですが、結構な高さのところでした。この日のウオーキングは階段や坂道ばかりで、歩数では測れない重労働でした。

大竹市 厳島神社 額
↑厳島神社鳥居の額

大竹市 厳島神社2
↑厳島神社

大竹市 胡子神社
↑胡子神社

大竹市 厳島神社から
↑厳島神社から集落を眺める

これだけの高さのところですから、高齢の方はやはり昇る気にはなれないでしょう。私が降りて行くと、鳥居の手前にひとりの高齢者の方が神社を見上げて立っていらっしゃいました。遥拝するような感じでした。

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歩き正月(3) 

三が日最後の日です。この日は午後には帰宅するため、あまり長い散歩はできません。
そこで、元日からの二日間とは逆に川沿いを上流に向かって歩きました。こちらは山道で、もう、ほんとうに何もありません。人家はまばら。夜など歩くと怖いです。まれに車が狭い道(歩道のないところもあります)を猛スピードで走ってきますので危ないですし。
私も1回か2回乗ったことがあるのですが、路線バスがあるのです。しかしこれがめったに走っておらず、新幹線のドクターイエローのように、このバスに出会ったら幸運に恵まれるのではないかと思うくらいです。
時刻表を見てみると平日6便、土日祝日は4便のようです。

大竹JRバス時刻表
↑バス停の時刻表

大竹JRバス停
↑バス停。ここに人がいるのを見たことがありません

しばらく行くと名前のわからない(笑)神社がありました。麓の鳥居にはきちんと門松が飾られているのですが、予想どおり神社に参っている人はいませんでした。
上まで昇ったのですが、結局社名がわからないままです。

大竹某神社
↑某神社

さらに少し歩くとまたまた神社。人家はあまりないのに、神社は次々に。不思議なくらいです。これは鳥居に「大元神社」とありました。鳥居まではなだらかな階段、さらにそこから急な階段。面倒です。

大竹市 大元神社鳥居
↑大元神社鳥居

大竹市 大元神社
↑大元神社

「交通安全祈願祭」という幟があるのですが、だれが祈願に来るのか、だれが祭をしてくれるのか、地元の人に聞かないとわかりません。しかしその地元の人の姿がありません。
社殿を覗くと絵馬がかかっていたりして、なかなか趣がありました。

大竹市 大元神社内部
↑大元神社社殿内部

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歩き正月(2) 

私が日常暮らしている兵庫県宝塚市にも、もちろん神社はあります。最寄りの神社までは徒歩5分ほど。ほかにも思いつくだけで数か所、小さなものを含めると実際はかなりの数のものがあるでしょう。
一方、この正月3が日に滞在していた広島県大竹市は、「市」とは言いながら、人口はわずかに3万人。宝塚市の7分の1に過ぎません。そんなところですが、神社がずいぶんあることに気づきました。そこで、七福神めぐりというひとつの目的を持ちながら、神社があれば七福神に関わらずとも立ち寄る、という散歩をしてみようと思って、2日と3日も歩き続けました。
神社といっても、神主さんがいて、社務所があって、というところとは限りません。いや、むしろそういうところは珍しいのです。

    大きな神社

の神主さんに祀りはしてもらって、いくらか集まった賽銭はお礼としてその大きな神社に納めるというようなのが多いようです。くぐろうとすると頭を打ちそうな小さな鳥居と小さな祠、というところもあれば、そこそこ立派な社殿を持つのに、誰もいない、というところも。
1月2日も前日と同じように朝早くからでかけたのですが、相変わらず人に出会いません。人口3万人が散在して暮らし、しかも正月なので家にこもる人が多く、出かける人はたいてい車ですから、

    歩いている人

がいないのはあたりまえかもしれません。

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歩き正月(1) 

寝正月というのはしばしば聞きますが、なかなか優雅なものです。家にいて家族で大宴会をして大酒を飲むなどというのも結構かと思います。しかし、大酒は飲めない上、早起きの私にはどちらも縁のないことです。では家でじっと勉強でもするかというと、家にもいなかったものですから、まったくもう「どうすればいいの?」という感じでした。それならいっそ、普段の趣味を生かして

    歩き正月

にしようと思い立ちました。ただ、場所が山の中でして、ここから出歩くとなるとけっこうたいへんなのです。街と呼べるところまで徒歩30分。最寄りの駅までは小一時間かかります。平地ならともかく、ダラダラと続く坂道で、往路をあまり無理すると復路は登り道になりますから要注意です。
どうせ歩くなら、正月ですから初詣にしようと、神社を目的地にしました。
元日の朝早く、

    徒歩45分

くらいのところにある、この街でおそらくいちばん大きな大瀧神社というところにひとりで出かけました。距離にして4kmくらいでしょうか。鳥居をくぐってしばらくのところに下の写真のような大きな板があり、ちょうどどこかのご一家がお揃いで落書き(?)をなさっているところでした。願い事などを書くようです。
実は本殿はここから100段では済まない階段を上らねばならず、高齢の方などはかなり大変です。私も体調が悪ければ諦めるところでしたが、このときは何とかなりそうでしたので、途中までは駆け上がりました。あくまで途中まで、です。後半はバテて、手すりにつかまって昇りました(笑)。

大竹市 大瀧神社2
↑大瀧神社境内

大竹市 大瀧神社
↑大瀧神社

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2015年初春公演千秋楽 

文楽初春公演が本日(26日)千秋楽を迎えます。
関係者の皆様、お疲れさまでした。
そして

    豊竹嶋大夫師匠

にもう一度感謝したいと思っています。
私はゆとりがない上、今の仕事場は研究費も出してくれませんので行けそうにありませんが、東京公演でもぜひご健闘くださいませ。
次の東京公演は2月6日(土)~22日(月)で

<第一部>
午前11時開演
 靱猿
 信州川中島合戦(輝虎配膳の段、直江屋敷)
<第二部>
午後2時30分開演
 桜鍔恨鮫鞘(鰻谷)
 八代豊竹嶋大夫引退披露狂言
 関取千両幟(猪名川内より相撲場)
<第三部>
午後5時30分開演
 義経千本桜(渡海屋、大物浦、道行初音旅)

です。

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久保田 

新年にはお酒を飲むようにしています。日本酒です。学生時代など、日本酒はほとんど魅力を感じなかったのですが、今はとても好きです。やはり文化というものは、それを受け入れる人が齢を重ねることで味わいが理解できるようになる、という面があります。学生に「文楽はおもしろい」といくら力説しても、わからない人にはわかりません。それでもいいのです。時がくればパッとわかることもあります。
日本酒と言えば、ときどき書きますが、西宮の

    白鷹 (はくたか)

が好きではあるのです。しかし、生活費の節約のために普段はまるで縁がありません。もうかれこれどれくらい飲んでいないのか、忘れてしまいました。そこで、新年こそ白鷹をと思って昨年末に近くの酒屋に行ったのです。
特にどうということのないディスカウントの酒屋なのですが、いろいろな銘柄を揃えようとしているようで、見ているだけでもそこそこおもしろいのです。
池田の

    呉春

も、以前は置いていなかったのですが、このところ常備しているようです。二十年ほど前に関西に戻ったころ、呉春を飲みたい時にはわざわざ池田の特約店(?)のような酒屋まで買いに行ったことがあります。朝十時から販売します、というので少し早めに行ってみると長蛇の列。整理券を配ってくれるのですが、私の順番ではもう「特撰」が買えませんでした(買う気も無かったけど)。そんな苦労をしただけに、今、こうも手軽に手に入ると、何だか張り合いがありません。

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第30回だしまきの夕べ 

昨夜は30回目の「だしまきの夕べ」でした。
私は、家を出るはずの時間の少し前にささいなことがあって行けませんでした。ガッカリでした。
ゲストとして鶴澤清丈'さんといつもの吉田玉誉さんがお越し下さいまったように承っております。
節目の回数ということだけが大事なのではありません。端数の回でも、そのときに参加してくださった方が楽しまれたらそれですばらしいことです。
それでも、30という区切りのいい回数になったのは嬉しいです。年に4〜5回ですから、2年に一度くらいしかこういう区切りはないのですから。ここまでくると、なんとか50回を目指したいと思うのですが、いかがでしょうか。
さて、昨日はどんなお話しがおこなわれたのでしょう?

落ち葉なき椎(本文その2) 

創作浄瑠璃『落ち葉なき椎』の後半を書いておきます。

和泉屋、そつとうちうなづき、
(和泉屋)「そんなことがあつたのか。笑止千万、気の毒な。まるで『朝顔話』の深雪のやうな・・。さうか、それで『夕顔』か」
(米吉)「さうなんでございますよ。それで、今日がちやうど約束の三年目の日なんだそうで。あら、何だかしめつぽくなつちまいましたね。でも、旦那様。この人の三味線と歌は聴きものでございますよ。糸の調子も自分で合はせ、寸の狂ひもございません。(夕顔に、一語ずつゆっくりと)夕顔さん、お願ひしますよ」
(和泉屋、船頭に)「船頭さん、手数をかけてすまないが、松浦様の椎の木の近くまでやつてくれないか。ああこれ、くれぐれも揺らさぬやうに頼みます」
と、汲めど尽きせぬ和泉屋の心は深き大川の水にさす櫓のどぶんちやう、蝶の戯る花よりも甘き音色の糸に乗る迦陵(かりょう)の声ぞうるはしや。

(歌。三味線の技巧もたっぷりと)
  あらたまの 年の 三年を 待ちかねて
  大川端の 都鳥 いざ言問はむ
  白雲の 遠(おち)なる人の ありやなき
  三筋の糸の いとしくも
  ちりちり とんと 会ふことの
  叶はぬ身とは 成り果つる
  頼みに思ふ 松浦様
  その椎の木の常青葉(とこあおば)
  な散りそ 散りその 願ひなり

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落ち葉なき椎(本文その1) 

はなはだお恥ずかしいのですが、私が最近書いた創作浄瑠璃「落ち葉なき椎」の全文を掲げておきます。短編と言ってもそこそこの長さになりますので、2回に分けます。作曲してくださったお師匠はんにうかがいますと、冒頭の歌は三下り、途中の歌(次回書きます)は琴を入れるとおっしゃっていました。

(どこからともなく聞こえてくる歌)
  春は亀井戸 梅屋敷
   手に土器(かはらけ)の 飛鳥山
  夏 三囲(みめぐり)に杜若(かきつばた)
   蛍も恋に胸焦がす
  秋の萩なら龍眼寺(りゅうげんじ)
   二十六夜の月待ちて
  冬 しっぽりと浄光寺
   雪見がてらに酒(ささ)ひとつ

今宵の客は大尽と名に負ふ和泉屋清右衛門。風流韻事(ふりゅういんじ)を極めたる粋(すい)も自慢の大旦那。心をつけて芸者衆。とんとんとんと歩み板。三味(しゃみ)の糸ほど踏み鳴らし乗り込む舟ぞ雅(みやび)なる。
中に年増の米吉が愛想こぼして進み出で、
(米吉)「旦那様。いつもありがとう存じます。大川の舟遊びはあたしたちも楽しみで、わけても和泉屋様のお舟とあれば、芸者仲間で評判の随一でございます」
(和泉屋)「ははは、米吉得意のお追従(ついしょう)。が、『随一』にしては蔦奴(つたやっこ)の姿が見えぬぢやないか」
(米吉)「申し訳ございません。実は蔦さん、今朝方の地震で指を突いちやいましてね。和泉屋様のお舟をしくじるわけには、って、泣きべそかいてたんですけど、指は三味線弾きの命でございますからね。それで、今日はこの夕顔さんが名代(みょうだい)つてことでご勘弁願います」

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猪名川内の雰囲気 

文楽初春公演に出た『関取千両幟』は「猪名川内から相撲場」でした。今回は「相撲場」で取り組みの場面までありました。
あまりにもあっけない結末で、そう簡単に身売りができるのかな、とかいらぬことを考えてしまいました。そもそもこの話は前の部分がないので、事情が今ひとつつかめないまま愁嘆場になってしまいますからわかりにくいです。
それでも眼目の「猪名川内」はおとわの気持ちが温かく、たまにはこの演目もいいと思いました。
今も大阪府池田市と兵庫県川西市の間などを

    猪名川という河

が流れています。兵庫県には猪名川町という町もあります。川西市というのは猪名川の西ということなのでしょう。相撲取りの猪名川も池田の出身ということになっています。
その猪名川の家は相撲取りだけに普通の家とはやはり違っていました。この独特の雰囲気が芝居を効果的にしていると思います。
床の間には「摩利支尊天」の軸があります。摩利支(尊)天は軍神として武士の信仰を集めたことが知られますが、同時に勝負の神ということで相撲取りにも祀られたようです。
壁には贔屓の人から贈られたものの目録が貼ってありました。

    「米十俵」

とか「幟」とか「清酒」とか。「のし」や「贈」の文字が朱書きされていました。いいですね。いろいろもらえて(笑)。

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2015年度信貴山縁起絵巻講座終了 

昨年の5月から16回にわたって一般受講者の皆様方と一緒に読んできた『信貴山縁起絵巻』の講座が昨日無事に終了しました。皆様にはご退屈だったかもしれませんが、私自身はとてもおもしろく、勉強にもなりました。
学生時代から何度も触れている絵巻物ではありますが、ここまで細かく読んだことはありませんでした。仮に『古本説話集』と名付けられた(原本にタイトルがない)説話集や『宇治拾遺物語』に登場する「信濃国の聖のこと」という話をもとに、絵画化されたものです。「縁起絵巻」といわれるものの、「信貴山朝護孫子寺」の縁起を語るのではなく、この山に住んだ

    命蓮(みょうれん)

という僧についてのエピソードを描いた説話絵巻です。
絵を見て話の内容を追って行くだけならあっという間に終わってしまいますが、私のやり方は文学、歴史、美術、風俗、習慣、建築その他さまざまなアングルから読み解きましょう、というものですので、とても時間がかかります。もっとも、私は偉い痔先生ではありませんので、それら全てに精通していて皆様方に高説を垂れる、というたぐいのことはできません。まずは私自身が

    疑問をもつこと

から始めるのです。「これは一体、何なのか?」という素朴な疑問を持って、それをいろいろな文献に照らしながら解決して行くことを基本にしてきました。ですから、受講者の方々にも同じように疑問を持っていただいて、それをおっしゃっていただくのです。私は力不足ですが、わずかでもそれが解決できた時は皆さんとても喜んでくださいます。

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国性爺合戦 第五(2) 

『国性爺合戦』も大詰めです。

黒革威(くろかはをどし。鎧のパーツである小さな板、つまり札=さね=を黒い革にしたもの)の鄭芝龍は南京城の外郭の大木戸を叩き、「国性爺の父、老一官と申す。年寄って戦が思うに任せない。しかし若い者の戦の話を安閑とも聞いていられず、討ち死にしようとやってきた。李蹈天、ここに出合い、この白髪首を討ってくれ」と大声を挙げます。すると中から六尺豊かな大男が現れて襲いかかります。しかし老一官はあっさりその首を落とし、「李蹈天が出てこないとこの通りだ」と城を睨んで立っています。すると

    韃靼大王

が門の櫓に現れて、「問いたいことがあるから老一官を搦め捕れ」と命じます。すると四五十人の男が取り巻いて老一官をめった打ちにして連れて行きます。
やがて、国性爺、呉三桂、甘輝、そして小睦が後陣の大将として現れます。小睦が奮戦して相手を倒しますが、七十万騎が立てこもった城だけに、なかなか落ちません。国性爺はなんとか

    父の安否

を知りたいと思いますが、うまくいきません。そこで「この国性爺はこれまで無刀の戦いはしたことがないが、今日は剣の柄に手もかけない。さあこい」と挑発します。多くの兵が挑んできますが次々に倒して行く様子はとても人間業とは見えないのです。

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国性爺合戦 第五(1) 

『国性爺合戦』は壮大と言うべきか、何とも派手な物語です。
当然ながら、初めてこの作品を文楽で観た時は「紅流しから獅子城」まででしたから「な〜んだ、合戦って、最初だけなのか」と思いました(笑)。しかし原文を読んでみるととんでもない。合戦だらけでした。一体当時はどうやって上演したのだろうと思うくらいです。今と違って人形や舞台の

    スケールは小さい

ですが、小さいからこそできたこともあったのではないかと思います。
三段目の最後で国性爺の母が亡くなる時に、彼女は息子と甘輝に向かって、韃靼王は母の敵、妻の敵と思って立ち向かえと遺言しました。それは果たされるのか否か、五段目で決着がつきます。ものはついでですから、五段目のあらすじも書いておきます。

国性爺のもとに、呉三桂が太子を、小睦が栴檀皇女を連れてきたので、印綬を捧げて太子は永暦皇帝となります。そして陣屋の上には

    伊勢大神宮

を勧請し、韃靼王を討つため、延平王国性爺は司馬将軍呉三桂、散騎将軍甘輝と軍議を凝らしています。
呉三桂は「数千本の竹筒の中に蜂を入れて雑兵に持たせて戦をする体にしてそれを捨てて退却させます。すると韃靼の兵は貪欲ですから食物と思って筒を開けるでしょう。飛び出した蜂に刺されて苦しみますから、その時に攻めれば討ち取れます。もし子供だましだと察したら積み上げて焼こうとするでしょうから、筒の底に火薬を詰めておきます。そうすれば爆発して生き残るものはないでしょう」と言います。
甘輝は「折櫃二三千合をこしらえ、菓子、干飯、酒、肴などを準備して毒を入れて陣屋に並べておきます。敵を陣屋に引きつけて戦に負けたふりをして退却します。すると敵はこの食物に目がくらんで手当たり次第食べるでしょう。すると毒が回って全滅します」と計略を語ります。

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国性爺合戦 第四(2) 

《碁立軍法》
一方、呉三桂は山から山に身を隠しつつ、太子(華清夫人の腹から取り出した、皇帝の子)を育てて二年になります。今日は九仙山に登り、しばし佇んでいます。そこで老人が二人、脇目も振らずに碁を打っています。
呉三桂は「琴詩酒の楽しみをせずに碁を打つのは何か楽しみがあってのことですか」と声をかけます。老人は「碁盤と言えば碁盤、碁石と言えば碁石だが、世界を碁盤に例えることもある」などと答えます。さらに呉三桂と翁は「天地一体の楽しみに二人向き合うのは?」「陰陽ふたつなければ万物は整わぬ」「勝負は?」「時の運」「白黒は?」「夜と昼」「手段は?」「軍法」と問答します。
翁は重ねて「今日本から国性爺という勇将が来て、明国の味方をして

    合戦の最中

だ。場所は遥かな所だが、目の前に見せてやろう」というと、そのありさまが見えるのです。雲雀や北に帰る雁の飛ぶ春、国性爺が乗っ取った石頭城には大小の旗、登り、馬印などがはためいています。夏の半ば、南京の雲門関。国性爺はここを通るのに、「関破りをするのは簡単だが、弁慶の安宅の関の故実にならおう」と、玄宗皇帝の建立した楊貴妃の廟所、大真殿の再興のための勧進という体で勧進帳を読み上げます。関の役人は国性爺と知って攻撃しますが、国性爺はいとも簡単に関を破ります。秋、韃靼の海利王が立てこもる山城に迫る国性爺が夜討ちをします。虫の声が澄み渡る中、高提灯を一気に掲げて攻め、敵が城に退却すると火矢を放ってあたりは焦土と化します。冬、国性爺が奪った長楽城は雪景色が美しいのです。国性爺は諸国の府を手に入れて太子の来るのを待っています。これらの様子が呉三桂に

    ありありと見える

のです。
呉三桂は喜んで太子を抱いて城のある方へ駆け出そうとします。すると二人の老人が押しとどめ、「今見たのは一瞬のことと思っただろうが、お前はこの山に入ってすでに五年が経っている。そのうちの四年を四季の戦いとして見たのだ。私は明国の先祖の高皇帝だ」「私は青田の劉伯温」。二人は月の世界に住むと言い、月は欠けるがまた満ちる、太子の位は日本の神力を得て成就すると言い残して姿を消しました。

※史実としては、高皇帝は朱元璋、すなわち明の初代皇帝の洪武帝。劉伯温は軍師、詩人、政治家、文筆家で、洪武帝を助けた劉基。文成県(青田)出身なので、劉文成、劉青田とも。

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国性爺合戦 第四(1) 

『国性爺合戦』は通常三段目まで上演されます。となると、日本に残された栴檀皇女と小睦(こむつ)はどうなるのか、五常軍甘輝はどのように活躍するのか、呉三桂はその後どうなったのか、そして戦の結末はいかに、などはわからないままです。私は特に小睦が気になってしかたがないのです。そこで四段目のあらすじを書いておきます。

日本に残された栴檀皇女と小睦は近所の人の好奇の目に晒されながら一緒に暮らしています。小睦は夫が今や国性爺と名を改めて大将軍になったとは聞いているのですが、自分も武勇の心を抱いています。彼女は若衆姿になって松浦の住吉に日参し、願が叶うように祈請したあと、

    剣術の稽古

をしています。その腕前は「今牛若」とでもいえそうな見事なものです。そこに栴檀皇女がやってきて剣の腕前を称えると、小睦は「迎えの舟を待たずお供して唐土に渡ろうと吉凶を占いましたところ、この木刀で松の木が切れました。これは神様がお受けくださったしるしで、商船の便もあります」といいます。栴檀皇女が喜ぶと、小睦は「この住吉というのは船路の守り神です。昔、

    白楽天

という人が日本人の知恵を調べようとして日本に来て目前の景色を「青苔衣を帯びて巌の肩にかかり白雲帯に似て山の腰を廻る」と詠んだところ、住吉の神が釣りの翁となって現れ『苔衣着たる巌はさもなくて衣着ぬ山の帯をするかな』と答え、それを聴いた白楽天は言葉に詰まって国に帰ったと言います。さあ、行きましょう」と二人は連れ立って行きます。

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国性爺合戦 発端(2) 

そのとき、四方八方から軍馬の音が響き、鉦や太鼓が鳴ります。呉三桂が高楼に登って見ると、韃靼の軍が攻め寄せています。梅勒王が現れて「順治大王が華清夫人を妻に望んでいるというのは嘘で、夫人を捕えて明の跡継ぎを絶やすためだった。李蹈天が左目を刳り抜いて味方することを合図したので押し寄せたのだ」と大声を挙げると呉三桂は逆襲しようとしますが、味方する者がありません。呉三桂の妻の柳歌君が我が子と華清夫人を連れて現れ「大臣公卿は皆、李蹈天の味方です」と告げると、呉三桂は「夫人は私が守る。そなたは子どもを置いて栴檀皇女のお供をして海登(かいどう)の港に落ち延びよ」と命じ、柳歌君は皇女とともに落ちて行きます。
呉三桂が戦う隙に李蹈天と弟の李海方が皇帝を捕え、すがる華清夫人を突き退けて帝に刃を当てます。皇帝は「鄭芝龍や呉三桂の諌めを用いず、お前たちにたぶらかされた。『口に甘き食物は

    腹中に入りて害をなす』

ということを知らなかったわが愚かさよ」と悔やみますが、李蹈天は「目玉が知行となり、皇帝の首が国になるのだ」と言って皇帝の首を落とし、弟に「自分はこの首を韃靼王に差し上げる。お前は華清夫人を捕えよ」といって去ります。
そこに呉三桂が戻りますが、皇帝は殺されているのを見て愕然とします。しかし気をとり直して李海方を倒して華清夫人を救い、皇帝の亡骸にあった即位のしるしの印綬を手にして

    「今は跡継ぎが大事だ」

と、華清夫人を連れて逃げようとします。そのとき、呉三桂の乳飲み子が泣きます。呉三桂はその子を邪魔だとは思ったのですが「お前も我が跡継ぎだ。もし父が討ち死にしたら成人して若君の忠臣になれ」と鉾の枝に括り付けて落ちて行きました。

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国性爺合戦 発端(1) 

文楽初春公演の夜の部は近松門左衛門作『国性爺合戦』で、多く上演される「浜伝ひ」「もろこし舟」「千里が竹」「楼門」「甘輝館」「紅流しから獅子が城」に加えて発端の部分がついているのが注目されます。しかし、時間の関係などもあるのでしょう、完全に上演されているわけではありません。そこで、上演中の内容との重複を厭わず、発端の部分のあらすじを書いておきます。

明国十七代の思宗烈皇帝は齢四十になりますが、世継ぎがありません。そんなとき、皇帝のもっとも愛する華清夫人(くわせいぶにん)が懐妊、いよいよ産み月となりました。大司馬将軍呉三桂の妻柳歌君は最近男子を産んだため、乳母となります。
おりしも、韃靼国の順治大王の使者梅勒王が、虎や豹の皮、火浣布、馬肝石などの珍宝を貢ぎ物として訪れ、「韃靼は女の容貌が他国に劣ります。明国には華清夫人と言う美人がいらっしゃるので、その方を韃靼に迎えて大王の后とし、両国は親子となって和睦しましょう」と言います。
すると、右将軍李蹈天が「実は、かつて北方で飢饉があったとき、韃靼に援助を頼み、民を救ったことがあり、その返礼をしなければならないのです。恩を知らないのは鬼畜同然なので、すぐに華清夫人を差し上げるべきです」と言います。それを聞いた呉三桂は「韃靼は道も法もない野蛮な国だ。それが明国の民を救ったとは信じられない。民が苦しんでいるなら上のものが

    贅沢をやめれば

済むことだ。皇帝や公卿に相談もせず、懐妊中の后を夷狄(いてき)に渡せとは不審だ。このような貢ぎ物は捨ててしまえ」と反論します。
梅勒王は「恩を忘れて約束を違える明国こそ道も法もない畜生国だ。すぐに戦を起こして皇帝も夫人もわが大王の履(くつ)持ちにする」と席を蹴立てます。
すると李蹈天は「韃靼の力を得て国を助けたのに、兵乱を招いて主君や国民を苦しめ、畜生国と言わせては国の恥だ。忠臣としてこうする」といって自分の

    左目を刳り抜いて

梅勒王に差し出します。
梅勒王は「あなたこそ立派な忠臣だ。これで華清夫人を迎え取ったも同じことだ」と感心し、皇帝も李蹈天の振る舞いに感じ入って梅勒王を返すように命じて奥に入ります。

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第30回だしまきの夕べ(予告) 

すごいことになってきました。
文楽名物(?)だしまきの夕べがついに30回目を迎えます。当初は数人であったメンバーも入れ替わりがあるものの最近は10人を超えることが多く、ゲストにも人形遣いさんを中心に太夫さんにもおいでいただき、実行委員長さんは、次は

    三味線弾き さん!

とお考えのように拝察しております。
今回は1月23日(土)で、会場はいつもと同じ季節料理の店「両輪(りょうわ)」。
集合は第二部終演直後に文楽劇場一階の売店あたり。
まだお出でになったことのない方もよろしければお運びくださいませ。

2015年度源氏物語講座終了 

先週の金曜日、2015年度の公開講座『源氏物語』が終わりました。
「若菜上」の巻を2014年度後期から読み始めて、きっちりこの巻を通読することができました。
「若菜上」は、普通の注釈書では100ページ以上にもなる長い巻ですから、この巻をお読みくださった受講者の皆様はたいしたものだと思います。
私のやり方は、単に話を追うだけではなく、当時の風俗や習慣を探ったり、古語の魅力を解きほぐしたり、後の時代の人が描いた絵を用いて受容の歴史を考えたり、

    さまざまなアングル

から源氏物語にアクセスするものです。
たとえば結婚の儀式はどのようなものだったのか、手紙はどのように書いたのだろうか、社寺への参詣はどのようにしておこなわれたのか、どんなものを食べて、どんな遊びをしたのかなどをお話ししたりしています。また、言葉についても、たとえば「おこなひ(行なひ)」「あきなひ(商ひ)」「うらなひ(占ひ)」「ともなひ(伴なひ)」は何か関係があるのか、などということをお話ししています。みなさんとても興味を持ってくださり、ありがたいです。

「若菜上」巻というのは光源氏三十九歳から四十一歳までのできごとなのですが、
★女三宮の婿選び
★光源氏と女三宮の結婚
★光源氏の四十の賀
★光源氏と朧月夜の再会
★紫の上の苦悩
★明石の君の生き方
★柏木の女三宮への執着
★蹴鞠の日の事件
など、内容が豊富で作者のすばらしい構想力、文章力が味わえます。
あまりにもおもしろい話ですので、受講者の中には「90分の講座があっという間だ」とおっしゃってくださる方があります。私自身、時間が経つのが早く、これだけのものを書いてくれた紫式部の偉大さをしみじみ感じます。

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百太夫祭 2016(2) 

ここで神社から甘酒をくださいます。前回は私のようなよそ者がいただいてよいのかどうか気になって遠慮したのですが、今回はありがたく頂戴しました。お腹から暖まります。
西宮の「えびす座」の皆さんがおめでたく「えびす」の人形を遣って、大鯛を釣り揚げたりします。こちらの人形遣いさんは文楽と違って満面の笑み。文字通りの

    えびす顔

です。

百太夫祭5

百太夫祭6
↑えびす座のえびす人形

人形の奉納が終わると、お客さんを含めてみなさんで大笑いをします。こういうのもとてもいいことだと思います。
続いて「阿波木偶箱まわし保存会」の方々が祝儀舞、三番叟、えびす舞などを奉納され、さらに『傾城阿波の鳴戸』『絵本太功記』『日高川入相花王』『玉藻前曦袂』の短い場面を見せてくださいました。『玉藻前』では狐への早変わりもありました。わずかお二人の方が次々に人形を持たれて、セリフもご自身でおっしゃいます。大活躍です。

百太夫祭8三番叟
↑三番叟

百太夫祭17阿波のえびす
↑えびす

百太夫祭11鳴門のおつる
↑鳴戸のおつる

百太夫祭12光秀
↑太功記の光秀

百太夫祭14清姫
↑日高川の清姫

百太夫祭15玉藻前
↑玉藻前

人形まわしの奉納のあとは、「えびす座」「阿波木偶箱まわし保存会」のお三方が、えびすの人形を持って希望するお客さんに福を授けて全て終了です。お客さんはみなさんいい顔をされています。やはり正月らしくて明るい気分になります。皆さん、お疲れさまでした。

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百太夫祭 2016(1) 

十日戎になりました。
父が大阪の堀川の出身なので、堀川戎を愛し、小さいときに連れて行かれました。西宮戎にも行ったような気がします。
西宮戎とは、兵庫県西宮市の西宮神社。この境内にある百太夫神社の祭は、例年1月5日午前11時からおこなわれます。今年は参加してきましたので(以前にもここでご紹介したことがあるのですが)書き記しておきます。

私はつい「ひゃくたゆう」といってしまうのですが、西宮神社のHPによれば「ひゃくだゆう」と濁って発音するようです。
西宮は海に面していますので、古くから漁業も盛んでした。その守り神として「えびす神」が尊崇されていましたが、町が開けて商業も活発になると商売の神様としても敬われました。

  「商売繁盛で笹もって来い」

という掛け声は今では商人の町大阪の今宮戎が似合うかもしれませんが、なんといっても全国えびす神社の総本社は西宮です。三連春日造の本殿は先の戦争で灰燼に帰してしまいました(かくして戦争は文化を破壊します)ので、現在のものは戦後再建された新しいものなのですが、風格はたっぷりです。

西宮神社大練塀
↑西宮神社大練塀

西宮神社拝殿
↑西宮神社拝殿

西宮神社本殿 屋根3
↑西宮神社本殿の屋根

本殿の西側にひっそりと鎮座しているのが百太夫社で、普段はあまり目立たない存在です。しかし年に一度のこの日ばかりは主役になるのです。
西宮神社の雑役に奉仕しつつ、近くの散所(さんしょ)に住んでいた傀儡師たちが

    えびす信仰

を広めるために人形を舞わせて神社の札を配布したのだそうで、この人たちが祖神と仰いだのが百太夫。江戸時代も終わり近くになると、そう言った人たちも減り、百太夫を祀った神社もさびれるに至ったようで、西宮神社に移されました。散所は今も西宮市産所町として名を留めています。
同町にあるNTTの片隅に傀儡師の像が建てられていることは以前にも書いたことがあります。

百太夫神社と人形
↑百太夫神社と阿波の人形

傀儡師像()
↑傀儡師の像(NTT西宮支店前)

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掃除、掃除、源氏 

庭掃除をしていて楽しいのは、花にさほど興味のない私でも思わず手を留めてしまう冬の明るい色でした。
冬というとどうしても暗くて華やかさに欠ける季節ですが、実際はそうでもないのですね。知っている花や実、見たことはあっても名前を知らないもの、見たこともないもの(笑)などさまざまです。
椿の仲間のサザンカ。これは「サザンカ、サザンカ、咲いた道」という歌で小さい頃から馴染んだ花です。

さざんか
↑さざんか

    「山茶花」

と書いて「さざんか」ですが、もとは文字の通り「さんさか」といっていたようです。こういう倒置現象はときどきあります。「あらたし」は「あたらし」に、「いとほし」は「いとしぼ」(文楽でおなじみの言葉)になりますしね。
冬至の柚子湯は柚子を買ってくるまでもありません。庭にあります。南天もかわいい実をつけています。

    葉牡丹

もこの季節らしくていいものです。

ゆず
↑ゆず

なんてん
↑なんてん

はぼたん
↑はぼたん

そんなことをあれこれ感じ取りながら庭掃除。毎日だといやになるかもしれませんが、たまにはいいものだと思いました。

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庭掃除 

昨年末の話です。
実はこれを書いているのは12月の末なのです。年末年始は記事を書く余裕がないというか、ネットにつなげるのがスマホだけでしかもそのスマホがもう壊れかけているという綱渡りですので、こうして年末に記事を書いて溜め込んでいるわけです。
ですから、話題もつい年末のことになってしまいます。
年末は我ながらよく働きました。朝から晩まで、昼寝はしましたが、休むことはなく、大掃除(と勉強)に精を出していました。
私は家をもつ甲斐性がありませんので、今なお親の家に

    居候

しています。名前だけの所帯主、家賃は勘弁してもらっており、そのおかげで何とか生活できているのです。
普段は朝から晩まで家をあけることが多いので、何もできないのですが、せめて年末くらいはと思って、主に風呂と庭掃除を担当しました。
庭は、さほど大きくもないのですが、いざ掃除しようとするとなかなか手ごわいのです。
軍手、手拭、帽子、庭箒、熊手、ちりとり、ゴミ袋、スコップ、ふるいなどを用意して、とにかく落ち葉を何とかしなければなりません。

    クスノキ

があって、これが一体樹齢何年なのかわからない大物で、それが散らした葉が何年も(笑)たまっているのです。あいにくクスノキは腐葉土にはなりにくいので、掃いて集めて捨てるほかはありません。

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授業が始まりました 

昨日から新年の授業です。
大学は半期15回の授業をこなすことが目的化しているのではないかと思うくらいで、ゆとりがありません。
昔と違って、今は授業が効率的にできるのです。
たとえば、以前なら

    板書する

時間がかかりました。今はパワーポイントであっというまです。写真を見せることもすぐにできるようになり、昔のように「今から皆さんに見てもらいますので回覧してください」などという必要がありません。スクリーンで見ながら説明できるのです。
今はそういうやり方でしかも「15回必ず授業すること」という命令が出ています。しかも授業時間は厳守せよ、などとも言われます(これは守りませんが)。
せっかく効率よくなっているのですから、せめて祝日くらいはきちんと休もうよ、といいたいです。それで15回が14回になっても、教育効果は変わりません。休講も認められず、休講した場合は補講。しかし補講する時間はなくてしかたなく土曜日に回し、土曜日は学生が来ませんから事実上無意味。そんな

    ばかげたこと

をしているのです。
他大学に勤める友人の話を聞いても、「補講は形式だけ」という人にしか出会ったことがありません(私の友人がそんなのばかりなのかな?)。
お役所仕事は困ったものです。

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2月の文楽 

2月の文楽東京公演は、嶋大夫師匠の引退がありますからチケットは取りにくいようです。嶋師匠は大阪と同じ演目で、一門が並んでの掛け合いだとか。
引退披露口上は

    四世竹本越路大夫

以来ありませんが、それだけ難しいものなのですね。あんなものいらないというご意見もありますが、私はやはり越路師匠の時の思い出がありますから、あってもいいと考えています。しかし住大夫師の引退口上がなかったので、今回も見送られたのでしょうか。あのとき私は、住師匠の口上はぜひ実施してほしいと思いました。その考えは今も変わりません。住師が大人物だけに、前例になってしまうのですから。
口上が一幕あるというのはそれだけでも興行としての意味があると思っています。そういうことは無視すべきでないというのも私の考え方にはあるのです。
口上があっても、本人は何も言いません。しかし越路師匠は平成元年5月の東京公演千秋楽で舞台から直接観客に挨拶されました。私は、大阪でも、毎日でもかまわないので、第一部終演後に

    舞台で

嶋師匠に直接挨拶してほしい。「みなさま長らくありがとうございました」のひとことでもいいから。
幕内の事情は知りません。でも多くのお客さんは「嶋大夫」を改めてしっかり目に焼き付けたいと思っている、と私は信じているのです。嶋師匠がそういう挨拶をなさったからといって、伝統芸能の格式を損ねたなどとは思いません。

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落ち葉なき椎 

短編浄瑠璃の新作『落ち葉なき椎』は、私の書いた「本所七不思議」の四つ目の作品になります。
どれもこれも駄作ですが、作者としてはどれもこれもかわいいのです。
私はこういう短編浄瑠璃をアマチュアの方などが稽古されたらどうか、と思うことがあります。「やはり

    古典でないと」

というご意見が強いことは想像できますし、おそらくそれが正論なのだと思います。
しかし、ピアノには練習曲と言うのがあります。私もバイエルは途中まで弾いたことがあるのですが(笑)、最初から難曲に挑むわけにはいかないですから、練習用の曲も必要かと思うのです。
それはともかく、最新作についてメモしておきます。
登場人物は深川の芸者夕顔、和泉屋清右衛門、深川の芸者米吉の三人が主要人物です。深川の芸者(江戸の南東にあったので辰巳芸者ともいわれます)はきっぷがよくて、名前も男名前を付けることで知られました。「○吉」「△奴」などです。ところがこの話の主人公は

    夕顔

という珍しい名前です。夕顔はまだ若いのに義太夫三味線の名手で声も美しいのです。今日は和泉屋清右衛門が隅田川の川遊びをするというので、いつもなら蔦吉という芸者が出向くのですが、指を怪我したために夕顔が代役をつとめることになりました。

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新しい短編浄瑠璃 

歌舞伎三味線の野澤松也師匠が私の書いた駄作に作曲してくださったことは以前お伝えしました。実はあれからも何度か上演してくださっていて、特に

    「送り拍子木」

という作品の上演回数が多いように承っております。
自分の書いたものをプロの方が節付けして演奏してくださっていることは、ありがたいことではあるのですが、その一方とても恥ずかしいのです。ただ、眼目は松也師匠の三味線と美声を間近で聴けるというところにありますので、詞章は二の次、そう思うといくらか楽なのです。
どんな曲がついているのかも私にはわかりませんが、勝手に想像して申しますなら、私のイメージに近いものを作っていただいているような印象を持っています。私は文章を書くとき、

    あくまで浄瑠璃の詞章

であるということを念頭に置いていますので、曲のイメージも自分ではできているのです。そしてそれは当然義太夫節のイメージですから、松也師匠がおつけになる曲もきっと近いものになるだろうという思いがあるのです。ただし、師匠には師匠の独自の世界がありますから、実際に聴いてみたらまるで違うかもしれませんが(笑)。
すでに三つの小品を師匠にお送りしましたが、昨秋、四つ目の作品ができましたので、おそるおそる(笑)差し上げました。
今、「(笑)」と書きましたが、実のところ笑い事ではありません。あたかも学生がレポートを提出するかのような気分なのです。

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2016年文楽初春公演初日 

新しい年の文楽が始まります。
今年は床の世代交代がどう転ぶのか、期待と不安の交錯する年になりそうです。
年の初めのどさくさ(?)に申しますが、私はすぐにでも英大夫、津駒大夫、千歳大夫を切語りにすべきだと考えています。
不満の声があるのも存じております。しかし、いろいろな意味でこの3人に引っ張ってもらわないとしかたがないのも事実だと思います。文字久さんを文字大夫に、これもぜひ。

今日からの演目は次の通りです。
第1部(11時開演)
『新版歌祭文』(座摩社 野崎村)
八代豊竹嶋大夫引退披露狂言
『関取千両幟(猪名川内より相撲場)
『釣女』

第2部(16時開演)
『国性爺合戦』(大明御殿 大明御殿奥殿 芦辺 平戸浜伝いより唐土船 千里が竹虎狩り 楼門 甘輝館 紅流しより獅子が城)

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今年も西の空から 付890,000 

この正月も家におりません。
はるか西の空の下で新年を迎えています。
田舎はいいものです。
昨日からもう仕事をしています。
住大夫師匠は「死ぬまで勉強だんなぁ」とおっしゃいますが、まさにこれは

    生涯学習

の真髄。
私もそのおことばを範として今年も進むつもりです。倒れたら倒れたときのこと。
それくらいのつもりで新年をスタートしました。
6日から早くも授業が始まりますので、遠からず家に帰ります。

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