初夏の遠足 パート2(1) 

5月は、体調は万全とは言えなかったのですが、どうしても見ておきたいものの展示がありましたので思い切って出かけることにしました。頻繁に観られるものではなく、これを逃すともう生涯目にすることはあたわないかも、と思ったのです。
そのお宝とは、5月22日まで奈良国立博物館で展示されていた

    『信貴山縁起絵巻』

や『粉河寺縁起絵巻』(いずれも国宝)などです。『信貴山』は朝護孫子寺(信貴山の寺)の所蔵品ですが、奈良博に寄託されていて、寺には複製が展示されています。私は昨年度の公開講座で一年をかけて『信貴山』を読み、今年は『粉河寺』に挑むことになっていますので、とても無視できないのです。『信貴山』が展示されることは随分前から知っていたのですが、『粉河寺』まで出るとは知らず、天の与えと押し頂き飛ぶが如くに行ってきました。
『粉河寺』はひょっとしたらこれまで実物を観たことがないかもしれません。随分いい加減な記憶なのですが、なにしろ写真版では何度も観ているものですので、既視感はたっぷり。何かの展覧会に出ていたのを観たことがあったかどうか、忘れてしまいました。もし初めてだとするとまさに

    一期一会

ということになりそうです。
ゴールデンウィークや土曜、日曜は避け、13日の金曜日(!)に行こうと心づもりしていたのですが、あいにくあまり歩けそうにない体調で1週間延期、結局19日(木)に出かけました。
車で行くのは楽な面もあるのですが、費用がかかりますのであっさりそのアイデアは却下。となると、安上がりコースの阪急梅田〜JR大阪〜近鉄鶴橋〜奈良がよさそうです。

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授業なのか何なのか・・ 

時々申しますが、私はもう国文学の授業はほとんどできません。やはり国文科の教員に戻りたいですが、もはやそれは夢物語です。だったら、好きなことだけすればいいかというと、そうはいかないのです。たくさん授業をさせてもらわないと生活がさらに困りますから。
なんとか担当科目を確保すべく「何でもやります」と宣言しているのですが、心の奥底では

    美術

の授業をしたいと思っているのです。もちろん絵を描くわけではなく作品鑑賞、あるいは美術史です。私の場合は特に日本美術です。私の勝手で言っていることではありますが、時々学生が「この大学は美術の授業はないんですか?」と言っているのも事実です。文学や音楽はあるのに、なぜ美術はないのか、と。
私は絵を描くのはまるでダメですし、色彩感覚もお粗末です。ただ、絵を観るのはずっと好きでしたし、特にこの15年ほどは音楽がダメになった分、絵画への興味は一気に膨らみました。
日本美術と言いましたが、学生時代に

    絵巻物

に引かれて最近はずっと一般の方々と一緒に絵巻物を勉強しています。観点はどうしても文学になりますが、絵巻物の魅力を伝えることは何とかできそうな気がしてきました。もちろん実際にこういう授業が成立するとは思っていません。あくまで手前勝手な夢物語なのです。

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浄瑠璃と平安時代 

文楽4月公演は『妹背山婦女庭訓』でした。月代を剃ったり、髪を島田に結ったりはしていますが、天智天皇、蘇我入鹿、藤原不比等などが出てきますので、いちおう七世紀のお話です。
『菅原伝授手習鑑』は寺子屋が舞台になるとはいえ、平安時代の話です。はったい茶を飲んでも『競伊勢物語』には紀有常が出てきます。
14世紀のころ、『徒然草』の筆者が平安王朝に憧れただけでなく、江戸時代の人たちも王朝文化には並々ならぬ憧憬を抱いていたようです。
大名の娘の

    お輿入れ

では王朝文化を素材にした花嫁道具が珍重され、貝合せや百人一首、伊勢物語、源氏物語などが用意されました。
芝居でいう「世界」にも難波戦記や平家のみならず、王朝が取り入れられました。

    「王代もの」

などといわれます。
花札に出てくる季節感も平安王朝以来のもので、日本人の美意識に大きな影響を与えた時代だと思います。
その一方、平安時代は貴族のイメージが強く、浮き世離れした印象を受けがちなのではないでしょうか。

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薔薇(2) 

バラの話なのに、『源氏物語』のことに触れるとつい調子に乗って、関係ないことまで書いてしまいます。昨日書いた朧月夜(右大臣の六番目の娘)という女性は光源氏が二十歳の春に内裏の花(桜)の宴で偶然出会った人なのです。そのとき彼女が「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさんでいたため、一般に「朧月夜」と呼ばれています。桜の宴で出会いそのあと右大臣邸での藤の宴で再会するのです。後年、四十歳になった光源氏が人生最後ともいえそうな

    恋の炎を燃やした

相手もこの朧月夜でした。私が源氏物語を読んでいてもっともドキドキする女性といえばこの人なのです。朧月夜は毒々しいわけではないのですが、優艶で、強く拒絶したりしないなびきやすい性格で、私のような純粋な人間はあっというまに虜になってしまいそうです(笑ってはいけません)。藤の花が風に揺られるようなイメージもあるのですが、なんとなくバラも似合いそうに思います。
話が変わります。私は断片的にしか読んだことがないのですが、池田理代子さんの

    『ベルサイユのばら』

は名作の誉れが高く、ベストセラーになりました。
フランス革命前後の男装の麗人であるオスカル、その幼なじみのアンドレ、王妃マリー・アントワネット、スウェーデン貴族のフェルゼンらを中心に繰り広げられる物語です。
宝塚歌劇では、1974年に榛名由梨さんのオスカル、麻生薫さんのアンドレで初演されて大ヒット。その後、安和淳、汀夏子、麻実れい、順みつき、瀬戸内美八、杜けあき、一路真輝、涼風真世、安寿ミラ、天海祐希、大浦みずき、湖月わたる、安蘭けい、和央ようか、春野寿美礼、柚希礼音、鳳稀かなめ・・などのみなさんがオスカル、アンドレを演じられました。鳳蘭さんもフェルゼン役で出ていらっしゃいます。
再演のたびに話題になり、今や古典になっているといってもよいでしょう。

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薔薇(1) 

バラという花は毒々しさを孕んだ華やかさを持っていると思います。香りも妖艶で、あの刺がまたなんともこの花らしくていいです。どうしてもあの豪奢な八重のものが頭に浮かびますが、一重のバラも存外いいものです。双子葉類で5弁の花です。
オペラなどで知られる

    カルメン

は何となくバラをくわえて踊っているような印象を与えがちだと思うのですが、原作者のメリメはそんなことは書いておらず、やはりカルメンの毒のあるイメージがバラに結びつけられたものでしょうか。三島由紀夫はオペラでは『カルメン』が一番好きだったと聞いたことがありますが、あの『黒蜥蜴』の脚色家はさもありなんと思ってしまいます。そういえば、深紅のバラの品種に「カルメン」というのもあるようです。
京都には綾部バラ園、大阪には靭公園や中の島公園、兵庫県にはほかにも須磨離宮公園や尼崎市農業公園など、バラを楽しめる公園や名所があちこちにあります。私の家の近くでは、隣町の伊丹市に

    荒牧バラ公園

というなかなかすばらしい名所があります。荒牧は、伊丹市といっても北の端に位置し、宝塚市の中に首をつっこんでいるような地域にあるので、あまりよその町という感じがしません。私が頻繁に使う国道をまっすぐ走っていると宝塚市から伊丹市に入り、またすぐに宝塚市になるのです。伊丹市が首をつっこんだ形になると書いた所以です。ここには「天津乙女(あまつおとめ)」など伊丹生まれのバラがあります。

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若葉のころ(3) 

1970年のアメリカで“Love Story”という映画が制作されました。あまりにも純粋な恋愛映画で、観ようによってはばかばかしいくらいものでした。しかし、フランシス・レイの音楽と相まってヒットし、翌年には日本でも『ある愛の詩』のタイトルで多くの人が涙を流しました。私も梅田のスカラ座か北野劇場のどちらかに観に行った覚えがあります。生意気な少年でした。
同じ年の夏、今度はイギリスで制作された「大人なんて信じられない!」といわんばかりのやんちゃ坊主たちが痛快に走り回る

    “Melody”

という映画がイギリスからやってきました。イギリスやアメリカでは人気はなかったそうですが、『小さな恋のメロディ』というタイトルで上映された日本では大ヒットでした。私は神戸新聞会館に観に行きました。
『ある愛の詩』の静謐なラストシーンとはうってかわって、Crosby, Stills, Nash & Youngの“Teach Your Children”をバックに草原を手漕ぎトロッコに乗って去っていく場面は特に若い世代に強烈な印象を残したのではないでしょうか。
主人公を演じたのは、ジャック・ワイルド、マーク・レスター、トレーシー・ハイドの3人で、小学生を演じたジャック・ワイルドは私よりも年長でした!
小学生のダニエル(マーク・レスター)がメロディ(トレーシー・ハイド)に一目ぼれして、不思議な友情で結ばれている同級生のトム(ジャック・ワイルド)らにからかわれつつも、最後は小学生ばかりで結婚式を挙げるのです。子どもたちの心にまったく

    無理解な教師

たちは怒るのですが、やはり同級生の科学少年が作った爆弾が見事に炸裂して教師たちを追い払うのです。
この作品の音楽は前述のCrosby, Stills, Nash & Youngは最後の曲だけで、ほとんどはThe Bee Gees の曲を使っていました。
そしておそらく当の Bee Gees が一番驚いたのではないかと思うのが、“Melody Fair”の日本での大ヒットでした。

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若葉のころ(2) 

“First of May”は、とても甘いメロディで女声にも向いていると思います。この間たまたまYou Tubeを見ていたら三男のモーリス・ギブが、彼がかつて結婚していた、歌手の

    Lulu (ルル)

と一緒に歌っている映像がありました。
 We used to love while others used to play.
 Don't ask me why but time has passed us by.
という歌詞など、他人となった二人がどんな思いで歌っていたのだろうと想像してしまいました。二人とも中年になってとてもいい顔をしていました。
この曲のサビの部分

 The apple tree that grew for you and me.
 I watch the apples falling one by one.
 And I recall the moment of them all.
 The day I kissed your cheek and you were gone.

はモーリスが歌っていました。二人の関係について、聴衆は皆知っているのです。この部分のLuluの表情を見ていると、もう若くない二人が過ごしてきた年月が思いやられて、格別の感慨を抱いてしまいました。モーリスは、私には正確なことは分かりませんが 絶唱するのではなく、とても軽く歌っていたと思います。それがまたなんともすばらしくみえるのです。

モーリスはこの映像の翌年に急逝しました。

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若葉のころ(1) 

『古今和歌集』の晩春から初夏の歌を眺めていると、藤、山吹、時期遅れの桜、ほととぎす、橘などが詠まれますが、青葉はあまり関心が持たれなかったようです。
連休後半に散歩していると、葉の色と木下闇の濃さがずいぶん顕著になってきました。朝日を浴びた葉はきらきら光り、

    銀色の青葉

とでもいいたくなる美しさを感じました。初夏を満喫するにはやはりこの深緑の葉は欠かせないように思います。
宝塚の花の道は桜の葉に覆われて木下闇ができていましたが、ふと見ると、道に手塚治虫のブラックジャックの絵がはめ込まれていて、黒いわけだ(笑)と思ったのでした。

BJ.jpg
↑花の道のブラックジャック先生

蒸し暑くなるまでのわずかな期間、この若葉のころは歩くのにとても快適な時期でしょう。朝早い時間ですと、宝塚大劇場の楽屋入口と当日券発売口あたりは別として、あまり人は歩いていません。誰の邪魔にもならないと思うと、鼻歌の一つも歌いたくなる陽気です。
なんとかの一つ覚えのように私が愛唱するのは

    The Bee Gees

なのですが、このところ10曲あまりをレパートリー(大げさな!)にしています。“Massachusetts”“Holiday”“I Started a Joke”“The New York Mining Disaster 1941”“World”“Don’t Forget to Remember”“Words”“How Can You Mend a Broken Heart”“Give Your Best”“ Morning of My Life(In the Morning)”“Lonely Days”“My World”“Run to Me”などです。あの、一世を風靡した“Night Fever”は入っていません。鼻歌には無理です。上の曲はおそらくすべて1960年代から70年代のものばかりです。古いです。

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2016年5月東京公演千秋楽 

文楽東京公演が千秋楽になります。
この公演、なかなかチケットが取りにくかったそうですが、いかがでしたでしょうか?
次は大阪で鑑賞教室。さらに若手会が大阪と東京でおこなわれます。
鑑賞教室は

    『二人三番叟』
    『夏祭浪花鑑』

です。
若手会は

    『妹背山婦女庭訓』
     (井戸替、杉酒屋、道行恋苧環、鱶七上使、姫戻り、金殿)

で、簑紫郎のお三輪、玉勢の鱶七などが楽しみです。

初夏の遠足(3) 

護王神社のあと、これもあまり興味もなく菅原院天神にも行きました。憎まれ口をいうこともないのですが、いまさら道真公の「産湯の井戸」などを見ても感動することもありません。一度行けばそれでいいです(笑)。そのあと、御苑内に戻って

    閑院宮跡

にまた入ってみました。3月に行ったばかりでしたが、無料だとすぐに入りたがるこの性格、何とかならないでしょうか。しかし季節によって花が咲いていたりしますので、それはそれでいいものだと思います。緑もずいぶん濃くなっていました。
九条邸の池はこのところのおきまりの位置で、厳島神社から眺めていました。今度は拾翠亭に入りたいです。
また烏丸通に戻ってあとは南へ。私は大通りが好きでなく、めったにこの通りは歩かないのですが、西側の歩道が日陰になっていましたので、日ざしを避けるべく歩いたのでした。
いつものよう丸竹夷を歌いながら(笑)三条まで南下したところで信号がちょうど東へ行けと言わんばかりにかわりました。おとなしく信号のいうとおりにして三条を東へ。また来ちゃったよ。中京郵便局から旧平安博物館。堺町通りを南に折れてイノダコーヒー。旧平安博物館の正面入口を見ていると、中から

    かつての恩師や友人

がそこからふいに出てきそうな錯覚に襲われます。いや、私自身が出てきそうにも思います。

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初夏の遠足(2) 

ルノアールの「ジャンヌ・サマリーの肖像」(プーシキン美術館展で観ました)は「うちわを持つ女」のジャンヌよりもっと野暮ったい感じがしたのですが、彼女の素顔のようで魅力的でした。「うちわを持つ女」は青地にチェックの服で花飾りの帽子をかぶったことで彼女の表情が変わったような感じさえしました。
やはり顔というのは内面のあらわれるものなのだとしみじみ感じます。唐突なのですが、そんなことを考えていたらふと

    能面

のことを思い出しました。「うら(心)」が「おもて(面)」に表れるという意味で、やはりあれはよくできているものだなと。
というわけで、京都市美術館でかなり満足しましたので、その興奮を冷ますためにいつもは行かない平安神宮に立ち寄ることにしました。ここもまだ朝早いということで人は少なく、特に外国人の姿がまったく見えないのが不思議なくらいでした。

飛行機雲と鳥居
↑飛行機雲

平安神宮おみくじの結び木
↑平安神宮(手前はおみくじの結び木です)

そしてこの日の遠足のテーマの一つである

    水辺を歩く

の第二弾! 琵琶湖疎水に沿って鴨川まで出ることにしました。すると、疏水に出るまでに、平安神宮を目指していると思われる中国人らしき団体、欧米の人らしき自転車に乗った若者などとすれ違いました。やはりいたか!(笑)
疏水に出るともう人はまばらです。こういう道はあまりおもしろくないのかな。遊覧船とすれ違ったり京都市水道局の疏水事務所前を通ったりしながら緑の中を鴨川まで出ました。これでこの日の目的は達したのですが、まだ12時前です。いくらなんでも帰るには早すぎますので、鴨川を少し上って丸太町橋へ。

白河南殿(蓮華蔵院)跡の碑
↑琵琶湖疏水沿いに建つ白河南殿(蓮華蔵院)跡碑

琵琶湖疏水の遊覧船
↑遊覧船

琵琶湖疏水の放水口
↑水道局琵琶湖疏水事務所から勢いよく流れる水

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初夏の遠足(1) 

ゴールデンウィークは(散歩以外は)ほとんど出かけませんでした。唯一遊びに行ったとえるのは連休最終日の京都行きでした。
京都市美術館のこの春の特別展としてまずまずにぎわったのであろう「モネ展」にもう一度行っておきたかったのです。目的はたった一つ

    テュイルリー公園

です。前回行ったときは3月の初めでしたので「印象 日の出」が出ていました。その後を受けて展示されたのがこの作品です。私が行ったのは8日(日)で、この日が最終日だったのです。京都に日曜日に行くなんてめったにないことなのです(混むからきらいなのです)が、やむを得ませんでした。この作品の実物を見るのは初めてですので、どんな感じがするものか、楽しみにしていました。
朝一番に観に行こうと思って、家を出たのは7時ころ。電車の連絡が良くなく、河原町に着いた時は8時半を過ぎていました。
私は岡崎まではいつも歩いていきます。この日は遠足気分なので、大好きな

    白川沿い

を歩くことにしました。河原町から四条大橋を渡って川端通りへ。北座跡を後目に白川に出ます。あとはもうお決まりの道です。いつ歩いてもいいのですが、朝早かったので人通りがなくてさらによかったです。天気も申し分ありませんでした。

大和橋から見た白川201658
↑大和橋から見た白川

白川沿いの花01658
↑白川沿いの花

写真を撮っていたので少し時間がかかってしまいましたが、美術館に着いたのはちょうど開館の9時でした。さすがに開館前とあって少し並んでいる人がいましたが、ほとんど待つことなく入れました。

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最後の『上方芸能』(2) 

『上方芸能』第200号の「449人が綴る別れのことば」は壮観という言葉が似合います。「主に文楽に関係のある方々」のお名前を探しただけでも、竹本住太夫、豊竹英太夫、鶴澤清介、吉田和生、桐竹勘十郎、吉田玉男、山田庄一、内山美樹子、鶴澤寛也、宮辻政夫、森田美芽、広谷鏡子、水田かや乃、中山正樹などといったお名前がありました。ほかにも文楽ファンの方々のメッセージもありましたし、広く芸能全般に造詣の深い大先生のお名前もあります。元編集部員で私の幼稚園文楽人形劇をプロデュースしてくださったかたも寄稿されていて嬉しかったです。
それぞれのかたの文章をここで引用するのは控えますが、こういう方が

    この雑誌を支えて

こられたのだなと思うと胸がいっぱいになります。そしてこういう方々がこの雑誌に出会われたことで逆に(口幅ったいですが)得られたものも多かったのではないだろうかとも推測しているのです。
「上方はなし」「上方」という雑誌がありました。これらの先輩雑誌の志を継承しつつ、いつしか号数で上回り、さらには「幕間」(197号まで継続)もとうとう上回って200号に到達されたのです。数は重要です。こういう性格の雑誌を200号も続けることがどれほど大変か、想像するとぞっとするくらいです。もちろん数だけの問題ではありません。木津川さんが落語会で配布した創刊号が会の終了後に捨てられていて、帰って行くお客さんに

    踏まれていた

そうです。それを見た木津川さんは随分悔しかったそうです。しかしそういうところから這い上がったものの力は強靭です。もっといいものを、さらにいいものをと内容は充実、向上して、惜しまれながら終刊となったのです。

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最後の『上方芸能』(1) 

先日(5月10日付)、関西の芸能を広く対象として守り、支えてきた雑誌『上方芸能』の終刊に際して賛辞を贈る記事を書きました。
ただ、私は最後の第200号を手にしたのが5月14日でしたので、その記事を書いた時はまだ現物を見ていなかったのです。そこで改めて第200号をご紹介しておきます。

    井上圭史さん

の表紙絵は沈まんとする夕日を飛び交う鳥。塒に帰る鳶でしょうか。そして手前には卵から孵ったばかりの鶏のヒナが描かれています。沈み行くものと新たに生まれるものがあり、それは別のものではなく、あるいは渾然としたひとつの命なのかもしれません。
今号のタイトルは「さようなら『上方芸能』ーみんなの思いをこの一冊にー」で、副題に「449人からのさようならメッセージ」とあります。「さよなら」ではなく

    「さようなら」

とあるところがいい音の響きになっています。
宝塚歌劇の植田紳爾さんの「巻頭特別メッセージ」に続いて「449人が綴る別れのことば」が続きます。
おそらく大勢の方が書かれるだろうと思いましたし、また私はこの雑誌には迷惑もかけていますので、寄稿する資格はないと見定めて原稿を書くつもりはありませんでした。しかし編集長からそれはだめだというお叱りのメールをいただき、書かせていただいたのでした。そのあたりは既発表の記事に書いた通りです。

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アマリリス 

小学校4年生の担任の先生は音楽が好きで、器楽部の顧問をしていました。クラブ活動は5、6年生だけが参加するものだったのですが、私は「リコーダーの吹き方に感情があるから」とかなんとか言われて、4年生のうちから入れてもらいました。そのまま5年生になっても続けて、6年生になると器楽部でたった一人の男子児童でした。今思えば、男子がいないからうまく乗せられて勧誘されたのかもしれません?
器楽部の女の子たちの多くはピアノが弾けるなど音楽のセンスがよく、アコーディオンや木琴などとても上手でした。私は実のところ何もできず、かろうじて

    リコーダーと打楽器

で演奏会に出してもらいました。
運動会の演奏はもちろん、市内の小学校の合同演奏会のようなものもありましたし、どういう催しだったのか覚えていないのですが、新芸劇場(現在の宝塚バウホールのところにあった劇場)に出たこともあります。小学生の私から見ると新芸劇場はスケールが大きくて、客席がどこまでも続いているような感じがしたものでした。
三つ子の魂ではありませんが、あの頃演奏した曲は今でも吹こうと思えば吹けるのではないかと思います。

    クワイ川マーチ

とか、クシコスポストとか、タイトルは忘れましたが、曲は覚えているというのもいくつもあります。楽譜がまだ頭の中に入っている、というか、身に染み付いています。後にフルートを吹くようになったのはこの時の経験が大きかったのです。リコーダーとフルートは指の抑え方はかなり似ていますからね。

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ネギ 

いよいよ、ざるそばやざるうどんなど、冷たい麺類がおいしい季節になってきました。私は麺類が好きで、うどんもそば(和そば、中華そばどちらも)も好物。鍋物にも入れますし、広島風お好み焼きの麺類を入れる食べ方も好きです(私にとって広島焼きというのは「焼きそば、焼うどんのお好み焼き風」という感じです)し、うどんだけ、そばだけを昼食によく食べます。栄養ということを考えるとそれだけではどうなのかとも思うのですが、おそらく今年も家にいるときはしょっちゅういただくことになると思います。
どういうものか、そうめんは(きらいではないのですが)うどんやそばに比べると好物とは呼べないように思います。あまりにもあっさりし過ぎて、食べ応えがないのかな?
以前は大量に食べたものです。ざるそばなど

    3人前

はないと物足りないくらいでした。学生時代、学食でざるそばを食べるときは大盛り(ダブル)にしましたが、それでも満足できませんでした。1枚でも食べきれなくて残す、という方もいらっしゃいますが、いまだに理解不能なのです。妹の夫は私より8つほど年長で、小柄な人でもあり、あまり多くは食べません。以前私が大量にざるそばを平らげているのを見て妹が目を丸くしていました。「夫と全然違う」というわけです。
もっとも、最近は自重していて(笑)

    1.5人前

で済ませていますが、もうちょっと欲しいな、と思うことしきりです。
特になにも付いていなくてもいいのですが、そばでもうどんでも、天ぷらはよく合います。といっても、贅沢なものは要らないのです。一番好きなのはショウガの天ぷらです。

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梅酒 

私の家は古いので、庭があります。血のつながりもなく会ったこともない祖父が、まだじゅうぶんに開発されていなかった田舎に土地を買って家を建て、木もいろいろ植えたのだろうと思います。
私は祖父という存在には恵まれず、父方の実の祖父は父が子どもの頃に30代で亡くなったらしく、母方の祖父は私とは70年以上も年の差があって、一緒に住んでいたわけでもありませんでしたからほとんど話をした覚えがありません。そして父の養父である祖父もおそらく私とは75年くらいの年の差のある人で、私が生まれる前に亡くなっています。
この祖父は、なかなか風流なところのある人だったようで、それは庭を見れば分かります。座敷から見て正面に池を掘り、池越しに山が見えます。つまり

    借景

にしているのです。今はもうその方角には高層マンションなどが建ってまるで何も見えませんが、昔の人はすることが粋だと思います。
祖父の代からある木は、どれなのか、あまりよくわかりませんが、松などはきっと古いのだろうと思います。桜もあったのですが枯れてしまいました。梅の木もあるのですが、これは

    兄が生まれた時

にその記念として植えたものだということを聞いた気がするのです。長男の誕生は何かと祝われるものです(ひがんでどうする!)。この梅は実をつけてくれます。あるいは昔は家で梅干しなども作ったのかもしれませんが、よくわかりません。

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朝の宝塚(3) 

宝来橋を右岸に渡ったところには与謝野晶子がこの川(武庫川)を詠んだ「武庫川の板の橋をばぬらすなり河鹿の声も月の光も」の歌碑もあって、なかなかしゃれています。晶子は宝塚歌劇の雑誌

    『歌劇』

の創刊号(1918年8月刊)にこの歌と「夕風は浅瀬の波をしろく吹き山をば重き墨いろに吹く」「風吹けば夜の川波に早がきの文字かく灯かな湯の窓にして」の三首を載せています。実際に歌が詠まれたのはその前年の6月で、鉄幹とともに阪神間を訪れた際、この宝来橋あたりで詠んだものだそうです。
橋から川下を見ると、朝日がきらきらと川面を照らしていて、大劇場を遠望することもできます。最近背の高いマンションができてしまって、大劇場が少し目立たなくなったのが残念です。

武庫川に映える朝日
↑武庫川に映える朝日(宝来橋から)

ここから宝塚南口駅に行く道がありますが、大きな旅館があり、あやしげなホテルもあります。そして駅のすぐそばにはもうすぐなくなるという

    宝塚ホテル

があります。歴史のあるホテルで、父がしばしば食事に連れて行ってくれましたし、兄はここで結婚式をしました。宝塚歌劇の生徒さんの「お茶会」も頻繁に催されています。朝日を浴びて聳えるこの姿がもうすぐ見られなくなるのかと思うとこれもまた残念でなりません。

朝の宝塚9
↑宝塚ホテル

歌劇場と同じ場所にあった動物園(ファミリーランド)はなくなりましたが、宝塚大橋、手塚治虫記念館、宝塚大劇場、宝来橋、宝塚ホテルなどは宝塚の近代文化の象徴のようなものだと思います。そして宝塚が全国に知られるのはこれらのおかげなのです。

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朝の宝塚(2) 

この春は宝塚大橋のたもとから桜の枝越しに宝塚大劇場を見る、定点観察もしてみました。蕾の時期も、満開のときも、葉桜になってからも、「やはり絵になる」と自己満足したのです。

桜と電車1

桜と電車2

桜と電車4

桜と電車5
↑桜と阪急電車

橋を渡ると手塚治虫記念館があります。ヨーロッパの古城をイメージした建物で、手塚治虫の未完の随筆である

    「ガラスの地球を救え」

をモチーフとしたのがこの建物のシンボルともいえるガラスの地球です。
朝は逆光になるので写真は撮りにくいのですが、これもまたいいかもしれないと、しょっちゅうカメラに収めていました。手前にスミレ、ハナミズキ、ツツジが次々に咲いて、いっそう魅力的でした。記念館の壁面にはアトムやブラックジャックなどのレリーフも掲げられています。こちら側は桜もきれいです。

朝の宝塚10
↑朝日が逆光になる手塚治虫記念館

ハナミズキと手塚記念館
↑ハナミズキと手塚治虫記念館

記念館正面に置かれた(新たに道路が造られたため位置が変わった)

    火の鳥

は朝日を浴びるとまた何とも言えない輝きがあります。

朝の宝塚2
↑火の鳥

火の鳥の回りには手塚治虫の漫画に登場するキャラクターの手形、足形も作られていて、思わず頬が緩みます。アトムやウランはもちろん、ブッダ、ブラックジャック、ヒゲおやじ、スカンク草井・・・。

スカンク草井の手形
↑スカンク草井の手形足形

宝塚大劇場に行く途中、朝早くからファンの人が生徒さんを待っています。あらかじめ約束をしているのでしょうか、生徒さんを囲んで話をなさっている姿をしばしば見かけます。また、楽屋入口のところではカメラの放列やファンと生徒さんの交流が行われていて、横目に見ているだけの私ですが、なかなかいいものだと思います。私も散歩しているとほぼ確実に生徒さんとすれ違ったり並んで歩いたりすることになります。彼女たちもまた町にとけ込んでいるのです。

朝の宝塚7
↑宝塚大劇場楽屋口

朝の宝塚11
↑Revue

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朝の宝塚(1) 

平日はだいたい朝6時過ぎに家を出ます。それだけに近所の朝の風景などめったに見ることがありません。休みの日は散歩することもありますが、これまでは河川敷を歩いたりすることが多かったので、やはり町の風景などはあまり気にしていませんでした。
しかしこの春から同じように散歩はするのですが、これまでとはいささか違ういでたちになっています。ポケットにカメラを忍ばせているのです。それゆえに歩く場所も河川敷ではなくなってきました。
私の暮らす宝塚市は阪神間の町の中では

    田舎

の部類です。神戸はもちろん、西宮、芦屋、尼崎などはかなり都会的。それに比べると宝塚市は伊丹市、川西市とともに山側になりますので、よく言えばのんびりしていて、悪く言うと何もない地域です。伊丹市は旧街道が走っているだけに、歴史も文化もありますが、宝塚市はほんとうに何もないのです。
そんな小さな町である宝塚市が全国に名前が知られているとすれば、やはり宝塚歌劇ゆえであり、その生みの親である

    小林一三(こばやし いちぞう)

のおかげといわざるをえません。こんな何もない地域に電車の線路を敷いて、あまっさえ少女歌劇まで作った小林一三翁の慧眼は並大抵ではなかったと思います。

小林一三(2016年春)
↑宝塚大劇場前の小林一三翁像

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2016年5月東京公演初日 

文楽東京公演が今日初日を迎えます。
今年は国立劇場階開場50周年ということで少し上演形式が変わっています。例年12月に行なわれる鑑賞教室と短い公演が5月に移っています。
演目は、公演が

   『絵本太功記』
          (本能寺、妙心寺、夕顔棚、尼崎)

五月にふさわしいということでこの時期にしばしば上演されます。
「尼崎」は文字久、藤蔵から津駒、清介。妙心寺の奥は呂勢、錦糸。光秀に玉志、さつきに玉也、操に簑二郎、十次郎n勘弥、初菊は一輔。
鑑賞教室は『曽根崎心中』で、これも時期としてはぴったりです。徳兵衛とお初の心中は今の暦で言えば5月ですから。
「天満屋」は英、燕三と千歳、富助。和生、勘十郎と玉男、清十郎が徳兵衛、お初。
人形は鑑賞教室のほうが豪華な感じがしますが、逆に『絵本太功記』を観たい気持ちに駆られています。

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『上方芸能』第200号 

いまさらですが、雑誌『上方芸能』に感謝と敬意を捧げようと思います。
木津川計さんというかたが若き日に創刊された、大変失礼ながら雑誌とも言えないようなささやかな印刷物が、その内容の濃さによってみごとな発展を続けました。木津川さんのあと森西真弓、広瀬依子と続いた編集長のお力を中心に、長らく関西の芸能、すなわち文楽、能狂言、歌舞伎、舞、宝塚歌劇、現代劇、落語・漫才・講談その他の演芸などの維持、発展に

    多大な寄与

をされました。そうはいっても季刊誌であり、販売部数も限られることから、経済的にはずっと苦しく、よくぞここまで頑張られたと思います。
かつて大阪府はわずかながら補助金も出していましたが、それも文化の何たるかを知らないような人が知事になって打ち切られ、なさけない限りでした。政治は文化のしもべであることをなんら理解していないおそまつさでした。
それでも『上方芸能』は編集部の方々がおそらく

    歯を食いしばる

ような思いをしながら、ついに200号まで刊行されました。立派としか申しようがありません。目先のことしか頭にない安っぽい詭弁知事などとは違って、遥か後世まで評価されることは間違いありません。誰がなんと言おうと私は確信しています。木津川先生、森西ちゃん、広瀬さん、その他編集部のみなさん、ほんとうにご苦労様でした。

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こくごのもんだいしゅう 

小学校6年生の光村図書の国語の教科書に、ドナルド・キーンさんの「かなえられた願い——日本人になること」が掲載されています。
世界が戦争に向かっていく中で18歳のキーンさんがわずか49セントで手に入れた「The Tale of Genji」(源氏物語)。この本との出会いがキーンさんの人生を決定づけたこと、人間の心の世界は時空を超えて何も変わらないこと、東日本大震災のあと日本国籍を得て「日本人になる」ことを決めたことなどが書かれています。震災の後、日本は深く傷ついたが、必ず復活する.それを信じましょう、と、間もなく卒業する小学生に訴えています。

    はなむけのことば

としてとてもすばらしいものだと思います。私は読んでいて涙が出そうになりました。
キーンさんはさらに「日本のみなさんへのメッセージ」としてこんなことをおっしゃっています。

  もっと自国のことを知るべきです。よい日本文学を読むこと、
  そしてよい日本語を書くこと。日本の言語文化にはそれだけの
  価値があります。それから少なくとも一つの外国語を学ぶべき
  でしょう。自分の国を知るためには、外国のことを知らなければ
  ならない。自分が常識だと思うことも、他の国では常識ではな
  いかもしれない。(以下略)

これが6年生の教科書に載っているのです。大人も含めて玩味すべきだと思います。私にもこういうことは言えるかもしれません。しかしキーンさんがおっしゃればこそ価値もあり、説得力もあるように思います。
国語の教科書、なかなかのものでした。

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こくごのきょうかしょ 

今日でゴールデンウィークが終わります。
旅行に行く金銭的余裕などありありませんし、仮にあっても(会社勤めのかたならともかく)この時期に行くこともないでしょうから、私はただじっとしていただけでした。
といっても、動いていないわけではありません。ウオーキングだけはまめにしました。朝、宝塚大劇場のあたりまで歩くのは日課(徒歩10分くらい)で、そこからぐるっと遠回りして歩き回りました。最寄りのホームセンターは徒歩30分あまり。それもそこそこのスピードで歩いてのことで、往復すると8000歩くらいでしょうか。そこにも歩いていきました。歩いた時間から判断すると、一日平均

    12000歩

は下らないと思うのですが、歩数計がなくてはっきりはわかりません。
散歩していると、広大な空き地であったところにホームセンターが建設中であることに気がつきました。「初夏に開店します」とのことで、もうしばらく待たないとダメなのでしょうが、ここなら徒歩15分くらい。これまでは車を使うこともあったのですが、今後は重いものを買わないのであれば徒歩で悠々行けそうです。散歩すると発見があっていいですね。
あまり食べないようにもしましたので、この10日で0.5kgくらいは

    ダイエット

できたのではないかなと想像しています。
勉強は最低限のことをした、という程度でした。この夏に、長らく挑んできた幼稚園児のための文楽人形劇の試みを文章にまとめようと思っていて、その準備を始めました。創作浄瑠璃も2作品同時進行で考えているところです。その他、書かねばならないことがいくつかあり、ぼつぼつ進めました。まあざっとこんなところです。

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壊れてばかり 

最近、どういうわけか、いろいろなものが壊れて困っています。
何か憑いているんじゃないか、と思うくらい、次々に壊れるのです。
ある日、洗面所に行くとそのスペース全体が

    

になっていました。足を踏み入れるや、ずぶずぶと池の中に沈んでいく感じでした(ちょっとおおげさですが)。もう、びっくりしたのなんの。もちろん水漏れです。かなり古い家なので、ぼろが出てきたのでしょう。とりあえず元栓を締めて、何とかならないか考えてみたのですが、とても手に負えず、専門家に頼むことにしました。数万円の出費でした。
私は原則的に

    食器洗浄機

は使いません。自分で洗剤をつけて洗います。理由は・・・倹約のためです(笑)。
水もずっと流すのではなく、流水を使うのは最後のすすぎだけという徹底した節水作戦をとっています。乾燥は自然に任せています。暑い時期はそれでいいのですが、冬場はさすがに手が凍えます。温水はめったに使いませんので。
先日、事情があって洗浄機(作りつけになっています)を開けると、なんだか様子が変です。手を入れたら、水漏れしていました。またかい!!
この洗浄機は20年ほど前に浄瑠璃台本を書いていくらかお金をもらったときに手に入れたもので、これもかなりの年数が経っているといえば経っています。
またまた出費・・・。

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ひらがなを書く 

漢字は「真名」とも言いました。正式の文字、ということです。それに対して私的な場で用いる仮の文字として「仮名」ができました。万葉仮名は事実上漢字で、それを日本語表記に借用したもの。「山」を「也麻」と書く類です。万葉仮名は多様で、読むのもかえって難しかったりします。有名なのは「山上復有山」で、これは漢字の「出」を意味するのです。山の上にもう一つ山があるわけで、「山」という字を二つ重ねると「出」という字になる、こんな判じ物のようなものもあったのです。
やがて

    女手

いわれるような流麗な文字があらわれ、和歌を書くときなどにはとても便利なものでした。漢字はこれに対して「男手」とも言いました。というと、「女手」は女性が書く文字かと言うとそうでもないのです。源氏物語で「女手」と言うと男性が書いた平仮名の例ばかりです。「片仮名」は「不完全(片)な仮名」、「平仮名」はそれにたいして「ふつう(平)の仮名」ということです。
もともとは平仮名もさまざまな書き方がありましたが、今は統一されています。
私、実は

    左利き

です。子供の頃、「字は右手で書きなさい」と無理に「矯正」されました。当然まともな字が書けるわけがありません。いつも「下手な字」の代表のように扱われてきました。高校の書道の時間には(生意気な・・笑)同級生が「手本にしろ」とばかりに自分の書いたものを「せめてこれくらいは書けよ!」と言いながら投げつけてきたことがあったくらいです。悔しかったですが、実際下手なのでどうしようもありませんでした。

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パフォーマンス 

私をご存じのかたならどなたもお分かりの通り、私はとてもおとなしい人間なのです。
浜村淳さんは5秒しゃべらないと口がむずがゆくなるのではないかと思うのですが、わたしなら5年くらいはしゃべらなくても何とかなりそうです。
そんな私が学校で授業なんてできるのか、と自分でもいまだに思いますし、皆さんもそうお思いかもしれません。
実はおとなしい人間だからこそ

    ここぞという時

には声が出るのではないか、と感じることがあります。
ある文楽の太夫さんがおっしゃっていました。「僕はものをいわない人間なんです。だからこそ語れるんとちがうかな」と。
私も同じような気持です。
映画俳優さんでも普段はほんとに無口な人がいらっしゃると聞いたことがあります。
噺家さんでも意外におとなしい人がいらっしゃるようで、むしろ

    ネクラ

といってもいい人が人前に出ると面白いことを言ったりすることがあるようです(「ネクラ」って、今でも使う言葉ですかね?)。
逆に、日常よくおしゃべりされるのに、人前に出ると急にしどろもどろになる、という方もいらっしゃいます。

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オリーブオイル 

アニメは日本のお家芸のようになっています。ドラえもんもポケモンも世界の子どもたちに愛されているようです。
子供の頃のアニメというと意外に海外のものが多く、「トムとジェリー」「ポパイ」などがありました。「『ドラえもん』のどこがいいの?」と聞かれた外国の子どもが「だって『トムとジェリー』は喧嘩ばかりしているもの」と言っているのを聞いたことがありました。『ドラえもん』にもジャイアンがいますが、彼はそれでものび太やしずかちゃんの大事な友人です。

    ポパイ

も話はワンパターンで、オリーブとポパイの間にブルートが割って入ってきて邪魔をしてポパイをこてんぱんにやっつける。ポパイがほうれん草を食べると超人的な力が身について逆にブルートをぶっ飛ばします。『アンパンマン』はキャラクターがかわいいですが、いくらか似たところがあるかもしれません。
オリーブという女性の特徴は団子っ鼻、黒い髪、黒い目、べたっと大きい足(足首から下)などがありますが、なんといっても

    痩せている

ことに尽きるでしょう。肉というものを感じさせないくらいです。筋肉質のポパイやブルートとは好対照。
あれって、アメリカ人から見て美人なんだろうか? と不思議に思ったこともあります。
彼女の名前はオリーブ・オイル(Olive Oyl)というのだそうで、「Oyl」は「Oil」ですから、要するにオリーブ油ということですかね。

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朝食 

朝、何も食べないとどうにも力が出ません。
そんな状態で2コマ(90分×2)しゃべり続けると昼にはふらふらになります。ひどいときには1日に4コマしゃべり続けますので、万が一朝食を抜いた上昼ご飯を食べられないことにでもなったら大変です。大げさな話ではなく、倒れてしまうかもしれません。浜村淳さんはすごいです。
私はいつも授業の合間には文楽の太夫さんよろしく白湯を飲みます。からだが必ず要求してくるのです。ですからお湯は必ず沸かしています。夏でも熱い白湯です。

    朝食と白湯

これが午前中の授業を乗り切るには欠くことのできないものなのです。
朝食に何を食べるか、これも大事だと思います。にんじん、サボテン、リンゴなどのジュースを飲む方もあります。市販のものではなく、毎朝ジューサーで作るという方もたくさんいらっしゃいます。スムージーというのは凍らせた果物や野菜を使ったものだと思っていましたが、今はジュースの言い換えのようになっているでしょうか? 世情に疎いのであまりよく知りません。朝食を簡単にする人はコーヒーに食パン1枚ということもあるようです。朝、いわゆる

    エキナカ

の立ち食いうどんとかハンバーガーショップに入るサラリーマンの方もしばしば見かけます。みなさん、いろいろ苦労されているようです。
私は学生時代や広島の一人暮らし時代はたいていパンとコーヒーという、あまり健康的でない朝食を摂っていました。昼になると空腹でたまらなかったことを覚えています。

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悪文を書く 

文章のうまい人には憧れます。絵が描けるのも私には信じられない才能なのですが、文章は絵より身近ですので、よけいに憧れるのかもしれません。「身近」というのは、私も文章を書きながら生きているから、ということです。ただ私の場合は書いたものを売るのが目的ではありません、それによって直接収入を得る仕事ではないのです。もちろん書いたものを買ってもらった、というか、報酬を前提にものを書くことを依頼されたことはあります。
でも、自分の文章をうまいと思ったことはありません。それどころか、読み返してみて「なんだこれは?」と恥ずかしくなることが普通です。終刊することになった

    『上方芸能』

という雑誌が末長く利用されることを望んでいますが、できれば私の書いたものだけは外してほしいと思うくらいです。
ほんとうは読んで反省すべきなのですが、とても恥ずかしくて、最近は過去のものに見向きもしなくなってしまいました。中味が空疎、文章はおそまつ、これでは話にならないのです。
ときどき、以前書いた論文を引用されることがあって、その執筆者が

    礼状

のようなものをくださることがあります。その時はもう恥ずかしくて、「あなた、あんなものを信用したんですか?」と叫びたくなるほどです。これは謙遜ではないのです。自分の論に自信をお持ちの大先生とは違って、書いたものを読まれると思うとびくびくするくらいなのです。

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