稽古は終わった 

今年の奈良市内の幼稚園での文楽人形劇の稽古は6月23日で終了の予定でした。梅雨の激しい雨が心配な日でしたが、朝方はもう雨脚も弱くなっていました。今日も頑張ろうという思いで出発したのですが、長い赤信号の時に何気なく携帯を見たら園長先生からメールが入っていました
「今朝、警報が出ましたので幼稚園はお休みです。稽古もできません」とのこと。自然の営みには勝てません。早朝にいただいていたメールなのに、それに気づかずに出発していたのでした。出発してすぐだったのが不幸中の幸い。すぐに引き返して、今後について園長先生としばしやりとり。
結局、私が何とか時間の取れる

    本番前日

の午後にもう一回稽古しましょうということになりました。
「自主練習でできますか?」と私は申し上げたのですが、「何としてももう一度来てほしい」と言われ、そう言われたのでは私も引き下がることはできません。授業のあと飛んでいくことにしました。
この人形劇の稽古というのは、まったく人形に触れたこともないような方々(今年は園児のお母さんが多いので若い人たちが中心です)に一から練習してもらって、1か月後には本番を迎えるという、プロの人がご覧になったら目を背けられるようなものなのです。しかし、何と思われようと、子どもたちに

    演じる者の思い

が伝わって、喜んでもらえればそれでいいのです。「文楽」ではなく「文楽人形劇」なのですから、プロの方々に遠慮することなく、私たち独自のものを作ればいいのだと思っています。

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紙芝居の実演(5) 

今年の紙芝居の授業は昨年以上に細かく理論的なことを説明しました。理論というと堅苦しいですが、要するに、どうすれば子どもたちが(観客は子どもとは限りませんが)喜んでくれるのか、そして幼児教育、児童教育としてどうすれば価値あるものにできるのかを学生たちに体験し、考えてもらいたいと思ったのです。
そしてもう一度2、3歳児向けの紙芝居「ニャーオン」を
  ★何も工夫しないバージョン
  ★しっかり工夫したバージョン
の2回、私が実演してみせました。さらにもうひとつ「かさじぞう」も演じてみました。これだけでもけっこう時間がかかります。
そのあと、我こそはと思う学生に読んでもらうことにしました。私がこういう言い方をしたからといって、すぐに

    「やります!」

と挙手する学生はあまりいません。
しかし、仮にも学校教員を目指すというなら、そういう「やります」という姿勢を持ってもらわないとダメなのです。逃げ腰、引っ込み思案、事なかれ主義ではまともな教師になんてなれません。恥ずかしかろうが、面倒であろうが、やってみなければ自分を高めることなどできません。単位だけはしっかり取って、採用試験は優秀な成績で合格して、見事に教員になった人のうち、どれほど逃げ腰教員がたくさんいることでしょうか。雑用はしない、何ごとにも協力しない、遊びや宴会になると主役級、サボることは天下一品。小学校だけではありません。大学教員でもいくらでもいます。いや、大学教員こそそういう手合いの吹きだまりのようなところがあります。もちろん「お前もその一人だろう」といわれたら否定はできません。とにかく学生にはこんな安っぽい教員になってもらっては困るのです。

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首を傾げるドクター 

薬に生かされている人間ですので、2週間に1度病院に行っています。この薬いらないんじゃないかな、と思うものもなくはないのですが、中にはこれがないととたんに症状が出てしまう、というものもあります。
薬で怖いのは副作用。多少のことはやむを得ませんが、副作用が別の病気を誘発するようでは困ります。
私は一度だけ血糖値が高めに出て、医者が副作用で

    糖尿病

の可能性が否定できないから、と、その追加検査までしたことがあります。幸いシロだったのですが、副作用は気になるものです。
数年前はちょっとしたストレスがあっただけでもひどい症状が出て、落ち込んではまた悪くなり、悪くなっては落ち込み、という悪循環に陥っていました。仕事場もストレス製造所のようなところですので適当にサボっていないとやってられません。
サボったのがよかったのか、このところは、症状そのものは安定していて、入院して強い薬を連続して点滴するなどということはありません。
数年前からドクターが変わりました。あいにく近くの病院には

    呼吸器科の専門医

がおらず、専門の開業医に通ったこともあるのですが、結局症状は改善せず、入院するにはどうしても開業医では面倒ですので、入院施設のある病院に戻りました。たまたまその直後に呼吸器部門を充実させるということで、大学病院を定年で退職した人が来ました。高齢ですが、私の症状がまさに専門という人で、今はその人のところに通っています。

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紙芝居(5) 

紙芝居の話はまだまだ続きます。
読み方はやはり芝居ふう、というよりは文楽の太夫さんを見習って語ればよいのではないかと思います。
声色にせず、しかし芝居心はたっぷりと。
今回登場するのは、子猫のニャーオンとかさじぞうのおじいさん、おばあさんなどでした。ニャーオンはやはり高め、おじいさんは低めでおばあさんはその間。テンポはニャーオンのみ早めです。
ナレーションの部分は緩急をつけつつ、やはりニャーオンのほうが上ずった感じで語ってみました。

    観客参加型

の紙芝居ですと、読み手は観客(多くは子ども)に語りかけることがありますから、立ち位置も紙芝居の横あたり。しかし今回は物語型ですので、紙芝居の後ろに立って読みました。
ついでながら、参加型の紙芝居というのは、たとえば犬の絵が描いてあって、「犬さんのおめめはどこ?」と読みます。すると子どもは「あそこ!」と言って犬の目を指差します。そこで紙を抜くと犬が目を指差している絵が出てきます。「じゃあ、みんなのおめめはどこ?」と子どもに語りかけると、今度は子どもは自分の目を指差すのです。こんな形で参加させます。これだけのことでもかなり盛り上がります。
文楽の太夫さんもそうですが、

    (ま)

の取り方も大事です。息継ぎの間はもちろんのこと、話の流れで間がどれほど重い意味を持つか。文楽ファンの皆様ならよくお分かりだと思います。
紙を抜くタイミングとも関わってきます。
その紙の抜き方ですが、同じように抜いたのではつまらないのです。

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日曜大工 

朝日新聞の朝刊の連載漫画は、現在「ののちゃん」(いしいひさいち 作)ですが、ののちゃんをフルネームでいうと山田のの子、すなわち主人公一家は山田家です。この一家の人々は当然おもしろい人ばかりです。おかあさんはぐうたらで家事が苦手。おばあさんはテレビゲームが大好き。元気で近所のシルバー会ではいつも見回り役。お兄ちゃんののぼる君は野球部なのに野球はたいしたことがなくて、そのかわり将棋がかなりうまく、しかし成績はさっぱり。ののちゃんは成績はお兄ちゃんと一緒ですが、サッカーが好きな明るい女の子です。
そして、おとうさんは会社の課長さんで40代半ばくらいでしょうか。ポンコツ車に乗って史跡を巡るのが好き。へぼ将棋をしてのぼる君に笑われるうえ、何より好きで何よりへたなのが

    日曜大工

です。今はDIYなどと、しゃれていうのでしょうが、この人の場合は「日曜大工」という言葉がぴったりです。この人の作った踏み台などは危ないので誰も使わないし、棚を吊ったら物を置かない。家族はみんな諦めているのです。
人のことはいえません。不器用さにかけては山田課長さんに引けを取らない私は基本的に日曜大工などしないのです。
山田さんはチャレンジするだけ立派なものです。
しかし私は最近何でもやってやろうという気持ちが高まり、「山田課長化」しているかもしれません。
この間、家で誰かが

    植物の種

をもらってきたというので、では植えてみようかということになりました。
ところが植えるスペースがない上に朝顔やひまわりなので他の植物とのバランスを考えると適当な場所がありません。そこで、窓のすぐ外にプランターを置いて臨時の花壇を作ろうということになったのです。しかしプランターを買わないといけないな、と思って財布に相談したところ、イエローカードが出ました。これは困った・・・。

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紙芝居の実演(4) 

何でもしなければ生活できない、それがもう強迫観念になっていて、仕事を断ることなど今は考えられません。小学校教諭の免状も持たない私が、学習指導要領すら読んだことのなかった私が、児童(小学生)への国語教育について論ずるなどほんとうであればすべきことではないのでしょう。しかし背に腹はかえられず、この授業も引き受けました。引き受けたからには、なんとか勉強して学生のためになるような授業を作らねばなりません。ところが昨年はうまくいかず、

    慚愧の念

を抱くばかりでした。
今年も、小学校教諭になるために、ということで、学習指導要領はきちんと説明しました。心がけとしてある程度知っておいてもらわなければならないでしょうから。しかしそれだけでは私がこの講義を担当する意味がないというか、私でなくてもできるでしょ、ということになります。学生もむしろそのあとを楽しみにしてくれた様子がうかがえました。朗読と紙芝居がそれです。
今年はボイストレーニングも朗読も去年以上に計画を立てて実施しました。すると

    学生の反応

もいくらか感じられるようになったような気がしました。自己満足ですが・・・。
そして、紙芝居、紙芝居。これをなんとかものにしたいと思って今年度の授業に臨み、学生にはわからないように授業中に仕込みをするように下準備を重ねてきました。そして先日、ついにその日がやってきました。

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紙芝居の実演(3) 

都丸つや子さん脚本の「ニャーオン」(童心社)は、都丸さんの文章ばかりか、渡辺享子さんの絵もすばらしく、演じ手にとっては難しいですがやりがいのある作品だと思うのです。
今、「脚本」と書きましたが、紙芝居本体にも「都丸つや子 作」とは記されていないのです。やはり芝居なのです。
ニャーオンは月を追いかけても追いつかず、木に登って月を取ろうとしたものの木が邪魔になって月の姿が見えません。ところが、下を見ると水たまりに映っていました。そこでニャーオンは思いきってその水たまりに飛び込みます。こんなところは紙を抜く

    スピードを上げ

なければなりません。
また、ニャーオンが歩いて去っていく場面がありますが、そういうところは紙を小刻みに上下させて抜いていき、いかにも歩いているように見せる工夫をすることがあります。このほかにもいろいろしどころがあって、それをおぼえるだけでも大変です。その上に紙芝居上演者はセリフまで言わねばなりません。文楽の太夫さんのように、

    声色は必要ない

のですが、やはりそれらしく語らねばなりません。文楽に馴染んでいてよかったと思います。
このように、紙芝居というのはなかなか奥の深いものです。
「ニャーオン」は2、3歳児向けですから私のダミ声よりは学生のみずみずしくかわいい声のほうがきっと魅力的だと思います。演ずる時の顔も彼女たちの笑顔はきっと子どもに愛されるでしょう。

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紙芝居の実演(2) 

昨年から担当している、小学校教諭を目指す学生に対する「国語」についての授業で、私は朗読や紙芝居を取り入れています。こういうことをするからには当然自分でやってみせなければなりません。実際、朗読はかなり熱心に読んで聴かせましたし、朗読するための

    ボイストレーニング

も先頭になってやってきました。しかし、時間の関係もあったのですが、何よりも自信がなくて、ついに私が「模範演技」をすることはありませんでした。つまり昨年は方法論などを話して、実演そのものは学生任せにしてしまったのです。そうすると、「こうしたほうがいいよ」といくら言ってもそのとおりにはしてくれません。学生もやはり

    恥ずかしい

という思いがあるでしょうし、モデル(指導者の実演)がないわけですから、どう直せばいいのか、感覚的に理解できないでしょう。これは完全に私の失敗でした。
なんといってもにわか勉強の素人ですから、私の演技が「模範」であるわけはありません。しかし、この授業のためだけでなく、自分の興味もあって、紙芝居の技法や理論については、わずかではありますが勉強していましたので、やろうと思えばできたはずだったのです。少なくとも「やってやろう」という学生の意欲を高めるためにも経たでも実演するのが教師たるもののつとめ。それをしないのは卑怯だと、昨年の授業の終わったあと、ずいぶん反省しました。
そこで今年は「必ず自分が実演する!」という決意でこの授業に臨みました。

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紙芝居の実演(1) 

学生のころ、美術が分からない私は、浮世絵も屏風絵も襖絵も、そのよさがわからず、勉強のためにという意識でしか観ていませんでした。ところが当時から絵巻物だけは特別の思いがあって、源氏物語絵巻や伴大納言絵巻、信貴山縁起絵巻、その他あれこれに強い関心を持っていました。
「日本絵巻大成」という豪華本シリーズ(中央公論社)があったのですが、私のような貧しい学生の手には入りません。なんとか伴大納言絵巻だけでも安く買えないものかと、古書店などを探した事もありました。ところがそのうちに「絵巻大成」の廉価版というべき

    「日本の絵巻」

というシリーズが同じ出版社から刊行されました。解説は簡単になっていて、「絵巻大成」がほぼ180度本を開く事ができる造本になっているのに対してこちらは普通の本のようにページを開くと真ん中が山になって、残念ながらうまく見えません。それでもないよりはまし、ということでやっとの思いで買いました。今もかなりくたびれましたが使っています。その後「日本の絵巻 コンパクト版」というのが出て、これは文字どおり小さくて安っぽいのですが、ほぼ180度開くのはありがたいです。東京に行った時に「伴大納言」「源氏」などが展示されて言えば立ち寄り、ボストン美術館にある

    「吉備大臣入唐絵巻」

がやってきたというと観に行き、その他の美術展でもさまざまな絵巻に触れてきました。なぜこんなにも心が動くのか、不思議なくらいです。

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恐怖の6月(または愚痴づくし) 

ぐずぐずしていた春、そのツケがいよいよ回ってきました。ここ数年、一年で一番忙しいのが6月です。止まると倒れます。泳ぐのをやめると溺れます。土日、ありません。ずっと何かしていないと生活が回りません。
これはもう愚痴以外の何ものでもないのですが。
国文科教員時代は今と同じ週6コマの授業でしたが、内容は3種類くらいでしたから、予習時間がきわめて短くて済んだのです。しかもとりあえず専門分野といえる国文学ですから、ある程度は頭に入っていることで話が進められ、さらに楽でした。また、学生さんと話しながら授業もできましたし、ゼミなら半分以上は学生さんの仕事ですから、90分しゃべりっぱなしということもありませんでした。多分、今はあの当時の5倍では済まないくらい

    予習

に時間をかけているだろうと思います。
ああ、愚痴ってしまいました。
また、6月からは2種類の公開講座が始まり、これは10週間続きます。受講者のみなさんはとても熱心ですので、予習をおろそかにすることはできません。
この間、ある学生さんから「センセ、

    パワーポイント

作るの、大変じゃないですか?」と問われました。嬉しいです、分かってくれる人がいました。これも愚痴になりますが、正直言って大変です。私の場合、学生さんと自由にやりとりすることができませんので、パワーポイントの画面を使うのが、今、私が到達している授業の最善の方法なのです。何か工夫すればもっと効率的でしかも簡単なやりようがあるのでしょうが、今のところここでもがいているのです。

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梅シロップ 

去年、初めて梅酒を造りました。
せっかく庭に梅の木があって、多数の実が生るのでもったいないとかねがね思っていたのです。梅干しは少し手ごわいかなと思い、比較的簡単そうに思えた梅酒に挑んだわけです。
まったく何も知らないところからスタートしたのですが、今はネットで検索すれば簡単に造り方がわかりますから助かります。
それでも、ほんとうに飲めるのかどうか、心配でした。
先日その封を開けて試飲したところ、これが何とも

    いい香り

の梅酒になっていました。もう夢中になって飲んでしまい、満足しました。
造り方を教えてくれるページはいくつもありましたが、私は

    ほりぐち農園

という和歌山県日高郡にある梅農家さんのページを参考にしました。大きな字でご紹介してお礼代わりとさせていただきます。ありがとうございました。
さて、今年もまた実ができましたので、図に乗って再挑戦しようと思い、5月の末に梅の実を収穫しました。
おおむね梅の実1kgにホワイトリカー1.8リットルということですが、今年は直前に強い風が吹いたため実が落ち、足りないかなと思っていたのです。ところが、1kgちょうど収穫してまだいくらか残っていました。
砂糖(氷砂糖です)は去年より少なめにしてみました。飲めるまではまだまだ時間がかかりますから、今は家の日の当たらないところに置いています。時間が熟成させてくれます。

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変化球投手 

野球のボールには硬式と軟式があります。
握った感じは全然違います。硬式のボールはともすれば滑りそうで、それだけにシーム(縫い目)が重要な役割を持ちます。
私が子どもの頃、変化球というとカーブとシュートが主なものでした。フォークはありましたが、手の小さい日本人にはなかなか使い手が少なく、阪神の

    村山実 さん

などが名手でした。もっと昔は杉下茂さんが名人だったそうです。
今は変化球の種類たるや大変なものです。私がヘッポコ野球をしていたころも、カーブ、シュート、スライダー、フォーク、パームは普通に投げていました。もちろん、どれだけ変化したか、どれだけコントロールできていたかについては保証の限りではありませんが。
ナックルは指の使い方がどうしてもダメでした。ナックル姫という女性投手がいらっしゃいましたが、すごいものです。スプリットフィンガードファストボールは、球がそもそもファストではないので(笑)投げる意味がありませんでした。私が投げると落ち損ねの緩い球ですから、すぐに打たれます。
あとは私の投げ方では難しいシンカー(阪急の

    山田久志 さん

の得意球)とか、スクリューなどもありました。
最近はカットボールもありますし、さらに種類が多くなっています。
あのころはまだツーシームやワンシームはありませんでした。いや、あったのかもしれませんが、少なくとも呼称は一般的ではありませんでした。軟式のボールでは縫い目はなく、縫い目の形をした凸凹があるだけですし、軟式球は全体にディンプルがありますので、ツーシームとフォーシーム(ストレート)の区別はつくものでしょうか?

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武庫川を少し上流へ(3) 

遠くから見ると、無機質ではあってもしっかりした作りに見えるこの橋を私は何とも思わずに渡ろうとしたのです。ところが、橋のたもとまでやってきてひるんでしまいました。
よく山間に

    かずら橋

というのがありますよね。谷の上に架けられた葛の橋。あれは地元の人なら何ということもないのでしょうが、初めてそういうところに行った人は怖くて渡れないのだとか。
私が目の当たりにした橋はそれに匹敵する(というのは大げさですが)のです。もちろん頑丈な橋で壊れるようなものではありませんし、揺れるわけでもありません。その橋が怖いのは「高さ」「狭さ」「欄干の低さ」ゆえです。高さというのはビルの3階にもならないくらいでしょうから渓谷に架かった葛橋とは比較にならないでしょう。ところがこの橋は「こわい理由 その2」「その3」との相乗作用で高く思えてしまうのです。「こわい理由 その2」の「狭さ」はかなりのものです。人が

    すれ違う

ことはできません。といっても一方通行ではありませんので、時として向こうから人が来ることがあります。その場合は一人が横を向いて道を譲り、対向するもう一人は「すみません」といいながらこれまたからだを横にしてお互いのお尻をくっつけるようにしてすれ違うのです。橋の幅はせいぜい70cmくらいのものでしょうか。「怖い理由 その3」の「欄干の低さ」は、小柄なかたなら何の問題もないと思うのです。しかし私にとってはほぼ腰骨あたりの高さなので、からだの上半分が欄干の上にある感じがするのです。

怖い橋
↑こんな橋です

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続く稽古 

奈良市の幼稚園に通って3週間目です。
みなさんびっくりするほど熱心で、稽古時間を越えても動かずに話し合いをされたりしています。
私が行かない時にも

    「お弁当持参で

稽古します」とおっしゃるかたもいらっしゃいました。
どれだけ頑張られるおつもりでしょうか。もうすこし近ければ、私もしょっちゅう行くのですが、申し訳ないくらいです。
3週目になりますと、もう芝居の段取りを稽古しています。かなり細かいことを申し上げてもみなさん対応してくださいます。
たとえば、置き手紙を読むシーンがあるのですが、ここでは

  あわてて手紙を広げる
  じっくり読む
  あまりの悲しさに手紙に顔を埋めて嘆く
  落胆して手紙を落とす

というような演技をお願いしています。
私は口ばかりですから気楽です。そのうちに「演技するものの身になってみろ!」とお叱りを受けるのではないかとヒヤヒヤしています。

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武庫川を少し上流へ(2) 

見返り岩をあとにして、さらに上流に向かうと、観音谷川という、これまた小さな川があります。架かっている橋は観音橋(かんおんばし)ですが車を走らせていたら橋を渡っているという感覚にはならないだろうと思います。歩いていてもうっかりすると橋があることなど分からないまま通り過ぎそうです。そして、この川を越えると西宮市になります。
西宮市になったからといって都会に変貌するわけではありません。ただ、川沿いに住宅が増えるようになり、畑なども散見します。道も武庫川からわずかに離れます。
さらにしばらく歩くと、武庫川に橋が架かっています。実は、私は宝来橋のひとつ上流の橋は

    生瀬橋(なまぜばし)

だと思っていました。生瀬橋はなかなか大きな橋で、最近さらに整備されて立派になりました。
余談ですが、この橋の右岸にはかつて大きな工場がありました。今はアサヒ飲料がそのブランドを引き継いでいる、

    ウヰルキンソン

がそれです。「ヰルキンソン」と書けば「ウィルキンソン」と読めそうなのですが、「ヰ」の前に「ウ」の字が入るようです。子どもの頃はじめて見たのですが、工場というものを見馴れていませんでしたので、その大きさに目を瞠りました。このあたりは炭酸を含んだ鉱泉の水脈があって、クリフォード・ウィルキンソンという方が設立した「クリフォード・ウヰルキンソン タンサン鉱泉株式会社」の工場になったのです。宝塚温泉のそばで創業されたそうですが、1905年(明治38)に移転して来られたのだとか。しかしこの工場はすでになく、跡地は大きなマンション群になっています。

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武庫川を少し上流へ(1) 

私の居住地宝塚の散策はまだまだ止まることを知りません。同じようなところを歩いていますので、そのうち「怪しいのが朝早くからうろついている」と警察に通報が行くのではないかと案じています。
そこで、というわけではないのですが、これまで散歩コースには入っていなかった宝来橋からさらに上流を歩いてみようかと思うようになりました。
宝来橋というのは温泉街だった(今はほとんどマンションになってしまいました)あたりと宝塚駅をつなぐ橋ですが、そこから上流になるといかにも

    宝塚の端っこ

という感じになるのです。実際、宝来橋あたりから川を10分ほど上ったところで宝塚市は終わり、なんと、阪神間を代表する都会、西宮市になるのです。ところが、最近でこそ開発されて新住民も増えたのですが、もともとは歩くに歩けないような山道ばかり。このあたりにある友だちの家に行った時は夕方の帰り道が怖かったりしました。西宮市も広いのです。
宝来橋から川の右岸を遡っていくと、いきなり道が田舎の山道っぽくなります。河原を見下ろすと、宝来橋より下流はきれいに整備されているところが多いのに、このあたりは自然のまま。もちろんそれがいい、ともいえるのですが。
道沿いは崖だらけで家はほとんどなく、これは

    歩くための道

ではなく、車のために作られているのだと感じます。実際このとき歩いていたのは私一人でした。車はさほど多くはありませんが、それだけにスピードが出ていて、おまけに道がカーブしていますので見通しが悪く、さらに歩道もありません。車にしてみればこんなところをのんびり歩いている人はいないという前提で走っているのかもしれません。歩行者としてはかなりこわい道です。

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「蜘蛛の糸」を今年も(2) 

釈迦に説法するようですが、芥川龍之介作「蜘蛛の糸」はこんなふうに始まります。

  ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、
  独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に
  咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん
  中にある金色の蕊からは、何とも云えない好よい匂いが、絶
  間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでござい
  ましょう。(青空文庫より)

この一節を取り上げただけでも、芥川の魅力が伝わってきます。ここでお釈迦様はどういう気持ちでどういう行動を取っているのか。そして次の場面ではそれがどんな風に変わるのか。時間の扱い方はどうなのか。カメラのズーム効果のような場面描写はどう読めば伝わるだろうか。いろんなことを考えながら読むのです。
先生がきちんと読めば、子どもたちは真似ようとするかもしれません。少なくとも棒読みされるよりは感じるものが多いと思うのです。この作品を黙読したのではつまらないです。
しかし学生は授業で、椅子に座っている姿ではどうしても

    恥ずかしい

という気持ちが抜けきらないのです。
邪道かもしれませんが、やむをえず「どこを見てもいいから人を気にせず、まずは声を出してみましょう」と言って煽ります。

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「蜘蛛の糸」を今年も(1) 

まだ私が短大の国文科教員だったころ、卒業ゼミで何を学生にさせるかは大きな悩みでした。
最初は国文科らしく平安時代の和歌などを読んでもらいましたが、学者になるわけでもなく、和歌など苦手、という彼女たちには難しすぎたようでした。もちろん、やり方次第なのですが、どうせやるならきっちりと、という思いがあり、結局あきらめました。
その後

    「西国街道の文学」

というタイトルで、鳥羽、伏見から淀、山崎、水無瀬、高槻、茨木、箕面、伊丹、西宮、芦屋、神戸などの古典文学を調べて地図を作るという作業をしてもらいました。伊勢物語や新古今集から地方に伝わる昔話を取り上げ、これは手応えがありました。最終的に冊子を作り、卒業記念に持って帰ってもらいました。
そのあとの三年間は、私の趣味に付き合ってもらい、

    新作浄瑠璃を作る

という離れ業を試みました。こんな題を出して学生が来るわけがない、と思いましたが、そのときはそのとき。学生が自由に教員を選ぶシステムでしたから、いやなら他の先生のところへ行けばいいわけです。ところが、三年続けて一番人気。君たち、いったい何を考えてるの? と、私が首をかしげたくらいでした。
そのあと、さらに

    朗読をしよう

というタイトルで、最後の時間に一人またはグループで朗読をするゼミを作りました。驚いたことに、これまた一番人気。国文科と言っても、案外学生はこういうことを求めていたのかもしれない、と思い始めたころに国文科は廃止になりました。

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六世豊竹呂太夫へ(4) 

七十歳になられる来年四月の公演で、豊竹英太夫さんが呂太夫の六代目を襲名することが先日発表されました。新聞では「若太夫の前名」を継ぐという紹介がなされていましたし、それは事実です。しかし英さんの心の中を忖度するに、「自分を文楽の世界に導いてくれた

    呂太夫兄さんの名

を継ぐ」という意識も強くおありなのではないでしょうか。
五世呂太夫は、美男で、華があって、声がよく、力があり、節が正確で、勉強家。義太夫節の深奥をかなりきわめていらっしゃったようでした。ファンは多く、理路整然として弁舌も滑らかなためインテリ受けもしました。それだけにベテランとなった英さんがこの時期に呂太夫というのは、五世を知る人の中には違和感を覚える方もあるようです。実際、SNSでは歓迎しないという声すらありました。呂太夫は

    呂勢太夫 さん

が継ぐべきではないかという人もいました。実は私自身、呂勢さんの呂太夫襲名を期待していたひとりでした。呂勢さんは二世呂太夫の子息でいらっしゃった四世鶴澤重造師に義太夫節の手ほどきを受けられ、五世呂太夫、四世呂太夫の嶋師匠の門下となられました。さらには五世の美質をよく受け継いでいらっしゃるようにもお見受けしており、呂太夫という名にはもっとも近いように思っていたのです。辞められた鶴澤浅造さんは、師匠の重造師を今も敬慕されていますが、「年忌の楽屋内へのくばりものなど、今は文楽の人ではない自分にはできないが、呂勢君がしてくれました」とおっしゃっていました。

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六世豊竹呂太夫へ(3) 

太夫の襲名が難しくなっているように思います。
豊竹若子太夫が五世呂太夫を継がれたのが二十二歳。竹本綱子太夫も二十二歳で咲太夫に改名されました。それ以前の方で言うと、豊竹小松太夫(四世越路太夫)のつばめ太夫襲名は二十八歳、竹本津の子太夫(四世津太夫)の濱太夫襲名は二十五歳、豊竹古住太夫(七世住太夫)の九世竹本文字太夫襲名は三十五歳、竹本織の太夫(九世源太夫)の五世織太夫襲名は三十一歳でした。つまり初名から花形名になるのは二十代から三十代の頃だったのです。当時は入門が早いですから、その当時既に

    15年くらい

のキャリアはあったわけですが、それでも今とは比較にならない早さです。
竹本伊達路太夫さんが五世伊達太夫を襲名したのは六十歳、二世豊竹小松太夫さんは初名のまま、今も多くの太夫さんが師匠の名前に一字付けたお名前(松香、津駒、津国、文字久、呂勢など)やそうではなくても初名のまま(三輪、千歳など)で活動されています。何だか重苦しいです。
緑太夫さんはご存命なら今年六十六歳。きっと今ごろは「濱太夫」あるいは「津太夫」になっていらっしゃるだろうと想像はします。でも、この重苦しさの中では相変わらず「緑」の名を続けていらっしゃるかも、という気がしないでもありません。五世呂太夫さん(ご存命なら今年七十一歳)は実力から言えば十一代若太夫になってもよかった方だと思いますが、襲名が少なくなっていることとは別に、若太夫は継がれなかったのではないかと感じています。むしろ

    春太夫

のような華やかな名前が映るので、若系統とは別のいい名前を名乗っていらっしゃったかもしれないな、とも思います。

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六世豊竹呂太夫へ(2) 

群馬県の青木正少年は、大阪の十世若太夫のところに弟子入りして豊竹若子太夫としてデビューしました。勉強家で、同年代の竹本綱子太夫(のちの豊竹咲太夫)とともに少年太夫として活躍されたそうです。
昭和42年4月に師匠の若太夫が亡くなったため、兄弟子であった三世春子太夫に入門、その秋に22歳で五世呂太夫を襲名されたのでした。
師匠が亡くなったとき、まだ若子太夫だった呂太夫さんは、かつてよく遊んだ若太夫の孫で20歳になっていた雄治青年(祖父とともに東京暮らしをしていた)と風呂に行き、「雄ちゃん、君は声が大きいから

    太夫になれる」

と勧めたそうです。将来に不安を抱いていたものの、太夫になる気などまったくなかった雄治青年は簡単には首を縦に振らなかったようですが、なおも上手に説得する若子太夫さんにうまく乗せられる形でついに大阪行きを決意し、大阪府吹田市の春子太夫邸に内弟子として住み込みました。この雄治青年こそ、三代目豊竹英太夫その人です。
英太夫さんは小学校高学年の頃から勉強に目覚めたらしく、大阪の市立中学では優秀クラス、東京に転居してからも成績がよく、東京都立の一流高校に進学されました。ところが大学受験にうまくいかず、さあどうしようかという時に祖父若太夫が亡くなり、語弊があるかもしれませんが、

    絶妙のタイミング

で若子太夫さんから文楽入りを勧められたわけです。同期入門には吉田和生、吉田簑太郎(三世勘十郎)、吉田玉女(二世玉男)、吉田昇二郎(昭和50年退座)そして竹本緑太夫(故人)らがいらっしゃいました。この顔ぶれが今揃っていたら、と思わせるすばらしいメンバーです。

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六世豊竹呂太夫へ(1) 

明治時代に素人からプロになった太夫さんがいました。素人からプロへ、ってそんなの全員そうじゃないか、とのたまうなかれ。素人として長らく語っているうちに、いい年になってからプロになった人のことを言っているのです。
いわゆる「素人天狗」ですね。その中でもっとも成功した人というと

    はらはら屋の呂太夫

かもしれません。
初代古靱太夫門下で、豊竹呂太夫を名乗られました。もちろん初代です。この人の弟子にちょっと偏屈な感じの太夫さんがいました。文楽に腰を落ち着けて修行したのかというとそうでもなく、地方に行って素浄瑠璃を語ったり素人さんに教えたりすることが多かったようです。そのために、文楽の中ではあまり評価が高くなかったようです。「赤垣出立」などを得意としたそうですが、太夫として大成したとは言いきれないかもしれません。しかしこの人は

    教えるのが好き

で、しかもうまかったのだろうと思います。呂勢太夫、新呂太夫、祖太夫などを名乗りますが、最終的には二代目の呂太夫を襲名しました。昭和50年代まで活躍された三味線の四世鶴澤重造さんのお父さんに当たる方です。
この人が徳島に行ったとき、浄瑠璃の好きな金平糖屋の林さんという旦那のところに出入りしました。その家には、親に似て浄瑠璃が好きで、見よう見まね、いや聴きよう聴きまねでしょうか、とにかく巧みに語った子どもがいました。この子の才能を見抜いたのか、太夫は弟子にして一緒に各地を巡業したようです。林英雄というこの少年は名前の一字を取って「英太夫」と名乗りました。

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短歌を詠むこと 

小学生の頃から短詩型の文学、つまり俳句や短歌に興味がありました。中学生の頃は57577を用いてふざけたことを書くのが好きでした。俳句は私にはなんとなく合わないような気がしていたのですが、高校生の時に作った夏休みの宿題の俳句があまりにひどく、それが決定的な自信喪失につながり、以後はもっぱら短歌に心を寄せるようになりました。
日本の短詩型文学は「57」のリズムが根底にあって、短歌は
  57 57 7
長歌は
  57 57 57 57・・・7
という形になっています。いわゆる「五七調」です。
  天の原ふりさけみれば  春日なる三笠の山に  出でし月かも
  千曲川 古城のほとり  雲白く 遊子悲しむ
  緑なす はこべは萌えず 若草も しくによしなし
  名も知らぬ 遠き島より  流れよる 椰子の実ひとつ
  ふるさとの 岸を離れて  なれはそも 波に幾月
というリズムです。古風な感じがします。
ところが 575 77 という詠み方も多くなります。
  あらざらむ この世のほかの 思ひ出でに
  いまひとたびの 逢ふこともがな
そして、いつしか「七五調」が日本の詩のリズムとして確たる地位を持つようになりました。
  この世の名残 夜も名残  死にに行く身を たとふれば
  あだしが原の 道の霜  ひと足づつに 消えてゆく
  夢の夢こそ あはれなれ
のタイプです。
しかしあまりこういう型にこだわらずに詠まれることも最近は少なくありません。文字も以前は歴史的仮名遣いが主流でしたが、最近は現代仮名遣いを用いる人も多くなっていると思います。

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観相 

『源氏物語』「桐壺」巻に、光源氏が高麗(こま)からやってきた相人(人相を観る人物)から予言を受ける場面があります。
桐壺帝は次期天皇となる皇太子(春宮。とうぐう)を決めるに際して、長男(のちに朱雀院となる)か光源氏(この時はまだ源氏ではありませんので、以下「光る君」と仮に呼びます)にすべきか悩みます。しかし長男の母は右大臣の娘で、この右大臣はゆくゆく今以上に強い権力を持つ可能性の高い人物です。それだけに長男を無視するのは危険なことです。そこで、光る君が三歳の頃に六歳の長男を皇太子に据えます。
それでもなお帝は光る君の処遇について悩みます。このまま皇子としておいて将来皇太弟から天皇になる道を用意しておくべきか、いっそ

    臣下

にして能力を発揮させるべきか。
そんなある日、高麗から来た人相見の名人がいるというので、光る君の相を観させることにしました。
父帝には右大弁という職にある信頼できる学才豊かな人物がいました。この人物は光源氏の後見人のような立場にあったのですが、その子どものように見せかけて連れて行かせたのです。身分を隠したのは、相を観させるに際して帝の子という先入観がないようにという判断もあったのでしょう。
この右大弁は、ある

    歴史上の人物

がモデルになっているのではないかといわれます。帝の信頼を得ていて、しかしどうやら血筋としては必ずしも出世コースに乗っているとも思えず、またこの高麗の相人と漢詩を詠みかわすなど、「いと才(ざえ)かしこき博士」(たいそうすぐれた学者)として描かれます。

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司書さん、おそるべし 

仕事場の図書館が改善されています。以前は使い勝手が悪いと、あまり評判が良くなかったのですが、このところずいぶん変化があります。
バリアフリーについてはお世辞にもすぐれているとは言えません。
カウンターは長い階段を上った2階にあり、さらに重いドアを2つ開け閉めせねばならず、セキュリティゲートを通るのはいいとしてもなぜか

    バー

があってそれを押して通らなければなりません。さらにそこから階段を昇ってやっと目的地にたどり着くのです。利用者の立場を考えていない面倒な作りになっています。実は私、このバーがとても厄介なのです。女性であれば腰くらいの高さなのですが、私にとっては位置が低くて、膝の少し上くらいにあたり、手を伸ばさないと開閉できません。バーがなぜ必要なのか不明です。私が図書館長になったら鋸を持って行って(笑)あのバーをギコギコ切ってしまいます。
一方、最近ソフト面が充実してきました。本格的な司書さんが来てからのことで、さすがに専門家は違うと感じます。口幅ったいですが、司書さん自身が

    「司書とは何なのか」

をよく知っているのだろうと思います。本の並べ方や整理の仕方を知識として持っているだけではあまり意味がありません。実際に使うものにとってどれほど心地よいかが重要です。学生に聞いてみると、
「司書さんが親身になってくれる」
「司書さんに声をかけやすい」
「司書さんが声をかけてくれる」
「司書さんがすぐに本を見つけてくれる」
などと評判がずいぶんよくなりました。

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フットワーク 

公開講座で、今年度は『粉河寺縁起絵巻』を読みます。
先日その第一回だったのですが、受講してくださる方の中に「粉河寺に行ってきました」という方がいらっしゃってびっくりしました。「わざわざこの講座のために行ってくださったのですか?」とお尋ねしたら「もちろん」とのことでした。
こういう具合に熱心にしてくださるとありがたいやら申し訳ないやら。
粉河寺は和歌山県紀の川市粉河にある古刹で、中世には根来寺とともに紀州ではかなり勢力があったお寺でした。

    豊臣秀吉

の根来、粉河焼討ちがあり、この絵巻物が激しく焼損しているのはこのときのことだったのではないかといわれています。秀さん! 文化を大切にしなさい!
そんなわけで、今の粉河寺の諸堂は江戸時代、18世紀以降のものばかりといっていいのです。
それでもやはり場所のイメージをつかむことができますし、雰囲気はあるはずですから現地に行っていただくことは大切だと思います。
私もこの春には行けばよかったのですが、暇もお金もなくて悔しいです。
私のことはともかく、こうしてお出かけくださるのは健康のためにもいいです(行ってくださった方は80代の方)し、気分も晴れやかになると思います。

    フットワーク

のよさに感心致しました。
この講座、一昨年は『伴大納言絵巻』、昨年は『信貴山縁起絵巻』を取りあげました。この春は、奈良国立博物館で『信貴山』の展示がありましたから、こちらも行ってくださった方があるのではないかと思ってうかがってみました。すると、大半の方が挙手されてまたまたびっくり。

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幼稚園でのお稽古(第一回) 

奈良市内の幼稚園で継続して実施してきた文楽人形劇が6年目を迎えます。
最初は一回きりのつもりだったのですが、園長先生の肝煎りでここまで続けてきました.まさかこんなに続くとは思っていませんでした。
今年の演目は

    ごんべえさん   
     と 
   もものひめ


です。「もものひめ」? 実はこれは桃太郎を借りたものです。
このシリーズで初めて父娘の情愛をテーマにしました。といっても相手は幼稚園児ですので、わかりやすく、しかも情愛が出るような脚本を書かねばならず、当然私には無理。さあ、その無理なところを可能にするのがこの幼稚園文楽人形劇のいいところなのです。
詳しい内容はまた後日書くことにしますが、どこまで子どもたちに通ずるものなのか、私自身興味津々です。
一昨日は、8時半頃に仕事場を出て、交通費節約のため高速は使わずに中央環状を門真まで行って東へ。170号線に乗って大東市。

    「野崎観音

はこちら」という案内には目もくれず(実際は、目だけはくれましたが)、四条畷市と大東市を出たり入ったりしながら生駒越え。生駒市から奈良市。阪奈道路を降りて某幼稚園までは高級住宅街を気持ちよく走ります。

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初夏の遠足 パート2(4) 

正面に大仏(盧遮那仏)、向かって右側に如意輪観音、左側に虚空菩薩が脇侍として控えています。その立派さについては今さら申すこともありません。外国人観光客もさすがに驚いていたようです。堂内は写真撮影自由ですが、光線が写真用にはなっていないので、私のポケットカメラではきれいに撮れません。
奥に入ると四天王のうち「広目天」「多聞天(毘沙門天)」が置かれています。「増長天」「持国天」は制作途中で中断されたままになっていて、今は首の部分だけが置かれています。
修学旅行生たちは

    柱の穴抜け

を楽しんでいました。小学校の遠足で私も一度だけ体験しました。今回、私は大仏の座している蓮台の部分、堂内の飾り付けに関心があったので、それらを写真に収めてきました。大混雑でしたが、成果はなかったわけではありません。外に出て賓頭盧尊者像にも挨拶して大仏殿に別れを告げました。
ついでですから、

    正倉院

にも廻りました。こちらはまったく人がいなくて、立派な建物をじっと眺めるゆとりがありました。シルクロードの終着点ともいわれる正倉院。ほんとうにすばらしいものが残っています。
転害門を経て奈良県庁などの横を通りまた奈良博の前に来ました。バカですね、私は。何だかもう一度観たくなって、この日二度目の「信貴山縁起絵巻」を観てきました(笑)。この時もほとんど待ち時間はなかったのですが、今度はもうざっと気になるものだけを観て出てきました。

IMG_2688.jpg
↑東大寺大仏殿

大仏と如意輪観音
↑大仏(盧遮那仏)と如意輪観音像

東大寺賓頭盧尊像
↑大仏殿賓頭盧尊者像

正倉院3
↑正倉院

転害門
↑転害門

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初夏の遠足 パート2(3) 

奈良国立博物館のほか、この遠足にはもう一つの目的がありました。東大寺大仏殿に行きたかったのです。もう何年も観ていない盧遮那仏です。「今生の見納め」かどうかはともかく、大仏殿の内部をいろいろ細かく観たかったのです。
というのは、『信貴山縁起絵巻』の終盤にこの大仏殿が描かれており、つまりこの絵巻物ができた平安時代末期の様子が伝えられていますので、改めて今との違いを感じ取りたかったのです。ただ、『信貴山』の絵師が実物の大仏殿を観て描いたのか、

    絵手本

を参考にして机上で描いたのかはわかりません。しかし仮に絵手本を観たとしても、その絵手本はやはり古い大仏殿を観ながら描かれたものでしょうから、とても参考になります。普通大仏というのは見上げるものですが、私はむしろまっすぐ観たかったのです。言い換えると、低い位置に興味があったのです。
というわけで勇んで出かけたのですが、思いがけない「敵」(笑)がいました。修学旅行生です。次から次へとびっくりするくらい来ていました、やはり多かった外国人観光客とともに、行く手を遮られるほど。逃げ腰になった私は

    春日大社

などを先に観て、手向山神社や二月堂を経て大仏殿に戻ろうと思いました。そのころにはきっと人も減っているだろう、と、なんの根拠もない願いを抱きながら。しかし春日大社も人、人、人。多くは外国人や修学旅行生ですから、平日だから少ないなどということはないのですね。私は拝殿と回廊を観ただけで、中には入りませんでした。

若草山02
↑若草山

IMG_2686.jpg
↑春日大社の燈籠

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初夏の遠足 パート2(2) 

近鉄奈良駅から博物館までは徒歩10分もかかりません。
鹿さん、ちょいとごめんよ、と言いながら奈良国立博物館へ。数年前の「瑠璃坏」の出た正倉院展以来です。
国宝の絵巻物というと、あの鳥獣人物戯画の展示(於京都国立博物館)が思い出され、あそこまで極端ではないとしてもかなりの混雑を予想していました。奈良博には屋根のある入場待ちスペースがあります。

    9時半頃

に着きましたので、そのあたりは人がいっぱい・・・と思っていたら誰もいませんでした。それどころか、入場口の係りの人が暇を持て余している感じでした。おそらく9時の開館時はそこ並んでいたと思われますが、その人たちが入場してしまうと一段落なのでしょう。私はそのタイミングで入ったのです。
関東では伊藤若冲の展覧会で最大5時間20分待ちということがあったらしいですが、こちらは拍子抜けするくらいでした。もっとも、中に入ると5分ほど待たなければ前列の鑑賞スペース(絵巻を目の前で観ることができる)には入れませんでしたけれども。鳥獣人物戯画の時はせっかく実物の前に来ても、後ろから押されるような感じで落ち着いて観られませんでした。しかし今回は全体的に進むペースが遅く、私もこの名品、

    信貴山縁起絵巻

をゆっくり拝見できました。
作品について細かく書くことはしませんが、なにしろ広い部屋を使って全巻を観ることができる展示方法でしたので、時間はかかりましたが、それだけの価値はありました。

奈良国立博物館
↑奈良国立博物館

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