早口言葉 

文楽人形遣いの桐竹紋寿さんのご本『女形ひとすじ』を最近読み返していました。紋寿さんは淡路島出身で紋十郎門下。最初は「紋若(もんじゃく)」と名乗られたそうですが、なんでも「もんじゃく」という読み方がよくないのだそうで、師匠から「紋寿」にしようと言われた、とのことです。その後、襲名されることなくこのお名前を通され、大きくして来られました。
長らく女形として活躍されてきましたが、年齢や体調の問題もあり、今後は

    脇に回る

とご本人がおっしゃっていました。ちょっとした役でも出てくださると多くのファンが喜ばれるだろうと思います。
いつも「もんじゅ」とキーを叩いて変換すると「文殊」が出てきます。文殊菩薩、というよりは「三人寄れば文殊の知恵」のことわざのように知恵の権化として親しまれています。
私が紋寿さんのご本を読んでいた折しも、福井県敦賀市に設置されている高速増殖原型炉の

    「もんじゅ」

に廃炉方針が出されました。研究用の原子炉なので文部科学省の管轄。地元への説明も文部科学大臣が行っていたようです。
名前の由来はもちろん文殊菩薩。しかしその賢そうな名前の割にはじゅうぶんに稼働せず、事故を起こしがちで、莫大な維持費用がかかることもあって、以前から何かと問題視されていました。
恐らくその日のテレビのニュースでは「もんじゅが」「もんじゅは」と連呼されていたのだろうと思います。ああいうのって、紋寿さんはどのようにお聴きになるのでしょうね。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

スポンサーサイト

叱ってくれる人 


七世竹本住太夫師は弁舌巧みでお話のおもしろい方です。「人間やっぱり死ぬまで勉強だんな」と、ここまでは割合にどなたでもおっしゃることです。しかし師匠は「死ぬまで勉強、死んでからも勉強」とおっしゃいました。ああいうことばをパッと思いつかれるところは、長年人の情を語ってこられた、その蓄積のなせるわざなのでしょうか。「死んでからどないして勉強しますねん?」などと反問するのはまるで意味のないことだろうと思います。

    「そういう覚悟で

勉強せい!」と若い人たちを叱咤されているのでしょうし、またご自身にもそれを言い聞かせていらっしゃるのでしょうから。
住太夫師の稽古が厳しいらしい、というのはよく知られています。あれだけ怒って、血圧が上がらないのかな、と心配になるほど激しく叱咤されるようです。私も何度かテレビなどでその様子を拝見しましたが、容赦がないですね。お弟子さんはもちろんのこと、研修生であろうがすでにベテランとなっている後輩であろうが、おかまいなしで手厳しいことをおっしゃいます。正直に申しまして「いくらなんでもそこまでおっしゃったら

    逆効果

にはなりませんか?」とうかがってみたいと思うこともあります。まだベテランの人たちは昔ながらの稽古の仕方を実際に見たり体験したりされているでしょうから抵抗は少ないのかもしれませんが、若い人たち、特に研修生レベルの人や入門早々の人はビックリするのではないでしょうか。なんといっても、昔ほど叱られることが多くない時代です。体罰はもちろんダメ、言葉も威圧的になるとダメ。しかし考えたら私の子どものころはゲンコツくらいは当たり前、人前で怒鳴りつけられるのも日常茶飯事。中学時代のある教師は予習をしてこなかったらゲンコツ、というのを授業の最初に公言して、実際飽くことなく(笑)それを実行していました。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

文章表現 

「人を逸らさない」ということばがありますが、やはり社会で生きて行く上ではそういうことも大事なのだろうと思います。しかし私は逸らしてばかり。野球選手でいうとボテボテのゴロをトンネルする内野手のようなものです。
世渡りがへたなはずです。
「世渡りがうまい」というと「ずる賢い人」と受け止められる可能性がありますが、そういうつもりではありませんでした。そうではなくて社会常識があるというか、うまく人と付き合っていける人のことを言っているつもりだったのです。
……というように、自分の文章に

    言い訳

をしなければならないことがしばしばあります。要するに他人に理解されないことを平気で言っていることになるのです。言葉足らずであったり、よけいなことを言い過ぎたり、言葉の選択を誤ったり。普段、言葉遣いの大切さを学生に話す立場にある者として、忸怩たる思いを拭えません。
私はこれまでに多くの文章を書いてきました。このブログを書き続けるのも実は自分の

    文章力を錆びさせない

ため、ということが目的のひとつになっているのです。そして、長い年月そういうことを繰り返しているうちに、いつしか心の中で「私は、文章は下手ではない。むしろうまい方だ」といううぬぼれが生じていたように思います。いつの間に損な鼻っ柱の強い人間になっていたのだろう、と最近反省することがしきりなのです。
生兵法はいけません。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

ジュニア新書 

学生の頃、岩波書店から「ジュニア新書」が出ました。読者の対象としては中高生をイメージしたものかと思われ、漢字にはかなりルビが振られてわかりやすい体裁になっていました。文章も割合に平易で、本を開けた瞬間に頭が痛くなるようなものではありませんでした。
私は教養がなく、何も知らない学生でした。同級生がいろんなことを知っているのを目の当たりにしてあまりにも恥ずかしい自分の無知をなんとかしたいと思うようになりました。そこで、簡便な新書などを読んで勉強しようと思いました。岩波の他、中公、講談社現代などがありましたので、あまり

    興味のない分野

を中心に詠み始めたのでした。ところが、やはり頭がついていかず、読んでもあまりよくわかりませんでした。そんなときにジュニア新書に出会ったのです。ジュニア向けということなら内容は幼稚なのかというとそんなことはありません。きちんとした著者によって責任を持って書かれたものですから、わかりやすく、しかし中味は充実しています。具体例や雑談のようなものも適当に入っているので興味も持ちやすくなっています。
あるとき、おそらく新書判だったと思うのですが、

    『相対性理論』

という本を読んで今ひとつよくわからないままモヤモヤしていたのですが、折しも見つけたジュニア新書の『アインシュタインが考えたこと』を読んでみました。これで相対性理論がわかった、とは言いませんが、物理学なんて何もわからないのに、なんとなくわかったような気にさせてもらえましたし、この頭でも全く理解できないわけではないのだ、ということを知っただけでも収穫があったと思うのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

うま味 

食物科学とか、栄養学とか、そういうことは全然わかりません。かろうじてカロリー計算を気にしているくらいです(笑)。
アメリカの映画俳優さんを見ていると、とてもスマートでしかもよく鍛えられているようですが、一般人の肥満度はただごとではないようです。脂肪の摂り過ぎから来る肥満、それが誘発する糖尿病や心臓病など、大きな社会問題にまでなったようです。たしかに、写真や映像で市民の姿を見ると驚くほど大きな体の人が少なくありません。
これでタバコをプカプカ吸って血圧が高くてストレスの多い人など、循環器科の医者に説教されそうです。
そこに

    救世主

のように(?)あらわれたのが日本食。脂肪分が少なく、栄養のバランスがよいということで注目されたようです。
ユネスコの遺産事業のひとつである「無形文化遺産」には「地中海の食事」などとともに「和食」も登録されています。オリーブオイルを使ってあまり肉類を摂らず、ワインを適量飲む地中海の食事は地中海式

    ダイエットピラミッド

で有名です。一方、和食も見た目の美しさや年中行事との関わり、栄養バランスのよさなどで高く評価されているようです。もっとも、当の日本では海外で和食が評価されているころから逆に脂肪摂取量が増えているそうで、自分たちの文化のすばらしさに気づかず、それを誇ろうともしない日本人の悪い癖でしょうか。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

黒衣を着ること(2) 

八月に素人さんの義太夫発表会にお邪魔しましたが、そのときのみなさんのお姿は着物に裃。つまり袴と肩衣をきちんと着けて、見台に床本を置いて尻敷きを敷いて、恭しく床本を掲げて語られます。
素人のくせに生意気な、などと思ってはいけません。この義太夫教室の指導者でいらっしゃる豊竹英太夫さんがおっしゃるには、

    「いでたち

というのは大事なんです」とのこと。けっして「素人がカッコつけているだけ」ではないのです。それと同じことが幼稚園の文楽人形劇の黒衣で感じられました。
翻って、プロの文楽のみなさんです。左遣い、足遣いさんはほぼ黒衣に頭巾ですが、主遣いはすっかり出遣いが主流になってしまいました。
何ごとも派手に、というのは松竹以来のことかもしれません。昔の写真を見ますと、演目にもよりますが、主遣いさんは肩衣まで着けていました。
しかし今は国立劇場が主催する公演です。にもかかわらず、劇場が開場した時よりもずっと

    出遣いが多くなっている

と思うのです。私はどの場面で出遣いになっているかをメモし続けてきたのですが、最近はほとんど「黒」と書くことがなくなってきました。通し狂言の大序とか、ほんの短い端場くらいになっているような気がします。
松竹時代は商売優先というところもあるでしょうから、やむを得ないとして、最近はなぜあんなに出遣いばかりにするのでしょうか。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

黒衣を着ること(1) 

幼稚園で文楽人形劇を催してきましたが、出演者のみなさんは黒衣を着ることを望まれます。稽古の時もそうなのですが、本番でも、私からお願いするのではなく、みなさんのほうから着たいとおっしゃるのです。
演劇表現は楽しいものです。役者になりたいと思う気持ちを持つ人も少なくありません。しかし現実的に舞台で

    緑芝居をする

ことは恥ずかしいし、難しそうだし、とてもできないと思われるのではないでしょうか。
ところが、黒衣を着て人形を操り、しかもせりふはいわなくても芝居ができるとあれば、恥ずかしさも精神的な難しさもかなり少なくなると思うのです。
私は、あつかましいかもしれませんが、このプロジェクトを通してこんなことを思いました。園児のためにと思っていた企画ではあったものの、実は出演者のためにもかなりいい

    学習になっている

のではないかということです。あえて「学習」という言葉を使ったのは、生涯学習に関心があるからです。出演者のみなさんの中には中高年の方が少なくありません。この方々は、人生経験も豊かで、人の歓びも悲しみもいろいろ知っています。体力的にもまだある程度は自信がある年代です。こういう年代の方々の生涯学習として、演劇表現はぴったりだと思うのです。しかも人形を操るなら、「自分が演技をするのではないなら、できるかもしれない」という気持ちにもなるのではないでしょうか。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

チラシ 

昔、私の記憶にわずかにある程度のかなり昔です。日曜日などに家にいると、はるか彼方からマイクを通したような声が聞こえてきます。そしてそれが近づいてくるとセスナ機の音もするのです。つまりセスナ機がアナウンスを流しながら飛んでいるわけです。何のアナウンスかというと、広告なのです。
こうなると子どもたちはみんな外に飛び出します。
なぜなら、そういうセスナ機は時として空から

    ビラ

を撒くからです。セスナ機から撒かれるビラ。安っぽい紙なのですが、太陽光線を反射してキラキラしながら舞い降りてきます。どこに落ちるかは風次第。もちろんセスナ機は風も計算してあのあたりに落とすにはこのあたりで撒けばよいということはわかっているはずですが、こちとら子どもですからそこまで理解は及びません。ただただ「自分のところに飛んで来い」と願って大きな声を出したり、撒かれたものを追いかけて行ったりするのです。
空から撒かれるものを手にするというのは、大げさに言うなら

    宇宙人からのメッセージ

のようでもあり、かなり興奮したものでした。なんといっても宇宙人が書いた言葉(日本語ですが)をまのあたりにすることができるのですから。
それだけに、たまにそのビラを手に入れると大事に持ち帰ったのです。しかし実際は単なる広告のチラシですし、なにしろ地面に落ちているわけですから場合によっては泥で汚れたりしています。何の役にも立たないばかりか、ゴミを拾ってきたのと同じことなのです。
土曜日の朝、ゆっくりと新聞を眺めていて、どっさり入っているチラシを見ながら、ついそんなことを思い出していました。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

広島カープ 

私は、へっぽこ野球をしていたこともあって、昔から野球は好きなのです。ただ、あまのじゃくな人間なので、プロ野球となると人気のなかったパ・リーグのファン。しかも家から一番近く(笑)に本拠地のある、これまたロッテと並んで人気のなかった

    阪急ブレーヴズ

のファンでした。
普通、関西人で兵庫県にいれば阪神タイガーズのファンが多いのです。というより圧倒的にそうなのです。野球が終わった時間帯に阪急電車の西宮北口駅が混雑していて「阪急の試合が終わったのかな」と思っていると、球場帰りと思われる人たちの服装は虎のマークばかりでした。
「阪急なんか、どこがおもしろいの?」という人もありましたが、いやなに、そういう方は食わず嫌いで阪急の魅力をご存じないのです。最終的には阪神に移籍されましたが、350勝を挙げた米田さんはほとんどのキャリアを阪急で過ごされ、梶本さんも300勝投手。山田さんも284勝。トリプルスリー達成者で守備も非凡な簑田さん、独特のフォームから長打を放つ長池さん、外国人では古くはバルボンさん(私はほとんど知りません)、そしてマルカーノさんに三冠王のブーマーさん。いやいや、なんといっても日本では二度と破られないのではないかと言われる記録を持つ盗塁王の

    福本豊さん

がいます。解説者としては何をいいたいのかわからない魅力や突拍子もないことをいいだすことでウケているようですが、たしかにちょっと変わった方ですね(笑)。いずれにせよ、こういう人たちの名人技をまのあたりにできたのですから、阪急ファンをばかにしないでいただきたいものです。福本さんの盗塁はほんとにすばらしかったですよ。まだピッチャーが投げる仕草もしていないのにもう走っているのです。完全に「盗んでいる」わけです。あのタイミングで走り出したらセーフに決まっています。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

沢市の首 

このブログで『金壷親父恋達引』のことを書いたとき、人形の首の選択について意見を述べました。私のいうことなど所詮浅はかな素人考えですが、首の選択は慎重にすべきだという思いは変わりません。特に新作の場合は前例がない(少ない)わけですから、しっかり考えたいものです。首には性根があるので、太夫さんの語りと一致しない首だとどうにも奇妙な感じになります。
太夫さんの中には人形遣いさんのところに首を見に行くという方がいらっしゃるとうかがいました。ずいぶん前にうかがったのですが、咲太夫さんもよく見に行かれるとのことでした。
では人形の首に自分の

    語りを合わせる

のかというと、そういうことでもないように思うのです。人形の首をしっかり見ておいて、その上で自分の語りをすればおのずから合うはずだ、というお気持ちなのではないかと思うのです。いや、これは私の勝手な想像ですので、一度太夫さんにうかがってみたいとも思っています。どなたか、ご存じでしたらお教えくださいませ。
『金壺親父』を拝見したとき、行平と豆助の首がしっくりこなかったのですが、私の場合、語りと一致しないということではありませんので、むしろ私のイメージしていた役の

    性根と首

が一致しなかったということになります。ですから、語りと合っていればさほぼ文句を言うこともないのでしょう。このあたりは私の「見た目だけで判断する」欠点ですので誤っていたらご容赦くださいませ。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

人形の修理 

研究室で「同居」している文楽人形のうち、娘の人形がとてもかわいそうな状態になっています。髪が乱れ、衣装はほころんでいます。といっても、衣装を新調するには、なにしろ特注ですから、数十万円かかってしまいます。貧しい学園がそう簡単に出してくれるはずもなく、ましてもっと貧しい私の手には負えません。
髪の結い直しは、劇場を引退されて鬘司庵にいらした名越さんにお願いしたことがありますが、名越さんは惜しくも亡くなりました。劇場の職員である床山さんにお願いするのはお立場を考えると微妙に気が引けて、今のところさほどひどくは乱れていませんのでそのままにしています。
実は、一番の問題は「手」なのです。手のひらの開閉をつかさどる仕掛けの糸がダメになりました。完全に切れたわけではないのですが、どうしようもない状態です。この糸は三味線の二の糸で、文楽では三味線弾きさんの

    あがり糸

つまり使い終えた糸を使っているようです。
夏に劇場に持って行って相談しようと思ったのですが、技芸員さんと時間が合わず、そのままになっています。さしあたり使うこともありませんのであわてないのですが、いつまでも放っておくことはできません。
でも、これくらいの修理なら

    自分で直して

もいいかもしれない、と思わないでもないのです。たぶんこうすればいいのだろう、ということはわかるつもりなのです。要するに、三味線の糸を手の中に通して結ぶということです。簡単な話です。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

2016年9月東京公演千秋楽 

本日、東京公演が千秋楽を迎えます。
国立劇場も50年になりましたが、それを記念して『寿式三番叟』『一谷嫩軍記』という演目でした。
私が東京公演に行けなくなってもう何年になるでしょうか。悔しい限りです。
さて、このあと、10月1日から『妹背山婦女庭訓』四段目と『近頃河原達引』という番組で秋の巡業があって10月29日からは大阪に戻り、錦秋公演です。

第一部が
『花上野誉碑』「志渡寺」
『恋娘昔八丈』「城木屋」「鈴ヶ森」
『日高川入相花王』「渡し場」
第二部が
『増補忠臣蔵』「本蔵下屋敷」
『艶容女舞衣』「酒屋」
『勧進帳』

まあ、なんというか・・・という番組なのですが。

夏休み 

誰もほめてくれないので(笑)自画自賛するですが、この夏はよく働きました。いくらかは「働かされました」という仕事もあったのですが、それ以外は夏休みらしく自分のしたいことをしっかりと。その意味ではとても充実していました。あの「働かされ」がなければ、もうひとつ書きたかったことが書けたかもしれず、それは本当に悔しいのですが、今はこれ以上言わないことにします。
土日も関係なく、早朝から夜までずっと緊張していた感じがします。
家にいると、なにしろエアコンがないですから、ひどいときは室温が

    38度

まで上がっていました。さすがにそのときはすぐに唯一の冷却装置である「アイスノン」を首に巻いたりして熱中症を避けましたが。しかしこういうことをしていると疲れは溜まります。9月のはじめに最後の仕上げと思って根(こん)を詰めていたらやはり体調が悪化。9日に提出すべきものをすべて出し、ホッとしたものの、この「ホッとした」感じがさらに疲れを誘ったようで、その日の夜はからだが浮いたようになって、

    目が回り

そうでした。
これはもう寝るしかないと、床についたのですが、疲れ過ぎなのか、すぐには眠れず、やっと11時頃に(?)眠ることができました。
翌朝(9月10日)気がついたのはいつもどおり5時過ぎだったのですが、とても起き上がる気になれず、意地でも寝てやる! と二度寝。結局7時過ぎまで寝てしまいました。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

野趣の美 

今ごろ何を言ってるんだといわれそうですが、リオデジャネイロでのオリンピックが終わったようです。
実はオリンピックそのものにあまり関心がないのです。どのオリンピックだったか忘れましたが、日本の柔道選手が、金メダルが決まった瞬間に、たった今自分が倒した相手選手をまたいで飛び上がり、

    ピョンピョン

跳ねている姿を見た時にがっかりしてしまいました。そして、それがきっかけでオリンピックへの興味が一気にしぼんでしまったのです。
この瞬間のために他人の何倍も努力してきたのだからそれくらいかまわないだろう、というのが世の大方の意見だろうと思います。
今どき、柔道に

    「礼」

ばかり求めても仕方がないのかもしれません。でも、柔道を究めようと思っているのだったら、その第一歩である「礼」をわきまえずに「他人の何倍も努力してきた」といえるのだろうか、と、古い考えの私には思えて仕方がありません。
最近は大相撲でも勝負しか考えていない力士が多くて、勝ったらガッツポーズ、負けたらろくに礼もしない。見た目の美しさなどどうでもいいのだろうかと思うことがあります。
もっとも、それは私の美意識であって、多くの方が「あのガッツポーズが美しい」といわれるなら何も言えないのですが。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

軒もる月 

二世豊澤団平師の「武蔵野の月はものかは」という短歌を読んでいて、その下の句にある「軒もる影」からふと樋口一葉の『軒もる月』を思い出してしまいました。
一葉の作品は今読むと難解です。「現代語訳」がほしいくらいです。しかし原文の、明治の香りの魅力も捨てがたく、『十三夜』など音読するのが楽しいくらいです。「お月見の真似事にいしいしをこしらへて」という文を読んで「いしいし(おいしいもの。団子)」ということばを覚えたくらいです。

    浄瑠璃の文章か

と思うくらいリズムもきれいです。
七五調でなくてもこんなリズムのきれいな文章が書けるのか、としみじみ感心してしまいます。
そういえば『十三夜』は新作文楽の演目にもなったことがありました。
芥川龍之介の作品も

    朗読にはうってつけ

ですが、一葉のものも難しさがなければ学生に朗読させたいくらいです。
『軒もる月』は一葉の作品中ではあまり有名ではないので、ごく簡単にあらすじを書いておきます。

桜町家で小間使いをしていた袖は、今は結婚して子どももいます。誠実な夫は子どものために残業をして少しでも収入を増やそうと頑張っています。桜町家の殿はかつて心を通わせたこともあるのですが、およそ身分が違います。それでも、殿は袖の結婚後も何通もの手紙を送ってきました。しかし袖はそれを読むことすらしなかったのです。読まないことで自分を律したつもりだったのですが、腐った心を捨てなければそんなことをしても何にもならない、それはむしろ卑怯な振る舞いだったと思うようになりました。そこで、隠し置いた十二通の手紙を取り出し、それを読むことで自分の心をためそうと思ったのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

月見 

今年は9月15日が旧暦の八月十五日に当たるそうです。
『源氏物語』の「夕顔」巻は、六条にいる女性(六条御息所)に通う光源氏が、その途中にある乳母の家を訪ねるところから事件が始まります。病気の乳母を見舞いに立ち寄ったものの、中に入るまでいささか手間取り、光源氏は隣家の夕顔の花を目に留めるのです。その家の主人こそ「夕顔」と呼ばれる人で、この巻はこの女性と光源氏の出会いと別れが描かれることになります。
二人が親しくなったあと、

    八月十五夜

に光源氏は夕顔を訪ねます。夕顔の家は五条のあたりですから、少しひなびた感じがします。虫の声も普段とは比較にならないほどみだりがわしく聞こえます。
光源氏は近くの某邸に行こうと言って誘い出します。

  いにしへもかくやは人の惑ひけむ
     わがまだ知らぬしののめの道

「私はこんな東雲の道を出歩いたことはないが、昔の人もこうして心乱れたのでしょうか」と詠んで「あなたは慣れているのですか」と意地悪な質問をすると、夕顔は

  山の端の心も知らで行く月は
     うはの空にて影やたえなむ

「山の端の心も知らずに行く月のようにあなたの心も知らずについていく私は、うわのそらで、このまま消えてしまうのでしょうか」と返します。なんとも不安げな様子です。
この次の夜、つまり十六日の夜に光源氏は夢に不思議な女を見て、目を覚ますと夕顔が苦しんでおり、彼女はそのまま頓死するのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

菅原町 

地下鉄というのはなるほど便利なもので、道の下に線路を敷くのですから効率も良いのです。地下鉄の車内吊り広告は地上を走る電車に比べてよく見られるのだそうで、それは外の景色を見ることができないからなのだとか。言い換えると、地下鉄の最大の欠点は乗っていて景色も見えないことです。
電車に乗る楽しみは

    景色と一体

になってこそ、というのが田舎者の私の考え方なのです。だからトンネルも景色でなければならない。あ、トンネルだ、と思いたいのです。ところが地下鉄はトンネルがすべてです。
ひどいのは東京で、一体今どのあたりを走っているのか、まるで見当がつきません。なにしろ路線が入り組んでいて、北に向かって発車してもいつの間にか南向きに走っているとか、わけがわかりません。大阪の地下鉄はまだましも単純ですが、それでも何も見えないつまらなさは同じことです。
つまらないだけならいいのですが、地理を覚えられません。そこで最近はできるだけ地上を歩くようにしています(地下鉄代をケチっているともいえますが)。最近しばしば堺筋を歩くのですが、この間は事情があって、その東側を北に向かって歩いていました。やはり独特の雰囲気があります。
大川が堂島川と土佐堀川に分かれるあたりにあるのが

    天神橋

です。あまり頻繁に通る橋ではないのですが、先日はここを渡りました。そこからもう少し北に行くつもりでしたが、たまたま信号の具合で川に一番近い道を東に向かうことになりました。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

右とか左とか 

天皇の退位にまつわることを書いたのですが、こういうことを書くとすぐに「右翼ですか?」「左翼ですか?」という人がいます。
私は怒りをもって言い返したい。何なのですか、それは、と。天皇の言わんとするところに賛成したら右翼で、反対したら左翼なのですか? 天皇をそんな政治的な存在としか考えられないのですか? 右翼、左翼はフランス議会に端を発する言葉だと仄聞しますが、それと天皇の退位に何の関係があるのでしょうか。普段、怒ることの少ない人間なのですが、こういうことを言われるとかなり頭に来てしまいます。
私は、天皇制というのは

    日本文化の問題

だと思っており、その立場からいろいろ考えることがあるのです。無理やり政治に結びつけたい方は、それはどうぞご自由になさっていただけばいいのですが、私には関係のない話です。
平安時代文学を勉強していると、天皇の存在はどうしても無視できません。平安文学の背骨をなしている八代集は勅撰和歌集、すなわち、天皇の命令によって編纂された歌集なのです。

    『源氏物語』

の主人公は天皇の子であり、妻は天皇の姪であったり、孫娘であったり、娘であったりします。彼が不倫した結果産まれた子は天皇になります。作者の紫式部は天皇夫人(中宮)であった藤原彰子の女房で、『枕草子』の作者もやはり中宮藤原定子の女房でした。
今とは比較にならないほど文学の世界では天皇の存在が大きな意味を持つのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

天皇の退位(5) 

天皇に退位してもらって、赤坂の皇太子と住まいを交換する形で、正式称号は上皇かなにか知りませんが、「赤坂院」とでも通称して赤坂女院とともにひっそり暮らしていただき、正月の一般参賀の時にでも隅っこにちょいと顔を出していただければいいと私は思っています。「そんなこと、できるわけがない」という方もありますが、それはそうしてほしくない人の意見であり、実際はできると思います。
学生に意見を聞いてみると「温泉めぐりでもしたらいいと思う」

    「家庭菜園で

トマト作ったらいい」と、なんともかわいい意見が出てきました。「かわいい」なんてばかにしたような言い方に聞こえるかもしれませんが、そんなつもりではありません。私の言うこととほとんど同じ趣旨だと思います。新聞社などの世論調査では、天皇の退位を支持する人はとても多いようですが、学生に聞いても同じ結果になります。私は自分の意見を言う前に学生に問いかけることにしているのですが、退位不支持という人はまずいないのが現状です。
天皇というと、お金の心配をすることもなく、おいしいものを食べて、きれいな服を来て、広い家に住んで・・・という、一種の

    セレブ

である、と考えられることもあると思います。ひとつひとつを見ればそれは間違いではないでしょうが、その蔭で天皇はかなり悲惨な歴史を背負っているように思います。政争の具にされたり、戦争の首領にされたり、時には海の底に沈められたり。生活だって、江戸時代の天皇はけっして左うちわというわけにはいかなかったはずです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

天皇の退位(4) 

皇族でも三笠宮崇仁親王の子である寛仁、宜仁、憲仁親王のように、父親の長寿に反するように若くして亡くなる方もあります。しかし一般的に人生がきわめて長くなっているのも事実です。まして最高の医療も保証されている天皇であれば80年どころか90年、100年と生きてもおかしくない時代になっています。それでもやはり老いは必ず来ますから、職務はいつの日かやめるべきだろうと思います。責任の重い立場であればあるほどいつまでも続けてよいものではないはずです。
天皇が位を退いたら

    上皇

になるのか、という話もありますが、これも規定がないのでまだそう決まったものでもないでしょう。「上皇」でも「太皇」でも「院」でも学者にきちんとした称号を考えてもらえばいいと思います(以下、仮に「上皇」と書きます)。天皇の上にいるというよりも、天皇を卒業した存在という意味ですから、あまり気にしなくてもいいように思います。田中曽根内閣じゃあるまいし、事情があって退位する者がまさか

    院政

を敷くわけがありません。そういう力がなくなったからこそ退位したいというわけですから。
政治家たちは、自分と同じように「院政を敷かれたらどうしよう」とか、「自分は辞めても発言力を維持して院政を敷いてやる」とか考えているから疑心暗鬼になるのではないですか。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

天皇の退位(3) 

話がそれますが、かつてアメリカの雑誌が、この1000年の間に世界に影響を与えた100人というのを発表したとき、日本からただひとり選ばれたのは、源頼朝でも、徳川家康でも、伊藤博文でも、天皇ヒロヒトでもありませんでした。ダ・ヴィンチ、エジソン、ニュートン、アインシュタインらとともに、国際的にもっとも影響を与えた日本人と評価されたのは

    葛飾北斎

だったのです。もちろんこれはアメリカの雑誌の見解ですが、結局、政治は泡沫、文化は永遠ということを示しているのではないでしょうか。国というのは文化の総体だと私は思っています。
昭和天皇が亡くなって、平成元年2月に大喪の礼がありました。私はたまたまあの時期に親の住む東京にいたのです。しかもわけあって(けっこうやわらかい「わけ」ですが)深夜まで港区六本木にいた日がありました。その場ではそれなりに盛り上がったのですが、そのあと一気に興ざめしてしまいました。同じ区内にあった家まで帰る途中、

    警官

が至るところにいてとてもいやな雰囲気だったのです。昭和天皇が亡くなったことと、この警官に一体何の関係があるのだとすら思いました。そこまでしないと危険なことが起こるかもしれないというのはわかります。しかし桁外れのお金をかけて、いくら天皇とはいえ、ひとりの人間の葬送をおこなうというのは今の時代には合わないような気がしました。あのとき、六本木のはずれで私は妙な女性に手を取られて、彼女はひそひそとした声でこう言ったのです。「ちょっと休んでいかない?」。そうなんです、彼女たちは居並ぶ警官には目もくれず、日常をこうやって繰り返していたのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

天皇の退位(2) 

「皇室典範」という、なんだかいかめしい名前の法律は、旧来の名称そのままで、中味を改めただけで戦後新たにスタートしてしまいました。いっそのことわかりやすく「皇位継承法」とでもすべきだったと私は思っているのですが、そんなことは今さら言っても仕方がありません。
憲法の中に「皇室典範の定めるところ」という言葉が出てきますので「皇室典範」という名前を改めたら、憲法の該当箇所も改めねばならず、面倒ではあるでしょう。しかし、「皇室典範」は法ではなく、皇室内のうちわのルールだと思っている人はかなり多いはずです。学生に聞いてみると「皇室典範は

    天皇が決める

ものだと思っていた」という者が少なくありません。国会で決めると言うと驚きの声が出るくらいです。
第二次世界大戦後はいろいろなものを変えるチャンスだったのですが、どうしても保守的になってしまうのですね。
はるか大昔に遡って言うのですが、世襲になってしまった時点で、もう天皇には政治の実務など執ることは諦めさせるべきだったとすら思います。はるか大昔、というのは極端でも、少なくとも「象徴」となった戦後は政治的な言動を事実上禁じたわけですから、それならそれで

    文化的な存在

であればいいのだと思います。神事をおこない、和歌を詠み、稲を刈り、人と会い、人をいたわる存在であればいいのだと思います。
思い起こせば28年前のことになります。昭和63年の秋から翌年にかけては、社会にあまり明るい雰囲気がありませんでした。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

天皇の退位(1) 

天皇が、象徴としてはたらきが十分にできないというから退位したいという意向を持っているらしい。そんな報道があり、1か月前の8月8日午後に天皇自身の肉声による国民へのメッセージが録画されたものとして出されました。肉声と言っても私は活字になったものを読んだだけですが、その気持ちはよくわかるような気がします。
平安時代に花山(かざん)天皇という人がいました。この人は十七歳で即位したのですが、そのとき母方の祖父(外祖父)であった藤原伊尹はすでに故人で、外祖父が後見人として重要な位置を占めた時代にあっては

    後ろ盾

が危うかったことになります。かろうじて伊尹の息子が後見していたのですが、まだ経験も浅く、結局天皇は藤原兼家の陰謀によって二年足らずのちに十九歳で皇位を追われ(形の上では自分の意志で出家、退位した)てしまいます。兼家は自分の孫が天皇になる、すなわち自分が外祖父となって強大な権力を握ることを望んでいました。しかも自分はもう50代の後半でいつどうなるか分からないという焦りもあったのでしょう。それにしても、そんなことで天皇の地位を下ろされることがあり得たのです。

    貴族政治

の困ったところです。もっとも今の時代も貴族政治みたいなものですから大差ないのですけれどもね。天皇が生前退位するというのは、当時はむしろ当たり前の事でした。例えば重病になった場合は、仏の加護を得るために出家することが多く、当然天皇は譲位して出家するのです。もちろん簡単に仏は加護してくれませんので、譲位してすぐに亡くなることもありますが。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

すみよっさん(2) 

今は埋め立てなどの理由ですっかり海から離れてしまいましたが、住吉大社は海の神様で、航海の安全を祈ることがおこなわれました。となると、当然、漁民や商人からの信仰を集めることになります。その他、農耕、相撲、和歌などの神としても知られています。
住吉大社が海辺から近かったことは『源氏物語』にもうかがえます。「澪標」巻では、光源氏が住吉に行った時に、偶然明石の御方(明石の君。光源氏と明石で知り合った女性。その後光源氏は都に戻り、明石の君は明石に残って光源氏の子である娘を出産していた)が同じように参詣しようと海路をやってきたのです。舟を岸に着ける時に、源氏の行列の壮麗さを眺める場面があります。
この娘はのちに東宮妃となって、女御から中宮にまで出世し、

    明石の中宮

と呼ばれます。『源氏物語』「若菜下」巻では明石の御方やその母である明石の尼君、そして明石女御(後の中宮)らが明石入道(明石の御方の父)の願ほどきのために光源氏とともにこの住吉にやってくるのです。
かつては光源氏に忘れられるのではないかという不安も抱いたであろう明石の御方も、今はさまざまな願いが達せられて感謝しているのです。明石女御は東宮妃となってすぐに出産し(そのとき数え年の十三歳!)その後も立て続けに子を生んで、不動の地位を確立するに至ります。住吉のご利益たるやすさまじいものがあるようです。そんなことを考えながら住吉大社に行きました。
鳥居が見えてきました。

    『夏祭浪花鑑』

ですね。「碇床」は見当たりませんでした(笑)。それをくぐると目の前には反橋。川端康成に言われるまでもなく、この橋は昇るときよりくだるときのほうがこわいのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

すみよっさん(1) 

清水寺は「きよみずさん」、天満宮は「てんじんさん」など親しみを込めて社寺を呼ぶことがあります.大阪市住之江区の住吉大社はそれでいうと「すみよしさん」ですが、やや訛って「すみよっさん」といわれるようです。
大阪で寺と言えば四天王寺、神社はやはりこの住吉大社が代表ではないでしょうか。毎年正月の初詣参拝者は関西でも代表格です。
先日、別の用があって住吉方面に行ったので、ついでに、というと神様に失礼ですが、神社にも寄ってきました。
午前中は別の用があって西長堀にいたのですが、昼過ぎに

    南海電車

に乗って行きました。南海電車って、いつ以来か思い出せないくらいです。小学生の頃(!)に高野山に行ったのと、和歌山方面に行ったことを覚えているのですが、それ以来ひょっとしたら乗っていないかもしれません。今は関西空港に行くのに使われるのでしょうが、なにしろ京都に行く時ですら散財する感覚である私にとって、海外旅行など夢物語なのです。
和歌山行きの各駅停車で「住吉大社」駅まで。ひとつ用があったので、それを住ませるために神社とは逆方向、海の方に歩きました。海、といっても、今は海が見えるわけではありません。しかし平安時代など住吉大社のすぐ近くまでが海でした。ですからこのあたりには松林があり、和歌にも多く「住吉の松」「住の江の松」が詠まれることになります。

  住の江の松を秋風吹くからに
    声うちそふる沖つ白浪(凡河内躬恒)
  住吉の岸の姫松人ならば
    いく世か経しと問はましものを(読み人知らず)

住吉を絵に描く場合、浜、松、神社の反り橋(太鼓橋)がしばしばセットで描かれます。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

めがね 

私は大学時代までずっと視力は1.5でした。モンゴルの草原育ちではないのですが、ろくに勉強しなかったおかげで視力を維持できたのだろうと思います。大学の恩師もずっと裸眼でした(やがて老眼鏡はかけられましたが)ので、私は特になんとも思っていなかったのですが、まともに本も読んでいないのではないかと疑われていたかもしれません。たしかに、読んでませんでしたけど。
ただ、大学院生の頃からワープロやパソコンを使うようになって、やはり近視になっていきました。それでも眼鏡をかけるほどではなく、文楽もずっと裸眼で見ていました。

    三十代半ば

にして運転免許を取ろうと思って、視力が微妙な状態になっていることが判明したので眼鏡を作ってかけていましたが、それでも自動車学校以外では眼鏡は外して生活していたのです。
今はゲームやパソコンやスマホなどを見続ける生活をする子どもが多いので、学生もたいていが近視です。といっても、めがねをかけている学生は必ずしも多いわけではないのですが、聞いてみるとほとんどがコンタクトだとのことです。コンタクトも昔のようなものではなく、使い捨てというのでしょうか、きわめて手軽なものができているようですね。
卒業生に

    「めがね女子」

を自称している人がいまして、学生の頃はたいていコンタクトでしたが、家ではめがねばかりのようで、たくさん持っているのだそうです。たしか、Facebookに写真を挙げていたはずなのですが、かなりの数、しかもカラフルなものも多かったと記憶しています。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

公開録音(2) 

朝比奈さんの、実況録音とも少し違うレコードの評判がどうだったのか、私は難しいことは分かりません。しかし、ああいう体験をしたことはとても貴重だったと今は思います。
演奏会に行くとブラボー屋、という、曲が終わったら余韻を楽しむことすらしないで「ブラボー!」と声を上げる人がいます。実況録音で何よりも邪魔な存在です。あの日集まった聴衆はそんな人は一人もいない、と思わせる、

    紳士淑女

ばかり(あ、私は除きますが)でした。
話が変わるのですが、ずいぶん以前、NHKテレビで落語の放送があるというので楽しみに観たことがありました。六代目松鶴師匠も出ていらっしゃいました。ところが、これがなんとも間の抜けたものでした。スタジオ録音で、聴衆はゼロ。笑い声も笑顔もないカメラの前で演じられたのです。どうしてこんなことをするのだろう、と思いました。一流の演者だから、

    聴衆がいなくても

いい芸ができるはずだ、という発想なのでしょうか? 最近は公開録音になっていてお客さんが入っていると思います。しかし、文楽はどうでしょうか。この夏の公演で上演された「金壺親父恋達引」が昭和61年に放送された時はスタジオ収録でした。FMで放送される素浄瑠璃もたいていスタジオ録音。人を入れようと思ったら経費もかかるでしょうし、何かと面倒なのは分かります。しかし、こういうところがどうも役人的発想に思えてならないのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

公開録音(1) 

私がクラシック音楽をよく聴いていた頃、日本人の指揮者というと、渡邉曉雄さん、外山雄三さん、岩城宏之さん、小沢征爾さん、秋山和慶さん、尾高忠明さん、井上道義さんなどのお名前が思い浮かびます。今もご活躍の方はいらっしゃいますが、やはり一世代前の感じになってしまいますね。
これらの方々とともに、忘れることができないのは

    朝比奈隆さん

です。もともと法学部出身で阪急に勤められたことがあるという変わった経歴の持ち主のかたですが、関西交響楽団を組織されて、1960年に大フィルに名を変えてからもずっと常任指揮者、音楽監督をなさっていました。
いつごろだったかは忘れましたが、朝比奈隆さんが大阪フィルハーモニー交響楽団とともにブラームスの交響曲全集を作られました。朝比奈さんはブルックナーで有名ですが、ブラームスやベートーベンの交響曲全集も何度か作っていらっしゃるのではないでしょうか。
こういう場合、お客さんを入れずに録音するのが一般的でしょう。雑音が入ったりアクシデントが起こったりする可能性がありますから。一方、

    実況録音版

は、逆にそういう雑音や拍手の音も込みでこそ価値がある、多少のミスがあってもそれもまた醍醐味、という感じで、いかにも臨場感があります。
朝比奈さんはあのとき、神戸のどこだったか忘れたのですが、あるホールで録音することになり、なんと、お客さんを招待したのです。しかし、1階にはいっさい入れず、2階席のみ開放するという形でした。やはり1階にお客さんがいると雑音が入ってしまうのでしょう。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

世間知らずにもほどがある 

大体昔から世間知らずだったのです。
中学校の時に英語の先生がしばらく休まれたので、病気かな、と思っていたのです。久しぶりに来られるらしいと聞いて、もう治ったのかなと思っていたら友だちが「新婚旅行から帰ってきたみたいやな」と言っていました。「え? あの先生、結婚したの?」と聞いたら「知らんかったん? 今ごろ何言うてんねん」と、ひどくバカにされました。実際、誰に聞いても「知っていた」ということでしたので、私だけが

    蚊帳の外

だったようです。一事が万事で、こういうことは珍しいことではなく、いろいろ似たような思い出があるのです。
人の耳は、聞きたくない音は聞かないようにできているようです。だから都会の人でも雑音があまり気にならないで生活できるのでしょう。かつて、田舎者の私が親の住む東京芝公園の家に行ったりすると、目の前を通る首都高速をはじめ、その音のうるささに辟易し、ここの人たちはどんな耳をしてるんだろうと思ったものでした。ところが何日かそこで過ごしているうちに私自身が馴れてしまって、うるさくも何ともなく、私までが

    「都会人」

になってしまうのでした。
それと似たところがあって、私は多分あまり世の中の動きに関心がなくて、特に知りたいと思わない情報は耳が勝手に拒んで、おのずから素通りしていったのだろうと思うのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

素人の浄瑠璃 

私の母方の祖父は義太夫節の稽古をしていました。どなたに習っていたのかはよくわからないのですが、肩衣や袴も作って、当時はいくらでも手に入った床本もかなり持っていたようです。私とは70年以上年が離れていますので、ほとんど記憶にもなく、また、まさか私が文楽愛好家になるとは誰も思っていませんでしたので、祖父のそういう関係の遺産はほとんど灰になってしまったようです。どんな床本を持っていたのか、気にはなるのですが。
昔はそういう

    素人の浄瑠璃語り

がたくさんいらっしゃったわけで、だからこそ、玄人もまた研鑽されたという面があるようです。
怖い素人はいくらでもいらしたようですし、またパトロンとしての役割も果たされたようでしたし。昔の文楽の芸人さんたちはきわめて質素なお住まいで暮らされていたとうかがいます。なにしろ収入がたいしてありませんから、しかたがないのです。今も若い人などあまり稼げなくて奥さんが

    共稼ぎ

をするということも多いようですが、昔よりはさらにひどかったのだとか。越路大夫師匠でも一時期は想像もできないようなお宅にお住まいだったとうかがったことがあります。
ところが、パトロンがつくとかなり違って、大きな家に住まれることもあったそうです。私の祖父は梅田の一等地で小さな印刷会社を経営していたそうですが、それなりにもうかったようで、国鉄の時刻表を印刷していたこともあったとかすかな記憶があるのです。パトロンだったのかな?

にほんブログ村 演劇へ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む