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蛍が池(パートⅡ) 

先日蛍池から刀根山に用があって行ったのですが、なんと、またまた蛍池まで行くことになりました。用件はごく簡単なことでしたのですぐに済んだのですが、せっかくここまできたのだから、と、また悪い癖が出てしまいました。
気になっていたことのひとつはこのあいだ見てきた「蛍池」が間違いなく「蛍池」なのかを確認することでした。すると現場で用があってお目にかかった方が「今、図書館のところで蛍池などの写真を展示していますよ」と教えてくださいましたので早速観に行きました。
間違いありませんでした。昔の蛍池の写真も出ていたのですが、蛍が飛んでいたかどうかは知りませんが、柵もなくて危険かなという感じがしないでもありませんでした。この池はあのあたりの

    灌漑用水

になっていたようです。
もうひとつ、この間ここに書いた記事に金太郎さんがコメントをくださって、阪急蛍池のすぐ近くに個人の家に入るための踏切があるとうかがったのも気になっていました。早速ネットで調べるとすぐに分かりましたので行ってきました。とても大きなお宅です。個人のお宅ですのであまりはっきりとした写真は載せませんが、下の写真の電車の最後尾のあたりがちょうどその踏切です。ひとつ手前(豊中駅寄り)の踏切から撮ったのですが、この二つの踏切はすぐそばにあるのです。踏切越しにこのお宅の御門を拝見しましたが、桁違いに大きな門でした。

蛍池の踏切20161126

これでとりあえず満足したのですが、せっかくここまで来たのだからというわけでこの踏切のすぐ近くにある曹洞宗の

    圓満寺(えんまんじ)

というお寺にも行ってきました。もう少し早ければ紅葉がさらにきれいだっただろうなと後悔しましたが、それでもなかなかのものでした。阪急沿線西国七福神のひとつだそうで、ここは福禄寿。ここでいう西国七福神とは阪急電鉄宝塚線沿線の清荒神、中山寺、呉服神社、瀧安寺、西江寺、萩の寺そして圓満寺なのだそうです。

円満寺20161126
↑円満寺

円満寺の紅葉20161126
↑円満寺の紅葉

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補講の顛末 

今月の初めに休講したことは以前書きましたが、そのあと補講をすることになっていました。誰一人来ないのではないかと思う反面「行きます」を書いてくれた人がいたことに若干の期待をかけて教室に行きました。
すると数人の学生さんがいました。ただ、ほとんどの学生さんは都合が悪いので、授業を先に進めることはできません。これはもうどうしようもないのです。そこで、最初少しだけ私からお話をして、「では場所を入れ替わりましょう」といって、学生さんが、私がいつも座っているパソコン前の席、私が

    学生さんの席

に移動し、それからパソコンによる話し合いが始まったのでした。彼女たちが言いたいことをワードの画面に書いてもらって、それをプロジェクターでスクリーンに映写する形でした。
とてもタイピングのうまい人がいましたので、話は円滑でした。
私の方からは「なぜこの授業を取ろうと思ったのですか?」などという質問を投げかけ、それに答えてもらいました。とても熱心な学生さんなので、答えもわかりやすく、話がどんどん進みました。プライベートなことなので詳しくは書きませんが、

    進路あるいは夢

についてもあれこれ話してくれました。
学生さんからは、「公開講座でどんな話をしているのですか?」「どんな本を書くのですか?」「さっき図書館でお見かけしましたが、分厚い本を持っていらっしゃいました。あれは何ですか?」などなどいろんな質問をもらいました。

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いもうと 

いもうと

私には2歳違いの妹がいるのですが、もう長らく離れて暮らしていて、年に1度会えばいいくらいです。
関東暮らしが性に合うらしく、ずっと向こうにいて離れる気はないみたいです。唯一の娘で末っ子でもあるためか、父親はとにかくかわいかったらしく、かなり長い期間東京で一緒に暮らしていました。
私とはまるで違う

    現代っ子

で、学生時代には親にねだって車を買ってもらい、路上駐車でもしていたのか、大学へも車で通っていました。就職は東京で、親のコネ。父親が某有名化粧品会社の社長と悪い仲間(笑)だったらしく、話を付けてくれたようでした。それにしても妹は世の中をスイスイと渡っていく、ちょっと言葉は悪いですが、末っ子ならではの(?)

    要領の良さ

のようなものがありました。そのかわり、愛敬は抜群で、父親が彼女にはどうにも弱かったのもうなずけるのです。
いくらか仕事をしたあとは、年齢はやや高めでしたが、穏やかな性格のいい相手と結婚して、男女の子どもにも恵まれています。血がつながっていると言っても、冠婚葬祭でもなければ会うこともなく、住まいも離れていますのでどうしているのかよく分かりませんが、今はただ、元気でいてくれればいいと思うばかりです。

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補講 

今月の初めにひどい風邪をひいてしまい、約一週間寝込みました。その結果、休講を三つ。昔なら何も手当てせずに済んだのですが、今は補講をしなければなりません。しかし教養科目であり、しかも出席している学生の所属学科はバラバラ、学年もバラバラ、他大学からの出席者もいる、というわけで、補講するための共通の空き時間(学生が授業のない時間)などあり得ないのです。仕方がないから

    土曜日

にします」などということになるのですが、そんなことをしたら学生はバイトもありますし、そもそも私の授業だけのために土曜日に出てくるなど考えられません。で、結局授業内容を先に進むこともできず補講なんて事実上できないから数人でお話をして終わりなどということになってしまうのです。現場を知らない役所というのはあまりにも形式的で実のないことをさせるものだと思います。
今回も学生に空き時間を聴いてみたらまるで全員が共通して使えるような時間はありませんでした。

    わかりきったこと

とはいえ、むなしくなってしまいました。
結局どうするのか、ということなのですが、比較的多くの学生が空いているという時間に補講を設定して、「来なくてもかまいませんから」ということにせざるを得ないのです。そう言うとたいていは「ラッキー♪」ということで堂々と休んでくれます。もうこれ以上どうしようもありません。

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ハクサイの花 

学生がこんなことを言いました。
「虫が飛ぶを見ると、『あの虫はなぜ飛ぼうと思ったのだろう』と考えてしまいます。私って、変ですか?」と。すると他の学生が「ちっとも変じゃない」「おもしろい」「すてきな感性だ」と声を揃えて彼女をほめるのです。ほめられた本人はビックリ。自分のことを変だと思っていた(というより、いささか悩んでいた)のに、「変なのではなくてユニークで素晴らしい発想だ」と言われたわけですから。「え? 

    私ってすてきなの?」

という気持ちになったのではないでしょうか。
虫は人間とはまったく違ったきっかけで飛ぼうとするのでしょうから、実際は「なぜ飛ぼうと思ったのか」というのは意味のない疑問かも知れません。「思った」ということを前提にしていますが、何も「思っていない」かもしれないからです。小さい子どもが電車や鉛筆やティッシュペーパーにも意思や感情があると思っているのと似たところがあるかも知れません。
しかし、虫を見た瞬間に、その中に

    自分自身

を見る(あるいは投影する)と、たちどころにそれは意思を持ち始めて、飛ぶにしても襲ってくるにしても「虫の本能」では説明できないものを感じ取ることになるのでしょう。機関車や食パンやネズミが活躍するアニメはやはりおもしろいです。
そしてこういうことを言ってくれる学生がいて、それをみんなで聴いて感想を述べ合うというのは私の授業の特徴だろうと思っています。

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蛍が池 

ほんのわずかなことでも気になると調べたくなるのです。もしそれを調べずに何かを書いたりして、あとで間違いだと分かった時には「残念」では済みません。調べられる限りは調べなければならないのです。
考えようによってはとてもささいな疑問をずっと持っていたのですが、ひょっとしたらそれを解決するヒントがあるかもしれない、ということがわかりました。そのヒントを得るためには現場に行く必要があります。幸いさほど遠いところではなく、大阪府豊中市の

    刀根山(とねやま)

というところなのです。阪急電車で行くと蛍池(ほたるがいけ)駅が最寄りになります。この間の日曜日(20日)に、おおよその地図を頭に入れてあとはスマホ片手に出かけました。蛍池駅で降りるなんて、いつ以来だろう、というくらい久しぶりです。
まずは駅にある「付近案内図」をチェック。どうしてもあらかじめ見ていた小さな地図ではわかりにくいですから。ただ、その案内図もあいにく目的地までは書いていなかったので、近くにある、目印になりそうな学校などの位置を頭に入れてとぼとぼと歩いていきました。
このあたりは、昔は「麻田」といっていたようです。阪急の駅名ももともと

    「麻田駅」

が候補になっていたそうですが、なぜか「蛍池」に。なぜなんだろう、なんて考えている場合ではありません。とにかく忘れないうちに目安にしていた小学校まで行かねばなりません。幸いその小学校の近くに「町内案内図」があり、そのおかげである程度先までの見当がつきました。で、ふとその地図の隅っこを見ると池らしきものが描かれていて、そこにはなんと、「蛍ヶ池」と記されているではありませんか!

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金比羅大権現 

文楽錦秋公演には『花上野誉碑』が出ました。今ではもう「志渡寺」しか上演されない演目で、しかもその上演も頻繁ではありません。こういう演目は出た時に観ておかないと次にいつ遭遇できるものか分かりません。私など恐らくこれが今生の見納めですから、しっかり拝見しました。しかし朝一番からこの演目ですか。
司馬芝叟(しば しそう)、筒井半二らの合作になるこの作品は天明八年(1788)江戸の肥前座で初演されたそうです。明和元年(1764)に初演された近松半二、竹本三郎兵衛作の

    『敵討稚物語』

の書き換えだとか。「かたきうちおさなものがたり」と読むようです。
こういう書き換えをするのは浄瑠璃の世界ではよくあることで、『仮名手本忠臣蔵』だって数ある義士ものの集大成という感じで、さらにそのあとも書き換えがあったわけですね。
『仮名手本忠臣蔵』が「義士もの」なら、『花上野誉碑』は

    「金比羅利生記もの」

というのでしょうか。四国讃岐の金比羅さんのご利益で仇討ちができることになります。仇討ちでも、少年によるものは珍しいというので取り上げられ、かなり有名になったものです。この演目での敵役は「森口源太左衛門」ですが「堀口」になっているものもあります。そういうところをすこしずつ替えたりするのですね。

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お茶漬海苔 

ごはんに上に何かを載せて食べるのは本当においしいです。カレーだって、天丼やうな丼などの丼ものだって、ごはんがあればこそ。
そこまでおおげさなものでなくても、ごはんの上にちょっと何かを載せるだけで食慾が増すことがありますし、少し残ったごはんもきれいに最後まで食べてしまうことができるようになります。
納豆をのせるのもいいですね。学生に聞きますと、子どものころ苦手で、おとなになって食べられるようになるものの代表が納豆なのだそうです。私自身、小学校くらいの時は母親が納豆を食べるのを見て、「あんな

    くさいもの

を食べるなんてどういう神経なのだろう」とさえ思ったものです。しかし私もある程度の年齢になると「くさい」どころか美味しくて、今でも仕事場に常置しておいておにぎりと一緒に昼ご飯にしたいと思うくらいです。もちろん、買っておいて、朝、冷蔵庫から取り出して持って行けばいいのですが、すぐに忘れてしまうものですから、仕事場で「納豆、欲しい」と思うことがしばしばです。

    イカナゴの釘煮

などもいいですよね。手軽なものならいわゆる「ふりかけ」があります。お弁当などにかけることもあるのでしょうね。ごはんだけだと昼食にはなりませんが、ふりかけひとつあるとなんだかそれだけでも昼食を食べた気になってしまう(栄養学的に問題はあるとしても)のです。

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近松忌 

旧暦の十一月二十二日は近松門左衛門の命日に当たります。真冬の時期で、とても寒い時期に亡くなったのです。数えの七十二歳。
『曽根崎心中』を書いたのが元禄十六年(1703)で五十一歳ですから、近松の人生の終盤はとても充実していたことになります。うらやましいです。
昔の著名人の命日に法要を行うなどという場合、今の暦に合わせてしまうことが多いので、季節感はかなり食い違います。
近松の墓は兵庫県尼崎市の日蓮宗

    広済寺

にありますが(もうひとつ、大阪市の谷町筋にも残されています)、このお寺では今の暦の11月22日より前の日曜日に近松祭として法要が行われています。
今年は10月23日だったようです。
11月は文楽のみなさんが公演中で、お寺まで来てもらうのが難しいということもあるのでしょうか。今年は10月30日も公演が始まっていましたしね。
まず広済寺で法要が行われ、それに引き続いて墓前祭があり、文楽人形が境内のお墓に焼香することになっています。私も以前写真を撮らせてもらったことがありましたが、そのときは

    吉田文雀師匠

がいらっしゃっていました(今は和生さんがおいでになっています)。
墓前祭のあとは近松記念館で和生さんらによる『曽根崎心中』道行が上演され、さらに地元のみなさんの出演でさまざまな催しがあったようです。記念館は広済寺に隣接しており、さらには近松公園も整備されています。

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2016錦秋公演千秋楽(昨日) 

昨日、文楽錦秋公演が千秋楽となりました。
私はこの期間、あまりネットでの評判を見ることができなかったため、どんな盛り上がりだったのか、あまりよくわかっていません。
意外に(というべきでしょうか?)『勧進帳』の評判がよかったように思えるのですがいかがでしょうか。この演目はいつのまにか

    『鳴響安宅新関』

のタイトルが忘れられていきそうですが、国立劇場はもう『勧進帳』に決めているのでしょうか。歌舞伎があまりにも有名なのでその方がわかりやすいということもあるかもしれませんが、文楽は文楽で『鳴響』のままにしておくのもいいと思うのですけれども。
「志渡寺」がひさしぶりでした。とても激しい三味線の演奏があり、

    二代目豊澤団平

はこの曲を弾きながら舞台で倒れたのでした。清介さんは技術も息も浄瑠璃の解釈もすぐれた方だけに、この演目の三味線にはふさわしい方だと思うのですが、いかがでしたでしょうか。英太夫さんはご尊祖父若太夫師がこの演目を得意にしていらしたとのことですが、いかがだったのでしょう。大阪で「英太夫」として出演されるのも次の初春公演が最後になりますね。

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第33回だしまきの夕べ 

昨夜は文楽劇場に文楽ファンの仲良しメンバーが集結。公演のあと、だしまきの夕べが催されました。
ずっと不調で夜で歩くことが不安なため、私はまた失礼してしまいましたが、みなさまお楽しみになったことと存じます。
次回「だしまき」には皆様にご挨拶したいこともありますので、何としても参加したいと思っております。

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晩秋の音楽 

『源氏物語』の話です。
「若菜下」巻に、光源氏の屋敷である六条院で女性たちによる演奏会が催される場面があります。
紫の上の和琴、女三宮の琴(きん)、明石女御の箏、明石の君の琵琶。まことに見事な演奏で、光源氏は満足、一緒に聴いていた光源氏の息子の夕霧も感心しています。
この日は一月の臥待の夕刻。つまり十九日のことです。

    春の初め

で、今で言うと二月末から三月の初旬くらいにあたるでしょうか。演奏が終わり、月が出てきます。臥待ですからおよそ九時半ころに出た月です。光源氏が息子に話しかけます。「春の朧月はなんとも頼りないものだね。秋はさすがにしみじみとして虫の声と響き合うから音楽にはふさわしいね」。今は春なので、物足りなかったかもしれないね、と息子に問いかけているようです。夕霧は「そうですね、やはり秋の方がいいですね」とは言いません。せっかくのいい雰囲気が壊れてしまうでしょう。しかも彼はお世辞ではなく、

    春が音楽にふさわしい

時節だということをきちんと理屈を通して主張するのです。
「秋の夜は月が隈なくものを照らすため笛や琴の音もはっきりして澄んだように聴こえるかも知れませんが、ことさら作り合わせたような空の様子や花の露なども目移りがして限りがございます。春のたどたどしい霞の間から洩れてくる月影に合わせて吹いた笛の音にはまさるものではないでしょう」。

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ティツィアーノの受胎告知 

先日、文楽第一部からの帰りに何とか行きたいと思っていた美術展にたどりつくことができました。ずっと体調が思わしくなくて美術館に行くような余裕はなかったのです。しかしいくらか歩くくらいならできるようになり、文楽劇場からなら、地下鉄で肥後橋まで行けば10分ほど歩けば済みます。時間的にも1時間は観ることができますので問題ありません。帰りが、梅田まで歩くと20分ほどかかるのでいささか苦痛ではあるのですが・・・。
その美術館とは中之島にある

    国立国際美術館

です。
あたりまえのことですが、私の場合、美術は仕事には入りません。しかし仕事の助けにはなるものです。文化財の保護の話に絡めてさまざまな「受胎告知」の絵について話すことになっていたからです。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の修復と保護の話(すなわち「文化財を守る」ことの重要性と困難の話)をするのですが、そのからみです。
「受胎告知」は多くの画家が描いたテーマです。私もできるだけ観ておきたいと思っているのですが、

    海外の美術館

まで飛んで行くということができないだけに、日本にやってきた時に少しずつ観ておくことにしているのです。

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ネット不通で 

家にあるパソコンは、もっぱらワード、エクセル、パワーポイント、その他写真の編集や整理に使う程度です。それでもかなり活躍してくれて、とてもありがたいです。
ただ、パソコンには他にもさまざまな機能が付いているのに、私がいかにこの四つしか使っていないかがよくわかり、なんだかもったいないような気もします。以前はそれでもあといくつかはよく使っていたのです。ニューズレターも作りましたし、

    索引作り

もしばしばしましたし。今は音声関係の操作をしませんので、それも
みなさんどれくらい使われるものなのでしょうか。
恐らくたいていのかたがこれ以外に使われる機能というとネットということになるでしょう。ただ、私は、今はネットにつなぐ余裕がないので使っていないのです。
それじゃ、メールなんてどうしてるの? ということになるわけですが、仕事場のパソコンを使っているのです。よって、休日は携帯からのみネットにつながっているのです。ところがこの携帯がもう末期的で、なかなか思うように動いてくれません。
グーグルから検索して何かを調べようとしたら途中でプツッと

    切れてしまう

ことがたびたびです。Wikipediaにつなげようものなら、そこから先には動いてくれません。つまりWikipediaで調べたことをさらに詳しく調べようとしても、いったんブラウザを終了させなければならないのです。

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土曜日はだしまき 

文楽11月公演も終盤です。この時期の土曜日は「だしまきの夕べ」がおこなわれるのが恒例です。
私は11月に入ってからの不調が続き、それ以外にも事情があってとても参加できそうにありませんが、みなさまどうぞ多数ご参加くださいますように。
11月19日(土)の第二部終演後です。8時20分ころ終演ですので、そのあと1階ロビーで待ち合わせということになりますね。
大いに盛り上がってくださることを期待しております。

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七五三 

狂言の茂山千作(四世)さんのご本名は「七五三」でした。「しめ」さんですね。
学生から時々聞かれるのが難しい読みの名前です。有名なのでは「四月一日(わたぬき)」さんとか「八月一日(ほづみ)」さんとか。
ある学生は「友人に

    『七五三木』さん

という人がいて『しめぎ』さんと読むのですが、不思議で仕方がありません」と言っていました。
たしかに不思議な感じはします。今はこういうのはネットですぐに調べられるので簡単に説明できるのですが、以前なら姓に関する大きな辞典で調べたりしたものでした。
七五三はすべて奇数ですから縁起がいいです。「注連縄」が七本、五本、三本の縄を垂らすことから「七五三」と書いても「しめ」と読むのでしょうね。
文楽の太夫さんにも「七五三太夫」というかたがいらっしゃいました。やはり「しめたゆう」と読みます。
江戸時代の最後、、文久四年(1864)のお生まれだそうで、

    竹本摂津大掾

門下。せっかく縁起のいいお名前でしたのに、残念ながら四十八歳で亡くなったそうです。このかたは十五歳で太夫になったのだそうで、その関係で「7・5・3」(合計15)を名前にされたようです。

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ぶり返す 

風邪はかなり好転して授業に復帰しました。しかし復帰した週から公開講座が始まり、これまでより2コマ多くの時間お話をしなければならなくなりました。
しかも月曜と火曜に集中しており、2日で5コマあります。
復帰したのが月曜日で、朝の体温が37度。この程度の熱ならもうとても休めません。
しかし、熱よりも体力です。なにしろまともなものを食べていませんので身体がふらついています。真っ直ぐ歩こうにも歩けません。授業をしてみないことには

    喉が開く

かどうかもわかりません。そんなわけで不安いっぱいのまま月曜日の教室に行きましたが、案の定いつもほどの元気は出ないままでした。
翌日は朝から連続3コマ。最初の授業が終わるころにはもうだめかもしれない(笑)という気持ちになりました。2時間目では初めてマイクを使った授業をしました。80人ほどの学生なのですが、普段はマイクなしで問題ないのに、この日だけは自信が持てず、使ってしまいました。
 そして3コマ目が

     公開講座

でした。人数はたいしたことがないのですが、相手は高齢の方が多く、しっかりした声を出さないと聞き取りにくいかもしれません。マイクはもちろん使いませんが、部屋が大きいものですから、声の出し方はゆっくりと、はっきりとがとても大事です。

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風邪といえば風邪でした 

土曜日はもう少し我慢して休もうと思ったのです。熱はまだ37.5度くらいあります。
しかしダメですね。始めてしまうと止まりません。「そんなことしてるとぶり返すよ」と自分を責めるのですが、積み残された仕事量とそれを仕上げて持って行かねばならない期日が目の前であることを考えるともはや自制心も役に立ちません。もう一日パソコンは観るまいと思ったのですが、それもできずに昼まで休んだあとは働いてしまいました。それでもやはり

     仕事の山

は一角が崩れただけ。
咳も減りました。病院に行かなかったのでよくわかりませんでしたが、何だったのでしょうか? 医者は病名を付けないと気が済まないでしょうから何とか言ってくれたのかも知れませんね。最初は喉と熱、次に咳と鼻、最後まで残ったのはいつも通りの咳、そうそう、書かなかったのですが、途中足の筋肉痛もありました。
というわけで、風邪の症状の

    オンパレード

だったということでしょうか。その意味では、まぜと言えばまさに風邪そのものだったのです。総合感冒。
風邪というのは、昔は「風に当たることで引き起こされるさまざまな病気」ということでした。おもに寒気でしょうが、そうとは限りません。風邪をひく、というのは「風を自分の身体の中に引き込む」ということでしょうか。

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風邪じゃなくても 

熱のために食慾がありませんでした。結局火曜日は何も食べていません。水曜日になってやっと少しだけ口にものを入れました。水分だけは摂ったのですが、月=朝食のみ、火=絶食、水=軽食を一度、というわけで、思わぬ形でダイエットしてしまいました。
水曜日も休講して、これでなんとか明日からは仕事ができるかなと思って朝熱を測ってみたら、なんと、

    39.1度

ありました。
はあ? もう症状はないのに、と思ったら、咳が出始めました。鼻も少しつまり気味です。喉の痛みは収まったのに、今度はそっちへいくのかい!
この間の夜の怪異は「娘のしわざ」であることがおそらく間違いないのですが、もうひとつ、私は怪異が起きる可能性を考えています。亡き父親です。命日がいくらか前にあったのですが、私は仕事に追われていて墓参りにも行かず、放置していたのです。あの親父さん、

    怒ってるのかな?

しかし、今年は仕事ということで大目に見てもらうほかはなかったのですから、あとは養生して早く復活することが他人様に迷惑をおかけしないで済む最善の道です。
そう思うことにして、木曜も休みました(祝日出勤のはずでした)。咳がしばらく続き、そのあとくたびれたようになってしばらく眠るという昼間。熱は少し下がりました。ところが寝過ぎたためにこの日の夜はまるで眠れず、結局金曜日の朝は同じようにくたびれていました。

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風邪じゃないかも 

仕事のことばかりで、ひとつ、書き忘れていた事があります。ちょっとした初冬の怪異です。
さすがに夜は熱でうなされていました。すると、背中に何かが触れる感触があったのです。身体を変に動かしているためにふとんがずれているのか? いや、そんなのではありません。規則的に背中を揺するようなものがあるのです。はたと気づきました。私は市民大学で「うはなり打ち」のお話をするつもりでしいたが、そこには『源氏物語』の

    六条御息所

の話が出てくるのです。懐妊で苦しむ葵の上の寝所に霊だけが飛んでいき、葵の上をひきまさぐって苦しめるのです。謡曲「葵の上」にも出てくる有名な場面です。これを謡曲では「うはなり打ち」と呼んでいるのです。懐妊とは似ても似つかぬことながら、私も同じようにうなされている身の上。ひょっとして私を憎んだり妬んだりしている者のしわざなのではないか。早速思い出してみると「あいつか、こちらか、その輩か……」と何人もの顔が思い浮かぶのですが、しかし、この感触、なんだか

    やさしくない?

どちらかというと背中をさすってくれているような気がするんですけど。
さらに私の手を握って「大丈夫、大丈夫」とちょうど子どもに言い聞かせるようにするのです。
こんなにやさしくしてくれるのは誰だろう? と思ったのですが、今度は逆に誰も思い浮かばない(笑)。
これはもう確認せねばならないと思って目を開けると、うっすらとした光の中にいるのは・・・

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風邪らしい 

帰宅して熱を測ったら案の定38度を超えていました。インフルエンザにしては寒気がないし、咳も出ないし。とにかく風邪らしいから早く寝ようとそればかり。喉も痛くて食慾がないので何も食べずに2リットルの水だけ枕元に置いて寝たのです。
翌日は朝1時間目、2時間目が授業、3時間目は市民大学という一般向けの講座。久々に3時間連続で話さなければならない日なのです
いつも通り早起きしたのですが、すぐに「今日はダメだ」と感じました。熱を測ると38.5度くらいあります。相変わらず咳もくしゃみも出ない、鼻づまりもないままで、喉と熱だけなのです。この時点で普通の方なら

    扁桃腺炎

を疑われるかも知れませんが、私はまるで思い当たりませんでした。とにかくそんなことよりその日をどうするのかを考えるのに精一杯。
まずは休講。これはもうやむを得ません。すぐにメールを入れました。学生にはWEBで休講通知が出ますので、多くの学生は朝寝坊してくれると思うのです。
問題は午後の講座です。

    年に一度

の講座で、私は9年連続でお話ししており、中には平安時代の歴史に関心を持って何度もおいでくださる方がいらっしゃるという話も聴いているのです。そういうかたがお一人でもいらっしゃるなら簡単にはサボれません。学生への休講を決めたのですから、午後までに回復すればという色気も少しありました。そこでこちらは少し連絡を遅くして様子を見ることにしたのです。しかし7時ころになっても変化はなし。やっぱりね、ということで断腸の思いを抱きながら中止メールを担当者宛に送りました。

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風邪なのか? 

夏から休みなくアクセル全開でここまでやってきました。あれこれと仕事があって、しかもきちんとこなさないと多くの人に迷惑をおかけするものもあって、サボることが許されませんでした。いや、「許される、許されない」ではなく、せっかく仕事をいただいているのに、サボるなんてもったいないことです。
授業も、学生に迷惑をかけることだけはできませんので(といいながら迷惑だと思いますが)、とにかく時間をかけて調べまくっては授業をしてきました。学生の中には、ごく一部だとは思いますが、真剣に聴いてくれる人がいるので、これまた手を抜くことはできません。
そんなに

    深刻になるほど

仕事しなくていい、というのがどうやら今の仕事場の雰囲気らしいのですが、とんでもない話です。もっとも、私の場合、仕事は学生と社会と自分のためにしているのであって、学園のためではありませんから、寝言だと思っておきますけれども。
それはともかく、自分でもいささか「無理なことをしているな」という自覚、あるいは不安はないわけではなかったのです。それに加えて次第に衰えていく体力、夕方や夜にふらっとプランターを覗きに出る悪癖(?)、そしてとどめを刺すのが急激な

    気温の変化

でした。
10月は割合に暖かな日が多かったのに、終盤になってヒューっと音を立てるように寒さが訪れました。上着をどこに仕舞ったものか分からなくなって、セーターをやっと見つけて着たのですが、それでも足りなかったようです。


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復帰はしたけれど 

休んでいたときの仕事が積みあがっていて、ここ数日身動きが取れない状態です。
体温は37度前後。無理したくないような、多少は無理しないと次の段階にいけないような。
休んでいる間の記事をアップすることすらまだできていません(すでに書いているのですが)。

もう1日 

始動するつもりでしたが、夜、寝られず、朝起きても動こうという気力が出ません。
丸1週間ひどい目に遭った、と昨日書きましたが、今日も含めての「丸1週間」になりそうです。
明日以降、あらためて……。

悲惨な1週間 

何となく平穏無事に生きているようなことを書いたかもしれません。
実は、10月最後の土曜日(29日)から、丸1週間、ひどい目に遭っていました。
連日

    38度

を超える熱を出してしまいました。
最高で39.1度。そんな1週間で、仕事はすべてキャンセル。
3ヶ月以上予習してきた「うはなりうち」のお話もできず。公開講座もドタキャン。
頭を下げるメールばかり書いていました。
今日はまたしんどくてこれ以上書くのは億劫ですが、明日からそのすったもんだを、まあみなさん、聞いとくなはれ。

松方コレクション 

神戸はやはり好きな街です。
何度行っても、大都会の中ではここが最高だと思います。
外国人旧居留地は中でも神戸らしさを感じさせてくれるところで魅力に溢れています。もしビジネスマンになっていたら、三宮あたりに勤めたかったです。
できるだけパソコンを見ない日、私は勝手に

    休眼日

と呼んでいるのですが、そういう日を作ろうと思って、朝から神戸に出かけました。目的は神戸市立博物館の「松方コレクション展」でした。
川崎造船や神戸新聞を作った松方幸次郎のかつてのコレクションを中心とした展覧会で、一人の画家の展覧会でなのも飽きずに観られるので好きです。
「あ、これ、いいな」と思うとやはりコローの絵でした。私はどういうものかコローのタッチが好きなのです。今回は

    マグダレーナ

    疾風

    コローのアトリエ

を観ることができました。マグダレーナは「マグダラのマリア」です。
ほかにも、オーチャードスン「ささやき」、スキップワース「おしゃべり女」、ウィルスン「せラドンとアメリア」、トロワイヨンのいくつかの牛の絵、モネ「ヴェトイユ」、クールベ「眠る草刈り女」、ロートレック「庭に座る女」、歌麿「幌蚊帳」、ピカソ「読書する夫人」など、かなり楽しめました。

神戸市立博物館20161027
↑神戸市立博物館

松方コレクション20161027

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皇室への関心(2) 

さて、学生からの皇室に関する質問なのですが、なかなか回答するのは難しいのです。ネットでちょいちょいと調べただけで答えるわけにもいかず、できるだけ裏付けを取りたいですから、専門家でも何でもない私の場合、図書館で調べざるを得ません。これがかなり時間を食うのです。
学生は、退位の問題のほか、皇族はいかにして生まれてきたのか、どういう一族なのか、歴史的にどういう存在であり続けたのか、彼らの存在が自分たちの生活にどういう関係があるのか、将来皇室はどうあるべきなのかなど、あれこれ関心を持ちます。
もちろんそういう硬めの問題ばかりでなく、皇族のプライベートなこと、たとえば、どこに住んでいるのか、何を食べているのか、友人とはどんな口調で話しているのか、趣味は何なのか、就中、

    恋愛や結婚

にも学生は大きな興味を持っています。そういう関心の持ち方は、ここ数年の学生にとても顕著な傾向だと思います。その理由は、やはり秋篠宮の眞子、佳子両内親王の存在ゆえだろうと思います。同世代女性、同じ大学生(眞子さんは今は大学院生)ということで、同じように授業を受けている、同じような音楽を聴いている、同じように恋愛に関心を持っている、等々、

    親近感

が強いのです。特に佳子内親王は年齢が近く、また彼女は美貌だというので国民的人気もあるようです。
これはとても大事なことだと思います。かつて昭和天皇の娘の貴子さん(現姓島津)が恋愛結婚ブームを助長したと言われますが、皇族の言動はそういう点で我々の生活に直接関わってくることもあります。ファッションも同じことで、どう世代の皇族がどういうものを身につけるかも興味を持って当然だと思います。ただし、実際は皇室ファッションへの関心はさほど大きくないように見受けられ、これは皇族も宮内庁も(報道姿勢の面で)もうちょっと考えてほしいとは思うのですが。

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皇室への関心(1) 

先日、授業で三笠宮家の話をしました。すると偶然にもその翌日、崇仁親王が亡くなり、びっくりしました。
5月に入院されたとき、ダメなのだろうかと案じましたが、その後は持ち直されたようで安心していたのです。100歳という高齢で髪も豊か。昭和が終わったのでしょうか。

この夏、天皇が退位の意志を表明しましたが、実現まではもうしばらくかかりそうです。世論調査を見るかぎり、退位そのものについては、国民の多くは賛成しているようです。しかし、皇室典範の改定をするのか、特例法を定めて今の天皇に限定して退位を認めるようにするのかで意見が分かれています。
私は特例法で早く退位してもらって、引き続き皇室典範について議論し、次期天皇在位のできるだけ早い時期に改定すべきだと思っています。しかし

    先送り大好き

の政治家はそういうことはしないでしょうね。そういうことが目に見えるから一概に「特例法で」と言えなくなってしまうのです。女性天皇の議論もまったく同じで、喉元を過ぎたらもう無視。怠慢だと思います。
この間学生から聞いたのですが、京都の人が「天皇が退位されたらまた京都に住んでほしい。私ら、留守番してたんやから」という意味のことを言っていた(ニュースでインタビューされていたとか)とのことです。天皇も皇后も生まれた時からの関東人ですから、今さら関西に住みたいとは思われないでしょうが、京都に限らず

    関西に来られる

のもいいと思いますけどね。何も政治の中心地にいることはありません。むしろそこからはなれることで、さらに文化的な存在になっていけると思います。文化と言えばやはり京都か奈良がいいと思いますよ。もうマスメディアの話題になることもなく、京都御苑を散策などなさってはいかがでしょうか。どうぞおこしやす。

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こんぴらさん 

四国香川県というと、うどんがあまりにも有名で、私も何度か丸亀や善通寺に行って食べたことがあります。「讃岐」うどんといいますし、県庁所在地は高松市ですから、「香川県」という県名がなかなか思い浮かばないことがあります。最近は県が宣伝のために「うどん県」を名乗ったりもしていますし、さすがにそれを本当の県名と誤ることはありませんが、うっかりすると「高松県」と言ってしまうことがあります。石川県を「金沢県」と言いそうになる(私だけかも)のと同じです。

    「香川県と言えば?」

と尋ねた場合、どういう答えが返ってくるでしょうか。「うどん」を別格とすると、丸亀城? 小豆島? いや、やはり金刀比羅宮(こんぴらさん)ではないでしょうか。金丸座がありますから、歌舞伎好きのかたはよくお出でになるかも知れませんが、私は一度行ったきりです。「こんぴらさん」との出会いは、おそらく多くの方がそうであるように、

    「こんぴらふねふね♪

おいてにほかけてしゅらしゅしゅしゅ」でした。
こういう歌は意味など考えずに覚えてしまうものです。「おいて」も「さんしゅうなかのこおり」も「ぞうずさん」も「だいごんげん」もわかりませんでした。こんぴら丸とでもいうおもちゃの舟を、お池に(!)浮かべていたらしゅらしゅしゅしゅと進んで、ぐるっとまわったら、なんじゃらかんじゃらでだいごんげんというところに着いたのかな、という感じでした(ほとんどわかっていない)。ただ、「こんぴら」という音の魅力はあっという間に感じ取ってしまえるものでした。

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雨を聴く 

織田作之助の小説に「聴雨」があります。
私は将棋が分からないのですが、それでも名前は知っている阪田三吉の話で、南禅寺の決戦ともいわれる、昭和十二年二月の木村義雄八段との対戦にまつわる作品です(このあとさらに花田長太郎八段との天竜寺での対戦もおこなわれ、阪田三吉はいずれも負けている)。
木村八段との対局では、なんでも二手目(阪田の最初の手)に9四歩と指したのが奇想天外な奇手だったとかで(私には何のことかわかりません)、織田作は「九四歩つきといふ

    一手の持つ青春

に、むしろ恍惚としてしまつた」と書いています。
結局阪田は負けたのですが、その勝負からの帰りの車の中でもう一度「端の歩を突いたろ」と思いつき、雨の音を聴いていた、というのが結末なのです。「聴雨」すなわち雨を聴くというのは家の中にいて、あるいはじっと目を閉じて音だけで雨を感じる行為です。雨音は人を自分ひとりの世界に籠らせてくれるものなのでしょうか。
阪田三吉が雨の音を聴いたのは二月でしたが、晩秋の聴雨もまたよく知られています。
唐の詩人で僧でもあった無可上人の詩句に

    雨を聴いて寒更尽き

    門を開けば落葉多し

があります。晩秋の寒い夜、雨音がぱらぱらと聞こえてきます。それをじっと聴いているうちに夜が明け、門をあけると雨の様子はなく、そこには多くの落ち葉が散っていたのです。つまりあの音は雨音ではなく、落葉が屋根に降り注ぐ音だったのです。

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