一年のお礼 

皆様、本年もありがとうございました。
おかげさまでなんとか生きながらえることができました。
皆様方にとってどのような一年でございましたでしょうか。
どうか来年もつつがなく、実りのある年でありますよう、お祈り申し上げます。

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達筆 

先日も書いた「今年の漢字」という催しには、私はあまり関心がありません。これまでどんな漢字が選定されてきたのかも知りませんし、どうやって決めるのかもわかりません。
それでもそういう催しがあることを知っているのは、新聞に必ず写真入りで記事が出るからです。その写真というと清水寺の森清範貫主と、貫主が今まさに書き終えた「今年の漢字」が写っているのです。
注目点は二つです。ひとつはどれくらい

    墨が垂れているか(笑)

ということです。なにしろ除幕方式ではなく、書いているところを写してもらわなければなりませんからカンバス(とはいわないのか)を縦にせざるを得ず、墨がたらたら垂れていきます。それが気になるというかおもしろいというか、そういうわけで注目しています。
もうひとつは森貫主の

    達筆ぶり

です。毎年文楽の初春講演には演目ゆかりのお寺の住職などのお書きになった文字が正面に掲げられています。あれを見ると、住職さんというのはやはり字が上手いことも資質のひとつだろうなと思うのです(ときどき、イマイチという額も掲げられていますが・・・失礼)。写経はされるでしょうし、恐らく子供の頃からお寺の後継ぎになることが決まっている場合は習わされるのではないでしょうか。私の知り合いの住職はまさにそういうかたでした。

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原爆ドーム 

今さら原爆ドームについて書くこともないのですが、先日は世界文化遺産の話のついでに沖縄戦(沖縄のグスクに関連して)と原爆(もちろん原爆ドームに関連して)という具合に、立て続けに戦争の話をしておきました。こういう話は関心を持たないのかな、と思いながら話すのですが、関心がないどころか、とても反応が鋭いのです。
沖縄戦の話の中では

    姫百合学徒隊

のことにも触れました。なにしろ、大半の受講生が看護学科ですので、息づかいが違ってきます。修学旅行などで行った経験のある学生もいますし、中には防空壕の「ガマ」に入る体験をした学生もいます。そのときに「看護師という仕事がどれほど大変で、どれほど尊いものかを感じて、ますます看護師になりたいと思った」という学生もいるのです。
沖縄のグスクは琉球王国の三山の争いの結果、勝利した南山のものだけがきちんと残ったわけですが、その

    首里城

も沖縄戦などで無残な姿になってしまいました。
今は再建されてきれいになっているものの、やはり戦争は文化を破壊するものだということを感じないわけにはいかないのです。
そしてその戦争を「終わらせるため」ということで広島と長崎に落とされた原子爆弾についても悲惨な事情を話しますし、また彼女たちも知っているのです。沖縄に行ったことがなくても、小学校の修学旅行では広島に行くことが多く、そのときに原爆ドームも観たという学生が少なくありません。

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電子カルテ 

あたりまえのことですが、昔の書類は手書きでした。授業に使うプリントや学期末のテストなど、先生たちがガリを切って(この言葉も死語になりつつあるでしょうね)ときどきインクで手を汚しながら印刷していました。
私が仕事をし始めた頃はもうワープロで作っていました(高校の非常勤講師をしていた頃はほかの先生が作ったテストを使ったはず)が、それ以前の先生は大変だったと思います。
書類と言えば、私の大学の合格通知は、私立はきちんとした厚紙に印刷されたものでしたが、国立はなんと

    和文タイプ

で打ったものでした。いかにも手作りで、にじんだインクが受験生の汗と涙のにじみのように見えなくもなかったのです(笑)。
ところが、学生時代にワープロやパソコンに出会っていない世代の人の中には今もなお手書き派という方が少なくありません。私の先輩同僚でも研究室の中にあるパソコンは、メールくらいしか遣い方がわからない、という人もいます。
10年ほど前に通っていた病院が、薬局や会計に送る書類を院内LANで回すことになって、ドクターが突然パソコンを前にして診察することになりました。ところが、京都にある某国立大学の医学部を出たドクターがまるでキーボードに慣れていなくて、すべて

    人差し指

でした。「先生、代わりましょうか?」と言いたくなるような手さばきでした。
最近はさらに「電子カルテ」の時代になっていますので、ドクターたちはもうキーボードなんていやだとは言っていられません。

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本が売れない 


私は学生時代に本ばかり買っていました。あのころ買った本は今も大事に使っているものが大半で、なかなか捨てられずにいます。
当時は国文学科というのが全国に五万とあって、国文学の本を作ればそこそこ売れたのです。もちろん、個人の論文集などは補助を受けたりしながら赤字覚悟で出すのですが、教科書のようなものはよく売れました。恩師のお手伝いである小さな教科書を出版したときも、その

    印税

を研究会の費用にするという目的もあったのです。つまり教科書を作れば赤字どころか印税も入ってきたのです。
私が勤めた短大は国文科だけで1学年700人の学生がいました。かりに自分で教科書を作って学生に買わせていたら毎年500冊売れたとしてもちょっとしたタバコ代(タバコは吸いませんが)くらいかせげていたのだと思います。惜しいことをしました(笑)。
国文学関係の一般書も売れていました。カルチャーセンターでも国文学の講座は必ずありましたし、それもさせてもらえていたらもっとかせげたのだろうと思います。お金に無頓着だったあのころの生活が、今、

    ボディブロー

のように効いてきました(笑)。
それ以後もいくらかの出版に関わってきましたが、小部数のものばかりでお金とは縁がありませんでした。ある本を書いた時は印税分のその本を買い取りました。所詮売れない、もうからない本であることはわかっていましたので、出版社の人が喜んでくれました。

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内職 

年内の授業も終わってひと息つきました。十一月の初めにひどい風邪をひいてしまったものの、それ以外は何とか無事に仕事を納めることができそうです。
新年は2回の授業がありますが、そのころは、学生の皆さんは試験の直前あるいは真っ最中です。
そうなると、私の授業などにはかまっていられません。とんずらして勉強するか、出席や成績が気になるために授業には出ながら、話を聴いているふりをして手元ではひたすら他の科目の勉強をする、いわゆる

    内職

に打ち込むか、ということになりそうです。
もちろん授業をする立場から言いますとやめてもらいたいです。内職するくらいならもう出てこなくていいと思うのですが、学生さんの気持ちはよくわかります。なんと言ってもこの大学の学生さんの場合、資格を取るのが大学に来る一番の目的と言ってもよいわけですから、専門科目第一になるのは当然でしょう。教養科目は

単位さえ取れば

それでいいという考えの人が少なくないはずです。私自身、学生時代に教養科目の中には「これはもう単位だけいただければ何でもいいです」といいたくなるような全く興味がわかない授業がありました。理系の科目でも数学や生物学はおもしろかったのですが、化学は先生がやる気がないみたいで、ただただボーっとしゃべっているだけ、という感じでしたので・・・。

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結球はしなくても 

9月に蒔いたミニハクサイの種ですが、ずいぶん大きくはなったものの、残念ながら結球まではいかないようです。
これはもうひとえに私が悪いので、もう少し、あと10日くらい早く種を蒔いておけばよかったと後悔することしきりです。言い訳をするなら、あのときは暑い上に忙しくて、とてもそこまで気が回らなかったのです。
双葉のころは、こんなのがどこまで大きくなるのだろう、と思いましたが、それなりに成長して、いつしか葉の数は

    三十枚

になんなんとするに至りました。二階に置いているせいか、虫がまったくついていませんので葉はまったく欠けるところもなく、とても瑞々しく深い緑色をしています。
時期が来ると葉が立ち上がるようになって、あのハクサイの形になっていくのだそうですが、どうもその途中で終わってしまうような感じです.真ん中あたりの十枚くらいはかなり葉もかたくなって抱き合っているように見えるのですが、ぎゅっと詰まるところまではいきません。
その外側の

    大きな葉

はしっかり立ち上がるところまでいってくれません。
負け惜しみを申しますなら、別に食べようと思って育てたハクサイではありません。むしろハクサイってどんな具合に成長するのだろう、という、小学校の理科の観察のような気分で見守っていたのです。

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試験をしない 

私は学生に文学や文化の話をしています。特に何かを覚えてもらうということはありません。「教養とは雑多な知識の集積ではなく、さまざまな学問、文化、芸術、社会経験などを通して自分自身を磨くこと」だという信条もあるものですから、磨いてくれさえすればそれでいいのです。
学期末に成績を出すのは学校として「あたりまえ」のことですので、普通なら何か工夫して試験をしなければならないのです。たとえば、私が担当している

    竹取物語

の授業であれば、原文のどこかを取り出して「現代語に直しなさい」とか「この部分のかぐや姫の心情について説明しなさい」とか、そういうことをすればいいわけです。
でも私はそういうことをしたことがありません。
だいたい、1月の終わりに専門科目も教養科目も一気に試験するなんて学生に対して不親切です。一番寒い時期で、学生も朝は眠いでしょうし、うっかり寝坊したらそれで終わりです。若いんだから体力はあるだろう、というのは半分事実で、半分は怪しい言い方です。若いから朝寝坊するってこともあります。また、インフルエンザウイルスもノロウイルスも跋扈している時期ですから、もし罹ったら

    追試験

を受けねばなりません。教養科目ならまた取ればいいか、と、学生の中には諦める人もいるでしょう。どうも試験をする側の都合が優先し過ぎているように感じます。せめて私の科目くらいは単位取得のことは気にせずに授業そのものを味わってほしいという気持ちになります。

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年内授業終了 

先週の金曜日に公開講座の皆様方に年内のお別れを申し上げ、昨日をもって学生の授業も年内は終了となりました。いつも思うのですが、後期は早いです。あっという間です。
新年にも2回授業があるのですが、それはもうおまけのようなもので、私の場合は試験もしませんから、その2回は欠席しても単位取得にはまず問題はないのです。
年内に

    13回

も授業していますので、昔ならこれでもう終わり、という回数です。私の学生の頃は多くて13回でしたから。
それにしても、年明けに2回授業をするのは不思議です。一年で一番寒いころに試験をするというのもおかしな話です。
9月の初めからスタートすれば12月いっぱいで終わるのですが、何か理由があってできないのでしょうかね。12月に授業が終われば、正月はもっとゆっくりできそうに思いますけどね。
1、2、7、8月の4か月は気候から言って授業は休むべきで、2年生以上は

    3月から

授業をしてはいけないものでしょうか。ほんとうのところ、1月に試験をするのは学生にとっても酷な話ですし、教員も休めませんからきついです。
・・・とまあ、ごまめが歯ぎしりをしているわけです。

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プラネタリウム 

学生に博物館の話をすることがありました。京都国立博物館のようなもののほか、歴史博物館、美術館、水族館、動物園なども含めます。最近は博物館といいながら何でも展示するのではなく、企業の宣伝や名産の紹介のための施設など、あるものに特化するところもあります。UCCコーヒー博物館(神戸市)、あずきミュージアム(姫路市)、京菓子資料館(京都市)、コンペイトウミュージアム(八尾市)などがその部類でしょうか。UCCなら、コーヒーに関するものを「いろいろ」集めている、という博物館でしょうね。
今担当している学生は

    食物関係

の学科で、あまり美術や歴史、考古など、博物館によく展示されているものに興味を示してくれません。神戸市立博物館で松方コレクションの展示があった、といっても「それがどうかしましたか?」という顔をしています。そこで前掲のような食に関する博物館(類似施設)を紹介するとわずかに反応があります。
「きれいなもの」を展示するところにも関心はありそうです。

    九州陶磁文化館

の幻想的な写真を見せると顔が上がりました。
興味を引く奥の手として、周囲の観光施設などを紹介することもあります。神戸市立博物館などはこの手を使うことができます。なにしろ旧居留地で洒落たビルや店などが目白押しです。南京町や東遊園地まで含めて紹介すると大阪方面居住の人が多いので「知らなかった」といって喜んでくれることがあります。

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見させていただきました 

私はこのブログでどの政党を支持するとか、どこは嫌いだとか、そういうことは書かないようにしています。
これから書くことも、そういうこととはまったく関係ありません。やむを得ず個人のお名前を出してしまいますが、その方や、その方の政党や、その方の主張に文句を言うつもりではありません。
ロシアの大統領が日本に来たとき日本の総理大臣と会談しましたが、それに対して蓮舫さんという民進党の代表の方が一問一答で新聞記者の質問に答えているのが記事になっていました(私はネットで見ました)。
その中で

「首相に率直にねぎらいをさせていただきたい」
「共同会見を見させていただいた」
「評価させていただきたい」
「しっかり議論させていただきたい」
「NHKを見させていただいた」

などという言葉が連発されています。私はどうもこの「〜させていただきます」の多用が気になってしかたがないのです。
学生が大事な授業を休んだために友だちに「この間の授業のノート、コピーさせてください」というのはきわめて礼儀正しい言い方です。
「~させていただく」というのは原則としては

    相手の許可

が必要なことをしてもらい、しかもそれが自分にとって有益である場合に用いるものです。もちろんそれは原則で、あまりこだわりすぎることもないと思いますが。
教員が学生に向かって「では今日の授業はこれで終わらせていただきます」といったり、会議で議長が『ただいまより会議を始めさせていただきます」と言ったりするのはそういう意味では奇妙な表現です。これらは相手の許可を求めるものではないからです。
その理屈で言うと「年末は二十八日まで営業させていただきます」というのも正しくはないでしょう。「二十八日まで営業致します」でじゅうぶんなのです。しかしこれは「申し訳ございません」という気持ちの表現という意味で言っているのでしょうから、あまり目くじらを立てることはないと私は思っています。

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耕 

清水寺の貫主さんがお書きになるので有名になった「今年の漢字」という「年末恒例」の行事があります。大変失礼とは存じますが、私から見るとそろそろ賞味期限切れではないかと思えます。今年の漢字は「金」だとか。まったく今年を象徴しているようには思えず、無理があるな、としか思えませんでした。
それでも学生は何かと話題にすることもあるようで、ある授業で

  「先生の『今年の漢字』は何ですか?」

と聞かれました。さて、何と答えればいいのでしょうか。「私は『今年の漢字』なんておもしろいと思わないので答えるつもりはありません」などと言ったのではあまりに愛想がないように思います。ここはまあしゃれで、なんとか答えを出さねばなりません。四字熟語なら「臥薪嘗胆」かもしれませんが(笑)、難しすぎますし、なんだかしんどそうですよね。
「苦」「貧」「悩」「虚」「無」・・・など、それに類するマイナスイメージの漢字ならいくらでも思い浮かぶ(笑)のです。でも、せっかく学生が楽しい話をしようと言っているわけですから、ここは少しでも明るさを装わねば(笑)なりません。
で、思いついたのは

    

という字です。この字はなかなかいい字だと思います。
田や畑を耕す。田の土を返す、文字どおり「田返(たがや)す」のです。黙々と仕事をしているようで、とてもいいイメージがあります。農耕というのは人間が自分に都合のいいものだけを栽培するわけですから、植物の自然な生育という点から考えるとかわいそうな面もあるかも知れません。
しかし人間が生きていく上でどうしても欠かせないものであり、植物を慈しみ育てる気持ちは農業をする人にとってはたいてい共通して抱く感情ではないでしょうか。「耕」という字に、土や植物(おもに農作物)への愛情が感じられる所以です。

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2016年12月東京公演千秋楽 

文楽東京公演が、本日、千秋楽を迎えます。
忠臣蔵の通しはかなり大仕事ですが、国立劇場50周年ということで歌舞伎ともども力が入っていました。
これで今年も文楽は幕を下ろし、次は新春の大阪、二月の東京と続きます。二月公演を見たら、なんだかどこかで見たような演目の並ぶ近松名作集とやら。かわり映えがしませんね。どうせ近松特集をするなら、ひとつは珍しいものを取り上げたらどうなのでしょうか。
さて、初春は大阪です。當る酉歳どんな公演になるでしょうか。

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早めの冬休み 

年末ぎりぎりまで仕事場に行って働きたいのですが、図書館などが閉まってしまうのでそういうわけにもいかないのです。
だいたい25日を過ぎるとなんだかんだと理屈があって学校としての機能がストップしてしまいます。
今年は天皇誕生日が金曜日のため、何と、この日から事実上の冬休みになってしまうのです。かなり早いです。しかも私は木曜日が研究日なので、さらに一日早く、

    21日

が年内最後の出勤日になってしまいます。
天皇は退位を希望していますので、二年後くらいには2月に天皇誕生日が移動するでしょうが、そうなるとまた何か理屈をつけて12月23日の祝日を残すのでしょうか。私は「昭和の日」なんていう祝日になんの意味があるのかわからない(多分意味はない)のですが、さらに驚くことに、最近「文化の日」を

    明治の日

にしようという動きがあるそうですね。国会議員諸君、そんなことを考える暇があったらほかの仕事をしなさい、と説教したくなります。
12月23日は天皇の退位をもって祝日から外す、これが当然だと私は考えています。

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年末気分 

いつの間にやら年末です。
しかし私はとんとそんな気分になりません。以前なら忘年会があって年賀状は山ほど書いて……と、それなりの行事があったのですが、忘年会などもう15年くらい参加していませんし、年賀状も激減していますから慌ただしさがないのです。
なんとか年末気分を味わいたいのですが、そのためには

    掃除

をするほかはありません。といっても平日はそんな暇がありませんし、このところ忙しいものですから土日もせいぜい1〜2時間掃除に割くくらいです。
古い家に居候していますので、掃除するところはいくらでもあるのです。私がもっとも力を入れるのは風呂場です。親の趣味で風呂場が広いので、掃除のしがいがあります。
12月に入るとまず小物類を徹底的に磨き上げることからスタートしました。汚れの落ちにくいところは古い歯ブラシを使ってゴシゴシ。
これだけで1回分の掃除時間を使い果たしました。次の週は床や壁磨き。やはり汚れが目立ちます。
どうしてもカビ落しの洗剤を使ってしまいますが、私は呼吸器が弱いものですから、窓を開け放って

    マスク

をしないと危険です。
また、目に入らないようにめがねをかけることも重要です。

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年賀状2017 

みなさん、ご存じではないかも知れませんので明確に申し上げておきますが、私は平成ではなく昭和生まれなのです(ご存じでしたか?)。
昭和の末年にはさすがにパソコンも普及してきましたが、まだまだ各家庭にというレベルではありませんでしたし、電話といえば固定電話と公衆電話でした。
学生はほとんど平成生まれ(中には昭和の人もいるのです)ですから、昭和の話となるとそれだけで

    昔話

という感じになってしまいます。
私が親の世代に「戦争があった」と言われても「それは昔のこと」と思ってしまうのと同じ感覚なのでしょう。日本国有鉄道も専売公社も電電公社も意味が分からないわけです。
天皇の退位問題に絡んで、ある学生が「天皇が今の人以外であるという状況が想像できない」と言っていました。それもよくわかります。私自身、なんとなく

    昭和は永遠に続く

という意識がなかったとはいえませんから。今上が以前は皇太子だったのだ、と言っても、彼女たちは頭では理解できてもイメージがわかないのですね。「平成」がなくなるというのも奇妙な感じになるようです。親が昭和生まれだと子どもは「昭和二世」になるわけです(私の兄の子どもなどは「昭和三世」)が、今後はおそらくせいぜい「二世」どまりで、親と子は産まれたときの元号が違うのが当たり前という時代になってくるでしょう。

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ないないづくし(2) 

それでもその一日が終わるころには何とかその短文を書き終えることができました。
ところで、私は何か書いた場合、しばらくそれを見ないことにしています。そうすることで、たとえば翌日見直すと、欠点があらわなまでによく見えるのです。書いているうちは「これでいいんだ」と自己肯定しながら進めていますので、できあがってしばらくはその文章の味方の立場でしか読むことができません。それで、時間をおくことによって頭を冷やしてから見直すのです。すると今度は、我が文章にあきれかえる、ひっくりかえる。

    かえるづくし

になってしまうのです。
がっかりしながらもやむをえず赤ペンを持ってセルフ添削を始めます。傍目八目といいますが、書いている時にもう一人の自分が「傍目」をもって「それは違うよ」と言ってくれないものかと思います。いつまでたっても成長しないのです。
それでもまあなんとか書き終えて務めは果たしました。
話はそれだけなのですが、そういえばもうひとつ「ないないづくし」があったな、と気がつきましたので書いておきます。
9月に種を蒔いた

    ミニハクサイ

のことです。種を蒔く時期がやや遅かったのでその分成長が遅れ、また気温が下がってきますので成長しきらずに終わってしまう可能性があるのです。

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ないないづくし(1) 

学生からしばしば訊かれることがあります。「語彙が少ないんですけど、どうすればいいですか?」。
私はそういうとき、「言葉を新たに覚えようとするよりも、まず自分の知っている言葉を存分に使えるようにしましょう。『新たな語彙』を増やすよりも

    『使える語彙』

を増やしませんか?」と答えるようにしています。
大学生にもなると言葉はかなり知っているのです。ところがそれを活用できていない。文章を書かせると同じ言葉を繰り返し使う学生が多いのです。たとえばわずか1行あとに同じ言葉が出てくると読む者としては目障りなことがあります。しかしそんなことは意に介することがありません。「その二か所の同じ言葉のうちひとつをあなたの知っている

    別の言葉

に置き換えてみませんか?」と、言って訂正させてみます。たったこれだけのことでも文章がすっきりします。
こんな具合に、何か別の言い方はないだろうか、と考えることで新たな言葉遣いが学べますし、そうすることによって「使える語彙」も増えるのです。
・・・とまあ、えらそうに言っているのですが、学生さんははたしてどう思って聴いているのやら。

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御堂筋を外して 

大阪をまた歩いてきました。と言っても今さらここに書くほどのことのない場所ばかりです。でも書くことがないので書きます(笑)。
午前中、用があって国立文楽劇場の図書室へ行きました。正面入口では脚立に乗って提灯をかけている人がいました。正月近し。
さてお邪魔しようと、以前と違って小ホールの客席側に昇るエレベーターを使うようになっていますので正面入口から入りました。すると、中にはやはり正月の準備なのか、作業する人がたくさんいて、エレベーターが

    閉鎖されている

気配がしました。しかもいつもいる警備の人がいないのです。
開室を確認して行きましたので、困ってしまいました。しかたなく外に出ると、警備員さんがぶらぶらしていましたので(笑)お尋ねしたら、楽屋側のエレベーターから上がってくれとのこと。要するに以前の行き方に戻っていたのです。人の気配のない3階の廊下をとぼとぼ歩いてたどりつき、図書室の方にうかがいましたら、

    作業期間のみ

こうなっていて、また客席側のエレベーターから上がっていただくことになります、とのこと。なんだかややこしいです。ややこしいといえばエレベーター内の案内には「図書室」と書いてあり、HPには「図書閲覧室」とあり、3階の廊下には「閲覧室」と書いてあるのですが、どうなっているのでしょうか。
ともあれ、図書室での目的は無事に果たせました。ここの係の方は代々とにかく丁寧ですから、ありがたいです。

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うはなりうち(7) 

1週間にわたり「うはなりうち」について書いて参りました。
本日はそのまとめです。

「うはなりうち」の歴史を振り返ってみますと、時代によって意味合いが異なっていました。
元の妻が新しい妻を襲うという意味では一貫していますが、平安時代の藤原道長の日記『御堂関白記』を見ますと男性が参加してかなり

    荒っぽく攻撃する

もので、襲撃に加わった道長の家の雑人は道長に逮捕されているようです。そのあとどうなったかは書かれていないのですが、処罰されたと見るのが普通ではないでしょうか。
それが次第にルールのようなものができるようになって、「許すための暴力」へ変化していったように思われます。場合によっては金品の授受で話が付いたこともあるのではないでしょうか。
江戸時代にはすでに「過去のもの」になっていたようですが、それだけにこのどこかなつかしい「うはなりうち」は神事や芸能の素材にもなりました。
『勧進帳』『暫』『外郎売』などで知られる歌舞伎十八番の演目に

    「嫐」(うはなり)

があります。初代、二代の市川団十郎が演じたようですが、その詳細は分かりません。しかし、昭和六十一年に国立劇場で復活されたことがあり、昨年は舞踊劇として市川海老蔵らが上演しました。

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うはなりうち(6) 

『昔々物語』の「相当打」の話はなかなかおもしろいものです。「こなみ」が親類縁者の達者な(元気な、力のある、ということでしょう)女を選抜してチームを結成し、「うはなり」の家に襲いかかるのです。しかし「木刀や棒は危険なのでたいていは竹刀」であったと記されているように、本気で相手を痛めつけようということでもなさそうです。そのいでたちは「括り袴をはいて、たすきをかけ、かぶり物や鉢巻きをして」というとおり、ちょっとしたユニフォームのような感じです。そして

    台所から入って

ものを壊しますが、これも女性の仕事場、あるいは生活の場である台所を破壊するのが主な目的で、やはり相手を傷つける意図はないようです。
そして「適当な頃に、新妻の仲人と侍女郎が元の妻の侍女郎と話した上で帰る」とあるのもおもしろいところです。思う存分暴れて憂さを晴らしたらあとは話し合いをして帰って行くというのでしょう。やっつけるほうもどこか「遊び」の要素が感じられ、やられるほうもある程度は仕方がない、という諦めがうかがえそうに思います。
つまり、喧嘩をして相手を妻の座から引きずり下ろそうというよりは、現状(男がもとの妻を見放して、新しい妻と結婚しているという状況)を認めたうえで、諦め、赦しを前提として、

    赦すための喧嘩

をしているようには見えないでしょうか。
そして最後にもう一つおもしろいことが書かれています。加勢に頼まれる人(女性)というのは何度でも頼まれる、つまりそれだけ腕っ節が強かったり、臆することがない性格であったりする人が「相当打の助っ人ならあの人」という評判をとったのではないでしょうか。七十年ほど前に八十歳ほどであった女性が「若いころに十六度頼まれた」といっていたというのですから、まさに120〜130年前の頃にはこういうことがおこなわれ、評判の助っ人女性はこんなに何度も選抜チームに入っていたということになります。

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うはなりうち(5) 

「こなみ」が「うはなり」を妬む気持ちは『古事記』の時代からあるもので、その後は文学のテーマになることもあり、また平安時代の貴族の日記には実際に起こった「うはなりうち」の記録もありました。
それではその後の「うはなりうち」はやはり同じように続いていったのでしょうか、あるいはなんらかの変化を遂げることになるのでしょうか。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」というと1716年頃に書かれたという

    『葉隠』(はがくれ)

の有名な一節です。この言葉は、武士=切腹のような単純な話ではありませんが、ここではテーマが違いますのでこれ以上のことは書きません。
佐賀藩の山本常朝(やまもとつねとも)の話を田代陣異(つねもと)が筆記したというこの書物の中に、「うはなりうち」が出てくるのです。
「(鍋島)直茂公、最前の御前様、御離別以後うわなり打に折々御出候へども、陽泰院様御とり持ち御丁寧に候ふ故、納得候ひて御帰り候ふ事度々にて候ふよし」(『葉隠』第三)
(鍋島直茂公の前の奥様が離別なさったあと、「うはなりうち」に何度かおいでになったけれども、(新しい奥様である)陽泰院様が、おとりなしがとてもご丁寧ですので、納得してお帰りになることがたびたびであるということです)
佐賀のことですので、どこまで一般化できるかは分かりませんが、江戸時代の奥方でもまだこのような「うはなりうち」があり得たようです。実際どのようなことをしたのかは分かりませんが、やはり暴力に訴えようとしたのでしょう。しかしこのときは新しい奥さん、つまり「うはなり」の

    対応がうまかった

ので事なきを得たという話です。対応がうまかったというのは実際にどのようなことをしたのでしょうか。これはまったくの想像なのですが、ただ単に言葉巧みに切り抜けたということではなく、たとえば金品が贈られるようなことがあったのではないでしょうか。もっと史料を探さないとこれ以上のことはいえないのですが。

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うはなりうち(4) 

一方の葵の上は、出産間近で苦しんでいます。当時はこういう時に生霊、死霊などが産婦を苦しめると考えられており、その霊となるのはたとえば産婦の一家のために没落の憂き目を見た人物などです。その霊を追い払うために僧が招かれ、祈禱をおこないます。そのときには芥子を焚きます。産婦に取り憑いている霊を憑坐(よりまし)というおもに若い女性に乗り移らせ、祈禱して退散させるのです。
今考えると、出産しようという人の近くで僧侶が頭から湯気を出して祈禱なんてされたらうるさくて仕方がない(笑)かもしれませんが、当時はこれが当たり前だったのです。
この時も盛んに祈禱がおこなわれ、多くの霊を追い出したのですが、どうしてもなにものか分からない霊が取り憑いて離れません。僧侶との一騎打ちのようなものです。すると「しばらく祈禱を緩めてください。光源氏の君に

    お話ししたい

ことがあります」と葵の上が言うのです。何だろうと思って光源氏がそばによると、その声は実は葵の上ではありませんでした。もうお分かりだと思いますが、六条御息所の声だったのです。つまりしつこく取り憑いて離れなかった霊は彼女の生霊だったのです。六条御息所が夢に見ていたのは、彼女の魂が遊離して葵の上を襲っていたことだったのです。光源氏はその声の主がわかりました。さすがに愕然としたことでしょう。六条御息所もまた自分の心の内を光源氏に知られることになってしまったのです。
このあと、葵の上は無事に男子(「夕霧」と呼ばれます)を出産します。光源氏はこの時に至って

    はじめて

葵の上を愛しく思い、葵の上もまた若い夫のことを心底から愛する気持ちを抱きます。ところが、まもなく光源氏が内裏に行っている隙に葵の上は急激な胸の苦しみを覚えたかと思うと急逝してしまいます。何とも凄まじい話です。それにしても作者の女性心理の深みを描く筆はすばらしいものだと思います。

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うはなりうち(3) 

フィクションに戻ります。『源氏物語』の女性で、「嫉妬」ということばから最初に思い出されるのは六条御息所ではないでしょうか。しかし『源氏物語』のすばらしいところは、彼女が嫉妬に狂っている様子を面白おかしく読ませるのではなく、彼女自身がその嫉妬に苦しんでいることを鮮やかに描いているところにあるのだと思います。六条御息所は大臣の娘で、東宮に入内して娘を産みました。次に男子を産めばその子は後の東宮さらには天皇にもなる可能性が高いのです。また夫の東宮葉当然次の帝ですから、もしそうなっていたら彼女は「中宮(皇后)」になることは確実で、「国の母」にもなろうという、輝かしい前途が開けているのです。しかし、肝心の東宮が早世してしまいます。そのあと、光源氏と関係を持ちますが、彼女は光源氏より七歳年長だと考えられます。どんどん光の増す若き光源氏に対して、衰えていく自分を感じないわけにはいかないのです。家柄がよく、美貌で、風雅の面では抜きん出ており、字などとても巧みな人です。それだけに

    プライド

も高く、だからこそ苦しまざるを得なくなるのです。
一方、光源氏の妻は光源氏より四歳年長の葵の上という人ですが、この人も大臣の娘で、光源氏の兄である東宮(のちの朱雀院)から入内を求められたこともあるのです。この人もプライドの高い、すましたところのある人で、光源氏はどうにも馴れ親しむ気持ちになれないまま時を過ごし、その結果、光源氏と結婚して十年にもなるのに子どもがいません。
このように六条御息所と葵の上は似通った面が多いのです。
光源氏の正妻は葵の上ということになるのですが、もし葵の上に子どもができず、六条御息所が出産したら、身分があまり変わらないだけに立場は逆転するかも知れません。ところが、葵の上が懐妊するのです(二十六歳のとき)。これは六条御息所にとっては大きな打撃であったはずで、「自分はもう終わりなのか」と鬱屈した気持ちになったのではないでしょうか。内向的な人です。
そんな初夏の頃、まもなく

    葵祭

だというので、京の都はいささか浮き立っています。

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うはなりうち(2) 

昨日書きました漢の高祖と呂后、戚夫人は『源氏物語』の桐壺帝、弘徽殿女御、桐壺更衣になぞらえられることもあります。
『源氏物語』「桐壺」の冒頭は「「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより、我はと思ひ上がりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ」です。「いつの御代のことであったか、女御更衣が多く帝にお仕えしていた中に、さほど高貴な身分という人ではなかったのにすぐれて時めいていらっしゃった方があった。もともと『われこそは』とうぬぼれていらっしゃった女性がたは癪に触る人だと思って軽侮して憎まれるのであった」というのです。この「時めいて」いた人が

    桐壺更衣

則ちこの物語の主人公の光源氏の母親なのです。
嫉妬する「こなみ」たちはたくさんいましたが、その中でも恐ろしいのは弘徽殿女御という人で、この人は右大臣の娘という高貴な家柄の出身でもあり、かなりひどい嫌がらせをしました。それに苦しんだ桐壺更衣は玉のように美しい男の子(光源氏)を産んだものの、やがて若い命を散らすことになります。
平安時代の歴史物語『大鏡』「師輔」にはこんな話があります。
村上天皇の御代に、藤壷には宣燿殿の女御(芳子)、すぐそばの弘徽殿には中宮の安子がいました。安子が中隔ての壁に穴をあけて芳子の姿をのぞいてみると、とても美しい人だったのです。「それであの人は帝の寵愛を受けているのか」と思った安子は「いとど心やましくならせたまひて、穴よりとほるばかりのかはらけの割れして打たせたまひ」(いっそう心がいらいらなさって穴から通るくらいの土器の割れたもので打たせなさって)という行為に出るのです。これも「こなみ」が「うはなり」と妬む様子でしょう。
村上天皇の時代と言うと、『源平盛衰記』(巻一)にこんな話もあります。左近中将兼家という人は北の方を三人持っていたので

    「三妻錐(みつめぎり)」

と異名を取っていました。あるとき、この三人の北の方が同じ場所に居合わせることがありました。すると彼女たちは嫉妬心があらわれて、打ち合い、取っ組み合い、髪をひきむしり、衣を破ったりしました。あまりにもそれが見苦しかったので、当の兼家は「ああ厄介なことだ」といって逃げてしまったのです。北の方が三人と言っていますので、だれが「うはなり」でだれが「こなみ」というわけでもなく、三人ともが相手を妬んでいるのです。それにしてもその様子を見た兼家が面倒がって逃げていくところが何ともリアルで滑稽な男の姿を活写しているといえるのではないでしょうか。

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うはなりうち(1) 

11月1日に吹田市民大学でお話しする予定でありながら私が風邪をひいてしまったため、中止になりました。
受講者の皆様方には失礼をしてしまいました。
今さら意味のないことだとは思いますが、どういうことをお話しするつもりだったかをここにしばらく連載しようと思っています。
この連続講座を受講してくださっている皆様にこのブログのアドレスをお教えして、「もしよろしかったらお読みください」とお伝えできればよかったのですが、それは叶いませんでした。返す返すも残念です。

「うはなり」とは聞き慣れない言葉ですが、平安時代の辞書を調べてみると、『和名抄』には「後妻 和名宇波奈利」とあり、「後妻、日本では『うはなり』という」という意味のことが記されています。そして『伊呂波字類抄』にも「後妻 ウハナリ」とあります。要するに男性が新たに妻を持った場合、その後妻を「うはなり」といったのです。これに対して、もとの妻は「こなみ」といいました。
男性の浮気と女性の嫉妬は今も絶えない(?)問題ですが、特に権力者が一夫多妻を公然とおこなっていた時代は女性の苦しみが大きかったのです。その嫉妬の気持ちを心の中だけにとどめる人もいたのかもしれませんが、あらわに表に出す人もいました。
有名なのは仁徳天皇の皇后であった

    磐姫命(いはのひめのみこと)

で、『古事記』に彼女の嫉妬の様子が描かれています。
「その大后、石之日売命(いはのひめのみこと)、いと多(まね)く嫉妬(うはなりねたみ)したまひき。故、天皇(すめらみこと)の使はせる妾(みめ)は宮のうちにえ臨まず。言立てば、足もあがかに妬みたまひき」
仁徳天皇の后の石之日売命(=磐姫命)はたいそう激しく嫉妬(うはなりねたみ)をなさった。そこで天皇がお使いになっている(天皇にお仕えしている)妾たちは内裏に入ることができなかった。何か(女性関係の)噂が立とうものなら、足で地面を掻くように(足をバタバタさせて)妬まれるのであった。というのです。
仁徳天皇はそれでも女性への関心を捨てることはなく、あるとき美人のほまれ高い吉備(今の岡山県)の

    黒日売(くろひめ)

という女性を都に呼び寄せました。ところが黒日売は磐姫命の嫉妬心に怯えて吉備に帰ろうとしました。天皇は諦めればいいのに、未練がましく「沖には船が連なっている、私の愛しい人が帰っていくのだな」という意味の歌を詠んだため、磐姫命は怒り心頭に発し、使者を出して黒日売に「船で帰ってはならぬ、陸路を歩いて帰れ」と命じたと言います。
そののち、磐姫命が御綱柏(みつなかしわ。その葉を大嘗会の酒器に使う)を採りに紀州に行った隙に仁徳天皇は八田の若郎女という女性を妻にしてしまいました。紀州からの帰路にそれを聞いた磐姫命は大事な御綱柏を投げ捨てて都に帰らなかったのです。

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源氏物語逍遥ーいときなき初元結(その3) 

 ともかくも、その夜、源氏は立派な儀式によって左大臣邸に婿として迎えられます。しかし女君は年少の美少年を前にして「似げなく恥づかし(不似合いで恥ずかしい)」と思います。一方の源氏も藤壷への思慕がやまず、後に葵の上と呼ばれるこの新妻のことは「心にもつかず(気に入らない)」と感じるのです。帚木巻に「あまりうるはしき御ありさまのとけがたく恥づかしげに思ひしづまりたまへる(端正に過ぎてうちとけにくく、こちらが恥ずかしくなるほどとりすましていらっしゃる)」と描かれる葵の上の性格は

    「なつかしさ(親しみやすさ)」

を求める光源氏には合わないものだったのでしょう。
 その後も光源氏は藤壷のいる内裏を好み、かつて母更衣が暮らした桐壺を自分の部屋として居続け、葵の上のいる左大臣の邸には絶え絶えに行く程度なのです。
 ところで、かつて桐壺更衣の実家であった邸はもう主がいません。そこで、帝の命令によってまたとないほど風情豊かに改築、造園され、光源氏が伝領することになります。後に

    二条院

と呼ばれるわが家を見ながら光源氏はこんなことを思います。
  かかるところに、思ふやうならむ人を据ゑて住まば
  やとのみ嘆かしう思しわたる。
  (こういうところに理想的な人を迎えて暮らしたい
  ものだとばかり嘆かしく思い続けていらっしゃる)

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源氏物語逍遥ーいときなき初元結(その2) 

 桐壺更衣亡き後の帝は、かぐや姫に拒まれたあと后妃のところに通わなくなった『竹取物語』の帝よろしく、他の女性では心を満たされることはありません。
 そんなとき、先の帝の皇女が更衣によく似ていると聞かされた帝は入内を申し入れました。皇女の母は弘徽殿女御の意地悪さゆえに躊躇するのですが、その母宮もまもなく亡くなり、心細い身の上となった皇女は入内することになります。「藤壷」と呼ばれます。帝は、なるほど更衣によく似ている藤壷に心動かされ、いつしか心が慰められるのです。食事も摂らず、不死の薬も富士山頂で燃やしてしまった『竹取物語』の帝と違うところで、作者はこの心移りを

    「あはれなるわざなり」

と評しています。所詮弱い人間なのだから、これはこれで仕方がないというのでしょうか。作者の人間観察の鋭さとそれゆえの嘆息が聞こえてきそうです。理想的とすら言えそうな人物が見せる心の弱さをしっかり描くのが『源氏物語』の真骨頂といえるかもしれません。
 光源氏は帝の側を離れないので、しばしば藤壷を垣間見ることになり、

    母の面影

を追うように思慕します。この美しい二人は、世の人によって「光る君」「かかやく日の宮」と呼ばれるようになります。
 
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2016年12月 文楽東京公演初日 

本日、文楽東京公演が初日を迎えます。
『仮名手本忠臣蔵』
の通し。朝から晩までという感じで、演者のみならずお客さんも体力の要る公演になりそうです。
ネットでチケットの販売状況を見てみましたが、昼の部はほぼないですね。夜もよく売れているようです。
本年納めの公演です。技芸員の皆様、お風邪などお召しにならずご健闘くださいますように。

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源氏物語逍遥ーいときなき初元結(その1) 

今年から連載させていただいている『源氏物語』のエッセーも3回目が公になりました。
小さな雑誌ですのでお目に留まることはまずないと思います。そこで今回もここに転載することにしました。

 いかなる武士、仇敵でも、その姿を見ると自然と微笑んでしまう。桐壺帝の若宮(光源氏)はそんな美しい少年に成長して行きます。その美質を表す言葉として「清ら」という語が用いられますが、これは気品があって華麗な一級の美を示す語で、類義語の「清げ」が表面的な美しさを言うのと区別されます。『源氏物語』「浮舟」では浮舟(宇治八宮の娘)の目を通して、薫(光源氏の子。実は柏木と女三宮の密通で産まれた)を「清げ」、匂宮(光源氏の孫)を「清ら」と表現する場面があります。
 そんな光源氏の処遇は桐壺帝にとって難しい問題でした。いかに美しく聡明でも、弘徽殿女御所生の兄宮がいますから、春宮(とうぐう。東宮)にするわけにはいかなかったのです。当時は必ずしも

    長男が後継者

と決まったわけではなく、惟喬、広平、敦康親王も、それぞれ文徳、村上、一条天皇の第一皇子でありながら春宮にならないまま終わりました。しかしそれは母方の後見が弱かったからであり、まるで事情が異なります。光源氏の母の桐壺更衣は亡き大納言の娘で、更衣自身もすでに故人となりました。一方の兄宮は右大臣の娘を母とし、しかも祖父右大臣、母女御ともに健在なのです。
 春宮を決めるときの桐壺帝は、
  御後見すべき人もなく、また世の承け引くまじきこ
  となりければ、なかなか危く思しはばかりて、色に
  も出ださせたまはずなりぬるを
  (後見人となる方もなく、また世間が承知するはず
  もないので、かえって危険だと自重なさって、顔色
  にもお出しにならないままであったので)
という様子で、父としての本音を胸の奥に秘めて、苦渋の決断をおくびにも出さない分別を見せたのでした。

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