河童(3) 

河童を目撃した話として佐藤垢石の「河童酒宴」のことに少し触れましたが、この随筆をもう少し詳しく申しますと、こんな内容です。
釣りのジャーナリストの草分けである垢石(このペンネームは釣り用語です)は河童についても蘊蓄の深い人です。この人は子どもの頃から(!)のんべえで、母親のいない時には父親の幸七と一緒に飲んでいたそうで、そのときに父親から河童の話を聴かされたのです。

    利根川

に鮎を釣りに行っていた幸七が、河原の萱の草むらで河童が集まって宴会をしているのを見つけたというのです。鯉、ナマズ、鮎、フナ、カジカなどを肴にして飲んでいたのですが、たまにはほかのものも食べたいと言い出した河童がいて、それじゃあ猫背の万吉(通称猫万)の買っている小馬を食べようという話になります。幸七はそれを聞いて猫万に伝え、盗まれる前に河童に酒を飲ませ、足腰の立たないようにしたところで一匹捕まえて見せ物に売ればもうかる、というアイデアを出し、猫万も賛成するのです。

    丑三つ

のころに河童が5、6匹やってきたので幸七は馬を連れて行く前に一杯やったらどうだ、と言って一斗の焼酎を与えると連中は酔っぱらうまで飲みます。暗闇の中で幸七は大声で「夜が明けた」と怒鳴り、腰を抜かした河童を捕まえてやろうと思ったのですが、その声に驚いた河童はすべて逃げてしまいました。朝になって河童のいたところを見ると、青い雲形の模様のある当時流行のオイルシルクで作った「レインコート=合羽(かっぱ)」のようなものがあったといいます。それは河童の革だったそうです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

スポンサーサイト

河童(2) 

「酔覚に河童は皿の水を飲み」という川柳が「柳多留」にあります。
この川柳ができた背景には、河童は「酒飲み」である、という考えが潜んでいると思います。飲んだ酒が伏見の「黄桜」(創業は大正時代)だとは思いませんが(笑)、河童が酒宴をしていたのを目撃した話が佐藤垢石の「河童酒宴」に見えます。河童の好物は

    キュウリ

ということになっていますが、ほかにも魚や水草などを好んだようです。川の中にいるのですから当然でしょうね。さらに、しばしば言われるのは馬肉が好き、ということです。馬を川の中に引っぱりこんだという話もあります。
馬の足跡ほどの水たまりがあったら河童が住んでいるとか、厠(トイレ)の肥だめのところから手を出して用を足している人の「シリコダマ」を取るとか言われ、大河に住んでいるとは限らないのです。だからこそ、どこにでも潜んでいる可能性がある、人間とは隣り合わせの世界にいるようなのです。
それだけに、河童は人との関わりも少なくなく、折口信夫「河童の話」が紹介するところでは、

    壱岐の島

の長者原(ちょうじゃばる)というのは河童(あちらの言い方では「があたろ」)を使役していた長者の住んでいたところだと伝わるそうです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

河童(1) 

全国各地に河童(かっぱ)にまつわる話があります。
「河(かわ)童(わらわ)」が訛ってそう呼ばれるようですが、ほかにも「かわたろう」「がたろ」「があたろ」(これらはすべて同じ「川太郎」の読み方の違いによる異称でしょう)、「川立ち男」「川小法師」「川小憎」「河伯(かはく)」「水虎(すいこ)」「かしゃんぼ」などとも呼ばれるようです。「かしゃんぼ」は「火車」に由来すると南方熊楠は言っていて、「かしゃ」は人を取って食うものの総称なのだとか。ちなみに、文楽でもおなじみですが、色茶屋の女房のことを

    「花車(かしゃ)」

といいます。これは「花」=遊女を回す存在、という意味だと説明されることがありますが、人(男)を引っぱりこむという意味で河童と同じく「火車」と言ったものに「花」の字を当てたのだろうと折口信夫は言っています(「河童の話」)。
いずれにせよ、異称が多いということは各地にその存在が伝わっていることの証でもあると思います。
「太郎」「小憎」「小法師」「男」などの文字がついていますので、概して男性のイメージが強いのでしょうが、雌河童の伝えも少なくありません。
河童は、川などに住む

    架空の動物

ということになっていますが、目撃したという話は数多く残っており、捕獲された記録もいろいろあります。今でも河童のミイラのようなものを持っているという人もあるらしく、虚とも実ともこもごもに理解されて不思議に愛される「動物」のようです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

次男坊 

子供の数が減って、次男とか次女、まして三男、三女などは希少価値がある時代です。以前このブログに書いたことがあると思うのですが、次男の私は親戚から養子に欲しいと言われていました。一人っ子だった私の従姉は、私とは親子ほどの年齢差があるのですが、子供がなく、

    後継ぎ

に困っていたそうです。田舎なので、山も畑もあるちょっとした豪農(?)なのですが、一緒に住めといわれたわけでも、農業をするようにいわれたわけでもなく、姓を改めて、墓さえ守ってくれたらそれでいい、という話でした。
ただ、親戚とはいえまったく知らない家で、ほとんど話をしたこともないものですから、私自身あまり乗り気ではなく、そのうちに別の養子の話があって、無事にその家では後継ぎができたのだそうです。
江戸時代の武家、特にさほどの家柄ではない武家では長男こそ跡を継いで何とかやっていけますが、次男以下の男子は、いわゆる

    部屋住み

ということになり、婿養子の口を探すのが一生の大事でした。それもままならない場合はどういう気持ちで人生を送っていたのでしょうか。
新しい創作浄瑠璃を考えているうちに、そんな「次男坊の悲哀」を書いてみたいと思うようになりました。そして、さらに「次男坊の持つ、一種のエレクトラコンプレックス」は描けないものかとも考えました。エレクトラコンプレックスは本来娘の父親への愛情をいうものですが、次男坊にも何かそういうものがあるのではないかと考えたのです。ファザーコンプレックスというと少し違うのかも知れません。
先日それをやっと書き上げて歌舞伎三味線の野澤松也師匠にお送りしました。使えるものかどうか、不安を抱きながらお返事をお待ちしているところです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

墓参 

先週の月曜日(3月20日)は春分の日。彼岸の中日でした。
以前は墓参りなどきちんとする方ではなかったのですが、最近はマメに参っています。
やはり年齢を重ねたことでむこうの世界のことも気になってきたのかもしれません。
車でないと行けないような山の上ですが、そのかわり、見晴らしのよい場所にあります。あいにく昨日は天気があまりよくなかったので残念でしたが。
以前書いた本も、できたときには墓まで持参して供えて感謝したのですが、

     『文楽 六代豊竹呂太夫
              五感のかなたへ』


があたかもその日に発行されましたので、このたびもまた御礼と報告に行きました。
やはり、仕事をさせてもらえるのは先祖のおかげだと思っていますから。
これで、この本は、お送りすべき方には送りましたし、一段落。
あとは読んでくださった方からのご叱正をお待ちするばかりです。

文屋康秀 

「六歌仙」をご存じでしょうか? 古今和歌集の序文に「近き世にその名聞こえたる人」(近い時代に名が知られている人)として挙げられている、在原業平や小野小町ら六人を総称してこのように呼ぶことがあります。
しかしこの六人のすべてが今もよく知られているかというと、そんなことはないのです。『古今和歌集』の序文でも彼らのことを絶賛しているかというとそうでもありません。序文の筆者である紀貫之は「この六人が知られてはいるが、いいところも悪いところもある」と言わんばかりに書いています。たとえば業平なら

     「心あまりて詞たらず」
        (思いがあふれて歌の詞が足りない)

という具合です。
業平と小野小町は美男美女ということで知られていますが、ほかにいくらか知られているのはせいぜい遍昭あたりまででしょうか。古典文学のお好きな方ならともかく、残る文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰(きせん)法師、大友黒主(おおとものくろぬし)はいかがでしょうか。喜撰は『古今和歌集』に一首だけ採られている「世をうじ山と人はいふなり」の歌(『百人一首』にも入っています)で知られているかも知れませんが、この人はどういう経歴で、ほかにどんな歌を詠んだのかなど、よくわかりません。

    文屋康秀

は『古今和歌集』に五首入っていて、「吹くからに秋の草木のしをるれば」の歌は『百人一首』にも採られて有名です。しかしこの「吹くからに」の歌は彼の子の文屋朝康(ふんやのあさやす)の作だという伝えも多いのです。大友黒主は六歌仙で唯一『百人一首』にも採られない人で、知名度もさほどではないでしょう。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

小野小町 

講座の準備を始めています。まずは小野小町から勉強し直して資料を集めています。「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」という、『百人一首』にも採られた歌はよく知られていて、歌人として著名ではあります。しかし彼女の実像はよくわからず、歌もあまりたくさんは残っていません。『小町集』という個人の歌集(「私家集」といいます)があるのですが、これはのちの時代の人が編纂したもので、ほんとうに小町が作った歌かどうかわからないものも多く含んでいます。
そんなわけで、まずは彼女の歌と見てよいだろうと思われる

    『古今和歌集』

の歌を中心に据えます。そして、それ以外の歌も「小町らしいもの」として押さえておきます。
小町は零落したと言われます。だいたい美人は無残な晩年を送るという伝説が起こりやすいもので、小町はその典型だろうと思われます。東北地方に流浪してその地で亡くなったという伝説があり、青森、山形、秋田方面には彼女にまつわる伝承が残っています。
美女の代表が小野小町なら、美男は

    在原業平

ですが、この人が東に下った時に東北に行き、あるところで「しゃれこうべ」をみつけます。土地の人に聞くと、それはこの地で亡くなった小野小町の髑髏だというのです。ほかにも小町についての伝承はいろいろあります。それらを紹介しながら、美人とは、それゆえの伝承とはどういうことなのか、ということも併せて考えてみたいと思います。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

王朝の歌人たち 

新年度、一般の方にお話しする講座を二つ考えなければなりませんでした。ひとつは『源氏物語』で決まっていましたが、もうひとつ、以前このブログで「菅原道真」と取り上げるようなことを書いたのですが、いろいろ考えた結果、あまり興味を持っていただけないかもしれない(漢詩が多いことも理由のひとつです)と思うに至り、変更することにしました。
やや総花的になるのですが、小野小町も在原業平も紀貫之も和泉式部もとにかくさまざまな

    王朝の歌人たち

についてお話しして、平安時代の和歌史を展望してみようと決めました。これでやってみようという方がいらっしゃるかどうかわかりません。しかし、何もしないわけにも行かず、時期も迫っていますので、えいやっ! とばかりにシラバスを作って提出してしまいました。
和歌を読むのはもちろんなのですが、歌人たちがのちの時代にどのように受け止められていたかを探ることも考えており、具体的には本歌取りなどの形で影響を与えたことを考えてみたり、説話などを読んでいかに

    伝説化

されたかを考えたりしてみようと思っています。
たとえば、和泉式部は恋の歌を多く詠み、好色であったかのようにも伝えられています。その結果、どんな説話が生まれたかを調べてみたいのです。
まったく自信はありません。これから相当勉強しなければならないと思われ、いささか焦っています。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

六代 豊竹呂太夫 襲名を祝う会 

3月19日(土)、大阪のホテルニューオータニで、豊竹英太夫改め

     六代 豊竹呂太夫 襲名を祝う会

がありました。
桂南光さんが進行してくださって、とても和気藹々とした会だったそうです。
フェイスブックなどに出席された方々の写真がずいぶん上がっていましたので、私もその雰囲気だけは味わうことができました。
出席者は各界の著名人が多く、さすがに英太夫さんはお知り合いが多いのだな、と感心します。
私は体調不良で、たぶんホテルまでたどり着くことができなかった(笑)と思いますのであきらめたのですが、行かなかったのは正解だったように思うくらいの錚々たる出席者の集まった賑々しい会だったようです。もし行ってたら場違いだっただろうな(笑)、と思いました。
『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』は

    114冊

売れたそうです。
お求めくださいましたみなさま、ありがとうございました。あと100回くらい別の方をお招きしてパーティをしてくださったらベストセラーになったかも(笑)。
本のことはともかく、この慶事を蔭ながらお慶び申し上げることに関しては人後に落ちることはないつもりでした。英太夫さんがますます大きな太夫になられますよう、期待しております。
このあと、東京でもおこなわれ、おそらく英さんの呂太夫としての精進の決意はさらに確固たるものになっただろうと思います。
ひとつ気になるのは襲名公演前の英太夫さんのご多忙のご様子なのです。
肝腎の公演は間もなく始まります。どうかお疲れが出ませんように。

こだわり、そしてお願い 

私はデザインとか色の取り合わせとか、そういうことはまるでわかりません。
そもそも、自分の書く文章についてはともかく、ものごと万端に対するこだわりもあまり強い方ではないと思います。「白鷹」でなければお酒を飲んだ気はしないとか、どこそこのブランドでなければ小物は持たないとか、そういうのは一切ないのです。普段飲むなら(あまり飲みませんが)1升入りの紙パックの800円くらいのお酒でも一向にかまいません。お酒の微妙な味わいなどあまりよくわかっていないのです。身につけるものも、便利でさえあれば、安物でもこだわりは持ちません。
そんな私から見ると、芸術家肌の

    デザイナーさん

というのはたいしたものだと思います。
『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』のデザインについてもいろいろ工夫してくださっていています。カバーや表紙を見ただけでもさすがは老舗出版社の仕事だと思います。
カバー写真は最終的には呂太夫(英太夫)さんの襲名挨拶のものをお借りしていますが、これもずいぶんあれこれ考えた結果だったのです。金屏風を背にした写真ですが、本のカバーとしてはもっとシックにするアイデアもありました。
見本を見せていただいた時に気づかなかったことで、文字どおり

    きらりと光る

のは「Toyotake Rodayu」の金文字でした。背表紙の「文楽」「五感のかなたへ」も金文字です。実物を拝見して「おおお」と声を挙げたくなるくらいでした。見本はメールで送ってもらったものでしたから、金色がそこまできれいには出なかったのです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

刊行されました 

何度も宣伝めいたことを書いて申し訳ございません。
長かったような、短かったような制作の日々が終わり、小著『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』が正式に刊行されました。奥付に記載されている刊行年月日は

    平成29年3月20日

ですが、少し早めに書店には出たと思います。
たまたまその前日(19日)に紀伊国屋書店に文楽友だちの方がお出かけになったらすでに出ていたそうです。
私の手元に届いたのは3月10日で、たまたま編集者さんが「近くまで行くから『できたて』を届けましょうか」と言ってくださり、お言葉に甘えてお持ちいただいたのでした。
私なりに工夫して書いたつもりではあるのですが、なにしろ能力もなく専門家でもありません。まして、

    太夫さんの魅力

を伝えるにはもっともふさわしくない障害を持つ身の上ですから、すぐれた本になったとは到底思えません。ただ、呂太夫(英太夫)さんのお話(先人の思い出、太夫としての人生、義太夫に向き合う姿勢、芸談などなど)を書き留めるということだけはできましたので、関心をお持ちくださる方はどうぞご一読くださいますように。

刊行データ
 書名  『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』
 著者  六代豊竹呂太夫 片山剛
 発行所 株式会社 創元社(541-0047大阪市中央区淡路町4-3-6)
 ISBN  978-4-422-70112-7
 四六判 188mm × 128mm  224頁
 2160円(税込)

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

かっこいい引退(2) 

松香太夫さんは春子師匠が亡くなった後、南部太夫師匠門下になられたと思うのです。
それで、竹本南都太夫さんの結婚式にも出ていらっしゃいました。
実は南都さんの結婚式には私も出していただきましたが、そのとき、咲師匠ご夫妻、咲甫君(まだ10代の少年でした)らと同じテーブルだったのです。そして松香太夫さんも私の真向かいにいらっしゃいました。
スピーチも

    きわめてまじめ

で、周りの人と談笑されるというより、ずっと緊張したような硬い表情をなさっていました。
いかにも松香さんらしく感じました。
松香太夫さんは、本公演では端場とか掛け合いが多かった方でしたが、以前はよくNHKのラジオに出演され、「尼崎」などの大曲も語られました。
下手くそどころか、


    義太夫節の肝要

を押さえたきちんとした語りだったと思います。こういう方がもっと評価されてもいい、と思いました。
『東海道中膝栗毛』では笑わせていただきましたし、「長町裏」の義平次は憎たらしかったです。
同じ春子師匠門下の英太夫さんが襲名される直前の引退、文楽劇場ではなく気楽な会での語りで最後、しかも「雪転し」。
こういう引退もあるのだ、と記憶したいです。
そんなかっこいい引退だと思います。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

かっこいい引退(1) 

この3月をもって、文楽のベテラン、豊竹松香太夫さんが引退されます。
豊竹松太夫(のちの三代竹本春子太夫)に入門されて松香太夫。時にお顔を紅潮させて熱演されるので「まっか太夫」でもいらっしゃいました。
昨日(2017年3月18日)夜、某所で『仮名手本忠臣蔵』九段目の口、「雪転し」を語られたのだそうで(三味線は野澤喜一朗さん)、お聴きになったFacebook友だちの方からその様子を教えていただきました。
何でも、開演前にタバコをプカプカ吸っていらしたそうで、その方は驚かれたそうです。松香さんにうかがうと「春子師匠は酒もたばこもやっていらっしゃいました」とおっしゃったそうで、これまたびっくり。
選ばれた曲が「尼崎」とか「沼津」とか、そんな大曲ではなく「雪転し」というところが松香さんらしくていいな、と思います。
松香さんはとても謙虚な方で、いつだったか、たまたま用のあった文楽協会の部屋でばったりお会いしたとき、「松香さを、この間の◯◯、聴かせていただきましたが、すてきでした」と申し上げたら、照れ笑いされながら「いや、私は下手くそでございますから」とおっしゃったことがあり、お人柄がよくわかりました。なんでも、昨日も「私より若い人の方が上手です」とおっしゃったそうで、松香さんらしいな、と思いました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

女子力 

流行語というのは、昔は滑稽な、ときにはナンセンスなものだったように思います。
案外そういうのは長持ちするもので、おそ松くんのイヤミが放つ

    シェー

なんていうのはよく使われました。
最近は時事的なものが流行語になるのでしょうか。
今なら

    忖度

とか(笑)。
「女子力」というのもちょっと流行りましたよね。
「婚活」との絡みもあるのでしょうか。自炊する学生が「女子力が身についた」と言ったりしますが、そういう使い方が多いのでしょうか。
新年度の「生涯学習論」という授業で話題にしようかと思っています。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

賞味期限 

大学生の末娘は、家計を助けるべくバイトをしています。学生はたいていバイトしていますが、思えば私は親不孝だったなと思います。何しろ家庭教師しかしたことがなく、あとは

    親がかり

でしたから。
もっとも、私はお金をあまり使わないので、家庭教師くらいでじゅうぶんやっていけたのですが。
末娘はあるレストランで働いてるらしく、そこはもともとパン屋から発展したところなので、パンが自慢なのです。
しかし、どうしても余りが出てしまいます。それは翌日に売るわけにはいかず、

    廃棄処分

になります。
それで、時々彼女は貰って帰るのです。
賞味期限は当日。しかし誰も夜には食べず、結局翌日に消費することになります。
私も、時々サンドイッチがあると次の日の昼ご飯にもらっていきます。贅沢な昼ご飯です。
時にはそれでも余り、結局丸一日あとの夕飯に食べたりします。
私自身が賞味期限の切れた人間ですから(笑)、古いパンもなかなかよく似合うのです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

     赤 


     ピンク 

青空文庫の「河童」 

必要があって、「河童」について勉強しています。
といっても文献を総ざらえするほど熱心なやり方ではなく、目に付いたものを詠む程度ですが。
河童と言われて一番に思い出すのは、私の場合は

    芥川龍之介

です。
いつ読んだのかもう記憶にないくらいなのですが、とにかく再読しようと表、青空文庫に入っていますのでそれを利用しました。
青空文庫には岡本綺堂「河童小僧」や佐藤垢石「河童酒宴」もありました。
佐藤 垢石(さとう こうせき。1888~1956)は、エッセイスト、釣りジャーナリストで、河童に関する著作がいくつもあります。
民俗学の成果を無視するわけにはいかないので、柳田国男の

    遠野物語

も再読することにしました。これも青空文庫にあったので助かりました。民俗学というと折口信夫もいます。折口さんには「河童の話」があります。なんと、これも青空文庫に!
プリントアウトして読めば、書き込みができるので本当にありがたいです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

完治しました 

1月半ばに右手首の調子がおかしくなって、ズキズキ痛むようになり、さらには手首も指が曲がらなくなってしまいました。
何をするのも困難で、風呂に入るのがとても面倒でした。
抗菌剤でよくなるから、と言われ、10日間使い続けると、なるほど腫れも痛みもなくなり、指の動きもかなり戻りました。
そして、先日、3月13日に医学的には

    完治

ということになりました。
あとは残っている違和感が消えてくれればいいのですが、これは「日にち薬です」と言われています。
今は、中指と薬指を後ろ側(指をそらすようにする方向)に曲げようとすると痛みがあってじゅうぶん曲がりません。また、手首も内側に曲げるとまだ左手のようには曲がらず、無理をすると痛みがあります。

    握力

はかなり戻りました。
一字は手を握れませんでしたから、握力計で計ったら10kgもなかったのではないかと思います。
今は7~8割の力で握ることができます。
あとは風呂などで暖めながら手首を曲げたりするように、と言われているだけで、もう通院はしません。
医者は説明もきちんとしてくれましたし、無駄なお金を使わされることもなく、誠意のある人でよかったです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

少し歩きました 

ずっと不調で、歩くことがかなり億劫です。
5分歩くといやになってきます。
しかし、確定申告の書類を郵送しようと思って、郵便局までの往復25分を頑張って歩いてきました。
歩き始めて数分でやっぱりやめようかな、と弱気になりましたが、なんとかたどりつき、無事に申告できました。医療費の還付のためですが、喜べばいいのか悲しむべきか、

    10,000円

ちかく戻ってくるはずなのです。
大して税金は払っていませんので、10,000円は相当大きいです。
自宅近くではなく、仕事場からでしたので、途中で

    竹本春子太夫

師匠のお住まいであったところを訪ねてみました。
今はもう優雅な建物も枝垂桜もあとかたもなくなっていて、別の方が豪邸を建てられています。
残念だとは思いますが、時の流れです。
また、途中にある幼稚園ではちょうど卒園式。いや、今は「修了式」というようです。
春は近く、セーター姿で平気でした。
仕事場に戻ると息切れがして、しばらく休憩。なかなか体調はよくなりません・・・。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

創作浄瑠璃を書きました 

春休みの宿題として自らに課していたものは
 ☆呂太夫さんの本をきっちり仕上げること
 ☆『源氏物語』の原稿を書くこと
 ☆創作浄瑠璃をひとつ仕上げること
でした。
ひとつ目は、編集者さんの奮闘で私はあまり必要なかったと思うのですが、いずれにしてもできました。宿題を助けてもらいながらこなした、という感じですね。2月24日が「仕事納め」でした。
二つ目は、誰も助けてくださいませんので(笑)、自分で頑張って書きました。もちろん『源氏物語』の専門家ではない私の場合、先学諸賢の学恩を受けることは甚だしいのですが。これは呂太夫さんの本と並行して書きました。締切が二月末なのですが、提出したのは20日頃だったと思います。
そして三つ目。これがかなりの難題でしたが、意を決して、2月24日の呂太夫さんの仕事が上がってからすぐに書き始め、3月4日にほぼできました。9日間で書いたことになりますが、分量は原稿用紙7枚分。ぐずぐずしているな、といわれそうですが、何度も何度も書き直しや加筆、削除をしますので、時間がかかってしまいます。そもそも、本当に文章を書き始めるまでのストーリーを考える時間が必要ですので、余計に時間がかかります。ストーリーはかなり前から頭の中で整理しつつあったのですが、かなり変更を加えました。
そして6日には

    野澤松也

師匠にお送りしました。師匠が、これなら使える、と思ってくださったら作曲してくださるはずです。
さて、どうなりますことやら。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

リハビリに励んでいます 

蜂窩織炎らしき病気に罹って丸2か月になりました。
内科医は今なお「蜂窩織炎でいいかなぁ?」と疑っていますが、かと言って他に説明のしようがないようです。
右手の親指と小指以外が動かなくなりました。腫れがひどく、痛みもあり、パソコンのキーボードは打てない、マウスは使えない、部屋のカギを開けることもできない、荷物は持てない、手動のドアは開けられない、箸もペンもだめ。風呂に入るのも億劫でした。左利きですのでフォークやスプーンは普段から左で、これはオーケー。
抗菌剤が効いて、少しずつ指が伸びるようになり、五本の指がすべてまっすぐに立つようになったのは発症後1か月ほど経ってからでした。
そるらでも自由にはならず、中指はマウスを使いながらリハビリのように動かしていました。
この記事を書いている時点(3月初め)では発症する前とほとんど変わらないスピードでキーを打つことができるようになりました。
残るのは手首。けれも少しずつ動かすことっかなり曲げられるようになりました。
もうひと息です。

短歌を詠みました 

私は子どもの頃から詩を作るのが苦手で、読むのも得意ではありませんでした。入試問題に詩が出たらどうしよう、と思ったくらいです。
そのくせ、定型詩である俳句、短歌などには興味があって17文字あるいは31文字という一定の器の中に言葉を込めるのが向いていたのかも知れません。
大学生になると、もっぱら短歌で、しばしば

    新聞に投稿

して載せてもらいました。
大学院生の頃は歌人の方とお付き合いもでき、短歌の催しに参加したこともありました。
ところがその後はあまり熱心になれず、いつしか縁遠いものになっていました。
最近、短歌の同人誌から『御堂関白記』(藤原道長の日記)や『源氏物語』について連載することをお許しいただきましたので、短歌の世界にまた引き寄せられることになりました。特に今『源氏物語』を連載している同人誌の主宰の先生からは「あなたも短歌を詠みなさい。載せてあげるから」と勧められていました。
下手なのです。それはかまわないのです。『源氏物語』についてえらそうに書いているのに、短歌は

    からきしダメ

だな、と思われてもいいのです。ではなぜお勧めに従わないのかと申しますと、やはり詠めなくなっているのです、鈍っているのです。言葉が浮かばず、短歌の体をなさないのです。
これではいけない、歌の心を持たずに平安時代の文学なんてわからないじゃないか、と強く反省し、最近になってやっといくつかの「みそひともじ」を詠みました。これをその同人誌に送るべきか、もう少し「リハビリ」をしてからにすべきか、悩んでいるところです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

ピットイン 

今年に入って、いきなり右手のひどい炎症に見舞われたかと思うと、2月の初めあたりからは呼吸が苦しくなり、仕事のペースが落ちました。
あと1か月頑張ればいいのだから、とは思うのですが、次第に歩くのが億劫になり、力仕事もできません。
幸い、私の場合は

    デスクワーク

が基本で、しかもこの時点では文楽劇場に調べに行く必要もなくなり、何とかゴールにたどり着きました。
しかし、次の仕事があります。
まずは

    創作浄瑠璃

をひとつ仕上げること。これは2月末から3月上旬までの10日くらいで一気に書き上げました。
今回は「足洗ひ屋敷」という、江戸本所に伝わる奇談を素材にしたものです。屋根裏から天井を突き破って夜な夜な足が降りて来て「足洗え」と言い、洗ってやると引っ込む、というとんでもない話です。これをどうやって浄瑠璃にするのか?
かなり悩みました。
次は授業の予習、あとは・・・
あ! 確定申告!

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

菅原道真 

日本の古典文学を勉強する者なら、この人について知ることは重要だと思います。漢詩人、歌人としてすぐれた業績を残したばかりでなく、官人としての生涯があまりに劇的であるために伝説が生まれ、神格化され、芝居の主人公にまでなった人です。
申すまでもなく、文楽では

    菅原伝授手習鑑

のタイトルロールです。
ところが私は漢詩が苦手なものですから、つい敬遠してきた人なのです。
この春から、この人について勉強しようかという気持ちが起こっています。「今ごろになって?」といわれそうなのですが、仕方がありません。学生時代にもっとしっかり勉強すべきだったのに、ということはよくわかっていますが、後悔するよりも勉強する方が楽しいですから。
まだ決めたわけではないのですが、一般の方と一緒に道真の生涯、漢詩、和歌、説話などを調べ、さらに

    北野天神縁起絵巻

などを読み解けないだろうかと思っています。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

切手 

昔は切手を集める趣味の人が多かったと思います。私も集めるというのではありませんでしたが、ときどき記念切手を買っていました。記念切手はそう頻繁に出るものではなく、今のようにご当地切手だとかアニメ切手だとかそんなものはありませんでした。切手趣味週間というシリーズで広重の浮世絵のものが出ると割合に買ったと思います。
でもやはり一番思い出に残っているのは

    信貴山縁起絵巻

の護法童子の切手です。信貴山がどこにあるのかも知らなかったはずですし、護法童子などという言葉はまして知る由もありませんでした。ただ、あの不思議な姿は強烈な印象を受けるに十分でした。
高校生くらいになるとあまり興味が湧かず、そのままいつしか普通切手ばかりかって使うようになりました。
最近は私の居住地である宝塚市ならではの切手があり、これはおもに女性に手紙などをお送りする時に使うと喜んでいただけるのです。と言うとお分かりだと思います。

    宝塚歌劇

の切手です。
80円切手もありましたし、82円もあります。収集するのではなく、使うようにしています。
先日、あるかたに大きめの郵便物をお送りしたら、切手代だけでもとおっしゃって、昔の記念切手を送ってくださいました。鳥居清長の浮世絵、文楽人形の首、そして厩図屏風の図柄のものでした。せっかく買っておかれたものなのに申し訳ないのですが、送り返すわけにも行かず、ありがたく頂戴致しました。
是非使わせていただきます。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

参考文献(2) 

多くの先人のご研究や調査の恩恵を受けてきたのですが、英さんの場合はクリスチャンということもありますので

    聖書

もずいぶん読みました。家の勉強机の横に常備し、仕事場でもすぐ後ろの本棚にひとつ。新約聖書だけの簡易版はトイレに(笑)置いていました。もともと聖書は好きでしたし、大学時代には勉強会にも参加しましたし、宗教画が好きですのでそれに絡めて読むことも多いのです。信仰があるわけでもないのに何の抵抗もなく読めたのはそういう経験があったからだと思います。
それ以外にも、ネットで調べられることが多くてありがたかったです。文化デジタルライブラリはもちろんのこと、国立国会図書館、早稲田大学演劇博物館ほかの公開資料には助けられました。たとえば若太夫師匠のお話の中で

    『敵討稚文談』

だとか『迎駕野中の井戸』などという作品が話題になるのですが、さてどんな話なのかわかりません。あらすじくらいは調べればわかるのですが、それでは不十分で、やはり全文を読まねば責任を持って書くことができません。しかしそんな文献はないのです・・・と思いきや、ネット上にこれらの稽古本がすべて掲載されていて、あの独特の字は読みにくいですが(笑)、何とか頑張って読むことができたのです。とてもありがたかったです。
私は専攻する時代がまったく違いますが、文献を大事にする姿勢だけは共通ですから、鍛えてくれた恩師に改めて感謝しています。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

参考文献(1) 

研究者にはいろんなタイプがあって、フィールドワークを主とする方、実験に重きを置く方、そして文献によって勉強する方もあります。私はほとんど文献で、いくらかフィールドの要素が加わるという感じです。実験はありませんが、時々人形で実演はしています(笑)。
私が仕事場の図書館に入り浸っているのはそういう理由からで、文献を重んじる姿勢は学生時代に教え込まれたものです。当然、誰がいつどういう文献でそういうことを言っているかをきちんと整理することも大事で、他人の論文などを盗用することなどあり得ません。

英太夫さんの本を書いている過程で、いろいろな参考文献に目を通しました。何と言っても

    『義太夫年表』

は強い味方でした。初演のことを調べるだけでなく、明治以降の代々の呂太夫について調べる上でも常に参考にしていました。
過去の文楽のプログラムも当然有益でした。先人の書かれた文楽関係の書籍、たとえば三宅周太郎さん、石割松太郎さん、木谷蓬吟さん、安藤鶴夫さん、武智鉄二さん、山口広一さん、吉永孝雄さん、ドナルド・キーンさん、山田庄一さん、高木浩志さんなどなどのご著書にも導かれました。これまでに書かれている技芸員さんの芸談など(山城少掾、八代綱、栄三、文五郎、越路、津、住、五代織、初代玉男、簑助、その他)も大いに参考になりました。小さな公演のプログラムも文楽劇場の図書閲覧室で探して見せていただきました。こういうものは見ているうちに

    「へーっ」

と思うことが次々に出てきて、本来の目的以外のことにばかり目がいってしまう傾向にあり、困ったものでした。昔の写真が出てきたらもうダメです。若き日の住師匠とか、嶋師匠とか。楽しくて楽しくて(笑)。大掃除をしている時に昔の写真が出てきてしばらく見入ってしまうことがありますが、あんな感じです。
歴史を考えるに際しては単に文楽のことだけでなく、地域史とか風俗史とか、社会史とか、経済史とかいろんな観点から文献を探しました。実際に使ったのはごくわずかですが、勉強にはなりました。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

うれしいひなまつり 

あかりをつけましょ、ほんぼりに

という歌のタイトルは「うれしいひなまつり」だそうですが、女の子のお祝いといいながら、実は私は雛人形が好きなのです。
兄の家で、娘、つまり私の姪のために飾られた雛人形を長い時間眺めていたこともありました。
内裏雛、つまり天皇夫妻を頂点に、官女や左右の大臣、仕丁、囃子などを飾るのは、能の楽器が並ぶとはいえ、やはり平安時代の「王朝」のイメージがあります。
それにしても、私は娘に何もしてやらずにここまで来てしまったな、と思います。友だちの家で雛人形を見たこともあるのではないかと思うのですが、羨ましいと思ったかな?
もう彼女たちも二十歳を超えました。もう今さらひなまつりでもあるまいと、かってなことを言いますが、この期に及んで残念な気持ちになります。
3日の夕方、たまたまある場所で小さな雛人形を見ました。
それを見ているうちに、何となく形だけでもひなまつりをしたいな、と思いました。と言っても雛人形を買うわけにはいきませんから、ケーキでごまかしました。
しかも、いかにも幼稚園児くらいが喜びそうな「かわいい」ケーキ。
幸い、幼稚園児のように喜んでくれました。

本を書くということ(8) 

こうして四校が出てきました。もうほとんど問題はありません。あとは索引との整合性、事実が正しく書けているかのチェック、書き落としはないかの確認、文章の体裁の見直しなどです。
索引もなかなか面倒でした。一人で作業しますので間違いを犯す可能性があります。ですから、ざっと作っておいて、しばらく時間を置いて見直すようにしました。五十音順に並べるのはコンピュータの得意技ですから何も問題はないのですが、データを入れるのは私です。何度もチェックしたのですが、まだ何か間違っているのではないかと案じています。
ここまで来ると編集者さんとの

    二人三脚

になります。日によってはメールを何十通も交換してチェック、チェック。とにかく間違いのない本を目指しますから、神経をすり減らしながらの作業です。「ワオーッ」と叫びたくなることもありました。
英太夫さんの前書き、私のあとがきもあります。特にあとがきにいろいろ指摘を受けましたのでかなり練りました。編集者さんからは「もっと思い切って書いてください」と強く言われました。「みなさんの協力で本ができました」という謝辞だけのあとがきではつまらない、ということでした。
案外、一番

    力の入った

文章はこのあとがきかもしれません。こうして二月の半ばに四校をお返しして、さらに五校(最終校)からしろやきが出てからのチェックもして、帯の文の書き方についても相談し、私の作業はすべて終わりました。印刷所のみなさんにはかなりご苦労をおかけしましたが、あとはお任せします。
こうして本作りはまもなく完成を見ます。できあがったものは小さなもので、書店に並ぶのも短い期間。手にとられたとしてもすぐに書棚に戻されたりしてついには返品ということになるかも知れません。
しかし、私としてはもう悔いはないのです。刊行は三月二十日の予定で、すでにアマゾン、紀伊国屋、楽天ブックスなどには案内が出ています。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

本を書くということ(7) 

写真の選定は私の苦手分野です。ところがここに救いの神が現れ、カメラマンとしてもキャリアのある人が無報酬で撮影してくれたり取材に同行してくれたり、写真選定に意見を言ってくれたりしたのです。
また写真は何でもいいのかと言うと、やはり本にする場合はこういう写真はダメなんです、というセオリーがあるそうで、編集者のSさんからいろいろ教わりました。
カバー写真はどうするか、この部分に入れる写真はどれが適当か、この写真は入れた方がいいか、やめようか、などなどこまごまとしたことを相談しました。
やがて

    再校

が出て、もうこれでほとんどできあがったようなものかなと思いました。なんのなんの。まだまだこれからです。季節は移り、年は改まっていました。
Sさんから届いた年賀状には「歴史に残る本を作りましょう」とありました。いくらなんでもそれは無理ですよ、と言っていたのでは著者としては不謹慎です。そうですとも、歴史に残るようにするんです、と気持ちをさらに奮い立たせて作業を進め、三校が出ました。これでもうほとんど書き直しらしい書き直しはなくなります。折しも私は右手に異常が発生し、パソコンが上手く使えなくなりました。また、真冬の厳しさで呼吸もつらくなり、さらには携帯電話までダメになってしまったのです。なんだかもう

     しっちゃかめっちゃか

の状態で追い込みをすることになってしまいました。
今日は何月何日なのかもわからないような日々でした。授業は終わり、成績も出し、雑務は適当にごまかし(笑)。
この半年、朝から晩までよく働きました。
三校を返したあとで、本に出てくる方が亡くなりました。サッカーの岡野俊一郎さんです。岡野さんは英太夫さんの高校の先輩に当たるのでお名前を挙げていました。私も子どもの頃から憧れていた方ですので、ショックでしたが、それはそれとして没年を書き込まねばなりません。ぎりぎりで間に合いました。(続く)

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

本を書くということ(6) 

英さんは忙しいのです。それでなくても公演や稽古、さまざまな催しがあります。それに加えて襲名がらみの忙しさが加わります。例えば記者会見とか写真撮影とか。その合間を縫って編集会議に参加してくださるのです。あるときは約束の時間になってもまだお帰りではありませんでしたが、記者会見が思ったより延びたり、稽古が長引いて遅くなったりということで、これはもう不可抗力です。
英さんをお待ちする間、何をしているかと言うと、奥様に入っていただいて

    チェック作業

をしたりするのです。奥様はとても熱心で細かいことに気がつかれる方で、ほんとうに助かりました。
また私の知人が「こういうことが好きだから」といってゲラ(校正刷り)を読んでくださって「読者の視点」で「こうした方がいい」という意見をズバズバと言ってくれました。
私が気がつかなかったことにルビがあります。ついこんな言葉にルビはいらないだろう、と思ってしまうのです。たとえば

     「竹本住太夫」

の読み方なんてわかりきってるじゃん、と思ってしまうのですが、読者に親切に、ということで、人物にはすべてルビを振り、地名なども極力ルビ付きにしました。
脚注も、とにかくわかりやすく親切に、をモットーに書き換えを何度もしました。(続く)

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう