2017年文楽4月公演千秋楽 

本日、文楽4月公演が千秋楽を迎えます。
楽屋で風邪が流行ったという噂を聞きましたが、つつがなく楽となりましたことをお慶び申し上げます。
みなさま、いかがご覧になりましたでしょうか。
六代豊竹呂太夫襲名披露も一段落。次は東京での披露です。





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授業を訪問する 

先日呂太夫さんの本について話したのは、ある授業から呼ばれたからでした。
普通、授業というのは教員が一人で担当するものですが、そんな硬直した考え方をすることはないと思っています。
実際、こうして他の教員の担当する授業に入れてもらって話をすると、学生もいつもと違った雰囲気になっていくらかでも

    新鮮さ

を感じ取るかもしれません。
昨今、私のような文学系の専門の者は、文学部(あるいは教育学部など)に所属していない限りその専門に関わる話をすることがなかなかできません。それだけに、ほんの短い時間でも専門的なことを(やはりいくらかは噛み砕いて)話すことは私のような教員の立場からしても楽しくやりがいのあるものです。もっとわかりやすくいうと、

    うきうきする

のです。
文系教員の精神衛生(笑)にはあまりよくない昨今の大学事情ですから、こんな機会がたまにはあってもよいものだと思いました。

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看護師の卵たちへ(2) 

編集者さんとデザイナーさんについてもお話をしました。
編集者さんはメリハリがあって、ここは手綱を緩めるとか、ぎゅっと締めるとか、そういうところを心得ていなければできない仕事だとしみじみ感じましたので、そんなことを言ったつもりです。
やはり伝統ある一流の出版社の編集者さんですから、たいしたものです。これはお世辞ではなく、ほんとうにそう思ったのです。
編集者さんは、しかし手綱さばきだけではダメで、筆者の書くものに

    愛情

を持ってくれることも大事だと思います。たとえ下手な文章でも、内容が淡くても、この筆者にはこの人なりのよさがあるという評価をしてくれるかどうかです。それがなければ手綱さばきも通り一遍のものになってしまうのではないかと思います。
編集者さんは、最後の最後にとても優しい言葉をかけてくださいました。

    「いい仕事

をなさいましたね」と。もちろん不十分なものであることは私自身がよくわかっています。しかし私なりに一生懸命書いたものですから、最後にこう言っていただくとすべてが報われたような気持ちになれたのです。
学生は看護師になる人が大半です。
患者さんに「よくがんばりましたね」「もうだいじょうぶですよ」と優しい言葉をかけられるような、温かみのある、人間味のある看護師になってほしいと思っています。そんなメッセージを編集者さんの話をしながらひそかに出したつもりでしたが、きっちりそれを受け止めてくれたようでした。

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看護師の卵たちへ(1) 

先日、機会をいただいて、看護師の卵である看護学科の学生に『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』のお話をさせていただきました。
はっきり言って、学生はほとんど文楽を知りません興味もないという人も多いのです。
それを承知で、さてどういうお話をするか、いろいろ考えてみました。
まずは、弟子と師匠の関係について、呂太夫さんがおっしゃっていたことを紹介しました。

 ★芸というのは「1+1=2」みたいなお勉強やない
 ★義太夫節は神と悪魔が混在してるような鬼気迫るものが身についてこないと


人間を相手にする仕事ですから、看護師さんは心のケアが大事です。この薬を飲ませたら治る、というような「お勉強」のかたまりの看護師さんではやっていけないと考えたようです。
「神と悪魔の混在」という言葉も何か感ずるところがあったようです。
そして、呂太夫さんの最初の師匠の竹本春子太夫師匠がおっしゃったという

 ★お前、わしに頼みにこなあかん。待ってたらあかんのや。お前から『お願いします』というてこんと稽古はでけへんのや

というお言葉。
学生は、受身一辺倒だった勉強を少しでも変えたいと思ってくれたようです。
こういうちょっとした言葉を紹介するだけでも意味がある。そんなことを感じました。

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正誤だけでなく 

仕事で、文部科学省の作っている小学校の学習指導要領を読むことがあります。大体私は役所嫌いで、文部科学省も好きではありません(笑)が、小学校教員になる学生にとっては指針になるものですし、私も見ないわけにはいかないのです。
私の場合は国語科ですが、その指導の目標は次のように書かれています。

  国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、
  伝え合う力を高めるとともに、思考力や想像力及び言語感覚を養い、
  国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。


自分が表現できること、他人の話す(書く)ことを理解することが大事です。そして伝え合う、つまりコミュニケーションの力も大切です。さらに思考力、想像力、言語感覚を養う必要があるのです。
ごもっともでございます。
相手のいうことを理解するという点を、私は今、特に重視しています。「話す」「聞く」「書く」「読む」でいうなら

    「聞く」と「読む」

です。
人の言うことを正確に理解するのはなかなか難しく、私自身もその能力が十分だと思っていません。私だけでなく、多くの人がつい自分の言いたいことを主張するばかりで相手の立場に立たないことがあると思うのです。

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『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』の訂正について 

豊竹英太夫さんが六代呂太夫になられました。その記念の意味も込めて本を作るお手伝いをしましたが、かねてより敬愛する専門家の先生からご指摘をいただきました。
五代目呂太夫さん(以下「先代」と書きます)について書いている部分で133頁なのですが、ポイントは
★先代は6歳から修業を始められた
★先代のご母堂様は女流義太夫であった
★先代のご母堂様は竹本文昇と名乗られた
ということです。
これについて先述の先生から詳しいお教えと資料をいただきました。以下、いただいた資料と先生のお教えをもとに、文楽の何人かの太夫さんに教えていただいたことを含めて私なりに理解したことから書きます。
先代は、お母様が義太夫を群馬では有名だった竹本文蝶師匠(女性)に習っていらっしゃったのですが、小さい頃からその稽古について行かれ、4歳にして文蝶師匠の手ほどきを受けられました。その後東京で竹本綾之助師匠にも習われ、6歳の時に綾之助師匠のご自宅において十代豊竹若太夫師匠に入門し、若子太夫を名乗られたのです。
修業を始められたのを6歳としているのはこの若太夫への入門を指していて、これはこのままでもいいかなと思っています。ただ、その下地として4歳から文蝶師匠に手ほどきを受けられたことは、先代の義太夫人生を考える時には欠かすことのできない重要な事実だと思いますのでここに明記しておきます。
次に、お母様が女流義太夫だったということなのです。これは先代のことが書かれた文楽の資料から拝借した記述だったのですが、いささか不適切だったと思います。「女流義太夫」といってしまうと、プロとして出演したり、弟子を持って指導したりするニュアンスがあるでしょう。しかし、お母様は義太夫の稽古はなさったものの、あくまで素人としての稽古であって、「女流義太夫」という、プロを思わせるような書き方はすべきではなかったと反省しています。
最後にお名前のことなのですが、これも文楽のことが書かれた書物からお借りしたものでしたが、お母様は「文昇」の名は名乗っていらっしゃらなかったのではないかという疑いが濃くなってきました。文昇という名を文蝶師匠のお弟子さんと思われる方が名乗っていらっしゃった事実はあるのです。昭和38年の記録に竹沢文昇という方のお名前があり、また昭和51年の記録では竹本文字栄太夫さんのご尊父様も文昇を名乗っていらっしゃったようです。しかし先代のお母様が名乗っていらっしゃった記録は今のところ見当たりません。また、文蝶師匠の聞き書きが残っているのですが(もちろん先述の先生からいただいた資料です)、そこには先代のことについて触れられた一節があって、お母様と一緒に来られて、お母様より覚えが早かったというエピソードまで書かれていました。文蝶師匠はそこで先代のお母様のことをご本名でおっしゃっています。何らかの芸名のあるお弟子さんというわけではなかったような感じなのです。
よって、名乗られたかどうかはっきりしませんので、これも訂正すべきだと思います。
以上のことから、五代豊竹呂太夫師匠は、

★4歳にして竹本文蝶師匠に義太夫の手ほどきを受け、6歳で豊竹若太夫師匠に入門して若子太夫を名乗られた。
★お母様は義太夫を竹本文蝶師匠に習われたことがあって、稽古には幼い正少年(五代呂太夫)を同伴された。

という形に訂正したいと思っています。

もうひとつ、豊竹呂勢太夫さんなのですが、167頁に略歴を書いています。そこに「群馬県出身」と書いてしまいました。五代目の師匠と混乱してしまったのだと思います。呂勢太夫さんは東京都のご出身です。ご本人にはすでにお詫びしましたが、皆様方にもお詫びして訂正致します。

これはまったく私個人の責任によるミスで、六代呂太夫師匠はもちろん、出版社にも責任のないことです。すでに公刊されたものですので回収して刷り直すこともできません。できるかぎりSNSなどを通してこのブログ記事をご覧いただくようにしてお詫びと訂正のお願いをしたいと思っています。

説話の中の歌人(4) 

こうして説話の中の歌人を書き続けていくときりがないくらいですので、もうひとりだけご紹介しておきます。
私も大好きな歌人である和泉式部です。『百人一首』には「あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな」が入っていますが、ほかに「黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり」「もの思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」などあまたの名作を残しています。
『古今著聞集』巻第五(和歌第六)に「和泉式部田刈る童に襖を借る事、ならびに同童式部に歌を贈ること」という話があります。
和泉式部が稲荷(京都伏見)に参詣した時、田中明神(京都市下京区の田中神社)のあたりで時雨に遭い、

    田を刈っていた童

に「あを(襖)」を借りて参詣しました「襖」は上に着る袷の類です。そして参詣からの帰りに返したのですが、その翌日、童が手紙を持ってきました。「時雨する稲荷の山のもみぢ葉はあをかりしより思ひそめてき」(時雨の降る稲荷の山の紅葉は青葉の頃から紅葉することを思っていますが、私はあなたが襖を借りたときから思い慕うようになったのです。「あをかりし」は「青かりし」「襖借りし」を掛ける)とありました。すると和泉式部は「あはれと思ひてこの童を呼びて『奥へ』といひて呼び入れけるとなむ」という行為に出たのです。奥へ入れてどうしたとは書いていませんが、書かなくても

    好色な

和泉式部なのだから童の思いを叶えてやったのだということがわかるのでしょう。

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第35回だしまきの夕べ 

昨夜、文楽第二部終演後に大阪日本橋文楽劇場そばの季節料理の店

    両輪 (りょうわ)

で、文楽ファンの集いである「だしまきの夕べ」がおこなわれました。
私は1年ぶりくらいにお邪魔しました。
みなさまとても楽しそうで、素晴らしい会になりました。
やたけたの熊実行委員長の進行でお話が弾みました。お店の女将さんがいらっしゃいませんので、雑用はセルフサービス。みなさん、自分の店のように働いてくださいました。

上演過多とも言われる『曽根崎』、久しぶりの『楠』、そして六代呂太夫襲名披露狂言の『菅原伝授手習鑑』のことなど、どんなお話になったのでしょうか?

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説話の中の歌人(3) 

貫之だけではありません。さまざまな歌人が説話の中に登場します。
『古今和歌集』の歌人で説話がやがて能になる、という意味で同じ経過を辿るものに小野小町の話があります。能の『通小町』はこんな話でした。小野小町の霊が僧の弔いを得た上、受戒しようとすると深草少将の霊がそれを妨げます。少将の霊は「あなたひとりが成仏して私は三途の川に沈んでしまうだろう」と言い、なおも受戒を妨害します。小町の霊がどうしても受戒すると言うと、少将の霊は「自分は煩悩の犬となってあなたにとりついて離れるまい」とまで言います。少将の霊は自分の身の上を明かし、二人は僧の前で

    百夜通い

のありさまを見せます。百日目、小町との祝儀の酒を仏の戒めならやめようという少将の思いが悟りの道に通じて、ついにふたりは成仏することができます。
この話の下地には歌学書の『奥義抄』などに見える「百夜通い」の伝承があるわけです。『卒都婆小町』にも「百夜通い」の話が出てきます。
小町の伝承は能の世界では好んで用いられ、『関寺小町』『鸚鵡小町』『草子洗小町』などがありますが、これらには小野小町が、三河掾になった文屋康秀に誘われた時「誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」と詠んだ(『古今和歌集』)ことを素材にしています。
小町は

    美人

で知られますが、美人ほど老いると零落するというのが常で、彼女は晩年奥州で暮らして、亡くなったあとはその髑髏が野ざらしになっていることになります。

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説話の中の歌人(2) 

説話には霊験譚というものがあります。観音様は現世のご利益を与えてくださるというので、庶民に愛されました。清水寺の本尊は十一面観音ですから、ここにもさまざまな霊験譚があるのです。
京に住む貧しい女が熱心に清水寺に参詣をし続けました。それでも貧しさに悲運まで重なるありさまで、とうとう観音に向かって恨み言を言うのです。そのまま居眠りをしたところ、夢に現れた人が

    御帳の帷子

をたたんで女の前に置いたところで夢が覚めます。しかしそんなものは役に立たないので放置していると、また夢の中で「ありがたくいただきなさい」と言われます。女がこの御帳を着物に仕立てて着ると、いろいろな人からものをもらうようになり、頼み事も引き受けてもらえるようになり、すばらしい男性と巡り会って幸せで豊かな生活をすることになります。
こういう話がいろいろあるのです。
和歌に関する説話にも神仏とかかわるものがあります。『古今和歌集』撰者の

    紀貫之

が紀伊国から都に帰る途次、和泉国でにわかに馬が動かなくなります。それは蟻通(ありどおし)の神のしわざだというので「かき曇りあやめもしらぬ大空にありとほしをば思ふべしやは」(かき曇ってよくわからない大空に星があると思うことができるでしょうか。事情をよく知らない私がここに蟻通の神がいらっしゃるとどうして知ることができるでしょうか。「ありとほし」は「蟻通」と「ありと星」を掛ける)と詠むと馬が歩き出したという話があります。

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説話の中の歌人(1) 

説話文学と呼ばれるジャンルがあります。平安時代後期に編まれた『今昔物語集』を筆頭に、『宇治拾遺物語』『十訓抄』『古今著聞集』『沙石集』『古本説話集』『江談抄』『撰集抄』『雑談集』『古事談』『宝物集』などなど。『宝物集』は鬼界が島に流されて、のちに赦免されて都に戻った平康頼の作と言われています。あの『平家女護島』にも登場する、あの人です。
説話文学は、「事実」や「事実と言われていることがら」をもとにして描かれた文学作品の類です。とはいえ、日記文学、歴史物語、軍記物語などとはさまざまな面で異なります。形態上の目立った違いとしては、ひとつひとつの作品がもっぱら短編で、

    あっという間に終わる

ものが基本であることが挙げられます。それら短編の話を集積したものが説話集としての大きな姿を見せます。
「事実と言われていることがら」といいましたが、口承が下地にあって、それを文字化したものもあります。『十訓抄』のように文字どおり教訓的なものもありますし、『宇治拾遺物語』のように昔話風のものを多く持つものもあります。

    芥川龍之介

が説話をもとに『芋粥』『羅生門』『龍』『鼻』『六の宮の姫君』『藪の中』『偸盗』『道祖問答』『好色』などの名作を書いたことは今さら申すまでもないことでしょう。芥川はさすがに慧眼というべきで、このジャンルの作品の中に人間の本質や弱さを見て現代の文学に再生させました。私も決して読書家ではなかった子どもの頃に唯一おもしろいと思った作家が芥川で、今なお大きな魅力を感じる人です。

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讃岐の道真 

私はうどんが大好きで、昼によく作っては食べています。
うどんといえば讃岐ということになっていて、安いうどんでも香川県産でありさえすればよく売れるようです。「なんとか製麺」といううどん屋さんもいろいろあります。江戸落語で「時そば」といっても、上方では「時うどん」です。
学生の頃、東京の大学の学食でうどんを食べようとしたのです。するとうどんが真っ黒な汁の中に泳いでいてビックリしました。汁は飲めたものではなく、ただ辛いだけ。
私はうどんの汁というのは飲み干すものと思っていましたので、驚きました。私が作るうどんは、実はたいしたことがなくて、いちいち出汁をとったりはしません。

    市販の白だし

です(笑)。それでもあの東京の学食よりはおいしいよね、と思いながら食べています。
香川県出身の小説家の方を知っていて、一度ご自宅を尋ねたことがあり、お父様がうどんを食べにいこうとおっしゃって、善通寺市だったと思うのですが、とある讃岐うどんの店に行きました。どうやら人気店らしく、なんだか客を

    流れ作業

で扱っているような愛想のない店でしたが(笑)、それなりに味わえました。その店にはその後も一度行く機会があったのですが、やはり愛想はありませんでした。

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短歌を詠もう(2) 

学生に短歌を詠んでみませんか、という話をしました。
知り合いに歌人の人がいるから、その人に見てもらって自分の短歌に手を入れてもらうようなことをしませんか。
こんなことを言ってみたのです。結果は・・・

    無反応

でした。
小学校教諭を目指す人たちがいますので、きっと一人や二人は「やってみたい」というかな、と期待していたのですが、まったく異次元の話をしているように思われたのかもしれません。
おそらく彼女たちも中学や高校で宿題か何かで、

    無理やり

短歌や俳句を作らされた経験があると思うのですが、それもあまり効果はなかったのでしょう、いや、ひょっとしたら逆効果だったのかもしれません。
そのクラスでどれくらい本を読みますか、ということを聞いてみたら、一切読まないという学生がかなりいました。これまた予想していないわけではなかったものの驚きました。
図書館には行かない、本は買わない。スマホを見ていたら本なんて読む余裕はない、ということでしょうか。
読書のゆるゆるとしたスピード感がもはや受け入れられないのだろうかとも思ってしまいました。

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和歌を詠もう(1) 

以前連載をさせていただいていた短歌の雑誌が、同人の高齢化などが原因で歌誌の刊行を半分に減らしたそうです。
同人が高齢化するということは、どうしても人数が減り、雑誌を経済的に維持できなくなってくるのです。
やはり短歌など今どき流行らないのでしょうか。
もちろん若い人でも短歌を詠む人はいますが、一般的に言って隆盛を誇っているとは言いがたいように思います。
また、短歌作品自体も、最近はあまり感傷的なものではなく、

    明るい笑いの要素

の強いものも多くなってきたように思います。
それはそれでもちろんかまわないのですが、あまりに同じようなものが増えるのはどんなものかと思うことがあります。
新聞に載る短歌では、社会派の短歌というか、

    時事短歌

といえばいいのか、そういうものも多いように見受けられます。
短歌が多様化していくのは当然かもしれませんが、私はそちらのほうには行きたくないというスタンスなのです。
単純にそのときの悲しみや寂しさ、時に喜びやうれしさが詠めればいい、という程度で、やはりこんなふうに旧態に閉じこもっていては上達もしないのかもしれません。

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書評 

昔、論文集の書評を頼まれたことがあります。そんなのしたことありません、と言ったのですが、若い人に頼む、ということになったそうで、私にお鉢が回ってきました。
結局、書評ではなく、紹介に終わってしまい、執筆者の皆様には申し訳ないことになってしまいました。
先月刊行された『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』については、仲野徹氏がhonzに書いてくださいました。
そしてまた短歌の同人誌『橙(オレンヂ)』に、代表の野澤正子先生が「魂を揺さぶる語り・義太夫の世界」と題してお書きくださったのです。
野澤先生はさすがにするどくポイントを押さえた読みをしてくださり、ありがたい限りでした。
売って儲けよう、という発想は、私にはありません。出版社に迷惑がかからない程度に売れてほしいとは思いますが、それだけです。
ただ、ひとりでも多くの方のお目にとまりますことを期待するため、こうして紹介してくださるのはありがたく、アマゾンなどでレビューがたくさん出ればいいな、とも思うのです。
皆様も何かお感じのことがございましたら、どうかお知らせくださいませ。

襲名披露公演 

この4月もやっと文楽劇場に行きました。
かなり息切れがひどいので、久しぶりに地下鉄を利用しました。やはり早いです。
10時過ぎに着いたため、ゆっくり展示室も拝見。
『文楽 六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』も展示されていて、不思議な気分でした。本の背が堅めですので、真ん中辺りを広げて展示するのは難しいと思っていたのですが、呂太夫さんのサインがある見返しの部分が出ていました。
しばらく売店を見ていたのですが、私が見ている間は一冊も売れていませんでした(笑)。
二階に上がって呂太夫師匠ご夫妻にご挨拶して、観劇。さすがに名作で、あっという間に桜丸は切腹しました。休憩時間にチラッとスマホを開けると、野澤松也師匠から連絡があり、ロビーにいます、とのこと。
お弟子さんの野澤輝也さんにもお会いすることができました。
襲名披露口上では、お痩せになったものの、やはり咲太夫さんの口上が口さばきがはっきりして一番よくわかりました。
もう二度とないであろう呂勢太夫、清治の寺入り。
もったいない配役。
呂太夫、清介から咲太夫、燕三の寺子屋。
床の方々の裃はもちろん、人形遣いさんも袴はお揃いで、呂太夫紋を付けていらっしゃいます。
寺子屋は、ほんとうにあっという間でした。もう、何度観たかわからない演目ですが、さすがの名作。隣の方は泣いていらっしゃいました。
いろいろ事情はあるでしょうが、寺入りを呂太夫さんのお弟子さんの打って替え、寺子屋は呂太夫さんお一人か呂勢、清治の首実検と呂、清介のいろは送りというのは無理だったでしょうか。
終演後、思い立って道頓堀へ。そばの更科さんに行って本に書かせていただいたことを申し上げようと思ったら、お店がありません。いつの間にか閉店されたようで、がっかりしました。
止むを得ずブラブラと歩いていたら、いつの間にか梅田に着いてしまいました(笑)。また地下鉄に乗らなかった・・。
いろいろなことを考えた1日でした。文楽とは縁が薄くなりつつあることを寂しく思いながら、あちこちの名残の桜を愛でて帰りました。

できるのか、幼稚園の催し 

6年間続けてきた幼稚園での文楽人形劇ですが、今年もやりませんか、と言われています。ライフワークというほどではないかも知れませんが、私の仕事に占める意味はかなり大きくなってきました。
この春からは、お付き合いしてくださる幼稚園の園長先生も3人目になります。
ありがたいお誘いには違いないのですが、これから1か月くらいで

    台本

を書かねばならず、かなり頑張らねばなりません。
この春休みに勉強していたカッパのことが頭を離れず、この催しでもカッパを素材にしようかな、と考えたりしています。
カッパが人間に化けて生活しながらも、やがてはもとに戻って別れるような。ただ、昨年の

    かぐや姫

の話と似てしまいそうで、まだ何ともわかりません。創作はゼロからの出発ですから、不安だらけです。

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漢詩を詠む梅 

梅の木が好きなのです。春の始めに咲くために「花の兄」とも言われる白や紅の花もいいですし、実が生るとまた愉しみがあります。
私はこのところ家の老木の実で梅酒と梅シロップを作っています。なかなかいけますよ。
すでに桜が散っているのに、今ごろ梅のことを書くのもどうかと思いますが、文楽四月公演『菅原伝授手習鑑』上演中ということもありますのでご容赦を。
梅と言えば、天神様。『菅原伝授』でおなじみの

    菅原道真

が思い出されます。
道真が太宰府に左遷される時、彼の邸宅(今の下京区菅大臣町)の梅に向かって詠んだという歌もよく知られています。

  東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
     あるじなしとて春を忘るな(拾遺和歌集)

結句は「春な忘れそ」とする本もあります。「〜な」はもともと男性が目下の者に禁じるときに用いられた言い方、「な〜そ」は女性が用いる、あるいは女性に対して用いる言い方でした。後者は「どうか〜しないでおくれ」というニュアンスを感じます。梅を女性のように見れば「な〜そ」もあり得ますし、漢詩人の道真なら漢文訓読にも用いられた「〜な」がよいようにも思います。
この梅の木はすさまじいパワーをもっていて、道真が筑紫に到着するとその片枝が飛んできて、そこに根づいたといわれます。そうです、飛び梅伝説。「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらむ」ですね。
あるとき、道真が筑紫に飛んできて成長した梅に向かって

  ふるさとの花のものいふ世なりせば
     いかに昔のことを問はまし

と詠みかけたのです。「おまえという、故郷からやってきた花がものを言うのであれば、どうにかして昔のことを尋ねように」というわけです。
すると・・・

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第35回だしまきの夕べ(予告) 

すごいですね、もう35回になりますか。ほんとうに50回記念というのができるんじゃないでしょうか。
高齢の、また間違えた、恒例のだしまきの夕べが

    4月22日(土)
      第二部終演後


におこなわれます。
また大勢の方のご参加がありますようにお願いいたします。参加される方は幹部(笑)の方にご連絡を。
もしこのブログをご覧になる方で一度参加してみたいという方がいらっしゃいましたら、コメント欄に(ナイショの場合は「管理者にだけ表示を許可する」にチェックを入れていただいて)書き込んでくださってもいいですよ~!

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初めての詩 

私は小さいころから短詩型文学、つまり俳句、短歌、川柳などがとても好きで、自分も作れるようになりたいと思っていました。
大伴家持十六歳の作にこんなものがあります。

    振り仰(さ)けて みかづき見れば 
        一目見し人の眉引(まよびき) おもほゆるかも

                           (『万葉集』巻6・994)

三日月を見るとあの人の眉が思い出される。
川端康成にも「十六歳の日記」(数え年十六歳の日記)があります。三島由紀夫は満十六歳の年に「花ざかりの森」を書いて恩師清水文雄氏(当時学習院教師。のちに広島大学教授。平安時代文学)に激賞されています。
栴檀はやはり双葉から芳香を放つものです。
私も同じころからいろいろ書いていましたが、栴檀ではなかったために無味無臭でした(笑)。
菅原道真はどうだったのでしょうか。道真の詩文を集めたものに『菅家文草』がありますが、その巻頭に置かれたものは、何と、彼が数えの十一歳の時に詠んだ漢詩なのです。

      月夜見梅花
    月耀如晴雪  梅花似照星
    可憐金鏡転  庭上玉房馨


「月夜に梅花を見る」という題です。「月が輝くことと言ったら晴れた日の雪のようだ。梅の花は空に照る星に似ている。なんとすばらしいこと! 月がゆらゆらとして地上では梅の花房が香っている」。韻や平仄を整えてとても美しい情景を比喩、あるいは見立ての技法を用いて詠んでいます。

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文学無用の時代(2) 

菅原道真は音楽も好きだったのです。彼の詩の中に「偏信琴書学者資」(私はひとえに信じている。琴、書は学者の資本になると)という一節があり、音楽と読書は学者にとって何よりも大事な支えになることを感じていたのです。これは中国でも同じで、あの白居易は詩と酒と琴を「三友」としました(白居易「北窓三友」)。ところが道真は、音楽はいまひとつ才能に乏しかったようなのです(といっても人並み以上だったのではないかと思いますが)。彼も七絃の

    琴(きん)

を弾いたりしたのですが、どうもうまくいかなくて諦めたようです。琴(きん)という楽器は『源氏物語』の主人公の光源氏が得意としたものなのですが、演奏がとても難しく、なかなかすぐれた奏者が出ないことが『源氏物語』「若菜下」にも書かれていて、実際、平安時代後期にはあまり演奏されなくなるのです。
道真はだからと言って音楽無用論を唱えるようなことはせず、やはり自分は

    詩に重点を置こう

という気持ちになるのです。
今でも、自分ができないから、自分が知らないから、自分は面白いと思わないから、そんなものは無用だなどという安っぽい考えをする人もありますが、それはおかしな話でしょう。

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文学無用の時代(1) 

国文学なんて役に立たない学問など今の時代には無用のものである。コソコソとそんなことを言われているような気がして、仕事場でも肩身が狭いのです。いや、ほんとうは胸を張っているのですが、肩身が狭いと嘆くような顔をしているのです。それは違うよ、と言いたいために。
先日、文楽四月公演『菅原伝授手習鑑』の、また今年から実施する予定の講座「王朝の歌人たち」の予習のために

     藤原克己『菅原道真』(ウェッジ選書)

を読んでいました。藤原先生は知識も見識も私など足元にも及ばない大変すぐれた平安時代文学研究者で、特に菅原道真についての研究で知られ、『菅原道真と平安朝漢文学』というご著書もあります。
私は以前研究会でご一緒させていただいたことがあり、その時に驚嘆するような偉大な先生だと思ったものですが、同時にお人柄にも感じ入りました。これだけの方なのに、まったく偉そうにされない、謙虚で穏やかで円満な先生です。
その大先生が15年前に一般向けに書かれたのが『菅原道真』です。私はこの本の

    「はじめに」

にまず感銘を受けました。ここには藤原先生の、どうしてもこの本を書かないわけにはいかなかった強い思いが記されています。本文も重厚なものですが、この「はじめに」を読むだけでも価値があると思うくらいです。
以下に申し上げるのはこの「はじめに」を中心として藤原先生のお教えに導かれてのものです(藤原先生のおっしゃることそのままとは限りません)。

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2017年4月文楽公演初日 

本日、文楽四月公演が初日を迎えます。
この公演は呂太夫、織太夫、玉助と続く襲名シリーズの第一弾でもあります(文雀、というのはないのでしょうか?)。
豊竹呂太夫の名が帰ってきました。五代目をご存じのファンの中にはイメージが合わないとおっしゃる方もあるのですが、それは言わないことにしましょう。新しい呂太夫なのですから。
五代竹本伊達太夫さんだって、錣太夫(しころだゆう)の襲名が云々されていながら、美声の土佐太夫の前名の「伊達」を名乗られましたが、しっかり新しい「伊達」になられたではありませんか。

この公演の演目は次の通りです。

第1部(11時開演)
  『寿柱立万歳』
  『菅原伝授手習鑑』 (茶筅酒、喧嘩、訴訟、桜丸切腹) 
  豊竹英太夫改め 六代豊竹呂太夫襲名披露 口上
  『菅原伝授手習鑑』(寺入り・寺子屋)

第2部(16時開演)
  『楠昔噺』 (碪拍子、徳太夫住家)
  『曾根崎心中』 (生玉社前、天満屋、天神森)

歌舞伎なら「またかの関」(『勧進帳』)、文楽では『曽根崎しょっちゅう』かもしれませんが、やはりこの演目を楽しみにされる方はいらっしゃるのです。文楽初体験の方には最適演目かもしれません。

集まるお酒 

2月以来あまり体調がよくない日々が続き、もちろんお酒などめったに飲めるものではありません。ただ、私はいわゆる「酒飲み」ではありませんから、苦痛ということはないのです。何か月もアルコール抜きなんてまったく平気ですし、これまで何度もそういう経験はあります。
私の家にはビールというものは今や存在しません(笑)。「発泡酒」や「第三のビール」は好まないので、ビール系飲料はまるでないのです。いつぞやもらったことがあって少し飲んだのですが、ビールの味なんてすっかり忘れていたくらいです。以前は、ビールだけはディスカウントの酒屋でまとめて買っておいて

    一日に1本だけ

飲むという、私にとってはきわめて優雅な生活もしていましたが、今はいろんな事情でそれは不可能です。
日本酒を常備するという習慣は昔からありません。「白鷹」の真ん中あたりのランクのお酒を見つけると買ったりしたこともありましたが、あくまで「たまたま」のことです。
ワインもスコッチもきらいではありません。

    お酒はすべて好き

なのです。しかし本当に縁が薄くなってきました。

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クラーナッハ 

ヴィッテンベルクの宮廷画家ルカス・クラーナッハ(Lucas Cranach 1472—1553)は、ドイツルネサンスを代表するアーティスト。個人としてのみならず、工房を持って子どもたちの協力も得ながら多くの絵を生み出したそうです。
そのクラーナッハ及び彼の工房の作品を集めた展覧会が東京と大阪で行われ、私は大阪中之島の国立国際美術館に行ってきました。
あまり体調がよくなくて、いつもなら梅田から20分ほどで行けるのに、

    45分

ばかりかけて(途中休憩時間を含む)行ってきました。梅田橋のあったところから田蓑橋を渡ります。かつては見るものを圧するようであった、そして今はその威厳を失ったレプリカのようなダイビルの近くを通って中之島へ。
それを狙って時間帯を選んで行ったわけですが、平日の午前中で、予想に違わずガラガラでゆっくり観ることができました。
この人物の名前、展覧会の公式の表現では

     「クラーナハ」

でした。ドイツ語の発音ではそれが近いのでしょうか? 美術史の分野ではそれが常識なのかも知れませんが、私は読みにくいので「クラーナッハ」か「クラナッハ」と言っています。
絵の善し悪しはよく分かりませんが、なんともなまめかしい作品が数多く展示されています。

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今年も幼稚園 

四月になって初めていただいたメールが奈良市内の幼稚園の前の園長先生からでした。今年も文楽人形劇を一緒に作ろう、というお話でした。エイプリルフールではないよね、と思いつつ(笑)、すぐにお返事を差し上げました。
前園長先生がこの三月で定年をお迎えになるとうかがっていましたので、この機会にこれまでやってきたことをまとめておこうと思って、実践報告を作成しましたが、実はもう新年度はないかもしれないと思って書いたのです。
前園長先生はとても文楽に興味を持ってくださって、ついに文楽劇場に

    観劇デビュー

もなさったくらいです。
しかし、新しい園長先生にはまたその先生なりのお考えもあるでしょうから、こちらがやりたいと言っても叶わぬ場合があります。別の企画をお考えのこともあるでしょうし、マンネリとお感じになるかも知れません。ところが、前園長先生のお話によりますと、新しい園長先生も

    続けてほしい

とおっしゃっているそうで、大変ありがたいことです。
ありがたいのはありがたいのですが、お引き受けするからにはまた子どもたちに喜んでもらえるようなお芝居を書かねばなりません。

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気持ちいい対応 

昨日は国立文楽劇場の図書閲覧室に行っていました。
梅田からお初天神を抜けて、大江橋を渡り、御堂筋を避けて栴檀の木橋を渡りました。この橋は久しぶりです。たしか、落語の「米揚げ笊」に出てきますね。
そのまま南へ行くとひときわ目を引く立派な建物は

    浪花教会

です。ひたすら歩いて南久宝寺町あたりで堺筋に出て、あとは日本橋まで一直線。
大きなキャリーバッグを引くおそらくアジア系の人と見られる人とたくさん会いました。中国語とか韓国語とか、いろいろ飛び交っているのでしょうね。
文楽劇場の前の桜はまだ三分から五分。それでもベビーカーを押す若いお母さんが

    プチ花見

をしていました。
幟など、まだ六代呂太夫さんの襲名についての飾り付けなどは見当たりませんでしたが、いよいよ今週末になりました。

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遅い桜 

今年は桜の開花が遅れているようです。
昨日(4月2日)に地元宝塚の「花のみち」を歩いたのですが、まだまだでした。昨年から満開でしたからやはり遅いですね。
今年はかなりしつこく寒い日があり、桜も4、5日勘違いしたかもしれません。それにしても毎年忘れずに咲くもので、感心します。
子供の頃は、しかしながら、桜といえば4月のもので、入学式のある4月8日あたりが満開、というのが普通だったのではないでしょうか。やはり1週間ほど季節が早まっているような気がします。
朝は冷たい風が吹いても昼になるとポカポカしてきます。もう、コートは脱ぎました。
暖かい春にしたいものです。

サイン 

最初におことわりしておきます。
四月になりましたので、これ以降、豊竹英太夫さんのことは六代豊竹呂太夫さんと書かせていただきます。
文楽の技芸員さんは芸能人だけにしばしばサインを求められるようです。しかしほかの芸能の方に比べるとそういう機会は少ないかも知れません。ある技芸員さんと夕飯を食べていたら、たまたま隣に座っていた方が文楽ファンで、申しわけなさそうにサインを求めてこられ、まだ若手だったその技芸員さんはどうやって書けばいいのか悩んだあげく、ホテルに

    チェックインする

時の署名のように書いていらっしゃいました。
しかしベテランの方になるとそういう機会も多いでしょうし、人気の高い方は特に書き慣れていらっしゃるのではないでしょうか。
呂太夫さんはこの三月から四月にかけてかなり多くのサインをされました。もちろん

    本の見返し

の部分に、です。
なにしろNPO法人文楽座がサイン入りの本を安く(たしか、税金分を割り引いて、しかも送料無料だったと思います)お頒けします、と通知をされました(これにもちょっとした裏話があるのですが・・笑)ので、注文の分はすべてサインされたのです。

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河童(4) 

芥川の「河童」を読んでいると何だかこちらまで自己嫌悪に陥りそうで胸の苦しみを覚えます。
芥川の河童に寄せる思いは、たとえば二十八歳のときに小穴隆一宛に書いた手紙にもうかがえます。
この手紙の中で芥川は「この頃河童の画をかいてゐたら河童が可愛くなりました」と書いていて、

  短夜の清き川瀬に河童われは
    人を愛(かな)しとひた泣きにけり


などの歌と「水虎問答之図」という絵を送っています。「水虎」は河童の異名です。
芥川は河童に自分を見ていたようですが、だからといって河童が好きだったのかと言うとそれはどうかわかりません。むしろ嫌悪すべき自分というものを見ていて、その自画像が河童であるとするなら、心の奥では嫌っていたといえるかもしれません。

河童20170322
↑水虎問答之図

芥川は「水虎晩帰之図」も好んで描き、むしろ絵としてはこちらが有名かもしれません。

水虎晩帰之図
↑水虎晩帰之図

河童は人間のように見えながら亀のようでもあり、中途半端な姿に見えるためか、どこか悲しげです。
人間とかかわりを持とうにも、使用人として使えても嫌われたり正体を見破ろうとされたりして姿をくらましたりします。
しかしまたとてつもない不思議なパワーを持っているとも考えられ、芥川の小説に河童の世界に裁判官や哲学者や音楽家が出てきても違和感を覚えないくらいです。

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