国文学者 

8月7日の朝日新聞に、六代豊竹呂太夫さんのことが書かれ、私の名前もチラッと出たのですが、そこに「国文学者」と書かれてしまいました。
これはもともと出版社の編集者さんがチラシを作ったりするときに私の肩書をどうするかお考えになって、あのように書いてくださったのです。わけあって

「大学名を出したくない」

と申しました(ですから、本の奥付の著者紹介にも出ていません)ところ、仕方なく(笑)あのように書いてくださったのです。
新聞でも、何とか書かないわけにもいかず、編集者さんのアイデアを踏襲されたのでしょう。
すると、何人もの方から「君、国文学者だったの?」「いつ国文学者になったの?」「国文学者って、エラそうに」などという温かい(!)反応をいただきました。
なんのなんの、皆さまに言われるまでもなく、私自身が一番

恥ずかしい

思いをしているのです。
学者というのは、すぐれた研究論文を書いて、専門分野について問われたことは立て板に水のように答えられる人のことで、私のような横板に鳥黐のような者にはふさわしくない肩書です。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

スポンサーサイト

とりあげ名人 

『紫式部日記』には、一条天皇の皇子である敦成(あつひら)親王の誕生の場面が描かれています。というのも、出産するのが紫式部の仕えていた

    藤原彰子

だからです。彰子は藤原道長の娘で一条天皇の中宮でもあります。
彼女は12歳(小学校5年生の年齢)で一条天皇のもとに行くのですが、だからといってすぐに懐妊するわけではありません。父道長の願いも虚しく、なかなか懐妊の兆候が見えません。道長は必死で神仏に祈願もしたようで、やっと21歳になった年に出産することになるのです。若くして出産するという印象が強いかもしれませんが、21歳という年齢は初産としては実は早くも遅くもないものです。
そして其の年の九月十一日、彰子は男子を出産します。
場所は実家の

    土御門邸

で、今の京都御苑内、御所の東、仙洞御所のあたり及びその少し北側です。
母屋(身屋とも)で出産するのですが、間際になって少し場所を変えようと言うので、そのすぐ北側、寝殿の北廂(きたびさし)に映り、いよいよ出産の時を迎えます。
女房たちがあまり近くにいるとよくないからというので、彰子のすぐそばには三人だけが控えていました。そのうちの一人は彰子の母、すなわち道長の妻である倫子という人でした。そして讃岐の宰相の君と呼ばれる女房もいました。この人は藤原道綱の娘で、本名は藤原豊子。彰子の従姉妹に当たる人です。後には新生児の乳母にもなります。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

何と読む? 

文字ばかりで認識していますと、音の響きがわからないことが多いのです。
字としては理解していても、それを何と読むのかがわかりません。
吉永小百合さんは「よしながさゆり」さんだとはわかります。
しかし、今の

著名人

についてはさっぱりわかりません。
先日の新聞で、野球選手の名前を見ていたら、「中谷」「菅野」という名前があって、さてこれは「なかや」か「なかたに」か、「かんの」か「すがの」かわかりません。
最近まで、横浜ベイスターズの「筒香」を

「つつか」

と読んでいたことは内緒ですが(さすがに今は「つつごう」と読むことを知っています)、文字情報だけではわからないことがさまざまにあります。
日本語の難しいところです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

旧暦七月七日 

今日は8月28日ですが、旧暦では七月七日にあたり、七夕です。
今年はやや遅いですが、秋のはじめの行事という意味ではイメージがよく合います。
梅雨の末期におこなうものではないのですね。

今年も暑かったね

といいながら空を見上げるのが本来の七夕。
今日こそ、もっと文章がうまく書けますように、と星に願いをかけます。
今はもう、とくに人生の夢や希望はありませんので(笑)、文章力向上のみお願いします。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

無為な日々 

楊貴妃というとクレオパトラと並んで有名な美人です。
白居易の「長恨歌」に「眸(ひとみ)を迴らして一笑すれば百媚生じ、六宮の粉黛(ふんたい)顔色無し」といわれるほどの美女で、「後宮の佳麗三千人、三千の寵愛一身に在り」といわれるほど玄宗皇帝が寵愛したため、世が乱れ、文字通り傾国、傾城の人だったようです。
しかし彼女は単になよなよとした人形のような意志の薄い人だったかというとそうでもないのです。
彼女は多くの女性から嫉妬もされたでしょうが、実は彼女も大変

    嫉妬深かった

といわれます。
やはり白居易の詩に「上陽白髪人」があります。十六歳のとても若く美しい女性が玄宗皇帝に召されたのですが、宮廷で楊貴妃ににらまれ、そのまま彼女は上陽宮に送られて、生涯そこで過ごすことになります。十六歳だった美少女が六十歳の白髪の人になるまで無為に生きざるを得なかったというのです。めったに美人に生まれるものではありません。
40年余りの日々を無為に過ごすというのはどんなものでしょうか。
ネルソン・マンデラさんは反アパルトヘイトの立場から運動し、国家反逆罪で

    27年

獄中にあり、袴田事件の袴田巌さんはさらに長い年月を獄中に過ごされましたが、いずれも想像を絶するのです。
もちろんその間にもできることはあるでしょうが、自由が限られるだけにできないことも多々あるのです。
無為というのはつらいことです。病気で寝ているときなどもそういうつらさに近いものがあります。回復すればまた自由になれる、という希望があるだけいいのですが・・・。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

あさがおのかんさつ(8) 

江戸時代には朝顔は観賞用としてもてはやされたので、俳句にも多く取り上げられて今に至っています。初秋の季語です。

    朝顔に釣瓶取られてもらひ水(千代女)

はとても有名な俳句ですが、正岡子規はこの句を「俗気多くして俳句といふべからず」と評価しませんでした。
朝顔の俳句というと、
  朝顔や一輪深き淵の色(蕪村)
  朝顔や思ひを遂げしごとしぼむ(草城)
  堪ゆることばかり朝顔日々に紺(多佳子)
など、数多くあります。
絵画には鈴木其一「朝顔図屏風」(メトロポリタン美術館蔵)があります。ほかにも二代目広重の「東都入谷朝顔」、奥村土牛、福田平八郎らの作品など、さわやかな絵がいくつも残されています。
文楽ではもちろん「生写朝顔話」。秋月家の娘、深雪が宮城阿曽次郎と宿命的な出会いをして、阿曽次郎が扇に

  露の干ぬ間の朝顔を
     照らすひかげのつれなきに
   あはれひとむらさめの
       はらはらと降れかし

と書いて深雪はそれを受け取りました。その後、阿曽次郎は駒沢次郎左衛門と名を改め、深雪は阿曽次郎と結婚できないことを悲観して家を出て盲目となり、彼女もまた朝顔と名を変えています。そして島田宿での再会と別れ、大井川での奇跡と続きます。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

若き日の父(5) 

久しぶりに続きを書きます。

入来隊、鈴木隊の次に乙種幹部候補生になって加藤隊に配属になったようです。
加藤隊としてのハガキは9通あるのですが、その中に「この度幹部候補生に採用せられましたから御喜び下さい。この上は大いに努力して甲幹に合格し母上をご安心させます」というものがあります。これが乙種幹部候補生になった時のものでしょう。甲種ではないものの、さらに甲種を目指すということだと解釈できそうです。
このハガキも絵はがきで、農作業をしている父、母、幼い子が写っています。
  旅ころも奈須野のいちごこほれけり(乙二)
  苺摘むや葉上に置きし籠軽し(勿来)
の二句が書かれています。
乙二(おつに)は江戸時代後期の俳人で陸前白石の人。姓は岩間。
勿来については知りません。
「鈴木隊 陸二」と書いたものを消して「加藤隊 幹部候補生」と書き直しているものもありました。うっかり書き間違えるということはないと思いますので、鈴木隊の時に書こうとして所属まで書いたハガキがあったのを、加藤隊に移ってから使ったのでしょう。
これも絵はがきで、雪の中で提灯を持った女性が三人、頭を垂れている情景です。神社に参詣しているもののように見えますし、次の俳句との関係からいってもそういうことだろうと思います。
  柏手やこだまこぼるゝ松の雪(也有)
  提灯の中に吹き込む粉雪かな(十七星)
横井也有は十八世紀の尾張の人。『鶉衣』で知られる俳人です。
西沢十七星は福知山の人。武道専門学校の出身の俳人。『京鹿子』などに作品を載せました。瀬田蜆を詠んだ句は瀬田の唐橋の中之島に句碑として残されています。
このハガキで父は「昨日は家の畠の夢を見ました。苺がなってゐる夢です」「今年は一つ柿の木か何か果物の樹を買つて植へて置いて下さい 自分は大陸からその味を味はひたいと思ひますから」と書いています。
私が子どもだった頃、家には柿の木があったのですが、あるいはこのときに父の養母はほんとうに柿の木を買って植え、それが私のみたものだったのかもしれません。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

書けるのか・・・ 

牛の歩みの日々です。これはもう、何十年もそうなのです。
ゆっくり、ゆっくりなのです。でも、牛は疾走するとけっこう速いです。平安時代の牛車は優雅な感じですが、何かの事情で牛が興奮すると手がつけられない、というような場面が『年中行事絵巻』などに描かれています。
私の日々の歩みも時には手が着けられないほどスピードアップすればいいのですが、なかなかそうはいかないのです。
夏休みになんとか自分の勉強したことをまとめるというのが私の考え方なのですが、今年は

    かなり危うい

です。
資料を集めてそれを基に自分で考えたことをまとめるのが基本ですが、うかつにも一つ大事な文献を読み落としていたことに気づき、振り出しに戻った感がありました。
その文献はかなり資料をいろいろ引いていて、私が調べたものとほぼ重なっていましたので、もうこれなら私が何かを書くと言うことはしなくてもいいかもしれない、と思うようになりました。
そんなわけで、いったん

    あきらめた

のですが、その文献を読んでいくと、気になることがいくらかあって、小さなミスもありましたので、補足するような気持で書いてみようかなという気持がまた湧き出てきたのです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

九月は東京で 

東京にはずいぶん長く行っていません。
交通費が出せないのでどうにもなりません。以前は仕事場から出たお金で「出張」という名目で行ったのですが。
毎年9月には文楽を観て、上野の国立西洋美術館や東京国立博物館などをはしごして、両国あたりを歩いていました。
両国は江戸東京博物館、吉良邸跡、回向院、相撲部屋(笑)など何度も歩きました。深川のほうまで足を伸ばしたら芭蕉庵跡にもお邪魔しました。
また行ってみたいものです。
私はあほですから、

    吉良邸 から 泉岳寺 まで

数回に分けて歩いたこともありました。
ところが、最近野澤松也さんの創作浄瑠璃に参加することで「本所七不思議」に関心を持つようになりました。
しかしそれ以後まったく東京に行っていませんので、七不思議のゆかりの地にはまったくといっていいほど行っていないのです。
いや、そばを歩いた事はあるはずですが、「ここがあの七不思議のゆかりの地」だ、と思って歩いたことはないのです。
錦糸町あたりの「置いてけ堀」、割下水あたりの「送り拍子木」「無灯蕎麦屋」、三笠町の「足洗ひ屋敷」、駒止橋の「片葉の葦」、松浦屋敷の「落葉なき椎」などきちんと訪ねてみたいと思っています。

    北斎美術館

もできたそうですが、もちろんまだ行っていません。
そんなわけで、ちょっとした本所への憧れを抱いている昨今なのです。
吉良邸から泉岳寺まで歩いたときのコースには聖路加病院あたりの浅野家跡も入っていました。
となるとすぐそばは築地です。そういえば築地本願寺にもついでにお邪魔しました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

はなのつる 

朝顔を見ていて、よくもあれだけうまく蔓を伸ばすものだと思います。
何かあれば絡み付いて上へ上へと伸びていく。人間も同じようなものかもしれません。私は窓にネットを用意しておらず、朝顔には苦労をかけています。なにしろはじめて朝顔を育てたものですからまるで要領がわからず、ネットもどうしようか迷っているうちに蔓が伸びてきたのです。今は実にお粗末ですが、

    麻ひも

に絡まってもらっています。それなりに元気に伸びていますので、今年に関してはこんなものかなと思っています。
六代豊竹呂太夫さんがまだ英太夫時代に、素人で義太夫を稽古したいという方をあつめて義太夫教室を始められました。すっかりハマっていらっしゃる方も多いとうかがっておりますが、毎年夏の終わりには発表会をなさっています。
今は

    山本能楽堂

で、能舞台の上でお語りになるのです。三味線は竹澤団吾さんと鶴澤清丈'さん。プロの三味線で語れるのですからすばらしいことです。この会は英太夫さんにつるのようにからまっていくからなのか、

    はなつる会

という名前がついています。
今年は今週の土曜日の8月26日でにおこなわれ、誰でも入れます。おそらく入口を入られると呂太夫さんの奥様がいらっしゃるだろうと思います。
「聴かせていただいてよろしいですか」とでも声をおかけになれば、案内してくださると思います。靴を脱いで能楽堂に入ります。みなさん大熱演で、時には肩衣がずれたりする方も。

    かんざし

を落とす方はまだ見たことがありません。
入場は無料ですから、ふらりと立ち寄る感覚でおいでになってはいかがでしょうか。
11時に始まって終わるのは何と午後6時半!
長い長い一日が間もなく始まります。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

足洗ひ屋敷の初演(2) 

この記事、一か月以上前にアップするはずでしたが忘れていました(笑)。
私が書いた創作浄瑠璃「足洗ひ屋敷」の初演のことです。私は病気で行けなかったのですが、7月15日(土)の午後、大阪西道頓堀でおこなわれた催しでした。

御堂筋の東側の道頓堀は最近めったに行きません。松竹座もすっかりご無沙汰しています。
まして、御堂筋の西なんてそれ以上に知らないところです。
しかし、今や道頓堀の中心地が見るに忍びないような町になってしまいましたので、むしろ西側のほうがいいかもしれません。
松也さんが

    松竹座

の歌舞伎公演に出演中で、そこから近いところという条件で選ばれたお店なのでしょう。
松也さんをお待ちするあいだはみなさん歓談なさりながらランチ。
そしておいでになったところで演奏。
どんな雰囲気だったのか、気になるところですが、どうしようもありません。松也さんの演奏と語りはもう

    折り紙つき

ですが、このたびは松也さんが「いい曲ができた」とおっしゃるものでしたので、きっとお聴きになった方もうっとりなさっただろうと思います。
いかんせん、本文が私の書いたものですから、それが唯一問題です。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

葦の片葉(1) 

難波の葦は伊勢の浜荻。
ものの名はところによって違います。
というと何やら落語のマクラのような言い方ですが、この「葦」という植物に関心を持ってきました。とはいえ、子どものころから植物についてはまったく無知で、桜と梅くらいしか区別できなかったくらいですから、葦と言われてもよくわかりません。
「あし」は「悪(あ)し」に通じるのでわざと逆の意味の

    「よし」

と読みかえることもあります。「芦田」と書いて「よしだ」と読む名前の方もいらっしゃいます。
私の場合、茎を簾の材料にすることでかろうじて知った植物で、あとは

    難波潟短き葦の節の間も
        逢はでこの世を過ぐしてよとや (伊勢)


    難波江の葦のかりねのひとよゆゑ
      みをつくしてや恋ひわたるべき (皇嘉門院別当)

のような、文学の素材として知るくらいでした。これらの歌は百人一首に入っていますから、解説書も豊富で、しばしば歌の横に葦の写真が掲載されたりします。しかし植物にあまり関心のない私はたいてい見過ごしてきたのです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

風呂桶を 

昨日の朝は大変でした。
5時半頃、外に出るとポツポツ雨が降っていました。「あれ、今日は雨?」と思った程度でなんとも思わず出かける準備。次に外に出た時はかなり強い雨でした。朝顔に水遣りしなくていいな、とのんきなことを思っていました。
ところが家を出てまもなく

    土砂降り

に。どうやら雷も鳴っているらしく、灰墨色の空が時折り明るくなります。
家を出てしばらくした交差点ではもうワイパーをフルに動かさないとどうにもならない状態。しかし此れは序の口でした。
国道を走っていたら、隣斜線の車が水溜りを蹴ってものの見事に私の車のフロントガラスを直撃。バケツをひっくり返したような雨、という言い方がありますが、印象としては

    風呂桶

をひっくり返したようで、ワイパーが役に立たず、約1秒間前が見えませんでした。しかもこれを二度繰り返されてしまいました。
後続車が安全運転の人だったので助かりましたが、私はブレーキを踏まざるを得ず、下手をすると追突されるところでした。
不思議なもので、川西市から猪名川を超えて大阪府池田市に入ると雨は小降りに。ホッとしました。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

夏休み中盤 

小学校では夏休みも終盤になりますが、大学はまだ休みに入って2週間くらい。私は「補講」が9日で終わりましたからその意味ではまだ1週間しか経っていません。
授業が始まるのはいつか知りませんが(笑)、9月下旬とすると、あと1か月くらいです。9月初めからにすればいいと思うのですが、ダメなんですかね。
1年全体のスケジュールが10日から2週間早められたら何かと楽になり、教育効果も上がると思うのですが。
それはともかく、

あと1か月

の休みの間、けっしてゆとりはありません。
勉強すればするほど自分のバカさ加減が身にしみて、もう何度「こんなこと

やめてしまおう

と思ったかわかりません。わかりませんが、それでもやらないわけにはいかず、またとぼとぼと牛の歩みをするのです。したからといってはかどるわけではなく、やはりまた自分の愚かさを思い知るだけなのですが。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

メールしてる? 

けっしていいことだとは思っていないのですが、あまり他人様と交流がありません。
友人といえる人は本当に少ないです。
もともと人付き合いがうまいほうではありませんが、最近はさらにそれがひどくなっています。
仕事場で話すのはほぼ学生のみ。仕事関係の人は挨拶程度とか、ごく事務的なこととか、そんなものです。
結局文字でのやり取りがわずかな交流ということになります。文字のやり取りですとほぼ互角の関係で話せますから、私としては楽なのです。
今、一番多いのはおそらく

    フェイスブック

だろうと思います。中高年のたまり場とか言われますが、たしかにあまり学生さんは参加していません。
最近では「うはなり打ち」について書いたところ、ずいぶんいろいろとご意見をいただいてありがたかったのです。
そういうまじめなことだけでなく、ごくつまらないことも書いていますが。
フェイスブックには

    メッセンジャー機能

がありますから、これもしばしば使います。
ラインは登録しているのですが、あまり「友だち」がいません。また、さほど熱心に使ってもいません。
ラインの場合、スタンプとか絵文字を駆使するのがお決まりのようですが、私はやはり苦手です。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

北条政子の憎しみ 

ずっと「うはなり打ち」の勉強をしています。
浮気などしようものならいかにも怖そうな奥さん、言い換えると嫉妬深い女性というと、仁徳天皇の妻である磐姫(いわのひめ)がいます。
平安時代の貴族の妻は一夫多妻を認めざるを得ない時代に生きていましたが、それでも嫉妬はします。『源氏物語』の紫の上も光源氏が四十歳になって新たな妻を迎えたとき、激しく怒鳴るようなことはしませんがひっそりと涙を流すような嫉妬をするのです。
『かげろふ日記』の作者の

    道綱母

もかなり嫉妬深い人でした。町小路の女という人物と夫が親密な関係になり、子どもまで生まれた時はかなり嫉妬しており、その子が幼くして亡くなったと聞くとどこか快哉を叫ぶような筆致で其の事実を書き留めています。
彼女は安和二年(969年)の正月に女性たちとともに言忌みをしましょうといったあとで

   三十日三十夜はわがもとに

と言いたいわね、と付け加えます。夫が毎日毎日私のところに来てくれればいい、というわけです(かえってうっとうしくなりませんかね・・笑)。時に彼女は三十三歳。この年齢になるとそろそろ女性としてはあまり夫婦仲がどうこうということは言わなくなって、人によってはそろそろ後世の安楽を願うこともありそうです。
しかし道綱母は正月のご祝儀ことばとはいえ、堂々と「三十日三十夜は」というような人なのです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

悩める学生 

プライベートなことになりますので詳しくは書きませんが、ある学生さんからかなり深刻な悩みを打ち明けられました。
よく言ってくれたと思います。
私もいろいろ経験してきましたので、いくらかはこういう人に話せなくはないと思っています。
メールや手紙のようなもので話してくれるのですが、最初にそれを書いてくれた時はかなり精神的に落ち込んでいたように見受けられました。その後も泣きそうな顔をして話して(書いて)くれたこともあり、私はあまり深刻な顔はせず、やや明るめに話を聞かせてもらいました。
それにしてもなぜ私に言ったのでしょうか?
もちろん今は国文科はありませんから、私が担当する学生さんではありません。授業でわずか週に一度会うだけです。それもたくさんの学生さんの来る大教室での授業ですから、普段は個別に話すことはまずできないのです。でも彼女は毎回私が必ず書いてもらう感想文を、本当に細やかに書いてくれる人で、成績も優秀。多分最高点だったと思います。
そんな彼女が最後の授業の時に思い余って、という感じで書いてきたのが始まりでした。
たまたま私が病気をした後で、原稿の締切があったものですからすぐにお返事はできなかたのですが、やっと余裕ができたので一生懸命考えたことを書いて送りました。
彼女も試験その他で忙しく、こちらが送ったメールを読む余裕も、それに対する返事を書く余裕もなかったようです。そしてやっと一段落したところで読んでくれて、丁寧な返事も書いてくれました。
私がごく普通の教員だったら彼女はこんなことを言ってこなかったのではないかと思います。障害があって、しかも呼吸の苦しい状態で授業をしているのを彼女が知っていたからこそ、言い換えると弱みをありのままに見せながら生きているからこそ話しやすかったのかも知れません。
教員としては、本当にうれしいことです。ただ、満足な返事がかけたかどうか、不安は持っています、後期もまた授業で会うことがありますので、刃なしが出来ればいいなと思っています。
そうそう、文楽人形の話をしたら、ずいぶん興味を持ってくれました。一度人形を観に来てください、と言ってあります。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

あさがおのかんさつ(7) 

『枕草子』「草の花は」の段には「草の花は、なでしこ、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。女郎花、桔梗、朝顔、かるかや、菊、つぼすみれ」とあります。
唐撫子や大和撫子を代表格としたあと、女郎花以下の花を挙げています。
また、『枕草子』では夕顔に関して「花の形も朝顔に似て」として、朝顔と夕顔をともに鑑賞した当時の人々の様子が伝わります。夕顔はウリ科で実が大きくて、清少納言は、その点だけは

    「いと、くちをしけれ」(何とも残念なことだ)

と言っていますが。
『源氏物語』「朝顔」の巻には、その名も

    「朝顔の姫君」

という女性が出てきます。彼女は光源氏のいとこで、桃園式部卿宮(光源氏父の弟)の娘。家柄から言っても光源氏の妻にふさわしい人でしたし、光源氏も若い頃から関心を抱いていました。「帚木」巻(光源氏十七歳)にも「式部卿宮の姫君に朝顔奉りたまひし」という一節があります。ただ、彼女は光源氏との結婚には消極的で、プラトニックラブを貫くことにします。その理由は、光源氏の妻になるとかえってつらい思いをするという予感が彼女の心を支配するからです。こういうところは醒めているというか、冷徹というか、独特の存在感を持つ女性です。
賀茂の斎院を務めたので「朝顔の斎院」といわれることもあります。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

ふらつき 

ずっと体調が悪くて、3分も続けて歩くのは無理、という日々でした。
しかし、7月に病気をしてその治療に使った抗菌剤がピタリで、歩けるようになりました。8月5日の文楽劇場およびだしまきの夕べでは、三か月半ぶりに長い距離を歩きました。
この日は朝から仕事場に行き、土曜日で誰も来ないのを幸いと共同部屋をベースキャンプにして図書館に行き来しました。
この図書館、四階まで階段を昇るのです。この三か月は業務用エレベーターを借りたり、階段を少しずつ上がって各階で休憩したりしました。
しかし、このところは

一気昇り

できます。
夕方まで仕事をして、文楽劇場へ。4時半に約束がありましたので間に合うように。地下鉄の階段も難なく歩きました。
すぐに用が済み、次の約束は6時。さて、1時間何をしよう?
思いついて、相合橋筋まで行き、だしまき会場の福家さんを下見。噂の「勘緑さんのれん」が掛かっていました。
入ることもないので、道頓堀に出たのですが、目も当てられぬ惨状。この街、廃れないように願います。
また南におりて、途中から西に向いて、特に意味もなく法善寺。

アラビヤ珈琲

を横目に御堂筋、そして千日前通り。あとはぶらぶら劇場に戻りました。
これだけでも歩けることが奇跡のようでした。

続きを読む

お盆休み 

今日から16日まではお盆休みです。
仕事場も閉まっているようですので、家で暑さと戦いながらできるだけ勉強します。
私の家ではお盆になるとオガラを焚いてご先祖様をお迎えして、またお見送りするというしきたりがあります。今でも母親はそれを守り続けています。とてもいいことだと思います。
人の一生は短いもので、実際は先祖からずっと

    繋がって

線状になっているような気がしています。私はその線の一部に過ぎないのです。そして先祖や子孫とつながることはやはり大切だと、最近特に感じます。
昔は墓参りなんてつまらないと思っていましたが、今は真剣にお参りしますし、さほど遠くない将来にはお参りされる側にまわりますので、お盆の行事もまた大事にしたいのです。
広島で暮らしていたときには原爆とのからみがありますから、お盆の重みがまた格別なものでした。派手にさえ見えるお盆灯篭にも驚きましたが、墓地に行くと

    昭和二十年八月六日

やその直後を命日と刻むものが多く、それにもまた深い悲しみを覚えました。
以前この時期はずっと京都の研究会に参加していましたので、五山の送り火もしばしば見ました。
送り火が消えていくと夏も終わり。残暑は厳しくとも日は短くなっていき、風の音も変わります。
いろいろな思いを胸に抱きつつ、今、自分にできることをしておこうと決意を新たにするお盆休みです。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

ひの字 

七夕の日に願い事を書くのは短冊ですが、今でも梶の葉に書く習慣のあるところがあります。
京都の冷泉家では盥に梶の葉を浮かべて「天の川を渡る舟の楫(かじ)」と見立ててそこに映った星を見るという風雅なこともなさるようです。
あの梶の葉というのはなんとも独特の形をしていて、それゆえに

    

に用いられることが少なくないようです。
ネットでちょこっと調べただけですが、「外割抱き鬼梶の葉」「抱き梶の葉」「細輪に梶の葉「違い割梶の葉」「石持ち梶の葉」「三つ割梶の葉」「細輪に覗梶の葉」「違い梶の葉」「丸に梶の葉「雪輪に覗梶の葉」などなどまだまだあるようです。
あの形には梶が生きていくための何らかの意味、工夫があるのだろうなとは思うのですが、そういうことはさっぱりわかりません。

梶の葉
↑楫の葉

朝顔の葉も一度見たら忘れられません。
ウサギの顔のようにも見えます。あるいはヤギでしょうか。

20170722朝顔の葉
↑朝顔の葉

先月(7月)の後半、病気で臥せっていたとき、枕もとの朝顔がどんどん大きくなっていくのを目の当たりにすることができました。
風が吹いたり雨が降ったりすると葉がそよぎます。
それをじっと見ていると、平仮名の

    

の字にも見えてきました。
朝顔の葉は縦にきれいに並んでいますので、上から順番に見ていると「ひひひ」と笑っているように見えるのです。
風に揺られたら「ひ~ひ~ひ~」となんだか不気味な笑いです。
雨がポツポツと落ちると、そのたびに葉が揺れて「ひっひっひっ」と笑っているようです。
嫌な笑いかたをするなぁ、とつっこみを入れながら、葉のダンスを眺めていました。

20170728朝顔の葉
↑ひひひひ

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

前期の仕事納め 

7月に休んだ分の補講を8月、7、8、9日にするようにいわれ、7日が台風で中止になったため、今日に振り替えとなり、やっと今日、すべてが終わります。補講には来てくれた学生さんもあり、彼女たちとは楽しく(彼女たちは楽しくなかったでしょうが)話せました。
明日はもう一度仕事に行って、これで前期もやっと

    仕事納め

です。
来週は水曜までお盆休みですが、その期間は家でできるように資料を持ち帰り、お盆明けはもう時間の余裕がありませんので9月上旬まで突っ走ります。
今年の夏休みは9月10日くらいから1週間、というところでしょうか(多分、夢物語)。
とりあえずそれを楽しみに頑張ります。
この夏は昨年市民大学でお話しするつもりで勉強していたことが宙ぶらりんになっていますので、それをまとめておこうかなと思っています。
論文というほどではないのですが、覚書としてまとめておくくらいの意味はあるかなと思っています。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

夏休みの宿題 

この夏も宿題がいろいろあります。
自分を律するためにあえて書いておきます。これだけはしないとダメだよ、と。

ひとつは源氏物語の原稿で、これはすでに書き終えて送りました。
原稿としては、もうひとつ、論文というほどではないのですか、

    覚え書

としてまとめておきたいものを書きます。まだ何もできていませんので、締切までの一か月、頑張ります。
そして、もうひとつ、何とかして

    創作浄瑠璃

を書きたいのです。
そのための資料調べもありますから、一筋縄ではいかないと覚悟しています。
そのほか、後期の源氏物語の講座の予習をできるだけ進めておく、という仕事もあり、この夏もまた旅をするなんて夢みたいなものです。もっとも、時間があっても、お金がありませんから旅行なんてできないことには変わりありませんが(笑)。
さて、頑張ります。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

2017年文楽夏休み公演千秋楽 

暑い大阪の文楽夏休み公演が本日千秋楽を迎えます。
例によって子ども向けの「親子劇場」、通常公演並みの昼の公演、コンパクトなサマーレイトショーの組み合わせ。
「夏祭」はサマーレイトショーに入れると住吉、三婦内、泥場だけになってしまうので物足りないという声もありますが、2時間ほどで終わる番組を作るのはなかなか大変だろうと思います。
昼の部に入れたら「道具屋」なども上演できますが。
このあとは内子座などを経て9月東京公演。大阪は11月になってしまいます。
私は、それまでにいくらかでも元気を取り戻したいと思っています。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

土曜日の図書館 

先日、久しぶりに土曜日に仕事場に行きました。
授業はありませんのでめったに人はいません。行ったからといって手当がつくわけではない(笑)のですが、どうしても図書館がすぐそばにある状態で仕事がしたかったので行きました。
土曜日の図書館はだいたいひとりだけ

    司書

の方がいらして、なにやら仕事をしていらっしゃいます。
私は別の共同部屋に荷物を置いてそこのパソコンを開いて何としてもこの日に目鼻をつけておかねばならない原稿を書くことにしました。
そして必要があれば図書館に行ってあれこれ調べ、また部屋に戻って書くという作業でした。
共同部屋には私の研究室のポットを持っていってときおり

    白湯

を飲みながら仕事をしました。お菓子類は食べませんので、飲むばかりです。
集中が途切れたら部屋の掃除をしたり(笑)コピーをとったり。
自分の部屋にはプリンタがありませんから、ここにいるとなんでもすぐに印刷できたりコピーできたりしますのでとても便利です。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

続きを読む

第37回だしまきの夕べ 

昨夜は大阪市中央区千日前1丁目の福家さんで37回目となる「だしまきの夕べ」がおこなわれました。
私は七月の病気もあって、行けるかどうか不安でしたが、思いのほか体調がよくなりましたので、もしチケットが残っていたら行こうかなという気になりました。
で、早速文楽劇場のチケット状況を見るとあまりいい席はありません。やはりだめか、と思っていたのです。ところがその翌日にもう一度見てみると、またまた5列目の真ん中が戻っているではありませんか!
これはもう買うしかない、とポチリ。
というわけで参加させていただきました。
夏の盛りの一夜、ほかの皆さまはどのようにお楽しみになりましたでしょうか。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

哲学者からのアンサー 

昨日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された呂太夫さんのことばは

  泣く時はほんまに泣いてしもたらあかんねんな、
  ちょっとボケ気味に、とぼけるように言うほうが
  悲しみは表現できるもんや


というものでした。鷲田清一さんがどういう過程を経てこの文章をお知りになったのかは存じません。編集者さんのお勧めがあったのか、どこかで鷲田さんが読んでくださったのか。鷲田さんと呂太夫さんは接点はおありだそうですので、鷲田さんがこの本に興味を持ってくださったのかもしれません。
しかしいずれにせよ、このコラムの第一のポイントはどういう人のどういう「ことば」を取り上げるかという点にあります。
しかしそれだけではいけないので、そのことばをきっかけに鷲田さんが思索をめぐらし、そのことばにたいしていかにレスポンスあるいはアンサーをなさるかがもっとも重要なのです。
呂太夫さんのおことばは義太夫節の技芸のパラドックスを述べられたもので、それ自体とても興味深いものでした。
呂太夫さんは

    「引窓」

の母のひとこと「与兵衛」ということばで悲しみを悲しみとして表現するのではなく、あえて笑うように語ることで帰って深井悲しみが伝わるように思うとおっしゃっていました。
そして、あるとき松竹新喜劇をテレビで観ていて、渋谷天外(先代)、藤山寛美の芝居から悲しみの表現を学んだとおっしゃっていました。それが上記の「ことば」です。
私はただそれを筆記するだけでしたが、鷲田さんはきちんとそれに対してアンサーを出していらっしゃいます。

  悲しみを抑え込む、その心根のほうがいっそう
  悲しい。浄瑠璃は人の心をその二重底ごと語る。


これが鷲田さんの呂太夫さんへのアンサーでした。
さすがは呂太夫さん、さすがは鷲田さん。
火花が散ります。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

折々のことば 

朝日新聞朝刊の1面に哲学者の鷲田清一さんが連載されている「折々のことば」。私もわりあいにまめに愛読しています。鷲田さんのおっしゃることは私の考えに合うことが多く、しばしば

    わが意を得たり

という気持ちになります。
大岡信さんの「折々のうた」もそうでしたが、こういう短い文章を書くのはとても難しいものです。4000字書けといわれるほうがどれくらい気が楽かわかりません。かなり先までの予定原稿ができているでしょうが、それでも日々大変なご苦労だろうとお察ししております。
こういうところに掲載されると多くの読者の目に触れますので、私も呂太夫さんの本のおもしろいところを採用してくれないかなと願っていました。
すると先日、それが実現する旨、新聞社から連絡があり、

    今日(4日)の朝刊

に掲載されるようです。
朝日新聞を購読されている方は是非、そうでない方は図書館にでもお出かけになれば置いてあるでしょうから、チラッとでもご覧ください。
また、「朝日新聞デジタル」などの電子メディア情報サービスや、過去の記事を検索できるオンラインデータベース「聞蔵」シリーズなどにも収録されますし、もし本になればそこにも載せていただけるだろうと思いますのでどうぞご覧ください。
鷲田先生、ありがとうございました。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

梅干 

庭に梅の古木があります。私が物心ついた時はもうありましたから相当古いです(笑)。
この木は実をつけてくれますから、花と実と両方楽しめます。
この2年は梅酒と梅シロップを作りましたが、いつか

    梅干

も作りたいな、と思っていました。
今は造り方などすぐに調べられますからありがたいです。
紀州の梅園の方がいくつもホームページを開いていらして、そこに丁寧に方法が書かれています。
何事にも不器用な私でも、何とかできそうな気がしてくるから不思議です。
梅干は原則的に完熟梅を使います。
青梅を採集していた時、どうしても高い位置にあるものは採れないままでした。それがやがて熟して落ちたものが数十個ありました。しかし、傷んでしまったものが多く、何とか使えそうなのはわずか10個あまり。
これじゃダメだな、と思ったのですが、とりあえず拾いました。ふと、

    インスタントコーヒー

の空き瓶があるのに気が付きました。
これで作れるかな?
試しに梅の実と粗塩を入れて、ビニール袋に入れた水を重石にして、冷暗所に置いておきました。
数日で梅酢が上がってきて、カビも生えず、教科書どおりの経過。
次は土用干し。

続きを読む

2017年幼稚園における文楽人形劇(5) 

お弁当を食べながらの反省会でした。
一人ひとり思ったことをお話しになります。ひとつのことを成し遂げたという満足感は持っていただけたようでした。
どういうことをおっしゃったのか、こまかいことはわかりませんので、後日幼稚園から送っていただいたみなさんの感想文をいくらか掲載しておきます。こういう場合、めったに悪いことは書かれませんので、そこは私もうぬぼれないように読みたいと思っています。

★子どもたちのリアクションがよくてやりがいがあった
★モグリンの魔法の詞を子どもたちが一緒にすることで盛り上がった
★話の内容がわかりやすく、引き込まれているうちにあっという間に終わった感じ
★出演者、スタッフの気持ちがひとつにまとまった
★子どもたちがあのあと「文楽ごっこ」をしていた
★子どもの数が減っていき、ボランティアの人も確保できるかどうかわからないという問題がある
★最後のリハーサルで先生にほめてもらって、本番は落ち着いてできた
★楽しいと噂に聞いていたので、はじめて観に行ったが笑いながら見入ってしまった
★小道具を作り、本番は客席から見た。感動した
★娘に頑張っている姿を見せることができて嬉しい
★本番は稽古のときにはない高揚感や感動があった
★人と人とのつながりができるという意味でも貴重な催しだ
★文楽=難しい、長いと思っていたが、こういうやり方もあるんだ、と感心した
★今年は観客だったが、来年は人形遣いをしてみたい
★こうすると人形がきれいに見えるよね、などと相談しながら動きをつけていったので楽しかった

みなさん、こちらこそお礼を申し上げたいくらいです。チームとして「たいへんよくできました」という感じですね!

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう