貧乏ひまなし 

このことわざは本当に私のためにあると思います(笑)。
授業が始まって、さらに忙しさが募り、重圧も増してきました。
もちろん世の中には私以上に忙しい人など山のようにいらっしゃいます。私が今「忙しい」というのは、かつての自分自身の生活を思い起こしてのことなのです。これほどあれこれ仕事を抱えていたことはかつてないと思います。
去年の今ごろは

    呂太夫さんの本

のことで精一杯。授業の予習とそれだけで自分では大変だと思っていました。しかし今年はさらにその上を行くかもしれません。
本日(9月30日)も土曜日ではありますが、図書館とプリンタを求めて仕事場に行きます。
往復の電車も仕事場と心得て勉強します。

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一週目から・・・ 

後期が始まってやっと1週間が終わろうとしています。
久しぶりに声を出しましたので、うまく話せたかどうか、心配です。
いつもお粗末な話ばかりですが、学生の皆さんは一生懸命聴いてくれました。
今年は、事実上、夏休みがありませんでしたので、その疲れがたまっていて、授業が終わるとぐったりする毎日でした。日によっては昼休みにぐっすり寝てしまうということもありました。しかし、目が覚めたら

次週の予習

をしなければなりません。
私は、障害を克服するために、授業の予習にかなり時間をかけますので、その日のうちに次週の予習をするのはかなり難しいのです。
電車の中でも、病院の待合場所でも授業の資料を見ているありさまです。

竹本C太夫さん

が、以前は浄瑠璃を語るように口を動かしながら電車に乗っていらっしゃいましたが、私も同じようなものです(笑)。
1週目からかなり疲れました。
土日は・・・やはり予習しなければなりません。

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葦の片葉(2) 

牧野富太郎というと、私でも知っている植物学者ですが、知っているとはいえ、その業績についてはほとんどわかりません。
ところが、片葉の葦の事を調べているとやはりこの人に行き着きました。
片葉の葦は、別に特殊なものではなく、その土地の風の状況などでいくらでも起こりうる現象なのだそうで、ごく普通の葦だそうです。
それでも、不思議だと言うので、

    なぜ片葉になったのか

を物語にしようという考えが各地にあるようです。
長沢利明氏「片葉の葦」(「民俗学の散歩道」4。西郊民俗談話会)によると、特に関東地方に多くの片葉の葦についての話があるそうです。
★茨城県下妻市高道祖
  死んだ女の地面に刺した葦の杖が根づき、女を慕って一方に向かって伸びたので片葉になった
★栃木県塩谷郡塩原町
  僧侶を誘惑するために若い娘に化けた鬼が、葦の葉をちぎって葦笛を吹いたので片葉になった
★埼玉県川越市川越城址沿いの川辺
  川越城の落城時に姫君と侍女が川に落ち、葦にすがったものの溺死したため、その恨みで川辺の葦が片葉になった
などなど、長沢さんは数多く紹介されています。

そして東京墨田区の七不思議のひとつにされているものが、前回書いた(→こちら)お駒と留蔵の話なのです。
この夏休みの間になんとかこの話を私なりにアレンジして創作浄瑠璃にしたいと思っていました。

    「呻吟する」

ということばがありますが、いつもかなり苦しむのです。そしていまだにできていません。
ただ、おおむねストーリーはできて、趣向もいくらか考えるところまできました。このたびは「月見団子」を小道具に使おうと思っています。まだもうしばらくかかりそうですが、松也師匠に作曲していただけるようなものをぜひとも書きたいと思っています。

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足洗ひ屋敷の演奏 

9月24日に東京築地の社会教育会館で野澤松也師匠の創作浄瑠璃の会が催され、ツケの入る人気演目の「役者演閻魔大王(やくしゃのえんじるえんまさま)」とともに、拙作の

    足洗ひ屋敷

が演奏されたそうです。
約30人のお客様がどのようにお聴きくださったのか、やはり気になります。
松也師匠はいい曲ができた、とおっしゃっていましたので、曲と語りと演奏は太鼓判。ひょっとしてお客様がたは

    本さえよければ・・

とお感じになったかもしれません。
もしそうであれば、みなさま、ごめんなさい。

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墓参 

一昨日の日曜、父の墓参りに行きました。
たいていそうなのですが、この日も1人で行きました。
秋晴れ、というわけにはいかず、どんよりとした空の下で挨拶してきました。
子どもの頃は帰りが遅くて会わないこともしばしば。そして中学生の時から20年以上別居して、そのまま永の別れをしましたので、あまり

    縁の濃くない

親子だったように思います。
しかし、父親の年齢を次々に体験していくうちに、いろんなことがわかるようになり、父の弱さも感じ取れるようになりました。それはすなわち

    自分の弱さ

を思い知ることでもあります。
私も遠からず父のあとを追うでしょうが、そのあと、息子がまた何かを感じるようになってくれるだろうか、などとあれこれ考えてしまいます。

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後期の授業 

多分、今日から授業が始まるはずと思って仕事場に来ました。予想通りでした(笑)。
1月の酷寒の時期に授業するくらいなら9月の初めからスタートすればいいのに、といつも思うのです。そうすれば後期は年内に終われるのですが、融通が利きません。
9月の初めから、と決めてくれたら、いくら私でも「多分、今日から」なんて

    アバウト

なことを言わなくて済みます(笑)。
こんないい加減な人間ですが、1週目の授業の予習はすでに終えています。プリントもパワーポイントも作りました。
いつ始まっても

    大丈夫

なのです。
理系の学生が多いのですが、まれに古典文学が好き、という人もいます。
後期も『源氏物語』を読みますが、「すごく楽しみです」と言ってくれた学生もいます。お世辞でもありがたいです。

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タマネギ 

今年は病気の影響でキュウリを枯らしてしまいました。
そのプランターはすでにきれいに洗って、土も再生して次の植物を待っています。
実は、一度作ってみたいものがあるのです。
それは

    タマネギ

なのです。
長い時間がかかりますが、それもまた魅力です。
種まきの時期はすでに終わりましたが、ホームタマネギからスタートするのはあまり乗り気がしません。
ぜひとも

    

からスタートしたいのです。
だいたい11月ころにホームセンターに出回るみたいですが、それを手に入れて半年あまりかけて作ってみたいのです。

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赦す女たち 

愛と赦しといえば、豊竹呂太夫さんの本にもありました。
あの本は五段組織の体裁にしたのですが、三段目に当たる部分は呂太夫さんの人生でもかなり厳しい愁嘆の時期だったように思います。
その部分で呂太夫さんは愛と赦しについて語ってくれました。
特に

    赦し

については、話しにくいはずのプライベートなことをお話しくださって、とても胸に響きました。
そして、文楽のお園(酒屋)やおさん(紙屋内)について、彼女たちが愛されるのは貞女だからというよりは

    赦している

からだ、とおっしゃいました。
呂太夫さんは大音声で聴衆を圧倒するようなタイプではなく、人物に陰影を与えること、性根を描くことを旨とする太夫さんかと思います。
文楽劇場よりは東京の国立小劇場が合うのかも。
やはり、愛と赦しは人が生きていくうえでとても大事なもの。またあの本を読み返しつつ、オペラから学んだこともかみしめています。

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愛と赦し 

歯の浮くようなタイトルだな、と言われそうです。
この生き馬の目を抜く世知辛い世の中で愛とか赦しなんて言ってると置いていかれるだけだ、と鼻で笑われるのがオチでしょう。
なるほど、私は慌ただしい世の勢いから置いていかれています(笑)。
政治や経済や法に疎く、何の

    権力

も持たない安っぽい臨時雇いの教員など、置いていかれて当然です。
ただ、3センチの虫にもわずかな魂。学校教員として生きてきた魂を売りたくはありません。
私は英語もろくにできないのですが、この間から必要があってイタリア語のオペラを読んでいます。日本語訳付きです(笑)からどうってことはありません。ボォマルシェ原作でダ・ポンテが脚色した「フィガロの結婚」の結末にこんな一節があります。
Questo giorno di tormenti, di capricci e di follia, in contenti e in allegria.
苦しみと気まぐれと愚かさのこの日を満足と歓喜に・・・。
そしてこのあとにこうあります。
・・・満足と歓喜に終わらせることができるのは

    Solo amor

つまり、「愛だけだ」というのです。
たかが芝居の世迷言と言ってはいけません。口先だけなら何でも言える、と馬鹿にするなかれです。

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26年もひと昔 

台風18号が去りました。
この台風がまだ東シナ海にあったころに、予想進路が新聞などに出ていました。
それを見ているうちに、今から26年前のことを思い出しました。
私は

    広島市佐伯区

のアパートで1人で生活していました。佐伯区というのは以前は佐伯郡の一部だったのですが、広島市に吸収合併されたのです。言い換えると、広島市とは言いながらかなり外れにあるのです。
私のいたところは海が近かったのですが、住宅街でしたので、海が見えたわけではなく、海辺という意識はありませんでした。
さて、平成3年9月、台風が来ました。

    風が強いらしい

と言われていたとおり、相当ひどいものでした。しかし、アパートの外に出て一番に驚いたのは水でした。道が見えないのです。アパートはほんの少し高い位置に建っていましたので部屋には影響はなかったのですが、そんなにひどい雨だろうか?と思うくらい意外なほどの水がでているのです。
今思うと、あれは風で海水が煽られて高潮のようになったものだったのでしょう。
海に近いことを思い知りました。

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あさがおのかんさつ(11) 

朝型の人と夜型の人がいるようです。小説家で夜にならないと書けない、という人もしばしばいらっしゃるようですし、学生からも夜出ないと勉強がはかどらない、という声がしばしば届きます。
私は完全に朝型で、受験勉強のときも、周りの友人が夜に勉強しているのに、私は夜は9時頃に寝て朝の5時頃から勉強していました。真冬でも凍えそうになりながらそうしていました。でも、夜遅くまで起きている、というとなんとなく大人っぽい感じがして、かっこいいな、と思わないでもなかったのです。大学生になって夜の街を歩いたりするとそんな気持ちになりました。
其角の句に

    草の戸に我は蓼食ふ蛍かな
              (虚栗=みなしぐり)

があります。
蓼食う虫という言葉のとおり、自分はちょっと変わっているが夜更かし型の放蕩人だ、と気取って見せたような句です。それに対して芭蕉は

    朝顔に我は飯食ふ男かな
             (虚栗)

と応じています。私は早起きをして朝顔を見ながら平々凡々として普通に飯を食っている男だよ、というのです。
なんだかもう、私自身の事のようで、芭蕉さんと同じ境地になってきたのかなと、喜ぶべきかどうか迷っています。ちなみにこの句を詠んだとき、芭蕉は39歳でした。

朝顔の句でどうにも不思議な魅力をたたえるものに

    朝顔やすでにきのふとなりしこと(真砂女)

があります。朝顔は花の名前ではありますが、「朝の顔」という意味も浮かんできます。自分の朝の顔。何かがあった翌朝の自分の顔。それをみていると、ああ、あれはすでに昨日のことになったのだ、と「あれ」をかみしめているようです。喜びと哀しみは別のものではなく、それらがひとつになってこの朝の顔を作っているのだと思うのでしょうか。何も言っていないのに、何かが伝わる俳句だと感じます。

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三連休 

私は曜日や日にちの感覚が鈍く、今日が何月何日の何曜日なのか、ということがわかっていないことが多いのです。とくに授業のない時期など、曜日を意識することがありません。
まして祝日なんてさっぱりわからず、昨日が祝日だったことも一昨日知りました。三連休だったのですね。
で、昨日は何の日? 多分(笑)、

    敬老の日

ですよね。私の場合、もう敬ってもらえるのか、まだなのか、微妙なところです。
それにしても、台風18号が来襲して、地域によっては大変な連休だったのではないでしょうか。
私は、墓参りには少し早いですし、かといってほかにどこかに行くというあてもなく、散歩のほかは部屋に

    引きこもって

いました。
何をしていたかというと、考えごとですね。いや、自分の人生について考えたりしたらわびしくなるだけです(笑)ので、もっとおもしろいことを考えていたのです。

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2017年9月文楽東京公演千秋楽 

以前は必ず行っていた9月の文楽東京公演。
行けなくなって7年になります。長い年月です。
今年の9月公演も、今日、千秋楽を迎えます。ケレン味たっぷりの『玉藻前』と、かつて広谷鏡子さんが

    文楽版タイタニック

と言っていた『朝顔話』。いかがでしたか。
東京公演、次は12月ですね。その12月は、吉田幸助さんが、

    樋口二郎兼光

を遣われるとか。襲名の前哨戦みたいですね。
このあと、地方公演を経て11月は大阪。また、皆さまにお会いできることを楽しみに。

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バッタ 

漱石の「坊っちゃん」に出てくる虫といえばイナゴぞなもし。
イナゴは多産だそうで、イナゴにあやかって子どもがたくさんできて家が繁栄しますように、という歌謡のようなものが古代中国にありました。
それが

『詩経』

に採られて今に伝わるのですが、『詩経』に入ることによって、とんでもない理屈がつけられます。
『詩経』には序があるのですが、そこでいかにももっともらしい意味付けがなされるのです。
これは、あるお后が

嫉妬しない

から王様がいろんな女性との間に子をなすことができ、朝廷は安泰だという意味だとされるのです。現代日本では通用しない理屈ですが、そういえばある皇族が皇位の安定的な継承のためには「現実的ではないが」とことわったうえで「皇太子に側室を置くこと」もひとつの考えだとつぶやかれたことがありました。
それはさておき、『詩経』はやがて日本にも伝わりましたから、いつしか「イナゴと后は嫉妬しない」と言われるようになったのです。
『俊頼髄脳』とか『宝物集』といった、平安時代後期の文献に見えます(『宝物集』は本によっては記載されていません。なお、『宝物集』はあの平康頼が鬼界ヶ島から赦免されて戻ったあとに書いたものです)。
イナゴもびっくりの珍説です。

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テレビに映る 

奈良にお住まいの知人のご子息は野球チームに入っているそうです。
お父さんもお母さんも阪神タイガーズファンでいらして、お子さまも小さい時から甲子園に連れて行かれたようです。
阪神は人気があるので、関西では毎日のようにテレビ放送があります。昔のテレビの野球中継はバックネット裏にカメラがあって

    審判の背中越し

に映るようになっていました。カメラの数は少なく、アングルは単純でした。
今はメインのカメラはバックスクリーンにあって、ピッチャーの背中越しに観る感じになっています。
いったい、何台あるのかというくらい、あちこちから写していて、しばしば観客席まで映ります。バックネット裏にいるお客さんなんて、何を食べているかがわかるくらいよく見えます。
その他、CM明けなどにも客席をぐるっと写したりして、あ、◯◯さんがいる! とわかることもあります。奈良の知人の方は、ご一家で映ったことがあるみたいです。
そして、先日、野球チームに入っているご子息が別の形で映ったそうです。
奈良市とお水取りのご縁のある小浜市は姉妹都市らしいのですが、その関係で少年野球の

    親善試合

があったらしく、それに出場されたのです。すると、近鉄のケーブルテレビが放送したそうで、きちんと解説が入ったり名前がスーパーででたりして、プロ野球並みだったとか。

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半日の夏休み 

どうも今年の夏は(私にとってはまだ夏なのです)あまり休めそうにありません。
しかしきちんと休まないと本当にバカになりそうなです。そこで昨日は、午前中のみ予定がなかったので、大阪まで行ってきました。
あまりにも有名すぎて、また必ずしも好みではない絵なのでパスしようかなと思ったのですが、やはり気になったものですから、行ってきました。

    バベルの塔

です。
場所は大阪中之島の国立国際美術館。地下にある美術館なので、閉所恐怖症の私としては入っていくのがいやな感じがするのですが(笑)、なかなか面白い美術館なのでよく行くところです。
「バベルの塔」の」作者は言わずと知れた

    ブリューゲル(父)

です。
「雪の中の狩人」にしても「子どもの遊び」にしても、ブリューゲルはよくもあれだけ細かいことが描けたものだと思います。
ブリューゲルの「バベルの塔」は今は2つあるそうで、もうひとつはウィーンの美術史美術館にあって、どちらかというと私は美術史美術館のものをまず一番に思い出します。
だからこそ今回はボイマンス美術館の「バベルの塔」を観られてよかったと思っています。

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楽譜を読む 

以前、文楽の太夫さんが「太夫はあまりカラオケのうまいのがいない、三味線さんのほうがうまい」とおっしゃていましたが、意外でした。
私は自分の声がわからないので、歌を歌うことがもうできません。というといかにも「昔はうまかった」といっているように思われるかもしれませんが、とんでもない話で、かなりの音痴です(笑)。
楽譜を見て初見で歌うなどということはまったくできませんでした。

    絶対音感

なんてもちろんありません。
昔知っていた曲がどういうメロディだったか思い出したいことがあります。人に聞いて口ずさんでもらえばわかる、というわけにはいかないので、唯一の手づるは楽譜ということになります。もうひとつあるとすると歌っている人の表情などです。これでふと思い出すこともまれにあります。
でもやはり楽譜は一番頼りになります。
6月に実施した幼稚園での文楽人形劇の最後は手遊び歌でしたが今年の曲は

    キャベツの中から

というもので、私はまったく知りませんでした。しかし、今は楽譜を検索するとパソコンに出てきますので、それをみてだいたい理解しました(私の場合、理解できたと思っても実際はかなり怪しげですが)。
皆さんが楽しそうに歌われているのでどんな曲か知りたかったものですから、とても助かりました。

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バランス感覚 

バランス感覚のない人間です。
もうちょっと大人になりなさい、と自分に言い聞かせるのですが、もうなおらないでしょうね。
短気なのか気長なのかわからないような性格で、おそらく他人様は「こいつとはどうつきあえばいいのかわからない」とお思いなのだろうと申し訳なく存じております。
学生に対しては優しすぎて(笑)、まず怒ることはないのですが、権力を持っている人間にはすぐにはむかうのです。これではすいすいと世の中を渡っていけるわけがありません。

    世渡り上手

にはなれそうにありません。
適当に済ませればいいことと必死にならなければならないことのバランスも悪いので、要領よく物事を進めるのも苦手です。何でもダラダラとやってしまいます。

    生き方上手

になる本、のようなものがよく出版されているようですが、ああいうのを買って読むとほんとうに上手になるのでしょうかね? もっとも買う気も読む気もありませんけれど。
「私はこうやって成功した」とか「こうしてお金をもうけた」とか「こういう方法で息子を一流大学に入れた」とか、そんなのもよく広告などで見かけますが、売れているのでしょうかね。
私なら「こうして失敗した」「こうしてダメになった」という本は書けそうな気がします(笑)。

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ダイエット月間 

先日、「ふらつかない」という記事でも書いたのですが、四月頃からあまり歩けない状態が続いていましたが、最近はけっこう歩けます。
おまけに今月になってとても涼しくなりました。
多少長い距離を歩いても大丈夫です。片道22分の近所の図書館まですいすい歩けますので、できるだけ歩くようにしています。また、仕事場へも電車を使えば4000歩余分に歩けますのでこれも心がけています。
というわけで、この秋はダイエットに励むことにしました。
私のダイエットはいつも簡単で、

  よけいなものを食べない
  歩く
  筋肉を鍛える

この三本立てです。
よけいなものを食べない、というのは、お菓子の類です。私は無類のせんべい(おかき)好きですので、それをやめるだけでもかなりカロリー減になります。それだけでなく、このところ、三度の食事以外は何も食べていません。財布にもやさしい(?)ので一石二鳥です。最初はおなかがすきますが、慣れるとどうってことはありませんし、空腹感を覚えることは大事なことだと思うのです。
歩く、はそのまま。とにかくできるだけ歩いて行動しています。
筋肉を鍛えるというのは、歩くだけでは上半身があまり動きませんから、ダンベルを使っています。筋肉を鍛えることで代謝をあげようというわけです。
秋が終わる頃にはスタイルのいいところを皆さんにお見せできる・・・でしょうか。

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あさがおのかんさつ(10) 

いいかげんな世話しかできないのに、朝顔はずいぶんたくさん花を咲かせてくれました。
数を数えればよかったのですが、できませんでした。
このあとは種の採集です。
種ができるためには受粉が必要ですが、朝顔は

    自家受粉

してくれます。
花を開く前夜から、めしべの背の高さをおしべが追い抜いていくのだそうで、そのときにおしべの花粉がめしべに付くのだとか。うまくできているものです。
そういうのを時間をかけて観察するのがほんとうに「あさがおのかんさつ」なのでしょうが、ゆとりがなくてできません。
暑いうちは種ができにくい性質もあるそうで、実際、花と一緒に

    子房

も枯れてしまったようになっているものがいくつもあります。むしろこれから咲く花のほうがしっかり種を残してくれるかもしれません。
それでもすでに種は採取しています。また来年この種から新しい芽が出るのを楽しみにしたいと思っています。

あさがおのたね
↑ひとつめの種

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ながら族 

三枝(六代文枝)さん、仁鶴さん、小米(枝雀)さん、先代春蝶さん、さんまさん、鶴瓶さんなどがメディアの寵児となられたのはすべてラジオでの活躍が下地になったと思います。
朝日、毎日だけでなく、ラジオ大阪も大きな役割を果たしてきました。
いわゆる

    深夜放送

で、小学生の頃はそんな時間に起きているわけではありませんから、自分専用のラジオでこれを聴くのがいかにも「中学生のお兄さん」なのでした。
私は古いもう捨てるほかはないというようなラジオをはじめて中学生2年生か3年生の頃にもらいました。
ぜいたくな家ではありませんから、すべてお古。特に私は次男ですので、何から何まで家でいらなくなったもの、兄が使えなくなったもののお古をもらうのです。それでも嬉しかったものです。
当時はやった言葉に

    ながら族

というのがありました。何かをしながら別のことをするという若者気質を非難交じりに揶揄した言葉でした。
勉強もラジオを聴きながらするのです。
AMラジオが面白い時代でした。いや、今でもおそらく面白いのでしょう。この記事を書こうと思って調べたら、浜村淳さんなんて今毎日なさっているのですね。80歳を過ぎてすばらしいご活躍です。

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書きました 

「なつやすみのしゅくだい」の最大の難関であったものがとりあえず終わりました。
もう、本当に何がなにやらわからないものを書きました。
資料を集めたものの、それをどう料理するかでうまく自分をコントロールできず、あっちこっちにいってしまったようなものになってしまいました。

    最高級の食材

を与えられたのに、料理の腕があやしいから結局は意味のわからないものをつくってしまったという感じです。当然他人様に召し上がっていただくわけにはいかないでしょうね。自分で書いて自分で読むことにします(笑)。
でも、さすがに疲れました。あっちこっちの図書館を走り回ってパソコンは仕事場にしかないので、連日通い詰めて、帰りの電車ではその日に書いたことをプリントアウトしては読み返して、

    朱を入れ

ては、また翌日仕事場に持って行って・・・。そんなことをしていました。
とにかく終わりましたので、次の仕事にかかります。

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碁 

私は将棋というゲームがまるでダメです。
最近は中学生のプロ棋士が活躍しているとかで人気が出ているようですが、私にはさっぱりわかりません。何十手も先を読むとか、そういうことがなぜできるのか皆目理解できないのです。私は長男が小学生くらいの頃に将棋をしたいと言うからつきあったことがあって、その頃はさすがに私が勝っていました。ところが彼が中学生になるとまるで

    かなわなく

なってしまいました。何度やってもあっというまに負かされてしまうのです。いつのまに・・・と思いました。誰に似たのか、数学が得意で、今では数学の教師になっているのですが、理詰めのところがやはり私とは違うのでしょうか。私は何でもアバウトですから、きちんとした理屈でものを言うことなんてできませんし、こういう理屈のゲームはどうにも合いません。

    囲碁

になるともうルールすら知りません。新聞によく囲碁の記事が載りますし、テレビでも囲碁の番組があるようですが、盤を見てもどちらが有利だとか、それすらわかりません。
ああいうのをなさる方はなんとなく賢そうで、憧れがないわけでもないのですが、今さら覚えようとは思いません。

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ここで笑う 

きのう、やたけたの熊さんがなにやら難しそうな学会で講演されたそうです。そして、笑いを採るところまで決めてるんだとおっしゃっていました。
さすがに余裕がありますね。
私も時々そういうことをする場合があります。「古代中国、漢の高祖(劉邦)の奥さんの一人に戚(せき)夫人という人がいました。この人はのちに高祖の皇后である呂太后という人にひどい目に合わされる人なのですが、とても魅力のある人で、グッと体をそらして踊るのが得意だったのだそうです。

    『セキバウアー』

っていうところでしょうかね(ここで笑う)」・・・という感じです。文楽ファンの方の前でお話しするなら、「呂太后という人に、呂太夫じゃないですよ(ここで笑う)・・・」にするかもしれませんが。
熊さんがそうおっしゃっていたとき、ふと思い出したのです。高校時代の地理の先生は、授業にはきちんとノートを作って持ってこられて、その

    ノートのとおり

にお話しなさったのです。私は覗いたことはありませんが、悪い同級生が隙を見てそのノートを覗いたら、その先生もやはり「ここで笑う」と書いていらしたそうです。
で、その「ここ」に来て、先生が何か冗談をおっしゃっても生徒がクスリとも笑わなかったりすると「おもしろくないかね」とご不満を表明されたのです。きっちりした方でした。

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ふらつかない 

今年になってずっと体調が悪くて、七月に最悪になってしまいましたが、その後いくらか取り戻し、夏休みはつつがなくすごせています。
しかし、かなり長く不調でしたから、ほとんど歩いておらず、いざ歩こうとするとふらつきがあっていけませんでした。
具体的に申しますと、道をまっすぐに歩くことができない、階段は手すりを持っていないと不安、などという感じです。特に私の場合は耳がよくないので

     体のバランス

も悪く、足の筋肉も衰えていたでしょうから、片足立ちをすることができないことがあります。朝、靴下を履く時は、ほとんど何かに寄りかかった状態でないとうまく履けません。これも不調の目印になります。
ふらふらと歩いていると迷惑になりますし、狭い道なら後ろから車が来るとかなり危ないのです。
何度かすぐ脇を車が通っていって

    ヒヤッ

としたこともありました。おそらくドライバーの方は「何をふらふら歩いとんねん!」とでも思われたでしょう。クラクションを鳴らされてもわかりませんから、もしそうされていたらさらに不愉快に思われたことでしょう。通り過ぎるときに捨てぜりふのひとつも吐かれたかもしれません。何もかもが私には分かりません。

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左手 

三味線は左手でツボ(勘所)を押さえますので、左手の働きは重要です。バイオリンもギターもチェロも、弦楽器は右手で音を出し、左手で音階を調節したり音色を変化させたりすることが多いようです。
文楽の太夫さんは必ず床本を左手でめくります。あれはなぜなのでしょうか。
関係ないのかも知れませんが、私も貴重な和本のページを繰る時は左手を使います。右手を使うと本を手が覆うかっこうになり、何かのはずみで

    本を傷つける

のが怖いからです。左手でそっと墨の付いていない部分に触れて紙を持ち上げ、ある程度次のページが見えたら手を離し、紙自体の重みでページが進むようにします。私なりのやり方ですが。
本を傷つけないためには本に触れなければよいのですが、それでは本は読めません。そこで、「最低限」触れることにしてします。
他人の持ち物である貴重な本を拝見する時は、マスクをして胸ポケットには何も入れず、細部を見る拡大鏡を用いる時は紐で首からぶら下げます。

    国宝(級)の文献

を目の前にするときはさらに緊張します。500年、1000年守られてきたものを自分が台なしにすることは許されないからです。
国宝で目の前で見せていただいたものとしては藤原道長の日記の『御堂関白記』(京都・陽明文庫)などがあります。本物の発するオーラとでも言うのでしょうか、ほんとうにすばらしいものです。

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学問じゃない 

「役に立たない」と言われる学部の代表格である文学部の出身です。
「役に立たない」ってどういうことなのか、いまだにわかりませんが、とにかく槍玉にあげられているようです。
槍玉でもビー玉でもパチンコ玉でもどうぞあげてくださいませ。いっこうにこたえませんので。
と、強がりは言うのですが、たしかに世のため人のためになっているのかと言うとそうともいえず、

    ぜいたくは言いません

からこういう学問をさせてください、というのが正直なところかもしれません。
にもかかわらず、世の中はけっこう冷たいのでして、文学部なんてどんどんなくなっていき、私も追い出されてしまって、今や仕事場の片隅で遠慮しながらかすかに呼吸させてもらっているというありさまです。
ふと思い出したのです。学生時代に恩師(平安時代文学)が漏らされたことばを。
「僕らのやってることってねぇ、学問だかなんだか

    わからんよ」

と言われたのです。先生、そんな心細いことをいわないでくださいよ、という気持だったのですが、恩師は何か真剣に考えてああいうことを言われたのだろうとも感じました。
恩師は大変すぐれた学者でしたから、「学問か何かわからん」などということはないのです。問題は私のほうです。
論文を書いても「だからどうなんだ」といわれたらほんとうに寂しくなることがあります。

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先が見えません 

調べたことを覚書としてまとめておこうと思って書き始めたことが、完全に迷路に入ってしまいました。
タイトルはすでに変更必至。当然中味も大幅に変えざるを得ません。
今週が締切なので、できるかどうかも闇の中。まるで先が見えません。
ここで断念すると、この夏に

    大きな悔い

が残りそうで、とにかくギリギリまで頑張ります。
並行して義務的にしなければならない仕事があり、これも厄介です。もっとも、こっちは適当にやってますけどね(笑)。
連日、朝から晩までですが、なにしろ図書館が閉まっていますから、はかどりません。
本当に、我が身の怠惰と無能にはあきれ返ります。
途中で

    時間切れ

になったら、続きはまた来年、にしようか、と真剣に考えるようになっています。
しかし、それをいうとまた怠けますので、とりあえず泣き言は封印してあと数日、励みます。

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2017年9月文楽東京公演初日 

本日、文楽東京公演が初日を迎えます。
この公演では吉田和生さんが人間国宝になってはじめての東京入り。あちらのファンの皆さんもお喜びでしょう。国立劇場のホームページを見るとおもな出演者に和生さんのお名前がまだありませんでした。入れたらどうでしょうか。
演目は次のとおりです。

第一部(午前11時開演)
生写朝顔話(宇治川蛍狩り、明石浦船別れ、浜松小屋、嶋田宿笑い薬、宿屋、大井川)

第二部(午後4時開演)
玉藻前曦袂(清水寺、道春館、神泉苑、廊下、訴訟、祈り、化粧殺生石)

非常にわかりやすい番組構成です。
『玉藻前』は以前大阪でこの形の上演がありましたが、東京でもということのようです。
例によって勘十郎さんの独擅場でしょうか。

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あさがおのかんさつ(9) 

手遊び歌に「あさがおこりゃこりゃ」というのがあるそうです。

あさがおめがでた
おこりゃこりゃりゃ
こりゃこりゃきたぱっ
つるがのびて こりゃこりゃつぼみ
・・・

と続くそうです。
小黒恵子さん作詞の「あさがおのうた」は

おはよう おはよう あさがおが
めざましらっぱをふいている
・・・

というそうです。童謡には欠かせない素材でしょうね。
絵本には当然のように多くの朝顔関係の本があります。
子どもにとって、とても親しみやすい花といえそうです。
金子みすゞには「朝顔の蔓」があります。

垣がひくうて
朝顔は、
どこへすがろと
さがしてる。

西もひがしも
みんなみて、
さがしあぐねて
かんがえる。
・・・

ですね。
同じ金子さんには「あさがお」もあります。

青いあさがおあっち向いてさいた、
白いあさがおこっち向いてさいた。
  ひとつの蜂が、
  ふたつの花に。
  ひとつのお日が、
  ふたつの花に。
青いあさがおあっち向いてしぼむ、
白いあさがおこっち向いてしぼむ。
  それでおしまい、
  はい、さようなら。

朝顔はそれ自体が童話のようです。

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