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花見 

桜の季節になりました。
昔は桜と言えば4月の花という感じでしたが、最近は少し早くなっているように思います。
桜と言ってももちろん種類があります。我々が今日おもに桜だと思っているのは

    ソメイヨシノ

ですが、この品種は江戸時代以来ですから、たとえば平安時代などの桜は今のものとは違っていたのです。それでもやはり桜の人気は高かったのです。
大阪には造幣局の通り抜けというのがあって、こちらは4月半ばが見ごろです。桜と言えばピンクのイメージがありますが、こちらは必ずしもそうではなく、たとえば

    太白

ならとても清潔な白い花です。
花の名所は数々ありますが、私は兵庫県西宮市の夙川に下宿していたことがありますので、夙川公園の桜はよく観に行きました。
今年はどこでどんな桜を見ることができるか楽しみにしています。

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博打打ちの資質 

『新猿楽記』に見える右衛門尉の長女の夫は博打打ちです。
竹の筒にサイコロを入れて振り出すのですが、賽の目を思うがままに出すことができました。
双六の名人だった宴丸道弘という人物にもまさる技を持っていたということになっています。
そして、彼には博打打ちの資質が揃っていたとも書かれています。
まず、目が細くて鼻が低く、あたかも

    物の核(さね)

のような顔をしている、つまり、何かの種のような顔だというのです。
博打打ちは、まん丸の目で鼻筋の通ったのはよくないようです。
そして次に、こんなことが書かれています。

一心 二物 三手 四勢 五力 六論 七盗 八害 無所缺之

落語の「稽古屋」に、モテる男の条件として「一見栄 二男 三金 四芸 五精 六おぼこ 七科白 八力 九肝 十評判」というのがありますが、ふとそれを思い出しました。
この男は、「一心」から「八害」まで「缺けたる所無し」というのです。どうやらこれが博打打ちの資質をあらわすようです。
意味がよくわからないのですが、『牛馬問』「博奕」に、「ある草紙を見れば」として説明があります。それによりますと(「三手」ではなく「三上」に、「四勢」ではなく「四性」になっています)
一に心が横柄であること、二に金をたくさん持っていること、三に上手になること、四に気性をを丈夫に保つこと、五に負けたら無理やり力任せに勝つこと、六に論破してしまうこと、七に人の目をくらませること、八に、それでも負けたら相手を殺してでも相手のものを取ること。
かなり

    めちゃくちゃ

ですね。
しかし、博打打ちでなくても、こういう人、いませんかね。横柄で金持ちで気が強くて、力任せに物事を進め、論破すればいいと思っていて、詭弁を弄し、負けたらなんでもやっちゃう。
これ、何だか、政治屋にもいそうですよね。

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未完成 

人間のすることなど、たいしたことはありません。
失敗ばかりしながら少しでもよい方向に進むように努めるほかはないでしょう。
私もこれまでにものを書くことはそこそこしてきましたが、あれは完璧だった、などと思うものはひとつとしてありません。
研究がらみでいうと、間違ったことを書いたことなどいくつもあります。
大先生というべき方でも「なぜこんな間違いを?」といいたくなるような誤りをされるこてがあります。
創作に関しても、

    研ぎすました

つもりでも、あとから見ると冷や汗の出ることがあります。野澤松也さんに差し上げている創作浄瑠璃は、松也さんが手を入れることを一切なさいませんので、いつも「これでいいのかな」と思っているのです。
先日上演された狂言風オペラ

    フィガロの結婚

については、逆に手を入れられて原型をとどめないくらい(笑)なのですが、そうなるとまた、あそこは残して欲しかった、というところが出てきます。
実は、結末の5分ほどのところで、演出さんにかなりお願いしたことがあるのですが、ほとんど取り入れられませんでした。
私にとっては依然として未完成作なので、来春の再演に向けて、もう一度言ってみようかな、と思うのです。

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年賀状の「お古」 

平安時代には郵便局はありましたか?
こういう質問が学生からしばしば出てきます。「あるわけないだろう!」などと思ってはいけません。私は平安時代のことなど何も知らない学生を相手にしているのですから。むしろ、こういう質問をしてくれることをありがたく思っています。そして、丁寧に答えるようにしています。
昔は

    文使い

が持っていったのですよ。だから、ポストに入れて郵便局に集めて、また宅配するなんて面倒がなく、速達もいいところ。手紙を書き終えて30分後には相手の手元に届いている、ということもあるわけです。もちろん、地方に送る手紙は何日もかかりますけどね。
今、郵便事業は曲がり角。多くの人がメールやラインで連絡しています。私も手紙を書く機会がずいぶん減りました。
年賀状も減少の一途。来年度分は値上げもあってさらに減るかもしれません。
年賀状といえば、今年の分が10枚ほど余りました。
今年の年賀状は

    52円

でしたから、私は早速10円切手を買ってきて貼りました。ところが、これをどう使うか、悩ましいのです。
やはり年賀状の「お古」ですから、まともな使い方はしにくいです。御礼状などにはできませんよね。
何かのキャンペーンに応募する習慣があればすぐに使うのですが、仮にその気になっても、今はウェブページからの応募が増えていますしね。
いっそ郵便局に持って行って手数料を払って普通ハガキか切手に換えてもらえばよかったかなぁ?

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そだねー 


2月の冬季オリンピックは韓国のかわいいウサギの名前のような町でおこなわれました。
私はほとんど観ていないのですが、以前も書きましたように、わずかに女子500m

    スピードスケート

のみリアルタイムで観ました。
それ以外に知っているのはあまりにも有名になってしまった女子カーリングのお嬢さんたちです。競技は観なかったのですが、「かわいい」というので、メディアが異常なほどにとりあげ、私までが目にすることになったのです。
たしかに、底抜けの、というか、素朴な明るさを感じました。
そして、彼女たちが「そうだね」というのを訛って

    「そだねー」

と言ったのが流行語にまでなったようです。
流行語なんてまるでわからない私が知っているのですから、相当流行ったのでしょうね。
ただ、私は、文字ではわかっていても、これをどう発音するのかがわからないのです。
私の発音は、10年前のものが最新で、今めかしいものではありません。
もう、改まることはないと思われ、古めかしい物言いをする人だな、と思われるばかりです。

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みなさんのおかげで 

私が豊竹呂太夫さん(もちろん英太夫時代。以下、すべて呂太夫さんと書きます)とお話しするきっかけを作ってくださったのは、おそらく作家の広谷鏡子さんだったと思います。
広谷さんは、以前からの知人であった歌人の松平盟子さんの紹介で知り合いました。
その松平さんは、妹さんが私の後輩だったことから近づきになったのでした。

    人の輪

はどこから広がるかわかりません。
呂太夫さんに本を出すお話をした結果、創元社の編集者さんと知り合いになりました。
その方は歌舞伎三味線弾きの

    野澤松也さん

とお知り合いで、松也さんが創作浄瑠璃の書き手を探していらっしゃる、とおっしゃるので、私が立候補したのです。
呂太夫さんには、本の執筆を許していただいただけでなく、すでに創作をふたつさせていただきました。昨年の「ルター」とこのたびの「フィガロ」。
私の長年の夢を叶えていただいたことになります。
呂太夫さん、広谷さん、松平さん、松平さんの妹さん。
感謝いたしております。

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三人の妻(3) 

『新猿楽記』に出てくる右衛門尉の妻たちの話が途切れてしまいました。もう一人の妻についても書いておきます。
一人目は母親ほど年の離れた妻で、二人目は同い年でした。となると、三人目は想像できますよね。
娘のような若い女で、

   年は十八

で、たいへんな美貌です。
世間のことはあまり知らないのですが、世の喧騒から距離を置いています。
右衛門尉は大事な仕事をしていても、この妻のことを話し出すと仕事のことは忘れ、神仏に仕えるべき折もこの妻と一緒にいると妻を重んじてしまいます。
眉を険しくしていても自然に和らぎ、怒った顔をしていてもなごむのです。
痛むところがあってもこの妻に触れると癒され、苦しみも安らかになります。
夜は夜として愛し、昼も昼としてかわいがり、この女のためなら目をえぐられても痛くないし、財産を投げ打っても惜しいとは思いません。
たとえ火の中、水の底、雨が降ろうと風が吹こうと平気です。
万人に嘲られてもものともせず、他の二人の妻に

    嫉妬

されてもおかまいなし。
不老長寿の薬もこの妻にはかなわないのです。
・・・というありさまなのでした。

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狂言風オペラ「フィガロの結婚」千秋楽 

昨日、一週間にわたる狂言風オペラ「フィガロの結婚」が千秋楽となりました。
東京観世能楽堂で4公演、京都けいはんなホールと大阪いずみホールで1公演ずつ。
プロって、大したものだな、と思いました。
私の知り合いも全部で数十人ご覧くださいました。
私はほんのわずかにお手伝いしただけですが、それでもいくらかの達成感あります。
みなさま、ありがとうございました。

血液検査 

あちこちガタがきていますが、これまて、血液検査ではあまり大きな問題が出たことはなかったように思います。
しかし、先日おこなった検査では、あれもこれも異常値でした。なぜか白血球、赤血球、ヘマトクリットが高めて、こういうことは初めてかも。
いつものとおりの悪さ、というと、

    TP(総蛋白)

の低さ。栄養が足りていませんなぁ。
薬の影響が考えられるものに、好中球があり、やはり薬と運動不足が中性脂肪を引き上げています。
おまけに、

    肝機能

まで。なんだかまずいです。運動は、歩くことすら億劫なので、できていなくて当然です。呼吸が楽になれば是非ともしっかり歩きたいです。
それにしても、採血でなかなか血が出てくれませんでした。それもまた情けないです。

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貝覆ひ 

先日、久しぶりに大阪市歴史博物館に行ってきました。特に目当てがあったわけではなく、大槻能楽堂に行く用があったので、その直前に30分ばかりのぞいてきたのです。
私は人と会うときに手伝ってくださる方がいてくださるととてもありがたいのです。この日もそういう方がいらしてくださって、ではせっかくだから歴博にも寄りませんかとお誘いしたのです。
この方はこのブログをご覧になってコメントをくださったことからツイッター。フェイスブックでも交流のある方なのですが、お目にかかったことはなかったのです。

    初対面

でしたが、お付き合いは5年前からなのです。
あちらは本を何冊も書いている方で、お顔も表に出していらっしゃいますので、私はお顔を見ればわかります。それで歴博の入口のところでお会いしました。
歴博は初めてだったそうですので、いくらかご案内できるかな、と思いまずは10階へ。ここで難波宮跡を展望するところにご案内するととても感激されていました。また下りのエスカレーターのあるところから大阪城をご覧になって、これまたお喜びでした。これだけでもお誘いしてよかったです。9階に降りると

    貝覆ひ(かいおおい)

の実演をしていました。何しろ平日の夕方でお客さんはほとんどいなかったものですから、「一度なさってみませんか?」と申し上げたら「やってみます」とおっしゃって体験なさいました。この方は冗談もお好きでいつも「深窓の令嬢」と自称されています。「貝覆いは江戸時代にはお姫様がなさいましたよ」と申し上げたら「私にぴったりだ」と(笑)。いや、実際、すてきな方なのですが。
このほかにも新収の資料のコーナーで名越昭司さんの鬘をいくつか拝見できました。これは思いがけないもので嬉しかったです。
大槻能楽堂ではとてもマメにメモを取ってくださり、大助かりでした。
終わったのが夜の7時過ぎになりましたので、谷町6丁目まで歩いて、ちょっとユニークな「粉もん」のお店に入りました。豪快なお好み焼きではなく、しゃれた感じのもので、それもとても喜んでいただけました。

春はあけぼの 

源氏物語と枕草子は平安時代の文学の双璧のように言われます。しかし、私は圧倒的に源氏物語が好きで、これまで枕草子はあまり熱心に読んでこなかったのです。
5月から、その枕草子を読む講座を実施しようと思ったのは、これではいけない、と感じたからです。
この春休みはともかくこの不思議な草子の勉強を一からやり直してみようと思いました。
まずは枕草子の成立事情を記すところから始めたのですが、あわせて冒頭からも読んでいきました。
冒頭というと、おそらく誰もが知っている

    春はあけぼの

です。高校時代にたいてい習う一節です。しかし、この段を読んでいるうちに、前に進まなくなってしまいました。考えることが多すぎるのです。
たとえば、

春はあけぼのやうやう白くなりゆく山ぎは少しあかりて紫だちたる雲の細くたなびきたる

をどこで区切るかで悩みます。一般的には

春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山際少しあかりて
紫だちたる雲の細くたなびきたる

でしょうが、

春はあけぼの
やうやう白くなりゆく
山際少しあかりて紫だちたる
雲の細くたなびきたる

という切り方もできそうです。
切り方によって当然意味も微妙に変わります。
紫がかっているのは山際なのか、雲なのか。
高校時代には

    見えなかったもの

が浮かび上がるようで、おもしろいです。
この講座、まだ募集が始まっていないので、来てくださる方があるかどうか不明です。
でも、勉強はおもしろいのです。

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祈りとしての戦い 


過越の祭が近づいたので、イエス・キリストはエルサレムに行きました。そのとき、神殿の庭に鳩や牛、ヒツジなどを売る者や両替をする者を見つけました。イエスは「縄で鞭を作り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、鳩を売る人々には『これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな』と言われた」(ヨハネの福音書2章15,16)。
初めてこの一節を読んだとき、このイエスの行動はいくらなんでもやりすぎではないか、と思ったものでした。
この場面はとても有名で、絵の題材にもなり、たとえば、エル・グレコ(彼はいくつもこの題材で絵を描いています)の「神殿から商人を追い払うキリスト」などがあります。イエスが鞭を振るっている場面ですから、一見とても野蛮な感じがするのです。
倉田百三の

     『愛と認識との出発』

「他人がいかなる悪事をなしても、それは赦さねばならない。しかしいかなる小さな罪も責めねばならない。宗教はこの二つの性質を兼ね備えたものである」と言っています。そして上記のイエスの行動については、倉田もまた最初は「キリストのこの行為を善しと見ることができなかった」と述べつつも「愛しつつ赦しつつ、かく為なすことができると思うようになりだした」と言い、さらに「愛はたたかいを含み得る強いものであってさしつかえはない。ただ私はそのたたかいが、他の一面において祈りの心持ちによって義(ただ)しくされることをねがう」というのです。
愛すればこそ戦うこともある。しかしそれは祈りの心によるものでなければならないのです。
このところ私はこのことをずっと心に思っています。すると、藤原師輔の

    九条殿遺誡

を読んでいて、同じことが書かれているのに気付きました。
「若有成過之者、暫雖勘責、亦以寛恕」という一節です。「もし過(あやま)ちを成す者あらば、暫く勘責すと雖も、亦以て寛恕せよ」と読めます。最後を命令形で読んだのは、この文章全体が子孫への「○○しなさい」という誡めだからです。
間違ったことをした者がいた場合、しばらくはその責めを咎めねばならないものの、そのあとは許しなさい、ということでしょう。
「祈り」や「戦い」という言葉はもちろん出てこないのですが、根本的には同じことを言っているのではないか、そんな思いを抱いています。

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狂言風オペラ『フィガロの結婚』初日 


本日(2018.3.19)、東京都中央区のGINZA SIX(ギンザ シックス)観世能楽堂で、狂言風オペラ『フィガロの結婚』が上演されます。
芸術監督 大槻文蔵
演出   藤田六郎兵衛
脚本   藤田六郎兵衛ほか
音楽監修 木村俊光
出演   
(能)赤松禎友
(狂言)茂山あきら 茂山茂 野村又三郎 山本善之
(文楽)豊竹呂太夫 鶴澤友之助 桐竹勘十郎(吉田簑紫郎、桐竹勘介ほか)
(音楽)クラングアートアンサンブル
なにしろ一流の演者の皆さんですから、きっと面白いものになると思います。私もわずかにお手伝いしましたが、そのお手伝いした部分が致命傷にならなければいいな、と不安を抱きながら開幕を迎えました。
このあと、明日(20日)も観世能楽堂、22日は京都府立けいはんなホール、23日は大阪のいずみホールです。
おいでくださるかた、なにとぞお楽しみくださいますように。

三人の妻(2) 

『新猿楽記』の記す、右衛門尉の妻たちの、二人目は、夫と同い年。
この人は特に美人というほどではないのですが、欠点もない人です。
家事万端をそつなくこなす、

    家刀自

という言葉がふさわしいような主婦です。
水が器になじむように心は穏やかで、雲が風に靡くように剛柔を意のままに使い分けます。
裁ち縫い、染め張り、織物、糸紡ぎなどなんでもござれ。役人や商売人の才能があり、家を治める力は褒めてもあまりあるくらい。
朝晩の料理は満足のいくもので、衣類全般、太刀、笏、扇、沓などあらゆるものを的確に用意してくれるのです。

    小津安二郎

の映画に出てきそうな「よくできた」奥さん、という感じです。
この人がいれば右衛門尉も文句はなさそうなのに、そこが男の不思議なところで、彼にはもう一人妻がいるのです。
あまりによくでき過ぎて、それがまた物足りないのでしょうか。

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三人の妻(1) 

私が『新猿楽記』を手にしたそもそもの理由は、筆者の藤原明衡が、一家をあげて猿楽見物に出かけた人として描いている右衛門尉の妻たちのことを確認するためでした。
西の京に住むという右衛門尉には三人の妻があり、十六女、九男がいるのです。彼らが揃って見物に出たというのですから、事実なら壮観でしょうね。
三人の妻のうち、最初の妻は

    六十歳

を超えています。右衛門尉はまだ四十歳くらいなので、親子のような夫婦です。なぜこの二人が結婚したかというと、妻の実家が富裕だったからでした。つまり、右衛門尉は財産に目が眩んだのですね。今になって後悔していますが、後の祭りです。
妻の容姿は、髪は真っ白で、顔はしわだらけ、歯は欠け落ちて飼い猿の頬のようにくぼんでいます。胸は垂れて牛の「ふぐり」のようで、化粧してもさながら十二月の月夜のように誰も見向きもしない・・。もう、散々にけなされます。
そんな彼女ですが、男の関心を引くために大聖歓喜天を本尊とし、男女の結びつきに関わる祭りには祈願しては踊り狂い、さまざまな寄進をするのです。しかし、すべては虚しいのですが。
そして、

    嫉妬

は強く、目元は毒蛇がくねくねとまとわりついているようで、忿怒の形相は悪鬼さながら。
男を恋うと涙を流して化粧の白粉は浮き、愁嘆すると肝臓が燃えんばかり。
いっそ白髪を剃り落として出家すればいいのに、命に未練があり、生きながら大毒蛇のようになっている。
これ、私が言っているのではなく、藤原明衡の文章ですからね。

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猿楽と吉本新喜劇 

相撲節会(すまひのせちゑ)の余興に滑稽な芸が行われました。
以前、そんなことを調べていて、少しばかりそれに関する史料も読みました。しかし、もうひとつはっきりわからないままだったのです。
先日、『新猿楽記』を眺めていて、またそういう笑い芸に興味が湧きました。
猿楽にはいろいろな芸があります。傀儡(かいらい、くぐつ)もそのひとつで、器用に人形を遣って見せることは世界各地にある芸でしょう。

    侏儒舞

というのがありました。「侏儒」は「小人」のことで、小柄な人が舞うのか、あるいは小人の真似をして舞うのか。吉本新喜劇なら池乃めだかさんでしょうか。
独り相撲というのがあります。文字通り一人で相撲をとるかっこうをするものです。神様と相撲をとって人間が負ける、というしぐさを一人でする奉納芸が今もあるようですが、これもうまい人が演ずると笑いを誘うでしょう。
一人で二人の会話をする芸であれば吉本新喜劇の桑原和男さんの「こんにちは、どなたですか、桑原の和ちゃんです、お入りください、ありがとう」というのがあります。

    骨無(こつなし)

という芸は、文字通り骨がなくてフニャフニャになったようなかっこうをするもので、間寛平さんの「カルシウム足らんねん」「なめなめくじくじ」というところでしょう。
蟷螂舞というのは、おそらくカマキリのようなかっこうをして踊るのでしょう。これも寛平さんみたいです。
逆に考えると、吉本新喜劇の芸は猿楽なのかな、という感じがします。
牽強付会かもしれませんが、寛平さんの芸が「猿」楽の流れであることは間違いないでしょう(笑)。

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九条殿遺誡(3) 

藤原師輔の戒めはまだまだ続きます。
主君(帝)には必ず忠貞の心を尽くしなさい、と述べたあと、親には「恭敬之誠」を尽くし、兄は父のように敬い、弟は子のように愛しなさい、と言います。
心を同じくする友は隔てを置かず、なんでも語り、恨んではいけない。心細い姉妹はきちんと扶持しなさい。自分に心を寄せる人でも親に悪心を持つ者とは絶交し、自分が疎んぜられても親に親切な人とは親しくしなさい、とも言います。




     青 



     緑 


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百太(2) 

鎌倉時代の事典に『二中歴』があります。この中に散楽の名人が9人列挙されているところがあります。
そこには「白太」「仁難」「寿延」という名前が見えます。
「仁難」は『新猿楽』のいう「仁南」と同一人物かもしれません。「寿延」は、ちょっと厳しいですが、同じく「定縁」を思わせます。
そして「白太」は「百太」に通じるようです。訓みは

    「はくた」

でしょうか。
『二中歴』の「白太」には「丸」の字が添えられており、「白太丸」ともいったのでしょう。
『新猿楽記』『二中歴』両書がともに筆頭に挙げ、『新猿楽記』が柿本人麻呂に擬するほどの「はくた」なる芸能者はよほどの名人だったのでしょう。
芸能に関して「百太」と言われると、どうしても「百太夫」を思い浮かべてしまいます。百太夫は遊女が祀った神でした。大江匡房『遊女記』には「遊女は、南は住吉(大阪・住吉大社)、西は廣田(西宮・廣田神社)の神社に祈って客が付くように願った。ことに彼女たちが大事に祀ったのは百太夫で、これは道祖神である」という意味のことが記されています。また、『梁塵秘抄』には「いかに祀れば、百太夫、験なくて花の都へ帰すらん」とか「遊女の好むもの、雑芸、鼓、小端船、簦翳、艫取女、男の愛祈る百太夫」などとも記されています。
百太夫を祀る神社として有名なのは、兵庫県西宮市の

    西宮神社

境内に祀られる百太夫神社。戎舁き(えびすかき)の祖とされます。道祖神ならぬ戎舁きの道の「祖神」で、どうも無縁ではなさそうです。
ついでながら「百太」→「百太夫」なら「白太」からは「白太夫」を連想してしまうのです。
白太夫というのは、道真の守役であり、生涯彼に仕えた渡会春彦のことで、若い時から白髪であったため白太夫と呼ばれた、ということになっています。
各地の天神社にはこの渡会春彦を祀るという白太夫神社を持つところが少なくありません。
白太夫については何も調べていませんが、どこまでが伝承なのか、気になります。

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九条殿遺誡(2) 

藤原師輔は、仕事に際しては他人のことをとやかく言うな、と誡めます。いわく「人之災出自口(人の災ひ、口より出づ)努々慎之々々(ゆめゆめつつしめ、つつしめ)」。
食事については、「勿多飡、勿多飲、又不待時剋、不可食之」と言います。「暴飲暴食はするな、規則正しい食事をせよ」ということでしょう。
一人前になったら、朝は書伝を読み、字を学び、しかるのちに遊戯は許される、と言います。ただし、「鷹犬博奕重所禁遏矣(鷹犬、博奕、重く禁遏するところなり)」としています。カジノ作ってる場合じゃないかも。
宗教については、早く本尊を定めて、各自のレベルに合わせて宝号を唱えたり真言を誦したりしなさい、さもないと若死にする、と言います。
そしてここで、

    不信心な者

の例えとして挙げられた人物というのは・・・。

文楽『菅原伝授手習鑑』に登場する脇役に三善清貫と左中弁希世という人物がいます。この二人は五段目で雷に打たれてしまいますが、彼らにはモデルがあります。
醍醐天皇の延長八年(930)に内裏清涼殿に落雷があり、大納言藤原清貫(ふじわらのきよつら)は即死、右中弁平希世(たいらのまれよ)も雷に打たれて後日亡くなります。
この二人が『菅原伝授』のあの二人のモデルです。

というわけで、藤原師輔はこの二人を不信心な者の例としているのです。芝居の世界では彼らが雷に打たれたのは

    菅公の怒り

ということになりますが、師輔はそうは書いていません。彼は、父の忠平から聞いた話として、こう書いているのです。

延長八年六月廿六日、霹靂清涼殿之時、侍臣失色、吾心中帰依三宝、殊無所懼、大納言清貫、右中弁希世、尋常不敬仏法、此両人已当其妖

つまり、清涼殿に落雷があったとき、廷臣たちは顔色を失うほどだったが、私(藤原忠平)は心で三宝に帰依していたから恐れることはなかった。しかし、大納言清貫と右中弁希世は、普段から仏法を敬わないから、この妖魔に遭ってしまったのだ、というわけです。(さらに続く)

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百太(1) 

平安時代中ごろの学者で文章博士となった人に藤原明衡(989〜1066)という人がいます。
藤原式家の人で、出世街道とは無縁でしたが、学問に関してはすぐれていました。当然、漢詩の達人です。
この人の著作とされるものに

    新猿楽記

があります。
なぜ「新」というのかはわかりません。これまでと違った新しい猿楽、と言いたいのか、「猿楽記」という先行書があって、新たに書かれたもの、と言いたいのか。
こういう芸能は、祭の時におこなわれて、観客を楽しませました。稲荷祭、賀茂祭、梅宮祭等々。
実は、この著作は、大半がその見物に来ていた右衛門尉一族について書かれているのです。
私はこれまではむしろその人々のありさまに関心があって読むことがありました。
言い換えると、猿楽にはあまり大きな関心を寄せていなかったのです。
先日も、気になることがあって、この右衛門尉の三人の妻についての部分を読んでいました。
でも、たまには猿楽がらみのところも、と思って読み始めました(以下、文字はわかりやすく書き換えました)。
呪師(すし)、侏儒の舞、田楽、傀儡師、唐術、品玉、輪鼓(りゅうご)、独相撲、琵琶法師、蟷螂舞、その他の諸芸を京の市民は楽しんだのです。
そして、
「烏滸(をこ)の詞、腸を断ち、顎(をとがひ)を解かぬ者、無きなり」と記されています。滑稽なことを言っては、腸がよじれ、顎が外れるほど笑わせたのです。
猿楽はさまざまなので、芸人を紹介しよう、というわけで、明衡の筆は猿楽評論家のそれになります。
彼が評価する主な芸人とは、

    百太

と仁南(じんなん)と定縁(ぢやうえん)と形能(げうのう)です。
百太については「高く神妙の思ひを振るひ、古今の間に独り歩む」と評します。
これは『古今和歌集』「真名序」の柿本人麻呂への評をそのまま用いたもので、言い換えると百太は和歌で言えば人麻呂に匹敵する「猿楽の聖」だということになりそうです。
仁南は人気があっていつも喝采を浴び、定縁は滑稽芸の神様のような人、形能は「猿楽之仙」で、まだ喋ってもいないのに人を笑わせる、とあります。
彼らの芸が終わると見物の人たちは「被物・禄物」を雨のように降らせ、雲のようにつみかさねたのだそうです。
猿楽芸も派手なら、見物のすることも相当極端なものだったようです。
ところで、この芸人の筆頭に挙げられ、高く評価されている「百太」については、いささか気になることがあります。

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九条殿遺誡(1) 

平安時代に藤原師輔(ふじわらのもろすけ)という貴族がいました。
父は貞信公と称された藤原忠平です。忠平は『百人一首』に「をぐらやま峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ」が入っていることでも知られます。
さて、師輔は子孫への戒め、教訓として

    九条殿遺誡

を書き残しました。「くじょうどのゆいかい」「くじょうどのいかい」などと読まれますが、「九条殿」は師輔のことです。
漢文体でかなり難しいのですが、内容がおもしろいのでわりあいによく知られています。
私もこれまでに必要があって何度も読みましたが、いつも必要な部分だけを読んでいたので、この際、最初から最後まで熟読しようと思って、チャレンジしました(分量は大したことはありません)。
最初は朝、起きたらこうしなさい、ということから書き始められています。
まずは、自分の

    属星

を微音で7回唱えよ、とあります。属星というのは、生まれ年によって決められた、北斗七星のいずれかの星です。
北斗七星の「ひしゃく」の柄の方から貪狼星(子)、巨門星(丑と亥)、禄存星(寅と戌)、文曲星(卯と酉)、廉貞星(辰と申)、武曲星(巳と未)、破軍星(午)です。
それが終わると鏡を取り、顔を見ます。そして暦を見て、その日の吉凶を確認します。
次に、楊枝を使い、口を清潔にして、西を向いて手を洗います。
さらに、仏名を誦み、平素信仰する神社を念じます。
そのあと、前日の出来事を記録します。
そして粥(しるかゆ)を摂り、頭を梳ります。頭を梳るのは3日に一度です。次に手足の爪を切りますが、手の爪は丑の日、足の爪は寅の日と決まっています。次は沐浴。ただし、5日に一度です。また、沐浴する日には吉凶があります。毎月一日に沐浴すると短命になり、八日なら長命。十一日は目が明らかになり、十八日なら盗賊に遭います。午の日は愛敬が失せ、亥の日は恥を見ます。寅、辰、午、戌の日には沐浴すべきではない、とも書かれています。
まだまだいろいろ書かれていますが、また、後日ご紹介します。

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呂太夫さんの本 

昨年の三月に出版した豊竹呂太夫さんの本は、出版不況といわれる時節だけに、出版社がよく引き受けてくれたものだと思います。編集者さんは、呂太夫さんのお話は面白いし、中味のある本だと思いますよ、と言ってくれました。しかし「だからと言って

    売れるわけではない

のが当節の出版事情なのです」とも言われました。
編集者さんにとっての葛藤のひとつは、「いい本を作りたい」「でも売れなければ困る」というところにあります。それらが両立する本であれば問題はないのですが、そうなるとは限らないのが世の常かもしれません。
図書館もかなり買ってくれましたが、もちろん全国どこでも、というわけにはいかないのです。
実は、まだ在庫がかなりあるのだそうです。今それをこのブログに書いたからといって皆さんに買ってくださいと申し上げることもできないとは思うのですが、私としては出版社に無理をお願いしただけにせめて一冊でも多く売れることを願って、ここに書き記す次第です。

     文楽六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ

で、出版社は大阪淡路町の老舗である創元社。定価は2000円+税です。
どうぞよろしくお願いいたします。

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食生活 

食生活をもう少し考えなければなりません。
やはり食べるものは大事です。私はだいたい肉類が好きではなく、動物性のたんぱく質が摂れていないと思います。野菜は大好きなのですが、この冬は高かったです(笑)。
一人暮らしをしているときは、お好み焼きなどをよく作っていました。キャベツをたくさん使って、ネギも目いっぱい入れて、イカなどの海の幸に卵を割って。炭水化物はさほど多くなく、あれってなかなか健康的な食べ物ではないのかなと思います。広島では、そばやうどんを入れるのが当たり前ですが、自分ではああいうのは作ったことがありません。
最近はあまり豊かな食生活をしていないのです。というよりかなり

    みじめな(笑)

食生活と言えそうです。とくにいけないのが昼ご飯。以前は仕事場の学生食堂を使っていました。値段の割りにあまりおいしいものではありませんでしたが、最低限のものは食べられました。
ところがいつのまにか生協になってしまって、今は生協組合員のための食堂です。私は加入していないのでもう何年も使ったことがありません。家で握ったおにぎりを持って行ったりはしますが、それでは炭水化物だけです。それならもう食べない方がいいというわけで昼を抜くこともしばしばです。
外で食べると言っても、周りには何もありませんし、生協よりはるかに値段が高いですから、手が出ません。昼食に

    300円

以上使うなどというような大胆なこと(笑)ができる暮らしはしていません。
夕飯も遅くなりがちであまり食べませんし、朝はミューズリくらいです。血液検査をしたらたいてい総蛋白が基準値以下。
ちょっとまずいよなぁ、と思いつつ、なかなか改めることはできません。
また、最近は体調が不十分で、あまり運動もできず、このところの生活はおよそ健康的ではないのです。
悩ましいところです。

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戦艦ポチョムキン 

セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』のことを別のところでつぶやいたら、やたけたの熊さんも学生時代にご覧になったそうで、やはりあの「オデッサの階段」の場面が忘れられないとおっしゃっていました。これも何かの縁だと思って、私も改めて観てみました。
実は、紙芝居のことを考えているうちに(紙芝居の創作に使えるかどうかは別として)エイゼンシュテインの実践した

    「モンタージュ理論(技法、手法)」

のことがやたら気になって、『戦艦ポチョムキン』がらみで、エイゼンシュテイン自身のものはもちろん、ロラン・バルト、クリスティアン・メッツ、アーウィン・パノフスキー、ユーリ・ロートマンらの文章を読んでいました。
そんなときに天の啓示のようにやたけたの熊さんが思い出話をしてくださったのです。
こうなってくると、やはりもう一度きちんと最初から最後まで観ないとまずいだろうと思うようになったのです。
アマゾンで調べてみると

     淀川長治さん

の解説付きのものがありましたが、あいにく私には役に立ちそうにありません。また、私はDVDを借りて観るという習慣がありませんので、どこへ行ってどうやって借りたらいいのかも知りません。仕方がないので、というか、とにかく急いで観たかったというのも大きな理由でしたが、結局は仕事場の比較的大きな画面のパソコンの前に座ってYou tube で観ることにしたのです。
無声映画は私にとってはむしろ好都合です。
「人間とうじ虫」に始まって、「港湾のできごと」「死者は正義を叫ぶ」「オデッサ」「艦隊との遭遇」の5部からなるこの映画、70分ほどがあっという間でした。
「港湾の事件」では士官たちに反乱を起こす水兵が描かれます。そのきっかけとなった水兵の銃殺の場面。今まさに「撃て」という声がかかりそうです。ここでエイゼンシュテインは「救命浮き輪」「船首」「ラッパ」などのカットが入ります。いわばまったく関係のないものです。これをエイゼンシュテインはこういう場面に不可欠なブレーキだと言います。
そして、これは彼が後に観た歌舞伎『忠臣蔵』(『四十七士』として上演されたそうです)の討ち入りの場面でいよいよ師直が発見される緊迫した場面で用いられる合図の笛にその役割を見いだしています。
有名なオデッサの階段における虐殺のあと、戦艦ポチョムキンが砲台を上げ敵の本拠オデッサ歌劇場を攻撃します。そのとき、これも有名なカットですが、三つのライオン像が現れます。眠るライオン、何かに気づくライオン、立ち上がるライオン。もちろん、人々の怒りと蜂起のイメージです。
このような入れごとを繰り返しつつ、ひとつの映画が組み立てられていきました。

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エイゼンシュテインの歌舞伎観劇 

映画監督のセルゲイ・ミハイロヴィッチ・エイゼンシュテイン(1898~1948)はラトヴィアのリガ出身の映画監督で理論家です。
「映画とはなによりもまずモンタージュなのだ」と、モンタージュ論を提唱したひとりとして知られ、それを自身の映画で実践した人です。『戦艦ポチョムキン』『十月』などの作品があります。
昭和三年(1928年)、市川左団次らがソ連に公演に行きました。そのときエイゼンシュテインも観劇に行き、観劇記を残しています。
その中から気になるところを拾ってメモしておこうと思います。
エイゼンシュテインは、歌舞伎がソ連の演劇と全く異なる点の一つに

    一元論的アンサンブル

を挙げています。音、空間、動作、声などは相互に伴奏しあうのではなく、同じ重要さを持つ、というのです。その考えをわかりやすくするために彼は歌舞伎をサッカーに喩えています。なぜならサッカーは最も集団的、アンサンブル的な競技だからです。役者の声、表情、拍子木、義太夫、舞台装置などはボールをパスしあいながらゴールに突き進むサッカーの選手のようだというのです。
『仮名手本忠臣蔵』の「城明け渡し」の場面についてエイゼンシュテインはこういいます。大星が城を明け渡して舞台の奥から前に歩いてくる。もちろん城から離れたことが示されるのです。すると今度は舞台の奥の装置(大道具)が遠見になって門が小さくなります。ロングショットですね。さらに彼が歩みを進めると背景は定式幕になり、門が姿を消します。そのあと花道に出ると「そのとき新たに遠ざかったことを強調するもの、それは〝三味線〟、つまり音なのである」(鴻英良・訳)というわけです。役者の歩み、装置の転換、幕という記号の利用、そして音。これらがアンサンブルをなして由良助が城から遠ざかる状況を描いているのです。
『戦艦ポチョムキン』で水兵が処刑される場面で、この映画監督は「船首、砲口、救命用具など、戦艦の〝無関心な〟部分のフィルム」を挿入しました。つまり極度に緊張する場面にブレーキをかける役割を担わせたというのです。『忠臣蔵』の討ち入りで師直が発見されるとき、庭での立ち回りのあと、人気(ひとけ)のない雪景色が示され、それがこのブレーキの一つになっていると言います。そして、役者が現れたあと、もう一度あの空虚な雪景色を出せば強調される。しかしすでに役者は登場しており、それができません。するとそのとき「合図の笛」が鳴り響くのです。これが観客にさきほどの無人の雪景色と同じものを感じさせるとエイゼンシュテインは言っています。役者の動き、舞台装置、そして音。
もうひとつ、切腹の場面では市川莚升(三代目)の手の動きと舞台裏の哀哭するような音の結合にも感嘆しています。
そして「われわれはモンタージュのこのような完成を前にして、ぼう然として立ちすくむのである」とまで言っています。
エイゼンシュテインは日本人の用いる文字についても書いています。漢字という「概念の絵画」と同時にかたかな、ひらかな、そしてアルファベットまで組み合わせて書いてしまう、つまり

    モンタージュして(組み立てて)

しまうことにためらいを持たない日本人に驚きを隠さないのです。
短歌については、大伴家持の「鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける」などをとりあげ、「音数の厳格な規矩、書かれた文字の書としての魅力(中略)奇跡的なまでに密接な関係を示す深く感動的な比較」などの融合が多様な感情に訴えかけてくることを述べています。
分化されたものが統合されることで生ずる新たな世界。
文楽にせよ歌舞伎にせよ、「総合芸術」という言葉でしばしば説明されますが、単に美術や音楽や演技を並列的に組み合わせただけではないのがエイゼンシュテインにはとても新鮮に映り、自らの映画への祝意すら感じ取ったようです。

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紙芝居の語り 

紙芝居についてあれこれ本を読みました。紙芝居の歴史、理論、作り方、描き方、演じ方など。なかなか奥の深いものだと思います。
そして文楽との類似点もいくつか感じることがありました。
芝居と言いながら、人間は演じません。
枠の中で人間でないものが芝居をして、枠の外にいる人がセリフから地の文からすべてを語ります。
ドラマツルギーとしては文楽の五段構成や三段構成がかなりあてはまります。人によっては能のように

    序破急

の構成がよくあてはまるともおっしゃいます。
語りも、文楽の太夫さんのそれと大いに関係があるように思いました。多くの紙芝居の専門家の方がおっしゃるには、まずはその人物の特徴をつかんで、この人ならこう話すだろうというテンポや声の高さなどを理解することが大事だということです。高齢の人なら普段はあまり大きな声ではなく、ゆったりと低めの声で話す。しかしお酒が入ったりすると少し調子が上がって早口になるかもしれません。もうひとつ、専門家の方が口をそろえておっしゃるのは

    声色

は使わなくてもよい、ということです。
これは文楽の太夫さんもよくおっしゃることで、高齢の太夫さんが若い娘を語る場合でも裏声を出して若い女性の声色を遣うことはないわけです。そんなことをすると、かえって変です。むしろ自分の声そのままを生かして若い女性らしく語る工夫をするべきなのです。
それと全く同じことが、紙芝居の世界でも言われるのです。
紙芝居はおおむね8場面から16場面で作られます。あまり長いと観ている人(多くは子ども)が飽きてくるのです。1枚当たりの言葉の量はせいぜい200~300字。全体では時間にして7分から12分くらい。これは私が野澤松也師匠にお贈りしている創作浄瑠璃とおおむね同じくらいの分量です。
これは私にはとても創りやすい分量です。まだ紙芝居の脚本は書いたことがないのですが、できれば今後きちんと書いてみたいと思っています。

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ごんべえさんと紙芝居 

私は奈良市の幼稚園で長らく「文楽人形劇」の実践を行ってきました。幼稚園児にとってのお楽しみであると同時に、地元のボランティアの皆さんが稽古して演じてくださいますので、その方々の生涯学習にもなります。
朗読の方、人形を遣う方、小道具を作る方、黒衣でサポートする方。どなたが欠けてもできないのです。
本番のあと、感想を述べていただくと、毎回のように感想の途中で

    感極まって

泣き出す方がいらっしゃるくらいみなさん喜んでくださるのです。私の文楽人形劇は参加型ですので、幼稚園児も上演中に大きな声を出してくれます。具体的には魔法の呪文を唱えてくれるのです。
演目はすべて自作のもので、主人公は「ごんべえさん」。その友だちがモグラのもぐりん。そして毎回ゲスト出演してくれるのが娘人形なのです。
ここ数年、紙芝居のことを勉強しているのですが、それとこの活動がどうも重なってくるように思えてなりません。
つまり文楽人形劇はセリフを中心とした台本を読む人がいて、少人数の登場人物があまり大きくない動きで演技をします。そして、山場では魔法の呪文が唱えられて、あっと驚くような変化が起きます。台本はおおむね

    起承転結

で構成していますので、紙芝居のパターンにも合いそうに思います。
それで最近思っているのです。この「ごんべえさんシリーズ」を紙芝居にできないだろうか、と。
自分で作ってみたいのですが、一番のネックは、私がまったく絵が描けないことです。しかし、そんなことを言っていたのでは何も前に進みません。下手でもいいから作ってみようかな、と真剣に考え始めているところです。

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韓国の人 

私はこれまでに多くの韓国人と接してきました。学生のころは留学生がいましたし、それ以外にもいろいろと触れることがあったのです。
およそ嫌な人はいませんでした。たまたまいい人と出会えたのかもしれませんが、謙虚でまじめな人ばかりでした。
しかし昨今、慰安婦問題などで政治の世界ではギクシャクすることも多く、それゆえなのか、両国の国民の中には互いに相手をけなしあう人たちもいるようです。
日本では

    ヘイトスピーチ

という形で韓国の人を罵倒する人たちがあり、またネットでも相当汚い言葉を投げつける人がいます。
それらを見ていると悲しい気持ちになります。
この間のオリンピックで、私が唯一リアルタイムで見た競技はスピードスケートの女子500mでした。小平さんという30歳過ぎの人が頑張って見事に金メダルを獲得しました。何かを追うような目で前へ前へと進む、失礼かもしれませんが、野獣の目を持ったスケーターという印象を持ちました。彼女が滑ったあとは韓国の代表選手。彼女もすばらしい出足で、これは逆転もあるかと思ったくらいですが、出足がよすぎたのか、結局2位に終わりました。
このお二人は以前から親しいそうで、終わってからも、表彰式でも声を掛け合っていました。特に小平さんから声を掛けることが多かったような気がします。肩を抱いて場内をゆっくり走る姿はとても美しく、このオリンピックの

    もっとも印象的な

な場面だったかもしれません(私はほかを見ていないのでわかりませんが)。
お決まりなので彼女たちはそれぞれの国旗を持っていましたが、私はつい「そんなの、いらないでしょ」と言いたくなりました。ただ仲のよい若い女性がお互いをたたえあっている姿だけでじゅうぶんでした。
私がかつて出会った韓国の人たちを思い出し、ヘイトスピーチを繰り返す人たちを哀しみました。

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隣町のことですが(2) 

ついこの間まで市長であった人は、もともと市会議員だったそうですが、4年前の選挙で現職に勝ちました。隣町のことですから私は何も知らなかったのですが、広大な工場の跡地をどうするかという問題で、現職と異なった意見を提示して当選したそうです。その点については市民の選択ですから、よそものの私がとやかく言うことではありません。
ところがどうもこの人は品格にかけるように見えるのです。最近になって何度か写真を見ましたが、いつもパリッとしない、無精ひげの、どこか

    ワル

を装うような風体なのです。
「僕って怖いんだよ」と言っているようで、どうも幼い感じがします。まったく知らない人なので的外れかもしれませんが、自分は偉い、他人はバカ、自分の言うことがわからないのはおかしい、と信じて疑わない人のように見えます。こういうタイプの人が最近政治の舞台に出てきて、私などは厄介で不愉快な気持ちになるのです。そしてまた、そういう人をもてはやす人も多く、だからこそ当選してしまうわけです。
西宮市は品格のある町、であってほしいのです。せっかく多くの文化をもっているのですから、

    イメージダウン

になるようなことはしてほしくない。市長は、別に西宮で一番偉い人というわけではありませんが、文化を下支えする役割を持っているわけですから、品格のない人が市長になると西宮の文化までが低く見えてしまいます。こういうことは最近大阪にもありました。
この人は新聞記者が嫌いで、「殺すぞ」発言までしてしまったとやら。市議会がもうやめてもらおうといろいろ手を打つと「市議会がマスコミのように低俗になった」と言いだし、退任の届けを人に任せて市議会に提出させて会見もせずに辞めたそうです。その大きな理由に市議会が市長の退職金を減額する条例を決める構えを見せたことがあったそうで、それに反発して辞めたようです。市議会の思う壺にはまったのでしょうか。
年齢が40代半ばで、この年代にしばしば見かける自信家タイプなのでしょう。私の関わる学校の教員にもそういう人がいました。とにかく「優秀な自分」がかわいくて、自分の正しさに恍惚とするため、それはおかしいといわれると口汚く相手を罵倒します(私もされました・・笑)。なんだかもう最近流行のよくあるタイプ過ぎて笑ってしまいたくなるのですが、西宮市民の人にとっては笑い事ではないはず。
問題はこのあと。もう少し品格のある人を選んでください。隣町の住民として、西宮市民の皆様にお願いします。

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隣町のことですが(1) 

私が住む町は田舎ですが、悪いところではないと思っています。もともと大阪などに住む人が別荘地として土地を買ったようで、私の義祖父(血の繋がらない父方の祖父)も大阪からこちらに移り住みました。以前は高層マンションもなく、穏やかな空気の町でした。もっとも、最近はさすがにあちこちに大きな建物ができて、空がいささか狭くなったような気がしています。
神戸や大阪から私の街に来るには、必ず

    西宮市

を通ります。いやもちろん、無理に通らなくてもいいのですが(笑)、それが便利なのです。
西宮市は神戸と大阪の真ん中にあって、とてもいいところです。南は海、北は山。阪急(山側)、阪神(海側)、JR(両者の間)の三つの電車が並行して走り、それぞれ特徴的です。
神戸や芦屋と同じ地理条件です。阪神大震災で大きな痛手を受けましたが、その後は復興して、兵庫県立芸術文化センターもできましたし、海側には全国えびす神社の総本社である西宮神社、西宮郷として著名な灘の酒蔵、甲子園球場などがあり、西の方には

    桜並木

で知られる夙川公園やカトリック教会があります。北に行くととても美しいキャンパスの関西学院大学もあります。
人口は阪神間では第1位。兵庫県内では神戸、姫路に次いで第3位です。
隣町として、うらやましいくらいです。私もここに住んだことがありますし、また私が通った高校はこの町の県立高校でした。
ところが最近、この町で政治家たちがどうも品のよくない姿をさらしています。いつぞや「号泣県議」として有名になってしまった人も、地元民ではないものの、なぜか選挙区は西宮。この人はあちこちの選挙で落ちて、やっと西宮から当選したとのことです。
そして今度は市長が物議をかもしたのでした。

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