2018文楽四月公演千秋楽 

文楽四月公演が本日千秋楽を迎えます。
住太夫師匠のことがありましたが、吉田玉助さんの襲名につきましては返す返すもおめでたいこととお慶び申し上げます。
次の東京公演もご奮闘くださいませ。
私は、体調が思わしくなく、実は玉助さんとお目にかかれないままなのです。
直接お祝い申し上げられないことを残念に思っております。
明日から月が改まります。
玉助さん、どうかつつがなく東京公演もおつとめくださいませ。


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住太夫師匠(1) 

文楽太夫の七代目竹本住太夫師匠が亡くなりました。93歳の天寿をまっとうされました。
肺炎に罹られた、とうかがい、案じていましたが、残念なことです。
師匠については、私のような片隅のファンでもいろいろな思い出があります。
その語りについては「沼津」「笑ひ薬」「酒屋」「松右衛門内より逆櫓」「大晏寺堤」「吃又」「引窓」「俊寛」「桜丸切腹」「堀川猿回し」「河庄」「甘輝館」「妹背山の背山」「すしや」「古市油屋」「帯屋」「壺阪」「三婦内」「新口村」「山科閑居」などなど、いくらでも思い出します。
でも、私が一番好きだったのは「沓掛村」でした。これは六代目住太夫師もすばらしくて、三宅周太郎さんが絶賛され、六代目は引退披露でも語られました。七代目の「沓掛村」も、ご尊父の衣鉢を継がれた名品だったと思います。
先代勝平(三代喜左衛門)、先代錦糸、先代燕三、当代錦糸などの三味線で、世話がかった時代物に真骨頂があったように思います。
(続く)

『枕草子』ひたすら 

『枕草子』の講座が成立しました。「これだけの人数が集まらない場合は不成立です」と言われていました。なにしろお金の問題には徹底的にシビアなところですから、赤字など許されません。本当は、こういう講座は地域へのご恩返しの意味があるので、赤字でも実施するものです。実際、私が以前働いていた学校では公開講座は赤字を前提に実施していました。
こういうサービスは結果的にはプラスに働いていくものなのですが、目先のお金のことしか考えていないと、そういうものは見えてきません。
それはそれとして、結果的には「最低これだけの人数」といわれていた数の2倍以上の方が参加してくださることになりました。

    清少納言

の人気は素晴らしいものです。私の人気、と言いたいところですが、それはありません。昨年、あまりメジャーではないものを読む講座を企画したらまるで応募者がありませんでしたから、これは謙遜ではありません。
それにしても、私は『枕草子』とはあまり縁がないまま今日まで来たのです。正直なところ、あまり面白いと思わなかったのです。私はやはりフィクションのほうが好きで、現代のものでも、作家の随筆などほとんど読みません。随筆は、このブログも同じようなものですが、ややもすると

    自慢話

になりかねず、印象に残るものがあまり多くないのです。『枕草子』も、清少納言の自慢話がいろいろ出てきます。「この人また言ってるよ」と辟易することもあるくらいです。しかし、そういうことはさておいて、一から読み直して講座を始めなければなりません。先日ここに書きましたように、この講座による収入は新薬の費用で消えてしまいます。お金のため、というのは悲しい話ですが、それは事実。でも、そのためには受講者の皆様方が満足してくださる内容の講座にしなければ気が済まないのです。それは私の本能のようなものです。
この連休はひたすら『枕草子』です。

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陽明文庫訪問(5) 

ここで解散し、あとは皆さんまた自由行動。私は、すぐ近くにある光孝天皇(在位884~887)の後田邑陵に参りました。ここがほんとうに光孝天皇の陵であるかどうかはわかりませんが、宮内庁ではそのように定めています。「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ」でも知られる人です。この人はまさか自分が天皇になるとは思わなかったでしょう。なにしろ、兄の系統で天皇は継がれていて、兄の孫がすでに皇位についていたからです。ところが諸事情があって、五十五歳にして即位したのです。
さて、そのあと、「宇多野」駅から大好きな「嵐電」に乗って嵐山方面に行くことにしました。帷子ノ辻まで出て嵐山行きに乗り換え、終点のひとつ手前の嵐電嵯峨駅で降り、この日のもうひとつの目当てであった

    安部晴明墓

に向かいました。少し歩くとまずは長慶天皇陵。まったく静かで誰もいません。そしてすぐ南側にあるのが安部晴明の墓なのです。おりしもご近所の方が花を供えて掃除もしていらっしゃいました。「ご苦労様です」と声をおかけして、写真を撮らせていただきました。
惟でとりあえず予定終了。せっかくなので、渡月橋南東の「琴きき橋跡」、北東の「琴きき橋」石柱なども見ました。これは『平家物語』に登場する

    小督

ゆかりの橋です。高倉天皇に愛された小督は、しかし平清盛ににらまれ、嵯峨に身を隠します。天皇は彼女が恋しくて源仲国に捜索させます。仲国が嵯峨に行ったとき、は秋の月の美しい頃。彼が笛を吹くと「想夫恋」の琴(筝)の音が聞こえてきました。小督の演奏でした。このあと、いったん小督は天皇の元に秘密裡に帰りますが、清盛の知るところとなり、ついに出家させられたのです。彼女の供養塚は今もこのすぐ近くにあります。
こうして私の長い一日は終わりました。久しぶりに平安時代に遡ったようないい日を過ごせたと思います。

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陽明文庫訪問(4) 

総勢23人のグループは、だらだらとした坂道を昇ったところにある「虎山荘」という数寄屋造りの建物の前で止まりました。
ここは私が長年研究会に通っていたところでしたので、皆さんにそのお話をしました。陽明文庫の産みの親で「虎山」と号した

    近衛文麿(1891~1945)

が建てさせたので「虎山荘」といいます。文麿は近衛家30代当主で、3次の内閣を組織した総理大臣となったものの、戦後はA級戦犯として戦争責任を問われることになり東京裁判(極東国際軍事裁判)にかけられることになったため、服毒自殺しました。音楽家の秀麿は異母弟です。
そんなこともあわせてお話ししていたら、文庫長の名和修さんが姿をお見せになりました。
ここからはもう名和さんにお任せで、私は皆さんの後にくっついていきました。
ひととおりのご注意などを頂いたあと、蔵に入ります。こういう体験がなかなかできませんので、みなさんかなり緊張した面持ちでした。
蔵の2階に上るとそこが展示室。
名和さんがお話をしてくださりながら少しずつ拝見します。私はやはり藤原道長の日記

    『御堂関白記』

に釘付けになりました。この日は寛弘七年(1010)正月の部分を出してくださっていました。笛の「葉二(はふたつ)」、和琴の「鈴鹿」などの名器が出てくるところでした。
我々はマスクも用意していきましたので、名和さんはガラスケースのガラスを開けてくださり、本当に「手に取るように」観ることができました。
そのほかの展示物は、伝藤原行成筆『和漢抄』、近衛家煕(予楽院)筆『花木真写』、『歌合序』、『春日権現験記絵』巻二白河院春日参詣、『源氏物語』、伝藤原道長筆『神楽和琴秘譜』、『藤原忠通消息』、『熊野懐紙』、伝定家筆『小倉色紙』などでした。ひとしきりご説明が終わると、あとは自由に拝見。皆さんそれぞれの興味によって変体仮名に挑まれたり、絵巻の風俗について質問されたり、花の絵を楽しまれたりしていらっしゃいました。
ずいぶん長い時間、そうしていたように思います。
こうしてとても充実した時間が終わり、名和さんにお礼を申し上げて陽明文庫を去ることになったのです。

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陽明文庫訪問(3) 


私はかつて通った道をそのまま行こうと思って、阪急電鉄を西院駅で降りて、そこから26系統のバスで行くことにしました。しかし時間に余裕がありましたので、寄り道したのです。西院というのは淳和天皇(在位823~833)という天皇が譲位したあと住んだ淳和院の別名で、このあたりはこの天皇の上皇時代のゆかりの地ということになります。
淳和院があったのは今の四条通の北、佐井通の東で、この角は現在ジョーシン電器になっていますがそのビルの佐井通側(西側)には淳和院の説明板があります。また、少し東に行って西大路を渡ったところにある高山寺の門前にも「淳和院跡」の石碑が建てられています。
その佐井通を少し北に行くと

    春日神社

があります。その名の通り、淳和院の勅諚によって奈良の春日神社を勧請したもので、もちろん春日造り。
日が合わなかったので見ることはできませんでしたが、ここには淳和院の息女崇子内親王の疱瘡を一夜で治したという「疱瘡石」があります。
ほかに、「淳和院礎石」「梛(なぎ)石」「仁孝天皇御胞衣埋蔵之地」などもあります。といっても、私がこの日春日神社に行ったのは、藤が見られるかもしれないと思ったからです。ここには六尺藤という立派な藤があるのですが、あいにくまだ早かったようです。しかしその隣にある

    貞明皇后(大正天皇皇后)

から拝領したという京都御所藤壺の藤はかなり咲いていました。
体調がいまひとつでしたので、それ以外のところには足を向けず、バスで仁和寺前まで行きました。集合時間よりかなり早かったのですが、もう三々五々集まっていらっしゃり、予定通り陽明文庫に向かって歩き始めました。

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陽明文庫訪問(2) 


陽明文庫は京都市右京区の、仁和寺の近くにあります。敷地内には文献を閲覧するための数寄屋造りの建物があり、近衛文麿の号である「虎山」から「虎山荘」といっています。この広間で、私は多くの先生方のご厚意に甘えて、15年以上にわたって研究会に加えていただいたのです。
ですから、私としては蔵に入ることもさることながら、この虎山荘をまた見たいという思いもあったのです。
さて、陽明文庫には午後に行くことになりましたので、午前中はみなさんそれぞれに近くの仁和寺や妙心寺、龍安寺、等持院、少し離れて金閣、あるいは嵯峨野などを散策していただくことにしました。
仁和寺以外のお寺は比較的新しいものですが、見ごたえはあります。
仁和寺は、遅咲きの

    御室桜

があるのですが、今年は一気に気温が上がったのですでに散っていました。以前はもっと遅くまで観られたのですけどね。
仁和寺は『徒然草』の「仁和寺にある法師」でも有名ですが、一緒に行ってくださった皆さんと普段読んでいる『源氏物語』とのかかわりで言いますと、光源氏の兄の朱雀院が出家したあと住んだところがこのお寺を思わせるのです。今ちょうど、出家後の朱雀院が出てくる場面を読んでいますので、そういう意味でも関心を持っていただけたのではないかと思います。
御室というとかつての立石電機、今のオムロンがこの地に本社があった縁でそういう社名にしたことでも知られています。
双ヶ岡があり、皇族の陵が散在し、鳴滝や太秦も遠からず、ということは

    広隆寺

だってそんなに離れていないのです。京福電車に乗れば北野天満宮も車折神社も鹿王院も嵐山ですら遠いという感じがしません。
陽明文庫があるのはとりわけ閑静なところで、初夏に行くとその緑はまぶしいばかりです。

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陽明文庫訪問(1) 

陽明文庫訪問(1)

京都市右京区にある、近衛家伝来の貴重な書画工芸品などを伝える陽明文庫に行ってきました。
ここには近衛家代々の日記などがあり、その中でも至宝と呼ぶべきものは藤原道長の日記です。一般的に

『御堂関白記』(国宝)

と言っていますが、実際はそんな書名はありません。もともとは当時の貴族に配布された具注暦という巻物に書き込まれた「道長の日記」というだけのことです。それをのちの時代の人がいろいろと呼びならわすようになり、今では仮に『御堂関白記』と言っています。そもそも道長は関白にはなっていないので、あまり適当な言い方とも思えませんが(「御堂」は道長を指します)。
そのほかにも、国宝が7点あり、さらに『源氏物語』(重要文化財)や『枕草子』の写本もありますし、『絹本着色春日鹿曼荼羅図』(重要文化財)などの美術品、
和歌、音楽、法制関係の書籍など、ほんとうにさまざまな「お宝」が収められています。
ここに行こうと思ったのは、普段実施している

    『源氏物語』

の講座に参加してくださる方から、「京都に一緒に行きましょう」というお誘いをいただいたからです。それなら単なる観光ではなく、勉強の意味も込めて陽明文庫を訪ねるのはどうですか、とこちらからお誘いしたのです。すると、大変強い関心を持ってくださる方がありました。
見学希望のお願いをすれば見せていただけるのですが、実際はその「お願い」というのがなかなかしにくいものです。私はこちらの文庫長さんにとてもお世話になりましたので、割合に気軽にお願いすることができます。そこで問い合わせましたらご了解くださいました。

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第40回だしまきの夕べ 

昨夜は文楽ファンの集う「だしまきの夕べ」がありました。私はまったく体調が整わず、失礼しました。
まず、ビッグニュース(というほどではないですが)会場が変更になったことを記しておきます。
もうひとつ、特記すべきは、この会も区切りの

    40回

を迎えたことです。
私は半分も行ってないのかなぁ・・。
この公演では、吉田玉助、野澤勝平の

    襲名

が話題ですが、さて、昨夜はどんな話が飛び出したのでしょうか。

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悪夢 

なんだか変な夢を見てしまいました。かなり仲の悪い人が出てきたようで、その人がとても偉そうにするのです。実に些細な事、たしか、私の持っている財布を机の上に置くのに、置き方が悪いとか何とか言ってケチをつけるのです。
そんなのほっといてよ、と思うのですが、相手はどうも権力的で、頭ごなしに言ってきます。私は最近、こういう輩が大嫌いで(だから夢に出てきたのでしょう)、完全に

    切れて

しまいました。もし相手が暴力的なことをしたら同じことをし返してやろう、という気になってしまい、様子を見ていると、明らかに攻撃を加えてくる態度を示しました。相手が襲い掛かって来るや否や私はすぐさま

    反撃

にでました。あまりよくわからないのですが、とにかくあいてのからだのどこかをたたいたのです、力いっぱい。
すると、寝ぼけて本当にどこかを思いきりたたいてしまって、小指にずきんと痛みが走り、目が覚めました。
しばらくすると小指は色が変わって、内出血の模様。どうしてこんな目に遭うのだろうと情けなくなりました。
しかしどういう夢なのでしょうね・・・?

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費用の工面 


やはりずっと調子が悪く、特効薬とされているものも効かなくなってきました。副作用もかなり出てきていますので、これ以上増やすのは危険だとのことです。そこで、医者曰く、別の方法を試しませんか、と。
以前もここに書いたと思うのですが、新しい薬が出て、どぷも私には効きそうな感じがするのです。しかしネックは

    費用

です。
私ごとき貧乏人が使えるようなものではありません。保険適用前の薬価は注射1本が私の月給くらい。実費でも私の1年分の昼ごはん代を1本の注射に費やすというもので、それを月に1度打つのだそうです。
とてもダメです、とお断りしました。以前の私なら迷うことなく使っていたのですが、今はひどい待遇を受けていますのでほんとうに悩んでしまいます。
しかし、このままではどうにもつらく、何とか工面できないものかと悩んでいました。
それで新たに

    講座

をひとつ実施することにして、それで稼いだお金をつぎ込もうかという算段です。
ただ、その講座が実施されると、私はある曜日に1日当たり390分しゃべることになってしまいます。
普通の方なら何とかできるかもしれませんが、私はしゃべりっぱなしの授業なので、きわめてつらいのです。体調をよくするために体調を悪くする(笑)ような不思議なことをしようとしています。ただ、この講座は実現するかどうか未定で、もし実現しなかったら、仕事は少し楽でも体調は悪化しそう、というまったく困ったことになりそうです。

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春植えの植物 

五年ほど前には考えられないことでしたが、失われていく楽しみを補うものとして、いつしか植物との対話が欠かせないものになってきました。
植物は物を言わないので私には楽な友人です。しかし一方、とても雄弁な反応を示してくれます。
最初はまったく何も知らない状態から、園芸好きな方にうかがったり、本を読んだりして、きゅうり、トマト、シソ、オクラ、ピーマン、にんじん、ネギなどの野菜を作りました。今も、アスパラガスが育ちつつあります。
2年前にホームセンターでふと見かけた

    グラジオラス

の球根を衝動的に買って育ててからは、花にも興味が湧くようになりました。今は、昨年もらったビオラの苗(枯れかけていました)がプランターからはみ出すほどに咲いています。
この春もまた何か植えようと思っています。
グラジオラスはすでに大きな球根と昨年できた木子を植えました。まだ球根は残っていますから、それは少し時期をずらして植えます。

    野菜

はどうしようか、ゴールデンウィークあたりに決めます。
ビオラが終わったら、入れ替えに朝顔を蒔こうかと思っています。タネは去年50粒くらい採りましたので、もらってくれる人に差し上げても余りあるくらいです。
命を育むことには不思議な魅力があります。

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能への興味 

能楽はもちろん好きです。大学生になってすぐに、能楽のサークルに入りたいと思って説明会にも行きました。観世会でした。
結局は参加せず、後悔しています。
能は平安時代の文学を下敷きにすることが多く、特に伊勢物語や源氏物語をどのように謡曲の世界に取り入れるのか、という点について関心がありました。能のドラマトゥルギーですね。
その後も、プロかアマかを問わず、機会を見つけては観能しましたが、必ずしも

    熱心なファン

ではありませんでした。
能役者さんや囃子方のお名前を覚えることもあまりありませんでした。
耳の問題が起こってからはやはり能楽堂からも遠ざかり、このところはご無沙汰していました。
狂言風オペラ「フィガロの結婚」で

    赤松禎友さん

が奥方を演じてくださるのがとても楽しみで、稽古でも一番真剣に拝見したのは赤松さんだったかもしれません。
今、また、能への興味が再燃しています。
できるものならまた行きたいです。
難しいかもしれませんが。

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敬語は必要 

学生はまじめです。
教員の立場から「今の若者は、言葉遣いが悪い」などと言われたくないのです。
敬語の話を私がした場合、「そんなこと覚える必要はない」「堅苦しい」「めんどくさい」などという学生は皆無、たいていは「私も使えるようになりたい」と言うのです。
彼女たちには十分な下地、素養があります。要は導き方。
彼女たちの敬語で一番できていないのは

    謙譲語

です。「申し上げる」「拝見する」「いたす」「おる」の類です。
それを指摘しただけで、ハッと気がついてくれます。敏感です。
こんなことを言った人がいます。
言葉遣いの悪いのは不快。でも、よくないとわかって言っているのならまだかまわない。
目上の人に敬語を使わないのは見苦しい。だからと言って他人に対して、自分の上司について敬語を使うのはおかしい。
やたら略してものをいうのは品がない。
会話と書き言葉では敬語も別。

今でも通用する考え方だと思うのですが、実は、1000年前に

    清少納言

が言っていることなのです。
こういう話をすると、学生の目がパッと輝きます。
「そうか、清少納言も言ってるのか、昔から変わらないんだな」と気づくからです。
やはり「枕草子」は偉大な古典なのです。
私は敬語の専門家ではありませんが、こういうアングルから敬語の話をするとことはできます。
とにかく、学生の役に立ちたい。正直なところ専門外の授業はしんどいのですが、その気持ちだけを支えに、もう少し頑張ります。

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今年のごんべえさん 

毎年、この時期になると、奈良市の幼稚園から依頼された文楽人形を用いた創作人形劇のことを書いていました。
だいたい、新年度になって幼稚園の新しい体制(先生たちも保護者会も)か決まってから詳しい日程を決めていました。だいたい、6月に稽古して、7月最初の週に公演していたのです。
しかし今年はまだ決まっていません。
園長先生によりますと、新体制が落ち着くまでに少し

    時間が欲しい

とのことです。やはりお母さんたちも慣れない役員の仕事を任されるのはかなり大変なのです。
そこで、今年は、実施するとしたら、秋はどうか、と言われました。
実は、私も例年6月は目が回るほど忙しく、今年はさらに『枕草子』の講座が実施できたら、昨年以上にハードになるのです。
秋なら少し楽になりますから、ありがたいのです。
というわけで、今年の

    ごんべえさん

のお話は夏休みの宿題にしようと思っています。
今年はどんな話になるか、まだ何もわかりませんが、子供たちが笑えるような話にしたいとは考えています。

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枕草子の講座 

高校生の時にたいていの人が学んだ古典の文章に『枕草子』「春は曙」があるでしょう。あまりにも有名で、古典に興味のない人でも何となく覚えている、ということが多いのではないでしょうか。
私も学校で、あるいは受験勉強で、この作品の「すさまじきもの」「にくきもの」「うつくしきもの」「うらやましげなるもの」「虫は」「上にさぶらふ御猫は」「関白殿黒戸より」「大進生昌が家に」「清涼殿の丑寅の隅の」「頭中将のすずろなるそらごとを」などなど、ほんとうにいろいろ勉強させてもらいました。ところが、大学生になってからは必ずしも熱心な読者ではありませんでした。
どうもあのプツプツ切れる文章があまりしっくりこず、どちらかというと『源氏物語』の文章のほうが肌に合ったようです。
『枕草子』は名作といわれるのですが、それでは

    どこがどう名作なのか

について話をしてみろ、と言われたら、自信が持てないままこんにちに至っています。
これではだめだ、と以前から思っていたのですが、何しろ今は授業でこういう話をする機会がありませんので、自分一人で勉強するほかはありません。最近も通読はしているのですが、さあそこが無精で怠惰な人間のことです。深く突っ込んで読めないまま時間ばかりが過ぎていきました。
このままでは後悔しそうなので、機会を見つけて、あるいは機会を作ってこの作品を読み直そう、と思ってきました。
時間がなくて、これ以上仕事はしたくないのですが、生活のためという面も否定できず、新年度からもうひとつ仕事を増やそうと思っています。一般の方と読む

    枕草子とその時代

というタイトルの講座を始めることにしたのです。決めたのはいいものの、それを実施するためには相当予習をしなければならず、「『枕草子』の勉強」を、この春休みの緊急の宿題として掲げて連日格闘しています。
この作品には江戸時代の学者である北村季吟の『枕草子春曙抄』という注釈書があるのですが、これを使いつつ、しかも最新の注釈書を参観しながら進めています。
ただ、この講座は一定人数の受講者が集まらない限りは開港されないというきまりがあるようなのです。言い換えると、集まらない場合は開講できず、今作っている資料はお蔵入りになります。勉強することは役に立ちますからかまわないのですが、やはり何とか講座を実施したいものです。

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小学校教育 

今年も授業が始まり、一番苦闘しているのは小学校教諭をめざす学生のための国語のお話です。
何をどうすれば彼女たちの役に立つか、ひたすら模索しています。
何しろ、私自身が小学校教諭の免許を持っていませんから、体験的に話すことができません。
文部科学省の

    学習指導要領

は何度も読みなおしましたが、要領を得ません。
一応、この学習指導要領をネタに話すのですが、理屈っぽいだけで実用的ではないので、悩みます。
5月以降は、朗読や紙芝居の実践も取り入れたいのですが、学生がどう反応してくれるか、心配です。
ただ、1回目の授業で紙芝居の

    舞台

を持って行ったら、興味を示す学生がいたので、やり方しだいでは食いついてくるかな、と思っています。
春休みにもっと練習したかったのですが、体力というか、声を出すのがつらかったのでできませんでした。
さて、どうなりますやら。

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春休みの反省 

この春休みはあまり仕事ができませんでした。
体調のせいにするのはよくないと思いますが、あまり動けなかったのは事実です。
それでも、まだまだできたはずで、残念でしかたがありません。
特に、創作浄瑠璃に目鼻をつけるはずが手にもついていません。
「枕草子」の勉強はいくらかしましたが、たいしたことはありません。
授業の予習もふじゅうぶんで、新年度に入ってからあたふたしています。

    研究活動

など、何もできませんでした。
反省、反省の春休みでした。

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先入観 


『枕草子』の勉強をしていて、気を付けなければならないことをしみじみ感じています。それは、高校時代に学んだことをそのまま信じ込んでしまわないように、ということです。
やはりそういう先入観があると、勉強が発展しないように思います。
たとえば、この作品の冒頭は

     春はあけぼの やうやうしろくなりゆく山ぎは
     すこしあかりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる

ですが、さてこれはどこで切って読めばいいのでしょうか。高校時代には「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」と読んで、「春はあけぼのだ。次第に明るさを増していく山の稜線が少し赤くなって(あるいは「明るくなって」)、紫がかった雲が細く棚引いているところ」の意味と考えていました。
でも、

     春はあけぼの
     やうやうしろくなりゆく
     山ぎはすこしあかりて紫だちたる
     雲の細くたなびきたる

と読んではいけないのか。「春はあけぼのだ。しだいに明るさを増していくころ。山の稜線が少し赤くなって紫がかったところ。雲が細く棚引いているところ」と、プツリプツリと切っていくのです。
これは私が思いついたことではなく、すでに注釈書などで指摘もされていることです。こういうことをしっかり吟味しないとほんとうに読んだことにはならないだろうと思います。
また、一見あっけない文章なので、意味を現代語に置き換えたらそれで終わってしまいそうですが、問題はいろいろあるはずです。
「春は」といったらふつうは「梅」とか「桜」と言いそうです。しかしここに書かれているのは、曙の、はるか遠方の風景のみ。言ってみればとても意外なことを書いているのです。そこを見逃さずに読んでみたいのです。また、「夏」には「蛍」、「秋」には「虫の声」、「冬」には「火桶」など、季節の景物が書かれるのに、なぜか春だけは書かれていない。それはどういう理由なのか。そんなことをあれこれ考えながら、先入観を排して勉強していきます。

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唐のもの 

『新猿楽記』の右衛門尉の四男は受領(国司)の郎等、五男は天台の学生、六男は絵師、七男は仏師、九男はまだ幼いのですが、舞楽人の養子になっていて、みずからも楽器も舞もみごとに修めているのです。
もうひとり、八男は商人です。金儲けばかり考えて、家族はおろか、他人を顧みないような男です。口先で人を騙して他人の目を抜くような輩なのです。行動力は抜群で、商売のためなら東北の未開の土地から南の「貴賀が島(鬼界が島)」まで飛んでいきます。
この男が大陸から輸入するものがたくさん挙げられています。いわゆる

    唐物

です。まずはお香。沈香(じんこう)、麝香(じゃこう)、栴檀(せんだん)、丁子(ちょうじ)、薫陸(くんろく)、青木(しょうもく)、龍脳(りゅうのう)、牛頭(ごず)、鶏舌(けいぜつ)、白檀(びゃくだん)など。
材木では紫檀(したん)、赤木(あかぎ)、染料では蘇芳(すおう)、陶砂(とうさ)、薬では紅雪(こうせつ)、紫雪丹(しせつたん)、金液丹(きんえきたん)、銀液丹(ぎんえきたん)、紫金膏(しこんこう)、巴豆(はず)、雄黄(ゆうおう)、訶梨勒(かりろく)、檳榔子(びんろうじ)など。
顔料(絵具)では紺青、緑青、胡粉。豹や虎の皮で作った敷物。犀角、水牛の角、メノウ、瑠璃などで作られた調度品。呉竹、吹玉(ガラスを吹いて作る玉)・・・まだまだ書かれています。
大変珍しい貴重なものですが、こういうものが大陸から入ってきたのですね。唐物については河添房江さんの

     『唐物の文化史』(岩波新書)

という面白い本があります。
国産の商品としては金銀、真珠、夜光貝、水晶、琥珀、水銀、硫黄、錫、銅、鉄、絹などの布類等々、これまた数多くを扱っているといいます。
ただ、この男、あまりに旅ばかりしているので、妻子と顔を合わすことはめったになくなっています。
これも極端な人物ですが、こういう人はやはりいつの時代にもいるのだろうと思います。
駆け足で『新猿楽記』に描かれている人々について書いてみました。平安時代にもいろんな仕事があったことが改めて感じ取れました。こういう人たちがあればこそ、貴族も生活ができたのです。

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能書家、修行者、細工師 

『新猿楽記』の右衛門尉の長男は能書家です。字がうまいとそれだけで生きていけます。あらゆる書体(篆書とか草書とかあるいは蘆手(あしで)とか。その字は雲のように軽やかで、流れる水のように滑らかなのです。王羲之、弘法大師、小野道風、藤原佐理らの書風を伝え、天皇にまで依頼されるので、一字のみを書いた反故であっても

    千両の金

に相当する価値があるのです。
次男は大験者。身と口と意が一致して背くことがない(「三業相応」といいます)真言の行者。あらゆる修行を積んで、梵語まで操る能力があります。祈祷を行うとすぐに霊験があらわれます。当時は病気の時には医療も施しますが、祈祷を行うことが重要でした。病因が物の怪であったりしますから、そういうものを追い出すことも大事だったのです。
彼は、

    大峰山

や葛城山はもちろんのこと、各地で修行を経験しています。そこに挙がる名前は、熊野、金峯山、越中立山、伊豆の走り湯、比叡山の根本中堂、伯耆大山、富士、加賀白山、高野山、紀伊の粉河、箕面、近江の葛河などです。
三男は細工師で、手箱(小物を入れる)、硯箱、枕箱(枕を入れる)、櫛箱(くしなどの髪を整える道具を入れる)、厨子(仏像などを安置する)、唐櫃(衣などを収容する)、几帳の柱、屏風の骨、燈台、仏台、花机、経机、高座(僧が説法するときなどに上がる台座)、礼盤(礼拝の台座)、懸盤(食器台)、大盤、高坏、脇息、鞍骨、扇の骨、箙、太刀飾り、唐笠、造花、節巻(弓)など、なんでもござれ。
器用な人は本当に何でも自分で作ってしまいます。私はおそるべき不器用人間なので、こういうのにはあこがれてしまいます。

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白物 


古い記録を読んでいると「白物」という言葉がまれに出てきます。冷蔵庫か洗濯機みたいで、当初は何のことかわからなかったのですが、史料を読む勉強会に出て先輩に教えてもらいました。「しれもの」と読むのがよさそうで、「痴れ者」のことなのだそうです。意味はもちろん、愚か者、あるいはもっと悪い意味で用いられることもあるようです。
『新猿楽記』の右衛門尉の十四女の夫はそういう人でした。この人物は以下に書くような人だというのですが、それがすなわち「白物」という言葉の具体的な内容を記していることになるでしょう。
まず、自分を大げさにほめて、

    他人を謗り

『新猿楽記』の右衛門尉の十四女の夫はそういう人でした。この人物は以下に書くような人だというのですが、それがすなわち「白物」という言葉の具体的な内容を記していることになるでしょう。
まず、自分を大げさにほめて、

    他人を謗り

ます。声が大きくで言いたい放題。口数が多くて、食べるものにうるさく、なんでも欲しがります。笑いを好んでいつも歯を見せています。人をだまして世の道理もお構いなし。生計は博打と盗みによって立てています。親不孝で兄弟仲も悪いのです。こうしてみると「愚か者」というよりも「とんでもないやつ」「いかれたやつ」という感じでしょうか。こういう人は今でもいるでしょうし、私自身思い当たることもあります。博打や盗みはしませんけどね。
とはいえ、この男にも一つ取り柄があるのです。ただ、それについては、このブログではちょっと書きづらいのです(下半身にかかわることなのです。『新猿楽記』はこういうこともあけすけに書きます)。その取り柄のおかげで右衛門尉の十四女とはうまくいっているのだそうです。

土俵上の女性 

ある授業では、最初の時間に孔子や世阿弥を例に挙げて、人は各年代でどのように学びをするのか、を話します。
その際、「孟子」の話もします。
井戸に落ちそうな子どもがいると、人は反射的に助けようとします。自分の危険を顧みず、また、助けることで報酬を得ようなどとは計算せず、瞬時に心がはたらきます。孟子はそれを


    惻隠の心

と言い、「仁」につながるものと考えました。
ほかにも、人には羞悪の心、辞譲の心、是非の心があり、それぞれが義、礼、智の端初となるのです。
先日、大相撲の巡業で土俵上で倒れた人の救命のために上がった看護資格のある女性に対して、若い行司さんが「女性は土俵から降りてください」とアナウンスし、批判されました。
でも、あの行司さんは相撲のしきたりを守る意識がはたらいたのであって、いわば

    是非の心

によってあのように言ったのでしょう。彼にも、命を軽んずる気持ちなどあるはずがありませんから、看護師さんを腕ずくで引きおろそうとはしなかったはずです。
ただ、是非の心よりも惻隠の心は重んぜられるべきだと考えねばなりません。実際、その行司さんは何が大事かよくわかったようで、彼はきっといい学びをしたと思います。

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2018年文楽四月公演初日 

本日、文楽四月公演が初日を迎えます。
申すまでもなく、五代目の

    吉田玉助

襲名披露があります。
玉助さんは交際範囲の広い方で、私もその隅っこに入れていただいています。
それだけによけいに嬉しいです。
また、この公演では野澤喜一郎さんが

    野澤勝平

を襲名され、これも、未来の喜左衛門襲名に向けてのステップアップとして歓迎したいです。

演目は
第1部(11時開演)
本朝廿四孝(桔梗原)
五代目吉田玉助 襲名披露 口上
本朝廿四孝(景勝下駄、勘助住家)
義経千本桜(道行初音旅)

第2部(16時開演)
彦山権現誓助剣(須磨浦、瓢簞棚、杉坂墓所、毛谷村六助住家)

です。
劇場でお目にかかれますように。

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醜女 

文楽『釣女』の醜女は、見ようによってはかわいい娘ではないでしょうか
しかし、『新猿楽記』にはすさまじい醜女が出てきます。右衛門尉の十二女はこの上ない美人なのですが、十三女は逆に気の毒なまでに描かれます。
まず髪がボサボサ、額が狭く、口からは歯が見えている。顎が長くて、耳が垂れ、顎が太い。頬が高く、頬の下に行くほどすぼまっている。歯は食い違っていて舌足らず。鼻は曲がっていて詰まったようである。背が湾曲して鳩胸、腹はカエルのようである。まっすぐに歩けず、「わに足」。皮膚はかさついて

    ナマズのような

肌である。首は短く、長身で、腋臭があって、手は熊手の形の農具を思わせ、足は鍬のようである。おしろいを塗ると狐のような顔になり、頬紅をつけるとサルの尻のようだ。淫乱で相手を選ばない。嫉妬深くて心ばえもよろしくない。織物や裁縫はまったく下手で、家計もうまくできず、財をなくしてしまう。整っていなければならないものは何一つなく、逆に女にとってよくないこととされる

    七出


 すなわち、「子がない、舅・姑に仕えない、おしゃべり、ねたみ、病気、盗み癖、淫乱」という七つが揃っているのです。最後の二つはともかく、それ以外の「欠点」は、現代なら問題にはされないように思います。
何かと書きにくいこともありましたが、およそ以上のようなことで「醜女」を描いているのです。
ところで、最後に「この女にも最近夜這いする男がいるらしい」と書かれていて、作者は「蓼食う虫も」と言わんばかりです。でも、それはそれで好き好きですからね。

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食い意地の張った女 

『新猿楽記』の右衛門尉の七女の夫は馬借、車借をしています。
馬や車に荷物を乗せて運ぶ仕事です。働き者というと聞こえがいいのですが、馬や牛は休むまもなくひどい目に遭わされます。
しかし、留守がちで、それなりに稼いでくれる夫を持った妻は三食昼寝付き(二食かな?)。
『新猿楽記』は「食歎愛酒女」と書いています。
彼女の好物に

    鶉目之飯、蟇眼之粥

というものがあります。何なのでしょうか。鶉やカエルの目をほんとうに飯や粥に炊き込んだのでしょうか。
ほかには、鯖の粉切り、酢煎りの鰯、鯛の中骨(これらは海の魚)鯉の丸焼き、においのする腐ったネギ、納豆(なうとう)の油の濃いもの、熟した梅の実、黄色くなったきゅうりなどなど。
あまり美味しそうじゃないな。
お酒は

    濁り酒

で、アテは炒り豆。
夫の前では爪を隠した猫のように振る舞うのですが、食べるとなると牙を舐める犬のようになります。
いやはや、何ともすさまじい人です。

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父と息子 

『源氏物語』「横笛」巻を読んでいるのですが、この巻の最後に描かれるのは、光源氏と彼の息子である夕霧のやりとりなのです。
細かいことは省きますが、亡くなった友人の奥さんのところにお見舞いのために熱心に通っている夕霧について父親の光源氏が諭す場面なのです。
「友人とのかつての交誼のこともあるのだから、その奥さんとは清いお付き合いをしなさいよ。ごたごたが起こると面倒ですからね」と父に言われた夕霧は、心の中で「おとうさんのいうことはなるほどそうかもしれないが、じゃあそういうあなたはこれまでどういう生活をしていたんだ」と思うのです。光源氏は名うての色好みで、一方の夕霧は

    堅物

で知られた男なのです。光源氏には夕霧の母である葵の上のほかに、紫の上、女三宮、明石の君、花散里などがあり、そのほかにも六条御息所だの朧月夜だの、数多くの女性と交わりを持ったことは知らぬものとてありません。夕霧は奥さんが二人だけ(今なら問題ですが)で、この二人の奥さんとの間には10人以上の子がいて、ほかの女性とはあまり付き合っていないのです。
むっとした息子は「何事も人しだい、事しだいです。あちらの女性ももういいお年ですし(おそらくこのとき二十五歳くらい)、私は好きがましいことなどには慣れていないのですから」と反論します。
こういうやりとりを作者は本当に

    リアルに描く

のです。夕霧はこの時二十八歳で、当時はもう中年に近い年齢でしょう。身分も大納言兼近衛大将という高級官僚です。そんな男でも、光源氏(四十九歳。こちらはもう老年期に差し掛かっています)から見れば頼りない息子です。実際、夕霧はこの女性に対してなみなみならぬ好意を抱き始めているのです。それを見透かされているからこそ、反論もしたくなるのです。
火花を散らす父と息子。『源氏物語』はこういうところも面白いのです。

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美女 

『新猿楽記』を読む場合、一番手軽なのは東洋文庫に入っている川口久雄氏校注のものです。
本文、意味、注が付いています。川口氏は和漢の文学に精通された大先生で、私も学生時代から学恩を受けてきました。
私は特に漢文学が苦手ですから、『新猿楽記』を読むに際してはやはりこういう先達がいらしてくださることがありがたいのです。
右衛門尉の十二女はたぐいまれな美女です。
その描写は『長恨歌』や『文選』の影響があり、こうなると川口先生に頼ってしまいます。
翡翠のかんざしがよく似合うこの娘は、

    芙蓉の瞼

をめぐらしてひとたび笑むとあふれんばかりの媚態が生じ、青い黛の眉を開いて斜めに向き合うと誰もが心を寄せます。白粉をつけなくても色が白く、頬紅で装わずともほんのり赤い。濡れた唇は紅い果実のようで、肌は脂づいて白雪かと見える。腕は玉、歯は貝を口に含んだのようだ。
言葉数は少なく肝心なことのみを言い、その声はなごやかである。綾や薄衣をまとい、香を焚き染めている。いつも鏡を持ち、字の稽古も怠らない。
人々が言います。もし彼女が楊貴妃の時代に生まれていたら必ず

    嫉妬

されただろうし、漢の武帝のころに生まれていたら、李夫人のかわりに愛されただろう、と。
楊貴妃は美貌で知られますが、また、大変嫉妬深い人でもあったのです。
かくして、十二女は男たちの羨望の的になりました。

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相撲人 

『新猿楽記』の右衛門尉の六女の夫は相撲人です。
今の相撲は江戸時代の流れですが、やはりその淵源を尋ねたら平安時代の相撲節会に行き着くでしょう。もちろん、さらに古くは
当麻蹴速や野見宿禰にも至りますし、そもそも二人の人が取っ組み合いをして相手を倒すというのは、とりわけ男性なら誰でもすることでしょう。
さて、六女の夫は、父方が丹治文佐(たんじのふんすけ)、母方が薩摩氏長(さつまのうじおさ)という相撲人を祖先に持ち、

    気躰長大

で雄々しい人。もちろん力も強く、相手になる者とてなかったというのです。
彼の得意技は「内搦み」「外搦み」「亘(わた)し掛け」「小頸」「小脇」「逆手」などでした。
ご覧のとおり、すべて相手を倒す技で、「寄り切り」「押し出し」の類はありません。そもそも

    土俵

というものがないのですから。
たふさぎ(ふんどし)の腰回り、髻(もとどり)の髪際、ふるまい、気迫、腕の筋肉、腿の肉、手足、骨など、相手は見ただけで怯えるほどでした。
最も高い地位を最手(ほて)と言いましたが、いかなる最手も彼にはかないません。鼠と猫、雉と鷹のようなものだとさえ記されています。

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今日から勝平 

四月になりました。文楽の吉田幸助さんは、今日から五代目吉田玉助になりました。
「こうちゃん」が「たまちゃん」になりました。しかし、文楽の世界には「たまちゃん」がたくさんいらっしゃるのて、やはりこれからは「玉助さん」とお呼びしたいと思っております。
そして、今日からもうお一人、野澤喜一郎さんが

    野澤勝平

を名乗られます。「きいっちゃん」が「かっちゃん」になります。
私は以前から、早くこの名前を名乗っていただきたいと思っていました。
あいにく私は三味線弾きさんとはほとんど交流がなくて、新・勝平さんともお話はしたことがありません。しかし、さばさばした陽性の気質は感じ取れます。お声も大きく、突き抜けるような立ち声で、輻聚会でも語りを拝聴したことがあります。
さて、勝平を名乗られたからには、次には

    四代目 野澤喜左衛門

の名前が彼方に聳えています。ご本人ははっきりそれを目標にしていらっしゃるようです。
どうか、ますます精進されてこの立派な名を継承されますように。

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