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2018年 私の十大ニュース 

大晦日に際して、10個もニュースがあったかな、と思いつつ、無理やり書き記しておきます。

①激しかった健康の浮沈
 六月半ばまでは不調ながら、突然快調に。ところがわずか3か月後にはまた息苦しさに襲われ、そのまま年末に至る。
②地震台風雨嵐
 直撃を受けた地震など、六月から九月にかけての自然災害。台風のあとは仕事場でひどい雨漏りがする。健康にもおそらく悪影響あり。
③創作浄瑠璃「異聞片葉葦」脱稿
 姉と妹の物語。理不尽に殺された姉が幽霊となって妹の前に現れる。本所七不思議のひとつに材を取ったもの。
④幼稚園文楽人形劇「ごんべえさんとやまのかみさま」上演
 奈良市の幼稚園での人形劇。ごんべえさんがうっかり山のキノコを軽率に扱ったところ、突然の大嵐に見舞われる。あっと驚くしかけも。
⑤秘密の(笑)創作浄瑠璃脱稿
 ちょっとした創作浄瑠璃を執筆。内容は、差し障りがあるので秘密。来年中に、いくらか姿を変えてどこかで語られるかも。
⑥「うはなりうちの諸相(2)」脱稿
 昨年度書いたものの続稿。妻が、夫の新しい愛人にどう向き合うか。時代によって、また、文学ジャンルによってさまざま。
⑦源氏物語エッセイ4回執筆
 この連載も丸3年。今年はやっと夕顔巻の「なにがしの院」における怪奇現象の場面まで到達。毎回かなり悪戦苦闘。
⑧狂言風オペラ「フィガロの結婚」上演
 昨年書いた台本をもとに、錚々たるメンバーによって能、狂言、文楽、管楽合奏のコラボレーション演劇が、東京、京都、大阪で上演された。
⑨執筆中の創作浄瑠璃
 来年の脱稿を目指して「異聞置いてけ堀」「異聞おくり提灯」を構想中。これができれば、本所七不思議の浄瑠璃が完成。
⑩さまざまな出会い
 大槻文蔵さん、赤松禎友さん、茂山あきらさん、野村又三郎さん、茂山茂さん、山本善之さん、河野富有さんらとの出会い。

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尼崎城(3) 

文楽ファンなら『絵本太功記』「尼崎」や『義経千本桜』「渡海屋」があり、近松門左衛門の墓があり、と、ゆかりの街なのです。
羽柴秀吉は、 本能寺の変の一報を聞いて、中国地方から戻りますが、そのとき尼崎で明智方の攻撃を逃れるために大物の廣徳寺(今は場所が変わっています)に潜入し、剃髪して僧のふりをしたと伝わります。『絵本太功記』の設定といくらか似ています。
源義経は兄の追っ手を逃れるために尼崎大物浦から九州を目指して出航したものの、嵐にあったという伝えがあり、『義経記』や謡曲「船弁慶」そして『義経千本桜』に描かれます。

    大物主(おおものぬし)神社

の社殿脇には「義経辨慶隠家跡」の石碑があります。義経らはこの近くの七軒長屋に身を潜めたと伝えられるのです。
しかし、伝承や石碑だけでは物足りないです。派手な祭りを催して、近松、秀吉、光秀、辨慶、知盛の霊、米朝師匠などに扮した人に行列でもしてもらったらどうでしょう。その日は落語会あり、能や文楽の上演あり・・。
何かしら

    煮え切らない

尼崎。
このたび建てられた尼崎城にはいろんな意見もあるようですが、ひとつのきっかけにして、尼崎が芳しい街になるよう、お祈り致しております。

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尼崎城(2) 

学生に尼崎市民がいるのですが、彼女は尼崎城再建に対しては冷たい視線組で、あんなのいらない、と言っていました。
一方、私のfacebookの友だちに尼崎の方がいらっしゃって、こちらは盛り上げ組で、しょっちゅう写真をアップしていらっしゃいます。
尼崎市は、大阪府だと思っている人も少なくなく、かつては同一藩だった西宮、宝塚、芦屋などとは一線を画す(実際、武庫川という川で隔てられています)感じがあります。
以前は「工場の街」というイメージが強く、あまりきれいではない、とも思われていました。
しかし、

    桂米朝師

のような著名人が立派なお宅を市内に持たれ、一部地域には高級住宅地のイメージも少しずつふくらみ、そもそも大阪に至近距離のいい位置にある街だけに、あとは文化面でのイメージアップが課題だったように思います。

    近松の町

というキャッチフレーズもかなりいいものだと思います。市内の女子大には近松研究所もあります。ただ、近松記念館がやや面倒な位置にあり、建物もパッとしません。墓所の広済寺横というのはわかるのですが、近松研とも離れていて、観光客を集めるにはちょっと。
さて、ほかに何かこの街を発展させるものはないのでしょうか。

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尼崎城(1) 

最近、かつての大型家電店の創業者の方が、兵庫県尼崎市に10億円を寄付され、市民の寄付もあって尼崎城の天守が再建されました。店主が天守を建てた、というわけです。来年、公開されるようですが、市民は盛り上がり組と冷たい視線組があるようです。
尼崎には

    大物城

と尼崎城があったと言われ、大物城は古いものだと考えられているようです。
尼崎城は戸田氏鉄(うじかね)が元和三年(1617)に築城し、その後、青山氏(今の東京青山あたりは青山氏の江戸屋敷跡)を経て、三河桜井出身の松平氏が城主になっています。尼崎にはこの松平一族を祀る

    桜井神社

があります。
この尼崎藩は今の尼崎市のみならず西宮、宝塚、芦屋、川西その他阪神間の町々を支配しており、なかなかの藩だったようです。
尼崎城跡には尼崎市立図書館があり、ここは人形浄瑠璃関係の文献も集めているため、私もお世話になります。
天守は阪神電車からも見える位置にありますが、海にきわめて近く、昔はまさに海岸だったようです。
(続く)

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天皇の誕生日 

天皇の誕生日になると、さすがに国家の大事ということで、その生年月日がわかる場合も少なくありません。
藤原道長の日記を見るだけでも、時の天皇に子ができた場合、しばしば記されます。彼の娘が産んだ皇子なら、出産の記録のみならず、産養(うぶやしない)という宴、五十日(いか)、百日の祝いなども、とても嬉しそうに(笑)書いています。
でも、やはり天皇の誕生日を祝う習慣はありません。
明治天皇は11月3日(当時の暦では9月22日)、大正天皇は8月31日、昭和天皇は4月29日、今上は12月23日が誕生日です。大正天皇は、酷暑の時期で、天長節の祭事がしづらいというので、誕生日は8月31日、天長節は10月31日だったそうです。
大正天皇はなんだか忘れ去られたようになっていますが、明治天皇の誕生日は

    文化の日

昭和天皇の誕生日は昭和の日として残っています。
だから今上の誕生日も名前をこじつけてでも残そうというのはやめたほうがいいと思います。
明治天皇が亡くなった後、11月3日は祝日ではありませんでした。昭和になってそれが明治節として息を吹き返すのは、そういう時代だったということでしょうか。
昭和天皇の誕生日を無理やり祝日にして残したのが間違いの元。昭和の日なんて、学生の年代からすると、

    何、それ?

っていう感じです。
また、昭和の日があるんだから、12月23日は平成の日になるんだろう、と思っている学生も少なくありません。彼らにしたら、昭和は過去の元号に過ぎず、昭和の日なんて何の大義もない祝日だと思います。ゴールデンウィークが長くなるからいいけどね、という程度の認識です。昭和生まれのノスタルジーにほかならないのです。
明治の日を作る? 信じられません。
平成という一時期を、あるいは今上をどう評価するか、ということとは無関係に、私はやはり、12月23日は平日に戻すのが妥当だと思います。

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貴族の誕生日 

昔は誕生日を祝うという習慣が見られず、それゆえに著名な人でも生年はわかっても誕生日はわからない、ということが少なくありません。
上流貴族になると年ごとに誰が左大臣、誰が右大臣、と、

    公卿補任

という記録に記されましたが、そこには年齢も書かれましたので、生年は逆算でわかります。また、薨卒伝という、亡くなった時に略歴などを記す記録もあり、そこには没年が記録されますので、これまた逆算によって生年はわかります。
しかしあの藤原道長ですら誕生日はわかりません。彼の日記を読んでも、「今日は私の誕生日だ」とは記されません。

    賀の祝い

という、四十歳から10年ごとにおこなわれる催しも、誕生日に実施されるわけではありません。
しかし、たまには誕生日のわかる人もいます。
藤原道長の日記の寛弘二年八月二十日条に、

   堀河邊有産事 男子

という一節があり、これは彼の妻のひとりである源明子が長家という子を産んだ記録と思われるのです。たまたま長家の誕生日は今に伝わる、というわけです。

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御堂筋線の駅が 

御堂筋線の駅の一部ホームのデザインがそれぞれの地域に合わせて美しく個性的になります。
とかなんとか、民営化してできた新会社、大阪メトロがそんなことを発表したのだとか。その一例として心斎橋駅のイメージ写真が出ていました。
びっくりしました。
何だか既視感があると思って、上下をひっくり返して見たら、かつて見た

    道頓堀プール

のような(>_<)。
あの派手な、というか、けばけばしいデザインだと、お客さんの中にはイライラしてくる人もいるのではないか、と思うのですが。
JR東西線の新福島駅(地下駅)には逆櫓の松がちらちらとデザインされていて、地味ながらなかなかいいものだ、と感じました。地域のイメージと歴史のおもしろみがあったからです。莫大な費用を厭わないらしいですが、2024年までに改装するのだとか。要するに万博までに、ですね。しかし、あのデザインだと、万博より

    カジノ色

に模様替えするのかな、と思ってしまいます。そんなにお金があるのなら、日本橋駅7番出口にエスカレーターをつけてほしい。
大阪メトロのデザインは大阪レトロでもいいじゃないか。

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イブは 

クリスマスイブです。
学生の話を聞くと、過ごし方はさまざまです。
以前、ケーキ屋さんでバイトしているという学生が、死にものぐるいで働く、と言っていました。予約のお客さんが取りに来られるコーナーだけでも、夕方になると列をなすくらいで、飛び込みで買う方も少なくないでしょうから、大変でしょうね。

    ケーキ職人

さん(今ならパティシエ、パティシエールというのでしょうか)など、さらに大変ですね。いったいあの日、何個のケーキをお作りになるのでしょうか。普通にバイトに行く学生、家族でクリパという学生もいますし、かと思うと、友だち同士で騒ぐ、という人たちも。私がかろうじて経験があるのはこの「友だち同士」です。下宿していた女の子をよく誘った記憶があります(笑)。
以前はゼミ学生とケーキを買いに行って研究室でミニクリパをしましたが、今は昔の話です。
ドキッとさせられるのは、堂々と(?)、

    お泊まり

です、と言う学生です。。
いつの頃からか、クリスマスイブはちょっとしたホテルはその手の若者で予約が埋まる、という話も聞かれるようになりました。
私はもちろん今年も何もありません(笑)。

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天皇誕生日 

天皇誕生日は4月29日、という意識が抜けないまま、今の天皇の誕生を記念する祝日も最後になりました。
皇太子さんな2月のお生まれでしたから、2020年からはその日が祝日になるのでしょう。
学生は生まれた時から天皇誕生日=12月23日で、

    昭和天皇

の誕生日がいつか、なんてまず知りません。
そりゃそうです。私だって大正天皇の誕生日なんて知りませんでしたから。
学生は、来年以降も12月23日は祝日にしてほしい、と言います。なんでも、祝日、イブ、クリスマスの3連発があたりまえだからだそうです。
しかし、私は国会議員の諸君に強く言いたい。来年以降はこの日は平日にしなさい、と。上皇誕生日はもってのほかですが、平成の日とか、雪の日とか、クリスマスイブイブとか、つまらない名前をこじつけて天皇誕生日をさりげなく残すなんて

    ナンセンス

です。祝日法は当然国会で決めるわけですから、しっかり考えてもらいたい。
天皇は退位するのですから、忘れてあげるようにしないと。
その流れでいうなら、昭和天皇の誕生日も平日に戻すのが妥当。
12月23日が祝日になるのは今日が最後であってほしい、と願っています。

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狂言風オペラ(17) 

狂言風オペラ「フィガロの結婚」は再演されますが、この企画は今後どうなるのでしょうか。
もともと茂山千之丞さんが狂言と合奏団のコラボで始められたようですが、六郎兵衛さんのお話によれば、千之丞さんは文楽人形も入れたい、とお考えだったそうで、それがこのたびの形として実現したわけです。
しかし、千之丞さんは亡くなり、プロデューサーの白神(しらが)さんも、今回演出された六郎兵衛さんも鬼籍に入られ、立て続けに

    司令塔

を失っただけに、安易に「また次を」というわけにはいかないような気がするのです。特にエンジンの役割を果たされた白神さんが亡くなったのがかなり大きいと感じます。
これまでには、「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」などもなさっているようですが、それらをリメイクして、ということができるでしょうか。
もちろん私は実現したら嬉しいですし、万一また関わらせていただけたらありがたいですが、これはさらに

    可能性

が低いと思います。
一流の方々が何度も稽古なさり、ギャラやアゴアシさらには宣伝費用もかさみますから、いろいろ補助があっても、どうしてもチケット代が高くなり、これも実は気になっているのです。学生券が2,000円というのはいいと思いますが、大槻能楽堂では最高1万円ですから、文楽のチケットに比べるとかなり割高です。
大阪市に補助金を出してもらうこともありえないでしょうしね。
もしまた新しい企画がなされるなら、どうかうまくいきますように、と祈るばかりです。

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年内はひとまず 

年内の仕事が終わります。
最後はポロポロて、90分授業を40分くらいで切り上げてしまいました。文部科学省のエラいお役人様のお耳に達したら、やり直しを命ぜられるかも知れません。お役人様、お慈悲でごぜぇます。ご勘弁くだせぇまし。
秋以降、かなりつらかったです。
私の胸はしょっちゅうゼイゼイ音を立てていました(喘鳴)。しかし、薬のおかげでまったく音は消え、この夏は極めて快調な日々を過ごしました。しかし、秋以降、

    元の木阿弥

で、息苦しいのです。ただ、喘鳴はなく、以前とは違う状態です。
何がどうなっているのかわからないままにここまできてしまいました。
体のあちこちが痛く、

    パソコン病

なのか何なのか、これも原因がわかりません。
さて、年末にはいつも掃除をしますが、今年はできるかどうか。
あ、年賀状、どうしよう!

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気分は最悪 

何が起こったのか、からだが言うことを聞いてくれません。
吐き気が強いのですが、何も食べていないので、出るものとてありません。
まともに話ができず、勉強もできません。

    授業

には行きましたが、半分くらいで切り上げました。
非常に辛いです・・・。

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授業は一段落しますが 

今日、授業をすると(一般の方対象の講座まだありますが)、年内の授業は終わります。9月以来、体調がずっと悪く、11月には何らかの強い炎症を起こして1週間休みました。
元気がないと学生にも影響が出ます。もともとおもしろくない話がますますおもしろくなくなっているような気がします。
学園がきちんと調べて、異常がないなら

    安全宣言

をしてくれたらいいのですが、「多分大丈夫だと思う」という程度の発想で、こちらの申し入れなど一顧だにせず何もしてくれません。そうなると、自分は今汚い空気の中で仕事をしているのではないか、という

    不安

が頭を離れず、よけいにストレスを感じます。
抗議をしても、自分たちが間違いを犯すはずがない、という思い上がりがあるのか、反省の態度すら感じません。間違いは誰にでもあるわけで、それはかまわないのです。問題は間違いを認めて、次善の策を講じることでしょう。
いやではありますが、まだまだ抗議はします。ああ、ヤダヤダ。

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2018年12月文楽東京公演千秋楽 

本日、文楽東京公演が千秋楽を迎えます。
これで今年もほぼ終わり。
1年間ありがとうございました。
次の本公演は大阪で初春公演。
是非とも行きたいと思っています。

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狂言風オペラ(16) 

果たして、このお芝居はおもしろかったのか?
やはり関わった者としては知りたいところです。
とはいえ、劇評なるものは私の目にはあまり入りませんでした。呂太夫さんのホームページに、森田美芽先生が書いてくださっていますが、あとは、観劇してくださった方の短いコメントがちらちらとSNSに上がるくらい。

    台本が悪い!

と、けなされてもいいので、いろいろ書いていただきたかったです。私が見つけられなかっただけかなぁ?
芝居はやはり演出家と役者さんが中心。稽古が始まったら、作者なんてもう関係ないようなものです。
だからこそ、逆に、私は

    最初の観客

になれました。
拝見した限りでは、笑いのあるどこか皮肉な芝居になったかも知れない、と自惚れ半分に感じていました。冒頭の挨拶の部分、茂さんの舞、ラストの「高砂や」などは私のアイデアではありません。かなり六郎兵衛さんのアイデアも入っているのです。
愛と赦しをテーマに、笑いと毒をまぶしてモーツァルトとダ・ポンテに挑んだ、というより、彼らの力を借りて書いたものでした。いつの日か、あちらの世界で彼らに会うことができたら、「ペルドーノ(お赦しを)」とあやまらなければならないかもしれません。
それにしても、公演直前にプロデューサーさんが、公演後に演出家さんが亡くなるという、出来事があり、それはかなりショッキングでした。
来年、つまり2019年には青森、山形、愛知、兵庫、大阪で再演があります。西日本での上演がないのが残念ですが、さらに熱くなっての再演になるのではないかと期待しています。

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狂言風オペラ(15) 

この芝居の主役は奥方といってもよいのです。
奥方を能役者さんにお願いする、と聞いていましたので、どうしてもひとさし舞っていただきたく思いました。全体は喜劇ですが、奥方だけは徹底して能らしく演じていただきたい。それでこそほんとうのコラボだと思ったからです。
失われた愛の悲しみを抱えながら、それでも赦すことを忘れない心の深さ。
赤松禎友さんには崇高なまでの愛と赦しの権化を見せていただきたいと思っておりました。
オペラには

    手紙の二重唱

がありますが、そこはただの手紙ではなく、和歌を詠むようにしました。よりによって殿様の苦手な和歌を。
そしてフィナーレの部分でも、奥方の赦しの言葉は和歌にしました。この和歌はあえて難しい言葉を用いて、失礼ながら、お客様にも意味がわかりにくいようにしたのです。
それは、結局、殿様の無知や傲慢は、在原平平という、特殊な人間にしかないものではなく、あらゆる人の心に、つまりお客様の心にもありうるものだ、という

    

を持たせたつもりでした。
そしてその和歌の意味を解き明かしたのを、もっとも軽薄そうに見えるおあき(茂山あきら)にしたのも、権力からもっとも遠くにいる者が思いがけない知恵を持つこともある、という思いを込めました。
あきらさんのおあきはいかにも軽く、それでいて機転の利く人物像でした。

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狂言風オペラ(14) 

「フィガロの結婚」のアルマヴィーヴァ伯爵は、憎めないところもありますが、本来は権力的なのです。
オペラの二幕では妻の不貞を疑い、小姓のケルビーノを殺してやる、とまで言います。四幕では人々が揃って

    お許しを!

と言っても聞く耳を持ちません。
自分は間違ったことはしない、と思っているのですが、所詮裸の王様。権力を持った人間の浅はかな姿をまざまざと見せます。
こういう俗物は古今東西を問わず、どこにでもいます。
狂言風オペラの「フィガロの結婚」でも、そのような人物を描こうと思いました。ただ、制約があります。文楽人形の

    

です。フォルスタフの人形を使う、と聞いていましたので、若干性根が変わります。原作よりも三枚目の要素を強くしようと考え、美男で和歌の名手在原業平の子孫でありながら、雅びの心のかけらもない人物ということにしました。
ただ、権力への警句はどこかに入れたいと思い、フィガロ(太郎)に「権力者はその力の半分を己の欲望のために使い、あとの半分は己の過ちを隠すために使う」と皮肉を言わせたりしてみました。
又三郎さんのアドリブもあって、その部分は爆笑があったようでした。

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狂言風オペラ(13) 

春の夜の闇はあやなくて、ラベンダーの香りを隠すことはできません。
人と人との心のすれ違いは闇も生じさせますが、それもまたあやなきものです。愛と赦しがあれば、どんな狂おしい1日も安らぎのうちに終わらせることができます。
けっしてキザなことを言っているつもりはありません。
狂言風オペラ「フィガロの結婚」は、そんな思いで書いたのです。
ロレンツォ・ダ・ポンテが書いた「フィガロの結婚」の台本のラストシーンに次のようにあります。

Ah tutti contenti
Saremo così.
Questo giorno di tormenti,
Di capricci e di follia,
In contenti e in allegria
Solo amor può terminar.

ああ、これで私たちは皆しあわせだ。
苦悩、気まぐれ、愚かさのこの1日を、
満足と歓喜のうちに終わらせるのは愛だけだ。

この、Solo amor(愛だけ)を、私は

    Amor e perdono(愛と赦し)

としてみたのです(イタリア語はわかりませんので、間違っているかもしれません)。
豊竹呂太夫さんの本を書くために、呂太夫さん邸でお話を伺っていたとき、呂太夫さんがしきりに「赦し」ということをおっしゃっていました。「酒屋」のお園も「紙屋内」のおさんも、自分を犠牲にしているのではなく、まして貞女などと言って片付けられるものではなく、半七を、三勝を、治兵衛を、小春を赦しているのだ、と。それも

    大きなヒント

になりました。
プログラムには、私は文を書かせてはいただけませんでしたが、もし書けと言われたらそんなことを綴っただろうと思います。

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狂言風オペラ(12) 

このお芝居は、ある春の1日のできごとを描いたものです。
フィナーレはもう夜。春の夜です。私はその場面を頭に描きながら「古今和歌集」の一首を思い浮かべました。

  春の夜の闇はあやなし
    梅の花
      色こそ見えね香(か)やは隠るる

よい香りのする花は、夜になると色は見えなくなりますが、香りは隠れようもありません。梅はそんな魅力のある花なのです。
原作にはないのですが、私はこの香りを芝居に生かしたくなりました。
そして、奥方の趣味がお香である、という設定にし、梅の香りとともに、もうひとつ、この話のテーマに関わる香りを使いたい、と悩みました。
江戸時代に、

    ラーヘンデル

という花が海外からもたらされました。ラーヘンデルとは、ラベンダーのことです。そして、ラベンダーの花言葉には「優美」「沈黙」「あなたを待っています」などに加えて

    赦し合う愛

というのがあることを知りました。これだ、と思いました。

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狂言風オペラ(11) 

次は3月22日のけいはんなホールでの公演。なんでも親子無料招待という企画があったらしく、親子連れが多かったそうです。チケットが売れなかったのかな?
しかし、内容は

    大人の笑い

を意図したものですし、やや言葉も難しかっただけに、子供さんたちにはどう映ったのか、気になるところでした。
この公演には、最初の顔合わせの時に手伝ってくださったK.T.さんが行ってくださったのです。
そして、いよいよ千穐楽。
3月23日にいずみホールでした。
お客さんはほんとうに来られるのだろうか、と心配でしたが、同僚の野崎小町さんがお母様とご一緒にいらしてくださいました。叔母夫妻、公開講座に来てくださっている方も何人か。
おっと、あそこに見えるすらっとしたいい男はやたけたの熊さんじゃありませんか。そして、着物姿もとてもお美しいあずまさん(熊さんとお親しい、だし巻きの夕べの常連さん)もいらしてくださいました。すれちがいにはなりましたが、まゆみこさんも、フェイスブック友だちの何人かの方も。
熊さんは「いやぁ、笑った、

    笑った」

と言ってくださいましたが、もしほんとうなら嬉しいです。
又三郎さんあたりがさらに強烈なアドリブを入れてくださったみたいです。
こうして、狂言風オペラ「フィガロの結婚」の1年目は幕を下ろしました。
少しだけでしたが、お手伝いした者としてもやはりいささかの満足感がありました。もちろん、反省点もいろいろありますので、それが何より大きな財産になりました。

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狂言風オペラ(10) 

実は脚本を書いてからそれが改定されたものになる過程では、ここには書けない思いが渦巻いていました。それが、昨年一連の記事を削除した理由だったのです。しかし、よく考えたら、素人の私が超一流の演者さんによって演じられる芝居の、1万も出してお客様が観てくださる芝居の脚本をそんなにすらすら鮮やかに書けるわけがありません。
それを思い知らされたという意味では

    いい経験

になったと思わなければバチがあたります。
私は11月の時点で事実上お役御免になりましたので、あとは公演の成功を祈るばかりでした。
そして、3月19日観世能楽堂。昼と夜の2回の公演がありました。びっくりしたのは目付柱がはずされていたことです。あんなことができるのですね。それによって確かに

    観やすく

なったと思います。
知り合いの方々も観に行ってくださいました。
私の脚本で想定していたよりはるかに多い笑いがあったようです。
アドリブもかなりあったみたいです。
娘も観に行ったのですが、こんなことを言っていました(身内の言葉ですから、話半分に聞いてください)。

「お客さん、めっちゃ笑ってた」
「わかりやすい」
「おもしろい」
「勘十郎さんが歌ってた(笑)」
「能も狂言も文楽もきちんと観たいと思った」

ボキャブラリーが乏しいです(笑)が、彼女は中学高校をずっと演劇部で通しましたので、興味は持ってくれたようです。

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狂言風オペラ(9) 

ただ、2月28日の稽古では気になることがありました。藤田六郎兵衛さんが入院されて、この日の稽古にはいらっしゃらないとのことでした。
その連絡をくださった方のお話がどうも奥歯にものの挟まったような感じで、余計に気になりました。
しかし、稽古自体は順調で、みなさん次第に打ち解けて、和気藹々とした空気も漂ってきました。
次は3月に合奏団も加わっての稽古です。
本番を間近に控えた3月16日と17日にやはり大槻能楽堂で稽古。このときは六郎兵衛さんは来られました。お見受けした感じではそんなに体調がお悪いようには見えなかったのですが、このときにはすでに

    余命宣告

を受けていらしたようでした。
あとで伺った話では、「この芝居に賭ける」とおっしゃっていらしたそうです。
16、17日の稽古にも河野陽炎さんがきてくださいました。
木管を中心としたクラングアートアンサンブルのみなさんも来られ、慣れない能舞台に上がって演奏されました。とても気さくな人たちで、挨拶するとニッコリしてくださいました。
みなさん、セリフは完全に入り、人形も本番で使う

    フォルスタフ

の首。赤松禎友さんは面もつけられ、まったく、本番さながらで、私は(おそらく河野さんも)かなり興奮しました。最後に私がお願いしたことも取り入れていただき、赤松禎友さんが私の作った和歌を詠んでくださる場面は特にしびれました。赤松さんには、クラシック音楽に合わせて舞っていただくお願いをしたのですが、河野さんも違和感はないと見てくださったようでした。
呂太夫さんはこういう役はお手の物、友之助さんはかつてギターやコントラバスを演奏されたこともあるだけにクラシック音楽には詳しく、適役だったと思います。勘十郎さん(左・簑紫郎、足・勘介)さんの動きもいつもながら無類です。
茂山あきらさんはひょうきんで、野村又三郎さんは笑いのセンスに優れ、茂山茂さんはきちんとした華のあるスタイル、山本善之さんも誠実に明るく演じてくださいました。
稽古のあと、企画会社の社長さん(1月に急逝されました)の奥様が挨拶され、そのあと泣いていらっしゃいました。
いよいよ本番は2日後、3月19日に迫りました。

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狂言風オペラ(8) 

本格的な稽古が始まりました。
台本はかなり多く私の書いたものを使っていただいています。登場人物については、私のアイデアでは殿様が

    在原平平、

奥方は橘の上、フィガロは家路、スザンナは梅が枝、ケルビーノは光丸、バルバリーナはお春としていたのですが、殿様以外は却下されました(涙)。
私はどうしても平安時代風にしたくなるのですが、大槻文蔵さんや藤田六郎兵衛さんのお考えがあったのだと思います。
2月28日の夕方。
以前から別の用があって一度お会いしたいと思っていたライターの河野陽炎さんと、ちょうどいい機会だからいらっしゃいませんか、とお伺いしたら、行きます、とのこと。
せっかくなので、早めにお約束して、

    大阪歴史博物館

に行って、いくらか見学。名越昭司さんの鬘の展示もあって楽しかったです。
さて、時間がきましたので稽古場の大槻能楽堂へ。
まだみなさんセリフは入っていませんので、本を見ながら少しずつ作り上げていく、という感じです。
衣装もまだお召しにならず、赤松禎友さんは面もつけていらっしゃいません。
人形はツメで、動きをつけながら確認していくような稽古でした。
ひとつの芝居が出来上がっていくプロセスを拝見するのはなかなか楽しいものでした。

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狂言風オペラ(7) 

この記事以降は今回、新たに書きおろすものです。
★★★★

2018年1月初め、寒さが極めて厳しいころでした。この上演をプロデュースしてこられた企画会社の社長さんが急逝されました。10月にお会いしたときはとてもお元気そうでしたのに。
その結果、この催しは中止になるかもしれない、という話もあったようです。いわば

    扇の要

を失ったようなものでしたから。
しかし、奥様が遺志を継がれて何とか実現しようという話になり、いよいよ稽古に入ることになりました。
2018年1月28日の夕刻。

    大槻能楽堂

まで来てくれ、と言われました。
初めて出演者が顔を合わせる日でした。
早めに着いた私よりさらに早く山本善之さん(狂言)がいらっしゃり、豊竹呂太夫さん、桐竹勘十郎さん、茂山あきらさんらが続々到着。その合間には大槻文蔵さんもおいでになりましたので、ご挨拶しました。
名古屋から少し遅れて藤田六郎兵衛さん、野村又三郎さんがいらっしゃって打ち合わせ。
そのあと、実際に能舞台に上がって、立ち位置などをチェック。
いよいよ始まります。

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狂言風オペラ(6) 

以下の記事は2017年12月に書いたものです。
★★★★

私の書いたものはやはり浄瑠璃に偏りがあると判断されて、本来の脚本担当の藤田六郎兵衛さんのお手を煩わせて書き換えられることになりました。
やはり所詮素人のすることで、六郎兵衛さんにはご迷惑をおかけしてしまいました。もちろん、私のアイデアもかなり入れてくださっていますので、それはほんとうにありがたいことだと思っています。
ただ、かえってわたしが引き受けたことがあだになったのであれば、と、

    忸怩たる思い

がありました。
名前などどうでもいいのですが、もし私の名前を出していただけるなら、六郎兵衛さんとの

    共同脚本

という形にしてもらいたい、と思っていました。
しかし、それは叶わず、私は「作」ということで名前が出ることになりました。
これについては今なおスッキリしないのですが、無名の私があまり出ないほうがいいのかな、とも思い直しました。
ともかくも、台本の完成は六郎兵衛さんに委ねることになったのですが・・・。

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     赤 


     ピンク 

2018年12月文楽東京公演初日 

今日から文楽東京公演が始まります
文楽公演は開演が
午後2時開演(終演 午後5時36分予定)
午後5時開演(終演 午後8時36分予定)
の2種類あります。
演目は

鎌倉三代記(局使者、米洗い、三浦之助母別れ、高綱物語)
伊達娘恋緋鹿子(八百屋内、火の見櫓)

だそうです。
一方、文楽鑑賞教室は、「社会人のための」「外国人のための」を含めると、

午前11時開演(終演 午後1時22分予定)
午後2時開演(終演 午後4時22分予定)
午後7時開演(終演 午後9時22分予定)

の3種類。
演目は

団子売(「外国人のための」は上演ナシ)
解説 文楽の魅力
菅原伝授手習鑑(寺入り、寺子屋)

です。
18日までの短い期間です。
いつも思うのですが、解説に後半の演目の紹介は要らないでしょうか?
若手のみなさんの爆笑体験コーナーが終わるとあとは熟睡、というのはいかがなものかと。

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狂言風オペラ(5) 

以下の記事は2017年12月に書いたものです。★★★★

モーツァルトは、すごい。
スコアを見れば見るほどそう思いました。
私は音楽についてはまったく難しいことはわかりませんが、ダ・ポンテの脚本(=詩)に、あの音楽を付けたのは、もうすばらしいというほかはありません。
スコアを見ることで、どんどんメロディを思い出すことができました。
しかし、それに

    夢中

になっているわけにもいかないのです。
これを能、狂言、文楽に仕立てなければ。
前途は真っ暗ですが、どこかに光明が射すだろうと期待しながら文章を書き連ねます。

    オペラブッファ

の魅力を活かせるように。
でも、私が書くと、どうしても新作浄瑠璃になってしまいかねず、そこを意識しながら、能狂言を活かすように努めたつもりでした。
苦悶すること、1か月あまり。何とか最後まで書きました。
原作をなぞるのではなく、私は「香り」を趣向に取り入れました。これが活かせるのか、ボツになるのかはわかりませんが、ラベンダーの香りと花言葉を取り入れたのです。
そして、ダ・ポンテとモーツァルトが愛をテーマにして書いたのに対して、私は「愛と赦し」を主題に据えました。

さて、これが役に立つのかどうか。
不安いっぱいのまま、仕上がった原稿を送った、のですが・・・。

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狂言風オペラ(4) 

以下の記事は2017年12月に書いたものです。
★★★★

たまたま仕事場の先輩にオペラに詳しい方がいらっしゃいますので、その方から『フィガロ』のDVDをお借りすることができました。
かつてNHKの放送で私も観たカール・ベーム指揮のウィーンフィルで、ヘルマン・プライ、ルチア・ポップ、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、ベルント・ヴァイクル、アグネス・バルツァらが出演したものと、やはりベーム指揮でプライやミレッラ・フレーニ、ディエートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ、キリテ・カナワらが演じた映画版(ジャン・ピエール・ポネル監督)のDVDです。
とにかくこの二つを

    、『モーツアルト全集』

所収の脚本と照らし合わせつつ、かつての記憶を頼りに観続けました。
音がかなりよみがえってきましたが、やはり完璧というわけにはいきません。
やはり楽譜が欲しいです。満足には読めないのですが、かなり大きな助けになります。
アマゾンで探したらありました。しかし

    9,288円!

9円28銭8厘じゃないよね、と、何度見直しても9,288円!
私には買えない(涙)。
そうだ、中古パソコンが意外に安かったので、まだ使えるお金があるぞ。
清水の舞台から飛び降りる気持ちで(別に私がお金を払うわけではありませんが)ポチッ!
強い味方が加わりました。
というわけで、わかりもしないのに総譜まで手元に置いて勉強しました。

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狂言風オペラ(3) 

以下の記事は2017年12月に書いたものです。
★★★★

呂太夫さんの本が仕上がった後、つまり2017年の春に「来年の春に『フィガロの結婚』を能、狂言、文楽、木管合奏で上演することになっている。ついてはその義太夫の部分の文章を手伝ってくれないか」とその呂太夫さんから(厳密には奥様から)ご連絡をいただきました。
好きな浄瑠璃の文章、好きな『フィガロの結婚』。楽しそうだな、と思い、「ぜひお手伝いさせてください」と、こちらからお願いしました。
そのあとのことは申し上げにくいこともありますので

    オフレコ(笑)

にして、話は飛んで秋になります。
なかなか脚本が来ないな、と思っていたら、呂太夫さんから「10月18日の午前中、関係者が集まるので来てくれないか」と言われました。
その日、あいにく私は授業でしたので、お断りしたのですが、「どうしても」と言われます。そこでやむをえず休講にして文楽劇場の一室をお借りしての話し合いに参加させていただきました。
そこには演出の藤田六郎兵衛さんや三味線の鶴澤友之助さんもいらっしゃり、呂太夫さんも交えての話になりました。すると驚いたことに、全員から「浄瑠璃の部分だけでなく

    すべて書いてくれ」

と言われたのです。
またまたご冗談を、と思ったのですが、皆さん真剣です。いくらダ・ポンテの作(さらにいうならボォマルシェの原作)があるといっても、私は劇作家ではありませんので、それは無理です・・ということを申し上げたかったのですが、とにかく多勢に無勢(笑)。いつの間にか引き受けさせられました。
期限は11月いっぱい。無理に無理が重なるスケジュールです。ただ、私が苦手なジャンルである能狂言については六郎兵衛さんがバックアップしてくださりそうでしたので、それが救いではありました。
呂太夫さんはその日テレビ出演(ルターの上演のことでした)がありましたので途中で退席。あとはプロデューサーさんと六郎兵衛さん、友之助さんと私でいくらか相談。しかし、私がうまくやりとりできませんので、詳しくはメールで、ということになってお別れしたのでした。
この日は私の不自由さを補っていただくために、元『上方芸能』の編集者でいらしたKさんに来ていただいたのですが、昼ご飯をご一緒したものの、おそらく私は顔面蒼白になっていただろうと思います。
「ルター」を書きあげたあと、間もない時期でしたが、こうしてまた創作の仕事が始まったのです。

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狂言風オペラ(2) 

以下の記事は2017年12月に書いたものです。
★★★★

学生だった頃、NHKのFM放送はほぼ毎日聴いていました。
日曜にはオペラの放送もしばしばあり、わけがわからないものも含めて(笑)聴いたものでした。
年末にはバイロイトのワグナーを聴いたりしていました。テレビでも、時にはオペラの放送があり、録画もして聴いていました。
ベ-トーヴェンの

   「フィデリオ」

は、ギネス・ジョーンズやジェイムズ・キングの出演でカール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラの映画の放送で観たのが私の初見でした。
「フィガロの結婚」というとエディット・マティスが来日したとき、ケルビーノを歌って大評判だったそうですが、その時のことは知りません。私が一番よく覚えているのは、晩年のカール・ベームがウィーンフィルとやって来たときのものです。
ヘルマン・プライのフィガロ、ルチア・ポップのスザンナ、ベルント・ヴァイクルの伯爵、グンドゥラ・ヤノヴィッツの伯爵夫人、

    アグネス・バルツァ

のケルビーノ。その他、クルト・リドル、ハインツ・ツェドニク、マルガリータ・リローヴァ、クルト・エクヴィルツ、マリア・ヴェヌーティらの出演でした。
バルツァのケルビーノの伸びやかさ、ポップの可憐でリリックな歌唱は、特に印象に残っています。
ツェドニクのバジーリオもリローヴァのマルチェリーナも楽しかったです。
ベームの指揮は晩年、テンポが遅くなりましたが、バルツァなんて、それを逆手にとって豊かな表現を成し遂げていました。
そのほか、「カルメン」「椿姫」「ボエーム」「セビリアの理髪師」「魔笛」など次々によみがえってきます。

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