改名した人びと
竹本文字久太夫さんが豊竹藤太夫になられるのは襲名とは言わないでしょう。ご本人はお母様の家の由緒ある名前「藤太夫」を襲名する心でいらっしゃるかもしれませんが、文楽としてはまた別の問題です。これはやはり改名というべきなのだと思います。
改名というのはこれまでにももちろんあったことで、三代竹本春子太夫師はもともと三代豊竹呂太夫(のちの十代若太夫)に入門されて豊竹呂賀太夫を名乗られました。そのあと、松竹の白井松次郎さんのお名前の一字をもらわれて
豊竹松太夫
を名乗られましたが、これは改名ですね。その後春子太夫を名乗られえたのは襲名。余計なことですが、あの松太夫という名前もなかなかいい名前なので、私はお弟子さんの松香太夫さんが二代目を名乗られないかなと思っていたのです・・。一度、松香さんに「わたくしはへたくそでございます」と面と向かって言われたことがあって、謙虚な方だと思っておりましたので、誰かが強く進めないと襲名はなさらないかな、と思ってはいましたが。
八代綱太夫のご子息は竹本綱子太夫を名乗られましたが、やがて襲名すべき時期になって、綱太夫師が師匠の山城少掾におうかがいをたてられたそうです。その時に勧められた名前の一つに「竹本咲太夫」があり、これは由緒のある名前です。ところが、字画か何かの問題で「竹本」が合わないらしく、豊竹の初代として咲太夫を名乗られました。勘十郎さんの襲名披露の時、あいさつされた咲さんは最初何日か「わたくしの咲太夫襲名の折」とおっしゃっていましたが、途中から「咲太夫改名の折」と言い換えられました。初代ですのでやはり改名がいいということになったのでしょう。
竹澤団二郎さんは十代弥七師のお弟子さんで団二郎を名乗っていらっしゃいました。やがて四代津太夫師の相三味線になるときに、名前のつり合いも取れないですから改められることになって
竹澤団七
を名乗られました。「七」は弥七師匠のお名前に由来するのかなと思っています。これもやはり改名ですね。
竹澤団治さんは宗助に、吉田昇六さんは文楽を一時やめられたあと、復帰して玉誉さんになりました。桐竹勘寿さんは一時紋豊に改名され、また勘寿に戻られました。紋豊への改名は、紋若さんの紋臣への改名、昇七さんの紋吉への改名と同時で、あれは紋寿一門で「豊・臣・秀(紋秀さんは改名せず)・吉」という、しゃれ(?)になっていました。紋寿さん、その師匠の紋十郎さんの紋は瓢菱に五三の桐。これは初代紋十郎師がつけられたものだそうです。五三の桐といえば豊臣秀吉、というわけです。
改名にもいろいろありました。
↑応援よろしく!
- [2019/01/31 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
藤太夫さん
竹本文字久太夫さんが四月から豊竹藤太夫を名乗られるそうです。それについてはすでにSNSではいろんな憶測や意見が飛び交っています。中には批判的な意見もあるようでした。
万事のんきな私はただただ「へぇ」と思っていたら、やたけたの熊さんから、あれは文字久さんのご先祖の「北藤太夫」の名前が由来ではないかと教えていただきました。すると、文字久さんのHPにご自身がその旨発表されていました。なんでも、お母様の家が北さんとおっしゃって、能舞台などを持つ広大な屋敷を構える名家だったそうです。そして江戸時代の1800年ころに当主だった北與五郎という人が
藤太夫(とうだゆう)
と呼ばれたそうで、七つのため池を作った功績で紀州家家老に取り立てられたと記されています。そこでこの北家は「藤太夫」「與五郎」と通称されることになったそうです。また源義経が吉野から北家に身を寄せたという言い伝えもあるそうで、大変由緒のある家柄なのですね。
文字久さんにとっては誇らしいご先祖。そしてそのお家の代名詞ともいうべき「藤太夫」のお名前。それを、たまたま文楽の「太夫」になったことで、意味は多少違うものの
復活
できるというのは文字久さんの宿願だったのでしょうか。
以前、文楽から歌舞伎の竹本に行かれた方に「藤太夫(ふじたゆう)」という方がいらっしゃいました。
私はその方と何かの由縁があるのかと思ったのですが、そうではなく、だからこそ竹本ではなく「豊竹」を名乗られるのでしょうか。このあたりもよくわかりません。
いずれにせよ、演劇の専門的な勉強をなさり、新国劇での舞台経験もあり、文楽太夫としても40年近いキャリアがあり、さらには体も大きく、声も大きな文字久さんは本格的な太夫としてこれから飛躍していただかねばなりません。初代豊竹藤太夫として大いに奮闘していただきたいものです。なお「藤太夫」は文楽の普通の考え方では「とうたゆう」になるのかもしれませんが、「とうだゆう」と濁って発音してもいいように思うのです。
ひそかに期待していた襲名だったのですが、そうではなくて改名。これもまたいいと思います。あまりあれこれ言わずに見守っていければと思います。
↑応援よろしく!
- [2019/01/30 01:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
阿古屋
文楽初春公演では『壇浦兜軍記』「阿古屋琴責」が上演されました。歌舞伎の坂東玉三郎丈の印象があまりにも強烈で、文楽はへたをすると押されかねないのですが、勘十郎さんの精緻な取り組みや清介さん以下の三味線の熱演もあって好評のようです。清介さんの阿古屋というと、前回上演の時(嶋師匠とごいっしょだったはず)にたまたま地下鉄でお会いして「すばらしいですね」と申し上げたら、謙遜交じりに「あれは曲がようでけてはりますねん」とおっしゃっていました。
この公演では左を遣っている一輔さんもゆくゆくはこの大役を遣わねばならない人です。一輔さんのお父様の一暢さんが阿古屋の主遣いをされた記憶はないのですが、お祖父様の
桐竹亀松さん
は遣っていらっしゃいます(たしか文雀さんが左でした)。近年では、ほかに、紋十郎、簔助、文雀。先代清十郎師はなさっているのでしょうか。
人形が出てくるだけで圧倒されるような思いがします。足遣いさんもここはしっかりしなければなりません。そしてやりとりのあとのあの華麗な曲ですから、理屈も何もない、観客はただ陶酔しておればいいだけです。
この演目は端場ですし、内容はいってみれば
他愛ない
もの。それなのに重要な演目になっているところが芸能のおもしろいところでしょうか。無内容というのは悪いことではないのです。むしろ芸能文化には必要なことと言ってもいいのです。「二人禿」だって深い意味を捉えなくてもじゅうぶん鑑賞に堪える、と思います。実際はどうしても「禿というのは」とか「島原では」とか説明したくなるところですが、あまり気にしなくてもいいのではないか。「面売り」も「万才」も「団子売」も、いや、「三番叟」だってもう無条件に陶酔していればいい演目に思えます。そのことを一番わかりやすく知らせてくれるのがこの「阿古屋」かもしれません。
無責任なことを申しますが、寛太郎さんが本物の三味線弾きになってこられたのではないでしょうか。あの、詰襟を着て劇場に通っていた寛太郎さんも、もう30歳を超えるのでしょうか。彼にはできるだけ早く、少なくとも十年以内には団六の名を継いでほしいものです。
↑応援よろしく!
- [2019/01/29 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
図書館の風景
授業が一段落して、そのあとしばらく、学生さんはレポートかなにかでしょうか、図書館でよく勉強しています。一月の終わりなど、閉館ぎりぎりまで10人以上の学生さんの姿を見ました。
しかし、二月になるとふっつり来なくなります。以前ある学生さんが、「大学は休みが多い、授業料に見合ってない」と言っていたのですが、けっして休んでなどいません。授業がないだけであって、図書館は開いていますし、勉強したければいつでもできます。
勉強=授業と試験
という考えがあるのでしょうが、私の学生時代など、先生たちはそんなに熱心に授業をしてくれませんでした(笑)。むしろ、自分でどれだけ勉強するか、というところが大事だったので、夏休みや春休みも図書館などで勉強していました。あのころはまだエアコンが十分設置されていませんでしたが、図書館だけは完備されていました。中には授業には来ないで家で勉強するという人もいて、試験のころになるとひょこっと姿をあらわしてさっさと単位だけは取っていました。
そういう習慣が抜けきらないので、私は今でも長期休みは
図書館の住人
になっています。
ずっと座っていると健康上よろしくないと思いますので、時々運動のために席は外します。それでもかなり長時間お世話になっています。
ただ、そのうちに開館時間が短縮されると思います。たしかに、ほとんど誰も利用しないですからね・・・。
↑応援よろしく!
- [2019/01/28 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
モーツアルトの誕生日
1756年1月27日。オーストリアのザルツブルクでヴォルフガング少年が誕生しました。
レオポルド・モーツアルトの息子です。
寒いときに生まれたのですね。彼は12月に亡くなりましたから、冬に縁のある人だったのかも。
そういえば、映画の
アマデウス
は冒頭がト短調交響曲の流れる雪の場面でした。
モーツアルトは何を聴いてもすばらしく、また、同じ曲を何度聴いても飽きることがありませんでした。
室内楽も交響曲も、そしてオペラも。
ひょんな事から彼のオペラの代表作
フィガロの結婚
とご縁をいただいて、本当にありがたいことでした。
あの世に行ったら当のご本人から叱られるかもしれませんが、叱られるならそれも本望です。
今年の1月27日も寒いようです。
いくらか暖かくなったらまた今年もその狂言風オペラ「フィガロの結婚」が再演されます。
楽しみにしています。
↑応援よろしく!
- [2019/01/27 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの宿題
学生向けの授業が終わりました。
普通の先生は春休みですが、私は少しでも生活を楽にするため、まだまだ稼がねばなりません(笑)。
一般の方対象の講座は3月まで続きます。
今もその準備をしています。一回の講座について用意するプリントは10枚くらい。けっこうたいへんです。
しかし、それだけで春休みは過ごせません。
自分への叱咤のために
宿題
をメモしておきます。
源氏物語の連載エッセイは2月半ばが締切。これが講座に続いて優先順位第2位です。
穴を開けるわけにはまいりませんから。
創作浄瑠璃については、思うところがあって、夏までに2つ仕上げます。
これも自分への
至上命令
です。
まずは春にひとつ。
長らく温めている河童の出てくる作品を書きたいです。
新年度の授業も予習しなければなりません。
今年は改元についていくらか話をしようと思っています。
↑応援よろしく!
- [2019/01/26 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2019年文楽初春公演千秋楽
文楽初春公演が本日千秋楽を迎えます。
毎年、この公園と2月東京公演はインフルエンザなどが気になる時期で、演ずる側も観る側もなかなかたいへんです。
SNSでは阿古屋、阿古屋の大合唱でしたが、いかがでしたか。
来月は、その東京公演で三部制で、番組は以下のとおりです。
第一部(午前11時開演)
桂川連理柵(石部宿屋、六角堂、帯屋、道行朧の桂川)
第二部(午後2時30分開演)
大経師昔暦(大経師内、岡崎村梅龍内、奥丹波隠れ家)
第三部(午後6時開演)
鶊山姫捨松(中将姫雪責)
壇浦兜軍記(阿古屋琴責)
↑応援よろしく!
- [2019/01/25 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
インフルに罹るか?
長男がインフルエンザに罹患しました。修学旅行の引率の途中、北海道で。
やむをえず離団した長男を、私が迎えに行きました。
さらに、食事の運搬などもしましたので、それなりに接触しています。
ウィルスは空気感染ではなく、ウィルスに触れた手で何かを食べたりすると感染しやすいのだとか。
それだけに、長男が使った食器に触れたりしたら、まず食器を洗ってそのあと
猛然と
手を洗いました。
長男だけではありません。学生もいますから、仕事場でも手洗い、仕事から帰ってからも手洗い。ほんとうによく洗いました。
私はこのところ、まったくインフルエンザには罹っておらず、手洗いはかなり効果がある、と体験的に感じています。
さて、長男は明日から仕事に復帰するらしく、もう普段ど何ら変わらない様子です。
私は彼からウィルスをもらったのか、見事に洗い落としたのか、ここ数日で判断出来そうです。
緑
↑応援よろしく!
- [2019/01/24 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
五十肩
昨年の11月頃から何となく肩というより腕の付け根あたりが痛いのです。
上着を着るときに腕をいくらか後ろにそらすようにするとイテテテテ、というありさまです。
野球のピッチャーのようにボールを投げる仕草をしても痛いです。
昨年末、入院していたとき、看護師さんにそれを言うと、すぐに
ロキソプロフェン
を持ってきてくれました。こういうときにはお決まりの外用薬ですが、さすがによく効きます。すぐに痛みは軽減されました。
しかし、根本的にはよくならず、今なお痛みがあります。
以前は左右の腕を上からと下から後ろに回して手をつなぐことが楽々できましたが、今は無理です。
内科の医者にちょっと話してみたら、いわゆる五十肩じゃないか、どうにもならないなら
整形外科
で診てもらえ、とのこと。
常識的にはまあ、そうなのでしょうが、あまり医者が好きではない私としてはまだ放置しています。いや、放置はしていないのです。リハビリというか、少しずつ動かして医者に頼らず治そうとしているのです。
わずかではありますが、回復基調です。
↑応援よろしく!
- [2019/01/23 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
後期、終わりました
後期の授業が終わりました。
成績も九分九厘。これを出せば、新たな仕事にかからねばなりません。
学生から、「先生は春休みは大学に来るのですか?」と聞かれました。
いろんな人がいますので一概には言えませんが、私はずっと図書館通いをするのです。
今の仕事場では、図書館に行く教員はあまりいません。見かけるのは学生だけです。私のレベルが学生並みということかもしれませんが。
学生時代、私は文学部でしたが、、教員と教員、大学院生と大学院生がすれ違うとバシッと
火花が散る
感じがありましたが、今はあまり感じません
どこか専門学校のような感じがしてしまいます。
春休みの宿題はこのあと自分に課しますが、できるだけ厳しいものにしたいと思っています。
↑応援よろしく!
- [2019/01/22 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
畏友
友人は大事、言うまでもありません。
しかし、私は生来の偏屈に加えて病気もあって、友人と言える友人がいるのかどうか、自分でもわかりません。
私が友人と思っている人は案外こちらの片思いで、向こうは何とも思っていないかもしれないのです。
高校時代(及びそれ以前)の友人とはまったく付き合いがありません。大学時代の友人とももうすっかり縁がなくなりました。職場にも友人と言える人はいません。
わずかに
だしまきの夕べ
のみなさんをそう思いたいのですが、ご無沙汰しちゃってるしなあ。
今なおFacebookでお付き合いのある方に作家の広谷鏡子さんがいます。
なかなかお会いすることもなく、これまた私の片思いだろうとは思うのですが、
畏友
と、勝手に思っています。
広谷さんの書かれた本はできる限り読もうと思っていたはずなのに、いろんなことがあって新刊書を買うということがなくなったため、最初の5冊くらいしか読んでいませんでした。
最近、思い直して、せめて図書館にある本だけは、と読むようにしています。
徳間文庫に『ヒットエンドラン』として入った、『胸いっぱいの愛を』(レッド・ツェッペリンの曲「whole lotta love」によるタイトル)や『六月の海を泳いで』を借りて読みました。
やはり物語作りのうまい人です。
『ヒットエンドラン』なんて中学生くらいでも楽しく読めますし、いい気分になれます。
『六月の海を泳いで』は大人の女の物語。
彼女の作品には初老の人物も出てきますし、さらに高齢の人もいる。
どうしてこうもさまざまな人物を描けるのか不思議なくらいです。
さて、図書館にはまだ読んでいない彼女作品があります。次を借りて読みます。広谷さん、買わないでごめんなさい。
↑応援よろしく!
- [2019/01/21 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
インフルエンザ大流行
この冬もインフルエンザが大流行しています。
学生は今試験の真っ最中ですから大変です。なんでこんな時期に試験? と、いつも思います。
また、大学入試もインフルエンザの流行の時期に合わせるように行われます。なんとかならないものでしょうか。
なんてことを今年も思っていたら、長男が北海道から「インフルエンザが発症した。帰るから、空港まで迎えに来てほしい」と
SOS
が来ました。何で北海道に? というと、教師をしている彼は修学旅行の引率で彼の地に行っているのです。
やっと動けるようになった、ということで、離脱して帰るというのです。
仕方ないので空港まで行ったら、まあまあ元気そうに帰って来ました。
が、ビックリしたのは、生徒を引率していたことです。
何と、
13人
が発症したのだそうです。
本気で考え直した方がいいのではないか、と思ったできごとでした。
↑応援よろしく!
- [2019/01/20 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
広島平和記念公園(4)
広島市内には路面電車が走っています。地元では市電と言っていますが、広島電鉄の電車です。
初めて広島に行ったとき、京都市電、神戸市電、大阪市電の電車が走っていたのにはびっくりしました。さながら動く市電博物館。
それら市電が原爆ドームの前も走っています。あのあたりは広島随一の繁華街、八丁堀、紙屋町があり、なかなかにぎやかです。
原爆ドームの北側には、以前の広島カープの本拠地である
広島市民球場
がありました。
さて、平和記念公園を北に抜ける橋は相生橋です。この橋は珍しいT字になっていて、
原爆投下
の目印になったとも言われます。
原爆が落ちたときは、橋がガクガク揺れたらしいです。
さて、ここまできたら、もうもったいぶるのはやめて、旧広島県産業奨励館こと原爆ドームに行きます。
↑応援よろしく!
- [2019/01/19 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
広島平和記念公園(3)
慰霊碑の北側には池があり、その近くには「祈りの像」「平和祈念像」なども置かれています。そして私は初めて行ったのですが、国立原爆死没者追悼平和祈念館というのができています。地上部には水盤があって、それは時計の8時15分を示しています。原爆が投下された時刻ですね。そのモニュメントの周囲は当時のがれきが置かれていました。中は非常に静かな雰囲気のところでした。最初に入ったのは地下2階の平和祈念・死没者追悼空間。原爆で亡くなった方々を追悼して、平和について考える場所だそうです。壁は当時の町並をパノラマで再現していて、中央に置かれた水盤はやはり「8時15分」を示しています。地下2階には遺影コーナーもありました。
エスカレーターで地下1階に上がると体験記閲覧室があります。被爆者の体験記、証言ビデオ、被爆前後の写真など。ほかに、原爆の体験者によるお話しの映像もあり、さすがに
身が引き締まる
思いがしました。
さらに北に行くと元安橋と本川橋をつなぐ道に出ます。それを越えると、「原爆の子の像」があり、数多くの千羽鶴が捧げられています。
韓国人被爆者の慰霊碑もあり、日本人だけではないことを改めて感じます。
平和の鐘
を鳴らす人もいました。その他、さまざまな慰霊碑や像がある平和記念公園も一番北までやってきました。
↑応援よろしく!
- [2019/01/18 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
広島平和記念公園(2)
平和記念公園は西の本川(太田川)と東の元安川に挟まれた中島の北の端にあります。
私が散策をスタートしたのは公園の南側から。ここは100m道路とも言われる「平和大通り」です。この大通りの本川に架かる橋は西平和大橋、元安川に架かるのは平和大橋。大通りの南には「友愛碑」(日本損害保険協会加盟会社の原爆犠牲者89人の慰霊と平和への礎を祈念する)、高さ9メートルものガラス製の「平和の門」が 10基立ち並び、49か国語で「平和」の文字が刻まれています。
大通りを挟んですぐ北側の西半分には「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」「平和の像(湯川秀樹の歌碑とともに)」があり、中央には「嵐の中の母子像」があります。先述の平和の門、この「嵐の中の母子像」「祈りの泉」そして
平和記念資料館
がほぼ一線上にあります(資料館の西はと国際会議場)。今、資料館の本館はリニューアル工事中ですが、東館は観覧できます。ここで多くの外国人観光客に会いましたが、みなさん笑顔はなく、真剣な顔で遺品などをご覧になっていました。
さらにその北側が、毎年あの真夏の8月6日に式典のおこなわれるところで、その北側がはるかに原爆ドームを望む慰霊碑です。ここでももちろん日本人、外国人が一緒になって慰霊の気持ちで原爆ドームを遠望していました。手を合わせる人も少なくありません。
慰霊碑の東を少し南に行ったところには
峠三吉
の詩碑もあります。
ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ
にんげんのにんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを へいわをかえせ
↑応援よろしく!
- [2019/01/17 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
政治に疎いですが
謙遜ではなく、私はほんとうに世間知らずです。なかんずく、経済や政治には疎いのです。
それだけに、最近の朝日新聞の「歌壇」(一般公募の短歌コーナー)を見るのはあまり好きではありません。
政治風刺
的な短歌が多すぎるからです。
その一方、毎週飽きもせずにこういう短歌が続くのはやはり時代の反映があるのだろうと感じます。
こういう短歌がなくなるような時代になればいい、という思いを強くします。無理かな。
先日、(元)政治家の人に対してツイッターで批判的なことをいう人がいました。なんでも、その(元)政治家が「数学の
サインコサイン
なんてなんの役にも立たない」ということを言っている」のだそうです。
高校時代に数学で痛い目にあった人なのでしょうね(笑)。
それにしても情けない話だと思います。政治家だった人がこの程度の認識なのですから。そのくせ銭勘定には細かいのです、こういう人は。
私も数学は嫌いでしたし、実際、大学生になってからサインコサインなんて何の役にも立っていません。それでも、数学を勉強したことはよかったと思っています。こういう言い分をする人は、古典なんか役に立たない、漢文なんてやめてしまえ、などと言い出し、また大衆に迎合して人気を得ようとするわけです。あさはか。
というわけで、私も政治風刺的短歌を。
サインコサインが何の役に立つといふ政治家をただに悲しむ
経済は文化のしもべといふ財界人ありき政治家にありや
大衆に迎合するとみせかくる大衆知らぬ政治家危し
己か欲満たし己が過ちを隠すためにや権力はある
↑応援よろしく!
- [2019/01/16 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
広島平和記念公園(1)
最近、関西の小学校では修学旅行に広島が選ばれることが多いようです。
そしてその定番コースに原爆ドーム、平和資料館(一般的には原爆資料館とも)が入ります。あとは宮島でしょうか。
私が初めて広島に行ったのは昭和の最後、昭和63年の12月26日かもう少しあとか。広島の短大で働く面談に行ったのです。やはり興味がありましたので厳島神社には行きました。しかし、日帰りでしたから原爆ドームは市電(広島電鉄市内線)から眺めただけだったと記憶します。無論、平和記念公園には行っていません。
1人であのあたりを散策したのは、働き始めて間もなく、やはり
みておこう
という気持ちになって行ったのが最初でした。その後も何度か行ったのですが、1人ではなかったのでゆっくりはできず、結局、今回と同じく1人で時間をかけて歩いたのは平成元年か2年以来ということになります。およそ30年の時間が経っていますので、初めて見るような感覚になるところもありました。
知っているようで知らなかった原爆ドームと平和記念公園。
たっぷり
2時間
ばかり歩いて回り、丹下健三さんが設計したあの公園の全体像を心ゆくまで見ることができました。
観光案内を見れば書かれていることばかりかもしれませんが、自分自身のメモとして記録しておきます。
↑応援よろしく!
- [2019/01/15 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
第44回だしまきの夕べ
昨日、1月13日は
だしまきの夕べ
の日でした。
私は急用で広島にいましたので、失礼ながらまた不参加でした。
もう、多分忘れられていると思います。
忠臣蔵の通しができずになんで妹背山の通しができるのか!とか、お酒の勢いとともにボルテージが上がったのかな、と想像しています。
また、
阿古屋
の名演も話題になったかもしれません。
どんなお話だったか気になります。
↑応援よろしく!
- [2019/01/14 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
急用で
昨日の朝、突然、広島に行かねばならなくならりました。
いまどきの大学では、月曜が祝日になってもたいてい授業があるのですが、成人の日だけは別です。必ず該当する学生がいますから、この日だけは授業はできません。というわけで、珍しく三連休になりました。
しかし、仕事はいろいろありますから、家で何かとしなければ、と思って本などを持ち帰っていました。それをそのままおおあわてで車に積んでの長旅と相成りました。
今日、13日は文楽観劇&
だしまきの夕べ
のはずでしたが、帰ることはできません。
皆さま、また失礼いたします。前売りを買っていなくて幸いでした。
用があるところが、たまたま
平和記念公園
の近くで、この際、ゆっくり散策もしようかな、とたくらんでいます。
もしそれが叶うならば、後日散策メモを書こうと思っています。
↑応援よろしく!
- [2019/01/13 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
昭和天皇のメモ
昭和天皇が和歌を推敲するのに使った、というメモに関する記事が、元日の朝日新聞に載っていました。
署名以外で天皇の筆跡を見るなどまずないことだけに、どうしてこういうものが世に出たのか、と、まずは不思議な思いを抱きました。
私は、昭和史にも、昭和天皇の人生にも詳しくありませんので、あの人を歴史的にどのように評価すればよいのか、わかりません。しかし、天皇のメモ、という、モノというよりはデキゴトにはいくばくかの関心を持ちます。
このメモは昭和天皇の直筆に違いない、という証言がいくつもあり、どうもそうらしい、と信ずるほかはありません。
内容の前に、やはりその字そのものに興味が湧きます。
メモ書きであることを割り引いても、およそ
達筆
とは言いがたい文字です。
皇族なら書道などたしなまれるのかな、と思いましたが、そうとは限らないのでしょうか。
幼時から軍人として育てられたのであれば、そこまでは手が出なかったのでしょうか。
よく知られた署名の文字は筆ですが、これも風格こそあれ、美しい文字という感じはしません。
いや、けなしているつもりはないのです。書道はあまり重きを置かれないのか、ということを感じた、というつもりなのです。
それでも、
日々のできごと
を57577にまとめる習慣があったことはすてきだと思います。私の知る日本史の学者さんも「歌くず」と称されて、日々の思いを短歌の形にしていらっしゃる方があり、通じるところがあるかも、と感じます。
天皇の和歌はメモされたものがすぐに公表されるわけではなく、歌人の添削が入るそうです。
これは天皇自身の和歌の修練のためにもいいことだと思います。
まずは肩肘張らずに詠んでみて、あとで指導を仰ぎながら修正する。
とてもいいことです。
私も、師匠に添削してほしいです。
あのメモはどのように扱われるのでしょうか。拝見できるものならしたいと思っています。
↑応援よろしく!
- [2019/01/12 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
かぞふれば
年末に逆戻りしますが、年の暮れというとどうしても和泉式部の
かぞふれば年の残りもなかりけり
老いぬるばかりかなしきはなし
という歌を思い出してしまいます。
この歌はもちろん『和泉式部集』に収められていますが、『新古今和歌集』にも採られていて、その詞書は
年の暮れに、身の老いぬることを嘆きてよみ侍りける
というものです。
昔は年が改まると齢を重ねる、分かりやすくいうと、正月に年をとるという考えでしたから、年末は今の年齢の終わりのときでもあるわけです。
師走のつごもりは現代人とは違う意味でわびしく悲しい気持ちにもなったのでしょう。
老いを感じる年齢は次第に高くなってきたと思います。
いまどき、40代で老人扱いはされませんが、昔は40歳が老いの始まり。そろそろ後世の安楽を願う年代です。
和泉式部は何歳のときにこの歌を詠んだのでしょうか。
↑応援よろしく!
- [2019/01/11 00:00]
- 平安王朝 和歌 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
牛乳を注ぐ女
フェルメール展が東京でおこなわれています。
私はこれまでにフェルメール作品またはフェルメール作品かも、と言われているものでは次の13点は確実に観ています。
「手紙を書く婦人と召使い」「小路」「リュートを調弦する女」「ディアナとニンフたち」「ワイングラスをもつ娘」「マルタとマリアの家のキリスト」「青衣の女」「手紙を書く女」「レースを編む女」「天文学者」「ヴァージナルの前に座る女」「聖プラクセディス」「真珠の耳飾りの少女」
近年、日本には「地理学者」「真珠の首飾りの女」「窓辺で手紙を読む女」「牛乳を注ぐ女」「天秤を持つ女」「絵画芸術」なども来たのに、観ていません。いかにダメな鑑賞者か、と思い知らされます。
今回、東京では展示され、大阪には来ないのが
「牛乳を注ぐ女」
と「真珠の首飾りの女」で、この2点こそ観たいものでしたので残念です。
フェルメール作品といってもあまりいいと思わないものもありますし、「聖プラクセディス」はフェルメールの筆なら模写したものです。
私は、未見の作品ではやはり「牛乳を注ぐ女」と
「天秤を持つ女」
を観たいです。「牛乳」はもうダメだと思いますが、「天秤」はひょっとしたら、と期待しています。
- [2019/01/10 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
5月の女王
食べものでは、豆腐と麺類と野菜が好きです。
湯豆腐なんて、いくらでもいけます。
そばもうどんもたまりません。
学生に話すとウケる「焼肉で一番好きなのはタマネギ」というネタがある(笑)のですが、これはウソではありません。
以前は青臭いのはあまり好まなかったのですが、今なおダメなのは
ナスビ
くらいです。
イモやニンジンのような根菜も好きです。土の香りがするようで、最高です。
この時期はシチューやカレーのように煮込むものが好きで、じゃがいもの場合は
メイ クイーン
をよく使います。
スーパーなどに行くと「メークイン」と書いてあることも多いように思います。
煮崩れしにくいから、というので、おでんにもカレーにも使います。
名は「5月の女王」ですが、冬の食べもののキングでもあります。
↑応援よろしく!
- [2019/01/09 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
年末の病床生活(5)
そんなわけで、7日病院にいました。
本当ならあと2、3日いたほうがよかったのですが、年末ということでやむをえず帰りました。
結局、大掃除も年賀状書きもできませんでした。
ひとつ、校正刷が届いているのに、仕事場に放置していたため、それもできませんでした。
いつもながら、休めば誰かが替わりをしてくれる、というわけにはいかないものですから、結局、
1月の仕事
を増やしてしまいました。
校正刷といえば、おもしろくない仕事のものもあったなあ・・・。
授業の簡単なプリント作りなどもできるでしょうに、こういうときにコンパクトなパソコンがあればいいのに、と思います。
家に帰ってみるとたいへんな寒さ。寒波だったのですね。年末年始の1週間は一人暮らしをしましたが、さいわい、体調のぶり返しなどの異変はありませんでした。
書けなかった年賀状を書いたり、食糧の調達をしたり。テレビを観るわけでもなく、
おせち料理
を食べるわけでもない、普段どおりの暮らしをしながら新しい年を迎えたのでした。
5日(土)からまた仕事場に行っています。
昨日からは授業と校正をまずやっています。
↑応援よろしく!
- [2019/01/08 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
年末の病床生活(4)
病院ではずっと指に検査用の機器を装着していましたのでやや読みにくかったのですが、『源氏物語』も『枕草子』も、とてもいい勉強になりました。
もうひとつ、創作浄瑠璃も文章の一部だけでも書ければ、と思っていたのですが、私の古典常識、古語常識の貧困さでは、やはり
古語辞典
が欲しいかな、という感じでした。。
指に付けていた機器というのは、動脈血内の酸素飽和度と脈拍数を計り、医療スタッフ側のモニターに常時送信するものです。送信機は胸ポケットに入りますので歩行は可能。また、点滴を打ち続けることはありませんでしたので、管にはつながれず、それは楽でした。
近ごろの病院はクリスマスなどもさりげなく工夫しています。
何と、昼食に小さなロールケーキが付いていました。でも、私は特に欲しくは・・・。
一番ショックだったのは、体重測定。このところ薬の副作用で体重が増え、多分70kgは優に超えていたと思うのです。しかし、病院で測ると
64.7kg(含パジャマ)
でした。多分、秋以降の不調と貧しい食生活が災いしたのでしょう。それにしても・・・。
病院での生活はおなかが空きます。
食事に添えられた紙片に「1700」と書かれているのは1日の摂取カロリーが1700kcalであることを示しているのかな、と思いますが、それにしちゃあ少ないな。
ともあれ、安静と内服のおかげで、ずいぶん楽になりました。
↑応援よろしく!
- [2019/01/07 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
年末の病床生活(3)
我ながら笑いそうになるのですが、持ってきたのは『源氏物語』と『枕草子』です。
でも、これさえあれば退屈しません。
どちらも講座のテキストにしていますから、予習を兼ねています。
『源氏物語』は夕霧巻の終盤から、御法巻、幻巻あたり。真面目人間のおとが中年になって、亡き友人の妻に激しい思慕の情を抱き、妻とは
家庭内紛争
というすったもんだの話から、紫の上の最期、光源氏の悲嘆と続きます。
『枕草子』は「小白河といふところは」から。私の講座では単に枕草子の解釈をするのではなく、歴史に関することも話題にします。このだんであれば、
花山天皇
の突然の退位と出家、それにからむ人々の動静など。ただし、あくまで枕草子なので、清少納言が、その退位問題を表に出さず、その直前におこなわれた法華八講における人々のありさまを描いている点も忘れてはなりません。
あまり看護師さんに見つかりたくない(笑)ので、タイトルは見えないように置いていました。
↑応援よろしく!
- [2019/01/06 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
年末の病床生活(2)
木曜日は定期の診察の日でしたので、病院に行くつもりが、車のあるところまで歩くことすら不可能。土曜日まで待って、家人に連れて行ってもらいました。
医者はまず点滴で様子を見ようと言ったのですが、簡易検査の結果を見て、すぐに入院を勧めました。たしかにひどい数字でした。
と言うわけで、4、5年ぶりの入院。今、入れば、年内に出られる、という計算も私にはありました。
酸素吸入
と点滴。あとはいくらかの飲み薬。
自業自得ではありましょうが、まったくひどい目にあいます。
熱が高く、心拍数も多く、困ったのが再三あらわれる
しゃっくり
でした。よく効く二つの治し方を試すとそのつど止まるのですが、またそのうちに出てきました。
しかし、息苦しさは収まったので、こういうときにはこれをしよう、と持ってきたものを取り出しました。
↑応援よろしく!
- [2019/01/05 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
年末の病床生活(1)
昨年末の12月17日、年内最後の授業の始まる週の第1日でした。
どうにもつらくて、仕事に行きたくありません。しかし、最後だから、と、這うようにして仕事場にたどり着きました。幸い、予習はできていました。
教室はエレベーターのない3階。ワンフロア上がるごとに2分休憩(笑)。
授業では立つことができず、座ったまま約70分(正規の授業時間は90分)しゃべりました。
次の教室に移動するのもひと仕事。前の時間の疲れがあるためこちらは脂汗をかきながら60分(念のため、正規の授業時間は90分)しゃべってダウン。
これでこの日は終わりでした。
しかし、
帰宅する
のが苦痛。このまま泊まりたい、と思いました。しかしそうもいかず、しばらく横になったあと、意を決して帰宅。
火曜日は1週間で一番忙しい日で、朝から夕方までしゃべらねばなりません。
朝1は60分、やはりダメです。ここで、午後はやめる決断をしました。
朝2は頑張って60分。
実は、木曜までにしなければならない仕事があり、明日、明後日に持ち越すのは余計に負担になるので、
この日のうちに
と思ったのですが、やはり無理。
夕方、休み休み歩きながら帰りました。
水曜日。もう無理です。
結局、休講。「木曜まで」の仕事もお詫びしてキャンセル。
とにかく寝ることにしました。
↑応援よろしく!
- [2019/01/04 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2019年文楽初春公演初日
本日、大阪市中央区日本橋の国立文楽劇場で、文楽初春公演が初日を迎えます。
初春というと、ご祝儀演目のあとに、華があったりおめでたかったりの「吉田屋」「湊町」「阿古屋」「野崎」、季節柄の「新口村」「雪責」「お七」「袖萩」などがあります。
今回は
第1部(午前11時開演)
二人禿
伽羅先代萩(竹の間、御殿、政岡忠義)
壺坂観音霊験記(土佐町松原、沢市内より山)
第2部(午後4時開演)
冥途の飛脚(淡路町、封印切の段、道行相合かご)
壇浦兜軍記(阿古屋琴責の段)
です。
また、劇場でお目にかかれますように。
↑応援よろしく!
- [2019/01/03 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
新年早々
実は、この正月はひとりで過ごしています。
おせち料理などありませんが、ゆめゆめ物足りないなどとは思いません。
何か食べるものがあればじゅうぶんです。
以前は、大晦日というと第九を聴き、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートだのワグナーだの。
元日になると、新春の邦楽がメイン。加えてクラシック音楽。合間にはテレビでサッカー天皇杯決勝戦を観たり、近所の神社に行ったり。
学生時代などあまり飲まなかった
日本酒
もちびりちびり。
2日、3日にも邦楽番組は目白押しで、文楽の録画中継もよく放映されました。今はとんとありませんね。
うちは、両親と兄がタバコを吸い、あれがたまらずに逃げていましたが、あの煙が平気だったらしい兄嫁や妹を交えてマージャンなどを引っ張り出してきてよく遊んでいました。
それはそれで正月らしかったな、と思います。
今はテレビを観る習慣がありませんので、この年末から正月もほぼ『枕草子』と
『源氏物語』
です。といっても、勉強しているのではなく、ぼんやりと読んでいるだけです。
事情があってあまり散歩ができないので、外出というと食べものを調達するくらいです。カレーとかシチューとかおでんとか、具を入れたら出来上がり、みたいなものばかりですが。
年賀状をついに書くことができませんでした。
今日から郵便局が開くらしいので、遅まきながら、と思っております。
↑応援よろしく!
- [2019/01/02 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲