関西人
昔、ある雑誌の編集長さん(のちに代表。というと、わかる方はお分かりいただけると思いますが)とお話をしていたときに、彼女が「関西人はオチを言いたがる」と言っていました。たしかにそんな気がします。
話をしているうちに、オチを考えて、そのオチに向かって話を持っていく。そういう感じです。私もそういうきらいはあります。
『枕草子』「鳥は」の段で、清少納言が一番好ましいものと思っているのは
ホトトギス
のようです。ほかにも、鸚鵡(オウム)とか山鳥、鴛鴦(おしどり)、千鳥などを挙げていますが、鶯についてはさすがに長々とその良さを書いています。そして、さらにすてきなのはホトトギスだ、というのです。
夜深く鳴く声の「らうらうじく愛敬づきたる」ところなど絶賛しています
そして最後には「夜鳴くもの、何も何もめでたし」といい、それに続けて「ちごどものみず、さしもなき」と書いています。そして、六月になれば声を聴かなくなるのがまたいいのだ、と言います。
そしてそのあとに、
夜なくもの、何も何もめでたし
と言います。夜、寝ざめをした時などに鳥などの鳴く声が聞こえるとたまらないのです。もちろん、虫の声でもいいし、犬の声も夜ならばいいのでしょう。鹿の鳴く音も歌に詠まれるほどでした。
そして清少納言はこの文のあと、この段の末尾には「ちごどものみぞ、さしもなき」と書いています。「赤ん坊だけは、そうではない(夜泣かれては困る)けどね」というのです。赤ん坊の夜泣きばかりはご免こうむるというわけです。
おそらく読者がこの最後の一節でフッと相好を崩すように書いているのでしょう。でも、これって、オチじゃないですか。やはり清少納言も関西人でした。
にほんブログ村
- [2019/03/31 00:00]
- 平安王朝 和歌 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(10)帰り道
充実した早春の一日でしたが、外に出ると雨が降ったようで地面が濡れていました。しかし私が出た時にはもう止んでいましたので、まだ外は明るいことでもあり、もう少し歩こうか、と思ったのです。何という目的もなく北に向かい御池通まで出ました。さてどちらに行こうかと思ったらちょうど信号が青になったのでつられるように北に行きました。
ふと思い出したことがあります。「そういえば、私がいくつかの作品を提供した歌舞伎の三味線弾きのお師匠さんのお宅はここからさほど遠くないぞ」と。
師匠はご自宅で
「町家ライブ」
というのをなさっていますので、本当なら私も行きたいといつも思っているのです。それが叶わないので、せめてご自宅の前にでも行ってみようかな、と歩き始めました。
京都の町は便利です。「どこそこ通り、なになに通り、北入る」などというのさえわかっていたら、すぐに着いてしまいます。この時も、たまたま私は覚えていましたので行ってみたらあっという間に師匠のお宅は見つかりました。とても素敵なご自宅でした。
けっしてピンポンダッシュなどはせずにそのまま立ち去り、帰りは寺町通を目指しました。新京極は誠心院などがあっていいのですが、なんといっても騒がしいです。その点寺町通は人が少なめで、しかも古書店や
鳩居堂
などがありますので、風情を感じます。本能寺を少し南に行くとそれらの店が並び、古書店で本を眺めていたら外国人女性の方が浮世絵関係の本を興味深そうに眺めていました。すてきな光景でした。鳩居堂にも寄って筆や奉書紙などをいかにも買いそうな顔をしながら何も買わずに出てきました。
三条まで下ったところで東に行き、河原町に出てそこから南へ。授業で使うことがありそうですので、坂本龍馬終焉の地である近江屋跡の写真を撮っておこうと思ったのです。
長い一日でしたが、くたびれましたので、いくらなんでもそろそろ帰宅。阪急電車に乗ると、ほどなく眠ってしまいました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/30 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(7)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(9)北野天満宮展の3 付970,000
『北野天神縁起絵巻』承久本の清涼殿落雷の場面に続いては、醍醐天皇が出家する場面が描かれます。当時は病が重くなると仏の加護を頼むために出家することがしばしばあったのです。周りにいる公卿たちは皆絶望的な顔をしています。醍醐天皇と言えば、10世紀から11世紀にかけて活躍した文人の大江匡衡によって称賛され、今でも日本史の教科書に
延喜天暦の治
として村上天皇とともに天皇親政の時代という形で掲載されているはずです。いかにも立派な天皇のようで、たしかに政治面以外でも『古今和歌集』を作らせたのもこの人ですし、なかなか活躍した人だったはずなのに、道真の左遷というとんでもないことをしてしまったために(?)悲しい末路を迎えたのでした。
『北野天神縁起絵巻』は承久本のほかにもいろいろ描かれています。今回はそれらの展示もありました。弘安本と呼ばれるもの(重要文化財。鎌倉時代)、光信本(重要文化財。室町時代。三條西実隆筆、土佐光信画)、光起本(重要文化財。江戸時代。一条兼輝筆、土佐光起画)などがそれです。
また
束帯天神像
すなわち束帯姿の天神(当たり前ですが)の絵姿も多数出ていました。このうち根本御影(いわばこの像の元祖)とされるものも前期の展示には出ていました。質屋の蔵にもこういう絵像が入っていたと、落語にもありましたが。
私はあまりよくわからないのですが、太刀も出展されています。とくに後期の展示では平安時代の
鬼切丸
も展示されます。
いやもう、満腹になるような展示でした。
これらが4階から3階にかけての展示で、2階は常設展。ここには京都の歴史と文化が洛中洛外図屏風や駒競行幸絵巻などを用いて大画面で解説される映像が常に投影されています。
こうしてこの日の目的は無事に果たすことができたのでありました。
にほんブログ村
- [2019/03/29 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(8)北野天満宮展の2
いろいろ展示されていたものを次々に挙げたいのですが、思い切って省き、この展示の人気の的で、そのあたりには人だかりができていると思っていた
北野天神縁起絵巻・承久本
に進みます。ああ、もったいない。誰も観ていません。完全に独り占めで、隅から隅まで、詞書も全部読んで鑑賞しました。ほんとうに贅沢な時間でした。この時は17日までの前期でしたので第六巻のいわゆる「清涼殿落雷」の場面が開かれていました。以前に観たときは人が多くて落ち着いて鑑賞することはできず、この日はもう嬉しくてうれしくて。
延長八年(930)六月二十六日、もう夏も終わろうかという頃です。内裏清涼殿(せいりょうでん。天皇の平素の在所)に
落雷
があり、大納言藤原清貫(ふじわらのきよつら)、右中弁平希世(たいらのまれよ)らが即死または直後に亡くなったという、びっくりするような災害がありました。念のために申しますが、けっしてフィクションではありません。皮肉なことに、このとき彼らが清涼殿に集まったのは、折からの干害にいかに対処すべきかを話し合うためでした。するとむくむくと雲が湧き出て雨が降ったのですから、本来なら喜ぶべきところです。ところがその雨は雷を伴っており、しばらくして清涼殿の柱に落ちたのです。清貫は袖のあたりに引火して焼死、希世は顔が焼けてまもなく亡くなったことが確認されました。醍醐天皇は直接落雷には遭いませんでしたが、目の前で起こった悲惨な出来事に大きなショックを受けて病臥し、そのまま3か月ほど後に亡くなります。
ほかにも死者は出たのですが、特に清貫は菅原道真の大宰府への左遷に関与したためにその報いを受けたのだと噂されました。
ご存じ、
菅原伝授手習鑑
によく似た名前の人物(三善清貫、左中弁稀世)が出てきて、彼らはほとんど上演されない五段目でやはり雷に打たれてしまいます。
「北野天神縁起絵巻」では、白い褌(たふさぎ)を着けた真っ赤なからだの雷が、天神(道真が神となったもの)に依頼されてやってきたのです。太鼓を身の回りにめぐらして口を開けて清涼殿を横目でにらんでいます。真っ黒な雲、光る稲妻。
貴族たちはひっくり返って悶絶していたり、構えたはずの弓矢(これで雷をやっつけようというのでしょう)を放り投げてしまったり、清貫や希世と思われる人物は実際に顔や袖に火が移っている姿として描かれています。詞書には誰がどんな目に遭ったかが書かれていますので、それを一人一人に当てはめて観ることもできました。この絵の前で私はいったいどれくらいの時間を過ごしたことかわかりません。
それにしても、権力の中枢にいて大きな顔をしている連中が実に情けない姿に描かれていて、これは時代を超える風刺画にさえ見えてしまいます。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/28 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(7)北野天満宮展の1
閑古鳥が鳴いていた京都文化博物館でしたが、私にとっては実にありがたいことで、どの展示品もすべて独占状態で観ることができるのです。
会場尾内に入るとさすがに誰もいないわけではなくて、ちらほらと人影は見えました。しかしその半分は係員さんではないかと思うくらいで、展示物を観るのに何の障害もありませんでした。
宇多天皇の遺した教えである「寛平御遺誡」(「寛平」は9世紀末の宇多天皇在位中の元号。お笑いの方ではありません)は
予楽院
こと、近衛家熈(このえ いえひろ)の書写したもの。この予楽院さんという方は文化全般に造詣の深い人で、多くの文化的な仕事をしています。絵も描くし字もうまいし、たいしたものです。近衛家に伝わる品々は今では京都宇多野の陽明文庫に数多く収められていますが、この「寛平御遺誡」も陽明文庫から借り出されたものでした。
そのほかにもさまざまなものが出ているのですが、ひとつ面白いのは古いはぎれのようなものです。「汚ねえな」なんて言ってはいけません。これは菅原道真が醍醐天皇からもらった
御衣
の残欠(と伝わっているもの)なのです。本物かどうかは別としても道真の九州での悲しい詩を思い出すことができる「遺品」です。
九月十日
去年今夜侍清涼(去年の今夜清涼に侍す)
秋思詩篇独断腸(秋思の詩篇独り断腸)
恩賜御衣今此在(恩賜の御衣は今此に在り)
捧持毎日拝余香(捧持して毎日余香を拝す)
去年の今夜、重陽の節会で清涼殿にいた。
「秋思」の題で詠んだ詩は一人断腸の思いである心を詠んだものだ
その時に帝から賜った御衣は今もここにある
それを捧げ持って、毎日その残り香を拝している
何とも切ない内容です。とても有名な詩で、『源氏物語』ほかにも引用され、多少なりとも文学に関心のある者なら誰もが知っていた詩です。
私もつい「恩賜の御衣は」とつぶやいてしまいました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/27 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(6)京都へ
天王寺を後にして、また環状線の内回りで大阪城方面から大阪駅に戻り、阪急電車で河原町まで行きました。目当ての京都文化博物館に行くだけなら烏丸でいいのですが、また寄り道がしたくなって終着駅まで行ったのです。
新京極の出口から地上に上がり、そのまま新京極通を北へ。私はこのあたりに来るとたいてい立ち寄る「誠心院」に行くためです。ここには和泉式部の供養塔があるのです。大阪は浄瑠璃、京都ならやはり平安時代です。この鎌倉時代のものらしき宝篋印塔は、以前は新京極通のすぐそばにあったのですが、今は寺の本堂の北側の広い空間に移されています。梅が供えられていましたが、これは和泉式部が愛したからということになっています。本堂の北西隅には
軒端の梅
というのがあるのですが、どうしたことか、すっかりダメになっていました。
すぐ北にある誓願寺にも寄って、そこから西へ。高倉通に出るのですが、柳之馬場にあたるとついそこを北へ行ってしまいます。そして六角通まで来るとつい六角堂によって行こうか、と「京都でも浄瑠璃」のコースに入り込みそうでした。しかしそれは我慢して三条通まで北上。西へ行って堺町通ではイノダコーヒーを南に眺めつつ、立ち寄ることもなくそのまま高倉通へ。そこにある荘厳な建物は学生時代に初めて藤原道長の日記である『御堂関白記』の研究会に出た懐かしい平安博物館、現在は京都文化博物館の別館です。さらにもとをたどれば、
日本銀行京都支店
だった建物で、入口からして風情があります。中に入ると一階のフロアを何やら工事していました。誰も入場者はいません。私がかつて研究会のあった二階を眺めていると、手持無沙汰だったであろう係の女性が近づいて来られて、何か話しかけてくれたうえ、リーフレットを手渡してくれました。どうもありがとうございました。
本館にはここから通路があって入って行けるのです。
そして、文化博物館本館で現在開催されているのが、
北野天満宮 信仰と名宝
です。
国宝「北野天神縁起絵巻」や重文「鬼切丸」(これは3月19日以降のみ展示)の出る催しですので、ごった返しているのかなと思いきや、なるほど平日の午後ではありますが、お客さんの姿が、ない。チケット売り場の人も仲間の人とおしゃべりしていました。でもそれはたまたまかもしれない、4階の会場入口に上がるエレベータはさぞかしひっきりなしに昇降を繰り返しているだろうと思っていたら、やはり沈黙していました。「本当に開催中?」と疑いながら4階に行くと「まあお珍しい」と言っている(ように見えた)係の人が一斉にこちらを向きました。やはり退屈そうでした。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/26 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
もう一度「フィガロ」
狂言風オペラ「フィガロの結婚」の再演にお邪魔した話の続きです。
大槻能楽堂では幕間にいろんな方にご挨拶できました。呂太夫さんの奥様にお会いしたのは本を作るためにご自宅のお邪魔して以来ですから、実に2年半ぶりにお目にかかったことになります。ちっともお変わりにならないチャーミングな方です。
大きなお花が飾られていましたが、その贈り主の方にもお目にかかることができました。
能楽堂はやはり能狂言を演ずるには最適。ほかのホールももちろんいいのですが、ベストはこれではなかろうか、と思いました。
そして、昨日は尼崎市のアルカイックホール・オクトに行って、その千秋楽を観てきました。こちらには、やはり呂太夫さんの本を手伝ってくださったカメラマンの方に一緒に行っていただきました。
さて、内容なのですが、昨年以上にグレードアップしたというのがもっぱらの噂です。みなさん、工夫を惜しまれないのがさすがです。
野村又三郎さんはおもしろいアドリブを入れられます。私は「権力者というのはその力の半分を己の欲望のために使い、あとの半分は己の過ちを隠すために使う」という意味のことを書いたのですが、その部分に昨年は森友学園とか文書の改竄のことをおっしゃったようでした。今年はそれはもう使えません。ではなんとおっしゃったのか、うかがってみたら、どうやらどこかの知事と市長の
ダブル選挙
のことをおっしゃったようです。私はその瞬間はお客さんの反応を見ていたのですが、あるかたは膝を叩いて、ある方は文字通りおなかを抱えて爆笑されていました。
嬉しいです。
発散するように芝居を進める狂言師の方々、それを引き締めるような能シテ方、そして自在に浮遊する文楽。バックボーンにはもちろん管楽アンサンブル。
私がこの公演で一番気になっていたのは、赤松禎友さんの舞なのです。私はどうしても赤松さんにひとさし舞っていただきたくて、愛の悲しみを表現していただく場面を作りました。それに応えてくださって、実に素敵なものを拝見したように思います。突然、能が支配する、独特のゆるやかな時間の流れになり、客席は静寂に包まれたように感じました。いつもなら地謡と能の楽器によるわけですが、この舞台では管楽合奏。
能っていいな
と改めて感じた瞬間でした。お客様や演者の皆さんがどのようにお考えかはわかりませんが、私の思い入れとしては、この作品の主役は奥方。彼女がこの芝居の中で精神的に成長して、赦しこそ大事と悟るに至るお話というつもりでした。愛は永遠ではないのか、と苦悶する奥方は、自分は何をすべきかを考え、まず愛し、そして赦す。そこに至るまでの葛藤があの舞だったと思っています。
この作品を作るに際して私の考えたことは(以前も書いたとは思いますが)能・狂言・文楽・音楽それぞれの本来の姿は崩さずに、それでいて合うものにする、ということでした。能はあくまで能なのです。だからどうしても謡の要素も仕舞も入れたかったのです。
それはほかの芸能も同じことですから、呂太夫さんには単にセリフを語っていただくだけでなく、地やフシも語っていただきたいと思い、また人形の出入りの時は義太夫によって出入りするように書きたいと思っていました。最終的に私の書いたものに手を入れ垂れた藤田六郎兵衛さんがどのようになさったのか、実は私にはわからない面もあるのですが、きっと生かすべきは生かしてくださったことと思っています。
尼崎の舞台は、正直に申しますと、ややお客様の反応が淡い感じ。笑いも控えめだったかな、と思います。
2017年の春に関わりを持つように言われてから丸2年になりますが、ほんのわずかなかかわりだったとはいえ、感慨があります。
早春の祭りが終わりました。
※呂太夫師匠のHPに、森田美芽先生の劇評が
出ています。
追記
書き忘れていました。帰り道、ボケーッと歩いていたら目の前に車が停まり文楽など上方芸能の普及活動をなさっているAさんとお花の贈り主のYさんが降りてこられ、「今からお茶に行きますが、一緒にどうですか?」と言われました。ありがたくご一緒させていただき、お二人の文楽愛のお話などを伺えました。芝居は人も繋げてくれますね。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/25 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(5)フェルメール展の4
「フェルメール展」といっても、もちろん彼の作品だけではなく、ほかにもいろいろな画家の作品が展示されています。ヤン・ステーンとかピーテル・デ・ホーホとかフランス・ハルスとか。
ヤ・ステーンは皮肉なところがあって、楽しそうに酔っぱらっている人物を描いたりするのですが、これは享楽的な絵ではなくてむしろ教訓的なものなのだそうです。こうやって飲んだくれていると子どもに悪い影響がありますよ、というような。マウリッツハイス美術館展で「親にならって子も歌う」という絵を観ましたが、今回も「家族の情景」という絵がありました。
今回、フェルメール以外で絵のほうからこちらの目に飛び込んできたものとして、ヤン・ファン・ベイレルトの
「マタイの召命」
がありました。
一見してカラヴァッジョの影響を受けたとわかる作品で、このベイレルトという人もいわゆるカラバッジェスキに含まれるのでしょうか。
カラヴァッジョの「マタイの召命」では、収税人のマタイがどの人物なのか、二つの説があります。ひとつはびっくりしてイエスを見ている高齢の男性。この人が左手の人差し指で自分を指しているから、と言われるのです。しかし、どうも彼の人差し指は向かって左側の人物を指しているように見えてなりません。もう一つの説というのは、まさにこの人差し指がさしている人物と思われる左端のずいぶん若い男がマタイである、というものです。イエスとペテロが右端にいて「そこにいる君、私についてきなさい」と指を指しているのですが、イエスの指はいかにも遠くにいる人物を指しているように見えます。カラヴァッジョはあえて左右の端に中心人物を置いているような感じがします。また前述の高齢の男は帽子をかぶっていて右手でお金を出しているようにも見えます。どこかからここにやってきた、もちろん税を納めに来た男とも思われ、収税人のマタイではないようです。
この若い男はお金をみつめていて、今差し出された税を数えている様子です。イエスが指さしているのに、まだうつむいたままです。もしこの男がマタイであるならば、彼はこのあとすっくと立ちあがってイエスについていくのでしょう。とても劇的な感じがします。このあたりのことは私が発見して言っているのではなくて美術史学者さんの受け売りです(笑)。
翻って、ベイレルトの「マタイの召命」はどれがマタイかはすぐにわかります。一番左端にいて、イエスに向かって「私ですか?」というように自分の胸に手を当てている
中年男性
です。
カラヴァッジョ作品で若い男がマタイとするならば(以下、その前提で書きます)、マタイが座っている位置は同じですが、イエスの立ち位置は違っていて、ベイレルトのものはかなりマタイの近くに迫っています。
カラヴァッジョ作品はマタイとイエスの一が離れていて、まだ目を合わせていないだけに、このあと目を合わせてさてどうなるのだろう、という劇的な要素が色濃いように思います。
ベイレルトのものも劇的な一瞬をとらえているのですが、静的な印象を持ちます。絵からはみ出すものがない、とでもいうか・・・。
もうひとつカラヴァッジョとの違いを挙げると光、あるいは陰影の使い方でしょう。ベイレルトのものは陰影はあるのですが、全体が明るめです。カラヴァッジョのものは全体が暗くいのですが、イエスの背後から光がさして、しかしまだマタイには届いていないようです。マタイはまだ暗いところで一生懸命お金を勘定している。もう少しでイエスの光が届くのでしょうか。この次の瞬間に光がさっとあの若者を浮き彫りにするのだろう、という予感も抱きます。
ベイレルトの「マタイの召命」にあまり好意的には書きませんでしたが、それでもこの絵は美しいです。手前に立つ男の装束の華やかさとその右手にいる、天秤で金の重さをはかりながら思わずイエスを見上げた男の黒い装束が対照的で、イエスの表情もキリリとして意志の強さを感じさせ、マタイの戸惑いと対照をなしているように思います。
とても印象に残った一枚でした。
このほか、ヤン・デ・ブライ「ユディットとホロフェルネス」(首を切ろうとする直前の絵)、ヘンドリック・テル・ブリュッヘン「マギの礼拝」、ニコラス・マース「窓辺の少女または夢想家」、ピーテル・デ・ホーホ「人のいる裏庭」など、全部で49点の絵はあまり疲れずに見ることのできるもので、いい気分で美術館を後にしました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/24 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(4)フェルメール展の3
「フェルメール展」で観た、あと二つのフェルメール作品はどちらも手紙を書く女性を描いたものです。しかしまったく印象は異なります。
ひとつは文字通り「手紙を書く女」。女性が手紙を書く手を休めるようにして、鑑賞者に向かって「ふふふ」と微笑んでいる姿です。「いいでしょ」とでも言っているような顔をしています。どうやら嬉しい内容の手紙で、書くこと自体を楽しんでいるような表情をしています。あるいは、
鑑賞者である「私」
に書いてくれているのかもしれません。そして「今書いてるから待っててね」とにっこりしているような・・・と、妄想は広がります。
彼女の着ているものは「リュートを調弦する女」や今回東京のみで展示された「真珠の首飾りをつける女」と同じです。幸せそうな女性ばかりです。
もうひとつは「手紙を書く女と召使」で、こちらは女性が一心不乱に手紙を書いているところ。向かって左側の奥には両手を組んで窓の外を見てあきれたような顔をしているメイドさんがいます。
背景には画中画として「モーセの発見」が描かれています。キリスト教文化圏以外の者としてはこういう画中画の意味が今ひとつわかりません。「男の子はすべて殺せ」というファラオの命令があり、男の子を持つ親が隠し切れずにナイル川に男の子を流すとやがてその子は発見されて救われます。この男の子が後にモーセとなるのです。手紙を書いている女性が何らかの意味で「子どもを救ってください」という内容の手紙を書いているのか、と考えることもできるかもしれません。この絵の手前側に、少し引かれた椅子があります。ここには男性が座っていたのでしょうか。それが椅子を引いて出て行ってしまった。あるいは、家庭を顧みない世の男性諸氏に向かって書いている手紙なのかも。とすると、この椅子に座っていたのは鑑賞者である「私」になるのかもしれません。
ある本には「モーセの発見」は
「和解」
を意味するのだと書かれていました。だとすれば今手紙を書いている彼女は何かもめごとにからむ手紙なのでしょうか。相手から来た手紙があまり好ましい内容ではなくて、それに対して必死になって書いている手紙。後ろのメイドは「まったくもう」とあきれている、という図でしょうか。
テーブルの下には散らかされた紙や封蝋、なんらかのスティックが見えます。これも思わせぶりです。彼女のいらだちを示すものか、あるいはこれも異時同図のような意味があって、椅子が意味する男が書き損ねた手紙なのか、わからないことだらけです。
もう一度、そんなことを考えながら観てみたいなとも思うのです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/23 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(3)フェルメール展の2
初見の「取り持ち女」は娼婦宿の風景です。男が娼婦にお金を渡している場面で、それを後ろから覗き込むようにいかにも狡猾そうな「取り持ち女」が覗いています。もう一人、左端に鑑賞者をニヤリとして見つめる男がいるのですが、この男の顔は一説によるとフェルメールの自画像ではないかとのことです。もしそうであれば、フェルメールが鑑賞者に向かって何かつぶやいているようにも思えます。
「観てないでこっちへ来いよ」と言っているのか「何見てんだよ、あっち行けよ」と言っているのか(笑)。そういうことを考えながら絵を観るのも
鑑賞者の自由
でしょう。
「リュートを調弦する女」は彼の絵に時々出てくる黄色い衣装で、リュートを調弦しながら目は窓の方を向いています。左からの光はフェルメールのいつものパターンというか、彼のアトリエがそういう風に作られていたのでしょうが、そちらを見やって。耳をリュートに向ける格好と言ってもいいのかもしれません。こういうポーズはよくすると思います。
もうひとつの初見の絵は「恋文」でした。メイドさんが持ってきた手紙受け取って、リュートを弾いていた手を休めてメイドさんを見る女。メイドさんはどこかめんどくさそうです。
無造作に配置されたほうきやスリッパ。そして鑑賞者の視点は彼女のいる部屋の外側で、カーテンや壁を隔てて、彼女の部屋を
のぞき込む
ような位置にあるのです。ひょっとしたら、絵を観ている「私」が手紙を送った者なのであって、どきどきしながら彼女の反応を見ようとしているのかもしれません。斜めの線の消失点は彼女にあるのではなく、もっと画面に向かって右側の部屋の外にあります。そこに「私」がいるのかも。実はそこには楽器を載せたいすが置いてあって、それが「私」の居場所。本当なら彼女と親しく合奏したい。でもさせてくれるかどうかわからないので手紙を送った、さあ、彼女の反応は・・・。これまた私の勝手な解釈ですので、あしからず。
絵描きさんは、消失点を決めるときに、その位置にピンとか釘などを刺しておいてそこに紐を結び付けてそれを引っ張る形で線を引いていったようです。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」では中央のイエスのこめかみのあたりに消失点があり、そこに釘が打たれたあとがのこっていることはよく知られています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/22 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
フィガロ再演
昨日は午後2時ごろまで仕事をして、夕方のすいている時間帯を狙って二度目の「フェルメール展」に行ってきました。大きなテーマは「フェルメールをしっかりたっぷり観る」とともにヤン・ファン・ベイレルトの「マタイの召命」の色や明るさをもう一度確認したいと思ったことがあります。ネット上に上がっている写真ではどうしてもそういうことがわかりません。さいわい、「マタイの召命」は飽きるほど観ることができました。フェルメールも、さすがに常にある程度の人がいらっしゃいましたが、少し待てば相当じっくり観ることができましたし、繰り返し観ることも問題ありませんでした。4時ころに行って、5時の閉館ぎりぎりまでいました。満足です。
そして、その足で夜には大阪市中央区の
大槻能楽堂
に回りました。
狂言風オペラ「フィガロの結婚」の再演を観に行くためでした。「狂言風オペラ」と銘打っていますが、実際はオペラ狂言』とでも言うべきもので、カレーライスかライスカレーの違いのようなものかもしれませんが基本は狂言なのです。
それに文楽と能の要素を加味したらどういうことになるか、という実験的なものでした。
2017年の9月の終わりころに、何やら不穏な雰囲気で呼び出され、私が台本を書くことになったのでした。その辺のいきさつについては、こちらにも書いています。
そして紆余曲折を経て昨年春に初演、果たして評判はどうだったのか、新聞評にはあまり見えませんでしたのではっきりしたことはわかっていません。
ただ、当初から
再演
はすることになっていて、いわば地方公演にあたることが予定されていたのです。私が聞いていた候補地は東西日本各地でしたが、まさかそんなにあちこちには行けませんので、今回は東側、つまり愛知、山形、青森の各県での公演と本拠の大阪、滋賀、兵庫でおこなわれました。
東の公演はなかなか好評だったらしく、楽しい上演になったと伺いました。そして昨日が関西の初日だったわけです。
内容については千秋楽(24日。兵庫県尼崎市)のあとに書こうと思っています。
私はかつて呂太夫さんの本を手伝ってくれたYさんをお招きして行ったのですが、早めについたので楽屋口近くでぼんやりしていました。するとやたらおしゃれな格好の、しかし帽子に眼鏡にマスクという、「花粉症スタイル」の紳士に声をかけられました。全然わからなかったのですが、なんと呂太夫さんでした(笑)。
やがてYさんが来られ、すぐに中に入りました。Yさんが右隣りで、左側はまだ空いていたのですが、やがてすらっとした美しい女性が来られて、ああこの人がお隣だな、と思ったらあいさつされました。「??」と思ったら、普段私の枕草子の講座にいらっしゃっている若い女性なのでした。何たる偶然!
こうして、期せずして
両手に花
の状態で、鑑賞できることになりました(笑)。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/21 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(2)フェルメール展の1
第一の目的は、大阪市立美術館でおこなわれているフェルメール展です。フェルメールというとあまりにも有名になりすぎて、誰もが好きだというので、あまのじゃくな私としてはつまらないのですが(笑)、いいものはいいとしか言いようがありません。彼の使うあの青は「青衣の女」を観た時にもドキドキしましたし、いうまでもなく光の使い方は陶然としますし、寓意に満ちた画中画も小物類も見逃せず、おもしろいです。特に物語性を感じさせるものは空想が広がるので楽しみです。
私がこれまでに観た「フェルメール作」または「フェルメール作といわれるもの」は次の13点です。
「手紙を書く婦人と召使い」「小路」「リュートを調弦する女」「ディアナとニンフたち」「ワイングラスをもつ娘」「マルタとマリアの家のキリスト」「青衣の女」「手紙を書く女」「レースを編む女」「天文学者」「ヴァージナルの前に座る女」
「聖プラクセディス」「真珠の耳飾りの少女」
今回、これらに「取持ち女」と「恋文」が加わり、15点になりました。
この15作品の中で圧巻だったのは、やはり
真珠の耳飾りの少女
でしたが、まだ見ぬものでは「天秤を持つ女」がどうにも気になって仕方がありません。あれを目の前で観てみたいという願望は今も持ち続けています。今回の展覧会では日本初公開が「取り持ち女」だけ。実は私はこの絵は観たような気がしていたのですが、複製か本か何かでしか体験していなかったのです。
初めてフェルメールを見たのはおそらく「マルタとマリアの家のキリスト」だと思うのですが、今回もこの絵が出ていました。これを観るのは三度目だと思います。
マリアはイエスの話を聞いてばかりで、姉のマルタはイエスに向かって「私があなたをおもてなししようとして一生懸命働いているのに、妹は話を聴いているばかりです。なんとか言ってやってください」と文句を言うと、イエスが「マルタ、彼女は正しい選択をしているのだよ」と答えたというその場面です。
この絵は、マリアがイエスの話に聞き入っている姿、マルタがイエスをもてなしながら不平を言っている姿、イエスがそれに答えている姿が描かれていて、3つの時間を一画面に取り入れた
異時同図法
になっている・・・と思っていたのですが、そういう解説はされていないようで、これは私の勝手な解釈みたいです(笑)。
三度目だというのに、私はこの絵が思っていた以上に大きな絵だったことに驚きました。まったくあてにならない鑑賞眼です。
赤い服に青いマントというとイエスの母のマリアのアトリビュートですが、このマリアも赤い服で(マントは着けていません)、とても印象的でした。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/20 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
春休みの遠足(1)天王寺へ
いくらか外に出たくなる季節になりました。体調は100%にはほど遠いですが、先日、思い切って大阪と京都の美術館、博物館に行ってみました。
この日の目的地は、午前中は大阪・天王寺の大阪市立美術館、午後は京都・文化博物館でした。
私は天王寺に行く場合、大阪駅から環状線を使います。内回りなら内回り、外回りなら外回りで往復一周してきます。地下鉄は高い(往復で180円も違います)ですし、時間はさほど変わりませんし、何と言っても風景が見えません。環状線ならお城も通天閣も大阪ドームも、とにかくいろんな物が見えます。
天王寺駅に着いたら少し寄り道をしたくなります。ハルカスという大きなビルには目もくれず、谷町筋を北に少し歩いて
「竹本義太夫誕生之地」
の碑に挨拶して来ました。もう何度訪れたかわからないところですが、何となく足が向いてしまいます。ついでにもう少し足を伸ばして堀越神社にも寄ったのです。こうなると、四天王寺や超願寺にも行きたくなるのですが、今回はそれが目的じゃないんだから、と、グッと抑えて天王寺公園へ。久しぶりに美術館から東側を見下ろす位置に立ちました。
東京の上野と同じく、美術館があり動物園があり、なかなかいいところです。あいにく大阪の中心地が北になってしまいましたので、天王寺は遠い感じがしますが。また、公園の周辺は必ずしも環境のいいところとも言えず(文楽劇場もそうですが)、もったいないと感じます。
もっとも、
悪所
というのはそういうものも含めて存在するのかもしれませんが。
この日はさすがに人の波が美術館に向かっているのがわかりました。もっとも、かなりの小波で、道が混雑しているというほどではなかったのですが。
実は、帰り道に通ったのですが、私はここに「てんしば」というエリアができているのを知りませんでした。少しでもシャレた雰囲気を出そうとしているのですね。
ともかく、こうして大阪市立美術館に着きました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/19 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
「天皇陛下」と書かなかったこと
ツイッターで私が「天皇陛下」と書かなかったことについて、思うことをメモしておきます。
昨日も書いたのですが、私は普段あの方のことを「天皇さん」と言っています。これは割合に関西の方にはありがちなのではないでしょうか。関西の人は神様仏様の類にも「さん」をつけて呼びます。例えば「お伊勢さん」「天神さん」「えべっさん」など神様や神社、「お釈迦さん」「観音さん」「清水さん」など仏様やお寺。親しみを込めて、敬愛の念からそう呼ぶのだろうと思います。私の天皇への感覚はまさにそれで、いつもなれなれしく
「さん付け」
をしています。皇太子も皇太子殿下と呼ぶことはなく「皇太子さん」、雅子妃殿下は「雅子さん」、秋篠宮文仁親王殿下は「秋篠宮さん」、真子内親王殿下は「秋篠宮の真子さん」・・・です。
私は天皇の存在を文化的なものとして重視する者で、天皇制も否定しません。今上も一生懸命仕事をされていますし、きわめて多くの国民から慕われていると思っています。授業では天皇家がこの国の文化とどのように関わってきたかもいくらか話すことがあります。
もう一度申しますが、私がツイッターで
「天皇が身に着けている」
という言い方をしたところ、多くの方が改めるべきだとおっしゃっていました。一方、天皇の敬称は「陛下」ではあるが、だからといって誰もがそう呼ばなければならないというものではない、という意味のことを書いていらっしゃる方もありました。たしかに、天皇制に反対する人もいらっしゃるわけで、そういう方は天皇を特別視しないのですから、「陛下」と言わなくてもそれはその方の自由でしょう。
ともあれ、ほとんどの方は悪質なクレーマーではなく、何の悪意もなくアドバイスしてくださったのだろうと思います。こういうときは、あれこれ言わずに「ごめんなさい、改めます」と言えば済むのだと思います。私も他人様の気分を害したいという気持ちはさらさらありませんし、自分の間違いを認めるのにはやぶさかではなく、普段から間違ったら相手が誰であろうと謝るようにしています。
ただ、この件についてはどうもひっかるものがあって、ご意見をくださったことにお礼だけ申し上げて、「お詫びして訂正します」という、最近よく使われる言葉でいうと「謝罪」はしませんでした。
一つの理由は
「ツイッターだから」
ということです。字数に限りがあるので、なかば無意識裡に簡略な言葉を使おうとするのです。もし「天皇が身に着けている」をきちんというなら「天皇陛下がお召しになっている」「天皇陛下が身に着けていらっしゃる」などになるでしょう。私はいささか煩わしく感じます。また、ツイッターのコメントはどういう人がおっしゃっているのかわからないということもいくらかは理由になります。ほとんどの方には悪意も何もないと思うのですが、すべての方がと言い切れるかどうかはまたわかりません。最近しばしばメディアの姿勢で感じられる「謝罪させてやった」ということで留飲を下げられるだけならごめんこうむりたいとも思っているのです。
もう一つの理由(こちらのほうが本質的なことです)は、私の普段からの習慣なのです。先述のように、私はいつも天皇さんとか皇太子さんと言っていますが、それでは馴れ馴れしいと思ったら「天皇が」「皇太子が」「真子内親王が」と言います。たとえばこのブログに天皇家の装束とかしきたりなどについて書く場合です。これはイギリスの王室に対して「エリザベス女王が」「チャールズ皇(王)太子が」「ハリー王子が」というのとまったく同じ感覚なのです。「女王」と言えばそれだけでもう敬意を持っていることになるのだろうと思います。イギリスの事実上の国歌となっているのは「God Save the Queen」ですが、「Her Britannic Majesty」のように言わずとも「Queen」だけでじゅうぶんなのでしょう。
おそらく指摘されるであろう「日本とイギリスは違う」というご意見には今のところ納得がいきません。
そういう私の習慣を特に改めることはないと感じています。
私とて、天皇と面と向き合うことがあったら(ないでしょうが・・笑)、
「陛下は」
と言います。それは礼儀としてむしろ当たり前だと思っています。
ついでに申しますと、私はあの「皇太子さま」「雅子さま」というあの「さま」が苦手です。どこか神様扱いしているようで、明治っぽいなと思ってしまいます。もし皇太子と向き合うことがあったら私は「殿下は」と言います。けっして「皇太子さまは」とは言わないだろうと思います。
意をを尽くしませんが、おおざっぱに言うとこんな感じです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/18 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
バズるの記(2)
リツイートが1万を超えたのみならず、「いいね!」はほぼその倍の数字になっていました。そして見ている間にさらにどんどん増えていくではありませんか。なんだか「増殖している」という感じがしました。
私は、いつ学生に話すときのような口調で「天皇が身に着けているのが黄櫨染袍です」というようなことを書いていたのですが、それに目をつけた方がたくさんいらっしゃいました。「天皇陛下と書くべきだ」というコメントが次々に入ってきました。中には「どうかお願いだから陛下と言って」みたいなのもありました。なるほどそうなのかもしれません。言い訳になりますが、ツイッターは140字が限度なので、私はいつも字数を気にしながらできるだけ簡略な表現をするようにしています。
また
父親譲り
の口の悪さ(父は私の数百倍、口が悪かったです・・笑)で、天皇陛下という言葉は普段からほとんど使わないのです。天皇のみならず、たとえば真子内親王も「真子内親王殿下」とは言わずに「秋篠宮の真子さん」と言っています。そもそもそういうことをある程度知ってくれている学生以外の人には見せるつもりもないつぶやきでしたので、私は何とも思っていませんでした。もっとも、天皇から直々に「陛下といってくれることを希望します」といわれたら
「失礼しました」
と言って書き換えたかもしれませんが、ツイッターって編集できるんですか?(それも知らずに書いています)
私としては、できることなら学生からの「どうしてこんな色の上着を着たのですか?」というようなコメントを期待していたので、皆さんが違うところに目をつけられたのがなんとも・・・。
通知機能はオフにしましたが、時々気になって覗いてみたらリツイートは1万5千を超えていました。なんだかいやだな、と思って、小心者の私は、もう削除してしまおうという気になってきました。
そうして削除した時の何ともすっきりしたこと。
「バズる」って言いますが、あれは一種の炎上ですよね。
それにしてもこれは私にとって授業のネタになる経験でした。天皇から直々に「ネタにしないことを希望します」と言われても、こればっかりはそうはいかないのです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/17 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
バズるの記(1)
大学生の娘からLINEが来ました。「ツイッターでバズってるでしょう。私のところにもリツイートされてきたよ」と。
私は今、ツイッターを学生相手に使っていますので、まさかバズるとも思わずに書きましたし、それが回りまわって娘のところに行くとは!(釈迦に説法ですが「バズる」は一時的に驚異な拡散をすることです)
ツイッターで、天皇の装束の黄櫨染袍(こうろぜんのほう)について書いたところ、1万6千リツイート、3万7千「いいね」が付きました。有名人ならこういうことはよくあることでしょうが、私のような
無名の安もの教員
には考えられない数です。
と言って私は喜んでいるわけでも自慢しているわけでもありません。あまりにもうっとうしくて(笑)、なおも次々リツイートされているのに削除してしまいました。なんだか気味が悪くなったからです。学生宛のメッセージであっても余人に見られることはわかります。が、基本的にはフォロワーさんだけ。ところが1万6千人以上がリツイートしたら何十万人もの人の目に触れることになるわけで、学生と
内輪で話す
ようなつもりで書いているものが、さも研究論文か何かのように扱われては困るからです。
私は学生からコメントが入ったら返事をしようと思ってツイッターに通知機能をつけて、コメントがあったり、リツイートされたりしたらスマホに連絡が来るように設定していました。するとそのつぶやきをした日の昼頃にスマホを取り出したら山ほど通知が入っていて、さらに10秒おきくらいに次々と新しい通知が来ているのです。「なんだ、これは?」と思って調べてみたら、すでに数百のリツイートがなされていました。こうなると加速度がついて、ひょっとしたら1000を超えるんじゃないの? と思ってみていたら猛烈な勢いで1000なんて軽く突破しました。それにしても、こんなに通知が来ると厄介なのでさっそくその機能はオフにしてそのまま放置していました。
ところが、数時間して気になって見てみたら1万を超えていてもうびっくりしたのでした。
にほんブログ村
- [2019/03/16 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
世渡り
周りを見渡していると、やはり世渡りのうまい人というものがいる、と、これは皮肉や悪口ではなくほんとうに感心しています。一方、わが身を顧みると情けなくなります。どうすればうまくわたっていけるのだろう? 今になってけんか腰で権力に対抗している自分はやはり下手な生き方しかできないのだな、と思います。
この間、朝日新聞の「折々のことば」で鷲田清一さんが芥川龍之介のこんな言葉を引いていました
最も賢い処世術は社会的因習を軽蔑しながら、
しかも社会的因習と矛盾せぬ生活をすること
である。(侏儒の言葉)
「侏儒の言葉」なんて、何もわからないままにかなり昔に読んでいますので、こういう言葉があったとは記憶にありませんでした。
それにしても、なるほどそうだと思います。正義感や理想を振りかざして社会的因習と矛盾した生活を送っているようではうまくいかないのです。
しかし、こんなこと芥川に言われたくない、彼はなんでこんなことを言うのだろうと、不満にも思いました。文学の人間ならもっと高らかに理想を言えよ、と。
しかし鷲田さんの文章をよく読んでみると、芥川は「社会の歪、もしくは不全を、憂い顔で、しかも自身は
安全地帯
に身を置いたまま批判するというのは、“批評家”の偽善であり狡知であると、作家は自戒の念を込めつつ揶揄する」と書かれていました。あ、そういうことだったのか。
そうでしょう、そうでしょう。それでこそ芥川です。隣に住んでいたとしても友達にはなれなかったかもしれませんが、作家としては大好きな芥川らしいことを言っていました。
鷲田さんはそのうえで、「噂話のような情報を基ににぎにぎしく同時代の政治を嘆く現代人も、意識せずしてこの“批評家”の列に連なっているのであろう」とおっしゃっていました。「にぎにぎしく」が秀逸です。
芥川と鷲田さんに背中を押された気がしますので、もうちょい頑張るかな。負け戦もすべき時はあります。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/15 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
お米の味
私は味音痴で、おいしいものというのがあまりよくわかりません。以前は質より量、今は質より値段(笑)で、私などに高級なものを食べさせるともったいないのです。
お米に味があるというのは本当にわかっていませんでした。いや、今も大差ありません。一人暮らしをしていた時は、米を買う場合、値段で選んでいましたし、「コシヒカリ」とか「ササニシキ」とか、そんな高級ブランド(と私は思っていた)のものは食べていませんでした。
普通なら、歳とともにいくらかものの味わいを知るようになって、お米の違いもわからなければ恥ずかしいのですが。
先日の新聞で、お米の
食味ランキング
の記事を見ました。「特A」から「B′」まであるそうですが、なんでも154銘柄の内55銘柄が特Aなのだとか。特Aなんていうと、ほんのわずかなのかと思ったのですが、あまりありがたみはないようにも感じてしまいます(笑)。評価項目は、外観、香り、味、粘り、硬さ、総合で、「商品そのものの評価ではない」のだそうです。
今、私はどうやってお米を買っているかというと、これはもう近くのスーパーの
安売りの日
を狙って買うのです。めったに10㎏3000円以上は出しません(笑)。今家にあるお米は2018年石川県産「コシヒカリ」(10㎏2980円)です。「コシヒカリ」だから「特A」かな、と思ったら、残念、「A」でした。ほかに昨年のお米で買ったことがあるのは滋賀県産「コシヒカリ」(A)、三重県産「コシヒカリ」(A。ただし三重県でも伊賀のものは特Aだとか)、千葉県産「コシヒカリ」(A)あたりです。ほぼAクラスの「コシヒカリ」をいただいていることになります。2017年のお米を思い出すと、青森県産「まっしぐら」(A′)、熊本県産「森のくまさん」(特A。今年はA)も買いました。おっと、2018年のお米で私が買ったものにひとつだけ特Aがありました。福井県産「コシヒカリ」です。福井県はコシヒカリ発祥の地ですね。
結局私の場合は、どのお米を食べてもありがたくておいしいんですけど。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/14 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(8)
- この記事のURL |
- TOP ▲
今年の「フィガロ」
今年は稽古にも行っていませんし、私はもう関わりはなくなったような感じなのですが、今でもこの芝居の台本を書いていた時の熱の入れ方を思い出すと、どうしても気になる芝居です。
この芝居の企画をしている会社の社長さんが去年の一月に初演を待たず亡くなった後、切り盛りされているのは社長の奥さまです。とても華奢な、人柄のよさそうな方で、お会いすれば丁寧にあいさつもしてくださいます。
この方のご厚意で、私は今年も
大槻能楽堂と尼崎アルカイックホール
の招待券をもらいました。
無料でなければ私などは簡単には行けない(笑)値段ですので、とても助かります。奥さま(ひょっとしたら、今は社長になっていらっしゃるのかな)ありがとうございます。
私は「作」ということになっています。いろいろ事情があってそうなったのでしょうから、文句は申しませんが、正直なところ違和感を覚えるのです。人にも説明しにくいですからちょっと困っています。
それはともかく、今年も何とか這ってでも行こうと思っています。
関西での3公演
は多すぎると思ったのですが、やはりすべてが満杯になるわけにはいかないようで、案じています。
せめて倉敷とか広島あたりにひとつを回せなかったのかな、と思うのですが、まあ、これもいろいろ事情があるのでしょう。
クラングアートアンサンブルの演奏をほんとうに聴いてみたいです。お客様が笑ってくださるとするなら、その笑い声も聴いてみたいです。それはできませんが、それでも私は参ります。
出演者の皆様のご健闘をお祈りしております。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/03/13 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
米朝決裂
以前こういうニュースの見出しが新聞に出ると、誰かお弟子さんがしくじられたのだろうか、と一瞬ドキッとして、いやアメリカと北朝鮮のことだね、とすぐに思い直したものでした。「そんなバカげたこと、誰が思うものか」とお思いのあなた、いえいえ、ちっともバカなことを言っているのではありません。上方落語ファンならほぼ誰もが同じことを感じていたはずです。
しかし桂米朝師匠が亡くなって、そういう「一瞬」が消えがちになっています。寂しいことです。
少し前の話になりますが、アメリカのへんてこな大統領と北朝鮮のもっとへんてこなお兄ちゃんの話し合いはあまりうまくいかなかったのだとか。
政治に疎いので難しいことはわかりませんが、お互い、相手のことなど考えていないからそういうことになるのではないでしょうか。今、アメリカでは地球の東の端っこの小さな半島の北朝鮮問題なんてあまり関心はなく、むしろ
ロシア疑惑
の問題こそが関心の的なのだとか。実際、ヘンテコ同士で話をするために来ていたベトナムで、この大統領に対してアメリカの記者が質問したのはロシア疑惑のことだったという新聞記事も読みました。大統領にすればそういう問題から目を背けたくて、しかも「外交で成果を上げた」といいたくて首を突っ込んでいるだけに見えてしまいます。行き着くところはノーベル賞が欲しい(?)。
一方の北朝鮮のお兄ちゃんも保身しか頭にないような気がします。
朝鮮“民主主義”人民共和国
の国民はいつになったら民主的な時代を迎えられるのでしょうか。もっとも、民主的と思っている国でも、権力を持つものが勝手なことをしたり間違いを隠したりしているのは我々も目の当たりにしているのですが。
あげくには、日本人の一部の人たちが「だから朝鮮の人は」(実際はもっとひどい言い方で)などと言い出して悦に入っているように思えます。
また、どこやらの国の総理大臣が「今度は私が北朝鮮と向き合う」と言ったというのを、これはネットのニュースで見ました。はぁ、とため息が出ました。
にほんブログ村
↑応援よろしく!
- [2019/03/12 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
ノーベル平和賞?
世情に疎いので、詳しいことは知りませんが、日本国民を代表して(!)何とかいう名前の日本の総理大臣が、アメリカの大統領をノーベル平和賞に推薦したとかいう奇妙奇天烈な話を聞きました。
「おい、あんた、勝手に代表するな」と言いたいです。この人、自分が国家そのものだとでも思ってるんじゃないでしょう? もしあなたが代表したいのであれば、次の総選挙の時に、裁判官の名前に丸印をするよりもアメリカの大統領がノーベル平和賞にふさわしいかどうかを丸印で投票させてくれませんかね。かなりひどい結果が出ると思いますけどね。
当の大統領はこの賞が欲しくて仕方がないのでしょうが、そういう心理が私にはとても理解できません。あんなのは欲しがるものではなくて、自分が仕事をした結果、
どこかで誰かが評価をしてくれる
ものです。
「私を推薦してくれ」という時点でどうかと思いますし、それに乗っかって嬉しそうに推薦する人間というのも理解に苦しみます。
ノーベル平和賞というと、私がもっとも印象に残っているのはマララ・ユスフザイさん、そして昨年のムラドさんです。いずれも女性差別や女性の性被害にみずからが遭いながらも、その後、敢然と立ち向かった発言および行動をしている人たちです。昨年はもうひとり、性被害に遭った女性たちへの医療面からの支援をし続けている医師も受賞されていました。こういう方々が
「ノーベル賞を目指して」
活動してきたでしょうか?
マララさんが国連で演説した時の「Education first」という言葉はそれだけでどこかで誰かが推薦したくなるものでした。彼女が演説で「私に平和賞を」と言いましたか?
翻って、いい年をしたおじさんたちが恥も外聞もなく「ボク、これが欲しいんだけど」「じゃあ、もらえるように言ってあげる」って・・。こんなことをしているのを私は情けなく思います。
にほんブログ村
- [2019/03/11 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
水を増やす
「からだのむくみ事件」はけっこうショックだったのです。私には縁がないだろうと漠然と考えていましたから。それ以後は本当に塩分の摂りすぎには気を付けています。もうおせんべいもあまり食べていません。経済的にも助かります(笑)。
実は最近、もう一つ日常の栄養摂取で気付いたことがあります。
夏場はやはり暑くてのどが渇きますから水分を摂ります。摂りすぎるくらい摂ってしまいます。ミネラルを摂る必要もありますから、ほんのわずかに塩を一緒に摂ることもあります。
しかし冬になるとつい
水を飲まなく
なってしまうのです。
贅沢はできないので、私の仕事場にはコーヒーも紅茶も日本茶も何もありません。夏場でも飲むのは白湯です(笑)。じゃあ冬も温まるために飲めばいい、ということになるのですが、昨年秋の雨漏り事件(事件が多い)以来、たまたま仮住まいしている部屋の水がまずくてとても飲めたものではありません。そんなこともあって、さらに夏と違ってのどの渇きがないので、つい何も飲まずに過ごしてしまうのです。しかし、
脱水症状
というのは夏のものと思いきや、冬にも不感蒸泄(自覚しないうちにからだから水分が失われていく)などによって起こるのだそうです。
それを防ぐためには、水をそのまま飲むだけでなく、ホウレン草などの緑黄色野菜をしっかり摂るとか、室内の湿度を低くしない、とか、電灯をLEDにするとか、いろんな工夫があるのだとか。
さしあたり私はちょっとした塩気と水をこまめに摂るのがいいだろう、と思います。塩気は少なくね。
↑応援よろしく!
- [2019/03/10 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
塩を減らす
あまり食べ物についてこまごまと考えたことはないのですが、やはり最近いくらか気になり始めています。
以前、血液検査の結果を見て「糖尿病かもしれません」と言われたことがあって、びっくりしました。しかし、再度より明確な糖尿の検査をすると「違いました」とのことでホッとしたという経験があります。
ただその時、やはり何かと気を付けた方がいいだろうと思うようになったので、ああいう検査をしたことはよかったと思っています。
私は今、めったに
甘いもの
を食べません。ケーキとかクッキーとかまんじゅうとかジュースとか、最近はスポーツドリンクもまるで口にしません。もちろんそれは健康云々ではなく、好まないというのが理由なのです。クリームたっぷりのケーキなどを見るとげんなりするくらいです。それにしても以前に比べてもかなり減ったと思います。ジュースやスポーツドリンクの類は贅沢なので飲まないだけですが(笑)。
その一方、私は
塩気のもの
が好きなのです。味噌汁とか醤油を使うものとか、お菓子では醤油たっぷりのせんべいなどが大好きです。
これはあまり気にせずに食べていました。ところが、最近なんとなく塩分を取りすぎているかもしれないと思うようになり、気を付けようかな、と思っていたのです。するとその矢先、朝起きると手が異様な感じになっているのに気づきました。手を握ると厚みがあって、なんとなく丸い感じの手に見えました。
これって「むくみ」じゃないか。ということはやはり塩分の取りすぎが原因ではないか。そこでさっそくその日は塩分を意識して摂らない様にしました。すると翌日にはなんともなくなっていました。直接塩分が関係あるのかどうかはわかりませんが、やはり気を付けた方がよさそうです。
↑応援よろしく!
- [2019/03/09 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
江戸時代は近代
先日、講座の受講者の方から「九月九日の菊の節句で、前夜(八日)に菊の花に綿をかぶせて、翌日その露でからだを拭うという風習があります。その際、綿にさまざまな色を付けて、菊の色と組み合わせると聞きましたが、どういう組み合わせをするのですか?」という難しい質問をいただきました。
おそらく、平安時代にはそういうことはしていなかったと思うのですが、その後そんな風習が根付いたのですね。やはり菊の花の色が様々なので、同じように
白い綿
をかぶせるだけではつまらないと考えるようになったのでしょう。
これについては江戸時代の天皇である後水尾天皇の書いたものが参考になります。
『後水尾院当時年中行事』
という書物なのです。この中に、「白きには黄、赤きには白、黄なるには赤きをする也」という一節があって、どうやらこれは「白い花には黄色の綿、赤い花には白い綿、黄色の花には赤い綿をつけるのだ」という意味のようなのです。
質問された方は、最近まだ残っている風習でそういうことをしていることをご存知だったのでしょうが、こうしてみるとやはり現代文化は室町以降のものだな、と感じます。言葉も室町時代以降はかなり現代風です。
高校で日本史を習ったとき、大きな時代区分として「古代、中世、近世、近代、現代」というのがありました。平安時代までが古代、鎌倉、室町は中世、千石から江戸は近世、明治以降は近代、昭和は現代(平成はなかった・・笑)でした。しかし私の感覚では、政治的なことは別にするなら、奈良、平安は古代、鎌倉は中世、室町から大正は近代とも思えるのです。例によって、誰も賛成してくれませんけれども(笑)。
↑応援よろしく!
- [2019/03/08 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
もしも私が枕草子を書くなら
『枕草子』には「~は」という段がいろいろあります。「木の花は」「虫は」「池は」などのテーマがあって、それに関してどう考えるかを列挙したもので、読みようによってはつまらないものです。
でも、自分ならどうかな、などと考えてみるとなかなかおもしろいかもしれません。先日ここに書いた「木の花は」であれば「梅」「桜」「藤」「橘」「梨」「桐」「楝」などが挙げられていますが、ほかに何かないでしょうか。おもに背の高い木を挙げていますが、藤も入っていますから、そうでなくてもいいのかなと思うのです。低木でもよければ
「ヤマブキ」
なども入りそうです。「吉野川岸の山吹吹く風に底の影さへうつろひにけり」(古今和歌集・紀貫之)のように春の終わりの花として愛されたものでしたから。
あまり和歌に詠まれないのですが、「ツバキ」などはどうでしょうか。
また、平安時代にはなかった花で、後代に海外から入ってきたものも含めるともっといろいろありそうです。キンモクセイは江戸時代に入ったらしいですが、今は春や秋になるとあちこちでいい香りをさせています。20世紀初めにアメリカから来たというハナミズキも今ではすっかりおなじみの木で、私の家の近所の道はハナミズキを街路樹にしています。
実はこういうことを考えてみるのも案外おもしろいかもしれません、と『枕草子』の講座でお話しているのです。つまり清少納言に挑むわけですね。
最近流行の
アクティヴ・ラーニング
でしょうか。
そうすると、清少納言がなぜこういうことを言っているのか、彼女の発想はどういうものなのか、などがぼんやりとでも見えてくるかもしれない、と思うのです。小中学校でも古典文学の初歩は勉強します。そんな教育現場でも使えるかもしれない、と思うこともあります。
↑応援よろしく!
- [2019/03/07 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
木の花(2)
『枕草子』で紅梅、桜、藤、橘を挙げるのはよくわかるのですが、清少納言がその次に挙げているのは一風変わっています。それは
梨の花
なのです。やはり白い花なのですが、あまりその花を賞翫するという話は聞きません。梨の実は当時も桃、柑子、棗、ビワなどとともに食用として愛されており、どちらかというと「木の花」というよりは「木の実」が大事だったのでしょう。この木は魔よけの役割を果たしたともいわれます。
清少納言自身、梨の花が一般的に「つまらないもの」とされていることを書いていますし、「愛敬おくれたる人の顔」のたとえにされるとまで言っているのです(ただし、そういう比喩を私は見たことがありません)。
しかし、と清少納言は言います。中国に行くと話は別。楊貴妃が亡くなった後、皇帝の使者として仙界に来た方士に対して涙を流すのですが、その様子を「梨花一枝、春の雨を帯びたり」と白居易の『長恨歌』は描写するのです。漢文に詳しい清少納言ですから、この花を思い出したのでしょうね。ついでですが、お隣の国、大韓民国にも「梨花女子大学」というのがありますね。
もう一つ意外なのが
桐の花
で、どうもこれは鳳凰がとまるという桐(アオギリ)ではなく、椅桐を言っているようで、紫の花を咲かせるものです。ただ、彼女は同じ「桐」なので、鳳凰がとまる木だと混同しているらしいのですが。
そういえば、内裏には「梨壺」「桐壷」「藤壺」という、部屋がありました。それぞれの木を坪庭に植えているのですね。橘は紫宸殿の南庭の西側に「右近の橘」として植えられてもいました(今の京都御所にもあります)。割合に身近なものだったということです。
↑応援よろしく!
- [2019/03/06 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
木の花(1)
『枕草子』に「木の花は」という段があります。清少納言はまず「濃きも薄きも紅梅」と書いていて、この花がとても好きだったようです。次には花びらの大きな、葉の色の濃い、枝は細めの桜。花びらが大きいというのはわかるのですが、ここには「葉が濃くて」という条件も入っています。今のソメイヨシノなどとは違って葉と花が一緒に出るものだったのですね。緑と白(あるいは淡いピンク)の対比も大事な要素だったようです。
枝が細い方がいい
というのは、彼女だけの美意識とは言えないようで、花山天皇という人も桜の幹を見るのはあまり好きではなかったらしいことが『大鏡』に見えます。確かにごつごつした感じはしますね。
そして藤。藤は藤原氏の名前にもありますので、この家の象徴になったりもします。何といっても花房の長いのが立派とされて、『伊勢物語』には1メートルを超える花房を持つ藤にまつわる話もあります。ゴージャスな感じですね。藤は松にかかった姿が歌に詠まれることもあり、その場合は、松(長寿の象徴にもなります)が皇室を表し、それによりかかる藤が藤原氏、という意味を持つこともあります。
橘の花
も挙げています。橘というと香りが知られ、その香りは昔の人をしのぶ「よすが」になるとされます。しかしここでは香りではなく、白い花が素敵だと言われているのです。雨が降った後の朝など最高だとも言っています。橘はほととぎすが愛する花ということになっています(「梅に鶯」のように)ので、ほととぎすの好きな彼女にとってはたまらない花なのです。
↑応援よろしく!
- [2019/03/05 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
べそをかく大人たち
『源氏物語』「御法」巻で、のちに匂宮と呼ばれる五歳の男の子が養祖母にあたる紫の上に「おばあさまのことが大好きです」という場面はなかなか泣かせるとことです。紫の上はそういわれて、「それではあなたが大きくなったらこの家に住んで、ほら、そこにある紅梅や桜を大事にしてくださいね」というのです。とても印象深いところです。この後彼女はすぐに生涯を終え、一方匂宮は果たして将来この屋敷に住むことになるのです。紅梅や桜と言っていますが、紫の上は春を愛した人なので、これらの木を特に大事にしていたようです。
実は、先日この場面を一般の方対象の講座で読んだのです。すると、受講者の方が何人も
目頭を押さえ
たり、鼻をすすったりされているのが目に入りました。60代から70代の方が多く、まさに小さなお孫さんを持つ世代ですから、余計に感銘を受けられたのかもしれません。
紫式部という人は、1000年後の我々をも泣かせる文章を書いているのです。たいしたものだと思います。
大の大人を泣かせると言えば文楽はお手の物でしょう。どの演目が、というには及ばないと思います。
もう30年以上も前のことですが、9歳の少年が師匠に正式に弟子入りして「大きくなったら浄瑠璃の太夫になるんや」と本格的に稽古を始め、その最初舞台として師匠の個人の素浄瑠璃の会に出たことがありました。演目は
傾城阿波の鳴戸
の「十郎兵衛住家」で、師匠の「お弓」に対して「おつる」を語ったのです。私もその場にいたのですが、もう泣かせるのなんの。私の周辺にいたおばさま方がみんな泣いているのです。終わってからは化粧の落ちた(失礼!)お顔を整えながら「よかった、よかった」と師匠そっちのけでほめていらっしゃいました。
その9歳の少年太夫は、今では六代目竹本織太夫を名乗る、新時代の名人候補になっています。
↑応援よろしく!
- [2019/03/04 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(4)
- この記事のURL |
- TOP ▲
こどもと小動物(3)
こどもが登場する話も、場面によっては様々な印象を受けます。
『源氏物語』「若紫」では十歳くらいの女の子がべそをかきながら「私が飼っていた雀の子を下仕えの女児が逃がしてしまった」といって現れ、その美しさに仰天した光源氏がついにはこの子を引き取り、やがては妻にしてしまいます。
子どもの話は切なくなることもあります。
『源氏物語』「御法」巻でもう明日をも知れぬ命になった紫の上が孫として育てた今の帝の第三皇子(彼の母親は、紫の上の養女になった明石の中宮です)に遺言をする場面があります。
皇子はまだ5歳、といっても数え年ですから、満年齢なら3歳か4歳です(幼稚園の三年保育の最初の年でしょうか)。そういう幼い子だけに、重病人の周りを
無心に
走り回ったりしているのです。
臥せっている紫の上は、他の女房たちに聞かれないように、そっとこの少年に向かって言います。「もし私が死んでしまったら悲しいと思ってくれますか」。すると皇子はさすがに穏やかならざる気持ちになって、「ぼくはおとうんよりも、おかあさんよりも、おばあ様が好きなのです。だからいらっしゃらなくなったから悲しいです」と答えてべそをかきます。
紫の上はその様子を見て、かわいいとも思い、またこの子の行く末を見られないことを悲しく思って涙を流したりします。
この子は、将来どんな
親思い
の好青年になるのだろうと思うと、実は彼は成長して「匂宮」と呼ばれて大変な色好みになるのです。人というのはわからないものです(笑)。
↑応援よろしく!
- [2019/03/03 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
こどもと小動物(2)
「子どもや小動物と文楽」ということをぽつりぽつりと書いているうちに思い出しました。実は、私が書いた
創作浄瑠璃
にも、「人間と心を通わせた狸の親子」や「父を亡くした夜回りの少年」などが出てくる切ない話があります。今は河童が出てくる話を考えているところです。くだんの夜回り少年は『恋女房染分手綱』の三吉のイメージが若干あるかもしれません。
平安時代の文学にももちろん動物は出てきます。
『枕草子』に「上にさぶらふ御猫は」という段があるのですが、これは猫の話ではなく、猫を追い回したためにひどい目に遭わされる犬の話なのです。天皇のかわいがっている猫だったために、大の男たちに棒で叩かれて殺されたあげく、捨てられるのですが、やがてよく似た犬が
みすぼらしい姿
で舞い戻ってくるのです。実は生きていたのか、と清少納言らは思うのですが、おびえているため名前を呼んでも返事をしなかったりするのです。ところが今頃あの犬は何に生まれ変わっているだろう、などと噂をしていると、その犬が涙を流したので、やはりこれがその犬だったのだ、ということがわかるのです。なんともかわいそうでせつない話なのです。
もっとも、清少納言は「すさまじきもの」の段で、一番に「昼吠ゆる犬」を挙げていますので、犬なら何でもいいのかというとそうでもなかったようです。
『枕草子』にはほかにも雀の子もかわいいものとして出てきますし、名前だけなら鳥や虫はかなり出てきます。鬼の子などと言われるミノムシまで「ちちよちちよ」と鳴くと言って「いとあはれなり」と描かれます。
↑応援よろしく!
- [2019/03/02 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲