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花の成長 

いろいろな植物を植えたいのですが、何しろスペースがありません。よって、夏の花は今年もグラジオラスと朝顔です。その他はご近所を散歩して見学することで満足することにしています。
朝顔の種は5月27日に3か所に蒔き、そのあと1週間後くらいにまた一か所に蒔きました。今年は初夏らしさ、梅雨らしさが少ない気候なので、朝顔も変な感じがするのか、成長が遅いような気がしてなりません。散歩しているともう立派な花をつけているところがあり、何となく焦ってしまいます。
約4週間で

    本葉が5枚

くらい。それでもやっと蔓が伸びはじめ、こうなると一気に成長し、夜のうちにするすると大きくなっています。
グラジオラスは少しずつ時期をずらして5~6個の球根を植えました。最初は葉が伸びるばかりで、ほんとうに花は咲くのだろうかと毎年不安になります。しかし毎年咲いていますので多分今年も。・・・と思っていたら、ひとつめの花茎が現れ、まずは淡いピンクの花が咲きました。
そういえば、今年は、

    夏野菜

はまったく作っていません。これまでに、キュウリ、トマト、ミニトマト、オクラ、シソなどを植えてきました。久しぶりにピーマンなど作ってみたいと思っているのですが、今年は断念しました。
秋になったら、またニンニクを植えるか、タマネギを植えてみるかそんなことを考えています。

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何になりたい? 

幼稚園児に「大きくなったら何になりたい?」と尋ねることがあります。
園児たちも、それなりに大人の仕事を見ているので、なんとなく答えを出します。
男子に多いのは昔も今もスポーツ選手。遊んでいるように見えて、しかもそれが仕事になって、お金がもうかる、という感じなのでしょうね。もちろん、現実は厳しく、そんな選手はごくわずかなのですが、そこはまだ成長段階の空想期のことですから。
成長段階の空想期、というのは、

    ドナルド・スーパー

のキャリア発達理論で用いられることばですが、実にうまく言っていると思います。
私はその頃、なんと答えていたのか、覚えていませんが、まさか浄瑠璃作者になりたい、とは言わなかったでしょう(笑)。
学生さんに聞いてみると、やはりご多聞にもれず「ケーキ屋さん」「食べ物屋さん」「洋服屋さん」「幼稚園の先生」などの答えが出てきます。
中には変わった子がいて、「何になる?」というのを職業のことと意識せず、

    「変身できるとしたら

何になる?」という発想なのか、いろんな答えがあるそうです。
曰く「馬」「さくらんぼ」「ぶどう」「ウルトラマン」「プリキュア」「ポテト」「救急車」。
いやあ、いいですねえ。救急車になって、患者さんを乗せて必死に走る。すばらしいです。

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髪を捉へ哺を吐く 

藤原師輔の『九条殿遺誡』には人材を得るための心得についても書かれています。
中国では思想家たちが遊説することがあり、その人物が訪ねてくると歓迎して教えを乞う政治家も少なくありませんでした。今のどこやらの国の政治家のように人の話は聞かない、というのとはかなり違います。
『史記』の「魯周公世家」にこんな話があります。

周公が、魯に封ぜられることになって旅立とうとするわが子の伯禽に対して戒めて言います。「私は文王の子で武王の弟で、成王の叔父である。私もまたこの世の中では賤しい者ではない。しかし、私は、一度髪を洗うのに三度(途中で洗うのをやめて)髪をつかみ、一度飯を食うのに三度口の中のものを吐き、起ち上って士に応待した。天下の賢人を失うことを恐れるからである。お前は、魯に行ったら、身を慎んで国の権威によって人に対して驕ってはならない」。

    貴重な人材

が訪ねてくることがあるのだから、人が来たら髪を洗っているときでもその髪をつかんで会いに行き、食事中でも口に入れたものを吐きだして会いに行くというのです。それは「天下の賢人を失うことになる」からだというのです。日本ではそのように遊説している人材が訪ねてくるとは稀でしょうが、藤原師輔はこの周公の逸話をもとにして子孫に同じことを言うのです。

    凡そ在宅の間、若しくは道、若しくは俗の、来る所の客は、
    縱ひ頭を梳り、飲食するの間に在りとも、必ず早く相ひ遇ふべし。

すなわち、家にいるときは、あるいは出家者、あるいは俗人で来訪してきた客については、たとえ頭を梳っているときでも、飲食しているときでもすぐに面会しなさい、というわけです。
現代もこういう状況はあまりないでしょうが、

    タイミングを逃すな

という意味では通ずるものがありそうです。
またまた翻ってわが身を思うのですが、これもダメです(涙)。
いつもタイミングをずらしてばかりで、失敗を重ねています。
すばらしい「遺誡」を読みながら、反省ばかりしていたのでした。

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親を大切にする 

このところ、平安時代の貴族の藤原師輔という人物の書き残した「九条殿遺誡」を読んでいました。
講座のみなさんにお話しするためだったのですが、悪戦苦闘しつつもなんとか終えることができました。
いろいろ思うことがあるのですが、師輔はこんなことも言っています。
「大風とか雨、雷、地震などの災害があった場合は、まず第一に親を見舞いなさい。次に朝廷に行って自分の職責に従って災害に対する対処をしなさい」と。
よく野球選手が親が危篤でもあるいは亡くなっても、試合を第一にするという例があります。今年はシアトルの菊池選手がそうでした。現代人は

    仕事が第一

で、私生活はそのあと、という感覚が強いのかもしれませjん。
しかし平安時代の貴族はまず親が第一と言っているわけです。これはこれで一つの考え方として立派なものだと思います。
外国からきている野球選手はしばしば「奥様の出産のために帰国する」ということがあるようですが、それと一脈通ずるかもしれません。
中国でも親孝行はとても重要で、文楽『本朝廿四孝』の「勘助住家」の元になった孟宗のタケノコの話をはじめとする

    二十四孝

もありますし、それにとどまらず親を大事にすることを重んじます。
現代人が親不孝だとは言いませんが、昔は今以上に親への孝行を重んじたようです。
翻ってわが身を思うと、やはり親不孝に違いありません。
『九条殿遺誡』を読んでみて、あらためて自分のふがいなさを感じるこのごろなのです。

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学生が好きだから 

なぜかわからないのですが、私のような人間に時々学生から相談事が入ってきます。それも、学生生活の事だけでなく、きわめて個人的なことについても「どう思うか教えてほしい」と言われることがあります。
具体的なことは書けませんが、先日は「家庭内でもめていることがあって、どうしても自分は家族の一員を許せない。何か月も話もしてない。でもほんとうの自分の気持ちは自分でもわからない。どうすればいいのか悩んでいる」という意味の相談がありました。
彼女は家族への愛情がとても深いことが分かりますので、だからこそ許せないことも生じるのだろうと思います。愛情はそれを裏切られたときに時として憎しみに変わることがあります。彼女もそういう気持ちだったらしく、もやもやしたまま日々を送っているようでした。
私は、彼女からそう言われたとき、あの

    フィガロの結婚

を思い出しました。
的外れかもしれませんが、彼女にこんなことを言いました。

ダ・ポンテ(モーツアルトに台本を提供した人物)はこの作品のラストシーンで「solo amor」がすべてを解決すると言っています。つまり「すべてのもやくやを解決するのは愛だけだ!」という意味です。すばらしいセリフだと思います。が、私はこの作品を狂言風オペラに書き換える時、「愛だけ」ではなく「愛と赦しだ」としてみました。愛は裏切られることがあり、そのときに力が萎えることもあります。そんなときに愛を力づけるのは「赦し」です。もしあなたがご家族を許せたら、愛は必ず戻ります。

    人間は弱い

のです。大人だからしっかりしているなんてことはないのです。どんな人間も弱くて間違いを犯します。ただ、間違っていても反省すらしないで自分は正しいと強弁する人が多いのです。でももしあなたのご家族が過ちに気付いて反省されたのなら、それを許すのも家族の愛情だと思います。あなたくらいの年齢になったら、一人の人間として、弱い人間として家族を見ることももうできるのではないでしょうか。

他人事だけに極めて無責任なことを言ったかもしれないのですが、彼女は受け止めてくれて、そのあと話をしたそうです。そうしたらとてもほっこりした気持ちになって、自分が大人になったような気がする、と言っていました。そう。彼女は大人になったのです。まだ完全修復には時間がかかるかもしれませんが、私は楽観しています。
こういうやりとりは、口頭ではしにくいものです。しかし私は口頭ではそもそも何も彼女たちとやり取りはできません。実際は紙やメールの形でやり取りがあるのです。だからかえって彼女たちは物を言いやすいのかな、とも思います。
口頭よりははるかに時間がかかってしまうのですが、それは苦になりません。やはり私は学生が好きですから。

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人を採用するときは 

このところずっと勉強している藤原師輔の『九条殿遺誡』の中にこんな一節があります。
「凡採用之時、雖有才行、不恪勤之者、無薦挙之力、縦非殊賢、僶俛之輩、尤堪挙達之」
何しろ漢文が苦手なのでよくわからないのですが「凡(およ)そ、採用の時は、才行有りと雖(いへど)も、恪勤(かくごん)せざる者は薦挙の力無し。縦(たと)ひ殊に賢に非ずとも、僶俛(びんばん)の輩は尤(もつと)も挙達に堪ふ」とでも読むのでしょうか。
採用するときには、たとえ才能があって品行がよくても、まじめに働かない者は推薦して用いることはできない。たとえそれほど賢者ではなくても、一生懸命な人は推薦するに足るものである。そんな感じでしょうか。
大学の教員は基本的に学者としての業績の多寡によって採用されることになっています。しかし現実にはそうとは限らずに、コネがものを言うことも少なくありません。だって、何の業績もない私などがその仕事をしてきたのですから、私がまさにその証人です。私はある先生が「来ないか」と言ってくださったから採用されたのです。そして「才能も品行もよからぬ」者ですので、このうえは。

     恪勤

するほかはありません。つまり、一生懸命働くことです。しかし現実にはなかなかそうはいかなかったと忸怩たる思いを抱いています。
学生と「学歴」の話になったことがあります。すると「親が言っていた」ということで、「偏差値の高い大学を出ているのに碌な仕事をしないのが多い。そのくせそういうのが出世していく」という意見がバンバン出てくるのです。お父さんも苦労されてるんですね。中には「うちの父はインテリで医者です。しかしえらそうにするばかりで、物事が分かっていない! あんた、間違ってるよ!」と憤慨している学生もいました。
私立大学には

    天下り教員

が来ます。そういうのが一人入ってくると、次々にその後輩たちを連れてくるという悪循環になります。しかしこういうのに限って碌に授業ができない(笑)。学生が「偉い先生ほど何を言っているのかわからない」とも言いました。そういう偉い先生はもう授業のために勉強などしなくてもなんでも話ができると思っていますから、「理解しないのは学生が悪い」ということになるのです。「恪勤」する気などかけらもないのでしょう。
つまり、私にしても大先生にしても似たようなもので、あまりろくなのがいないということです。
藤原師輔の言うことはなかなか実現できないようなのです。

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草を食べて 

いつぞやの授業で学生に一番ウケたのは、もののはずみで「私は元祖草食系です」と口走ったことだったかもしれません。
どういう話題からそういう発言に至ったのか、今となってはあまりよく覚えていないのですが、次の時間まで後を引くほどネタにされました(あるいは自分でネタにしました)。
ヒトはニッチ(生態的地位)でいうと本来は肉食獣だったようですが、私はあまり肉を好みません。特に鳥と四つ足動物の肉は好んでは食べません。魚は比較的食べる方ですが、好きなのは焼き魚です。刺身はすし飯に乗せると食べますが、それだけだと好物とはいえません。
一方、野菜は大好き。生でも炒めでも煮ても。以前は

    ブロッコリー

があまり得意ではなかった(青臭さと舌触りがあまり・・・)のですが、最近は平気になりました。例外は茄子と煮た大根とロールキャベツ。おでんでも大根にはまず手を伸ばしません。
学生と焼肉に行った時など、彼女たちは食べる食べる。猛烈な勢いで肉のおかわりをしていました。しかし私は野菜専門。もやしとかピーマンとかたまねぎとか・・・。「せんせ、遠慮したらあかんで」という学生に「君がちょっと遠慮したら?」という言葉を呑み込んで「いや、これが好きなんで」と

    引きつった笑い

をしていました。
というわけで、文字通りの意味でも草食系なのですが、最近の言葉でいう草食系の要素も昔から変わりません。私を形容詞ひと言でいうと「なさけない」です。最近ほんとうにそう思います。
春休みは人としゃべらない日が続きます。学生はいませんし、私の場合、勉強は基本的に自分ひとりでするものです。先月刊行された仕事場の論文雑誌(「紀要」といっています)にはかなりの論文その他が掲載されているのですが、大半は共同研究。個人で書いているのは私を含めて数人に過ぎません。特に

    実践報告

のようなものは執筆者として5人も6人も名前が並んでいます。つまり、論文のためにほかの人が議論している時間に私は独りで文献に当たっているわけです。しゃべらなくなるわけです(笑)。
以前も書きましたが、声を出すというと通勤の車の中で口ずさむ歌くらいです。30分ほど歌い続けです(笑)。私は英語ができないのに、歌は全て英語。あまり意識していなかったのですが、それを日本語に訳してみると、なんとも

    なさけない男の歌

のようです。「この失意の心をどうやって慰めてくれるのですか。雨が降ることも陽が射すこともとめられないでしょう。どうか私の心を癒すのを助けてください。もう少し生かせてください」とか「あなたが去ったなんて信じられない。それは事実なのだと自分に言い聞かせても。今でもあなたのことを忘れていません。壁にはあなたの写真を懸けています。忘れようとしているのに、あなたは私の心の鏡です」とか。日本語で歌うときっと恥ずかしいだろうなと思うくらいです。知らないうちに自分によく似合う歌を選んでいたのでしょう。
近松作品の忠兵衛とか治兵衛などはなさけないくせに肉食系でしょうか。彼らを見ていると私よりはいい男だなと思えてなりません。

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猿の惑星 

昔、チャールトン・ヘストン主演の『猿の惑星 PLANET OF THE APES』(F.J.シャフナー監督)という映画がありました。もとはピエール・ブールのSF小説で
すが、映画としては1968年の公開でした。
宇宙飛行士のテイラー(チャールトン・ヘストン)がトラブルによって、ある惑星に不時着し、そこで猿の医師ジーラ(キム・ハンター)、考古学者のコーネリアス(ロディ・マクドール)らと出会うのです。
猿たちは人間を

    知能ない者

として軽んじていたのに、当初はけがのためにものが言えなかったテイラーが、傷が癒えて言葉を話すのに驚愕します。また、オランウータンのザイアス博士は、自分たちの文明が実は過去の人間の遺産であることを考えていながら、それがあらわになることをひどく恐れていました。
ジーラとコーネリアスは猿たちの世界では異端ともいうべき考えを持っているために裁判をうけますが、それでも彼らは自説を証明したくて、テイラーと人間の娘ノバ(リンダ・ハリスン)とともに、かつて人類の持っていた文明の証拠となる「禁断の地」に行きます。そこにザイアス博士と部下たちがやってきます。テイラーは武器を得てその場を去り、ザイアスはそれを見逃します。
ノバとともに馬に乗って海岸線を進んだテイラーは、やがてあるものを発見し、ここがかつての地球であったことを知ります。
・・・と、映画のあらすじを書くつもりなどなかったのです。
私がこの映画を観たのは最初の公開の時ではなく、ずいぶん後になってからで、テレビでも観ました。
先日ふとこの映画のことを思い出したのですが、それはなぜなのだろうか、自分でもよくわかりませんでした。しばらくして気づいたのは未来を予言するようなこの映画はまさに今、

    われわれの周りに起きている

ことと同じなのではないかと感じたことで、私は思わずぞっとしたのです。
オランウータンやチンパンジーたちは、今は人間の姿をしていますが、もともとの文明を作った者たちを恐れ、自分たちが唯一の正義であり、過去のことには徹底的に目をつぶろうとする。そういう人間が社会を支配しつつあるのではないかと思えてきました。
「多聞多見、知往知来之備也(多く聞き、多く見るは、往を知り来を知るの備へなり)」とは平安時代の藤原師輔の言葉です。「多くのことを聞き、多くのことを見るのは、過去を知り未来を知るための備えなのだ」というのです。過去を知り未来を展望するのはまさに歴史学そのものです。狭小な視野でしかものを見ず、苦言を呈する者の言葉などには耳を傾けないでいると、過去も未来も見えてこないのです。その結果、歴史や伝統に目を閉ざし、耳をふさいで、過去を知らず未来の展望も持たない者が口先だけで大きなことを言ってはいないか。まっとうな文化文明をないがしろにする、目先の金もうけに汲々とする、そんな人たちが多すぎないか。
残念ながら、私の周りにもそういう人がいて、いつのまにか力を持ち、誰もがその力を信じているようです。
この地球は、猿の惑星になっていませんか?

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運転免許 

高齢者による事故があるたびに運転免許の年齢制限の見直しが話題になります。あの、幼い女の子と若い母親が事故で亡くなったという出来事は、人の世の理不尽さを感じさせるのに十分でした。90年近く生きてきた運転者と3歳の子・・。
あの事故のあと、ツイッターを見ていたら、リツイートされたものに「政治評論家」を名乗る人(知らない人なので、どの程度の「評論家」なのかは不明)のつぶやきがありました。その方はこんなことをおっしゃっていました。「都会は70歳、田舎は75歳から運転免許は強制的に返納させるべきだ」と(お名前も忘れましたし、内容もそのままではありません。あしからず)。
コメント欄には賛同者も多くみられました。
ただ、私にはあまりにも荒っぽいものの言い方だと見えました。「都会」と「田舎」って、そんなもの分けられるわけがありません。例えば広島市は都会ですか?

    原爆ドーム

のあるあたりは「都会」です。私は広島にいたころ、あのあたりを運転するのは嫌で、用がある場合は必ず地元の人が「市電」と呼んでいる広島電鉄の路面電車を利用していました。それほど車の多い、私にとっては危険も多いところでした。しかし広島市と言っても広いので、少し町を離れると鄙びたところです。安佐北区というところがありますが、これはもう山の中というか、決して「都会」ではないと思います。私が住んでいた佐伯区も都会とは言えないところでした(もともと「五日市町」だったのを広島市に編入したのです)。
安易に「都会」と「田舎」と分けることは無理があると思います。
また、居住地(=免許を取得するところ)は「都会」でも運転は「田舎」でするということもあります。その逆もあります。
年齢も、

    今どきの70歳

は若いです。買い物や通院などで、短距離をごく普通に運転するだけなら、高齢者ゆえのリスクはさほど大きなものではないと思います。
高齢者には免許の更新時に適正テストもあるそうですから、今のところ、このくらいの年齢の方にはそれで対応すべきではないかと私は考えています。
87歳の方ともなると、これは本人及び周りの人が運転をしないようにする、させないようにする、免許は書き換えない、書き換えさせない、という気持ちを持つことも大事だろうと思いますが、では何歳からなのか、というとこれは人によって相当違ってくるように思われます。
私自身が高齢者の運転する自動車で何らかの被害を受けた経験はありませんのでそんなことがいえるのかもしれません。それでも、なんでもかんでも一律に規則を作ればいいという発想にはどうにも釈然としないでいます。

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交通事故 

もう二か月前のことになりますが、高齢の方が運転していた車が幼い女の子とその母親をはねて、気の毒なことに、お二人とも亡くなったという悲惨な事故がありました。なんでも運転者は87歳だったとかでさすがにこの年齢の方が都会の真ん中を車で走るのは危険かな、と思わないではいられませんでした。
その直後には神戸の市バスが赤信号で急発進したとか何とかでまた悲惨な事故がありました。こちらの運転手さんはプロでまだ60代の方でしたけれども。
交通事故は大きな事故も小さな事故もおそろしいです。私もいつぞや、右折しようとしたら別の車がまさにその右側にある

    横断歩道で停止

しているのに気づきました。すでに歩道は赤信号で、車道に「右折可」の矢印信号が出ているときでした。何をしているのだろう、と思って、とりあえず私も右折した(三車線の道で、私はその次の交差点で左折するためもっとも左寄りの車線を走り、停まっている車はもっとも右側の車線にいました)のですが、歩道を横切る時、自転車が倒れているのを見ました。そして停止していた車の蔭になっていたところで、運転していたと思われる高齢の方が歩道に座ったような姿勢の男性にひたすら謝っていました。やっと事態が呑み込めました。
幸い被害者の方はすぐに立ち上がり、「大丈夫、大丈夫」という合図をしていましたので大きな事故ではなかったようで、喧嘩騒ぎになっているようでもないので私はそのまま走り去ったのでした。
そして、その数日後、また同じところを右折する機会がありました。
さすがに私はいつもより

    さらに慎重に

なって歩道の状況を確認しました。歩道の青信号が点滅していて、しかも渡ろうとしている人も自転車もありませんでした。私はそろりそろりと右折し始めたのですが、もう一度念のために、と思って(左前方は安全でしたので)振り返るように右後方を見ました。すると、何とか青信号が点滅しているうちに渡ろうと思ったのか、中学生くらいの男の子が猛スピードで自転車をこいで接近してきました。まもなく歩道は赤信号になり、私はこのまま進んでも(仮に自転車が突っ込んできても)ぶつかることなく先に抜けられそうでした。しかし、後続車はなく追突される懸念も皆無でしたので、念のためにさらにスピードを落としてほぼ一時停止状態にしました。すると中学生くんはさらにスピードを上げて赤信号の歩道を突っ切っていきました。
くわばらくわばら、でありました。

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うたかた 

先日、七代目鶴澤寛治師匠の聞き書きである『うたかた』という本を読みました。寛治師匠が三味線を捧げ持つモノクロの写真が表紙です。写真家の渡邉肇さんの撮られたすてきなショットです。
まだお客さんと向き合う前、これから盆が回るという直前、太夫さんと三味線弾きさんはそれぞれのやりかたで精神統一をされます。
私も以前、呂太夫さんの本を作っているときに、一度だけその場にいさせてもらったことがあります。たった今目の前でにこやかに話していた人が、ふっと芸の神様に仕える「しもべ」のようになって床に上がろうとすると、その場の空気が一変し、それはもうとても素人の入る余地のない、神々しさまで感じさせる空間になったのでした。
何よりも寛治師匠の人間性を感じさせるこの写真を見ると、やはり

    プロのカメラマン

の仕事は大したものだと思います。
著者は中野順哉さんという方で、失礼ながら存じ上げませんでした。プロフィルを拝見すると文化的な行事のプロデュースをされている方のようです。関西学院大学出版会から刊行されているのは、あるいはこの方がこの大学のご出身で、かつては講義もなさったというご縁がおありなのではないかと拝察しています(違っていたらお詫びしなければなりません)。
かつて同じような仕事をさせていただいた私としましては、ああ、このようにすればよかったな、と反省させられる点も多く、良き勉強になりました。
六代目寛治師匠のことはあまり知りませんでしたので、それについてご子息の目からご覧になったことが書かれているのがまずありがたいことでした。
もうお一人、寛治師匠の義兄に当たる四代目

    竹本津太夫

竹本津太夫師匠のこともいろいろ書かれています。特に、戦後、文楽の復興のために津太夫師匠が奔走された様子など、寛治師匠はよほど感銘を受けられたのでしょう。
ほかにも、彦六系の三味線の話、竹澤の名前、太夫と三味線の未来への苦言などが書かれています。さらに、過去の太夫で印象に残った人として三代目津太夫、二代目古靭太夫、五代目錣太夫の名前を挙げて回想していらっしゃいます。
聞き書きの場合、文体を語り口調にして「ですます調」にすることが多いのですが、執筆者の方はその方法を選ばれませんでした。そのために寛治師匠の強い思いが素朴なまでに前面に出るような印象を持ちました。
聞き書きはただ聞いたことを書けばいいのではなく、筆者が腑に落ちたこと、感銘を受けたことをうまくまとめることが必要だと思います。いわば執筆者は編集者の役割も兼ねていると言えるでしょう。この本の執筆者の方は寛治師匠に心酔されていたようですから、どこを取り上げるかは悩まれるくらいだったかもしれません。
あえて気になることを書きますと、ときどき意味がぼんやりしたところがあるのです。執筆者ご本人は納得されているのでしょうが、今ひとつこちらに伝わってこないところが。これはむしろ編集者の問題なのですが、どうも出版社の感じからいうと、文楽に詳しい編集者は付かなかったのかな、とも感じました。
それはともかく、とても楽しく拝読いたしました。

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休みます 

5月は仕事場にいる時間が週に60〜65時間でした。ひどい時は70時間を超えました。まだ外を飛び回っている方が気分は楽かな、と思うのですが、そうもできず、さすがにくたびれます。
6月になったら、梅雨だし、暑くなるし、あまり行かないようにしようと考えを変えました。
行かないなら行かないなりに

    仕事のしかた

を変えねばなりませんが、まあ、何とかなりそうです。
木曜日は休んでいい日なので、できるだけ家にいます。ただ、朝はどうしても早く起きてしまいますので、二度寝を励行します。
水曜日にいろいろプリントアウトして、木曜日は家で調べてはそれに書き込む。金曜日にはまた仕事場でパソコンに入れる。二度手間のようですが、

    ペンで文字を書くこと

を忘れないためにもいいかも。それに手間をかけることで駄文をしっかりチェックすることもできます。
気分転換には植物の世話をすることもできますし、買い物もできます。

ところで、梅雨前線は来ないのでしょうか?

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容疑者 

一昨日、大阪府吹田市の交番に刃物を持った男が侵入し、警察官に切りつけ、拳銃を奪うという事件がありました。
この時期の午前5時過ぎということですから、もう外は明るくなっていたでしょう。私はいつも活動を始めている時間帯です。
警察は迅速に動いて容疑者は翌日の早朝に逮捕されましたが、なんとも悲惨な事件でした。
逮捕された早朝、私はまさに容疑者が乗っていた阪急電鉄の電車を使ったのです。そして、関大前駅に着いたときは、つい公衆電話を探してしまいました。容疑者が犯罪の下準備に使ったといわれる電話です。たしかにありました。彼はあそこにいたのか・・・。犯行のあったのは関大前駅の隣の千里山駅そばの交番。この駅に着いたときは被害にあった警官のことがあまりにも気の毒でになりました。容疑者はそのあと着替えを買うために、また北千里駅まで電車に乗ったのでしょうか。

    憎むべきは罪

で、その犯行に関してはあまりにもひどいものでしたが、その罪はどのようにして表に出たのか、やはりそれは気になります。
容疑者の心の中はわかりませんが、単に「狂っている」とか「異常」だとか、そんな言葉で片づけたくない思いを持っています。
異常な人間というのがいて、つまり一般人とは異なる人種がいて、それが罪を犯すのであって、一般人はそういう危険性はないのだ、などというのはどう考えてもおかしいのです。私もまた、いつそういう心境になるかわからない、という

    不安

を持たないわけではありません。
昨日まで普通であったはずの人が突然とんでもないことをする、なんて、珍しいことではないはずです。
興味本位ではなく、自分の心を照らし合わせるためにも、この容疑者の心の動きに関心があります。

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顔じゃない 

『源氏物語』に末摘花という女性が出てきます。
彼女は常陸宮のお嬢さんなのですが、父宮はすでに亡くなっていて、頼る人もなく侘しい生活を送っています。
十八歳の光源氏は前年に夕顔という魅力的な女性と死別して、またあのような人に出会えないものかと思っていた頃でしたので、噂を聞いて訪ねて行きます。
琴がうまいらしいのですが、
引っ込み思案で張り合いのない人です。あまり熱心になれないものの、共寝をするようになって、光源氏は彼女がどんな顔をしているのか見たいと思います。雪が積もった朝、雪明かりでその顔を見ようとして彼女を端近くに(簀子=縁側に)誘います。そして雪に照らされた姿は・・。
座高が高く、顔が大きく、痩せていて、何よりも奇妙なのがその鼻。長くて先が垂れたようになっていて、

    普賢菩薩の乗り物

のようでした。普賢菩薩は象に乗っているのです。光源氏は愕然としてしまいます。そして、何でこの赤鼻の女性と馴染んでしまったのだろう、という歌まで詠んでいます。
この場面を読むと、学生は光源氏に対して「やっぱり顔で選ぶの?」と不満げです。

平安時代に紀長谷雄という人がいました。この人の詩に「貧女吟」(『本朝文粋』所収)があります。
とても見目麗しい富裕な家の深窓の令嬢が、ある男と結婚するのですが、この男ときたら酒に博打にうつつを抜かして財産を食いつぶしてしまいます。やがて彼女の親が亡くなり、夫も離れて行き、彼女は侘しい晩年を送ることになるのです。紀長谷雄はこう言います。
「世のお嬢様がた、夫を選ぶときは

    心を見なさい。

ぱっと見だけで選んじゃダメですよ。また、娘を持つご両親も、この言葉を肝に銘じなさいよ」。
なるほど長谷雄のいうとおりです。正論です。そしてこれは世の女性のみならず、男性向けの金言でもあろうかと思います。しかし、こういうことを長谷雄が言わねばならないということは、いかにぱっと見だけで選ぶ人が多かったか、という現実の裏返しだとも言えそうです。
たかが皮一枚のことなのに、それだけで人を見てしまう恋人たち。『源氏物語』は人間の弱さをあますところなく描きます。

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美人の条件(2) 

では髪が長ければ美人だったのかというとそうでもなく、先述の末摘花という人は、髪はとても長くて美しいのです。彼女の抜けたけを集めて「かもじ」にすると立派なものになったのだそうです。ヘアドネーションにはうってつけの髪だったのでしょうね。しかし、色好みの光源氏は、彼女の髪に触れるだけで満足しておけばよかったのですが、雪明りの日に「少しこちらに出ていらっしゃい」と簀子(縁側)のほうに出てくるように呼びかけ、彼女が少しにじり出てきたときに雪に照らされたその顔を見てしまって愕然とするのです。
『今昔物語集』にはこんな話もあります。茨田重方(まんだのしげかた)という女好きの男が、初午(はつうま)の日に同僚と一緒に

    稲荷社

に参詣して中の社まで来たときに(この日はナンパ公認の日でした)なまめかしい感じの上品そうな女性がいたので早速声をかけると、彼女もさほど嫌がらないので「うちの嫁さんときたら猿みたいな顔で、どうしようもないのです。あんな女とは別れるのであなたと一緒になりたい」と言ったら思いきりバシッと叩かれます。実はこの女は重方の妻で、夫が浮気者と言われているのが信じられないので、ほんとうにそんな軽い男なのかを試してみたのでした。「この姿や声で私だとわからないなんて!」と言った彼女は、「どこへでも行っておしまい! 私のところに戻ってきたらあんたの足なんてへし折ってやる!」と大変な剣幕で猛攻撃するのです。いくら何でも明るいところで顔を見ればわかりそうですから、顔だけは隠していたのでしょう。それでも上品そうな雰囲気だけで声をかけたのですから、どこまで顔だけを問題にしていたのか、という疑問も湧きます。さて、彼女が正体を現して「猿みたいな顔」を見せた時、重方はどんな顔をしたのでしょうか。
さて、

    美人の条件

なのですが、あごがふっくらしている(細くとがっていない)とか、髪の下がり端(さがりは。肩のあたりで切った髪の下がった端の部分)が美しいのがいいとか、腫れぼったい目はあまりよくなくて切れ長の方がよかったとか、色は白くて肌はきめ細やかなのがいいとか、細すぎてはいけなくて、むしろぼっちゃりした方がいいとか、そういうのは何となくわかるのですが、こう並べてみても私などはあまり明確なイメージが湧きません。室内のあまり明るくない時代で、しかも貴族の女性は多くの場合室内にいますから、物腰とか教養とか、そういうことも条件なのだろうな、と思います。

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美人の条件(1) 

学生に『源氏物語絵巻』などを見せますと、「昔の人の顔は目が細くて切れ長で、おでこが広くておちょぼ口で・・・。みんなあんな顔だったのですか?」と言います。「もちろんそんなことがあるはずはなく、今でも少女漫画などでは顔の半分くらいありそうな目とか穴のないとがった鼻とかけっこうワンパターンじゃないですか」と答えるようにしています。しかし彼女たちは引き下がりません。「では、どういう顔が美人とされたのですか?」とたたみかけて来ます。
以前もこのブログで書いたように思うのですが、

    『新猿楽記』

という奇書ともいうべき本の中に不美人の描写があります。右衛門尉なる人物の十三女について、これでもかというほどひどい描写でその醜女(しこめ)ぶりを描写するのです。いや、彼女は醜いだけでなく性格も頑固で宮仕えなどできそうにないのですけれども・・・。
さて、その風貌は、髪はバラバラ、、額は狭い、歯が出ていて、顎が長くて、頬が高く、鼻は曲がっていて、鳩胸で、蛙のような腹で、首は短く、足も手のひらも巨大で・・・。これ以上書くとこのブログが炎上するんじゃないかと思うくらいです。でもこれ、私が言っているのではありませんからね(笑)。
一方、右衛門尉の十二女はこの上ない美人で、数多くの男から求愛されています。この女性については、「翡翠のかんざしが髪によく似合って、あでやかな化粧の様子は落ち着いた感じだ。蓮の花のようなまぶたをくるりとめぐらしてひとたび微笑むと、かぎりなく愛敬にあふれて・・・」とあって、化粧がどうのこうのとかにっこり笑うとかいうことばかりで、顔のパーツについてはあまり具体的な描写はありません。
『源氏物語』で不美人というと、

    末摘花

という人ですが、この人も、座高が高くて、顔色は青白く、額は出っ張り、痩せていて、極めつけは鼻が長くてその先が赤く、まるで「普賢菩薩(ふげんぼさつ)の乗り物」のようだ、とまで言われます。普賢菩薩はいつも象に乗っていますから、鼻がそれほどに長いと言っているわけです。
その一方、美女たちについては「きよら」とか「をかし」とか、漠然と言われることが多いのです。よく言われるのは髪の長さ、美しさで、平安時代の藤原芳子(宣耀殿女御)という人はあまりにも髪が長くて、からだは牛車に乗っているのに、青の髪の毛の先はまだ建物の母屋の柱のところにあった、とまで言われます(『大鏡』)。・・・以下明日に続く。

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衣冠より始めて 

このところ、講座で読み続けている『九条殿遺誡』は、戒めの言葉が多く載っていますので、生き方の参考になることが多いのです。私のように常識や理性に乏しい者にとっては耳の痛いこともいろいろ書かれています。
しかし、九条殿こと藤原師輔がこういうことを言い残さねばならなかったということは、当時の人々もあまり守れていないことだからこそではないでしょうか。誰もが守る簡単なことならわざわざ書き残すことはありません。歩くときは片足ずつ前に出しなさいとか、まばたきは必ずしなさいとか、そんなことは書いていません。「ついついやってしまう」という過誤に対して訓ずるものなのです。師輔は「始自衣冠及于車馬、随有用之(衣冠より始めて車馬に及ぶまで有るに随ひて用ゐよ)」と言っています。当時の正式な装束の衣冠をはじめとして、牛車や馬に至るまで、

    あるものを使いなさい

というのです。つまりむやみに美麗であることにこだわって贅沢をするなということです。
「過差」ということばがあります。「過」は文字通り「過ぎること、超えること」で「差」は「等級」「階級」などの「しな」です。すなわち「過差」とは「分不相応であること」「分不相応なぜいたく」を意味します。
とかく人は新しいものを欲し、古くなったものは

    邪魔もの扱い

をします。当時は原則的にアクセサリーを着けませんので、装束を派手にしたり、立派な車や馬、牛などを使って他人と競うようになったのです。男性貴族は、身分によって限度はあるものの、下襲(したがさね)の裾(きよ)という平たいシッポのようなものを長々と後ろに伸ばす装束を好み、またそれを派手な文様で作って美をアピールしたのです。女性たちの装束も季節に合わせた色とりどりのものを身に着けて、織物などかなり派手になりました。それを戒める法令まで繰り返し出るのですが、当の貴族が守らないのですからどうしようもありません。師輔の子である伊尹という人は「過差ことのほかに好ませたまひて」(『大鏡』「伊尹」)という人だったらしく、そのためか、伊尹が天寿を全うできなかったのは「九条殿の御遺言をたがへさせおはしましつるけとぞ人申しける(父上の九条殿のご遺言を守られなかったためだと人は噂したのであった)」(『大鏡』「伊尹」)」とも言われています。
私は、新しいものを手に入れる余裕がありませんので、パソコンは中古(しかも自腹では買っていない)ですし、かばんも骨董品、本は自前のものは少ないですし、今は車も持っていませんし、靴もボロボロになるまで履き続けて、仕事場では安物のスリッパを用意して靴の減りを最低限にしています(笑)。
学生からは「どうしてトイレスリッパを履いているのですか?」と言われます。
藤原師輔に褒めてもらえるかもしれません。いや、案外「そこまでしろとはいっていないぞ」と叱られるかも(笑)。

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口をして鼻の如く 

沈黙は金と言います。黙っていれば波風は立たない。余計なことを言わずにじっとしている方が何かと安全かもしれません。
行基(668~749)という僧は臨終に際して、弟子たちに言い残したそうです。
『行基菩薩伝』や『行基年譜』にも見えるのですが、分かりやすいので『十訓抄』から引用します。「口の虎は身を害す。舌の剣は命を絶つ。口をして鼻のごとくにすれば、後、あやまつことなし」。虎が吼えるように物を言うとわが身を害する。舌鋒鋭くするとわが命を絶つことになるだから、口を鼻のようにしておけば(呼吸をするだけで物を言わなければ)後々間違いを起こさずに済む。それくらいの意味でしょうか。
この言葉は行基の言い始めたものではなく、古くは古代中国、唐の時代の類書である

    『芸文類聚』(624年)

に「使口如鼻、至老不失(口をして鼻の如くにすれば、老に至るまで失せず)」があります。
本朝に戻ると、行基以降、平安時代の貴族も、たとえば藤原師輔(908~960)は、よからぬ人間とは交わらず、そういう者と同座してしまったときは黙っていろと言ったうえで、「古人曰、使口如鼻、此之謂也(古人曰く、口をして鼻の如くあらしめよ、と。これの謂なり)」(『九条殿遺誡』)と言い残しています。また、藤原実資(957~1046)もその日記の中で「使口如鼻、可無事也(口をして鼻の如くにすれば、事なかるべきなり)」(『小右記』寛仁二年五月四日条)と言っています。彼らは『芸文類聚』あたりからこの言葉を知ったのでしょうか。
それにしても、みんなで寄ってたかって(笑)「よけいなことは言わずに黙っていろ」というのですが、もちろんこれは物を言う場と相手を選べということでしょう。話をするに足りない者とは話すな、ここは黙っていた方がいいと思う場合は沈黙せよ、ということでしょう。年がら年中牙をむいて吼えたてていたのでは信用されなくなるだけだということだと思います。
言い換えると

    ものを言うべき時

ははっきり言わねばならない。これを忘れてはならないと思います。タリバンの圧力に立ち向かうようにしてマララ・ユスフザイさんは声を挙げました。ISの暴力に対してナーディーア・ムラードさんは黙しませんでした。
この夏、私はまた権力者に対して強く物を言ってきます。場合によっては虎が吼えるように。

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一番関心を持たれる授業 

私は平安時代の事を勉強してきましたので、授業をする場合、比較的自信のあるのはやはりその分野です。しかし昔の話を文学や歴史に関心の薄い学生に話すのはなかなか難しいのです。なまじ自分の専門だけに話が難しくなってしまうというか、細かいところに込み入ってしまうということもあるのかもしれません。
出はいくらかでも学生が関心を持ってくれるものは、というと、「文化を守る」というテーマで毎年のように話してきたレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を取り上げる時間が一番ではないかと感じます。
あの絵は世界文化遺産の「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ修道院」の食堂にある壁画だそうで、これまでにさまざまな危機に遭ってきたのです。私は実物を見たことがありませんので、本による知識の受け売りに過ぎないのですが、その話をすると彼女たちの

    くいつき

が違ってきます。そもそもレオナルドがテンペラで壁画を描いたというのが危機の第一歩ですし、その以後も修復という名のもとに原画が損なわれてきた歴史もありましたし、ナポレオン軍によるいたずら、教会地震による破壊的行為、第二次大戦の空爆などを乗り越えて今に至ります。
その価値を知ること、政治家の無知による横暴には立ち向かうこと、戦争という狂気(凶器でもある)を起こさないこと、などなどいろいろと考えることがありそうなのです。あの絵をなくすのはいとも簡単です。壁画ですから、建物を壊してしまえば

    瓦礫

となります。第二次大戦の空爆はその危機に瀕したきわどいものでした。火事も恐ろしいです。一つの絵に潜む芸術的な問題、文化保護の問題などを話すと、とてもよく聞いてくれるのは心強いです。私が、日本文化の授業でありながら、あえてこの絵の話をするのはまんざら意味のないことではないと自分では思っています。

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足の親指 

手の指はそれぞれによく活躍してくれています。私の場合はパソコンのキーボードを叩くときにもっともよく働いてくれているように感じます。
しかし、足の指はあまり指としての意識は持たないことが多いのです。そもそも足の指にも手の指と同じ名前を付けていいのでしょうか。一番気になるのは親指の隣の指です。手の場合は「人差し指」でいいのですが、足の指も同じなのでしょうか。でもあの指で人を指すことはめったにないと思うのですが。
足指は名前からして手指に準ずるものという程度で、あまり意識されていないのだろうと思います。
しかしやはり一番大きな

    親指

が独特の動きをする事だけは確かです。ほかの四つの指とは違った働きがあるように感じます。
先日その親指の付け根にちょっとした痛みを感じたのです。親指の付け根?
これ、ひょっとして、

    痛風?

とびっくりしました。痛風っていうのはなんとなく肉ばかり食べているような、贅沢病の印象を持っていたからです。だって、私はどちらかというとベジタリアンですから。焼肉で一番好きなのはタマネギ、という不思議な人間なのです。
とにかくしばらく様子を見ようと思っていたら、10分もしないうちに痛みが消えました。そしてその後も何ら痛みはありません。
要するに何かにぶつけて痛みを感じたってことじゃないの?
というわけで、やはり贅沢病には縁がないようなのです(笑)。

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時の記念日 

天智天皇の十年(西暦671年)四月二十五日はグレゴリオ暦では6月10日に当たるそうです。
『日本書紀』によると、この日に本邦初の水時計(漏刻)が時を打ったので、それを記念して大正九年(1920)にこの日を時の記念日と定めたのだそうです。
今でも滋賀県大津市の

    近江神宮

には漏刻の模型があります。
近江神宮は1940年に創祀された新しい神社で、天智天皇を祭神としており、毎年6月10日には漏刻祭がおこなわれています。
平安時代の話をしていると、学生から「時計はありましたか?」という質問が出て来ます。
やはりみんなで時間を守ろうというわけで、漏刻を管理して時を定める

    漏刻博士

がいました。
今ほどきっちりはしていないでしょうが、貴族たちも時間を気にして生活するようになり、彼らの日記には辰の刻に何があったとか、申の刻に何が起こったなどということがしばしば記されています。
しかし、庶民は時計を持ちませんし、時計よりもお天道様のありかの方がより明確に今何をすべきかを教えてくれたのではないでしょうか。
私は目覚まし時計が役に立たないのですが、毎朝5時に目が覚めます。5分と狂うことはないくらいで、自分でもなぜこんなにきっちり起きられるのかわからないくらいです。いわゆる体内時計なのでしょうが、それのおかげでいつも同じ6時5分発の電車に乗って仕事に行けるのです。
今日も時間を大事にして頑張ります。

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6月に祝日を 

5月の大型連休は五月病の温床になっていまいか、と思うことがあります。
海外旅行に行く方などは長い方がいいのかもしれませんが、国内旅行もままならぬ身としては長すぎて困るだけです。
私に言わせれば、3日から5日までを連休にすればいいくらいです。4月29日の昭和の日とやらはまるで意味がないので、早々に廃止すべきだと考えています。平成初期の生まれが三十代になる今、昭和に想いを致すなんて、昭和生まれのノスタルジーみたいなものです。昭和生まれの人が大正時代に想いを致せと言われても、無理でしょう。
学生は「なぜ「昭和の日」があるのに

    平成の日

はないのですか?」と言います。「それは、政治家の大半が昭和生まれだからでしょう」と言ったら妙に納得していました。
昨年までは、12月は22日までが授業だったのですが、今年は天皇誕生日がないので25日までらしく、学生は怒っていました。
私はむしろ、6月に2、3日の

    分散した祝日

が欲しいです。梅雨の鬱陶しい時期に息つく暇もなく仕事するのは結構キツイです。学生に話したら、賛同者が多かったですよ。
大学では海の日は授業、山の日、敬老の日、秋分の日は夏休み中、体育の日は授業ということが多いですから、5月の大型連休の次の祝日は、下手をすると文化の日なのです。
まだ6月の上旬ですが、私は早くもくたびれています。

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今年も夏の花 

やや小ぶりでしたが、初めての経験ですから合格点のニンニクを収穫しました。真っ白できれいなものです。
私にまめに世話をする時間的、精神的余裕がないので、夏野菜は作りませんが、花を少し植えています。

    グラジオラス

は、しっかりした球根はもちろん、木子も植えたところすべて芽が出て来ました。剣のような葉がたくましいです。
まだ花茎は出ていませんが、楽しみです。時期をずらして植えましたので、花が次々に咲くかな、と期待しています。
朝顔も種を蒔きました。昨年採った種ですから、当然発芽処理などしておらず、発芽まで

    1週間あまり

かかりました。5月27日に蒔きましたのでまだまだ双葉です。
夜は真っ暗にしてやりたいので、早寝早起きの私の部屋の窓辺に置いておき、すでにネットも付けました。
今年もきれいな花を期待しています。

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光源氏の最期 

『源氏物語』の男性の主人公は光源氏です。光るように美しい源の姓を持つ人。この姓は王族出身の者が名乗り、血筋のよい臣下として一時は大臣になるものも少なくなかったのです。しかし『源氏物語』の時代では藤原氏が力を持ち、源氏はその陰に隠れるような存在になってしまいます。もっとも、家柄の良さは失われませんから、たとえば藤原道長は自分の二人の妻を源氏から選んでいます。
さて、光源氏は「幻」巻という、五十二歳の年末を以て物語から姿を消します。私は長らく一般の方々とこの物語を読んできたのですが、ついにその「幻」巻を読み終えることになりました。もうこれで光源氏は過去の人になってしまいます。「幻」巻のあと、光源氏は隠棲してしまったらしいのですが、その間のことは細かく描かれることはなく、また彼の最期はまったく闇の中です。「幻」巻のあとに

    「雲隠」巻

というのがあって、ここに光源氏の最期が描かれていたのだともいわれますが、紫式部はおそらくそういうものは書かなかったと思います。
それにしても受講者のみなさんは本当によくお付き合いくださっています。読み始めたのは「若菜上」巻というところで、光源氏は三十九歳。私がメインのテキストに使っている小学館の日本古典文学全集ではこの「若菜上」から「幻」までが一冊になっていますので、これを丸ごと読んだことになるのです。
さすがに本はかなり

    くたびれて

きました。
製本は堅牢ですのでまだ無事ではあるのですが、色あせて、付録の月報は破れてしまいました。長い間勉強させてもらって、本当にありがたいことでした。一冊の本をこんなに丁寧に読むことはなかなかないもので、とりあえずいったんはお役御免ということで書架に戻すことにします。でもまた気になるところがあったら使わせてもらおうと思っています。次はそのシリーズの第5冊目になります。これを読み終えるまでこの講座は続くものでしょうか・・・。

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カラスは賢い 

文楽にもなった「瓜子姫とあまんじゃく」にはカラスが出てきます。なかなか賢い鳥として登場します。
カラスは、中国では孝行な鳥として詩に詠まれ、日本の神話では神武天皇を導いたという八咫烏もいます。かなり知恵のある鳥と見られていたのでしょう。
その一方、あの姿は何とも不気味な感じもします。清少納言は「見入れ、聞き入れなどする人世になしかし」と言っています。しかし彼女も秋の夕暮れにねぐらに急ぐダンプカー、じゃなくて、ねぐらに急ぐカラスについては

    「あはれ」

と感じてもいます。
カラスは確かに賢いです。どうやら人間の男女を見分けて、襲い掛かるようで、私はこれまで一度として被害に遭ったことはありませんが、女性はよく襲われるようです。
学生もよくカラスに襲われるようで、先日こんなことを言っていました。
「自転車に乗っていたら後ろから飛んできたカラスに頭をわしづかみにされた」
カラスなのに鷲づかみとはこれいかに、なんてのんきなことを言っている場合ではないくらい怖かったようです。
「カラスの鳴きまねをしていたらカラスが次々に降りてきて囲まれて怖かった」
鳴きまね、うますぎでしょ。・・・っていうか、なんで鳴きまねなんかしていたの?
その他、

    レジ袋や紙袋

を持って行かれたという話はしばしば聞いています。
私は、直接襲われたわけではありませんが、被害を受けたことはあります。
以前、ごみを捨てに行ったら、カラスが電線にとまってこちらを見ていました。もちろんゴミにはネットを掛けて防御したのですが、私がある程度ゴミから離れたところで降りてきたかと思うと、必死に嘴でネットをはがそうとしていました。私が近づこうとするとサッと逃げましたのであきらめたかなと思って家に入り、まもなくもう一度出勤するために家を出るとゴミ捨て場がひっくり返されていました。どうやってあのネットをはがしたのかと不思議でした。おかげで私はまた家に戻ってほうきなどを持ってゴミ捨て場に行く羽目になったのです。

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中高年の引きこもり 

最近何とも悲惨な事件が起こりました。まったく突然に朝の通学の子どもや家族を襲った通り魔無差別殺人、自らの息子を殺害した高齢の男性。いずれも中高年男性が加害者または被害者になったものでした。そしてその両者ともにいわゆる「ひきこもり」だったと言われています。事情はよく分かりませんが、無差別に人を殺すというのはあまりにもひどい話で、被害者の無念さやご遺族の気持ちは推し量ることすらできないくらいです。そしてその「ひきこもり」の当人の気持ちもまたなかなか奥が深くて容易には想像できません。また40代のわが子が引きこもりがちになって、社会に悪影響を及ぼすと考えたらしい高齢の父親の気持ちも私などには思いも及びません。
ただ、こういう話があると、つい

    わが身を反省

してしまいます。
私も考えてみれば引きこもりがちで、最近は仕事場でも授業以外ではほとんど誰とも話をすることはなく、部屋にいるときはむしろ他人を拒絶するような態度を示してしまいます。
仕事場では同僚との

    交流がありません

ので、誰にも会いたくない、という気持ちが積み重なって次第に人と会いたくなくなってきたのだと思います。
下手をするとほんとうの引きこもりになるなぁ、と思わないではありません。
反省して、もっと明るく生きていきたいとつくづく感じます。

旧暦がわからない 

昔の時代に興味のある人なら、旧暦のことなど苦も無く理解してくださいますが、学生に説明するのはかなり苦労します。
なんといっても、高校時代古典は嫌いな科目という学生が大半で、「おもしろくない」「こんなことを学んでも意味がない」と思っている人が多いのですから、昔のことなど興味がありません。旧暦について話す場合も、「昔の暦は大雑把に言うと一か月かもう少し今とずれていますので、一月からが春でした」とでも言おうものなら、「どうしてあんなに寒い時期に貼ると感じたのでしょうか」などと言われます。「だから、ずれているって言ったでしょ」などと目をむいていてはこの仕事は務まりません。
もう一度丁寧に例えば「昔の暦では今日(2019年6月4日)は

    五月二日

だったのです」と説明します。すると、どうして昔はそんな面倒なことをしたのですか、と来ます。「いや、面倒なことをしたのは近代の人で、西洋に合わせたから昔と変わってしまったのです。五月五日は梅雨に入ったころの節句でした」と話すと「平安時代の人は梅雨なのにこいのぼりを上げたのですか」。「平安時代にはこいのぼりはありません。七夕の笹飾りもありません。三月三日のひな人形もありません」。「そんなのつまらないですね」。「いや、それは今の目で見るからそうなのであって、昔の人は年中行事がたくさんありすぎるくらいだったのです」・・・・。
とまあ、話がここまですれ違うと

    快感を覚える(笑)

くらいです。
なにしろ「昔はつまらなくて今は楽しい、昔は生きにくくて今は生きやすい」と思い込んでいますので、話をするのもたいへんです。
昔はスマホをいじらなくてもよかった、昔は電車などに乗らなくてもよかった、そんな風に考えてみることも面白いのではないかと思うのですが、「スマホがないと連絡できない。例えば九州の友達とはどうやって連絡したのですか」「九州にはふつう友達はいません。貴族でそういう人がいる場合は手紙を送るのです。いつつくかわからない手紙、そしていつ返事が来るかもわからない」そういう気持ちもいいものです」「よくないです」・・・。あ、そうですか。
それでも私は懲りずに「今日は旧暦でいうと」「今日の月はまだ小さいです。それは二日だからです」などと話を続けるのであります。

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早朝の電車 

このところ、朝6時過ぎの電車に乗っています。6時5分だったり15分だったり。
寄り道もするわけがありませんから、仕事場につくのはほぼ同じ時刻。なんだかまじめなサラリーマンになったような気がします。
でも、本当にまじめなサラリーマンは、こういうのを何十年も続けるのでしょうね。
私の高校時代の先生に、毎日同じ電車で帰る人がいました。それも、3時〇〇分。つまり6時間目の授業が終わるのが3時ころでしたから、それから荷物をまとめたらすぐに帰るのだそうです。口の悪い体育の先生が、「おれは

    あんな人生

は送りたくはない」と言っていましたが、ご本人はあれで幸せなのでしょうから、それはそれでいいじゃないの、と思っていました。8時半に来て15時には帰るなんて、なかなかいい仕事です(笑)。
ご自宅がどこかは知りませんが、せいぜい1時間くらいで着くでしょうから、4時ころにはご自宅でゆったりされていたのでしょう。それからの長い時間をどのように過ごされたのでしょう。
早朝の電車はで気づくのは、

    同じ顔ぶれ

が乗っていることです。しかも座る席までたいてい一緒! 空いていますので、よくわかります。私はあまり席は決めないのですが、皆さんそのほうが居心地がいいのかもしれません。
往復の電車ではひたすら仕事をしています。だから立っていてはできず、往路は特に座りっぱなしです(復路は乗換駅などで必ず混雑しますので立つことも多く、あまりはかどりません)。
こういう生活がどれくらい続くかわかりませんが、電車は好きですし、時間をかなり有意義に使えますので、体力のある限り続けたいとは思っています。

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ドライブ 

車の運転はあまり得意ではありません。免許を取った時も、学科は得意だったのですが、肝心の運転は不器用で注意されてばかりでした。卒業検定の坂道発進のときに至っては、何が何でもエンストするものか、と思って、ぐっとアクセルを踏んだのですが、急発進気味になって、あとで指導員さんに「もうちょっと優しい運転をしてくださいよ」と言われたものでした。
それでも、特に事故もなく今に至るのですが、だからといって休日に

    あてもなく

ドライブするなどというしゃれたことはほとんど経験がありません。根が貧乏性ですので、でかけるときはたいてい徒歩(笑)。片道30分の範囲であれば電車に乗ることもありません。
二酸化炭素を排出するのもよくないですし、ガソリンも無駄遣いになりますし、車は必要以上には使わないのがいいかなと思ってきました。
特に最近は

    高齢者

による事故も多いとされ、「高齢者」ではないものの、下手なのですからいいかげん私もやめた方がいいのではないかと思うようにもなっています。
一方、電車ではいけないところもあります。たとえば私の家の墓は車でないと行きにくいのです。山道を数時間歩けば行けるかもしれませんが(笑)。
その他、大きな買い物をする場合などはやはり荷物を積み込む必要もあります。奈良の幼稚園に行くときなどは圧倒的に車が便利です。
悩ましいところです。

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余暇 

学生から「先生は余暇があったら何をしたいですか?」と訊かれました。そういえば、ゴールデンウィーク以降、まったく余暇というものがありません。平日はほとんど仕事場で13時間過ごして、帰ったら寝るだけ。日曜は休まないととてもからだが持たない昨今です。そうこうしているうちに、奈良国立博物館でおこなわれている「藤田美術館展」には行けないまま終わりそうです。映画ももう長らく観ていませんし、フェルメール以後は美術館にもご無沙汰しています。
余暇とお金が(笑)あったら、やはり

    電車に乗って

どこかの美術館に出かけて、あたりを散歩して、どこかでちょっとしたものを食べて、と思うのですが、なかなかそうもいかないのです。
映画は、以前は洋画をよく観たのですが、今はこれといって食指の動くものもなく、またあまり映画の情報を得ているわけでもないのです。テニスなんて、もうほんとうに長らくしていません。今は呼吸が苦しいことが多いので、とても激しい運動はできません。
音楽会、落語会、能、歌舞伎などに行った日々もありましたが、今はもう夢のようなものです。釣りをする趣味はありませんし、パチンコも競馬も知りません。
今は近所を散歩するのが関の山で、これならお金はかかりません(笑)し、時間もその日の都合に合わせることができます。しかしいつも同じところを歩くだけというのもつまらないものです。
プランターに水をやるというのもいいのですが、それだけだと

    東京物語

のラストシーン近くの笠智衆さんみたいで、いささか寂しいです。
図書館で借りた本を読んだり、このブログの記事を書いたり、というのは好きなことですが、余暇を有意義に過ごすというテーマからはちょっと外れそうな気もします。
余暇をどう過ごそうか考えるだけで余暇がつぶれそうでもあります。
何か楽しいことがしたいなぁ、と思いながらこの記事を書いています。

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