fc2ブログ

五十年まえ 

大作もいいのですが、山本周五郎の中短編も好きです。昨日書いた「つゆのひぬま」は暴風雨に洗い流されたかのようなおひろのこころが、美しい星空とひとつになるようです。

    将監さまの細みち

は、やはり岡場所の女が主人公です。病気の夫と子どもを抱えたおひろは料理屋で働いていると偽って赤坂田町の岡場所づとめをしています。
おひろには幼いときに想いを寄せた常吉という人がいますが、その常吉が「天神様の細道じゃ」を、自分たちの家が松平将監という屋敷の近くだったので「将監さまの細みち」と歌おうと言ったのです。
おひろは夫に岡場所づとめを知られ、殴られます。もうこの人と一緒にはいられない、と思います。そんなとき、店に常吉が現れて・・。
彼女は口ぐせのように

    五十年まえ、五十年あと

と言います。五十年前には私は生まれていなかった。五十年あとにはこの世にいない。
人生ははかないからこそ今を生きていく人たちは精一杯ぎりぎりのところを歩んでいる。
こういう目で人生を見つめた作品が最近身にしみるようです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

スポンサーサイト



死なば秋 

今年も朝顔は終わりになり、種を残して枯れていきます。
『生写朝顔話』は熊沢蕃山の

露の干ぬ間の朝顔を、照らす日影のつれなきに、あはれひと村雨の、はらはらと降れかし

をもとに作られていますが、中でも「露の干ぬ間の朝顔」ということばにはなんとも言えない哀れが催されます。
山本周五郎に

    つゆのひぬま

という、岡場所を舞台にした作品があります。
自分が武家の娘であると偽りながら生きるおひろ。暴風雨で増水して屋根の上におぶんと二人で逃げたとき、初めてその偽りを告白する。もう雨はあがって、空には星が瞬いています。そこにおぶんが待っていた良助が小舟で助けに来る。しかし舟には2人しか乗れない。おひろは1人残って美しい星空を見上げます。
おひろは、良助の愛情も何もかもが露の干ぬ間のことだとおぶんに言っていたのですが、良助の真実はたしかで、「露の干ぬ間」は自分だけのことだった、と思い直しました。

    死なば秋つゆのひぬまぞおもしろき

は尾崎紅葉の辞世の句とされます。「紅葉」の名にもふさわしいかもしれません。
死ぬなら秋がよい。という、それだけの句ですが、この世は露の干ぬ間。それもまたおもしろかった、と感じているのでしょうか。朝顔は秋の季語。
紅葉が亡くなったのは1903年10月30日のことでした。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

哀しい遅延 

昨日、夜8時半頃に仕事を終えて、電車に乗りました。阪急電車の十三(じゅうそう)駅で、私は神戸方面の電車に乗り換えます。そのホームに降りていくと、目の前にその電車があってドアが開いていました。飛び込みはしないことにしていますので諦めていたら、なかなかドアが閉まりません。「エッ?」と思って乗り込んだら、車内はいつもの5分の1くらいの乗客。もちろん席は空いていました。

    これは楽だ

と座っていたら、電車はビクともせず、ドアも開いたまま。
周りには、何やらスマホで調べたかと思うと電車を降りる人もいます。
何かあったことは疑いなく、私も阪急電車の

    ホームページ

を開いてみました。
塚口駅で人身事故があって遅延している、とのことでした。ホームから飛び込んだのだとか。痛ましいです。何があったのか、想像することもできませんが、ほんとうに悲しいです。今はホームドアのある駅が増えてきました。だからこそまだ設置されていないところはそういうことが起こりやすいのかもしれません。
なんだか、人ごととは思えないような気持ちになって、私は少し遠回りになる、宝塚行きの電車に乗り換えて帰ったのでした。


にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

近松祭 

近松門左衛門の命日は十一月二十二日だそうです。
もちろん旧暦で、今の暦では1月6日だったらしく、厳しい冬の頃ですね。
近松の墓はいくつかありますが、もっともよく知られるのは兵庫県尼崎市の

    広済寺

にあるものです。私も何度もお参りしました。
以前は吉田文雀師が焼香と墓前祭に参加され、その後は和生さんがなさっています。
ただ、その日は十一月公演と重なりますので、だからということなのか、最近は十月終わりごろの日曜日におこなわれているようです。
今年は昨日、つまり

    10月27日

におこなわれました。
私は仕事があって行けませんでしたが、文楽人形による墓前祭にはファンの方などが参加されたのではないでしょうか。
5年後には近松没後300年を迎えます。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

奈良の幼稚園2019(1) 

年に一度、奈良の幼稚園に行っています。とてもいい体験をさせていただいています。
今年は11月14日の本番で、それまで1か月通います。
先日行ってきたのですが、荷物を運ばねばならないので、車を借りての旅でした。久しぶりの道ですが、予定通りの時間で無事に着けました。
あいにくの曇り空だったのですが、無事に荷物を運び、最初のお稽古を始めました。以前、ツケ打ちをしてくださった方がいらっしゃったので、「今年もいかがですか?」とお尋ねしたら、「やりたいですっ!」と、さすが若いお母さんらしく弾んだ声でおっしゃってくださいました。もちろん彼女にはまたハ

    バタバタッ

と打ってもらいます。そのほかもうお知り合いになった方も多いのですが、なかなか人形を遣いたいという人がいません。以前は「我こそは」という方が多かったのですが。それでも役割は無事決まりました。
ふと部屋の黒板を見ると、園児の数が書かれていました。なんと、全部で

    25人!

確か、最初に行ったときは100人くらいいたように思うのですが、何という減少ぶりでしょうか。
少子化、恐るべし、です。
観客が少ないのは寂しいですが、かつての朝日座よりはましかも、と思うことにします(笑)。
また定期的に経過をここに書いていきます。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
グ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

学生も怒る 

私は教員としては致命的な欠点があります。学生とコミュニケーションが取れないことです。そのために、精一杯工夫して学生の気持ちを聞くようにしています。授業中も、それ以外でも、できるかぎりやりとりするようにしているのです。
もうひとつ、厄介な問題があります。授業の障害になるような私語をする学生がまれにいます。それに対応できないという問題があるのです。
いつも授業の初めに、こういう事情なので、ぜひ

    協力してほしい

というのですが、それすら聞いていない者もあるようです。もちろん、あきらかに授業を妨害するようなものがいた場合はきつい言葉で制することもあります。しかし、私の授業は大人数のものがあり、目が届かずに見逃してしまうことがあるのです。
先日、どうもそういう学生がいたようなのですが、私は一度注意したものの、態度を改めなかったようでした。それを見逃してしまったのです。
するとそのとき、教室の後ろの方から一人の学生がすたすたと私の方に近寄ってきたのです。
彼女の顔は怒りに燃えているように見え、私は思わず殴られるんじゃないかと(笑)思ったくらいでした。
彼女は一枚の紙をポンと置いて、あっけにとられた私を尻目に教室から出ていきました。
その紙には「さきほど先生が注意していた学生、もう不合格にしてください」という意味のことが書かれていました。
かなり

    怒って

いたようです。
授業のあと彼女から、「さきほどは非常識なことをして申し訳ありませんでした」というメールが入っていました。私はこの怒りは受け止めねばならないと思い、こちらの非をわびつつ、当該学生に厳しく注意をしました。彼女たちも、つい調子に乗ってしまった、とのことで、すぐに納得してくれましたので、事は丸く収まったのでした。
あの学生の怒りはやはりまともに受け止めてよかったと感じたのでした。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ノーベル賞(2) 

先日書きましたように、マララ・ユスフザイさんとナーディア・ムラドさんはノーベル平和賞の受賞者です。今年はグレタさんも候補に挙がったように聞いていますが、彼女の受賞は実現しませんでした。それはそれでいいでしょう。彼女は賞をもらうことを目標に活動しているわけではないのですから。
ところが、あの賞が

    欲しくて欲しくてたまらない

という人がいます。よりによって、世界のことなどろくに考えてもいない某国の大統領です。
そして、お友だちの某国の総理大臣に「推薦してくれない?」と持ち掛けたとやら。いくら何でも、この総理大臣とて「ハハハ」と受け流すだろうと思ったら、まじめに推薦したいと言ったとか。こうなるともうめちゃくちゃだと感じます。あの大統領のどこが平和賞に値するのか。そもそも大統領たるものがノーベル賞欲しさに「首脳会談」とやらでお願いするなんて信じられません。
私の座右の銘は

    恥を知る

です。常に恥を知らないとまっとうな考えができなくなると思っています。このことばをあの人とあの人にお送りしたいものだと思っています。
今年の平和賞の受賞者はまだ若いエチオピアのアハメド首相に決まったそうで、あの大統領はさぞかし臍を噛んでいるのでしょう。
一方、同じように受賞しなかったグレタさんはきっと何とも思っていないだろうと想像しています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ノーベル賞(1) 

今年もノーベル賞の受賞者が次々に発表されました。正直なところ、物理学、化学、医学生理学など学問的な分野は理系中心なので、受賞者の名前を聞いてもあまりよくわからないのです。
文学賞は作家や詩人が受賞しますが、長年待たされている村上春樹さんは今年もダメだったようで、「その日」は来年以降に持ち越しです。私はあまり読まないのですが、すぐれた評価を得ている人なので、「その日」はさほど遠くないものと思います。
今年、日本からは、化学の分野で受賞者がありました。やはりお名前は知らない方でした。リチウムイオン電池(?)の開発に関わる成果を上げたとかなんとか。ほんとうによくわかりません。
実際にこの方が挙げられた成果はかなり前のものだそうですが、ノーベル賞は概してそういうものなのだとか。
今の日本は

    基礎研究

を大事にしない、派手な成果を期待する風潮にあるように思います。しかし現実に評価されているのは数十年前の基礎研究。逆に言えば今そういうものが重視されないのであればもうノーベル賞受賞者は今後先細りになるのではないかとさえ感じられます。
理系の学問のことはよくわかりませんが、地道に研究する人を支援してこそ公費の有効活用だと思うのですが。
こういう、

     目先の利益

にこだわる風潮は学問の世界のみならずさまざまなところに見られ、そういうことにうつつを抜かしていると、未来が闇に閉ざされかねないと思います。
そんなことを考えていると、またまたあの三人の女性を思い出してしまいます。ムラドさんの、あの遠くを見るような眼は、きっと未来を見据えているのだろうなと思います。目先の帳簿だけを見ていても何も前に進まない、と私は思っています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

万歳三唱 

イギリス国歌のGod save the Queenは「神よ、女王を守らせたまえ」というほどの意味でしょうが、しばしば「女王陛下万歳」と表記されることがあります。
日本人には「神」というのが理解しきれないのかもしれませんが、それにしても飛躍があるように感じます。
おそらく、日本でかつて唱えられた

    天皇陛下万歳

をあてはめただけではないのでしょうか。
「神」が日本人になじまないと言っても、「万歳」はなかろう、というのが私の言語感覚です。
「千秋万歳」は末長いことの寿ぎであり、「千秋」も「万歳」も少なくとも奈良時代にはあった言葉です。
『平家物語』には「天子宝算千秋万歳」という言葉も見えます。
ところが、政治家が両手を挙げて「天皇陛下万歳」とやらかすと、途端に興ざめします。

    あれがよかった

と思う方もいらっしゃるのでしょうから、意見はさまざま。それぞれの自由です。
しかし、戦後生まれの徳仁さんにはどうも似合わないように思えてなりません。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

まずまず 

先般の台風による東北地方などの被害は、哀しくなるほどでした。
福島県の被害が大きいと、どうしてもさらなる哀しみを覚えます。もちろん、千葉とか茨城とか、さらには宮城、岩手なども大変だったのでしょうから、同じようにお見舞いを申し上げたい気持ちです。
と思ったら、なんでも

    「まずまずに収まった」

と発言した政治家がいたそうな。
私はちらりとテレビかネットで観たのですが、その政治家はメモの棒読みで謝ったつもり(「謝ってなどおらん!」というかも)になっていたようでした。いつもながらの光景です。
東北など知ったことか、

    自分の身の周り、

東京のことを言っただけだ、ということなのでしょうか。この人の頭の中がよくわかりました。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

8強 

日本の健闘はすばらしかったと思います。
南アフリカは力強く、スクラムにせよラックにせよモールにせよ、激しく圧力をかけてきました。日本がスローフォワードを犯してしまうのはその圧力が原因だったのでしょうか。また、南アフリカは日本のボールをインターセプトしてすばやく攻撃に転じるなど、すきがなく、さすがに強かったですね。
ラグビーのいいところは、勝ったチームを素直に賞賛したくなるところです。ぜひ次も頑張ってほしいものです。
南アフリカというと、クリント・イーストウッド監督の

    「インビクタス」

がどうしても思い出されるのです。
白人と黒人が肌の色の違いを超えて心を通わせたとき、何かが芽生えました。政治というのは文化を支えるためにあるのだ、というメッセージ。
今の日本は、政治家や役人が偉そうな顔をして、文化の発展に仕えるしもべとしての役割を理解していません。
日本チームはさまざまな肌の色の人が集まり、実にいい気分になりました。
改めてラグビーというスポーツの

    魅力

を思い知ったような気がします。
国籍が違うだけでいがみ合うような風潮は好ましいものではありません。
ノーサイド!

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ブロードウェイ 

文楽の一部の方がアメリカ・ニューヨークにいらっしゃったそうです。
フェイスブックで豊竹藤太夫さんがリアルタイムで報告してくださっています。
なんでも、原作版の

    曽根崎心中

を上演するのだとか。
呂太夫さんや清介さんらもいらっしゃったのかな、と思います(ちらっと写真を見ただけなので違うかもしれませんが)。
私は、原作版を映像で観ただけなので、よくわかりませんが、以前フランスで上演されたときはとても評判がよかったのだとか。
今回もうまくいきますように。
それにしても、今や

    飛行機

の中からあるいはJ.F.ケネディ空港からフェイスブックに投稿されたものがすぐに拝見できる時代になったのですね。
空港でくつろがれる呂太夫さんの写真を拝見したら、すぐ近所にいらっしゃるように思えるのですが。
今後も藤太夫さんのフェイスブックの記事から目が離せません、

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

パレードねぇ 

22日は即位礼正殿の儀がおこなわれるそうで、休日。
ちょいとばかり嬉しいです。
何しろ、火曜日は300分、つまり丸5時間喋りっぱなしなので、この時期にひと息入れられるのは助かります。
歴史的に見ると、天皇が譲位すると受禅践祚、つまり譲られた位を受け継いでその地位に就きます。そして、内外にそのことを示すのが

    即位

です。天皇がなくなった場合は諒闇が明けてからおこなわれますから一年以上のちのことになります。
今は践祚と即位を区別しないようですが、儀式としての即位の礼は、先の天皇(今の上皇)の場合、やはり一年10か月後の平成2年秋でした。
さて、本来なら24日に

    パレード

がおこなわれるはずでしたが、先の台風19号の被害に鑑みて延期されることになったようです。
せっかくの慶事に水を差すようなことを申しますが、パレードなんて必要なものでしょうか。
お祭りや歌舞伎の世界では「お練り」というのがあり、仏事には行道というのもあります。相撲や野球で優勝したりすると、やはりパレードがおこなわれます。国威発揚であればミサイルか大砲を並べての軍事パレードというのもあります。
ひねくれ者の私は、天皇の即位とあまりにも派手なパレードがどうも結びつかないのです。
前例を作ると、次もまたそれを踏襲しないわけにはいかなくなります。警備も大変なことですし、費用も莫大でしょう。国民の多くは贅沢が許されない質素な生活を送っている時代で、今後も明るい未来があるかというとそうではありません。
やはり水を差していますね。休日にしてもらったのに、こんなことを言ってはいけないのでしょうね。


にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

札幌マラソン 

日本で夏季オリンピックが開催できるのはもはや札幌くらいだと思っていました。
すると、ついに来年おこなわれるオリンピックのマラソンと競歩を札幌で開催する方向だ、というニュースが流れました。
なぜ今何なって、と言われますが、それはやはりあのドーハでおこなわれた世界陸上を目の当たりにしたからでしょう。
つぎつぎに棄権者が出る異常事態でしたから。
そもそも招致の段階で真夏の日本が

    温暖だ

などと非常識な嘘をつくからいけないので、またIOCがそんないいかげんな言葉を真に受けてを疑わなかったのも間違いだったのでしょう。
だからと言って、今さら、そっちが悪い、いやあんたの責任だ、などと言っても仕方がありません。
マラソンも競歩も過酷なロードレースです。だからこそ晩秋から春までの競技なのでしょう。
私自身は今でも来年のオリンピックには賛成していませんし、関心もありません。
ただ、私の思いなどに関係なく(←あたりまえ)実施はするのでしょうから、それならせめて選手の

    命に関わるようなこと

は避ける最大限の努力はしなければなりません。
チケットを買った人は気の毒ですが、最悪の事態を回避するためにはギリギリの判断だったのでしょうから、仕方がありません。
それよりも何も、地球の温暖化がいかに大問題かが再確認されたことが重要だったように思います。
「温暖」って、早い話が熱帯と同義語なのでしょうか。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

台風の被害 

千曲川は信濃川の上流の呼称。
私はやはり島崎藤村を思い出します。
 小諸なる古城のほとり
 雲白く遊子悲しむ
 緑なす繁蔞は萌えず
 若草も藉くによしなし
その千曲川をはじめ、東日本の多くの河川が氾濫するほど、

    台風19号

が荒れ狂いました。
治水が行き届かない地域は当然被害が大きく、亡くなった方、行方不明の方は100人近いとのこと。
亡くなった方がもっとも多いのは福島県だそうで、また福島県が・・と思うと胸が痛みます。
政治家の中には、「(被害は)まずまず」にとどまったと言った人があったとか。
自分の

    身の回り

しか見えていないのだな、とがっかりしました。
それにしても、昨年も今年も強烈な台風がやってきました。
やはり異常事態というべきだと感じます。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ニンニクの芽 

先月下旬に植えたニンニクから芽が出てきました。
まだほんのわずか、小指くらいですが、やはり嬉しいです。
こんな時期に芽を出して、冬の寒さを乗り切るのですから、すごいものです。
肝腎の根っこの部分は見えませんが、まだ

    小さいまま

でヒゲが出ている状態でしょうか。何しろ、収穫まで9か月くらいかかりますので、気長に見守りたいと思っています。
窓際に、
    6号鉢

を置いてそれに1つだけ植えており、あとはプランターに10個くらい植えてあります。
これから日が短くなると、私は早く家を出て遅く帰るので、プランターの方は明るい時間帯にはあまり見ることができなくなるかもしれませんが、枯らさないように大事にいたします。


にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ホガース 

『諷刺画で読む十八世紀イギリス』(朝日選書)という本を読んでいます。
ウィリアム・ホガースの絵を通してイギリスの十八世紀を読み取るものです。
改めて、イギリスのことなんて何も知らないな、と感じます。
最近、いろいろな国の

    習俗

にも興味があり、政治史にとどまらないアングルからイギリスを描いたこの本に目が止まりました。
ホガースについてもまるで知りませんが、精密に描く人だな、と思いながら眺めています。
有名な絵ですが、二階の窓から何やら器に入った水のようなものを捨てる絵があります。その「水」が道行く人の頭にかかるのです。実は、これは

    排泄物

で、当時は室内で排泄して窓から捨てたというのです。
こういうことは歴史の教科書にはなかなか載らない、しかし興味深いものです。もっといろんな角度から歴史を見た本を読みたいと思います。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

スコットランドにも! 

ラグビーのワールドカップ、すごいことになっていますね。
クリント・イーストウッド監督の映画

    『インビクタス』

は、不屈の人、南アフリカのマンデラ大統領が白人のラガーマンと心をひとつにして自国開催のワールドカップで優勝した姿を描きました。
その中で、日本がニュージーランド戦で歴史的大敗を喫したことが話題にされていました。
あのころはまだまだ日本の力は弱かったのですね。
でも、その経験があればこそ徐々に力をつけることができたのでしょう。
スコットランドとの対戦は優劣つけがたく、勝敗は予測できなかったでしょう。
結果は日本が勝ち、

    4戦全勝

で8強に進みました。
そして準々決勝は何と南アフリカ戦。
ワールドカップ前の9月には大敗している相手ですが、さてどうなりますか。
私のような俄かファンも含めて、この秋はラグビーブーム。野球の日本シリーズもかすみそうです。
日本も、南アフリカも、健闘を祈るばかりです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

台風、こわい 

台風19号の北西側の暴風圏にいました。
私は、1991年に広島にいて、ひどい台風の直撃を受けたことがありました。あの台風は、厳島神社能舞台を破壊した強烈なものでした。
台風というのは、なんとなく九州から日本海に抜けるのが典型と思っていましたが、今年は千葉県など

    関東や東海

に被害が多いようです。
昨年は仕事場のボロい建物の屋上の防水パネルが吹っ飛び、雨漏りがするというとんでもない出来事があり、台風はどうも暴徒化しているように思えます。
昨日は仕事場が

    閉鎖

されたらしく、家で仕事をしていました。
荒っぽくなった自然災害は何かの怒りではないかと思えてなりません。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

昔の注釈書 

注釈書というのは新しい方が多くの学説を取り入れているという意味で役立つことが多いのですが、古いものもそう簡単には見逃せないことがあります。
学生時代に『古今和歌集』の古注釈を徹底的に読むというゼミがありました。中には荒唐無稽な注釈もあり、また、我田引水のようなものもありました。しかしそれらが時代を映していることもあり、思いがけぬ問題点を指摘していることもあり、目から鱗が落ちるような思いをすることも少なくありませんでした。本居宣長は『古今和歌集』の現代語訳をしています。もちろん

    江戸時代の現代語

です。現代語にすると、その訳者の文学的センスもわかって、なかなか面白いことがあります。
今、私は『源氏物語』の講座で古注釈を使っています。受講者の方にはかえってわかりにくくなるかなと思ったのですが、意外に好評でなのです。今使っているものは主に『河海抄』『花鳥余情』『弄花抄』『細流抄』『岷江入楚』『孟津抄』『湖月抄』あたりで、必要に応じてそれ以外のものも参照する、という形です。
これらの注釈を見ると、古典を読み解こうとした人々の苦心の跡もうかがえますし、この人たちのおかげで現代人は『源氏物語』をわかりやすく読めているように思うのです。室町時代の人たちはさかんに『源氏物語』の講義をおこなって、それを聞いた人がノートをとって

    聞書

を作るということをしています。
私は古賢のようなすぐれた教師ではありませんからおこがましい言い方ですが、私の実施している講座は、形の上では室町時代の『源氏物語』伝授の場を模しているものです。
私は、受講者の方が単にご自身だけで理解してくださるのではなく、ご家庭に帰られてから、「こんな話があったんよ」というような食後の話題にしていただけないものかと思っているのです。そうやって、古典理解の輪が広がらないものかな、とも願っています。
昔の注釈書を書いた先人の皆様方、ありがとうございます。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

韓国語はできない 

私はおよそ語学の才能がありません。英語も得意ではありませんし、大学時代に学んだドイツ語や中国語はまるでものになりませんでした。
もっとも、ドイツ語はクラシック音楽を聴いていればしょっちゅう出てきます。ベートーヴェンの第九のAn die Freudeもモーツァルトの魔笛もシューベルトの歌曲も。ブラームス、ワグナー等も。
ですから、学生時代以降もドイツ語には触れる機会はあったのに、ダメでした。
イタリア語に至っては皆目です。先年、

    フィガロの結婚

の仕事でイタリア語の台本を見ました(読みました、とはいえない)がほとんど対訳頼みです。
それ以外には、大学院生のときに少しだけ韓国語の勉強をしたことがあるのです。といっても、NHKのラジオやテレビで放送していた

    アンニョンハシムニカ 

という入門番組のお世話になっただけですが。
ただ、ハングルの読み方だけは少し覚えて、今もなんとなくわかります。
私の授業に韓国からの留学生が来ていますが、彼女たちは日本語が堪能にのでほとんど気にせず話せます。ただ、ときどき彼女たちから韓国の話が出ますので、他の学生向けにハングルで書いてスライドに出すことがあります。
すると学生は「せんせ、韓国語できるんですね」と言います。
いえいえ、はっきり言います。
できません!

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

歴史は今を見つめること 

高校生まで教わってきた歴史科目は暗記ばかり。
私はそれが割合得意だったのですが、苦手な人にとっては苦痛以外の何物でもない科目のようです。
歴史を知ること自体は好きだけど、あんなに暗記しろと言われると、という人もあるようです。
高校の先生も、もっと自分の好きなように教えたいかもしれませんが、そうはいかないのですね。
しかし、大学の

    日本史専攻

の研究は、およそ雰囲気が違います。とにかく史料を読む。まずはそれで鍛えられます。基礎になるのはそこです。古文書、記録、文献、さまざまなものを読み解くすべを学ばねばなりません。
「日本の歴史についてよく知っている人」と「研究者」ではそこが違うでしょう。
ただ、そうやって過去をながめて懐旧の情に浸っているだけでは歴史を学ぶ意味は十分ではありません。
過去を振り返って現在を見つめ、

    未来を展望して

こその学問だと思います。
慌ただしい現代だからこそ、歴史を知らなければ、大切な遺産を失うことになるのではないかと思います。
歴史と哲学はいつの時代も学問の基礎だと思います。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

少人数 

ある授業がきわめて少ない人数になっています。
人気がないのはつらいものです。
当初、3人しか登録していなくて、このままでは不開講扱いにされてしまうところでした。幸い、6人にまで増えて授業できるようにはなったのですが、それでも寂しいです。
おまけに、教室が100人ほど入る

    だだっ広い

部屋なのです。
1時間目ですので、寒くなるとさらに減ったり遅刻者が出たりしそうで不安です。
最終回には
    1人、2人

になっているのではないかと案じていて、それがありえない話ではないだけにまずいのです。
できるだけ明るく元気に話をして1人ひとりに語りかけるような授業にしたいと思っています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

世にかずまへれたまはぬ 

『源氏物語』の講座ではもうすぐ宇治十帖と呼ばれるところに進みます。この最初の巻は「橋姫」で、冒頭は「そのころ、世にかずまへれたまはぬ古宮おはしけり」で始まります。世間から忘れ去られたような過去の人である親王がいらっしゃった、ということです。
この人物は権力闘争に巻き込まれる形で、一時は有力な春宮候補だったのですが、時勢の変化によってその夢は破れ、彼を支持していた周辺の貴族たちも離れていき、公私ともに不如意な生活をすることになります。光源氏の異母弟で、桐壷帝の八番目の男子であったために「八の宮」と呼ばれます。
泣き面に蜂が刺すように、娘二人を残して北の方(正妻)は亡くなり、あげくには屋敷が焼けてしまいます。
なぜこんなに

    歯車が噛み合わない

のか、なぜ自分はこんなに不幸にならなければならないのか、宿世を恨んだこともあったかもしれません。彼はその後仏道に精進して、宇治の別荘で暮らします。
そして、二人の娘の身を案じながら世を去って行きます。
物語はこのあと薫と匂宮という二人の若者と八の宮の三人の娘(先述の二人のほかに、北の方以外の女性が生んだ娘があった)との関係が描かれていきます。
何の罪もない八の宮ですが、

    権力闘争の渦中

に投げ込まれたために不遇の日々を送らざるを得なくなり、もはや取り返しのつかない人生を送る羽目になってしまいました。権力者の道具に用いられた挙句の敗残。私はこの人に強い同情を覚える気持ちを禁じ得ません。
自分で自分の人生を切り開くことができないのだから仕方がない、といわれるかもしれませんが、そういうことができるようには生まれつかず、また育てられもしなかった人です。
この人の登場する巻はもうしばらく先に読むのですが、どんな話をすればよいか、とぼんやりと考えています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

漢字を知らない 

私は、比較的漢字の書き取りテストはできたほうです。小学生の頃から、国語だけは人並みより少し上くらいの成績でした。
大学受験のときも、漢字を間違えることはなかったと思います。
今、学生の漢字力に戸惑っています。先日、学生の書いたものから

    「紙乏居」

という字が出てきてびっくりしました。
難しい字が書けないのはかまわないのです。簡単な字を確実に書けるようにしてほしい、と話しておきました。
パソコンや携帯ですぐに漢字変換してくれます。
初期のワープロのように、とんでもない誤変換は減りました。
どうしてもそれに頼るために文字を書かなくなり、力が落ちているのでしょうか。
「本を

    続む」

というのもありました。多分「読む」のつもりでしょう。「扁(へん)」の役割が何かということは考えないのですね。
小学校教諭の免状を取るというのですから、私としてもきちんと正しておかねばなりません。
みんな、がんばれ。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ラグビーファン(続) 

今、開催中のラグビーワールドカップは、かじりついて観たいと思うのですが、貧乏暇なしで、そうもいかないのです。
それでも、忙中閑あり。
オーストラリア対ウェールズ、日本対サモア、の二試合を観ました。
サッカーもいいのですが、今の日本代表チームを見ているとどうにもつまらなくて、いかにもチームプレーというラグビーがより好ましく思えるのです。
日本対サモアの最後のトライはフォワードが目一杯押し込んだからこそWTB(ウイング・スリークウォーター・バック)の松島が生きた、まさに

    ラグビーの醍醐味

を味わいました。
「目指せ8強」でしたが、それが夢物語ではなくなってきました。
次はスコットランド。これまた難敵ですが、サモア戦で4トライを決めて、ロシア戦に続いてボーナスポイントを得たので、とにかくしゃにむに、泥臭くしがみついていけば、8強に届くはずです。
それにしても、

    ニュージーランド

やイングランドの強さはただならぬものです。
仮に8強に入ったとしても、ニュージーランドと対戦する可能性があり、歯が立たないかもしれません。
しかし、私を含めて、にわかラグビーファンが増えたこの大会は、とてもすばらしい成果を挙げそうです。
スポーツはやはり秋がいいです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ラグビーファン 

高校3年生のとき、体育の時間にラグビーをしました。ケガしないかなぁと不安で、つまらないだろうと思ったら、これが意外なほどおもしろいのです。私は、体重はありませんでしたが、背は高くなっていましたので、何となく

    FW

にされ、スクラムを組むときは声を出す役でした。
ボールを前に投げてはいけない、というパラドックスのような前進スポーツ。何しろみんな下手ですから、ボールを回せば回すほど後ろに下がっていき、攻めているのか守っているのか分からないありさま。
一度、たまたま抜け出して独走しそうになり、これはトライか、と思ったらタックルされ、何しろヒョロリとしていましたから、見事に倒されたことがあります。
大学時代は

    新日鉄釜石

の全盛期。
学生は同志社がなかなか強かった頃です。
ノックオン、スローフォワード、ノット・リリース・ザ・ボール、オブストラクション、オフサイド、ハンド、ノット・ストレートなどなどのルールはあの頃覚えました。中にはサッカーと重なる名前のルールもありましたから、覚えやすかったように思います。
当時はトライが3点(ゴールすると計6点)から4点(ゴールするとやはり6点)になった頃。今は5点(ゴールすると7点)ですね。
その後、神戸製鋼の全盛期まではまずまず観ていたのですが、以後は冷めてしまいました(続)。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

16歳の少女(4) 

私は授業で「三人の若い女性たち」の話をしました。それはマララ・ユスフザイさん、グレタ・トゥーンベリさん、そしてナーディーヤ・ムラードさん(お名前はフルネームではなく、略しています)です。この三人はすべて堂々と自らの主張を述べ、、マララさんとムラドさんは国連大使(平和大使と親善大使)に任命され、ノーベル賞受賞者でもあるという共通点を持ちます。この三人のスピーチを聞くと、

     希望、悲しみ、怒り

を感じます。
マララさんは銃撃されあわや命を落とすところまでいきながら、教育を受けられない人たちに救いの手を差し伸べることの重要性を訴えました。大変な目に遭いながらも希望を捨てずに主張を続けました。
ムラドさんはISに拉致されて悲惨ともいうべき悲しい性被害に遭いながら、脱出したあとインタビューを受ける時でも、彼女の眼には悲しみの表情が浮かんでいたように思います。
そしてグレタさんは怒りの表情で思いを述べたのでした。
主張も、その表情もそれぞれではありますが、国際舞台で堂々と

    正論

を述べる姿勢には見習うべきものを感じます。
この三人がすべて女性であるのも偶然ではないように思います。今、まっとうにものを言える人、あるいはそれを受け止める人がどれほどいるのでしょうか。グレタさんは「あなたたちが話しているのはお金のこと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり」と一喝しました。
あの会議には日本の総理大臣は出席しなかったそうです。そして「おれっておしゃれじゃん」と言いたいかのような若者大臣が代役を務めたように聞いています。がっかりしました。
彼女たちの姿をしっかり心に留めたうえで襟を正さねば取り返しのつかないことになりかねないと思います。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

16歳の少女(3) 

私は、幸か不幸か、グレタさんへの批判に関する情報、つまり彼女が具体的にどういう批判にさらされているのかがよくわかっていませんので、それらの批判を勘案したうえで彼女を評価することができません。その点については残念ながら自分の至らなさを認めざるを得ません。私はあの短いスピーチを見ただけで、きわめて単純に、ありのままに彼女の言っていることを受け止めているだけにとどまっています。
ただこれだけは間違いない、と思うことがあります。彼女は

    怒り

をぶつけているのです。弱者が強者に向かって怒りを表明するときは本気で怒らねばなりません。問題はむしろ、彼女のように何の力も持たない若者の必死の怒りを受け止められない「権力者」にあると思います。
嘆かわしいのはアメリカの大統領で、お好きなツイッターでからかい気味につぶやいていました。
She seems like a very happy young girl looking forward to a bright and wonderful future. So nice to see!

だそうです。明るく素晴らしい未来を楽しみにしているなんとも幸せな乙女じゃないか。会えてよかったよ、お嬢ちゃん、とでもいうところでしょうか。
要するにこんな女の子なんて相手にする気はない、ということなのでしょう。
しかしあの大統領は地球の温熱化を甘く見過ぎています。あえて言わせてもらうなら、もうさほど長いとも思えない

     自分の人生のこと

しか考えていないような人物に見えます。アメリカのためにと言いつつも、実際は自分の名誉と利益のためになのではないかと思えてなりません。少なくとも地球規模でものを見る力はまるで持たないことだけは間違いないでしょう。
グレタさんのスピーチと前後して日本では大きな台風の被害が相次ぎました。それとこれとは別、と放置するのが本当に正しいのでしょうか。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

16歳の少女(2) 

グレタ・トゥーンベリさんは並み居る各国の「指導者」たちに臆することなく、自分の主張を述べました。しかも淡々と原稿を読むような様子ではなく、もちろんメモを見てはいましたが、自分の言葉で、しかも客観的なデータを使いながら語っていたようです。
日本語にしにくい言葉のようですが、彼女の使った

    How dare you!

という言葉は忘れ難いものがあります。
「私はここにいるべきではない、学校に戻るべきだ。あなたたちは、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています」といったあと、彼女はこの言葉を口にしました。あえて日本語にすると「よくも、そんなことが!」というほどの意味だとか。それをこの16歳の少女は聴衆をにらみつけるようにして言いました。
同じような年齢のときにパキスタンのマララ・ユスフザイさんは、やはり国連で「一本のペン」で知られる演説をしました。こちらはきわめて穏やかに話していました。笑顔も見え、会場は万雷の拍手。マララさんに敵対するタリバンのメンバーはともかくとして、世界中のほとんどの人々に歓迎されるようなスピーチでした。
一方のグレタさんは聴衆をにらみつけながら挑むように話したために、

    品がない

という批判を受けたようです。また、彼女は利用されているだけだという批判もあったように聞いています。ロシアの大統領は、彼女は素晴らしい少女だと思うが、おとなたちに利用されている。それを懸念している、という意味のことを言っていました。
日本でも好悪相半ばするというべきか、強く批判する「知識人」もあるようです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう